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はてなキーワード: ソファとは

2024-04-26

もう駄目かもしれない

連休前と先駆けてパチンコに行き、結果-50k負けてきた。

こんな馬鹿な俺を笑ってほしい。

30半ばにもなって彼女も居らず、毎日9時から17時の工場勤務。一日誰とも口を利かずに終わる日なんてざらにある。

元々趣味なく、これまで何かに熱中するようなことがない人生だった。今ではパチンコが唯一の趣味と呼べるのかもしれない。

かといって大勝ちしたところで使い道はなく、ソープ行って居酒屋で一杯するのが関の山だ。

今年に入ってから一度、驚くほど勝てた日があった。

その日もソープに行った。土曜の夕方。馴染みの店だった。指名したのは一番若い子。初指名だった。

くつろぐようにと案内された黒革のソファで待ち、並びには50近くに見えるスーツ姿の男と、大学生ぐらいのカジュアルな格好をした青年が居た。

ようやく俺の名前が呼ばれると立ち上がり、迎えに来た嬢が一瞬眉をしかめる。俺はそれを見逃さなかった。

こちらへどうそ、と嬢はにこやかに俺を案内する。俺の一歩前を歩き、手は握りらない。踵は少し擦り減っていて、俺の靴と同じように。

靴を脱いで部屋に入ると嬢は俺に抱き着いて来る。キスをすると、洗い場に向かい、体を洗うために衣服を脱ぐ。

俺を担当する嬢にはいつも刺青がある。それは顔に彫り込まれ、”笑顔”という刺青を俺は絶えず目に入れる。

嬢は俺を座らせ、身体を洗いながら「どんなお仕事をしているんですか?」と聞いてくる。

俺は適当に嘘をつき、嬢はそうなんですね~と頷く。

ここの女は大抵の男を馬鹿だと思っており、俺も大抵の女を馬鹿だと思っているので、ちょうど釣り合いがつく。

俺たちの会話に齟齬はなく、スムーズで、旧知の仲のようだ。

からときどき俺は自分というものを見失いそうになる。挿入し、快楽に浸るその瞬間でさえ俺は自分のことを俯瞰するように考え、すべてが馬鹿らしく思えることがあった。まるで彼女刺青が俺の肌にまで浸透してきたかのように。

年齢のせいかもしれない。

去年のGW,俺は帰省した。久々の帰省だった。

地元の駅に着いたのは昼頃で、家までそれほど遠くないので歩くことにした。

遠くない、といっても徒歩で1時間ほどは掛かり、それでも町の様子が変わっていないかかめて歩くのも悪くないなと思えたのだ。

道すがら、偶然高校の時の同級生に出くわした。

彼は(Aとしよう)記憶のままの顔をしており、今も裸眼で、当時の面影を深く残していた。

Aは俺だとすぐに気づいたようで、声をかけてきたのは向こうからだった。最初、親し気に近況等を話しながらも何処かそわそわした様子を見せ、一段落つくと口を閉じた。一間を開け、勢いをつけて口を開けると本題と言わんばかりに「そういえばさ~」とAはにやけながら言った。

お前の姉ちゃん、今、風俗で働いてるだろ?

え?と口に出した。そんなことは知らない。

俺に構わずAは片手の指で輪を作ると、もう一方の手の指をその輪に通し、それを繰り返して見せた。

俺はこの歳になって、性善説存在しないことを再認識した。

その様子をAの隣で観ていた青年が戒め、すみませんと俺に言った。彼は眼鏡をかけた青年で、面識はなく、そのことに気付いたのか「Aの弟です」と彼はそのあとすぐ自己紹介をした。

失礼なことをしてすみません。そう言いながら弟は含み笑いを持たせ、軽く頭を下げ、それから俺たちは別れた。

実家の前に着くと俺は家に入るのを躊躇った。その場で行ったり来たりを繰り返していると家から姉が出ていて「何してんの?」と言われた。

数年ぶりの再会だったがの姉の印象は記憶通りで、40前にしては若々しく見えた。

俺は姉の目を見れなかった。どうかした?と聞かれ、最初は答える気にはなれなかったが根負けして「Aに会った」とだけ伝えた。

姉は「ああ…」とだけ言い、それから二人とも黙り込んだ。実家の前の道路で、しばらく二人で立ち尽くしていた。

ここに居ても仕方がないから、と姉は家に入るようにと促してくる。

渋々俺は姉の後に続いて家の中に入ると両親は縮こまったように見え、リビングは昔よりも広々と見えた。がらんとしていて、実際に物もなくなっている。

自分の部屋に行ってみると家を出た時のままで、時代に取り残されたように変わっていなかった。

このうち、壊すから。いつの間にか姉が戸口に立っていて、俺にそう言った。動揺の同様の色を見取ったのか、建て替えるってことだからと姉は言う。

から、この部屋の物もどうするのかちゃんと決めといて。どうでもいい。と俺は言った。

場所がないように思えて俺は散歩に出かけた。行く当てはない。ぶらぶら歩いていると一軒のパチンコ屋が目に入った。ずいぶんと昔からある店舗だった。

まだあるのかと感慨深くなり、中に入ると安堵感がどっしり現れた。俺は日が暮れるまで打った。最終的には-1kで終わり、少し歩くと明かりが見えた。

それはブックオフだった。学生の時と比べると俺は本をまったく読まなくなっていた。漫画すら読まず、気になる漫画があればYouTubeで調べ、そこで得られる情報だけで十分に満足していた。

