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はてなキーワード: 希死念慮とは

2022-05-19

anond:20220519052109

でもそう言いつつ定期的に増田で繰り返しやってるよね😐

まぁ希死念慮サービス開始時から増田名物だったみたいだからいいけれど

 

下記のシリーズは年がら年中、自己肯定感だの、生きる意味だの、自分上位互換がいるのに生きる必要がどうたらってやってるので

なんとなく書いたものです

 

[よくあるやつ] https://anond.hatelabo.jp/c/%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8B%E3%82%84%E3%81%A4

2022-05-17

ゴミゲロ

常に希死念慮が発動してて、ブロンでやっと一時的に楽になれる。

生きてるのが辛い、虚しい、odして馬鹿馬鹿しい。死にたい

うつ病の人たち、どうやって回復していったの。死ぬ以外に選択肢が見えなくて辛い。処方の抗うつ剤より、用法用量を破ったブロンの方が一時的でも効くってなんだよもう。

うつ病発達障害疑惑すぐ適応障害になりやすゴミなんだけどどうやって生きていけばいいのだろう。助けて。

適職診断はお約束の"クリエイティブ系"、しか創造性は皆無。集中力も無い。継続力も無い。

外れ個体すぎないか安楽死させてくれ。助けて。

2022-05-13

常にうっすら希死念慮

物心ついた時から、いや、思春期くらいからうっすら希死念慮を抱いている。

それは三十代も真ん中になった今でも変わらずで、ちょっとした心身の不調の時に姿を表す。

いや、心身に不調がない時でもうっすら希死念慮が消えないでいる。

嬉しいことやいい事があった時も、家族と上手くいってる時も、ペット可愛い時でも、うっすら死にたいのだ。

もも少女ではないのでそういう感情の御し方は分かっているはずなんだが、それでも本当に死んでもいいなぁと思うことがあって。

死んでもいいけど、死ぬのは怖いなとか、死んだ後の世界が見れないのは嫌だな、家族ペットの事が気になるな、とかで積極的に死のうとはしない。

いや、嘘だ。

それなりに死へのアプローチ(実行)はしていた。

それでも今こうして文章を打てているのは生きているから。

そして、今も消えない希死念慮を抱いて持て余して辛くて消えてしまいたいな、でも死ぬのは怖いなと考えているのである

でも、皆そういうものなんだろうね。辛いのが私だけということは絶対にない。

から明日もなんとか生き延びよう。

生きてるだけで丸儲けらしいから。

2022-05-02

希死念慮があることを伝えてしまった

毎日話をしている、多分好きな人に。

やりたいことやって、親にも会ってきて、Discordしかしたことないあなたに会って、満足したら死ぬ気だと言ってしまった。

心配してくれて最後は怒って通話を切られた。

めんどくさいと思われただろうなあ。いい加減見限られてしまうかもなあ。でもいいか死ぬし。

2022-04-28

これは供養だから

幼少期より父から日常的な暴力、見ているが助けてくれない母と過ごし、自分が生きてる意味が見出せずいつしか常に自死することを頭の片隅で考えているようになった。

親は大学まで出してくれたけど、人との関わり方が周りと違う、うまくいってない、どことなおかし自覚もあった。

就活はうまく行かなかった。なんとか拾ってくれた会社に入ったが長く持たなかった。

希死念慮は大きくなっていて、何度か実行に移しそうになったり移したり寝込んだらしながら、数回の転職の末、興味の持てる好きな仕事ができる職場で、ついに動けなくなった。

20代の終わりで発達障害精神疾患の診断がおりた。親に相談しても「助けない」と言われた。

結局その仕事保険証のために任期満了までやってやめた。

自助会みたいなところで知り合った方に惹かれた。その人は精神疾患はなくて発達障害は私よりも強そうだと感じた。趣味一生懸命で、好きなものの話をする姿が楽しそうで、聡明さも伝わった。遠距離彼女がいて、とても大事に思っていることも知った。

たまたま2人で遅くまで飲んだ日があった。家が遠かった私は最初からどこかで仮眠して翌朝帰るつもりをしていた。彼の終電間際、もじもじしながら「うちに来ますか」と言ってきた。はい、を飲み込んで「ご冗談を、彼女いるんでしょ」と答えた。見送って漫喫の個室に入ったところで「家に上げてたら理性が働かなかったかも」とメッセージが来て、一晩中泣いた。

