はてなキーワード: 希死念慮とは
本筋と違う話なので端折るが、かなり痛烈な経験で、人間不信に陥るくらいひどい目にあって人生最大の挫折感を味わった。
卒論もあらかた書き終わって仕上げの段階で、希望する先ではなかったが就職も内定していた時期だった。今思えば俺は軽い鬱になっていたのだと思う。
鬱は重たくなると死ぬ意欲さえ失われるらしい。適度に行動力のある中途半端な鬱が一番やばいらしく、その時の俺はまさにその状態だったのだろう。
俺はアパートの部屋に引きこもって全てをシャットアウトした。このままでは卒業できず、自動的に内定も取り消しになり、推薦してくれた教授の顔も潰すし来年以降の後輩の就活にも悪影響を及ぼすだろう。
でもそんなことどうでも良くなっていた。
そんな日々を過ごしていたある日の早朝、親友のAがアパートを訪ねてきた。
Aはちょっと付き合えやと言って、俺にバイクのヘルメットとグローブを渡してきた。
一体何なんだと思いながらも促されるまま俺はAが中古で買った大排気量バイク(確かKAWASAKIだったと思う)のケツに跨った。
早朝のため、道は空いていた。しっかり掴まれよ、というが早いか強烈なGが俺の全身を襲ってきた。真正面はAの体に遮られて見えないが、道路脇の風景がものすごい勢いで後ろにすっ飛んでいく。
俺はバイクに乗るのは生まれて初めてだった。冷や汗をかきながら必死でAにしがみついていた。
小高い見晴らしのいい公園にバイクを停めて、自動販売機で買ったジュースを飲みながらAが、どうや俺のマシンは?と聞いてきた。
しょんべんちびりそうやったわと笑い、しばらく雑談した。
俺:何キロくらいだしたん?
A:一人なら200キロ以上は軽いけど、タンデムやとギリギリやな。
俺:殺す気か?
A:最近死にそうな顔してたから気合い入れたろうと思って誘ったんや。ちっとは目が覚めたか?
道が混む前に帰ろう。
メットとグローブをしばらく置いてくわ。また走ろう。
A:俺が送迎したるから明日大学行かんか?研究室にもそろそろ顔出せや。
俺:分かった。頼むわ。
そんなことがあったのかというくらい晴れ晴れしていた。
教授はカンカンに怒っていたが、何とか謝り倒して許してもらい、無事卒業し就職もした。
数年後、同窓生のLINEグループでAが急逝したと連絡があった。
劇症肝炎で、具合が悪いと言って入院したのち容体が急激に悪化しICUへ。
それから数日も経たないうちに亡くなったそうだ。
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
どこに書いてよいのかわからずここに書く。
以前付き合っていた女性が亡くなった。付き合っていた当初から希死念慮が消えなかった。別れたくはなかったが、我々は未来の明確なビジョンが持てなかったので別れた。
共通の知り合い経由でその事実を知った。多分、自殺だろう。詳しくは聞けなかった。彼女の実家の住所は知っているが訪ねるのは流石に迷惑だろうと思っている。ただ何をすれば良いのかわからない。もう付き合ってもいないし。ただ何もしないのも薄情だという思いが心にある。付き合っていた男性に連絡をしてから亡くなったようだ。私と付き合っていた間は死にそうには思えなかった。少なくとも私は許さなかっただろう。しかし、その男性は寛容な考えの持ち主だったのかもしれない。死なせてあげてなおかつ死後の面倒まで見てくれる男性とどちらが良いのか未だにわからない。
世の中には他にも同じく希死念慮を持って生きている人はいると思うが、みんな最後はどうなるんだろう。
彼女は付き合う前はキャバ嬢をやっていた。やりたくはなかったらしい。でも確かにそれくらいしかできないような女性だった。そういう人はみんな最後はどうなるんだろう。全員老いる前に死ぬのだろうか。死ねるのだろうか。そんなことを考えている。
大学の同期に一人ペドがいるが彼も精神科への入院を繰り返し今でも度々鬱を発症している
当時は規制もゆるくてオカズはなんとでもなったが、そのような有様だった
なんならそいつは背が高くて顔面も良かったので彼女もできたりしてたけど
誠実にありたいからとペドをカミングアウトしたら速攻で破局してまた希死念慮でが出て入院したりしてた
結局、社会から絶対に認められない性質を抱えている限り苦しさと生きにくさからは逃げられないと思う
二次元ポルノは息抜きになるかも知れないが生存の許可は出してくれない
俺は彼を親友だと思ってたが、彼はなかなかそれを信用できないみたいだった
心の底では蔑んでいるだろうと
クジラックス読んで涙を流すのはそういう奴らなんだよな
主な理由は2つあって、
後者については南米等に行けば、メスカリン入りのジュース等が普通に売られているので簡単に解決する。
問題は前者で、普段から自分の本音をごまかして生きてる人は、自分の精神構造を観察できない。
たとえば「夢とは何か?」と尋ねても、正確に答えられる人は少ない。従って、見た夢の意味も理解できない人が多い。
白昼夢は寝ているときに見る夢よりも解析が簡単で、潜在意識の構造を理解するための材料として使えるだろう。
意識の構造を理解できていない人は、言い方を換えれば「自分自身について十分に理解できていない」ということでもあり、不幸になる可能性が高いという印象がある。
https://anond.hatelabo.jp/20230829161200
・私自身が現実から離れた職業、立場、人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン)
・私の考えと無関係な他人の主張が勝手に流れてくるパターン(他人パターン)
いずれのパターンも歩いている最中や電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。
なりきりパターンについて。
現実と全く無関係な空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。
空想の例。
・天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。
・建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりなデザインを実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。
・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句を推敲しながら山道を散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。
私は平凡なオフィスワーカーなので上記の職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。
没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。
空想の例。
・独立して活動可能な軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地が存在する現状は、米国の属国である。速やかに核武装して相互破壊確証を確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国からの侵略に備えるべきである。
・稀にだが、勝手に作曲が始まることもある。音楽ジャンルはボサノヴァが多い。
特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論は私自身の考えになっている。
