はてなキーワード: 都内とは
実際怖いなとは思うことはある地元民です。自転車も車も運転します。
あの記事( https://roadbike-navi.xyz/archives/40429/ と https://roadbike-navi.xyz/archives/38623/ )は駐車している車のドア開けと直前横断だけにフォーカスしてたけど、3者の視点それぞれで見て困ることがあるなと思っています。ブクマでもすでに言及されていて重複するけど、改めて書いてみます。
駐車している車に乗っている人からすると、歩道側が危険であるという認識は薄くなります。車道(ドライバー)側の扉を開ける時は注意するけど、歩道側はドアを固定物にぶつけないように注意するくらいで、あまり確認せずに開けるんじゃないでしょうか。さらに、後部座席から歩道側に降りる人は、子供も含めて運転しない方も多いはずで、猶更そちらに意識が向きません。当然、歩道側から車に向かうときも同様で、車道横断ほど注意を払わないはずです。ドアを開け放す以外にも、積み込みのためにレーンに立ったり荷物を置いたり、植栽の切れ目に移動するためにレーン内を後方確認せず歩く人もいます。
走行している車からすると、死角が増えます。駐車している車と歩道の間を、ある程度速度を持ったものが走ってくることを想定しない人も多いはず。大きい交差点なら視界が開けることである程度軽減されるものの、脇道への進入時は、歩道より一歩手前で確認する必要があります(イメージ: https://goo.gl/maps/ECFMNGUb3e31CPfr6 )。 正規の駐車枠はそれを意識してか、交差点より手前の設置にとどめているものの、その先に枠外駐車があると死角が強化されます。私有地への入口だとそこまで猶予が設けられていないケース https://goo.gl/maps/VRcCqmZy5BmZtDcS9 があったり 、安全を意図してか駐車枠が設定されていない地点にて地元町内会がレーン外駐車を呼びかける例 https://goo.gl/maps/rnxYjsQCHM6V4fzYA もあったりします。
自転車側から見ると、走行中に右前後方の視野が制限される、右方向への移動(回避行動)が制限されるということが他とは異なります。低速なら大丈夫という声が散見されますが、電動アシストのママチャリで 15km/h で走行してたら、突然のドア開けや横断への対処には急ブレーキしてもギリギリ。夜や雨だとさらに厳しい。また右後方から接近する車・前方から右折しようとしている車が見えないことがあるのはなかなか怖いです。安全に走るなら、前2項の心理を想定して警戒走行し、レーンをふさぐ駐車がある場合は車線に出るか歩道に上がるか総合的に判断することが求められることになります。
何度か通行し、このあたりの特徴と対策を把握できていると、より安全には走れると思います。逃げられるなら避難先としての歩道も比較的広いですし。通勤に使っている方のインプレがさほど悪くないこともそのあたりが理由ではないでしょうか。ただ、各利用者が傾向を把握できないうちは、ヒヤリハットや事故は起きる気がします。他の設置例と比べて、事例が多いか少ないか、事故が起きた際の深刻度がどうか、などについてはわかりません。
「自転車レーン」というものが場所ごとに異なるので、設置個所ごとに異なる対応を求められるのも悩ましいです。ここ以外のパターンを覚えているものからいくつか例示。
https://goo.gl/maps/cxq1SXkFVieCmpqZ6
https://goo.gl/maps/WZjUtdsbD1wN3smz5
https://goo.gl/maps/SDZu8pxvcXV6RJi48
https://goo.gl/maps/ouMPEo1fpnduVDWX9
自転車での通り方が初見殺しである例は、自転車レーン、または都内に限った話ではなく、数多くあります。
二重左折レーンが設置されている場合の安全な直進方法がわからないことが多いとか。安全に右折するなら下車して歩道橋を渡らないとダメだけど、車道から歩道に上がれない構造になっているとか。