しばらくして彼がフリーになったと聞いた。数ヶ月に1度食事をするぐらいの間柄は続いていて、何度目かの夜、また家に誘われた。私も特定相手はいないし何も問題なかろうとついて行った。

部屋で飲み直していたら「まだ前の彼女のことが忘れられないんだけど」と前置きされた上で、いいか?と聞かれた。いい訳がないんだが、今更帰れないし土地勘ないし、いいよと答えるしかないと思った。翌朝、泣きながら電車で帰った。

しばらくして私が別の方からストーカー被害のようなものを受けた。飛び火を恐れてSNSで私の写真をあげていた彼に削除を依頼した。突然の話に理解が追いつかない彼に、事情を全部説明したら「あなたは俺のことが好きだと思っていた。俺と付き合えばいいのに」と言った。

そう?それなら、と親は健在だけど信頼できないこと、家族が欲しいこと、つまり付き合うなら結婚前提がいいこと、病気障害のこと、子供はおそらく持てないこと、自分の年齢のこと、生涯ひとりで生きていく覚悟を決めかけていること、セクシャルマイノリティ自覚があることなんかを話した。この時の返事がなんだったか覚えてないけど、諸々全部踏まえた上で3ヶ月ぐらいして正式に付き合うことになった。ただ条件がひとつあって「前の彼女から連絡がたまにくるのを許してほしい」だった。

気にしてなかったので、わかった、と答えた。

結果、半年ぐらいしかもたなかった。

私は人生の中でも最高に楽しい半年だった。

彼もそうだと信じていた。

すれ違っても対話ができる、何より殴られないと確信できているのは安心できた。

最後に会った時、何か言いたそうで、でも言えないという様子だから「別れたいの?」と聞いたら首を縦に振った。

「他に好きな人ができた」

間違いなく私は重い女だろう。

精神的な自立ができている自覚もない。

それでも彼が「別れたい」の一言自分で言えない人だったなんて、知りたくなかった。

相手職場の年上の上司で、とても仕事ができる方だと彼女の話は私も聞いていた。

「君には年上の方がいいかもね」と口にしてみた。負け惜しみみたいな響きだった。

別れ際、人通りの多い駅の改札前で他の人の邪魔になりそうなところで立ち止まり「元気でね、仕事趣味も…いろいろがんばって」と笑顔握手をした。彼はずっともごもご言っていて、言い出した側なのにひどく落ち込んでいた。

次はもうないのでエンディングノートでも書こうかなと思っています

2022-04-17

ずっと昔から希死念慮があって、最近ではずいぶん上手くコントロールできるようになっては来たんだけど、そのコントロールでいっぱいいっぱいでつらい

死にたい気持ちでいっぱいになっちゃうことはないけど、そこからなんとか目を逸らすためにエネルギーを使いすぎててもうぐったり

2022-04-15

頭が弱い自分希死念慮

対人援助職に10年従事していたが、能力的に限界を感じて数年前に退職した。

ケアレスミスが多すぎたり、トラブル対応で頭真っ白になって頓珍漢な対応したり、先を見通して仕事出来なかったり、自分で考えることが出来なかったり色々と無能だった。

学生時代から友人がほとんどいない自分は、コミュ障だったため職場で浮いていた。

見た目も、頭が剥げて肌が汚く、眼鏡も汚れている。客観的に見て清潔感はない。

そんなんだから職場ほとんどの人からは嫌われていた。

何百回も落ち込んでは開き直っての繰り返しで、ファッションについて学んだり、自己啓発本を読み漁ったり、マニュアル作成したり職場の人に直接聞いてみたりしたけどほとんど効果がなかった。

