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2019-04-17

anond:20190415195425

休むデゴザル。

それなり貯金放出して、国内旅行の後、帰省をするよ。

2019-04-16

anond:20190416122703

 171月夫婦不妊治療の末に三つ子を授かるが、3人とも低体重だった。出産後、母親実家帰省しかしながら、飲食店経営する両親を頼ることはできず、同年5月に夫が待つ自宅に戻った。夫は半年間の育児休業を取得していたが、おむつの取り換えに手こずったり上手にあやせなかったりしたため、母親は夫を次第に頼らなくなったそうだ。

 3人の赤ちゃんを育てる生活想像以上に過酷で、寝る暇もない毎日だった。市の保健師訪問を受けた際に相談したところ、子ども一時的に預けられる「ファミリーサポートセンター」の利用を勧められたが、事前面談に3人の乳児を連れていけず結果的に利用しなかったという。

 そんな中、事件が起こる。

 18年1月11日の夜、子ども部屋に寝かせていた次男(当時11カ月)が、泣き始めた。その泣き声に母親は激しい動悸と吐き気をもよおし、次男をベッドから抱き上げ、畳の上に投げ落とした。再度、泣き続ける次男を投げ落としたところ、「気持ちが少し落ち着いた」という。

 しかし、直後、母親は慌てて119番通報事件当日、夫は夜勤で留守にしており、救急車が駆け付けるまでの間、母親次男を抱きかかえて心臓マッサージをしていた。その2週間後、次男搬送先の病院で息を引き取った。

夫は、出産前に子育てをどう考えていたかについて「1人の子もの育児と、2人、3人の育児も変わらないと思っていた」と話しました。

また、半年間の育休後に職場復帰したことについては「妻は家事子どもたちの面倒も完璧でした。育児を手伝おうとすると『やらなくていい』と言われ、自分はどうしたらいいんだと思いました。1人での育児を妻は『大丈夫』と言うので、経済的理由もあり、復帰しました。家族を守れなかったことを私も反省しています」と話しました。

まあ少なくともイラストのような状況ではないな。

anond:20190415195425

休めるよ

取引してるメーカーも、卸してる店も軒並み休みから

ただ金ないんだよな

親孝行国内旅行いく知人は、平日なら海外いけるような旅費になったと嘆いてた

自分実家帰省して、のんびりだな…

2019-03-30

帰省がつらい

長期休暇のたびに帰省催促メールが来ており、育ててくれた恩義もあるのでなるべく帰るようにしているのですが毎回しんどいです。

なぜしんどいかというと父に気を遣うのがしんどい理由の一つかもしれません。なぜしんどいのか考えてみました。

1.自分の考え方が正しいと思い込んでおり、他人から意見されると腹を立てることが多い

父は誤解を恐れずに言えば昭和的・田舎価値観を強く持った人間だ。こういった価値観を持つことについては個人自由であるので特に何とも思わないが、自分の考え方こそが正しいという思い込みの激しさによって家族は少なからず苦労をしてきたと思う。

自分の前で好みでないメディアの視聴や趣味の話をされると機嫌を悪くする

自分好みのメディアは良いもの自分が嫌いなメディアは悪いものだという認識があるのかもしれない。

家族居間テレビを視聴していると、大変に機嫌が悪くなる。バラエティ低俗で見ると頭が悪くなると本気で思っているようだ。自分が嫌いなテレビを堂々と自分の前で見るとは何事だ、という空気を出してくる。テレビが好きな母は父がいないときを見計らって隠れるように録画した番組を見ている。

(なお父自身自分の好きな映画動画大音量で好きな時に視聴しており、これに家族意見することを許さない)

また映画を見るにしても父が好むストーリーかつ、父が嫌いなワードシチュエーションが入っていないものを選んで観なければならない。一度誰も観たことがないもの家族で観たことがあったが、一部表現が気に入らなかったらしく途中で父が怒ってしまった。

食事中の会話選びも慎重に行わなくてはいけない。母の職場出来事や日々のちょっとした愚痴などは怒りポイントに触れやすい。安牌は父の趣味の話や季節の話。今はきっと食卓の会話はなくなっているのではないか。面倒なので。

自分判断は正しく、「有難迷惑」ということに考えが回らない

誰にも相談せずに土地を購入し「おまえのために土地を買ってきてやった」と言っている。便利な土地ならいいが、購入した土地は冬は行き来ができないほどの山奥で到底住めるところではない。もう実家がある県に戻るつもりもないと何度も言っているのだが聞く耳を持たない。昔は親から子に土地と家を譲ることがいいことだったのかもしれないが、今離れて暮らす子供はそれを望んでいない。山奥なので税金は安いと思うが、一生に何度行くかわからない土地のために税金支払いやその他水道管等のインフラ整備をする義務を、何の相談もなしに押し付けてくるのはちょっと怖い。自分がその土地を欲しかっただけじゃないか

