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2021-05-05

anond:20210505162739

大阪で何回か引越ししたけど更新料あるとこばかりやったで

anond:20210505142621

知人の商売の手伝いが諸々の元凶なのは、たぶん気付いてるよね。

運営資金の一部を支払ってるからには本当は経営権の一部も持てなきゃおかしいのに、その知人が増田をただの手伝い扱いしてるってことは、その知人はクソ野郎ってことだ。縁を切ろう。

あと将来的に生活保護から脱したいならどっかのタイミング破産しておこう。今はまだ家賃が高いところに住んでるみたいだから引越し債務(家賃の滞納)の額が定まった後の話だけど。

地理公民が優秀で修士まで行っていて、生活保護で金の心配がいらないのなら、職が見つかるまでは自分の専門分野のnoteでも書いてみてはどうだろう。修士を取れるほどの知識なら、たとえ反響収入が小さくとも社会の役には立つぞ。

2021-05-04

転勤

転勤で関東から九州に移動してきた。

チェーン店あんまりないので店を探そうとすると食べログとか基準に探すことになるんだけど引越し先の近辺の店舗レビュー絶対同じやつがいる。

普通レビューなら気にもとめないんだけど方言丸出し特徴的な絵文字表現でめちゃくちゃ見にくいレビュー

ワールドワイドウェブサービスド級ローカルを味わう体験をした。

結局チェーン店でやりすごしてる。

2021-05-03

そろそろお引越し先を探してください

そろそろお引越し業者見積もりとってください

とか

指示出し

重要だよね

anond:20210502201619

N501Y変異株は空気感染するし高齢者じゃなくても重症化するって話だけど実際はどうなんだろう。

自分が、もし東京関西在住なら引越しを考える。

でも、自分が仮に地方在住なら、そういう目的で引っ貸してくる首都圏住民嫌悪感を持つかも。

もっとも、今の勢いが続くなら、地方でN501Y変異株が蔓延し始めるのも時間問題かもと感じる。

もしかして、今こそ(ワクチン利権ハブられている)イベルクチンの出番では?

自分は、イベルクチンを1週間に1錠飲んでいるけど、安心感全然違う。

北里大学HPにイベルクチン論文がアップされているので、興味があったら読んだらいい。

自分は臆病な方なので、イベルクチンがなかったら、東京大阪には絶対に行かないし、地元商店街にも絶対に行かないと思う。

飲んでいるのは、アリエクで5〜20ドル(1錠あたり約5〜20円)で売っている家畜(牛・豚)用イベルクチン英語とかでググりまくって、成分・中身は人間用と全く同じだということを確認した(人間用には申請承認されていない)。

アリエクで「ivermectin」で検索したら出てくる(人間用に承認されていないので、飲用は自己責任)。

自分場合、(15ドルくらいのを1週間に1錠7.5mg)飲用しはじめて1カ月以上経ち、体調は快調、かつ「安心感全然違う」のは間違いない。

2〜4週間位で届く。

2021-04-29

大好きだった彼女が死んだ

2021年4月28日(水)、一足早く予定が変更になりゴールデンウィークに入って自宅でのんびりパソコンをいじっていた私に衝撃なニュースが飛び込んだ。

「元T-SQAREの和泉宏隆さんが急性心不全の為61才」。

T-SQAREは昔大好きで、特に和泉宏隆さんのピアノにはピアノ弾けないけどめちゃくちゃ憧れた存在だったから、すごいショックだった。

すぐにYoutubeで探し出して、つい最近和泉宏隆さんの演奏動画を見かけ、やはり絶品だった。

それから時間後、パソコンに見慣れない通知が入った。

LINE TIMELINE普段連絡以外で使わないLINEなので、なんだろう?と思って通知をクリックしたらブラウザのタブが開いた。

「母の初七日が終わり、ご報告します。母は4月21日の午前3時33分、永眠しました」

とあった。

一瞬、何のことか飲み込めなかった。

「母って、そんなこと連絡してくる意味が分からないんだけど……え?」

だって、その差し出し主は彼女自身だったから、私は一面識もない彼女の母のことかと思った。

それは、彼女の娘さんが、彼女スマホを通じて、彼女の死をまだ知らない人に一斉連絡するためのものだった。

私は凍りついた。

だって、つい最近まで、Twitterで好きな野球見にいきたいと言ってたじゃないか

全然知らなかった、まさか癌だったなんて。

僕は取り急ぎ、そのタイムラインに思いついたままコメントを書いた。

信じられない、と――。

 

彼女、と言っても、付き合っていたのはもうかなり前のことだ。

でも、大好きだったのは間違いない。

最初は、あんまり堂々とは言えないような言わば古い出会い系サービスのようなものを通じて出会った。

私はその頃、女の子に飢えたナントカみたく、だけど女の子に声を掛ける勇気とかないのでそんな怪しげなサービスばっか使ってたのだけど、数人程度の色々な異なった女の子出会ったけど、彼女だけは特別だった。

の子と待ち合わせたのは、今はもうない遊園地玄関

夏の暑い日だったことを記憶してるけど、その日差し以上に彼女キラキラ輝いていた。多分、私には彼女についていいイメージしか残っていないのだろう。

本当に、あっという間に恋に堕ちた。

彼女は、当時、人気のあった女優、U.Yに似た美人さんで、まだ高校生二年生だったと思う。

私は確かその頃は、二十代後半に差し掛かったところで、年下過ぎて、恋愛対象にすべきかどうか迷い、出会って一年目は電話だけの仲にして、付き合い始めたのは彼女高校3年になってからのことだった。

彼女以前に、若干の女の子と付き合ったこともあるけど、後にも先にも彼女ほど好きになった女の子はいない。

付き合い始めると、私はすぐ実家から出て一人暮らしを始めた。もちろん、彼女と2人っきりでいたかたからだ。

その年のゴールデンウィーク彼女提案で、2人で一泊旅行もした。

その旅行で、未明頃に彼女が急な腹痛で苦しんでいたのに、彼女が「多分大丈夫から医者はいい」と言うので、手を握って朝まで看病してあげようと思ったのに眠気に勝てず、何事もなかったようにケロッとした顔で彼女の方から起こしてきたのも覚えている。

その初夏の頃だったかな、一人暮らし寂しいだろうからと、彼女は私の部屋にサボテンを持ってきてくれたのはいいのだけど、その同じ日に作ってくれたよく分からないあの牛乳たっぷりパスタを、あまりに酷い味なのに我慢して全部食べ切って汗かきながら「美味しかった」って嘘ついたり。

 

でも、そんな幸せも長くは続かなかった。

彼女宗教問題だった。

当時、彼女宗教に対していい気はしていなかった。

それというのも、散々な評判を自分の親から頻繁に聞かされていたからで、その影響が強かった。

数年前に再開してから聞いたけど、それは彼女にしても同じだったようで、彼女は過干渉の親から離れたかったけど、その為には、結婚相手でもいない限りは無理だったらしく、その相手に求める条件がその宗教であることが絶対だったのである

