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2019-01-20

独り立ち

成人式の時や大学卒業式の時に自立を意識した。しか意識するだけの甘ちゃんだった。

今1番大人として自立して生きる必要性を痛感している。

なぜ今感じたのか、それは祖父母介護で疲れている両親の姿を見たからだ。

人が自立するための一番のカンフル剤は、今まで自分を守っていた存在が衰えるのを見ることかもしれない。

高校大学サッカークラブなど私が不自由なくキャリアを選べるように金銭面で準備してくれていた両親。

高校大学私立予備校にも通った。公立高校からストレート国立大学に行った人より1.5〜2倍程度学費がかかってるのではないか

高校選びや大学選びも一緒に考えてくれた。

冷凍食品の時もあったが家に帰れば必ず晩御飯を出してくれた母。

休日サッカー試合のためにほぼ毎週車で送迎し、応援してくれた父。

親は強くていつも子供を助けてくれると思っていた。

親は強いなんて呑気すぎる。びっくりするぐらいの親不孝者だ。

そんな親不孝者が先日帰省をした。両親の白髪がとても増えていた。

衝撃だった。

学生時代から一人暮らしをしている友人たちは既にこんな気持ちがすさむ体験を何度もしているのだろうか。

結婚記念日にに贈ったFire TV Stickも忙しくて使う暇がないらしい。

帰省した時はとにかく会話を盛り上げた。会社なら滑るようなネタ価値観が同じ家族なら盛り上がる。私が話して両親が笑顔になるのならいくらでも話した。今まで隠していた彼女の話した。遠回しに自分が今の生活に不満がない事をアピールした。これ以上両親の悩みを増やしたくなかった。

休日2日間を祖父母介護センターで費やした母は私の食生活を気にしていた。

先程まで自分の両親の介護をして今度は子ども心配をしている。少しは自分の体の心配をしてほしい。

おそらく今でも私が助けを求めたら両親は全力でサポートしてくれるだろう。毎日ご飯を出してくれたように。毎週サッカー応援をしてくれたように。

でもそんな甘ったれた事は言ってられない。

自分で生きなければ。

両親を安心させなければ。

思うままに描き殴ったら900字になってしまった。

この書きなぐった思いもいつか薄れてしま人間記憶構造が恨めしい。

少しでもこの思いを持ち続けるためにここに記す。

2019-01-18

東京から北海道帰省したら家の中めちゃめちゃあったかくて驚いた。

底冷えしないし窓のそばでも隙間風一切無し。布団はタオルケット1枚でも良いぐらい。

風呂場も脱衣所もあったかいのが嬉しい。

夜中トイレ行くときも寒く無い。

やはり東京は高温多湿だから、カラッと涼しい北海道みたいに住居の気密性高めるとカビるのかな。

2019-01-16

飛行機座席けりけりボーイ

里帰り出産のために国内線利用。夜7時過ぎ。

エコノミークラス症候群防止のために、前に座席の無い足を伸ばせる席を取った。

3列シートの右端で、左2席には女子大学生。

真後ろは2〜3歳ぐらいの男の子、真ん中におそらくお母さん、その左側にたぶん4歳ぐらいの女の子通路を挟んだ先の2列に父親と1歳そこらの男の子、だろうか。

実際に後ろを振り返ったわけじゃないので分からないが声からそう判断した。

父親は離陸前からそこそこの声量で子供の話し相手になってる。正直、もうほんの少しだけ声のボリュームを抑えてほしい。

あらかじめカバンに入れてきた耳栓をつけた。風の音機体の揺れる音は全くしない、機内放送ほとんど聞こえないがその父親の声だけは耳栓越しに入ってくる。まあ、無いよりずっとマシだなー。

真後ろの男の子は暇で仕方がないのか座席をめちゃめちゃにガンガン蹴ってくる。

5分ぐらい蹴られていて、となりの母親が気がついてやめなさい!と怒る声が後ろから聞こえる。

が、また5分ぐらいするとまた座席を蹴られる。母親は気づく様子が無い。たぶん、座席を蹴ってるのでは無くてぶらぶらしてる足が当たってるんだろうな。

気分をかえよう…Kindleを開いて読書を始めた。

ガンッガンッガン

あ、ちがうわ…これは蹴ってるわ…。

うーんこれは一言言うべきか言わないべきか。今日早起きしたせいかイライラする。

この間もずっと父親子供と話し続けてる。母親はもう一人の子供の面倒を見てるのか?気づかない。

シートベルト着用サインが消えて、

女の子座席のまわりをうろちょろ歩き出した、男の子がねえなんで歩いてるの?と女の子に聞いて自分シートベルトを外してウロウロし始める。追いかけっこをしてるようで、私と女子大学生が座る前をぴょんぴょん通り過ぎていく。

CAさんが後ろの子供に塗り絵を持ってきてくれた。備え付けのテーブルが引き出され、これで静かになるかな?と思いきや、座席ガンガンテーブルバンバンに変わっただけだった……。むしろさっきよりダイレクトに揺れが伝わって気持ち悪い。助けてほしい、マジで

しばらくして塗り絵に飽きたのか座席ガンガンに戻る。

たのむ〜っ!母親〜っ!注意してくれ〜!!

