はてなキーワード: 専門職とは
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。
扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラで更迭されるタイプの上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。
そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。
とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署に転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。
そこでも管理職に就いたり、年単位のプロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。
けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。
なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。
命に別状のないものがほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。
そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。
退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。
専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社が自分たちを必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。
次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。
だから、会社や組織の心配はほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。
それから、通院や体調の関係で仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。
月1ほどで血圧や採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。
さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそものスケジュールにバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然、担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量の天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。
ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性のほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。
子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社が業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。
客観的に見て、自分は環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。
子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せな人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。
両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分に子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。
同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分が当事者になって初めて分かったことだった。
この記事は、かつての不理解な自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分の人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。
自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間が産休を取る場合もあるということを、かつての自分は無自覚に想像の外へ置いていたと思う。
だからこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。
人は自分から遠い立場の人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分が当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。
世間的に、産休や育休からの復帰をとりまく環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者がいるかもしれない。
彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せだから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。
そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。
適当にニュースを聞きかじっているだけなので間違っているかもしれないが、世帯収入850万から富裕層になるのか?課税や控除やらで働いたら負けになるのか?
現在20代後半の地方都市に住んでいる共働き夫婦で、そろそろ子供を考えている。
増田は年収500万、妻は400万、2人とも働くのは楽しいし上昇思考はないけど今の会社でやってこうかなという感じだ。
最近のニュースを聞くと子供ができたら妻にはパートになってもらって富裕層にならないぐらいがちょうどいいんじゃないかと思い始めている。
妻は資格有りの専門職なので業界を離れなければ正社員戻れる感じとのこと。
ギリギリ富裕層になってしまうと共働きで子供保育園に預けて生活に余裕なくて働いて、働いたその金が意味わからん理由で取られるイメージ。
ネガティブすぎるか?
https://www.toben.or.jp/message/pdf/230518arktokyo.pdf
ここで言う「A社」とは株式会社DSC、「B社」とは「株式会社Dキャリアコンサル」、「同一人物」とは児嶋勝なる人物のことです。
https://diamond.jp/articles/-/250777
3年前の東京ミネルヴァ法律事務所の破産で裏にいたのと同じ会社、同じ人物。
首都圏にいると気づきませんが、地方のラジオや新聞は今でもいわゆる「過払い金」の広告で溢れています。
その広告を手掛けているのが上記のA社=株式会社DSCを代表とする広告代理店群。
サムライうんちゃんらとかね。名前は入れ替わりつつ、常に数社そういう会社がある。
上記の「児嶋勝」氏もそうです。
経営基盤が弱い弁護士事務所に取り入る(食い詰めた弁護士を取り込んで事務所を作らせるパターンもある)。
相談会の広告費は回収した過払い金報酬から払えばいい、と甘いことを言う。
相談会の日程、会場(公民館とかが多い)、相談者の予約設定までやってあげる。
弁護士は、回収した過払い金から弁護士報酬を徴収し、そこからさらにツケになっていた広告費用を支払う。
もし支払えれば、ですが。
そのツケが貯まりに貯まって数10億に達して破産を申し立てたのが東京ミネルヴァ。
破産申立てにすら行き着けずクラッシュしたのがアーク東京です。
A法律事務所はいわゆる「過払い」の代名詞のような事務所です。
A法律事務所は2000年代後半のいわゆる「過払いバブル」の渦中に登場し、瞬く間に47都道府県に支店を置くほどの規模に成長しました。
その急成長は代表弁護士(一時期テレビによく出ていた)の手腕によるものだったんでしょうか?