から、夏を過ぎると、徐々に彼女から宗教の勧誘が始まり、私は板挟みになった。

こちからすれば、彼女宗教から離れてもらわないとどうにもならない。

結果、2人とも相当苦しんだ末に、年末クリスマスを待たずに別れを選択する以外になくなってしまった。

あんな辛い別れは後にも先にもあの一回しか経験していない。

 

でも、その後がちょっとね……。

ほとんど覚えてなかったのだけど、別れてすぐぐらいに、私は彼女にとんでもない手紙を送っていたらしい。

再開したのは、もう2人とも結婚経験して、子供も出来て、Facebookたまたま彼女が僕を見つけたからだけど、彼女はなんとその手紙をずっと持っていたのだった。

黒歴史……、本当に記憶がないのだけど、別れて以降、ストーカーギリギリ手前のことまでしていたらしかった。

そう言えば、彼女は変わった奴で、当時私がハマっていたインターネットのある掲示板に浸っているのを、別れて一年経った頃に、どういうわけだかその掲示板を探り当て、私を見つけ出し、メールしてきたことがあった。

パソコンも知らなかったはずなのに、どうやら私に影響されたらしく、その後は私を遥かに上回るネラーになっていたらしかった。

で、Facebookで私に連絡してきた彼女と、一週間くらい経ってから再開した。

彼女は、当時の面影全然変わらず、明るくて、その居酒屋での3時間ずっと喋り通しだった。

聞けば、彼女はその一ヶ月前にやっと離婚できたのだという。

酷いDVに悩まされ続けたらしかった。

なぜ、私に連絡してきたのかを聞くと、たまたま引越しのために荷物を整理していたら、昔のアドレス帳が出てきて、そこに私の名前が書いてあったのだという。

彼女にしてみれば、単なる気まぐれで私に連絡を取っただけだったそうな。

ともかく、彼女も2人の子持ち、私も妻と2人の子持ちになっていて、子供の話などで大いに盛り上がって、居酒屋からラストオーダーだと言われて後、1時間以上席を立たないほどだった。

 

それから、年に1〜2回会ったりして、簡単デートの真似事程度のことだったけど、ほんのちょっとあの頃に戻ったような雰囲気を感じたりして過ごした。

とは言え、別に過去に戻ろうとかそんな気は全く起こらず(考えなかったわけではなく、逆にそんな話もした)、その内に、彼女の方に好きな人が出来たりして、私はやはり男だし引いた方がいいかなと思って、ここ数年はばったり連絡を取らないでいたのだった。

 

彼女が、離婚する前に酷いDVだったせいで、かなり重度の鬱病だったのも知っていた。

私と会っている時には毛程もそんな振る舞いは見せなかったけど、薬を大量に服用していたのも知っていたし、あまりに酷い状態入院したのも何度かあるのも知っていた。

だけど、私に何ができるかということもないだろうし、むしろ既に別れて何年も経つただの古い知人にすぎない私が関わらない方がいいと思って、そんな話を彼女からたまに聞く程度で過ごしていた。

去年くらいに、何かで入院したのも知っていたけど、まさか癌だったとは思わなかったし、そんなことは彼女は私に一言も言わなかった(知っていたとしてもいうわけはないと思うけど)。

 

覚えていることはたくさんあるけど、すぐに思い出したのは、再開して二度目のデートの時。

どこかの海岸で、別に何をするわけでもなく、ベンチで2人駄弁っていたら突然彼女は、言った。

 

「あの鳩、まるまる太ってる。どいつもこいつも太っとる。何でこの辺の鳩は太ってるんだ?」

 

それがどういうわけだかめちゃくちゃツボにハマって、私はその場で腹を抱えて笑った。その海岸にポツンポツンといた何人かの人たちも振り返るほどに笑った。

 

そんな彼女はもうこの世にいない――。

和泉さんの宝島、なんでこんなに泣けるんだろ。

https://youtu.be/N_kO_UtPSg4

2021-04-26

綺麗なお家への憧れがあったらしい

社会人になって早7年目。それなりに稼いでいるし、好きに暮らしている。

今は引越しもして、少し古い1LDKのマンションに住んでいる。

ルンバを買ったが、床に物が散乱しており稼働していない。ルンバに埃が積もっている。

テーブルの上には酒の空き瓶と使い終えた食器が並んでいる。

一人暮らしの男の暮らしなんてものはそんなものだろう。

 

しかし、会社の付き合いでしばしば上司や先輩の家にお邪魔してみると思うのが、綺麗すぎるのだ。

こう、上手く表現ができないが、とにかく綺麗なのだ

俺の家と違いすぎる。

俺の部屋をどう掃除しても、このような綺麗な家になるとは思えない。

仮に俺がテーブルの空き瓶を捨て、シンクを磨き、床を拭いたところで、そのような綺麗な家になるビジョンが一ミリも見えてこない。

掃除の延長線上に、綺麗な家が無いのだ。

 

ちゃんとした」「丁寧な生活」は、俺の歩む人生に無縁なのだと気付いた時、人生で初めて「綺麗なお家に住んでみたい」という欲求が湧いた。

ずっと武骨で男らしい部屋だと思っていた自分の家が、いたく情けないものに映った。

仕事を終えたら、ゴミ纏めるところから始めようと思う。一歩ずつ、綺麗な家を目指すのだ。俺の為の家を。

2021-04-19

角部屋に住むのやめたらめっちゃ家間違う

引越しはいつもマンションの角部屋にしてたんだけど

今の家に来る時は急に決まったせいで条件に合う角部屋の物件が取れなかった。

で、階の真ん中あたりの部屋に住んだら自分ちの位置めっちゃ間違う。

カードキーマンションなんだが何度も何度もエラーになって

「?」となってから「あっ部屋違うわ…」を度々繰り返してる

間違えた部屋に在宅してたら本当に怖いと思う。申し訳ない。

次はせめて端から2軒目ぐらいの部屋じゃないと分かんねーな…

2021-04-18

教育格差がその人の人生を決めるのだから論には納得してやらん

納得できないのではない、納得してやらんのだ。

北海道人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。

だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。

小学校同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。

その当時の大人世界では義務教育パソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコン配備されるようになってきた時代
しかしながらド田舎公立高校でそのような先進的な機械活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。

田舎には田舎ルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校からハブられ中学野球試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。

ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初プリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員書類ワープロ専用機で作る時代だったのでパソコン知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンパソコン通信とインターネット接続できることに気が付いてしまった。

Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。

増田クン、これからPerl時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービス提供するならPerlが向く。DoCoMoiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
iモードピッチじゃないよ周波帯が違う」

特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲーム自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、PerlPHPJavaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果から試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。

そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。

親父の回答は「勝手しろ

今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さなから家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコン引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。

右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロ和音が鳴るしディスプレイカラー携帯電話電波田舎にまで届く。

甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。

人一倍努力人生を豊かにする。

今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身脳筋漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍努力は裏切らねぇなと。

自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。

俺はネット上で忌み嫌われる努力教徒だろう。
でもこれだけは忘れてくれるな。
俺の献身的努力を捧げた先は俺自身だ。

2021-04-12

[]