から本を売っている場所を訪れること自体が本当に久々なことだった。どうして入ったのか?なんとなくだったと思う。

店内を歩いていると一冊の本が目に入った。

それはエミリーディキンスンの『続自然と愛と孤独と』という本だった。

俺はエミリーディキンスンなんて全く知らないし、手に取るまでこれが詩集であることさえ知らなかった。

それでも気付くと俺はこの本を持ってレジへと向かっていた。まるで俺に残された唯一の良心がそうさせたように。

定価1100円と書かれている本を俺は1000円で買い、それから暗くなった夜道を歩いて帰った。

リビングに入ると両親の姿はなく、テーブルの上には料理けが置かれている。ちょうど姉がお風呂から出てきたようで頭にタオルをかけて歩いてきた。

おかえり。どこ行っていたの?と聞かれたので俺はブックオフと答えた。

ブックオフ?珍しい。と姉は言った。

テーブル一角にあぐらをかくように座り、頭のタオルを撫でるようにして髪を拭いた。

その光景中学の時の姉に見えて俺は一瞬泣きそうになる。

とうさんとかあさんはもう寝たから。ごはん、まだでしょ?と姉がいい、俺は頷いた。

じゃあ一緒に食べよっか、と姉がいい、俺は頷いた。

食事が終わり、自分の部屋に入り、自分のベッドで久々に横になると俺は買ってきた本を袋から取り出した。

仰向けに寝そべり、適当にページを開いた。111ページ。そこにはこう書いてあった。

私はあなたと暮らせない

これが人の世というもの

そして「人生」はあちら側の

俺は本文を読むのも忘れて、あの嬢のことを思い出していた。俺は酔っていたのだ。

嬢の笑みが脳裏に浮かび、その顔が一瞬、姉になった。

俺は本を閉じ、横に置くと、深く深呼吸をした。目を閉じ、祈りたかった。

しかし誰かを救うために祈るには、俺はもう歳を取り過ぎていたのかもしれない。

おそらく今年のGWは帰らないだろう。

俺はもう駄目かもしれない。

2024-04-25

夢の中で愛猫が喋った

愛猫言葉が話せるようになったと言い、私は驚きながらも感激した。

次に日本語を教えてほしいというので、私は二つ返事で頷いた。

「まずは挨拶からかな。『おはよう』って言ってみて」

愛猫は「おはよう」と繰り返し、私は笑顔拍手した。

そして「どうして”おはよう”なんですか」と愛猫は言った。

「え?」

「朝の挨拶がどうして”おはよう”なのかと聞いたんです。べつに、”こんにちわ”でも”いぬ”でもいいじゃないですか」

私は苛々し始めた。

「それは…その、そういう決まりから

「決まり?じゃあ、明確な理由はないと?」

「…うん」

私は渋々頷いた。

「それなら他の言葉でもいいじゃないですか。それに前から思ってたんですけど、いつも同じ挨拶言葉を使うって、なんか馬鹿みたいだなって」

私は愛猫の頭を叩いた。

「そういう決まり!!決まりなの!!!

愛猫は驚いた顔を見せ、そのあと顔を伏せると小さな声で「…わかりました」と言った。

そこで目が覚めた。

妙な夢だったなと思いながらベッドから起き上がり、リビングへ行くと愛猫ソファで眠っていた。

わず頭を撫でると目を覚まし、「にゃあ」とかわいく鳴いた。

そのときになってようやく、私は愛猫言葉を話せなくて良かったと思った。

2024-04-23

職場で吐いた1番大きな嘘

十数年前。入社して3年目だったかな?仕事も慣れて余裕がでてきた。

職場の近くに越してきて、昼休憩を家で取るようになり、昼食後はソファゴロゴロするようになった。

まぁ寝るよね。

起きたら15時。会社に戻らなかったのは問題じゃない。お昼の後取引先に納品へ行くことになっていた。

納品の時間15時。

取引先に即電話

「体調が悪くなっちゃって……(大嘘大罪人)」

「あらぁ!明日でいいよ!」

恐る恐る会社に戻るも誰も何もいわない。納品書も別に誰も気にしていない。

偶然にも納品物がつまれ社用車は翌日もフリー

翌朝別の納品があったのもラッキー

事なきを得た。

あれ以来昼休憩中にソファーに寝転がるのをやめた。

2024-04-22

夫がずっと寝て占領するのが嫌で、ソファ荷物置きになっている。

妊娠してダイニングの食事椅子だけだとしんどいといっても無視で、授乳が楽なようにと実家の援助でやっと買った、渋々買うことを了解された安めの二人がけソファ

二人で座ったことは3分一回しか無い。

夫は一人で使いたがる。

臭い頭を汗塗れの体を直接乗せるのですっかり臭いソファ

ソファ占領するなら座布団を使わないでほしいのに座布団もフケだらけの頭で折り曲げて使うので心底うんざりしてもう、居間には置いていない。

居間は正直くつろぐには向かない空間になっている

でも夫の頭の臭いとフケを常にケアしながらろくに座ってられないよりは床に直座りしてるほうがマシなのが本当にいやだ

2024-04-19

猫とポッキー(?)ゲーム

ソファに持たれながらイカソーメン食ってるんだけど

口にくわえたら反対側を腹の上に乗った猫がかじってくる

ポッキーゲームですねこれは

2024-04-06

楽しい夢を見た 泣きたくなった

気がつくと俺は幼馴染の家にいた

眼の前には幼馴染の2人がソファフロアでくつろいでいる

歳だけが一緒で趣味とか見た目とか性別とか全部違うのに

全てにおいて気の合う俺と幼馴染たち

テレビドラマを見ながら他愛のない話をする

話していて気持ちがいい

あっこの自転車俺も持ってる!

