はてなキーワード: せっかくだからとは
うちの息子は今小学4年生で、夏休みが終わってから学校に行かなくなった。
どうして行きたくないのか、俺は聞けなかった。聞く勇気がなかった。
夏休みに入る前まで、息子は学校が好きで好きで仕方がないという感じだった。
朝一番にランドセルを背負って家を出ることも珍しくなく、なのでおそらく夏休み中に友達と何かあったのだろう。
うちはマンション暮らしで、2年前に妻が亡くなった。事故だった。本当に突然のことだった。それで俺は少し病んでしまい、塞ぎ込んで、休職して、それから会社も辞めた。
幸い伝手もあって今はフリーランスとしてなんとかやっている。しかし当時は本当に駄目だった。
息子も相当つらかったはずだ。それなのに、俺には弱音ひとつ吐かなかった。むしろ、駄目になった俺のことを気遣ってくれていたんだと思う。子供の癖に、俺なんかよりよっぽど立派だ。
だからこそ、夏休みが終わり「学校に行きたくない」と言われたときには驚いたものの、否定することはしなかった。
「そうか」とだけ言って、「じゃあ、ちょっと休むか」と息子に提案した。
息子は俯きがちに「うん」とだけ言って、ランドセルの方を見ようとはしなかった。
部屋の中でずっとゲームをやっているようだった。
あまり良くないことだとは分かりつつも仕事もあって、それを言い訳にしていたのかもしれないが、とにかく少し様子を見ることにした。
転機が訪れたのは10月のことだった。市で大きなお祭りがあって、その日は関連施設が無料になるという年に一度の大きなイベント。
仕事も一段落しており、せっかくだから何処かに出かけようと思って、息子に声をかけた。
すると意外にも、息子はすごく乗り気だった。早起きして「お父さん、早く行こうよ!」と急かしてくるくらいだった。こんな元気な息子を見るのは久しぶりで、俺はそれがすごく嬉しかった。
動物園なんて、本当に久しぶりだった。当然すごく混んでいたけど、久々の動物園とあって息子も俺も興奮していた。
色々な動物をじっくりと見て回り、コアラのエリアに来た時のことだった。
そこにはコアラの生態についての解説があり、その中に「コアラの寿命は約10年」と書いてあった。
それを見た息子がぽつりと「じゃあ人間の10分の1ぐらいだから、僕らの1日がコアラにとっては10日分なのかな」と言った。
その考え方がなんだか妙に大人びていて、少し驚いた。
「そうかもな」と答えると、息子は続けて「じゃあ、コアラは10分待たされると、人間だったら100分に感じるのかな」と言って、それから「それって、なんか退屈だよね……」とつぶやいた。
その後も他の動物を見て回ったけど、息子は例のコアラのことがずっと気になるのか、どこかぼぉっとしており物思いに耽っているように見えた。
動物園から出て「楽しかったか?」と聞くと、「うん!」と弾むような返事が返ってきて、心から笑っている顔を見るのはいつ以来か分からず俺は嬉しかった。
翌日から息子は少しずつ、自分の部屋以外で過ごすようになった。
そして11月になると、自らの意志で学校に復帰した。どうやら、ゲームの中で学校の友達とも連絡を取っていたらしい。それで自然と学校に戻りやすい状況になっていたようだ。
息子がどうして学校に行きたくなかったのか、それは今でも分からない。
それでも今の状況に正直ホッとしている。
息子は強い。強すぎるが故に弱音を吐かず、妻が亡くなったことで反抗期さえなくなってしまったのかもしれない。
そう思うと悪いことをしたなと思うし、ふがいない父親であることを申し訳なく思う。
でも、11月4日。息子が学校に行き、笑顔で帰ってきたとき、本当に嬉しかった。
その日の夜、息子が眠ったあと、俺は妻の遺影の前で思わず泣いてしまった。
遺影の中の妻は笑っていた。その顔を、しっかりと見ることができた。
クリスマス一緒に過ごす相手がいるとかってキレてるんかもしれないけど恋人とは限らんだろ
という慰めの言葉はひとまず置いといて
もちろんガチ恋してるような豚もいる
それはみんなを傷つけない為にってのと、クリスマスは稼ぎ時だからって理由と、まぁ色々ある
恋人同士でクリスマス出かけないんかって言われれば、もうそういう薄っぺらいアレじゃないんだよね
クリスマスはどこも混んでるし、料理も高いし、配信しなかったら色々めんどくさそうだし、せっかくだから日ズラして2人で楽しく過ごそうかってスケジュールが出来上がってんのよ
彼女が配信者だから、他のvtuberの裏話とか彼氏旦那いるとかそういう話も聞くけど、みーーーんなそんな感じよ
わかるか豚
