はてなキーワード: 教育学部とは
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(27) | 15:34
そいつは陽キャで俺は陰キャだったが、席が近くなったことがきっかけで絡まれるようになり、部活のないテスト期間の放課後によくそいつと同じクラスの奴らと数人でカラオケに行ったり飯を食いに行ったり服を買いに行っていた。ファッションや遊びのことなどそいつから学んだことは多いが、俺はなんとなく苦手意識があった。プライドを持って入学した高校だったが成績では上位層に敵わず、恋愛にも縁がなかった(今でもだが)ため、彼女持ちで誰とでも仲良くなれる陽キャのそいつに劣等感を持っていた。
大学受験は頑張ったものの地元駅弁とMARCHにしか受からなかった。そいつは成績下位層だったが、国立教育学部、国立医学部、国立工学部を狂信的に崇拝する教員たちを無視し2年の終わりには3科目にとっとと絞って早慶に進んだ。
そいつとは大学時代はたまに複数人で会うくらいの関わりしかなかった。ゼミやサークルで少しだけ話した可愛い女の子に勝手に舞い上がり、デートや付き合った妄想などをしては飲み会にて友達経由でその子の色恋沙汰などを聞き勝手に撃沈するということを繰り返していた俺にとって、早慶看板学部の記載があるプロフと可愛い女の子が何人も登場するそいつのTwitterは劣等感を強く刺激した。
そんな俺も中堅企業の総合職に内定を貰い、大学を卒業して社会人として働き出した。就職して数ヶ月後の頃に高校の集まりでそいつと会った際、「遊び過ぎが祟って留年したわ」と聞いた。
新たな人との出会い、安定した収入、行動力の広がりなどによって自己肯定感の高まっていた俺は「マジかよwwさすがだわww」などと言っていたが、内心では「こいつに勝ったわ」と思い見下していた。
それからしばらくは連絡を取っていなかった。2年後に共通の友人からそいつがそれからさらにもう一年留年し就職先がないまま卒業した、という話を聞いた。仕事にどんどん慣れ、車も買い、両親を母親が行きたがっていた旅行先に連れて行ったばかりでもあった俺はそりゃもう優越感に浸った。「結局お調子者は失敗する。最後に勝つのは真面目なやつだ」という内容のエントリを増田にあげた。
それからさらに数年経ち、部署異動による激務で俺は体調を崩した。仕事にやりがいが感じられなくなり辛くなった。同期や友人がどんどん結婚したり結婚前提で同棲し始めたのに、自分は彼女いない歴=年齢。さらにちょくちょくご飯に行ったり2人で遊びに行き「イケる」と思っていた同期の女の子から「彼氏が出来た」という話も聞かされ自尊心が砕けた。環境を変えようと転職を決意して調べたりエージェントを頼ったが、安定に胡座をかいて自己研鑽や資格取得を怠ったことや日系企業の総合職ゆえ専門性の面で難があり、どう転職しても年収や待遇は下がるということを知っただけだった。
仕事の疲労と人生の虚しさで不眠になり辛い夜を過ごした。そんな時久しぶりにTwitterを徘徊していると、数年前から全く稼働しておらず同級生の中で行方不明説まで出ていたそいつのツイートが表示された。公認会計士や公務員試験などで有名な大手資格予備校のツイートをリツイートしたもので、そいつの公認会計士試験の合格体験記が載せられていた。リンク先を開いて詳しく見た所、フリーターだったが将来に不安を感じて予備校の講座を受講し始めたらしい。その時既に俺たちは20代終盤だったが、大手監査法人への就職も決めていた。年収を調べると一年目の年収で既に俺のその時の年収より若干低いくらいの差しかなかった。
ツイートを遡ると合格報告のツイートもあり、高校の同級生も何人か「おめでとう」と返信していた。俺もおめでとうと送ろうと思ったが、指が動かなかった。「おめでとう」なんて思えなかった。お調子者で陽キャで要領もよく、可愛い歴代彼女が何人もおり、早慶を卒業しているそいつが公認会計士に合格し監査法人への就職を決めていることなど知りたくなかった。人生転落していて欲しかった。仕事や生活で辛いことがあり劣等感を感じた時に、そいつが実家で引きこもって親に養ってもらっているらしい、なんて話を共通の友人から聞いて慰めにしたかった。優越感を持っていたかった。
30代になりしばらく経った今、既に俺の年収は抜かされているだろう。SNSは見ていないが、おそらくそいつには可愛い彼女がいるんだろう。俺には何もない。資格も仕事へのやりがいも彼女も。俺はなんて醜く惨めでどうしようもない人間なんだ。
上記の記事については、「元校長や元教頭を大学にって、天下り先確保では?」とか「労働条件改善や給与アップが先だろ」という意見がTwitterで散見されるところだが、中身を見ると
25歳未満で離職した公立小中高校の教員は18年度、790人で、12年度の647人から増加している。
として、内訳のグラフがある。増田にグラフは書けないので表で表現し、ついでに2012年度を100としたときの値も書いてみる。
年度 | 小学校 | 中学校 | 高校 | 合計 |
---|---|---|---|---|
2012 | 313(100.00) | 238(100.00) | 96(100.00) | 647(100.00) |
2015 | 359(114.70) | 239(100.42) | 97(101.04) | 695(107.42) |
2018 | 450(143.77) | 225(94.54) | 115(119.79) | 790(122.10) |
おおむね全体で22%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。
ところで、25歳未満の教員の数はどのように推移しているのだろうか。
調べると、学校教員統計調査というのがあり、3年ごとの調査なのでピッタリとは合わないが、近い年度の数字が得られるので見比べてみよう。
25歳未満の教員の人数
年度 | 小学校 | 中学校 | 高校 | 合計 |
---|---|---|---|---|
2013 | 14,683(100.00) | 7,240(100.00) | 3,206(100.00) | 25,129(100.00) |
2016 | 17,486(119.09) | 7,397(102.17) | 3,553(110.82) | 28,436(113.16) |
2019 | 21,013(143.11) | 8,003(110.54) | 3,553(110.82) | 32,569(129.61) |
おおむね全体で29%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。
……って、若い教員の退職が増えたのは、単に若い教員の人数が増えたからじゃねーか!
