はてなキーワード: 夕焼けとは
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
34歳。営業職。
でも社会人になってからは全然で、というかゲーム自体全然やらなくてなってた。
スト6評判いいし、やってみない?と学生時代の友人から誘われたのがきっかけだった。
で、久しぶりに格ゲーをやってみたんだ。というかスト6を。
格闘ゲームっていうのは元来、バランス調整が難しくて、どう頑張ったってキャラ差が出てしまう。
その点、スト6はマジで頑張ってると思う。
流石に多少のキャラ差はある。でも下位キャラが上位のキャラを倒すのは不可能じゃない。
実際、キャラランクでは下の方にいたザンギが大会で優勝したりしてるし。
それで最初はその友人と嗜む程度に遊んでいたんだけど、気がついたときには熱中してた。
いや、熱中なんて話じゃない。沼だ。本当に沼にはまってしまったんだ。
仕事から帰ったら飯を食って、あとは寝るまでスト6のランクマ。
土日もめったに出かけず、たいていスト6をやってる。
今までオンライン対戦とかしたことなくて、だからFPSとかで何十時間もやってぶっ倒れるまでゲームしてます!みたいな話を聞くと、こいつらイカれてるなと思ってた。
けど、スト6楽しい!ランクマ最高!ってなだけで不満がないなら、それでいいと思うんだ。
でも土日に何十時間もやって、気が付けば日が暮れててさ、窓の外を見るともう夕焼けも暮れて外が暗くなってる。
ああ、俺何やってんだろ。って我に返る。
本当は資格の勉強だってしなくちゃなのに、ちょっとは外に出て何かしようかと思っていたのに。
自己嫌悪に陥る。スト6やってるときにはそんなことも忘れて没頭し、脳内麻薬ドバドバでハッピーなのに。
やめたいけどやめられない。
そんな事態に自分が陥るとは思ってなかったので戸惑ってるし、焦りもある。
友人に話したら「他に興味あるもん探せよ」と言われた。
自分でもわかっているというか、おそらくこうしてゲーム依存になる人は自己肯定感が低いんだ。
自分を認めてほしい。そんな思いでゲームをして、勝つことでようやく自己肯定が少しだけ満たされる。
自分の存在価値が認められるような、そんな思いで延々と対戦ゲームをやってしまうのだと思う。
だったら自己肯定感を高めればいいんじゃないかと思い立ったんだけど、さてどうしようかと悩んでいる。
彼女を作るべきなのかな。
俺はホグワーツに転校してきた5年生で、転校初日に杖を買いにホグズミードまで行くことになった。
杖を買いに!なんと素晴らしい響きだろう。もう30を超えているのにワクワクする。
ウィーズリー先生曰く、グリフィンドールのナティ(女の子)かスリザリンのセバスチャン(男の子)が俺をホグズミードまで案内してくれるらしい。選んでいいって。
なんでハッフルパフの俺にグリフィンドールorスリザリンの選択を迫るのか、ちょっとよくわからないけど、二人とも優秀な生徒なんだろう。
ふたりとも授業の時にちょっと話しただけだしどっちでもいいかなと思ったが、初日から女の子と校外デートもドギマギしてしまうし、セバスチャンに案内してもらうことにした。
授業の後、セバスチャンと校門で待ち合わせて、初めて校外に出る。
スリザリンはイヤなやつしかいないのかなと思っていたが、話してみるとセバスチャンは良いやつだった。
プライドは高そうな感じはするが、転校したばかりの俺を気遣ってくれるし、薬草のことなんかも教えてくれた。
転校のことや、これからいくホグズミードがいかに魅力的かということ、セバスチャンの妹さんの話をした。
きた道を後ろを振り返ると、巨大なホグワーツの古城が草原にたたずんでいた。
その時ふと「あぁきっとこの瞬間は一生忘れないだろうな」と思った。
「忘れない」と思っていても、実際にはそのほとんどは忘れてしまっているのだろう。
いくつか覚えているものは、信じられないほど赤くやけた夕焼けの帰り道。修学旅行でクラスメイトとみた夜景。あとはなんだったかな。