土日ほとんど寝てた

そんで夜~深夜に在宅で持ち帰ってるPC仕事してた

もちろんサビ残申請しない

死にたい

もう土日も終わってしまった

死にたいシニタイ

今月中に引越し先も考えないといけないしにたいくそ死ね

2021-04-09

喪女プログラミングスクール行って彼女が出来た話など

すみません長過ぎて削れちゃったので再編集版です。

プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。

フィクションのつもりで聞いてください。


私は地方で育ち、地元女子中・女子高・駅弁大学卒業し、地元とあるテーマパーク就職しました。

比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。

toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達休みが合わない、覚える事が多い、職場僻地ダンサーチームの揉め事仲裁契約社員組みから嫉妬大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。

まあゲストイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます仕事から

でもスタッフも、とにかく感情で生きてる人間が多すぎます。私よりずっと大人なのに。

華やかな表舞台とは裏腹に仕事はそこそこハードで、給料の水準も高いとは言えない環境のため、人の出入りが激しく、トラブルを起こしたり、恨み辛みを吐きながら辞めて行く人が多いのもメンタルにきました。

最初に威勢のいい人ほどすぐ腹を立てて辞めていくので、個人的に警戒して距離をとるようにしていました。

理想現実ギャップが大きいからなのか、彼らの自己評価が高いからなのかわかりませんが、もしかしたら私のように、ドライ仕事しんどいものだと思ってる方が、色々受け入れられるのかもしれません。

そんなこんなで2年ほど勤めましたが、最後まで職場にも業務にも慣れる事もなく、花形着ぐるみポジションが空いた事によるダンサーチームの派閥争いの激化に伴って私の神経も擦り切れ、半ば衝動的に仕事を辞めてしまったのでした。


実家に住んでいたので、しばらくはニートしながら次に何をするか考える予定でした。

しかしそんな折、東京に住んでいる祖母怪我をしてしまい、介護を要する状態になってしまいました。

私は昔から祖母が大好きだったので、喜んで同居と介護の役目を担うことにしました。

祖母とは小学校低学年くらいまで同居していた期間があり、その頃から私の唯一の理解者でした。

私が真面目で、冷めていて、興味を惹かれると他のことが目に入らなくなって、

自分のペースで物事を進めたくて、少し融通が効かずに周りの子達と馴染めなかった頃、

その事に両親はお手上げで「みんなと同じように」「普通に」「お願いだから」としか言わなかった頃、

あなたちょっとだけ人より心が大人なんだよ。それでいいんだよ。賢くて真面目なあなたが好きだよ。

もも疲れたら、周りの子たちと同じくらいには、いい加減で、だらけて、失敗してもいいんだよ」

と、声をかけ、私が「もう大丈夫」と言うまで何十分でも抱っこしてくれた祖母

祖母のその言葉と、帰ったら祖母が家にいるという安心感で、私は少しずつクラスメイト達と打ち解け、誰かに心を許したり、自分が失敗することも他の人が失敗することも許せるようになっていったのでした。

東京には別の親戚もいたのですが、ペーパードライバーで頻繁に祖母病院に連れて行くのが難しかったり、仕事の都合だったりで他に候補者もいなかったので、私の立候補には関係者みな渡りに船という感じでした。

母に「おばあちゃんが好きってだけではできないよ。よくわかってないんじゃない?」とも言われたけど、私は祖母に関する事ならちゃん理解たかったし、自分想像が及んでいない事があるなら、それも知りたかった。

介護はまあ大変だったのですが、意外と祖母が元気で、怪我の経過も芳しく、家の中の生活においては一人で出来る事が多かったのもあり、私は徐々に暇になっていったのでした。

美術館博物館が昔から好きで、最初は狂ったように行っていたのですが、お金もそんなにないし、周りに友達もいないので、やや時間を持て余すようになってしまいました。

そこで、一念発起して、噂に名高いエンジニアとやらになろうと思いたち、プログラミングスクールを探し始めました。

テーマパークで働いていた私からしたら、エアコンの効いた部屋で座って作業できて、toC接客をしなくてよくて、給料が高い(らしい)なんて夢の職業だと思っていたのです。

東京での普段淡白ながら、楽しみ方の選択肢がとても多い生活も肌に合っていて、祖母介護を終えても田舎には帰りたくなかったので、こっちで就職して帰らなくていい理由を作りたかった、というのもありました。


色々調べて、とあるオンラインがメインのプログラミングスクールに決めました。

祖母の家が都内とはいえ西の方で、交通費も出ないのに電車都心に通うのは厳しかったのと、祖母用事が最優先なので時間の都合がつけやすいようにと、グループでやる課題とかがきっと向いてないだろうなと思ったからです。

(今になって思えば、git実践的な使い方に慣れられるし、どうせ働き始めたらチームでやるんだからグループ作業経験しておくのをおすすめしたい)

ニート期間が短かかったので貯金があまり減っておらずなんとか料金を捻出できたのですが、貯金はなくなりました。

プログラミングスクールでは、まず卒業後どういう職種や働き方を希望するかを聞かれ、それにはどんなスキル必要説明を受けながらカリキュラムを決めていきました。

授業は、エンジニア経験のある人とskypeを使ってマンツーマンで、テキストを進めたり、課題をチェックしてもらったり、デバッグを手伝ってもらったり、わからないところを教えてもらったり、実際の開発現場の話を聞いたりしました。

私はなにせ女子校育ちだし、喪女だしで、女性先生が良かったのですが、女性先生は数が少ない上にみなさん大変な人気でなかなか予約が入れられませんでした。

平日の日中に授業を受けられるので、働きながらの人よりはずいぶん有利な立場にはあったはずなのですが、できれば同じ先生にずっと見てもらいたいと考えると、なかなか厳しい状況でした。

ですが、一人だけ比較的予定が空いている先生がいました。そう、後の彼女である


彼女の予約が空いている理由は1回授業を受けたらすぐにわかりました。

早口だし、自分の言いたい事は最後まで言わないと気が済まないし、アイスブレイク下手くそだし、全然笑わないし、癖なのか10分に1回メガネを拭いてるし、説明が長いし、1回説明した事は完璧理解するはずだと思ってるし、なんか顔が怒ってるし、なんか厳しくて答えをなかなか教えてくれないし。

顔は結構美人なのに、性格きつい人だなあというのが無遠慮な私がもった第一印象でした。

まあでも予約を続けてとれる女性先生は他にいないし、私も生来かなり真面目な性分だし、授業が終わった時のやけに油断してホッとしてる顔がなんかちょっと可愛いし、実力をつけるには問題ないだろうという事で継続して予約を入れる事にしました。

しばらく授業を受ける事で、だんだん彼女の態度は軟化していきました。

プログラムも楽しかったし、彼女については保護猫をだんだんと慣らしていくような面白さもありました。

授業は丁寧だし、彼女フレームワークの細かい内部の挙動や、メソッドオプションなんかにもかなり詳しく、それらの点では優秀な先生だったので、私の心からはいしか懸念も不満も消えていました。

そんなある日、パソコンを買い換えたいと思っている話をしたら、意外にも彼女が付き合ってくれる事になりました。

(当時、なんか可愛いという理由で買った、やたらキーピッチのあるVAIOノートパソコン作業していたのですが、色々目が開いてきてMacに乗り換える事にしました)

