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はてなキーワード: 指標とは

2018-02-15

anond:20180215204144

はてなとか文字だけで勝負するような場所だとクソなやつでもいくらでもハッタリかませるから

クソなことに気付くのが遅くなっちゃうんじゃないでしょうか

例えばゲームコミュニティとか文字以外にもゲームの上手さという指標があっていくら口だけ勢いがあっても下手糞でアホなやつとかちゃんと可視化されますから

クソなやつはクソだなってすぐわかるんですよ

2018-02-12

やっぱりブクマみたいな数値の指標があるとどんどんバカが集まってくるんだよな

仕事が忙しくてアニメから足洗ってたんだけど

時間ができたかゆるキャン△見たら見事にハマっちゃったんだけど、次何見ようか考えようにも指標がない。

アニメ多すぎ

なんかおすすめ教えてほしい

漫画でも可

米韓同盟分断のやつのはてサバリエーション

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/nhk_news/status/962309369005314048

言い方!

nao0990 産経速報かと見紛うレベル。/見出し扇動的公共放送らしくないという話に「でも分断は事実だろ!」とトンチンカン擁護しても無意味だと思うが…言っても無駄か。

事実だけど見出しが良くない、つまり言い方!」という焦点。

分断が狙いである、という見解自体にはチャンレンジしない。

クレバーであり理非や状況の判断はついてるタイプ

ちなみにこのような姿勢リベラル用語では「トーンポリッシング」論法として強く非難される。(個人的にはその非難には反対)



根拠を示せ!

kunitaka 南北朝鮮の首脳会談が開催されたら米韓同盟が分断するのか?ホンマに分断が狙いだと思うなら、なぜ分断するのか根拠を示せよ。

日本語が壊れててわかりにくいけど「ホンマに分断が狙いだと思うなら、なぜ(北朝鮮米韓同盟を)分断するのか根拠を示せよ。 」ということでいい?

そりゃ自分を包囲する鎖を崩したい、韓国を取り込んで窮状打破&核・ミサイル開発時間稼ぎしたいんだよ。

ちなみにはてサにはこのへんのことをわかっていてとぼけている・話をそらしている政治的な思惑の強い者と(多数派)、純粋に頭が悪くてそこからわかっていない者がいる。


「分断を望んでいる」

zyzy そんなに分断戦争したいなら、日本二つに分断してそっちで代理戦争しとけよとしか北側としては米国不可侵要請するための窓口に韓国になって欲しくてやってるわけだから、分断目的どころかされたらやる意味ないわ 考え方

2018/02/12 リンク Add Starmventuratogusa5

米国は核を捨てさせたいだけでそれ以外の目的もゴールもないのだから、「核を保持したまま不可侵」なんていう北朝鮮一方的に都合のいい時間稼ぎ話を持ち帰ってくるに決まってるムンジェインが相手にされるわけない。

たびたび核による脅迫を繰り返し核とミサイルの性能向上に血道をあげる国が窮地に追い込まれて言い出す「核は捨てないけど不可侵」が何を目的にしてるかなんて子供でもわかる。

ちなみに「分断を望んでいる」と「北は不可侵を求めているだけ」は特に朝鮮濃度の高い者のブコメで頻出のワードであり(ある特定集団ではそういうストーリーになっている&そういう用語を使うということ)、はてサの中でも細かい種類を見分ける指標の一つになる。


日本語ニガテ&北朝鮮スピーカー

yoko-hirom 無根拠の推測でしかない。この手の思考根底にはあるのがゼロサム妄想北朝鮮との交渉米国との断交ゼロサムだとの思い込み北朝鮮の狙いは一貫して米国から不可侵。北も対米対立を望んでのことでは無い。

2018/02/11

米国との断交」ってどこから出てきた?

米韓同盟の分断」と「米国との断交」を間違えるレベル国語力の人はさすがにちょっと

国際社会要求は一貫して核の放棄のみ。

北朝鮮の狙いは時間を稼ぎながら核・ミサイル開発を進めてあらゆる国を核で脅しながら要求を通す体制確立

あれだけ核ミサイル他国露骨に威嚇・脅迫する国は地球上のどこにもない。

あの国姿勢を「対立を望んでのことではない」とは韓国人ですら言わない。

この人は民族学校やそれに類する機関で強度の思想教育でも受けたのだろうか…。

oka_mailer 分断を維持したいのは米国の方でしょ。もともと分断した国同士が話し合っているのに狙いは分断です、とか何言ってんだ。

2018/02/11 リンク Add Starhiccha-ya-reseven_czquick_pastChinosokozyzyamematarouyas-mal

主語が混乱して南北分断と韓米同盟分断が混ざっている。

この人も国語力がやばい

米国にとって最高の着地は韓国米国にとって信頼できる同盟国のまま北を吸収して平和な国として統一すること。

ももうそれがまるっきり不可能な夢だと認識したので、北に核を捨てさせることだけをマスト目標として切り替えた。

その後は中国ロシアが入ってきて半島分割統治してもいいよっていう立場になりつつある。

何のメリットがあって米国が分断を維持したいわけ?

分断維持の反対には統一があるわけだけど、ここからどういう形の統一が出来ると思ってる?


歴史ガー

murasakizaru 一つの国を南北に引き裂いたことについて、思い出すことも想像することもないんだな。

れい関係なくね?

これは本場の韓国人やそのシンパもよくやる論法だけどね。話の辻褄が合わなくなったり嘘がばれたりすると「そもそも歴史を紐解けばわれわれは被害者なのに!」って言い出すやつ。中国人に「そもそも歴史を紐解けばわれわれは長年のご主人様だぞ」とか言われたらどうする気なのか。


政府の歪曲に加担するNHKを許すな

haruhiwai18 "放送自主自律を信じて受信料をお支払いしているんです。あなた方は政府広報機関になることは許されないんですよ。放送ガイドライン読み返してください" →このついった、中身もしかして モミーじゃね?(マテ

米韓同盟分断狙いは事実ではない」&「この報道官邸陰謀である」の合体技。

Gl17 …という官邸見解です的な。そんなに日米韓同盟簡単に分断されると思うなら、今の時期に歴史問題平昌欠席したいとか言い出さなきゃいいのに。(結局訪韓したのも米意向だという見方もある)

2018/02/11

それはまるっきり逆でしょ。

蝙蝠プレイが国是になってる最近韓国としては日米韓同盟をがっちり組むのは都合が悪いので反日歴史問題言い訳に「手を組めないのは日本が悪い」って言い訳してる部分があった。これは保守のパククネ大統領の頃からそうで、結局は米を仲立ちにした双方譲歩の日韓合意になった。

その合意をまた骨抜きにしようとする韓国には強く釘をさすひつようがあったし、訪韓方針での目的韓国に釘をさすことだし、結局いま韓国に対するアクションとしては釘をさすことで一貫している。米の要請訪韓したというのはそのとおりだと思うよ。

面子を立てる」としてある程度のフリーハンドを与えるのは信頼のある関係でやることで、韓国相手にはそれをやるたびに日本米国も失敗してきた(裏切られてきた)経緯があるのでこうなってる。



その他(はてサ以外含む)

dogear1988 前から思ってたのだが、「韓国米国日本の側に立つ」と無条件に考えてる人が多すぎないか。いざという時に矢面に立たされる韓国からすれば私達は相当無責任に見える筈だが。

そんなこと全然思ってないか最近ペンス安倍が釘を刺しにいったんじゃね?