クリスマス配信する女の裏には、超絶理解のある彼くんがいるのよ
お前らが馬鹿みたいに騒ぐ豚だってこともその彼くんには理解されちゃってんのよ
わかってんだよなきっとそんなことはさ
でも見ないようにしてるんだよな
ごめんな
(追記)今Kindleのランキングを見てみたら無料カテゴリ総合で1位になっていた。初めての増田の投稿でこんなことになるなんて夢にも思わず、ほんと皆んなには感謝している。嬉しすぎてコメント全部読んだので、鬱陶しくならない程度に文末に追加する。
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自分としては「これは面白いものを作ったぞ!」と自信満々だったのだが、思ってたほどダウンロードされてないのでぜひ見てみてほしい。はてブではカレーの話題がちょくちょく上がるから、もしかしたらここに書けば俺らが届けたい人に届くんじゃないかと思った。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DJX32B2G
416種類のスパイスレシピを載せていて、1700ページを超える分量を無料配信している。といっても、著者は俺じゃなくて近所の友達なんだけども。
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言いたいことはこれだけだったんだけど、ついでに、ここにいたるまでの自分語りさせてほしい。
7年前ぐらいに友達の紹介で、インド人と出会った。今回の本の著者だ。インド人と言っても、お母さんが日本人で、日本でずっと育っているので中身はほぼ日本人だ。彼の実家は日本で70年続くスパイス問屋をしていて、彼はその3代目として色んなミックススパイスを作ったり、料理教室をしたり、カレー業界ではそこそこ名が知れている人らしかった。
当時の俺はマンネリ化した会社員生活にうっすらと嫌気がさしていて、何か人生に刺激が欲しかった。登山を趣味にしようとしてみたり、哲学の本を読み漁ろうとしてみたりしていたが予想通りどれも長続きしなかった。そんな時に渋谷の中華料理屋で彼とその友達と飲んでいて、全くの思いつきで「お前んちのスパイスをインターネットで売るから、俺に手伝わせてくれよ」とお願いしたのだった。
というのも、彼のスパイスは主にデパートやレストランに卸していて、一般の人が気軽に手に入るところには流通していなかったし、Webサイトもあるにはあるが、なんというか阿部寛のHPみたいなかんじで、商品ページに飛んでも「注文はFAXか電話で」と記載されている化石のようなものだったからだ。
俺はエンジニアではないが、学生時代にHTMLでホームページは作ったことあったし、ちょっとしたECサイトなら今どき簡単に作れるんじゃないかと思って彼に提案した。(実際は作るのめちゃくちゃ大変で、後で後悔した。)
で、その中華料理屋にいた別の友達3人とチームを組んで、完全に飲み会のノリのまま、彼の家業をサポートすることになった。
後日、Webサイトの商品撮影を兼ねて彼の実家に遊びに行った。当時俺は全くのカレー素人だったのだが、そこで彼はせっかくだからといって手際よくスパイスカレーをつくり、「さわやかチキンカレー」と名付けたカレーを振る舞ってくれた。
正直、めちゃくちゃ驚いた。まず作り方が全然イメージと違った。カレーって玉ねぎをできるだけ長い時間で炒め続けるのが良いものだと思っていた(そういうレシピももちろんあるらしい)が、彼はガンガン強火で炒めて、20分ぐらいで完成させてしまったし、なんか煮詰め方?というか水を入れる順番も普通のルーで作るカレーと全然違う。
あと味も、確かにインド料理屋で食べるようなカレーの香りがするんだが、レモンの酸味がビシッと効いていて、チキンや油のコクと調和していた。酸っぱいカレーって食べたことなかったし、これならむしろライスなしでもルーだけでも食べ続けたいぐらいだ、と思ったのを強く覚えている。
以来、すっかりスパイスカレーにハマってしまい、Webサイトも商品を売るのだけではなくて、スパイスを使ったレシピを紹介するのを主軸にしよう、と彼を説得した。毎月7〜8レシピを一度に撮影し、それを毎週一つずつ公開していく。そうすれば、彼にとっては自分のスパイスの使い方をお客さんに教えるコンテンツになるし、俺にとっては毎月彼のスパイスカレーを食うことができる。WinーWinだ。
