2021-07-27

オリンピック女子ロードレース奇跡素人にも分かるよう解説する

7/25(日) 13:00から行われた東京オリンピック 女子ロードレース奇跡が起こりましたので普段自転車ロードレースに関心の無い方でも分かるよう解説してみました。

何が起こったのか

オーストリアからたった一人参加していたプロではない博士号持ちの数学研究者アンナキーセンホーファー選手スタート直後から飛び出し、そのまま最後まで逃げ切って金メダルを獲得してしまいました。

何がすごいのか

通常ロードレースでは大きな集団(メイン集団とかプロトンと呼ばれます)になって走りますが、そこから飛び出して先行する少人数の逃げ集団も良く作られます

今回もアンナ選手と他に4人がスタート直後にメイン集団から飛び出し、5人の逃げ集団を作って先行しました。

しかし、そのような逃げ集団レース終盤にはメイン集団に追いつかれて吸収されてしまうのが一般的です。

たまに逃げ集団選手がそのまま逃げ切って勝ってしまうこともありますが、それだけでニュースになってしまうぐらい珍しいことです。

しかも、今回はオリンピックという一大イベントで逃げ勝った選手プロではない数学研究者だったということでロードレース界隈を越えて大きなニュースとなりました。

なぜ逃げ集団はメイン集団に追いつかれてしまうのか

そもそも逃げ集団が終盤にメイン集団に追いつかれてしまうのは一言で言うと「人数が違うから」です。

自転車スピードを出すと空気抵抗が大きくなります

集団場合、先頭の人はこの空気抵抗をまともに受けながら走ることになりますが、2番目以降の人は直接空気抵抗を受けないので楽に走れます

どのくらい楽に走れるかというと先頭の人の6割程度の力で同じ速度で走れると言われています

そこで、集団で走る場合は先頭でしばらく走ったら後ろに下がって、次は別の人が交代して先頭を受け持つという戦術が取られます

この場合、交代要員がたくさんいるメイン集団の方が少人数の逃げ集団より圧倒的に有利なため、ほぼ必ずレース終盤には逃げ集団はメイン集団に追いつかれてしまうのです。

なぜ今回は最後まで逃げきれたのか

ところが今回、アンナ選手最後までメイン集団に追いつかれませんでした。

理由の一つは今回勝ったアンナ選手最後まで速かったからです。

スタート直後からゴールまで残り40kmぐらいの籠坂峠というところまでは複数人で走っていましたが、そこでアタック(スピードを上げて飛び出すこと)を決めて他の人を振り切り、以降はゴールまで単独で走っていました。

下記のリンク女子ロードレスコース図があります

http://www.vill.doshi.lg.jp/ka/info.php?if_id=929&ka_id=4

単独だと空気抵抗をずっと受け続けるので、しばらくすれば速度が落ちてくるものですがゴールまでスピードを緩めることがありませんでした。

これは彼女ロードレースよりも単独走行時間を競う個人タイムトライアルという競技を得意としていたからだと思われます


そして、もう一つの理由は今大会随一の強豪であったオランダ チームが彼女の事を見落としていたことです。

今回のオリンピックでは各国毎にポイントで参加人数が割り当てられ、強豪国オランダは最高の4人が割り当てられていました。

そのメンバーリオ五輪優勝とかロンドン五輪優勝とかのすごい選手ばかりです。

ところが、そんなオランダ チームはアンナ選手に振り切られた2位のイスラエル選手に追いついたところで、それ以上追おうとしませんでした。

なぜなら、そのイスラエル選手の前にまだアンナ選手がいることを見落としていたからです。

なぜこんなことが発生したのかというと、通常のプロレースでは選手無線を使ってサポートカーに乗ってる監督から様々な情報や指示を受けることが出来ます

しかし、今回のオリンピックでは国毎に参加人数が違う有利不利を緩和するため、選手無線を使うことが禁止されていました。

そのため、情報を得るには集団から離れてサポートカーまで下がって直接聞くか、ホワイトボードを持ったバイクが先頭との時間差を書いて教えてくれるのを見るかしかありませんでした。

しかに終盤はオランダ選手サポートカーまで下がる場面は見ませんでしたが、バイクホワイトボードで先頭との時間差を伝えていたでしょうから、なぜこんなことが起こったのか本当のところは良く分かりません。

いつものレースの様に無線で十分な情報を得ることのできない環境に戸惑っていたのか、あるいは日本真夏の暑さにやられてしまっていたのでしょうか。

彼女は運が良かっただけなのか

もし、オランダ チームが彼女を見落とすなどというミスをしていなかったら、彼女は勝てなかったのでしょうか?

