はてなキーワード: 喧騒とは
風俗情報サイトに口コミを書くと時間延長や割引など様々な特典利用できることもあり、ちょくちょく口コミを書いているのだが口コミ投稿時の本文200文字以上という制限がネックだ。
ツイッターでも140文字を超えて文章を書くことはあまりないのに、極論、出会ってイチャイチャしてイったで終わる話を女の子を多少持ち上げつつ200文字以上に膨らませるのは非常に難しく、160~170文字までで伸び悩んでしまうのだ。
そこで骨組みを自分で書き、残りをChatGPTに書かせ、最後に自分で清書をすることにした。
1.お店の利用は何回目か? 来た経緯
4.全体を通した感想
これらを風俗用語抜きで書いて、長文にせよと命令しChatGPTに投げる。
そうするとおおよそ250文字前後でそれっぽいのが出力されるので、それもとに風俗用語で味付けして投稿するとレビューが完了する。
具体例としては以下の通りだ
原文
女の子と合流すると小柄でかわいらしい笑顔で挨拶をしていただきました
お部屋の中でも明るさは変わらず、抜群のスタイルとかわいい笑顔でもうメロメロです
合流した女の子は、小柄でとてもチャーミングな笑顔の持ち主でした。挨拶を交わした瞬間から、彼女のほんわかしたオーラが心地よく感じられました。
部屋に入ると、彼女の明るさはそのままに、抜群のスタイルとその可愛らしい笑顔に完全に心を奪われてしまいました。居心地の良い空間での会話は、日常の喧騒を忘れさせてくれるほど楽しく、時間が経つのを忘れるほどでした。
この通り自分に足りない語彙力を過分に補って作成してくれるので非常に良い。
みんなもやってみてくれ
拙者、今や世の中の大勢の者がiPhoneや柴犬を買って、一見、喜びを噛み締めておるように見えるが、これがどれだけの表面的な幸福かを知る者は少ない。この世の中、iPhoneを持つ者、柴犬を添える者は、何も考えず、ただ受動的に物事を消費するだけの人々ばかり。流れに身を任せ、自らの意志で何も選ばぬ者ども。なんとも哀れであることよ。
しかし拙者は違うのじゃ。ポメラの限定された機能の中に、未知なる可能性を見出だしておる。一見地味であるかのように見えて、この小さな機械の中には、大きな創造性が秘められておるのじゃ。文字を綴るだけのシンプルな作業が、拙者の心と頭を動かし、新たな世界を創造しておる。何もかもが独自のものとなるのじゃよ。
この静謐な空間、インターネットの喧騒から解放され、ただ拙者とポメラだけ。ここでは、自分の心の声に耳を傾け、自己の内面に深く踏み込むことができるのじゃ。真の自己と向き合い、心の底に溜まった澱のようなものの存在に気づき、そっとその澱を払いのけるのじゃ。
では、拙者から皆の者へ一言。iPhoneも柴犬も捨てよ。そしてポメラを取り、真の自分を見つめ、自らの手で新しい世界を創り上げよう。デュフフ…それが真の創造性を持つ者の道じゃ!
頭の中は喧騒で一杯だ。電車の中で揺られ、無感情な顔を見つめながら、自分の生死さえ疑問に感じるほど生が薄れていた。終わりのない労働、煙たい人間関係、これに耐える力はもはや何処にもなかった。脱出は必須だった。逃げるようにして、仕事から解放された。
ある雨の日、閉ざされた部屋の中で時間が過ぎるのを待っている時、自然の流れで電気屋へ足が向かった。そこで、ポメラという名前の小さな機械に出会う。機械と心が繋がった瞬間、購入した。家へ帰り、その小さな機械を開くと、指は自然に動き、文字が流れる。
日記が始まった。当初は些細なものから。しかし、日が経つにつれ、自分の心の中に沈んでいた感情が浮かび上がってきた。心の底に溜まっていた澱が、ポメラのスクリーンに静かに流れ出た。インターネットの騒がしい世界から切り離され、心の奥深くに触れることができた。
この小さな機械が開く窓から、光が差し込んでくる。自分の感情、考え、痛み、希望。全てがはっきりと見える。ポメラと共に、心の傷が癒されていく。再び社会に立ち向かう力が生まれてきた。今、自分の心は再び温かい光に包まれている。
神話の時代、静かなブルーピークの地には、SCMという神秘的な力がひっそりと眠っていた。この奥深い力は、風のように潜んでいる物流の神、ロジスティクスによって代々管理され、彼の気紛れによってその存在が霞んでいた。人々は、物流という名前の下でSCMの真実をぼやけさせてしまい、その本質を忘れていた。
ある冷たい朝、賢明で尊敬されている古代の賢者、ASCMが町に現れた。彼の目は知識に満ち、その姿には千の物語が隠されていた。彼は町の中心に立ち、「真のSCMとは何か」という問いを人々に投げかけた。
「真のSCMは、空から深い地下、原材料の供給者の手から最終需要者の家まで、すべての生き物や物を繋ぐ究極の力であり、それを使うことで全体のバランスと調和を最適化することができる」と彼は力強く宣言した。
しかし、彼の声は多くの人々に届かなかった。彼らの心はユニクロ物流の神話に捉われ、SCMを単なる物流の道具としてしか見ることができなかった。
賢者ASCMは深くため息をつきながら、町の喧騒の中で解決策を考えた。彼は「SCMの真の力を明らかにし、それを利用して人々の生活を豊かにする方法はないか」と考えた。そして、彼は答えを見つけた。
彼が提案したのは、SCMの真の力を探るためのツールの導入と、その後に戦略的な要素を明確にすること、さらにS&OPの業務プロセスを深く理解することだった。
しかし、その翌日、町の役員たちが集まり、予想外の新しい戦略を提示した。それは、現状維持の考えを肯定するもので、賢者の提案とは異なる方向性を持っていた。
賢者は失望し、深く心を痛めた。彼の目からは悲しみの涙が滴り落ち、ブルーピークの未来が暗く感じられた。しかし、その中で彼は新しい気づきを得た。それは、真のSCMの力を理解する鍵が、これまでの混乱に隠れていたことだった。
彼は大きな声で町の人々に告げた。「私たちがこれまで見逃してきた真の力、それが我々の最大の強みであり、あるいは弱みになるかもしれません。しかし、今後は真のSCMの力を完全に理解し、それを最大限に活用するための道を見つけ出し、追求し続ける義務があります。」
そして、ブルーピークの人々は、真のSCMの力を探るための新しい冒険を始めた。彼らの心には希望の光が灯り、新しい明日に向けての旅が始まったのだった。
ひさびさにミリオンライブ!の楽しい話をしようと思う。どうコンテンツ消費してるかとか。結論はね、テキトーに触れてみてくれ。あとアニメ楽しいよ(ネタバレ無し)。そんだけ