買い物当日、MacWindowsの違いから丁寧に教えてくれた彼女私服はダサかったのですが、お礼も兼ねて新宿居酒屋に行く事になりました。

主に、Windowsで使ってたツール類のMacでの代替品を教えてもらうつもりだったのですが、いつのまにか梅酒2杯で饒舌になった彼女の身の上話を色々と聞かせてもらっていました。

ゲームが好きでプログラミングに興味をもったこと、

プログラミングが好きでシステムエンジニアになったこと、

新卒SES会社入社して働いていたこと、

同期の中で唯一の女性だったこと、

研修は同期の中で一番成績が良かったこと、

頑張って資格をいっぱいとったこと、

現場で役に立ちたくて色々な提案したこと

いい提案ができるように新しい技術を家でもたくさん勉強したこと

いいシステムを作る為にプロジェクトの良くない点はきちんと指摘したこと

それらを煙たがられて注意を受けたこと、

「女のくせに」って言われたこと、

空気をよめ」って毎日何回も何回も言われたこと、

自分が席を外したタイミングで夕会が行われるようになったこと、

プロパー+αの人だけの飲み会」にチームの中で自分だけ呼ばれてなかったこと、

契約期間を途中で切り上げて退場になったこと、

社内で待機している時、営業に「女でこんなに売れないのお前だけ」って言われたこと、

新卒もどんどん現場に出ていくのに自分は次のプロジェクトが決まらなかったこと、

「とにかく人が足りないから大歓迎です」って言われた案件でもチームの中で1番最初に退場になったこと、

同期で自分以外の全員が主任かPL以上になったこと、

飲み会で同期にそのことをイジられたこと、

男の人が怖くなってしまたこと、

円形脱毛症になってしまたこと、

声が出なくなってしまたこと、

病院に通ったこと、

会社を辞めたこと。

業界が向いてないのは身に染みてわかったけどプログラミングが好きで今の職についたこと、

スクール先生も向いてないのはわかっていること、

授業のリピート率の低さに会社からいつも小言をもらっていること、

SESが辛くて辞めたのに、多くの人が卒業SESに行くプログラミングスクール先生をしているということ、

自分のやってる事が人の為になっているのか信じきれていないこと、

本当はスクール先生じゃなくて開発がしたいこと、

SES以外の社内SEとかで転職を考えたけどどこにも受からないこと、

から人付き合いが苦手なこと、

親戚のおじさんに一人すごく嫌な人がいること、

成績は悪いが愛嬌のある弟ばかり親が可愛がること、

私が授業をリピートしてくれて、すごくすごく嬉しかたこと、

私となら雑談がうまくできて、すごくすごく嬉しかたこと、

私が授業以外で会ってくれて、すごくすごく嬉しかたこと。


「いや、まだそんな重い話を聞く関係じゃないですよw」って途中まではいつ言おうかタイミングを見計ってたけど、とうとう言えずに最後まで聞いてしまった。

気がついたら私は泣いていました。それは気持ちがわかってしまたから。

小学2年の春、誰かに一緒に帰ろうと誘われるまで教室で本を開いて待ち、みんな連れ立って帰ってしまいひとりぼっちになった後、仕方なく開いていた窓を閉め、カーテンを束ねていた、その風景を思い出してしまたから。

ああこの人は祖母出会わなかった私なんだな、と、どうしようもなく理解してしまたから。

私はこの不器用女の子を、放ってはおけなかった。


私が優秀だと彼女評価もあがるかもしれないと思って余計にがんばり、無事卒業を迎える事になりました。

プログラミングスクール卒業生の主な就職先はSESです。(今はわからないけど)

SESについて彼女に色々聞いていたので、客先企業に常駐して、多重下請け上等で、使い捨てで、人売りと呼ばれていて、残業が多くて、無理なスケジュール押し付けられて、仕様変更が頻発して、現場では肩身が狭くて、theITドカタっていうのは知っていました。(今はわからないけど)

でも私はなんでも知りたかった。彼女のことをもっと知る為に、SESについて身を以て知るつもりでした。

同じ時期に卒業を迎えた人の中には、断固SES拒否する人も何人かいました。

下請けじゃなくて上流工程ができて経営が安定していてまったり働ける社内SEか、自由先進的でフットワークが軽くて自社サービスのあるベンチャーがいいのだと。

いやいやいやと、社内SEがそんなにいいものなら、学業が優秀だった人か、SESで優秀だった人から順番に行くでしょうと、

ベンチャーがそんなにいいところなら、すごく優秀な人たちの少数精鋭なんでしょうと。

課題サンプルのプログラムをいくつか作っただけの私たちがどうしてそんなとこにいけるでしょうかと。

修行のつもりでありがたく、いろんな現場業界で実戦経験積めよと、1行でも多く実務でコード書けよと、色んなプロジェクトドキュメントとかプロジェクトマネジメント見て勉強しろよと、SESでもないと逆にそんな機会も無いぞと、そんなことを思っていました。

私の就職先は、2回面接をしただけで、スクール推薦のSES会社にあっさり決まりました。


祖母は、私が平日フルタイムで働いても差し支えない程度まで回復していました。

彼女とは頻繁に連絡をとったり、遊びにいく友人の間柄になりました。

彼女は私の職場についてすごく心配していました。

しかし、実際SESで働いてみると、覚悟していたような環境とは少し違いました。

基本的に自社のリーダーしかさない(プロパーが直接メンバーに指示を出すのはダメらしい)し、スケジュール変更や仕様変更もちょこちょこあるけど、その分の残業代もちゃんと出るし、なんだか全体的にいいところでした。(テーマパーク比較するとなおのこと)

彼女最初に働いた企業が、現場が、時代が、運が、悪かったのだとわかりました。

その事については奥歯が割れるくらい、悔しかった。

でも、「あなたのおかげでエンジニアになれて、人生が変わって、嬉しいよ」って、彼女に伝える事はできました。


数年はそのまま穏やかに、繁忙期には激しく、時が流れていきました。

祖母怪我は完治し、私はそこそこのスキルを身に付け、転職引越し検討し初めていた頃でした。

そんなある日彼女から東京を離れるつもりだという連絡が入りました。

彼女は私の卒業後もスクール先生をしていたのですが、それがあまりうまくいっておらず、だんだんと稼働が下がり、収入も下がり、公共料金生活費も滞納しかかっているような状況だったそうです。

そして、そのことが親御さんに伝わり、帰ってくるように言われたそうです。

私は彼女の唯一の理解者だったので、私が彼女幸せにしようと思いました。

彼女引越し先でのルームシェアと、当面の生活費の負担と、その代わり家事をしてもらう事を提案しました。

すったもんだの末彼女はなんとか承諾してくれました。

しか問題お金です。彼女お金がぜーんぜんないし、私も引越し料金(2人分)とルームシェアできる物件2LDK以上)の敷金礼金・初期費用を払うのは苦しい状況でした。(実家かに頼ると、生活できないならこっちに戻ってこいと言われてしまう)

