はてなキーワード: 蛇足とは
10秒クリック、年収2年分チャージ。これが完璧に成功すればもう二度と労働に縛られない人生が待っている。手に入れた時間で好きなように人生を生きよう!「俺は実はいつでも辞められるが?」を精神の支えにして普通に働いてもいいし、趣味を仕事にするべく創作活動にのめり込んでもいい。不安から解放され、自由を手にしよう!(ただし勝利者に限る。) 「タイパ」の究極系は「注いだ時間以上の時間を得ること」であることに異論があるものがいるだろうか?(いや、いる。なぜならここは天邪鬼の集まりだから)。
成長型ゲームの根源、本懐、トロ、ミソ、核、爆を超高速で味わえる。数字をインフレさせるだけのゲームのガワを剥がした内側にあるもの、その楽しみ、成長曲線、苦行、カタルシス、味変、ルールチェンジャー、あらゆる要素を駆け抜けていける。そして訪れる静寂の如き、飽き。引き際の悟りと深みへの誘いが波のように交互に打ち寄せる。沼に飛び込みたい気持ちをグッと堪えてデータを削除したとき、きっと君は「何百日とプレイしてしまったソーシャルゲームを手放した直後」のような開放感を味わうだろう。そうだ!盆栽の最大の楽しみはそれを捨てた直後に訪れる!いくつものクローンがあるが、本質は本家が極めているので本家以外を遊ぶ意味はない。人生をドブに捨てたいなら別
この世界で一番楽しいのは可能性を空想することだ。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザの謎。現実世界において完全でないものこそが脳内において真に完全へと近づける。βテストや体験版で「このバグ強すぎるー!!」と暴れまわったり、他ゲーの経験を活かして初心者を狩ったり、ないしはそういうスマーフ野郎半チート野郎を囲んで叩く自警団を気取ったり、βの自由な世界にしかないモラトリアムな楽しみが確かに存在する。そしてなにより無料だから人口密度が高く、ネットで皆でワイワイするのも楽しい。「これって製品版ではさ~~~」「いやいやこれは~~~」で無限に語れるぜ!未完成!それは可能性!十で神童、十五で才子、二十過ぎればセンター試験の点数をいつまでも自慢げにSNSに書いてるちょっと可愛そうな人と古事記にも書いてある。
きっと きみたち は もう わすれれて いるだろう。 人差し指だけで 必死な顔をして 一文字ずつ丁寧に キーを叩いていたあの頃を。 タイピングゲームがなければ僕たちは今でも そんな状態で毎日インターネットをやっていたかも知れないんだ。 そしたらブクマで100文字打つのだって 余りにも大変で全く楽しめなかったんじゃないだろうか? コンピューターを使った仕事につくことなんて想像もできないぐらい ただキーをタイプするだけのことがしんどいまま人生を生きていたんじゃないか? マジでちゃんと感謝したほうがいい。タイピングゲームでひたすらキーを叩きまくった時間は決して無駄じゃなかったと俺は信じているぞ。
2画面にして映画やYoutubeを見ながらやれば、運動しつつ動画を見ているので実質時間消費0で運動が出来る。あまりにも圧倒的パフォーマンス。圧倒的すぎて蛇足にならない言葉が思いつかないほどだ。
やってしまえ。どんなゲームなのか気にしてる時間が無駄。やってみれば分かる。体験版でいい。とにかくやれ。脳のリソース管理的にも。
一作だけならガチってもいいっぽい空気があるので一作だけガチらせてくれ。このゲームは本当にタイパがいいんだ。名前の通りちょっと短いハイキングをゲームの中でするだけ。でもそこにはゲームというものの楽しみが詰まっている。箱庭の中で圧縮された個性豊かな人々の営みがあり、世界には相互作用が働いて、それぞれの人物に物語がある。小さな冒険を通して少しずつ成長する主人公。少しずつ操作が熟達するプレイヤー。軽やかで気持ちのよい成長曲線。少年時代を思い出させるスピードで次々に広がっていく世界。刺激される想像力が解法を閃かせ、世界の謎が次々と解き明かされる。挑戦する楽しみ、成長する喜び、小さな友情、時には挫折、そして再挑戦。人生という苦行の中から光り輝くものだけを集め直した生きる喜びの宝石箱。たった2時間程度でたどり着けるエンディングなのに、確かな満足感と高揚感を感じるのは、冒険に求めていたものがこの温かな箱庭の中に詰まっていたから。
生きていれば色々と出来る。何でもは出来ないけど何かは出来る。死んでしまうと何にも出来ない。死後0秒から人間はもう何もできなくなる。生きてさえいれば、空想を広げるぐらいのことは出来る。人生のあらゆる場面が時間消費型のコンテンツなわけだからして、とにかく生きていなければ何も始まらない。一見すれば生きることのタイパがどんなに低くても、死のタイパは0なので相対的には圧倒的に生きることが勝るのだ。生きろ。まずはそこから全てが始まる。
例の客、あえて車椅子席のないグランシアターで見る理由が「見たい作品がグランシアターでしか上映していない」だった。
それで例の問題が発生して以降は、シアタス調布の上映スケジュールが調整されて1日1回しか上映のない作品はグランシアターを使わなくなった。
なので「車椅子のお客様は車椅子席のあるスクリーンの上映回を見てください」と案内ができるようになった。
これは十分に「合理的配慮」を達成してると思う。
蛇足でいうと、グランシアターってコロナ以前は人気作とかデート映画みたいな作品用に使われてたのが、