願いが届いたのか20分ぐらいして母親がやめなさい!やめなさい!いやー本当にごめんなさいって後ろで注意してるのが聞こえた。

謝ってるしいいか…。でもやっぱ5分ぐらいしたらまた座席ガンガンに戻ってた。わろりんぬ大賞。

フライトの一時間半中一時間はずっと蹴られてた。母親が注意したのは2回だけ。

なんなんこの揺れ4DXかなんかなの……。ジュラシックワールド4DXは最高だった。ジュマンジ4DXで観ればよかったぜ。

あと頼むたのむ…やめなさいやめなさいはいいんだけど、何でやめなきゃいけないかもお子さんに伝えて…前の人に迷惑がかかると一言添えてほしい。たのむ。

自分が小さい時は悪い事したら何で駄目か親から教えてもらった気がする…人を指差したらだめでしょ!なんで?失礼だから、って。

自分お絵描き帳かゲームボーイを渡して貰ったらずっと静かに一人で遊んでる子供だった気がする。

遊び道具も無く一時間半座ってるだけってきっと退屈だろうなーーー。たぶん帰省してどっちかの親に顔を見せにいくんだろーなー。

振り向いて、「おばちゃんお腹赤ちゃんが居て赤ちゃんびっくりするから大人しく出来るかな?もうお兄ちゃんだもんね?」ぐらい言いたかったけど言えなかった。

イライラもしたし、もっとどうにかできないの?って思ったけど、これから子どもが産まれたら自分もそっち側になるんだって思うと何も言えなかった。

たぶん今の自分じゃわからない気苦労があるんだろう。

は〜〜んも〜〜どすこいですわ。

2019-01-14

ボヘミアン・ラプソディーが楽しめなかった話

ボヘミアン・ラプソディーを見た。

人知人が軒並み鑑賞して絶賛。

普段音楽にそれほど興味を示していないはずの兄や妹までもが

正月帰省の際に「面白かった」と感想を述べていた。

まりにも色んな人が見に行っているので、

このままではボヘミアン・ラプソディを見ていない人間世界自分ただ一人になるんじゃないかと思ったくらいだ。

それはそれで面白いのでまぁいいかとも思っていたが、

たまたま友人が誘ってくれたため見に行く運びとなった。

友人はこれで4回目の鑑賞だと言う。

最後ライブのシーンでめちゃくちゃ泣いていた。

一方自分はと言うと焦っていた。

横で感動して涙を流している友人がいるというのに、

迫力あってかっこいいなーくらいの感想くらいしかなかったからだ。

自分もびっくりすぐらい浅い。

浅漬けももちょっと浸かってる。

面白かったとは思う。

ただ泣くほど感動したわけではなく、

もう一回映画館で見ようと思えるくらいぞっこんになったわけでもない。

もちろん好みは人それぞれなので、好みでなかったものは仕方ない。

しかったのは、一般的に「良い」と評価されているもの自分特にハマれなかったことだ。

夢中になることができなかった。

それは、自分感受性やそういうものが鈍い、足りないからなのではないかとか思ってしまう。

仲の良い友人と感情を共有できないことを申し訳なく思い、盛り上がれない自分を情けなく思う。

作品は誰かと共有して楽しむためだけに存在するのではないのは分かってる。