そもそも転職先が決まらない事には物件を探す事もできません。

折り悪くコロナの影響が、転職市場や私の現職の稼働に影を落とし始め、「やっぱり私実家に帰るよ」などと彼女が言い出して、これはいよいよヤバイなと思い始めた頃、

事態は急転して、なんとお金問題転職問題唐突に片付きます

みなさまPayCareerさんをご存知でしょうか。企業面談するごとに3万円もらえる転職サイトです。

そこで数件のスカウトが届き、多額の臨時収入を得られ、トントン内定複数頂く事ができました。

みなさま是非PayCareerをお使いください。求職者に寄り添うお心をお持ちの採用担当者のみなさまも是非PayCareerをお使いください。

その後物件探しにも散々苦労するのですがなんとか新居が決まり私たちルームシェアを始めることができました。


ある土曜日の晩、ブラックスワンという映画がどんな内容かをよく知らずに、なんともなしに見ていた私と彼女関係は、日曜日未明に友人から恋人に変わりました。

彼女彼女になりました。

私は女子校だったので、女性同士でお付き合いしている人たちを長く近くで見ていた事、彼女過去経験から男性に恐怖心を抱いてしまうこと、ここ数年似たもの同士の2人がお互いを助けあって生きてきた事、要因はいくつもあったと思います

多分お互い、本当のところは男性の事が苦手ないしよくわかっていないだけで、もしかしたら男性と付き合おうと思えば付き合えるのかもしれませんが、この上なく安心できて、優しさを掛け値なしに注ぎあえるパートナーを得られた時、それは問題になりませんでした。

人の寝言って今まで聞く機会がなかったのですが、彼女はすごいはっきりと寝言で喋るので驚いています

私は転職する時に、自社サービスを持っていて、担当者裁量業務委託の採用発注ができる企業を探していました。

条件に該当する企業入社できたので、彼女は今、フリーランスプログラマーとして私と同じ職場で働いています

彼女はとても幸せそうで、私は大満足の日々です。

ということで、喪女プログラミングスクールに行って彼女ができた話などでした。

2021-04-07

SEOって画期的だとおもってたんすよ 13年ぐらい前までは

昔はまぁ自分ゴミを量産しててタウンページから企業データを抜き出したのをWEBサイトでまとめて被リンク貰ったり、逆に被リンク貰って結構ページランク上がったなってタイミングリンクを売ったりしてた悪徳SEO会社なんだけども、

それ以前、そうまさにタウンページってどうなってたかしってるか。

引越社って思いつくの何がある?

・アリさんマーク引っ越し

アーク引越センター

アート引越

まぁこんなもんでしょ。共通点わかるよね。全員「ア」から始まるの。

これはなんでかっていうとあいうえおソート五十音順)でダウンワークは載せてるから「アー」ってつけることで一番先頭にきて電話されやすいっていう判断ね。

そのせいでダウンワークオーガナイゼーション末期は「アーアーアーアンシン」とかいうもう誰も勝てねぇレベル会社名(サービス名)まででてくる始末。

そういう状況がクソだったのでWEBサイトちゃんと作って長く運営している会社が上がってきやすSEOってのは神だと思ってたんだよ。まぁそういう事思いながら自分ゴミを垂れ流してお金もらってたわけだが。

で、まぁ、俺のやってた手法ペンギンアップデートっていうのが来て使えなくなった。(簡単に言うとわざとらしくてユーザー利益をもたらさなSEOペナルティにした)

その時はもう毎日のように至るところに借りてたレンタルサーバーアクセスしてはゴミを削除するって事をして、まぁサービスとしては真っ当に運用してた3個ぐらいを残して無数のゴミデータ抜き出しただけのやつ、ワードサラダブログとか)は潰して、そういうSEOからは足を洗ったわけだ。

で、取引先をいきなり失うわけにもいかないんで「新しいSEO」とかいってなんとか食いつないで今は全く別のサービスしてるんだけど、

結局今のSEOに即した形でユーザーの役に立たない事をするやつはいるんだなーって思った。

抜け道のないSEOなんて理想はやっぱGoogle的には(追求してるとはおもうけど)無理な話で、今でもたまーにSEOに関してブログを読むけど企業の方が莫大なサイト運営しつつ順位動向を確認できるんだからSEOアルゴリズムに関して得られるデータが多くて速い。(あとこの前、自信満々にサジェスト汚染御社サービスを上位にしますっていう営業きてビビったね。)

 

攻略サイトに関しては現在は5chが攻略情報握ってる場合のほうが多いのでやっぱり5chを逐一チェックして自分確認しつつすすめるのがいいんじゃねーかな。

Twitter検索かに頼るのもちょっとおすすめ大手を振っておすすめ出来ないのはそこにも企業(というかアフィリエイター)の罠が潜んでいて5chまとめとかに誘導させられるから。最も中身スカスカ企業wikiよりもある程度ちゃんとまとめられてるアフィリエイターまとめブログのほうが情報の質が良い場合もあるんだけどね。

2021-04-06

過疎駅は廃止しろ

いま過疎の駅はどうせ10年後には廃止されてんだろ

さっさと廃駅にした方がいい

その地域に住んでる田舎もんは引越ししろ!ひっこーし!ひっこーし!さっさとひっこーし!しばくぞ!

2021-04-05

20年前に貰われていった猫

20年近く前、飼っていた猫を近所の女性が引き取りました。実家を建て直すために一時的に引っ越すことになりましたが、そこには猫の居場所がありませんでした。結局、近所でその猫と仲が良かった女性の家に引き取られることになったわけです。当時既に5~6歳程度(もっとかもしれません)と大人の猫でしたが、人懐っこいのとその女性にとてもなついていたので双方の合意のもとで猫は貰われていきました。

思えば、その猫はもともと別の家の猫でした。偶然脱走して茂みで休んでいるところを自分がみつけ、徐々に手懐けて自分の家で面倒を見るようになったのでした。元の家が見つかったときは流石に戻しましたが、なぜか1週間ほどで再び脱走をしてしま自分のところに戻っていました。結局、元の家の承諾を得て自分の家で飼うことが決定したのです。

猫は基本的に外飼で、家の中も外も自由に出入りしていました。子供の頃は父親の枕元に昆虫をおいて驚かせたり、雀をとってきたり屋根に登って降りれなくなったりと話題が事欠かないヤンチャな猫でした。ただ、動物を飼うということをあまり重要視していなかったせいか予防接種等はしていなかった気がします。今となっては避妊していたのかも怪しいです。

冬になるとコタツの縁に座って暖を取っていました。餌が欲しかったり甘えたくなると、決まって自分の足をフミフミしていたものです。暑い日は商品棚の上に登って涼んでいましたし、障子もバリバリしました。たまに他の猫に引っかかれて怪我して帰ってくることもあり、だけど結構近所の猫からモテていた様子も見れました。トイレ基本的に縁の下にいって自分で済ませるなど、餌以外の世話はあまり必要なかった気がします。自由にさせていたからですかね。


餌も随分といい加減でしたし、放し飼いがすぎて近所の家にまであがっていたそうです。その1人が貰われていった女性です。今はもう存在しない洋服屋店員さんで、その洋服屋に頻繁に出入りして餌をもらったり昼寝をしていたとのこと。気持ちよさそうに眠る写真を見せてもらったことがあります