同様に「俺の趣味コレクションは俺の死後オークションで売ってくれていいから。XXのお小遣いになるだろ?」といってバイクや古いプラモデルを集めている。相場は何ともいえないが、父が買える範囲の値段のもの再販価格たかが知れている。オークションに出品したり引き取り屋に片づけてもらうコストは考えていないようだ。自分がやりたいか趣味コレクションしているのにそれを子供の将来のお小遣いといってくるなんて困ってしまう。

2.他者を見下す

学歴コンプレックスがあるのかもしれないが、とにかく「馬鹿」といって他人を見下す。特に母に対するあたりは強く、正直モラハラレベルだと思う。

私は父よりも偏差値大学卒業し有名な企業に入ったからか、父の定規では見下す対象にならなかったようで馬鹿にされたことはない。

でも帰省した時に両親の不仲を目の当たりにするのはとてもつらい。

・・・

こんな父だが娘の私のことは溺愛しており、何度も帰ってきてほしいという。

娘だから愛されているということはあるのかもしれないが、私は実家にいたとき学生なりだがいつも父に気を遣い、母の愚痴を聞いて両親が仲よくなるように願ってきた。

自分も他県で家庭を持った今、実家内の関係を冷静にみることが増えた。

自分の家庭はとても居心地がいい。こんなに居心地がいいのに、実家に戻って会社のように全方向に気を遣いびくびくするのが単純に面倒になったのかもしれない。

卒業旅行に行かなかった理由

これを書いている人は、この3月大学卒業4月から社会人生活を始める。

と言うと、世の大半の人は、人生最後になるかもしれない春休み友達との旅行などで謳歌しているのだろうと思われるかもしれない。

しかし、卒業旅行送別会などに全員が行く訳などなく、自分はこの1ヶ月半地元に帰り実家にいた。理由は至ってシンプルだ。あまりにもメンタルがやられてしま卒業旅行に行く気になれなかったからだ。

ゼミサークルどこに行っても弄られるキャラを演じる中で、表面上は笑いながらも精神的な負債が少しずつ蓄積されていき、今年の2月ゼミ飲み会でその負債が爆発した。あまりにもしんどすぎた。

その癖に、弄る側の人間は弄られて人はいつも笑いになって美味しいと勘違いしているのだろう、卒業旅行送別会に行かないと言う連絡をすると「なぜ来ないんだよ?暇なら来いよー」と勝手に暇だし行けるだろという圧をかけてくる。何故卒業旅行に行くことが当たり前と思っているのか、そのスタンス疑問視したくなった。

はっきり言って面倒この上ない。

行きたくないものに行かないという選択肢すら出来ないのかと思ってしまった。

かと言って本当のことを言って、雰囲気を壊してしまうのも憚られる。さらに、悩みとして打ち明けたとしても、弄られキャラのためにネタにされ、本当の悩みであってもまともなアドバイスを貰えることなんてない。大学生活最後春休みに、わざわざ精神を削ってまでこいつらの相手をするほど穏やかではなかった。

こういう理由があって、実家に帰ったものの、親と妹が冷戦状態愚痴自分にぶつけてくるような状況、さらにはストレスや悩みから全く離れた生活を送っていると思われ、そのような類の話をしても「そんな訳ない」とすぐに遮られる。

大学生活の中で、本当に精神が落ち着くのは、一人暮らしをしている家の中だけだったが実家に帰ってもそれは変わらなかった。

ただ、大学の知り合いと1ヶ月以上離れたことでかなりメンタルが回復した。これほどまでにリフレッシュするのかと初めて帰省の良さを知ったほどであった。

おかげで明後日に控えた、社会人生活スタート問題なく切れそうであるのだが、始める上でいくつか言っておきたいことがある。

1.弄られて直ぐに拗ねる奴に弄る資格はない。

小学校の時、「自分が嫌だと思うことは相手にするな」と教わったはずだ。にもかかわらす、守れない輩が多すぎる。ゼミ同期にも精神科通いのクソメンヘラ女がいるが、ツイッター上でメンヘラ垢まで作って、人生辛いとしてるのに、ゼミでは弄る側になる。この矛盾が見てて痛々しすぎる。

2.弄られている役の人の中には悩みがあっても言えない人がいる。

弄られる役の人も、人間である以上悩みを持っている。だが、その悩みを打ち明けたとしても、笑いのネタにされてしまうことも多々ある。そのため、言わないで自己解決を図ろうとする。このやり方で上手くいくこともあれど、どこかで躓いてしまう。(実際に今回の自分がそうだった。)

弄られる側の人の中には、人に本音をあまり言わない方もいるが、リアクションおかしいなどいずれ表情に変化が出るものだ。周りでその変化に気づいた方がいたら、是非真剣に話を聞くように受け入れることをお願いしたい。

3.弄られる側の人は怒りたくても怒れない。

弄られる内容や弄ってくる人によっては、反撃したいことも多々あるが、やり返したところでその場の空気が変になることくらい誰でもわかる。普段と全く違うリアクションを取っているわけだから。その異常を覚悟してリアクションを取るくらいなら、少々自分が傷付いても全体の笑いになればいいと思ってしまい、いつも通りのリアクションを取ってしまう。この少しの傷が蓄積されるとやがて取り返しのつかないことになってしまう。そうならないためにも嫌なことに対しては嫌と言っておくことも時には必要である相手に直接言うのが難しい場合には、間に人を介するなどするのもアリだろう。とにかく、取り返しがつかなくなってはもう遅い。