一般的に逃げ集団をメイン集団が追う場合「平地なら10kmで1分差を縮められる」と言われています

今回のレースでは中盤のゴールまで残り約60kmの山伏トンネルあたりで、逃げ集団とメイン集団の差は7分弱ありました。

しかも、下り坂ではコーナーを曲がるために単独でも集団でもある程度以上の速度を出せないため、あまり差を詰められません。

そんな下り坂がゴールまで約40㎞の籠坂峠から10キロあるのです。

この時点で当然、オランダ チームは前に逃げ集団がいることと時間差を把握していたでしょうから、確実に捕まえるならここから既に追走を始めていなければならなかったと思われます

しかしながら、オランダ チームはまだ追走態勢に入りませんでした。

追走態勢というのはこの場合、メイン集団の先頭でオランダ チームの4人が次々と交代しながら全力でスピードを出して集団を引っ張っていくようなことを言います

自チームだけが全力を出していると相対的に他の国のチームが有利になるので、逃げ集団の5人がアンナ選手も含めて有力な選手では無かったため、ここで追わなくても後で追いつけると判断したのでしょう。

しかし、結果的にこの判断は間違っていたわけです。

これは運が良かった、悪かったというレベルではなくオランダ チームの判断ミスだったと思います


次に、アンナ選手に振り切られた逃げ集団の残り二人をメイン集団が視認したのはアンナ選手がゴールまで残り10km前後の時点と思われます。(逃げ集団の他の二人はそれ以前にメイン集団に吸収されていました)

この時、アンナ選手とメイン集団時間差は3分以上ありましたので、仮にオランダ チームがアンナ選手を見落としておらず、その二人の前にアンナ選手がいると認識していてそこから全力で追ったとしてもゴールまでに追いつくことは出来なかったでしょう。

また、オランダ チームは二人を視認するまではアンナ選手認識していたかどうかに関わらず、先頭に追い付くつもりで追っていたのでしょうから、結局予想よりも先頭との差が詰まらず追いつけなかったという判断ミスを犯したということになると思います

よって、自分としては彼女は運が良かっただけでなく、終盤にオランダ チームが彼女を見落としていなかったとしても逃げ切っていたと考えます

ちなみに2位となったオランダ チームの選手との差は1分15秒でした。(あれ、けっこう微妙?)

彼女はどんな人なのか

そんな彼女学歴は下記のように立派なものです。

現在スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)で非線形偏微分方程式研究するポスドク研究員だそうです。

先月も学術誌に論文投稿しています。下のリンクがその論文ですが、さっぱり分かりません。

https://www.researchgate.net/publication/352447874_Small_data_global_regularity_for_half-wave_maps_in_n_4_dimensions

そして彼女スポーツ歴はというと下記の通りで、短期プロチームに在籍していたこともありますが、オリンピック参加時はプロチームとの契約の無いアマチュアです。

最近は大きなロードレースに参加することも無かったため完全にノーマークだったようです。


彼女を含めたレース後の選手へのインタビュー記事が以下にあり、彼女名言を読むことが出来ます

https://www.cyclowired.jp/news/node/350652


研究者らしくツイッターではオリンピック前に準備として自身の体の熱順応を分析してたりします。

トレーニングから機材管理まで全部自分で行っているそうです。

https://twitter.com/AnnaKiesenhofer/status/1411359788454363138

(元のツイートにあったグラフが削除され、URLが変わったようなので修正しました)

最後

今回のロードレースNHKの下記のページから見逃し配信で全て見ることが出来ます。(いつまで見られるかは分かりません。大会間中ぐらいは見られるのかな?)

表彰式まで含めると5時間ほどあって実況も英語しかありませんが、綺麗な景色も見れるので環境ビデオ代わりにずっと流して見てみてください。

https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/

ちなみに男子ロードレース女子のようなサプライズはありませんでしたが、普通にかなりおもしろレース展開でしたのでこちらもお勧めです。8時間弱ありますけど……

(好評だったので続きを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20210806115303)

記事への反応 -
  • 長い3行で頼む

    • こういうこという人見るとちょっとずれてるかもしれないけどベリーのパラドックスをつきつけたくなる

    • 五輪女子ロードレースが勝てないはずの先行で勝っちゃったよ。 オリンピックのルールとコースに助けられた部分もあるけどね。 それにしても凄いのでまだ見れるサイトもあるから見て...

    • ツインターボが有馬記念勝ったみたいな

  • 自分が素晴らしいと思ったポイントは、優勝者の女性がチームもコーチもなく、自分で鍛え、考え、動き、優勝したという事実。集団戦が基本のようなスポーツの中で、たった1人の闘い...

  • 恐らくロードレースの中でも多くの人の記憶に残る試合だろうね オリンピック競技としても記憶に刻まれるし面白いよな

    • 女子ロードレースってプロ最高峰のレースでも運営がグダグダなせいでお取潰しの目に遭いかけたくらいには舐め腐ったレース続けてるんで今回の事は事件として記憶に残るだろうな 男...