記憶の彼方、どこかかすかに光るように、そういう記憶があったという痕跡だけが残っている。
詳細は大体省きますが出火の経緯は要するに下記の通りです。
・アニメが終わった後の声優インタビューで、主人公カップル(以下スレミオ)二人が結婚したという旨のキャストのコメントが出る
・数日後電子版でのみサイレントでその記事の内容が修正(結婚の記載のみ削除)
もう少し詳しく話しましょう。
もともとアニメが終わった後からスレミオの結婚についてキャストや公式から一切その言及がないことに、スレミオ界隈では議論されていました。
アニメ終了後の一番盛り上がる配信で、コメントに「スレミオ結婚おめでとう」と大量に流れていたが
キャストが一切それに無視をきめこんでいたくらい「スレミオの結婚に触れてはならない」という態度は公式から徹底されてたのです。
唯一スレッタとミオリネが結婚したと明確な言及があったのは北米のガンダム公式アカウントで
「スレッタは彼女の妻の手を握っている」という説明文がALTに記載されていたことくらいでした。
「もしかしたら劇場版や続編で結婚式するからそれを隠しているのかも?」
「結婚という言葉をあえてださないことで他カップリング(スレミオの二人には、シャディミオやエラスレなどほかに人気カップリングがあった)に配慮しているのでは?」
など様々な憶測が飛び交っていたのですがその中で、ガンダムエースの上記インタビューが登場したのです。
「エピローグでミオリネさんがスレッタちゃんの肩に頭を寄せるシーンも良かったですね。3年たって2人の距離がより親密になっているのが感じられて、
スレミオ界隈の喜びようはすさまじかった。一瞬でトレンドにスレミオが上がり、
絵師はスレミオ絵や漫画をアップし、SS書きは長短かかわらず旧TwitterやPixivにアップしました。
ようやくスレッタがミオリネと結婚したと公式が言ってくれたんだとそう思っていたのです。
ところが3日前。
2023/07/28 とある投稿が旧Twitterにあがりました。
「ガンダムエース9月号の電子版を買ったんだけど、あれ?話題になってた『結婚』の文字がないぞ?と思ってたら電子版で削除されてた……」
削除前日まで、「スレミオ結婚おめでとう」と祝福モードだったスレミオ界隈は削除の事実自体に動揺していたが、
昨日、公式から「編集部が憶測で声優のインタビューに追加したので削除しました。結婚したかどうかは個々の解釈に委ねたいのでよろしく!」
https://g-witch.net/news/detail.php?id=20824
検索すれば、スレミオ厨が怒り狂ってるのをすぐ見つけられるでしょう。
そうはいっても、物語なんだから解釈は人の自由っていうのはあたりまえじゃん。と思う方もいると思います。
ただ、水星の魔女のあらすじを見ればそれがどれほどおかしいかということには気づくと思います。
1~6話ダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=f0EUK7SALgs
https://www.youtube.com/watch?v=BVTefEUsz5E
家族や仲間をヒロイン・ミオリネの父親デリングに虐殺された主人公・スレッタの母親エレノア(プロスペラ)。
娘のエリクトを助けてデリングに復讐するためにスレッタ・ミオリネを利用して地球と宇宙の戦争を始めるけど、
最後は娘のエリクト、かつての仲間や家族に赦されて、スレッタ・ミオリネとも家族になるという話です。
話としてスレッタとミオリネが結婚しなければこの物語は成立しないんですよ。
人殺しのデリングの娘と復讐者プロスペラの娘が家族になれるのかも、この話の大切な要素のひとつなのですから。
べつに結婚してなくても家族にはなれるんじゃない? って、そういう話も私も好きだけど水星の魔女は違うじゃないですか。
