はてなキーワード: 閑話休題とは
この度、節を曲げてNovelAI(以下NAIと呼称する)のサブスクを契約してしまった。
筆者はバチコリの生成AIユーザーであるが、あまり特定のサービスプラットフォームに依存することをよしとはしていない。
いつ何時ユーザーに不利な形で仕様の変更が行われるかわからないし、サービスが終了してしまえば利用の術は失われてしまう。
よって、NAIと契約するのは正直に言えば業腹である。この円安の時代、何が悲しくてわざわざドル決済の外国サービスなどサブスクして国富を流出させなければならないのか。
しかし悲しいかな、現状満足度はとんでもなく高いのである。以下、その理由について分析していきたい。
なお、本稿では生成AIに関わる法的、倫理的議論は行わないものとする。一消費者としての意見を述べるうえでは、あまりにも意見が取っ散らかりすぎるからである。
言うまでもないことだが、skebにせよ他の手段にせよ、イラストを依頼するということはその向こうには人間がいる。
生身の人間相手に自分のえげつない性癖をさらけ出すというのは、かなりハードルが高く業の深い所業ではないだろうか。
性的欲求というのは三大欲求の中でもっとも表沙汰にしにくいものである。
見も知らぬ相手であろうと望むところを赤裸々に語るのは憚られるし、知っている相手に対してはなおさらそうである。
別に健康な成年男女が互いに好き合ってイチャラブおせっせしてるだけなら大したことはないのだが、残念ながら欲望渦巻く快楽の園こと現代日本に生れ落ちてしまった我々はそうはいかない。
性癖は枝分かれし細分化してヘンテコな方向にひねくれねじ曲がってしまっている。浮気NTR快楽堕ち程度ならかわいいものだ。
平たい胸族にスイカサイズの乳をぶら下げさせ、原作のキャラを無視して脈絡なく尻軽ビッチギャル化させる。
下手をすると(生命の有無を含めて)人間でなくなる。ゾンビ化とかキョンシー化ぐらいであれば人間の形を保っているからまだいいだろう。
筆者は大体何でもいける口であるが、ただ蟲化だけはどうにもいけない。好きな人がいるというのはわかるので否定するつもりはないが、ただ個人的にはどうにもあれでは致しかねる。
なんにせよ冒涜的ではあるが、それで興奮するというのはわかってしまうのでどうしようもない。中にはそのキャラである必要は果たしてあるのか?くらいの物もあるのだが、何と仰る兎さん。そのキャラでなければ駄目なのだ。
たれさえ旨ければ別にかば焼きにするのは鰻でなくてもよさそうなものだが、鰻のかば焼きだと思うからこそ旨いという一面は間違いなくあるのである。
閑話休題。ともあれ、人間相手に依頼をする場合にはどうしても一定のブレーキが意識的にであれ無意識的にであれかかってしまう可能性がある。
というかそもそも、人間相手に一定の節度と形式を保った文章を書くのは疲れる。相手の気分を害さないようにしなければと考えただけでキーを叩く指がおぼつかなくなる。
他方で、NAIに画像を出力させようとしてプロンプトを打ち込むにあたっては、そこに遠慮を差し挟む余地はない。
ただただ己の欲望に忠実に思い付く限りのリビドーを込めて単語を羅列すればよいのである。
別にNAIは内容を考えて画像を生成する訳ではないのでヘンテコな画像になることも多々あるが、少なくともそこには遠慮も忖度もない。互いの本音と本音のぶつかり合いである(NAIに意識はないので本音も何もないが)。
あとはNAIがいい感じの画像を出してくれるようにプロンプトを調整していけばいい。
「大和国はそんな事しねぇ~~~...!!」というシチュエーションの時ほどこれは効く。
上等の料理にマヨネーズと醤油をぶっかけて旨い旨いと言っているようなものなのでそのキャラが好きな人に依頼するのは憚られるし、かといってミリしらな人に話を持っていくのも完成度という点で不安がある、というような場合にNAIはうってつけなのである。
なんといってもNAIは絵が出てくるのが早い。確かSDXLベースのモデルだったと思うが、1024×1024のサイズで生成にかかる時間というのは10秒程度だろうか。
ローカル環境ならもっと短い時間で作れるという話はあるだろうが、ベッドの上でスマホぽちぽちするだけでいいという点ではNAIにアドがあるといっていいだろう。
人間相手とはもう比較すべくもない。下手をすれば既存の絵をPixivやらで探すよりよほど手間がかからない。
息子はシコりたくなったときがシコり時である、という事実を考えた時、プロンプトさえあれば見たいものをそれなりに再現した画像がほぼ即時に作れるというのは実に実用的であると言わざるを得ない。
早さという点では特にこれ以上言うべきことはないため、早々に次の項目へ移りたい。
現在筆者がサブスクしているのはOpusプランである。これはNAIのプランの内では最も高額であり、月額25ドルかかる。ぶっちゃけサブスクとしては安くない。
例えば動画配信サイトのU-NEXTは月額2,189円(税込)であり、電子書籍の読み放題を提供しているAmazonのKindle Unlimitedは月額980円(税込)である。
月に4000円弱(筆者決済時点の実績値による)というのは明らかに高い。
……が、こうしたサブスクとNAIとではサービスの種類が異なる。動画配信や電子書籍の読み放題というのは、つまるところ既存のコンテンツの中から自分が観たり読んだりしたいものを探して、(運よく)それがあったら楽しむ、というタイプのサービスである。
楽しめそうなものがなければそれまでだし、探すにも時間はかかる。
キンリミの場合は複数冊あるシリーズのうち最初の1巻、もしくは数巻だけ無料で続きが気になったところであとは購入してね♡というものも多い。
最初の1巻だけが無料ならまだいい方で下手すると最後の1巻だけ有料という場合もある。起承転まで読ませて結は単品で買えということであり、そうすると最後の1巻だけ買っておいてもしょうがないので他の巻も結局揃えることになる(ずっと借りっぱなしにしておいてもいいのだがそうするとその分だけ読み放題で借りられる枠が埋まることになる)。まったくもって商売上手だ。これだからビッグテックは恐ろしい。
いや、キンリミの商業戦略の話はこの際どうでもいい。要はこうしたコンテンツ提供型のサブスクにおいては契約者は受け身の立場だということを言いたいのである。
ちなみにFANBOXなどもこうした受け身型のサブスクと言ってよいのではないかと思う。クリエイターの創作活動を応援云々とは言い条、実態としてはどう考えてもイラスト等のコンテンツを見たいがために支援ボタンを押している人が大多数ではなかろうか。
それに対し、NAIは契約者自らがコンテンツを作り出す立場である。実際に作っているのはNAIだが、どういうコンテンツを作り出すか、指示するのは契約者である。結果として、提供されるコンテンツは常に契約者が見たいもの、もしくは少なくともその方向性に沿おうとしたものということになる。
更に、Opusプランの場合一定の大きさ以下の画像については作り放題、つまり生成に必要なポイントであるAnlasを消費しない。本プランでは一か月につき10000Anlasが付与されるが、ぶっちゃけ使わなくても十分実用性のある画像は作れる。普通サイズ(1024×1024の正方形を基本として、832×1216の縦長や横長を含む)のAnlas消費量が確か20だったと思うので、500枚作れば元は取れる計算である。500枚も作らないだろ!と思うかもしれないが、このくらいはすぐに消費してしまう。ちなみに本プランで付与されるAnlasには一か月の使用期限があるので、ラストエリクサー症候群に陥らないよう余裕を持って消費するようにしておきたい。
