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2021-04-22

anond:20210421235108

全員かは知らないけど教師志望で教育学部いった同級生大嫌いだった。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-03-26

「THE世界大学ランキング日本版2021」について

大学の多様な在り方をこういった「大学ランキング」といった画一的指標によって評価するのは大いに問題があります

同様に、こういった指標大学運営に影響を与えることを避けるためにこの文章を書きました。

利害関係のある企業による評価を多くの専門家を抱える教育機関一方的に受け入れる今回の事態を不気味に感じます

民間企業による指標ではなく、きちんとした調査を行い大学研究所が協力をし、国もきちんと予算を出し、

大学の多様な魅力を踏まえた模範となるような「大学ランキング」に代わる大学紹介を行うべきです。

※「THE世界大学ランキング日本版2021」についての3つの問い

1.この調査実施ベネッセが行っているが中立性が担保されているか調査を行ったか

2.この調査自体に各大学ランキング付けする程の信頼性があるか調査を行ったか

3.貴大学には教育学部存在しているが、当調査に関して学内専門家から意見を聞いたか

「THE世界大学ランキング日本版2021」を実施したのはベネッセです。

http://between.shinken-ad.co.jp/univ/2020/03/JURshihyo.html

しかし、ビュー数の多いYahoo! Japanニュースではそれには一切触れられていません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cd2428370025a1ef13e92665b18d20dacf01ae17

この記事引用元高校生新聞は「株式会社スクールパートナーズ 」が運営しています

この企業入試運営支援入試広報委託サービス事業に含まれています

https://www.sclpa.jp/outline.html

要するに、大学入試に関わる企業ベネッセ)が大学ランキングを作り、

それを同じく大学入試に関わる企業が(スクールパートナーズベネッセ名前を出さず報道しているわけです。

一方で、2019年ベネッセ文科省大学共通テストにおける癒着疑惑報道や、

2020年ベネッセID問題報道を覚えている方も多いはずです。

https://biz-journal.jp/2019/12/post_133401.html

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75062?page=6


さらに、ベネッセベネッセ海外留学センターで生徒対象の校内セミナー教員研修事業として行っています

これは明らかに問題があります

ランキング世界版は国際性が7.5%と低いのに対して、日本版20%と比率が高く、日本版は国際性を重視している調査からです。

https://www.benesse-kaigai.com/teachers



日本の“偉い人”は世界大学ランキング日本大学ランク入りすることのみ重要視している傾向があるように思います

一方で、世界ランキング実態や、利害関係にある企業ランキング実施する問題は驚くほど指摘されていません。

例えば、本家の「THE世界大学ランキング」のタイムズハイアー・エデュケーション2020年8月海外留学募集学生住宅市場に参入しています

https://thepienews.com/news/the-moves-into-international-student-services/


さて、ベネッセ大学ランキング実施するのは勝手ですが、それが定着することは避けなければなりません。

大学の多様な在り方をこういったランキングといった画一的指標によって評価するのは大いに問題があります


問題のある指標を見てみましょう。

「THE世界大学ランキング日本版2020」ではスコア100の内20%を占める国際性を以下のように定めていました。

これを見ると、いくつか問題が浮かびます

例えば、大学の規模が大きければ当然、外国人学生比率は少なくなるでしょうし、

留学生向けに理解やす日本語で授業を行うことを重視している大学評価が低くなるでしょう。

多様な大学の在り方が、この画一的指標によって多様性否定する本末転倒になる恐れがあります

<国際性 20%>

 ⑬外国人学生比率(5%)

  在籍外国人学生数÷在籍学生

 ⑭外国人教員比率(5%)

  在籍外国人教員数÷教員

 ⑮日本学生留学比率(5%)

  日本学生留学生数÷在籍学生

 ⑯外国語で行われている講座の比率(5%)

