はてなキーワード: 帰省とは
就職活動失敗したまま大学卒業して実家でぶらぶらしてた。親には「公務員になる」とは言ったものの殆ど勉強せず小遣い貰いながらソシャゲか快活通いで2年連続筆記落ち。
ニート3年目、25歳になる直前に母親同士が仲良くて部活の後輩だった子から帰省ついでと飲みに誘われた。
「しっかりして下さいよ」とか色々言われてたけど適当に聞き流してて、後輩も暖簾に腕押しなのを見てか話を変えてきた。
俺「ないよ」
後輩「じゃあまだ童貞なんですか?」
俺「そう」
後輩「セックスしてみたいですか?」
俺「できる!したい!」(めっちゃ食い気味だったと思う)
後輩「じゃあ公務員試験受かるかちゃんと正社員になったらセックスしましょう」
と言われた。
後輩は普通に可愛くて、中学時代は自慰行為時の妄想への出演頻度3、4位だった。なんとなく幼少期から知ってる子って感じで実際に付き合いたいとか男女の関係になりたいとかは思ったことなかったが俄然やる気が出た。
その日の帰宅後からめっちゃ勉強して、ハローワークがやってる若者向けの面接対策講座も見つけて通い始めた。自慰もめっちゃした。次の年に県庁所在地の市役所に合格した。
後輩に連絡したら「おめでとうございます!」って言われ、その後に「セックスのこと本気にしてましたか?社会人になるんですから自分で相手探して下さい。私の方が社会人としては先輩なのでご飯くらいは連れてってあげます」という感じの返信が来た。
後日、焼き蟹も食べられる高い焼き肉屋に連れて行ってくれてご馳走してくれたが俺はセックスがしたかったな…。
でもありがとう。
私はレズだ。自分がレズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。
冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。
年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母が心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母の病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。
私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校の運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。
しかし、自分がレズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母がテレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティの特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルのインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性を全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからはバイトを理由に祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。
祖母は古い時代の人間だからそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティに気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体を否定はしない。祖母もまさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。
ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身が気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。
同県内の比較的離れた地域から知人伝で来た案件。概況は以下の通り
流石にもう来ないと思うけど、また見合いオファーが来たら「息子はゲイだ」とか「無精子症で婚約破棄になった」とかガチのウソをつかなければならなくなる。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
私と妹では多分価値観が違うのだ。
飛行機の距離の祖父母の家に帰省した。アラサーの私と妹と、両親の4人。子供は二人とも家は出てるが独身。
帰省したときの自分の役割は、「これ食べたいー!美味しい!ありがとう!!」とはしゃぐのが仕事だと思っている。
我々はもうとっくにアラサーだけれども、祖父母から見たら我々はずっと小さくて可愛かった頃のイメージのままなのだろうから。
あとひとりくらいそういう皆が可愛がるポジションがいたほうが宴会が盛り上がると思うから。
普段の2倍くらい大げさに喜んで食べるし、意識していつもよりちょっとワガママに振る舞って(これ食べたい、とか)お世話されるのが、たまの帰省の仕事だと思っている。
多分妹はそうは思っていなくて、お呼ばれしたときは品行方正に振る舞うべきと思っているのだと思う。帰省したときのわざとらしいおねーちゃんの態度には嫌悪感を持っているのをなんとなく感じる。
とはいえ私はこれが正しいと思ってやっているので、変えるつもりはない。
私の子供でも連れてったらその役割は孫に移るかしら、と思ってるが、もしかしたら私に子供ができようと私に求められる孫ムーブは変わらないのかもしれない。それなら無理に結婚を目指さなくていいかな…
愛知県在住
両親 父75、母70
父がもう数年で死ぬと見越して、生前にいろいろやっておきたいんだけど、
(簡単に言うと大豪邸に住んでてものが超多い屋敷を引き払いたい。そこに同じような家族が親類が住むとも思えず、土地だけ広いから分けて売っちゃいたい)
本件の事案は以下のとおりである。
(1)志村福祉事務所を以下に処分庁というかはともかくとして、処分庁は、受給者に関して、平成30年3月29日に開始決定処分をしたが、精神障害年金は1級であった。
(2)日本年金機構の審査の結果、障害年金は2級になったので、受給者は、処分庁に、その結果をもっていったが、当時の地区担当員であった宮脇は、12か月にわたり、
2級になったのを知りながら1級額で支給していた。(平成30年12月6日~令和元年冬?)
