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はてなキーワード: 不快とは

2019-04-18

仕事を楽しくとかいってるやつに限ってクズ

仕事を楽しくとか仕事をたのしそうにしてるというかおしゃべりするとかいらんことに気が散ってるとか

関係ないことをリフレッシュかいってるやつとかはたばこ吸いに行ってるのが休憩にならんのと同じくらい不快

仕事ってのはお金を生むわけじゃなくて他の人間が利用するための生産物価値のあるものにしていくことで

生み出すことに苦しみが多ければ多いほど価値があってその苦しみを代替させるために金はらってんだろうよ

のし作業を消化していくのはたのしく飯を食ったりイベント楽しんだりするのと同じ

出すのはゴミだけじゃねえか

実際クオリティゴミじゃねえか 再現性もなく作業業務として価値がひくくて社内資材としてすら使えない

作業管理監督人事権がほしい こんなゴミわたされて作業しろって勤め人もつらいわ

ですぅー?

職場で、なにか承認得る時に

「…ですぅー?」

って言う人がいて不快


ですか?

って言え!

末尾に「か」を付けろ!


「そっち行っていいですぅー?」

って言われると

「いやです!」

って言いたい


しか仕事できない

周りにも迷惑かけてるから

他の人にも

「ですぅー?」

って話しかけてるの聞くとうげぇっ!と思う


早く、いなくなってくれますように。

2019-04-17

保育園の送迎の車

保育園迷惑施設ってやつ

個人的には保育園のものより、保護者が最悪

自宅と並んで、割りと大きい保育園がある

自分日中は家に居ないから、基本子どもの声とかに影響されることがないというのもある

でも、たまに平日休んでみても別に気にならない

保育士さんも気を遣ってるからか、数年前と比較して随分と静かになってきてる

問題保護者

駐車場の無い保育園

入園前や折に触れて車は控えるよう伝えてるとのこと

それでも、狭い駐禁道路毎日ずらずら駐車やらアイドリングやらが絶えない

ちゃん駐禁看板も分かりやすいところにある

道の両サイドに何本も赤コーンが立つ異様な光景も目に入ってるはず

それでも意地でも違法駐車をする無神経さは一体なんなのか

邪魔なんです

ミニバンも多く、左右も考えずに停めるから道が見通せない

普通に歩くにしても、車の間を縫うように、また車が来るからとても危険

こちらの車の出入りにも不便

アイドリングの音も不快だし、空気も悪くなる

直接注意したことも何度かある

そのうちの何人かは「じゃあどこに停めたらいいんですか」と逆ギレする輩まで居た

少なくとも、ここではないのは確か

駐禁看板が見えないレベルなら運転しない方が懸命かと思う

朝夕の忙しい時間から、車を使いたいのは分かる

せめて駐車場を用意してほしい

でも園は無理

保護者同士で負担しあって借りるのも無理

意見がまとまらいからとか、なんとか

とにかく改善するつもりはないらしい

子ども免罪符にしたら、毎日違反行為も許されると思ってるのか

たった5分位というが、それが何台も続くから、結局朝夕1~2時間ずつぐらいは車が停まっている

何度、園や個別にお願いしたって直らない

どうせ数年経ったら総入れ替えだから

自分たちはせいぜい一日数分、数年間のことだろうけど

保育園より古くから住んでるこっちは十年以上の問題

保育園の規模や駐車場の有無で変わるから一概には言えないけど

保育園の近くに住まない方が良いなと思う

anond:20190417163253

相手不快になるかどうかの判断って難しいですね。

自分結構下ネタ好きだし、そういう風俗とかのネタ話は「まったくこのおっさんは笑」って感じでほほえましく思うことが多いです。

そういう下ネタってなんか安全な気がするのかもしれないですね。

アホ言ってるだけで自分にその性欲が向く感じがあまりないような気がします。

性欲に悪びれなく正直なおじさんって単純で扱いやすそうで逆に好ましいですね。