さて、25ドル……日本円換算で4000円としよう。4000円を500枚で割ると、1枚あたりの金額はいくらになるだろうか。そう、8円である。1枚あたり8円である。安い。今調べたところ緑豆もやし200gのパックが19円(税込8%)だったが、それよりも半額以上安い。某もやしパーティーアイドルも納得の価格であろう。こんな低価格でオカズを賄えて家計も大助かりである。
まあ上記はあくまでも計算上の話であって25ドルの支出は25ドルの支出なのだが、リターンを考えればそれだけの意味のあるサブスクということにはなるだろうと思う。パッケージングされたサービスではなく利用コンテンツに対する金額ということで考えればこれほど費用対効果の高い課金はそうはない。
AIによる画像生成サービスを提供しているプラットフォームはNAIに限られない。国内でもAIのべりすと(本来は小説執筆がメインというところでNAIと似ている)が有名どころだし、筆者は使ったことはないがPixAIやそれ以外にもなんかいろいろとサービスは存在する。CivitAIでも生成は出来る。
が、こと既存キャラの二次創作という点ではNAIを超えるものは現状ないのではないだろうか。よくも悪くも他のサービスを使う場合には一定の習熟が要求されるが、NAI、特に現状の最新モデルであるv3は概ね直感的な生成が可能である。キャラ名と登場作品名、シチュエーションあたりをぽちぽち入れて生成ボタンを押せばそれでいい。不要な要素が出てきたらそこで初めてネガティブプロンプトを使用するくらいであろうか。逐一LoRAを作ったり探したり適用したりせずともいいのは実に強い。なんだったらいい感じの画像が見つからないキャラはNAIで作った画像でLoRAを作ったらいいんじゃないかと思えるくらいにはいい雰囲気の画像が出る。
無論、画像生成AI、もしくはSD系の現時点での宿命として、あくまでも出てくるのは「それっぽい」キャラの画像に過ぎない。例えばニニンがシノブ伝のシノブの画像を生成しようとすると、シノブの鉢巻きの顔マークがなんかよく分からない点が4つくらいある黄色の丸になってたりする。人間、特に熱心なファンや「神絵師」による二次創作には及ぶべくもない。しかしそんなことはどうでもいいのである。シノブの二次創作なんぞ今日日誰がどれだけ描いてくれるというのか。最近PixivでもTwitterでも流れてくる絵と言えばVTuberかブルアカか、ぐらいの感じである。なんか一時期飽きるほど見たアズレンの絵も最近はさっぱり見ない気がする。単に筆者のTL構築のせいかもしれないが。
いや、別にそれが悪いというつもりはない。みんな好きなものを好きなように描けばよいのである。ただ、筆者のように最近の流行に今一つ乗れておらず、さりとてSkebでわざわざ依頼したり自分で描いたりするには熱量も根気も足りないというような者にとって、NAIv3は確かに一服の清涼剤であり、また福音である。ギャルのパンティーよりもドロワーズが好きな者は間違いなくいるのだ。
つらつらと駄文を書き連ねてきたが、つまるところ、NAIというのはファストフード、もしくはジャンクフードなのだ。早くて安くて、それなりのクオリティのオカズが出てくる。スマホ程度の画面で見るなら画質も十分である。多少瞳がぐちゃってようが服と髪が癒着してようがどうせシコるときに見てるのはちちしりふとももと全体の雰囲気くらいのものである。なんならよく出てくるセリフとか擬音っぽいなにかですらシコリティを高めてくれる。つくづく人間の業は深い。
息子は正直である。実用に足る、自分の性癖に正直な絵をいくらでも出せるとなれば4000円弱の月額課金などはした金に過ぎない。
入るのが怖いんだよね。
誰かと行けばいいんだけど、それだと会話の間が持たないし。
注文を間違ったら失笑される気がするし。
だから、俺の破天荒な性格を生かして姑息な手段を使ってでも入ろうかなと思ってる。
店に入ったらおもむろに店員に下世話な話をして、逆鱗に触れるようにする。
性癖に関わるような、鼻につく話もして、そのままなし崩しに注文をする。
そしていそいそと席につき、コーヒーを飲んでたそがれる。
それで煮詰まってきたら、まんじりとしないまま店員にげきを飛ばす。
きら星のごとく現れた俺に感動する。
まああとは割愛するけど、俺は結局追い出された。
こんな俺のことをみんなは他山の石にしてくれ。
モラルハザードだよなこれって。
次こそはリベンジしたい。
閑話休題。
実は俺、熱にうなされてるんだ。
もうとりつく暇がない。
そろそろ汚名挽回しないといけないな。
ではまた。飛ぶ鳥跡を濁さず、だな。
四足歩行のサルが二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。
歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。
しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。
最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。
巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。
一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。
ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。
ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。
以下の動画は四足走行の世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである。
https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo
ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。
動画の方法では、骨・関節・筋肉の負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。
私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである。
杖(トレッキングポール)を両手に持って登山を経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。
これは上りや下りの坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。
杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。
一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。
杖を使ったとて、両腕の役割はあくまでも両足の補助でしかないからだ。
アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間の動作を強化することができるのだ。
このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか?