(3) 令和元年冬に受給者が延岡市に一時帰省し、延岡市役所に向けて批判をしていたことから、処分庁は、意図的に誤計上していた12万円の返還をもとめることとし、
宮脇からその旨の電話を入れた。電話の際に受給者から、 俺が延岡で拡声器でやったからだろう、と言われた。
(4) 誤計上額は実際には、 96800円だったが、 2019年1月に受給者が処分庁に持参した、新しく購入したパソコンの18000円について自立更生免除としたため
(5) 本件で処分庁は、会計検査院による実地検査のために確認をしたところ誤計上が判明したと述べているが、嫌がらせであることは明らかである。
法令の定め
自立更生免除とはどんなものか? 生活保護法63条による返還金額が生じた場合でも、極めてせまい範囲だが、個人の自立更生に資する支出に対して免除をするという、大昔に
出来上がった補助的な制度。
本件で処分庁が本件処分を行った時点での総理大臣は安倍晋三であり、本件処分の違法性が高いことは容易に推認できる。
本件を審理する価値 本件の処分庁は極めて悪質であり、実質的には、警察に処理されたものの、支持者対策事業を運営している事務所であり、犯罪性が凶悪で、当該事務所で作成
されている医療ケーススタディなどの公文書にもほとんど何の価値もない。また、本件を東京都知事が裁決するにしても、 その仕事は児戯にすらならず、
何の価値もない。
平成30年6月16日に19歳警官に41歳警官を撃たせるが、佐藤の指示かは分からない。平成30年8月に、任介が再審請求を棄却した後に、お前は許すと言って
渋谷のデリヘルでじゅり(当時37歳)を出させるなど。しかし平成30年9月28日に延岡帰省の際には臭い女を出してきた。令和3年の犯罪は他にも相当数あるが、
令和3年6月のホテルプリンスで尾崎正和を出す。 背後では、国家賠償請求事件が移動していたが、石村智が大分地裁で審理することを決定するなどしていただけで、なんの内容も
なかった。令和3年10月に、裁判長の石村智が電話会議システムで電話をしてきたが、令和4年1月28日に棄却判決。その判決には何も内容がない。
令和4年6月16日に弁護士の松田健太郎が判決確定証明書を請求したが、福岡高裁第2民事部が判断を誤ったため、石村智が、裁判費用を5000円に確定させて請求。
離れて暮らす祖母がいるのだが、ドコモのガラケーの携帯を使っており、3Gのサービスが2026年に終了してしまうため、携帯を買い換えないといけない。
そこでらくらくスマホをメルカリで購入した。3000円くらいで。
初めてのスマホで90近い高齢者が使いこなせるか自信がなかったので、すぐに携帯を交換するのではなく、しばらくはスマホと今のガラケーを併用してもらって、スマホを使いこなせるかを判断して、
使えるようならガラケーの番号をスマホに移す、ダメなら別の選択肢を探そうと思った。
自分の使っているMVMOの回線を追加で契約してそのスマホにsimを入れて、GWに帰省したタイミングで祖母に
「とりあえず使ってみてよ」
と渡してきた。
電話番号が違うので、ひとまず慣れるまでは身内にかける時だけこの電話を使って欲しいと言ってきた。
この時は使い方を教える際などに何度も電話をかける動作をおこなっており、何も問題はなかった。
しかし今日になって、電話がかかってきて、スマホの動作がおかしいと言ってきた。
近くに住む親戚にスマホを見てもらって、それでも原因がわからないので、その親戚が電話してきたのだが、まとめると
・電話が切れないので、相手が出ないとずっと電話をかけ続けている状態になる
話を聞いた当初は、祖母が何か意図せず設定を変えてしまったか、中古なのでセンサーが壊れたか、どちらかだと思っていた。
我々の使っているスマホは、電話をするときに耳元にスマホを持ってくると、画面が自動で消えるようになっている。
なので、このあたりの機能が誤作動しているのかなーと思い調べてみると、このような記事が出てきた
電話をするとスマホの画面が真っ暗のままで何も操作ができない!これって何が原因なの?
