はてなキーワード: 県内とは
私は東京都港区、大阪府大阪市、地方都市(人口50万、40万、30万、15万)に住んだことがあるので、その個人的な体験から地方は○○を検証する。
私が住んでいる30万都市では、駅徒歩10分、10階、80平米のマンションで4500万円ほど。都内では1億以上する。その分生活費が安い。
駅徒歩30分、バス停徒歩20分、プロパンガス、下水道なし(当然公営のくみ取りはある)とかで良ければ一軒家を6万円くらいで借りられる。
不動産価格以外は大して変わらず、自動車が必要な地域も多いが、それでも安い。
大人が家と会社を往復するだけなら駅の近くに住むか、そもそも職場の徒歩圏内に住んで歩けば済む。
しかし美術館、博物館、図書館といった文化施設は地方だと基本的に駅から遠いので、子供をそうしたところへ連れて行くなら自動車が必要。また、地方だと大きな公園はど田舎にあるので、それにも自動車が必要。
ちなみに、地方だと自動車通勤可の職場も多い。電車通勤が可能でも、自動車の方を好む人も多い。
半分間違い。
人が少ないけど電車も少ないので、地域にもよるだろうが、人の密度は低くない。
私が使っている電車は、通勤時間帯(朝8時台)は朝9時台の山手線と同じくらい混んでると思う。
つまり普段山手線で通勤してる人から見れば、すいているように見えるかもしれないが、結局座れはしない。ドアの近くに立っている人は、乗り降りを邪魔しないために、駅に着くたびに一旦ホームに降りている。
半分間違い。
一方で東京の大企業の地方の事業所は、本社と収入は同じ。どこに住むかよりも、どの企業で働くかの方が重要なファクター。
実際、収入を増やしたい人は、どこに引っ越すかではなくどんな会社でどんな仕事をするかを考えるだろう。そのことからわかるように、みんな、居住地ではなく企業や職種が重要だと分かっている。
東大進学者がコンスタントに出ている高校が県内に3校だけ、といった県も多い。トップ高でも東大は年に10人だけだったりする。
県庁所在地に2校、他の市に1校、みたいな感じなので、他の市町村に住んでいるとハイレベルな進学指導を受けられない。
※東京と違って地方の高校は駅から遠い場合がほとんどで、バス通学も難しいことが多いため、自転車で通える範囲=通学圏内になる
義務教育は、私は都内を経験していないので比較できないが、質が低いように思われる。自殺の練習をさせるとか、虫を食べさせるとか、全裸を撮影して冬の川に飛び込ませるといったことで自殺まで追い込むのは地方の学校が多いように感じる。私が通っていた中学でも、生徒間の暴力や校内暴力(生徒から教員への暴力)は日常茶飯事だった。
嘘。
地方の人も普通に赤の他人を警戒するし、見ず知らずの人に贈り物をしたりしない。
地方は親戚縁者が狭い地域に固まっていることがあるので、そうした場合には、親戚縁者の中で懇意にするが、赤の他人にいきなり親切にしたりはしない
半分嘘。
地方ならものすごく低価格で土地を借りられるといった神話があるように思うが、それは嘘。確かに何にも活用していない荒れ地はあるが、ひとにすごい低価格で貸しはしない。
貸してしまうと、その契約の手続きや維持、確定申告の手間が増えるし、迷惑な使われ方(廃棄物を貯めたりうるさい人たちの集会所にされたり)をされると困るので、わざわざものすごい低価格で貸しはしない。
東京みたいな人口密度高すぎの街でどうやって子育てするのか。ファミリーマンションが70平米以下とか頭おかしいぞ。いまの出生率だと2世代つまり60年そこそこで日本人の数が半分になるので対策した方が良い。
私が住んでいた時期のJR浜松町駅のホームは常時公衆便所のような臭いがしてて汚かったし、飲食店は不味くて高いわりに座席が隣の人に触れるほど狭くかった。東京には住みたくない。
東京の大企業の給料をもらいつつ田舎で暮らすのが一番良い。新幹線に乗っていると静岡県の田舎にいきなりバカでかい工場や研究所が出現することがあるが、ああした環境を目指すのが良い。
嘘をつく癖があった。
一番最初に覚えてる嘘は、小学1年の時に親の財布から金を盗んで友達の家に大量のお菓子を買っていった時だ。
友達には知らないおじさんにもらった、と訳の分からない嘘をつき、不審に思った友達の母親がうちのの母親に連絡してバレ、その日の夜に親父に顔の形が変わるくらい殴られた。
その他にもゲームでありもしないバグ技を友達にべらべらと喋ったりしてた。今思えばみんなが知らないことを披露して承認欲求を得たかったのだろう。今でも思い出してじたばたするくらい鮮明に覚えている。
幸い親が転勤族で1年に一回学校が変わっていたため、致命的に嘘がバレていじめられたりなどは経験したことがなかった。
中学の頃は少しは知恵をつけ、ここぞという時にしか嘘をつかなくなった。
その頃は中二病も周りにいっぱいいて、親に成績ごまかすとか、塾での自己採点の模試の点数ごまかしてクラスで1位になったりして優越感に浸ったりしてた。
高校の時、県内で上位の進学校に入学し体育会系の部活に入り勉強との両立がもちろんできなくなり、割とサボった。
勉強もついていけないし、部活もきついしで週1とかで学校行くふりして漫喫に朝から部活終わる時間までサボったりしてた。
恋空とか流行ってて、少女漫画の僕らがいたにもドはまりして架空の彼女が死んで海まで行ったとか匂わせSNSとかしてた。
友達は割といっぱいいた方だと思うが特につっこんまれもせず「ああ・・・」みたいな空気になってた。
飲みサーみたいなところに入り、毎日酒浸りしてた。
人よりお酒が飲める方だったため、周りから評価されている気になり毎日つぶれるまで飲み、優越感に浸れてた。
架空の彼女が死んだ設定も忘れておらず、ちょいちょい痛いやつみたいになってた。
そんな日々を送っていたらもちろん4年で卒業できず、留年した。
親への言い訳は僕らがいたから引用して、パニック障害で電車に乗れない嘘でごり押しした。
借金もバレて、親に肩代わりしてもらった。
色々とボロボロだった。
家にいたくなくて週6でバイトしてた。
気づいたらバイトリーダーになってて、後輩もできて、みんなから頼られて承認欲求が満たされて気持ちよかった。
バイトしすぎて大事な実習に行けなくなったことが学校経由で親にバレ、怒られるのが嫌で逃げた。
とりあえず沖縄に行こうと思って電車に乗り続けて名古屋であきらめて漫喫泊まって次の日帰った。
めちゃくちゃ心配されてうやむやになってとりあえず卒業がんばろうみたいな感じで落ち着いた。
かなりのブラック企業で月300時間オーバーで働いてた。最初は楽しかったが、上司が変わって辛くなった。
会社に行きたくなさ過ぎて、2年目にマンションの2階から飛び降りた。
思いのほか痛くて、色々骨折して痛みで正気になりひき逃げにあった嘘をついた。
その1年後くらいに会社をバックレて友人のつての工場で働きだした。
会社バックレたときは友人に心療内科に連れていかれたりして通院してた。自律神経失調症とパニック障害と鬱の診断書が出た。
薬も1年くらい飲み続けた。
工場で働きだした当初は相変わらず嘘をついたりしてたが、本当のことを言っても誰も怒らないことがわかり嘘をつく癖がなくなっていった。
嘘をつくことも少なくなった。
