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はてなキーワード: 信頼関係とは

2024-07-24

海外だとセックスしてから付き合うとか聞いたが、不同意性交だとかのややこしい現代だと日本告白=>デート=>セックスみたいな段階踏みながら信頼関係築いていく方式のほうが適当なんやろな。

追記

法的リスク等の回避の話をしてるのに手順を踏んでやれるかやれないか、みたいな話をする人しかおらんのやがどうなってるんだ。これが男らしさの一つなのか?

2024-07-23

anond:20240723170531

真に信頼関係が構築されてるなら「面倒くさい女だな」と言ったくらいでは関係は揺らがない

おまえがダメなだけ

anond:20240723113931

https://hokuto-no-ken.jp/hokutogatari/interview02-03

──逆に僕らもビックリしましたよ。ラオウの壮絶な最期、まだその余韻に浸ってる時に「次が始まったよ!」って。ある意味、僕たちの脳にも休む時間が欲しかった感はありますけど。これ以上の話があるのかよみたいな。それこそ、あしたのジョーの「真っ白に燃え尽きた」ですよね。

うそう。もう必死だよ。書くためには自分の頭を根本的に変えなきゃいけないわけだから

──考えに考えて次の展開を…いや。現実には、そこまで考える時間なんて無かったですよね(笑)

無い無い。いままでと同じ、4日。ラオウの死後、4日で次の話だよ!

──結果、世の平安が逆に貧富の差を生む未来が生まれたという。

そう。数年後という設定で始めたよね。もちろんその数年間、ケンシロウは黒王号と長い旅を続けてる。いろんなことがあった。だから黒王号は片目を負傷したことにしよう。そこだけはイメージが強くあったね。

──うわ~。なるほど。空白の時間を黒王の負傷した目で表現したんですね。僕はこう、ケンシロウが黒王を乗りこなしてるというか、第1部より断然、信頼関係が生まれたように感じ取ったんですが、もしかするとそういう細かい描写から、気配で感じ取ったのかもしれませんよね。なんか「ケンシロウの馬になってる!」って思ったんですよ、当時(※7)。

でもね、明確に覚えてるのはそこぐらいしか無いのよ。当時「こうしよう!」と、ひらめいたものは。あとは全部、意図的記憶から消した。

──消した…と言いますと?

強引に始めたお陰でストーリー破綻してると思ったから、第2部で自分がなにを書いたかを完全に消した。だからそれ以降、インタビューで第2部のことを聞かれても「覚えてない」って言ってね。

──それがスゴいですよね。普通記憶には残るはずだけど、とにかく頭から消し去るというのが。

だけど今回、第2部を改めて読んだでしょ? 俺ってスゲぇわと思ったの。上手くまとめてるな~って。

──はははははは!

ビックリしたよ~ホント

これは本当に記憶から消したやつでは

2024-07-22

せっかちな人(僕)の為の簡易的な肯定

死ね歩道を広がって歩いて、自転車に乗った俺が横を通る時に舌打ちをしてくる奴は死ね道路信号のない部分を走って渡ろうとする奴は死ね電車を待つ列で割り込んでくる奴は死ねルールを守れない奴は死ねルールを守らない奴は死ね気遣いができない奴は死ね

いつだってルールを守って生きていくように、人に気遣いをするように、躾けられてきた。

たとえその結果自分に多少不利な結果となったとしても、それが最善の選択なのだと言われて育てられた。

からこそ、ルールを守らない人が理解できなかった。ルールとは形を帯びた気遣いのものだというのが僕の持論だ(だからこそ僕はルールを守る人を助けられる職業に就きたいと思っている、おせっかいなので)。

だが、例えば知らない人の目の前を通る時にほんの少しお辞儀をするだとか、交通ルールを守らないとか、自分が当たり前のように行ってきたことを当たり前のように行えない人を見るたびにストレスが溜まり自分が取っている行動の意味がわからなくなり、自分が今まで生きてきた上で大事にしていた価値観否定されていくような気がして立っていられないような気持ちになる。

僕は本当に信頼関係があると思っている友人以外の前であまり汚い言葉を使わないようにしている。優しい言い回しを心がけ、できるだけ、できるだけ嫌な思いをさせないようにしているつもりだ。これは僕と、僕の親なりの「気遣い」だ。