https://andoroid-repair.com/blogs/cat04/46310.html]
この記事によると、近接センサーがスマホの画面に搭載されており、このセンサーが反応すると、画面が消え、耳に当てている時のタップ動作を止めてくれるようだ。
このセンサーが故障、誤作動すると、電話をかけるだけで文鎮状態になるというのは納得できる。
ということで、ラインで、「近接センサーが怪しいから、掃除してみてよ」とメッセージを送ったところ、すぐに電話がかかってきた。
話を聞くと、祖母はスマホの上部に、自分の電話番号を紙に書いてテープで貼り付けていたそうだ。
この紙が近接センサーを塞ぎ、電話をすると操作不能な状態になっていたようだ。
まさかスマホにそんなことをするなんて思ってもみなかったので、原因が分かった時は笑ってしまった。
普段使う電話番号とは違う、暫定的な番号なので、人に伝える際に困るからテープで貼っておくということが、スマホを使いこなしている我々には想像できなかったし
スマホ上部にテープを貼るとスマホが文鎮になる、ということも想像できなかった。
工学部だったのでフールプルーフの概念は勉強していたが、本当に利用者は設計者が意図しない使い方をしてしまうものなんだなぁとしみじみと思ったわ
CDを数枚出したり、ソロ活動もしていたが大きな収入には繋がらず、楽器の購入費や交際費といった言い訳で気が付けば3社から150万円借りていた。
当時付き合っていた彼女と結婚する為には安定を求める必要があったので、30歳で就職し働き始めた。バンド活動は継続したまま。余談だが昔と違い今のバンドマンは結構売れている人でもサラリーマンをしている。
今までとは比べ物にならない収入の中で、コツコツ借金を返していたが、どうにもこうにも減らなかったのでおまとめローンに変更。それでも辛かったので、過払い金請求と債務整理で方をつけた。弁護士費用を差し引いても20万円程手元に残った。
その時35歳。元々クレジットカードを持っていなかったし、借金のこともあるので持つつもりもなかったが、転勤で九州方面に引っ越すことになり、ガソリン代の支払いの為カードを持つ必要がでてきた。
都度妻(無事結婚できた)にガソリン代をもらうのはお互い面倒だったので、渋々楽天カードを申し込んだ。しかし5年経っていないので落ちるだろうと思っていたが、審査が通り銀色のクレジットカードが届いた。
(債務整理者は5年作れないと聞いていたが、もしかしたら自分の記憶違いで、もっと早くに債務整理していたのかもしれない)
半年後はポイントの還元が良いゴールドカードにしてみたら、この審査も通った。
翌年。帰省の為飛行機に年2回は必ず乗るので、マイルが貯まるカードにしようとJALカードを申し込んでみたが、審査に落ちた。基準は分からない。
マイルを諦めきれない私はAIRDOカードを申し込んだ。結果は〇。かわいいベアドゥがプリントされたカードが届いた。
それから1年。AIRDOのマイル還元率に嫌気がさした私は再びJALカードの門を叩いた。
だめもとだったが拍子抜けする程あっさり審査に通り、JALカードが発行された。
母は父とは何十年も昔に別れて、女手ひとつで私たちを育ててくれた。私も弟も今は自立してそれぞれ都会で働いている。(小さい頃から両親の地獄のような夫婦生活を目の当たりにしていた為か私も弟も30を超えたのに結婚のけの字もない。母も話題にしない。楽だ。)
母は資格とか取って最近やっと正社員になれた。小さな会社の事務職だ。
社長がこれまでの母の人生に同情したのと男社会で紅一点の母が歳の割に華があるのが幸いしたのか、かなり良い額の年収を得ているらしい。
コロナで暫く帰れていなかったので先日GWを機に帰省したら、最後に帰省した時にあったハイブランドのバッグが1個から6個に増えていた。
え?
ハイブランドバッグは1個あたり大体20〜40万の世界だ。3年で200万近く使ってるってこと!?
