はてなキーワード: 技師とは
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
私の公開されている役職や所属は明記しているので目を通しました。
しかし、この団体がなんなのかも、よくわからず、文章も意味不明。
なんの反応求めているのかもわからりません。
誰か同じく困っている人のために、記録として残しておこうと思います。
おかしな点は
•メールアドレスの名前と本文の名前が別人、一応団体の関係者として名前はあがってくる。
https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/013090379
•住所は閉業とグーグルマップには書かれている
•ホームページは閉鎖している様子
•大神氏はいるようですが、リンクを踏むと履歴がつくので、未確認
https://jp.linkedin.com/in/%E6%83%9F%E7%85%A7-%E5%A4%A7%E7%A5%9E-7a5071101
新手の迷惑メールかどっかの偏った団体なのか謎が深まりますので、ご存知の方いらっしゃいましたらコメントお願いします
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XXXXXXX様
岡山市北区今一丁目12番110号
07.05.15.oga@gmail.com
不躾ながら用件のみにて
(1) A病院では、不都合な部分は削除、訂正記録は残さない。
(2) さらに、記録の書き換えを行う。
(3) 書き換えは、長年行われている。
2 庇い合いのリスク
(1) レントゲン写真! 真面に撮影が出来ない・読影も出来ない、整形外科開業医。
(2) 一時的! と庇い合いに応じたところ、逃れられなくなった、臨床教授。
(3) (先医の診断に差し障らないよう?) 軽い症状のみを記録した、整形外科医。
(4) 精査せず! 原因が分からない。不定愁訴と説明する、総合内科医。
(5) 症状と一致する! 脱臼等のCT画像。異常はないと説明する、整形外科医。
(6) (犯罪! も厭わず)MRI検査画像を加工・捏造する、放射線科。
(7) (異常個所飛ばしや差替えられた)捏造画像に沿った所見を書く、読影医。
(9) 診療情報提供書に虚偽記載して、適切な診療を妨害する、主治医。
(10) (紹介医が提供)矛盾だらけの情報に、診療(検査)を拒否した、准教授。
(11) 上司(講師)の診断に異を唱えられず、患者を真面に見られない、医局員。
3 Selected People
整形外科開業医、私立病院脊椎脊髄外科医1名、公立病院脳神経内科病院教授1
名・同整形外科医2名・同放射線科医3名・同検査技師・同事務職員、私立大学
整形外科系准教授、国立大学整形外科系講師・同歯科系教授の、合計10数名。
以上
ご挨拶
ご多忙と重々承知しておりますが、患者を慮れない利己的環境は「一部の方々の
こと」としても、「意図的に患者の人生を狂わせた」ことは看過できません。
本例は、「こんなことはもう止めませんか、先生も嫌でしょう」との問いかけに
「別に嫌じゃあないよ。世の中、こんなもんじゃろぅ」と平然と答えられました。
そこに、「倫理観はなく、リスク意識も無い、社会性も欠如と、完全に社会を見誤
っている。(医療界の常識?)社会全体に押し付けている」と感じ、驚愕しました。
と言うのも、大多数の国民は「健全な社会を望み、健全であろうと努力し、自身
は本より家族を守るためであっても、一定のルールの下に防御」しています。
ところが、上記2の各項は本来許された防御を著しく逸脱。根源とみられる「庇
い合い」は、当該医師の「逃げ場を奪い」一種の「人格崩壊状態を強いるもの」で
あり、一方患者に対しては「非人道的扱い」となるため、如何なる理由があっても
そもそも、レントゲンさえ真面に撮影・読影できない開業医に「庇い合いの下に
地域医療全体のレベルを合わせざるを得ない環境は非道」と言え、患者のみならず
あたら多くの優秀な方々の将来を失い兼ねない状況を見るにつけ「忍びない」との
思いから、選ばれし方々を「見捨てはしないだろう」「暫時猶予を」と、地域医療
のリーダーである教育者の方に「庇い合いとは補い合うこと」との「解釈変更の先
導に期待を込め、自浄作用を期待、患者ファーストを切望」。正面から向き合う日
が来た旨をお伝えすべく、耳障りとは承知の上でご連絡しています(悪しからず)。
それに、可能であれば、この度選ばれし方々が犠牲にならないよう願っています