情けない話だが、こんなことがあった。

彼女に僕の顔がそこまでタイプじゃないと言われた。もっとあっさりした顔の方が好きだと言われた。例えとして、共通の知り合いの顔を挙げられてそう言われた。

僕は彼女の前で一度だって他の魅力的な女性について触れた事はない。僕の目の前にいる人がどれだけ大切か、という事だけを本人に伝えてきたつもりだった。

家に帰ってから泣いた。

元々僕は自分の顔があまり好きではなかった。僕の嫌いな親と似た顔(少年時代の父の写真は僕そっくりなのだ)をしていたし、中学生の頃布団からほとんど動けなかった時の不摂生が祟って肌荒れを起こしているからだ。ただ、悔しい事に昔の父はかなり良い見た目をしていたので、それだけが救いだと思っていた。しかし、僕のそれは届いて欲しい人には届いていないものであったと知り、悔しくて苦しくて泣いた。

それと同時に、僕が今まで行ってきた気遣いという行動の意味が分からなくなった。

僕は誰のために優しくあろうと心がけて、その行動は誰に変化を与えられているのだろう?

僕の行動は僕の心を削っているだけであって、それ以外に大した意味はないのではないか

そう思うと、自分やその親しい人以外の周りの物事への関心が一気に変わったような気がした。

列を守れない奴の事なんてもうどうでもいい。

どうでもいい。僕の方へ必要以上に関わってこなければ。ただ、死ね邪魔から

人工的に優しく振る舞う事すらできない奴は死ね邪魔から

僕は僕の裁量の中で大切にしたい人にだけそういう態度を見せ、そうでない人には特に何もしない。心の中で中指を立て続ける。

たったこれだけでいいという事に気づくまでかなり時間がかかりすぎてしまったようにも感じる。

僕のこの姿勢は、「死ね」と言う事が許されなかった過去自分への反抗であり、僕への僕なりの簡易的な自己肯定でもある。

2024-07-19

anond:20240719002840

そもそも理想なんて人それぞれだから

マッチョだけど本当は細くなりたい奴だっているし、細くて女からモテてるけど細いのがコンプレックスマッチョになりたい男だっているし

褒めたつもりが人を傷つけてしまうことはある

からよほど信頼関係を築くまでは外見には言及しないのが無難なんであって

同性だからと言って他人の考えなんてわかるわけがない

2024-07-14

兵庫県知事「生まれ変わって信頼関係を再構築したい」

(お前のせいで)人が死んでんねんぞって時にこの発言

ほならお前います切腹して生まれ変われやってみんな思ってるよなあ

なんでこんな発言するんだろうなあ

嘘八百」「公務員として失格」とかもすごいよな

反省と言う二文字が無いのか

このままじゃ神戸牛おしまいだな

anond:20240714142326

議会との信頼関係破壊してなにひとつ改革」できなかった石丸改革派に見えるお前がバカなだけだろ

あれが改革派ならオウムだって改革派だよ

現実変える力をなにひとつ持たない口だけの無能

2024-07-13

さっき留学してた妻さんが留学先でできた彼氏を連れて夫さんの待つ家に帰ってくるけど、夫さんはふたりをあたたたかく迎え入れた、みたいな話をXでみて、ポリアモリーはこれで平常心を保てるのか…とか考えてた。

一緒にいられたらなんでもいい、みたいな感じだったけど、それは一緒にいられなくなる可能性がでてくるんじゃないんだろうか。

それはお互いの信頼関係があったら気にしなくて済むんだろうか。

なにがどうなってそういう精神状態になるんだろうか。

なんかちょっとだけわかるような、でもわかんないような。

悲しい気持ちは多分あると思うけど、それで取り乱したりへこたれたりしない強い心みたいなことなんだろうか。

2024-07-09

この時代承認欲求がなくてよかった

タイトルの通り。

Twitterは身内用のアカウントと、オープンアカウントは交換を探したり推しいいねを飛ばすためのもの

インスタも鍵こそかけてないけれど、食べたものを記録する思い出特化の投稿

何かを発信して注目されたいや、いいねフォロワーが欲しいとは1ミリも思っていない。

タイトルに戻る。何故か。

インスタを例にとっても、お料理リールペット動画など色んなものが流れてくる。

素敵だな♩と思ってコメント欄を見ると

食材もったいない」「ネイルが不衛生」「犬が可哀想」「動画撮ってないで◯◯してあげたらいいのに」という指摘が必ずある。

かにそうかもしれない。でも動画になってないところまで我々は見えないし、余った食材は夕飯に回してるかもだし、自分で食べるだけならネイル関係ないし、飼い主にしかからない犬との信頼関係があるし、それってわざわざ指摘しなくてもよくな〜い!?と思ってしまう。