米国日本韓国同盟国として信用できないって結構から気付いてる。

散々同盟の仲間として支援してきたのにこれだから

あと、いざという時の話をするなら長年首都ソウルのままにしてきた韓国政府も相当無責任だと思うよ。


yas-mal 現状、日米韓3国の中で、公的発言が一番強硬なのは日本なわけで(トランプさんは「南北関係改善は俺の手柄だ」と言ってたよね?)。これで分断されるとしたら「米/韓」じゃなくて「日/米韓」だろう。

ペンスがわざわざ日本で打ち合わせをして安倍と一緒に訪韓するというわかりやすいことをしてても願望アイにかかると日本が独走・孤立してる!」であり、それと同時に「米国の言いなり外交・飼い犬のアベ!」なわけだからはてサ現実性一貫性を求めること自体ナンセンスなのかもしれない。最近は「現実」って言われただけでアレルギーみたいに怒り狂うしな。「表現の自由」も大嫌いだっけ。



questiontime 安倍政権やその支持者、またはNHKにとっては韓国北朝鮮関係米国韓国関係も実はどうでもいい。日本北朝鮮韓国対立関係にあることこそが重要。それでしか安倍政権への求心力は維持できないのだからね。 6 clicks

2018/02/11

北朝鮮問題が加熱する前から割りと支持率高い安定政権だったのでは…

そして直近の世論調査でも安倍政権に期待されてるのは「雇用・景気」が8割超だったよ。


Chinosoko 「狙い」の候補は、裏がある場合もない場合も、他に多数考えられる状況で、こういう事を書くのは、ただの(おそらく個人の)暴走NHK内部統制報道

2018/02/11

他に多数考えられるなら是非書いてみてほしい。

ちなみにこういう人はどれほど挑戦されても挑発されても何も書けずに無様に逃走する。

本当にみんなが思いつかないこと多数考えられるような人は聞かれる前に具体的に書いてるはずだからね。

しろ書くなって言われても書いちゃう


REV 南北統一すると、平和がやってくると考える派と、対馬海峡の対岸に核搭載の弾道弾がやってくると考える派の距離東京リオデジャネイロ間より遠い

2018/02/12 リンク Add Star

んなこと以前に、ムンジェインに任せててもそもそも統一しないよ。

この人ははてサでも馬鹿でもないと思ってたけどそこからわかってなかったのかな。

ムンさんは適当にあやされて北の核ミサイル開発の時間稼ぎのための提案と見せかけ融和策を持たされて帰って来るだけ。

赤化統一関係国全員が支持しない

韓国主導統一→北中露が支持しない

なので韓国主導統一なら韓国に胆力があるなら可能性あったけど韓国自らそれを捨てたし、赤化統一は無理。

また、韓国関係なしに北朝鮮国内クーデターが起きるとしても反乱勢力のケツもちが出来るのは中国だしね。

2018-02-10

anond:20180209153434

責任をとらせる」ことを主眼において「詰める」って言っちゃってるから

原因と対策を考えさせないとね

つっても対策なんて「残業する」「再配分する」ぐらいしか考えられなさそうだけど

俺が受けた国家試験(PM)の時は「遅れないようにこまめに進捗を客観的指標でチェックする」で合格した

2018-02-09

anond:20180209163540

興味を持ってくれてありがとう

なるほど、珍しいケース・・・かもしれないけど

増田さんが内向、奥さんが外向の可能性が高そう。


まりカフェ雰囲気に浸ってゆったり自分を見つめなおしたいは

内向的の亜種ともいえるし、

家に帰って色々話したり溜まってる映画を見て旦那さんと話したい

と考えれば外向きと考えても差し支えいかもしれない。


もう一つ、同じ指標

判断的←→知覚的っていうものがあって

判断的は自分で外界の物事について決着を付けたい(判断したい)という衝動を持ってる。

から計画的に余裕をもって仕事などを進めることに満足して

ものごとを曖昧なまま放置したり、土壇場で計画を変更することに抵抗を感じるのね。

奥さんは判断である可能性が高そう。これは夏休みの宿題終わらせるタイプ


知覚的は逆で外界の新しい情報をできるだけ取り入れたいという衝動を持ってて

計画は出来るだけたてず、ものごとの流れに対して柔軟でありたいと考えてる。

夏休みの宿題を後に回すタイプ


この辺がごっちゃになって判断が難しくなってるのかもね。

もちっと詳しい説明はMBTIで検索してみてね。

2018-02-07

anond:20180207230155

白米ばっかり食べてると脚気になるぞ

ビタミン不足になると手にさかむけができ始めるから指標にしよう

推しを崇拝するのをやめる

とある若手俳優が大好きで神様のように崇拝してきました。性格からなにから全てを。1年と半年くらいそれが私の精神の支柱、正しく生きるためのすべてだった。

そうして生きてきて急に、なぜかは分からないけれど心を壊した。大好きな俳優のことも、舞台映画を観ることも全く楽しく感じられなくなり、そんな自分が情けなくなりエンターテインメントに触れると悲しくなって希死念慮が湧く。そんなどん底状態を過ごして精神科にかかり、今は少しだけ回復しているところです。

完全回復はいえないけれど少し落ち着いたいま、ぼんやりと辿り着きました。推しを崇拝するのをやめる。

精神科で言われたこと、自分人生について、周りの人々について、俳優界隈で起きた事件についてのこと、いまの芸能界の情勢のこと もろもろ考えてわたしはもう推しを崇拝するのやめる。やめます

決して私の中での推し価値が下がったわけではないし彼の仕事に対する熱意も考え方もパフォーマンス性格もすべて尊敬してる、尊敬してもしてもし足りなくて崇拝する、神様のように崇めるという結果になってしまってたわけなんですけど私はそれをあえてやめます 心を断ち切る

なぜかというと私が彼を神様みたいに崇拝することが逆に彼にとって失礼なんじゃないかと思い始めたから。彼は神様じゃない 神様じゃないのに弱い人間である私が精神のよすがにするためにブログを読んで、パンフレットを読んで、演技を見て、ご神託のようにありがたがって泣くなんて彼にとったらどれほどの重荷だろうと(決して彼はわたしの心の内を知ることはありませんが、精神世界においての話なのです)ぼんやり絶望してしまたからなのです

推し俳優神様のように尊敬して人生指標にするという生き方はとても有意義現代的で素敵なことだと思うけど、それは精神の正しい人に許されることであって、私みたいな何かに依存しないと生きていけない、心が非常に打たれ弱い人間にとっては命取りになりかねないなぁとも思いました。推しに失礼だからとかなんとかぬかしたけど結局は自分精神人生のゆくえを危惧して保身のためです。みみっちい考えだけど

なんか担降りする人の文章みたいなっちゃったけどこれからも変わらず推しが大〜好き!!!舞台は変わらず観にいくつもりでいます ただ今までと違うのは、彼の文章を隅々まで読んで聖書の進言のように心に留めておこうとしたり演技とか彼の美しさについて過剰反応したり(これはすごく難しいことだと思うけど、本当に輝いているから)彼のお仕事成功自分人生の至上の喜びだというまでに感じることをやめること 感受性ちょっと鈍くして好きでいたいなぁと思う 私は彼の演技やパフォーマンスが大好きでちょっととぼけたようなところがあるけどストイック性格がすごくいいなぁと思ってるいちファンであるだけ。そういうライト気持ち舞台に行けたらなぁと思うと心が軽くなっています

2018-02-04

何故ソシャゲサービス終了するのか?

最近サービス終了したソシャゲと、そのユーザーの反応を見ていて思う所があったので書いてみる。

ソシャゲサービス終了する理由

一言で言うと「会社として続けていくことが難しくなったから」ということになる。

で、9割方はお金問題になる。売上がでなければ当然サービスを維持できないので終了する。

開発チームの人員が確保出来なくなったとか細かい事情は色々考えられるけど、結局どれも根本お金問題だったりする。(お金があれば人は離れないし、確保もできる)

逆に言えば、例えばApp Storeセールスランキングトップ10に居るようなアプリはハッキリ言って突然サービス終了するなんてことはあり得ない。

なんで売れなかったの?

