はてなキーワード: 都内とは
都内の持家に80歳近くのお母様と二人暮らしの、50歳の会社の人から付き合って欲しいと言われました。これはつまり「飯炊き介護要員」になってほしいと言われているんだなと理解しました。
その人の見た目は普通の50歳のオジサンです。周りの噂では×なしの未婚のようです。
これまではすれ違えば挨拶する程度で、直接一緒に仕事をしたことがなく性格もあまり知りません。悪い人ではなさそうとの印象です。最近会社のイベントで2,3年ぶりに話をしました。そのときに軽いノリで飲みに誘われ、その飲みの帰り際に言われました。
私は42歳です。取柄は元気と明るさだけで、性格は勝気でキツイ方です。社内には私よりもっと優しくて気遣いのできる同世代の独身女性もいる中で、なぜ私?と疑問に思います。
私はこのまま一生おひとり様ででもいいと思うくらいに、結婚はしない方がましと思わせる父親の下で育ちました。しかし、賃貸住まいで帰れる実家もなく、定年後を考えると不安な面もあります。
なので、結婚への最後のチャンスだろうから試しに付き合ってから考えるのもありではないか、父よりもまともな人なら共同生活ができるのではないか、と考え込んだり。
いやいや、そもそも恋愛感情もないのに「飯炊き介護要員」は問題外でしょ、と思い直したり。
そこで、付き合う前に、もしくは付き合っていく中で確認しておいた方がいいことをお聞きしたいです。
いずれ同居・介護が必要になるのは承知の上で、こちらの条件を一つ上げるなら、結婚後も会社は辞めないということくらいです。
宜野湾市の松川正則市長が、公務出張先の東京・港都のホテルで死亡しているのが見つかりました。
松川市長は24日に東京に入り、普天間基地の跡地利用促進や予算措置などを関係省庁に要請する公務を予定通りこなしたということです。
きのうまでに、体調が悪そうだったといった情報や、持病があったという話も聞いていなかったということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9eac51df88972d449c7c678e2d102efae08f4331
2024/07/04 — 米兵による性的暴行事件を受け、宜野湾市の松川正則市長は3日、外務省沖縄事務所と沖縄防衛局を訪れ、抗議、要請した。
https://news.livedoor.com/article/detail/26857325/
準強制性交の疑いで逮捕されたのは、都内の病院に勤務する麻酔科医、佐藤和貴容疑者(33)です。佐藤容疑者は去年6月、飲み会で知り合ったばかりの30代の女性に睡眠薬入りの酒を飲ませ、抵抗できない状態にしたうえで港区のホテルに連れ込み、性的暴行を加えた疑いがもたれています。警視庁によりますと、佐藤容疑者は友人らと渋谷区のカラオケ店で飲み会中に、女性の目を盗み、酒に睡眠薬を入れたとみられています。
先日、患者さんが病室で息を引き取りました。ご家族に囲まれながら、亡くなりました。
入院中、ご家族はよくお見舞いに来られていました。男性は独身だったようで、お見舞いに来るのは高齢のご両親と、ご兄弟、それに親戚らしき中年の方も数人お見えになっていました。
病室からはよく、励ましの声が聞こえました。
「まだまにあうよ」
「はやくおうちにかえろう」
「こんなところでしぬのはゆるさない」
当然、ご家族は男性の命が残り少ないことはご存知だったと思います。
それでも、賢明に語りかけていました。
男性は精神的に不安定だったのか、「帰らんと言ってるだろ!」と何度か怒鳴っていたのを憶えています。
「もう、放っておいてくれ」とも言っていました。
いよいよという頃になると、ご家族は男性を家に帰したいと、医師に相談するようになりました。
ところが、本人が頑なにそれを拒んだのです。
先生には、そう強く訴えていたそうです。
ご臨終の日。
かろうじて息をしている状態で、既に会話は無理でした。
病室には、ご家族だけを残して、最後の時間を過ごしていただきました。
「まにあわなかった」
「このできそこない」
「こんなはずかしいしにかたしよって」
「せっかく、おのぼりさんになれたのに」
ぺッと音が聞こえました。
なんという無理ゲーなのかと悟ったね
奨学金の返済、スマホ通信料、PCのローンは必ず出て行く、これで2.5万
あとは食費を2.5万以下にする必要がある
→カレーを大量生産せざるを得ない、でもこの時期腐るし量食べないからレトルトカレー
→そんなに安くない
→ひもじいので新しいクレジットカードを作って10000ポイント獲得(1万円相当)
外食は無理
→無理外食できない
遊びに行けない
→かなしい🥲
元増田も言ってるけどやむをえない場合だったんじゃないのかねー?