「もうお姉さんの猫になっちゃえよ」という言葉現実になるとは当時思ってもいませんでした。


あれから20年。当時のお姉さんが今どこで何をしているのかも知りません。猫を預けたのは、外飼いをしすぎて引越し先の家できちんと面倒を見られる自信が我が家になかったからです。お姉さんはそのことを理解してきちんと面倒を見てくれると約束してくれました。もうその猫は虹の橋を渡ってしまたことでしょう。でもどうか幸せ暮らしていたと願いたい。

もしもそのお姉さんがいたら、こっそりでいいので手紙でも渡してくれたらいいなと思っています

2021-04-01

今週末ADHDの診断をもらいに行きます

不注意優勢ADHD疑いです。

2年前に知能検査済み。結果をもらう時に恐らくADHDだねと言われました。

その後就職引越ししてなんだかんだ病院に行ってませんでした。が今週末ついに行ってきます

ゆうて頑張れば普通の人として生きていけるかもしれない…………と逃げて1年。

仕事ミスが目立ち始めて腹を括るもADHDの診断をつける前に医療保険に入れとTwitterの人が言っていたので保険に入るまでは…………と逃げて1年。

やっと病院に行きます

ADHDと診断されたところで何か変わるのか。

薬は効くのか。そもそも処方してもらえるのか。

薬代結構高いみたいだから家計心配

薬を飲んだら普通の人にはなれるのか。

診断が降りたら結婚とかできないかもしれない。

親とか職場の人とかになんて言おう。言わなくてもいいのか。

この先どうやって生きていけばいいのか。

普通の人はいいなあ。普通に生まれたかったな

2021-03-30

階段でつっかえた冷蔵庫を通した話

頑張ったので書いておく。

2階にLDKのある家に引越したら冷蔵庫階段を通らなかった。引越し当日はひとまず一階の部屋に置いてもらって終了。

※前提※

・立地と間取りの制約で吊り上げ搬入NGであり階段を通すしかない

冷蔵庫10年物の400〜450リットルタイプで概ね奥行き690、幅600、高さ1800強

階段はL字型で狭いところは幅は720ぐらい

※とった対応

対応その1:冷蔵庫のドアを外してみた

前面に操作パネルのあるタイプ本体上を覗くとソケットがあり、爪を外せば本体とドアの電線を分離できた。あとは固定ネジを外して持ち上げるだけで意外と簡単だった。

外すと奥行き630ぐらいとなり、家電移動を請け負ってくれる業者に見てもらった。

→ 現地確認で引き受けNG

幅が足りない。無理すると家に傷がつく。

手すりを外したらどうかと聞くも、つけ直すと手すりの強度が落ちる、外したところで幅が十分ではない、家電屋の搬入経路の記載は当てにならない等、相当やりたくなさそうで諦めた。

小さいサイズへの買い替えを検討するが、ゆとりをもって通せそうなのが3ドアタイしかなく要件を満たさず保留。

対応その2:手すりを脱着式にリフォーム

世の中には脱着を前提にした手すりがあると知り、冷蔵庫以外の荷物搬入も考えてリフォーム実施した(大建の部材を使った)。

→ 階段の幅が760強に広がり希望の光が見えた。

対応その3:再度、作業依頼

前と同じ業者に来てもらった(担当者は違う)。冷蔵庫のドアを外しても足が出っ張っていることに直前になって気づき希望の光が風前の灯。

→ 通せる保証はないが、家や冷蔵庫に傷がついても文句なしという条件付きでやってみてもらえることになった。

難所は回り階段部分の天井出っ張り。

階段の上が綺麗に吹き抜けになっていれば幅だけの問題ですんだが、天井の一部が出っ張っている。そうすると冷蔵庫を傾けて階段を上げ始めないといけない。

傾けた冷蔵庫を回り階段部分で真っ直ぐにできなければ試合終了。

一段ずつゆっくり上がる冷蔵庫

「ここを通らなかったらアウト」の段を迎え、慎重に向きを変えてクリア

「通りましたよ!」と嬉しそうな業者さん。

よいしょよいしょと運ばれて、ようやくキッチンに収まった冷蔵庫が輝かしい。

都市部でよくあるだろう、ゆとりのない立地と間取りの家で起きた事例でした。

手すりを外せるようにしたことはもちろん、冷蔵庫のドアを外して上だけでも奥行きを小さくできたのが良かったよう。軽量化観点からも。

最近冷蔵庫だと配線が複雑になってドアを外せないかもしれない。

メイプルストーリーの思い出(追記)

小学生の頃、狂ったようにMMORPGで遊んでいた。

自分には所謂お金持ちの友人がいて、彼は自分専用のデスクトップを3台所有していた。

彼は自分を自宅に招き、そのPCであらゆるゲームを紹介してくれた。

ぱどタウンからまり(これはゲームではなかったが)、ハンゲームメイプルストーリー天上碑(だったと思う)、REDSTONEDJMAXなどなど。

その中でも彼はメイプルストーリーにハマっており、ジャブジャブ課金をしていた。

彼はどのゲームにおいてもゲーム内フレンドを作るのが怖いらしく、そこで「現実の友人をゲーム内に連れてきてフレンド登録しよう」と考えたそうで、それで選ばれたのが自分しかった。

自分は家にPCどころかインターネット回線もなく、フレンドというにはかなり心許ない気もしたのだが、彼は自分毎日自宅に招くことで解決を図った。

実際ゲームはどれも面白く、かなり不健康光景ではあったが、「友人宅で毎日PCに張り付き隣に座る友人とゲームチャットで会話をする」ということをかなり楽しく感じていた。

しかし、彼の一番熱の入っていたメイプルストーリーを進めるうちに、課金しまくっている彼とのレベル差や装備差がかなりある事が気になってしまった。

そこで自分祖父にねだってノートPCインターネット回線を用意してもらい、彼とは違うサーバーで新しくメイプルストーリーを始めた。

彼に言われるがままにスキルを上げ、モンスターを狩る生活から、なにもかも手探りで文字通り冒険する生活へとシフトチェンジしたのだ。

正直言って、彼と一緒にゲームをするよりもはるかに楽しかった。

自分ゲーム内で知らない誰かに声をかけてフレンドになることを特段苦痛に思わなかったので、積極的に声をかけてはフレンドを増やし、さまざまな狩場でさまざまなメンバーと一緒に遊んだ