30歳が見える年になっても好きがなんなのか分からない
多少のフェイクあり
この前までお付き合いしていた人がいた
その人は私よりも2歳年上で、お互いに適齢期と言われるような年齢で、なんだかこのまま過ごしていたら流れで結婚するかもなあ、という予感があった
その人は県の端のあたりに住んでいて、私は県の逆側の実家がある町に住んでいて、中間地点のあたりの市なら住んでもいいよとは言われていた
でもその人はその人の現在の居住地のそばでこれからもずっと働く仕事で、私は県内転勤のある仕事で、一時間以上かけてその人が通勤するのは私にとっては現実的じゃないなと思っていた 私が移り住んだほうが合理的だなって
私にとって初めてお付き合いした人だった
恋人のことをちゃんと覚えておくために、デートしたときに相手が不意に言った好きなものや苦手なものを携帯のメモに書き溜めていた
でも、本当に好きな相手なら好きなものも嫌いなものもメモしなくたって覚えているものだとは気付いていた
いつの頃からか私は会話の中で結婚の話題が出ないようにばかり考えていた 今その話題を出されても私は良い返事を返せないと思った
そんなことを考えてる時点で終わりだと思ったし、相手にそれが伝わっていたのかもしくは私と結婚する気はなかったのか、具体的な話はついぞ出ることはなかった
友人から聞いた「夜遅くからでも一目でいいから会いたい」「遠距離になっても毎日電話してる」「浮気されてすごく怒って異性の連絡先全部消させた」「遠距離の彼の家に行って家を掃除してご飯を作ってあげる」みたいな、好きな人に全力で夢中って気持ちとはずいぶん違うなと思っていた
相手が浮気したら、もしくは別の人と付き合ったら私は悲しく感じるのかずっと考えていたけど、私よりも相手に合う人を見つけて幸せになってくれてよかったなあって気持ちしか想像できなかった 別れた今も他の人と幸せになってほしいと思っている
短くない期間付き合っていたけど一度も怒ったところを見たことがなかった 別れる時もそうだった
二人きりになった瞬間にぎゅっと抱きしめてくれるところが好きだった 優柔不断な私に、自然と提案をしてくれるような人だった とびきり大事にしてくれていた
ただ、大事にしてくれるところが好きって理由で結婚まで行ったら、大事にしてくれなくなる瞬間は必ず来るはずなので、私が全力で夢中で好きって思える相手じゃないと厳しいんだろうなと思った
お互いに時間を無駄にしていい年でもないので別れを告げた でも別れてから相手はこの食べ物が好きだったなあとか、このお祭り去年告知を見た時に来年は一緒に行きたいと思ったなあとか、今ごろどうしてるかなあと思ってしまう 全部恋じゃなくて感傷なんだろうか
最近婚活の話題がよくホッテントリに載ってて自分も書きたくなったので、数年前に婚活してた時の思い出を書きます。
結婚相談所にも入ったのですが、活動開始から3か月で街コンにて今の奥さんと出会えました。
・職業:地方公務員 ・年齢:20代後半 ・身長:170 ・体重:55 ・年収:400 ・居住地:地方都市
・交際歴:大学時代に1人だけの非モテオタク ・使用したサービス:結婚相談所、ゼクシィ縁結び、街コン
当時はてぶで話題になっていた結婚物語。さんに刺激を受け、ネットで積極的に広報していた個人運営の結婚相談所に入会。
入会金で20-30かかったと思う。初回面談時にプロフ写真を撮ってもらい、プロフ内容も良い感じのものを作ってもらった。
プロフの趣味欄にマンガと書いたら、相談所の人からは印象が悪くなるから書かない方がいいと言われたけど、
今まで合コンでイケイケの女性からマンガ(笑)、ゲーム(笑)というリアクションを頂戴していた経験から、
趣味が合わない人と会う必要性を感じなかったので、そこだけは押し通した。
あと、aniaryのトートバッグを持ってってたら、そういうのは受けが良いよと褒められた。
・利用方法は、IBJのサイトから気に入った人に申し込みをする⇒相手が承諾したら日程調整してホテルラウンジでお茶という流れ。
・相談所の人はこちらが動けば対応してくれるという距離感、もっと構ってくれるのかと思いきやそうでもなかった。
・県内在住、~33歳という条件のみで調べていたのだけど、60人くらいしかヒットしなくて地方都市はこんなに登録者が少ないのかとびっくり。自分が美人だと思う人はそのうち5人くらいでした。
・7人に申し込み、6人にOKを貰い会ってみたけど、「https://anond.hatelabo.jp/20220625135612」この増田の①に該当する女性が半分くらいいてちょっとしんどかった。
・そこから1人と脱出ゲームの話題で意気投合し、仮交際し4回くらい会ったけど、相談所の人に、手を繋ぎたいとかそういう気にならないんですがどう思いますかと相談したところ、
辞めたほうがいいという話になり仮交際終了。
・最初に良いと思う人すべてに申し込みを行い、その後の新規登録者もほぼいなかったため活動が行き詰まり、アプリと街コンに活動の場を移す。
⇒地方だと、登録者が少なく結婚相談所に過度な期待をしない方がいいかも。
⇒でも、いろんな人と会えて異性への接し方を練習出来たので、いい経験になった。
・結婚を目指してる人を探したかったのでゼクシィ縁結びに登録した。
・写真を頑張ったからか(レストランでいい感じの笑顔を撮ってもらった)、ゲーム、マンガが好きと書いてたけど結構いいねもらえた。
・気に入った女性にメッセージを送るも返事がなく、他の人を検討してるうちに奥さんに出会ったので、結局誰とも会わず。
・サモンナイト、FEが好きという人と会話が弾み解散後お茶に誘う。⇒今の奥さん
⇒友人もオタク向け街コンで結婚していることもあり、街コンも選択肢としてありかなと思います。
・減点されないよう、意識して配慮的なことをしてました。(全おごり、話を積極的にふる、意識して笑顔、悪口やネガティブなことは言わない、レディーファースト的なこと全般。)
・普段は眼鏡ですが、婚活では全てコンタクトにしてました。(奥さんから、眼鏡を外すとかっこいいと言われるくらいには変わる)
・服と身だしなみに気を遣うのは本当に役に立ったと感じます。
髪⇒婚活前にいい美容師さんにあたり、その人にセット方法と、眉の整え方を教えてもらった。チー牛の亜種がさわやかフツメンになりびっくりした。
服⇒婚活前に、仲のいいオシャレな先輩にお願いしていいお店に何度か連れてってもらった。服一着に1万円以上かけたことがなかったけど、
2万くらいの服、10万くらいの革靴を複数買ったことで、良いものを着ていることからくる自信や肯定感が発生して良かったです。
アマプラの読み放題で、MEN'S EXみたいなファッション誌を見て、コーデの勉強もしました。(MEN'S EXに載ってるのは高杉なので、あくまでコーデの勉強として)
婚活時の服装例:トップス⇒白シャツ+単色のカーディガンorジャケット ボトムス⇒タイトジーンズorカジュアルなスラックス 靴⇒革靴 鞄⇒革のトートバッグ
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/3a1987d18442c5c94ba14e29c6ea166fab1bc42b