実は、今回のスパイスレシピ本はこれまで7年かけて毎週ウェブで公開し続けてきたレシピを電子書籍にまとめなおしただけだ。これだけの量のレシピ本を無料で公開する、というアイデアを周りの人に自慢げに話した時に「なんか裏がありそうで気味が悪い」と言われて若干凹んだのだが、我々からしたら元々Webで公開しているレシピなんだから、無料が当たり前だっただけだ。
Webサイトを見てくれたお客さんからは、Webは検索できて便利だけど手元におけるものが欲しい、と言われていたし、我々としても創業70年の節目で何か形になるものを作ってみたかった。(多分、手元におきたいと言った人は物理的な本で出版して欲しいという意味だったと思うんだけど、総ページ数が1700ページで、ペーパーバック版のページ上限を超えたので断念した。上下巻に分けたりして物理的な本もオーダーできるようにしてみたいとは思ってる。)
ちなみに、どうしても無料で出したかったから本の編集は自分たちでやった。Wordpress上でテキストベタ打ちされているレシピを構造化して、InDesignのデータ結合(Wordでいうところの差し込み印刷みたいなやつ)で流し込んだのだが、大量のレシピデータを校閲して、さらに構造化する作業にチーム3人で2ヶ月かかった・・・。
デザインだけは近所に住んでいたプロのエディトリアルデザイナーにちゃんとお金を払ってお願いした。これは大正解だったと思う。俺らが作ったらこんな旨そうな表紙は作れない。
正直、本としての完成度はまだまだだと思っている。InDesignも初めて使ったし、プラットフォームごとの電子書籍のフォーマットの違いにもウンザリするぐらいハマったし、今から作り直せばもっといいものも作れると思う。でも本の中身自体は割と自信がある。なぜなら俺はこの416レシピを全部喰っていて、大体の料理がおいしいことを知っているから。
なお一部自社商品のミックススパイスやキットがないと作れないレシピがあるが、そこは目を瞑って欲しい。ただ単純にそういうレシピを除外するのがめんどくさかっただけで、特定の商品を販促したいわけではない。
当然彼のビジネスがうまくいけばいいなと思っているし、俺がスパイスに驚いた体験を色んな人に知ってもらいたいとは純粋に思うけど、俺個人の儲けはあんまりどうでもいいというか、この文化祭の準備のワクワク感みたいなのを友達同士で楽しめればそれで十分だと思っている。(公平を期すために言うと、一応Webサイト経由でスパイスが売れると俺らに手数料が入るようになっているが、いまんとこ副業にもならないぐらいのレベルだ。)
この本が誰かにダウンロードされて、どこかの食卓をちょっとした非日常に変えることができていたら、とリアルに想像するとニヤニヤしてしまう。(なのでダウンロードしてください!w)
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(追記)
>Webのほうは各レシピに「4人分」と書いてるけど、Kindle版は何人前か書かれてないように見える。まあ全部Webと同じで4人前だと思うが
これは完全に見落としていた、、、!はい、4人前です。改訂します。
>サイトでも買おうと思ったんだけど,カレーパウダーのストロングが何かの説明がなかったり,フォントが細くて読みにくいなど,気になったので改善してもらえると,より買いやすいかも!
サイトの商品情報とかデザインがイケてないのは自覚している。ここ数ヶ月は電子書籍にかかりきりだったので、これから手をつけたい。たしかに、外部のデザイナーにお願いするのは良いアイデアかもな。アテも金もないけど検討してみます。
>PR TIMES にもガッツリ出稿してるし、なんか「増田にだけこっそり教えるヨ!」みたいな雰囲気気に食わないな
そんなつもりは無かったんだが、気分を害してしまったならすまない。俺としては、これのリリースを打ったらTVとか新聞の取材が殺到しちゃうんじゃないの??!とか勝手にテンション上がって出稿したんだが、そんなことはなくてちょっと落ち込んでたんだ。
でも1件だけWebメディアから詳しく話教えてほしいと言われてて、明日インタビューを受けるので出して良かったと思ってる。
ちなみにPR Timesは1件3万円の出稿料で、だいぶ悩んだんだけど、xやinstagramの広告出稿と見比べてコスパ的に良さそうだったから採用した。でもなぜか請求が来てないっぽいので謎。スタートアップ支援プログラムみたいなのに元々登録してて、それが延長されているのかな。(創業間もない会社は期間限定でリリースが打ち放題って言うアツいプラン。そのためだけにわざわざ法人格まで取得した)
>増田が初めてそのインド人の彼の実家で食べたカレーはどのレシピ?