しかも漁ってみれば出るわ出るわハイブランドの指輪、ネックレス、ピアス、ブレスレット、香水……
都会で働いている私よりよっぽど人生とオシャレを楽しんでいる。心に余裕があるのか、帰省した娘に服を買い与えて手料理も振る舞ってくれる。羨ましすぎて吐きそう。
相当悲壮な顔をしていたのか、母は「お母さんが死んだら増田が使ってね」と言って笑っていた。
母にはもう死が見えていて、きっと今が人生の中で1番楽しいのだろうと思った。
今まで沢山我慢していた分、自分の好きなハイブランドバッグを買い漁って欲しい。
その時買ってあげられるかは、わかんないけど。
仕事頑張るよ。
だが、おしなべて「コロナじゃないんだけどちょっとキツめの風邪で…」と言うのが気味悪い仕草になるんだろう。
警戒を続ける人はこれから暑くなるにつれ激減してマスクをしていると気狂いみたいな目で見られるようになる。
その癖『謎の風邪』の症状がおさまっても変な咳が続いたりメンタル不安定になったりポンコツ化した連中の尻拭いをさせられる事になりそうだ。
その間、葬式の数がやたら増えるし、あんな元気だった部課長が急死したのは過労死だろうなんて噂話も絶えないだろうけどな。
そして夏休みはいよいよ本格的に日常が戻ってきた!昨年までピンピンしていた両親の初盆もあるし帰省に旅行に大忙しだ。
これまでの反動や国を挙げたプロパガンダも奏功してインバウンドも含めた夏季休暇の経済効果は過去最高を更新!
はぁ?何今もマスクなんかしているんだといよいよ気狂い扱いだ。
だが異変が起こるのは夏の終わり頃。
え?おじいちゃんじゃなくて?
あれ?なんかまた風邪ひいたみたいだ。
季節の変わり目だしな。
0570ではじまる高いダイヤルだ。
どうも体が辛すぎる。
仕方なくかけてもしばらくお待ちくださいで10分間。繋がらない。1000円無駄にした。
せめて薬局で解熱剤を…。
なんとか帰宅してとにかく寝る事にする。
妻も子供達も寝ているようだ。
テレビのワイドショーでは最近は孤独死だけでなく家族死が増えてきていると特集している。
家族間でもコミュニケーションが不足しているので、もっと家族での会話の時間を増やしましょうと頭の悪い事をFラン大学の長ったらしい学科の教授がしたり顔で話している。
ネットでは深刻な症状をもたらす変異種の流行を警告する声もあったが、この頃にはすっかり電波カルト扱いで無視される存在になっている。
秋も深まり、まだ夜も明けない内に家を出る。
一般家庭には電気が夜間しか供給されないから出勤せざるを得ないのだ。
ただ、そんなダイヤでも満員になる事は無い。
職場に着くが、通常5人必要なのにワンオペになってもう何日?何週間?
だが、今日で終わりだ。
やっとか。
ここまでならないと動けないんだな。
そりゃあこの国は没落するはずだ。
内容はおおよそわかっているが、78年前より酷そうだ。
まもなく本格的な冬がやってくる。
この冬は寒くなると言ってたな。
毎年お盆などの長期休みシーズンに嫌々実家、義実家へ帰省しては愚痴を書き散らしている人がたくさんいるけど、結果分かってるのにどうしても帰らなきゃいけないもんなの?