が、そのためには医療者の、とりわけ影響力の大きい教育者の方々のご尽力は不可
欠! と考えます。
慣習から深く考えず。成り行きから拒否できない状態におかれ、気が付くと犯罪
行為まで・・・犯してしまった方々に犠牲になっていただくのか。この場合、ご家
族も巻き込まれることになるのではと懸念され、とりわけ人生経験の少ない子供達
にとっては将来を左右する程の出来事になろうことか想像に難くなく、犠牲者が生
まれようとも変わることはないのか。あるいは、犠牲者を出す前に変わる・変える
上記のとおりですから、この度を以って「二度と犠牲者を生まない、望ましい庇
い合いのスタイルが確立されるべきではないか」等々・・・期待させてください。
なお、方々については(より良い社会を作るために・・・)「各界各層のご意見
をお聞きした上で判断を」と考えており、忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。
以上
どこかのVtuberの事務所で夜中にリリースがあって、その背景を少し補足したいと思う。
2000年代以降、PCや周辺機器の性能向上によってPCでなんとか楽曲制作が完結できるようになった。
これによって今で言う歌ってみた等の音楽制作、声劇・朗読・講談等人の声にフォーカスしたものも素人がカジュアルに音源化、データ化できるようになった。
無論在野のプロとでも言うべき人もいたし、技術推進などもあったが、基本的に非常に浅い分野のものだけが切り取られ、間違った知識も擦り続けられあまり質の良くないものがほとんどだった。
質が良くない、というのは例えばテレビやラジオ等の放送、あるいはそれに関連する音楽・映像制作業のような基準や規格に準じた一定の品質基準がない事を意味する。
そんな状況なので素人が素人の作品を楽しむような世界がしばらくは軸だった。
ボカロ文化の隆盛等様々な事情によって金を生み出せるハイアマチュア、あるいはプロへと転向していく人が生まれていくのだが、問題はここにまずある。
作編曲でもミキサーや各種音響技師でも実はある程度体系化されているものを突然「売れたのでプロとしてやっていきます」と言い出すとプロとしてやっていく最低限の知識水準の平滑化がなされていない。
得意な分野がやっと一人前や半人前ということで、不得意だったりそもそも認識していない分野はゼロやマイナスである。
「でもオレに依頼を出す人がいるから食っていけるので、オレはプロです」という暴論がここで成立する。
プロという単語には倫理や遵法、技術、知識など様々な分野で一定の水準をイメージする人が多いが、ここで致命的に食い違う事になる。
彼ら彼女らには職業倫理のようなものはないし、プライドを持つような技術や経験がないのでモラルが育たない。
しかし、資格の世界ではないし、技術競争の分野でもないエンタメでは面白ければ正義で、人気があれば強者である。なぜなら代理店の仕掛けに乗れるからである。
加えて令和の世の中になるとできていない人間相手にそれを正面から指摘等しないで、自然的に疎を形成する傾向がある為、依頼をしたい側が困る事になる。
依頼する側がまずド素人で、依頼相手に選ぶ人間がこれらの文脈でのプロかどうか判断する審美能力がない。困りましたね。
事業として現実に仕事をしている世界では、間に制作会社や代理店が入って然るべく手配されるので依頼者が素人でも日本では許される傾向がある。
…あるのだが、これら歌ってみただとかVtuberだとか呼ばれる実質的に素人の人々はそういうものの必要性をあまり認識されない。
ANYCOLOR社がせめて上場企業でなければもっと矮小化もできたのだが、実質的には素人仕事で上場している事を今後問われる形になってしまった、という大人の社会的な話が本格化してしまうのが残念だ。
声優さんもスタジオでのセリフ収録や歌収録でも質の低下著しいが、彼らは後ろがプロだ。事務所が始末をつけてくれる。
Vtuberのようなライバー達、中の人が素人でいることを続けるのなら、事務所がプロにならないといけないのではないだろうか。
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。
先祖代々のワキガ(少なくとも祖父母と両親の6人がワキガ)である我が一族に伝わるワキガ三大奥義を悩めるワキガに伝授しよう。
みっつ、体を洗ってから15時間が外出のタイムリミットだと思え
まず大前提として、毛を剃れ。
パースピレックスやワキガードも塗ってるのに全然臭うと悩んでいる奴ら、大体ワキ毛を剃ってない。