既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行が可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。
この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。
走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。
ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。
いや、さらに上も目指せるだろう。
人間は走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。
陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。
杖2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。
高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。
烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。
それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。
閑話休題。
走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。
あくまでも杖だから電車やバスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。
現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。
技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0は電動カートより廉価に提供されることだろう。
現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。
登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。
しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。
杖2.0が登場するにあたって社会に軋轢が生じることも想像に難くない。
「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」
といった具合にだ。
しかしながら杖2.0は若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ。
杖2.0の使用に免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。
未来の世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。
杖2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。
おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転が免許制になることだろう。
「杖2.0はあくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者に危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許で規制をするのに適していない」
「アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」
「それよりも自転車を免許制にすべきではないか。ヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険な運転も散見されるからだ」
といった具合にだ。
電動キックボードの国会審議の結果、電動キックボードにヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車がやり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。
杖2.0の登場にあたっても、同様に自転車がやり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。
こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。
杖2.0が現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。
しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。
歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。
変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。
それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。
杖2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)
杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。
しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリにしか見えない。
杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0の理念を広げることとしよう。
ああ、杖2.0よ。
四足歩行の夢はまだ遠いなあ。
いっそのこと杖を持たずに、上記の動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。
いや、それこそ変質者だ。
なんか面白そうな話題だったので、キャラポートレートの画像生成バッチを回す横で感想とかTRPGに興味を持っている人たちへの話題提供とか元増田への余計なお世話とかを書き散らそうと思う(ところで環境さえ用意すればイメージ通りのポートレートがこんなに簡単に作れるようになるとはいい時代になったもんだなと)。
当方はTRPG歴30年弱で元エントリにあるCoCも含めおおよそのシステムはやってるような立場だけれども、最近は身内でDnD5thばかりやってるので、今のCoCの(一部の)界隈はこうなってるんだなと興味深く読ませてもらった。TRPGってよく自由度が高いとかマスターとプレイヤーの相互作用で云々とかあるけど、実はやりたいことが「面子」や「界隈/コミュニティ」で大きく変わるものだと思ってる。(これは自分の勝手な印象も込みではあるが)元エントリに出てるスタイルはCoCをメジャーたらしめたリプレイ動画のようなプレイをしてみたいという動機を持って流入して来た人たちにとってはある程度合ったプレイスタイルなのかなとは思った。
ご存じの通りCoCは非常に歴史の長いゲームで、今の最新版は『新クトゥルフ神話TRPG』と題した第7版となっている。正直自分が実際にプレイしたのは10年以上前で正直何版だったかも定かではないのだが、その際は
・確率的偏りがない100%ダイス&脆弱なPCによって生み出される容赦のないデスシチュエーション
・探索者は神話生物をはじめとした「あちら側」に翻弄されるものであるというコンセンサス
から、一応元となる筋書きはあるものの、脱線&バッドエンド上等の「使い捨て」のPCによる先が読めないカオスな状況を楽しむというスタイルでのプレイだった。自分は
・SNSやWeb(いにしえの時代だと雑誌の投稿欄・募集欄やショップ/プレイスペースの掲示)で参加者を募り
・たまに知った顔に会うものの基本そのセッションの間のみ時間を共有するスタイル
・野良環境で意気投合したり、もともと知り合いだった固定のメンバーでプレイをする
な「身内」でプレイしていたので、「余所」がどうだったかは客観的に言及しにくいのだが、漏れ聞こえてくる感じでは当時CoCそのようなスタイルが主流だったような気がする。つまり、同じCoCと言っても全く別の楽しみ方だったわけだ。
※ちなみに野良と身内の中間的な「サークル環境」(同時に数セッションが実施できる人数のサークルを作り、その中で時には単発で、時には一時的な固定メンバーを構成して続き物をやったりする。そのため一緒にプレイする面子にある程度変動が発生する)もある。察しの良い方々はお分かりかと思うが、TRPGは人と人が共同でプレイする遊びであることから、野良・身内・サークルの環境次第でかなりプレイ体験が変わってくる。大まかには
・「身内」は他のメンバーがどういう動き/反応をするかがあらかじめ分かるので、互いの掛け合いがしやすく「濃いプレイ」がやりやすい。一方でメンバーが固定されるのでマンネリに陥りやすい、基本全員の時間が合わないとプレイできないのでスケジューリングがしにくい。
・「野良」はどういう人とプレイするか分からないので「掛け合い」のハードルが高く、また「地雷」などと呼ばれる、まともにコミュニケーションが成立しないメンバーが混入してくる可能性があり、時間が無駄になる可能性もある。一方で、見知らぬ人と一緒にやるプレイは新鮮で刺激が大きい(特にうまくまとまった時の満足感は凄い)。
・「サークル」は「身内」と「野良」中間の性質を持つが、いわゆるサークル的な楽しみとトラブルがくっついてくる。
といった感じである(自分は一応全部経験済みで現在「身内」環境に落ち着いている)。そういった経験からか、実はシステムなんかより、プレイ環境こそTRPGにおいて最優先にして選択すべきだという意見を自分は持っている。
ちなみに、昔は身内でやっていて一人引っ越しした結果グループが解散ということも多々あったが、今はオンラインセッション環境が充実していてそういうことが起きにくくなったし、オンラインオンリーのサークルとかもあって実プレイ環境へのアクセス性が格段に上がっているので、オンラインセッション環境様々である。
での話な気がする。多分そこは元エントリにあるように
がヨシとされる空気で、実際多くのKPと探索者はそれを目的に来ていているのでは推測した。正直自分の野良環境での経験からすると、元エントリにあるような事が悩みになるってことはそれなりにうまく回っていて、その場の性質を敢えて変えようとするのはあまり良くない手である気もした。
追記で、今回の件はKP&元増田の技術的な問題であったとして、モヤモヤは晴れたといった記述があるが、一方で、元エントリを見る限りその環境と増田の好みのプレイスタイルとのミスマッチが明確に存在しているので、その違和感が増していくようなら環境を変えたほうがいいのではないかと思う(元エントリの内容からして元増田がTRPGという遊びを楽しめる性質であることは間違いないと思うので、モヤったままプレイを続けてTRPGという遊びを止めてしまうのはもったいない気が…)。
・元増田が今まで体験していたCoCのセッションの雰囲気や傾向が合っていたからなのか
は元エントリからは読み取れないが、何となく元エントリの内容からするに、もし、今の状況を変えてみようというのであれば、ある程度プレイスタイルの一致する面子を探して固定でやるのが合っている気がする。システムは…案外システムは別でも合う面子が見つけられると楽しくプレイできるはず…。
以上、何となく余計なお世話気味にとっ散らかった内容となってしまったが、元増田そしてTRPGプレイヤーの皆がいいセッションを共有できますように。
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
そいつは人懐っこい性格なのか、たまの帰省でやってくる見知らぬ俺にも触らせてくれるいいやつだった。
猫を挟んだ母との会話も自然、その子の話が中心となり、母は楽しそうで。俺の代わりというよりはもはやかつての俺以上に猫中心で暮らしているんじゃないかと羨ましかったり、母を頼んだぞといった気持ちでいた。
そんな愛の独占者からはじめてプレゼントをもらったのは数年前のお盆だった。
まだ暑い季節。築50年は超えてると思うボロい実家。猫類から人類への贈り物はGだった。Gの死体だった。
フィクションだけの話だと思っていたが、まさか本当にGを咥える猫がいるとは!
俺はGが大嫌いで、ボロ屋で毎年Gが出ても一目散に逃げて母に退治を依頼する軟弱ボーイだった。視界から外れることの方が恐いがそれでも目視も耐え難いので丸投げ一択。依頼して外出だ。一人暮らしをするときも何が一番不安だってGが出たときに一人で対処しないといけないことで恐怖に震えていた。まあガチガチに対策してなんとかシャットアウトしているのだが、毎年夏は憂鬱になる。
閑話休題。
当然俺は飛び起き距離を取り母に報告して玄関で爆発物処理を待ったのだった。
また余談なのだが、俺にもわずかながら彼女といふものが居た期間がある。軟弱学生ボーイだったころだ。そして軟弱学生独りよがりボーイでもあった。
今でも4℃やピケ、ダサピンク、サイゼリヤ問題などの話題が盛り上がるとチクりと胸が痛むのだが、そう、俺は初めてプレゼントでどう考えても喜ばれないアクセサリーをプレゼントしてしまったのだった。当時はそれが彼女に似合うと思っていたんだ。本気で。俺は頭がわいていた。舞い上がっていた。独りよがりボーイだった。
当時これはイケると思ったプレゼントは思ったより喜ばれず(露骨に嫌がられなかったのは感謝しかない)、それが原因じゃないにしろなんだかんだで別れてしまった。
Gをくれた、人の心がわからない哺乳類モンスター。それでも俺はあのキャットが嫌いではなかった。なんせ猫は猫であるだけで愛らしいのである。
一方、人間のやらかしプレゼントは被害甚大だ。俺がGの死体を笑顔でプレゼントしたらその人は俺と絶交を返礼してくれるだろう。あ、爬虫類飼ってる友達はGが餌とか言ってたけど。それでも人to人じゃ喜ばないだろう。
Gを贈られても愛される。猫ってすっごくズルくないか?あるいは人が猫に寛大すぎないか?