コロナ以降は人気作はでかいスクリーンでヘビーローテするようになったので、
クレカに興味なくてずっと年会費無料のイオンゴールドと楽天カードで生きてきた。
ガジェオタなので恐らく平均よりかは買い物はする方だと思うけども富裕層でもないので決済枠も2つのカードを足し合わせれば困ることはなかった。
正確には枠足りないときがあったが電話したら大体2倍まで広がるので困らなかった。
おじさんで友達もおらずコロナの時に病んでから金だけ溜まることに虚しさを感じたので少しだけ吐き出すことにした。
プライオリティパス?ディズニー?というくらいにプラチナカード界隈をしらなかったが、コロナ禍になったとき職場の人からプラチナカード(のキャンペーン)がアツいと聞いて調べたらだんだん興味がわいてきた。
数年かけて興味本位でいろいろ申し込んでみた。時間がかかったのは調子に乗って申し込みすぎて審査通らないカードがあったりしたから。
YouTubeで特典使い倒したりポイ活やってる人おおそうだけどみんなよーやるわ。自分はT&Eを楽しみにたいと思う気持ちと一人だと行きづらいというのが両立してしまっている。
・アメックス(ゴールド)→プラチナじゃないんかい!というツッコミはなしで。。。
蛇足:NISA用に三井住友カードプラチナプリファードも持っているがこれはプラチナカードでいいのかな?
めちゃわかる。
自分は4浪して東京藝大入って、絵の先生とかもやった(大学入試共通テスト/センター試験を5回受けたので、ガチの4浪)。
「絵が上手いですね」って言われることもあるし、「どうやって上手くなったんですか?」「生まれた時から才能ある人は違いますね」とか色々言われてきたけど、絵のうまさについて言及されるときに、まず最初に言うことがある。
「楽器や運動と同じで、小学校に通うくらいの年月、朝から晩まで毎日ひたすら鍛錬しました」「4浪してる間、受験をサポートしてくれた両親に感謝しています」
相手が子供だろうが、必ず「鍛錬」とかそれに類するワードを使う。「絵を描いてた」だと趣味的なイメージしかできない人がいて、「努力していた」のが伝わらないから。
仲が良かった後輩が先に藝大に受かってしまった日に、死ぬほど悔しくてそれまで描いたデッサンを全て破り捨てた日の話とかもする。
「ずるい」って言うタイプの人は、そこで「鍛錬…!?才能じゃないの…?」って思うのか、単に青春を鍛錬に捧げた狂人が目の前にいると思うのか黙る。
子供が美大志望の親御さんは、才能が不要であることに安堵したり、逆に覚悟が決まるっぽい(流石に少子化のこのご時世に4浪は稀だとも伝えるよ)。
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思えば、音楽や体育の授業と違って、小中学校では具体的な技術を教えるわけでもなく、なんとなく巨匠の絵にふれつつ「のびのび絵を描こう」みたいな雰囲気に終始する。
そのせいなのか、美術だけは「生まれ持った才能」みたいな神話があるのかな、と漠然と思うことがある。
スポーツ選手や演奏家みたいに日々の鍛錬が肝要だし、めちゃくちゃ上手くなるためには血の滲む努力が必要なのは一緒なんだけどね。
あ、蛇足だけど、絵を教えてたこともあって非常に稀に「才能がある」子にもたまに遭遇します。
ただ、そういう子は、とてもピンポイントで使いどころが限定的なPERKを、生来のものとして持ってるってイメージ。例えば「目の前のものの色だけは、正確に捉えられる」とか「目の前のものの輪郭だけは、画面上に正確にコピーできる」とか。
結局そういう「絵の才能がある」子たちだって、他の要素はまるっきり素人なので、絵が上手くなるためには鍛錬が必要なんだよね〜。
ゲームと同じで、漠然と「なんかすごくつよい」みたいなPERKがないのと一緒。「絵が上手い」みたいなPERKは存在しない。
(自分は生まれる時に、絵に関連するPERKを一つも選択しなかったらしく、ひたすら努力で全てをカバーした)
ともあれ、両親には今も本当に感謝してるし、当時頑張った自分にも感謝してる。あそこで努力を怠って合格しなかったら、全然違う人生歩んでただろうな。今はあんなに努力できないや。
https://anond.hatelabo.jp/20240411140010
上記の増田の追記で、私(id:hazlitt)のブコメに反応されたようなのでお返事を書いておく。(記載されたはてなブログによると増田は id:hotelsekininsya)
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
→ 誰でもタダで読めることは勝手に翻訳を配信していい根拠にはなりませんよね。インターネット上にはたくさんの無料公開されているコンテンツがありますが、誰でも好き勝手に翻訳公開してもいいんですか?
→ 機械翻訳サービスを提供することと翻訳したコンテンツを配信することは、コピー機を置くこととコピー本を配布することくらいの違いがあります。貴殿の主張は「図書館に行けば誰でもタダで閲覧できる本を備えつけのコピー機で複製して配布することは問題ない」と言っているのと同じです。
→ たとえば米国におけるフェアユースでは通常「著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性」という要素が勘案されます。貴殿の掲載している「翻訳」は本当にフェアユースに該当しますか?
