はてなキーワード: 合理性とは
そうだよ。
判別機だけモジュールとして5万円くらいで交換出来る仕組みも、ぜひ実現したらいいと思うよ。
それとは別に、互換性があれば、「偽造技術が追いついて来ない限りは」その5万円さえ不要で、古い券売機を延命して使い続けられるかもしれないよねという話。
偽造技術がいつどんなタイミングで追いついてくるかは、わかんないよ。
偽造技術が追いついたらしぶしぶ更新すれば良いし、その時の費用が5万円で済むなら、それもまた助かる話だよね。
ホログラム無しの福沢諭吉が多くの現場で切り捨てられた時期がわかれば、参考になるかもね。
現行のホログラム付きの福沢諭吉が、今後、いつ切り捨てられるかという推移も、参考にできるかもね。
あなたは「結局20年ごとに機械を(まるごとにせよモジュールにせよ)更新しなきゃならない」と懸念するけど、
だよね?
ラーメン屋は「偽札被害が多発するなどして、経済合理性に基づいた自由な判断でしぶしぶ古い券売機を更新する」時のみ、更新が発生するわけだけど、そのタイミングって結局、
互換性のない現実世界で資金力のある大手チェーンが「偽札被害が多発するなどして、経済合理性に基づいた自由な判断で新型券売機の旧札の対応設定をオフにする(または新札のみに対応する最新券売機に入れ替える)」タイミングと、同じじゃない?
各々自由にやってたのよ、そうなのよ。
だから、旧紙幣の切り捨ても、自由なタイミングでやればいいのよ。
互換性のメリットは、「旧紙幣の切り捨ては、まだ必要ないよなぁ」と経済合理性に基づいて自由意志で考えてるラーメン屋さんが、券売機の更新を先延ばしにできること。(たとえば、毎世代ではなく、隔世代で済むかもしれない)
「自己肯定感」は、実態のないクソワードなんで出来るだけ使わないほうが良いと思うんだよな。
「自己肯定感」が低いから、自分の悪いところを改善できませんでしたっていう奴に必要なのは、合理性だし
「自己肯定感」が低いから、毎日寝るのに時間がかかりますって言ってる大学生に必要なのは、将来の不安払しょくできる就職先だし
「自己肯定感」が低いから、友人関係でトラブルになりやすいと思っている奴に必要なのは、コミュニケーション能力だし
https://b.hatena.ne.jp/entry/4752198473835976704/comment/Knoa
偽札防止の新技術に対応できないのは甘受するとして、新札には読み取り機の後方互換性くらい義務付けてもいいんじゃないか?毎回読み取り機側の特需を経済効果に加算して推進するの悪辣過ぎでしょ。
説明しよう!
まずここで述べている後方互換性というのは、たとえば
こういう仕様にしておいて、スーパーセキュリティチップVer.1にしか対応していない古い券売機でも、スーパーセキュリティチップVer.1だけしかチェックできないものの、新しい1万円札Ver.2もいちおう扱えるという意味だ。一般的な「後方互換性」は「新型機械が古いメディアにも対応する」という意味だが、それとは概念が真逆で、ここでは「新しいメディアが旧型機械にも対応する」という意味だ。この点が誤解を招いたとしたら申し訳ない。
追記: よく考えたら、「ホログラム無しの福沢諭吉から、ホログラムありの福沢諭吉へ(2004年)」って、実質的にここで言う後方互換性を維持した更新だったのでは。あの時は、1000円や5000円は肖像ごと変更になったんで券売機の問題は結局存在していたと思うけど、1000円や5000円もホログラム追加だけに留めておけば、多くの券売機は2004年の刷新を生きのびていたのではないかな。
もちろん、スーパーセキュリティチップなんて仕組みに頼らずとも、もっと簡単な工夫があるかもしれない。あくまで一例だ。それと、旧機械による新札の読み取りを妨げない限り、人間が見分けるための新しい工夫は、いくら追加してくれていてもかまわない。
また、背景にある大きな考えは「新札のたびに機械を入れ替えるなんて、経済資源の無駄遣いだ」と、「それを経済効果としてプラス面だけアピールするのは悪辣だ」という2点である。そういう意味では、たとえば安価なモジュール交換だけで新札対応が済む世の中になるなら、それも好ましい。(既にそうなってるとするブコメもあるのでそれはそうなんだろう。かといって、記事のように高く付く理由もそれなりにあるんだろう(善意の解釈主義)。また、何年も前から予告されていたことだろううんぬんの話も、結局のところ経済資源の無駄遣いの話が前提になる。「いまさら慌てふためく」のがけしからんという話は理解できるが、そもそも機械の入れ替えに無駄な部分があり、もっと効率化できないかという話は、モジュール交換の効率性に置き換えてもらえればわかりやすいが、恒久的に訴え続けてもよいだろう)
ところで、「偽札防止」の観点から後方互換性に懐疑的な意見のブコメもあるが、現状はどうなっているか、もう一度考えてみてほしい。
スーパーセキュリティチップでも、ホログラムでも、透かしでも、なんでもよいのだが、新技術による偽札防止が効果を発揮するのは、あくまで「この券売機は旧紙幣には対応しません」が許されるようになった後の話。当面は、旧札もほとんどの場面で使える。券売機メーカーも、新札発行後にすぐ「旧札に対応した券売機はもう売りません」なんてことにはならない。
