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はてなキーワード: 田んぼとは

2019-02-20

文字だと伝わりにくい

尾→尾っぽ

田→田んぼ

葉→葉っぱ

根→根っこ

輪→輪っか

2019-02-05

anond:20190205141035

そりゃ、となりの田んぼだけ稲が早く生えたら嫉妬するだろ

2019-02-04

藤原姓名の人って

みんな高貴な血筋人達なの?

苗字田んぼの田がついてる人達

みんな先祖農民なの?

2019-02-03

anond:20190203175900

田舎といってもイオンがある程度の田舎。主要駅周辺や昔から栄えた場所以外は田んぼや畑がガンガン残ってる。そこは付近に踏み切りがないから、なにげに混み合うことが多いという場所

真面目そうな子がおっさんに言い返してビビった

バイク一台やっと通れるくらいの細い踏切があって、そんな狭さだから自然一方通行になる。でも踏切を待ってる人は両側にいるから、最初に渡る流れができなかった方は、向こう側からくる人たちを待たなければならない。

そんな踏切で、俺は向こう側からくる人たちを待っていた。いつにも増して人が多く、流れが途切れない。俺の前にいたおっさんがついにキレて、いつまで待たせるんや、こちとらずっと待ってんのやぞ!と向こう側から渡ってきた人たちに文句を言い始めた。ほとんどの人は知らないふりをして目を合わさず去っていったが、一人、真面目そうな高校生女の子が「黙って待ってられねーのかよ」と吐き捨てた。

おっさんの顔は見ていないが、たぶん面食らったんだろう。ピタリと黙ってしまった。その子はそのまま自転車に乗って去っていった。

夕暮れに田んぼが広がる田舎道で、なんか印象的な光景だったので書き残しておく。

2019-01-28

生活保護うけるのに車や自宅を売却しなきゃいけないのはやはりちょっと納得いかないな

自転車バイクは乗っててもいいんかな?

生活保護受けちゃうと買えるお金はないから事前に用意しなきゃ無理だなと思う

徒歩圏内仕事なんてないし30分歩いたところで民家と田んぼしかないし、バイクはあらかじめ用意しておきたいところ

自宅は売却したとしてアパート契約してくれるとこあるのかな

介護必要な親がいるからな

礼金が出るほどこのぼろ家が売れるかどうか

将来は本当に厳しそう

なんとか今のラインを維持することで精一杯

生活保護を考えるとこまでいくとガチマジで一生が詰む

生きるための選択肢がもうない

2019-01-19

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-29

効果的なテロのやり方

どっか、はてなでもどこでもいいから、○○爆発しろって書き込みをどっかにする



そしてこの○○を実際に爆破する




これは絶対に足がつかないような場所かつ、人に迷惑がかからない場所、山奥とか、使ってない廃屋とか、田んぼとか

直接的には迷惑かかってないので警察も本腰入れては捜査しない、はず


できれば二、三カ所、足がつかないような場所とは言ったがニュースにはなって貰わないと困る



終わり




そしたら、次は誰かが、東大爆発しろ、とか、国会議事堂爆発しろ、とか愉快犯的に書き込む

爆発しろって言葉自体は、犯罪予告には当たらないので捕まることはないが(仮に文脈的犯罪予告になるとか言われても、ニュース一切見てないって言い張ればいい)

書き込まれた側は対策せざるを得なくなる


そしたら日本全国で連鎖的に犯罪予告もどきが発生する

2018-12-27

anond:20181227032846

都会出身者は避けるの上手いよな

逆にぶつかる奴全員田んぼ道で踏ん張って歩いてきた田舎もんだと思ってる。

2018-12-22

anond:20181222113447

練馬区埼玉県からなー・・・埼玉、少し奥行けば畑田んぼ普通にあるし。

そういう連中はガチ田舎に行ったことないんだろうなぁ。

ちなみに池袋埼玉植民地だし、町田神奈川県

2018-12-12

仕事がつらい

作業としては嫌いじゃない。むしろかなり嬉々として取り組めてる。自分にわりと向いてると思う。周りから評価も(口頭では)結構高い。

でもなんかつらい。なんか、いつになくきつい。

この組織のために働きたくない。

私は女で、新卒で入ってからずっとここでやってきて、もう10年になる。が、役職とかがつく気配がない。一般のまま、いっこ上に上がるとかもない。

仕事評価は決して悪くない。みんな口ではやたらほめてくれる。でもなんというか、パソコンの大先生的ほめ方なのだ。実際仕事内容がパソコンの大先生からだろうか。ちょっと複雑なVBA組んだり、依頼されたデータを引き出してきて整形したり、そんな補助的な仕事ばかりだから。そしてそんなのをひとりでやってるから