→ 「単なる情報の提供」のために事細かな翻訳が必要ですか? たとえば議論に必要な部分の要約や抜粋ではダメですか?
→ 当方の曲解かもしれませんが、善意のボランティアだから多少は他者の権利を侵害してもよい、という態度は危険だと思いませんか? それから、 誰がどう「利用」するかとは関係なく、翻訳を提供することにはそれ自体価値があります。その価値を提供する対価は、通常であれば翻訳に関する契約などを介して原著者や翻訳者に還元されるものです。貴殿がボランティアで無料の翻訳を公開することは、本当にその還元されるべき対価を損なっていない(将来もその可能性がない)といえますか?
→ 許諾を得てないなら、たとえば全文そのままの転載ではなく要約にすればいいだけです。その方がよほど日本語読者には有益なのではないでしょうか。
蛇足ですが、世の中の研究者や記者やその他の文筆家は言論のプラットフォームを毀損しないためにいろいろルールを守りながらやっています。匿名だろうがボランティアだろうが、ネット上に何かを書くことは立派な言論活動ですので、「勝手翻訳がダメならネットから去って絶望する」などという認識はちょっと安易に過ぎる気がしなくもないです。(なお「ネットから去る」場合は権利侵害の疑いのあるコンテンツをきちんと削除してからにしてください。そうでないと未来永劫、有害なコンテンツとして残ってしまいますので)
バブル崩壊が1991年から1993年らしいので、ちょうど高校生のときに崩壊した形。
就職氷河期が1993年から2005年らしいので、まさに就職活動を行う時期丸かぶりですね。
そんな自分からすると、当時の同級生はまじでクソみたいなやつしかいなかったよ。
偏差値低めの都内私立という受験戦争の負け組しかいないような学校だったからほかよりも傾向が強めだと思うけど、でも、それっていわゆるボリュームゾーンでしょ。
とにかく世の中舐めきってて、労働なんてバカがやるものだと本気で思ってるような奴らばかりだった。
たいして勉強もせずに、その結果定員割れしそうな郊外の大学に通って、当たり前のように就職に失敗して、実家ぐらしで楽そうなバイトばっかりして、語る夢ばかりデカくて。
本当にそんなのばっかり。
今考えればそんなのでうまくいくわけないのは当たり前だけど、当時はそういうやつらがうまくいく姿を嫌と言うほど見させられてきたからね。バブル期の先輩たちに。
だからって仕方がないとは思わないけど。
土木とか、仕事選ばなければいくらでも稼げる仕事はあったのに、どうにもそういう仕事は死ぬより辛いらしい。
肉体的にどうというより、そういう人間をしこたま見下していてそういう仕事をすること=死ぬことみたいな変なプライドがあった。
一度聞いてみたかったけど、就職氷河期世代の人間で、こういった肉体労働に携わってみた人間がどれくらいいるんだろう。
そのうちどれくらいの人間が、ブラック労働やハラスメントを理由に辞めた?
それって、そこで折れてしまうのが自分自身の弱さだったりしてない?
そりゃ金なんて稼げるわけないわな。
自分のいたところもブラック労働もハラスメントも当然のようにあったけど、自分より下にそんな思いをさせたくないからって上と戦いながらほとんどを改善したよ。
これがマッチョだと言われればそれまでだけど、指を加えて待ってれば誰かが助けてくれるものだとは絶対に思わなかった。
ただ、一つ思うのは、確かに数年前まで大学で遊び呆けてたようなやつらが大量に採用されている姿を見てきたわけだから、自分もその通りに行くと信じてたんだろうということ。
それが突然そうではないという話になって、すぐに元通りになるだろうって思っているうちに手遅れになってしまったというのが、正直なところではないかな。
そういう意味では、政府も当事者も、事態を楽観しすぎてたということはあると思うよ。
どうにかなるだろうって思ってしまったのは自分たちだから、自己責任と被害者意識が変なバランスで存在していることもあって、なかなか声高には叫びづらいんじゃないかな。
ここからは完全に蛇足だけど、自分にとって就職氷河期が全く持って他人事だった理由は、自分が在日韓国人だったから。
当時、在日韓国人、いわゆる特別永住権の人間が就職できるような大手企業はないと言われていた。(少なからず、親族で就職できた人間はいなかった。)
そもそもスタートラインが違う。就職活動前から氷河期が確定だった。
だから、進学なんてとっくに諦めて、高校を出たら当たり前に働くものだと思っていた。
いわゆる3Kと言われる業界でがむしゃらに働いて、こいつらが大学で遊んでいる間にできるだけリードしてやろうと思った。
4年後に入ってきた新卒のほうが給料も立場も上だったのは死ぬほどムカついたけど、数年後には全員辞めてて、やっぱりこいつらはダメなんだなって思った。
そいつらが言うには、君は数年早く働いてたからいいけど、らしい。
こちとらどんな思いで周りに頭下げて仕事教わってきたと思ってるんだか。
そういう奴らも基本は、他の人間と同じでどうにかなるだろうとしか考えてなくて、就職できなかった理由を他人のせいにしてるやつらばっかりだった。
そう考えると、あれからこれだけの年数が経ってるのに、周りのせいにしてばかりで手に職の一つでもつけようとしない氷河期世代はやっぱりクソだと思うよ。
今からでもプライドを捨てて何でも働けばいいのに。親が死んだらどうするつもりなのか。
全部が全部甘えだとは言わないけど、ここ一番の踏ん張りどころでケツを割ったのだとしたら、やっぱりそこは甘えだと思う。
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
カウンセラーは基本的に傾聴してくれる人で答えは出してくれない。例えば相談者が違和を感じているが、原因がわからないような事柄について、カウンセラーはうまく発言や思考を促すことはするが、気づきや解決は相談者自身が行う必要がある。
なので、初回ないし数回のカウンセリングで「あなたの問題はこれこれなので、こうすると治りますよ」みたいなアドバイスを期待しているんだったら、また裏切られた気持ちになるかもしれない。
もしそういう端的なアドバイスを数回のセッションでしてくるカウンセラーがいたら、自分は警戒する。
自分もカウンセリングを1週ごとに1年以上受けているけれど、最初は期待外れな印象を抱いた。こいつ子供時代まで遡って色々聞いてくる割に何もアドバイスしてくれないじゃんって思った。
でも、自分の過去や気持ちを主題に1時間近く他人と会話する機会なんてなかなか無いよなあと思って続けている。単純に多少話すと楽になるというのもある。
効果のほどはというと、自分の思考の癖がわかってきたり、自分がこうだと思い込んでいたことが他人に話すことで「いや、そうとも限らなくね?」みたいに思い直すこともあった。そういう気づきに伴う思考修正に痛みというか心理的負荷が伴うこともあって、それは医者の処方で対処した。
また、自分の場合は幸いなことにこれが問題の原因なのでは?というトピックに辿り着くことができたので、1年以上かかったけど成果はあったと思っている。
1ヶ月4回通うとして、3万弱。これを1年以上。
まとめると、自分が抱えている心理的問題についてカウンセリングでの対処を考えているなら、年単位の長期的なアプローチと可処分時間の減少、ある程度の出費を覚悟した方が良い。
もし即効性のある救済を求めるなら、他の人が挙げているようなリスクをとりつつ処方薬に頼るのがいいと思う。
抗不安剤は一時的にはなんでも解決してくれるので、うまく使えば便利だけど、医師がいないとうまく使うのは難しい。
蛇足だけど、キャリアとか特定の領域で悩みがあるならコーチングの方が有用かもしれない。この人たちは目標設定とそれを達成するためのステップ分解、習慣化について具体的なアドバイスをくれる。
milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS”から1週間くらい経ちましたね。
まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブ後からずっと深読みし続けた果てに生まれた考察をインターネットに放流します。
これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
Finalで奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています。
下記の諸注意は必ず読んでください。
この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます。
それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。
以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図を解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。
かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。
どの公演回にもそれぞれの良さがあります。
「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。
チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが
あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます。
基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。
揺るぎない芯があり、かつ不安定なバランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから
その一端を目撃できた幸運なファンの記録というスタンスで公開します。
読んだね?
書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。
でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、
前提として、自分はあくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。
本公演は、miletさんの葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います)
なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。
むしろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これからの活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります。
前置き長くなりましたが
GREEN LIGHTSのテーマはシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます。
昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって
寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく
ということがテーマになっていると感じました。
ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます。
milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)