例えば、皇居の京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都は空港が遠いので公務において不便ではないかとか。
こうした空想が勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。
その人は、現実の仕事や生活に思いを巡らすことはあっても、現実と無関係な空想が勝手に始まることはないらしい。
歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。
私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。
・現実の仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトのリーダーや新人の教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司からは普通の人間だと認識されている
・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴の人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)
・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている
・以前最大で月間200時間の残業を経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。
・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。
ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。
現実の仕事や生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?
また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。
この増田を見た率直な感想は「今の日本人はユダヤ人よりも知性が低い」ということ。
なぜか?
このうち経験について、今の人間の技術では「自分と同じ経験を他人と共有する方法がない」ということが理解できていない。
自分の得た経験について、自分自身では納得できても、他人に証明する手段がない。
例えば「神に会った」という精神病患者等がいた場合、その患者は自分の経験の正当性・実在性をどうやって証明すればいいのか?どうやって、自分と同じ経験を他人に経験させることができるのか?
経験の性質、特にその証明方法について理解できていれば、増田のように「とても不思議である。」などとは決して言わない。
(正確には「自分と同じ経験を他人と共有する方法がない」ではなくて、一定の条件下においては可能なのだが、長くなるのでここでは割愛。趣旨とはズレてくるので)
昔の日本人は日常生活で大麻を利用していたが、敗戦後は禁止された。
ドラッグを使って人間の精神構造を研究する医療分野があるけど、なぜ一般人には禁止されているか?その本当の理由を知らない人が多い。
夢の意味など、精神の構造を理解できていない日本人は、日本とは違う法律の外国へ旅行したらいいかもね?(コロナの影響が残っているので安全には注意が必要)
・私自身が現実から離れた職業、立場、人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン)
・私の考えと無関係な他人の主張が勝手に流れてくるパターン(他人パターン)
いずれのパターンも歩いている最中や電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。
なりきりパターンについて。
現実と全く無関係な空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。
空想の例。
・天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。
・建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりなデザインを実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。
・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句を推敲しながら山道を散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。
私は平凡なオフィスワーカーなので上記の職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。
没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。
空想の例。
・独立して活動可能な軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地が存在する現状は、米国の属国である。速やかに核武装して相互破壊確証を確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国からの侵略に備えるべきである。
・稀にだが、勝手に作曲が始まることもある。音楽ジャンルはボサノヴァが多い。
特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論は私自身の考えになっている。
例えば、皇居の京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都は空港が遠いので公務において不便ではないかとか。
こうした空想が勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。
その人は、現実の仕事や生活に思いを巡らすことはあっても、現実と無関係な空想が勝手に始まることはないらしい。
歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。
私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。
・現実の仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトのリーダーや新人の教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司からは普通の人間だと認識されている
・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴の人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)
・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている
・以前最大で月間200時間の残業を経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。
・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。
ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。
現実の仕事や生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?