まり便利屋だ。とても便利な便利屋。そらほめるか。おだてとけばにこにこと次から次へ仕事を受けるちょっとトロい感じの女。ほめて損はないもんな。

そしてほめはしても、評価はあげない。人事評価に反映されない。もう2回は面談で直属の上司とぶつかってるが、評価は良くてもBで、最高のAには達しない。なぜなら誰もできないような素晴らしい成果を上げては居ないから。私のほかに誰もできないやらないVBAを組むとかそういう作業従事していても。

ここまででも相当嫌気がさしていたんだが、ちょっとトドメがきた。

私は完全に文系ど真ん中の学部卒だが、大学結構いいとこ出ている。早慶上智とかそこらへん。

そして私より前に私と同大卒で入社した人は(少なくとも当時在籍中の人では)いなかったらしく、私が初の「あの大学卒」みたいな扱いになった。ついでに「あの大学卒なんだからお嬢さまなんだろう」みたいなアレな扱いにもなった。庶民やけどな。庶民どころか、山と田んぼの地から出てきた田舎山猿やけどな。

でもお嬢扱いっていろいろラクなんだよな。これまでもあったんだそういうこと。頭良くてお嬢って前提だと、本を読みまくっててかわいげがあんまなくてちょいと一般常識が怪しいところがあるってくらいだとプチ変人扱いでスルーされるみたいなのあるじゃん。それに甘んじちゃったんだよな。他に就職先のアテもなかったし。

思えばこれがいけなかったんだよな。

そんで私の後に2人、同じ大学卒の女性が1〜2年おきくらいに入ってきている。

その3人をまとめて「シスターズ」「三姉妹」と呼んでイジるような空気が、最近つのまにか醸造されていた。

これがもう、なんか、思ったよりダメだった。

私はリアルに三人姉妹の長女なので、同大卒の後輩とはいえ在学中に接点なかったレベル他人とまとめられて三姉妹の長女と呼ばれることの違和感が半端無い。脳が一瞬バグる。「あれこのひとなんで仕事中に私のプライベート言及して軽口叩いてるの??」みたいにどうしてもなる。

あと私の仕事ははっきり言って大学まったく関係ない。学部レベルだし、習ったこマジで1ミリも使ってない。

なのになんか学歴がへんなアイデンティティみたいになってる。いつのまにか。

わたし仕事場で、わたし仕事っぷりよりも、卒大が筆頭にきて幅きかせてる。いつのまにか。

これがなんかもう、なんかもう、ダメ。糸が切れた感覚がある。

だけど、これもうダメだよね。職場風土だもん。抗えない。抗い方がわからない。みんな親しみの表現としてやってんだもん。特におじさん幹部級に完全に馴染んでるのこのいじり方が。無理やろこれ。今から反抗無理ゲーやろ。ただでさえコミュ障気味なのに。

あー、しくった。気持ち悪い。もう仕事の何もかもが気持ち悪くてたまらない。

つらい。なんかこう、消しゴム食わされてるような気持ち悪さがずっと想起されててしんどい消しゴム食ったことないのに。カロリーメイトがなんか消しゴムっぽい味しそうで食えない。他に食いもんないのに。

仕事がつらい。

追記:

トラバありがとうございます

悪意や妬み嫉み的なイジりではないしそれよりはずっとマシなのは重々承知しています

ただ、「シスターズ」の下二人は同部署にいますが、彼女らと私とはフロアも違うような別部署であること、私のとこは完全に私の一人親方状態であり後輩指導的な接点は誰ともないことなどを考えると、私が彼女らと和気あいあいしてるのを観賞して癒されてる人はいないと思います彼女ら2人が和気あいあいして癒されてる人はいるかもしれない。