東京から関西まで運転できる人かもわかんないし(都内だと運転免許持っててもほとんど乗らないから怖くて乗れないとかいう人多い)
調べてみたら片道20万くらいらしい。往復で40万か。
(ちな新幹線だと大人二人で26,000円くらい。往復で52,000円くらいか。)
そんで周りにもさんざ気を遣ってるし
それでもどうしようもない状態で追い打ちかけられるのつら…っていう話だと思うけどな?
全然子供を放置させろって話でもないし開き直ってもないと思うけど。
増田のお子さんは2歳でも新幹線ちゃんと乗ってられたのかなあ。
あるいは自家用車で遠出できる人だったのかなあ。
でもそうできなかったら遠出はしちゃダメってことなんだろうか。
都内で年収800万くらいじゃ、確かに厳しいよな。一人暮らしでも贅沢なんて到底無理だし、家族3人を養うなんてほぼ不可能に近い。
もっとまともな政策を打ってくれないと普通の人間は生きていけない。
それに、女性がいろいろ無駄にお金を使うから家庭の財布も苦しくなるんだ。
30代男性、妻と子一人
2歳の息子が絶賛イヤイヤ期
【何があったか】
親戚のお祝い事があり家族で帰省してたんだけど、もう最初から嫌で仕方がなかったのが電車移動。
息子がとにかく動き回りたい、じっとしているのが嫌な時期で、泣く喚くは都内の電車移動で経験済みだったのと、平日朝の新幹線なんて、会社員が寝てたり仕事してたりで、子供の泣き声が悪目立ちするんだろうなと思ってた。
新幹線では案の定ギャーギャー騒がれてしまい、じゃあー少し歩くか、なんて通路からデッキまで歩いてみたりするも、今度は「席に戻りたい!」と主張が二転三転。お前は何がしたいんや。
通路の反対側でパソコンで仕事してる風のイカついおっちゃんから睨まれ、「すまん、けどしゃーないんや」と思いながら、精一杯のパフォーマンスで息子に対して「シーだよ!」「またデッキに行こっか?」とかやってた。
で、最寄りの新幹線駅に着いて這々の体で私鉄の特急に乗り換えたら、あら素敵。席がガラガラじゃないの。しかも他にも夏休みだかで家族連れもチラホラいるし、これはまあ、多少泣いてもなんとかなるんじゃない?みたいなことを夫婦で言ってたところ、ここで息子が一旦ご就寝。
寝よった!ええやん最高やん!このまま寝といてくれよ!とか言って、なるべく息子が寝やすい姿勢を探しながら我々夫婦も束の間の睡眠休息を取っていたものの、あっさり20分で息子起床。なんか寝足りなかったのか起きた瞬間から泣いてるし。つら。
「眠いならもう少し寝ててもいいんだよ?」とか「ほら、お外見て!お山が見えるねえ(なんでもいいから琴線にふれろ!)」みたいなことを言ってもダメ。
あーあ、みたいな感じで夫婦ともに放心状態になってるタイミングで、ちょうど車掌が席にきたので、特急券の確認かしらと思い切符を出そうとしたら、
「あのー…他のお客様もいらっしゃるので。難しいとは思うんですが、お子さんのお声を、まぁ難しいとは思うんですが、なんとかしていただければ…」
ガーンですよ。なんだろう、一瞬で
「まあーそうだよね、うるさいよね」
「いやけど、なんとかしようとしてたんだけどもできてないという過程を経て今があって」
「いやいやしかし、今この瞬間は”子供が泣いてるのに何もしてない親”感が出ちゃってた?」
「他の乗客からクレーム入ったか?あんまり人乗ってないけどとこから?」
みたいなのが頭の中を駆け巡って、
「あっ、子供の声を小さくすればいいんですよね?分かりました分かりました、小さくしますね!」
と、できもしないことを車掌に対して口走り、車掌が居なくなってなお泣き喚く子を抱きかかえてデッキに行くと、なんか席に残してきた嫁さんが泣いてるのがデッキからちらりと見える。ええ…そこで泣くんかい…。
