はてなキーワード: 雲散霧消とは
派遣先が大手だけど派遣にも優しく業務上でも社内環境でも露骨に差別を感じない会社で収入の差にプライドを持たなければ居心地が良い。
数年前に遡って、元々派遣社員は少ないが少し先に入った派遣の先輩がいた。彼女はちゃんとしていると言う言葉がぴったり合う人で優しく素敵なアラサー女性だった。
派遣先は大手だから社員も学歴やら家柄やら錚々たるメンバーが多く、ちょうど私が入った頃に海外勤務の後本社に帰ってきた男子がいた。子会社の社長の息子でイケメンで家柄も授業で聞いた事のある人の子孫だと言う。
その先輩派遣社員とそのボンボンイケメン社員が付き合う事になり私は驚きつつも、ひょっとして私にもワンチャンあるかもと希望を持った。
ボンボン社員はイケメンだけが取り柄のバカ息子かと思いきや、誠実で頭も良く漫画に出てくるようなイケメン漢で、隠し事はしないと先輩派遣社員と付き合っている事を宣言した。
彼女は幸せの中キラキラ輝き出し、彼のやんごとない家族に会ったり、彼の華々しい友人達と出かけたりと側から見ても羨ましかった。
2人の結婚も近いかと思われていた時、ボンボン彼氏は派遣彼女に誠実に別れを告げた。
他に好きな人が出来てしまった。君とは本当に良い時間を過ごせた。ありがとう。
のような誠実ならではの直球で来たと言う。
その好きな人とは新卒で入って来た、可愛らしくてこれもまた取引先の幹部の娘で、素晴らしいお家のお嬢様で仕事を教えているうちにお互い好意を持ったらしい。
結局この上級国民同士で早々に結婚し子供も産まれ海外転勤になりセレブ暮らしをしている。
先輩派遣社員はその2人が付き合っているとわかってから、皆の何とも言えない同情や憐みの視線の中黙って去って行った。
私の希望は、薄々わかってはいたが、綺麗に雲散霧消した。上級国民は上級国民同士、それ以下はそれ以下の土俵でまぁがんばれと。
先輩派遣社員は土俵に上がる気力も失せ鬱を患い地元に戻り子供部屋おばさんになっている。
私は土俵に上がりたいものの年齢的にもっと狭い土俵に追いやられその縁に指を引っ掛けている状態になっている。
もう指の力もあまり入らず誰かにちょっと踏まれれば即転がり落ちるだろう。
せめて彼がろくでもない男だったら
せめて新しい彼女がブスだったらあるいは可愛いけど貧乏家出身だったら
私の指の力もまだ入るけどなぁ。
ルーピー鳩山は大嫌いだが、彼がかつて言ったように、もう日本が日本人のための島であることは終わった。人口動態からいって復活の目なんてない。国としては終わり。
間抜けなお人好しと、三代かけて落ちぶれる由緒正しい100年企業の三代目()みたいなのが跋扈してるんだからどんどんアジア圏の人口圧に飲まれて日本人のための日本と日本国は薄まって雲散霧消していくわけだ。
この間にグローバル企業に脱皮できた会社はサムソンのように実質アメリカ資本みたいなものに収斂していく運命なんだから、日本の日本による日本のための世界に役立つ産業資本技術発展なんてものは完全に失われた。
よくあるアメリカから日本への周回遅れの流れのように、マイケル・ムーアのアホで間抜けなアメリカ白人みたいなノリの情けない日本人がウヨパヨしてるのが現状で、本当にこの国としてどうありたいかを考えればいくらGDPは内需主導とはいえ資源のない国で外貨を獲得する方向へリソースを全振りするコンセンサスがこの期に及んでも取れていないんだからあと10年しても20年してもジリ貧で右肩下がりなんだよ。
尊厳死()安楽死()の国策に乗って、この間50年くらい何も進めずリソースを貪り食ってた連中がこの世を去って社会保障費を削ってくれることだけが唯一の希望の光まであるわな
雑な緊急事態制限でいろんなストレスが増大して、そのストレス対策も碌にしてないせいで
緊急事態宣言解除でため込んだストレスが一気に弾けつつある昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
治療法はもちろん検査手法の確立にももうしばらく時間がかかりそうな感じだけど、
最近のニュースなんか見てると「もうしばらく我慢すればコロナ前に戻れる」みたいな空気を感じるんだよね。
いくら「緊急事態宣言解除したとはいえ油断は禁物」と正論をぶち上げても、
自粛でたまったストレスが雲散霧消するわけではないし、一般消費者は10万、
事業者は最大200万ぽっちの小銭を1回貰ったところで凌げる時間なんか大してない。
感染者数という分かりやすい数字に一喜一憂したところでウィルスの根絶なんか当分無理で
手間の少ない検査手法もしくは治療薬が広く医療機関に提供されるまではそれらがない前提で
対策を行うための準備を進める必要があるわけだけど、それらの準備って今どうなってるの?