その中のどこかのタイミングで、自分は柊シミヒロ(仮名)というプレイヤー出会った。

その隣には柊シミコ(仮名)というプレイヤーがいつもいて、2人はどうも姉弟しかった。

そしていつしかその柊姉弟と、あとアスタリック(仮名)というプレイヤー自分の4人だけで、メイプルストーリーは完結するようになっていた。

かいことはもう忘れたが、毎日他愛無い話をしながら狩場を巡り、ジョブチェンジする時もみんなでバランス良くなるよう話し合いをしながら慎重に決定した気がする。

そうして遊ぶうちに、自分は柊姉と文通をするようになった。

柊姉は受験が終わり無事志望した大学合格したことや、一人暮らしが始まることを、とても丁寧な細い字で記していた。

一方自分が何を書いたかは覚えていない。ただ、大学入学を目前にした彼女にとっては、小学生の書く手紙などとてもつまらなく稚拙な内容だったに違いない。

そのうち自分は別のゲームに移ってしまい、メイプルストーリーにはログインしなくなってしまった。それでも柊姉との文通は続いた。

しかしある日、彼女からの返事は来なくなってしまった。

きっと大学が忙しいんだろう、と思いそれ以上もう踏み込むことはなかった。

それから数年が過ぎ、自分MMORPGを完全に引退し、いつかの柊姉と同じように、志望する大学合格した。

その時ふと彼女や弟のことを思い出し、自分はそのハンドルネーム検索をしてみた。

当時のハンドルネームいつまでも使うとは思ってもいなかったので、なんの情報も出てこないことに特別落胆はしなかった。

けれどあれほどにまで熱中した日々がどこにも残っていない事にはすこし寂しさを感じて、検索結果をどこまでも潜っていった。

すると、柊弟と似た名前ユーザブログが見つかった。

記事は数年前に更新が止まっていたが、そこには家族が亡くなったことと、姉が精神的に参ってしまたことが書かれていた。

そして多分その記事投稿されたタイミングと、柊姉との文通の止まったタイミングも合っていた。

柊弟のブログだと確信した。

それ以上のアクションは何も起こしていない。

彼の捨てたブログコメントをするつもりは一切なかったし、彼女自分に伝えた住所に再び手紙を送るつもりもなかった。

名前を変え、インターネットから消えていった姉弟に縋り付くつもりもない。

けれど心のどこかでは、「20年近く前に遊んだ小学生が今もあなたたちのことを覚えていて、再び何かのきっかけで出会えて話ができたら嬉しいと思っている」ということを伝えたいと思っている。

そして姉弟過去にあったさまざまなことを乗り越えて、今元気でいてくれたら、もっと嬉しいと思っていることも伝えたいと思っている。

(追記)

コメントありがとうございます

お金持ちの友人は中学受験合格し、丁度柊姉と文通を始めたくらいのタイミング地元を離れていった。

何度か年賀状の交換はしたがあまり楽しそうな雰囲気は伺えなかったうえ、大学合格した頃、風の噂で彼がもうお金持ちの友人ではなくなってしまたことを耳にした。

アスタリックについては、彼も大切な思い出を構成するメンバーではあるものの、姉弟と比べあまり個人間でのエピソード存在しない。

というのも自分は当時柊弟に恋をしており、柊姉もそれとなく察して色々と配慮をしていてくれたため、彼と個で会話することは少なかった。

いただいたコメントを読み、再び柊弟のブログを探してみたものの、もうどこにもなかった。

また自分も度重なる引越しで当時やりとりしていた手紙を紛失していたようで、柊姉弟との繋がりは完全に途絶えていることがわかった。

それでもふと何かの拍子に彼女らのことを思い出して、連絡ができたらなと思うことがあるかもしれない。

そう考えると少し寂しくはあるが、でもそれで良かったのだと思う。

自分人生ドラマチックを求める材料彼女らを利用したくはないし、彼女らもきっとそれを求めていない。

10年乗った車を手放す

免許を取ったのが19のとき。もう少しで28になる。

免許取得後、プライベート用にと買ったが車庫にしまいっぱなしだから、と祖父が車をくれた。光に当たると濃くパープルに反射する、落ち着いた色をしたワゴンRだった。

年数にしては走行距離が少ない、といろんな人に言われた。車庫から出たとしても祖父とはあまり遠くまでは出掛けなかったのだろう。

内装は一部がブラウンカスタムされていて、おしゃれだった。カーナビはついていなかったけれど、スマホもあるし、特に不便はしなかった。

出先の駐車場でぶつけた、家の車庫に入れるときにこすった、初心者というのもあり、傷はそこそこつけてしまった。何度か工場で直してもらった。

運転は楽しかった。次第に遠くまで行けるのが良かった。ひとりでどんどん遠くまで。

車をもらった当初、親と同居していたのだが、折り合いが悪く、ことあるごとにひとりでドライブがてら気分転換をした記憶がある。夜のドライブも多かったし、たまに助手席に愛犬も乗っていた。犬は、窓から鼻先を出して、風を感じるのが好きだったようで、今でも一緒にドライブするときは、平気そうなところでは窓を開けてあげている。

アルバイトへの通勤も車にした。職場が楽しかった。家に居たくない分職場にどっぷりだった。

フリーターなので今までいろんなアルバイト経験してきて、その中の多くは愛車ちゃんとともにある。いろんな職場の、いろんな従業員駐車場に停まったね。

はじめての恋人ができたときも愛車ちゃんに見守られていた。なんなら車の中で告白をしたような気がする。恋人といろんなところに、車で出かけた。私が運転することもあったし、恋人運転してくれることもあった。愛車ちゃんからすると、どっちの運転の方が良かったなーとかあるのだろうか。

たわいない雑談ひとりごとをうんと聞いてくれたね。車の中のBGMはずっとアニソンばかりだったね。気に入ってた曲とかあった?

ふと思い返すだけで、いろんな感情風景が思い出せる。

スピードを出すことが楽しくなってた頃もあった。

突然前の車に煽られた時もあった。

急いで出勤してたらスピード違反で捕まったこともあった。

今まで使ったことのなかったボタンレバーの使い方を車に詳しい同僚に教えてもらったこともあった。

名前が、ワゴンR スティングレイ だと言うことを教えてもらってからは、スティングレイちゃんと呼んでいた。

タイヤパンクして工場電話した時もあった。

夜の山道を走っていたら、シカと遭遇した時もあったね。

高速道路は、結局あまり乗らなかった。

片道3時間動物園まで行った。

定員まで乗せてラーメン屋に行った。

後部座席を全部倒して、引越し荷物を積んで運んだね。何往復も。

実家以外に住処も何箇所か経験したね。

炎天下の夏は灼熱の車内だった。

冬場はハンドルがひたすら冷たかった。

雪の降った時は、一瞬ハンドルが取られてヒヤッとした時もあった。

バケツをひっくり返したような土砂降りの時の運転もあった。

祖父が倒れたと聞いた時、先に病院向かった両親を追って、弟を乗せて病院まで運転した、気が気ではなかったがなんとか無事に着いた。

祖父が亡くなってからは、スティングレイちゃん祖父形見のようで、大事にする気持ちがより一層強くなった。

車には詳しくないし、そんなにお金もなかったから、整備とか交換パーツとかにまりお金はかけられなかった。最低限しかしてあげられなくてごめんね。

洗車ももっとこまめにしてあげたら良かったな。

長い間、私をいろんなところに連れて行ってくれてありがとう。いろんな景色を見せてくれてありがとう

スティングレイちゃんのおかげで、私はたくさん成長できた。

スティングレイちゃんもずっと見ててくれたよね。

今日車検の切れる日。更新はしない。

スティングレイちゃんとはお別れだ。

座り馴染んだ座席とも、握り慣れたハンドルとも。

ありがとう祖父から受け継いだ、最高の車だったぜ。

今までお世話になりました!!!