結局、限界を感じて辞めてしまった。

外に出れば、身なりをきれいに整えて、落ち着いて仕事をしている人達をよく目にする。

笑顔雑談している様子も見る。

いろいろなものごとを広く、深く考えていて、先を見て行動しているので、よく関心させられてしまう。

そんな光景を見たり聞いたりして、どうしても他人比較してしまって、無気力になってしまう。

あらゆる面で「なんか自分って、頭が弱いな」と痛感させられてしまう。

無職の期間が長くなればなるほど、再就職が難しくなるのはわかっているけれど、どの仕事も難しそうで出来る気がしない。

また他人から嫌われ、自分無能さを痛感するのが本当にしんどい。

今はただ無為に日々を過ごしているだけで、よく希死念慮が頭をもたげてくる。

でも死ぬのは怖いので、生きたくも死にたくもない。

コミュ障無能でも出来る仕事はありませんか。

2022-03-23

いつか希死念慮が静まるかなと思っていたけど、かれこれいろいろありながら5年くらい気持ちは収まらないし死んでもない

2022-03-18

anond:20220315171204

自分と同じ人が居るかわからないけど、こういう人間も居るんだっていう感じでお願いしたい。

自分希死念慮っていうものがおそらくあるんだけどストレス溜まると小学校の頃から自殺計画を立てるのだけが唯一のストレス解消だった。

「こうすればいつでもこの世界から逃げられる」という逃避なのは自覚しているんだけど、こういう方法もこういう方法もあると知ることによって、いつでも実行すればいいという安心感がある。 

しかし、ここ最近はこういう情報が集めにくくなりとても困っていたりする。

検索するとお願い生きてなんて書いてあって、いろんな電話番号がでてくるけど、つながったことある番号なんて一個もなかったぞー!

Googleさんやい!

2022-03-15

希死念慮ってどういう意味だろうと思って検索したら

いきなり電話番号が出てきてびっくりした

2022-03-13

あ~~ありがとうございます~~、今、でかめ希死念慮いただきましたけどもね~~こんなんなんぼあってもいいですからね~~

2022-03-08

デイリー希死念慮

常に不安で呼吸が浅くて肩肘張ってて落ち着かなくて休まらなくて怯えている

原因はわかってるのに取り除けない

2022-02-16

風呂に入るコツある?