それでもできればいろんな作品を楽しめる方が絶対人生楽しいのに、

なんで自分はこんなに間口が狭いんだろうと思ってしまう。

とはいえここまで考えて食べ物好き嫌いみたいな話だなと思ったので、

結局こればっかりはどうしようもない。

好き嫌い時間が立って変化するときもあれば、一生変わらないときもあるのだ。

最近は、なぜか好きになれないもの出会ったとき

なぜそれを好きになれないのかを自分分析するようにしている。

これはこれで嫌いなものについて考えるのであまり愉快ではないエネルギー消費の仕方な気もするが、

自分を納得させるには足る。

作品否定するためではなく、

「この人はこういうところが好きだから面白いと思った」

「私はこういうところが苦手だからまり楽しめなかったと思った」

ただそれだけの事実認識だ。

ただそれだけでも、

つの出来事に対して人によって抱く感情が違うのだから

一本の映画感想なんて違って当然だよな、という気にもなってくる。

この人生ももう少し楽しめるのではないかと思う。

2019-01-13

anond:20190113211402

資金の流れを細かく帰省するならさっさと確定申告自動でやってくれって感じ〜

2019-01-12

身内の問題がこんな鬱陶しいものだとは思わなかったな

妹の婚家は借金ありの、義父は長らく無職、義妹は中学から引きこもり

それでも妹が好きで一緒なるんだし祝福しようとずっと思ってきた

田舎で新居を建てるにあたり、実家の両親は結構な額を援助したらしい

新居には相手方の両親妹も借家を引き払って入ることになった

それでも、妹が好きで一緒に(略)

妹は婚家の不満をしばしば言って来ていた

ある時、妹の新居を増築することになったと母から聞いた

建てた家は台所が狭く不自由からと、LDKをもう一つ追加するような、二世帯住居的な改築だった

事実上旦那の両親と妹夫婦食事はじめ生活を分けるための増築だろう

実家の両親はやはり大きな援助をした

それでも妹が(略)

自分は事を荒立てたくなかったし、仲良くする事で物事も良い方に変わっていくと信じたかった

この年末年始実家に帰った時に妹が言った

「●●さん(旦那)が、大勢帰省する増田たち兄弟家族のために、皆が乗れる大きい車が必要だと言っているんだけど」

田舎で一人1台車を所有する環境で妹宅に既に3台ある

実家の両親も2台ある

この状況でなぜ大きな車に買い換える必要があるのか それも年に1回あるかないかの機会のために

こちらの家のため、とかなんとか言って、うちの両親に金を出させようとしているのは明らかに思えた

うちの両親は共働きサラリーマンだった

貧しくはないだろうが言えば金の出てくる財布ではない

築40年のあちこちガタが来た寒々しい実家でつましく暮らしている

そんな両親に 大きな車が欲しいから買ってくれ、だと

旦那父親は何か高額医療対象病気になり、その保証人必要だと名前を書いたのは半年前だった

そんな状況だったから、車椅子を運べる大型車に というならわからんでもない(とはいえそんな状況もないようだ、普通に義母の車で病院に通っているらしい)