それお姉ちゃんからお下がりでもらったんだ

そんな会話をしたのを覚えている

遊んでいるとお母さんが迎えに来た

外はすっかり夕暮れ時

幼馴染の親御さんも帰ってきて挨拶する

また明日ねとは言わずにじゃあねと手をふる

そんなこと言わなくなったってわかってる

また電話するから

そこで目が覚めた

とても楽しい夢だった

充実感で溢れていた

目が覚めてからもしばらく余韻に浸っていたほどだった

しばらく経って余韻が消え失せると今度は泣きたい気持ちになった

俺は今それなりに楽しく過ごせている

仕事も頑張っているし同僚ともうまくやっている

仲の良い恋人もいる

それだってのに俺が見る楽しい夢は

いつも小学生だったあの頃の夢だ

俺はなんて良い幼少期を過ごさせてもらったんだろう

それはまるで呪いのように今の薄っぺらさを感じさせてくれる

この夢を見るたびに今の人間関係所詮付き合いだけのハリボだって思わされてしま

心の底から笑い合えるなんて幻想

あの頃も美化されているだけできっとオモテウラはあった

だけど楽しかった

少なくとも俺は

心の底からしかったよ

すっかり疎遠になった幼馴染たちが

どこで何をやっているのか俺は何も知らない

俺達があの頃のようにまた集まることは

今後死ぬまで一度も無いんだろう

残酷幻想現実

俺の胸を締め付け苦しめてくる

この呪いは一生解けることはないだろう

おはよう

おはます

街の増田クリニックは今日も朝から大繁盛

ここは待合のふかふかソファが唯一の特徴ですわ

家にお持ち帰りして

すやー

とろん

ずびーっと

熟睡したいですわ

2024-04-03

腫瘍を取ったら姉だった話

過去にね お腹がすごく痛くなったことがあるんです

なんていうか圧迫感っていうか 体を折り曲げるとテニスボールを挟んでいるような違和感があって それでまぁ我慢できなくてかかりつけ医のところに行ったんです

そうしたら難しい顔されて あれよあれよという間に大学病院に連れて行かれて腫瘍ができてるから手術するよって 

それで取ったんです 腫瘍

わたしどうしても腫瘍っていうのが見てみたくて 必死にしつこくお願いして見せてもらったんです 腫瘍はなんというか モッツラレラチーズカマンベールチーズ色にして赤い血を浴びせたようなそういう見た目でした

そんで 中に何が入ってるか調べるっていうんで それも見せて欲しいって言ったんです

そうしたらね まあ面倒そうに口元ひん曲げながら銀色のトレーに中身を入れてずいっと差し出してくれてね 中には髪の毛の束と小さな歯か骨のカケラが入っていました

わたしが元母親(縁切りしているのでこう呼びます)のお腹の中に入っている時にもう一人双子がいて その子を吸収しちゃったんだそうです それか皮様嚢腫を吸収したかとかなんとか

医者さんは10秒ぐらいでもういいですよね、ってすぐ引っ込めて捨てちゃったかしたんですけど

文字に起こすとなんだか呪物に使う道具みたいで気持ち悪いですけど

その時わたし、多分わたしの姉だったものだと思ったんです

流石にそれぐらい二十数年一緒に居たんだから分かります

不思議なんですけど ただの髪の束と骨か歯かも分からない白いカケラでも 姉だと思うとそれはもう愛おしいものしか思えないんですよ

アレが歯ならきっと片手で抱っこできる程度の小さな赤ちゃんだった

あんなに愛おしいものはきっとこの世に一つとしてなかったと思います

わたし子どもは産みませんが 子どもは好きなので 姉だったものだって勿論好きだと思うのです

話は変わりますが わたしの育った家庭は機能不全とまではいかなくても 薄暗くて ジメジメしてて 周囲の人間たちも地域も いつも理由をつけて犠牲者を作る事を生き甲斐にしている様な人たちで

当然仲良くなんてしたくないのですが 両親(母はぎょろっとした目と厚い唇がマンボウに似ています 父はいつも家にいませんでした)は悪意に疎くそれに気づかず それよりもわたし子どもらしく外で元気よく遊ばないのにイライラしている様でした

ですがわたしが感じた事を口に出せば親はきっと自分たちを包む悪意に気づいてしまうでしょうから わたしはただ黙っていました そうする他ありませんでした 誰も傷つけたくはなかったし 言っても分かってもらえないだろうと思っていましたか

わたしはただ窓際のサボテンみたいな色をしたボロボロソファに座って 窓の外の太陽が沈んで一日が終わるのをじっと待っていました 灰色生地チューリップ刺繍されたカーテンが揺れもしなかったのを覚えています

檻のない牢獄みたいでした

あの時わたし世界で一番孤独だったと思います

勿論わたし世界の中での話ですが

でも あの時姉が あのモッツラレラチーズのように小さくまとまった姉がそこにいたと思うと なんだかあの頃のわたしが救われるような気がするのです あの頃のわたしにはそれだけでよかったのに 誰かが側にいてくれたらそれで

目を瞑ると思い出します あの小さな白いカケラ

わたしが取り出さなければ 産まなければ死ぬこともなかったカケラ

(彼女は生きていないのだから死にもしないという人もいらっしゃるかもしれませんが 彼女は生きていました わたしには世界を見たいように見る権利がありますので、ええ)

普通人間は胎の外に出てから年齢がカウントされますが それでは彼女はおそらく30分も生きていない事になるので わたしと同じ20数年+1歳ということにします 

そんな歳月を 一緒にいることすら知らないまま過ごし 取り出してしまってから知るなんて と なんだか胸がつまります

数年前に家族とは全員縁切りを済ませたつもりだったのですが またお別れを重ねるとは思いませんでした

姉はきっと可愛い子だったでしょう 写真の一枚も撮られなかったわたしと違って わたしの代わりに産まれてくれたらよかったのにと思います

姉なのでそうもいかなかったんでしょう

優しい姉です 自慢の姉です

「HIDA」っていう家具知ってる?

私はさっきまで知らなかった。

家具に興味のない人間

子どもたち遊ばせに市民ホールに行った。

幼児が登ったりガシガシおもちゃぶつけるようなとこに置いてあるベンチがいい感じだった。

このメーカー家具よさそうだな、ソファ欲しいなぁってよく見たら「HIDA」ってかいてるからググったらさ、あらー素敵素敵。

でもソファ、40万円近くするじゃん。

当たり前だけど素敵な物は素敵な値段するのね。

あー誰か予算20万円くらいでこれに似た良いメーカー知らない?