あと忘年会普通に会費取られます。飲めないけど飲み放題で5千円。飲めないのに…というのはあるけど金取ってくれるのはむしろなんかホッとします。オゴリシスターフルセットで誘われたときはキツかった。二十代の後輩と並んで三十超えてシラフで場の華扱い(小規模なお誘いで他に女子なし)はコミュ障気味で化粧も下手なわたくしには荷が重かったです。

あとはアレだ。シスターズくらいならともかく、この後輩たちに言及するときに皆さんナチュラルに「妹たち」言うてくるのが一番ダメなんだと気づいた。

えっ私の妹はひとりは結婚して他県で暮らしてるしもうひとりはいろいろあって実家家事手伝いしつつ療養中ですが???

ってなってしまう。むり。

2018-12-08

大阪と間違えて京都に来た

大阪に住んでいる彼女に会うため近鉄に乗り込んだが発車してすぐ間違えて京都行きの電車に乗り込んだことに気づく。

大阪の隣、京都の下にあるため奈良電車一本で両方に行けるが確認するのがめんどくさい僕は急行の表示だけ見てすぐに反対方向の電車に間違えて乗ってしまった。

家を出るときも最寄りのバス停時刻表確認せず出たもんだからバス停無駄に待った。奈良バス20分に一本しか無いのだ。

奈良から京都行きに乗るとイオンや古めかしい名前高校を過ぎた後は田んぼが続く。田んぼの中にポツンと家があって止まってるトラックなども目につく。他県の人が京都と聞いて思い浮かぶのは寺社仏閣や舞妓の華やかなイメージだけど奈良県民からすると奈良風景とそう変わらない。この傍流の風景こそ京都イメージなのだ

僕は地方高校を出て大学に進学したけど就職活動を真面目にやらず卒業して無職になった。その後資格を取って就職したけどこの仕事でもあまり熱心に取り組まないので職場評価も芳しく無い。

大学の同期や後輩も似たような者で、卒業してしばらくして就職したような連中が多い。まじめに就活した顔見知りなんかは地方大手中小でも堅実な会社内定をもらってはやくにけっこんして家を建てている。

大学卒業してそのまま就職結婚と順風に生活をしている人は電車を乗り間違えたりしないんだろう。最寄りのバス停に行くときも前日の夜くらいに時刻表確認して家を出る時間確認するし、資格があるのに地方から奈良に移り住んだりしない。そんな人生の遠回りをしないんじゃないかな。

就職活動でもエントリーシート受付開始日に出せるような人はとてもすごいと思う。一社じゃない。少なくとも10社くらいの企業エントリシートを受付開始日にはもう出してるような計画性があるからいい企業内定をもらえる。そんな人は就活でも仕事でもプライベートでも事前に時刻表を見て行動できる人なのだ。彼らは決してワーキングプアーやフリーターにはならない。社会メインストリームとして働き家を建て生活を送る。冴えない生活を送る傍流には落ちてこない。

そんなことをつらつら思いながら仕方なく傍流を流れる僕は大阪行きの電車に乗り直している。

近鉄はよく揺れる。

2018-12-03

琵琶湖って干拓して田んぼにしたら相当お米取れるんじゃね?

2018-11-26

田んぼ

親が田んぼをもっていて、親戚に貸して収穫の半分をもらってる。

これは早く売ったほうがいいな。

親戚も跡取りいるかよくわからんし、あんなところにある田んぼなんて親戚以外に買う人いないだろうし、はやくしないと売る相手もいなくなりそう。

2018-11-24

anond:20181123195431

問題になっている作品の(元)ファンで、現在若手俳優オタクの者です。

まず事件当時の湯澤氏のことだけど、湯澤氏が昔やってた音楽ユニットの「赤いカバン」て曲とかモロにアレだし、「頭の良い少女が好き」みたいな発言はよくしてたので、事件事故ではなく間違いなく元々そういう癖のある人ではあるんだと思う。

ただ実刑判決を受けて出所した今の湯澤氏の内心については、誰にも分からないのではないか

彼は今、もしかしたら当時のことを心から悔いて更正しているのかもしれない。

あるいは再犯率の高い性犯罪者として、今も変わらずそういう欲望を秘めているのかもしれない。

でもその判断は本人以外には無理だよ。

そういう人間を、演出家という舞台現場では一番の権力者になってしま地位に復帰させるのはどうなのか、という批判もっともだけれど、でもあの歳のオジサンが全く権力を持たない職って、そんなんある?