  • 解説付きの再放送が決まったら起こしてください

  • なぜ金銭も発生しないのにいつもこんなに丁寧に解説してくれるのか

  • 今回の女子ロードで元増田が触れていないすごいところをもうひとつ。自転車ロードはいちおう個人競技ということになっているが、実質的にはエースとエースをゴールに届けるという...

  • 有名所にしか興味ないと不思議に思うかもしれんけどそもそも無線が使えるレースが極少数派なんやで

  • 【ライブ動画で検証】女子自転車ロードレースで強豪のオランダ勢は逃げ集団とのタイム差を把握できていなかった模様 - 東京オリンピック2020 http://bicyclegeek.seesaa.net/article/482631446.html

  • ごめんズイフトでいうとこないだ始めた初心者が世界ランク1位になっちゃったみたいなこと?

    • 大スポンサーも付いているハイテクボートに4人乗りで漕いでいたオランダチームをさしおいて、趣味用ボートに一人で乗って漕いでいた数学の先生がぶっちぎりで優勝した。という感じ...

  • コロナが大変な事になってるのにどうでもええわ

  • どうでもいいよ。麻原が空中浮遊したようなもんでしょ

  • 赤白のアンナとイスラエルが逃げているって情報が入っていたんだけど 赤白のアンナはオーストリアとポーランドの二人いたのは知らなかったってオチだったりして

  • やっぱ女子スポーツは未熟なんかね しかしそれゆえに意外性のあるドラマも生まれると 高校野球みたいなもんか

  • 面白くない競技だね

  • なるほど、分かり易かった ありがとう、面白い記事でした!

  • 論点変わってすまない。 参加人数が1人のオーストリア選手と、参加人数が4人のオランダでは空気抵抗云々の影響で前者が不利ってことだけどさ、 じゃあ参加人数が1人の選手はオランダ...

    • その場合、4人チームの最後尾の1人は気付かれないように手抜きをして前との間隔を空け、同時に前の3人は一気に加速します。金魚のフンは加速してくれない選手を避けつつ3人を追うこ...

  • 逃げをちゃんと把握していても追いつけなかった、というのはどうだろうな。 確かに逃げ集団の実力を見誤って落ちてこなかったのはあるけど落ちてきた2人を交わした時点で牽制も入っ...

  • ブコメ1000付いてるのは久々かもしれん

  • 男子も同じような展開だったので、奇跡というほどでは?(二人参加のエクアドルの選手が逃げて優勝) 激坂、テクニカルな下り、猛暑のサバイバルレースだとこうなりがち。 数学...

  • アイアンマンみたいだな 逆に言うとポスドクが一人で何とかなるくらい女子競技のレベルが低いという事も出来るけど ブルーオーシャンよね

    • 女子枠に体男のLGBTが混じったら圧勝できる

      • しょうがないと思う。女という価値を捨てた結果、女と言う概念が曖昧になりスポーツでは活躍できなくなる。 それは実際女子がやっていたのは(器械体操や体操、フィギア系を除き)『...

  • 早めにアタックすれば追いつけたなら先頭との時間差に関係なく理論上一番早くゴールできるように走ればいいのでは

    • 言うほど理論上一番早くゴールできるように走れるか?

      • 先頭集団全員が協力プレイすると、一番早くゴールできるが、 協力プレイが長引くほど、自分が一番になれる確率が下がる。 どの時点まで協力プレイをし、どの時点から逃げに入るか...

    • そして、理論上一番早くゴールできるように走ったアンナ・キーセンホーファーが優勝した。

    • それがタイムトライアル競技やな そっちはちゃんとオランダのアホが優勝したで

  • ブコメに「『Story seller』というアンソロジーの中にある「プロトンの中の孤独」をおススメしたい。」とあったけど、それなら近藤史恵の「サヴァイヴ」に載ってるし他にもロードレー...

  • 7月25日の13時から行われた東京オリンピック 女子ロードレースで起こった奇跡について書いた前回の記事(https://anond.hatelabo.jp/20210727115101)が思いがけず多くの人に読んでいただけたような...

    • ぬるぽ

    • きんもー☆

    • 乙。面白かったです。 これを機に日本でもっと自転車の地位が上がりますように。

    • こういう人間がいると俺のランキングが下がるからやめてほしいんだよな

    • なんかロードレースって学者がやるもんなんかね

    • 素朴な疑問なんだけどキーゼンホーファーさんはどうして出てなかったの? 参加資格的な条件を満たしてなかったとか? 

      • オーストリアの女子タイムトライアルの五輪出場枠がゼロだったからですね。 https://www.uci.org/docs/default-source/official-documents/tokyo-2020---olympic-games/liste-des-noc-qualifi-s-we-2020.pdf?sfvrsn=80812727_8

    • 👵「ほんま、ようしったはるわ~」

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