ソシャゲビジネスモデルは大きく分けて2つある。

ソシャゲの売上はざっくり言うとDAUアクティブユーザー数) × ARPUユーザー一人あたりの平均課金額)で求められるので、どちらかを上げれば売上も上がると言える。

DAUモデル

DAUを増やして売上を上げようという算段のモデル。要は薄利多売。

有名所で言えばモンストFGOなどが挙げられる(FGOは一人あたりの課金額もすごそうだけど…

ARPUモデル

ARPUを増やして売上を上げようという算段のモデル。言い方は悪いけど、一部の廃課金者にごっそり貢がせようという形。

有名(と言えるのかよくわからないけど売り上げランキング上位の)例としては戦国炎舞 -KIZNA-など。

ここ数年はアプリの数も増えてソシャゲ市場は完全にレッドオーシャン状態なので、特にユーザー数の獲得が難しいオリジナル新規タイトルはこのモデルに寄りがち。

売れなかったアプリはこのどちらのモデルにも寄せられなかったということになる。

DAUモデル場合はちゃんと万人受けするものを作れていなかったとか、広告宣伝が足りてなかったとか、そもそもターゲティングを読み間違えていたか

ARPUモデル場合は、しっかりとコアユーザーに課金をさせるためのゲームデザインができていなかったということになる。

こんなに人気があるのになんで終了しちゃう!?

それは多分あなたの見えている範囲内だけでの話。

Twitterなんて近しい人間フォローするのでその中で盛り上がっているように見えるのは当たり前。

とりあえず試しに人気アプリFGOとか)と自分のやってるアプリTwitter検索して、ツイートの流速とか比較してみるといいと思う。

極めつけに言うと、ソシャゲの売上はストアランキング見れば大体分かってしまうので、ランキング推移を人気アプリ比較してみるといい。(「アプリ ストアランキング」とかで検索すると推移を見れるサイトが出る)

実際どれくらいになったらヤバいの?

会社の規模とかにもよると思うけど、ざっくりとした感覚で言うと、ストアランキングの「"総合"セールスランキング」で、月に一回(ガチャ更新の日など)くらい「100位以内」(ゆとりを持って見ても200位以内)に上がらないアプリ結構厳しい。

圏外の場合はハッキリ言って論外なので、いつ終了してもおかしくない。

色んな推論が飛び交ったりするけど、ランキングさえ見れば9割方は判断が付くので、変な憶測飛ばしたりする前に、まずはランキングを見て欲しい。

売れないからって打ち切るのはひどい!

これは結構見るけど、売れないから打ち切るのは至極当然の判断

結局金かよ!とか冷たい判断、とか思うのかもしれないけど、そんな感情論ではなく世の中はお金で動いている。

当然アプリを開発するのにもお金がかかっている訳で、開発チームの人件費だったり、サーバー等の運用費だったり、広告費だったりと、恐らく皆が思っている以上のお金がかかっている。(特にネイティブアプリに移行してからは開発費用も期間も大幅に増えている)

そのお金を賄うのは会社経営陣)な訳で、その回収が見込めなければ終了せざるを得ないのは当然。

「開発チームはまだまだ続けたかったはずだ!」なんてのも見るけど、その開発チームの給料を払うのも会社な訳で、極論を言えば売上が出なければ開発チームの人間給料を払うこともできなくなる。

結局売上が無ければ開発チームも満足に開発できる環境は得られないし、最終的には誰も幸せにならない未来しか残らない。

あと、これは個人的意見だけど、ゲームが好きとは言え、売上の上がらないゲームの開発をし続けるのは正直モチベーション的にも厳しい所があるし、

それを何も知らない外部から勝手憶測で「まだやりたかったはずだ」とか言われたり、誰かを悪者にされたりしてもあまり気持ちの良いものではない。

サービス終了を悲しむのはいいけど、変な妄想で周りを攻撃したり、自分勝手エゴ押し付けるのは辞めておいたほうが良い。

そんな事をしてもサービスは復活しないし、作り手も嬉しくはない。

お金払えば復活してくれるの?

サービス終了の判断まで行くという事は既に結構厳しい状況という事なので、現実的には難しい。

例えば仮に有志100人が集まって毎月皆でン十万円課金してくれるとかなら続けられるかもしれないけど、そんな事をしても運営ユーザー疲弊していくだけ。

現状で売上が上がっていないということは、無理をして解決しようとしたって絶対破綻する。

結局誰が悪かったの?

売上を上げられなかった開発チーム(具体的に言えばターゲティングとそれに合わせた課金モデルをうまく作れなかったプロデューサーディレクタープランナーなどの責任が重い)と、

適切な判断ができずにGOサインを出してしまった経営陣が悪い。

サービス終了で悲しまないためにはどうすればいいか

身も蓋もないことを言ってしまえば、サービス終了しそうなゲームプレイしないこと。(ランキング圏外のゲームプレイしないこと)

とは言え、そうやってニッチゲームに誰も課金しなくなって、人気ゲームだけに一極集中してしまうのは少し寂しいものがある。

大人な心をもって、無理のない課金ゲームを楽しんでくれれば作り手としては嬉しい。

お前は誰だ?

ソシャゲ業界に居た人間。いくつかのソシャゲサービス終了を看取ってきた。

ソシャゲに関わるのに疲れて、今はWeb系の会社まったり仕事している。


2018/02/05 追記

なんか結構反響があったので、改めてこの記事で言いたかたことの整理と、いくつか多く見られたコメントへの返信も書いておく。

 言いたかたこ

特に言いたかったのは3つ目で、別にソシャゲの話でなくてもこういう事は多いけど、ちょっとむしゃくしゃしたので書いた。

コメント返信

当たり前の話じゃん

全くもって本当にその通り。こんなことをわざわざ書いた理由としては前述の通りで、まあ単に個人的ストレス発散が目的

増田なんか読んでるような人間は当たり前に思うかもしれないけど、実際当たり前な事を理解してない人間は多い。

お金以外の問題で終了するパターンは?

そのパターン自分も直面したことは無いので知らない。自分ソシャゲ業界全てを知ってる訳じゃないので免責も込めて9割と言ったけど、まあ99%くらいはお金問題帰結すると思う。

拡散性ミリオンアーサー乖離性に移行する以前の問題として「運営の体力が厳しかたから」って事らしいし。

https://app.famitsu.com/20141226_479007/

FGOが高DAUモデル

FGOは割と特殊な例なので今回の例としては相応しくなかったなと思うけど、DAUが多いのは確か。(と言ってもモンストとかツムツムレベルでは無いが)

実態としてはDAU結構多くてARPUも高めって感じだと思うので線引が微妙な所。

個人的にもFateは一部の古参ファンが金をめちゃくちゃ注ぎ込むコンテンツという認識だったので、ここまでユーザーが増えたのには驚いてる。

ちなみに今回はシンプルで分かりやすいようにDAUARPUを挙げたが、売上の指標としては他にPUR(課金ユーザー割合)、ARPPU(課金ユーザー一人辺りの平均課金額)とかもある。

この辺の話は割とよく出てくるので、興味があったら調べてみると良い。

終了後にコンテンツを残してほしい

この声結構多くて、実際最近では終了後にも楽しめるようにコンテンツを残してくれるソシャゲも増えてきている。(ポプストとかあんガルとか)

その取り組み自体は素晴らしい事だと思うけど、実際これをやろうと思うと思った以上に手間が掛かる。それはつまりお金(人件費)が掛かる。

結構簡単にやって欲しいとか言うけど、アプリ簡単オフライン化できることなんてまず無くて、結構根本から作り直さないと難しかったりする。

それにオフライン化してリリースたからと言ってそれで終わりにもできなくて、リリースする以上ある程度はサポートバグ修正などもしなければいけないので、それに対応する運用体制必要になってくる。

設定資料集みたいな物を作るとしてもデータをまとめたり編集作業したりでそれなりに工数が掛かるし、印刷費なども掛かる。

データアーカイブの公開も、主に外注権利関係問題などがあったりして、簡単にすぐ出せるようなものでもない。

から、あまり期待を膨らませられても困るし、サービス終了を検討するような状況の所に身銭を切らせてやらせるのは酷だという事は理解して欲しい。

ソシャゲ業界はいつ潰れる?