まず第一に多分多くの人がイメージする間伐を目的とした事業じゃない。
先行するこの記事によると、これは静岡県の「森の力再生事業」によって実施されている。
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1053943.html
http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/mirai-index.html
第5 事業内容には次のようにある。
第7(1)に定める対象森林のうち荒廃した森林について、針葉樹と広葉樹との混交林へ誘導するための森林の整備であって、伊豆地域森林計画、富士地域森林計画、静岡地域森林計画及び天竜地域森林計画(以下「地域森林計画」という。)に定める「特に針広混交林化を推進すべき森林」の整備・保全の方向に即した整備並びに簡易な道及び構造物の設置等を実施する。
とある。((2)は竹藪の話。)
「間伐」という言葉でよくイメージされる、質の悪い木を選んで切っていい木をよく生育させるとか、間引き的に切って林床を明るくするとかそういう話ではない。報道でも触れられたように「森林の公共的な責任が果たせていない」植林地を広葉樹林混じりの山にすることで、山の機能を回復させようという事業だ。
間伐をしないと木の下が裸地化したりして山の水源涵養機能が落ちたり生息する生物が減ったりといいことがないのだが、補助があっても経済的に見合わず間伐できないところが今問題になっている。そういう山をもう植林を減らしてしまって広葉樹混じりの状態にすることで、山の機能を低コストで回復させようという考え方だ。静岡県も他県と同様に間伐補助がある(http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-630/zorin/hojo.html)が、その事業では間伐ができなかったのだろう。私の県でも、少々の補助をもらって間伐しても割に合わないという声は聞こえる。
国の森林総合研究所が研究結果からまとめた「広葉樹林化ハンドブック」を出しているように、この方向性は全国的なものだ。
http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/bl_pro_1/
なので「間伐」じゃないという批判についてはそりゃ間伐事業じゃないよ、という話になる。しかし、報道の感じでは権利者の人は以前やった間伐事業のイメージを今回の事業にも持っている。
報道に写っている書類は「森の力再生事業の実施に関する協定書」だと思われるが、その最初にはこのように書いてある。(R3年版様式)
http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/documents/jisshiyoukou_youshiki.pdf
第1条 静岡県 農林事務所長 (以下「甲」という。)、権利者 (以下「乙」という。)及び整備者 (団体の名称及び代表者名)(以下「丙」という。) は、第3条に掲げる森林を針葉樹及び広葉樹の混交林又は多様性のある広葉樹林等へ誘導することにより、土砂災害の防止、水源の涵養など森林が発揮すべき公益的機能を回復させるため、その事業の速やかな実施と事業実施後の適正な管理を三者が協力して確保することを目的に、次の条項により協定を締結する。
また、協定書の2枚目にはこのように書いてある。
2 前項の丙が実施する整備の内容は、次に掲げる整備であって、要綱等に定める整備計画書に基づくものとする。
(1) 環境伐(広葉樹の自然発生を目的に、対象森林のおおむね40%にあたる本数のスギ、ヒノキの人工林を伐採するものをいう)
(2) 整理伐(適正な立木密度への誘導や樹種の転換を図るために、竹林、広葉樹林等を伐採するものをいう)
(3) 倒木又は倒木の恐れのある立木の処理
(4) 伐採木竹等の林地外への流出を防止するための集積、破砕、搬出等の林内の整理
(5) 広葉樹の植栽
(6) 土砂の流出や土壌の侵食を防止するための簡易な木竹製の構造物の設置
混交林または広葉樹林に誘導するための事業ですよと最初にきっちり書いてあり、作業内容としても間伐ではなく40%伐採して広葉樹の自然発生を目指すことが書いてあるわけだが、書いてあってもご理解いただくのは森林組合の役割だろう。
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1073631.html
権利者の人は間伐でないと主張しているので報道もその論調だ。荒らして放置するくらいならいっそ山での針葉樹生産を縮小しませんか、という重要な転換の話なので、丁寧な説明がとても重要だろう。
(なお、今回のような手法を帯状間伐と主張する事例もあるようで、その場合はこんなもの間伐じゃない、という議論になる。)
報道にあるように、県は15m幅の伐採を提案している。帯状の伐採自体は全面の皆伐を避けつつ搬出を容易にするために、次にまた針葉樹を植林する場合でも使われている手法だ。帯状伐採とか帯状皆伐とか言う。形状に注目しなければ小面積皆伐の一種と言えるだろう。また、目的によって誘導伐、複層林化を目指す複層伐とか、言い方はいろいろある。私の行動範囲内でも50m幅で皆伐し50m幅に植林を残した縞々の斜面が見えるところがある(Googleマップの航空写真で見るとよく目立つ。)
(ア)環境伐
広葉樹の自然発生を目的に行う、対象森林のおおむね 40%にあたる本数のスギ、
ヒノキの伐採をいう。(略) 伐採の手法は、全伐採本数の8割以上を列状又は群状に伐採するものとし、それらを補完するために単木的な伐採を施工することができるものとする。 列状伐採の場合の1列当たりの伐採幅(伐採区域の短方向の両端に位置する残 存立木列の樹幹間の最短距離)の基準は、おおむね5m以上かつ残存林分の平均
樹高のおおむね2倍未満を原則とする。(後略)
なお、樹高の2倍未満というのは帯状の伐採に関する資料でよく見られる。広すぎると全面的な皆伐に近くなるが、狭すぎると日当たりが悪く次の木が育ちにくくなる。
今回の件について、50m幅のところは事業の基準を満たしていないと言える。しかし「ゴルフ場のような」帯状の伐採自体は計画通りだ。
今回の伐採手法に対する批判は、混交林化という目的に対して、列状間伐などによる強度間伐などと比較されるべきものだ。県の判断には動物の被害が大きいことを挙げており伐採後をシカ用ネットで囲っていたが、それらの対策しやすさなども考慮に入れる必要があるだろう。
木を多く切ったこと自体に対する批判はあたらないと思う。広葉樹林化を目指すならどこかで切らなければならない。災害発生リスクとしては確かに帯状伐採でも表層水が増え災害リスクが多少なりとも上がることがわかっているが、じゃあいつ切るんだ、間伐もできない山を放置しておくのか、それとも個人の財産を育てるための間伐にさらなる補助をしていくのか、などの論点があろう。
(素人考えだが伐採部分より残った植林の幅の狭さが気にかかる。50m幅の問題といい、区画取りがちゃんとできていたのだろうか。)
