はてなキーワード: セルフとは
いつか人前で涙が出てしまい、相手を困らせる前に認知行動療法を受け、思考の歪みを治したいと思った。
現在困っているのが、生きていて申し訳ない気持ちが急に襲ってくる。生きていてごめんなさい、そして大切に育ててもらったのにそんなこと思ってごめんなさい、と涙を流す。なぜそのように思うのか。仕事面では、私がいなくなれば、私より優秀な人が入る。もしかしたら後釜がだらしない人で「まだあいつのがましだったな。」と言われるかもしれないが、私のがマシor私より良いの確立2分の1なので試してみる価値がありそうだと思ってしまう。まぁ私にも生活があるので、お金を稼ぐことをやめるわけにはいかない。死ぬのは痛くて周りの人が悲しむからね。私の周りのいなくなってしまった人を思うと今でも涙が出る。
そもそも、そう思われないように最善を尽くし、今を生きろと思うが、怠惰で怠け者の私は考えることを放棄してしまう。かわいそうだね。哀れ。多分このセルフツッコミが認知の歪みだと思っている。しかし、この思考回路の道だけ舗装されて高速道路が開通しているので、歪みまっしぐらなのである。
パッと思いついたから仕事から書いたが、仕事を始める前、学生時代からずっとこんな感じだから、仕事のせいで涙生活をしているわけではないと思う。
あとは、ゴミしか生み出さない、ゴミ以外何も生み出さない存在で申し訳ない。まだアルミ缶の方がリサイクルできるだけマシ。献血をしたり、ボランティアをしたり、人のためになることはせず、消費行動ばかり行い、人に助けてきてもらっているのに今まで貰ってきたものを仇で返している気分。植物の方が人を穏やかな気持ちにさせる力を持っている。まぁ植物と比べるだけ烏滸がましいのか。
趣味で絵を描いているが、楽しいから描いており成長するぞ、という目的で描いていないから絵の上達もしていない。上達したいなら「今日は手を少し丁寧に描いてみようかなぁ」等何か変えていくべきだし、楽しさだけ求め、それでよしとしているのは自分なのに上達していない自分に悲しくなる。そんなわがまますぎる自分、あまりにも人間らしい。
それでも、私の話に笑顔になったり、また会いたいと言ってくれる人がいるのは嬉しいことだと思う。そんな人がいるのに、どうしようもなく消えてなくなりたい気持ちはいったいどこからくるんだろう?多分睡眠不足だから寝たら治ると思う。ただ、寝付けずに寝る前に泣きながら考えてしまう。私が消えた方が世のため人のためなのに。って。泣くくらいならゴミ拾いでもすれば良いのに。
この泣きながら寝る生活を終わらせるためにも認知行動療法を受けたいのである。しかし、認知行動療法をするのなら寿司も食べたいし、可愛らしい鞄も欲しいのである。けちでめんどくさがりやなのかな?全部やらないけど。ただただ床で寝そべって、たまに涙を流して朝になり仕事に行く。
多分、まだ必要だとは思っていないんだと思う。そうやって、手遅れになってから行動するのが私。まぁ、人間はそのような一面をもっている人もいる。
生産性になぜ差異が生じる かの原因の 1 つは,おそらく文章を書くという作業があ る種のスキルであることに起因していると考えられる. すなわち,生まれつきの技能や特別な才能ではなく,地 道に練習をすればある程度までは論文を執筆するスキル は身に付けられるものであり「文章を書くという作業を 習慣化する(生活の中に組み込む)」ことこそが最も重 要なのではないかと思う.
自分自身を振り返ると,授業 や学内業務,社会活動をはじめ様々な日常業務がある中 で,いつも忙しいというのを言い訳にして「もう少しま とまった時間があれば,もっと論文が書けるのに」とい つも考えており,その改善策を考える上で,私の周りに いる生産性の高い研究者に教えを乞うことが有効だと考 えた.
そのため,論文執筆の生産性が高いと考えられる 研究者を対象に,執筆作業の効率化およびそれを習慣化 するための具体的な工夫等について聞き取り調査から明 らかにすることを試みた.対象者は,論文の生産性がかなり高い研究者 3 名(男性 2 名, 女性 1 名)であった.調査内容は, 1 )論文執筆作業を習 慣化するための具体的な工夫, 2 )論文執筆作業を効率 化するための具体的な工夫,の 2 点である.