>416レシピ食べた中で特に気に入ってるものとか印象に残っているものを教えて欲しい
初めて食べたのは「さわやかチキンカレー(P.410)」。
個人的には「チキンニハリ(P.142)」「牡蠣のアチャール(P.1090)」「チャナチャット(P.1458)」「ポークヴィンダルー(P.418)」「ダブルオニオンチキンカレー(ドピアザ)(P.470)」「秋刀魚のビリヤニ(P.962)」あたりが好きかな。
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実は明日、バラッツとデザイナーの人と俺らのチームで打ち上げをする予定なんだよね。鎌倉の予約の取れない(そしてちょっとお高めの)スペイン料理屋で2時間のランチコースを2ヶ月前から予約してて、だいぶ楽しみにしてたんだ。
というのも、デザイナーの人は本当にすごい仕事をしてくれたので、対価の支払い以外にもせめてメシぐらい奢りかたかったし、バラッツとも出版祝いをちゃんとやりたかった。
俺らとしては満足行くクオリティの本が作れただけで充分打ち上げするに値するなとは思ってたんだけど、ブクマカの皆んなのおかげで、さらに最高の華を添えることができそうだ。本当に本当にありがとう。
連日Xのおすすめ欄によく男女が争うポストが流れてくる。毎日何かしらの話題でもちきりになっていて、少し前は痴漢と痴漢冤罪についての論争が起こっていた。せっかくだから自分も少し考えてみようとあれこれ思考を巡らせてみたので記録ついでに公開してみます。今回は電車内での痴漢について。
私は大学生の時に2回痴漢被害に遭った。1度目は尻を触られ、2度目はブツを押し付けられたが、どちらも声を上げずにやり過ごした。大学生の間はほとんど化粧もせず、髪は雑に纏めたのみで服装はよれたTシャツに長ズボンというあまり清潔感のない格好だった。要はどんな格好をしていても被害に遭うものは遭う、ということだ。露出が少ないとか、ボロボロの服を着ているとか、どんな顔だとか関係ない。もしかしたら露出している方が被害に遭いやすいなどといった統計はあるのかもしれないが、露出を減らせば痴漢が減るのかというと自分が被害に遭う確率がほんの少し減る可能性があるだけで結局総数は変わらないだろう。極端な話、電車に乗る全員が全身タイツを着ることになったって痴漢の数自体はあまり減らないと思う。どんな服を着ていたって奴らは触ってくる。ガッチゴチに硬い服を着るとか、夏でも分厚いダウンを着るとか非現実的な話になってきてしまうので、服装による自衛はほとんど意味がないと考える。
そもそもなぜこの犯罪が成立し得るのか、その大きな要因の一つは満員電車という体が密着しやすく、人の多さで犯行の様子が周りから見えない状況によるもので間違いないのだが、では満員電車を無くそう!というのも今の社会において非現実的である。なのでこの線は無し。
ここからが本題で、だったら他の犯罪同様、「痴漢は割に合わない」という状況を作るしかないのでは、と考えた。これは
・気づいた周囲の人間も声を上げること
1.被害者が声を上げること
これは痴漢は必ず発覚すると浸透させるため。しかし被害に遭っている時点で、非常に怖い思いをしていてとても声など上げられない。言葉にできなければ防犯ブザーでもいいし、周りに助けを求めてもいい。とにかくどんな手段でもいいから被害を知らせられたら良い。
これは間違っても「被害に遭ったのに声を上げなかった人は痴漢の蔓延に加担している」などという意見ではない。また、被害者が声を上げやすいように、痴漢による遅刻などの影響について学校や会社は寛容な姿勢を取るべきであるし、「犯人にも家族がいる」と被害者に宣う警察や駅員はクビになるべきだと思う。かなり難しいけれど…
2.気づいたら周囲の人間も声を上げること
目的は上記と同じ。通報の責任を被害者だけに背負わせるのではなく、周囲の人間も協力できたら良い。直接声をかけるのは難しい・確証が持てない場合は当人や周りの人に確認を取ったっていい。そもそも満員電車で人の尻付近なんて見ないかもしれないけれど、社会全体で痴漢を許さない空気を作れたらいいなと思う。
言うまでもない。発覚したら、必ず逮捕。そして事件として丁寧に捜査をすること。
駅員が対応に追われたり、電車が遅延したりするなら、営業妨害の被害者として多額の賠償金を請求することにしたらどうでしょう。もう既にやってる?それとも法的に難しいのかしら。何十万でも何百万でも痴漢をしたら多額のお金を請求をされる、これも浸透させる。一回の痴漢で何十万は割に合わないと思わせることと駅側の対応の強化が目的。
「痴漢をすると必ずバレるし、逮捕されて何十何百万の多額の賠償金を請求される」どうなのかな。どれくらい現実的かわからないけど、こういう状況が作れたら被害が減ると思いたい。
ここまで話すと冤罪について言及されそうなのでその話をして終わりにします。
冤罪も絶対に起きてはいけない。これも警察が事件としてきちんと捜査することが第一だと思う。当たり前であるべきだけど。DNA検査とか諸々の立証方法が存在するそうなので、証拠があるからあなたを逮捕しますという流れになってほしい。被害を受けた側も、冤罪扱いになる不安があるのならスマホなどで周りの人に確認をとってみてもいいのかも。あとこれだと最初に話した押しつけ痴漢などは立証が難しいのかな…この辺は要審議。