今回の報道で多く見かけた批判はこのように的外れだが、もう1つ重要な論点がある。それはこれで本当に広葉樹への更新ができるのかという技術的な疑問だ。(そもそも広葉樹林化で本来の目的を達成するのかというさらに難しい論点もある。)
ここまでは資料を読めばわかる話だが、この先は議論がある部分に分け入るので、2つのことをご了承いただきたい。まず私は林業に関して門前の小僧どころか出入りの三河屋程度の知識しかない。もう1つは、このように強引にでも広葉樹林化を目指している背景には既存の補助で間伐できず、ただでさえ貧弱な下層植生が今度は鹿に食われて裸地化するような山がたくさんあって、とにかくなんとかしないといけない状況があるということだ。
帯状に伐採して跡地に再び木を植える場合は、幅に応じて明るさの問題はあるものの、皆伐跡地に植えるのと同じように考えることができる。これまでの林業のサイクルに近い。全面的に皆伐してしまうよりは山としての機能もましだろう。広葉樹林化を目指す場合でも、適切な種類の木を植えるとその木が育ってくる。問題は何も栽植せず自然に任せる場合だ。今回の写真を見ても、これで事業完了後とすれば新たな栽植はせず鹿ネットで覆うことで終了のようだ。
スギやヒノキに覆われている期間が長くなるほど埋没していたタネの発芽は期待できなくなる。風で飛んだり鳥に運ばれたりするタネの供給源との距離の問題もある。ササなどが地表を覆って高木が育たなくなってしまうこともある。また、これは栽植する場合も同じなのだが、まだ弱い木を鹿がかじってだめにしてしまうことはとてもよくある。先ほどの広葉樹林化ハンドブックでも、条件の見極めについて記述されているし、他の混交林化、広葉樹林化の資料でも、人工的な植栽前提、あるいは十分な量のタネ供給源となる木や稚樹の存在を前提にしたものが多い。
しかし静岡県による皆伐後の天然更新についての調査結果では、かなり楽観的だ。再造林放棄地(植林を収穫して全て伐採した後に何も植えていないところ)を調査した結果、県内の多くの場所で天然更新が順調に進むと結論づけている。
https://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-850/ar613.pdf
静岡県のR4年度の森林計画書では「天然力を活用した」混交林への誘導が整備保全の方向性として挙げられている。難しそうなところは別途「植栽によらなければ適確な更新が困難な森林」として指定するようだ。
天然更新のできるできないについて、素人が今回ざっと資料を読んだ限りでは可能な条件はかなり限られるように思えたが、しかしこの静岡の調査に基づくと、鹿ネットだけで天然更新を目指すなんて無謀だとも言い切れない。歯切れの悪い終わり方で申し訳ないが、この文章の目的は、説明不足の報道に対してより詳しく状況を説明することだ。正直今回導入された手法の良し悪しは現地を見た専門家でないとわからないだろうと思う。
自分は6/8の記事でこの件を知ったが、県が獣害状況などから15m幅の伐採を手法として提案し、それ自体は間違いではないような対応であることからこれは「間伐」事業ではないのでは、と疑問を持った。一次産業に関しては誤解や考え方の違いによる非難が発生しがちなので、素人の自分にも誤解とわかる部分は書いた。そして検索して分かったのだが、プロが解説しても考え方の違いが発生するだろうなとも感じた。混交林化の是非そのものにも様々な考え方の違いがある。
また、感情面では、植林はあくまで経営主の持ち物なので、本来きちんと管理する責任は持ち主にあるんだという気持ちと、そんな不利益があるから山なんか絶対に相続したくないんだという相反する気持ちも、田舎者なので持っている。
すなわち、甲子園行くような可能性があるチームは、2回戦や3回戦とかからじゃなく、ベスト8あたりからの出場で良いと思うんだよね。
そういうチームが2回戦から出場して、相手のさもないチームが5回コールドにされるとか不憫だし、勝った方の有力チームだって無意味さ極まりないと思うんだよ。
有力チームが2回戦だとか早期に出てくるのは、やっぱり弱小チームには脅威だよ。夢も希望も無くなるよ。もっと後からでいいよ。
それと、そういうチームは甲子園が主戦場なんだし、地方大会で何試合もやって損耗させる必要はないと思うんだよね。
なぜか大人になってからの友達の作り方だと、「おじさん」の方法論ばかりが集って「おばさん」向けのがない。
おばさんの友達の作り方教えてくれ。
よく社会人サークルとかなんとか言うけど、どこにあるん?そういうの。
読書とか好きだから読書会とか調べても、地方住みだから県内ではやってない。
学生時代の友人関係は完全に清算してて一人も連絡先知らない。(つーか学生時代とか暗黒時代だったから、連絡先知ってても連絡取りたくないが)
趣味の(創作系)ツイッタアカウント持ってるからそっちで作ろうにも、陰キャ臭が滲み出てるのか誰も構ってくれない。
まーじで出会いがない。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。
去年、母親が62歳で亡くなった。ガンだった。
葬式や相続などのことがいろいろ済んで、ふと思ったのが「親に長生きされても困る」ということだった。
その理由は、以下の3つだ。
①帰省について
②介護について
まずは「帰省について」だが、両親が同じ県内に済んでいるならまだしも、県外にある実家に帰るのは正直かなりの負担だ。
子供がまだ小さかったため、帰省道中の食事のこと、おむつのこと、泣いた時のことなどいろいろなことに備えると荷物もかなりの量だ。
交通費もバカにならない上に、手土産も持参する。時間とお金の負担が大きい。
次に「介護について」だが、少なくとも母親の介護について考えなくて良くなったことは、気持ちが楽になる。自分にはまだ介護の経験はないが、ただでさえ自分の子供のお世話だけで一杯一杯なのに、ここに親の介護が加わるなんてとても考えられない。
また、介護を理由に転職や退職の選択を取らざるを得ない人もいる。介護が必要になるほど長生きをされると負担なのである。
最後に「遺産相続について」だが、これは親が早く亡くなって、自分の子供が小さいうちにまとまったお金が入ったことは大変助かった、という経験談である。
自分の子供のこれからの生活費、養育費のことを考えるとお金はいくらあっても足りない。これが、親が長生きして、自分の子供が成人してから遺産相続でお金が入っても「もっと早いうちに欲しかった」となりそうだ。
その家に住むにしろ、処分するにしろキレイなうちに手をつけたいのだ。かつては5人で住んでいた実家は、親しか住んでいないので使われていない部屋も多く、掃除も行き届かない。そんな状態が長く続いた実家は古ぼけた雰囲気で、正直住むどころか泊まるのも躊躇するほど気味が悪い状態だった。
そんな状態になってからだと、売ろうとしても値はつかないだろうし、住むとしてもリフォームに費用が大きくかかってしまう。処分に困ってしまうのだ。
今回は、自分の家の話に留まったが、もし日本の平均寿命が60代くらいのままだったら、世の中の年金問題やら少子高齢化問題やら存在してなかったのでは?と思う。というより、寿命が伸びることで何かいいことがあるのだろうか?