これも数年前から言われ続けてるけど、自分は潰れること無く続いていくんじゃないかなと思ってる。

最近任天堂まで参入してきたし、去年はアズールレーンみたいなオリジナルでのメガヒットタイトルが久々に出てきた。

あと、Appleガチャ確率表記義務付けた話も、裏を返せばAppleガチャモデル容認したとも取れる。

今更大規模な法規制が起きる事も考えにくい(誰も得しない)し、仮にソシャゲ規制してもコンシューマに金が流れるとは思わない。

ただ、「日本の」ソシャゲ業界は厳しい状況になってきてるだろうなと思う。

アズールレーンの台頭から既に騒がれつつはあるけど、中国の持つ資金力に加えて、日本でも売れるコンテンツ力が付くと、正直勝ち目は無いんじゃないだろうか。

もうソシャゲ業界でも「金がなくてもワンチャン成り上がれる」みたいな夢のある話は無くなってて、体力(資金力、開発力)のある企業がしっかり丁寧に作らないと勝負にならない。

それができる企業というのはもう本当に少ない。悔しいけど、多分Cygamesくらいしかいかも。

正確に言うなら、ソシャゲビジネス自体は無くなることは無いけど、日本ソシャゲ業界は衰退していくのかもしれない。(あるいは既に衰退し始めている)

2018-02-02

女性にとって働きやす企業

女性にとって働きやす企業って、福利厚生がしっかりしてるとかより

という条件がまず最初だと思う。

追記

なんかブクマいっぱいついてた。

結構誤読されちゃったけど、美人がいるのは問題なくて、美人売りさせられてる社員がいるとすごく働きづらいよね、ということです。

まあ、実際、できる人って美人多いし、勢いある会社にも美人は多いです。

でも働きやす会社美人でも普通に仕事やってるし、外部から美人と騒がれることもないんですよ。

一方、会社が率先してそういう美人社員を担ぎあげてメディア露出させてるのは、普通女性にとっては結構それがしんどいとある

あと、産休育休明けの社員いるかどうか、女性管理職いるかどうかってあんまり指標にならないと思う。

「イキイキママ」みたいな事例もあるし、ダイバーシティの数値を見かけ上満たすために、本業関係ない部署作って適当な女を据える企業もあるし。

2018-02-01

今ほど歳をとるのが苦痛な世の中は多分ない

男も女も、あまりにも歳をとることにネガティブイメージを持ちすぎている気がする。私もそうだ。

原因はなんだろうと考えたけど、いまいちしっくりくるものが出ない。

年上の人のイメージを悪くするのは常に若者たちだ。

自分たちもいずれ向かう現実なのに、外見的にも内面的にも、自分はああはならないと確信している印象すら受ける。

外見的なことを言えば、別に太ってもいいじゃないかと私は思う。

シワが増えても、髪が減っても、背が縮んでも、体力が落ちても。

歳を重ねるっていうのは、それだけ長く頑張って生き延びてきたということなのだから、その過程で避けられない老朽化には自信を持って生きていきたいと思う。


しかしそれと同時に、内面的には、ああはなりたくないと憎しみにすら近い感情を抱くのだ。

若者はこれから社会を支える重要存在だ。狭い部屋に住んで、安い飯を食べて、たくさん働いて、税金を納める。それが私たち若者

しかし街中に出れば至る所で年上を敬えと強要される場面に出くわす。

だって蔑ろにしたくてしているわけじゃない、尊敬に値しない年上が多すぎるのだ。


高校の頃、部活で疲れて電車普通席に座って寝ていたことがある。

膝の上にはスクールバッグ部活用のエナメルバッグ、足の間には当番制で洗濯しているゼッケン袋があった。ヘトヘトになってうたた寝していた私を、誰かが突然叩き起こした。

朦朧としながら顔を上げると、目の前には手ぶらで佇む60代くらいのおばさんがいた。

おばさんは目を釣り上げながら私に「退いてくれないかしら、あなたが一番若いし。」と言うと、私を立ち上がらせた。

周りを見渡してもみんな見て見ぬフリだった。確かに、私はその車両では一番若かった。

結局私は彼女電車を降りるまで、立ったまま体の前にバッグを積み重ねてつり革につかまりながら寝続けた。


誰しもにある経験だと思う。

私たちはこれを、この先ずっと繰り返していくことになる。しかも優先するべき老人の数はどんどん増える。若者がこの椅子取りゲームに勝つ術はない。

この出来事だけでなく、言うことを聞かない年上の部下、根拠もなく私が若いというだけで提案無視する上司投票所に並ぶ私を見えてないかのように割り込みするおじさん。尊敬できない年上に蔑ろにされた経験は数え切れないほど存在する。

些細なことだけど、それがいくつも積み重なれば憎しみにも似た感情が生まれても仕方ないと思う。

私は彼らのようにはなりたくない。




自分指標となるような、尊敬できる大人を見つける必要がある。

若い私たちを疎ましく思わずに、導いてくれる人を。諭してくれる人を。

歳をとることへの恐怖に打ち勝つ一番の近道はそれじゃないだろうか。

そしていつかは、若者にああでありたいと思われるような大人になりたい。

自分より評価されている他人馬鹿にせずにはいられない物書きの話

 最初に前提として私の性格を言っておこう。

 まず、プライドが高い。文才も地の頭の良さも無いのに、どうしてか自分は頭が良いと思いがちである

 そして、他人との比較による評価判断の重きを置く。

 極め付けには、「プライドが高く才能も無いのに相対評価にいつもびくびくと怖気付いている私は馬鹿なのだ」と分かりきっているようなことを考えて、まるで自分のことを本当に理解しているからこそ卑下するのだという態度を取る。

 こんな人間の戯言でも良ければ見ていってほしい。

 私は二次創作小説を書いている。ペースは1〜2週間に8千〜1万字程度の短編を一本。生活を圧迫しない程度に小話を書いて満足している、趣味には飢えていない物書きごっこ大好き遅筆人間である

 小説を書くのは楽しい。また理解出来ないようなキャラクタの心情をどうにか知ることは出来ないか考察に走ってみることも楽しい。但しその考察目的が「キャラクタを知りたい」というものである以上、その楽しみが「考察をすること」に留まってはいけないと思うし、考察によって自分が得た「キャラクタの心情」が一次のキャラクタが持つそれと同一である盲目的に信じることもいけないと思う。

 話が逸れてしまったのですぐ上で述べたことを繰り返すと、私は文章を書くことに対して喜びを感じている。元々勉強でも現代文が一番得意で、本も同年代の平均的な読書量と比べれば読んでいる方だろう。文章に対して苦手という意識は無く、文を読むこともこねくり回すことも大好きな部類の人間だ。

 だから好きなキャラクタについて文章を書くことも楽しいし、それ自体目的であり手段であるのなら「○○について話書くのたのしいな!」で思考ストップしても別に構わない。それが当然の帰結であろう。

 けれど、そこで終われないのだ。

 書き終わった後作品コミュニティサイトにアップし、どれくらいの人から良い評価を得られるかが気になってしまう。数時間おきにページを開き、通知を確認してしまう。

 その上、他人が書いた作品に付けられた評価自分作品に与えられた評価とを見比べ、一概に言えるわけもないのに「自分の方が上手い文章であるのにどうしてこの人の方が褒められるのか」と苛立ってしまう。“一概に言えるわけもないのに”という表現からも、私のプライドの高さが伺えるとは思う。

 pixivを例に挙げると(実際私が今小説投稿しているサイトpixivではないが)、pixivには閲覧者があなた作品が好きですという感想マウスをワンクリックするだけで伝えることの出来る「すき!」という評価システムがある。