論文執筆作業を習慣化するための工夫として,「タイ ムマネジメント」の一環として,論文執筆の日は出張に 行く日と同じという感覚を持つことが挙げられた.具体 的には,実際は自分の研究室にいるが,出張で終日不在 にしている体裁で論文執筆作業のみを行うというやり方 であった.特に,手帳に論文執筆の日であることを明記 し,他の予定を入れない,メールの確認頻度を減らす, 急用でないとメールは開かない,集中度が高いときは電 話にもでないという工夫をしていた.
また,早朝の時間 を論文執筆作業に充てるという意見もあった.学生指導 を含めた業務時間を自他共に分かるようにし,指導学生 には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える工 夫を行っていた.
さらに,無駄な時間や作業を減らすた め,非常勤講師や超過コマを持たない,むやみに学会発 表をしないといった意見もあった.
一方,いつまでに書 き上げるかのタイムスケジュールを(数カ月単位で)徹 底的に組み締切を作る,最低でも一文を書いてから帰宅 する等の「目標設定」を上手に行っていた.また,構想 から論文化までを一括管理し,何をどこまで書いたかを 常に把握しておく(可視化する)といった「セルフ・モ ニタリング」,できる限り大学に行く(まずは **やる場所** に行く),ふと良い流れや改善点,文章が浮かぶため, 常にメモができる状態にしておく等の「環境整備」に関 する工夫がみられた.
論文執筆作業を効率化するための工夫としては,作業 過程を 5 段階に分類するという意見があった.具体的に は,
①先行研究の動向を把握する段階(雑誌の最新号目 次のメール配信サービスの活用),
②データを分析し, 結果を確定させる段階(シンタックスを自分で書き, 分 析手続きの記録を残す),
③論文構成を考え,まとめる 段階(「日本語で」「段落ごとに」執筆する内容や主な引 用文献を, 箇条書きに簡潔にまとめる),
④文章を執筆す る段階(数日程度, 執筆のみを行う時間を作り, 細部は気 にせず一気呵成に書き通す),
⑤文章をブラッシュアッ プさせる段階(冷静に見直すため少し日数を置き, 全体 の一貫性など細かな修正を行い, 仕上げる)であった.
また,書く→修正→書く→修正ではなく,執筆自体が止 まらないようとりあえず全体を書いてから修正する,上 手に気分転換を図る(同時に複数の論文を書き, 1 つが 行き詰まったら他の論文を進める)といった意見も挙げ られた
論文執筆作業を習慣化するとい うことは,自分が重要性を感じているその他の時間との 価値交換を行う場面が多々あるため,なぜ自分は論文を 書くのかということを改めて突き詰める必要があるよう に感じた
薬局で処方箋を出して10〜15分くらい待ち、ようやく名前を呼ばれて窓口に向かった。
薬剤師さんから「前回、薬の用量が変わりましたが体調にお変わりなどはありませんでしたか?」といった一般的なことを聞かれたあと、いつものように袋から薬を出してお互いに錠数チェック。
「7日分なので7錠ですね」
「………??」
「7日分ですか? 2週間分のはずなんですけど」
と言いながら、処方薬の解説シートを目で追うと全ての薬が7日分で出ている。数年ぶりの処方日数ミスだ。
今日、ものすごく患者数が多くて忙しそうだったもんな。そういうときはこういうミスしがちだよね。うん、しゃーない。
処方箋が間違っている以上は薬剤師さんが主治医に電話をして疑義照会をしなければならない。
薬剤師さんはカゴを抱えて電話のある2階へと駆け上がっていった。
本来は医師を全面的に信頼せず、診察室を出たあとすぐに処方内容にミスがないか自分で確認するべきなのかもしれないが、土砂降りの中を長時間歩いてきた今日はそんな余裕が自分になかった。
たぶん先生はようやく怒濤の外来が終わってお昼ごはんを食べてるタイミングじゃないかなぁ……申し訳ないなぁ……。
私がミスしたわけではないのに罪悪感と妙な居心地の悪さに襲われる。
疑義照会を終えた薬剤師さんが階段から降りてきて、心底申し訳なさそうな顔で「お待たせしました……!」と言われる。こちらこそお手数おかけしました……。
私が行っている薬局だけかもしれないが、疑義照会を行うと、処方箋に医師(主治医)に確認した内容が赤い文字で書き込まれる。
何気なく処方箋に目をやると、細かい文字でびっしり5行くらいに渡って書き込まれていた。
(えっ、処方日数の変更をするだけなのにそんな書くことある?)