何考えてるかわからないとちょっと怖いというか。

そういう女性心理無意識計算できているのかも。

油断させる作戦なのかもしれませんね。

嫌なセクハラって物理接触があったり、女性全体をバカにしたりすることくらいかなあ・・・

2019-04-16

anond:20190416121707

だよねえ

当たり前のことすぎて「えっ」ってなったわ


繰り返しになるけど誰かを助けるための地道な活動をしてる左翼なら尊敬する

リベとかサヨの人は憎しみをまき散らしながら誰かを攻撃し続けてるだけなので尊敬しない

正義というもの後者なので評価に値しない


これは俺は昔から言ってるけど最近世間も少しずつ正義を疑うようになってきてる

その風潮に対して不快お気持ちを表明する人というのはまあヤバい人だろう

anond:20190416081552

でも日本人キモくて金のないおっさんによる不快な行動・言動をいくつか目にしただけで日本人キモくて金のないおっさんはみんな悪いやつなんだと主張し自分気持ち肯定するのは特に問題ないんですよねわかります

このツイート、既にそれらしい返信がありますが、もっと具体的に書くと

  1. 韓国人韓国政府による不快な行動・言動をいくつか目にする
  2. 韓国は(みんな)悪いやつなんだ」と感じる
  3. しかし、マスコミ等では基本「悪いのは個別判断するべきだ」と論じる。自分気持ち肯定されない
  4. 自分気持ち肯定しないマスコミ真実ではない
  5. これに対し、(余命日記などの)反韓ネットサイトは、「韓国はみんな悪いやつなんだ」と主張し、自分気持ち肯定される
  6. 反韓ネットサイトこそ真実だ!と感じる
  7. よって、よく韓国の実情を知っている大学教授が「反韓ネットサイト記載は……で、事実ではない」と説明しても、それは自分気持ちと違う!自分気持ちは正しい!それを否定するのは誤りだ!という強いエビデンス(?)から真実ではない!」と強固に主張する

って事かと思う。反韓に限らず、「自分気持ち」を肯定する主張は真実否定する主張は間違い、みたいな話はよくありますね。どうにかならないものか……ならないんだろうな。

2019-04-14

「繊細ヤクザ」は「繊細当たり屋」になってきている

不快!見せるな!やめろ!と騒ぐ繊細ヤクザの皆様だが、最近自分からそういうもの突撃してくるようになった

最高速度で嫌いなものに衝突して、ぎゃあああああ!!!不快ものだああああ!!!って叫ぶ感じね

次はなんだろうか?「繊細テロリスト」か「繊細シリアルキラー」か

anond:20190414164233

手遅れという事にして、出産話題をさせないようにしたい人の言説って感じね。

よっぽど結婚出産のこと言及されるのが劣等感刺激されて不快なのか。

戦争は嫌いだけどメカが戦うアニメとかは結構観ちゃったり納豆ミサイル作画すげーとか思っちゃったりしちゃう

フィクション現実は別なんだけどさ、そういう自分もやもやちゃうし、もやもやすることにまた もやもやする

優しい世界は素敵だけど別に優しい世界じゃない創作だって当然あるし、逆にこれでもかって露悪を詰め込んでこれがリアルだっていわれても違和感あるし

不快なおじさんだって嫌だけどいていいし、リアルにも創作にも

イジメ問題

いい加減加害者主犯格側を匿名でも徹底的に報道で取りあげて

・厳しい家庭でそだてられ、自分と違って出来ないのに許されている被害者イライラしていた模様

・生まれつき他人がいやがる顔を見るのがすきだった模様

好意を寄せていたが自分とは違うグループに属され不快だった模様

自分より優れた容姿被害者嫉妬していた模様

・周りと違う被害者の違うところを取りあげて笑うことで、自分はまとも側だと思い安心たかった模様

とか、いじめる側の可哀想さ・人間的なヤバさを拡散していく方向にする輩は現れんのか

anond:20190413212214

それは不快なことがあった時にツィッターに書くかどうかの差じゃね?

