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はてなキーワード: 教育学部とは

2019-04-30

anond:20190430082056

それ言ったら国立によくある教育学部付属なんとか中学校入った生徒がみんな教育学部に進学するわけじゃないのと同じじゃね?

2019-04-23

[]教育学部入試問題(R1)

問13 次のうち、中学校倫理副読本として最もふさわしいものを選びなさい。

またそれを選んだ理由も述べよ。(30点)

A)聖書

B)コーラン

C)太陽の法

D)論語

E)BINGOBONGO

2019-04-21

この人たちは大家族で助け合って子供を産み育てるべきだった

田舎で親戚の兄ちゃんや近所の幼馴染の姉ちゃんが相変わらずバイトみたいな仕事続けて結婚もできずに歳だけ重ねてるのを見聞きする度に凹んでしまう。

例によって就職氷河期世代で、地元無名大学出た後に就職先が無くてバイトの延長で飲食店就職したり、新卒で入った不動産会社で潰されて教育学部に入りなおして正規教員採用を目指して非常勤講師を続けたけど結局採用されず、といった経歴の人たちなんだけど。

この人たちの職業キャリアダメになった理由は国のマクロ経済政策の失敗や企業地方自治体採用抑制といった本人たちの努力ではどうにもならない流れのせいではあるんだろう。

でも、結婚して子供を持つぐらいならなんとかなったんじゃないか障害があって働けないってわけじゃないんだから自分結婚相手の両親に頭を下げて子育て必要金銭労働力支援してもらえば、田舎非正規共働きでも少なくとも子供は持てたんじゃないか、と残念でならない。自分子供の頃に尊敬していた年上の友人たちの悲惨な現状を思うと。

いや、当人たちを責めるような書き方をしたけど、本当は親たちが助けてやるべきだったんだと思ってる。

ちゃん雇われ店長に昇進してすぐに激務で体を壊した時、姉ちゃんが30過ぎても採用試験に受からなかった時、子供キャリア暗礁に乗り上げつつあるのは明らかだったんだから、親たちが動いてもっとマシな仕事結婚相手を探してやるべきだった。

親たちだって、紹介されて就職して、地縁血縁自営業して、嫁は親戚が話を持ってきた見合いかほぼ会社相手を宛がってやったような職場結婚だったりだったんだから

自分たちが若い頃に上の世代に面倒見てもらったように何で我が子に仕事結婚相手を探してやらなかったんだと正直怒りを感じる。

(さもなければ、俺自身の親のように田舎未来は無いからお前は大阪東京大学に進学してそこで就職しろと小学生の時から教えて教育投資してやるべきだった)

このGW帰省で良いニュースが聞きたい。

2019-03-18

「安定」を求めて医療学部に行くのは間違い

国公立大学合格発表も終わり、進路が決まった人、残念な結果になってしま来年への決意を決める人、色々あると思う。

そんな中で自分の失敗談から、同じような目に会う人が少なくなるようにここに書き残したいことがある。

 「安定」を求めて医療学部に行くな

タイトルそのままである。行くな、というと語弊があるが、こんな人はいかない方が良いと思いますよーということを言いたい。ちなみに私は医者ではなくコメディカルなので医学科のことはわかりません。そこはよろしく頼みます

医療=安定、これは多くの人が思っているだろう。ある側面では、これは間違いではない。文系就活に比べ遥かに倍率が低く、就職率は100%だし、ほぼ正社員で、公立病院なら公務員である給料が極端に安いとかは少ない。 

ここまでだとやっぱり安定してるじゃないか、と思うだろう。しかしこれは、

「4年(ないし3、6年)の間、しっかり勉学に打ち込み、コメディカルになりたい!という思いを持ち続け、最終的に国家試験合格した」人だけがたどり着くゴールである

1つずつ解説していく。

勉強と実習がめちゃくちゃ多い

憧れのキャンパスライフなんてものはない。鈍器のようなサイズ教科書すべてがテスト範囲かいうふざけた量の勉強と、分かりにくいくせにテストだけ難しい講義。ちなみに講義選択権はない。全部必修である。終わったと思ったらひたすら立ちっぱなしの実習。まわりが旅行留学だとキラキラ楽しそうなのに、自分は訳のわからない課題におわれて、若い4年が終わる。最近surface広告みてスマホ割ろうかと思った。