マイナンバーカードが生まれた時から作れるのは以外だった。出生届出して1ヶ月も経たずに申請用紙が来て、そこから1ヶ月で作ることができた。
一時金の42万は簡単だろと思ったら、なぜか病院の領収書の不備で受領されずに困っている。来週聞くしかないが、そこそこ歴史ある赤十字病院なのになぜ?それとも審査したところの問題か
住んでいる市は県内でもお金持ちに分類される裕福な自治体(不交付団体)なのに、子供の医療費無料じゃないってなんで?しかも500円以上する
先週の月曜日に拾った子猫を、今週の水曜日にひとにやった。ほんの短い間だけ、どたばたで面倒を見た。私の、女性の平均値をだいぶ下回った小さい両手にも乗るくらい小さな子猫だったが、それがたった一匹いなくなっただけで室内にすきま風が吹いたような淋しさがあり、改めて猫ってすごいなと思わされた。
とはいえ子猫に会いたいかというと、それよりも子猫の新飼い主に猛烈会いたくないという気持ちの方が遥かに勝るので、子猫には是非とも私の知らんところで幸せになっていてくれと願ってやまない。新飼い主には、子猫が思う通りにならなかったとしても、うちをあてにすることはしないで欲しいと思う。もう私は知らん。
https://twitter.com/Sato_adachi/status/1527562865292746753?t=VhTjz4vOS5ZMsOwStVliuA&s=19
これは犬の話だけれども。
もしも子猫の貰い手が見つからなかった場合は、動物愛護団体を頼ろうと思って色々調べたり各所に問い合わせをした。それで知った事をちょこっと書いておこうと思う。大して多くないけど。
というのも、犬の飼育は法律で登録制とされていて、また、野良犬は捕獲対象だからだ。ある程度人間には害のある生物視されているというか。
一方、猫は犬とは違い飼育に登録は不要で、野良猫を捕獲するための法的根拠がない。民家の庭にうんちをしたりゴミ収集所で生ゴミ漁りをしていても、それが迷惑だからといって駆除することはないらしい。
また、猫は繁殖力が強く、民家やその敷地内の狭い所に隠れるので、駆除しようとしたところでそれは無理なのだ。
じゃあ、野良猫をどうするのかというと……県庁や自治体のホームページを読んだところ、野良猫は地域猫とし、人と猫との共存を図るということだった。いくら野良猫が邪魔だとしても虐待したり殺したりするのは違法なのでやらないように。猫を捨てるのもご法度である。じゃあ人間は野良猫改め地域猫が増えて行くのを手をこまねいて見ているだけなのかというと、そうでもなくて、地域猫の避妊手術を行う活動というのがあるらしい。
ともあれ、犬はよく管理されているので保護犬の数は少なく、猫はそうでもないから保護猫は多い。
動物愛護団体の譲渡会は犬猫の両方を受け入れていても、実質猫の譲渡会のようになっているっぽい(これは動物愛護団体のレビュー情報)。
ネットで県内や近県の動物愛護団体の連絡先を検索したところ、数件ヒットしたのだが、後に県営の動物愛護センターに電話したところ、信用できる民間の動物愛護団体として紹介されたのは、たったの二件だけだった。
動物愛護センターに問い合わせたところ、もしも保護した子猫に対して情があって生きていて欲しいと思うなら、預ける先はここじゃない、と言われた。動物愛護センターで動物が保護される期間は短く、多くの動物が殺処分となるのが現状だそうだ。
動物保護センターでも譲渡会を行っているが、現実にセンターに収容されている動物は、新飼い主にお迎えされない何かしらの事情を抱えているものばかりだそうだ。
動物愛護センターから紹介された民間の動物愛護団体が、どちらもホームページを持っていたので、閲覧した。ウェブ上でも写真つきで猫の里親を募集していた。
アーカイブを見ると、やっぱりというか……成猫は長々と募集状態であり、子猫は里親決定済みかトライアル中となっていた。どんな犬猫でも受け入れるという決意を持っていても、可愛い子猫を見ちゃうと、この子がいいってなるんだな……。
数年前、動物愛護団体の譲渡会に里親希望として参加して嫌な思いをしたという事を書いた増田がいたが、では逆に譲渡希望者にとっての動物愛護団体はどう見るのか。
うちは結局、譲渡会に足を運ぶ前に子猫の貰い手が見つかったので、直接ボランティアの人達と対面することはなく、電話で話したきりだったけれど。でも、電話で受けた説明やホームページに書かれた事を信用するなら、普通に頼れそうな感じだった。
譲渡希望者が個人情報を根掘り葉掘りされる事はなさそうだった。ただ、サインすべき書面があり、提出しなければいけない書類もあった。保護動物の健康診断書、検便検査結果(陰性でないと譲渡会には参加不可)、ワクチン接種1回目の領収書だ。
保護動物の健康診断書を出すからといって、譲渡会に参加できる動物が健康体に限るという訳ではなく、持病や障害があってもよいそうだ。どういう病気や障害があるのかを知るための健康診断書なので。
ワクチン接種代の領収書の提出必須な理由は、譲渡会の参加資格に関わるからだった。譲渡会に参加する時の月齢・年齢なりに受けるべき予防接種を受けていることが譲渡会参加資格の一つだ。それと、ワクチン接種代は里親になる人に、貰い受ける保護動物の面倒を生涯見るという決意表明として支払ってもらうという。ボランティアスタッフが里親に請求し、得た代金はそっくり譲渡人に返される。
譲渡会当日は、譲渡希望者は会場に出向いて動物とそのエサと使い慣れたトイレをスタッフに預け、提出書類を出し、参加費を納め、書面にサインをして、あとは譲渡先が決定するか閉会までは会場の外で待つ。里親希望者との交渉はボランティアスタッフの担当だ。それはコロナ対策のためだそうなので、平常時は譲渡人も会場に居れるのかもしれないが、そこの所は詳しく聞かなかったのでわからない。
もしも譲渡会に出した動物に貰い手がつかなかったら、譲渡者は動物を自宅に連れて帰って世話をし続けなければならない。その動物愛護団体では、人手と費用の問題から動物の預りは行っていないのだそうだ。
なお、私が問い合わせた動物愛護団体の場合、譲渡会の参加費=動物愛護団体への寄付金だった。譲渡会の参加費は里親希望者が5000円以下で、譲渡希望者はその半額以下だった。
これが相場なのかどうかは知らないが、Twitter漫画の怪しい動物愛護団体とそれが運営する譲渡会と信用できる動物愛護団体とその譲渡会とでは、金額も譲渡会規則もだいぶ異なっていることは確かだった。
動物愛護団体のホームページの里親募集コーナーで、先に登録された成猫にいつまでも貰い手がつかず、後から登録された子猫が早くもトライアルに入っているのを見たら、子猫を譲渡する時には頼れると感じる一方で、子猫のために「(自称)どんな猫でも受け入れる覚悟がある」を里親希望者を先に登録されていた成猫から奪ってしまうようでどうなのかなと思った。ま、成猫の保護猫でずっと貰い手のつかない猫にはそれだけ事情があるのだろうし、簡単に子猫の可愛さになびいてご宗旨変えするような人間になんか引き取られない方が幸せかもしれないが。
座右の銘は「人畜無害」。褒められもせず、苦にもされない人生だと思う。