23区在住子持ちだが、都内で車を所有するということに経済的合理性はないと判断して、趣味の車(NDロードスター)を乗ってるよ。
ファミリーマンションの駐車場のミニバンやらSUVを乗っているおっさんを横目に、自分のドライブや、奥さんと買い物や子どもの塾の送り迎えならロードスター。
男がどうやったらモテるのか知らんけど。
工学部卒の都内IT職だからチー牛と言われる人との関わりは多いと思われ。
なんか前Twitterで、告白は両思いほぼ確定でお互いの好意の確認作業って言ってる人いたんだけどこれは当てはまってると思う。
1:1で遊ぶにしても相手が自分に好意を持ってて誘ってるのか普通に友達として誘ってるのか結構わかる。
恋愛的好意がない人に恋愛的好意を向けられてののデート誘われるとうわ~どうしよ……ってなる。最初から微妙気持ちで行ってるから、ほぼ負け戦みたいなもん。
両思いほぼ確定だったらなんかやらかしたとかじゃない限り微妙な雰囲気になることはないと思うし。
街コンは恋人探しに来てます!みたいなギラギラしてる人思ったよりいなかったよ。時間決められてて席移動する形式とか、ほぼ立食で好きに会話してペア作る系のゲームがちょっとだけあるのとか、クラフトビール飲み比べできるとか、オタク限定とか色々あるから自分に合う形式のところ行くといいと思う。私は恋愛する気無くて友達に誘われて行ってたけど、男女共に友達結構増えて、その友達にさらに友達紹介されて仲良くなって~とかあった。
チー牛だから好きになって貰えないってことは無いと思う。
私の美人の友人が自分より背が低くてイケメンでもない人と付き合ってて長いんだけど、どこが良かったのかきいたら、色んなことをちゃんと努力して考えてきて、自分の意見を持った上で私の意見も聞いてくれるところって言ってた。実際相手の性格とかはめちゃくちゃ良い。
私の好みはイケメンでマッチョでアホの子みたいな人なんだけど、今付き合ってる人は30数年間彼女なしで、女友達も男友達もそんなに居ない人だった。顔もあまり良くないし愛想も良くない。ガリヒョロ
社外のIT系イベントで顔合わせる機会が何度かあって技術に対するひたむきさとか、雑談は壊滅的にできないのに技術の話は一生懸命話すところとか、ちょっと情けないところが可愛いなと思って惹かれた。
自身の性格とかがかどこの誰にどう刺さるのかわかんないから、出会いの場を広げる方が好意を持ってもらえる確率はあがるんじゃないのかと思う。
都内在住
実用性観点から嫁にノアヴォクを猛プッシュされているがどうしてもミニバンは好きになれない
2ドアは諦めるにしてもクロストレックあたりじゃダメかなぁ・・・
ちなみに嫁がノアヴォク推しなのは単に最初に試乗したのがノアヴォクだっただけ(BRZと比較したらそりゃそうなる・・・)で主張としては以下の二点と理解している
まあミニバンの形が嫌いで愚痴ってはみたけど、実用性に関しては増田自身スライドドアが一番だろうと考えているところはある
とはいえ狭い駐車場の場合は広いとこ移動してから嫁と子供乗り降りさせれば・・・という思いもあり一応SUVも候補に入れているけど、ミニバンよりはマシってだけでどうしても乗りたいSUVがあるわけでもない(別にスバリストではない)ので、十中八九ヴォクシーかフリード辺りに落ち着きそうだと考えている
アルヴェルは絶対にないです
子ども作った側のエントリもあっても良いかもねと思った。文字書くの苦手だから箇条書きでごめんね。
前提:
・高卒から働いてるから十分に手に職があるし、一時的に仕事を離れることに不安はない。(多分戻れる)収入が減っちゃうのは寂しいけど、別にプライドもないからパートやバイトになってもいい。前年度の年収は都内で450万くらい。
・上昇婚をした。夫の一馬力で食べられるくらいにはお金がある。
子供を持とうと思った背景:
・夫のことを天才だと思っているので、夫の子供が欲しい。私は頭が悪いので、夫の子供が育ったら多分それが人生で生産できるものの中で一番価値が高いと思う。夫も子供が欲しいっぽい。
・夫婦間の束縛や生活へのこだわりが弱いので、子供を持ってもそこまで面倒事にはならなそう。
