はてなキーワード: お酒とは
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
友達とお酒を飲んで帰るといつも、楽しかったと思う一方話しすぎたかなとか結構声大きくなってたかもなとか自己開示しすぎたかなと少し後悔する
普段周囲に気を使いすぎとか自己開示し無さすぎとか言われるからこれで良いのかもと思う
でもやっぱり気になるな 「飲むとよく笑う」とか「陽気になる」くらいで受けとってくれているなら良いんだけど、これっきり連絡が来なくなりやしないかと、毎回帰り道で怖くなる
友達とお酒を飲んで帰るといつも、楽しかったと思う一方話しすぎたかなとか結構声大きくなってたかもなとか自己開示しすぎたかなと少し後悔する
普段周囲に気を使いすぎとか自己開示し無さすぎとか言われるからこれで良いのかもと思う
でもやっぱり気になるな 「飲むとよく笑う」とか「陽気になる」くらいで受けとってくれているなら良いんだけど、これっきり連絡が来なくなりやしないかと、毎回帰り道で怖くなる
妻が急な出張で4日間不在となった!
この寂しくも貴重な期間をどう過ごしたらいいんだろう。お金の余裕もある。
一緒に過ごして楽しい反面、独身のときの自由気ままさがないことが頭をもたげる時もある。
(以前に比べて贅沢な悩みではある)
ただし、残念なことに、ちょっとした日帰り手術を受けたばかりで、身体が万全ではなく、以下のことができない。
・好きな酒を好きに飲んで過ごす
有給取っての一人旅プランも考えたが、温泉も酒もダメとなると、つまらなそうで諦めた。
こういうとき、どんな案があるだろうか?
1.ひとり外食。
→外食もいつも2人なので、ひとり飯の外食はどうだろう。お酒抜きとなるため、ラーメン屋以上、居酒屋さん以下のちょっと手の込んだお店に入ってみる。少し格のある蕎麦屋、うなぎ屋、焼き鳥屋、寿司屋
2.映画館
→大きなところで今かかっている映画は興味出ないので、単館系で探して、夜中までハシゴ
→メイド喫茶も考えたが、以前行った時、共感性羞恥で酔ってないとやってられない空気感だった記憶がある
4.ドラクエ3を買う。
ひたすらのめり込んで4日過ごす。
うーん、パッとしない!
それにしても、「チャンス」は語弊が…
・毎日決まった時間に起きられない。会議が始まるギリギリの時間に起床してギリギリにリモートを始める)
・毎朝洗顔できない。リモートの日は昼にやったり1日やらなかったり
・ストレスをうまく回避できない。お酒もタバコも苦手で食べ物もたくさん食べられない。友達いないから誰にも話せない
・努力ができない。何かを目指してそのためのこれを頑張らなければ、と思えないから
・前向きになれない。何に対してもどうせ頑張っても結局うまくいかないんだろうなーと思ってしまう
・すぐシャワーできない。入るまでに時間がかかる。酷い日はシャワーが嫌で先延ばししまくって夜更かししてしまう
おまけ
・できてないことではないけど、自己肯定感が低すぎるのに自己愛が強すぎる。あと物事の見方が減点方式。これリセットしたくて本当に一回死にたい
ーーーーーー以下NHKサイトーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いまお酒を飲まない「ノンアル生活」を送る人が急増している。首都圏ではノンアル飲料を中心に提供するバーや飲食店が登場。「ノンアルコール飲み会」まで開催されるように。健康、時間、飲み会などへの価値観が変わる中で、変化するお酒とのつきあい方。その状況に危機感を持つ大手ビールメーカーの模索や、欧米でも広がるノンアルのトレンドも紹介。私たちとお酒の関係はどこに向うのか考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここまでNHKサイトからの引用ーーーーーーーーーーーーーーー
という番組をやっていた。
背景には小生にはセクハラやパワハラが酒を飲むとOKのような昭和的な価値観がまだ残っていることもあると思っている。
企業などで、酒を理由にいろいろなことをやる人間への対応にはまいっているのではないだろうか。
それがOKと思っているのは官の世界や芸能界マスコミくらいではないか。
しかし、そんな背景もはるはずの番組なのにゲストで出ていた某タレントが残りの二人に”飲みに行きましょう”などと少なくても2回はいっていたことがすごく気になった。
特に今芸能人は松本某やそれを擁護するひとたちの影響で、”気楽に飲みになど行けない人たち”と思われているということが全く分かってないのだと思う。
松本某の問題に決着がつかないことは、芸能界全体で自浄作用はない、というか、そういう線で考えているんだね、ということで、世間に公表しているようなものなのに。
あー、わかるw お前はおれかww?