 勿論閲覧してもらうこと自体嬉しいのだが、好きだと言ってもらえることはもっと嬉しい。嬉しくてたまらない。しかしその嬉しいという純粋感情は、次第に「私はこれだけ評価されている」という目を背けたくなるような慢心へと姿を変える。

 そして評価されているのは私ではなく私が書いた小説であるということにも気が付かずに、「私はこれだけ評価されている」という偉ぶった思いが、いつのまにか「他人があれだけ評価されている」という妬ましい思いにすり替わっているのである

 実際pixivではランキングという一つの評価指標のようなものがあり、そのランキングがその時の利用者の間の流行に左右されて一つのジャンルで埋まることがあるとしても、競争心のようなものが煽られているような気はしなくはない(利用者が気軽に「評価の高い≒高確率でハズレではない」作品を閲覧出来るようにという意図によって作られたのだろうけれど)。

 しかし私の利用しているサイトではランキングシステムはなく(世間様の目に触れてはいけないようなジャンルを扱う人々が作品をアップするサイトであるからかもしれない)、皆恐らくのんびりと創作に勤しんでいるはずだ。競争心を煽るようなものはどこにも見つからない。

 にも拘らず、だ。私は人様に寄せられた好意と私の作品に寄せて下さった好意とを失礼なことに比較して、剰え自分の方が優秀であるだろうなんてことを考えている。好意を寄せる人々とその“人様”とを侮辱しているようなものではないか

 まあ多分、きっと、私の文章面白くないのだ。それに今熱中しているジャンルは、本編の放送が終了してしまっている。だから離れていってしまった人も多いのだ、というのは言い訳として言わせてほしい。実際閲覧数も落ち着いてきている。

 でも、本当に面白くないのだとは心の底では思ってなどいない。そんなの認められない。認めたくないのだ。だって、私にはプライドがある。私の文章面白くないわけないじゃないか、という捨てられない最後の砦がある。

 どうしてそんなクソみたいなプライドを持ち合わせてしまたかというと、それは中高時代経験が多分にある。

 私は中学受験をして、世間からお嬢様学校と呼ばれるような学校に入った。御三家第一志望とする受験生が第二・三志望で出願するような学校で(当時の話だ。今がどうかは知らない)、毎年数人が東大に行き、学年の半数以上が早慶上智、少なくとも皆GMARCHには行くくらいのレベルのそこそこ進学校である。めちゃくちゃバレバレだが。

 小学校では中学受験をする子が周りにおらず、親も褒めて伸ばすタイプだったのが逆に悪かったのか何なのかは知らないが、いつのまにか私の中には「自分は頭が良い」という意識が生まれていった。

 しか中学に入って、私はだんだん勉強に追いついていけなくなる。100点のテストで70点しか取れなくて悔しがっていたのが、いつしか苦手科目や5教科以外の試験なら平均点や満点の半分の点数を取れればまあ良いやというようになってくる。

 初めは真面目に通っていた鉄緑会も辞めてしまい、鉄壁はその厚さにギブアップしてターゲット1900に切り替えるなど楽な方を選択して勉強もまともにしなかった為、高3では地獄を見る羽目となった。

 それは元々の私の性格である怠惰さや勉強があまり好きではないという思いから来るものであり、また自分よりも学にも芸にも秀でている友人を見ていくうちに漸く得た「なんだ、自分って大したこと無いんじゃん」という諦念の感によることだったのかもしれない。

 けれど、私は「自分は出来る子だ」というプライドを捨て切れなかった。

 夏休み課題で提出する小説で賞を貰ったこと、授業で誰一人理解することの出来なかった『こころ』の友人Kの感情自分だけ読み解けたこと、センター志望校過去問絶対現代文だけは間違えなかったこと、そういう取るに足りない誰もがきっと忘れていくような些細な物事の欠片を、歩いてきた道を振り返ってしゃがみこんで目を凝らして拾い集めた。

 誰にも自慢出来ることがなく、性格が良いわけでもなく、美人でもなければ気が利くわけでもない。友人と呼びたくとも向こうがこちらを好いていなかったらどうしようと怖くなって友達もあまり作れなかったし、部活で一緒だった数人の友達と呼べる人たちが皆国立理系コースに進む中私だけ私立文系という道を選んだ(算数嫌いが祟って数学も駄目だった)し、夢もなく何かに向かって努力たかと言えば泣きながら日本史熟語を頭に詰め込んだ時くらいだ(暗記科目が苦手なくせに受験で使った)。

 要するに救いようのないくらい臆病な馬鹿だ。出来ないことが多すぎて、常に劣等感に苛まれている。しかし臆病であるからこそ本当に自分は駄目なんだと諦めたくなくて、「自分馬鹿じゃない」と思い続けている。

 結果として大学受験センター滑り止め他志望校で躓き続け、奇跡的に第一志望だけ合格したのだから始末に負えない。世間様に馬鹿にはされない学校に入ったことで、人生設計の全く捗らない行先に少しは安心出来る要素がプラスされたくらいのくせに、私の「自分は出来るんだプライド」は強化されてしまった。

 「どうしてどうせまともに勉強もしていないようなあなた文章が、W大文学部の私が書いた文章よりも評価されるの?」

「どうしてあなたがテキトーに書いた3千文字も無い文章が私の1万字よりも評価されるの?」

「どうしてまともに『てにをは』を使えないあなた文章が私の文章より評価されるの?」

 というような泣きたいくらいの進化が遂げられてしまった。いやもう泣いてる。見ず知らずの人を絶対自分よりも下流努力していない人間と決めつけて、自分付加価値で殴ろうとしている。文章は長ければ長いほど良いと思い込んでいる。三番目は許してほしいが、信じられない愚行だ。

 まず第一勉強が出来る(=成績が良い)ことと文章面白く書けることとは全くもって関係がない。ウィット文章を書けることと教養があることとは関係があるだろうが、そちらは関係がない。

 第二に学歴文章判断するのは間違っている。学歴が無くても面白い文章は書けるし、一般大衆にウケたり賞も獲れたりする。

 まったく評価基準が間違っているとしか言いようがない。視野が狭い人間なので他にも叩ける部分はあると思うのだが、溜息しか出ない。しかもわかっているのに直せない(と思い込んでいる?)のだからどうしようもない。どうしたら良いのだろう。どうすれば良いのかわからなくて、途方に暮れている。

 嫌な人間になってしまったものだと思う。でもこの世の中は競争社会で、相対評価が当たり前で、何かしら人と比べなければ気が済まない人々に囲まれ環境に置かれればそうなってしまうのも致し方ないのではないか、と自分を庇ってしまいたくもなる。

 誤解の無いように言っておくと、他人様の文章に感動しない人間ではない。寒い部屋で鼻水垂らして泣きながら読んだ大好きな小説もあるし、してやられたと最後最後でのどんでん返しにニヤついてしまうこともある。

 しかし「人に馬鹿にされたくない」という思いと「人に評価されたい」という思いが混ざると、こんな面倒なことになってしまう。でもどちらも当たり前の感情だとも思うから、返って対処の仕方が解らない。

 作品に関しては宣伝もっと上手く出来れば閲覧数が伸びるのではないか、という指摘もあるかもしれないが、表立って書いてますとは言えないジャンル創作なので、そこの辺りは難しいのではないかと思う(一応ツイッターにそのジャンル専用の鍵アカウントを作ってあるが、相互が40人程度の小規模なアカウントだ)。