もちろん、新札への対応準備は完璧で、券売機も刷新しているだろう。しかし、みすみす旧札のお客さんを切り捨てたくはないので、当面は、旧札にも新札にも対応していくはずだ。じゃあ旧札への対応をやめるのはいつか?それは多くの場合、新規に導入する券売機の最新機種が旧札に非対応になったころだろう。それ以外に旧札を切り捨てる動機と言えば、偽札が横行して、その企業自身が経済合理性に基づいて「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときだ。(そんな事態が既に起きていて、実はラーメン店も既に相応の被害を出している、という話は聞いたことがない)
スーパーセキュリティチップVer.1しかチェックしない旧券売機さえ騙せればよいので、新しい1万円札Ver.2が流通するようになってからも、「スーパーセキュリティチップVer.1を埋め込んだ、1万円札Ver.1そっくりな偽札」を製造しまくることだろう。
しかし先も述べたように、その偽札は、結局のところ、世の中の券売機が旧札への対応を続ける限り、後方互換性が実現しようがしていまいが、使えてしまうのである。
後方互換性なんて実現してない、現実のこの世の中でも、いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札は、来年も再来年も、新札と旧札の両方に対応した最新型を含む多くの券売機で、使い続けることができるだろう。いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札が、精巧に作られた偽札だったとしても、だ!
ちなみに、ラーメン店に限れば、1000円札にしか対応しない券売機も多く、偽造側の効率面から言っても、現実的な偽札リスクはもともと小さいと言えるだろう。その上で仮に将来500円玉のように偽物が横行すれば(500円玉は韓国ウォンとサイズが一致しただけで、偽造効率の話ではないが)、その時は各企業の判断で「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときに、しぶしぶ券売機を刷新すればよいのだ。
しかしまあ、こんな心配をするのも、現金がたくさん流通している今だからこそで、次の新札や、そのまた次あたりには、どうでもいい話になっているのかもしれない。
後方互換は世の中の様々な券売機が紙幣のどこを見て判断しているかを把握して網羅的に対応することが求められると思うが、突き詰めると今と同じ紙幣が完成しそうな予感がする。
そう。なので、現実的には「次回の新札から、後方互換性を想定した仕様にします(読み取り機のチェック項目の仕様策定)」という区切りが必要だと思う。その点でもますます、近い将来には「どうでもいい話」になりがちではある。「もっと早くから取り組んでいれば…?」という話でもある。
または、今が過渡期だという前提なら、「今後は現行の福沢諭吉をベースに、追加要素を入れていくだけ」でよかったかもしれない。渋沢栄一を起点にしてもいいけど。んで、お札の人物画像を読み取ってるような古めかしい券売機がほぼ全滅してしまえば、また人物の入れ替えも再開できるだろう。
死刑執行の概要は、確定死刑囚の生命を奪うことを内容とするが、これは、法的確実性と具体的妥当性の下に、裁判官が、これ以上にない検討を重ねて
確定判決に合理性が成立しているときにのみ認められる。しかし、死刑囚に関する確定判決があるというだけでは、それが成立しているという何らの証拠もなく、
拘置所に収容されている死刑囚に対して、ある日突然、死刑執行を告知し、執行することは、個人の尊厳ならびにそれ以外の法の目的からしても認められない。
原作寄生獣にはターミネーター2と同じように、人間の感情を理解しない合理性の塊の殺戮マシーンであるミギーと新一の異文化コンビものとしての面白さがあったが、韓ドラ版では基本的に主人公と主人公に寄生した「ハイジ」の意識は共存しない設定になっている。
※ジキルとハイドみたいな関係で、ハイジはハイドからきている。
二人の絡みは交互に出てくるかもしくは精神世界での対話のみとなっている。
また、ハイジは人間の心の機微を最初からめちゃくちゃ理解しておりミギーのような心情を無視した合理性を説かず、心情を認めたうえでの合理性を説いてくるため、寄生獣と人間とのディコミュニケーションの面白さがスポイルされている。
原作主人公の新一はごく普通の高校生として描かれていたが、韓ドラ版主人公のスインは幼いころに母親に捨てられ父親には酷い暴力を受け、最終的に自身の父親を警察に売ったというウルトラハードモードな人生を送っており、新一とは違い感情の起伏が乏しく、感情移入が難しいのもマイナスポイント。
原作漫画と同じように大切な人を寄生獣に乗っ取られるイベントはあるが、主人公の感情の起伏が乏しいのと、彼女にとってその人物がどれほど大切かの書き込みが不足しているため、原作の時ほどの衝撃がないのももったいない。