また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。
■ 追記(2023/09/07)
返信・はてブのコメントを頂いたので、主要なものを抽出のうえ、私からのリアクションを追記する。
私自身は空想癖で困ってはいないが、同じことで悩んでいる方の参考になる可能性があるので、情報共有として……。
(虐待や近親者の死といった高ストレスに晒された経験はないか? ストレスへの防衛反応として空想癖にはまっているのではないか)
一日三食食べられない時期があり、公立高校の学費すら捻出できない程度に、実家はお金がなかった。大学時代は奨学金とアルバイトで学費・生活費の全てを賄っていたが、積み重なっていく借入額を見て、返済が常に不安だった。当時、また卒業してから数年間も、学費不足で大学を除籍される悪夢をよく見ていた。貧乏は日本中にたくさんいるので客観的には大した悪条件でないが、当時の私にとっては人生上の最大の問題だった。
(自分も空想癖がある。しかし日常生活、社会生活に支障なければ問題なし)
私も同意見。私が病気ではないかと心配くださる方もいたが、生活に支障はないので、解決すべき問題だとは捉えていない。
以前小説で小金を稼いだことがある。しかし漫画も小説も競争が激しく、生き残れるのは本当に僅かな人たちだけなので、職業にするのはおすすめしない。
私の場合プロットをまとまるだけで数ヶ月かかるがそれでも編集会議を通過できるとは限らず、そのうえ1〜2年かけてようやく一冊書いても、経済的に報われる可能性は低い。
家庭や本業(会社員)がある状況で、それらを少なからず犠牲にしてまでやりたいことではないと思ったので今は書いていない。趣味で別ジャンルの創作はしているが。
(他人の主張が勝手に流れ込んでくるのは統合失調症ではないか)
私は社交性が低く、感情的に淡々としており、猜疑心が強い方なので、統合失調症的な傾向があることは否定しない。
しかし取引先とのコミュニケーションや、日々の会議のファシリテーション、特許のような論理性を要求される文書の理解ができていることから、病気ではなくあくまで個人の気質・性格の範疇と捉えている。
他人の主張が流れ込んでくる件については、その折々で議論されている時事問題に関した主張が流れ込んでくるケースが多いことから、どこかで見聞きした他人の主張を頭の中で勝手に反芻しているものと解釈している。というか、今、そう思った。現に最近はビッグモーター社や世界の景気減速といったトピックが多い
私の診断結果ではADHDの傾向は全く無かった。ASDの傾向はややあった。それでも発達障害といえるレベルでは全くなく、個人の性格の範疇とのことだったが。
双極II型障害で定期的に希死念慮に襲われてる者だけど、はてな匿名ダイアリーなんかを見てるような理屈っぽい人間は、ここに書かれてるような思考実験なんか何十回とやってると思うわ。自分もやるもん。
でも思考ではどうにもならない。神経伝達物質の異常だから。最も優れた対処法は思考停止(≒寝逃げ)。だって考えると疲れてしまって余計に希死念慮が強くなるから。
逆におまえさんの書くような思考実験で薄まるレベルの軽い希死念慮にとどまれてる人には良いのかもしれん。
【追記】
このような(他者からは見苦しいとしか思えない)追記を書きたい気持ちが己の中に湧き上がってきたときに、どうやってその気持ちを鎮めるか。どうやってその衝動と戦うか。そういう話よ。元増田はその衝動に負けて惨めな姿を大勢の前に晒してしまったわけ。我慢するにはどうすればよかったと思う?