精神を病んで無職になって一年経った。

食欲や睡眠はぼちぼち、強烈な希死念慮はほぼなくなったが毎日ぼんやりと過ごしている。

風呂に入れない。

2週間に一度の通院の時にだけシャワーを浴びる。

汚れているので入念に洗う。

この時以外は外出できない。

ほんとは食料品の買い出しとかしなきゃだけど、お風呂に入らない汚い状態で人と会えないか我慢している。

それくらいお風呂に入る気力がない。

人と接するのは平気なので、外で会う人は私がこんな生活をしているとはつゆほども思うまい

社畜ときは毎朝入浴してたけど、よくできたなと思う。

人生のうち病んでいる期間のほうが病んでない期間より長く、お風呂が辛い記憶しかない。

というか日常生活と呼ばれるものの大半が辛いんだよね。

2週間も自律的にお風呂に入れないのはさすがに困るので、なにかコツや経験談などあったら知りたいな。

2022-02-11

死をデザインできる社会になってほしい。

長生きしたいとそもそも思ったことがない。物心いたこから醜く老いてまで生きていたいと思ったこともなかった。

自分の周りにいた老人は年をとるにつれて同じことしかしゃべらなくなり、動かなくなり、病気がちになり、やがて多かれ少なかれ死んでいった。

認知症の身内もいた。面倒をみていた家族尋常じゃなく、大変そうだった。

そんなんだったか家族を作るとか子どもを作るとか若いころには選択肢になかった。

20~30歳ぐらいまで鬱を発症していて希死念慮も強かった。自殺するには気力と体力が足りないけど、一度頑張ったときオーバードーズ自殺未遂も起こした。

それでも20代の終わりぐらいか自分を愛してくれる伴侶を見つけて鬱も徐々に回復し、30代になってから結婚して、だいぶ迷ったが子どもも産んだ。

何かがよくなると思っていた。それは確かによくなった。

子どもは生きる希望だ。それは間違いない。

たから見たらたぶん幸せで家庭円満な、これ以上ないくらいの、家族

でも今でもやはり、ふとした瞬間にしにたいな、と思ってしまう。

長年強く強く思い続けた希死念慮はもう自分生活習慣のようになっていて、そこらかしこで顔を出す。

ちょっと調子が悪い時に。ちょっと辛いことがあったときに。

車を運転していてふと出てくる。このままアクセルを踏み込んで、どこかに突っ込めば、この辛い人生を、終わらせることができるのに。

もうとっくの昔に、これ以上辛い思いをしたくなかったら死ぬしかないとわかっている。

安楽死ニュースをよくチェックしている。

いざとなったらスイスに行って、補助団体を頼ろうと思っている。

死期を自分で選べたらいいのにと思う。

自分もっと年をとったときに、身体もぼろぼろになって、痛い思いをあちこちに抱えたまま、或いは経済的不安定なまま、未来への不安を抱えて生きていたくない。

自分自分でなくなるぐらいぼけてしまって、下の世話を他人に頼って・・・あるいは。

死は私にとっていつも身近で、いつもそこにあるもの

死を自分で選べたらいいのにと思う。

そしたら、最後パーティを開いて、会いたい人に会って、感謝を伝えて、きれいなまま死ねるのに。

2022-02-08

生きるのを延長し続けていたら結婚していた

 東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。

 この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。

 経緯を増田簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。

 

 僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。

 いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。

 元々、どこから湧き出てくるか不明死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体自傷行為」なのである

 学生時代挫折絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。

 俺には、生きるためのタイムライン必要だった。

 趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。

 私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定からも愛されることは無かった。

 誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。

 婚活出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。

 いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しか手帳申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。

 処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度計算しようと誓った。

 いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。

 サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。

 「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。

 

 元職場上司菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞連続で当ったことも、一度や二度ではない。

 そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。

 そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。

 もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタ飼育もはじめようと思い付いた。

 

 そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事親友だ。

 それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。

 

 私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と

 

 

 文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。

 私は友人にとって特別存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。

 ここから先にあるのは、更に苦しく孤独未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。

 もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。




 さら文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。

 文章推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。

 私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。

 彼女は、「あなたファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなた人生責任を負う覚悟があります」と言った。

 だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャコミュ障傾向にあるが自殺願望希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。

 しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。

 人生塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。

 私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。

 死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。

 そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。

 そして妻の人生もまた尋常ものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまりネットの海から掬い上げられた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 妻は、私がナルシストニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。

 

 私は、自殺願望を抱えて暮らして長い。

 だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。

 一度「死ぬルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことな他人人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。

 だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。

 あのYouTuber配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。

 その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。

 そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。

 人間人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

2022-02-03

心がしんどい時に聞く曲を教えて欲しい

定期的に希死念慮がうまれる。

病院も行っているしできる対策はしているが、どうしても死にたかったり何も出来ずにボーッとしてしまうことも多々。

音楽は好きなので、比較的しんどくても聴ける。

みんなは普段しんどい時何を聞いてるか教えて欲しい。

2022-01-29

どれだけ技術が発展しても、仮想現実現実になったとしても

俺のような何の取り柄もない人間孤独に苦しんでいるのかな。早く死にたいと呟いているのかな。

趣味もない(色々試したけど)、生きる気力も夢も生きがいもない、友人も恋人もいない(いたことない)俺みたいな人間の居場所なんてないんだろうな。

ネット利用が少しずつ広まり始めた頃、皆が情報を手にし、皆でつながり合うことがこれから普通になると言われていた。

しかし俺の場合そうはならなかった。手に入れられる情報は莫大なものになったが現実にもネットにも精神的なつながりはなく、居場所もない。

今は職を失い、動画で心と時間の隙間を埋め、フラッシュバックによる瞬間の苦しみを永遠に味わっているかのような拷問と責め苦に耐えている。

からきっと、仮想現実現実になったとしても俺は今日みたいに独りが辛いと嘆き、叫びたい衝動希死念慮に苦しんでるのかもな。

2022-01-27

謝辞

院試から修論の完成に至るまで私を静かに支えてくれたある市販薬に、この場を借りて感謝申し上げる。心情を言語化して他者に伝えることが不得手な私にとって、最大の「理解」者であった。

