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はてなキーワード: 合理性とは

2018-12-11

anond:20181211162224

そうだな竹槍でB-29を落とそうとするのも合理性の話じゃないんだからバカにするのはよくないよな

anond:20181211161411

おっさんになってから医学の道に進むのは遅い(遅い遅くない)

遅くない周りにいる(遅い遅くない)

医学の道にいけなかった奴100人知ってる(多い少ない)

話変わってるし、合理性の話もしてないよね?

2018-12-09

シェンゲン協定フランス暴動

シェンゲン協定ってのは労働者域内移動の自由保証するわけなんだけど、この協定に従って、労働者がたとえば出身地への愛情とか所有する家とかの諸条件を一旦無視して、経済的合理性だけで移動した場合労働者能力レーティングに従ってEU域内の豊かな場所から順にアサインされることになるよね。つまりそれは能力の高い人が豊かな場所に住むって意味だ。

このモデル思考実験で追いかけると、フランスEU域内において、ドイツに次ぐ富裕国なわけだから、(適当過程数字だけど)EU全域統計における能力偏差値56〜53くらいの労働者が集まって住むことになる。もともとフランス国内にいた労働者のうち偏差値57以上の人はドイツに行くだろうし、53未満のひとは新しくやってくるボリュームゾーン労働者に職を奪われて、それぞれの偏差値にふさわしい国や地域に移動して労働することになるだろう。これがシェンゲン協定実態だよね。それがこの10年で明らかになったのが今の光景じゃないかな。

まり労働者移動の自由保証する」協定は、自由自由競争に連結されている以上、能力主義によって追い出されて職場を選べないという「住居の自由保証しない」協定になりうる。

もちろん上記モデル仮定のものなので色々要素が抜けている。政府は他の様々な政策福祉就業支援移民政策)を通じてこのモデルに手を加え制御しようとするし、生まれ育った地域に対する愛情とかすでに持ってる不動産とか親戚づきあいとか、人口移動(あるいは不動)に対する影響変数はほかにもたくさんある。

フランス域内では裕福な場所で、それはつまり目指すインセンティブが高い国家という意味だ。この国家の魅力を偏差値的に表現すると55だとしよう。このフランスで、55未満の市民に対する福祉的な政策をしてしまうと、シェンゲン協定は、EU域内から55未満の移民をかき集めてしまう。豊かな国なのに比較納税額が少ない人をケアすれば、周辺国から見て弱者をすてる老人ホームになってしまうということだ。これはつまりフランスにはフランス市民にたいして手厚く福祉をする政策自由度がないことを意味する。

もちろん様々な工夫の余地はある。国籍を取って50年以上たった市民のみが福祉を受けられるとか。でもそれってたぶん欧州委員会に殴られるわけで、もっと細かく様々な方法差別化するしかない。公務員として古いフランス市民雇用して慰撫するとか。なんにせよ、EUがない国家に比べて政策自由度がすごく低いということは理解すべきだ(日本での報道とかコメント見てると、このあたりを蹴飛ばしててすごく不公正な感じする)。

フランスフランスの豊かさと文化を守るためには、そしてEU内での地位を守るためには、「フランス金持ち向けの国家であり今後そうする」っていうデザインを取らなきゃならない。その意味マクロンはその方針に対して忠実ではあったんだよ。でもその方針って「今すでにフランスに居る基準以下の労働者(先程の表現で言えば偏差値55以下の市民)は移動の自由に従って国外放出する」ことも意味してて、それがフランス市民には我慢ならなかった。

フランス庶民貧困層フランス国民としてフランスで裕福になる権利があるってリベラルの人は言うかもしれないけれど、でもEU域内での庶民貧困層あきらかにフランス庶民貧困層より更に貧しい)は、フランスを含むEU域内自由場所で、EUの平均程度に豊かになる自由権利があるわけだ。それはむしろリベラルの人がEU建設時に熱心に主張してた自由権利なわけだよね。