・世の中ごたごたしてるけど自分の家族と自分の子どもが幸せになるための努力くらいはできるかなという根拠のない自信がある
・つわり辛い。
・分娩怖い。
・なんかお金もかかる。
→まぁリスクは削れないんだけど不安の半分はお金で解消されるのでお金がある相手と結婚するのが早いと思う。結婚相手は選べる。
今後について:
・希望としては2人くらい欲しいけど、今お腹にいる子の性質次第とも思う
・価値観と前提条件が違いすぎるから、そうならそうなのかもねーと思う。
・実際妊娠自体はダルい。人工子宮とか欲しいし、妊娠しなくても実子が持てる男の人はいいなー羨ましいとも思う。交代で産めるなら交代制にしたい。でも結構辛いから、こんな可哀想なことを夫にさせられないかもしれない。
・妊娠/出産/乳幼児の一連の負荷が激しすぎるから子ども欲しくないっていう理由は超わかる。
・夫が仕事を大分頑張ってるからこそ上の負荷が許せてる気もする。
私は借り主でアパートに住んでるんだけど(都内と考えて良い)、一方的に「賃貸借契約の解除」とかいう紙が一枚届いた。この書面の通知をもって解約するとのこと。
借り主、貸主、双方とも一方の都合で解約できる。
軽くググった感じだと『退去日の6カ月以上前に借主に連絡』となってるから180日なのかな?
一方的に書面で通知したら契約解除!みたいなのってこういうものですかー?
ついでに立ち退き料請求するなよみたいなのも書かれてる。これは多分請求できる無効な契約条項かも知れない。
解約理由は老朽化による建て替えとなっているけど、確かに古い建屋だけど生活が著しく困難になるといった問題は特にない状況で、値段相応の物件て感じです。
毎月賃料は払っててなるべくトラブルも避けてきたつもり。
都内在住世帯1000万でも子育てはきついって聞く気がするけど、世帯400万のうちはどうなるんだ。旦那は今働けない状態で私が1人で稼いでる。
子供欲しい欲しい言ってるけど、世の中的にはありえない選択なのかな。子供産まれたら育休短めで、子育ては旦那に任せて早めに復職するつもりでいる。
なんとなくタイトルだけ真似てみた。
ずっと車を所有していたが3ヶ月前に手放して、いまはカーシェア生活をしている。
親の介護費用がかかるようになり、教育費もあり、ローンが残っている戸建をなんとかする必要があり、小さいマンションに住み替えた。
車を使う頻度は年々減っているので駐車場代>カーシェア代 くらい。長期休みがある月は倍以上になるだろうが
あと車検費用、車両保険、重量税、ガソリン代、オイル交換やタイヤ交換などの維持費を考えなくて良くなった。
デメリットはもちろんある。
乗る前に予約する煩わしさ。休みの日は早く予約しないと車がなくなる。我々のような人たちは増えてるんだろうね。
だから毎回同じ車には乗れない。新しい車は少し戸惑う。車に私物をおいとけない、計画的に返却しないといけない、など、慣れないうちは面倒くさい。
返却時間に無断で間に合わないことが何回かあると強制退会させられる。すでに1回やってしまった。
まれに前の人のゴミが車内に残っているときがあるので、潔癖症の人は難しいだろう。幸いそんなに潔癖症ではない。
手放す前はもちろん悲しかったけど、でも経済的な重みから解放された安心感は大きい。
ないならないなりに楽しむほうが精神的によい。
自分は長年、壊れない傘を収集し続けているけれど、本当に壊れない傘はまだ見つからない。
senz° や、BLUNTが、耐風傘と称して売っているが、台風には耐えられない。
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
郊外の研究所に車通勤をしていた親父は、最初にミサワホームの注文住宅の一軒家を買った時、今の俺と同い年だった。軽く年齢計算して衝撃を受けてる。
その家に10年ぐらい住んだあと、家族やライフスタイルがまた色々変わって転職でキャリアアップ後、上手く手放して今の都内の家へ引っ越したから、まだそこに立ってるってことしか今はわからんが。
子どもの頃、会社ってプールやテニス場があってこんなに広いんだって憧れを抱いてたけど、社会人になってからそんな会社、1社も出会ったことねーよ……あ、和光に面接行って爆死したとこはそうだったな。