4.辛くなったら休む

無理して弄られるキャラを続けてもやがてガタが来る。その場合には直ぐに休んで1人でいるか若しくは全く別の関係である友達に会ってみることをお勧めしたい。

4月から社会人として仕事が中心になる生活が始まってしまうが、この文を1人でも多くの方が読み、1人でも弄られるキャラの人の救いになり、1人でも愛のない無責任悪口や弄りを止める人が増えることをささやかながら祈っている。

東大生自分のことを貧乏だと思ってる

田舎者貧乏人を初めて見た話」を受けて。

 東大入学した春、僕は父親年収が700万円だと知った。日本学生支援機構奨学金に申し込むために、世帯主収入必要だったからだ。

 当時の僕は父親年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。

https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php

 1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市郊外人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産普通車、家は駅から少し離れた3LDKマンション外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代スーパーフードコートマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後ラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。

 これが普通金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。

 そうしてこうして、東大入学した。

 父親年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部時代は親から仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。

 仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。

 東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。

 三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。

 あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも子供学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまたことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物写真集だとか、普通本屋にはあまり置いてなさそうな文化的ものばかりだった。普通ハードカバー小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。

 東京私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークル活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯格安スマホに切り替え、自炊ケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まい人間バイトをする以外の方法お金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くバイトができないのだと愚痴っていた。

 大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。

 大学院を修士卒業した僕は、今は某メーカー就職して、工場のある田舎生活している。1年目の盆休み帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的修士卒の初任給の額と、冬のボーナス金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。

 その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。

 どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!

僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !

 共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収ピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後男性年収中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職フルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収1000万円を超えていたのだ。

 その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行したことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?

 幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越し結婚式新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てマイホームのために貯金を続けているといったところだ。

 妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパート化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。

僕は今でも、自分のことを中流家庭だと思っている。

2019-03-25

みんなは身体デバッグしてる?

昨日久々にあの胃痛が来た

22時から5時まで右脇腹(胃?)がすげー痛くて

病院で処方されたエチゾラム(?)を大量に飲んで、案の定全然効かなくて

風呂冷水と温水を交互に浴びながら般若心経を唱えつつちんこしごいて耐えきったんだけど(耐えられていない)

今もまだ胃がじわじわ痛いんだけど

 

まあそれは置いといて

胃痛?の再現ができた気がする

 

1.炭水化物系を暴食する(暴食と言っても3食普通に食べただけなんだけど)

2.胃痛を恐れて下剤を飲む(コーラック

3.翌日スッキリする

4.安心して飯を食う

 

これで胃痛再現できると思う

あとどうにもセブンイレブン卵焼きが怪しい気もしてる

 

他に再現できるのは、2週間以上の激務(1日14時間くらい働く)を終えて休んで3日目、風邪、季節の移り変わり、その他のストレス帰省あたり

俺の身体再現性がなさすぎる、バグるにしてももっとちゃんと動け、再現しないと原因がわからないだろう

もうこれ12年目くらいだぞ

 

だめだ、薬の影響でまだ頭が働いてない

洗脳から解けて友達友達じゃなくてフレネミーってやつだってわかった

フレネミーってネットで目にした用語で詳しいことは知らないけど、

私は「友達のふりしたエネミー」とか「友達でエネミー」とかって解釈してる。

田舎ってあいつ嫌いとか付き合いたくないって思っても、親や祖父母、親戚や兄弟まで知り合い、むしろそっちは仲がいいとかある。あと仕事上の付き合いがあるとか。

あと田舎じゃなくてもよくあるパターンだけど、全然話通じないやつ説得するより話通じる方(たいてい被害者)説得するよねそういうパターンで、小さいころからずっと我慢させらせていた。

の子のいう暴言は許されて私がちょっとでも注意とかでキツイこというと、私が悪者にされる。そういうことが繰り返されて成長したので、そういう暴言はいたりするのは私が対応間違えるから悪いんだ。それで私が傷ついたりするのが悪いんだ。私がそういう対応される存在なんだって刷り込まれて生きてきたんだよね。

の子にもいいところはあったと思うんだけど、昔はそういういい思い出ばかり思い出して、これもあれもって助けてたけどだいたい私が我慢したり助けたりするパターンのほうが多いんだよね。

自分を守るためなのか常にそういう対応されてるからか、あれが酷かった、これがきつかったって覚えてられないんだよね。たまにフラッシュバックみたいに思い出してしんどくなる。これは洗脳がとけてもそう思う。