「大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている
というところから始まり、ライブを通してどのように過去の自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います。
(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)
また、過去の自分がどのように考えていたかわからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。
昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。
miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分は自分と向き合うために歌うけど
みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。
GREEN LIGHTSのセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って
いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」はミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。
長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、
セットリストの楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!
ってことだけかもしれません。
(曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます)
GREEN LIGHTSとスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです
もちろんmiletさん自身も、スーパースターのステージングはとても力強かったです。
このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。
主体が現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。
絆ノ奇跡とコイコガレは、ある意味まっすぐでわかりやすいメッセージがあります。
大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います。
checkmateの歌詞「あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。
Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで
あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーでもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます。
オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。
一瞬のMCを挟んで、ここからのパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。
つまり、このパートから本公演のテーマとちゃんと向き合っていくことになります。
突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?
恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)
「ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります。
全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらいテーマとリンクしているのですが
心からの「そばにいて」という叫び(アカペラ)に、共感して、心が震えました。
また「あなたの人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞は
歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります。
そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。
今の自分の選択や人生が、すべての過去の自分の選択と完全に一致している人などいるでしょうか。
現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。
私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分の選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。
過去の自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には
昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています。
この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。
miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で
「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouをミレイ(みれい)に置き換えられると思います。
私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。
(2019年RADIO CRAZYのセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)
当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。
この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います。
2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。
ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんとミレイの心の距離は離れたままです。
この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなた(ミレイ)の光になる」と
この楽曲は主にセンターステージで演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。
光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います。
盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態のミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。
(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)
ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。
どういうタイプのエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。
もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので
このパートでは、miletさんが違うアプローチで過去と向き合おうとしていると考えました。
具体的には、過去の自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。
なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます。
余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUBの演奏を見ると、地獄と天国って同じなんじゃないかと思ってしまいますよね。
- Higher
2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります。
- Outsider
過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。
アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできますし
DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります)
- おもかげ
見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り
ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます。
- us
DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは
何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。
過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。
だから「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。
ぶち上げてくれました。
ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。
「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思いますが
自分の過去と現在(未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。
とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分は自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。
DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで
他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます。
この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。
そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います。
inside youからここまでのパートで過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。
ようやく、離れていた過去の自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!
そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください
素敵です。本当に。
前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージのシンクロ率です。
いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。
光の演出も素敵で、まるでmiletさんが魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。
あと、miletさんが高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。
ここで終わらないんですよ。
こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お
たしかに、過去の自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。
ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います。
だから、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。
演出としては、運良くセンターステージ脇から見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。
そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。
ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います。
2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。
こういうところほんとに好き、って思います。
(あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTSの解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)
さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが
走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。
そう思って、One Reasonの歌詞のYouをミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞がリンクします。
けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。
もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ
いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。
そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。
ピアノの音でも、過去の自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。
(蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)
この楽曲では、Wingsからのパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去の自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます。
でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。
とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!
【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】】
毎日のように「私のこと好き?」だの「別れたほうがいい??」だのメッセージ送ってきてた元カノ、確実に病んでいたと思うのだけど少し気持ちが分かった。
今付き合ってる人が連絡を送っても翌日から翌々日返信のタイプなので、重要視されていない感じが凄く、自分なりに時間や労力を注いでいる割に関係性が良くなっていないような気がする->不安。みたいなプロセスをたどってる。
ただ交際前からそういう連絡出不精みたいな節はあったのでそれが彼女の普通と感じることができれば特に何も感じないと思うのだけど、不安感というかもやもやする気持ちがある。
多分元カノも同じような感覚をどういう機序であれば持っていたような気がしており、なるほど連絡をされない側はこんな気持ちなのかと初めて理解できた。
連絡しない側からするとこれが普通なんだから信頼してくれなのだけど、連絡されない側からすると信頼できるほど人間性が分かっておらず、ないがしろにされている->不安という感情が芽生えるのだなぁという。
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後これは蛇足だけど不思議なことにこうして連絡頻度が低くされると妙に執着心みたいなものが芽生えてしまっている気がする。
何かの本で足りないと感じるものほど執着するみたいなのを読んだ気がするのだけど、自分が求める連絡頻度より低いとある程度気になっていることが前提ではあるけど、より執着してしまう感じがする。メンヘラ製造の一つの手法かもしれん
つまりさ、偏差値70ぐらいの子じゃないとここにある能力は身に着けないままで高校を卒業して、そのまま大学生活はサークルや専門バカやって過ごして、結局身についてないまま社会に出るってことでしょ?
怖くない?
偏差値70未満の人≒日本人のほぼ全員がこれ身に付けないまま社会で暮らしてるらしいですよ。
怖いですねぇ……
引用開始
【国語】
【数学】
【理科】
【外国語】
1) 英語による受信力
2) 英語による発信力
引用終わり
引用元
蛇足:
たとえばですよ。
文系の多くの人が「自然現象の本質を見抜き、原理に基づいて論理的にかつ柔軟に思考する」ことが出来ないわけですよ。
なんか良く分からないけど学者先生が言ってるらしいからそうらしい……で理解を終えているってことでしょ?
逆に理系の人は「地歴公民についての総合的な知識、それらを関連付ける分析思考力、その結果を論理的に表現する能力」に欠けているってことでしょ?
まあ理系の人って「後半二つは出来ているもん!分析力が高くて論理的で表現力だもん!」って言いそうですけど、そもそもの総合的な知識がなかったらガベージインからのスタートで結果は推して知るべし。
いやいやそりゃ政治について頓珍漢なこと言う人があとを経たねえわけだよ……。
まあでも体感で言えば、文章を筋道立てて読み取る読解力の時点で既にダメそうな人も多いですからね。
いやー偏差値70の壁は高いなー。
より具体的に言うと、これぐらいのことは偏差値50かせめて55ぐらいの世の中になって欲しいけど、そこに行くまでに人類が乗り越えないといけない壁はまだまだ残りまクリスティー。
まあ俺も「じゃあ今すぐセンター試験で8割でいいから取れよ」って言われたら泣いちゃいますけど。
もう覚えてないからな―。
指導要領変わった部分とか初耳も多そうだしなー。
いやいや人の悪口言ってる場合じゃないだろって話じゃなくて―、アンキパンみたいな感じで全人類自動的にこのレベルに出来ないもんすかねーって話デスタムーア。
マッチングで女とやり取りした話。
マンガやアニメを中心に趣味が合うことや、家がほどほどに近いことなどで会ってみようという話になった。
(蛇足だがあっちはギヴンの映画を見たというあたり腐女子の匂いが漂っていた)
あっちの仕事のスケジュールNGや日にち間違いに合わせる形で2週連続リスケ。
昨日の日曜に今度こそ会う予定になっていた。
その前の先週日曜のリスケ後も普通にメッセージやり取りをしていくつもりが こちらから 月曜日に送ったメッセージが土曜日になっても未読。
ブロックでもされたかという確認でスタンププレゼントをしようとしてみて、
女がおおよそ持たないだろうと見つけたのが、ザコシショウのスタンプ。
そのザコシスタンプはプレゼントできそうだったのでブロックはされてないことを確認。
しかし翌日日曜にマッチングサイト上でアカウントブロックをしていたのを確認し
いい年した大人がすっぽかしとかありえねー、どういう人格してるんだ的なボロカスメッセージを送る。
すると未読が既読になった。
これにてジ・エンド。
というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバーや役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまりに絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。
それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまりに希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。
だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族に迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。
ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。
そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安と焦燥感だけが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。
要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分に価値がないと感じ、無職の自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまり、ニートになるセンスがないのだ。
それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境も改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。
我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分の価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。
蛇足。家族と生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定も肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分の家庭内での立ち位置が確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。
前編
俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。
婆パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。
それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず
交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。
(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー)
このように書かれており、ニンゲンに従順なチンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。
また勢いに任せて書いてしまったこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。
母パンジーには幼少より口を酸っぱくして
こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。
幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。
その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダーに
パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。
確かにバイクでツーリングする場合、山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。
統計的には、クルマとバイクの事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。
ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。
これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。
ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。
分かったな、間違ってもTシャツにサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー。
近所だからいいとか、田舎だからいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。
仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?
もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。
外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。
そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。
確かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛にもつながるから
近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが
あまりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。
お前が営業で外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。
最近じゃ、俺たちチンパンジーの運転の様子を記録する会社もあるらしい。
「うるせえ!!!!!」
これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。
サングラスを用意しておけ。
夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用のドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから
そういうのを試してみるのもいい。
どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。
お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。
それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。
冷房の温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。
ブランケットも用意しておけ。
別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。
だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。
500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。
お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離が必要だか把握しているのか?
俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。
俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。
50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?
そのくらいで丁度いい。
イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。
※そもそも左車線を走れ。
最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。
三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーはあおり散らかして左からその車間に収まってくる。
高速道路を運転するとき、バックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。
※ベテランドライバーはバックミラーを10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。
お前も、車校でベテランドライバーとチンパンジーの視野の比較映像を見せられたことがあるだろう。
例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニの駐車場から出そうなクルマなどに
こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。
いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかもチンパンジー、ココカラチンパンジーというわけだ。
そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。
そして伝説へ。
まず気をつけなければならないのが、逢魔が時。
夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。
それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。
これは、暗順応という眼の機能が関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html
実際にこういう統計が出ているようだ。
とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。
例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。
当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。
ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代のチンパンジーだ。
コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいからカフェインを入れろ。
すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。
ハイビームを使いこなせ。
田舎で鍛えられたチンパンジーは野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが
最近はコンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。
道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。
昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。
チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。
ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。
みんなで作る、平和な交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。
前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが
黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マーク、もみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー…
挙げればキリがないし、多少なり差別的な思想になってしまうので
みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。
ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー。
俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋のADHDパンジーだ。
※身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている
なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。
幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ
チンパンジーだからこそ運転しないと商売にならないことだってある。
お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。
ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。
警察官でも教習所の職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで
このふざけた文章にたくさんのコメントやブックマークがあることには大変嬉しく思う。
動物に例えるの分かりづらいという声もあったし
たまにチンパンジーが運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし
書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。
ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。
あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。
バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。
これからも試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。
このあたりか。途中で飽きたら悪いな。
続編書きました。
日々コンクリートジャングルをチンパンして回る、お前たちより少し先輩のチンパンジーだ。
お前らはまだブーブーを運転するには早すぎる。
早すぎるが、森を出てここに来たからにはお前らにも運転してもらうしかない。
車校または教習所では法律(ルール)と車両の動かし方(ハウツー)は教えてくれるが、
上手に運転する方法(ハウグッド)までをきちんと教えてくれるわけではない。
ムダに長いこの文章を読み切って実践し身につけた暁には、「運転のうまいチンパンジー」の称号を得ることだろう。
そして普段運転をしないチンパンジーも、知識として知っておくことで事故に遭う確率を減らせるはずだ。
無免許チンパンジーもジャングルに引きこもらずに表に出られるようになるだろう。
これはもう単純な話だ。お前がハンドルを握ったら、ぶつけてはいけない。
他の車は当然だし、カーブの途中にある十年に一度突っ込まれる民家にも
邪魔な電柱や信号にガードレール、オレンジ色のふにゃふにゃした棒にもぶつかってはならない。
未だに裸で暮らすチンパンジーも多い。
痴漢と同じで裸だからといって、それ自体が責められるべきではないし、やる方が悪いのは誰だって分かる。
ただし、この世の中にはわざとぶつかってくるやつもいれば、ヘッドホンに目隠しをしてふらつくチンパンジーもいる。
そんなライアーゲームの中で、お前にできる最大限の対策を行え。
この二つに共通していることは何か。お前が死なないことだ。
死なないまでも、事故を起こしたり、遭う確率を減らすということだ。
華麗で高速でイカレチンポンジーな運転をしたいのなら、ジャングルの奥地にあるサーキットで披露してこい。
お前と、お前の大切な嫁と子チンパンほか同乗者を守るためにもこの二つを徹底しろ。
では具体的にこの二つをどうやって対策するか、ということになる。
ここからはぶつける、ぶつけられない、それぞれに共通する項目もあるから、箇条書きにする。
警察発表の古いデータだが、平成24年に15km未満で取り締まられたのは速度超過違反全体222万件中の40件らしい。全体の約0.002%ということだ。
これを高いと見るか低いと見るかはお前次第だが、高速道路で5km、10km超過するなんてことは
ちょっとした下り坂に差し掛かればいくらでもあるわけで、そういったところでまで速度を厳守しろと言いたいわけじゃない。
そうではなく、特に住宅街や駅の周辺など自転車や歩行者が多い場所、子チンパンが多い学校や公園周辺なんかでは特に厳守しろと言っている。
いや、厳守どころか徐行さえしたっていい。周りに人がいないような時間帯でさえだ。
お前だって同じ森の仲間たち、例えばタヌキやハクビシンやアライグマを轢いてしまって夢に見たくはないだろう。
シカやクマやイノシシ?そいつらは俺たちが森を追い出された原因だ。それらは轢いて鍋にしてしまえ。
そりゃあ、森の中じゃ皆飲みながらフラフラ運転してあちこちの木々にぶつけてただろうさ。分かるよ。
けれどここはコンクリートジャングル。精密な運転が要求されるし、
ニンゲンの取り締まりもとても厳しい。悪いことは言わない、飲んだら乗るな。
もしお前が高級ブーブに乗っているのなら気をつけろ。
そもそも、チンパンジーは車に乗ると気が大きくなるという研究がある。
その上高級外車にでも乗ってみろ。さらに気の大きくなったお前は、信号さえ無視しだす。
そしてお前は横断歩道の前できちんと毎回止まっているのか?
チンパンジーは気まぐれだ。黒い板に夢中になっているかと思えば、突然顔を上げて走り寄ってきたりする。
どんなに急いでいても、全ての横断歩道前で止まるくらいの気持ちの余裕を持て。
例えば親パンが倒れたと聞いたとする。
地方では車しか移動手段がないかもしれないが、焦って車に乗るのはオススメしない。
可能であれば公共交通機関を使え。車しかないのなら、友パンに運転してもらうか
お前しかいないのなら、深呼吸を10回してから乗り込んでいけ。
親の死に目に会えないかもしれない?普段からもっと会いに行け。
お前は誰だ?森の王者チンパンジーじゃないのか。王者の風格を見せつけろ。
俺はチンパンジーだからリセールバリューとやらのお金のことは分からない。
ニンゲンたちがよく話しているのを聞くが、チンパンジーの俺たちには関係のない話だ。
だが、最近の車の安全装置の向上具合は目覚ましいものがあるようだ。
俺達チンパンジーの能力はといえば、数万年来向上しているわけではない。
俺たちは森の覇者ではあるものの、その反射神経なんかには限界があるし、
最近は寿命も伸びており、老チンパンジーが暴れまわっているようだ。
老いたチンパンジーに最新鋭の衝突防止機能。豚に真珠、猫に小判、暖簾に腕押し、糠に釘。