つうか、おそらく「幸福な人間ならこのような惨めな追記は書かないはずである」と思われてるよ、あなた。
気持ちが落ち着いたら「ダニング=クルーガー効果」について調べてみようぜ。
ま、お互いせいぜい頑張ろうな。
ある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想を自分の人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。
これは自分はリアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。
いってみよう!
「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である。
ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合は衝動的なものか、金持ちの道楽のようなものである。
「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場合、そこから「5億あったら死なないか?」「1億あったら死なないか?」「2000万あったら死なないか?」などのように逆算する。
ここでたとえば「200万あったら死なない」のような結論が出た場合、死にたさの答えは明らかである。金がないことが問題であり、その金を稼げないこと、どのようにして稼げばいいのかを知らないことが問題である。
金があるなら仕事を辞めることもできるし、一時的に1年休むだとか、転職活動をすることもできるし、広い家にも住めて生活にゆとりとハリが出て、喧嘩も減り、やりたいことにも挑戦できる。
以上によって、死にたさの問題は金に帰着した。あとは這いずり回って稼げばよい。守銭奴のように金を求めれば救われる。
生死の問題だと思っていた人に「あなたの問題は200万円の問題ですよ」と示したとき、衝撃を受けたその人の顔を見るのはなんとも痛快である。
「死にたい」という思考が出てきたとき、通常は「望んで死にたい!!!!!!!」という朗らかポジティブるんるん思考ではないはずだ。
「自分は生きることは全然余裕綽々なんだけれども、でも、自分は絶対に死ななきゃならないんだ!!!!!自分は死ぬために生まれてきたんだから!!!!!死にたい!!!!!!!!!今すぐに死にたい!!!!!!!高らかに!!!」
のような気分ではなく、たいていは「死にたい…………(絶望)」のような気分になっているものだ。
重要なことは「本当は生きたいのだけれど、なんかうまくいかなくてめちゃくちゃ苦しくてもう無理……せや!! 生きるよりも死ぬことの方がマシなのでは????」という消極的な選択をしているという事実を認識することである。
「叶うことなら、本当はハッピーにしあわせに生きていきたいのだ」という自分の心を解放すると、周りの環境から「お前はハッピーでいてはいけない」「苦しみに耐えればいつか幸せになれるよ」などと教化されて、いつしか「苦しむことこそが自分の幸せなのだ!」という信念が強固になってゆく。
冷静に考えてみると何かおかしくないだろうか。
「なぜこの俺様がこんなに我慢を強いられているのか???俺様をお前らは殺そうとしているのではないか。鞭を打てて、かつ虐げることができる生贄として、ギリギリ生かされているだけなのではないか?」などという外に向ける凶暴で凶悪な怒りが実はあるはずなのだ。
死にたいのではなく、「周りの環境からの抑圧によって殺されつつある」という自覚がただひたすらに重要である。
ただ弱い、ただ無力、ただザコなのである。弱いから死にたいという気持ちがあがってくる。無力だから虐げられる。ザコだから一方的に攻撃される。
「仮に健康的で体力があって自分が笑顔でるんるんでもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
そのような気分にはなれないかもしれない。いや、そのような気分に、なりたくないのである。
なぜならそのような気分になっていた場合、周りから不審な目を向けられるからだ。
「お前には人の心というものが無いのか」「悲しまなければならないときになぜお前は悲しんでいないのか?」「絶望すべきときに、なぜ絶望しない?」「お前は人間ではなく、化け物だ」と扱われることの甚大なる恐怖によって、お前の感情は規定されている。
さて、通常、肉体が健康的な状態になっているならば死のうという気持ちが起こることはない。