洗脳だったんだなって地元にいるときから薄々思ってたんだけど、なかなか離れられなかった。地元にいる間はついてこられてたし。何せ親も仲良しだったからね。

転職して地元じゃないところに就職して6年、ようやくあれは洗脳だったなって思った。

その6年の間にブラック企業就職しちゃって身体も壊したんだよね。

逃げりゃよかったんだけど、そういう対応に慣れてたか身体壊すまで我慢してしまった。

本当はここに何をされたとか箇条書きにすればいいんだろうけど、

友達にされたこあんまり思い出せないんだ。

からちょっと思い出した時に小出しに書いたりしてる。

連続させてないから、一人の人間のことだって思わないだろうけど、ぽつぽつつくコメントでだいたい「それは友達じゃない」ってつくからやっぱりなって思ってる。

その友達とは実はまだ絶縁までは言ってない。

連絡先一つだけ残してつながってる。

ほとんど返信してないけど、10回に1回は返信してる。

親同士はまあ仲いいんだけど、親は、友達の親も子供ちょっと変だよねとは思ってるし、私が付き合いを遠慮してるのを察してくれてる。最近兄弟が連絡しないようにガードしてくれてる。

まあでも、彼女からして結婚して子供もいない私に子育ての悩みとか相談(という名のマウンティング)しても仕方ないって思ってるみたいで、今はもっぱら最近子供の生まれた私の妹のところに押しかけてるらしい。さすがに迷惑だろうって私から久しぶりに連絡しようとしたけど、妹にこっちはなんとかするから大丈夫って止められた。

帰省も最低限にしてるんだけど、(実家同士近くないのに)たまに気づかれて押しかけられて子守させられたりする。

今こうして息をするのが楽だし自由だと思うと「あんたばっかりずっと楽してる!」っていってた友達の顔を思い出す。ずっとしんどかったんだけど、ずっとずっと楽してなかったけどって思う。そしてちょっと罪悪感がある。これはもう呪いだな。

2019-03-23

母のパンティーを被った

10年以上前、私がまだ高校生の時。

引っ越しすることになって、引っ越しの準備をしていた。

修学旅行でしばらく家を留守にしている間に、リビングにおいてあった自分パンティーをすべて燃やされていた。

100円均一で買ったファイルは置いてあって、中身の500枚程度のパンティーだけすべて抜き取られて捨てられていた。

「なんで捨てたの!!」と大喧嘩になったのだけど、理由は「引っ越し業者さんに中身を見られると通報されて体育館に並べられるから恥ずかしいと思って」ということだった。

エロいパンティーとかは一切ない。中身をちゃん確認したのかと言ったら、「しないで中身だけ燃やした」そうだ。

そのファイルは小さい時から「このパンティーがとてもうまくマスをかけた」とか、本当にお気に入りのものを厳選して選んでたパンティーだったから、しばらく消失感がすごくて、何度も意味がないのはわかっていても捨てた理由を繰り返し聞いた。

最後は「なぜかわからないけど燃やしちゃったのよ!!!しつこい!!うるさい!!!」と怒られた。

そして、母が最近パンティーの展示会的なので賞をもらった。

母は小さい時からパンティーが得意で、自分作品額縁に飾っていたりする。

誰が見ても確かにうまい

なんだろう、自慢されて。自分でも衝動的だったんだけど、帰省ついでに母のパンティーをすべて被った。

帰ってきた最近賞取った作品も。

母はとても落ち込んでいた。還暦で弱くなっていたのもあるのだろうけど。

「ああ、何でエレクチオンしないのよおーーー」と悲鳴にも似た声で泣きそうになりながら責められた。

罪悪感はすごかったけれど、どこかすっきりして。

「いいじゃん、前に私のパンティーを燃やしたんだからテープで繋げたら?」とアドバイスしたら、テープでほんとにつなげていたので、寝ている間に全部シンクの中に水ためてつけといた。

朝、嘆いてる母を見て「あー、人ってこんな悲しそうにするんだな」とかぼーっと考えて。

その日は帰省の最終日で、パンティーを夜に食べる予定だったから食べた。

おいしかった


anond:20181013021617

anond:20181013021617

ディティールが甘い

帰省の最終日で夜までいるわけ無いだろ

たまに思い出す人のこと。

中学同級生村田くん(仮名)という人がいた。

彼は軽度の知的障害だったのではないかと思う。

特別学級ではなく普通クラスにいたけれど、成績は下の下で、いつもヘラヘラしていた。

いつも服のそでで鼻水をぬぐうからそれが乾いてパリパリ黄色いシミになっていたり、パンツ姿で校内を走り回ったり、学校前電車踏切棒で遊んで叱られたり、そういう人だった。

自分は彼とひとこともしゃべったことはなかった。

臭そう。

話が通じなさそう。

近づいたらいきなり噛みつかれそう。

例えるなら、野生動物にはみだりに近づいてはならない。そんな感覚で遠巻きに見ていた。

喋ることのないまま中学卒業し、自分は遠くの高校に進学した。

高校一年生の夏、高校の寮から帰省したとき母親が言った。

村田くん(仮名)ってあん同級生だった?川でおぼれて亡くなったらしいよ」

そんな感じで何気なく聞いた気がする。

ふーん、と思った。

高校にあがってもあいかわらず村田くん(仮名)は友達がいないから、いつもひとりで遊んでいたらしい。

その日もひとりでタモとバケツを持って、自転車で川に遊びに行った。

そして川の底に沈んでしまった。

村田くん(仮名)の人生は途切れたんだな、と思ったのをおぼえている。

高校生の頃なんて人生無限に続くものだと、そんな気分で毎日生きていたけれど、自分と同い年の見知った人間人生が終わったことを知ってすこしびっくりした。

その頃の自分はたくさん小説を読んだり映画を見ている子供で、色々な人生があるってことは知っているつもりだったけれど、ある日突然ぶつりと途切れた彼の人生を思った時がいちばん死ぬことがとてもあっけなくて当たり前のことなんだな」と理解したように思う。