けどだったらそう言うべきだし、そのために金を貸してくれと言えばいい

そう言わずいかにも妻の実家のためだと言い、いい大人が車を買ってもらおうとする

その根性にひどく腹が立った

妹の旦那がこんなバカだとは思わなかった

今後、どう付き合うか頭が痛い

2019-01-10

anond:20190110125233

元増田です。暖かい言葉ありがとうございます

距離可能な限り取り続けてきたのですが、1、2日の帰省でも私の顔を見ることは堪え難いようでした。

今は、絶縁の決意を固めておりますので、2度と会うことはないと思います

青みがかった灰色立方体性的な興奮を抱く

から恋愛感情というものがよくわからず二十代後半になってしまったが、つい最近自分が「青みがかった灰色立方体」に対して恋愛感情性的な興奮を抱くことに気づいた。

去年日曜大工で余った木材で戯れに作った立方体だけど、本当に愛していて、恋心を自覚した時から毎日ポケットに入れて出かけるし寝る時も枕元に置いている。

恥ずかしながら、それを眺めながら自慰をすることもある。

孫の顔が見たい云々と最近帰省すると親がそれとなしに聞いてくるが、立方体を愛しているとは流石に言えない。

でも好きなのは本当だし、このこと墓場まで持って行くつもりだが、それでも愛していることを誰にも言えないのは辛いのでここに書いた。

もし電車立方体を撫でながら座っているサラリーマンを見かけても、そっと応援していてほしい。

2019-01-09

従姉のAさん

私には2歳上のAさんという従姉がいる。私とAさんの血縁関係は少し特殊

Aさんの母親は私の父親の妹(=私の実の叔母)でAさんの父親は私の母親の兄(=私の実の叔父である

即ち、Aさんと私は母方と父方の祖父母が同一なのである

母が父と結婚後に叔母に叔父を紹介したらしい。(自分で書いててややこしいな・・・

母の実家と父の実家電車で40分程度で行き来できたので私の家族とAさんの家族正月帰省した時は

まず母の実家に泊まりに行きその後父の実家に泊まりに行くのが定番であった。

幼い頃は私にとってAさんは「仲のいい親戚のお姉ちゃん」であったが思春期になる頃には「一人の異性」として意識していた。

しかしながらAさんを異性として意識すると同時にある種の後ろめたさというか背徳感というか何とも言えないものを感じていたのも事実である

血縁の濃さを無意識のうちに考えてしまっていたからなのかもしれない。

あれは私が大学一年生の時の正月であった。例年通り母の実家に泊まった後父の実家に泊まったのだが

そこで麻雀に興じていた親戚達からコンビニに行って酒とつまみを買ってくるよう頼まれたのである

寒い夜に外に出たくない私が頼みを引き受けるのを渋っているとAさんが「増田君一人で行くのが嫌なら私も一緒に行くよ」と言い

二人でコンビニに行くことになったのであった。

道すがら私はAさんを意識していること悟られないよう注意しながら他愛ない話をしていたのだが

ふとAさんが冗談で「彼女いるの?いないなら私が立候補ちゃおっかな~」と言った。

私は内心ものすごく慌てながら「冗談はやめてよ~セクハラだよぅ」とわけのわからないことを言いながら自分の動揺がAさんにバレない様願っていた。

結局その後私とAさんは特に何も無く今に至るのだが、あの時もし「わたしは一向にかまわんッッ」と言っていたら(Aさんはバキシリーズが好き)

何かが変わって今頃「血の濃い従姉と一線越えかけた話」を増田投稿していたかもしれない。

そして「一線も何も従姉は結婚できるのだが」とブコメでツッコまれていたかもしれない。

anond:20190109021302

特別切符JR意外と相互乗り入れがある特急に乗れない切符)で仙台通った時に乗り継ぎまでは暇すぎる、しかし駅の中は東京京都とさほど変わりなくひたすら牛タン……そして同じく時間待ちの鉄ちゃん帰省が多すぎるのでドトールに入ったw

地元しか利用しないみたいでほんとに日本かここは!って接客で軽くカルチャーショック受けた。チェーン店渡り歩いて県民性体験するのも面白いかなぁと少し思ったので北海道でもよってみたけど北海道はどこもまあまあそれなり?八王子とか位の接客でした(辿った経路上でそこから宇都宮までチェーン店などない!みたいな田舎検証はできなかったけど、多分面白いと思う)

2019-01-08

パートを辞めさせる代わりに

週1回の営みを死守してもらうと、夜の営みの外注費用がうく。

パートで稼いでる額がどれくらいかしらないけど、月に2,3回の外注費用交通費こみ)を考えると、実は「トントン」なのではないか

3大都市圏住みじゃないので、高速バスだか特急で出向いていかねばそれ系の遊びもできない


現在週1ってのはベストエフォートで実際は帰省だの生理だので、達成できることは滅多ない。例えば月1なんて増田的には「ほとんどセックスレス」だ。妻の性格を考えたら、パート辞めたら流石に時間をやりくりして週1死守するだろう