祖父にも、感謝を込めて。

ありがとう

2021-03-26

彼女がいないと言い張る男

職場20代半ばの男

顔が良くて長身、体型は細め

上司や同僚、客に彼女の有無訊かれて「いない」と言う

最近引越ししたらしい

昼ごはんコンビニ飯食ってるし初対面の女に話しかけられると赤面してるが

彼女いないはずがない

彼女いる男にアプローチする趣味ないしはっきりして欲しい

2021-03-25

もしも盗聴犯が間違ってぼっち人間の部屋を盗聴したら

いやマジでクッソしょーもない疑問なんだが

今の家、引越し業者が「マンスリーマンションですのでサービスです」とか言ってサラサラーっと盗聴器チェックしてくれてさ

まあ当然盗聴器なんか付いてるわけ無いんだが

今ふと思ったわけよ。

盗聴器って「盗聴」じゃん?

間違って自分みたいなボッチの部屋を盗聴しちゃったらどうすんだろ?

実際一人暮らし歴6年ぐらいだけど未だに誰も家に入れた事ないし家で会話も電話もしないし

コイツの家テレビ洗濯機換気扇の音しかしねぇな…」みたいになるじゃん

途中で盗聴諦めるの?

一応言っとくけど糖質とかじゃないぞw 仮定の話だからな!

2021-03-24

anond:20210323150236

お隣さんは別に悪いことはしてない

引越した先の壁が薄いのが悪い

とはいえ相手も聴こえてないと思ってる可能性があるので

聞こえてる事をお手紙で伝えてみるのがいいのではないでしょうか

2021-03-23

授乳できない貴男に子育て参加する資格あると思ってるの?」と妻から言われた

タイトル釣りです。大分盛ってます

妻の妊娠がわかった。念願の第一子。つい先日の検診で心音確認できた。

お腹が大きくなって動きづらくなる前に、行きたいところ・コロナへの考慮込みで行けるところには今のうちに行っておきたいね、という話になった。

引越しを伴う転職を機にプロポーズし、妻には遠い地元を離れて、知り合い・親戚・友達もいない都会に身一つで来てもらっている。

住んでいるところから自分実家は近いが、母はすでに亡くなっており、父しかいない。

基本的子育て家事ワンオペで母がこなしており、the 昭和亭主関白だった。育児の面で父に頼ることを、自分もそうだし、何より妻が不安に思っている。

妻の実家飛行機じゃないときつい距離だし、何よりコロナの事もあるしで頻繁には帰れない。

日々の育児疲れた時、一人になれる場所があったほうがいいか・・・と思った。

そっからの会話。

俺「近場で、貴女1人でもリフレッシュできる場所をいくつか見つけておきたいね

妻「なんで?」

俺「育児に疲れてメンタルがどうしようもなくキツくなった時、そういう場所があったほうがいいかなって」

妻「離乳するまでは母親は付きっきりじゃないとダメでしょ?そんな暇ないし、そういう暇が無くなるっていう覚悟はできてるよ?」

俺「いざ子育てが始まって、本当にメンタルがきつくなるかもしれないじゃない?」

妻「貴女子供夜泣きとかで睡眠時間が削られてキツイっていうなら、私は子供連れてしばらく自分実家に帰ればいいと思ってるよ。」

俺「それだと、俺は助かるかもしれないけど貴女負担は変わらないじゃない?子供を俺に預けて、一人で過ごせる時間があってもいいんじゃない?」

妻「私は耐えられるし、何度も言うけど耐える覚悟だよ?じゃあ授乳の子供が母乳ほしがったら貴男になにができるの?何もできないでしょ?」

母乳を保存しておく、という事をなんとなく聞いたことがあったので話してみたが、衛生的に大丈夫なの?一日分貯めておけるの?と聞かれ、薄い知識しかない自分言葉に詰まった。

生半可な覚悟でこの子を産むつもりじゃない、私を舐めないでと言葉そのままに言われ、そんなつもりじゃなかったと弁明しようとしたが、もうこの話をしたくないと切り上げられてしまった。

前々からこういう会話で衝突することがあり、その度、自分が間違っている事をわからされる。

子供が産まれる前から自分無能父親なのかもしれないという思いに苛まれ自身のしょうもないプライドがいっちょ前に傷ついている。

隣の部屋のカップルがおっぱじめたAM7:00

最近引越した。

まぁまぁ壁が薄い&隣の部屋が割と頻繁に彼氏が遊びに来てるので(彼氏の喋り声がめっちゃうるさい)いつかそうなったら困っちゃうな~とか思ってたら今日の朝ぶち当たった。

小さいポメラニアンいじめられている夢を見て起きたんだけど、ポメラニアンじゃなかったね。

深夜も聞こえたらやだけど、よりによって平日の朝7時に!?しはじめる!?

(顔見たことないので分からないけど、学生なんだろうか。昨日の夜彼氏の声は聞こえなかったから、朝に来たのか…?)

壁ドンしてみるかとも考えたけど、引越し早々隣と険悪になるのは嫌だし、私は吉田沙保里じゃないのでなんかあっても負けるなと思ってやめといた。

「やだ、隣に聞こえてる///」とかいう展開にされてもいやだし…。

しょうがないので洗濯機回して掃除機かけてテレビの音量大きめにした。まあ、朝だし。

ふつう生活していて「壁薄いな~」と分かるところでおっぱじめるのなかなか強いなと思う。ホテル行ってくれや~。


しまたおっぱじめられたらできることは

・重低音の般若心経を流す

大家不動産に連絡する

・「彼女の声、かわいいね」って手紙ポストに入れる


最後のは最終手段なのでやりたくないしふつうに怖いな

2021-03-22

菰田

以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見たかという点に、お話を進めることに致しましょう。

 三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智交際を結んだ時分から一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。

 そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。

 彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井蜘蛛もの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。

 そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分探偵小説中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから自分自身の部屋を、泥棒他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物煙草をプカリカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。

 ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。

 はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。

「ナアンダ、つまらない」

 ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこからねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。

 それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。

 彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。

 先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます

「これは素敵だ」

 一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。

 その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。

 東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきまりというものがありません。彼の部屋の天井から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています

 下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。

 それから又、ここでは、他人秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根からますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。

 この、屋根裏という屈指の舞台発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。

 彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。

 夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。

 こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。

 天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。

 何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激反資本主義議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給辞令を、折鞄おりかばから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景ゾロリとしたお召めし着物不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種クリーニングをやっている光景、何々大学野球選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。

 三郎は又、止宿人と止宿人との、感情葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。

 若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。

 さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。

 これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきかいていることでした。

 三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。

 三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。

 そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。

 併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤殺害するという考えだったのです。

 彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手人物にあるのではなくて、ただ殺人行為のものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。

 ところが、今遠藤場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。

 東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェ遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら

引越ししたくて物件情報サイトを見ていると、

洗面所トイレで一室みたいなのが結構多いんだなぁ

その二つは分かれてて欲しい…

風呂トイレと洗面台、それぞれ独立してるのを探してるのに半分以上がトイレと洗面台が同じ空間にある…

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