増田は未婚だし実家住みだから経験が無く、見かけるたびにてきとうに理由つけて帰んなきゃ良いじゃんとしか思わないんだが、まぁ帰らなきゃならんのだろうな、大変だ………
十年以上口も聞いてくれない妹がいるので帰省するのがこわい、という話。
妹と最後に会話が成立したのは、十数年前に妹が「行きたい大学を探すために上京してドミトリーに住みながらバイトする」と言い、その資金として家の物品をハードオフに持ち込もうとするのを止めるため言い争ったときだと思う。妹は感情的であり行動力があるので、時折そんな無茶をしては両親や増田が止めていた。
増田が帰省していると、妹は食卓にも来なくなったり部屋に引きこもったりするので、本人にも親にも申し訳なくて、「たまには顔を見せて」という親の気持ちと板挟みになるのがつらく、このGWも帰省して同じ辛さを味わってきた。
以前、増田が帰省時に体調を崩したとき(結果的に陰性だったが)増田のことを犯罪者・人殺し扱いして呼んだり、「3人(※父母妹)の命が大事だから」とあえて家族LINEに書くくらいには嫌われている。そういう過激なことをするたびに父母は心を痛めるのだが、「両親を悲しませたのはお前のせいだ」として怒りが増田に向くのでたまったものではない。
元から癇癪持ちの人で、理屈より自分の感情を優先する人間なので、反論をすると暴れるか引きこもるので、大人としての話し合いができない。
挨拶をしても無視されたり、舌打ちされたり、あるいは一方的に「お待ちが帰ってくると食費がかかるから早くでていけばいいのに」ということを空に向かって言う。反論すると結果的に親が悲しむだけなので、無視するしかない。最近は、同じ屋根の下にいるだけで身体が震えるくらい恐ろしい。三十を過ぎた大人がである。
十年以上口も聞いてくれない妹がいるので帰省するのがこわい、という話。
妹と最後に会話が成立したのは、十数年前に妹が「行きたい大学を探すために上京してドミトリーに住みながらバイトする」と言い、その資金として家の物品をハードオフに持ち込もうとするのを止めるため言い争ったときだと思う。妹は感情的であり行動力があるので、時折そんな無茶をしては両親や増田が止めていた。
増田が帰省していると、妹は食卓にも来なくなったり部屋に引きこもったりするので、本人にも親にも申し訳なくて、「たまには顔を見せて」という親の気持ちと板挟みになるのがつらく、このGWも帰省して同じ辛さを味わってきた。
以前、増田が帰省時に体調を崩したとき(結果的に陰性だったが)増田のことを犯罪者・人殺し扱いして呼んだり、「3人(※父母妹)の命が大事だから」とあえて家族LINEに書くくらいには嫌われている。そういう過激なことをするたびに父母は心を痛めるのだが、「両親を悲しませたのはお前のせいだ」として怒りが増田に向くのでたまったものではない。
元から癇癪持ちの人で、理屈より自分の感情を優先する人間なので、反論をすると暴れるか引きこもるので、大人としての話し合いができない。
挨拶をしても無視されたり、舌打ちされたり、あるいは一方的に「お待ちが帰ってくると食費がかかるから早くでていけばいいのに」ということを空に向かって言う。反論すると結果的に親が悲しむだけなので、無視するしかない。最近は、同じ屋根の下にいるだけで身体が震えるくらい恐ろしい。三十を過ぎた大人がである。
出張で三月の終わりに長崎へ行った。二日間の出張で初日に仕事を終わらせ、二日目は自由時間だった。二日目のその日は朝八時頃にホテルのチェックアウトを済ませ外に出た。
コンビニでチュロッキーとコーヒーを買った。コンビニで売っているものは、食べるとうんざりさせられるようなものばかりだけれど、チュロッキーだけは例外だ。港の公園まで十分くらい歩いただけだったけど、もう何日も食べていないみたいにお腹が空いきて、少し気分が悪くなっていた。折角の日を体調悪いままで過ごすことになるんじゃないかと心配したくらいだった。
海辺のベンチに腰をおろし、波だとか、船着き場の船を眺めながらチュロッキーとコーヒーを味わっているうちに、体が温まってきて、だんだん良い気分になってきた。その瞬間、今日は完璧な一日になるってことが、たちまちにわかったんだ。たまにそういうことってあるじゃない。今日がそういう日だったんだな。