生まれは地方の小さな町だけど、高校は県内の公立トップ校に進み、大学も東大京大とはいかなかったが東京の上位私大に潜り込んだ。
就職も志望していた大手企業に入って、マイナーな職種のため大出世こそ望めないものの食うに困らない賃金を得ている。自分の部署の中ではまあまあ重宝がられてるとも思う。
年齢=彼女いない歴の童貞・非モテだけど、男女問わず飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友達はいる。
趣味といえるほどめちゃくちゃに凝ってるわけではないけど、旅行も好きだし展覧会や観劇に出かけたりもする。運動はそんなに好きではないけど、太りすぎも痩せすぎもせず、まあまあ健康だ。
両親も健在で実家は地元に残った兄が継いでいるし、家族仲も大してよくはないけど致命的に悪いわけでもない。いまはコロナ禍もあって景気は悪いらしいけど、少なくとも外の学校に行かせてもらえるくらいには経済的に恵まれていた。幸いなことに両親とも毒親ではなかったと思う。
東京生まれ東京育ち、親が大企業勤めや官僚とかで自分も東大や海外有名校を出たというような偏差値70超えの人生ではないけれど、経済的に困窮したり家庭が破綻してたり、ものすごいハンディキャップを背負ったりしているというわけではない。
それでもときどき、生来のものぐさな性格からか「生きるのめんどくさいなあ」と思う。将来に対するただぼんやりした不安というのも多少はあると思うけど、そういうのも含めて「なんかめんどくさい」のだ。
よくも悪くも自分の能力はわかっているし、自分の性格もよく理解しているから今後も突飛なことはしないだろうなと思う。結局のところ、生まれて飯を食ってクソして死んでいくだけなのかと思ったりもする。
とはいえ自殺する気も今のところない。安楽死は悪くないなとたまに思ってしまうけど、死後というものが(観念的なものとして)どういうものか想像できないだけに積極的に選ぶような勇気はない。
特定の宗教を厚く信仰していて死後の世界を信じられていたら(宗教における自殺の是非はともかくとして)もう少し楽だったのかもとも思う。しかし今さらになって急に何かを信奉するのは難しい。
自分のことはよくわかっているので、何かアドバイスが欲しいわけでもない。たいていのことは「自分でもわかってはいるんだよね。でもそうするのは難しい」って思ってしまうのだ。
何かわかりやすい解決策が見つかるでもなく、これからも淡々と生きていくんだと思う。
自分でも贅沢な自慢話だと思うけど、なんとなくよく眠れず、ぼんやりと考え事をしていたアラサーのたわごとだと思って聞き流してほしい。
月曜日、カラスの落とした獲物だった子猫を拾ってからやったこととか、知ったこととか。
拾ったのが朝6時半で、受診できたのが9時半。こんなに短時間で受診にこぎ着けられるなんて、知らなかった。たまたま暇な日だったのか、電話をかけた一時間後に予約を入れてもらえた。
自分で飼う意思がない癖に捨て猫とも野良猫ともつかない子猫を受診させても、嫌な顔一つされなかったのが意外。
うちはペット禁止の戸建て物件のはずが、何故か隣人は犬を飼っている。すごくよく躾けられていて、無駄吠えをしない大人しい犬だ。
「増田さんも何か飼いたくなったら飼っていいのよ」
と以前大家さんは言った。謎におおらかだ。
猫を拾ったらまず交番に連絡するものなんだって。その発想は私にはなかったのだが、猫の保護の仕方についてググって知った。
こんな事で交番に連絡して「はぁ?」みたいな塩対応されたらやだなと思いつつ電話をしてみると、
「あーはいはい、猫拾ったのね。動物愛護団体に預けるんにまず警察に聞いてからにしてって言われるんでしょ。ではまず氏名住所と、拾った場所を教えてください」
と、慣れた対応をされた。世の中の人達は猫を拾ったら普通に交番に届けるものらしい。知らなかったぁ……。
お巡りさんから、飼う意思の有無を訊かれたので、飼う意思はないけど子猫を生かしたいですと答えたら、ちょっくら対応を審議するので折り返し電話するねと言われた。
一時間もしないうちにお巡りさんから電話がかかってきた。調べた結果、子猫を落としたという届はなかったので、子猫を自分で飼うなり人にあげるなり私の好きにしていいとのこと。子猫は落し物・拾得物扱いらしい。
交番で預かるとなると、元の飼い主が名乗り出ないまま預り期間を過ぎた場合、県営の動物愛護センター行きとなる。だがそこも預り期間があるわけで、期間内に譲渡先が見つからないと殺処分になる。従って、猫に生きていて欲しいとなると、自分で動物愛護団体を頼って譲渡先を探した方がいい、と。それで、お巡りさんは県営の動物愛護センターの電話番号を教えてくれて、そこに電話して訳を話して、民間の動物愛護団体の連絡先を教えてもらうように、と言った。
フレンドリーに対応されて驚いた。最近は、役所関係に電話するとどこでも親切対応ですごい。20年前のどこにかけてもクソゴミ対応された時代がうそのようだ。
言われたのはお巡りさんが言っていたのと大体一緒。
「ここはどうしても飼い主が見つからなかった時の最終手段だと思ってください」
だそう。収容動物の譲渡会も開いてはいるらしいのだが、里親が見つからないこともよくあり、収容期間も短いので殺処分になってしまう可能性があると。子猫の場合は貰い手が見付かりやすいから、ここではなく民間の動物愛護団体の開催している譲渡会に参加して貰い手を探す方がいいそう。信用出来る二軒の団体の連絡先を教えてくれた。私が自分でググってみたところ、県内に複数の団体があるようだったのだが、その中でどこが信用出来るかまではネットでは分からなかったので、有難い。
あっちこっちに声をかけて来たものの、芳しい返事はない。しかも、うっすらとキモがられてしまう。宗教やマルチの勧誘と同一カテゴリーなのかな。
そんな中、唯一ポジティブな反応をしてきたのが、仕事仲間の若者で、その人は未婚で両親と同居中。動物愛護団体の譲渡会だと審査に受かり難い属性で、動物を飼うには自分で拾うかペットショップで飼うしかない。本人もペットを飼ってみたいのだが、それ以上にご両親もペットを欲しがっているとのこと。
ただ、その人は数ヶ月前にペットショップで見かけた仔犬に一目惚れをしたが、仔犬は売約済みだったという悲しい思いをしたそうで、出来ればその時くらい可愛いと思える動物を飼いたいという。都合よく子猫に運命を感じられるのかどうか謎だ。
動物愛護センターから教えて貰った団体のホームページを閲覧したら、犬も猫も生後2か月まで親元で育てることと書かれていた。子猫は推定生後1ヶ月だが、親猫とは生き別れになってしまっている。それでも2か月、うちで育てていいのだろうか。
子猫は何も一人で出来ない状態で、とても世話が焼ける。他人に譲渡するならトイレトレまでちゃんとやって手間がかからないようにしてから送り出したい気持ちがありつつ、世話は大変とはいえ可愛い盛りなので、是非すぐにでも引き取ってお世話をしてみたいという人もいるんでないかと思うが、どうだろうか。
てかまず、団体の規約を読む限り、譲渡する子猫は捨て猫ではなく繁殖させた(させてしまった)子猫を想定しているような?