  外国語で行われている講座数÷全講座数

さらに、スコアの8%を占める日経HRという企業の「企業人事担当者から見た大学イメージ調査」です。

『「TH世界大学ランキング日本版」の指標教育成果」に使われている』ことを売りにして、

以下のサイトで全調査結果を大学向けに22万円で販売しています

https://career-edu.nikkeihr.co.jp/category05/data.html

教育成果 16%>

 ⑪企業人事の評判調査(8%)

 日経HRの「企業人事担当者から見た大学イメージ調査」のデータ使用(2カ年分データ使用

 ⑫研究者の評判調査(8%)

 THEが世界大学ランキングのために各国の研究者対象実施した評判調査の結果から日本研究者日本大学について評価したデータ抽出

 「素晴らしい教育をしていると思う大学」を最大15大学挙げてもらい、大学ごとの得票数を合算(2カ年分データ使用


東京工業大学では以下のように、Web上にページを作り、学生に協力をするよう「お願い」していました。

大学により、学生協力を「お願い」する方法も違っていたようです。

ちなみに大阪大学では学生向けにメールが一斉送信されたのみで、問い合わせ先はベネッセのみでした。

この調査に関する大阪大学への問い合わせ先は一切記されていませんでした。

「THE 世界大学ランキング日本版)の学生調査にご協力ください」

https://www.titech.ac.jp/enrolled/news/2020/047746.html

このようなランキングが定着するとこの調査大学民間企業に有料でお願いする、

それに付随する調査を法外な値段で買うようになる、という事態につながる恐れがあります

これは個人的意見なのですが、入試に限らず、就活大学民間企業の在り方に大いに疑問があります

大学は今一度、民間企業距離を見直す時期に来ているのではないでしょうか?

こういった卒論だと通らないようなレベルのものに参加してしまった数多くの大学にも責任はあります

文科省との関係が深いベネッセだったので断れなかったのかもしれません。

しかし、大学改革の失敗を加味しても問わざるを得ません。教育機関としての矜持はどこにいったのですか?と。

もちろん、「世界大学ランキング」を無批判に持ち上げる“偉い人”やメディアにも問題があります

2021-03-22

anond:20210322021243

https://ryosukeishii.hatenablog.com/entry/20081219/1229681854

なぜ、fer-matの、realisteの彼は、転学部しなかったのだろうか。

法学が嫌なら、法律に向いていないなら、

数学が好きなら、転学部すれば良いでは無いか

司法試験を受けて落ちたというが、教育を変えたいなら、教育学部やその文科省を目指すという手もあるではないか

あの頃から、4年である

4年間、どうしてなんの行動も起こさなかったのだろうか。

なんで転学部しなかった? なんで官僚にならなかった?

総務省統計局に行きたかったけど採用試験に落ちたんだっけ?

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なので、優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

事情により略。ごめんなさい……

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、1.3倍ほどの開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか言ってみたいことがある。「諦めないでくれてありがとう」って。

2021-02-24

anond:20210224035220

教育学部にでも入ってるの?それが基本なら自分例外とばかり出会ってるな

2021-01-17

anond:20210117085946

音大じゃなくて、あの人は教育学部だったんじゃないか?どっちか確認してないのでわかりません。

中学校には音大出がいた。

anond:20210117085729

音楽先生だったら音大出てるはずやぞ。子供に才能で負けて悔しかったんやろな。

すまん。意味わかったわ。小学校にそういえば音楽先生いなかったわ。だから教育学部上がりか。

もう何十年も昔で忘れてたわ。

電子ピアノのない時代の話。(続き)