 人に賞賛される喜びが捻じ曲がって醜い嫉妬に変わり果てるのは、今私や私の小説を好きだと言って下さっている方々の思いの否定にもなりかねず心苦しい。

 今回はそういう気持ちをどこかに吐き出したいと思いチラシの裏感覚文章を書いたのだけれど、割合すっきりしたのと同時に恐らくこれからもそのような自己矛盾と付き合っていかなくてはならないのだろうな、という実感が湧いてきている。

 何があっても筆は止まらないし、折るつもりもない。文章を書く喜び、キャラクタに向き合う喜び、そして人に賞賛されるという喜び。それらの何物にも代え難い快感を知ってしまったら、もう当分心大人になりきれるまでは、ずっと苦しみ続けなければならないのだ。

2018-01-28

anond:20180128150736

死ぬまでの過程での苦しさの指標はまあそれなりにアレ

anond:20180128112038

指標の一つとして、注目論文、あるいは、論文発行数で言えば、確実に日本は落ちてますよ。

そういう意味で、日本実態で言えばなおいっそう悪い状態です。

原因として、細かい書類を大量に書き、制約が非常に強く使いづらい金ばかり増やして、大学根本の金を減らしたからというのは言われてるね。

鈴鹿医療科学大学学長豊田氏のパワーポイントで示されてる。

実感からしてもこれはあってると思う。

あと、それから革新研究レベル研究開発ベンチャーのところでは融資は使えない。融資は確実に返してもらわないとならないし、逆に儲かっても上がりは少ないので。

ベンチャーキャピタルも、長期のものはできないね

2018-01-25

査読付き単著論文価値

大学院研究が身近な存在にとって、単著論文査読付き学会誌に載ったことは、その人間能力を示す1つの指標となるわけだが、果たして身近でない存在にとってはどうなのだろう。

皆が働いている時期にまだ学生をやっている、そんな穿った見方をしている人たちに、在学中は論文通したりとかそこそこ頑張ってたんですよと話しても、きっと遊んでたっていう認識は覆らないんだろうなぁ。

2018-01-23

Facebookマーケティングエキスパート無料サポートを受けようとしたところ

ちょっとひとの代理Facebook広告出しているんだけど、とはいっても1日数百円で様子見ているところ。

殊の外、安くクリックしてもらえる広告があったので、広告本数を増やしてさらテストしていたところではあった。

そんな中、先日可愛い女の子からメールが来たんですよ。普通MainメールボックスじゃなくてSocialに入ってたのが少し不思議だったんだけども。

こんにちは、●様

Facebookマーケティングエキスパートをしております、****と申します。貴社の広告アカウント(************)についての無料アドバイスをご案内いたします。

貴社でFacebook広告への投資を拡大されていることを拝見し、投資効果を最大化するためのお手伝いをさせていただきたいと存じます

今回は、弊社Facebookマーケティングエキスパートのチームメンバーとの15~20分の無料通話へのご予約をご案内いたします。弊社では次のようなご相談を承っております

広告目的確認して、貴社のビジネス目標に即した広告になるように調整します。

ターゲット設定について話し合うことでターゲット層をよりきめ細かく調整できます

広告指標分析を行って、広告の精度をさらに高めるとともにより効率的掲載する方法について検討します。

すべてのアドバイスは、貴社の広告アカウントカスタマイズしてご提供します。

また、今後の広告プランに関するご相談ビジネスの成長に役立つ新規マーケティング戦略をご紹介させていただくこともできます

ぜひ無料通話をご予約ください。 こちらまたは下のボタンをご利用いただけます

お話しできるのを楽しみにしております

まあこういうのは可愛いお姉ちゃんアバターで送られてくるものです。

実際にはこんな姉ちゃんはどこにもいない。パネマジマジパネエってやつです。

でもまあ無料アドバイスもらえるなら本業のウチのFacebookページのヒントもあるかもって予約してみたんです。

予約はAppleジーニアスバー予約するみたいに簡単な手順。

んで、日時と時間いれたら次の画面に、

●様

Facebookマーケティングエキスパートによる電話サポートのご予約を承りました。担当者が*********にお電話いたします。(*シンガポールからのお電話になります)

この機会に、Facebook広告ツールをしてFacebook広告効果を最大限に引き出す方法についてお伝えできればと存じます

できるだけ実り多い時間にするため、サポートを受ける方にいくつかお願いがございます

• 当日は貴社ビジネス目標Facebook広告で達成したい目的をお伺いしますので、ご準備をお願いします。

• 貴社のFacebook広告予算をお伺いしますので、ご準備をお願いします(できれば詳しく打ち合わせたいと思います)。

   広告予算について承認必要場合は、決定権を持つ方にご同席いただくか、事前に投資計画への承認をお取りください。

広告使用する画像動画のご用意をお願いします。

• 事前にお使いのコンピューターをご用意いただき広告マネージャ(https://www.facebook.com/ads/manager/)を開いておいてください。

どうぞよろしくお願いいたします。

Facebookマーケティングエキスパートチーム

手取り足取り、広告作らせて予算も設定させて、実際に広告出させるところまでやる段取りじゃん。遠隔でATM操作させるような感じしかしない。

カモにネギ背負わせて鍋に湯まで沸かしておけってか。

女性名前男性に変わってたし。こんなやり方じゃあ契約取れないよ、Facebookさん。

2018-01-22

anond:20180121120944

なのに宇多田ヒカル自分作詞作曲してプロデュース父親でしょ。しかめっちゃ洗練されてた。

そういや浜崎あゆみ自分作曲してたね、宇多田への意識あったのかな。

2000年以後「どれだけ歌詞共感出来るか?」が1つの指標になっていった気がするけど、

それも宇多田ヒカルが影響しているのかも。

2018-01-18

もう大学通う理由学歴のためだけになった

学歴もそこまで凄いわけじゃない。大した人間じゃないんなら、何の指標にもならない。 単位いからとりあえず授業出て講義も聞かずうわの空で、時間をドブに捨ててる気になる。

じゃあその時間があれば、君は何かできるのか? 何もできない、たまに嫌になって授業サボるけど図書館映画見るか本屋立ち読みしてるだけ。

周りに合わせて就職は出来るかもしれないが、たいした仕事はできる気がしない。

2018-01-17

学歴社会NGみたいな風潮あるけど

学歴ほど精度高い指標なかなか無いと思う

ただの経験則だが

 

30も超えてくると、どの同僚がどの大学出身かなんて話しないけど

こいつスゲ~できるやつだ、と思ったら大概自分より上位の大学だし

同僚が優秀すぎてツライなーという職場は周りの方が偏差値良かったりする

学歴フィルターは無いと豪語して、大学出てない人もそこそこ居る会社だったとしても、多くは似た学歴の人が集まってる

こいつとは話が合うなーと思ったら、同じ大学院出身だったのは笑った

 

偏差値10くらい変わってくると、もう同列の同僚として付き合うのがちょっと辛くなってくると思う

もちろん負けないように努力はするんだけど、学歴高いやつの方が当たり前の如く真面目なので、そいつも同じくらい努力してる

 

逆に、どうやっても勝てねーなあと思ってた人の学歴が二段くらい上だったりすると、妙な安心感を覚える

それは多分かっこ悪いことなんだけど、同じようにやってるのに勝てない相手を見て「何で俺はこんなにダメなんだ」と落ち込むよりは

元々初期パラメータが違うやつと思ったほうが、仲良くできると思う

 