コメディカル以外の選択肢が少ない

入ったときには憧れを持っていた職種でも、だんだん嫌になることもある。そうなったときリカバリーがまあききにくい。

医療系以外の学部だと、就活で色々な分野を受ける人もいる思う。しか医療系だと、その専攻以外の就活をするのはかなりイレギュラーだ。前例が少なすぎてサポートもあまり受けられない。

例えば教育学部でも先生にならない人はある程度いるが、医学部系はずっとずっと少ない。ネットにもエピソードは少ないし、採用担当も怪しむ。なにか相当な志望理由を用意しないと詰む。他の学部なら必要なかったくらいの大袈裟な志望理由を生み出す必要がある。

国家試験に落ちることもある

コメディカルでも合格率はバラバラだが、一番高い看護師でも90%前後である。いやいや9割うかるじゃん、と思うでしょ?でも考えてみよう。100人いれば10人落ちる。しかもあまり入学偏差値関係ない。あなたは、絶対に下位10%に入らない自信はあるか?

また、落ちても次の年、というのも中々厳しい。国家試験職種に関わらず、既卒生の合格率が圧倒的に低い。つまり、現役でこけてしまったらリカバリーが圧倒的に大変である

まり医療学部は、一度レールから外れると極端にハードモードになるところである。これを、安定といって良いのだろうか?

どうしてもなりたい気持ちがあって行くのはとても素晴らしいことだし、正解だと思う。ただ、親に言われたからとか、何となく安定してそうだから、とかでいくには、あまりにも(時間や労力に対する)コスパが低い学部だと思う。

この投稿を見た人の参考に少しでもなれば嬉しい。

2019-03-06

anond:20190306225619

意味があってやってるなら理由書けばいいじゃん。残業手当もらわず残業とか休日出勤とかしてるから自分の時給に見合わないムダ仕事をすることに鈍感なようにしか見えない。実際ブラックな働き方したくないか教育学部に行かない若者とか教員採用試験受けない若者が増えていると聞いているよ。最近文科省も「教員働き方改革」とか言い出してるみたいだけど、今の働き方を見て「自分もやりたい」と若者たちに思わせられないなら、優秀な人間教員を目指さないし、今の激務が続くだけ。今教員やってる人たちが定年退職して、新人が入ってこなくなったらどうする気なの?

2019-01-17

anond:20190117105006

20年以上前学生だった世代だけど、当時でも教育学部に入っても教員にならず民間就職する人は普通に沢山いるという認識だったが

それに元々昔から教職に憧れて」というより「公務員で安定してるから」みたいな人の方が多いんじゃないの?

特に女性は「女性からと言って差別されず子供産んでも続けられる数少ない職の一つ」って認識も強かったよね

それだと景気回復すれば民間に行きたがる人が増えるのも当然だし

今は民間企業でも子供産んでも続けられる所が多いから敢えて教職でなくても、って女性が増えるのも当然だと思う

そういう打算なしに「憧れて」なる人なんて昔から少数派じゃないの?

受験面接とかでは憧れを口にするだろうけどさ

2019-01-16

教師百姓は絞れば絞るほど出る

それがはてブの総意じゃなかったの?

教員の働き方がブラックすぎて、教育学部の倍率がヤバイことに。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1309183

日本英語力は国際的に見ても壊滅的だから英検上級TOEIC高得点を持っている教師に低学年からの厚い教育を期待するんじゃなかったの?

情報理論時代遅れ知識ではなく、プログラミングの実務面にも明るい教師を求めるんじゃなかったの?

運動会で組み体操などの危険演目に走らずとも児童全員に見せ場を用意し、児童安全にも完璧配慮できる教師を求めるんじゃなかったの?

児童エスニックバックグラウンド多様性配慮して、日本語が拙い児童にも個別ケアし、場合によっては外国語しか話せない保護者の方ともコミュニケーションを取りつつ、誰もが劣等感を抱かず自分アイデンティティに誇りを持てる教室作りを目指すんじゃなかったの?

発達障害運動協調障害児童にも配慮して、誰もが自分のペースで学びを深め、体育の時間にも競技安易やらせて終わり、ではなく運動が本当は楽しいことを伝えるべき素質が教師に求められるんじゃなかったの?