激戦区ではない中堅どころのエリアで料金が高いデリ (2万/60分 くらい) がお勧め。局所最適という感じで可愛い嬢が集中する傾向にある。また激戦区と違って風俗慣れし過ぎてる嬢ばかりという事も無いので、店外に誘いやすい。大人ありといいつつソープでは無くデリでさがすのも、嬢がプロ過ぎないのが大きい。
初回はとりあえず 60 分で様子を見て裏オプ (1万〜2万) 可能か確認する。ここでダメなら大人も無しなので無し。この時、嬢の方から提案されるような場合も無し。風俗慣れし過ぎてるし、ホス狂いの確率が高い。「お店に内緒にしてくれる…?」くらいの温度感で受け入れてくれる嬢は当たりの可能性がある。また大前提として、自分がホストになったくらいのつもりで丁寧に優しく接するのが何より大事。信用と信頼を得られない限り、元々そのつもりの無い嬢のデリ→パパ活への移行は難しい。
2 回目以降はロング (3.5〜4万/120分 くらい) で指名する。また初回からあまり間隔を空けない方が良い。ベストは翌日だが遅くとも 2 週間以内。そもそも大半の風俗嬢は、1 ヶ月に 1 回未満しか来ない客は覚えていない。太客を予感させるためには (実際に太客であるのだが) ロングで 2 週間以内が必須ライン。そしてここでも再びコミュ力が試される。会話も弾んでお互い楽しかったよね、という空気になるかが大事。まあそもそも、そうならない嬢とパパ活したいとは思わないわけで。
3 回目か 4 回目あたりでついに店外に誘う。好きなお酒や食べ物の話から「◯◯が好きなら良いお店知ってるよ!」という、良くあるやつである。都内でラブホが近くにあって高級なレストラン (1万〜2万/人) を色んなシチュエーションに合わせて押さえておくと良い。スマホなど見ずにさらっといくつか言えるとなお良い。ここまでの段階で十分な信頼 —— 紳士的に接してくれる・お金を持っている・楽しい時間を過ごせる —— が築けていれば、断られることはほぼ無い。またここまでで聞けていなくても、食事に行くとなったら LINE も確実に聞ける。
さあ、初の店外・パパ活にこぎ着けたならば、これまで同様のコミュ力を発揮し楽しい時間を過ごそう。増田もこのくらいのフェーズになるともう、わっくわっくである。店の予約はなるべく早め、遅くとも 19 時くらいまで。理由はもちろん後に時間が残っていないと困るし、むしろそこからが本番 (ダブルミーニング) だからである。店を出たら「まだ時間ある?」から始めてホテルに誘う。ここで 5 万を提示すれば断られることはない (n=3)。自分の払いとしてはデリ+裏オプと変わらないのだが、嬢の取り分は当然大きいし、お酒も入って楽しくなってるし、そりゃ断る理由がないよね。まだ飲みたいと嬢が言ったら、酒を買い込んでからホテルの入るのも良い。コンビニスイーツを買ったりとかも。あとはタイマー無し風俗を満喫すべし。
2 回目以降はまあ嬢による。裏引きに味を占めてずっとパパ活になる場合もあれば、引き続きお店を通して、パパ活はたまにあるかな、になる場合もある。LINE がもう繋がってるので、出勤のスケジュール調整してもらったり、大学生だったら授業のない時には真っ昼間に来てもらったり、やりたい放題フェーズに入る。
渇いている感じがする。
これじゃいけない感というかもっと何かをしたい感というか。
人手不足を引き受ける立場を続け、ライフステージの中で色々な葛藤状況が重なって、軽くバーストし、適応障害と診断され、しばらく休職してやっとリハビリ勤務を始めたところなのだけど。
不調が出たのは徐々にだけど突然だった。
休む前も職場に行くだけで涙が出る、仕事をこなしながら座り込んで30分くらいに立てなくなるなどの症状があった。薬で眠れるようになり,休職で強制的に夏休みをつくり、イレギュラーや重要な決定をする必要のある仕事からは一旦離れて、まさにリハビリ勤務になった。
大変理解のある職場で、ほぼ責められることはなく、気持ちよく休職させてくれた上に、ここまで配慮した復帰のお膳立てをしてくれる。
だからこそここが一番慎重にならなければいけないところ。