素敵だけどうち幼児2人いるし転勤族だし、何よりソファに40万円出せるような家じゃないから、HIDAはいろいろむりだわ。

素敵だけどさ。

2024-03-27

夫(とか家族とか)の愚痴を言える場所ないよね

うちの夫はなんにもしない。

仕事は在宅勤務でだらだら。

家事しない。

育児しない。

うちの夫はすぐ怒る。

そして怒鳴る。

ちょっと家族の振る舞いが気に入らないとぶつぶつ文句を言っている。

自分、不機嫌であります!というアピールを欠かさない。

そうでなくても常にため息をついている。

自分はとても不機嫌であります

いつだって不満だらけであります

息子が癇癪おこしてぎゃーぎゃー騒いでると息子にキレて、怒鳴る。

娘が癇癪おこしてぎゃーぎゃー騒いでると私にキレて、怒鳴る。

子供らが喧嘩しているとうるせえ!と息子にだけ怒鳴る。

そんなのあんまりだ娘もわがままを言ったんだと息子をかばうと私を罵倒する。

昨日はぶっ殺してやると言われた。

ひ〜〜。

週末はというと、

夫は昼ころ起きてきて、午後はソファかベッドで横になっている。

自宅で子供らが騒ぐと夫が不機嫌になるので、私が子供らを連れて出かける。

公園やら、お友達んちやら、ショッピングモールやら。

ちょっと遠い旅行なんかも。

ほんっと大変!

だけど、子供らが夫のイライラにふりまわされるのを見たくないから出たほうが良い!

週末に限らず、保育園習い事の送迎、病院付き添いなんかも100%私。

夫にちょっとお願い〜してみても「俺にできると思ってんの?」と言われるので

最近は聞くのもやめちゃった。

前は

「私ばっかりやってる!」

「もう少し家事育児負担してくれ!」

って怒ったりもしたんだけど、

結局理由をつけてしてくれないし、

喧嘩時間無駄だなと思ってやめた。

最初は言うの我慢してる感じで、心の中では(私ばっかり・・・)って思ってたし

ちょいちょい態度にも出ちゃって夫も怒っていたけど、

言葉にするのをやめ続けたら、前ほど思わなくはなってきたかも。

もちろんゼロにはなんないけど。

で、自分時間を確保するためには平日に有給をとるしかない。

それが今!

ひっさびさの自分の半休!

・・・せっかくとった有給でこんなの書くなよ。

でも愚痴たかった〜。

こんなつっこみどころ満載の夫の愚痴誰にも言えないの〜。

「そんな嫌なら離婚しろよ」とか

ちゃんと話しあって解決しなよ」とか

言われちゃうし。

夫本人にはタイミングみて伝えてて、

本人も、機嫌さえ良ければ「ごめんわかった」と言うんだけど

カッとすると言動に出ちゃうんだよね。

アンガーマネジメントとか精神科とか、

ほんと色々(こわごわ)言ってみるんだけど

「そういうのやっても意味いから」

ってがしゃーんとシャッター降ろされる(不機嫌になっちゃうー)

やっぱりなんだかんだ本人は改善するつもりはなくて、言葉も形だけ。

まあそういうときも、私がこんこんと伝えて、ようやくだから

そもそも改善する気持ちはないんじゃないかなと思う。

なんで、一緒にいる以上、こっちは耐えるしかないんだよな。

離婚もたまーによぎるけど、娘も息子も父親に寄ってく時もあるし、

父親がいないことで不安定になるんじゃないかと思うと不安で踏み切れない。

なら、できるだけ夫を不機嫌にさせないように振る舞おうかなと思って

日々の生活を送ってる。んです。

でも、ぶっ殺してやるという言葉はしびれた。疲れた。しんど。

私は家族みんなが笑ってる時間を保てるようにしてるけど、

夫はそんなのどうでも良くて自分の機嫌で嫁をぶっ殺せるんだー。

でもこれもカッとなって出た言葉から本心ではない、のかな?

はーしんど。

今日は前から有給とってて、あれもこれもしようと思ってたのにやる気なくなってしまった。

とりあえず、しばらくは口聞いてもらえないんだろうな。

あ、私が「夫はなんもしないしすぐ怒鳴るやつだ」って決めつけてると思われるとショックだな。ほんとは夫もちゃんとしてるんじゃないかって。でも夫は本当になにもしないし、すぐ怒鳴る。

これは生々しいな・・・

https://news.yahoo.co.jp/articles/924ea47b9be7fba8d1c47475fc4dcfc86d3ebba2?page=4

日本法律は間違ってると思うねん。日本は俺みたいな金も名誉もある男が女をたくさん作れるようにならないとあかん。この国は狂ってる。なんで嫁を何人も持てないんや」

まりに身勝手な“一夫多妻制”を主張する松本ドン引きする女性陣。

 その1人が場を取り繕うように、「素敵な奥様がいらっしゃいますよね」と尋ねると、松本は眉間に縦皺を刻んで言った。

「女は出産すると変わんねん」

 そして、女性たちを凝視しながら言葉を続けたのだ。

「俺的には3人とも全然ありやし。で、俺の子ども産めるの? 養育費とか、そんくらい払ったるから。俺の子ども産まん?」

松本到着前に携帯電話を“没収

 松本は1人1人の瞳を覗き込む。女性たちは「いやいや」「大丈夫です」「恐れ多いです」と各々拒否したが、松本の目は一切笑っていない。すると、小沢がここぞとばかりにゴマをする。

「良かったねぇ。松本さんにそんなこと言ってもらえることないよー」

 時間が経つにつれ、場は次第に妖しい雰囲気に包まれる。その一言小沢の口から発せられたのは、夜10時過ぎだった。

「さぁ、みんなでゲームを始めよう。グッパして」

 女性3人と男性3人が、それぞれグーチョキパーを決める。寝室に松本バスルームにX、メインルームソファ小沢が分かれ、同じ手のペアと組んで時間を過ごすというのだ。

 実は、松本が到着する前、女性陣は小沢から携帯邪魔だと思うから、全員ここに置いておいて」と命じられ、携帯電話を“没収”されている。小沢はそれを不織布の袋に入れ、手慣れた様子でソファの脇に置く。