あとちょっと関係ないけど

努力すれば努力するほど、周りに初期パラメータが高い人が増えていってどんどんしんどくなるんだけど

努力して苦しくなってなんか無意味だなーと思う

今の会社の悪いところ

今の会社SIer)への不満的なものが溜まってきたのでここに置いておきます

2018-01-15

正しさとは

小学生の頃は人類共通の「正しさ」の基準みたいなものがあると思っていた。

それが行動指標となって、基準から外れた者には罰が下る。

そうして社会が成り立っていると思っていた。

しかし、成長した今、当時考えていた共通の「正しさ」なるものは各々が持つ「正しさ」の積集合であったに過ぎないことに気がついた。そしてその積集合はあまりにも小さい。

それぞれの「正しさ」が衝突した時、私はどのように行動すれば良いのだろうか。これが昨今の私の課題である

2018-01-14

男と女絶対的な違いって

子供産めるリミットなんですよ」

ってモテキ仲里依紗が言ってた。男と女絶対的に違う。いやこれ本当に。

最近思うのは男に生まれるのと女に生まれるのってどっちが幸せだったんだろうって。

もし顔とか性格とかそういう指標が数値化できるとして今の俺と同じスペックの女に生まれることができたら。

まず男の俺はどうだろう。顔は全然カッコよくはない。身長も170ないくらい。まあでも気持ち悪いと思われる顔や容姿ではないと思う。

勉強はそれなりにできる。頭の回転もまあまあ早いから平均よりは面白いことも言えるし、平均よりは人見知りもしない。平均よりは。でもこの「平均よりは」が大事だと思って生きてきた。増田からこんなことを書いている。

でも俺がもし女だったら?

もしそんなことが起きたらそこまで可愛くないことを早々に悟って、すぐヤれそうなビッチになるかお笑いネタキャラとして飲み会で男の先輩に下ネタ言わされてただろうなと思う。そんな人生も悪くないのかもしれない。

ぜひ増田の皆さんにに問いたい。

異性に生まれたかった?もし生まれたかったならなぜ?

コミケ完売できなかった

ちょっと長い話になる。

少し前になるが、冬コミのことだ。

コミケサークル参加するのは2回目だった。二次創作で、成人向けの漫画を出した。

コミケは2回目だが、オンリー地方イベントには出ていたので、全体として本を出すのは15冊目くらいになる。

冬コミの前、初参加だった夏コミは散々だった。

それまでのイベントだんだん売れるようになっていたから、調子に乗っていたのかもしれない。

余計な議論が起きそうなので具体的な数字は出さないが、持ち込んだ部数の3分の1もはけなかった。

それまで尻上がりだっただけに、余計に凹んだ。

それもあって、冬コミ前はとても緊張していた。

売るために参加しているわけではないが、自分の本が誰にも求められてないのでは、という不安かられた。

絵で少し仕事もはじめていた時期だったので、胃を痛くしながら当日を迎えた。

結果として、完売こそしなかったものの、ノルマとして設定していた値より多く頒布することができた。

差し入れももらったし、応援していると声もかけてもらった。

在庫書店委託でほぼはけるであろう量で、とてもほっとした。

売り上げでおいしいお肉も食べに行けたし、手伝ってくれた友人にもごちそうできた。

問題はそのあとだった。

Twitterで、知り合いの作家完売報告の嵐を見て、モヤモヤした気持ちが生まれしまった。

午前中に完売しているサークルが多く、タイムラインはうれしい悲鳴で満ちていた。

その時つい、「悔しい」と、そう思ってしまったのだ。

俺も過去に予想外の人気が出て完売たことがあったが、その時は後から買いに来てくれた人に対してとても申し訳無く思ったものだ。

その点今回は、赤字にはならなかったし、喜んで来てくれた人もたくさんいた、欲しい人にも行き渡っただろう。

そもそも完売」とひとくちにいっても、部数にもよるし、流行知名度など要因は様々だ。

何も悔しがることはないはずだった。

だけど何か、「完売することが成功指標」でありステータスかのように、その時は感じてしまった。

何より悔しいのはそのことだった。

自分目標も達成して、なんの問題もないのに、結果を喜べなかった。

そんな自分にげんなりもした。

特に最近SNSですぐ他人成功が目に見えるので、こういうことはままあると思う。

次本を出すときは、まわりに左右されない、自分のなかの指針をつくって、そこを目標にやりたい。そう思った。

次の夏コミはどんな結果でも、絶対に楽しむ。

2018-01-11

幸せについて本気出して考えてみた

幸せについて本気出して考えてみた

幸せ」とそれに関係する「怒り」「哀しみ」について書いてます

本気で考えたから長くなったし、読みにくいと思う。

生きる目的は「幸せであること」で、その先はない。

生活が豊かになっても、富を得ても、幸せでなければ意味はない。

「人より生活が豊かである」ことに幸せを感じる人もいるだろうが、 「あらゆる人より」は世界に1人しかいないので、「誰かより」と人と比べることになるだろう。

どんな環境であっても、自分幸せだと思う人もいれば、常に自分は不幸だと思っている人もいる。

自分が何のために行動しているのかを、もっと掘り下げて自問しなければ、自分自分理解できない。

自分理解できない自分」を他人理解してもえることはほとんどないが、稀にあり、その出会い幸せであるので感謝する。

自分が何のために働いているのか」「何のために怒っているのか」「何のために勉強をするのか」「何のためにそこに住んでいるのか」

「何のために」を達成する手段は、それ1つしかないのか。

幸せのカタチは結局人それぞれ。

何が自分幸せなのかは、自分で見つけるしかない。

幸せになる方法は、あらゆる選択肢の中から自分の「好き」を選ぶこと。

付き合う人や孤独であること、仕事仕事でない生きる方法、住む国や場所、食べるもの、着る服、宗教無宗教など、すべてを「自分の」幸せと照らし合わせて選んぶ。

自分幸せと、人の選択を照らしあわせて、自分に合わせようとする人のことを「傲慢」と呼ぶ。

傲慢は誰も幸せにしない。傲慢であることに幸せを感じる人もいると思うが、私はそういう人とは付き合わない。

「正しいこと」や「正義」はない。それはただの1つの方法

幸せを実現する手段を教えることはいいことだが、その選択自体は、他人にとやかく言われることじゃないし、他人に口出しするものでもない。

みんな幸せのカタチが違うし、選ぶ手段が違う。

「人それぞれ」という言葉不安を覚える人は、宗教学問を選ぶと、自分以外の場所に確かな指標や信じるものが出来ていいと思う。

それを信じている間は、幸せのカタチを変えられないというデメリットも分かっていたほうがいい。

宗教だって学問だって、信じられなければ変えればいいと思うけど。

人の好みに共感できなくても、理解はできるから、「同じ幸せ」を感じられなくても、「一緒に幸せ」になることはできる。
人が幸せになる、人を幸せにすることに幸せを感じる人は、そういう仕事活動をすればいいし、しているだけ。