当初デリングやプロスペラから勝手に用意された婚姻(決闘)制度に困惑していたスレッタが
次第にミオリネを好きになり、一緒にいたいと告白するじゃないですか、
そのあとすぐにミオリネに捨てられるけど。(ついでに母親からも捨てられる)
そこから立ち直って、もう学園も制度もボロボロになった中(婚姻制度なんか形骸化されたなか)で、
どん底に落ちたミオリネの婚約者に自ら戻るという話の流れがあったじゃないですか。
「指輪も買って、結婚式も挙げて、2人で最高のドレス着て…!!」
ここまでスレッタが言ってるんですよ。めちゃめちゃミオリネと結婚したいつってるんですよ。
戦いの後には、体が不自由になったけど、夢だった学校を作って、
ミオリネが返ってくると嬉しそうに「ミオリネさーん」つってミオリネに寄り添ってるんですよ。
2人の左手薬指には指輪が光って、なんだかんだ生きてたエリクトはミオリネの「小姑」として口やかましく楽しそうに暮らしてる。
エレノアも内心どう思っているかわからないが、地球で穏やかに娘たちと暮らすことができている。
夕焼け空の下、スレッタとミオリネが仲間たちの見守る中笑いあう。
第24話「目一杯の祝福を君に」
バンナム「結婚してるか解釈次第です。スタッフキャストは結婚に言及することはタブー。結婚という文字列を見たら速攻削除します」
ここまで描いたアニメスタッフに対して「いやそこらへんキミらちゃんと書いてないし解釈次第だよね」と言えるんですか。
・結婚していないのに自分を小姑(妻の姉)と呼びミオリネに説教かますエリクト
・結婚していないのにおそろいの指輪をつけて寄り添うスレッタとミオリネ
結婚していない解釈だとこんな謎のキャラクターが生まれるんですけど本当に大丈夫?
水星の魔女に対するファンの失望は、ここまで見てきた内容に対して、作品とは全然違うところでそれをひっくり返された、
2人が望んでいた結婚をないものとしたことへの怒りからきているんです。
というか解釈が自由なら、キャストや編集部が結婚した2人と思ったってそれは解釈の一つなのに、
それは絶対に許せない。削除する。そのモチベーションはいったいどこから来ているんですか?
一部では中国やイスラム諸国に売るためには同性愛要素は削除しなければいけなかったという意見もあります。
(ただ中国では水星の魔女じたい放映してないそうなので陰謀論だと思いますが)
同性愛が禁忌だと嫌だと思うのは別にその国・その人の自由です。迫害しなければ別に好きにしてください。
でも、もしそういう人たちにおもねって結婚という文字をタブーにしたなら、それが水星の魔女の伝えたいことだったんですか?
女同士の結婚に戸惑うスレッタに対してミオリネが「水星ってお堅いのね、こっちじゃ(同性婚なんて)全然アリよ」と
一話で言っていたのはなんだったんですかね?
バンナムがかたくなに結婚した事実を公式として認めたくない理由は明らかにされていないので、わかりません。
ただもし「同性愛とかやっぱ難しいよね~、みんなの解釈次第ってことで結婚はやっぱなしにしちゃお!」
とかにだったなら、そもそも同性婚なんか扱わずにいつものガンダムやってりゃよかったのにねと
ひとりのオタクとして思った次第です。
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
知り合いのオタクがやたらLOの「イエスロリータノータッチ」的なスローガン(表紙のポエムではないと思う)を推してて、それをきっかけに「オタクの良心!ロリコンの十字架!」みたいな語り方をしてる人々を知ったんだけど
LOってあくまで漫画雑誌であって、言ってしまえばロリコンとかセクマイに関する理論紙とかではないんだよ
載ってる漫画はもちろん全部架空の話だし、それは当然LOとは矛盾はしないけど
ただ、「自分はロリコンというマイノリティだ」と認識してるオタクの一部?はLOをあきらかに理論紙的に読んでるし周囲にそう触れ回ってるよね