私は「かわいそう」ではない。裕福ではないが、食うに困ることはない。留年するほど成績が悪いわけでもない。就職も決まっている。友人も恋人もいないが、このことについて思い悩むことはない。趣味も特技もないが、たいていの人はそうだろう。病気障害に悩まされているわけでもない。私は「かわいそう」な人間ではなかったが、苦しみはあった。あえていうなら、自分自分の思い通りにならないことが苦しかった。思い通りに話すことができない。思い通りに書くことができない。思い通りにふるまうことができない。理想が高すぎたのかもしれない。伝わらなくてもよい。あなたに伝わらなくてもよいのだ。共感なんていらない。これを飲めば楽になる。なにも解決しなくても、苦しみから距離をとることはできる。医者にかかる必要もない。

これを飲むと勉強がはかどるという人もいるようだが、私にはそのような効き方はしなかった。とにかくぼんやりとする。といっても、お酒を飲んだときの酔い方とは少し違うのだ。これも言い表すのが難しい。お酒よりも緩やかなのだ制御できる程度の眠気が現れ、ちょうど手を動かして作業できるだけの意識けが残る。苦しみはなくなる。インターネットを飛び交う罵詈雑言を見ても心は穏やかなまま。のろのろと作業を進める。苦しみを遠くに追いやって、愚にもつかない原稿を生みだして、そして昏々と眠る。それでよいのだ。それ以上の何が望めるというのか。

生きる意味はない。だからなんだというのか。意味があろうとなかろうと生きているという事実に変わりはない。ならば少しでも楽に生きたい。希死念慮よりはるかに前向きな気持ちだ。この気持ちを支えてくれた小さな粒に感謝する。

2022-01-19

ウイスキー好きの叔父が死んだ

もう1年以上前の話になるが、ウイスキー好きの叔父が死んだ。とにかくウイスキー好きな人で、東京に出たまま故郷に帰らず、かといって結婚するでもなく酒ばかり飲んでいる変わり者だった。うちはあまり酒を飲まない家系から盆や正月に集まると本当に浮いている人だった。酒癖だけは人一倍良くて、酔っ払っても機嫌が良くなるだけで人に迷惑を掛けるということがなかったから嫌われてはいなかったし、小さい子供たちからは酒を飲んでるときお年玉をせびると気前がいいと人気だったくらいだけれど、何をしているんだかわからない一族のはぐれ者、というのが大人子供共通認識だったと思う。葬式コロナ禍の真っ只中だから親族で済ませたんだけど、叔父スマホ拝借して連絡した「最近もやりとしていていた人たち」は叔父が通っていたバー常連客達ばかりで、こいつらも香典と一緒に供え物としてウイスキーを送りつけてくるような変わり者ばかりで、四十九日には遺品整理で残った大量のウイスキー仏壇の前に並んだお供え物のウイスキーは合わせて100本をゆうに超えていた。

そんなウイスキーの扱いに困った親族の矛先が俺だった。俺は親戚の中では珍しく酒に強かったから(それこそ未成年の頃から)よく叔父の酒の相手を任せられていたし、地元大学ではなく東京大学一人暮らしで通っているというのも地元で暮らす親戚たちから見れば叔父との共通点だったんだと思う。そうして、「特に高級なものがあれば売っても構わないが、弔いだと思って気長に飲んでやってくれ」というものすごく無責任言葉と共に俺のボロアパートには大量のウイスキーがやってきたわけだ。

ともあれ時間だけを持て余した貧乏学生には悪くない話であった。俺は丸一日かけて叔父コレクション目録を作り、叔父が通っていたというバーマスターに連絡を取り、一部をマスターや他の常連客に市場の半値で売るという条件で全部査定してもらった。その結果、俺は十数本のウイスキーを売るだけで100万円を超える現金を手にすることができ、ちょっと税務署の方角が気になってしまった程だった。困ったのは残ったウイスキーだ。まだ1本あたり1万円を超えるボトルが大量にあったので売ろうと思えばいくらでも売れたのだが、そんなことをすれば当たり前だが残るのは今もネットで数千円で買える酒だけになってしまう。十分儲けさせてもらった負い目もあって、俺は残ったボトルを飲み干すことにした。