つまり死にたさがあがったとき、そのような肉体を保持していることに原因がある。これは運動・睡眠・食事などの、肉体的なもので解決する問題である。したがって頭でこねくり回しても無意味である。
つまり外に出れば良い。
また、外見によって人は態度を大幅に変える。病的な人間には人は苛烈に対応する。とてもか弱い歯向かってこないひよわな人間に、人は優しくなどしないものだ。一見味方のフリをして、本当は支配したい人間も寄ってくる。支配したいのに「あなたの味方ですよ」という顔をするからたちが悪い。
所詮、手のひらの上で転がされているだけなのだ。飛び立とうとしてみろ。奴らは足を引っ張り出す。いつまで籠の中の鳥の気分でいるつもりだ。お前はインコか。
人生は不公平なものであり、なかなか思うようにうまくいかないものだ。どんなに言葉を取り繕ったとて、自分より明らかに楽をしていい思いをしている人々が多くいる。
自分は苦しい思いをしていて、呪縛され、どうにもならない、人生とはそんなものだという無力感を持っている。
「こんなにやったのに」「こんなに頑張ったのに」「でも自分はだめな人間だ」「もうどうしようもない」という自責の念・罪悪感を持っている。
「だから自分など、苦しんだほうがよいのだ」というふうに考えているのだ。仏教的、儒教的、アジア的、日本的な価値観である。
これは苦しんでいるようでいて、実は楽をしており、快楽を得ている。「苦しめばおっけ〜!」という甘いスイーツに酔いしれているのだ。
お前は簡単に苦しんではならない。もっと、より、高度に苦しまなければならない。お前の苦しみなど苦しみではない。せいぜい最大でも1人分の苦しみだ。
より苦しめば楽になるのである。
にもかかわらず、楽になろうとすると恐怖が湧く。見えている苦しみ、どうせ人生はトータルでいうとこれぐらいの苦しみだろうという予測以上の苦しみを得ることに恐怖を感じているから、現状の苦しみで安定する。
「自分が苦しみさえすればいいんでしょ?」「自分が全部悪いんだよね」という攻撃性をうまく覆い隠して、悲劇のヒロインを演じている。男も女も変わらない。お前はシンデレラか。
より苦しむべきである。
この世に期待などするな。それでももし諦めたくないのであれば、自分がその希望になる他ない。お前が無条件に他者に愛を注げ。
お前が他者に愛を注ぐような利他で無私の心で、その一部を証明せよ。愛はお前が与えなければこの世に存在しない。
だいたい、他人も生きていて、他人もその人の人生で手一杯である。どうしてお前を救えようか。
死にたいなどと思っているうちは、お前は利己的で自己中心的でわがままなのである。死にたい人間に生を与えろ。誰かの希死念慮を打ち払え。
人の価値を金銭で考えるべきではないといううぶな考え方を抱いている人が多いが、人命は金と交換可能である。
建前上、人命は金に変えられない高価なものだとされている。もちろん、この精神自体は素晴らしいものだ。理想として、そうあるべきだ。
しかし、現実はそうなっていない。200万円が無いことで死にたさが湧いて、そして実際死んでしまうというのは、命の値段が200万円であるということだ。
金を誰かがくれるわけではない。なぜ俺が赤の他人の、しかも俺に攻撃を仕掛けてくるような精神性の持ち主に金をやらねばならないのか?
お前の人生だろう。俺の人生ではない。なぜ俺だけがお前を一方的に助けなければならない?お前だけが生きているのではない。
誰も無償で助けてはくれないのだ。お前が助けてくれとヘルプを出さなければ誰も助けることはできないし、ヘルプを出したからといって必ず助けてもらえるとは限らない。
自分で自分を助けるしかない。他人に縋るな。絶望が足りない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
世の中は不平等だ。それを改善しようとする動きもあるが、全然追いついていない。
なぜそれを待つのか。待って待って待って、待って耐えれば満足か?そんな日は来ない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
優しくがんばれがんばれと言われたらそれで満足か?それがお前の人生か?そいつはお前の人生に責任など持たないぞ。
まずは自分で自分を鼓舞しろ。なぜ他人に身をまかせるのか。「どうにかしてくれ」ではない。お前がお前でどうにかしろ。
お前は死にたいのではない。生きたいのだから生きればいい。努力してもしても無理だったんだろうが、まだまだ絶対的に足りないのである。全く足りない。やってないのだ。
俺がお前のことを何もわかってないことが憎いか?殺したいか?怒りがこみあげたか?万能薬でないことに絶望したか?