「マスク2枚配布」なんて馬鹿げた思い付き施策の尻拭いに人、金、時間的コストをかけてる場合じゃ無いんだから
下らないメンツなんか放り投げて中止しろよ。これまでに払ったコストよりこれからかかるコストが無駄だよ。
学校の9月入学議論も過去にじっくり時間をかけて検討した上で取り下げたのに、また同じ話するの?
ちょっと前まで全国規模で盛り上がってた「インバウンド需要」は壊滅的なんだけど
そのために様々なコストかけて準備してた人はどうするの?「運が悪かったな」で終わらせるの?
こういった事やらなきゃいけないときに「今年の1月にゴリ押ししようとした検察人事の正当化のための法案」の審議は必要だったの?
野党の要求である「定年延長だけ分離して通せ」を拒否して全部取り下げしてまた余計な時間を後で浪費する必要性はあるの?
近視眼的な舵取りしかできない軽い神輿はいつまで担がれてるの?
自民党内の担ぎ手はほとんど誰も表立って文句言わないけど、自分たちの神輿を自信を持って担いでるの?
もしそうだったら軽蔑するよ。
>>俺たち30代40代オタクは、好む好まざるにかかわらず、政治にかかわることを必要とされた
「欧米ではモデルですら社会に対して意見を述べている」と、モデルも政治に関わることが必須とされた時期がありましたが、雲散霧消しましたね。
「自分の意見」といいつつ周囲とか信じている人の意見のスピーカーでしかなく、ちょっと質問されただけで答えられなくて底の浅さが露呈して。
で最近は「芸人」まで降りてきて、「笑いの本質は権力批判だ」なんて訳の解らないことを言っている。
少なくとも日本のお笑いは「萬歳→漫才」で、徹頭徹尾の肯定、言祝ぎ、お祝いであることを知らない奴が喚いている。
なさけないね。
さて、元発言は
分解すると多分こうなる
となる。
そんなバカな話はない。田舎という概念はおよそ汎世界的なものだ(都会がないような地域の語を除く)。何語に置換しようとも、田舎は田舎。故に上記の理論は意味をなさない。対置として別言語を使えば問題はないのか(反語)。日本人(推測は正しいがあくまで推測でしかない)が外国語を使えば責任は雲散霧消するのか(反語)。ならばその隙をハックして提示する必要がある。就中、対置するなら能うる限り邪悪な語を用いなければならぬ。
さて、続く発言は
だ
この文章で、問題の語は筆者が「使うべき語」として提示されているか?
諸君ら福祉ナチスは、禁止語を見れば脊髄反射するが文脈をよく読んで考えてモノを言ったほうがいい。
どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。
感情に理由をつける場合、解決手段を模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています。
例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由が必要になってくるわけです。
あくまで平和的解決、若しくは健全な事態の収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるものが理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快な感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます。
現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。
全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます。
現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手にストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います。
こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクストの押し付け等の不透明なルールに基づいた他者を排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います。
そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。
相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全な事態の収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え、相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒の応酬、これらは全て威嚇行動です。
先程述べた「威嚇行動」と別の平和的解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます。
また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識の齟齬はあるはずですが、自身の改善を促し問題の起きるキーそのものを消化する可能性をもたらしてくれます。
私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間のゴミ、世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄へ無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚、地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中、意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。
Peingみたいな小ネタアプリから決済機能ありきのうまく行ったら起業するかもって感じのCtoCサービスまでいろいろとアイディアは考えてるんだけど、どれも一向に完成しない
去年の年始は10個サービスやアプリ完成させるとか言いつつ結局今に至っても自分用のアプリが1つくらいしか完成できなかった
今年も、割りと同じ道を辿りそう
今の自分の趣味が、エロゲ、漫画、アニメ、特撮、Steam、2ch、はてな、ゲーム実況動画、ラノベ、んでプログラミングって感じなんだけど、
アニメと特撮は新作以外は月に2クール分以上は見ないというルールも設けた
SteamだってTF2とかFTLみたいなエンドレスに楽しめそうなのは1日1時間以内という制約を設けた、
会社でサービス開発をしていると、エンジニアは『このサービスを作るには1日8時間働くとしてX人のエンジニアがXヶ月働いたら完成する』みたいな見積もりをよくするじゃない?