 そして男女3組に分かれると、小沢スマホタイマーを15分にセットし、「はいはい。もう(ゲームは)始まってるよ!」と声を張り上げたのだ。

 前出の参加者が明かす。

小沢さんは、松本さんと同じパーだった女性に対して『早く寝室に行って。二人だけで話せる機会なんてないんだから』と急かし、寝室に押し込んでいた」

 A子さんは松本と寝室で対面したとき光景を鮮明に記憶している。

 キングベッドの上で両手を広げ、ふんぞり返る松本に一切の笑みはない。ベッドの左側の壁に立ち尽くした彼女は場を和ませようと、咄嗟に「子どもの頃から拝見していました。お会いできて光栄です」と口にする。ところが――。

「そういうのええねん。こっち来いや」

 A子さんが「本当に恐れ多いです」と拒否していると、松本はぬらっと立ち上がり、ゆっくりと3歩ほど躙り寄る。そのまま彼女を壁際に押し付けると両手を掴み、顔を近付ける。深いほうれい線が目に入った。

 A子さんが恐怖の体験を振り返る。

「いきなりキスされ、混乱していると、松本さんは『さっきの話や。俺の子ども、産めるの?』と迫ってきた。またキスされそうになったので、しゃがんで抵抗したところ、足を固定されて3点止めの状態にされてしまった。その日、私はボタン付きのシャツを着ていましたが、松本さんが無理やり上から脱がそうとしたため、ビリッと破れてしまった」

 いつの間にか松本全裸になり、身体押し付けてくる。A子さんは唖然と佇立するしかなかった。

松本さんは『俺の子どもを産めや』と呪文のように唱えてきて、それでも拒否していると大声で『なぁ! 産めへんのか!』と。恐怖で震えている私を見て、ますます興奮しているようでした。私は『このまま本当に殺されるかもしれない』とパニック状態になりました」(同前)

 A子さんの右手を掴んだ松本は、股間を触るように誘導してきたという。

「私は『ホントすみませんすみません』と必死拒否しながらも『一度射精させれば襲われなくなるかもしれない』と防御策を考えました。何度も抵抗した後、右手だけで応えるようにしていたんですけど、しゃがみ込んだ途端に口に押し入ってきた。そして最後は口内に出されました。その瞬間、頭の中が真っ白になってしまった」(同前)

次ページは:「可哀想だと思って触らせてえな」

2024-03-24

イオンモールあるある

ビンゴ大会だと思ったらウォーターサーバー勧誘

・1階にカルディ

イベントを吹き抜けから見る

子供ごねるのでガチャガチャを1回だけさせる

・行きたい店がモールの端と端にある

フードコートで席が取れない

未来屋書店

ヴィレバンに入るけど何も買わない

子供カートの奪い合い

・車どこに停めたかからなくなる

・ほぼ必ずスタバがある

パワーストーンの店もある

・モーリーファンタジー

お客様の声を読んで嫌な気分になる

疲れた男たちが椅子ソファに座っている

レジWAON!と鳴くのが少し恥ずかしい

・いまだにジャスコと呼んでる人がいる

クロックス履いてる人がいる

グローバルワークがありがち

ハニーズもありがち

フードコートの隅にサーティワンがある

・誰かしら知り合いに会う

田舎中高生デートスポット

・なんかかんだでイオンが好き

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-20

anond:20240320150921

猫を撫でながらあったかココアをのむ

ふかふかのソファで昼寝

猫に顔を踏まれて起こされる

展望露天風呂で星を眺めながらセックス

猫を撫でながらマッカランをのむ

天蓋付きベッドで猫と就寝

2024-03-16

自分は寂しがり屋なんだと思う

から、小さなから部屋を暗くして寝るのが苦手だった。

いつからだったろうか。

窓のカーテンを開けば外の豪奢な灯りが一面に飛び込んでくるような所に来たのは。

出来るだけ部屋は暗くしている。そうしたほうが、動く者の姿がよく目に入るから

モニターは三台。dvdも三台。

横一列に並んでる。

流すのは常に映画。でも何を流すかまでは決めていない。

帰宅後、家に足を踏み入れると音が聞こえる。

トントン、というものかもしれない。ドシュン、ドシュンとレーザーを飛ばす音かもしれない。

映画は暗闇の中で流れ続け、誰もない観客に映像提供し続けている。

ひと段落ついて特等席のソファに座り、モニター三台が目の前に来る。

睡眠導入剤を温めたコンビニ弁当と共に胃に流し、ふわっと意識が次第に上昇してくるのを感じ得る。

それは意識睡眠覚醒狭間彷徨ているような感覚で、眠りに落ちる手前の崖に突っ立ち、そこで下を眺めているような状態

飛び降りない。そこに留まって俺は映画夢遊病のような状態で鑑賞し、次第に三つの映画ミックス、合わさり合って観えてくる。

映像は立体になりモニターの縁をぶらして揺らし、身体ゆっくり揺れては地震のような倒錯感。

次第にゆっくりと、ヨガ深呼吸のように緩やかに意識沈殿していき端の崖から飛び降りる。

その先には夢があり、半夢遊病状態から夢の中へ覚醒する。

誰かが何かを言い続けていて、どこかで爆発が起こりもしながら夢に入り、夢の中でも引き継がれ、朝に起きると頭が痛くDVDは止まっていて無音。

ゆるやかな喧噪を感じながら目を覚ます

都内の夜の交差点。誰もいない。信号機のみが呼吸する。ふいにオルゴール音楽が流れはじめ、時計が針の音を軋ませ、オルゴールが鳴り止むと信号が全て青に変わった。

そこで目を覚ました。今日平穏で慎ましく、調和のとれた一日が始まるのだと思う。

2024-03-12

あれはトコジラミだったのかダニだったのか

5年以上前のこと。超有名病院の待合室にクラシックスタイルの古い布張りソファが置かれていて、そのフカフカソファで3時間くらい待ち時間を過ごしたあと、家に帰ってから全身にとんでもない量の発疹が出始めた。