人は息ができなければすぐに死ぬんだなと。


成人してからも、ふと彼のことを思い出す。

薄汚れたTシャツと短パンサンダルを履いて汗を流しながら自転車を漕ぐ村田くん(仮名)。

タモで何を採ろうとしていたんだろうか。

何を採ったんだろうか。

残されたバケツには何が入っていたんだろうか。

暖かくなってくると、そんなどうでもいい想像をしてしまう。

一度もしゃべったことのない人なのになぁ。

2019-03-18

anond:20190318114643

ごめん、文意を取れてなかった。理解した。

とりあえず帰省する予定だったのを止めるという間接的な反意を示すつもりではあったけども。

親と真面目に向き合ったことないというか、なぁなぁで今までやってきてるんだよな〜

あなたの言ってることが正しいのは理解できるがしかし難しい…

2019-03-14

10連休中に帰省する足を予約しました

今月の業務とか来月の発表とか生活面のこもごもとかあるけど

あるからこそちゃんと帰れるよう頑張って生きます

2019-03-11

8年も経ったのに何をしているんだろう

2011年3月

当時、私は都内某所のどこにでもいる大学生だった。


自宅で長く激しい揺れを体感し、すごい地震だったな、震源地関東のどの辺だろうとTVをつけると、何と「東北」とでかでかとテロップで映し出されていた。

私の実家福島県にある。慌てて親に電話を入れるも当然ながら全く繋がらず、連絡が取れたのは結局地震から3日が経ってからだった。

その後も色々と大変なことは大変だったが、家自体津波による被害はなく、近しい親族も友人も全員無事だったので周囲に比べれば幸運な方だと思う。

それでも、震災(と原発事故)は地元を一変させてしまった。避難によって子どもは減ったし、親戚の家は立入禁止区域になった。畑には除染後の除去土壌が山のように積まれている。線路がないので帰省に使っていたスーパーひたちも走らなくなった。


こうした体験を経て、私はぼんやりと何か地元の役に立つことがしたいと思うようになった。

進学したはいもの特にやりたいこともなく、将来を決めあぐねていた自分にとって、地元貢献というのは耳障りがよかったのだと思う。浅はかにもほどがある。

折しも研究室配属の時期であり、ちょうど震災復興支援に関連する研究を開始した研究室があったこから、迷わずそこを希望して卒業まで研究に打ち込んだ。


就職先も当然、研究テーマと似たようなことをやっているところにするつもりだった。

しか就活を始めてほどなく気づく。ないんだよね。復興支援だけをやってる民間企業なんか。

ほとんどはメインでやってる事業があって、そのノウハウ復興支援にも使えそうだからやってみているだけ。当たり前だけどそんなんばっか。

で、面接御社復興支援事業に興味があって~と言うと必ず聞かれるのがこれ。

「それはあくまで弊社の多岐にわたる事業ひとつであって、君の希望するところと違う部署に配属される可能性も十分ある。それでも頑張れますか?」


気づいた時点で就職をやめて、博士課程に進んでテーマを究めばよかったんだけど、残念ながら私にはその度胸がなかった。

金がない。科研費はもらえるかどうかも分からない。博士修了後は行く先がなくてワープアまっしぐらかもしれない。

そもそも博士になれるだけの力が自分にあるのかどうかも自信がない。

研究室ポスドクがいてその悲惨な状況を目にしていただけに、勇気が出なかった。


結局前述の質問には「はい!いつか希望部署に行けるまで地道に経験を積んで頑張ります!」とかなんとか無難な答えをしてメーカー就職を決めたわけだが、予想通り配属先は全く関係のない部署だった。


そして就職して数年。異動の気配、全くない。


修士卒の女の二十代は短い。この数年の間に結婚して、子どもも産んだ。

やりたいことをやれる会社転職しようと思っても、子持ち女(時短勤務、出張不可)を採用してくれるところは少ないだろう。

これから子ども教育費はかかるし家も買う。今さら大学に出戻って博士課程をやるのも難しい。


幸か不幸かうちの会社福利厚生が手厚くて給料も良く、働くこと自体に関しては何の不満もない。

ただこんなはずでは…という気持ちをずっと抱えている。


書いていて過去自分の思い至らなさを認識して恥ずかしいけれど、全く地元に貢献できないままに8年も経ってしまったというモヤモヤを吐き出したかった。

自分勝手ですみません

2019-03-07

どうやったら友達と絶交できるのか知りたい

まれた時から幼小中高とずっと一緒。

母親同士仲良し。

上京して彼女は専門、私は大学に行ったけど、

同じ街だったのでよく遊んでた。

学校卒業してから地元に戻って就職

地元同士なのでずっと遊んでた。

母親同士が仲良いっていうのもあって、

彼女に行ったことは全部、彼女母親を経由して増田の母にもばれるんだ。

お互いなんでも知ってると彼女は思ってる。

なので、彼女彼氏とどの程度の回数しているとかあけすけに言うんだけど、小さい頃から知ってる彼女のアレコレとかはちょっと聞きなくないと思ってた。

すぐにバレていじられるから地元彼氏は作らなかったし、同僚と付き合いだした時も彼女には言わなかった。

彼氏がいると言えば会いたいといっただろうし、紹介したらすぐにやったかどうかとか聞きたがると思ったんだ。

共通の友人の時にやっていた)