人が喜ばないプレゼントを贈っても苦笑されつつ許されるような、そんな猫のような人に私はなりたい。できればついでにあのときに戻ってプレゼントを選びなおしたい……。
なんてことをつらつら考えていた。なぜ今そんなエピソードを書いているかというと、明後日の帰省のときにはもうそいつは居ないからなんだな。Gをプレゼントしたあいつが居ない実家は寂しいなと感じているので、やっぱり猫はズルいよな。
女は社会で不利です。
ジャック・マーという僕が最も尊敬する人物の言葉にこういったものがあります。
資本主義社会において、成功体験というのは再現性のないバグのようなものです。
成功体験に再現性があれば自己啓発本を呼んだ人が全員大手企業のCEOになってしまいますからね。
あれは全部詐欺だと思ってるので読まないほうがいいです。読んだこと無いけど。
これはある種の生存バイアスで、そもそも再現性のある成功体験はごくごく一部の人間でしか共有されないというところから来ています。
一例を上げてみますね、僕は数年前に二股をかけていた彼女のLINEの名前を「チンポ」で統一することで浮気バレを防いでいましたが、携帯を覗かれ全てを失いました。
多分同じことをしたら同じ結果がもたらされることに異を唱える人はいないでしょう。
成功体験に再現性は無い、逆に多くの失敗体験には再現性がある。
ということを仮定として考えるのであれば、失敗体験を多く知り事前に防ぐ知識を得ることが社会において大きなアドバンテージになるということになります。
次は男という資本主義社会の上層をほぼ占拠している、オチンチンポンコツアニマルについて考えて見ましょう、このオチンチンポンコツアニマルは、女という生き物が大好きです。
男という生き物は女という生き物を目の当たりにしたとき、自分を良く見せたいという本能が脳みその主導権を全て握り、
もちろん過剰表現です。
この記事をここまで読んでしまったドがつくマゾヒスト女子の方がもしいたら考えてください、あなたが尊敬する男性はどれくらいあなたに失敗体験を話してくれましたか?
逆にカスオチンチンポンコツアニマルの仲間たち、カッコつけてるでしょう?
以上のことから、女性は資本主義社会というバトルフィールドで教科書以外で本当に価値ある何かを学ぶことが非常に難しいというディスアドバンテージを抱えています。
親が子を教育するのが難しいといのも似た話でしょうね。
それでも自分の周りに完璧な自分を演出せず成功も失敗も話してくれる人がいるなら本当に大切にするべき人間だと思います。
なぜならその人をボコスカ殴って出てくる知識コインを集めるととてもいいので。文章考えるの疲れてきてIQが54くらいまで落ちてきたのでここらでやめときますか。
女は社会で不利です。
ジャック・マーという僕が最も尊敬する人物の言葉にこういったものがあります。
資本主義社会において、成功体験というのは再現性のないバグのようなものです。
成功体験に再現性があれば自己啓発本を呼んだ人が全員大手企業のCEOになってしまいますからね。
あれは全部詐欺だと思ってるので読まないほうがいいです。読んだこと無いけど。
これはある種の生存バイアスで、そもそも再現性のある成功体験はごくごく一部の人間でしか共有されないというところから来ています。
一例を上げてみますね、僕は数年前に二股をかけていた彼女のLINEの名前を「チンポ」で統一することで浮気バレを防いでいましたが、携帯を覗かれ全てを失いました。
多分同じことをしたら同じ結果がもたらされることに異を唱える人はいないでしょう。
成功体験に再現性は無い、逆に多くの失敗体験には再現性がある。
ということを仮定として考えるのであれば、失敗体験を多く知り事前に防ぐ知識を得ることが社会において大きなアドバンテージになるということになります。
次は男という資本主義社会の上層をほぼ占拠している、オチンチンポンコツアニマルについて考えて見ましょう、このオチンチンポンコツアニマルは、女という生き物が大好きです。
男という生き物は女という生き物を目の当たりにしたとき、自分を良く見せたいという本能が脳みその主導権を全て握り、
もちろん過剰表現です。
この記事をここまで読んでしまったドがつくマゾヒスト女子の方がもしいたら考えてください、あなたが尊敬する男性はどれくらいあなたに失敗体験を話してくれましたか?
逆にカスオチンチンポンコツアニマルの仲間たち、カッコつけてるでしょう?
以上のことから、女性は資本主義社会というバトルフィールドで教科書以外で本当に価値ある何かを学ぶことが非常に難しいというディスアドバンテージを抱えています。
親が子を教育するのが難しいといのも似た話でしょうね。
それでも自分の周りに完璧な自分を演出せず成功も失敗も話してくれる人がいるなら本当に大切にするべき人間だと思います。
なぜならその人をボコスカ殴って出てくる知識コインを集めるととてもいいので。文章考えるの疲れてきてIQが54くらいまで落ちてきたのでここらでやめときますか。
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
https://x.com/ton_kuru/status/1706656769752416423?s=46
ジャニオタ、というか一部の女性はもう少し自分の性欲と真面目に向き合った方がいい。
それを人は性欲って言うんだよ。
自分でも気がつかない性欲は他人を容易に傷つける。自覚を持て。
ほら、少し前男性配信者に嫌がるのに「かわいい」とかいったり母親ヅラしてただろ。フィギュアスケート選手の時も。
勝手に家族名乗って、家族なら性欲じゃありませんなんて通じないんだよ。少なくとも外側からは。
ポストのツリーには、男性が女性アイドルを性的対象で見ているから私たちも同じように見える、私たちは違う。なんてのもある。
いくら本人がどう言おうと、外からは性欲丸出しに見られているってことは変わんないんだよ。
わかる、自分たちだけは綺麗な存在でいたいんだよな。でも、そんな言い訳は本当にオタ同士の「わかる」「それ」の共感しか生まないんだよ。外から見ればそんな共感も不気味に映る。いっそ、宗教じみてもいる。
ところで、ジャニーズってのは不思議なもんで、仮にジャニオタの家族発言を表層信じるとして、自分が対象に性的な欲望を向けていることを、それと感じさせないだけの魔法をかけてくれてるってところは凄いよな。アイドルやアイドル産業はすごいよ。
故に、そんな正しいファンであることに誇りとか自負心みたいなものが生まれてもおかしくないのかもな。そういう所属感を家族と言い換えたければご自由に。
けれど、それが行き過ぎてしまった結果、「ジャニーズでない人」に対しては異常に心無い発言をむけてしまうのだろう。
閑話休題。イケメンに対して「オバチャン家族と思っとるから」なんてのが性欲じゃなかったら、彼らは「性欲」という言葉を単純な肉欲としか思っていないんじゃないかな。
自分は肉欲含めエロスが伴うこと自体は悪いことだと思わないんだけど。
キレイな性欲も汚い性欲もないんだよ。それが法律を犯さない限りね。
家族や親友名乗っても好きにすればいいが、性欲ではないと言い訳した時から、相手を不快にさせても自分を正当化できる武器を手にしたことになるんだよ。
そしてそれは、とても醜く映るよ。少なくとも外からはね。
「恥ずかしい言葉」は、その単語の発音を恥ずかしいもの、卑猥なもの、人前で言ってはいけないもの、として、社会みんなでその恥ずかしさを維持しているのた。
子供の時は、辞書の「セックス」のページを開くのも躊躇われ、中学になると「Sex」が丸で囲われた。
中1までは「勃起してんの?」と大声で言う女子がいた。保健の第二次性徴期の単語は割り切った。これを静液と言う。