自分だけで飲んでいたら何年かかるかわかったものではないので友人を呼んで酒盛りをしたりしたのだが、叔父の好みがドライな方向に偏っていたせいで残ったコレクションはすこぶる評判が悪かった。だが評判が悪いからといって他の酒の持ち込みを許していたらいつまで立ってもウイスキーは減らないため、部屋にあるもの限定無料居酒屋を俺は開き続けた。当然客足はみるみるうちに遠のいていったのだが、最後まで残ったのがA子だった。

A子はいつの間にか俺よりウイスキーに詳しくなっており、仲間内で唯一俺の部屋の徒歩圏内に住んでいたということもあって、勝手ウイスキーの山をひっくり返してはあれもあったこれもあったと毎日のように一人で俺の部屋に飲みに来ては、覚えたばかりのウイスキーのうんちくを俺に語るようになっていた。暇を持て余した男と女毎日二人っきりで酒を飲んでいれば肉体関係に至ったことは想像に難くないと思うのだけれど、俺とA子は最後まで恋人同士になることはなかった。俺はなんだか叔父が生き返ったような気持ちで酒に付き合っていたし(A子と叔父を重ねて見ていることに気づいたとき、俺は叔父のことを思ったより慕っていたんだなと気づいた)、A子から見た俺も、好きな酒をたらふく飲んで気持ちよくなった後についでに気持ちよくなる相手という感じだったと思う。それでも、酒の魔力かセックスの魔力か、泥酔して肌を重ねていくうちに俺達はとても親密な関係を築いていった。同性の友達よりずっと深く、恋人ほど依存しない、そういう関係だった。俺達は毎日のように酒の力を借りて自分の思いを何でも恥ずかしげもなく話し、肌を重ねながらお互いのことを受け入れていった。そんな関係半年ほども続いたある日、それは突然に終わった。彼女が消えたのだ。

彼女希死念慮のことを、俺はずっと知っていた。だが何もしなかった。ただアルコール摂取してそれを分解するように、彼女の話を聞いて、飲み込んで、それで終わりだった。俺は彼女の話すことを全て受け入れてはいたけれど、彼女のことは受け入れてなかったんだと思う。彼女の抱えていた漠然とした絶望を俺は理解できたけれど、彼女を受け入れる勇気はなかったから。

彼女消息が判明した後もわからないことはたくさんあった。わかったことは彼女遺書を書いていて、その内容が死ぬことにしたこと、その前に好きだったウイスキー蒸留所を見てくることにしたことだけだった。俺は彼女の親の顔を見ることも、俺と彼女のことを伝えることもしなかった。そうすることが正しいのかわからなかったし、今更そうして彼女を受け入れることが彼女に対する不義理に思えたからだ。だからこれ以上のことは何もわからない。わかっていることは部屋に残った大量のウイスキーを、叔父がそうしていたように一人で飲むことになったというだけだ。もうすぐ、彼女の好きだったウイスキーを作るための麦に花が咲く。

2022-01-16

精神科通いのニートなんだが、毎回医者に親が死んだらどうするのって言われて

その度に「いけるとこまでニートやって、ダメになったら生活保護ワンチャン、それもダメなら死んで終わりでいいや」みたいな事を言ってる

あ、別に自殺願望とか希死念慮があるわけではないです 自分を責めるぐらいなら全部他人社会のせいにした方がいいと本気で思ってるので

から就ける仕事なんて薄給で気力体力すり減らしてただ"生きているだけ"になるのが目に見えてる、そのうち上向くとかステップアップするとかそういうのもほぼあり得ないと理解してる

からニート死ぬかの選択肢しかない

自分自分趣味を楽しむために生きてるので、趣味が十分に楽しめないなら死んだほうがマシだと本気で思ってる

同じ理由地震災害で家が潰れても自殺する、趣味が何もできない上に避難所やら仮設住宅やらの防音が甘い住居で他人騒音に悩まされる環境生存できない

生きていればそのうちいい事があるとか、命さえあればそれでいいとか、そういう楽観的な思想を信じられたら良かったなぁ

死にたいと言うと

「そんなこと言うな」とか「元気出せよ」とか「~をしたらどうか」とかそんなんばっか言われる

言われる度に誰も俺を理解してくれないし肯定してくれないんだなと思ってそれ以降そいつには心を閉じるしかなくなる

いいよな死にたいと思わずに生きられる奴らは

何十年も毎日死にたいが口癖になってる奴の気持ちなんか想像したこともないんだろうな

言わなくて済むなら言わないし元気出せるなら出してるしやれることはほとんどやり尽くしてんだよ

お前に言われなくても希死念慮を無くす努力なんかずっとしてる

車輪の再発明って言葉知らんのか

あーもうやだ

死にたい

死のう

人生って辛くない?