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=305877737

春秋社面白い出版をすることのある会社で、1983年ベートーヴェンリスト交響曲全9曲のピアノ独奏版が2巻で販売されたことがあった。

小学生のころ、立ち読みでよく読んだ楽譜だが、買ってもらえなかった。

小学校から帰る途中の話。

「あれ?これって、春秋社からでたあの?」

ベートーヴェン運命の第1楽章だったが、教育学部上がりでは苦痛だったのか、がたがたで弾く運命の一楽章音楽から聞こえる。

翌週、最初の4小節だけをこの先生の前で弾くと、その先生の顔が怖くなったのを思い出した。もう私はそのころ、右と左で1オクターブが届いたのである

2021-01-08

anond:20210107221854

基本的に教"師"って言うほど尊敬される人間がやる職業じゃないからね

所詮教員

教育学部行けば免許取れるしとどのつまりただの人なんだから

まあちょっと軽度知的障害者割合高いけど

2020-12-11

動物園問題

みんな生徒の素行ばかり論点になってるけど、治安を維持するのは結局教員なので治安の悪い学校教員マジで使えねーとかそういう話にはならないの不思議。「荒れる→凄腕生徒指導赴任→落ち着く→生徒指導離任→荒れる」みたいなのは結構ある。

治安維持に関して私立学歴フィルタよりも退学という切り札があるので保っているところはある。反対に公立はごく普通の子から金持ちボンボン優等生に不良ヤンキー発達障害不登校コミュ障窃盗癖色恋沙汰万引きネグレクト生活保護家庭満遍なく一緒に指導しなくてはいけないので教員の力がマジで試される。

から例えば私立中高一貫お嬢様学校からちょっといい教育学部を出て公立教員になって「こんなはずでは」みたいなケースも極端ではあるが想定できてしまう。知識はあっても肌感覚理解していないから悪気なく虐待家庭の生徒に「お母さんはあなたを愛してると思うよ」なんて声をかけて絶望させたり、素行の変化を何らかのSOSと受け取れず見逃していたり、それまでの経験が全く役に立たずに自身が病んでしまったり、いろいろある。「子供が好きなので教員になりました!」という人がモンペに疲れて辞めたりするのは保育士なんかでも聞く話。

はてなでは頭髪検査蛇蝎のごとく嫌われているけど、髪型を奇抜にしてくる生徒が何らかのSOSを出していることはよくある話。親が離婚前提で別居しているとか、勉強が全くわからないとか何らかのコンプレックスを拗らせているとかよくあるからね。そこを指導に結びつけるかアホみたいに怒鳴りつけるかは教員の腕次第というのは問題だと思う。地毛を黒染めさせるのは意味わからんけど。

教員だけの話にすると私学の教員公立教員や生徒をマジで見下しているらしいとか公立教員はクビにならないのをいいことにマジでやりたい放題やってる奴がいるとか、その辺の話をすると動物園問題から離れるからしないけど「公立環境が悪いか私立しかいけない問題公立環境を良くするよう働きかけるしかない」がベストアンサー。そのためには教員長時間労働是正部活の規模縮小や地域との連携学校福祉必要性(ネグレクト家庭の支援)、オンライン授業の充実(不登校対策)、教員民間採用(外部から視点を持つ)など思いつくけどその辺の話していこうぜ。

2020-12-09

anond:20201209151150

地方大にも教育学部はあるし、教育学部がある以上その研究学生実習の場としての付属校も必要となるのは当たり前なんだが…

anond:20201209093301

都会に住んでたら「少し意識高い親が」「少し頑張れば」小学校から大学付属校とか私学に通える。だから、そうじゃない層だけが公立に残っていくんだよ。

最初から進学に選択肢のない地方場合、本当に上から下までちゃんとそろった多様性になるからそれなりに生態系としてバランス取れるから問題も起こりづらい。

問題は、選択肢がある場合だ。早いうちに親に文化資本があり学力のある上位が抜けて、中からしかない多様性はやっぱりスラム化する。

ちびまる子ちゃんでいうと、花輪くんもたまちゃんも同じクラスいるかバランスが取れてるのであって、都会だと花輪くんは幼稚園から私学の付属だろうし、たまちゃん国立大教育学部付属小とか行くから、まる子以下しかいない。そうなると先生あんな温厚な感じではいられないと思う。

良い感じでバランスとれた多様性の中で育った人からすると「公立動物園」って言われると、地方動物園しか選択肢がないのかよ!差別か!ってなるかも知れないけど、そういう話はしてなくて、あくまでこれは中学受験普通な都市部でこそ深刻な問題だと思うよ。

2020-12-01

anond:20201201105240

女性の方がずっと自由じゃなくて、「やりたいこと/得意なこと」より「将来仕事に就きやす学部」を優先する

  

それならもっと工学部とか理系に進むんじゃない?