大学の時はパソコン通信の東京がらくた工房で、JONなるハンドルが「スマンコ」と謝罪しながら何かを言い切る、言わばマントラを作り出し、僕は驚愕した。後に「スキャット マンコ JON」を一度だけ名乗り、その一度が僕の中では今でも続いている。
閑話休題。時は流れて、20代後半のときは2ちゃんのおかげで「マソコ」や「チソコ」と女子も言いやすくなった。ネットスラングの体で言うのだ。「私のマソコも濡れて来ましたよ」。
大阪の女の子は、「その、東京で言う『ま』からの言葉は別に言えるしそうでもないんですけど、同じものの大阪て言う言葉かあって、わかりますよね?、そっちの方は、もう、本当に恥ずかしくてひゃあってなる。その、名前の意味じゃなくて、その行為をすることの意味にもなっていて」「どんなふうにいうんですか?」「えっ、その。。お、おめこしようや。。とか」「へえー」。
その時17歳の女の子は「どこが気持ちいいのかなー?」「え、言えない://」「私のおまんこ見てくださいって言って」「言えない、恥ずかしくて」だったけど、22歳になって見た目も大人びたその子に「今はもうまんこって言えるの?」と聞いたら、「大人になったからってまんこなんて言えませんよ、今言っちゃいましたけどね」と少し早口で言い切った。
時に、さっきまではそんな感じじゃなかったのに、エッチのときに「ペニスが、あなたのペニスが!」と、声に出すことによってより性的興奮を高めたいんだけど、いつも言ってない単語だからちんちんともちんぽとも言えなくて、英語ならハイソ風だしおかしくもないだろうとペニスと言う女性。ピロートークのとき、「まんこ気持ち良かった」「(うんうん)」「私のまんこがって言って」「わた、しの、おまんこ、が。なんか恥ずかしい」。ワイが女性の股間を触りながら、「おちんちん大好き」とリピートアフターミーすると、女性はワイのちんこを触ってきながら、「僕はけいこ、私本名けいこって言うんだけど、僕はけいこの全てにメロメロですって言って」「僕はけいこの全てにメロメロです。顔も身体も気持ち良くてエロいまんこも、髪型も物静かな性格だけどエロくて女の子っぽいところとか、」「本当に?すごく褒めてくれて嬉しい。んーっちゅばっ。キスしちゃった」「僕もお返しに、ちゅっ」「なにかして欲しいことある?なんでもしてあげたい」「ではー、ではー、」。
今、朝の京浜東北線の中で書いてるけど、強姦魔も通勤途中の女性を襲ったら、成功率は下がるだろうな。女性も会社に遅れることが問題で、前向きに抵抗または回避するだろうな。徹夜明けで平日の朝の町に出たとき、いつも考えてた。
さっき、隣の若い女子が明らかにワイの体に頭を寄せて寝ようとしてた。直に伝わる体温が熱くて艶かしかった。結果としてもたれかかるんじゃなくて、最初から狙いを定めることもあるんだな。
一晩せっくす3回した女子が、朝食でファミレスに行って料理を半分こしたり間接キスしたり「ノーパンノーストだからスースーする」とテーブルの下でスカートを扇いだり、結局また昼からホテルになんだけと、部屋に入ってすぐに鏡に向かって化粧直しをして、「すぐ用意するからちょっと待っててくださいね」と髪を縛って。なんの用意かな。
彼女を気取りたいからそうするのだ。多分料理とか作りたいだろうな。私だけの君になって欲しいよだろうな。大事にされたいんだろうな。真剣にずっとそう考えててほしいんだろうな。僕が今までとは違う人生に連れていってくれ、、、
「私のお尻って可愛くない?」と見ると、大きな丸いお尻があった。「可愛くて、後ろから目で追っちゃうような」と適当に言って、触ってキスをすると、「私と結婚したい?」と普通に言った。「結婚したら毎日会えるの?」「セックスは週に2回かなー。でも最初は毎日しちゃうよね。そしたら妊娠もして、もう一人産めるかなー。今日、多分大丈夫な日だから、生でしてみる?ナマって下品に言っちゃった。避妊具着けないで中で射精してみる?」「赤ちゃんできちゃう。。」「その話をしてんの」
もともとやってみたいとは思ってたけど他にやるゲームがある状態でカネだしてまで買うほどではないかなと思ってたやつ
深夜廻もカタログきたけど割と最近買っちゃったからショックだった・・・しかもまだやってないし
やっぱやるときに買うのが一番いいんだろうなと
事前に聞いてた通り短い
ストーリーはありきたりだけど、それを盛り上げる音楽、ビジュアル、世界観、キャラがよかった。
ボイテラとかの古なんとかさんががんばってそう
操作性がいまいちよくなくてストレスたまることが多いのがなあ・・・
いきなり難易度上がりすぎ!
トロコンはできなくもないとは思うけど、まあ暇になったら、かなあと
トロコン目指し始めると途端にストレスがマシマシになると思うからやらない
ただまあ・・・やっぱ短いのがねーとはいうけど、この話で10時間とか20時間ひっぱられてもそれはそれでどうかと思うからこれでよかったと思う
閑話休題(かんわきゅうだい、それはさておき)
目黒の女児虐待死事件の記事を昼間に読んでしまったからかなぁ。
明日出社なのにこんな時間にこんなもの打ってていいのかな、サクサクいこう。
フェイク入れるよー
20代女
中高私立
ずっと精神科に通ってる
今はCMが流れるくらいには大手の企業で正社員として働いています
もちろん金のない家の虐待の方が何倍も地獄なんだろうけど、金のある家の虐待も地獄です。
幼い頃の記憶がほとんどなくて、色んなところが抜け落ちてるからもしかすると事実と違うところもあるかもね。(補正がかかってしまっているのかも)
あと中学高校の時も事情があって記憶がないから、あやふやかも。ごめん。
まず、父親が異常者。
子供が泣いてたら指を指して大笑いする人なんだよね。おかしいよね?普通は慰めるよね。
なんで殴るの?って聞いたら俺がイラついてるからって答えてくる。今でもそう。
会社では部下を虐めて休職や退職に追い込むのが趣味で、この間も女の部下に「ブスなのに仕事もできないのかよ」と言いまくって休職に追い込んで退職までさせたのを家族に自慢してきた。
あと、私が小さい時からずっと学生時代のいじめ自慢をしてきた。小学生の時に貧乏な同級生の掘っ建て小屋みたいな家を壊しに行って、その家のお母さんやお婆さんが泣きながら「やめてくれ」と頼んできたけど壊してやったぜ!みたいな話を笑いながらするような人。
幼少期の話
・これは後から聞いた話。父親が一歳半の私の足を持って振り回して、投げ飛ばした。頭を打った私はぱっくりいってしまって出血。救急車。頭を縫うことになった。今でも私の頭の上の方には縫った跡がある。
・これも後から聞いた話。父親が無理やり煙草を私に食べさせて緊急搬送、胃洗浄。父親は笑ってたらしい。
・これは記憶にある。家族でマクドナルドに行った時、何故か両親が4歳の私にトレーを持たせたんだよね。それで、階段で転んじゃって、トレーにあったハンバーガーとか飲み物とかポテトとか全部ぶちまけちゃった。やばい、思い出して泣いてしまってる。
三人分で重かったんだよ……
で、父親が激怒。マクドナルドの店内で殴る蹴るをされて、優しい店員さんが新しいのを全部用意してくれた。本当に嬉しかったけど、その時に父親が「こんなことをするお前はもう食事をするな」と言ってきて、食事禁止令が出た。
母親はこの時転職活動中だった。(出産で退職して、私を育てていた)だから、家にいた。
地獄だった。自分でも分かんないんだけどさ、子供って親から絶食って言われて従っちゃうんだよね。しんどかった。今でもトラウマで、絶食系の虐待のニュース見る度にフラッシュバックする。
給食がないからさ、本当に何も食べられない。母親が父親に「水は飲ませてもいいですか?」と聞いて、父親が「水ならいい」と答えてくれたから母親は私に水は飲ませてくれた。お腹タプタプになるまで飲んでもさー、お腹って空くんだよね。
一週間くらい何も食べさせて貰えなかったらなんかもう頭がおかしくなって、畳のい草食べた。美味しかった。めっちゃ美味しかったよ。