「生後2か月までは、親兄弟との関係を通して社会性を身に付ける、大切な時期です」
そんな風に書いてあるけど、うちみたいに他に猫のいない環境で育った猫はどうなんだ。
そこで考えてしまい、まだ愛護団体に電話をしないでいる。今日電話するつもりだけど。数年前、動物愛護団体の譲渡会に(里親希望で)参加して嫌な思いをしたという増田を読んで、なんか動物愛護団体こわい……と思ったので、電話するのすごく緊張する。
拾った日は歩き方もお覚束無く、ミルクも自分で飲めず排泄もできずだったが、今はもう普通の猫のように歩けるし、皿から餌を食べられるようになっている。すごい成長だ。だが、排泄はまだ人の介助がないと出来ない。
徳島文理からスタンフォード行った子が結局親金じゃないかと言われてることに関してツイッターを眺めていた。そしたらこういうツイート(メモ画像なので検索しても出ない)を見つけた。
『人口1000人の村の子の「四国からスタンフォード行った人テレビで見て僕も交換留学行ってみようと思って!」という言葉を聞いたことがある身としては、彼女を持ち上げていた社会はきっと間違いじゃなかったと思っています。』
これを見てうっかり過去の記憶が開いてしまったので、思い出し自分語りをする。先に言っておくがオチはない。
小学生の時に、私は親の都合で地方都市から学年人数1桁の小さな集落の小学校に転入して、1年で元の街に戻った。計画的な滞在であり、長いキャンプのような経験だった。私は自閉傾向があり対人関係に失敗していることにも気づかない有様だったが、勉強で苦労したことはなかった。1桁人数の同級生の中で、私は「街から来た頭のいい変な子」であったのだろう。
記憶にはないが、私は当時既に進学のイメージを持っていたはずだ。街の家から自転車通学範囲に父の通っていた中学、高校があり、大学も近くにあった。
一方で転入した集落は中学校がある村の中心部から遠く、村には高校がないため隣の市にある高校に通うことになる。そこの大学進学率は高くない。県庁所在地の進学校は遠い。長時間通学か下宿になるだろう。
このような条件のため、村の多くの親にとって進学先は隣市の高校で、そのまま就職するか、専門学校に行くか、頭が良ければそこから地元国立に進学する、場合によってはより上位国立を狙い県外に行く子もいるだろう、というイメージだった。
さて私の同級生には集落育ちで頭のいい子がいた。Aくんとしよう。Aくんは街から来た子と話しているうちに、中学から受験をして勉強する人たちの存在を知ってしまった。受験をする気がなかった私がなぜそんな話をしたかは記憶にない。
ここからは私が親から聞いた話で、聞いたのは街に帰る季節だった。そのできごとがいつ発生したのかは不明だ。
Aくんは街にしかない中高一貫校に行きたいと言い出した。Aくんの親は困ってしまった。この希望にかかる経費はA家の計画より大きすぎたのだ。私の親は進学の難しさは勉強の問題だけでないことを私に説明した。責めるニュアンスがあったかどうかは記憶にないが、私の情報が原因であったことは指摘された。少なくとも、街に住める私と生活基盤が集落にしかないAくんの間には格差があること、私のもたらした情報がAくんと家族を苦しめたことは理解できた。私の家とAくんの家の経済状況はあまり変わらなかっただろうと思う。住むところが違うだけで選択肢が狭まるのだ。
知らない方が幸せだったとは思わないが、しかしこの挫折はAくんにどう影響しただろうか。わからずじまいだった。
街に戻った私はそれなりの治安の公立中から、今話題の徳島文理のようないわゆる地方内名門私立の一貫校に高校編入した。私立優位の地域であり、かつてAくんが希望した学校とは別だ。
校則では原付の運転が禁止されていたが、私が滞在した村を含む、公共交通の貧弱な地域に住んでいる生徒は駅までの利用が許可されていた。仮にあの集落からなら、20kmほどの道のりを原付で通い、JRで1時間、さらに乗り換えて学校に着く。私は自転車で30分だ。同級生の中にはさらに遠い地域出身で中学の頃から親と一緒に部屋を借りている子もいた。Aくんが選べず、私には選ぶ必要がなかったルートだ。
高校まではそのように地理条件に恵まれていた私だが、大学進学という全国での比較では、一転恵まれていない方になった。
ここから大阪までは高速バスで5時間強かかる。東京は夜行か飛行機だ。隣県や都市に出てから乗り継がないと行けない地域も多い。地元国立大学はあまり偏差値が高くないので、高校ではもう少し上を目指す子がほとんどだった。メジャー分野なのに県内にない、あっても国公立ではない学部志望者も多かった。
しかし県外進学には多額の費用がかかる。私は幸いにも県外進学ができたが、優秀でも地元国立に進学するケースも多かった。
そういう地域格差はまあ、ネット上でよく語られるとおりである。
私は中学生あたりから持病を発症し、勉強も含め様々なことを人並みにこなすことが難しくなったが、身体が許す範囲で学び、大学に入り就職氷河期の終わりに正社員の職に滑り込むことができた。薬でQOLが改善したのは就職してだいぶ後、ここ数年の話だ。もし就活、大学生、高校生の頃にこの薬があればと思うことがやはりある。
私が下層からの成り上がりをブランディングしたければネタに使えそうな人生を送った中学の同級生もいるが、そんなことに他人の苦労を使うものではない。ただそういう公立中から高校に進学して感じた格差は大きかったし、大学に入ってからの友人は様々な出身地から来ていて、親との関係も健康状態も経済状況も様々だった。観察さえすれば、多様性はいつでも目の前にある。
間違いなく居住地条件でAくんより恵まれていた。これは格差問題を考える時の私のスタート地点だ。一方で都市に住む同い年の子と比べたら、この県にいることは逆境だった。予備校に行く資力はなかったが、私学には通えた。家に借金取りは来なかった。病は珍しい逆境だろう。しかしごまかしながらやっていける知能を持てたことは間違いなく運がよかった。実力も運のうち、全くその通りだ。こんな絡みまくった要素から実力や努力を拾い出すなんて不可能だ。
私の卒業した高校は、経済的な事情で寄付金を原資とした学費減免措置を受ける生徒が多い。私のところにも時々寄付催促の振込用紙が来る。出せるのは雀の涙だ。
後輩達はその高校に入れるだけで十分恵まれていて、彼らへの支援はメリトクラシーに基づいているとも言える。しかし多くの卒業生が何らかの形で都会で得たものを還流する行動は間違いなく県域の底上げに役立っている。いや私は個人主義者なので彼らが共同体を離れ外に行くこと自体を歓迎すべきだ。いや普段の寄付対象であるフードバンクの方がもっと意義がある支援だ、とか、まあいろんなことを考える。
みんなそれぞれの逆境を生きている、と言ってしまうのは安易な相対主義だ。しかしどの逆境にも支援が必要だ。
1つの回答として、私はここ数年、ある種の逆境にある人に対する金銭と時間の集中的な支援をしている。