ドラマパートでは警察や寄生獣対策専門の特殊部隊「ザ・グレイ」を中心とした重火器などを使用したハードなアクションが増えており見ごたえは増している。青春ドラマ、異文化交流的な面白さをスポイルし、洋ドラ的なスケールとアクションをプラスしている。
別物としては十分に視聴に耐える面白さは確保していると感じる。
ただ、シーズン1が全6話となっており圧倒的に書き込み不足を感じるのはもったいない。最後に「イズミシンイチ」なる人物が登場し、視聴率もよいようなのでシーズン2に期待と言ったところ。
床は一面の黒い、大理石のようなタイルだった。そして私の2倍は高い大きな窓が、ずっと向こうまで、50m走ができそうな程の遠くまで続いている。
壁際には大小さまざまな観葉植物が置かれている。ポトスやパキラ、大きなアレカヤシ……それらは無数の名前も分からぬ植物たちとともに、青々とした葉を茂らせている。窓の外でも同様で、そのためにここは熱帯雨林の様相を呈していた。
こんな風呂場には入ったことがない。私は言いしれぬ開放感に満たされる。まるでジャングルに住む、野生の人間として生まれ変わったような気分である。いま、私は都市の規定から解き放たれた。
中央の浴槽へ向かう。20歩ほどの距離にあるそれは、意外にも平凡なユニットバスのそれであった。足を伸ばせるほどの大きさがあればそれで良いということだろうか?この浴場の豪奢さに不釣り合いな合理性と倹約を見せられ、私はやや鼻白んだ。が、窓の外の雄大な熱帯雨林への興奮を打ち消すほどではない。
天井から物干し竿とハンガーが吊り下がっている。私は手に持っていた迷彩柄のトランクスをピンチに挟んだ。するとどうだろう。そのトランクスからは絵の具のように赤い液体が、一本線の形をとって浴槽の湯に落ち、溶け、広がっていく……
正論がどうのって最近よく言うけど、正論じゃない考え方の方が珍しいでしょって思う。
が正論なら
腹減ったらドカ食いしよう
根本的な前提だとか、複数ある前提の優先順位が違うだけで、どっちも目的のために適切なアプローチをしている訳だし。目的そのものは共感できるかどうかだけで、正しいも間違いも問いようがないし。
正論じゃないって言ったらもっとこう、歌が上手くなりたければイソジンで足を洗いましょう、みたいな支離滅裂な事を言うんじゃないかと思う。
正論なのは当たり前でその上で順位をつけるって事なら、目的が同じで合理性を単純比較できるならどちらがより効果的かという話になるだろうし、そうでなければどちらにより共感出来るかという話になるんじゃないかと思う。
よく言われてる「正論」は一般的な社会規範に即している、だとかより共感を得やすい、くらいの意味合いで使われてるよなって思う。
Zaikabou さんの Twitter(現X)を見てるとちょいちょい出てくるのが婚活の話題で、最初の会合等で食事する店の件が出てくるのだけど大体女性が男性側の選んだ店が雰囲気が良くなかったとかチェーン店だったとか文句言ってるのが多い。
自分は男で婚活やってないしもし本気で婚活やるならその辺の流儀には従って調査とかするだろうけど、男性が雰囲気の良い店に連れて行ってあげるべきって考えは旧いジェンダー観だよなって思うんだよね。妊娠とかなら男女間に先天的な能力差が明確にあるけど雰囲気の良い店を選んで相手を連れて行くって先天的には男女間に能力差は無いよね。今の社会的に女性同士でそういう雰囲気の良い店に行く事が多いだろうからむしろ女性の方がそういう店を知ってる事は多い(むしろ知ってるから文句を言うんだろう)。むしろ得意な女性の方が選んで男性を連れて行く方が合理的だと思うんだよな(婚活は合理性だけが全てじゃないだろうからそうあるべきとまでは思わんが)
これ男女逆に言うと、男が「女性にラーメン屋を選ばせたら幸楽苑とか選んだんだぜ、ありえないよな~」とか言ってるのと同じだよな。こんな文句言ってるの見たこと無ぇ~。まあ普通に「家事は女性の仕事」とか言ってるのと同じような旧いジェンダー観だって言いたいって事よ。
んで、男性でこの「男性が雰囲気の良い店に連れて行ってあげるべき」ってのを素直に受け入れられている人が居たとしたら、その人って「家事は女性の仕事」みたいなジェンダー観も持ってる可能性が高いと思うんだよね。女性って全てを決めてあげて用意してさし上げて自分は何もしなくてもいいチヤホヤするみたいな姫扱いされたがってる節があるんだけど、本質的にはそれって主体性というか自己決定権が無い状態でもあるわけで(疲れた時とか時にはそういうのが欲しいのは解るんだけど)、自分は自己決定権を取られるのってメチャクチャ不快なんだけど、そういうのに慣れてしまってるならともかく喜ぶまで行くと共感どころか理解も厳しいものであるが。
女性は姫扱いをするべきって思ってる男性って結構ヤバ目な男性だと自分は思うのだけど、女性はあんまり危険視しないよね。そういう男性ってモラハラ夫な気がするけど、まあいいや俺は関係ないし。
実際の婚活市場は「今は男女共に働くべき」と「家事は女性の仕事」を同時に持ってる男性やら、「男は一家の大黒柱で大いに稼いで欲しい」と「今時家事は男女共にやるべき」を同時に持ってる女性やらが売れ残ってる地獄らしいが。