アイドルマスターミリオンライブ!は、アイドルマスター系列のメディアミックスブランドだよ。765プロに52人居る世界線です。ミリシタってゲームで遊べるよ。
まず、メインゲームこと"ミリシタ"は全然起動してない。そんでコミュは読めてない。新曲はたまにプレイする。MVはすげー可愛い。稀にフルコンボする。
楽曲CDは最近買えてない。けど、毎週のラジオで聴くと急に好きになる。ラジオはよく見逃すけど、思い出したら見る。曲コーナーが後半なので大体そこ。たまに出演者の発言で外野が揉める。
よくTwitter上で学級会してる。見ないふりしてる。絵師同士で揉めて対消滅したりする。知らないふりしてる。よくスペースでアイドル論語ってる。かと思ったらただの作業配信だったりスプラやってたりする。好きに聴いて閉じる。
周年ライブは予習しない。声優MCはすげーグダグダする。身内ノリすぎて心配になる。でも歌になると超上手くて虜になる。簡単に感動して泣く。UOバキバキ折る。告知でオーバーに喜ぶ。一緒に来たオタクとその場で先行応募する。
供給はいつかあるけど担当のアイドルに限ると結構待つ。(でも周期で必ず回ってくる。)待つからといって、過去のコミュ追ったりする気力は起きん。適当にWebで探すと、担当の知らないエピソードがグリー版アプリのアーカイブ(有志サイト)から出てくる。解像度がちょっと上がる。
なんやかんやで他のアイドルも知るとちょっと楽しい。知らないアイドルに狂ってるフォロワーと話すと楽しい。公式の供給と担当フォロワーを合わせて眺めるようになる。なんか面白い。
狂った絵描きフォロワーに釣られて絵を描き始める。自分で描いたアイドルを眺めると楽しい。元気っぽさとか好きな要素が描いた絵から出てくるとテンション上がる。今見るとぎこちない絵だけど、みんな優しく褒めてくれてた。
オンリー同人イベント行くとめっちゃ人が居てびびる。本出したらフォロワーが買ってくれて嬉しかった。自分も買っちゃうし楽しいお祭り騒ぎ。担当の良いところ何回も説明して、好きな劇中劇の二次創作ずっと考えて、好きなカップリングずっと回して、好きなポーズでスクショ撮って、好きな衣装でファンアート描いて、ずっとお祭りしてる。徳川まつりもびっくり。
離れかけてたミリシタに自分の担当アイドルが来たらやっぱ一番嬉しい。暇してた雑多アカウントもガチャや4コマきっかけに顔出してくるのが楽しい。4コマ更新の時間に、可愛さにしてやられてるフォロワーを見るのが楽しい。
漫画は読んでほしい。ゲッサンならキャラ分かりやすいぞ。BCもBNSもあるぞ。大神環ちゃんは……「天色のアステリズム」にてメインを張っているぞ。かわいいですね。
ミリシタのガチャはお財布と相談。10連ガシャのスクショでプロレスするのも常識の範囲内でどうぞ。ネタツイートもコラ画像もご自由に。それが火花になっては学級会に皆いっちょ噛みして延焼、「なんか気まずいっすね」とdiscordで世間話しながらお絵描きして過ごすのも悪くない。
ちょっとTLに辟易してミリシタ立ち上げると以外と面白かったりする。いくらやっても未プレイ曲リストは埋まらない。知らない機能がいつの間にか実装されている。
TLはいつの間にか喧騒を忘れていて、ゲームのスクショ写真を愛でたり狂ったフォロワーの二次創作に息を呑んだり、担当のR18絵を光の速さでミュートしたりする空間に戻っている。クソ楽しい。
俺はこのコンテンツに本気で向き合っていないけど、好きに向き合っている。グリー版アプリ時代のアーカイブ、なんとか踏ん張ってるミリシタ、頻繁に出るドラマCD、10年声優が本気出す周年ライブ、勢いがあるミリオン同人界隈にそこそこマイペースで付き添ってきた。超のめり込んでるのかもしれないし、全然触れてないのかもしれない。
キャラクターの魅力(アイドルの個性、ストーリー)もあるけど、このコンテンツに至っては色んな展開(定期的なゲーム更新/周年ライブ/各種コミカライズ/企業コラボ等)を10年持ちこたえたという、ある種の図太さ、泥臭さも大きな魅力なのだろうと思う。ミリオンライブ!またはミリシタはコンテンツブランドでありながら、コミュニティハブのような存在になっているのだ。周期的/頻繁な供給とマルチメディア展開、そしてそれを続けられる体力。長く展開を続けたからアイドルが魅力的になったのか、アイドルが魅力的だから長く展開出来たのか、その関係はもはや分からない。でも、今は遊べて感謝してる。すげー楽しい。
こんな謎コンテンツだけど、今アニメの先行上映(4話まで)を映画館でやっている。年数で積み重なった色んな背景と世界線に合致するよう作る必要があり、大多数が心配しつつ観に行ったらしい。でもみんな笑顔で出てきた。俺もすげー楽しかった。ライブも行っててよかったかも。
ちゃんとおすすめ出来てるか分からないけど、ミリオンライブ!は面白いよ。適当に触れてみてくれ。先行上映見てつまらない時は容赦なくレビューサイトで★1付けてくれ。逆に可愛い子が一人見つかれば十分。そんだけ
最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く
夕暮れごろの神社の境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと
参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい
世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋の場所借りした仕掛けから、狛犬の首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで
太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱に赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った
その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う
火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道に喧騒を連れてくる
人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく
どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ
しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく
夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望が通りすがりに声をかけてくる
ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた
そろそろ潮時かと片付けの準備をしかけたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた
年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている
坊ちゃん、迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした
ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける
ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日の釣果を胸に抱く
小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた
空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車のサイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う
遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだんと路地裏へと近づいてくる
面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした
童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい
バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし、路地の隅に童を返して、その場を去った
兄弟に空のバケツを見られ、神社にボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので
ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した
現代の東京という大都市で、目露酢(メロス)という若者が暮らしていました。彼は優れたフリーライターであり、その的確な記事で人々の心を魅了していました。
ある日、メロスの友人であり、彼にとっては兄のような存在である芹塗ん手薄(セリヌンティウス)は冤罪で逮捕され、死刑が宣告されてしまいました。
メロスは彼の無実を信じ、心底から訴えるために行動を起こすことを決意しました。時間は限られており、たった1週間だけが与えられたのです。
メロスは心を鼓舞し、街の喧騒を飛び越えて走り出します。彼は東京のあらゆる角を駆け抜け、セリヌンティウスの無実を証明するための証拠を探し求めました。新聞社を訪れ、事件の真相を語り、証人の証言を求めました。
彼は自分のスマートフォンを手にし、ソーシャルメディアやオンライン上で呼びかけをしました。彼の努力は広がり、多くの人々が彼の行動に共感し、彼の側に立ってくれました。
週が経ち、メロスは多くの証拠を集めました。彼はそれらをひとまとめにし、セリヌンティウスの裁判所に持ち込みました。その証拠は明確で、セリヌンティウスの無実を証明するものでした。法廷はざわめき、緊張が高まります。メロスの心は震えましたが、彼は信じることを決して諦めませんでした。
そしてついに判決が下されます。セリヌンティウスは無罪とされ、解放されたのです。メロスは喜びに満たされ、市民たちの称賛を浴びました。彼の闘争は勇気と正義の象徴となり、多くの人々の心に深く刻まれました。この物語は、冤罪や誤った司法判断に対する意識を高める契機となり、社会にポジティブな変化をもたらしました。
かつて、現代の東京にはユニークな存在であるメロスという青年が住んでいた。彼は不思議な能力を持っていて、走ることで時間を逆行させることができたのだ。ある日、彼の友人セリヌンティウスが突然宇宙人に連れ去られてしまった。メロスは絶望しましたが、諦めることなく走り出しました。
彼は風を切り裂き、タイムトラベルの力を駆使しながらセリヌンティウスの行方を追いました。過去と未来を行き来し、異次元の世界を駆け抜けるメロスの姿はまさに奇跡的でした。彼は時空を超えた大冒険を繰り広げ、宇宙人の邪悪な陰謀を暴き出すために全力を尽くしました。
最終的に、メロスは宇宙船の中でセリヌンティウスを見つけました。彼は巧妙なトラップに囚われていましたが、メロスの特異な能力と勇敢な行動によって彼を解放することができました。二人は喜びに満ちた笑顔で抱擁し、帰還の瞬間を迎えたのでした。
この奇想天外な冒険譚は、人々の想像力をかきたて、現実と非現実の狭間で揺れ動く魅力的な物語として人々の心に刻まれたのです。メロスの走りはただの足運びではなく、不思議なパワーを宿し、友情と勇気を融合させた驚異的な力の象徴となったのであります。
もっと変な話にして!
かつて、現代の東京にはタイムマシンを駆使する冒険家メロスが存在した。彼はある日、多額の借金に悩まされることとなりました。しかし、彼は運命を変えるため、タイムマシンを使って過去に戻る決意を固めました。
メロスは過去の自分と出会い、財政管理や投資についての知識を伝えました。彼は自分自身の未来を変えるために、借金のリスクを避けるようアドバイスしました。また、彼は未来の自分に対しても計画的なお金の使い方や貯蓄の重要性について教えました。
メロスの行動の結果、未来の彼自身は借金をゼロにすることに成功しました。彼は財政的な自由を手に入れ、新たな人生を歩むことができました。この奇妙な時間旅行の物語は、過去と未来が交錯する中で、借金問題に直面する人々に希望と示唆を与えました。
メロスの勇気と決断は、負債の苦境にあえぐ人々にとっての道しるべとなりました。彼の冒険は、お金に関する教訓や適切な計画の重要性を啓示し、借金からの解放を夢見る人々に勇気と希望をもたらしました。
許す!