ふと思った真冬の日

2019-01-07

anond:20190107130213

大晦日正月は在宅率が高いよな。だから視聴率に期待がかかるし、スポンサーにもありがたい。

家族がいて、実家帰省していた頃は、高校サッカー天皇杯サッカーなんやかんやで観てたよな。。

2019-01-06

「正しい」社会人と会い憂鬱帰省

家賃補助と2ヶ月を超えるボーナスで、当然100万円なんて自由に動かせる。

から車のローンも平気な顔をするし、ガチャ10万使っても笑い話で済む。

まだ独身だったが結婚時間問題だろう。

俺には1つとして無い物だ。

だが大企業勤めの社会人は全体の半数に上るはずだ。

この「普通」の社会人金銭感覚に娯楽道具が支えられているなら、なるほど俺が買えないのは道理であった。

急に気分が沈む

帰省から帰ってきてひとりの感覚が寂しいからか

予定あった日にバイト入ってたのに気付いて自己嫌悪してるから

気分落ち込んでる

なんかこんなことで涙が出てきてしま

というか バイトシフトライングループで連絡し合うルールになってるんだけど

発言するのがこわいから早く慣れないとなぁ

あれ本当やだわ…

快適な実家

準備しなくてもご飯が出てくる。しかも超美味い。

あったかいお風呂に入れる。なんなら庭で採った柚子を浮かべてもいい。

ふかふかのベッドで眠れる。朝も暖かく寝覚めもいい。

実家を去らなければならない心苦しさ、明日から仕事という辛さ、

そして、いつまで帰省ときにこうして甘えていられるのかという不安と、恐怖。

おれは今でも、誰もが年を取ること、自分大人になるということを受け入れられていない。

親に陰口言われて辛い

年末年始帰省したら、隣の部屋で親が自分の陰口を言っていた。

数十分前の自分行為に対して「どうしてあいつはああなんだよ!本当にろくでもない」と親が言っているのが聞こえてきて辛くなってしまった。

なんでそのときに本人に言わないのか。

まともに話しても通じない人なので、陰口をやめてくれと頼んだら鬼のような形相でお前が悪いんじゃねーか!と怒鳴ってくるだろう。

あーあ、今年の年末はどうしよう。

もう帰りたくないけど、何も理由説明せずに帰らないと伝えたらきっと「絶縁だ!!!」って言ってくると思う。

真摯理由説明したら、「あいつはああ言ってるけど本当はこういう理由で帰りたくないんだ」って勝手邪推して誰かに責任転嫁をすると思う。

どうしよう。

2019-01-05

anond:20110104190712

ワイはカイエン乗ってるんやけど

帰省の時SAで隣に止まったワゴンの人に

「うわぁビッグになろう」とか言われたやで

ハンカチ使いたくなったわ

帰省している

実家本棚を見やる。

ここの本を読みふけっていた中学生の私に教えてあげたい。

あなた10年後、ここの本を書いてる人たちと仕事することになってるって。

そこで特にあこがれる文章を書いてる人に目の敵にされて、めちゃくちゃにいじめられてるって。

地獄だけどなんとかやってる。

だけど、功名心に負けるとこんな辛い思いもするよって。

教えてあげておきたい。

現在ストレス一覧

論文の締切、来週にずらした帰省査読の結果待ち、パートナーとの将来、人生プランの構築

2019-01-04

実家帰省すると田舎の家の広さがわかる

8LDKの実家が持ち家でローンも残ってないのに、わざわざ東京の1LDKで毎月15万円も払ってまで働いてる。

頼むから東京でやる必要のない会社田舎事業をやってくれよ、給料低くても実家からうから

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

帰省すると思い出すこと

30年前の中学生だった頃。

ゲーム機を売ったのにそのお金を返さないN田という人間(同級生)。

死ねば良いのに。

2019-01-03

毒親持ち。

6年間の断絶を経て、再婚話を機に少しずつ実家交流を再開して、お正月でしばらく帰省してたんだけどもうほんとに無理。

普通の会話は期待できないし、呪い言葉みたいなとこをずーーっといわれてストレス限界でした。

そのくせ一緒にいたパートナーに「家族そっくりだね」って言われてもう限界まできて泣きながらこれを打っている。

毒親持ちならわかるかもしれないけど、自分が憎んでる家族に似てると言われるほど傷つける言葉はない。

もう結婚はないな。一人で生きていきます

65歳の母とボヘミアン・ラプソディを観に行った

1月2日に、母を映画に連れていった。

私自身初観賞で、帰省はしたがする事はないし口コミはすごいし一応観てみるか程度の心持ちだったが、これほどまで面白いとは。…

母は昔からQUEENが好きだった。

B'zにはまっていた時期もあった。

東海地方の片田舎で生まれ、厳格な父母に育てられ、家を出ることもできず今に至るまで実家に縛りつけられていた母。

そういった閉塞的な気持ちを吹き飛ばすパワーのあるロックが好きだったのかもしれない。…

私が13の時に離婚し、娘息子はみな家を出て、長年飼っていた愛犬も亡くなり、ひとり寂しく暮らしている母に、フレディの生きざまはどう映ったのだろうか。…

映画はとても満足だったようで、帰りの車の中ではカーステでQUEENを流してカラオケ状態だった。

楽しんでもらえてよかった。私も当然楽しかった。

一緒に暮らしているのに会話にならないし(8割くらい話しかけても無視される)

帰省先でお土産買ってきたから食べようと言っても要らないと言われ

後でも食べない?と聞いたら「さあ?」と返ってきた

さあってなんなんだろーなー「あとなら食べるかも」とか「全部要らない」とか言えばいいのに

8月入籍しようかと言われたけどまだしてないし多分もうするつもりもないのだろう

うちは家族仲が良いか正月帰省しないとか会話で無視するとか全然理解できないんだよな…

でも私が帰省してる間に掃除とか洗濯とかやってくれて戻ってきた日のお昼ご飯も作ってくれた(でも話しかけると無視

嫌いならまだよくて多分もう無関心というかこっちになんの興味もないんだろうなぁ

まだ三が日なのに虚しい気持ち自分の部屋でネットしてる

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