嫁さんに後で聞くと、混乱してたらしい。同じく混乱はしてたけど、泣くなよマジで…。
ちょっと嫁さんに引きながら、結局特急に乗ってる間、1時間ずっとデッキで息子を抱っこ。
なんとなく車掌が憎くなり、くそーとか思ってたらその車掌がデッキまで来て「どうぞ!」と息子に電車のシールをくれる。こんなん好きやん子供って。憎しみすら持たせて貰えないというのか。
ちなみにその時に車掌に聞くと、乗客からのクレームは無かったらしい。本当か分からないけど。
多様性の世の中だし、子供の泣き声くらい許される時代になってきてるんじゃなかったっけ?
でも、子供の泣き声が嫌な人の気持ちも認められるべきもの、ってことになるのか?
いや、そもそも大人の都合で子供を連れ回してるんだから自業自得だわ。
そんなこと言ってたら冠婚葬祭に出れないな…。
もし、あなた自身が辛いようであれば別れても仕方ないと思います、家族や子供であれば縁を切る事は難しいですが
もし恋人がADHD・ASDなどで異常なこだわりや癇癪を起こしてもあなたが原因である事は低いです。
恋人がADHD・ASDだから別れた、と言われても、私はたぶんあなたの事は責めません。
耐えていても良い事は正直、ほぼありません。私の場合は殴りそうになりました(殴ってません)
あれこれ素人が工夫(本読んだり、生活の工夫etc)しても意味ないです。薬を飲んでもらいましょう。
効果がなくても、薬を飲んでもらっているだけでも、少し救われます。
大人のADHD・ASDを都内でかかりつける場合は通院開始まで2ヶ月かかると思ってください。
チー牛過ぎてワロス
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7eb17a6ac143e2217a4d29dffb391a0095c0c89/images/000
警視庁捜査1課は’22年4月2日、都内の小学校に勤めていた河嶌被告を強姦の疑いで再逮捕した。河嶌被告は同年2月から3月にも、勤務する学校で女子児童が水着に着替える姿をスマートフォンで撮影したとして2回逮捕されている。
「’21年11月、不審に思った女子児童から学校に相談があったそうです。学校は警察に連絡。河嶌被告の自宅を家宅捜査すると、スマホから女児を盗撮した写真や動画が20点近く見つかった。他にもスマホには、インターネットからダウンロードしたと思われる児童ポルノ画像が1000点ほど保存されていました」(全国紙社会部記者)
盗撮被害にあったのは、いずれも河嶌被告が担任を受け持っていたクラスの女児だった。
「河嶌被告のわいせつ行為は、それだけではありません。以前勤務していた小学校でも、女児をヒザの上に乗せたり、身体を触るなどの行為を繰り返していたそうです。河嶌被告の行動は学校でも問題視され、TBSの報道によると’17年に3ヵ月の停職処分を受けていたとか。ただ事件性はないとみなされ、当時、警察には相談していませんでした」(同前)
「事件が起きたのは’12年5月です。自身が勤務していた小学校の元教え子のAさんを埼玉県内の知人宅に呼び出し、性的暴行を加えたとか。河嶌被告は、こう言ってAさんを口止めしていました。
逮捕のキッカケとなったのが、河嶌被告の自宅から押収したパソコンです。内部には、少女を乱暴した時に撮影した動画や静止画が保存されていました。逮捕容疑となった事件以外にも、少女は複数回性的暴行を受けていたようです。河嶌被告は調べに対し、『事実関係について何もお話しすることはありません』と供述していました」(同前)
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。