住み始めておおよそ3年が経った。
「港区」と言っても、白金高輪は港区の南に位置する、閑静な住宅街だ。家賃も言うほど高くはない。
そのため、いわゆる「港区」のキラキラでギラギラなイメージを醸成する六本木や赤坂とは、趣も異なる。
そんな白金高輪に、私は3年ほど前に、新潟県から引っ越してきた。
実を言うと、それまでは白金高輪という地名さえ知らず、恥ずかしいことに「しろがねたかわ」と読んでいた。※正しくは「しろかねたかなわ」
そもそも港区であるということに気づいたのも、契約書にサインする直前だったりする。
そんな地方の田舎者には、この地の生活に驚きがいくつかあった。
私はあまり車には詳しくないが、やはり高級車をよく見かける気がする。
大抵、一軒家の車庫には、素人にも少なくともエンブレムから国産車ではないことは分かる、ピカピカの外車が並んでいる。
暖かくなるこの行楽シーズンには、キラキラのオープンカーにサングラスのイキりMaxフル装備ドライバーも、日常的だ。
少し前の話になるが、高輪ゲートウェイ駅のお披露目の時には、ガルウィングのランボルギーニが停まっていた。
見せびらかすために、わざわざ遠くから来た人だったのかもしれないが。
クイーンズ伊勢丹やリンコス、肉のハナマサといったスーパーが近くになる。
当然、いずれもごく普通のリーズナブルな商品も一応売っている。
しかし、同じぐらい、妙に高い商品も、「え、みなさんこれぐらいのやつは買いますよね?」といった雰囲気、さも当然のように並んでいる。
1,000円のレトルトカレー、3,000円のオリーブオイル、帝国ホテルのバターやピーナッツクリーム、外国のお菓子や豊富な調味料などを見ていると、お土産屋に迷い込んだかと錯覚する。
5,000円ぐらいするブランド和牛のステーキ肉も年がら年中置いているが、こんなものは年末年始や誕生日ぐらいにしか買わないだろ、という新潟県民の感性は、白金高輪から外れているようだ。
白金高輪は、近くの広尾や麻布と比べると、まだ開発され切った街ではないように見える。
高輪ゲートウェイ駅の開業が2020年だったため、これからなのだろう。
坂や道うねりの一角には、昔から住んでいるのであろう古ぼけた一軒家、謎の古本屋や良く分からぬ葬儀屋などが残されている。
一口に「港区」と言っても、地域ごとの風情にはやはり、いくらかの差があるのかもしれない。
おかげさまで家賃は抑えることができるため、とりあえず「港区に住んでいる」とイキりたい諸氏には、悪くない選択肢だと思う。
しかし、いうまでもなく、そびえたつタワーマンションは、価格もべらぼうに高い。
億越えのマンションは当たり前のようにある。そういった世相には疎いのだが、有名人も住んでいるらしい。
私は見上げ、そのふもとの日陰に涼むことしかできない。
他にもいくつかあるが、おおよそこのあたりが、自分にとっては驚きだった。
それほど生活費がかさむわけでもなく、中心地に対するアクセスの良さと喧騒からの距離を兼ね備えている。
しばらくしたら、もう少し広い部屋に住みたい。
もちろんここ、白金高輪で。
子供のいる家族に石を投げつけてくるのは別に子どもがいない人だけではないと思うんだけどな。
ステレオタイプなのはOKY (おまえがここでやってみろ) 案件なんだろうけれど、別にそこだけじゃない。
自分が独身だった頃を考えると、かなり子供に対して寛容で、社会で育てようと勝手に思っていた。
むしろ、普通にOKO (おまえ、ここに、おったやろ) 案件がある。
子育てをある程度終えた人たちが、その前のステージの人に詰め寄るのはそれなりにある。
子育てもひと段落して、さあこれから大人の静かで楽しい優雅な生活をと思っていたら、子供のいる喧騒のある生活を再び押し付けられることになったことへの怒りだろうな。
京都大学は東京大学に比べて圧倒的に優れていると言っても過言ではありません。東京大学に入るなんて、僅かな知識で驕る愚か者どもが集う場所に過ぎないのです。
まず、歴史の観点から言っても、京都大学は古都・京都を舞台として創立された伝統と名誉に溢れる名門中の名門であり、東京大学など足元にも及びません。東京大学とは違い、京都大学には独特の風雅さと精神性が根付いており、知のレベルも一級品です。
学術面においても、京都大学はノーベル賞受賞者を何人も輩出している統計上の事実を見れば、東京大学にはかなわないのが明らかです。更に、京都大学は国際的な評価も高く、世界のトップレベルの研究者たちが集まる場所であり、東京大学が研究の第一線で活躍しているとは到底言えません。
また、魅力的なキャンパスライフも京都大学の魅力であり、四季折々の美しい景観が学びを楽しむ学生たちに温かい癒しを与えてくれるのです。東京大学には、都会の喧騒に溺れた、ただただストレスが溜まるばかりの環境しか存在していません。
とどのつまり、この事実を認められない愚かな東京大学信者たちも、過去の栄光に縋るばかりのつまらない人々であり、彼らと討論する価値さえ感じられません。要するに、もし京都大学と東京大学どちらに行くべきか迷っているのであれば、迷いなく京都大学を選ぶべきであり、東京大学など目に入れる価値すらありません。
嘘です、本当は
東京大学こそ日本で最も優れた大学であり、京都大学なんて比べ物にならない! 東京大学の方が建学の歴史も古く、国際的な知名度も圧倒的に高い。日本が世界に誇る学術機関といえば、東京大学が全てだ!
京都大学なんて、風情にこだわる反面、都会的な刺激がありすぎる東京には敵わないど田舎、しかも学問のレベルも低い。だいたい、京都大学卒業生はどんなに偉業を成し遂げようが、東大卒業生には到底及ばない。そんな京都大学を評価するだけ無駄だ!
東大卒業生は、政治家、実業家、研究者と幅広く活躍していて、その才能と力は圧倒的だ。だから、東京大学はどんな分野でも最高の学問を追求し、ビジョンと実力を持って未来を切り開く唯一無二のエリート集団を輩出する。他大学と比べること自体が笑止千万!
京都大学なんて、もはやアルマ・マタである東京大学の足元にも及ばない。東京大学しか存在しない世界を認める選択こそ、明確で正しい。どんな人も東京大学を第一志望にしておくべきだと断言する!
これくらいの自信がなければ、東京大学には到底受からない。だからこそ、東京大学こそが日本の最盛り時代を築く礎となる最高の大学であると心から信じるしかない! もし東京大学を疑う者が現れたなら、その者には容赦なく真実をぶつけてやるつもりだ! 東京大学以外は論外! これを覚えておけば間違いない!