その手段相手に対して間違っていることがあるかもしれないが、それを「偽善者」の罵る人は、想像力が足りない。

お金はただの手段目的あくま幸せ

お金があること自体幸せを感じる人は、自分をまだあまりわかっていない。

お金あっていいな」とは思うけど「お金あればアレができるのに」はみんな違う。

自分が何を幸せに感じるか」を知って、それを人に伝えれば、コミュニケーションはうまくいく。

「そのために何をしている、何をする」が近い人とは過ごしやすいし、「その手段もあるのか」「こういう手段もありますよ」がお互いを幸せにする可能性を広げる。

わたしはこっちがいいんです」と言われても、それはその人の幸せのカタチなのだから、落ち込む必要も怒る必要もない。

目的を1つに絞る」という考え方自体は、たぶん禅の考え方。

こういう考えが自分に合ってるというだけで、それこそ個人個人もっと合う考え方があると思う。

数多の国・宗教文化があり、法律戒律は違えども、すべての目的は「幸せになること」で、根っこの部分は本当によく似ている。

人の行動原理は大きく分類すれば「幸せ」「怒り」「哀しみ」「恐怖」

幸せのカタチはみんな違うけど、皆自分生活をより良くしたくて、または今の良い生活を維持したくて、行動している。

怒りは分析すれば、ある程度抑えられる。

怒りを感じる事自体は悪いことではなく、あたりまえの本能なのだけれど、それで幸せが遠のくのであれば、感じすぎないほうがいい。

怒りの成分は大きく分けると「自分幸せへの危害」と「嫉妬」くらいだろうか。

嫉妬について

嫉妬とは「相手幸福により、相対的自分が不幸になること」に対する怒りであり、あんまり自分幸せがなんなのか分かってない時にあふれだす。

嫉妬は人と比べて幸せを感じる人が持つ感情

自分幸せ手段である何かを持っている人に対して湧く感情なので、消し去ることはできない。

「今嫉妬してるってことは、自分もああなりたいんだなぁ」と言い聞かせて、「羨ましい」と言葉にすることで、少しは解放されるかも。

「それを持っていることでなぜ幸せなんだろう」と掘り下げることで、「元から嫉妬するようなことでもない」と気づけるかも。

自分幸せへの危害による怒りについて

直接自分幸せに害があるときは、怒って当然。

「怒り」は「幸せ」を守っている。

ただ、必要以上の怒りは、怒っている本人を含めて誰も幸せにしない。

「何に怒っているのか」を自分理解して、それ以外のことにぶつけてはいけない。

怒りの多くは、その原因を取り除けば解決できる。

「その手段しか幸せになれない」と思っているから怒るのであって、他の方法を探すことで、かなりの怒りから開放される。

他人に対して怒りが湧くときも、お互いが「相手幸せになりたくて、その行動をとっているんだ」と思えば、多少軽減できるし、「じゃあどちらも幸せになるように新しい手段を探そう」と原因の解決に迎える。

あらゆることに対しても怒りが湧くときは「眠い」か「疲れている」か「お腹が空いている」。怒っても解決しないので、うまいもの食って休もう。

「怒り」から遠ざかることで、「怒り」から遠い存在である幸せ」に近づくことができるのではないだろうか。

「哀しみ」の解決方法は、模索中。多分見つからない。

哀しみを感じる事自体も悪いことではなく、あたりまえに持ってる本能だけど、それで幸せが遠のくようであれば、感じすぎないほうがいい。

幸せも怒りもわりとすぐに忘れてしまうけれど、哀しみはなかなか慣れない。

怒りと違って、死や離別など、原因を解決できないことがほとんど。向き合って鎮めるか、逃げるしかない。

哀しみから逃げる第一候補は、宗教

仏壇に手を合わたり、十字を切ることで、寂しさから解放される人もいるだろう。一種ルーティーン。

大事な人やモノを失うと寂しい。いつもの幸せな日々が終わってしまうから幸せときにいつもやっていたルーティーンによって「大切なものの1つを失ったが、今も幸せである」と思い出す。

それは幸せなのかと言えば、そうではないと思う。哀しみをごまかしているだけではあるが、他にいい方法がない。

哀しみと向き合うのは、辛すぎる。

そもそも向き合うつもりがなくても直面してくるような感情

どうあがいても哀しいものは哀しい。

今ふと、「哀しみを忘れるのは非情だ」という風潮にちょっとだけ疑問を感じた。

ずっと哀しんでいないといけない雰囲気がある。

それって誰が得するかと考えると、やっぱり宗教なのかなと。

仏教で言えば、初七日四十九日一周忌とかね。

余計に哀しむ必要はない。普通に過ごせば、みんな充分哀しんでると思う。

「哀しく感じていた感情を忘れる哀しさ」があるのも、また真実

哀しく感じなくなったからと言って、愛していた事実がなくなるわけじゃない。それだけを愛情のモノサシにしなくても良いのでは?

はいろんな人に愛されていると思っているから、私が死んだときにはそう考えて欲しい。

恐怖とは

「恐怖」とはなにかを考えると、「幸せを害される」ことに起因する感情

自らの死、病気老い孤独蔑視など、人生においては恐怖も少ない方がいいが、避けようがないものもある。

1つの対処法は準備。

病気にならないように、情報を集めて健康でいる。

孤独にならないように、人に尽くして、人徳を積む。

蔑視されないように、努力して、結果を出す。

結果を変えることで、恐怖から遠ざかる手段

覚悟」も対抗策の1つ。

悪い結果を想定して、余裕を持っておく。

恐怖を乗り越える「覚悟」を持っていれば、もはやそれは恐怖ではない。

そしてもう1つ考えた方がいいのは「そもそもその恐怖の対象は不幸に直結しているのか」

老いたから、即不幸なのか。何ができなくなることが不幸なのか。若いままでいて、何ができることが幸せなのか。

病気孤独蔑視もそう。それ自体が不幸なのではなく、その結果なにかができなくなることが不幸であり、逆に何かしたいことができるままであれば、それ自体は恐怖の対象ではなくなる。

最後に残る恐怖は「死」のみ。

「死」の恐怖はすさまじい。「死」は積み上げた幸せを失う。

死は避けられない。どんな生き物でも100%死ぬ

死んだことがないから、またわからない。わからないものは怖い。

対抗する手段は「人生に満足すること」ではないだろうか。

あれもしたかった、これもしたかったはたくさんあるけど、「この人と一緒に過ごせてよかった」とか「得られるだけの幸せを手に入れた」と満足することこそが、生死の際まで幸せでいられる手段ではないだろうか。

この世との別れは哀しい。それは絶対に避けられない感情だけど、それより人生に対する幸福感が上回れば、受け入れられないものでもないのかも。

うん、やっぱりどう考えても今は死にたくないな。

もっともっと妻や家族や友人と、楽しい時間を過ごしたい。

長生きするのは不幸だという意見だったけど、失う対象が少ない状態死ねると考えれば、今はじめて、少しだけ羨ましくなった。

幸せな死」にこれから出会えることがあれば、そこから学ぼう。

出会う前に死んだら、仕方ないな。

幸せについて、考えられる日は、幸せな日だけだな。

怒りや恐怖について考えられる日も、多分幸せな日だけ。

哀しみについては、哀しい日の方が考えられるかも。

余裕ができたら、余裕がなくなったら、また読み返そう。

2018-01-07

それでも、なんだかんだ成人式って行ったほうがよくない?という話

副題:イケてない人間成人式をどう迎えたらよいのか?

大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。

この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。

成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。

あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。

というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。

その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。

単にシンプル物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたかである

結局一度目はもっと高いランク大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂メンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しか受験が終わった後になってどうやら自分本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。

二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまり自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつ自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬副作用からくる体調不良でくたばっていた。

そのような状況を見かねてか、というより、自身家族学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院心理士やら全落ちした中学受験時代予備校先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。

というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分人生高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。

二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。

もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間高校を出てからのことである

↑以上読み飛ばし

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↓読み飛ばし

そんなわけで当時の自分は、血縁地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)

はい成人式ハガキというものは、本人のそうした事情自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである

ハガキが届いた時点で、すでに自分人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である

これは生まれ20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである

分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである

これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうもの可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。

自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。

成人式ハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。

いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか

仮に生命危機があっても相手少年法適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。

成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれから自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。

俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初大学入学祝い)に着替えて行った。

贈答品は会場に一番近いマクドナルドクーポンなのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。

日本で最も規模のでかい成人式ひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。

まず前座で良かった点、開式の国歌市歌斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌市歌斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。

クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると

携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たち世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」

いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トーク・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。

輪をかけてクソだったのがその次の新成人スピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアかいろいろやってます系の大学生自分人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人人生実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長スピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。

乱入である

これは行く前と行った後で最も価値観が変わったこである。かねてから成人式乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。

むかし怪獣特撮怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。

成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わずしかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。

ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。

そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから

最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。

こういう成人式も、あるのだと思った。

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