まりの痒さに発狂しそうになり、何より全身発疹だらけで見た目がグロい。

よーく見ると布団を何十匹も蠢いてるものがあった。

記憶がたしかならばトコジラミの色でも形でもなく、やはりダニだった気がする。血糞の跡もなかった。

アイロンもスチームも、ダニ撃退スプレーダニ撃退マットも効かず、どうしていいかからず完全にノイローゼになった。

その後どうにかして何かをして解決したはずなのだが、何故かその頃の記憶があまりない。

皮膚科に行ってアレグラデルモベート軟膏を処方されたことだけはうっすら覚えている。

確かなことは、トコジラミも怖いけどダニ普通に怖いってことだ。

ちなみに病院の古いソファが原因だと確実に言い切れるほどの根拠はなかったので病院に報告はしていない。

が、そのソファはなぜか全て処分されたようで今では無い。ものすごい高級そうなソファだったのだが。

2024-03-11

無意識セクハラ女性向が多い

家具を買い換えるにあたりXで家具検索したら結構な頻度で女性向の微エロ画像が出てくる。

所謂BL腐向けというやつだ。

こちらはソファチェア、ベッドといった普遍的単語検索しているのだがまさか男同士、場合によっては慣れ親しんでいる漫画キャラ性的な絡みを見せつけられるのはキツい。

男性向はTPOを守らないと言われ続けているしそれはその通りなのだが意外と女性向も倫理観ヤバいんじゃないか

2024-03-07

精神的にきつい時、部屋の情報量を減らしたくなる衝動がある。

具体的には本とかぬいぐるみ等を全てクローゼットに押し込んで、水回りとかゴミとか全て掃除する。

自分の頭に対して、何かしらの情報をぶつけてくる存在を全て排除するイメージ

ソファとかテーブル等の生活必需品は、情報をぶつけてこないので見逃してやってる。

覚書

2月の半ばにあなたが咳をし始めてから、それとなく「死」の一文字を思い浮かべることが多くなった。

それ以前、あなた散歩を厭うようになったのを感じ始めてから、考えていたことが明確に姿を見せたともいえる。

日に日に食欲が失せていき、妙におなかが膨らんだのを見て、なにとはなく「あぁ」と思った。

2月14日まではたしかに芋を食べていたが、以降はそれも徐々に食べなくなって、それから一週間ほどでほとんどなにも食べなくなっていたと思う。

26日に薬を飲み出してからも、あまり改善したような様子はなく、そればかりかとうとう水も飲まなくなった。

それからというもの、いつものようにそのつもりはなくソファで夜を明かした私が朝方することといえば、あなたの部屋のドアを開けてあなたが出てくるのを確認することになった。

でもしばらくしてあなたは部屋の中だと苦しそうに呼吸するようになったので、私は一度部屋に入ったあなた独断で出すことにした。

そうしたらあなたはいもの場所で伏せて、静かに寝息を立てたので、私は安心してその日はベッドで寝た。

翌朝、部屋にいるはずのあなたが出ていたことを両親が驚いたと言っていたので、昨夜のことを話した。狭い場所がいけないのだろうとみんななんとなく思ったのでしょう。その日からは、夜になってもあなたを部屋に入れなくなった。

しかそのころは夜が妙に眠かったので、私はたいてい日が回るより先に眠っていたと思う。

けれど3月1日から3月2日の夜中、私はたしか3時くらいまで起きてリビングにいた。1時頃にソファタブレットをいじっていたら、こたつの向こうであなたが吐いた音がした。黄色いドロドロした吐しゃ物で、幸い敷いたペットシーツから漏れはいなかった。あなたの足にもかかっていたのでウェットシートで拭いたけれど、だいぶしつこくて5枚は使った。空腹由来の嘔吐だったので、注射器ミルクを飲ませた。ほんの雀の涙程度だっただろうけど。

3月2日から3月3日にかけての夜中、その日はちゃんとベッドで寝ようと思って、夜中の2時に一度布団に入った。けれど、眠気が強くなる前にリビングに降りた。いつも父が明かりを点けたまま寝落ちているので、そうであれば明かりを消さないといけないと思ったし、前日の夜中にそうだったように、あなたがまた吐いていたらいけないと思ったからだ。

そうしてみたら、案の定明かりは点いていたけれど、予想と違って父は起きていて、リビングのドアの近く、あなたがいつもいる場所(それよりは少しドアに近かった)にあなたがいて、突然降りてきた私を見ていましたね。

事情はわからなかったが、あなたを父が構っていて、でも危惧していたことはなかったので、私はあなたの頭を撫でてベッドに戻った。

そうして翌朝の8時ごろに私は目を覚まして、すぐには起き上がれずにいたら、8時24分に一階から大声で母が私を呼んだ。

私はそのとき、至極冷静に「逝っちゃったかな」と思った。そんな気がした。そうだった。20分に逝ったらしかった。すぐに起きていればよかったかとも思ったが、そのおかげで私が記憶している最後あなたは穏やかだった。

あとひとつなにか悔いがあるならば、兄に伝えなかったことだ。母はそう思っていなかったようだけれど、私は正直なところ、死ぬのだろうと思っていた。積極的には思っていなくて、痩せて骨の浮いた背を撫でて「そのうち戻るかな?」と考える頭もあった。けれど、意識的に先のことを考えたときは、やはり死ぬのだろうと考えていたように思う。

命日の約一週間前が私の誕生日だったので、兄は実家を訪れていた。そのころはまだなにかしら食べていたころだったと思うので、ある意味ではまだ元気なころだったと思う。それを良しと捉えるか悪しと捉えるかは人によるだろう。

離れて暮らしていることを思えば、命日の一週間ほど前に会っていたのはよかったといえるのかもしれないが、なんにしても私が決めることではない。ただ、それらを自己決定に委ねるのであれば、一緒に暮らす者の所見としてその可能性を事前に提示すべきだったとも思う。

からきっと、あなたが近く亡くなることを高い可能性として最も想定していたのは、実のところ私だったんじゃないかと思う。あなたが息を止めたとき、私はその場にいてもあなた蘇生しようとはしなかったでしょう。あなたが咳をし始めてから二週間と少し、あなたものを口にしなくなってから一週間弱、それだけ続いた苦しみがようやく終わったんだと安堵した。死んでほしくはなかったが、それ以上に苦しんでほしくなかった。