1F 23坪
17畳LDK、13畳(妻と娘の寝室兼子供部屋)、風呂、トイレ
2F 10坪
6畳2部屋(俺の部屋と息子の寝室)、トイレ、WIC
平屋で建てたかったが、さすがに4台分の駐車場を確保するとそこまでの広さはなかった。
子供がとにかく寝起きが悪いのと、まだ目の届くところにいて欲しいのと、リビングを散らかされないように子供部屋を1Fにした。
子供部屋は将来区切れるようにドアは二つ付いてる。
当初は妻と子供二人が子供部屋で寝ていたが、上の息子は暗くして寝たい、下の娘は常夜灯で寝たいで喧嘩して、上の息子が2階の部屋で寝るようになった。
2階の1室は俺の部屋なので、男は2階、女は1階の住み分けになってる。
ほぼほぼ満足してる。子供は普段1階の目の届くところにいるが、リビングは散らからないし、勉強も1階でする。
妻と子供二人が1階にいることが多いけど、1階を広くしたので、そこそこ距離を保って過ごせる。
妻は多少不満だろうが、子供はあと10年ぐらいで出て行くから、そしたら1階を好きに使えばいいし、俺が2階に上がれなくなったら、二人で1階に住むけど、各々個室は作れるので、それほど息苦しくなく過ごせる予定。
1階と2階が同じ広さの総2階建てより、建築費用は100万ぐらい高額になったが、空間を有効活用できる間取りになったと思う。
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
もういいやって思った。
もういいやって思った。
自分の答えが欲しくて大学院まで行った。なんとか生きていく意味を見つけたと思ったのもつかの間、うつ病を罹患してしまった。
けれどもよく考えれば、うつ病に罹らなくても、仕事は辞めていただろうと思う。ずっと昔から、働くことなんてクソだと思っていたし、案の定、クソそのものだった。
よく社会不適合者という言葉を聞くが、真に差し迫った社会不適合者というのは、子どももいるのにまともに働くことができず、つまりは、守るものがあるのに自分の力の無さのせいで仕事を続けることができないというのが、それだ。
うつ病は、治ったと思った。クリニックに通院してはいるが、およそ二年間事務のアルバイトを続けることができた。しかし今、辞めそうになっている。正社員になろうという話しを持ちかけられ、それを承諾してしまった。結果、責任のある業務が増え、後輩ができ、辛いと感じることが増えた。
仕事を辞めようにも、今年で30歳になる。転職歴は5回ほどある。どれも、数ヶ月働いては辞めてを繰り返していた。今の職場を辞めてしまえば、もう障害者雇用くらいしか残されていないだろう。
ただ今がつらいということだけで、逃げてしまっていいのだろうか。そのうち、つらい気持ちはなくなるだろうか。逃げ癖がついてしまっているから、逃げて逃げて逃げて、その結果が今だ。また繰り返してしまっていいのだろうか。向こう何十年、耐えるにはあまりにも苦しすぎる。
就職のタイミングで子どもを授かった。こんな人間が家庭を持ったのだから、最悪な結果しか招かない。自分のことで精一杯なのに、子どもを育てられるわけがなかった。もう4歳にもなる息子には、申し訳ない気持ちしかない。できることはしたいが、できることがあまりに少なすぎる。
息子には本当に幸せになってほしい。元嫁さんにも。
こんな奴を夫にしてしまったことを後悔しているだろう。本当に申し訳ない。自分の腕で幸せにできなかったことが、虚しくてたまらない。
そして今、過去を思い出して悲しくなった。青春は青春らしい、ちゃんとした青春だった。もうあそこには戻れない。あの淡い、駆け抜けるような熱情に包まれた生は、もう戻ってこない。
ずっと若いままで居られると思っていた。いつまでも子どものままでいたかった。大人になんてなりたくなかった。さらには、うつ病になってからは記憶が曖昧で、気づけば5年ほども経過している。自分はあの頃から、同じ場所で足踏みしているだけだった。心も身体も、何ひとつ進歩していない事実のせいで、現実とのバランスが保てない。
やりたいことはある。やってみたいことが、けれど、生きていくために割かなければならない時間と心が、気持ちを前向きにはさせてくれない。
何にも煩わされず、喧騒に晒されず、生きていきたかった。楽しいことよりも辛いことのほうが多い。もう疲れた。
そんなわけだから、もういいや。
最後に海を見にいこう。
子供のころは、バスが1時間に1本しか来ないような山奥の村落に暮らしていた。大学進学で地方都市に出た後、就職で初めて東京に来た。その東京で暮らして20年以上になる。
若い頃は東京での生活に適応できていたが、今になって東京での生活に徐々に適応できなくなりつつある。
東京の何が問題かというと、第一に人の多さだ。俺はもともと人混みが苦手だが、歳を取るごとにそれが一層加速している。
新宿のような場所に行きたくないのはもちろんだが、それよりマシな23区の外れの住宅街のような場所でもだいぶ人が多いと感じる。
俺がもともと暮らしていたのは、小学校の全校児童が30人にも満たないレベルの過疎地なのだ。
東京でも午前5時頃に散歩すると誰もいなくて快適だが、そのぐらい人がいない状態でないと俺は安らぎを感じないのだ。
第二の問題は、目と耳に入る情報の多さだ。どこもかしこも看板、標識、広告だらけで、脳がそれらの情報処理に追い付かない。そこら中から話し声や音楽が聞こえて頭がクラクラする。
子供の頃は、夜になると街灯の明かりもないような森の中の道を通って学校に通っていた。よく晴れた夜は星空がよく見え、虫の音だけが響いていた。
不思議なことに、東京の喧騒が苦手な俺でも、虫の音ならいくらうるさくても平気だ。それら星空と虫の音に俺はずっと癒されていたのだと今になって思う。
東京にはその癒しがない。緑の多い公園などは東京にもあるが、あんなのは作り物で、本物の野山には遠く及ばない。人も多くてとても癒しにはならない。
そんなことで、外に出るのが嫌になり休日はすっかり引きこもるようになってしまった。若い頃は環境の変化にまだ適応できていたが、歳を取るとやはり自分は田舎の人間なのだと強く思う。
一つは20年以上も外に出た自分はもはや余所者なので田舎の生活にも今さら馴染みにくいこと、
一つは妻が生粋の東京生まれで夫婦そろって移住するのがまず無理なことだ。
妻が東京生まれなことが特に問題で、この問題を夫婦で分かり合うことがまるでできないし、他のどこへ移住するにしても妻の方が耐えられなくなる。