私はそれを下品だと思ったけど、彼女下ネタも言える自分面白いと思ってたみたいで直してくれそうになかった。

彼氏ができたこと&コスプレを始めたことでメイクにはまり

急に痩せて垢抜けた私に友達が気づいたんだ。

しょっちゅうロケ撮影会イベント友達の遊びの誘いを断っていたので、彼氏ができたのかって聞かれた。

彼氏のことを言いたくなかったので、コスプレはじめて衣装作ったり撮影に行ったりしてるって伝えたんだよね。

親には言ってないしテレビ情報だと変な風にしか伝わらないと思うから言わないでねって、えっち写真とかはとってないよって撮った写真とかも見せた。

今度は使いたいスタジオあるから東京に行くよって言ったら、いいな行きたいなっていいだした。衣装を着たいわけじゃなくて、コミケかに憧れていたらしい。

スタジオは料金かかるし他の人もいるから、見学はできないってことを伝えた。部外者でも行くんならオールジャンルイベントならどうかと聞いた。コミケとまではいかなくても広いし色々本もあるし、空気は知ることができるしと思って、彼女は行くといって連れて行った。

イベントに行っても特に問題はなかったと思う。

興味深げにいろいろみてたと思う。特に買い物はしてなかった。

本は一冊500円とか600円とかするし高いと思ったみたい。

BLでも商業誌しか買ったことないと高いと思うよなあとは思った。

帰ってきて実家に行ったとき

あんた、○○ちゃん友達)のお母さんから聞いたけど東京で変な会場で変わった格好して変な友達と遊んでるってきいたけど危ないことじゃないよね?」

って母に言われた。母も彼女の母もコスプレという言葉を知らなかった。

とりあえず、変なことはしていないこと趣味サークルであることを伝えた。オタク否定的な親ではなかったのは良かったけど、親バレは堪えた。

友達には言うなといってたのにって怒ったけど、オタク理解ある親だからいいじゃんと笑ってた。すごくもやもやしたけど、長い付き合いなので許した。(忘れんぞとは思ったけど)

地元普通友達には言うなよと再確認した。

彼女はわかったといった。

しばらくして、共通友達から子供ハロウィン衣装になりそうな小物あったら貸してほしいと連絡がきた。

なんでってきいたらコスプレしてて衣装がたくさんあるって聞いたって言われた。

友達に聞いたら、何年もたってるからもういいと思ってと言われた。

流石に二回目は私も許せなかったのでとても絶交したい。

携帯変えて、アドレス変更したし、彼女のは削除した。

地元友達ともラインの交換をしていないので、

誰かから聞いて教わることはない。

でも、母が携帯の番号教えちゃったんだ。

電話は出ないしメールの返信はしないので、ショートメールで連絡がくる。

帰省時も地元友達と遊ばないので友達とも会わない。

なのに、この間は帰ってきてる時期にわざわざ実家に遊びにきてた。

母親同士仲良しなので、はっきりとした絶交宣言はできない。

このままフェードアウトしかないとおもってる。

お前なんか嫌いだというには、楽しい思い出もあったのでそういう時の友情みたいなもの邪魔をして言葉がでてこなくなる。

でも、こういう事ばっかりなの本当に限界だった。

できることな過去に戻ってコスプレの話しなきゃ良かったと思うけど、正直、自分の部屋に出入りできるので、言ってなくてもバレたと思う。

私は彼女がいない時は部屋で待ってるとか他人の部屋の中見て回るとかしないけど、彼女はする人だった。

一人暮らしになってからは無くなったけど。

どうやったら、絶交できるんだろう

2019-03-06

研究テーマが決まらない

題の通り。

現在修士1年でこれから就活が始まったというのに研究テーマが決まらない。

指導教員は、とある事情大学はいない。メールでやり取りとしている。

なので、滅多に会えず、自分も今年は5回程度しか会ったことがない。

研究テーマについて話をしようとしても、「何をしたいのか」と問われ、

自分で調べて答えを出せば不十分の一言否定される。

酷いときには無視までされている。

これまでは、講義があるから自分言い訳をしていたが

就活がはじまり研究のことを聞かれたり、帰省して両親に何をしているのかと問われるたびに

なんともいえない気持ちになる。

先輩は、卒業しているのだから自分能力が足りないのだろうとも思うけど。

今は、研究室を移ったこと。ひいていえば、大学を変えたことを後悔している。

どこに相談していいのかもわからないし、これから何をしたらいいのかもわからない。

卒業できるかもわからないし、この状態就活などできるのか不安しかない。

どうしたらいいんだろう。

ただの愚痴です。

2019-03-05

anond:20190305220629

はい、またお気持ちヤクザが長文書き、っと。

極端な話、誰が傷付こうが表現の自由は揺らがない。

規制せよ」「引っ込め」と声高に叫ぶその声が、誰も傷つけてないと思ってるわけじゃないだろ?