映画見ようと思って映画館にいるのなら、上映中に周りに聞こえるような声で電話してる奴は不快に決まってる。

2019-04-13

誹謗中傷性別問題を見ないようにするには

基本はてなを見てるが、ふたばや壺の専スレをたまに覗いたりする

なぜ見てるのかって言うと、興味のある話題情報収集がしやすいし定型の会話が楽しいから

でもまあどこでも題名のような書き込み記事はうじゃうじゃみかける

正直気が滅入ってしま

見ないようにしても目にはどうしても入ってくし、急に出てくるアダルト広告なんて不快で仕方ない(アプリ導入してすべて消し去ったが)

ネット上で安心を求めるのが間違っているのか

他に娯楽を考えるべきかなあ

2019-04-12

anond:20190412120515

同意できるかなと思って読んだら、前半が理解できない主張だった。誤用はそちらではないか

念のため辞書を調べたが、「某」は知らせたくない時に使うものだ。

聞き手特定可能にして」と言うがその使い方こそ某の意味が無い。ただの飾りとしての「某」だ。言葉ではない。

記事言葉を使えば、「勿体ぶった言い方」と言うべきだろう。

ただ、後半に書かれているような、某を使わなくていいのに使うようなのは私も不快である。この辺りは同意できる。

仮にだが、全然違う地域に住んでいる知人が「昨日某スーパーに行った」と言ったらどうだろうか。

聞いている方としては別になんていうスーパーかは気にするような対象ではないので、「某」に意味はない。

「昨日スーパーに行った」で良い。

固有名詞につけている某は、書いている本人は面白いつもりなのかもしれない。

しかし、私も非常に不快である

頭が悪そうに見えるので止めるべきだと思う。

上司に追い出された

上司に追い出しをされた結果、とあるIT企業休職して1年近くになる。

個人的に色々思うことがあるので、増田名物の社名リークはしない)

なんども不幸なコミュニケーション上の事故だったと思って反省をしたが、何度考えても、経緯と結果のどちらに軸を置いて判断しても追い出されたという結論しかならない。自分の言行を過度に暴力的であったと仮定して、自分から見た事実の一切を全て自分に都合の悪いように解釈してようやく不幸な事故だったと結論するしかできない。

予め断りを入れておくが、本件は関係する人によって全く異なった見方になるだろうのは間違いない。人によっては、自分が以下で述べる内容について「よくもいけしゃあしゃあ厚顔無恥言葉を述べるものだ」と思うだろう。しかし、私は私としてこのように感じた、という趣旨で書く。なにせ1年以上前ことなので記憶曖昧なので、細部について自分に都合のいいように誇張が入っている点はご容赦願いたい。

経緯

事の起こりははっきりしていないが、休職する1年以上前

当時、自分と当時の直接のチームリーダーにして上司(Aさん)は同じプロジェクトに取り組むことになっていた。

しかし、

などがあり、あまりにもこれは酷いと人事方面に上訴し、自分7月からは当時のサブリーダーのBさんの下に入ることになったものの、最終的なレポートライン上にはAさんは存在したままだった。

また、Aさんは常に新規商材の開発・開拓希望していたが、自分オペレーションの整理が主業務であり、観点の違いか意見対立することが多々あった。その過程で、自分も非常に強い意見を言ってしまたことに関しては後述の点から後悔している。しかし、少なくとも自分と若干名のチームメンバーとの後に話した認識では、正論ではあるもの言葉遣いについて問題があるようなケースはそれほど多くなかったと聞いている。

他にも

などなど推挙に暇がないが、会社的にはもはや自分は一切の弁明を許されていない模様であったことと、言った結果として何かが覆ることは一切ないのと、言っても無駄しか思えなくなったために言っていないことも多い。何より思い出すだけで心理状況が本当に沈んでしまうので心底厳しいものがある。

その後、特に私に対しては明確な注意も仲裁もないままに半年以上が経過した。

結果

  • 私が元々の事業から異動することになった
    • Aさんが体調を崩し、二度と戻ってこれないかもしれない以上、懲罰として異動させざるを得ないとの説明付きで。
    • 異動先には私の椅子はなく、そこで求められたのはいわゆる「仕事を探す仕事」であった。
    • 懲罰人事であったので、私には一切の弁明の機会はなかった。人事との面談中、私が発言した記憶にない「私の発言」を幾つも聞かされた
  • 二度と戻ってこれないはずのAさんは、私の異動した1週間後に意気揚々と復帰してきた。その後も意気揚々キャリアを歩んでいるらしい
  • 私は、異動後、精神的な不調に苛まれるようになり、休職することに。思考力も言語機能も一時期全てがダウンし、寝て起きる以外で1日を過ごすことができなかった