糖尿病や重度身体障害知的障害児童特別支援校や特別学級へと排除するのではなく、適切なケア提供しつつインクルーシブ教育を推進するのが今の教師なんじゃなかったの?

家庭科では子供を持たない人生もあっていいことなど多様なライフタイル存在を伝え、ジェンダー平等の追求だけでなく性的少数者児童にも寄り添い、誰もが自分の性のあり方に誇りを持てる性教育実践家としての教師、じゃなかったの?

アルビノの生徒に髪を染めさせるような人権侵害言語道断として、そもそも無意味校則子供達を縛るのではなく、自主性を尊重した上で公共心を養わせ、自分達の手で自然ルール作りを行うことのできる場を教師提供すべきなんじゃなかったの?

さくらんぼ計算や掛け算の順序、漢字の瑣末な書き順といった意味不明カリキュラムに拘泥するのではなく、生徒の多様性教育本質理解し、かつ学びが速い生徒の能力尊重してカリキュラム外の高度な代数三角関数を用いた解法を用いた算数の答案にも合格点をつけられる教師21世紀のありうべき教師像じゃなかったの?

イジメを未然に防げるよう児童同士の関係性を日々気にかけて、それでも起きてしまったら迅速な関係児童へのケアと関連公的機関との連携さら社会へのコンプライアンスを全うできない教師は失格じゃなかったの?

何、あらゆる事態対処できる有能な人材は有限だとか、私生活のことも考慮すると教師一人一人の時間は有限だとか、トレードオフ構造を今さら理解しましたみたいに、皆しおらしくなっちゃってるのよ。

2019-01-14

anond:20190114184303

学部によって事情がかなり異なると思います法学部系であれば、地元公務員では最大派閥です。早慶なんか目じゃありません。教育学部も同じ。文学部系は学者になるのはちょっときびしいので高校先生をめざしましょう。理学部工学部学部勉強では旧帝大と遜色ないカリキュラムが受けられます。しっかり勉強して東大京大の院に行く人も沢山います駅弁大卒からノーベル賞を取った人が3人もいます私立大卒からは一人もいません。ただ、少し前に富山大企業社長県内出身者は採用しないと発言して物議を醸したことがあります地元が好きで地元に貢献したいというのは素晴らしいことですが、地元しか知らないというのでは比較対象がないので、成長に限界があります若いうちにいろんなところに言ってみましょう。その際、東京よりも世界を見てきた方がはるか勉強になります東京若者でも海外に行きたがらない人が増えているので、マウンティング仕返すことも簡単です。海外経験して視野が広がれば学歴マウンティングなんてどうでもよくなりますけどね。

2018-11-27

大学食堂限定定食を頼んだ女の子が居たんだけど

食堂の方が「ごめんね。定食売り切れやけど、どうする?」って言った。

当然のように「あー、じゃあ返金お願いします。」って堂々と要求してて引いた。

食堂の方は「はーい、ごめんねー、またお願いねー。」ってニコニコしてたけど

見てていたたまれなくなった。

多分だけどその子教育学部の人。

教育学部心理学科と教育学科があるからどちらか分からないけど

教育学科だったら教員になるんだよね…

たった450円で返金欲求する卑しい人を間近で見てびっくりした。

返金なんてご飯に異物が入ってたとか、食中毒起こしたとか、

失礼なことされた時しかしないでしょ。

2018-11-23

anond:20181123165444

そもそも教育学部って勉強できるやつが行くところじゃないのでは?高校教育学部に行ったやつにしろ大学教育学部にいたやつにしろ、そんなできるやつはいなかった。

2018-10-11

悲報はてなサヨクさん、男オタク憎すぎて言ってはいけないことを言ってしまう【そういうとこだぞ】

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/katepanda2/status/1050023637091139584

m クジラックス先生教育学部出身って聞いたけど、やっぱりペドフィリアの人は学校先生になるのがそういうのと最も触れ合える近道なんだよな。多分変な目で睨まれ保育士よりも簡単になれる理想職業か。