『俺が仕事から帰ってきてアニメやゲームを遊ぶ時間を差し引いたn分間を2chを合間に見ながら作業を進めるとすると8ヶ月で完成する』
勿論8ヶ月もモチベーションが続くことは稀でしょっちゅう企画ごと雲散霧消したりする
ポケモン新作が発売された日なんかもう最悪で、下手すると1,2ヶ月は何もかもの作業がストップしてしまう
どうすればWebサービスって完成できるんだろう、いっそ会社をやめるか?いや、それでも同じ道を辿りそう
これでも現場経験はまあまああるし、時間とやる気さえあれば大体のものは作れるスキルはあるはずなんだよ。でも、それがどうやってもできない。
ここ最近、酒を飲み過ぎていて(ウイスキー700mlをだいたい2日間で飲み切る)、寝起きが悪いし、日中はだるくて頭が回っていない気がするし、飲み始めるとだらだらと時間を消費して無駄にしている感があったので、思い切って断酒をしてみた。まだ3日間しか経っていないが、その結果を報告する。
寝起きのだるい感じはなくなった。もともと寝起きは非常に悪いが、酒を飲んでいた頃と比べるとすんなり起きられるようになった。
少なくとも日中に具合が悪い感じは減少した。しかし、下記に述べるが寝付きが非常に悪くなったので睡眠時間は短くなり、今は眠気と戦っている。酒を飲むかやめるかという問題は、だるさと眠気とどちらを取るかという問題であるのかもしれない。
思い描いていたイメージとしては、だるい感じが雲散霧消したついでにやる気も湧いてきて、仕事をバリバリこなせるようになるかと思ったが、そんなことはなかった。だらだらしてしまっている。私のそもそもの人間性の問題かもしれないが。それに加えて眠い。しかも「あー酒飲みたいなー」とか雑念が発動されて集中力を欠く。これについては断酒を続けていけばなんとかなるかもしれない。
私はかつてからずっと痩せ型で、ラーメン二郎を週2で食べていた時にも全く太る気配はなかったのだが、加齢とともに体重増が認められるようになった。自分だけは太らない神話は崩壊した。思えば、ここ最近の私は一日中何かを食べていた。空腹の状態で起き、食べても食べても空腹、ツマミは基本的に食べないが、寝る前に腹が減って飲みながらカップラーメンを2杯食べたりしていた。で、酒をやめてから、それがピタリと止んだ。タバコのせいもあるかもしれないけれど、思わぬ副産物だった。
私がそもそも何で酒を浴びるように飲んでしまっていたかというと、寝酒である。寝付きが非常に悪いのである。世の中には横になってすぐに入眠できる超人のような人間もいるけれど、そういった全ての人たちに嫉妬と憎悪を抱くレベルで寝付きが悪い。で、酒をやめてから、案の定寝付けなくなった。これは大打撃である。食べることと寝ることが趣味という人が世の中には存在して、眠るときが一番幸せという人も多く見かけるが、そういった全ての人たちを妬み、嫉み、憎しみを抱くレベルで大打撃である。私の場合、アルコールと睡眠はトレードオフらしい。困った。
「飲みたいなー」とはたまに思うけれど、手が震えたり、渇望したりするほどに飲みたいわけではない。家には自家製の梅酒が仕舞ってあるけれど、それにも手を付けていない。アル中ではなかったこと、断酒もやろうと思えばできることがわかった。
アルコールはうつ病の原因になるという話も聞くので、前述の通り、酒をやめたらもっと生産的になって幸福度も増すかと思ったが、実際そうでもなかった。心に穴が空いたというほどでもないし、酒を飲めば幸福感を得られるとも思わないけれど、少なくとも淡々と日常を生きている感じである。酒をやめたから活力が湧いてハッピーという感じでは全くない。
とは言え、酒をやめたことは健康に良いことには違いない。適量だけ飲むということが出来ないのである。一口飲み始めたら酔いつぶれるまで飲んでしまう。たった3日間だけど、断酒してみて起こった感想・変化を書き記しておいた。またそのうち飲み始めるかもしれないけれど、続けられるだけ続けようと思う。