みたいなことがまあ多々あったんだけど、よく覚えてない。
大学に入ってから受けたカウンセリングで無理すんなって言われたから蓋をしたままにしておく。
毎日殴られてたし蹴られてたし、父親は不機嫌になると頭からビールをかけてくるからビールが大嫌いだった。今でも飲めない。
その後ビールで汚れたカーペットは幼い私が処理しなきゃいけなかった。
時期はぼかすけど弟が生まれた。
弟の方が酷い扱い受けてるんだけど、小3くらいから私は父親から性的虐待を受けているので、トントンかなーと思うよ。
書きたくもないから詳細は書かない。女児は抵抗できないからね。
今でも隙あらば私の胸や股間を触ろうとしてくる。スマホのカメラを向けて、ムービー撮影を開始すればやめてくれるから、スマホは手放せないけど今は何もされてないよ。
風呂に入ってたら風呂に乱入してくるから、父親が帰ってくる前に風呂に入らなくちゃいけないのがネック。夜遅くに帰ることになったら父親が寝るまで待つか、朝早く起きるしかない。
小学校に入って、家庭が異常なことに気づいた。気づいたきっかけは、父親に「愛人」がいた事。今でも愛人がいるよ。母親公認の愛人。家族全員愛人がどんな人でどんな名前なのか知ってる。だって愛人との話を家でしてるからね。
行政は助けてくれない。当たり前。だって世間体がいいもん。母親も転職っていうか、再就職か。大手企業に再就職してさ、外面は二人とも凄くいいから子供を虐待してるなんて思ってくれなかった。
金がある家はこれが出来ます。
家出も数回したけど、家出をすれば見つかったあと更に酷い目にあうから家出は選択肢から無くなった。
父親がやばい人なのは祖父母から縁を切られていることで何となく察した。高校進学の時に「金は出すから」と言われて、一人暮らしをすることになったらしい。武勇伝のように語っていたけど、父親は都内の出身だし、都内の高校に通っていた。一人暮らしをする理由はないから、多分捨てられたんだと思う。
今は関係修復してて(祖父母も孫は可愛いよね)、祖父母のことを知っているけど、めっちゃ金持ち。
遊びに行くと必ず5万円くれる。これが非常に助かった。(後で書く)
学歴社会に生きてきた両親なので「MARCHはゴミ」と言われて育った。
私はそんなこと思ってないし、ヤバすぎると思う。
小4の頃から中学受験の塾に入れられた。成績が良ければ褒められたし成績が悪ければ殴られて蹴られた。
凄い話をすると、成績が落ちた時に椅子に縛り付けられて、トイレはペットボトルでしなさいって言われたよ。机から移動するな、ずっと勉強しろって事だね。
そんなこともあってか(?)、無事に偏差値の高い第一志望へ合格出来た。
中高が地獄だった。
まず、私立の学校に入れば周りは金持ちばかりだ。私の家だって金持ちの部類だけど、子供の娯楽には金をかけない家だった。
携帯?持ってない。
旅行?行かない。行ったことない。旅行は父親が綺麗な愛人と行くもの。お土産も買ってくれない。
ゲーム機?買ってもらえるはずがない。
お小遣い?ない。
そんな感じで、周りとの格差に愕然とした。友達が出来てもさ、あー……ウチ、おかしいんだわ……とテンションが下がっていく。ブランド物バッグの話してる金持ちの同級生とかね、なんかもう、世界が違いますよ。
何度か、お小遣い欲しい。携帯欲しい。って言ってみたことがあるんだけど、「それなら女なんだから風俗で稼げ」って言われた。
毎日のように殴られたし蹴られた。
タオルで鞭打ちされるのが本当に痛くて、赤い痕が身体中にあった。
この時期に弟が発達障害であることが分かった。父親は激怒して「俺の遺伝子に障害の血は無い」と母親を怒鳴って殴って、何故か私も殴られた。
そんで、父親は弟を他県に連れて行って、置いてけぼりにした。
警察沙汰になったんだけど、外面が良いからあの手この手で言いくるめてすみませんでしたーで済ませてた。許せなかった。本当に今でも怒りで身体が震える。
弟がパトカーから出てきた時に真っ先に抱きしめた。まだ覚えてる。母親も泣いてた。
あの時、ミッキーの絵柄のネクタイの刑事さんだけが父親を怪しんで追及してたのを凄く覚えているし、最後まで納得してなくて「これからは気をつけてくださいね」と嫌味みたいな言い方でチクチクしてくれたのが気持ちよかった。ちょっと怖い見た目の刑事さんだったんだけど、ミッキーのネクタイだったし、優しい人なのかなーと思った。
(ちなみに私はディズニーなんて行かせてもらったことなかった)
後日、父親に「迷惑かけてすみませんでしたって謝りに行け」と言われたので何故か母親・私・弟で菓子折りを持って警察署に謝罪しに行った。
ほんとなんで?お前が行けよ。
もう、何もかもの記憶がない。気づいたら学校にいて、気づいたら家にいた。分からない。
それでも成績は維持してた。
親の金盗んでたのがバレて、父親に半殺しにされた。家に入るなってベランダで生活をすることを強要された。まあこれは私が悪いと思ってたので夜中もベランダで過ごした。
色々ぼかすけど、この辺で自殺未遂を起こして、母親が私がおかしくなってることにようやく気づいてくれた。この時に私を児童思春期の精神科に連れていってくれたことが良かったのか……悪かったのか。
なんか凄く謝られた。私の中の母親と言えば父親に従って、殴られて蹴られて、私に「○○ちゃん、辛いよぉ……」とヨシヨシを求める人だったから、まともだったんだーってびっくりした。
母親が仕事の形態を楽なものに変えた。年収1000万→800万くらいになったけど、その代わりほぼ定時退社。職場も異動願出して家に近いところにしてくれた。家庭を大切にするようにしてくれた。
私は弟の世話のために小学校を休めと言われ、まともに小学校に通えてなかった時期があるので(かなりこの事がトラウマなので書けなかった)凄い進歩だと思った。女性のキャリアが厳しい世の中で、母親は昇進を諦めた。
小学校に通えてなかった時期のことに触れてしまったので、書いておこうと思う。
一歳の弟の世話を私に任せて両親は仕事に行っていた。当然私は学校には行けない。
なんか、弟が、あれ……わかんないな、ごめん、覚えてないんだけど、変な風になったことがあって(ひきつけ?みたいな?分からない……吐いちゃったような気もする)、どうすればいいか分からなくて、でも親の携帯の電話番号なんて覚えてないし、泣きながら赤ちゃんの弟を抱えて近くの家のピンポンを押したことがある。
出てきたのはおじいさんとおばあさんで、事情を察したのか、なんか、色々と処置をしてくれた。助けてくれた。ちょっとトラウマの発作が出てきたからもう書くのを止める。
中学で私は完全にダメになってしまって、不登校になった。鬱で身体が動かなくて、寝たきりだった。
風呂も職島も排泄も介護なしでは出来なくなったんだけど、母親が全部やってくれた。
母親は今でもヒステリー持ちだけど、この時期からまともに会話ができるようになって、普通に良い関係が築けている。
周りとの格差には悩み続けた。金持ちの学校に通ってる貧乏人の気分を味わったよ。帰りに買い食いなんて出来ないし、学食なんて夢のまた夢。
悩んでたら母親がお小遣いをくれるようになったんだけど、それが月2000円だった。月2000円でもありがたかったけど、まあ足りないよね。
2000円は交通費になった。
これが本当に助かった。じいじ ばあば ありがとう。孫は貴方たちのことが本当に大好きです。
弟は私より酷い目にあってたけど、可哀想だから書かないでおく。まず、父親には発達障害持ちってことで人間扱いされてないです。
今でも。
これを書きながら父親が弟を罵倒する声が、リビングから聞こえてる。
高二になって、母親に携帯契約していい?って聞いたらいいよって言われたので母親名義で契約することに成功した。
やっと父親の性的虐待から逃げられて、一安心した。スマホをかざすと逃げるの、ウケる。そんなに証拠を撮られるのが怖いか!なら最初からやるな!クソボケ!