差別意識むき出しで大変よろしい

2018-06-21

まあ教育学部とかなら教員資格とかとるんじゃね

経済学部文学部ってどんな資格とかとるだろう、会計士とか税理士

逆に取ろうと思えば色々取れそうだけど

数学科アクチュアリーしか知らない

2018-05-31

日本学校に「偏差値35」の教師が増えている問題

嘘みたいだが本当の話である

難易度を示す偏差値河合塾基準)が35以下となる入試を通じて

入学した人間のことをとりあえず「偏差値35」と言うが、

本当に、日本学校に「偏差値35」の教師が増えている。

ここでいう「教師」は、教育学部卒業教員免許を持って

実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。

偏差値35」の教師が、高度化する教育ニーズ対応し、

子供たちを教え育てていることになっている。

そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。

 

根拠として、データを見てみよう。

旺文社サイトで「偏差値35以下」「教育教員養成学部」で

検索したところ、なんと92大学が見つかる。

https://passnavi.evidus.com

数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。

僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。

そんな教員でも社会から必要とされているということだ。

 

教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ

この認識はそれほどまちがっていないだろう。

だが、偏差値35の教師にそれを担うことができるのか。

 

実際のところ、偏差値35の教師中等教育高校中学)よりも、

初等教育小学校)以前の学校に勤めていることが多い。

それでも、小学校教師知的能力要求されないわけではない。

偏差値35の教師国語を教える。

偏差値35の教師算数を教える。

子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要仕事だが、大丈夫だろうか。

最近では、偏差値35の教師英会話(必修化)を習う。

偏差値35の教師プログラミング(必修化)を習う。

偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表特別評価記入あり)。

事ここにいたっては、恐怖しかない。

 

偏差値がすべてではないと人は言う。

その通りだと僕は思う

しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然

それでは、偏差値35とは実際どういうものなのか。

例えば、2018年センター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。

 

 英語:200点中、63点

 国語:200点中、48点

 

これは全問カンで答えたのとほとんど差がないということだ。

承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題ほとんどで、

からなくても選択肢を選べば一定確率で正解することもある。

まり、それがこれほどまでに解けないということは

高校勉強はさっぱりわかっていない。

中学あやしい

小学校果たして文章が読めていない可能性)。

それが、偏差値35なのである

 

なぜ、このような事態が起きてしまたか

少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。

ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が

不足しているのが大きい要因だ。

詳しくない人でも、ニュース教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。

あれは、決して学校労働環境悪化だけによるものではない。

現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。

そうして、本来教師となりえる有能な人間会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし

人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師誕生する結果となった。

 

偏差値35の教師は、確実に増えている。

あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。

教室偏差値35の教師支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。

かつて教育立国と呼ばれた日本の末路がこれだ。

我々はその先の未来をまだ知らない。

 

 

以下、予想される反論にあらかじめ回答を。

 

部活などに打ち込んで来て、受験準備が遅れた者が入学しているのかもしれない。
 その場合偏差値が低いのはやむを得ない。

A. 現行の入試制度では、私立大の場合AO入試・推薦入試での入学

半数を大きく超えるのが通常だ。

受験準備には遅れたが課外活動で実績あるという者は、

推薦入試を利用するのが極めて普通ルートになっている。

しかし「偏差値35」は一般入試の話。

一般入試を受ける者は、十分に受験勉強をしてきた。

すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである

 

教師には、偏差値よりも人柄や人間味も重要

A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、

高校在学中にAO入試お勧めされるはずである

学力がないにも関わらず一般入試にまわった時点で、

人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。

魅力も学力も欠けている状態偏差値35である

 

偏差値35の大学から小学校教師採用されないはず。
 せいぜい幼稚園がいいところ。

A. 事実として、偏差値35の各大学ホームページには、

就職実績として小学校教師も、少なからず載っている。

もし教員養成をうたったコースで極端に教員採用試験合格率が

低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。

 

また、幼稚園教諭に知的能力必要ないというのは大間違いだと思う。

小学校教師と同様の理由で、重要仕事である

 

○もし大学入学時点で学力が低くても、教員採用試験合格しているか大丈夫

A. 何を言っているのか。

当然であるが、教員採用試験スタートでありゴールではない。

採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。

教員採用試験は決して教師能力保証しないのは、

日報道される教師の起こす不祥事からもわかるだろう。

勉強が苦手な偏差値35は、この点で大きなハンデを負う。

 

自分の子供は私立に通わせるから問題ない。

A. 論外な考えだ。

自分の子はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された

偏差値35チルドレン」がやがて社会を覆い尽くす。

その中を、あなたの子供は生きていかなければならないのだ。

 

○なんの意図でこんなことを増田に書く?