そう、3月2日の午後に、母があなたに薬を飲ませようとしたときあなたはそれをいつも喉に押し込むようにして与えられていたので、それを嫌がったのか、やや機敏に立ち上がって逃げようとしましたね。でも窓を向いていたの180度回って、ドア側に歩こうとして失敗して、こたつの布団に倒れ込み、再度立ち上がってカーペットを降りて、けれど結局テレビの前で伏せましたね。

それを見て、たしか私は先が短いことの確信を得たんだ。次の日とは思わなかったけれど、日曜の特に用事がない日の朝8時に、母が私を一階から大声で呼んだ、ただそれだけであなたの死を覚る程度には。

犬の寿命だとかを思えば覚悟をするべきだと思って、この数年、特にこの一年間はあなたをすぐに撮るようになっていた。そのおかげで、写真動画は私が2018年あたりから撮ったもので800個以上ある。

ただ、私が一番好きだったのは、あなたがあったかくて、重くて(12kg~13kg程度だった)、大きかったことだ(体長はきっと85cm~95cmほどあった)。けれど不思議なことに、あなた寝床を用意して、そこに入ったあなた身体が敷き詰めた氷のように冷たくなったのを、私は良いことだと思った。亡くなったのは8時20分、兄が来たのは昼ごろ、それから寝床に入るまで、あなたの腹はあたたかかった。あなたが朝まで生きていたことの証明で、あなたがこのままでは傷む一方であることの証左だった。

そのほうがらしいからといって、あなたの舌を少し出しておくことになった。はじめ1時間くらいはいものピンク色だったけれど、それ以降は紫色になった。目は昼ごろになってようやく閉じた。鼻が乾くのは早かった。散歩中、エチケット袋が開かないときによく借りていた鼻だった。

きっとそのうち、こういう些細なことは思い出せなくなる。思い出さなくなる。人間脳みそはそういうふうにできていて、当たり前のことだから、悪いこととは思わない。ただ、残しておきたかったのでそうする。

命日当日中には兄のほかに父方の叔母と祖母が来た。近くに住んでいる近親者が全員来たということだ。叔母は手紙を残してくれた。住所を書いたそうなので、一緒に燃して、あっちで読んだら来てもらうそうだ。

3月4日の19時に火葬することになった。祖母祖父の看病が終わり、さら退職して自由時間を持て余しているようで、参加してくれた(たとえそうでなくともきっとそうしてくれたと思う)。義姉も参加してくれた。叔母は仕事が空けられないので参加できなかったが、予期しておくことなどできないのだから仕方がないという外にない。

車の店でもらったひざ掛けのサイズがちょうどよかったのであなたの冬のブランケットにしていたが、最期までこうも役立つとは思わなかった。あなた身体寝床に入れたり、火葬のための設備に収めたりするときに、担架のように使った。焼かずに残っているが、なにかにリメイクでもしたほうが良いのだろうか。

あなたの骨は思っていたよりも丈夫だった。納骨袋の側面に小さな遺影を入れられるスペースがあって、けれど遺影ではなく、火葬の直前に切り取った遺毛を入れることになった。アクセサリを入れるための小さなジップつきクリアポーチに入れたが、サイズがちょうどよかった。桐の箱などに入れたほうが保管状態としては良いそうだ。検討したほうがいいかもしれない。

火葬した日の夜中に、私は遺骨ペンダントを注文した。驚いたことに翌日には届いたので、あなたのおそらく爪と目の周りの骨を少しもらった。由来のわかる(想定できる)骨のほうがなんとなく良い気がした。目の周りの骨は大きかったので少し砕いた。あなたに私が行く先を見ていてほしかったので、目の周りの骨にした。

これを書いているのは3月7日の夜1時だ。あなたが逝ってもうすぐ4日になる。私は泣くとき、いつも喉になにか手のひら大の球が詰まったように痛くなる。けれど、あなたを惟て泣くときは、喉は痛くならずにただ熱い涙が出る。理由はわからない。悲しいわけではないと思う。どうなんだろう、あなたがいないことを考えるとそうなる。これを悲しいというのかもしれない。

書いているそばから嘘になったかもしれない。今は少し喉が痛い。けれどそれでも息ができないほどではないから、やはりなにか違うらしい。

こたつの中で足先になにか触れると、一瞬あなたかと思う。私はいつも発作的にあなたに飛びついて構い倒す癖があったので、今もふとした瞬間に無意識あなた名前を言いそうになる(すんでで止まる)。私がいつもの椅子に座っていたり、廊下洗面所キッチンでしゃがみこんでタブレットをいじっていたりすると、いつの間にかあなたが足元にいましたね。あれがとっても好きだった。あなたは私によくついてきてくれた。

これからは私があなたを連れまわす。一緒に行けなかった旅先にも連れて行くし、3月いっぱいで契約満了を迎える今の出向先にもひっそり連れていってみよう。遺骨ペンダントは失くしてしまいそうで怖いが、そうなったときあなたがきっとそこを気に入ったということなのでしょう。そもそもあなたは昔から衣服やらカバンやらに毛として引っ付いてきていたので、今さら真新しいことはなにもないのかもしれないけれど。

2024-03-05

膝上のスカートに黒ストッキングソファに座られると困る

自動的に目がいく。

もう意思関係ない。

勘弁してほしい。

広い家に住む夢をよくみる

実家が綺麗になり広くなっている夢をよくみる

何十人も呼べるくらい

現実20倍は広い二階建て

北の端にパーティ会場みたいな空間もある

用事なかったらほとんどこの部屋来ることないねん」と妹は言う

そりゃあこんだけ広いとねと僕は同意する

弟はフィットネスジムさながらの筋トレエリアを作って日々トレーニングをしている

母は幸せそう

来る日も来る日もパートの日々で働き詰めだった母が

広いリビングの広いソファのんびりくつろぎながら好きなアーティストギター練習している

どんなに素晴らしい日常だろう

でも夢なんだ

虚しい

現実であればどれだけいいか

2024-03-01

エア撫で撫でしていると

猫がぴょんとソファの上に飛び乗って首を伸ばして自分から撫でられに来るのがとてもかわいい

本人の名誉のため誰にも言えていないプロポーズ

当時同棲状態で、結婚しようと何回か言われたが、自分結婚によいイメージがなく断っていた。

ある日、改めて「結婚してください」と言われた。細かい経緯は忘れたが、その時の彼の格好だけは覚えている。

ソファベッドの上に正座していて、何故かパンイチで、そしてさらになぜだか勃起していた。情けない格好の割にまじめな顔をしていて、それがなんだかおもしろくて、つい「しようか」と答えてしまった。