窃盗前科がある人は田んぼしかないようなド田舎に、性犯罪者性的対象の全くいないところに隔離したい。

その気持ち共感しないでもないけど、それは犯罪者社会復帰とは到底言えないし、そもそも不可能だ。

から私は、犯罪者出所後の権利については、他の"善良な市民の方々"と全く同じように保証されるべきだと思うし、例えばこの舞台を中止にして業界から完全に追放させる、みたいな処分絶対に駄目だと思う。

もちろん観劇するしない、出演するしないは本人の自由だ。

それに対して他人が口出しすることは何もない。

なので私としては、この人に関わりたくないと判断して出演・観劇を避けた俳優舞台オタクや、逆に大人の事情とかファン感情や友人付き合いで出演・観劇を決めた俳優舞台オタクが、

いずれにしてもその判断によって何らかの不利益を被らないことを、ただただ祈るばかりです。

2018-11-23

大雪時のチェーン装着義務化について言いたいこと

大雪時のチェーン装着を義務化へ 国交省方針

こんな記事が出たので、ひとこと言っておこう。

路面の変化

新雪 降ったばかりのパウダースノー グリップも効き楽しいインタードライブが楽しめる。雪は軽い。

圧雪 新雪をたくさんの車が踏みつけて圧縮された状態 凍結路に近づきグリップしにくくなる。

凍結路 圧雪が気温の低下により凍結した路面。昼間の往来で圧雪になり、夜間に凍結路に変化する。凹凸がなく、平滑であれば大丈夫。チェーンで凍結路に凹凸を刻まれると40km/hくらいまでしか加速できなくなり、振動がひどい。

シャーベット状の雪 圧雪や凍結路が昼間の気温上昇で、水と雪が混ざり合った状態になったもの。重い。厚さがあるとハンドルを取られる。チェーンは効かない。

と変化する。

ノーマルタイヤ

 雪国では、夏タイヤともいわれるタイヤ普通タイヤです。騒音が静かとか溝が少なめでグリップ性能がよいとかは、今回のお話ではほとんど関係ありません。

 ノーマルタイヤで雪道は走れるのかというと、他の車がいなければ走れるという答えが正解です。これまた、付帯条件が付くのですが、車両最低高より積雪がなく、降ったばかりの新雪であり、気温が0度以下で、できればより寒いほうがよく、新雪の下はアイスバーンではなく舗装道路であることが条件です。加速は3速固定、減速は2速のエンブレで行いますブレーキは使っちゃだめです。

 つまり、今頃の時期にほかに誰も走っていない峠で、急に雪が10㎝くらい降ってもなんとか無事に走れるということです。

 これ以外のときは、ノーマルタイヤでの走行は、だいたい事故ると思います。この条件が変化したときは、付帯条件を満たさなくなるため、危険です。たとえば、ほかの車が増える時間帯になれば、雪質が新雪からシャーベット状に変わり、ノーマルタイヤの溝では車をコントロールできなくなります

 余程恵まれた条件でなければ、走れません。おすすめしません。

スタッドレスタイヤ

 雪国冬タイヤと呼ばれるタイヤ。柔らかめゴムが使われており、細い溝がたくさんついている。ゴムの中には各社の秘伝の成分が配合されている。細い溝は、シャーベット状の雪対策と氷面での排水対策ゴムに混ぜた秘伝の成分は氷面では摩擦を増やして止まりやすくしている。

 ノーマルタイヤとの違いは、シャーベット状の雪に強いことと氷面で止まれること。これのおかげで、11月下旬から3月上旬までの3.5か月間のほとんどの日ではこれで走れます

 この期間の中で暖冬の年では2回、寒冬の年では4回くらい除雪が間に合わない日が出てきます。2時間で30㎝降ったとしたら、除雪は間に合いません。そんなときはどうにもなりません。