8割が文系に進むけど、仕事の就きやすさで言えば圧倒的に理系でしょ。

教育学部はまだしも、人文学部とか女子が多いけど、何の仕事に就くつもりで選ぶの?

そして男子も好きで工業高校整備士学校に行くわけじゃなくて、自分の出来る範囲で手に職を目指すのは一緒だと思うけどな。

2020-10-27

地方都市部教育格差

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

バズってる増田を読んだ。

日本海側の3万人クラス田舎出身人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。

大卒で就ける仕事ロールモデルがいない件

元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業イメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人ロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。

医師→都会から来る偉い先生か町1番の秀才

公務員市役所職員(官僚なにそれ?)

金融信金さん(都銀外資系存在しない)

弁護士ドラマ世界の住人

工学部卒のエンジニア→箔のついた工業高校出の現場作業員

建築士→箔のついた大工さん

研究者少年マンガサポートキャラコナン阿笠博士的な発明家ぽい人

その他商社マン広告代理店とかの文系花型の仕事司法書士公認会計士等の仕業そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!

見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方高校生認識ってマジでこんなもんだと思うよ。

公立中学校の劣悪さ

個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校ダメダメ動物園状態英語リーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブ教科書を燃やしたりする馬鹿かいしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシン過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地中高一貫受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫自体が無かったりするのがザラなんで。

学習方法や教材の情報の無さ

コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策全面的高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任地方国立数学科院卒の経歴で、難関大学入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身ちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。

まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋ジュンク堂的な大型書店があって多種多様参考書を手に取って見れらし、進学校存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウエピソードを聞いたりできそうだし。

そんなわけで

俺も普通に地方は不利だと思うよ。特に県庁所在地以外。

2020-09-15

大学図書館 学生希望図書制限ふつう

北海道大学 教育学部

一人当たり申請上限額(院生希望図書 30,000円、学生希望図書 15,000円)

年間予算額院生希望図書 200,000円、学生希望図書  50,000円)