根本的に無くすことができないのはどの犯罪も同じなので、減らすのを目的としてこうして「割に合わない」状況を作っていくしか今できることはないのかなと考えた。今の状況だとどうしても未然に防ぐのは難しいから今後の被害を元に痴漢が減っていけばいいなと思います。
意味わからんバカの主張よりAIの方が有意義な回答を得られる時代になっちまったか・・・
せっかくだから俺もchatGPTに投げてみた
この文章についていくつかのポイントに触れて意見を述べたいと思います。
筆者は、白票投票を「有効票を減らす唯一の手段」として提案しています。しかし、白票の実際の効果は議論の余地があります。白票は有効票としてカウントされないため、選挙の結果に直接影響を与えません。多くの選挙制度では、白票は単に「意思を示さなかった」と見なされ、結果的には現状維持や既存の政治勢力の力を強化する可能性があります。つまり、白票が多ければ多いほど、相対的に少数の有効票で当選者が決まり、必ずしも「NO」を突きつける手段とは言い難いでしょう。
2. 現行の政党に対する不満
筆者は自民党、立憲民主党、維新、共産党など、すべての主要政党に失望していると述べています。これは、多くの国民が抱く感情の一つであり、政治への不信感や無力感を表していると思います。ただし、その解決策として白票を投じることが本当に効果的かどうかは疑問です。政治に対する不満を解決するためには、白票よりも具体的な行動(たとえば、支持する候補者を探し出す、独立した候補を応援する、市民運動や政策提言に参加するなど)がより効果的かもしれません。
筆者は「1億人が白票を投じれば9割の国民が政治家を支持しない状況になる」としていますが、これは非常に極端な仮定です。白票が大量に投じられても、その結果として9割の国民が支持しない政治家が生まれるとは限らず、むしろ選挙に積極的に参加した少数派の意見が反映される結果になる可能性があります。
また、筆者自身も認識しているように、白票投票が常態化すると民主主義そのものが揺らぐ危険性があります。選挙は国民が意思を示す最も重要な手段の一つであり、それを無効化する試みは、結果的に政治的な停滞や無秩序を招くリスクがあります。
筆者が述べているように、「ぶち壊す」ほどの不満がある場合でも、民主主義の基本的な枠組みを壊すことは、長期的には国民自身に不利益をもたらす可能性が高いです。どの政党も満足できない場合、理想は新しい政治的選択肢を模索したり、政策討議を促進したりすることです。白票を投じることで、問題の解決が促進されるかどうかは非常に不確かで、むしろ解決を先送りするか、さらに問題を悪化させる可能性があります。
この文章は、多くの国民が感じている政治的不満を鋭く表現していますが、提案されている白票投票という方法は、その不満を効果的に解決する手段としては弱いかもしれません。民主主義においては、選挙は重要な意思表示の機会であり、白票ではなく、より積極的な参加や政策の提案、あるいは新しい政治的選択肢の形成を模索することが求められるでしょう。
先日マッチングアプリで出会った男性がちょっとした驚きだった。
彼は28歳でSE。年収もそれなり。清潔感もあって、初めて会った時の印象も悪くなかった。
二度目は飲みに行って、そのまま彼の家に誘われた。
ちょっと早いかな、なんて思いつつも酔いがまわっていたこともあって「まぁいいか」とついて行くことにした。
家に着いて、彼が「飲み物持ってくるからちょっと待っててね」と言ってキッチンへ行った。
私はソファに座って待ってたんだけど、その時点でけっこう酔ってたから、なんとなく部屋の中をキョロキョロ見ちゃって。
で、立ち上がってふらふらしながらPCデスクに近づいてみたのよね。なんでか知らないけど、そこにある引き出しが急に気になって、ちょっと開けてみた。
すると中にあったのがレントゲン写真みたいなやつ。人の横顔の骨の写真だったんだけど、もうびっくりして思わず声が出そうになった。
「え、何これ?」って思った瞬間、タイミング悪く彼がビールを二缶持って戻ってきた。
私がその写真を見ているのを彼が見て、「あ…」って、小さな声で言って、明らかに気まずそうな顔をしてた。
その後、彼は観念したのか、ビールを飲みながら自分の癖について語り出した。
彼は若い女性の骨が映った写真が好きらしい。それも、ただの興味じゃなくて、そういう写真を見ると興奮するっていう話だった。
正直、聞いた瞬間「うそでしょ!?」って思ったけど、彼は真剣に自分の性癖について語ってた。
彼が言うには、意外と同じような性癖を持つ男性は多いらしく、ネットでもそういうコミュニティがあるとかなんとか。
私は頭の中で「いや、それはちょっと…」って思いつつ、笑顔を保ちながら話を聞いてた。
そのあと彼が「せっかくだから、君の骨も見たいな」と呟き、私に壁際へ立つように言って「写真を撮らせて欲しい」って頼んできたのよ。
思わず「やだっ!やだっ!」ってクロちゃん風に断った(私は酔うとクロちゃんのモノマネをしてしまうのだ)
その後は何事もなく、私はそのまま帰った。
帰宅して酔いが冷めて冷静になると「骨に興奮するって、どういうこと?」ってなった。
性癖って人それぞれとはいえ、女性の骨に興奮するって流石にどうなの?