ここ数年、教員採用試験の倍率の低下により、かつてのように何年も非正規の講師や助教諭を経験してから採用される教員の数が減り、新卒や1〜2年の講師経験で採用される人数が増えた結果、25歳未満の教師の数が増えたのだろう。その結果、退職者も増えた、というだけにしか見えない。
田舎はDQNの天下だから、美人だと同級生や先輩から暴力を背景にしつこく言い寄られるのがお定まりのパターンで、
そうなったらもう付き合うしかなく、あらゆる人生の可能性を潰されて赤ちゃん抱っこして成人式に表れるみたいな末路になる
ってこと言われてて大バズりしてるんだけどこれは間違ってる。
確かに、学校に凄い美人がいたらその子の家の前で毎朝うろうろするDQNが沸いたり、同級生たちに集団レイプされたり、究極に運が悪けりゃ突然見ず知らずのヤクザに拉致されてシャブ打たれて情婦にされる、
本人や両親が人並み程度に賢かったり、良識があったりすればまずこういう末路を防ぐことが出来る(「あの子と遊んじゃダメだ」とか「門限は18時厳守」とか。国立大教育学部附属中を受験させるって手もあるし、駅弁大附属中だったら首都圏の中学偏差値30レベルで受かる)。
現在34歳の無職の男である。約7年実家でニート。俺には家が近くて仲良くなり、小学生時代はよく遊んでいた同い年の幼馴染(男)がいる。俺と幼馴染の人生を比較すると面白かったので書いてみる。
俺
地元国立大学の教育学部附属小中学校を経て偏差値71の県立高校へ進学。小中高とサッカーに打ち込む。勉強もでき友達もたくさんおり、高校では彼女もいて楽しい毎日だった。地元を離れ旧帝大学法学部に進学。友達が出来ず勉強に打ち込むが成果が出ず先行きが曇る。同じ大学のロースクールを卒業するも司法試験に2年連続落ちる。撤退し就職して上京する。半年で鬱になり遅刻多発、退職しようとするも解雇される。27歳で実家に帰り今に至る。
幼馴染
地元の町立小学校、中学校を経て偏差値40未満の工業高校に入学するもバイクで昇降口にタックルし一ヶ月で退学処分。工務店の職人見習いになるもすぐに辞める。県庁所在地のある繁華街でキャッチ(高校時代塾の帰りなどにすれ違うと手を振ってくれた)。俺が大学を卒業する頃に高校卒業認定に合格し専門学校に進学。専門学校を卒業し大手IT企業の子会社に就職し上京。職場で出会ったらしい女性と結婚。現在二児の父。
こんな感じ。俺が司法試験を撤退してワンマン社長の会社の営業をしている時に東京で幼馴染と飲んだのが最後なんだけど、その時には逆転されてた。かつてはお母さんを心配させ、近所で怖がられていた幼馴染は立派な社会人で二児の父親。一方、近所で優等生扱いだった俺はニート。毎日小遣いをせびってはかつて幼馴染がキャッチをしたり喧嘩をしていた県庁所在地の駅まで電車で向かい、ネカフェに行ったり、古本屋で買った漫画をドトールで読みながら過ごしている。同窓会の招待などが届いた時は親から参加費を貰い、同窓会には参加せず繁華街のピンサロに繰り出す。
国立大学の理系は就職それなりにいいよ。地方大学出身者でも既に何人かノーベル賞受賞者も出てるくらいだし、教育研究のレベルは評価されている。
文系学部でも、公務員になるなら全然問題ない。市役所や県庁に就職するなら地元の国立大を出るのが一番多いコース。転勤は無いし生活費は高すぎないし友人らは近くにいるし、結構よいコースとみなされている。中央官庁に就職する人もある程度はいる。あと、教員になるなら地元の大学の教育学部が主流。私立大に教育学部は殆ど無いだろ。その他にも地銀なんかが地方国立大出のメインコースのひとつだったね。
こういったところは日東駒専はハッキリ言って弱い。