ゲイがBL漫画を読んで、レズビアンが百合漫画を読んで、なんらかの感動はあるかもしれないけど、あくまで漫画は漫画だってわかってる上で
その漫画雑誌に「ホモはホモらしく世間を弁えて日陰者として生きていこう」なんて理論が書いてあったとしたらすごい議論が呼び起こされるはずだけど
ロリコンというコミュニティはもう十何年もあの一雑誌の「日陰者として生きていこう」みたいな文章を、なんか感傷的で素晴らしい夕焼け風景の詩みたいに受け入れてるみたいだし
逆に言うと、自分たちが崇高な修行者だとかキリストみたいな犠牲者像だと思ってすらいるのかね
それはそれでいろいろヤバいと思うが
というか、「二次元と三次元を混同しない・させないためにLOがある」という自負みたいなのは結構押し出されてるけど、どこまでも架空の世界の話しかしてない雑誌を理論にしてしまう時点で二次元と三次元を意図的に混同してるよね
「これは架空の少女達の話だし、それに欲情する人のための本です」と毎回書きながら、「三次元のそれ」に越境して釘を刺しに行くのって、BL雑誌が「現実のホモの皆さん!」って書くのと変わらんよな
SOMPO美術館のブルターニュ光と風という展覧会に、鯖漁と題された絵が出ていた。中央に漁をする5人乗り程度の小舟。遥かに見える水平線は朱に染まり太陽が見える。それを解説では夕日だと断定していたのだけど、なぜそう言えるのか? むしろ漁は未明から行って昼には終えるもんなんじゃないのと思わないでもない。
こういうふうに、絵を見てると朝焼けか夕焼けか迷うことがある。方角とか題材とかで特定できることもあるけど、分からないことも多い。なにかいい判別法はないだろうか。
ちなみに、この展覧会はカンペール美術館所蔵のブルターニュ地方を題材とした19世紀から20世紀を中心とした絵画の展示で、思いのほか見ごたえがあった。おすすめはセリュジエの数点。フライヤーなどで使われてる難破した2人の印象的な絵は、意外に半裸の方も男だという。父と息子の最後のキスなんだと。同階にあった聖母子は顔はめパネルみたいな感じてなかなかおもしろいので、一見の価値あり。
俺はホグワーツに転校してきた5年生で、転校初日に杖を買いにホグズミードまで行くことになった。
杖を買いに!なんと素晴らしい響きだろう。もう30を超えているのにワクワクする。
(ちなみに公式サイトの診断の結果、俺の杖は月桂樹の枝に不死鳥の羽の芯で作られているらしい。)
ウィーズリー先生曰く、グリフィンドールのナティ(女の子)かスリザリンのセバスチャン(男の子)が俺をホグズミードまで案内してくれるらしい。選んでいいって。
なんでハッフルパフ(これも公式診断の結果)の俺にグリフィンドールorスリザリンの選択を迫るのか、ちょっとよくわからないけど、二人とも優秀な生徒なんだろう。
ふたりとも授業の時にちょっと話しただけだしどっちでもいいかなと思ったが、初日から女の子と校外デートもドギマギしてしまうし、セバスチャンに案内してもらうことにした。
授業の後、セバスチャンと校門で待ち合わせて、初めて校外に出る。
スリザリンはイヤなやつしかいないのかなと思っていたが、話してみるとセバスチャンは良いやつだった。
プライドは高そうな感じはするが、転校したばかりの俺を気遣ってくれるし、薬草のことなんかも教えてくれた。
転校のことや、これからいくホグズミードがいかに魅力的かということ、セバスチャンの妹さんの話をした。
きた道を後ろを振り返ると、巨大なホグワーツの古城が草原にたたずんでいた。
その時ふと「あぁきっとこの瞬間は一生忘れないだろうな」と思った。
「忘れない」と思っていても、実際にはそのほとんどは忘れてしまっているのだろう。
いくつは覚えているものは、信じられないほど赤くやけた夕焼けの帰り道。修学旅行でクラスメイトとみた夜景。あとはなんだったかな。
記憶の彼方、どこかかすかに光るように、そういう記憶があったという痕跡だけが残っている。