ワキ毛を剃らないとそもそも皮膚に薬を塗れてないので意味がない。
特に塩化アルミニウム系の汗腺を塞いで汗を止めるタイプのものは、汗腺に直接触れないと何の意味もない。
わずかなワキ毛でも薬を塗るのに多いに邪魔なので最低週1、肌が頑丈なら毎日剃る方が良い。剃ると肌が荒れるなら脱毛クリームという選択肢もあるのであった方を選ぼう。脱毛するのもいいぞ。
ワキガに産まれた人間の人生は三択しかない。「ワキと陰毛をまっさらにする」「手術を受ける」「臭いと陰口を叩かれながら暮らす」このどれかだ。一番無難なのは陰毛を除去すること。手術をしても臭いを取りきれてない場合は結局陰毛を除去して薬を塗って暮らす人生も存在する。
そもそも「スソワキガ」というものを知らないワキガもいるかも知れない。スソワキガは股間のワキガだと知っていても、どこにアポクリン汗腺があるのかちゃんと分かってない人もいるだろう。
俺はちゃんと場所を知らずに2年ぐらいずっと太ももにだけ薬を塗っていた(腕の付け根がワキなら脚の付け根はふとももだから)。ある日それを見た父親に「お前、何も分からずにワキガ対策をしているのか?」と言われ、スソワキガの正しい場所と上の三原則を伝授されたわけだ。
スソワキガの場所は陰毛が生えている場所だ。「Iライン、Oライン、Vライン」で画像検索をしてみてくれ。文章だけでイメージするよりもいくつも画像を見てちゃんと知るべきだ。
毛を剃ったら薬を塗るんだ。
手術をするという選択肢もあるが、手術はリスクがあるからやる時は医者とちゃんと相談して、薬を塗って収まるなら薬で凌ぐことも考えて欲しい。
最近はやっているミラドライとビューホットは技師の能力や相性にもよるが、50万払って全く何のいみもなく終わることも多いのでオススメしない。
手術をするなら切る以外の選択肢はないと思ったほうがいい。
というわけで無難に済ませる手段として薬があるのだが、薬には3つの種類がある。
まず最も効果が高いのが汗そのものを出なくする塩化アルミニウム液だ。雑菌の栄養源や湿気の原因となる汗自体を防ぐのでかなり直接的に効果が出る。ただし肌へのダメージが強いので剃毛後の肌にすり込むと激痛が走ることも。
次に効果があるのがミョウバンだ。これは肌を酸性にすることで菌の繁殖を防ぐ効果と、汗腺の機能を押させる効果が期待できる。完全に汗を止めるわけではないから、汗が多いと少しずつ流れ出してしまう欠点がある。
最後に臭いそのものを減らす消臭剤だ。ワキガの強烈な臭いの前では余りにも脆弱。基本的には上の2つと併用するオマケだと思っていい。
ワキガの薬は国内外で多数出ているので色々試して体にあったものを使うのがいいだろう。臭いが消えているかどうかは一日着ていたシャツのワキ部分を嗅いで見れば大まかに分かるはずだ。全然効いてないときは全然凄い臭いがする。
そして効果の有無より重要なのが肌に合うかどうか。新しい薬を買うときは最初の量は少なめにしておこう。そもそも痛みが強すぎて使えない薬も多いからだ。
最後になるが、ワキガ人間は長時間の外出はしないほうがいい。出かける前にシャワーを浴びておくか、アルコールティッシュ程度でいいからワキガ部位を拭いて乾かしてから薬を塗るのも忘れるなよ。
ワキガグッズは「24時間ずっと効く!」なんて言ってるが、あんなのは効果が完全に消えるまでが24時間ということであって、数時間もすれば効果はすでに半減している。
程度にもよるが、強いワキガ人間は朝シャワーで脇を洗ってから薬塗っても終電の時間には完全にワキガが臭っている。ちょっと残業をするだけでもすでにかなりヤバくなっていると思っていい。終電ギリまで飲み会とかは絶対に避けるべき。やるにしてもどこかで一度ワキを洗うタイミングを作ったほうがいいだろう。
軽く拭いて延命は出来ても体感15時間ぐらいでリミットが来る。自分の体感なので実際には12時間ぐらいでもう駄目かも知れない。朝シャワー→定時退社を基本で生活を設計するべきだろう。人生設計そのものをテレワーク中心で考えるべきかも知れぬ。
昔は日本中にバキュームカーが走っていてそこらじゅうウンチ臭かったおかげでワキガも多少はごまかせたが、今の生活な町並みでワキガ臭は十二分に排除の対象となる。ワキガに産まれた人間は正しい知識を身に着けなければ生き残れないぞ。
間違っても「切らないワキガ手術のミラドライしたから一生ノーガードでもいいはずなんだが?」みたいな勘違いだけはするなよ。切らなきゃ治らず、切っても残るがワキガの基本だ。切らなくても薬と自己管理である程度解決できるし、切った所で自己管理を怠れば全然臭うのがワキガだ。