与えられた業務だけちゃんとやって、決まった時間に出勤退勤することを守り、その上で自分の健康状態を回復させていく。
それしかやらなくていいはずで、むしろできる限界値が大幅に下がっていて、実際にリハビリ勤務を2日終えただけで、休職前の1週間分くらいの疲れが自分に来ている。
なのに、
「早く元の立場に戻りたい」
とか、
とか、
あれもしたいこれもしたい、
色んな欲求が渇きのように疲れた体を押し上げていて、動け動けって言ってきて、しんどい。
これが躁状態というやつなんだろうか。
動いてないと、誰かの役に立ってないと、誰かと繋がってないと、遊んでないと、私の中の自信が尽きてエンプティマークが点滅し、やがて自信喪失してしまう気がする。
やりたいと思うこと、全部をこなすことが器用に操縦できる状態じゃなくなったから休んだのに、頭では分かっているのに。
休息すべき時に、気がついたら毎晩のように夜の街に遊びに行ってしまう。
お酒を山ほど飲んでしまうし、友達とどれだけでも話していたくなってしまう。
壊れかけた自転車で、坂道を上ってるみたいな感覚がある。目指すところは自分の渇きが満たされる頂上、でもパワーが足りないからうまく漕げすにだんだん後ろへ下がってくばかり。
今必要なのは仕事も遊びも無理に漕ぎ続けることじゃなく、自転車から降りて歩いて牽きながらてもちょっとずつ歩いていくことだと分かってる。
渇いていても、それは私の価値が足りないのではなく、エネルギー自体が足りないだけなのだから無理をしてはいけないんだって、自分に言い聞かせながら唾を飲み込んでる日々。
めちゃくちゃ美味かったし、凄い買い支えたいって思ったんだけど、当時を知る人から「支離滅裂な言動だし、飲みすぎたときは急に寝て起きないし心配だった」って言われてしまったから、もうお酒は飲まないかなぁ。
体がおかしくなる前で良かったとすら思ってるよ。
もともとワインやウイスキーとか洋酒が好きだったんだけど、(こんなに外国のお酒が美味いんだから、同じ値段くらいの日本酒だったらもっと美味いんじゃない?)って思ったのと、当時もやしもんって漫画で日本酒からフルーツの香りや味がするっていう話を聞いて興味を持って飲み始めたんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20241105220928
自分もそういえば振り返りをしてみようかな?って思って参加。
こういう文章を書くのってめちゃくちゃ久しぶりだ。
中年になってから、改めて通信学校に行って勉強をするという経験をしている。これがなかなか楽しい。いろいろ失敗して何回かべそをかきそうになっているけども、初めて自分が将来に向けて悲観的じゃなくなった気がした。もう中年も過ぎたおじさんだけども、何か目指すものが明確にできて本当に良かったと思った。
元増田と被るけど、ずっと興味があった投資をやってみた。ぜんぜんわからん。とりあえず1万円だけ毎月投資信託にお願いしてる。
emaxis slim 米国株式 (s&p500)ってやつだ。
楽天証券ではじめてみた
勉強しているので、本当に息抜きとしてゲームをやることになって、アクションとかよりもRPG寄りのゲームをやることが増えた。
特にキングダムカムの様に歴史を絡めて、「あの当時はこういう世界だったんだよ」っていう解説を読みながらやるのがすごく楽しい。
カトリックとプロテスタントが別れたみたいなとき、ふんわりと(教え方や広げ方が変わったんだろうなぁ・・・)って思ってたんだけど、大いにもめたんだね。フス戦争っていうキリスト教同士の戦争までやったとか知らなかった。いや、学校の教科書に書いてあったかもしれないけど全然記憶に残って無かった。
とにかく、強大になったローマカトリックに嫌気がさした人々っていう大きな構図が、もともとあったんだなぁっていうのが知れて面白かった。
隙間にやるのでスマホゲームがなかなかはかどる。特にソリティアが暇つぶしにちょうど良い。仕事に行く10分前くらいによくやる。