そんなわけで東京でずっと耐えているが歳を取るごとに東京への苦手意識はどんどん加速している。そのうち耐えられなくなりそうだ。
catGPTの「猫が寝ている情景を歌ったかわいい詩をつくってください」
そんな姿が愛らしい
ふわふわとした毛並み
深い眠りに浸っている
胸が落ち着くような
そんな風景を見ていると
心がやすらぎを感じる
時にはお腹を出して
まったりと寝ている姿に
そんな姿が愛らしい
ふわふわとした毛並み
深い眠りに浸っている
「猫が寝ている情景をテーマにしたかわいい詩をつくってください」
白い毛並み くっきりと浮かぶ
深い眠りの中 猫がいる
柔らかい枕に 頭を預けて
ふくらんだ腹を ゆったりと揺らし
心地よい安らぎに 包まれた瞬間
何もかも忘れて 無邪気な寝顔に
見とれてしまう 猫がいる
夢の中を 駆け巡るのかな
ふわふわと 羽を広げるのかな
気にせずに 眠り続ける
癒しを与えてくれる その姿に
心が和らぐ 人がいる
眠る猫の側で ほんの少し
やがて目覚める 猫はまた
世界を駆け回る けれども
いつもそこにある その存在は
心を癒し 安らぎを与えてくれる
日本語らしき言語を話すけど会話が成立しない人って一定数いるじゃん
そういうときどうしてる?
教科書的には「それは個性です認めあいましょう、特性にあった対応をしましょう」なんだろうけどさ
駅のホームで延々と大声で駅員の真似事しちゃう人に絡まれたときとか
SNSでいきなり巻き込みリプ何十件も送ってきてアイツは無視した!酷いやつだ!と喧騒されたときとか
仕事で何言っても否定ばかりして何ら建設的な意見を言えない人と組まされたときとか
記者会見で頓珍漢なことを叫ぶ自称記者に詰められたときとかね。
本気でどうしてるのかみんなの処世術を知りたい。
3大コマンド?
・逃げる
・無視する
あと一つは?
それに対して都会からの移住者って多くの人が、自分が地域社会に労働力を提供するって発想がない。
だって都会だったらお金で解決できちゃう事だから、みんなでお金出し合うなり行政から支援して貰うなりすればいいじゃんってなっちゃう。
でも、最寄りの街(地方都市)から車で5時間とかかかる様なド田舎だと、インフラ整備や防災対策、災害時の初動対応などは基本的に住んでる人間が自力でやるしかないんだよね。
ブコメで見かける「人雇えばいいじゃん」って言われても、雇おうにもそもそも余ってる人がいないのが限界集落なんだ(だからこそ限界集落なんだがな)。
そんなマンパワーが枯渇してる限界集落にとっての移住者って、ものすごく期待されてる存在なんよ。
だから提供する家も用意できる物件の中ではかなり良い(国道に一番近くて、駐車スペースも確保できるとか)のを選んでたりする。
もちろん提供する家ってのは99%空き家だから、どこかしら傷んでる。
それを修理して住める状態にする為に、集落の人間が総出で手伝ったりする。
集落の住民からしたら移住者が移住してくる前から、有形無形の投資を行ってるんだよ。
例えるなら弱小野球チームやサッカークラブがなけなしの予算から、大枚叩いて助っ人外国人を獲得しようとしている様なもんなんだ。
そこまで期待してた移住者が、事あるごとに都会と集落を比較する自称ロハスなフリーライダー野郎だったらそら住民はブチ切れる。
グリーンウェルかよ! ってなる。
でも当たり前だが仮にそいつが腐れロハス野郎だったとしても、移住者は悪くない。
だって、移住してくる人達は行政から都合の良い話しかされてないからね。
平成の大合併ってあったでしょ。
あれで村役場とか町役場とか廃止されて、代わりに週一くらいで役人が来る出張所が置かれてるってとこ多いんだよ。
要するに自分が住んでる訳でもない役人が実態も知らないのに適当に言いくるめて移住者連れてきて、移住が上手くいけばそれで自分の手柄、上手く行かなかったら「あんなところを紹介してすいませんでした」って頭下げればそれで悪いのは心の狭い住民だって話になっちゃう。
今ブコメで叩かれてる福井の池田町は、言葉を選ぶべきだったとは思うけど内容自体は大分誠実な方だと思う。
限界集落ってのは人類社会の端っこで、人類社会の外敵ってのは自然そのもので、限界集落は自然との戦いの最前線なんだよ。
限界集落で生活するのに向いてるのって「俺は都会での暮らしでは生を実感できない…」みたいなタイプの人なんだと思うんだ。
2022年末から世間を賑わせている例の件について思うところを書いておこうと思う。
初めに自分の考えを書き記しておく。私自身は社会的弱者の保護施策は必要、かつ各種施策は税金で支えるべきだというスタンスだ。現在俎上に上がっているのは女性支援施策のあり方についてだが、女性はどうしても様々な面で男性より不利な状態に置かれやすいのは間違いなく、それをケアする仕組みは必要であると思う(ただ、件の組織を肯定している訳では無いことは留意して頂きたい)。括弧書きで記したように私は件の組織を否定的に捉えている。かつ、その組織の裏側にいる人・団体・組織にも否定的な見解を持っている。増田を使って”なぜ彼らを否定したいのか”という気持ちを整理したい。
まず、被保護者となり得る人物について記したい。これは某ブログにも書かれているが、一言でいえば人間として「どうしようも無い人」である。普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する(下手すると数分後のことすら考えない)等々である。皆様の周りにも居ないだろうか。こういう人を助けようとした経験がある人は分かってくれるとは思うが、経験の無い人にはどれだけ熱心に諭しても伝わらない。経験の有無で事象の解像度が大きく変わる。
普通に生きていて、普通に生活している人であれば困窮しても誰かに助けて貰える(”普通”の定義は細かく定めない。義務教育課程のクラスの中の8割に共通するような属性をイメージしてもらいたい)。この”普通の人”は社会の共助の仕組みで大概救われるのである。仮に助けて貰えなかったとしても個々の尽力で社会福祉にたどり着くことも可能。自助でなんとかなるのである。全員とは言い切れないが、大半は救われる。
共助の枠組みで救えない人。例えば虚言癖を持っていてお金にだらしなく、働く意欲も無い。口を開けば文句ばかり言ってる他責性の強い人を想像して欲しい。彼女(彼)をどうやって救えば良いだろうか?