自己管理の話をしてしまったので、裏奥義である「体臭の強くなる食生活を辞めろ」も話しておくか。
ワキガはアポクリン汗腺から出る脂っこい汗が、よく分からんクソキモい雑菌の餌になりそいつらが意味不明な化学反応で臭い物質を作り出すことでおきる現象だ。
虫歯菌が砂糖から酸を作り出して歯を解かすのと似たようなことが起きていると思って欲しい。虫歯の場合は甘いものを控えると菌のはた迷惑な生態を抑えることが出来るが、ワキガの場合も汗の脂成分を減らせば菌の繁殖や臭いの発生を抑えられる。
ワキガ菌の餌になりやすいのがニンニク・ネギ・動物性タンパク質・脂質だ。
腸内環境を整えるとワキガが減ると言われているが、正確には腸内環境を荒らすような食べ物とワキガの原因になる食べ物の一致率が高いということなんじゃないだろうか?(個人の空想です)
ジャンクフードや肉の食べ過ぎは良くないと言われているが、何より危険なのがネギ科の食べ物だ。ネギやニンニクは美味いので色んな食べ物に入っているので注意が必要だ。外食や弁当でネギが入っていたら残せとまでは言わないが、調理する食材を自分で選ぶときや冷凍食品を買うときなどは極力ネギ科を避けるようにしたほうがいい。自炊しない人でも成分表示を見てニンニクを避けるだけで摂取量はかなり減らせるはず。
実際、俺が連休中だし引きこもるから大丈夫と焼き葱を一晩に2本食べた時は次の日自分の体臭で目が痛かったからな。マジでヤバイぜ。犬がネギ食うと死ぬのは自分の臭さに耐えられなくて死を選んでいる可能性さえあるなと思う臭さだった。
ワキガに生まれ落ちることは対策の出来ない不幸だけど、ワキガそのものは対策のしようが無数にある病気だ。体質的に太りやすい人間よりかは辛いかも知れないが(食生活的にワキガも高カロリー食は控える必要があるが、デブなだけならネギは食えるので)、糖尿病や癌に比べればまだマシだと思って頑張ろう。とりあえず、毛を剃れ。陰毛もだ。剃るべき陰毛の場所はちゃんと調べるんだ。自信がないなら医者に聞くんだ。そして薬を塗れ。手術をしても完全には消えないので一生付き合っていこうな。
確かに平均値をとってる厚生労働省の統計上は、相関があるんだけど、あれは罠があるんだよね。
それも高学歴全体の平気をあげる。
でも高学歴って、それ以外の要素を多大に含んでいるんだよね。
例えば、ガチトップ層じゃない、年収700万円の男は、たぶん高卒でも年収700万円になれた。実際大学で学んだことと関係ないことやってるじゃん。
それと、大学を出た場合と、高卒専門卒の場合の、職種の違いってのが実感として影響しやすい。
トラックドライバーとか、建築現場監督とか、工場の技師とかに、特に文系高学歴があんまりなりたがらないんだ。すぐに事務職希望するし、希望がかなわないから営業職になる。だから年収が低い。そういう現象が起こる。
俺もそうだったが、文系に進学したら、大学生のうちから「この学部居たら就職とか厳しい」話はすると思うんだけどね。
どういうわけか、厳しいといっても高卒よりは楽とか思ってるんだよね。
アスファルト舗装や鉄筋コンクリートの発明者の喩えが、どういうことなのかいまいちわからない
電球や電話のような、それまで存在しなかったまったく新しい技術ではないということか
スイスのメーリアンという技師が、たまたま地面に落ちで踏み固められたアスファルトの上で荷車を動かしたら
なんだかいい感じだったところから、アスファルト舗装が開発されたとか
「コンクリートの父」と称されるオーギュスト・ペレは、鉄筋コンクリートの発明者ではないし、発明者は誰だかわかっていない
コンクリートの中に鉄筋入れたらなんか丈夫になるんじゃね?という発想は、そんなに突飛でもないし
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
よくあるのが看護師は気が強くないとできないってやつ
まあわかるけど、看護師は正直いい人とやばい人の差がすごく、やばい人の割合が高い
常に切羽詰まってて人への許容範囲がすごく狭いという感じ
看護師以外にも薬剤師、こいつは偉くなればなるほどヤバいやつになるイメージ
どうやら普段の業務上勉強も必要だし、外からは頭いいと扱われてるのに病院内での位が低いから精神が壊れるっぽい
病院で働いていることがすごいと思っているっぽい
医者は思ってたより悪いやつは少ない
でも本当にドラマで悪い医者役として出てくるような怒鳴り散らしたりするやつが稀にいるし、めちゃくちゃに偉い
権力もすごいし怖すぎる
ちなみにかなり大きい病院のことを言っている