もし自分が今の時代承認欲求シマシで、こうした投稿をして、批判コメントが来たらすぐにアカウントを閉じてしまう自信がある。

みんなすごいな。

2024-07-06

ある漫画人気投票企画炎上した件で思うこと

そもそも論になるが、最安値でもひとつ数万はするようなバカラのグラスが贈られて来る時点であのキャラには一定以上の熱心なファンがいることは証明されているだろう。

今回の件での一番の問題はそのキャラが1位になったこ自体ではなく、そのキャラの人気が金で買われたもの、もしくは企画を潰すために行われた嫌がらせ行為だという疑惑を与えたという点だ。

「買収してでも票を集めるのはこっちの界隈では当たり前」

人気投票を潰すのが楽しかった」

上記の何が問題なのかというと、ありとあらゆる面で「信用を失った」ということだろう。

無関係第三者金銭を与えて票を入れるように依頼した。

それを公言した以上、あなたが推す存在は今後こういう色眼鏡で見られるのだ。

「このキャラ/人物の人気は本人の実力などではなく、一部の熱狂的なファン金銭下駄を履かせて得ただけのハリボテなんだな」と。

また、あなたが今後他の人/キャラ/もの推して、それが人気になったとしよう。

しかあなた過去金銭自分の好きなものへ票を入れるよう、第三者に依頼したことを知ってる人はこう思うだろう。

「この人が推してる以上、どうせ金で買われた人気で実力はさほど無いに違いない」

信用を失うというとはこういうことである

それを心外だと思っているのなら最低でも金銭で票を集めたことを公言すべきではない。

企画自体を潰すのが楽しかたからというのは論外だ。

倫理観道徳問題ではない。面白半分で自分仕事生活を壊されても文句が言えなくなるからである

いか趣味であれ、それを作る、提供する仕事従事している人がいるという事実を忘れてはいけない。

いや、趣味だけではなく、身の回りのものすべてには決して少なくはない人の仕事でできている。

企画提案するにしかり、実際に必要になる物資がどれほど必要な物の数を予測して調達するにしかり。カタチには残らないイベントであっても、会場を確保する、演出を考える、当日の人の流れを整理する、周辺住民への影響を最小限のものに抑えるなどそれを仕事にする人がいて始めて成り立っている。

人間社会生活する以上、他人との関わりは避けて通れない。

仕事であれ生活であれ、金銭を得ることを目的としていない趣味であっても、その裏には誰かの仕事生活があることを忘れてはならない。

自分が楽しければ何をやっても構わないというわけではない。それを許せば、自分第三者から生活努力してやっとの思いで形にした仕事面白半分で壊されても文句が言えなくなるからだ。もう少し言うのなら、他人仕事生活面白半分で壊すのが当たり前と言うのなら、いざ自分が誰かの悪意で不利益を被って被害者になったとしても説得力が無くなるからだ。

自分だって面白半分で誰かの企画を潰したことを自慢していたのに?」と。

自分が誰かの仕事生活を潰すのは許されるが、他人自分仕事生活趣味を潰すのは許されざること。などという屁理屈通用しない。

自分がやっている趣味の裏側にはそれを仕事にしている人間がいるのだという事実を忘れて手段を選ばないような行動を取れば、信用を失うのは当たり前の話なのだ

企画を潰すのが楽しいという者がいる以上、提供する側は潰されるのを恐れて今後一切同じような企画をしなくなる。

このようなイベント企画をする側とファンとの信頼関係で成り立っているからだ。

自分には関係ないと思ってはいけない。人間社会はどこかで繋がっているのだから自分が行った行為は巡り巡って必ずどこかで自分に影響を与えてくる。

いつか誰かに同じような真似をされても、自分もやっていたことなのに何を言っているのだろうと鼻で笑われるだけである

何も難しい話ではない。約束を守り、誠実に生きる。これだけで信用は積み重なっていくものなのだから

ただし、信用を積み重ねるためには時間がかかるが、失うのは一瞬であるさらに失った信用を取り戻すことはできない。その後でどれほどプラスを積み上げようと、やってしまった事実は消えないのである