逆にお前は俺の何を知ってるんだ?
クソザコに生きる術を伝えてるんだ。お前の無知の範疇で理解した気になるな。ちゃんと全部読めてんのか?眺めてるだけでは何一つとして読めんぞ。これはそういう文章だ。ありがたく精読して頂戴しろカス。
高校2年生は鬱病が酷く、引き取られた祖父母の家で1日中寝ている生活
担任の教師のお情けで3年制に進級はでき、なんとか登校できるまで回復したが、もとから落ちこぼれ気味だったのもあり、勉強は全くついていけず
療養&浪人で3年間浪費し、21で大学入学するも、その年に中退
鬱病の症状が改善しないので、主治医から電気けいれん療法(全身麻酔をして、脳に電極刺して電気を流す治療)を勧められ、受けるものの記憶力、思考力が落ちるだけで鬱病の改善はせず
なんとか就労するものの、1社目は仕事ができなさすぎて1年ちょっとでクビ(遠回しに退職しないかと打診された)になる
今も辛うじて2社目で会社勤めをしているものの、仕事ができない無能の自覚はある
薬を変えたり、朝日を浴びたり、運動をしてみたり、電気けいれん療法を試してみたりと色々改善できないか試したが、全く実らず
人生の半分以上を鬱病の症状に苦しみながら生きてきたが、まったく良くなる気配が感じられない
元々突発的な希死念慮はあったが、今は「この先良くならないなら今死んでしまったほうが楽ではないか」という考えに取り憑かれている
自分が異常である自覚はあるものの、異常であるという自覚がある故に自分の判断に自信も持てなくなってしまった
昔は「普通の幸せな家庭を築く」という憧れがあったような気はするが、今は叶わないことも理解している
今後、どうしたいか・どうなりたいかすら思い浮かばないが、何らかの救いを求めてここに書きなぐっている
この文章を読んで「こんな奴もいるんだな、こいつよりはマシだな」と誰かの救いになることを願っている
そりゃ、やさしさからに決まっている。人の命を救うことに理由なんていらないだろう。
タバコは止めとけとかドラッグは止めとけとか、そういうことと一緒で自殺は止めとけと言っているんだ。
キミのいうことも分かる。今まで酷い現実を生きてきたんだから、死という救済は否定したくない。ということだろう。
死が救済だというのなら、希死念慮の人を殺しまわればいいのだ。
逮捕されることを恐れて、自らの信じる善をなさないなら、逆偽善者で、偽善者以下の存在だ。
なんてね、冗談さそんなこと思っていないよ。
一人になって寂しいということは、今まで外的要素(自分以外の存在)を利用して喜びを作り出していたということ。
つまり何らかの依存症は、セックスパートナーだったり酒やドラッグだったり、対象は全て外的存在。
動いている状態では、運動によって、時間的変化が必ず発生している。=永遠に同じ状態に固定できないことが特徴。
そのため、
②未来:得たいと思っているのに、まだ得られないという損害が発生する
③現在:他人に殴られたり悪口を言われたりとか、今まさに損害が発生している場面の真っただ中にいる。
という3つの時間的変化に分類できない損失はないことが分かる。(MECE)
上記3つのうち、過去の得ていた喜びを失う苦しみを解決するには、いろいろな方法があるけど、
根本的には、外的要素を使った快楽の作成から、外的要素を使わない快楽の作成に切り替える必要がある。
つまり、常に変化して永遠に同じ状態に固定できない外的存在を使ってしまうと、必ずなくなる時期があるので、根本的な解決にはならない、ということ。
例えば、海に遊びに行って、砂浜で砂のお城を作ったとしよう。しかし、海の満ち引きで波が砂浜を洗うと、砂の城はやがて波に飲まれて崩れてなくなってしまう。
いずれなくなってしまうことが分かっていることにいくら労力を割いても時間の無駄になる結果は頭では分かっているはずなのに、それでもやってしまうのはもはや中毒になっているから。
再現できる機会がある限りは、壊れた砂の城を作り直す作業を何度も繰り返してしまう。
だから、動いている状態で作成する快楽は、必ずなくなる仕組みになっている。