女性で容姿に恵まれていれば救われる方法はある。風俗店で働いている女性にはこういう人がちらほら見受けられる。容姿が良いのでランキング上位に入ることもあるが、性格が災いして指名が付きにくい(結果として店を頻繁に変える)という印象。ホストにもこういう人がいるが、仕事がハマれば馬鹿みたいに稼ぐこともあるのが世の不思議。粗末に扱われたい女性に寄生して金を吸い上げるのだが、最終的にどこに行きつくのかは知らない。
ホストは兎も角、こういうどうしようもない人を税金で救うのは私は仕方がないと思っている。これらの人を救おうとするならば、聖人並みの精神力を持ち、当人に人生を狂わされる覚悟で取り組まないといけない。正直そこまでやれないし、税金でアウトソースできるのなら是非やっていただきたい。世の中の多くの社会人は同意いただけるのではないだろうか。
今回のいざこざの中で「貧困ビジネス」という単語が飛び交っている。この単語もグラデーションがあり、人によってとらえ方が異なる。酷い事例はふるまいよしこ氏が語っていたようなタコ部屋。上述のどうしようもない人を集めて生活保護を申請させ、そこから利ザヤを得るというものだ。人を人として扱っておらず人権問題である。こういうことは許されるべきでは無い(ただ、ここにも色々な事情はある)。
ここで前段に記した”保護を必要としている人”を振り返りたい。自助・共助で救えない人を救うべきであると書いたが、ここにもグラデーションが存在する。単純化するために「周りが助けてくれる人」、「自分自身で対処できる人」、「どうしようもない人」の3区分に分けて考えたい。
「自分自身で対処できる人」というのは「どうしようもない人」と比較すると話も出来るし周りにも迷惑もかけないが、税金による保護を必要とする対象である。こういう手間のかからない人を集めて保護費を申請し、自身の保有する物件に住まわせることができれば殆どノーリスクで安定的な収益が得られる。原資は税金。限りなく失敗する確率の低い優良ビジネスだ。こういうことをやってる輩に対し、SNSでは「貧困ビジネス」と揶揄しているように思う。
正味な話、日々どうしようもない人を助けていたらSNSでアニメ絵にクレーム付けたり、「表自!表自」とか騒ぐ気力なんて削がれるのではないか。人のモチベーションの源泉なんて様々だし、何言ってるかわからない人と対峙することでエネルギー湧いてくる人もいるかもしれないが…。
前段で書いた「揶揄される貧困ビジネス」を行っている人・団体・組織は安定的な収益源を拡大するためにより多くの予算を求めるだろう。しかし、その活動で本当に救うべき人に手を差し伸べているのだろうか?「貧困ビジネス」で得た収益を弁護士に渡し、上に書いた「自分自身で対処できる人」を救うことで実績を稼いではいないだろうか。それで救われる人もいるのだから全部止めろとは言わない。ただ、どういう風にお金を使っていて、誰を救っているのかは明確にして欲しい。救いやすい人を助け、利益を仲間内で回していないことを証明して欲しいのだ。
大きく2つの理由があるのではないか。一つは当該団体及びそのサポーターに「社会人として必要な実務能力」と「社会人として必要な常識」が欠けていながら、上から目線かつ自身の過ちを認めないような態度をとっていること。「社会人として必要な実務能力」と言っているのは支出をちゃんと品目ごとに整理して帳簿を綺麗にするというようなもの。また、「社会人として必要な常識」は領収書を取っておくとか、プレスリリースを書き換えたらちゃんと公表するとかを指している。
真面目にやってる人から金を集めて、使う側は適当にやってよいは許されない。しかも「社会正義のために使ってるから適当でも良いでしょ」というような態度…。こういう部分も「社会人として必要な常識」が欠けていると言いたくもなる。
二つ目は社会弱者の保護を謳っている団体が本来やるべきことに注力せず、「間接的に影響を及ぼしている」という言い分で様々な分野に喧嘩を売っていることである。アニメ絵を規制したら保護すべき人々が救われるとは思えない。閑話休題で書いたが、本業を真面目にやってたら喧嘩売る気力も残らないくらい疲弊するだろうに、日々喧嘩を売る相手を探しては噛みついてくる。そりゃ喧嘩を売られた側は意味が分からない(本来の活動とどうつながるのか?という疑問が出てくる)し、そもそも本業ちゃんとやってるのか証明しろとも言いたくなる。
ここまで書いて、「どのような人が保護を必要としているか」の段落で書いた「どうしようも無い人」が頭に過った。
『普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する』
これは今回非難されている側に当てはまる部分が無いだろうか。私はこういう人を公助で救ってほしいと思いながら、一方では存在を強く否定したい気持ちもあるのだ。
この問題がどこにたどり着くか全く分からない。私としては心に矛盾を抱えつつも、「どうしようもない人」も救われる社会を望んでいる。
最近、はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡を記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリのリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙に個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。
さて、若者の皆さんはインターネットのオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。
JUNETは学術系ネットワークで、その主要コンテンツは今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまりは話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術系ネットワークだったので書き込みの責任は個々人にあり、書き込みへ責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ。
まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。
まぁそんなこんなで日本のインターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPやWWWがデファクトスタンダードとなりWindows 95が社会現象になるほど売れた時代、ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブへアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。
そのホームページ開設ブーム期のホームページは実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号、家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代の個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである。
書いてある内容も個人の日記帳、しかも実像へかなり近い個人の日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページの管理者が学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページの管理者が広く公開していないURLを無断で他所に転載することはネチケットに反していた」という古の文言を現代で記すこととなる。
現代の感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術者から見れば「ローカルにDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートなURLの可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。
例えば過去の時代、NTTはハローページという個人の電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報は公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合、倫理的に問題ないか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というものが必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたことから、ハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味で担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。