全然意味が分からないけど世の中には色んな趣味や好みがあるんだなぁとちょっと勉強になった。
それでも次に会うかは正直迷うよね…
https://anond.hatelabo.jp/20241002005940
演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。
それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。
夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。
「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。
「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」
先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。
「雨になるかもしれない」
「降ると困るでしょう」
「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」
「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」
三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。
「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」
「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」
「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」
「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」
また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。
先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。
さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。
「いやはいらない」
先生はまた暗い方へ向いて行った。
三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。
入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。
舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。
幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。
あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。
隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。
すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。
そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。
すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。
この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。
そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。
このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。
その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。
したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。
ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。
幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。
夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……
あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。
「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」
三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。
「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」
「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」
「しかたがないったって、いけない」
三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、
「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。
「風邪だろう」
「風邪だろう」
両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。
「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」
「美禰子さんの事を? どこで?」
「学校で」
「学校で? いつ」
与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。
「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」
「きまったのか」
「きまったように聞いたが、よくわからない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんじゃない」
「じゃ……」と言いかけてやめた。
「君、知ってるのか」
「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。
バブル経済の崩壊のちょい後にどっかの山中の混浴温泉に同期のバイク乗り仲間と入浴しに行ったことがある
目指して行ったわけでなく、たまたま通りかかった温泉にそんな浴場があり、他にちゃんと男女別の浴場もあったが、せっかくだからというので混浴露天風呂のほうに入浴してみた
プールみたいにだだっ広く白濁してる湯もごくぬるい、まぁわざわざ見られるためにこっち入って来る女性もおらんわなぁ、人生に一度だけ話のネタとして体験しとくのもいいか…と、やたらたくさん入浴している自分も含めた男どもの湯から出ている半裸を見るともなく眺めていたら、
楽しそうに連れの男と笑顔で入湯してきたその女性だが、あまりにも先に入湯していた周囲の男どもがニヤニヤと遠巻きながら凝視しているので、数分もせずしてしかめっ面で退出してしまった
っていうエントリ書いたけど、そういや「ハリウッドなのに日本の描写がちゃんとしててスゴイ!!」なことを一言も書いてなかったことに気づいた。
そんくらい違和感がなさすぎて自分が日本人だからかほぼなんとも思わなかった。
唯一あるとしたら葬式と鳥居の組み合わせを私は現実で見たことがないくらいか。
ストーリーラインの若干のリアル日本ぽくなさとかアメリカ風味は、原作からそういう筋の話なんだろうし。
まず、とある武家屋敷サイズの日本庭園が印象的になんども出てくるのだが、ふつうに美しいしそれっぽい。
岩と苔中心のお庭なんだけど、あれは日本人のセンスだと思う。なんかああいう一個高い岩を持ってくる配置って多分「須弥山」をイメージした枯山水の定番のやつで、「せっかくだから定番いっとこうぜ」という日本人の作り手の配慮があると妄想した。
衣装は海外のデザイナーさんがご自身のセンスで作られたらしく、「だいぶ現代風にアレンジしている」とのご本人談だが、自分みたいな一般日本人がみても違和感に気づけないw
あと茶室が本格的。すくなくとも私の教養程度だとミリも違和感ない。ちゃんとあのなんていうんだっけ狭い入り口…とか、掛け軸とか、お花コーナーとか、所作含めどうみても見たことあるやつ。
あとやたらNTRに耐え忍ぶ男の顔を見せつけられるシーンが多いのだが、ちゃんと日本人っぽい。
片腕で人の首切れる爺さん武将はありえるのか、とか、その場所でそうするのは「え、え、お部屋が汚れるじゃない!」みたいなケレン味は勿論色々あるが、時代劇だし。
あとすごいどうでもいいけどオープニングのミニチュア箱庭感と壮大なBGMが私の大好きなゲースロのオープニングっぽいなと思った。
この10年何やってたの???ってくらい使いにくさ変わってなくて草なのだ
サクサク度は昔より上がってるけど所々カクつくしフォントは幅狭くて見にくいしアプリも今どきダークモード未搭載多いしそりゃみんなiPhoneにするよ!!つかAndroidの設定マジ使いにくいUIでやんすなぁ!!!もっと頑張れよ!!