枝野の立憲民主党の立ち上げは、これまで長らく政治を見てきた自分の中でも、久しぶりに盛り上がった出来事だった。
希望合流でリベラル勢力が絶滅の危機に瀕する中、Twitterじゃ「#枝野立て」とタグができて、俺も乗っかった。
それが現実になった時は、そりゃあ盛り上がりましたよ、ええw
筋を通した男たちってかんじでさ、これで民進党みたいに簡単に雲散霧消するような烏合の衆じゃない、正統派リベラル政党ができた、と本気で喜んだもんだ。
選挙結果も、立憲民主党の躍進で、議席数は少ないものの俺にとっては大勝利だった。
・・・それがだ。
選挙終わって一か月も経たないうちに、立て続けのセクハラスキャンダルですよ。
おいおい、何がリベラルだよ、もう最悪ですよ。
さらにまた民進党の議員が離党したけど、結局、自民党と比べて、元の民進党議員の質が圧倒的に低すぎるって事を痛感した。
こんな政党に乗っかって盛り上がった自分が心底恥ずかしい。Twitterとか垢消したいw
というわけで、立憲民主党の支持止めました。
正直、保守の人がうらやましいですw
車椅子ではないですが、障がい者です。増田氏の心遣いに深謝致します。
我々障がい者は、声をかけていただくだけでも、大変ありがたいものです。最近は飛行機でのやりとりがニュースになっておりましたが、やはり我々は皆さんより自由が利かないので、お気遣い頂けるだけでも大変ありがたいものです。あの方や乙武氏のように、強い言葉で世間に発信できる障がい者はごく少数で、やはり我々は、皆さんのような方々に支えられて生きております。
是非、次回も同じ方にお声がけください。あなた様のもつ些細な罪の意識など、即座に雲散霧消する事でしょう。
過度な謝罪は不要です。「こんにちは。何かあった時にはお力添えしますよ。お気軽にお声掛けください」とでも言われれば、私などは大変に嬉しいものです。
「助け合い」という言葉がありますが、我々が皆さんにお助けいただく頻度と比肩すると、我々が皆さんをお助けできる場面は大変少ないです。しかし、この日記が増田氏に届き、増田氏の懊悩を解消できる一助となれれば、私のような者でも少しはお役に立てるやもと思った次第です。
連夜の懇親会という名の酒の席の後はよかった。酩酊で感度が鈍ければ気分だって軽い。夜が遅ければ通りに人は少なく、宿泊先のホテル近くまで、日本人の同行者だっていたのだ。
一方で仕事が終わったあと、特に予定のない日に漠然とした不安が襲ってきた。仕事が終わって19時前、空はやや暗く人通りは絶えない。ホテルまでの帰途、行き交う人々の合間を一人で歩く。いかついタトゥーの強面の黒人、連れ立って喚いている話の通じなさそうなハイな学生たち。もし絡まれたらどうしよう。
自分は英語ができない。もちろん一人でアメリカに入国して一人でホテルにチェックインして一人で仕事先で拙い英語をなんとか切り貼りすることはできている。と思う。が、そもそも英語以前に日本であってもどちらかというと人見知りするほうで、初めて訪れるお店に入る時はつい目の前を素通りして様子を伺ってしまうタイプだし、咄嗟の会話で言葉に詰まるし自分を相手がどう捉えているかが気になって仕方がない。相手の意図が読めないと上手に話ができないのかもしれない。
アメリカではどうか。
相手を読める気がしない。言葉の違いと文化の違い。歴史的背景的にアジア人は軽んじられたりしないだろうか。不安げな面持ちのうらなりが一人で歩いていたら簡単に絡まれるのではないか。絡まれたら何をどう説明すればいいのだろう。あいにく大した持ち合わせもないし、仕事の都合上でパスポートを持ち歩く必要があるのだ。これがなくなるとけっこう困る。必要以上に警戒して歩くと余計に目立つかもしれないと思いつつもつい警戒して挙動不審になっているかもしれない、という思考のループから抜けられない。しかしもちろん実際には誰からも何もされることはなくて、普通に歩いて普通にホテルについて普通に部屋に戻るのだ。