A. さあ。本当の意図は伏せられているかもしれないね

2018-04-19

anond:20180419232111


教員養成課程の教育学部で行われてること全般

教員になるためのだけのくせに余計なことやってる!、場合によっては教員になるのが当然とか言われる

法学部政治学を専攻

法学部なのに法律が専門じゃないとか・・、

スポーツ科学部でスポーツ文化論を専攻

運動するためだけの以下略

東京工業大学に入る

高校で遊んじゃったんだね

ざっと記憶にあるだけでもまあ名前からイメージで過った事柄から非難飛ばしてくるってのはこれぐらいあるものだし

文学部けがそういう被害を受けてるんだってのもちょっと違うのでは

2018-04-09

anond:20180409070811

大学というか「勉強」は理系学問限定すべき。文系学問は学びたい人がカルチャースクールで学べばよし

大学カルチャースクール化でつね。わかりまつ。

これからは、法学部法科大学院経済学部商学部教育学部も、どんどんカルチャースクールに移してしまいませう。

弁護士裁判官検事外交官官僚政治家教師カウンセラーも、みんなカルチャースクール養成すればいい話だよねー

2018-03-23

anond:20180322194856

教育学部を出たって別に絶対教員になるわけではないです……教員養成課程ではない教育学部もあるし、教員養成課程だとしても。

教育学部出身の非教員への偏見的なもの、非常に辛い。

2018-03-22

非正規教員、異動が決まった

タイトルのとおり。

3月30日で現任校の任期が切れて、4月2日付で80キロ以上離れた県立高校に異動することになった。

20日に教育関係人事異動が発表されて、校内は歓喜の声や悲鳴で賑わった。

その後、学校間や教育委員会とのやりとりが行われ、「○○(教科)の先生が足りない」となり、自分たちのような非正規教員(臨時登用名簿に載っている者)に連絡が来る。

(生徒指導部長、進路部長といった分掌長を担当する場合、その先生担当コマ数は軽減されるので、先生の人数は定数でもコマ数が足りなくなるという現象が起きる)

ちなみに、去年は3月28日に連絡が来たので、今回はかなり早いということになる。

断れるはずがない。

この県で教員採用試験を受け続ける自分のような者が、県からの内示を蹴るはずがないのだ。

今年35歳を迎えた男、独身

一人暮らし歴が長いが、今は通勤に手頃な実家暮らしている。

大卒後ずっと教員採用試験を受け続けては連敗している。

来年こそは!」と共に対策を練った仲間は、正規になったか、疲れて別の道に進んだか、自分のように毎年学校転々としながら講師を続けているか、だ。

臨時教員の異動について連絡が来たあと、事務職員に呼ばれ、「月末で健康保険証を返却してください、翌月支給の手当があるので口座はそのままにしておいてください、任期半年を超えた人には退職手当相当金が支給されるので別途書類を渡します」などと指示を受けた。

「今年新卒なんですよ」と言っていた若い彼女は、自分仕事のある種の残酷さに気づいているだろうか、などと思った。

どんなに遠方に異動することになっても、正規教員のように引越し代や赴任手当が支給されることはない。

4月2日からの任用ということになっているので、4月分の通勤手当は支給されない。

4月1日に最初大事職員会が開かれるらしいので、暗黙の了解で参加する。

任用があるだけマシだとは思う。

臨時教員はいえそれなりに給料はあるので、任用がなかった年は住民税国保の支払いにえらく苦しんだ。

いつまで続けるのだろう。

考えかけては、気を逸らしている。

自分の教え子に「体育の先生になりたい」「教育学部のある大学に行く」などと言われて、「先生はい仕事だ!頑張れ!」と素直に言えなくなって何年が経つだろうか。

2018-03-09

まれ持ったものを好きになれなかった話

ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。
口調とかもあまりれいじゃないかも、ごめんなさい。
私は自分絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います