あと、ゴーストワイヤー東京も良かった。渋谷のビル群をビュンビュン飛び回れるのが良かった。地方に住んでいると、なかなか旅行に行けないから、こういうリアルに街を作ってくれるゲームは楽しい。エピックゲームありがとう。色々無料で配ってくれて。
あと、今はアストリブラっていうゲームをやってる。14年一つのフリーゲーム制作に充てるってなかなかの狂気だと思う。だらだらとやってる。あと、このゲーム終わったらやろうと思ってCult of the Lamb買った
仕事終わったらとりあえず自宅筋トレをやってる。筋肉体操とリングフィットアドベンチャーを両方。だいたい30分くらいかけてやってる。
これやるだけで体のしんどさが違うから、中年ってほんとそのままだと体力がどんどん落ちていくんだな…って思った。スポーツ全然ダメなんだけど、なんだかんだ言って自宅トレーニングだけは続いてる。よく食べるから痩せてはいない。
これも別に今年始めたことじゃないけど、改めて考えると今の体を作ってるのは自分の習慣なんだな…って実感したから書く。だいたい2日に1回、野菜と肉を入れたものを煮込んだものを作って、弁当にしたり、余ったらパンにのっけてチーズのっけて焼いたもの食べたりしてる。朝はヨーグルトにグラノラ、きなこ、ミックスナッツ、低脂肪乳をまぜこぜにしたものを食べる。
あと、おまけに趣味でパンを焼いてる。これも4日に1回くらいのペース。きなことミックスナッツ砕いたの、レーズンを入れてる。うまい。
デザートにさつまいもとオレンジを一緒に甘く煮たものを作って食べる。最初はさつまいも単体をオーブンで焼いていたんだけど、安売りのさつまいもって味が落ちてるのだったりするから当たりはずれが激しくて調理することにした。たまにシルクスイートの状態が良い奴が手に入ったとき、アルミホイルで巻いて、オーブンで焼いたのを食べてる。うまい。
止めてよかったもの。一時期一人暮らしで飲んでた時は、酩酊するまで飲んで、次の日の休日を、ほとんどぼーーーっとして過ごすという事を繰り返していた。おいしいお酒は好きだったけど、自分はやめてよかったと思った。
ちなみにうまかった酒は、日本酒だと鳳凰美田 本吟醸 火入 、純米吟醸 二兎 雄町五十五、楯野川 純米大吟醸 清流
うんちくが上手いお酒屋さんと仲良くなって、おいしいお酒を教えてもらいながら飲むのがすごく好きだったな。
しばらくやってなかったんだけど、音楽を作るのって楽しい。しばらく止めてた趣味を再開するのって案外楽しいものだね。ポチポチ音を並べて整えるっていうただそれだけの作業が心地いい。
最近スタンミさんとトコロバさんっていう二人が出会った動画がバズったみたいで、いきなりvrchatの人口が過去一の伸びを見せたっていうのを知って、久々にログインしてみた。
自分が持ってるviveの初期型と、メルカリで買った3080が乗ったパソコンでvrをやってる。やっぱり、高齢になったりハンデをもったとき、また誰かとしゃべりたいときとか、vrでガワを被って誰かと話すのっていいなと思った。なかなか中高年になると、友達って作りにくいしね。
https://note.com/shunin_vrc/n/nf5a33ebe6a02
今は積極的に海外の音楽vrイベントやDJ紹介もしてくれている日本人とか居るから、またゆっくりと音楽を楽しんでいこうかなと思ってる。
元が10こ書いてたからなんとか書くことを10こひねり出してみた。
今年も色々あったはずなんだけども、こう振り返ってみると新しいことはあまり手を出していないと思った。前やってたことを再開したり、今までやってたことを続けていたり。
実生活でやらなくちゃいけないことが増えると、コンテンツを消費しようっていう気持ちが薄れてくるね。せいぜいyoutubeでずっと似たような動画を連続再生させて、そのあいだTwitterみたり、ニュース見たりするくらい。本腰入れて漫画みたりアニメ、映画、とか、決まった時間を消費するのも、なかなか覚悟がいるようになったここ最近。
最近、父から連絡がきた。ラインへの着信が複数回、携帯電話への着信が複数回。
意図的にその連絡を無視していると翌日の朝にも同じような着信が、それも無視していると夕方にまた着信が。
