2021-03-14

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇で描かれなかったこと、その感想

もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。

見終わった感想は、「本当に終わった」だった。

すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。

それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。

これまでのあらすじ

きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画象徴しているといっても良い部分。

復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。

忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。

から題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。

そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけものときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。

NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。

Qの続き

パリでの、序の裏返った模倣

冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレ侵略する側。

派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。

第三の村

アスカケンスケと合流したのち。

直接の描写牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。

トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車メンテはできない」。

まり、あの村にはまともな医者エンジニアも居ない。

食事配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。

綾波初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。

そしてそこにいるのは老婆が中心。

若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。

銭湯図書館牧歌的ではあるが、つまり個別風呂嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。

でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から

でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。

たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。

第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。

ひどい経験をしたシンジ家出をして、ケンスケとキャンプする。

TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分意志では電車に乗らなかったと言う流れ。

ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。

「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。

今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。

あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。

あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。

で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリたか家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。

その後の、ケンスケとの見回りと治水管理で「基幹産業たる農作業免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。

村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。

プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。

その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験従事しているというのも、良かった。

ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。

あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。

シンジ好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。

シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。

最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分レーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。

自分で食い、自分で泣き、自分時間をかけて、最後無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。

アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。

で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉綾波初期ロットとのやりとりでカバーされてる。

TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで

落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。

時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。

でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。

親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。

で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。

それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。

ヴィレヴンダー艦内

前後関係あいまい

アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。

シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。

あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリアスカに言ってなかった?

そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。

シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから綾波初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。

しかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。

あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手パーソナルスペース内に入ってんだよね。

破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。

アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだっていかける。

古今東西書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのはイメージとしては「魔女」だよな。

アスカ死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、

そのタイミング再見って、もう一回会う気満々なのも強い。

新劇場版通してみて、マリだけ高次の存在に見えるんだよな。

ブンドド

わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。

そういや、エヴァで誰を殺せば世界平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。

Q以降、ほぼ単独組織的攻撃対応してるのとか、そもそも研究室の件と言い、このオッサン元凶だろう。

舞台を整えるの全部やり切ってるしな。

甲板上になぜかみんな集まる

セカンドの海の浄化サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい

あとゲンドウがきっちり葛城大佐赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。

ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。

自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初相手ミサトさんなのは結構グッと来た。

アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。

宇宙

ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。

きっちり旧劇っぽく親子喧嘩メタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。

よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。

息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。

聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。

異様に手際の良い冬月先生と対抗するマリ

やるべきことを完全にやり切って、マリ必要ものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生

やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。

ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。

ゲンドウの話

ゲンドウが大人理解力表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。

ユイ出会い、楽しかった、ユイけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える

あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。

新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。

ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。

最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、

繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。

渚カヲルの話

狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション

ここからは、シンジくんからの別れの挨拶なんだよね。

旧劇の場所アスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー

カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置カヲルくんが居るんだよね。

シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー

加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。

時間世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。

時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。

しかマリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。

てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。

あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力大人で成長したなあと。

アニメーション世界

ヒトから高次の存在ってよく映画では描かれるけど、

それを、アニメーションセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。

リアリティのある世界

マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、

いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。

そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。

最後シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。

というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。

ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。

ああ、エヴァンゲリオンアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。

終わりに

一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。

この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。

鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。

加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。

アスカは素直になれた。ゲンドウは折り合いを付けた。レイは居場所を見つけた。シンジ大人になった。

あり得たかもしれない世界の中ではなく、序破Qの世界継続した上でシンジ大人になったのが、本当に良かった。

  • 増田のいう大人とは?

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  • ボソボソ喋る女とか文句しか言わない女じゃなくて巨乳メガネを選ぶところがホント良かった。 シンエヴァ観るまで「どうせレイが『碇君とパコパコする』とか言って新世界のアダムと...

  • なんだろう。 それって、あなたの感想ですよね?

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