「傷つく人がいるかダメ」論はぺんぺん草一本残さな核兵器だってまだ分からないのかね?

「恐怖や嫌悪」?関係いね。「セクハラ」?訴えたら?

フィクション現実に与える影響?証拠は?

ぜーんぶ君や帰省派のお気持ち根拠ゼロ

君のお気持ちは、表現の自由という基本的人権を踏み潰す資格があるんですかー?


「人を傷つけることを肯定してはいけない」なんてドヤ顔でおっしゃるなら、まずその減らず口を閉じようね?

俺らを傷つけるよ?

もしかして自分正義の味方から対象外」とか思ってる?

娘が寝てるとうれしい

うつ病ひどかった話は前に書いた、あとでここにトラバするかも

人力にまた子のうつ対応できない親が来たか最近日記つけてないと思い出しメモ

とりあえず学校企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした

娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた

朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない

よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値ごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓黄色信号甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている

たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。

低血糖発達障害の本よんだのがだるさの理解に役立った

とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらイライラしていたのだ、最初常識判断して逆だと思ってしまっていた

転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者必要場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った

で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。

まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。

小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。

折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せ自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころ幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。

ようやく治っても再発するっていうけどね。

みんなは子供幸せにしてね。

新婦が乗り気じゃない結婚式

新婦わたし。3きょうだいの長女。20代後半共働き子無し。

結婚式に憧れはあった。自分で式場を探して、料理をえらんで、ペーパーアイテムの類を作るのが趣味からデザインして…って感じで。結構そういう手間をかけるの好き。

夫とは結婚して4月で3年。出会って8年。

結婚式をやるなら、(今式場を大改修中の)ここの式場の完成を待ってやりたいよね、と貯金もしていた。

 

ところが。 

去年のお盆に、突然わたしの母がやれと強く言ってきた。たぶん母の友達のお子さんたち結婚式ラッシュだったから。

そんで年末年始帰省したら、日取りも式場も着る服も髪型メイクも式次第もゲストも、全部なにからなにまで決まってた。

センス、親の好み。わたし達の恩師や友達を呼ぶ席、なし。

あとはわたし達がお金払うだけ状態。夫の実家は異議なし。

しかもさ~、式場とかが全部、母の仕事取引先とか友達がやってるところなのよ。

今更キャンセルして親の顔つぶすの?って言われちゃってさ~。え~。

親の顔は立てなければいけないよね、って渋々入金した。正月早々萎えたけど、親孝行だと思って。

 

でも2月頭に妹が妊娠発覚して状況一変。

妊娠発覚→次の週に入籍→今は式場見学しながら産婦人科通い真っ最中

親、逃げ道ふさいで祭り上げた長女の結婚式、既に興味なし。分かり易いくらゼロ。妹の結婚式と、生まれてくる孫に胸をふくらませている。

 

もう地元で無理にやらなくていいんじゃない?と夫に相談したら、夫側のばーちゃんが、夫の結婚式の晴れ姿を見るためにめちゃくちゃ病気リハビリ頑張ってるみたいで…といわれた。(夫とは同郷なので実家同士がわりと近所)

 

結婚式は今年の5月に挙式で、大人なのに決定事項にぐだぐだ文句言うなって言われるのわかってるんだけど、

でも本当に今から考えるだけで憂鬱なんだよ

2019-03-04

先日、祖母が亡くなった。

亡くなる直前の祖母は、認知が進んでおり、ぼんやりと過ごす事が多かったらしい。

らしいというのは、私は飛行機距離程離れた地方に住んでおり、帰省も数年していなかった私は最後祖母殆ど知らなかった。

祖母が亡くなったと電話が入った時、私は「あぁ、やはりか」と思い、泣くこともなく、葬儀場も決まってない事からその日は通常通り仕事をした。

祖母葬儀は、祖母が亡くなって2日後に行われた。葬式会場に行く際、年の近い兄と一緒に向かう事になったのだが「誰が泣くと思う?俺は泣かないわ」と兄が言った。私は「父さん涙もろいし、泣くんじゃない?」と返した。

葬式家族葬だった。会場には父と4人の兄弟達が揃った。兄弟達全員が揃ったのは、なんと13年ぶりだった。前に父が「家族全員が揃うのは、誰かの葬式だな」とふざけていたが、本当にそうなってしまった。

葬儀が行われる前に、棺に入れる写真を選ぼうという話になった。祖母は沢山のアルバムを残していたのだ。

家族アルバムを黙々とめくった。アルバムの中には、楽しそうに笑う家族の姿があった。父の高校時代写真兄弟の生まれた時の写真旅行した時の写真祖母の部屋に悪戯をした事がバレた時の写真