北海道教育大学付属図書館

・申込みの上限 年度において1人3冊以内かつ合計金額20,000円以内

希望者以外に利用が見込めないと思われる資料対象外

東京学芸大学図書館

年度1人当たりの購入上限冊数 7冊

税込み価格10,000円を超える図書は附属図書選書委員が購入の是非を検討

一橋大学附属図書館

年度1人当たりのリクエスト冊数・金額の上限

学部学生 15冊 30,000円

大学院学生 30冊 100,000円

和書洋書とも、図書1点当たりの定価が、1,000円以上、50,000円以内のものに限る

新潟大学附属図書館

1冊3万円以上の高額な資料対象外

当該年度につきリクエストできる冊数・金額の上限 年10冊まで(月5冊まで)、合計金額が3万円以内

京都大学付属図書館

価格税抜き定価)が1,000円に満たない、もしくは30,000円を超えるもの対象外

一人が同一年度内に申し込める上限 原則として12冊まで、もしくは総額120,000円まで

琉球大学附属図書館

リクエストできる図書 希望者本人以外にも広く利用される図書であること

購入上限額(年間・一人あたり) 学部学生: 5万円 大学院生: 10万円

大学図書館に図書購入を依頼したところ「学生リクエストにしては高額なので保留します」

2020-08-20

でもあいつら高卒とたいして変わらねえな

anond:20200819232836

いやダメだろって思ったけど

正気になって考えたら教育学部出た大卒でも信じられないようなゴミカスがいっぱいだったか

高卒でも一緒やと思った

anond:20200819232836

小学生以下は人間とは真理的、肉体的に違う生物だと思っていい。

かつ動物と違ってナイーブに世話をする必要がある。

なので専門的な知識必要

知識技術的な面で言えば必ずしも大学過程を経る必要ないと思うけど、該当するカリキュラムがあるのが大学だけなのだから、そうなる。

逆に言えば、それを教えられないのに教育学部がある大学は淘汰されないといけない。

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-10

30歳 童貞が出来上がるまで

別に苦しみでも何でもないけど。


タイトル通り30歳童貞 別に珍しくもない。

もちろん交際経験は無し。デートとかそういう交際カウントされそうな事は一切なし。

何もせずに、普通に過ごしたら童貞になっていた。誕生日に「メラ!」とか言ったけど、何もなかった。29歳364日の童貞と30歳0日の童貞は何も変わりが無かった。

中学は少しいじめられて、半年くらい引きこもってたけど、何となく卒業できた。

高校はそれなりにちゃんと行って、そこそこ勉強した。いわゆる陽キャ運動部の人とかは高校くらいで彼女が出来るのかもしれない。

でも自分部活には入ってなかったし、陰キャよろしくアニメゲーム読書で忙しかった。友達もそんな感じだったから、これが普通だと思ってたし、今も多分、それが普通だと思ってる。

勉強はそこそこしたので、そこそこの大学(A大学としておく)に入ることができた。大学田舎にあったので「A大学生の娯楽はセックス」なんて言われてたけど、そんな話はなかったし、周りにも聞かなかった。学部工学部だったから、それが原因なのかもしれない。教育学部の人はそういう話をそこそこ聞くと言っていたような気がする。

大学ではサークルに入っていた。しか運動系。でもサークルには陰キャっぽい人が多かったし先輩も後輩も工学部の人が僕の代には多くて、学部あんまり雰囲気が変わらなかった。おかげで大変快適に過ごすことができた。それでもサークル内で「××と□□が付き合ってる」みたいな話は少しはあったけど、その内情まではさすがに流れてこなかった。

バイトスーパーで働いていたので、おばさんお姉さんと仲良くなることはあった。ちょっと古びたスーパーだったからなのか同年代の人はほとんどいなかった。一緒に働くほとんどの人が二回りくらい離れてるので、親戚の子供みたいな扱いで、色々持ち帰らせてもらったり、いろいろと良くしてもらって非常に助かった。

そんなこんなで、大学では引き続きアニメゲーム読書サークルバイトと忙しく過ごしていた。

工学部だったし、就活はそこそこちゃんとしたら、そこそこの会社に入ることができた。勤めてる会社IT系の2次請けで、あんまりガツガツした雰囲気ではないけど、仕事出来る奴、技術が高い奴が偉いみたいな雰囲気だ。酒、車、腕時計!みたいな嫌な雰囲気全然なくて、大変快適に過ごすことができている。

たまに社内の内情に詳しい人から「○○さんが結婚したんだって」という話は流れてきて、そういえばそのくらいの歳なんだよなぁと感じる。実際、同期では結婚してる人も少なくない。普通ならここで焦ったりするのかもしれないけど、今までそういう事がなくても良い環境にいたせいで、全然実感が湧かない。親も大して言ってこないし。


最初に書いたけど、普通に過ごしてたら普通にこうなったって感じだ。年齢的には急いだほうが良いのかもしれないけど、必要と感じないものに躍起になるつもりは起きない。PS4で満足してるのに、xbox買う必要があるだろうか?って感じだ。

2020-08-01

後期オンラインなのに実習はあるという謎

限界教育学部生の戯れ言です。

特定とかしないでね。

つい最近、後期の授業が原則オンラインになることが通達された。

からギリ通えなくないけど……な場所学校があるから交通費がかからないし朝起きる時間も遅くて済むし「楽でいいや」って率直に思った(クズでごめんなさい)。図書館を使えないのはちょっと困るけど、色んなリスクおかしてまで友達に会いたいとも思わないし。

それで、その後お知らせとか見てスケジュールの整理とかしてたら、そういう通知が来るところに「後期中の実習は行う」って書いてあったのよ。

えっ、やばくない?って正直思った。

だって実習先は小中学校よ??自分らより免疫が無さそうな子供のところに、よくわからん学生が行くのよ?万が一何か移したらやばいどころの騒ぎじゃなくない??