ずっとうつ病だけど、頭が良いことが助かった。父親より偏差値の高いところに進学することが出来た。
家にいたら風俗やって稼げと連呼されるので、バイトを詰めて家に寄り付かないようになった。
なんか疲れてきたから後は書かない。まだうつ病は治ってないし、ぶっちゃけ虐待事件のニュース見る度に発作が起きて頓服飲んでる。
学費を出してくれただけ、マシなんだろうなーと思いながら生きてる。
実家は色々あって出れてない。出たいんだけどねー、私が出たら母親見捨てることになるからね。あんまり非情になれない。色々意見あるだろうけど、母親が「私を置いていかないで」と泣きながら頼んできたことあるし、まあいいかな。
……働き始めてから月8万円を入れることを強要されてて、辛い。
初任給の手取り23↑だけど、8入れるの辛かったよ。地方の中小と変わらんやん!ってなった。
今度交渉したい。
学費を出してやっただろうが!といわれたことがあるんたけど、それなら奨学金借りたかったよ。奨学金の方がうんとマシ。
ちなみに父親はもうすぐ取締役のポストが見えているらしい。第二のビッグモーターになるのかな。
記事へ反応で前にも見たことあるって言われてるから一応違いますーってことで書いとくと、はてな匿名ダイアリー書き方知らなくて改行?空白行の挿入?が出来ないから「 」(空白)を入れて改行してる!
選択とかしてみたら分かるかも。
その人は私と同じように「 」改行の使い手?
はてなブログ初めて書くから、誰かスマホからの改行の仕方教えて欲しいです。(検索をするほどの余裕はないし、もう遅いから寝る)
体調悪くて暇つぶしにはてな匿名ダイアリーの人気エントリ?みたいなのを漁ってたら目黒の虐待事件のやつを読んでしまって、その後色んな虐待記事を読みまくったらみんな金のある家に云々みたいなのを見たから書こうかなと思ったのが発端。
飲み屋横丁の外れに店を構え、レンガ調の外壁は色が擦れている。
錆びた看板。溜息のような、湿気交じりの風が吹き込み、鈴の音を二度鳴らす。
彼女の姿は既にあり、温かみのあるランタンの光が顔をうっすら照らしていた。
いつも通り隣に腰かけるとハニーウッドの香りがわずかに鼻をくすぐった。
このバーで知り合った女性で、酔った俺がいっぱい奢ったのが、こうして話すようになったきっかけだ。
増田は既にほろ酔いで、俺のことを一瞥するとすぐにグラスへ目を戻す。
端整な顔立ちの増田は言う。
「そういえば、この前に面白い話の聞いたんだけど」
へぇ、どんな?
同じものを、と俺。
「トランスジェンダーって知ってる?」
増田は置かれた酒をいっぱい、軽く傾け喉に流すとそう言った。
もちろん。まあ、なんとなくだけど。
「わたし、誤解してたんだ」
何が?
「ほら、トランスジェンダーって、要はホモとかレズとか、そういうのでしょ?だから」
だから?
聞き返すと増田はクスりと笑って眼を細くする。
増田は言う。
「ホモって男が好きってことでしょ?ってことは、そのホモっていうのは、自分のことを女だと思ってる~って思ってた」
それに気づかないふりをして俺は酒をあおり、それで?と促した。
「でもほんとは違うみたい。聞いたのよ。本人に。そしたら、”男のことを好きな自分のことも男だと思ってる”だって」
くく、ふふっ、と増田は体を折って笑う。
やれやれ、と俺は思う。
軽々しくも、”ハルキスト的”だなんて称されるのが気に食わないからだ。
そもそも「やれやれ」といった表現を流行させたのは村上春樹ではなく、それは寺山修司の舞台『青森県のせむし男』に出てくる萩村の口癖が元だ。
閑話休題。
増田は「レズはレズでも自分は女だって思ってるってことだよね?」と俺に問い、俺は何となく頷いた。
ただそれだけの話。
俺は再び、酒をあおった。
AmazonPrimeVideoオリジナルコンテンツであるイギリスのドラマ、グッドオーメンズ(以下GO)
日本でも人気があったシーズン1だったがこの度シーズン2が配信された
個人的にとんでもない駄作だったのだが誰とも共有できないのでここに盛大に吐き出しに来た。お察しの通り駄文です。
GOとはざっくりと言えば、神の計画によるハルマゲドンを阻止するべく右往左往する天使と悪魔。そしてそれぞれの理由により巻き込まれていく人間たちと、天国地獄両陣営の戦いの行方、というような骨太のストーリーの元繰り広げられる群像劇だったと思っている。
主役と言われればキービジュアルにもなっている天使アジラフェルと悪魔クロウリーなのは間違いなく、私自身その二人が好きで見ていた面もあったが、その周りのキャラクターたちのドラマも間違いなく作品の面白さを作るものだった。
そしてそれらがハルマゲドンという目的の元集まった末のてん末にカタルシスを感じられるというオカルト的魅力も含んだしっかりとした「作品」だった。
ところが今作ですよ。
とにかくアジクロ(カップリング的深い意味は無い略称で使う)がイチャイチャしているだけ。
いかにも重大な事件が始まるのかと思わせていた記憶喪失のガブリエルは、物語終盤までほぼ本屋から動かず変なキャラを振りまくだけ。
物語のキーになるのかと思った人間のレズカップル(未満)二人は特に何もしないままこれまた終盤にちょっと活躍するだけ。
ガブリエルを追ってる天国も特に何か事件が起きてたわけでもなく、クビにした幹部が処分前に消えたから探してるだけ。
ガブリエル記憶喪失のネタバレもなんの事もないベルゼブブと駆け落ちしたくて自分で記憶移しただけ。
中身どこ?