今の日本報道はこの点に対して随分一方的なように見えて、そこがなんだかもやもやする。

2018-12-07

政治の話だけど、政治的ではない話

別に野党をクサすつもりはないが。

否決されることが明白なのに、ポーズのためだけに野党から提出される不信任決議

これを止めるだけでも、野党は相当に議席が伸びると思う。

だって、どう見てもバカ所業じゃんねー。否決されるためだけに採決を行うとかさー。

そういう浪花節っぽい精神論が支持された時代もあったのかも知れないけど、今の国民もっと現実的だよ。

合理性判断できないバカ政治を任せたいなんて、誰も思わないって。

何で、止められないんだろうねぇ。

2018-12-05

anond:20181205171743

合理性の全くないゲートウェイよりはランドマークという合理性のある寺の名前のほうがいーじゃん。はいろんぱ。

anond:20181205171616

寺に地域代表させるよりは現代都市計画に準じているのだから合理性があるだろう

そもそも合理性があるなどという主張はしていないが

2018-12-01

anond:20181201005124

また脳内妄想による決めつけをしているから非常に不快だけれど、最初からこちらはLGBTの話もPZNの話も一切していない。

再三いっているように主語は「婚姻制度を利用して不正経済的利益を確保しようとする人」だ。

婚姻制度を利用して不正経済的利益を確保しようとする人」にとって、現行の婚姻制度も、あるいは拡張された婚姻制度障害にならないという話をしているだけであって、それは合理性効率性の話なんだよ。

加えて言うならば、あなたが決めつけているように「同性婚制度の成立に賛成だ」なんてことすら、こちらは言ってない。

ただひたすらに「それらが成立したならば不正利用が増えるという予想は合理的ではない、ただの邪推だ」ということをいってるに過ぎず、その発言には同性婚制度の成立に賛成も不賛成も含まれていないわけよ。

仮に自分同性婚制度の成立に反対の立場だったとしても「同性婚制度が成立したならば不正利用が増える」なんて言わないよ。だってそれって明らかに恐怖症的なデマだし、何度も言うようにそういうミクロ論点マクロ政策の可否判断をするってナンセンスもの。反対にしたってもっと別の論拠で反論するよ。

2018-11-30

anond:20181130072850

過酷競争に身を投じることを美徳と捉えている節があるな。

でもそれは合理性や高い生産性とは真逆の発想だぞ。

2018-11-27

anond:20181127180040

知らんけど、お前の合理性感覚とテンバイヤーの行動が一致する理由があるわけでもない

anond:20181127130441

結局のところ、法律(端的に言えば東大法学部)が人道や科学合理性よりも優先するということだ、我が国では。

安楽死を認めれば、殺人罪運用が複雑になる。相続紛争も増える。

2018-11-26

anond:20181126083355

いやいや、歴史人間の行いはずっと敵と味方に別れた争いであったと言っている。

敵味方に世界を分割するものたちは人間性に溢れるといっていい。

合理性には欠けるのかもしれないが。

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-23

五輪をやりたい国民ってそんなにいた?いる?

開催国に決定した当時から感じていたが、

東京五輪を開催したい国民ってそんなにいたか

もちろんここまできたら成功させなくてはならないが、もし工事も何もかもゼロに戻して誰も困らないのなら、開催しなくていいと思っている人ってかなりの数で存在しないか

何が言いたいかというと、もしそうだとしたら

「たとえ国民が望まなくても、どこかから案が噴き出して、あとは経済効果国威発揚という政治合理性理由に反対しづらい政策となって可決され、いつしか国民義務になる」

という事実が、とても恐ろしいと感じたのだ

2018-11-21

ネットだけで賢くなったと勘違いするな

ネットで○○って言ってるのみたから〜とか、ネットで調べたら○○だったから〜って言って博識ぶった若者が多すぎると思う。

そもそもネット情報を無根拠に信じている人が多い。その認識はだいたい間違いだぞ。wikiでみた情報知識勘違いしてはいけないよ。なぜならあくまwikiは有志が書いただけの情報主観が混じっている可能性があるからだよ。

なのでwikiを利用しながらのオススメ知識習得方法としては、wikiに書かれている内容を仮説として同じ事柄について書いてある文献を読んでみること。これも1冊とかではなくて、できれば複数出版社の文献を読むこと。そうすると自分なりの知識道筋というものが見えてくる。忙しいから無理だという人は最短の手段としては、ネットにあるその文献のレビューを読むことかな。でも学術論文なんかはなかなかそれ自体を読まないことにはどうしようもないから、知識を得るのは時間がかかると割り切ったほうがいいかもしれないね

もう一つ伝えたいのはネットに書かれている人間感情価値観が全てと思わないこと。

なぜかというと人間は全ての気持ち言語化できるわけではないから。世界には言語化されていないけと存在し、そして埋没していく他人感情がたくさんある。はてブブログで書かれていることはまぁ一つの考え方として捉えておけばいい。はてブで極論を言う人とでも、直接対面で話す場がもしあったら他の意見も聞けると思うしね。

人間の心はネットに全て遺しておけるほど単純ではないのだと頭の片隅に入れておくだけでもいい。たとえばこれを読んでいるあなたは、あなたの心のうちにある感情を全て把握し、掌握して、言語化できていますか?