結果に着目した場合、(健康面に関しては、期間の有無が重篤度合いを示す訳ではないので、このような言い方は非常に慎重を期するが)Aさんに健康面を理由に罪をなすりつけられて追い出されたなとしか思えない。

経緯に着目した場合そもそも一度人事的な抗議を行ったものの、私は終ぞAさんの手駒から離れることはできなかった。結局はどう頑張っても対立軸にしかなかった上、私の言行に問題があるとしても、それについて一切の仲裁も何もなく「いざ問題が起きたので異動させます」というのは、異動が確定するまで泳がされたという印象しかない。

反省

何点かある

  • 問題を早期に上司上司に上訴しなかったこと. 理由は色々あるのだけれども,一番は上訴した結果,自分が悪いことにされて追い出されるのではないかというのが怖かったのが一番大きい。
    • 何れにせよ結果的には追い出されたので, 早めに上訴した方が相互の傷は浅かったはずだ。
  • 相手に言質を与えるような言動をしてしまたこと。自分過去感情的発言が色々な人を不本意ながら傷つけてしまった事は結果として非常に良くなかった。これについて不快な思いをした各位にはお詫びしたい
    • 同時に、それは自分を追い落とそうとする人々に対して格好の餌を与える結果にしかならず、自分にとっても不利益を被るものしかなかった。

今後

正直、体調・復職ともに戻れるかはわからない。

戻ったところで、自分は「人を追い込んだ上に自爆して、会社の籍だけ貪る」悪人という評価のままなだろう。

そしてAさんは順調に出世を続けている。今後、Aさんが会社の中では正義であり続けるのだろう。

自分はどうだろうか。戻ったところで、どのような椅子が渡されるのかはわからないし、同僚と話すのが怖い。同僚に何を話しても「お前がこの意見に反対したことで、私の人格否定された思いだ」などと言われてしまえば、また懲罰が下ることになると思うと、もう何も言えるとは思えない。そもそも自分が取り組んでいた仕事も全て追い出しの前後キャンセルさせられた。もう何かが残っているとは思えない。

諦めて辞めるべきなのかもしれないが、しかし、転職先を考えるほどの気力はない。

anond:20190412145743

迂遠に綺麗に言ってるけど、結局努力万能主義かじゃなきゃ「俺たちに不快じゃなきゃ無視しておいてやる」でしかない

anond:20190412132528

子どももっても、そういう奇声上げるタイプの子ではなかったので、やっぱり不快

もって生まれ性格によるからのしつけ関係ないっていうけど、ずっとテレビつけっぱなしとかうるさい電子音楽器を与えてそうなってるんじゃね?って疑ってる。

奇声タイプの子の家に行くと、だいたいそんな感じですごいうるさいし。

anond:20190412002137

お気持ちはおまえだよな。全然リー読んでないで「おれを不快にさせたなー」じゃん。

 

そういうことしてるからだれも冷静な議論にお前をいれたくないの。

投稿は甘えbot以下だな。

特定ワードに吹き上がる単機能クズだもんな。

2019-04-11

選挙街宣車はうるさく感じたけど

誇り高き男はいくら音が割れてても不快さがないな

電車赤ちゃんが泣いてて、何がいけないのか?

個人的理由のわからないものひとつ

大人が大声で電車で泣いてたらさすがに違うだろと思うけど、赤ちゃんだよ?当然泣くだろ?

ネット書き込みとかを見ていて、電車赤ちゃんが泣いているのを不快に思う奴がいるんだろう、というのは何となくわかる。

じゃあ、不快に思う理由は?

赤ちゃんが泣くのは、電車じゃなければいいのか?

ファミレスとかでは、不快に思わないのか?路上ではどうなのか?