祖母写真が大好きだった。よく自分を映してほしいと言った。でも、祖母アルバムに残っていたのは、家族写真ばかりだった。

祖母は早くに旦那、私にとっては祖父を亡くしてから、ずっと一緒に暮らしていた。何年も一緒にいたのに、私は祖母が怒った所を一度も見たことがない。いつも「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返す人で、笑顔が可愛らしい人だった。

棺に写真を入れるときに見た祖母は、とても穏やかで美しい顔立ちだった。何故だか生前より若返っているようだった。

お葬式が始まり、お坊さんがお経を唱え時、長女のすすり泣く声が聞こえた。あぁ、長女は泣いたかと思ったら、私の目からも涙がボロボロと零れ落ちて止まらなかった。涙とは無縁の長男も鼻をすすり、泣かないと言っていた兄はぐずぐずに泣いていた。

葬式は穏やかに進行した。火葬され、遺骨が入った包みが父に渡された。父は目を真っ赤にさせ、火葬場の方にお礼を言っていた。父は最後まで泣かなかった。

祖母が亡くなった今になって、私は祖母が大好きだったのだと思い出した。社会人になるまで、腰の曲がった祖母の手を握り、よく駄菓子を買いに行ったのを覚えている。私はずっとお婆ちゃん子だった。

私は祖母が亡くなる1ヶ月前、3年ぶりに祖母とは会っていた。認知が進んだと聞いていたので、私を覚えていないだろうと思ったのに。祖母は私の顔を見て驚いた顔をした。声を出す気力もないのに、手を握り返して。笑わないと聞かされていたのに、にっこりと昔と変わらない笑顔で微笑んでくれた。それが私にとって最後に見た祖母の姿だった。

私たち家族はみんな自由人で、兄弟達も滅多に地元へ集まらない。それでも仕事の合間を縫って一つ返事で13年ぶりに集まり、13年前より穏やかに過ごせたのは、きっと本当にみんな祖母が大好きだったのだろう。

この文章フェイクも含め、仕事理由に、ずっと祖母に会わなかった自分の後悔と、死期が近づいてもなお、孫にとって素敵な祖母であった婆ちゃんへの気持ちを整理する為に書きとめたもの。これを機会に私は転職活動を始めるつもり。

2019-02-14

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2019-02-11

30手前だけど、未だに母親となるべく過ごしたくない

28歳、女、独身一人暮らし

この歳になっても母親と一緒に過ごしたくないし、自分のことを聞かれるのが本当に嫌。

仲が悪かったことがあるとか虐待とか、そういうのは一切ない。

母はとにかく理想が強い(主に学歴)、お金管理を異常にしてくる(高校卒業までATMお金を引き出したことがない)

とかはあった。

もちろん、大学に行かせてもらったことや、一人暮らしさせてもらったこととか感謝はたくさんある。

育ててもらったことに感謝もしている。

周りから母親との関係が良好な普通のこどもとして見られていると思うけど、

何かを母親に聞かれることが本当に嫌(恋人のこととか、誰と仲いいとか、趣味がなんなにかとか)

話を広げたくないから、最近旅行は行ったのかとかそんな話でさえ、行ってないと答える。

母親と3日以上、一緒に過ごすのはきつい。帰省はいつも苦痛

母親にずっと自己開示できない原因がなんなのか、モヤモヤしているし同じよう人はいるんだろうか。

2019-02-08

親にどう対応するか

親に言われて、未だにわだかまっているものが2つある。

一つは高校生うつ病になったときのことだ。一日中部屋にこもり、食事ほとんど取らなかった私に対して父親が部屋へ押しかけて言った。

「みんな一度は死にたいと思うこともあるが頑張って生きているんだ」

私は発狂した。

もう一つは社会人二年目になって帰省し、転職したいと相談したときのことだ。両親は口をそろえた。

「三年は働け。おまえはまだ仕事を分かっていない」

その後の母から届いた手紙には、自分が頻繁に仕事愚痴を言ったせいでおまえに仕事への悪感情を植え付けてしまったと言う謝罪と、仕事愚痴が書いてあった。

私は三年目の終わりに再度うつ病にかかり仕事を辞めた。

悪い人たちではないのだ。年齢にしては進歩的な考えも持っている。ただ、規範大事にする人たちでもあった。

そして、一番の問題子供たちと上手くコミュニケーションが取れていないことだ。

家庭を持って気がついたが、両親との会話はほとんどがどう標準や規範に沿うかに終始して、当事者気持ちや考えは扱われない。

私は高校卒業後早々に家を出て、弟も同様に家を出て音信不通になっているのはそのせいもあるのだろうと今になって思っている。

直近の帰省で、母が余命一年のがんだと知らされた。LINEの連絡先も交換している中で帰省するまでそのようなことを知らせなかったディスコミュニケーションぶりに頭が痛い。家を出たからもう無関係だと思って良いと言うことだろうか。

出来ることはしてやりたいという気持ちはあるが、前述のことを思い出すともう関わりたくないという気持ちもあり、両親の連絡不足がそれに拍車をかけている。

どうしたものか。

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