これは鳴りやまないし連絡を返さないと後から面倒になるパターンのやつか…と渋々電話すると酒に酔ったやけに上機嫌な父の声が聞こえる。
元気にしているのか、仕事は順調か、今俺はこういうことをして過ごしているなど他愛のない会話をする、そんなんじゃ人生やっていけないぞバカと説教もされる。
暫くすると死にたいのに死ねない、どうしようもない、どうすればいい、と泣きながら話し出す。
私はそれに対してそう言われてもなあ…お父さんが元気な方がうれしいけど、と伝える。
覚えている限り、私が小学生くらいのときから父はこんな感じの人だった。
私が幼稚園生のときも父は定期的に酒に酔って癇癪を起していた記憶があるが、死にたいとかどうとかの話をしていたかまでは覚えていない。
私はその年の時分なんでか酔った父に襖を投げられ顔面にクリーンヒットし、鼻血がとめどなく溢れて鼻の穴だけでは排出量が追いつかず口からも血が出てきたことにより、
人体では鼻と口が繋がっているという当時としては衝撃の事実を知ったので父がとりあえず酒気帯び暴力マンであったことだけはよく覚えている。
父は定期的に酒に酔い暴言・暴力を奮い、死にたい死にたいと泣く人だった(酒さえ飲まなかったら昭和の頑固おやじとか関白亭主とかで表現できるような人ではある)。
とはいえ父としてもこの状態を良いものとは全く考えておらず、父なりに改善のための努力をしていた。
断酒会に通って似たような境遇の人とコミュニケーションをとったり、
暴力を多少配慮のある暴力としていったり(投げる物が茶碗とか灰皿から箸に変わったり、暴力体勢に入ると羽交い絞めにして止めても止まってくれなかったが、それが多少話を聞いてくれるようになったりなど…)、
お酒を飲んでしまったら、暴力的になるより先に自分を潰すために酒をあおるように飲むようになったり、
あまりうまくいっていないようだったがそもそもとしてお酒を飲まないように回数を減らそうとしたり。
傍目で見てまあ昔よりは多少マシになったのかなあと疑問に問いかけられるレベルには努力をしていた。
とはいえこんな家にいつまでも居ては人生潰されると思い大学から地元を出て、社会人になった今でも都会の方で私は暮らしている。
私が家を出た後、父は定年も数年後に控えた歳で仕事を自主退職し、収入が不安定になった。
そのときは今までの多少の努力を水泡に帰すような荒れっぷりになったが、祖父母の遺産が懐に入ったことで家計が安定し、老後の不安が解消したのか次第とアルコールへの依存がかなり減っていった。
憑き物が落ちたかのように父の生活はより穏やかなものとなっていった。
母はこんな家庭をずっと精神的に支えてきてくれていたのだが(鬱っぽくなったときも多々あったが)、ようやくこのタイミングで父との夫婦らしい生活を取り戻すことができた。
定期的にくる母からのラインでは今日はお父さんと一緒に散歩をしたなど、ほのぼのとした一日の出来事が綴られてあり、その連絡に安堵をして意気揚々と返信をしていた。
父と母の穏やかな生活が始まってちょっとのときの出来事だった。
それ以後父はまた定期的に酒を飲むようになり、冒頭の連絡をよこすようになった。
母が他界してから私は父に多少の恨みをもつようになった。というのも、私は父に父親に対してするような相談を全くできていないのである。
父親に対して相談したい悩みならたくさんあったにもかかわらず。
父が私に対してそれなりの愛情と、うまく対応できるかどうかは別として何かあったときに尻ぬぐいしてやるくらいの器量を持ち合わせているのは知っている。
でも私がまず一番父に求めているのはどっしり構えた親の姿であって、ありがたいものの愛情や脆い器量がほしいのではなかったのだ。
父からの連絡がくる度にそれがないことが毎回分かってしまって、泣いてしまう日が増えた。
今朝がた母の夢を見た。癌で治療中の母のもとに私がお見舞いに行っているのを第三者視点でみる夢だった。
○○ちゃん(私のこと)がね、今日どこに行ってたのか看護師さんとお話してたんだよ、
お母さんね○○ちゃんが何をしてたのか知ってるんだよ、