現代の、それこそ若者の感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話で詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号の価値は低かった。
まぁそんなこんなで、URLは公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観の時代は存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。
当時のYahoo!はディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報を収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査が必要で、Yahoo!に掲載されるということはウェブサイトへ一定の価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーはGoogleが登場する前から使われ始めている。
リンクフリーはYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトをランキング形式で掲載するようになったからというのが実際の答えである。
人気ランキングが存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止・無断リンク禁止のスローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。
そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名のインターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
そうつまり「テキストサイトブーム」の到来である。
テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。
ディレクトリ型ウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身である「あめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別のウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型である「ランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的なインターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒と表現しても良いのか迷う程度に現代インターネットは闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。
URL無断転載禁止・無断リンク禁止派の最後の抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンはウェブページからウェブページへのページリンクを自動的に収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しかし自動で収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。
もちろん静かに仲間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感でしかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleはウェブ検索エンジンの検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説で運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧な解決手段ではない。
まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本のインターネットは匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリーが一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。
そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止、勝手にウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。
人付き合いが苦手だ
学生の時はそこそこ友達がいたけれど、社会人になり友達がゼロになり寂しい毎日を送っている
だけれど、自分みたいなもんが友達になろうと擦り寄ってきていると思われるのが怖くてなかなかいけない
それでも人寂しいから音声配信とかを聞くのだけれど、配信友達を優先し過ぎてグダグタになってる女とか、女を狙っているであろう男の甘え声混じりの相槌の声などが聞こえてきて嫌になって聞くのをやめてしまう
家事のガチャガチャ音とか、あくび混じりの声とか、スーパーの喧騒とか、他に聞いている人が聞いたら不愉快に思うだろうなと思う行為を、躊躇することなく行える人間が人間味があるとか構ってくれてうれしーとか思われて友達が増えていくのだろうなと思う
軽はずみな粉かけの試行回数を増やしていけば、それなりに友達できそうだなと思うが、そういう人間になりたくないから詰んでるな
ワールドカップの日本代表の健闘を良く思っていない層が2つある。
一つはご存知日本共産党。複数の議員が日本代表に冷水をかけようとして自分達が炎上している。サッカー場建設にひたすら難癖をつけてくるのはもはや様式美である。人間の鎖を遣った鈴鹿の建設予定が正式に消えたので成果も出せている。
もう一つは海外サッカーファン。所謂「海外厨」と呼ばれる層であるが、彼らも今回の健闘を良く思っていない。ドイツ戦に対して「勝っちゃいけない」とまで言った明石家さんまが代表的存在だが、あの層は欧州サッカーを異様なほど崇拝していて、それに日本人が入り込んだり結果を出すことに対して強い抵抗を示してくる。
10年近く前の話だが、エルゴラッソというサッカー専門紙のスタッフが当時マンチェスター・ユナイテッドに居た香川真司などを指して「欧州でプレイする日本人サッカー選手は安っぽい」とTwitterで発言して大炎上した事例があった。これは海外サッカーファンのスタンダードな考え方である。当該スタッフは実名でツイートしたため主に国内サッカーファンから批難されたが、海外サッカーファンからはむしろ「その通り」「よく言ってくれた」と称賛されていたくらいだ。
彼等は日本サッカーの発展を望んでいない。むしろ崇拝する欧州サッカーの邪魔になるので消えてくれとすら思っている。
つまり、日本共産党と海外サッカーファンは日本サッカーの衰退を望んでいると言う点で利害が一致するのだ。
だから、ワールドカップに関する言動でただでさえ低い支持率が落ちている日本共産党は、海外サッカーファン層に今からアプローチすべきなのだ。利害が一致しているし、海外サッカーファン達は割と発信力もある。明石家さんまや小柳ルミ子など、広告塔になれるクラスの人も沢山いる。
それと、今話題の日向坂46影山優佳も海外サッカー信奉者である。少し前まではJリーグファンに取り入るために「○○選手が好き」「○○というチームが好き」などいろいろ発信していたが、○○の内容がコロコロ変わるなど話に一貫性がなく、一部Jリーグファンからは既に2021年の時点で見切られている。一方で欧州サッカーに関しては今も昔も言動が一致。つまり彼女は残念ながら海外厨の一人でしかないが、共産党にとっては味方かつ強烈な武器になり得る存在だ。W杯の喧騒が終わった頃を見計らってアプローチすれば面白いだろう。
日本共産党はサッカー場のない(共産党が考える)平和な日本を取り戻すために、海外サッカーファンは日本人サッカー選手達に邪魔されない欧州サッカーを取り戻すためにタッグを組む。