2019-04-10

anond:20190410005437

テーマに絡めることを諦めて、中途半端エピソードにしておけば「人間が歪めた動物について考え」るかというと、そういうものではありません。

そうでない理由はないでしょう。その可能性に委員会は賭けたんです。アプリノータッチアニメのみのファンなのですが、これが”動物ファースト”の理念だったりするのでは? あるいは実際は制作が高尚な態度を持っていなかったとしても、視聴者にそれを示そうとしたとか。作品のゴールが、売上やエンタメ作劇論でいう面白さ以外にあるとしたら、けもフレ2が失敗だったのかさえまだ判断できないでしょう。

キュルルちゃん人類の罪を贖罪するプロットを書いたつもりはないのですが

すいません。アイデアの語を選んだのが誤解を招きました。「一般的な作劇として...そこに意味を持たせるわけです。キュルルが人類の罪深さを知って、それを贖罪しようとするとか」について言ったつもりです。

俺は、ビーストは死んでないと思います。 → 最終的に死んでるか死んでないかは、別に、どうでもいいんですよ。

俺も生死は問題視していません。けもフレ2作劇の方向性がみてとれる判断材料として取り上げたつもりです。

それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。 → ビースト側の考えや動機意志が全く見えないので、ビースト感情移入しようがなく、大暴れが気持ちよくもない

そうでしょうか。意思のない怪獣が大暴れするとか… 観念的な代理役がアクションを行う作品はあると思います

初見面白いと思ったからこそ、見返して伏線を捜すわけで、つまらない作品を、わざわざ見直し伏線を捜したりする人は少数派です。

もし制作者がネット考察班を動かしたいのなら「初見でわかる範囲面白い」と感じさせる必要があります

必要がある”とまで言える理由がありますか。俺のようなネット考察班が表立って声を上げにくいのは、養護即悪の空気があるからです。

仮にキュルルが、悲劇トリガーではあっても、本人に無責任・悪意はなく、年相応と理解されるのであれば、そんなキャラクターが海に落ちても、爽快感は生みませんので、それはそれで作劇として失敗です。

海に落とすことで爽快感を引き出したいのなら、キュルルが酷いやつと感じられる必要があります(そして主人公が酷いやつと思われたら、作品への好感度が下がります)。

同意できないです。倫理的責任描写不快さは別の概念です。悪意を持って暴虐を奮ったにもかかわらず、視聴者不快感を与えない描き方はありえるとおもいます図書館来館時の博士の蹴りがその例で、あそこで引っかかる観客はあまりいないでしょう。不快感を与える行動をしたヤツが酷い目に遭うのが気持ちいいわけです。ところでキュルルちゃん評価下落はある程度は、けものフレンズ全体として問題ないのではないでしょうか。売りたいのはサーバルカラカル・ペパプといった動物擬人化キャラクターでしょう。人気アンケートをやったらけもフレ2が生み出したイエイヌは、かばちゃんサーバルと二位を争えるレベルの人気になるのでは。

1,2で共通する「フレンズ軍団セルリアン」シーンである以上、視聴者共通性を捜しま

フレンズ軍団との戦闘とはいえ、前回の戦闘とは作中の時間も離れているし共通するギミックなどもないです。前回を経験たかばんちゃん博士などの振る舞いを見て「おお、前回の教訓を活かして戦っている!」と観るのはあり得るでしょうが演出上の共通性を積極的に探す理由はないでしょう。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。→「伏線的な設定が明らかにならないことで現実的な厳しさを描いた作品」は「伏線処理に失敗した、いいかげんな脚本」と区別がつかないんですよ。

区別がつかないのはそのとおりだと思いますしかしもともとのお話は”悪意”かもしれないが”無能説明がつく”だったでしょう。どちらでもあり得るわけです。「いい加減な脚本ではない」と説得はできませんが、「現実的な厳しさを描いた」で説明可能と申し上げています視聴者の悪意説を推していますが、確かに、退屈だったから説にも説得力を感じました。実態は両方なのかもしれません。

「また会おうね」「約束だよ、かばちゃん」。これは通常のドラマであればどちらかが旅立つときに言うセリフではないでしょうか。でもこの後は両者ともパーク内に留まるわけで、これは作劇的にはおかしいといえるのでは。「遊びに来てね」「行くよ… 絶対」などのほうがふさわしいように思います素人でも秒で思いつき、しかも尺も取らず演出も変わらない。制作無能では説明するのは厳しくないですか。けれども現実世界をみてみると、友達同士で時間距離が一時間とかでも億劫になってしまってずっと疎遠。これは多々あるわけです。パーク内でもパトロール仕事もあるし研究あるしキノコも集めなきゃだし、会えなかもしれない現実がありうる。けもフレ2ではフィクションを離れてパークの現実を描きたかった。

けもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います → 段階を追って開示するのではなくて、一番最初から「今回のけもフレ2は、前回と違うぜ、ギスギスだぜ」ってやらないといけないんですよ。途中からスギスしたらかえって混乱します。

ポスター的な告知絵(なんていうんでしたっけ?ああいうの)は楽しそうにしてるサーバルカラカルですが、あれを例えばカラカル腕組みさせるとか… そのような感じでしょうか。でもそれはどれほど効果があるのでしょう。

クライマックス戦闘を、わざわざテンション抑えて緊張感が高まらないようにして退屈に仕上げたら、それは「優しい世界」ではなくて「盛り上がりにかけたつまらない作品」です。意図的ものではなく、制作側の技術リソースが足りなかっただけでしょう。

そうでしょうか。けもフレ1の最終戦リピートする視聴者はそんなに多いと思わないです。そのため前期では戦闘の期間を一話くらいに短く収めた。今期では長くして多くのフレンズ交流を絡めた代わりに、緊張感を抑えたのでは。ホテルでのパンダの振る舞いやペパプへの妄想など、戦闘中にさえ気を抜ける掛け合い漫才が入ってきます

エンタメドラマ的には失敗。そのご意見には納得できました。これはエンタメドラマではなく… ミステリを目指したと考えるのはどうでしょうバラエティ漫才ミステリの間の子です。視聴者タイプを A.漫才で和む B.ドラマを楽しむ C.考察する の3つに分けて考えて、A,C を重視したためにBへのフォローが疎かになってしまったのでは。各話と全体の両方の流れをカバーしているのも難度を上げた原因でしょう。リソースが潤沢にあれば、あるいはすべてのタイプを救う事ができたかもしれません。

辛旨カレーだった店が、看板そのままで甘口カレーを出したら来た客は混乱しますわな。

アニメ料理に例えるのに躊躇はないけど、それぞれで想像しているものが違う。これを面白いと思いました。でも看板にハッキリ”優しい世界”ですと書かれてはいなかった。観客側の受け入れられる間口が狭すぎるのが問題かと申し上げています(その狭さを作った責任が観客にないとしても)。

満員電車乗りになる為に

オラ、今年度から東京大学に通い始めたピチピチの満員電車乗り!

満員電車が辛すぎる!

前の爺さんがチラチラ当たってるぞと見てくるし、後ろの少し若いオバハンは肘でツンツンしてくる。

そりゃ当たってるのは分かってるよ。あんたが当たって不快ってことは、こっちも当たっているんだよ。作用反作用だよ。知らんのか!

満員電車ってこういう爺さんとかオバハンとか心の貧しい人が一定数乗る乗り物

これからこいつらを受け入れられるように悟りを開く必要がある。

ここに乗ってる、ベテラン満員電車乗りの方はみんなその域に達しているのだろうか。

2019-04-09

新社会人2週間目。

「『了解しました』はダメ」。クソくだらねえ。

お茶出しでは茶托の向きに気をつけて」。クソくだらねえ。

「朝は早めに出社して掃除機かけて」。クソくだらねえ。

まじで日本社会ってこうやって成り立ってるんだって驚いています。どうでもいいこと気にしすぎてて笑う。誰が得するのこんなの? 『了解いたしました』って返されて怒る/不快に思う人生って何?

うちの会社残業代まったく出ないみたいだし辞めたいです。

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

anond:20190409015333

間内でやる飲み会楽しいけど、他人がやってる飲み会はうるさいしタバコ臭いしで最悪と言うのと似てる。自身がその仲間内に入ってると楽しいけど、1歩その輪から外れると途端に不快になると言うのは良くあること。再度その輪の中に入っていくかそこからもっと距離を置くかしかないと思う。楽しむためにやってることでストレスを感じるのは意味が無いからね。

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