と幼稚園生のようにたどたどしく話す母に対し、
ベッドの小脇にある丸椅子に座りながらどこか嬉しそうにそっか~そうだったんだね、すごいね、とひたすら相槌をうつ私の姿が病院の一室にあった。
音程も歌詞も良くわからないような歌なんかも一緒に歌ったりもしてた。
実際は病院でこんなに緩やかな時間を過ごしたことはあまりなかったように感じる。
詳しくは伏せるが、母は放射線治療のために入院した後、一週間過ぎたくらいでコミュニケーションがほぼとれなくなり、その三週間後には他界した。
私は母の闘病中に籍を入れたのだが結婚式をしなかったことに対して本当はしているところを見たかったのよと言われたのを覚えている。
なんで今回はこんな夢を見たのだろうと思案してみたのだが、私は母が私に大人になりなさいと伝えているのだと解釈した。
夢なんてスピリチュアルな領域を出ないものだし、確実にどうというものでもないのだが、逆に言えばどうとらえるもその人の好き勝手にすれば良いのだ。
親はいつまでも親でいてくれるわけではない。
無いものを数えては何で私にはこれが無いんだろうと嘆いてもしょうがない。
幼児退行した母と親のようにふるまう娘の私との会話で、暗にそんなことを示し、教えてくれたのではないかと感じた。
冷たく聞こえるようだが、父に私の望む親としての役を担ってもらうことに期待をしないと決めた方が心持が幾分か楽になったのだ。
そして今度は私が、そんな大人である親側の役を担う番であると決意ができた。
色々父に対して恨みつらみを綴ったが、父も父で大変な環境で生きてきたのではと思う。
父のいとこのおじさんが、父は他のいとこがちょっとしたことで大人から褒められると、よく癇癪をおこしてその子と喧嘩するような人だったと言っていた。
父方の祖母は他人のことを小馬鹿にするきらいがある人だった、私の初任給の額が自分の年金よりも低いと知ると嬉しそうにしている人だった。
父方の祖父は仕事が忙しく、夜中まで帰ってこない日も多々あったらしかった。あまり父から祖父の話を聞いたことがない。
父の職場では(そもそも昭和の時代だとどこも似たようなものかもしれないが)年功序列が厳しく、飲み会もかなり激しいものだったと聞いた。
父は若い頃酒は一滴も飲めないほど弱かったにもかかわらず、無理してお酒を飲んで帰ってきてゲーゲー吐いていたと母から聞いた。
実際のところはどうかわからないが、もう少し色んなところで色んな大人が相手のことを思いやって態度で示せれば、
私の父も何かに依存して心の安穏を保とうと必死にならなくても良かったのかもしれない。
父がこれから穏やかに過ごせるかどうかは父の努力次第である、私は助けを求められればそれ相応に対応する心づもりもある。
だがその結果に関してどうこうと思いあぐねることはもうしない。それは父の人生の結果であって私が囚われるべき人生の一部ではない、もうそういう歳になれた。
今までと変わらない様子でいるのであれば、私はお父さんが元気でいてくれた方が嬉しいんだよと伝えるだけだし、
もし頼りになる父になってくれるのであれば、そのときどきの相談事をすればいい、
もっと歳をとって老人のようになったら、夢での母との会話のように穏やかに何度も相槌をうつ。それだけでいいんだと思う。
ただ私は相手のことを考えた相手のほしい言葉をかけてあげられる大人になることをひたすら目指そうと思う。
それは父にも、パートナーにも、友人、職場の人、親戚、将来できるかもしれない子供に対しても、誰に対しても平等な姿勢で。
これまた勝手ではあるがこの目標を最後の母との約束として忘れないよう、覚書として残す。
と言われ、
知人(外によく呑みに行く主婦)には
「今回の話は、私にとって至って普通。当たり前の世界なのに異世界のようで笑ってしまいました」
というコメントをいただいたので、一般的な感性で書かれたものではないのかもしれません。が、屈託なく面白く感じたので書いてしまいました。
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先週の土曜日