とにかく誰がなんのために動いていて、どこに向かっているのか、何を目的としているのかが弱い!弱すぎる!
もともとそういう作風ならいいよ、天使と悪魔のイチャイチャ日常ものでーすならそれでも良かったんだよ。
今作で真っ先に思い浮かんだのが、ヤマなし・オチなし・意味なし、という古の呪文だった。これぞやおい…
公式が人気カプイチャイチャさせて中身はやおいで腐女子ファン大喜びってもうファンディスクでしかねーのよ…
奇跡を封じられた手品ショーでクロウリーがアジラフェルに向って銃構えてやけに深刻な空気が流れてた時は「今何を見せられてるんだ…?」という気分になったよ。
ちらりと腐女子の話をしたけど、ここからが本当の深淵だ。(私の)
GOはそもそもブロマンスモノとして人気あった作品だ。それはわかる。
公式からも「これは天使と悪魔のラブストーリー」とまで言われている。
でもそれは作品外での話だ。
作中での彼らは、地球の暮らしを気に入り過ぎたが故、神の計画を阻止しようという、ある種の反逆者同士で協力者であり、敵陣営同士でもありつつお互いが唯一の仲間という特別な間柄ではあった。そしてそれは「友情」として描かれていた。
元々海外発の言葉のため、専門家でもない私が定義などしっかり理解しているとは思っていないが、
ロマンスと思えるほど深い男の友情を描くものだと思っている。あくまで友情。
激重感情は大好物だけど、それが恋愛感情にされてしまうとスンッ…としてしまうのは私の癖によるところ。何でもかんでも恋愛にすんじゃねーよという、バトル漫画の恋愛描写や映画化で足される恋愛要素に激しく嫌悪感を覚えるめんどくせー女。男女問いません。トリックは今でも残念です。
ここまで書けばおわかりかと思いますが、今作はっきりとクロウリーの「恋愛感情」表に出して来たんですよね。
そうじゃねえ…そうじゃねえだろ〜
クロウリーがS1のときからアジラフェル大好きなのは知ってるけどさ、パシリのように使われたりスパダリのごとく助けを出したり悪ぶってるくらいじゃ隠せない愛情はもうずっと描かれてはいたけどさ。
それ恋愛じゃないと駄目ですか?友情って言ってたから友情で良くないですか?!
あとアジクロの二人はですね、なんだかんだ言って天使と悪魔っていうところが良かったんですよ。
いくら地球が好きで人間に情を持っていたとしても隣人では無い。
人間は最終的には奇跡でなんとでもできる下位的存在であり対等な存在ではない、意図的にそうしない限り眼中にない。そんな人外っぷりが良かったんですよね。
(だからS1で二人の相手は天使か悪魔かアダムだけであって、そのアダムが天使でも悪魔でもなく人間らしく育って普通の犬と一緒に普通の人間の少年らしくその後を送るだろうラストはとても良いものでしたね)
それが今作ラスト、クロウリーが人間の女二人に言いくるめられるってどんなよ。お前表向き一番人間軽く扱ってたじゃん(内面は一番まともに扱ってたけど)
ここまで書いて気づいたけど、アジラフェルは結構平常運転のペルソナ的天使だったな…
なんならもうキスが決定的でしたね。あれさえなければ外国語特有の言い回しだの翻訳の都合だのと自分に言い訳出来たんだけどね。
はー激萎え
そもそもやっぱりGOって腐女子ファン多いんですよ。流石に全部とは言わない(言いたくない)けど。
公式SNSでもBL系のファンアートや女性のコスプレ写真とかリツイートしてるくらいだし、PixivもBLとしてイチャイチャしてるやつばっかりだし(そんな中友情レベルのイチャイチャだけを探してお気に入りする作業に明け暮れていた頃もありました)
とにかく公式がファンとのふれあいに貪欲な印象があって、フォローしてるとどんどんTLがBL色に染まっていきそうになってフォロー外したんだけど。
少なくともS1作ってた頃の作者及び公式はそこまでじゃなかったと思うんですよね、S1という結果が物語ってるけど。
それがほぼ腐女子なファン達と交流した事により、そういった物が求められていると思った結果があのS2なのだとしたら、これも立派な公式逆輸入だよなと思ったり。
マイノリティのつらみか。
S1のサブは本当にみんな魅力的だった。
天国側も地獄側も人間も。キャラ立ちという点でもそうだが、ビジュアルとしても秀逸で世界観を作ることに貢献していた。
S2ではそもそもビジュアルで惹かれるキャラが皆無だった。前作引き続きのキャラは劣化してるし、新登場のキャラは何の印象もない見た目だった。あ、ムリエルは良かった。
特に地獄側、なんかボロくて緑っぽくしとけばいいだろとばかりに普通のボロイ人間。S1の頃からいるうさ耳雑魚悪魔のデザインが一番輝いて見えた。
だいたい地獄の幹部たちはだいたい頭に何か生き物載せてる設定はどこいったん?
ベルゼブブさんの役者…顔が変わってしまったのはまあ大人の都合で色々仕方ない事もあるやろと納得はできるけど、塩顔でシニカルな中性的可愛さだったブブさんがウェットな女性的可愛さになってしまったのは本当に残念です。
あとはもう箇条書きで
英語はよくわからんけど、日本語で今作タグ検索するともう絶賛の嵐なんですよね…
断末魔をあげている腐女子らしき書き込みとラストに心神喪失してる腐女子らしき書き込みと尊さに昇天してる腐女子らしき書き込みと…
なあ本当に良かった?
ドラマとして見れた?
結局イチャイチャしてればそれでいいのか?
S1好きだけどS2はクソだからオススメしないっていう貴重なツイートに思わず人生初いいねつけちゃったよ。
ケンカ別れとかどうでもいい程に本編がスカスカだったので、もうS3に期待することは無いんだけど
万が一に作者が思い直してしっかりとしたストーリーを作った作品をお出ししてきてくれる「奇跡」を願ってはいるよ…
頼むよ天使様…
もうあんまり色んな作品追わなくなって、久しぶりに楽しみにしてたシリーズだったからすげえがっかりした&久々の解釈違いパンチ食らって吐きそうだったので吐かせていただいた。
仕事について男女で差をつけるのが禁止されたのがそのころで、給与や昇給の面でも男女差は無くなったよね。
1972年以前は男女の所得差は当たり前だったから、男はおごって当然だったと思うけど、今やそういう所得差は無いよね?
余談だけど、男女を単純に比較して所得差があるとする人たちには、それは男女差じゃなくて、世代格差じゃないの?って思う。
お金のことも含めてちゃんと話をできないなら、あなたたちの関係はその程度だと思うのね。
もちろん、伝えたら、元増田が彼女からケチな男だと思われるだろうけれど、それでうまくいかないならそれまでじゃない?
彼女にかけるお金が消えて、留学費用をよりためやすくなったってことでいいんじゃないかな。
あと、心の中でいくら思ったって伝わらないからさ、留学費用をためている話は彼女にしているのかな?
その夢を応援してくれる人なのか、実入りが減るとがっかりする人なのかというのでも相手を見極められるんじゃないかな。
そういう事情があるなら、カフェとかコンビニとかみたいなお金がかかるデートではなくて、もっとお金がかからないデートにシフトするという方向もあるよね。
この辺の金銭感覚についても見てみたらいいのでは?