35歳、身長163、体重46、ハゲ、職業はアルバイト(倉庫の検品、早朝のヤマトの積み込み)で年収は約200万、国立大学教育学部卒(二浪、三留年、一休)、実家暮らし、恋愛経験1人(中学時代ネトゲで知り合った同い年の人と3年間付き合うも何もなし)、童貞、趣味は海外旅行と読書、特技は英会話
・過敏性大腸炎(治療中ですがあまり効果なし)と若ハゲにより高校中退し通信高校卒
・胃潰瘍治療、過敏性大腸炎、若ハゲの進行で人目が気になる等の理由で8年かけて卒業
・スウェーデン人の友人とガムラスタンの露店で働くもVISA切れて帰国
・マッチングアプリ→3つほど登録するも援助交際以外マッチせず
・結婚相談所→入会を断られる
・街コン→何回か参加するも連絡先交換できず
私は30代前半の男。公務員の父と専業主婦の母の間に一人っ子として東海地方に生まれた。地方国立大学教育学部の附属小中学校を卒業し、旧制中と師範学校を合わせて作った県立高校を経て早稲田に進学した。昔から酷かった下痢が上京して悪化。授業中でもサークルの新歓でも腹痛と便意に見舞われるようになり、大学に行かなくなった。一人暮らしを心配する両親には電話で架空の大学生活の話をし、それ以外の時間は部屋のトイレにこもった。将来への不安と両親への申し訳なさで余計に下痢が悪化し急速にハゲた。授業に出ていないことは一年の前期の終わりにバレ、帰省して3年近く実家で引きこもった。引きこもってるうちに下痢が治り、再び上京。心機一転大学に通い始めることにした。
私「あ、えっと、その、はい」
ハゲバレ
周囲「クスクス」
↓
教授「えーそれでは、リアクションペーパーを周囲の人と交換して下さい。冒頭で説明したように、今日のキーワードが織り込まれているかをボールペンでチェックし、サインを書いて返して下さい」
一年生しかいないはずの授業にて学籍番号の「1A〇〇(入学年度)」にて留年バレ
このダブルコンボで私の豆腐メンタルは挫けた。急な便意に襲われ教室を逃げ出した僕はその足で大学を辞める手続きをした。実際にはすぐに受理されることはなく、正式な退学までには思ったより時間がかかった。最後に事務所を訪れた帰り、大隈庭園で蒸しパンを食べた。天気が良かったのでしばらくのんびりしたかったが、腹痛に襲われ慌てて家財道具のなくなった部屋に帰った。
以来、慣れ親しんだ東海地方の、慣れ親しんだ町の、慣れ親しんだ家の、慣れ親しんだ子供部屋で生産性のない日々を過ごしている。下痢の治療に関しては内科面、診療面の両方を試みたが効果はなかった。
そんな私の趣味は小説を書くこと。ある日図書館で読んだ「エリアのエッセイ」、「幸福な王子」、絵本の「みにくいかいぶつといしのうさぎ」に感銘を受けて書き始めた。毎日ストーリーを考え、プロットを組み立て、パソコンで文字を打ち込み、プリントアウトして、鉛筆でチェックをつけ、再びパソコンで書き直すという日々を繰り返している。出来上がった原稿は誰にも読ませないしどこにも投稿しない。自分で読んで楽しんだり、笑ったり、泣いたりしている。
国立でとにかくどこかいければそれでいい勢があってそもそも教員養成課程からですら一般企業就職案外強かったりするからなあ
NHKの近くで一度すれ違ったことがあるけど、感じのいい人だったよ
やっぱり第一印象がいい人間はすばらしい人間であることが多いな
1986年、東京大学教育学部を卒業し、アナウンサーとしてNHK入局。
「首都圏ニュース845」「生活ほっとモーニング」などを担当し、夕方のローカルニュース番組や生活情報番組に多く出演。
名古屋局時代には登山家の田部井淳子氏と夏の北アルプスを縦走する模様を描いた紀行番組が評判を呼ぶ。
最初に赴任した高松局では、若いアナウンサーが地元ボランティア協会の祭りの司会をすることが恒例だったことから、福祉との関わりが始まる。
東京局時代に自閉症の男性公務員のドキュメンタリーを制作したところ、その番組が反響を呼び福祉関係の人脈が拡大。