ノブレスオブリージュは階層社会を気持ちよく生きるためのごまかしにすぎないとも思う。自主的にやらせていては十分な再分配はできない。それでも自分には他人の逆境に対してできることがある。どのような経過を辿ったにせよ、今動く身体があり、さらに職まであることは、今この瞬間そうでない人より恵まれている部分だ。
私がAくんに希望を持たせて傷つけてしまったことに関する身勝手な自己保身の欲求があり、1000人の村の子が希望を持ったという話に勝手に重ねている。
あれからもうずっと少子化傾向を続けた結果、彼らには私達の頃より多くの社会的リソースが割かれるようになっているだろうと信じたい。
https://anond.hatelabo.jp/20220507073623
読み返して、ひどい文章だったので、書き直し。
秀岳館高校の問題を受けて、あらためて、「スポーツ推薦で通学圏外から優秀な生徒を集めて、学校の知名度を上げよう」とする私立高校(ここでは「国内スポーツ留学校」と呼ぶ)は、以下の問題を抱えていると思った。
自宅通学の一般生徒の場合、ひどいいじめを受けている場合でも、最後には家という逃げ場所がある。地元に小中学校時代の友達がいる可能性もある。しかし通学圏外から来た生徒は、部員と一緒に寮に住むので、ひどいしごきやいじめを受けていても、逃げることのできる場所や時間帯が全くない。たとえ部室や寮を脱出できたとしても、そこには友達も知り合いも一人もいない。
(2)辞めたくても辞められない
スポーツ推薦で入学・入部した生徒は、部内のしごきやいじめがひどくて耐えられず辞めたくなっても、学校も退学せざるを得ないので、辞めることができない。学歴が中卒になってしまい、人生そのものが詰んでしまうからである。たとえ学校に残れると言われても、寮に住んでいるため、加害者の部員と顔を合わせなければいけないので、事実上その選択肢はない。
そのように国内スポーツ留学校は、生徒の逃げ場をなくし、辞めたくても辞められない状況に囲い込んでいるので、指導者および先輩部員の権力が絶対的になりやすい。指導者も生徒部員も地元出身の人間ではないので、地域からの視線を遮断して閉鎖的になりやすい。もちろん全員が暴力やハラスメントを行うわけではないが、たまたま悪質な人物が指導者になった場合に、歯止めとなるものが全く存在しない。
以上のような環境でサバイバルした生徒は、確かにある意味でたくましい人間にはなるが、同時に高確率で暴力やハラスメントを他人に平気で振るうような人間になりやすい。さらに国内スポーツ留学校は、基本的に地元の地域からは浮いた存在であり、県内の予選でも声援は少ない。結果として、「地元のみんなの期待に応えたい」という素直な気持ちがなくなり、「とにかく勝てば正義なんだ」というマッチョで歪んだ考え方が強まりやすい。
2021/9/27
私は好きです。
自然素材で作られたものは、手入れは大変ですが、日々の心が癒されます。
そんな私が、大分県の竹工芸訓練センターに、入学願書を提出したことがあるのです。
すぐに取り下げたのですが…。
目次
竹工芸訓練センターとは、竹細工の技術を学べる、公共の職業訓練学校です。
私にとってはとても近所です。
詳しい条件が気になる方は、厚生労働省のHP(別窓が開きます)に詳しい条件が提示されてますのでご覧ください。
入学時に教材代5万円程度を支払うだけで、2年間の受講ができ、竹工芸の基礎的な技術を学ぶことができるのです。
ちなみに今年も募集をしているようなので、興味のある方はオープンキャンパスに参加してみてはいかがでしょうか。
詳細はこちら(別窓)。
職人になってみよう!応募したい私とためらう夫
別府市内の方はよくご存じだとは思いますが、別府市では月に一度市報べっぷが配られます。
確かこの市報に、募集のチラシが挟まっていたんだと記憶しています。
昨年、夫に「何かをはじめた方がいい」と言われていた私はこれを見てピンときました。
「そうだ、職人になろう!」
別府市に引越してきたばかりだった私は運命すら感じていました。
自宅から歩いて通える(少し遠いけど)。
職人なんてそんな簡単になれないだろうけど、竹が編めるってちょっとした特技として生かしていけそうじゃない?
当時、39歳だった私は、ギリギリ最後のチャンスですし、思い切って応募してみることにしました。
どうしても実行してみたかった私は
と説得し、受験に挑むことになりました。
夫の反応が微妙なわけ
当時はわかりませんでしたが、夫はとにかく私が傷つくのが嫌だったようです。
私はそもそも職人として食べていくなんてできるとは思っておらず、特技としてこれからの人生に生かせたらなあ(教室に通うような感覚)くらいに思っていました。
いや、ほんとに今となっては入学できなくてよかったなとしか…。
「何かを作るということ」は自分の中の何かをすり減らしながら生きていくこと
と夫は思っており、そして彼は実際にそうやって生きています。
そんな世界に私が足を突っ込んで苦しむのが嫌だったとか。
私は夫の子供か何かでしょうか…?
過保護なことこの上ありません。
オープンキャンパスへの参加
願書の提出
スマートフォンのカメラと、コンビニのコピー機で証明写真を作成し(スピード写真よりだいぶ安くできます)、願書を提出し、数学の参考書をブックオフで購入しました。
全くやる気を感じられない受験生ですね。
残るはコツコツ勉強です。
そういえば、オープンキャンパスの時に「試験より面接が大切。しばらく県内で頑張ると言う方が、すぐに大分県から出ていくと言うより良い」みたいなことを聞いたのですが、本当だったのだろうか…。
と改まって言われたのです。
話し合って、やめる
このときは、話し合いというよりほぼ夫の話を聞いていました。
夫が不安そうに、声を震わせて違う道を歩んでほしいと説得してきました。
夫の性格を考えると、このときにどんな言葉を投げかけても、不安を解消できないな、と確信しました。
そのまま夫を言いくるめて(説得して)入学することも可能だったと思います。
しかし私は夫の不安をそのままに入学して勉強をするほど、情熱が無かったのです。
2年間の学習をつつがなく終える自信はあったのですが、将来的に職人になる自信と、夫とのぎくしゃくを抱えたまま、入学する気概は私には無かったのです。
受験票を出し終わった後だったので、訓練センターとハローワークに電話で連絡しました。
そしてもらった資料や参考書を廃棄、そのまますぐにYouTubeを見てブログを始めました。
こうしてできたのが、このブログです。
今ではやめて良かったのかもな、とも思います。
今でも夫婦で「あの時受験できていたらどうなっていたかな?」と話します。
そしたらちょっと違う私になれていたでしょうか?
こういう風に、夫が奥さんの能力・人生をフイにしてしまうことがあるんだなあ。
旦那が「専業主婦」にすることで自分のモチベーションにするやつ。籠の鳥。