anond:20240706151010

別に仁義とか信頼関係仕事してるわけじゃなくて、権力こそパワーなので当然

2024-07-04

引きこもりの従兄弟を助けたら生活崩壊した

伯父夫妻の息子である兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には

話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。


兄弟は中堅以上の私大卒業後、ある市役所職員になった。

安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。


しかし運の悪い事に配属された部署上司所謂ブラック上司だったらしく

兄弟はかなりキツいパワハラセクハラモラハラを受け続けたらしく、精神病み退職した。

一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟

ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。

後で聞く所によると、鬱病適応障害の診断が出ていた様だった。


退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。

しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫使用禁止を言い渡され、

貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。

また、たまに学生時代同級生や、ネットオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。


だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」

という、年代を考えても心の病や現代社会挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。

父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。

また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった

愚痴をよく聞かされていたそうだ。

私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と

どう向き合って接して良いかからず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり

また従兄弟自身交流積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。


兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。

何でも、今まで従兄弟引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ

知人から紹介されたというニート引きこもり支援団体相談し、その団体人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。

兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。

本格的に社会復帰成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職

それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。


それから一年程して、遂に従兄弟引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所支援団体人達から紹介された

住み込み仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。

今どき住み込み仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば

引きこもり用の簡単仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。

当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。

人間の善性を素直に信じていたといえる。


それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。

一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。

最初詐欺?かと思ったけど、父が警察対応しており、話を聞く限りは本物だという。

警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。

何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。

落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。


翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。

久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。


結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。

伯父夫妻が知人から紹介された支援団体相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。


兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。

それがストレスバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応悪化するばかり。

また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活余儀なくされたり(最終的には警察保護されて家に戻されたという)

共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。

ますます精神状態悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい)

から逃げ出そう、しかお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣バイトすらも

精神状態悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護受給して生活しろ

支援団体人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。


最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。

話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。

また、従兄弟引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に

結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。


生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄環境だったという。

文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、

知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ)

生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロアパートには明らかに見合わない家賃生活管理費用、

高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトカレーご飯、安い菓子パンペットボトル1本、といった内容だったという)を

差し引いた金額を渡され、手元に残る自由お金は残り僅か。

それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、

それで少しでも不満を言うと支援団体人間暴力を振るわれ、更に罰金食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。

話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。


仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、

最初は何とか生活改善しようとしたが、それすらも生活管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ

罰金名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。


しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い

どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」

親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。

しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。

そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり事情聴取の際に

身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。


で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。

正直、驚いたし怒りも湧いた。

嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。

何でそんなおかしな、ヤクザ反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。

話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所

伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、1020万じゃきかないと思う)それは困る。

アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と

まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。

母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。


週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。

伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか

あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さな信頼関係が無くなる、勝手な事をするな!

といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。


家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。

もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりうつ病理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかし支援団体

というかぶっちゃけ反社ヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。

やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と

一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれしまったんじゃないかと。

伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも

ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。


じゃあこれから兄弟処遇をどうしたら、という話になった。

兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが

両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。

これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。


受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、

これが仇となったのか、従兄弟実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体メンバーという人間実家に乗り込んできた。

団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った)

兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。

とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それから弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、

文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったもの

言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。

それは、その対応疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。

しかし調べる限り団体人達反社の陰は無く、公的機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり

表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。


団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、

そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。

まりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識おかしいんじゃないかとすら疑った。


団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた

兄弟私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや

今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。


どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」

「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の

嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。

さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間積極的に関わりたがる人間はいない。

父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職

母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。


当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話メールがきた。

内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的顧客情報を漏らしている」

という旨の密告の電話メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。


しかし、信用を大事にする業種・職務職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。

その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人から直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。

そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。


兄の方にも嫌がらせ電話メールはきていたらしい。

しかし、IT特定派遣正社員というやや特殊仕事、「正社員だけど派遣派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり

「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務秘密事項を漏らすんですか?」

退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。

しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。


全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。


当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視

「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。

警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体犯人という証拠根拠も無い、

よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分仕事を辞めたんでしょ?」と、

それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。

「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。

弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせ電話事実でも犯人特定団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。

私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。


結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家生活は滅茶苦茶になった。

伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ

慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。

定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、

今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。


自分仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係破綻してしまった。

今は何とか別の会社再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり

年収計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。


続きはこちから

https://anond.hatelabo.jp/20240704191955

24時間耐久セックス

スペックは、42歳、172cm68kg、トイレットペーパーの芯(修正)を一回り大きくしたくらいです

女性嫌悪感をもたれる外観や雰囲気匂いではないと自負しています

 

チャレンジできる猛者を探しています

当然ですが24時間ピストン続けるわけではなくw

限られた24時間いか効率的にお互い最大回数イケるかを試したい

イメージとしてはゆっくりと休憩しながらです。当然睡眠食事とります。

とはいえ体力を消耗するので数日前から入念に準備し、

終わったら2,3日は休めるような余裕も必要かと思います

肉体的限界を目指すアスリート感覚と考えてください

スポーツです、セックスマラソンです、自分との戦いです

体力の限界までイキたいというのが趣旨です

 

イクには脳内ホルモンを消費しま

オキシトシンセロトニンドーパミンをドバド放出するわけですが、

放出するにはあらかじめ貯めておいたほうがいい

数日、数週間前からセックスオナニー我慢し浪費を抑えてください。

辛いでしょうが最高の24時間のためです

ホルモンの分泌には軽い運動日光浴も有効です

二人で事前にのんびりハイキングでも行きましょう、信頼関係も増しま

当日ドンピシャエロスイッチ入るようにスケジュールしま

マラソン選手大会数日前から体を作るような感覚です

やるからにはそこまでやります、本格的です、遊びではありません

 

フィジカルメンタル最高の状態を作って挑みます。生半可な気持ちではありません。

ガチでイキまくりたいのです

思い出に残る最高快楽な24時間やってみませんか?

AV的なプレイではなくスローセックスイメージしています

お互いどのようなスタイルが好みかすり合わせをしてからやりましょう

傷つける行為は一切いたしません、NG行為などは事前に取り決めします約束は守ります

道具も色々使いましょう、一緒に買いに行きましょう

電池もたくさん準備しま

彼氏旦那がいても応募に差し支え有りません、あくまスポーツなので

性病検査済みでクリーンです、ヤリチンではありません。

念の為HIV梅毒検査キットで開始前に眼の前でチェックしてもらいます

避妊当然

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ちなみに応募は男性でも問題ありません、小生前立腺には十分な知識経験があります

 

ワタシ可愛くないから。。。

大丈夫スポーツなので顔やスタイル関係ありません、僕は誰だろうと24時間しま

できれば体力に自信のあるかたが良いですが、それも問題ありません、なんとかします。

一緒に記録を更新しましょう

 

ご応募お待ちしております

 