ここ2年くらいは本業副収入を入れて年収はは1000万くらいあって、欲しいものは大体買っている。生物として不自由なく生きている自覚はあるのだが、社会生活がつらすぎる。癇癪を起こす妻をもらってしまった。ここ数年はセックスする気が一切起きない新婚の時は子作りをしていたが、結局妊娠しなかった。今思えばしなくて本当によかった。

ソフトウェアエンジニアなので毎日勉強している。嫌いではないが先が見えないし、本当に自分がやりたいことなのか不明だな、と思っている。仕事では、同僚が「難しい人」なので、胃を痛めながら抗不安剤毎日服用して労働をしている。体調は微妙だ。今は寛解したが潰瘍性大腸炎を患っている。髪の毛が薄くなってきた。妻とは別れようと思っていて離婚手続きちょっと前進した。離婚受理された場合再婚相手を探すのも本当にめんどくさすぎると思っている。今は完全に内向的人格になってしまったので、外交的人間へのスイッチ必要だろう。ソフトウェア勉強に没頭するためのコスト社会の一員として成りすまし)が大きくて溜息が出る。死んだほうがマシだと思うんですけど、これって希死念慮

ちなみに、子供に同じような苦しみを与えたくないので子供は作りたくないと思っているんだけど、これって半出生主義だろうか。

人間社会つらすぎんだよな。

2022-01-09

なんとなく死にたいなー、と思うことが増えた。昔から希死念慮はあったけど、最近は考える頻度が増えた。

子供もいるしまずいけど、夫は生きてるからいかー、なんてことまで考えるようになった。

とりあえず、ネットで買い物して来週とか再来週に届くようにしてる。

受け取るまでは死なないでおこうと思えるし。

あ、2022年ゼルダ2も発売されるんだった。

生きねば。

自己肯定感が育った結果、仕事ができなくなった

否定的な両親に育てられ、いわゆる自己肯定感の低い人間でしたが、結構時間をかけ、わりと努力して、自己肯定感が高くなった者です。

昨今、自己肯定感は高いほうが良いと言われてますが、元低い人間にとっては一概にそう言えないと感じているので共有できれば....。

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低い→高いのデメリット、それはコミュニケーション能力低下という副作用発症することです。

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自己肯定感が高くなったことで、自分に自信が持てるようになり、人との会話で自分意見をはっきり言えるようになります

しかし、悔しいですが無意識のうちに話し方などが親に似ます子どもの頃にされて嫌だった、否定的・高圧的な話し方に私はなっていたんです。

似るというのは、遺伝子問題ではなく、親と接した時間が長い=無意識のうちに強い影響を受けるという意味です。

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何度も何度も後から気づいて後悔するのですが、すべて後の祭りです。

とても親しい友人や家族以外、上手く話せなくなってしまいました。仕事も同様です。

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最近は常に「私はダメ人間だ、人様に教えていただいてなんとか生きていける程度のダメ人間なんだ」と言い聞かせて、必死自己肯定しないように心がけています

高いところから低くするのは難しく、苦悩の日々です。

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もちろんですが、自己肯定感は高いほうがいいです。

以前の私は、希死念慮に苦しみつつ、生きることも死ぬことも人様に迷惑がかかってしまうからと板挟みで死にそうでした。

何をしても楽しくない、この世の全てが憎く、そのくせ生きている自分を殺したくてしようがなかったです。

あの頃に比べて、現在仕事以外は全て楽しいので普通生活なのかもしれません。贅沢な悩みですよね。

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ただ、誰よりも自分自身を下と自覚しながら取るコミュニケーションがとても楽でした。周囲からの評判も高かったです。

自己肯定感、低いままでいたかったなあと時々思います

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