とりま指紋認証生きてる限りはお世話になるけどiPhoneに指紋認証戻ってきたら砂かけて乗り換えるとは思う
でもせっかくだから仲良くしたい…いいアプリない?ないか…そうか…
今まで使ってたiPhone売ろうと思ってたけどサブ機として残すことになりそう…婚約者と付き合いながら元カノをセフレにしてる感じがしてAndroidに後ろめたさを感じている…まだおニューなのに
本当はXに軽くポストしようかと思っていたが、この時代何が炎上して塵になるかわからない。
2日間に渡って行われ、よその地方からも人が集まる大きな祭り。
毎年祭りの時はその友人の家で浴衣の着付けをしてもらい、喉が乾けば友人の家でお茶を飲み、疲れれば友人の家で休憩していた。
ある年思い立った。
「外でそうめん食べよ」
ええねぇといそいそ準備をしようとしたら「せっかくだから屋台っぽい感じで食べよ!」と、自分だったか?友人だったか?言ったのだ。
じゃあ、と100均に向かい使い捨ての発泡スチロールの器を買った。
つゆを入れるのはプラスチックのコップでええやろ、ということで友人宅に戻った。
友人母に「おそうめんこの中入れて!」と先ほど買った器にそうめんを盛ってもらい、浴衣を着て友人と外に出た。
外では僅かな段差に座り屋台で買った物を食べてる人たちがいた。
自分と友人は家からすぐそこの公園(この公演も祭りの催しが多くある)で食べる事にした。
蒸し暑い中、氷の入ったそうめんを外で友人と食べるのはかなりわくわくしたのを覚えている。
そうめんを食べている最中、ちらちらと自分たちを見る人たちがいた。
時折会話も聞こえてくる。
「そうめん?」「そうめんなんかある?」「そうめん食べてるわ」「えーおいしそ」
すると年上の男女(18〜20くらいだったか?)が声をかけてきた。
「なあ、それどこにあった?」
自分と友人は、いや友人はわからないが「家から持ってきた物を祭りの中外で食べている」と言うのが恥ずかしくてつい咄嗟に「向こうの方」と離れた場所を指差した。
すると男女は「ありがとう〜!」とそちらの方向へ去っていったのだ。
たかがそうめん、それを「食べたい」と羨む人がいるのだ。お祭りパワーだ、と。
その日はそれまでだったのだが、自分と友人は味を占めてしまい「屋台にない物を家から持っていって外で食べる」というのが毎年の祭りの恒例となった。
次の年はまた素麺、次はいちごや冷凍マンゴーなどフルーツをたくさん乗せた豪華なかき氷、プラスチックの大きなコップに作ったパフェなど屋台ではなかなか見ないもの。
決まって3〜5人くらい聞いてくるのだ「それどこにあった?」
自分たちは「向こうのほう!」と遠くを指さす。
5年くらいやってたと思う。
なんとなくどちらともなく辞めて、友人の家で浴衣の着付けをしてもらう事も無くなって、大人になった。
また今度の土日に祭りがある。
祭りがくると思い出す。
今日、無印に立ち寄ったとき、せっかくだからスキンケアのジェルを買っといたよ。
https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550583924508
2290円かあ……。写真で見るともっとデカいと思ってたけど、やたらと細い入れ物で250mmのジュースの缶より小さい。それでいて2290円。これ、気軽に買うようなもんなのか。やたらと薦められてるし盛り上がってるから、話のタネに買ったけど、そうじゃないならたぶん一生買うことはないだろうな。
だって、効果があるかどうかわからないものに2290円だぞ。しかも小さいぞ。
そこでふっと思ったけど、結局俺はこういったスキンケアや健康食品にやたらと忌避感があるのって、効果があるのかわからんのにそれでいて高いんだから、騙されてる感が半端ないってのが大きいんだろうな。
このジェルを付けたら、明日から肌がツルツルになりますとか、そんなわけないんだから。
こういったものって試供品みたいなものはあるだろうど、試供品を使い切る期間で効果が感じられるとは思えん。バッチテストみたいな用途だろうしな、試供品って。