書き手は21歳大学生女。

人間って生まれからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。
たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。

 

 

って言われているもの。誰からまれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。

どっからかけばいいかな、

9月実家から引越しをした。


その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。
実家がどういうところだったか、少しだけ書くと
2017年夏(当時20歳)の時点で

 
•住んでいるのは私、母親祖母

自分の部屋がない


•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活


•就寝は祖母と一緒の布団


•就寝と起床は母親の定めた時間までに


•鍵はかからないが唯一一人でいられる場所トイレ風呂


•窓を開けてはいけない


•カーテンも閉め切る


•私がつけていい照明は机のスタンドライトだけ


•キッチン勝手に使ってはいけない


オーブントースター温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない

などなど。

母親祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
 

これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。

母親が19の頃にデキ婚で私が生まれ小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママ彼氏』。

今でも覚えているのは母親から

「これから私たち生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。

誰だったんだろうあいつ。


見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。
私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。

最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。
そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。

そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。
だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。

祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。
それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。
働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。

祖母祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)

そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、
へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。
その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。


そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係不具合が生じるのもまた事実だ。


私は本当に親がわからない。

親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。


今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、
そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。

母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。
だから自分普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。

まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。
いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。
幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそば

「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。

小学生のころは学校のすぐそば煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら
「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。

服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。


私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。
私が大きな声を聴く自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。

中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。


幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。
しか受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問学校テストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。
もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強楽しいと思えなくなった。

結局中学の好成績を生かして公立高校に推薦で入学した。
ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた

「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」
挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。
スカートの丈をひざまで上げただけで。
意味がわからなくて怖くてたまらなかった。

親のなかでは


ひざ丈のスカート


=男にもてたい


恋人ができる


=セックス

妊娠

という式があるらしい。

一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったとき説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。

大学は必ず行け、しか国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているか学費負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。
しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒資格を買っている。」とご高説を垂れる。
この辺まで来るともう物事判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教気持ち悪くて仕方なかった。
知らないものをぼろくそこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。

結局興味のある分野に近いコース国立大に入学して3年が経とうとしている。
実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。
「もっと近くにあるだろうが」


帰りが終電になればまた怒られ、


美術なんかやって何になるんだ」


「お前みたいなダメ人間教育学部」


といった風な小言も絶えなかった。

掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。

場所もない、理解もない、朝は母親祖母による自分悪口で目が覚める。
ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。


2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。
家にいると親に対する嫌悪感頭痛吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。

学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。


もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。


講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。

実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。
どのみち自分には帰る場所なんかないのだから場所を作るしかないと思ってのことだった。


親には一言も伝えずに休学、

お金を貯めて部屋まで決めて、

もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。

自分判断能力精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。

「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからいから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。

3月18日実家を出て半年になるらしい。


少なくともこの半年

「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。

時間潰すために夜の公園電池なくなるまでスマホいじることもなかった。


自分悪口で目が覚める朝は来なかった。


自分けがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。


窓を開けて部屋の換気ができた。

たったそれだけの事だ。


私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。


春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。
ようやく自由になれた気がした。

家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。
誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。
部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。

ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。
自分人生はこの1度きりしかないのだから自分幸せになるために生きなければもったいない

 

4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーション学校課題へのモチベーションに変えよう。

体はそんなに強くないか健康管理しっかりしないと。

レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。

こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。

ようやく自分で作れた居場所何度でも帰ってこれるように必死に生きます

ここまで読んでくれた人みんな幸せになれますように。

2018-01-17

地元視点北海道ニセコはなぜ英語学習に最適なのか

先日ホッテントリした「何故北海道ニセコ外人が大枚をはたいて押し寄せるのか10の理由」 https://anond.hatelabo.jp/20180115135418 は地元民が読んでとても新鮮だったのでローカルからも書かせていただこう←頼まれてない

1)英語実践に最高

冬のスキー場外国であるリフトに乗り合わせた観光客に遠慮の無い英語で話しかけられることも普通。一人でリフトに乗れないスキースクールの子供と同乗して、これまた遠慮の無い英語がさっぱりわからない、というのもよくあることだ。

