はてなキーワード: 標準語とは
若者言葉が数年経つとよくわからない変化をすることってあるよね
増田が中学生の頃「言ってないし」「見てないし」「やってないし」と言うと
先生や親に「◯◯しの後は文章が続かないといけない。途中で止めるな」と注意されてたんだけど
普通の言い方だと思ってた
(ついでに書くと「お前らはなんで教科書読む時は標準語になるんだ」とも言われてた。なぜ変わるのかもなぜおかしいのかもわからなかった。)
今度は「見んなし」「言うなし」「すんなし」という表現が当時の中高生から出てきた
これには増田もなんでそこに”し”をつけるんだ??と理解不能だった
いまワンチャンが「またとないチャンス」「頑張ったらいけるかも」のようなポジティブ表現だけじゃなく
ハンーッス
本日は国際子どもの本の日、世界自閉症啓発デー、日本においては図書館開設記念日、週刊誌の日、歯列矯正の日、シャンプーの日となっております。
本の中の表現と現実での表現に違いが発生してちょっとしんどくなることもありますが
まぁそこはあえてそんなもんだよなぁと思いながら受け入れて、こういう表現もある、と思っておけばなんだかんだ受け入れられそうな気がします。
受け手側がどう考えるかを思案した上で表現をしていくのが大事なのかもしれません。
まぁ一番参考になる感想は自分自身の感情ですね、何とも思ってないを冷静に分析するのも面白いかもしれません。
ということで本日は【受け取り方よいか】でいきたいと思います。
受け取り方よいか!受け取り方ヨシ!
京都での話。自分の地域だけなので他の地域や他都道府県は分からない。
3歳になる娘が京都弁ではなく、標準語訛りの日本語を使う。両親・同居の祖父母皆京都産まれ京都育ちにも関わらず。日中は交代で誰か大人1人が面倒を見ていたのもあり恐らく日本語を聞く量がTV>同居家族となってしまっていた為。
そのうち大きくなれば標準語も消えると気楽に考えていたんだが、保育園に通い出してからそれが著しく顕著になり始めた。
どうも他の御家庭も一人っ子で標準語気味だったのが保育園で一同集結した結果標準語しかない世界となり強化された模様。めちゃくちゃネイティブに標準語を使うし、一文字の単語の母音を重ねるなんて事も一切しない。(目→めえ・手→てえなど)
恐らく東北の方はもっと前から標準語の侵食があってこんな事今更と思われるかもしれないが標準語とほぼ変わりのないメジャー所の関西弁がこんな一気に消失するとは思いもよらなかったので書く事にした。
一体何年前からこの傾向にあるんだろうか。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
大体はなんか怒ってるか相手を馬鹿にしてるみたいな喋り方になりがち。
それでも本人の性格が柔らかければそういう喋り方なんだなって分かるけど、偏屈な人がそれやると誰に対しても喧嘩腰で来るヤクザみたいな印象しかない。
知り合い同士だったらそれでも理解してもらえるんだろうけど、そうじゃないとかなり悪い印象がある。
結局のところ、「標準語がちゃんと喋れている」と思っているのは本人だけ。
だって今の時代ってテレビの影響で日本のどこに行っても標準語を普通に喋れる人ばかりで、標準語の平均的な完成度が上がっているんだもの。
そこでごく一部の人間だけが変な発声の仕方で標準語を使ったらそれは「標準語に慣れてない」ではなくなて「その発声に意味がある≒馬鹿にしてるか怒っている」って捉えられても仕方がないよ。
無理しないで方言使って喋ればいいよ。
あーでも……それやると「標準語を無理に使わされたことに対して苛ついている」って受け取られそうだね。
大変だね。
でも皆は出来ているのに自分だけ出来てないのにはやっぱ理由、努力不足があると思うから頑張ってね。
試しに録音したものを聞いて他の人と比べてみるといいと思うよ。
初めて異国語同士でコミュニケーションを取った人らがどうやったのか、不思議でならない。
まさかボディーランゲージとかを駆使して言葉と意味を擦り合わせてた訳でもないだろうし。出川にそれをやらせる番組があったけど、無理だろそんなの。テレビじゃあるまいし。
日本に宣教師が来た時とかどうしてたんやろ。それ以前に中国や朝鮮ともやり取りしてたし。
宣教師なんかは下調べの上で来てただろうから、中国経由とかで日本語を覚えてたりしたんだろうか。じゃあ中国語はどう覚えたんだって話だけど。中東経由で中国語を、近隣国経由で中東の言葉を……みたいな感じなのかな。
今ほどグローバルじゃないから、近い土地同士なら言葉も近かったんだったんだろうか。例えるなら日本語の方言同士で(といっても明治の標準語制定以前程度にはバラバラな感じの)、何となくの雰囲気や拾える単語と文脈を照合したりして、少しずつ対訳をまとめる感じ?