メンズのこういったケア用品には意味なくメンソールが入ってるってディスられてたけど、そういうのって効果あるのかはともかくスッキリした感はあるから、なんか短期間で効いてるように感じられるってのは大きい。でも、この効いてる感を提供してくれるのって結構大事だと思うわけよ。だって効果あるかどうかすぐに分からないんだし、
栄養ドリンクだってタウリンがどうたらこうたら能書きを垂れられるより、カフェインでシャキッとした方が効果あるように感じるじゃん。実際、そっちの方が重要があるからエナジードリンクのシェアがどんどん伸びてるわけで。
まあともかく、話のネタに2290円もするスキンケア用品を買ったんだ。少なくとも2290円分の元を取らねばならん。元を取るにはどうすればいいかというと、単純にこうして話せばいいわけで、まだ使ってもいないのにここまで話にできた以上、多少は元が取れてるだろう。
まずは現在の姿を。
https://tadaup.jp/16e20e9e8.jpg
あれから四年(もたつんかい)、病気も怪我もなく元気で暮らしてます。
以上ご報告でした。
それはそうと、
どうもこの春出産して子育て中の猫のようで、おちちが腫れていた。地域猫活動として、彼女の子育てが落ち着いたら手術連れて行こうとおもって、付かず離れずで見守ってる。
俺の地域では、猫がゴミ漁りをしないように、餌をあたえることが認められている。庭にきたときは、元ヨレ猫のえさの残りをあげてる。彼女は朝来たり、夜来たり、気分やさんだ。
ちょっと目をはなしたらいなくなってるが、餌はのこさず食べきってくれている。
そんな暮らしが1か月くらい続いていた。
そしたら、なんと、昨夜。
ようやく子猫を見せてもらえた。多少気を許したと言うか信じてくれたのだと思う。
子猫たちはあまりにも元気で、ピーピーなくし、コロコロ走り回ってじゃれあって、
可愛らしいにもほどがある。。。
昨晩きて、そのまま庭に泊まって、今朝も餌をあげて、いままでずっといる。
母親猫は、餌を食べない時間は、ずっと庭の真ん中に横になっており、尻尾で子猫をじゃらしたり、ちかよってきた子猫を毛繕いしたり、眠ったりしてる。
子猫たちはと言うと、庭で母ねこのまわりをずっと走り回ってる。たまに横になってることもあるけど、すぐじゃれあいが始まって気づいたら飛び回ってる。
4匹まとめてかわいいから、まとめて拾っちまいたい気もする。でも、大事に大事に子猫4匹をここまで育て上げた母猫から子供を奪うなんて絶対にできない。母猫ごと一緒に暮らすか…いやいや
ヨレ猫は、勝手口に腰掛ける俺の隣に座り込んで、一緒に野良猫一家を眺めている。
こいつ、子猫の頃に拾ってからずっと俺と一緒だから、他の猫となかよくやれないかも…とか考える。
しかし、ヨレ猫も、拾った頃はこの子猫たちと同じくらいかもっと小さいくらいで、餌もありつけずにガリガリだったけど、
立派になったな。いまや、自分の食べ残しに群がる野良猫たちに対し、家猫から目線で高みの見物をしている。
親とはぐれて、何色のねこなのかもわからないくらい薄汚れて、怪我だらけで、尻尾の先が3cmほど壊死していた。
いまでも途中で断ち切られたとはっきりわかる中途半端な尻尾が、もしこの子らのように親に守られて、人に助けられて、運良く先までのこっていたら、こいつもさぞや優雅なシルエットだったに違いない。
でもこの短い尻尾でも、けなげに立てたりふったり俺にこすりつけたりとじゅうぶん表情豊かだから、これはこれで愛しいし、だいじなヨレ猫の歴史の一部。
色々考えてたら増田を思い出して、久々に書きに来た。せっかくだから、キレイに撮れた写真も自慢したくて笑
庭にいる野良一家が今後どうなるかはわからんが、また何かあったら報告に来る。
https://anond.hatelabo.jp/20201227110458
【追記】
さすがに盛れすぎて美人美人言われるのが心苦しくなってきたので通常版もおいておく。
https://tadaup.jp/170036585.jpg
https://tadaup.jp/17002e843.jpg
実際増田に何をアップしてたか忘れたから同じ写真ではないと思うけど許されたい。
多分拾って数週間くらいのときかな?怪我はみるみる治ったけど、毛に絡まって固まった血とか膿とか泥とかの汚れはしばらく落ち切らんかったな〜