多分自分自身でも気づいていない感情があります。かの夏目漱石太宰治のような文豪ですら「こいつ何言ってんだ」という時があるからね。ショーペンハウアーなんかに至っては難解すぎて笑える時があるけど、彼等の生い立ちなんかを追ってみると「あ、あれってこういう感情だったのかも」と気づくときがある。なので個人的には文学に触れることは人の気持ちに触れることと同義で、ネットだけでは知れない人の気持ちがあると知ることができると思っているんだ。

でも確かにパソコンの使い方や辞書がわりにネットを使ったほうがいいこともあるよね。実務的な情報取得に関してはネットが最強かもしれないね。ただ増田的には最近の人がネットだけみて全てを知った気になっている気がして、もっと物事時間をかけて検証することと実体験を重ねることに価値を感じてほしいと思っているんだ。

実務や合理性けが世の中の全てではないと思うんだ。

そういう意味では現代資本主義が極まりすぎているのかもしれないね増田資本主義社会でいいのだろうかと疑っている一人だよ。

そしてこの増田意見も「本当にそうだろうか?」と疑ってほしい。何事も疑ってから信じていけばいいと思うから。だからネットだけで賢くなったと勘違いするなよ。

2018-11-20

お前刑務所に行けよ

 もうお前の判断には何の正義合理性もないし、滅茶苦茶で刑務所にいる受刑者下の人間になっている

さっさと刑務所に行って、その腐った精神を叩き直されてこい。

 もうお前の言ってることに根拠も魅力もなくて、最悪だからみんなからまれているんだよ。

多くの者からついてこられてこの日本を発展させた昔の比じゃないわ。今のお前には何の価値もない。

昔良いことをして今は大人しく暮らしてるならまだしも不特定多数が容易に閲覧できるこのような

場所にクソを垂れ流し、健全青少年害悪を与えかねないようなクズ人間にまで変貌してる時点で終了している。

早く閻魔様のところにいけや

2018-11-19

anond:20181119185340

これから書くことはネタバレ注意だけどな。

 

母にしろ父にしろ同じなんだ。

子供の側は「父の日母の日に書いた絵」とか

サンタさんについて親子で話したこと」とか全部忘れて大人になるんよ。

なったのが頼もしい異性大人だと、

同性大人よりさらに、

さな子供だったという事実が、

神秘的にさえ見えるもんなのよ。親からは。

同性であってももう忘れてるし

異性なら自分はたどってない道とおってきたやつだからね。

 

母父はその愛情あるやりとりが存在した証拠として

過去子供だった今では頼もしいくらいに成人した生き物を

手元においときたい気持ちはあるのよ。

だってアイフォンでは愛情までは録音できないからね。

(いやしっかりした子育てパートナーがいればたまにはできるかもしれんけど)。

家族写真コレクション欲の延長みたいなもんよ。

子育てバッヂというか。

でもまあ、子供のほうがドライ独立資金とか計算してるから

こっちも別に経済的合理性とかでドライ判断してますよー。

同居しないの? 結婚式だの新居への贈与税以下の援助はいらないの?

って顔してるけどね。

 

でも実際に監禁だの性的虐待だのをやるクズ親の存在も知れてきたんで

子育てクラスタ以外ではあんまり派手に言わないほうがいいよね最近は、

ってことだろーな。

2018-11-17

anond:20181117005306

いんじゃない。女性専用車もその一つだしね。

ところでディベートって言葉はこないだ教えたらググってきたんだね、戦士は。

人格差別の不合理性レポートはまだかな。レスが急になくなって心配してたんだ。

これじゃ単位あげられないなって

2018-11-16

anond:20181116162139

そりゃだって性格とか余裕の問題だろ。

自分居住区の良い部分を褒めたり広めるよりも、手に入らないぶどうを貶すほうがコストが安い。貧乏人はそっちに飛びつくよそりゃ。

まあ、そのへんがいわゆる「分断」であって、いま世界的な政治最先端問題なわけだけどさ。中長期視点合理性があったとしても、貧しければ近視眼的な合理性に負けるわけよ。

2018-11-15

anond:20181115165835

親と同じ道をたどらせるというのはある程度の合理性はあると思う。

子供にしても親ができたんだから自分大丈夫だろうという安心感はあるから

もちろんドロップアウトするケースもあるけど、学歴に縁がなかった親が予備知識もなく子供勉強させようとするよりはマシな道をたどる気がする。

anond:20181115013351

感情邪魔をしていると思われる。

結局はバランス大事よ。感情無視して合理性を追求していっても歪んでしまうよ。

anond:20181115013351

合理的に考えて優秀な人や広い人脈を持つ人が高い地位につき国家運営した方が効率が良いけれど、その合理性によって自身自身が大切にしているモノが蔑ろにされることは許容できない

みたいな考えでも持ってるんじゃないの?