そもそもコミュニティ内で言語が発生したのも、分化して改めて双方向的に翻訳できるようになったのも、具体的な方法論を考えると不思議だ。
関西弁はその他の地域の人間からすると、(関西弁と一言で言っても細かい地域性の違いがあるらしいのだが)自分は話さないのになぜかざっくりと理解できる謎方言でキャラ付けに最適。
あかーんって言われてそれがなんなのか理解できるのはテレビやら小説やら漫画やらにやたらと出てきて刷り込まれているせいだと思うんだけど、それを異世界転移または転生させたとして、伝わるのか?
翻訳魔法万能説か、はたまた似たような立場の訛りとして置き換えられているのか、もはや一切伝わらないのか。
訛りとして捉えられる場合、翻訳した結果だとすれば翻訳魔法は標準語を基準としていることになるがどういう理屈で日本語を設定されているのか。そもそも異世界言語が日本語であるとか?
色んな時代の古文を読んでみればわかるけど、古い時代にはかなりのスピードで読みや語彙が変遷していることがわかる
古事記や日本書紀の記述では、もはや日本語として解読できない単語もある
(古代朝鮮語やアイヌ語などからの借用語、外来語の可能性もあるけど、それも含めて古代日本語ということもできる)
一方で江戸期以降では地域差はあるものの音韻変化は比較的緩やかになる
当然だけど文字がない時代というのは純粋に音声情報が言語そのものになるので、その文化圏内で意思疎通を図る上では音韻変化が起こっても特に問題視されない
ここに文字が導入されると事情が変わって、文字と音声の双方が規定しあいながら言語を定義するので音韻変化は緩やかになる
それでも音韻変化が引き続き発生するのは口語表現や商環境でのスラングが一般化するからだけど、これも識字率と教育が普及することでさらに変化が緩やかになる(つまり、「正しい読みはこう」「これが伝統的な読み方ですよ」という情報が出回るから)
要するに「正しい読み」というのは本邦ではほぼ近世以降にしか存在していない
もっと言えば明治期に制定された「標準語」に照らし合わせるしかない
だけど、明治時代の小説なんか読んだら俺たちにはほぼ古文に見えるよな
「正しい言葉遣いを」なんて言ってる奴らも同じだと思う
本当に伝統を重視するなら母音を7つにしなきゃいけないし、その時期の東北では別系統の言語が話されていた可能性もあるから東北民は古代東国語とかアイヌ語話せってことになってしまう
つまり通じるならなんでもいい
という名のただの各話感想。
放送前は円盤を買う気満々だったが、放送を迎え無事失望。原作ファンとして手の平を返さざるを得なくなり、MAPPA、プロデューサーおよび監督に消極的NOを表明するために控えることにした。
また、直販特典の収納BOXのデザインが自称映画マニアの高校生がドヤ顔で作ったようなイタいパロディイラストだったのも失望の一因となった。この特級呪物が監督自身のアイデア(本人Twitterより)だというのだから、まったく救いがない。
正直なところ、押さて欲しいところさえ押さえてくれれば、たとえフルCGでも買っていた。しかし結果は数々のマイナス点を作画がんばり賞で補填してやっと70点のアニメという印象で、これに全ツッパしたMAPPA正気かと嘆く他ない。
というわけで以下。
山下清悟監督。本編とは監督が違うことを強調したい。今すぐ催眠術にかかって、OPアニメが本編だと信じ込みたい。縦横無尽に動き回るデンジ、壁の穴がCSMになっている遊び、外連味……見たかったのはオシャンなシネマじゃなかったことを毎話思い出させてくれる。そして米津、ただ、ありがとう。
1話 映画風エンドロールがかっこいい。映画風演出で一番ハマってたの1話のEDじゃないかな。
2話 微妙。
3話 毎週これにしろ。
4話 アニメは『テレキャスタービーボーイ』と同じ人らしい。好みの曲ではないが癖になる。フルMVはチェンソーマンとは無関係のストーリー仕立てのアニメで、そっちも面白かった。
5話 好みじゃなかった。
6話 印象に残らない。集英社公式がコミックス発売記念に出していたMADの方がマシ。
7話 EDでまでゲロキスを擦るのはスベッている。あれは一発きりだからこそパンチ力があるんだよ。一回ウケたら図に乗って同じことを何回も言うおもんない奴のようなイタさがあった。
8話 おしゃれダークっぽい雰囲気。好みではなかった。
9話 おしゃれダークっぽい雰囲気。好みではなかった。
10話 なんとなくNARUTOのED『スピード』を思い出す。あれ好きなんだよな。
12話 安定。
結論 毎週変わると全曲の印象がぼやけて何も残らない。やはりEDは一定期間固定するのがベストだ。