追記

さっそくゾンビちゃんのご応募頂きました!ありがとうございます

誠心誠意勤めさせていただきます

死後22年とのことですが増田できるということは肉体は現存しているものと推察します。

ならばイケます。どうにかします。小生過去に毒々モンスターと交えた経験もあります

頑張りましょう、後ほどDMお送り致します。

anond:20240703191019

ガンを飛ばすなんて言葉存在するくらい、目を合わせる行為って本来敵対的から

相手思考を読もうとする行為なんだし当たり前の事、信頼関係が無きゃ普通はできん

増田勝手に覚えた親近感なんて店員さんは当然知らんし、どう考えても意味不明だし怖いだろ

そのうえ店員さんを「会計装置」とか言ってるし発想が独善的すぎる

いつか胸倉掴まれるぞ

気をつけろ

2024-07-03

anond:20240703120314

彼女友達が女ってことを言わずに会うのは良くないと思うんだよな、、女側としての意見だけど

前に同じことを彼氏にやられてブチ切れてしまたことがあるから

会うなら「今喫茶店にいる」 「もうすぐ帰る」とか彼女に連絡取るようにして

それでも不安がるようなら会うのをやめるしかいか

ただほかの人も言ってるけど信頼関係が築けてるなら問題ないとも思う、、、難しいね

anond:20240703120314

十分な信頼関係を築けているなら普通に話すればいいかと思うけど信頼関係不安があるならそちらを構築するまでは会わないのが良いと思う

2024-06-29

宣戦布告するヤツいるじゃん

私はあなたが嫌い、信用していない、みたいなのを言葉や態度でハッキリ示しちゃう

プライベートなら自由にやればいいが、仕事で、しか顧客取引先にまでやりやがるんだよな

合わないならそう上に伝えてくれれば(あなた担当から外すから)いいのに

相手個人ストレートに伝えやがるから、結果として信頼関係ボロボロになる

大体は威嚇された相手が気を遣って譲歩してくれるから何とか業務回ってるけど、同じタイプの敵にぶち当たると大喧嘩になって辞めていくんだよな

でも再就職先で同じことしてんだろうな

成功体験があるから

anond:20240629165103

わたしこれは家族信頼関係に基づく正常なコミュニケーション(猫による教育的指導)だと思うのよな。

猫が本気で怒ったらこれくらいのお子など致命傷よ?

甥っ子は血族だけど家族ちゃうやん。ペット血縁ないけど家族やん。他人家族暴力振るったら家族を守るん当たり前やん?

この猫、自分庇護者(この幼児のお兄ちゃんだって理解してるからこそ、この対応

2024-06-28

ああ、頭のいい人と信頼関係に満ちた仕事をしたい。JTCの見えない価値だったな。

2024-06-20

anond:20240620111427

普通に信頼関係問題があるからだと思う。コンタクトしてきた人が本物なのか判らんし、データキー渡さずにお金だけ奪ってドロンする可能性もあるから大金は渡せないでしょ 

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-16

ここって、自分で調べず他人ソースの提出ばかり求めてきて

ソースがあると削除して逃亡するクソガキばっかだよな

最低限の信頼関係すら結べない幼児以下のやつら

2024-06-15

anond:20240615190951

関係性や信頼関係がきちんと出来上がってからなら受け入れられる可能性あるけど、

しょっぱなでそれ知っちゃうと「そんな繊細でしんどいものを背負ってる人を無責任恋愛に巻き込めない」って思っちゃう人は多いんじゃない

今時は遺骨で作るメモリアルグッズとかもあるし、自分肯定否定もしないけど

2024-06-13

リファレンスチェック企業は人の信頼関係タダ乗りしている

少し前に同僚にリファレンスチェックを書いてくれと頼まれて書いた。

依頼してくれた同僚にはネガティブ気持ちは全くないし、過去に関わった誰から依頼が来ても喜んで書く。自分なんかで良ければ、という感じ。

ただ、書く見返りはまったくないし、それを当然のようにしているリファレンスチェック企業・利用企業に腹が立つ。

例えばbackcheckの「推薦者には何かインセンティブがありますか?」のページ↓

https://backcheck.commmune.com/view/knowledgebase/post/4192

リファレンスチェックの回答は候補者と推薦者の信頼関係を前提としているため、弊社からの回答への御礼などはございません。


信頼関係を前提としている」から「見返りがない」って意味わからんのだけど。

インセンティブがあると良いことしか書かれないとか?そもそも信頼関係あるなら良いこといっぱい書くわ。

信頼関係があるからタダで良いよねって話?やらせる側が言う?

50分拘束するくせにこの言い様であるしかちゃんと考えたら50分どころではない。

リファレンスチェックの会社記事も、利用を推奨する会社も、回答者に対する気遣いが全く無い。

「次君が転職するときリファレンスチェックで頼れる人が増えるよ^^」みたいなことしか書いてない。舐められている。

リファレンスチェックに需要があるのはわかる。だが人の信頼関係タダ乗りして無料※で情報を集めて、さもそれが当然という雰囲気を出しているところが気に食わない。 (※情報自体に金は払っていないという意図)

海外では当然だから?知るかそんなもん。

この仕組み早く廃れるか、ちゃん回答者に少しでも利益がある・感謝が伝わる仕組みになってほしい。

現状だと依頼者・回答者負担押し付けて「この人のリファレンス書いてくれるでしょ??この人のためだったらちゃんと書くよね??^^」と足元見てくる無礼サービスしかない。使っている企業も同様。

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