あれから10年近くたった。式も指輪交換もしなかったが、当時より仲がいいのではというくらいに関係は良好だし、結婚も良いものだと思うようになった。あのプロポーズでこの人とならなんとなく楽しくやっていけそうだなと思った自分は正しかったようだ。

2024-02-29

なんか急に働けなくなったから死のうと思ってる

スゲーびっくりしたんだけど、火曜日職場で涙が止まらなくなってしまってそれから休み始めた。

幸い有給がたんまりあったのでそこまで休暇については困ってないんだけど、ここ三日働けてないのが一番辛い。

嘘だった一番じゃない。

そのことを家族や友人の誰にも話せてないことが一番辛い。

この人生、正直仕事ばっかりやってきた。ストレスすごかったけど楽しかったし、なんだかんだ続けていくんだろうなと思ってた。ただ、ここ半年ほどお客さんとそりがあわなくてキツイって話をずっとしてた。

で、4月からはそのお客さんにあわないようにしてくれるって話だったんだけどなんかもう突然無理になってしまった。

納期上乗せされて、そんなの無理じゃんって言うのも嫌になって。

職場で一時間ほど泣いて、これ無理だわってなって帰ってきて三日三晩泣いてる。ウケてる。

誰にも相談しないで、ゲームして寝て泣いてる。友人にも、家族にもなんでか話す気にならなくて遂にTwitterアカウントを消した。

このまま誰かに話してしまうのが一番怖かった。

情けないって思われるとか、そういうのは全然ないのになんでか誰にも話したくないし話せない。なんていうのかな、私がこの話をして一番に取り合ってくれそうにないという、期待感の薄さがつらかった。

きっと、誰も私の家まで来て話を聞いてくれないし外に連れ出してもくれないだろう。腫れ物に触るようにへーそうなんだで終わってしまいそうなのが辛い。

そんな薄っぺら人生を築いてきた自分が一番最悪だった。

親も今は兄のことで色々あって私のことなんて気にかけてくれないと思う。

いやわかってんだよね、今は心が壊れててこんなネガティブになってるだけで友人はきっとみんな親身になってくれるってことは。家族もきっと駆けつけてくれて、実家に連れ帰ってくれるんだろうなって。

でもそうじゃなかった時が怖くて、何も言えない。みんな忙しいのに、そんなこと頼れない。

ベッドが窓に近くて、ここは4階だから近づかなくてずっとソファで寝てる。せめて部屋を片付けてから死にたいから

人間マジでいきなり心が壊れるので、みなさんは気をつけてください。俺のことは、あーでもはてぶ登録する元気はあるじゃんて思っといてください。

あと大事な友人にはちゃん生存確認したほうがいいかも。私のことじゃなくてね。もう全部通知消しちゃったし。

心が壊れたから言えるけど、天涯孤独友達1人もいなかったらこんな孤独を抱えることはなかったんだなと思う。隣の芝生は青いので。

なんか急に働けなくなったから死のうと思ってる

スゲーびっくりしたんだけど、火曜日職場で涙が止まらなくなってしまってそれから休み始めた。

幸い有給がたんまりあったのでそこまで休暇については困ってないんだけど、ここ三日働けてないのが一番辛い。

嘘だった一番じゃない。

そのことを家族や友人の誰にも話せてないことが一番辛い。

この人生、正直仕事ばっかりやってきた。ストレスすごかったけど楽しかったし、なんだかんだ続けていくんだろうなと思ってた。ただ、ここ半年ほどお客さんとそりがあわなくてキツイって話をずっとしてた。

で、4月からはそのお客さんにあわないようにしてくれるって話だったんだけどなんかもう突然無理になってしまった。

納期上乗せされて、そんなの無理じゃんって言うのも嫌になって。

職場で一時間ほど泣いて、これ無理だわってなって帰ってきて三日三晩泣いてる。ウケてる。

誰にも相談しないで、ゲームして寝て泣いてる。友人にも、家族にもなんでか話す気にならなくて遂にTwitterアカウントを消した。

このまま誰かに話してしまうのが一番怖かった。

情けないって思われるとか、そういうのは全然ないのになんでか誰にも話したくないし話せない。なんていうのかな、私がこの話をして一番に取り合ってくれそうにないという、期待感の薄さがつらかった。

きっと、誰も私の家まで来て話を聞いてくれないし外に連れ出してもくれないだろう。腫れ物に触るようにへーそうなんだで終わってしまいそうなのが辛い。

そんな薄っぺら人生を築いてきた自分が一番最悪だった。

親も今は兄のことで色々あって私のことなんて気にかけてくれないと思う。

いやわかってんだよね、今は心が壊れててこんなネガティブになってるだけで友人はきっとみんな親身になってくれるってことは。家族もきっと駆けつけてくれて、実家に連れ帰ってくれるんだろうなって。

でもそうじゃなかった時が怖くて、何も言えない。みんな忙しいのに、そんなこと頼れない。

ベッドが窓に近くて、ここは4階だから近づかなくてずっとソファで寝てる。せめて部屋を片付けてから死にたいから

人間マジでいきなり心が壊れるので、みなさんは気をつけてください。俺のことは、あーでもはてぶ登録する元気はあるじゃんて思っといてください。

あと大事な友人にはちゃん生存確認したほうがいいかも。私のことじゃなくてね。もう全部通知消しちゃったし。

心が壊れたから言えるけど、天涯孤独友達1人もいなかったらこんな孤独を抱えることはなかったんだなと思う。隣の芝生は青いので。

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