しかしそれでも、漠然とした不安は鳴りを潜めてくれなかった。昨日には火災報知器が誤作動したし、過敏になっているのはわかっていた。それでも何かの手違いで、突然ホテルを出ろと言われるような気がしたし、突然隣人が怒鳴り込んでくるような気がしたし、突然電話が鳴ってまたわけの分からないことを言われるのではないか。
言われなかった。
かくして短いアメリカ出張も終了し、一人でホテルを出て一人でバスに乗って一人で飛行機にのって一人で帰ってきたのだけれど、飛行機に搭乗してからの安心感はまどろむようであった。ここでは何か困ったことが起きても日本語が通じるのだ。正しく現状を認識して自分に手落ちがないことを説明できる。もうこれで大丈夫、アメリカで一人で抱えていた常時不安は消え去った。
さて、この常時不安がけっこうキツかった、というのが本題である。
なんとなく落ち着かなくて、何も手につかなくて、楽しいことをしようという気にもならなかったし、なんだか体調まで悪くなった気がした。深呼吸しないと呼吸が苦しくて何度も何度も深く息を吸った。思考もどんどんネガティブな方向に進んでいく。仕事の荷物を置いて再度ホテルから出て晩御飯を食べようという気も起きずにお腹が空いた。お腹が空いているのに部屋から出られない自分をみじめだと思った。
いざ部屋を出てみると意外と平気なのは知っている。でもすごくストレスがかかる。飲食店であれスーパーの店員であれ大した会話はしないのも知っている。でもイレギュラーが起きたら上手に対処できる気がしない。絡まれるのが一番ありそうな気がするし、食事をしたあとにうっかり財布を持っていないことに気付いたら誰に何をどう説明すればどう解決に進むんだろう。分からない。そんなことは財布をちゃんと持っていればいいことなのは分かっているのに、そんな起こり得ないことが起きたときにどう対処すればいいか分からないから部屋から出られない自分がみじめ、と思うことがもっと自分をみじめにした。
しかしなんとか日本に帰り、常時不安は雲散霧消、好きなときに好きなところに好きなように行けるようになった。そこに裏打ちされているのは自信であって、日本語という言葉や日本という文化と慣習に揺るぎない自信があるから常時不安には陥らない。少なくとも自分はそうだし、多くの人もそうだと思う。
しかし、全員がそうだろうか。と思ったのがこの話を書いた最大の理由で、自分には世の中で生きづらそうにしている知人がある程度いて、そういう人たちに自分はどう声をかけたか。休日に部屋に引きこもってないで出かけろだとか、出会いがないなら合コンへ行けだとか、そんなことを言ってきた。
彼らは私がアメリカで常時不安だったように、ここ日本にいても様々な理由で常時不安なのではないか。対人恐怖症なんかは言語関係なく対人に自信が持てないのであって、自信が持てないのなら常時不安なのかもしれない。アメリカで自分が感じた常時不安の息苦しさの中で、「せっかくアメリカに行ったのに引きこもってるなんてもったいない」だとか「英語なんて適当で通じるから観光でもなんでも行ったほうがいい」とか言われたら確実に余計なお世話だと思う。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。不安なのは不安なのであって、簡単に消せないから苦しいのだ。
無意識のうちに、同じことを同じように自分も押し付けていたのではないか、と思った。人に会うのが苦手な知人に合コンに行けとか旅行しろとか友達を作れと言ったとき。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。そう思われていたのは、誰よりも自分だったのかもしれない。
できることはなんだろうか。またアメリカに行くなら英語だと思う。英語圏の人と話す経験をたくさん積むのが理想だろう。いずれ海外に行くことはあるだろう。それまでにもっと勉強していく。きっとそれが一番いい。