ここ数年でアジアシフトが進み、中国香港マレーシアインドネシアタイ台湾など東南アジア比率が高くなってきた。しかしそのほとんどは英語が堪能なので実践の場はいくらでもある。

観光客推移(ニセコ町統計

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/tokei/post_113.html

2)英会話スクールもすごい

ケンブリッジ大学教育学部首席卒業したようなとんでもない人が英会話スクール経営されている。

http://www.smileniseko.com

私自身は関わったことがないが評判は良い。

3)インターナショナルスクールがある

ニセコ町にはインターナショナルスクールがある。

Hokkaido International School Niseko

http://home.his.ac.jp/niseko/seasonal-school-japanese/

旦那さんが海外から、奥様は日本人というパターンハーフが知り合いにもたくさんいる。田舎暮らしの一番のデメリット子供教育選択肢が少ないことなのでこういう存在大事


4)求人豊富

観光客宿泊施設の急増に対して、労働者の増加が追いついていない。

求人倍率北海道倶知安町(≒NISEKO)で2.3になることもあるので仕事は選ばなければいくらでもある。英語学習という観点からすると飛び込んで働きながら、実践英語を身につけるには最高である

北海道本州に比べると賃金がとても安いが、ニセコに関しては人手不足もあり高めである。。

例をあげるとスーパーレジ打ちで1000円、コンドミニアムクリーナー1,200円とか。(このへんは英語はできなくてもこの時給)

宿泊関係は、英語ができる日本人を雇うよりも、そこそこ日本語のできる東南アジアの子を雇った方がコスパは良いかも知れないが。

Indeed北海道虻田郡倶知安町求人

https://jp.indeed.com/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93-%E8%99%BB%E7%94%B0%E9%83%A1-%E5%80%B6%E7%9F%A5%E5%AE%89%E7%94%BA%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%B1%82%E4%BA%BA

5)自然環境は最高である

日本百名山の一つでもある羊蹄山ランドマークとなり、周りには田園風景が広がり、温泉豊富場所にもよるが600円程度で日帰り入浴もできるので毎日温泉というブルジョワ暮らし可能である毎日入ったって1ヶ月2万円かからないのよ!

冬は観光客が多くてガチャガチャしているが、夏は静かで最高だ。個人的には夏のほうが良い。日本海へも太平洋にも1時間ほどでゆけ、天気を見てシーカヤックなど海遊びもできる。

サミットが行われた洞爺湖も1時間圏内こちらはニセコよりのんびりした雰囲気で良い。

6)交通アクセスもそんなに悪くない

東京住まいの人からすると不便に感じるかも知れないが、新千歳空港までも車で2時間からないし、札幌も同じくらい。自家用車必須だがあと20年以内に新幹線の駅もできるし、高速道路も近くまでつながる。

7)住むところはある

数年前までのアパート不足はこの2年ほどで解消されました。

文字通り空き地があればアパートが建つ。大T建託さん、にんまりです。

結果過剰供給となり、部屋が埋まらなくなってきています。単身向けアパートが多いようですが、新築敷金無し物件などもでているようです。

家賃水準は北海道としては高めです。

一軒家はありません。倶知安町ニセコ町内は絶望的にありません。

あっても築40年とかなので冬は灯油代が数万かかります

従業員寮のレベルも昔と比較すると改善してきているので働く分にはそこまでの思いはしないかもしれません。


8)ひとまずまとめ

意識して良い面ばかりを書きました。

ニセコのように景気の良い地域ももちろん問題は山積みですし、うんざりすることも多いです。それはどの町でも、国でも同じこと。

日本国内の中では面白い地域ですので、海外にばかり気を取られず、二泊三日でも来れるニセコに一度来てみてください。

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-14

勉強が嫌いな人

勉強がつまらない人って、何なの?

新しい発見未知との遭遇勉強希望ワンダーランド勉強楽しいから勉強は大好き。

 

勉強ってのは、学校テストで良い点数を取るためにやっていると勘違いしている人が結構多いことに驚く。

教師偏差値の低い教育学部を出た低能が多い。(その事実偏差値一覧表を見れば自明

学校のため、教師のため、テストのため、他人のためにやる勉強なら、確かに楽しくはない。

 

自分の知性向上のためにやる勉強って、最高に楽しい娯楽だと思うんだけど、みんなはどう?

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