お前の親もそろそろ高齢パンまたは後期高齢パンになってきていないか?
実家のクルマはどうだ?20年落ちで安全装置が何もついていなかったりしないか?
たまには実家に帰ってクルマを見て、多少金があるのなら安全なクルマを買ってやれ。
駐車が苦手なやつも、なんと今は自動駐車機能を搭載した車種もあるというぞ。
年齢や素質によって出来ないことは出来ないで仕方がない。
だが俺達はチンパンジー。知恵と工夫とニンゲンの技術で対処していけ。
車検が切れる3年か、5年か、そのあたりで一度下取り価格を見てみるといい。
最近は納期が長期化しているようだからそのつもりで早めに動け。
いいか。俺たちチンパンジーには運転が許されていない車種に、トラックやトレーラーという車がある。
デカい車だ。こいつらは、デカくて重くて取り回しにくいらしい。
当然俺も運転したことはないが、ニンゲンであっても訓練が必要になり習熟には長期間を要するらしい。
お前らも交尾を他のチンパンジーに急に止められたら困るだろう。
彼らも同じだ。ちょっと隙間が空いているからといって無理に入らないように。
風の強い日などには、その積み荷から小さな石がこぼれ落ちることだってあるだろう。
陰謀論者の中にはチンパンジーを狙った犯行と騒ぐ物もいるものの
真相は定かではないし、たまたま積み荷が落ちてしまうこともあるだろう。
なるべくならばそういった車の後ろは走りたくないものだ。
右折するときだ。右折する時にはたいていの場合横断歩道を横切ることになる。
信号機付き横断歩道はチンパンジーたちが乱舞闊歩する社交場として有名なのは諸君もご承知の通り。
デカいのや小さいの、たまにゴリラやナマケモノ、あらゆる霊長類が数十秒に限って暴れまわる。
ルールやマナーを守る行儀が良いのがほとんどだろうが、たまに斜めに横断してきたり
最近は電動キックボードなどというオモチャに乗るナマケモノもいたり、想像以上に騒がしいとされている。
そんな危険な場所へ進入する際には、きちんと大回りで進入しろ。
カミソリのように鋭く入ってしまった場合、右側から迫るチンパンジーへの注意が向かなくなる可能性がある。
それに対し大回りで横断歩道に対し90度で正対した場合、左右どちらも見えることなり見落としが減る。
ここまできちんと守れるのなら、一人でコンクリートジャングルに繰り出していっても良いだろう。
そうして運転する中で、この先は右折専用だから左に寄っておこうだの
そういう小手先の瑣末事を学んでいってさらなるスマート・チンパンジーを目指すのも良い。
そしてここからは蛇足というか、もし守れるのならキャースマートね、と思われてチンパンジーにはモテモテになるための心構えになる。
お前の生命や財産を守るという観点においてはそれほど効果のないことではあるが、知っておいて損はない。
あるいは、ニンゲンとお付き合いすることだって出来るかも知れない。
助手席、という名前のその席は、古来からその名の通り運転を助手する者の席だった。
しかし、今やそれは形骸化し、運転するチンパンジーの口へバナナを運ぶだけのメスチンパンジーの定位置になりつつある。
電動化やらセンサーやらのおかげらしいが、チンパンジーの長たる俺にもよく分からない。
やることの無くなった助手席のチンパンジーにも運転手を寝かせない、という役割があるという者もいる。
ただ、そんなものはガンガンにユーロビートでもかけて飛び跳ねていれば問題ない話だ。
だから、そこのお前、お前だ。ハンドルを握っているチンパンジー。
お前は一生乗ることもないだろう高級車の後部座席に、ニンゲンを乗せて運転するチンパンジーがいる。
それを、お前もやることだ。そうすればとなりのメスチンパンジーもあれ、わたし寝ちゃってた。運転上手いから…照
と言ってその後の交尾チャンスも増えるわけだ。
この世にはきちんと運転ができるチンパンジーがどれほどいるか知っているか。
適当だがだいたい10%~20%くらいだ。彼らは、仮にルールや信号がなくたって運転することができるらしい。
けれど、それ以外。それ以外の90%近くは、お前たちの知っての通りチンパンジーなわけだ。
ほとんど出来ていないから、必要ある?って思う信号やガードレールや斜線や停止線があるわけだ。チンパンジーのために。
いいか。そんな環境の中で、例えばとろとろ運転するクルマや急ブレーキするクルマや禁止エリアで駐車するクルマや
はたまた横断歩道のない道路を横断しようとする歩行パンジーもいるのは当然なわけだ。
当然なことなのに、それに憤るのは何事だ?
人前に立つ際に、オーディエンスを全てじゃがいもと思え、という緊張感を和らげるためのアドバイスがあるが、あれと似ている。
お前以外の周りのクルマと二足歩行する動物は全てチンパンジーと思え。
そうすれば、ムッキーッ!と怒ったりイライラしたりすることも少なくなるだろう。
そもそも俺もお前もチンパンジー。チンパンジー同士、広い心で森の王者たれ。
別にこれが出来たからといって何も誇れるわけでもなんでもないが、
ちなみに勘違いした「おれ運転上手い」というチンパンジーについても紹介しておく。
例えば都会なら、どっち車線の方流れがいいだの何だのと言いながら
お前、お前一匹の15秒が一体何だって言うんだ?
そういうのはニンゲン様に任せておけ。
森を離れ、車もなしにチンパンジーの運転するコンクリートジャングルを歩くお前たち。
いつ、どこでアクセルとブレーキをふみ間違え、お前を跳ねるか知れない。
ニンゲンが自動運転というものを開発しているそうだが、それだっていつ始まるか俺達にはわかったもんじゃない。
だが、これだけセンサーとやらが発達しても、毎年100万匹もの同胞たちが、同胞たちの運転するクルマによって殺されている。
いいか、俺たちはチンパンジーなんだ。間違えることはある。眠いときもある。ケシの実を食べてハイになってるときだってある。
だから、信用をするな。
最近の若パンジーの中には、変な板に夢中になったり、耳栓をしながら歩いたりするチンパンジーがいるが
いいか、周りの車たちはいつお前を轢き殺そうかと狙っていると思え。
まるで悪魔に取り憑かれたかのように疑心暗鬼さで周りを見て歩け。
横断歩道を渡れ。信号を守れ。止まれは止まれ。スマホを見るな。イヤホンは周りが聞こえるやつか音量にしろ。メガネをかけろ。
右を見て、左をみて、さらに右を見て、左を見て、前を見て、左をみて、右を見て、後ろも見て、前を見てから進め。挙動不審すぎるだろうが。
ニホンザルには出来ないだろうが、お前たちは腐ってもチンパンジーの端くれじゃないのか。
王者たる所以を世に知らしめろ。広く世界にその名を轟かせろ、森の王者チンパンジー。
最近では自転車に乗るチンパンジーたちはヘルメットが義務になったのか、なっていないのか曖昧な感じになっている。
だが、特に若いチンパンジーなど元気の有り余っているやつらには付けさせておいたほうが懸命だろう。
ニンゲン共の話によれば、あと10年か、20年かすると自動で運転するクルマが開発されるかもしれないらしい。
そうなれば、俺たちチンパンジーの役目は終わるかもしれない。
こんなコンクリートジャングルではなく、バナナの沢山生えた緑豊かな真のジャングルに帰ろう。
それまであと少しの辛抱だ、同胞よ。
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。