 

4WD

 雪面で動けるけど、止まる性能は、2WD車と同じという特性を持ちます。そうじゃないと言いたい四駆乗りの人から反論が来そうですが、田んぼに落ちている車は、パジェロとかハイラックスサーフとかジムニーが多いです。慎重に加速しなければならないところで雪がない路面のように加速できるため、スピードが出すぎて、止まらなくてはならないところで止まれずに自爆することが多いのでしょう。

 2WD車では入れない除雪していない駐車場に突っ込むとか除雪するのが面倒なので、4WD馬力で雪を乗り越えるという物臭な使い方もあります。あと、田舎農家に多いのは、公道に面した敷地入り口から自宅までの私道行政除雪がこないので、仕方なく4WDに乗っているという人もいます。多分、小型の除雪機も持っているのだろうと思います4WD車を選ぶときは、ホイールベースが短めの車にしましょう。ホイールベースが長いと腹をこすって動けなくなります

 

チェーン

 鉄製のチェーンは、バストラックくらいしか使っていないです。凍結した路面では、チェーンを付けている車だけがなんとかなる感じです。何でトラックバスがチェーンを使っているのかというと夏タイヤのままだったりすることが多いように思います冬タイヤでチェーンを付けている車はかなり意識高い系です。

 スピード出せないことと、積雪路面と除雪された路面が交互にあったりすると困る。除雪された路面でチェーンは足手まといになってしまう。たとえば、関越自動車道関越トンネル前後では、チェーン規制されるとスタッドレスタイヤ装着車は、そのまま行けるが、ノーマルタイヤ車は、下牧PAでチェーンを装着して、関越トンネル入り口谷川岳PAでチェーンを外して、関越トンネル走行関越トンネルの出口にある土樽PAでチェーンを再び装着してチェーン規制区間が解除になるまでチェーンを付けたまま走行となる。実際のところ、この運用で雪道を走っている車は一見スキー客くらいで、ほとんどの人はスタッドレスで通過している。規制がかかると土樽PAでのタイヤチェックが行われている。

 チェーンを付ければ、どんな雪面でも走れるのかというとそうではなく、除雪は間に合わないようなとき意味がないということになります

 今後困るのは、「チェーン規制」という言葉が、これまでは「普通タイヤ+チェーンもしくはスタッドレスOK」という意味だったので、高速道路電光掲示板で、「すべての車チェーン装着」などに変わるのでしょうか。文字数が限られているので大変そうです。

 チェーンを持っている人はほぼいないと思います自動車教習所でもチェーンの装着の練習は省かれました。普通タイヤで乗り切ることにしたトラックを持っている事業所くらいしかチェーンを所持していないと思います

 

規制対象となる200区間

 県境の峠道が対象と思います普通生活している分には、あまり関係ないのかもしれません。(実際に区間が発表されてみないとわかりませんが)

 

規制区域でチェーンを付けずに通行すると、道路法に基づいて6カ月以下の懲役か30万円以下の罰金が科される。

とのことなので、冬の県境越えの際は、気象の急変に備えてチェーンを載せておかないといけないことになります

国道で立ち往生発生するメカニズム

 国道で立ち往生がしばしば発生するのは、高速道路のほうが先に閉鎖するからです。これまでの経験では、高速道路を降ろされて国道でひどい目にあったことがほとんどです。

 磐梯山のふもとのあたりや妙高方面裏日本平野部でも急に降ると先に高速道路通行止めになります通行止めになると国道交通が集中し、にっちもさっちもいかなくなることが多いです。

 不思議なことですが、道路幅の広い高速道路が先に閉鎖され、道路規格が低い一般道にゆだねられることになります高速道路管理者事故を起こされたら、なぜ規制しないのかと批判されるので、早めに通行止めにしてしまうのかと思います

解決

 どうすればいいのかというと、雪も災害として認めて、一定以上の積雪が降ったら、会社学校休みにするとか、荷物の着日指定無効になるとか、裏日本の冬の消費税を免税するとかルールを変えて、雪の中で無理をしなくてもいいようにしてほしいです。