もうすぐ閉店になる昔バイトしていた店の当時メンバー数人に誘っていただいて、
私としては非常に珍しくお酒を飲む会に出席してきました。
5時に駅にあるお店に集合。
その日は土曜日で、ご飯の支度や犬の散歩があり、急いだのですが15分ほど遅れてしまいました。申し訳ない。
「6時までは生ビール290円なんですよ!みんな生ビールガンガンいきましょう!」
皆さん店員さんが持ってくるジョッキを親の仇みたいに飲み干しておりました。
皆さんあまりに美味しそうに飲まれるので、私もビールを飲むことにしました。
他のお酒よりずいぶん安いですし。
昔はひとくち飲むのが精一杯だったビールですが、
「甘くない炭酸」であるビールも昔ほど抵抗なく飲めたのかもしれません。
これは半世紀近く生きてきて飲んだビールの総量より多いと思います。
まぁ私が2杯飲んでいる間に皆さんは10杯近く飲んでた気がしますが。
外食に行ってもだいたいひとり一品メインディッシュを頼んで、+ドリンクバーとか食後の珈琲とかじゃないですか。
そしてこれは私だけかもしれませんけれども、だいたい値段とか吟味して
「うーん、こっちのほうが食べたいけど、ちょっと値段が高いから今回はこっちにしておこうかな。」とか考えるんですが。
違うんですよ。
値段とか気にせず、
そしてご飯は無いんです。(私はお腹が空いたので頼ませていただきました)
5時から9時半まで居て、4人で24000円。ひとり6000円でした。ごちそうさまでした。
その後「次の店に行きましょう」とか言われ、
食後の珈琲でも飲みに行くのかなと思ったら違うのです。
「は?もう一度お酒を飲む店に行くって?もうお腹いっぱいで飲むことも食べることも出来ないよ」とか言ってしまいました。
ここが一番よくわかんないところなんです。
よくドラマとかで「2軒目行きましょう」とかいうあれですよね。
同じくお酒を飲み、料理を食べるのだったら店を変える意味なくないですか。
誰か詳しい人教えてください。
その後、私なんかが入っては場違いにも程が有るのでは、というオシャレなお店に行きました。
連れて行ってくれた元アメフト部の現営業マンがそこはおごってくれたのですが、私はホント彼にも皆さんにもお店の人にも申し訳ないけどお冷だけもらって座ってました。
1時間もしないうちにその彼がかなり酔っているのか言動が変になってきたのでお開きになってそれぞれ帰途に付きました。
電車で帰るメンバーは今回のトータル費用は6000円+電車賃 でしたが、
一番コストかかっている人で
駅前の駐車料金
二軒目の支払い
合計 15000円以上かかってるはずです。
これもすごいなー。と只々感心しきりなのでした。
めったに体験できない非日常感を味わえてとてもエキサイティングでした。
当時20代だったメンバーがあれから20年経ってオッサンになり、家庭を持ち、子供を持ち、生活習慣病を持っても、話をするとあの頃と全然変わっていなくて笑えるのでした。
学園祭に後輩と一緒に顔を出して、コロナ以降久しぶりに現役生たちとお酒を飲む機会があった。
自分の代やその先輩後輩あたりでは就職(卒業)できず、そのまま音信不通になる人もいたのだけれど、今の現役生は内定も持っていればインターンもこなしていて、偉いなあと感じた。
年代は違っても大学は同じだし、サークルに入る学生の傾向も変わらない。聞き馴染みのある業種が多かった。
酒の席で「仕事ってどうですか、楽しいですか?」と4年生から聞かれた。
「いやぁ、大変だよ。例えばさ…」なんて後輩が苦労を語り始める。
(自身も含めて)ハラスメントに遭ったり、残業代が出なかったり、休日出勤したり…
33になったのに、10以上若い大学生に「社会人の楽しさ」を何一つ言葉にして伝えることができなかった。
それがなんだか恥ずかしくて、自分はその席を離れて、バカな話をしているテーブルへ移った。
11年前、学園祭に訪ねに来てくれた、今の自分たちと同い年の先輩方を囲んで、自分たちも飲みに連れて行ってもらったことを覚えている。
あの時の先輩方は自分たちにどんな話をしてくれてたっけか。
お酒はぬるめの 燗がいい