動いている状態を止まった状態にできる場所は、人間だと心の中にしか確保できない。
(自分以外の外側を見渡して、永遠に止められる場所やものを発見できないから、消去法で外側にはないことが分かる。)
厳密に言うと、心の中にも永遠に止まった状態、変化しない場所を確保することはできない。
心すら動き続けて、やがて砂浜の城のように変わってしまうから。
(1)純粋な論理の世界:ペアノの公理に基づけば、1+1=2という構造は永遠に変わらない。どれだけ時間が経っても1+1=2は同じままであり、これを「参照透過性」という。論理の世界だけで成立する永遠の一例。
(2)観測者が観測するという作用:観測者としての人間はやがて死んでいなくなるけど、生きている間は自分が外的対象(自分以外のもの)を観測できるという性質は変わらない、ということ。これはちょっと分かりにくくて、参照透過性を見られる立場ではなく、見る立場から言い換えたもの。
だけしかない。(もしも他にもあったら教えて欲しい。)
頭(心)の中で、純粋な論理の世界に触れるときだけ、永遠不変の対象を得られる。
純粋な論理の世界においては、個人(個性)というものが消滅している。
例えば、乞食が1+1=2と言っても正しいし、総理大臣が1+1=3と言っても間違い。誰が言ったか?という個人の違いではなく、何を言ったか?という内容だけで真偽が成立しているのが特徴。
自分の内側を充実させるには、永遠に失われない領域にアクセスすることが必要なので、論理的な思考を習得しよう。
論理の世界にいったん入って、そこで自他の区別をなくしてから、また論理の世界から今自分が生きている世界に戻ってくると、自分の喜びや苦しみから縛られていた状態からいったん解放された状態に戻せる。
(=自分の精神をリセットできる。リセットした直後は上記①②の苦痛がないので、かなり楽になる。ただし③の苦痛はそれだけでは消せないので、最大でも2/3だけ消せるということになる。)
とりあえずいったんリセットした後で、また同じ依存症、中毒で寂しさなどの苦痛を作らないために、自分の苦痛に目が向いてしまう状態を減らす工夫をしてみると良い。
今まで自分のためだけに生きていたのを、時間配分を少し変えてみて、一部の時間を他人のために当ててみる。
そのときのポイントは「見返りを求めない」こと。見返りを求めてやってる間は、それは利他じゃなくて、厳密には利己になってしまっている部分があるから。
見返りを求めてしまう=自分のためにやってる割合が30%ぐらいあった場合は、残り70%は利他になってるけど100%にはなってない。それでもやらないよりはましなので、最初は1%からでも練習してみればやがて比率を上げていける。
50%を超えたあたりから相転移が起こり、論理の世界に出入りしなくても、自分と他人の区別が解除できて、自分を他人と同じように客観視できるようになってくるはず。
これは個人差があるから、自分で直接体験する以外に確認する方法がない。他人の体験は所詮他人のものでしかなく、経験を簡単に共有する方法がない以上は、自分自身で直接体験して確かめるしかない。自分で確かめるまでは仮説として扱うべきで、妄信すべきではない。
心の穴(寂しさ、欲求不満)を埋めるために、マンコの穴に珍棒を入れるのではなく、他の方法で寂しさを解消してみよう。
他人から感謝される日々を過ごすと、「人としてやるべきことはやった」という満足感、充実感に満たされて、一人になっても他人と切り離された感覚がなくなっていくだろう。
時間があったら試してみてどうなるか?報告してみて欲しい。
ただし、一人になったとき、寂しさが強すぎて、孤独感に苛まれて、希死念慮(自殺願望)が出てきてしまう場合は、ただちに中止して、精神科医などの専門家の支援を受けてください。
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてKOした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)