と内心ビビリ散らかしたが、表情には出さないようにした。薬剤師さんからも特に変わったことは言われなかった。
ねえ、赤い文字でビッシリ細かく何書いてたの?
めちゃくちゃ気になるじゃん。
疑義照会って基本的に医師のミスのはずなのに、私はどういうわけか毎回自分のほうが居心地悪く申し訳ない気持ちになる。
診察時間外に医師の時間の邪魔をなるべくしたくないし手間を取らせたくない。薬剤師さんにも手間と時間をかけさせたくない。申し訳ない。なにより自分も面倒くさい。
子供の頃にたまに親に連れてってもらって喜んでた、郊外にある焼肉とか寿司とかが食べ放題でランチ2000円の店に、ふと20数年ぶりに行ってみた
で、自分は何を食っても味なんてろくにわからない貧乏舌だと思ってたんだけど、意外とそうでもないのかなって思った
まず焼肉がどれも味気なくて不味い、とまでは行かないまでも少なくとも美味くはなかった
肉の旨味がないのか、水っぽいわけじゃないのに水っぽい味がするというか…肉を食べた気がしない
寿司はネタはまあこんなもんかと思ったけど、シャリがおはぎの米みたいにねちょっと固まっててシャリとは別の何かだった
スーパーの半額寿司でもまあまあ満足できる自分がこんなに寿司を酷評する日が来るとは
他の惣菜は唐揚げやパスタなんかもあったけど冷めてるものばかりで論外
今まで自分は高級な飯なんて食ったことなくて無駄に歳だけ食った子供だと思ってたけど、もう子供の頃の自分とは違うのね
あとデザートにはソフトクリーム(という名のバニラアイス)と一口サイズのちゃちいケーキがあったんだけど、これは普通に美味かった
バニラアイスはさっぱり冷たくて3杯食べたし、ケーキはパサついたりもしてなくて15個くらい食ったね
白玉のお汁粉も美味いしホイップクリームが絞られたバナナもうめえの
あと串かつをセルフで揚げるコーナーもあるんだけど、あれは揚げ物をするという体験が楽しかったし、揚げたての揚げ物は無条件で美味い
ラーメンを自分で湯で上げるコーナーもあって面白そうだったけど、炭水化物は腹に溜まるので惜しみつつも見送った
…子供かお前は
533 :名無しさん@お腹いっぱい。 (JP 0H87-GQNw [86.48.12.166 [上級国民]]):2023/12/20(水) 19:17:37.50 ID:edI70keXH.net
暇さん実家と言えば、官報データベースで「水原章次郎」と検索すると、昭和36年10月31日(号外第118号)と昭和36年12月16日の官報(号外第138号)に、郵政職員・京都地区(第1次試験地 京都市)の合格者として名前が載っているんだよね。受験番号?は10283。
もちろん郵政職員の合格者リストだから断定はできないけれど、もしかして暇さんパパは郵便局の職員だったのかな?
私はこれでも慎重派でね国会図書館で徹底的に研究・分析させてもらったよ
その結果…ガチだった
しかし官報データベースは有料サービスだし図書館内でも一部端末からしか利用できないんだよね
この情報捜し当てた上級国民はたらもんじゃねーな…たらもんじゃねーよ
京都地区で受験してるけど、在住地じゃなくて勤務希望地で分けられてるらしく
京都地区なので京都市、亀岡市近辺が勤務地域であり、当時はこの辺りに在住していたと考えられる
また、受験資格が17~30歳のため現在80~93歳、高齢ながら表札は出てるので健在らしい
60年代の電話帳で京都の水原さん調べれば実家特定できるかも?と思いきや
国立国会図書館では、1960年代半ば以前の電話帳は、わずかしか所蔵しておりません
とのことで見つからず。
あと、ネトゲ戦記も国会図書館で見るつもりだったけどまだ納本されてないらしく未確認。
https://honto.jp/netstore/pd-store_0633109213.html