港近くの長崎県立美術館に立ち寄った。ちょうど猫の写真展がやっていたからね。でも、「子猫の写真展」ていうタイトルには少し不安になったな。猫のことはとても好きなんだけど、子猫の写真だけは嫌いなんだ。全体的に明るい画面で、ぼやけた背景につぶらな瞳の子猫が不安げな表情を浮かべている写真なんていうのは見ているとイライラしちゃうんだ。でも、そんな不安は展示を見たらあっというまに吹き飛んだよ。そんなイライラするような写真は一切なくて、すごく楽しめたな。特に気に入ったのは、コーヒー農家で暮らす人と猫の写真だな。カゴの中で白い猫が寝ていて、その上にどっさりと赤いコーヒーの実が乗っているんだ。猫は埋められて顔だけ覗いているんだが、その寝顔の穏やかさといったらなかったな。でも、実際僕の心を捉えたのは、猫ではなく人だった。そのカゴにさらにコーヒーの実を盛ろうとしている人の手だ。手だけが写っているんだが、指は太く、表面は木のように真っ黒であちこちひび割れている。その硬そうな手がコーヒーの実を盛った後、猫の白く柔らかい毛を撫でるところを想像したんだ。撫でている写真ではなかったのだけど、そういう光景が浮かんだんだ。すると、なんだか泣きそうになったんだ。これには本当、驚いちゃったな。
美術館には屋上庭園があった。平日の昼前だし、人は僕だけだった。空港に向かうにはまだ時間があったし、美術館の展示にはもう満足していたから、ベンチに座って持ってきた本を読むことにしたんだ。短編集で、適当に読んだ話が大当たりだった。男が一人でキャンプに出かけるだけの話だったのだけど、すごい感じがよかったな。それを読んで、家に帰ったらアウトドア用の軽くて小さな持ち運びのできる椅子を買って、近くの公園にでも行こうと決めた。
小説を読み終わった時、ふと、僕はこの屋上庭園が素晴らしい場所だと気がついた。よく晴れていて、そこらには暖められた芝生の香りが漂っていた。目の前には港があり、あたりは山に囲まれている。山沿いに街が拓かれている。
僕はそこから見える長崎の町並みを写真に撮った。そういった景色をアキに見せたら喜ぶと思ったからだ。アキっていうのは僕の妻で、東海道新幹線に乗って関東の実家に帰省するたびに、熱海の建物が坂道に沿って連なっている様子がすごい好きだって言うんだ。だからきっと、長崎のこの景色も気に入ると思ってね。
しかし、長崎の港の景色っていうのは僕、すっかり気に入っちゃったな。遠くに冗談みたいな大きさのクレーンが見えるんだ。僕が見たときは、何も吊るしては居なかったけれど、あれが動いて、船のタービンやらなにやら、バカでかいものを吊るして動いているところを想像したら、すごい興奮したな。
ベンチから立ち上がり、両手を天に突き出し思い切り伸びをした。体中をピリピリとした心地よさが駆け巡る。その時、どこからか教会の鐘の音が聞こえた。びっくりしたよ。すべてが僕の気分を良くするために動いているような感じがした。僕は教会の鐘の音を生まれて初めて聞いたんだけど、あんなに気分が良くなるものだとは知らなかった。僕は長崎という街が本当に気に入っちゃったな。
美術館を後にして長崎空港に向かった。そこで同期入社の女の子に会ったんだ。僕は彼女のことが好きで、度々連絡をしていたんだ。とてもかわいい子なんだ。今回出張が決まったときにそういえば彼女の地元が長崎であることを思い出して、出張で行くと連絡したら、彼女もちょうど休職中で長崎にいるということだったので、会うことになっていたんだ。
休職していたのは「本当に、先輩がサイアクで」というのが理由らしい。どうも、彼女は嫌がっているのにその先輩がしつこく言い寄ってくるらしい。
「復職するには元いた部署で一定期間ちゃんと働けることを示さないとだめなんだって。でもそれって、人間関係が原因で休職している人に対しておかしいと思わない? 別の部署に移してくれるなら、今にでも復職するのに」と話した。僕はそれはおかしいし、何かが間違っているよといった。
カウンセラーの人に心身に良いから、散歩を心がけるように言われているらしい。一日八千歩歩けるようになることが復職の目安だが、どうしても家でゴロゴロしてしまうので難しい。よしんば歩けるようになったとしても、例の先輩が居る今の部署で働くのは嫌なので、転職をしようか悩んでいると話していた。