合理性への信仰

感情を廃し合理的に考えることを良しとする考え方がある。歴史的にも個人経験から見てもその考え方は妥当だと思う。だが私は合理性を完全に受け入れることができずにいる。そのことが人生の妨げになっている。自分は一体何に引っかかっているのだろう。

基本的人権ってクソ制度だと思う

世の中には死んだほうがマシな奴もいると思う

生きていてもだれも喜ばない

社会の役に立つ事なんてまるでしていない

しろ生きているだけで人に迷惑かけたり不快な思いをさせてるって奴

そんなゴミでも凶悪殺人事件でも起こさない限りは生きる権利が認められるっての

合理性にかけるだろ

なんのメリットがあるんだよ

じゃあてめえが死ぬ事になるぞとかつまんない事は言わないでね。

2018-11-12

あれは反ネトウヨ新左翼だよ

anond:20181112131244

それが、ある意味では一貫性があるんだな。それが「反ネトウヨ

でもいつの間にか単なる手段であったはずの「反ネトウヨ」それ自体目的なってしまったような、左翼の亜種みたいな存在ネットの普及によって拡大してしまった

ネトウヨを親の敵のように異常に憎み、ネトウヨの事ばかり言及し、ネトウヨのことをずっと考える

そうして彼らにとってネトウヨという存在は途方もない巨悪であり、憎むべきものであり、蔑むものである存在に「格上げ」されたのさ

そこに合理性は一切存在しないが、少なくともネトウヨだけは永遠にであるということだけは一貫してる

から今回も「ネトウヨが憎んでるBTS(韓国)」は、彼らにとっては絶対に正しいものじゃなければならないんだ

敵の敵は味方と言うわけ

これを外部から見ると、今回みたいな気持ちの悪いダブルスタンダードに見えるんだ

でも本人たちは「反ネトウヨ」という一貫性があるから気づかないし、多少のことは気にしないんだよ

彼らにとっては内容はどうでも良くて、ネトウヨとの関係性によって世界見方が決まるのさ 

2018-11-06

ゴブリンスレイヤーBPOに叩かれた件

ブコメではどうも「表現の自由VS規制側」,「」エロ同人漫画描写>ゴブスレ」と相対化して放送正当化する流れが強いけどもう一度よく考えてほしい

レイプを前提として構築された世界観ではレイプ必然性説得力がないし,明らかに男女の扱いに差が出ているのもこれを補完している。

端的に言えば紹介→ひき肉の2コマで終わる男に対し,

女は暴力骨折・欠損→全裸羞恥懇願強姦過去回想→現実心神喪失→死亡→巣での強姦→肉盾→救出その後と延々と陵辱の描写が続く。

酪農酒場と受付以外の職業斡旋がなければ「世界観の一部を」という文句無意味であり,

肉付きが良く化粧もする中流美女らが自ら進んで生死と貞操を賭ける理由が,

制作側のただレイプを描きたいという理由を全く回避できていない。

余談だがこの女性からゴブスレ界では人間女性にとっての冒険者一種の娯楽であり、貞操喪失ステータスとなっていることが伺える。

「徒に性欲を煽る」内容としても性器ピストン描写を省いただけで既存エロ同人漫画アニメに対して劣るモノでは決してない。

その意味では作者自ら苦言を呈したハガレン1よりも遥かに悪意であろう。

深夜放送といえど一般家庭で見れる地上波であり,さらニコニコといった幅広い年齢層が視聴するネット配信にも積極的だ。

これを持って「観たい人が観るゾーニング」ができていることにはならないだろう。元来選択できるTV放送におけるゾーニングもっと次元が高いものからだ。

原作AAであり,漫画もBGとYGと流通形態が限られてどちらも一定の「敷居の高さ」がある。ゆえに個人がこっそり楽しむ分には外野文句を言われる筋合いはない。

ゆえに性描写過激さも基準値が高くなっていることには合理性がある。

しかアニメにそのまま持ち込むのは意味が違う。視聴年齢が幅広くなれば必然的規制派に口実を与える確率も上がる。

ただでさえ東京五輪を前にキズナアイラノベの表紙問題で騒がれるこの微妙な時期に,放送する必要性が「エロじゃないと売れない」以外の理由があろうか。

「やりやがったw」とか「逃げてない」とか「フェミざまあ」と擁護する前にもう一度考えてほしい。恥ずかしいことは,恥ずかしいことだからこそ存在を許されていて愉しむことができる。

それを表に出した結果が,将来楽しめたはずの「恥ずかしい」ことがどれだけ奪われることになるか分からないのだ

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