パブリックコメントも送っておこうぜ。

2018-11-22

ゆでガエル

ネットが来てからネットを使う以上見たくないもの絶対目に触れるわけで

今まで見ずにすんでいたものを知ることになり

長く浸かれば浸かるほどに、リアルも斜めに見て興ざめし絶望けがまり広がるようになってしまった。

純粋に楽しんでいたコンテンツも、裏を知っちゃうと興ざめししまうし

コンテンツだけで知っていた存在も、裏を知って一気に嫌になるし

どこもかしこも結局は資本主義成果主義日常がはびこっていて

壁がなく広いとおもったネットも、結局囲いがあることすら気づかない田んぼカエル

自分必死カエルじゃないと思ってみるにも結局生きられるのはその田んぼの中だけで

田んぼ自体も昔はまだ壁を知らずにすんだのに

今は田んぼに大量のカエルいるか自分の居場所もなく、出るにも壁があることに気づいて出られず

茹でガエルになってる

死にたくないと生きられる場所を探してみるも、気づけばどこも茹っていて

別を開拓するには賢いカエルになるか、潤ったカエルになるしかない

未だにこの熱湯になりつつある場所から必死に声あげてるけど、特徴のある声がないか

死ぬのが先かなと思ってる

ネットを辞めればいい、確かにそれは簡単だけれど

ここまでどっぷり現実に食い込んできている以上それはもう困難に思う

この現実で、果たして生きていける場所があるのか

2018-11-18

anond:20181118223613

キトー田んぼ

うんち

してれば粟や稗や楮が生えてくるし。

2018-11-06

しあわせってなんだろう

しあわせってなんだろう。

幸せなんて主観的ものしかいから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。

最近自分果たして幸せなのか?と考えることが増えた。

24歳。

周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。

わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市ベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれ田舎景色が広がっている。

子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。

突然だが、人生とは選択連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)

当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。

特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立小学校中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元幼稚園小学校中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。

わたしにとっての初めての大きな分岐点高校受験であったと思う。

田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。

わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。

おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。

高校勉強漬けの日々だった。

地方進学校特有の、地元国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。

わたし多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。

特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部受験した。

死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレート合格し、進学をすることができた。

周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。

大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。

大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。

この頃から自分選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。

関東私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元高校勉強はあまりせずに恋愛満喫して専門学校に進学し彼氏ラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、

所詮全てSNSしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。

みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。

大学卒業した後、わたしは今、地元公務員として働いている。

安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。

過去自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。

子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏ラブラブしたい。

華やかな世界に生きたい。都会に出たい。

どれも全然から選べる道だとは思う。

しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。

もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかたかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?

わたしは今幸せなのかな?

もっと幸せ人生ってあったのかな?

この選択肢を選んできた自分人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。

今日わたしはいつも通り、実家リビングゴロゴロしながら、ツムツムのハート回復するのを待ちながら、この記事を書いた。

何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

岡山用水路を塞ぎたいならお前らが金を出せ

県南だけで総延長6000kmあるんやぞこっちは

しか住宅地や通学路はほとんど柵着けて対策済み

工場地帯や離れの田んぼなんて町会で負担しようものなら数世帯で数百メートル負担せにゃあかん

うそんなところでおっ死ぬやつは死なせたほうがいいだろ。自殺だよ自殺

あと用水路は定期的に浚渫しないと機能しなくなるわけで、それは住民自分らでやってんの

本当の本当に全域に柵つけたらこれも困難だし、暗渠にしたらそもそもできねーよ

そうすると税金作業徴収する必要も出るけど、正直それくらいなら肉体労働で収めさせてほしい

ほんま他所もんは好き勝手ばっか言ってから他人事だと思いやがって

2018-10-17

https://anond.hatelabo.jp/20181017113734

お家の事情って逆に何よw

旧家とか名家では全然ないよ、ウチは田舎町医者よ。あん過疎地に後継ぎなんか来てくれるわけねえべww人家より田んぼのが遥かに多いんだぞwww利点は待機児童問題何それ美味しいの状態であることだけよwww

2018-10-12

anond:20181012033951

千田さんってやっぱり千の田んぼを持つ大地主だったのかな

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