あと、いくら自分の体調に自信があっても移される可能だってあるよね??嫌だな……そんなの…………

でもよく考えたら、大学以外の学校はもうオンラインのオの字も無いんだから大丈夫って判断なんだろうね。

シンプル行きたくないだけってのもあるんだけど、このタイミングで実習を決行するのってどうなの?って思ってしまった。

2020-07-14

どこにでもいる大学生がこの半年で変わった話

 先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!

私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????

567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人から身バレ防止のためここから大学描写ボンヤリとしたものになりますコメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!

誤字脱字はすいません。

いままで約20年間、数学物理化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。

大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。

 私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。

もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。

いくらでも手段はあるので諦めないで欲しい。

読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。

①去年~今年2月の話

 学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。

趣味だったイラストサークルにも加入し、高校が同じだった友達学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校クラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。

サークル友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。

安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。

 私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)

私の大学受験サポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。

有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生担任先生大学理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。

私が受験合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。

これが理由で、理系学部に進んだ私は自分学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。

もちろん授業が倍になるなら試験レポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。

1年間やりきった。成績も上々でモチベーション入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。

2020/02~04の話

 

 2月、実習も終わって大体の友達実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。

電車の中では咳をした人がにらまれているのを何度か目撃した。

実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルス話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。

 

 その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazon教科書を用意した。

 友達出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元友達ショッピングセンター居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元友達毎日のように遊んでいたらしくてラインzoomも使わなくなっていた。

私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュース危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学友達理解できなくなった。

ほとんどの大学友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。

4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレメイク同人誌を作れるレベル二次創作もした。自担(地下)の過去映像を見て1ライブできるぐらいにはダンス練習した。(クソデカ過大評価

しろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手ピザだのウーバーだの頼まれ友達勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分感覚自分を許すことができるこの時間人生夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。

大学近辺に借りたアパート電気・ガス・水道すべて止めた。

2020/05

5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。

今はもう慣れたけれども最初は“マジで地獄だった。

連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベル課題が出るのだからから出ることが本当に、絶対、多分無理。

オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達もっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽イライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。

 そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかたことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語せっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ

そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。

なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系教育学部医学部薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークル男子が教えてくれた。マジで無理だった。

こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。

インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。

正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。

メンタルボロボロのまま毎日徹夜レポートを書いた。エクセル演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推し夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタル回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。

2020/06

コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネットオンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。

リアル人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまりから一歩も出なかった。5月からミリも変わらない暮らしをしていた。

大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名フォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能距離にあるのかという内容であった。正直に送った。

私の周りでは実家帰省したままだという人がほとんどだった。

しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情メールして渋々だったが郵送させて頂いた。

その後も何人もの教授大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。

もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。

教授気持ちはわかる。高校部活演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離暮らしている子もいますWord文書気持ちが伝わりにくいなら、手書きどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学プリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。

この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドル現場でお会いしたことのある方で事務所経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前鬼のよう検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。

しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブ自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。

その頃だった。コンカフェ店舗を構える予定の歌舞伎クラスターが発生したのは。

もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。

それでも何度もDMがきた、見学だけでもいいとかなんとか。

断った。挙げ句の果てにブロックした。

捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)

ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。

いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチメンヘラコーナー)

2020/07と今日の話。

そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日実家で送っています最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています

私はこれでも勉強趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手ロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。

そしたら今日大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。

8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要書類大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。

実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。

から私はどうする?

教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事ネットはいっぱいある。

多分これから教育ネットが主流になる。

メールが来てから時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。

県内感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?

介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいか明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?

私今まで通り大学生活送れる?

もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。

なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいもの教師じゃないのかも知れない。

私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから

ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。

意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20

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