飛行機に乗り、伊丹空港から長時間バスに揺られて京都駅についた頃には、耳の少し上のあたりが痛み、お腹がふわふわするような不快感に苛まれていた。京都駅のミスタードーナツでオールドファッションとホットコーヒーを頼んで、京都駅の展望台に向かった。そこからはプラットフォーム全体が一望できる。僕お気に入りの場所だ。電車が行き来して、人が電車から吐き出されたり吸い込まれたりしている様子がよく見える。別々のホームのアナウンスが混じって日本語のようで日本語でないような音声になったのが聞こえる。そうした場所にいると落ち着くんだ。すっかり日が沈んでいて、駅の周りだけがスポットライトをあてられたように明るかった。東の山科方面には暗黒が佇んでいて、新幹線がそちらに吸い込まれて見えなくなった。
僕は彼女と交わした会話について帰りの飛行機からずっと考えていた。オールドファッションを食べているうちにようやく考えがまとまった。僕は自信を失ったんだと思った。僕は彼女の話を聞いている間、つらいね、だとか、おかしいね、とかしか言えなかったのだけど、なんとか元気づけさせるような言葉を言ってやりたかったんだ。でも、変に何を言っても、彼女をバカにすることにしかならないんじゃないかって気分になったんだ。僕の言ってること、伝わるかな。
この世には、会社に死ぬほど嫌な先輩が居ても、そこで働いて’ちゃんと’できることを証明しなくてはならず、そのための訓練として一日八千歩歩くことを指示されている人間がいることを思った。
家に帰ったら、アキが迎えてくれた。「どうしたの、ひどく疲れちゃった顔をしているわね。かわいそうに」と言ってたが、全くそのとおりだったな。あれだけやりたいと思っていたキャンプだとかは、もう馬鹿げたことのようにしか思えなくなっていた。部屋に戻って長崎の写真を見返すと、どれもこれも大したことのない写真にしか見えなくて、すごい驚いたな。
帰省しなくなった
父は自分に都合が悪いことや間違いを指摘するたびに「気分を害した」と不機嫌になったり、あとで謝りにいくと「終わった話を蒸し返すな」と怒鳴ったりする。放置していると反省の意がないということで不機嫌が続く。
下のきょうだいは、家族とは仲が良いのに、私に対しては虚空に向かって話しかける体でしか会話をしてくれず、直接話しかけようとすると舌打ちしたり激昂したりする。
どちらとも、次の日には何もなかったかのように過ごしていて、話を戻そうとするとやはり怒り出す。
祖母や母とは普通にコミュニケーションが取れるし、彼女ら曰わく、私がいない日常でも同じようなことをしているから気にするなという。
増田は社会人になって十年近く経つが、実家に帰る度に怒鳴られてばかりで、どれだけまともな社会人のふりをしていても根底ではダメな人間なのではないかという疑念に囚われている。その原因である二人とコミュニケーションを取り、自信を取り戻したいと思っていた。
丸善博多店で本を買った後、博多駅近くで混んでなさそうな昼食として、バスセンターにあるスパゲッティーのパンチョに行った
主なメニューがナポリタンのチェーン店で、牛丼屋みたいな一人席スタイルだ
他のメニューもあるが、基本的にナポリタンの量とその上に何を乗せるかを選ぶスタイルなので、すき屋の牛丼がナポリタンになったような店というのがわかりやすいかもしれない
ナポリタンが単純に好きなのと、お客の回転が早く、全く混んでいる印象がないので、GWでもたぶん大丈夫だろうと判断したわけだ
まあ案の定混んでいたわけだが、同じ階にある他の店よりはマシだった
いつもは女性客も多く、牛丼屋とは客層が少し違うなと思うのだけど、今日は僕も含めておっさんばかりだった
楕円上の一人席が左右の透明な板で仕切られているのだけど、僕の向かいの辺はすべておっさんだった
オムナポリタンを食べていて思ったのだけど、牛丼と違って、熱々でかつ、フォークで食う麺料理なので食うのにわりと時間がかかるなと気づいた
口の中の暑さを紛らわすために、お冷を呑む一瞬、向かいの辺の人たちの食べ方が見えた
スマホを片手にゆっくり食べる人、一口食べて一口お冷を呑む人、たまに汗をおしぼりで拭う人、味変のためにタバスコに手を伸ばす人
牛丼屋と比べて、回転が少し遅く、一蘭とは違い前の敷居が無いから、知らん人の食い方が長時間対面で観察できて変な体験だなと思った
並んで食っているのがみんなおっさんなので、全員が食欲旺盛だった場合の最後の晩餐みたいな構図だなとか考えながら食った
今日の発見としては、パンチョはナポリタンが主体だからだと思うが、カルボナーラを『白ナポ』と言う名前でメニューに載せているのが意味わからなさすぎてちょっと好きだと思った