それは甚だ疑問です。
実はA事務所も中核に武富士OBの人物がいて、実質的に事務所の経営を仕切っていました。
過払い金回収の顧客は、要はかつて消費者金融から借り入れていた人です。
どこの誰が、いつ、どれくらい消費者金融から借り入れを行っていたか。
株式会社は2010年9月に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しています。
それ以前から武富士の経営は苦しく、従業員多数が外部に流出していました。
武富士の元従業員が退社に際し顧客名簿を持ち出し、過払い金回収ビジネスに活用した。
弁護士業界を潤したいわゆる「過払いバブル」の真相は実はそれだった可能性が高い。
武富士の倒産については、「計画倒産だったのでは?」という根強い疑問があります。
弁護士業界では、武富士といえば「過払い金の支払いの気前がいい」ことで有名でした。
過払い金を請求するとホイホイ認め支払ってくれる相手方が武富士でした。
会社の負債総額を膨らませて倒産を急ぎ、創業者一族はとっとと資産を持って逃げる。
武富士創業者一族の計画にまんまと司法が利用されたのかもしれません。
もっとも弁護士は儲かったので、ウィンウィンでいいのかもしれません。
武富士倒産当時、過払い金の影響で次に潰れる消費者金融大手はどこだ、と言われていました。
ところが結局、その後は大手はどこも潰れていません。
プロミスにせよ何にせよ、大手銀行の傘下に入りピンピンしています。
結局、消費者金融は儲かるんです。
昔のように年利40%とかは取れなくても、年利20%でも十分ビジネスとして美味しい。
だから、過払い金という負債を物ともせずどこも今も消費者金融業にまい進しているんです。
過払い金に手を出したのはA法律事務所や東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
当時、驚くほど多くの弁護士が過払いビジネスに参入していました。
過払いビジネスには、
そうは思えません。
弁護士はペーパーテストを頑張った秀才がつく専門職であり、事務作業は概して得意ではありません。
それらの事務作業をやってあげたのは、実は上記DSCを始めとする武富士OBだったんじゃないのか。
弁護士業界の過払いバブルとは、実は武富士OBに利用されただけじゃないのか。
そう疑っても不合理とは思いません。
もちろん、過払いバブルで潤った弁護士と、上記の東京ミネルヴァやアーク東京には大きな違いがあります。
でもそこに質的な差があるとは思えません。
まだ過払いが美味しい時期に参入し、うまく立ち回り、さっさと撤退した前者。
旨味が薄れた時期に今さら参入し、儲けることもできず、あげくに大事故を起こした後者。
その違いは、要は上手くやったか否かだけです。
過払い回収業務への規制はどんどん厳しくなっていましたから、むしろ前者の方がヤンチャしていた可能性すらあります。
というか、実際そうだったはずです。
冒頭のA社こと株式会社DSCと取引があった弁護士は、東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
もっとたくさんの弁護士と取引をして、渋谷にキレイなオフィスを構え、キレイなお姉さんを多数雇っていました。
成功っていう時に、地位や名誉や家族や幸せみたいなのも有ると思うけど
一旦お金と言う面で考えたい
つまり「一般家庭から金持ちになるにはどういう手段があるか」だ
一旦こういう風に定義したい
Aになる方法は非常に限られている
あとは天才的な投資家になる方法もあるか、メジャースポーツで世界的な人気ものになるか
Aのもう一つ難しいところは、ここまで来るとお金が余るということだ
それでも前に進むんだから、モチベーションはお金以外のところにある
・数億を元手に運用する
Bの時点で一生遊べるくらいになるので、多くの欲にまみれた大人の目標はここらへんになる
しかし難しい
東大に入るよりは難しいと思う、つまり「学校で一番頭がいい」程度では無理な領域だ
ITベンチャーなんかも、東大出た優秀な人が簡単に失敗している界隈である
成功しているように見える人でも、上場するまでは給料を抑えているはずで意外と儲かっていないのだ
・人気業で成功する
Cって行けそうに思えちゃうんだけど、調べてみると大体東大に入るのと同じくらい難しい
30代40代のうちにここまで行くのであればそれより難しい
昔、東大生のその後の平均年収を見て「東大に入るのって難しいのにそれでもこの程度か」と思ったことがあるが、それと同じものこの高コストから感じた
他省略
・難度が高いが美味しい仕事に就く(医師、弁護士、建築士などの士業、IT関係などなど沢山)
・個人事業主でうまくやる
他省略
真面目に努力した人のうち半分もここに引っかからないくらいの難易度だ
とにかく何か1ジャンルで成功しなきゃならない(就職もその一つ)
年収1000万の生活は「贅沢をしなければ余裕があるが、特別な何かではない」感じだ、特に都内で自慢はできない
どう考えてもコスパが悪い
まとめ?
たとえばCの割合は1000人に3人くらいで、それは老人も含むので、実質0.1%くらいの割合だ
1000人の街があったとして、ギリギリお金持ちと呼べるのは1人だ
なろうとしたら999人に勝たないといけない
そこまできても、全然余裕はない
999人に勝つのでは足りない、1万人のゲームで頂点に立つ気持ちじゃなきゃならない
こういうのって感覚的にわからないんだよね、1000人のゲームと10000人のゲームの差みたいなもの
わかるわけないよね、足の速さならクラスで後ろから二番目だったし、勉強ならクラスで3番目くらいだったし
横だけど
これはそこそこいいとこついてるとおもうな
ただ、まだまだそれは陽キャの声なんだよ
(労働という意味ではなくても、いつもおどおどとおびえて、気をつかわせられていた)ため、
実の親や実の兄弟なのに、殴られた痛み、気にかけてくれなかった憎しみしか残ってない。
もう家族の世話なんて一秒もみたくない、自分自身だけを(生活保護で)やしなっていれば<<<しあわせだ>>>」
という声だな。
この増田的に表現したら身近な先輩ゲームプレイヤーに強い恨みがあるからゲームも憎い、かな。
もう一つは「勉強して専門職になれたけど仕事が忙しすぎる」もある。
つっこまれているパパ増田みたいに仕事以外のすべてを家庭に捧げても、
男性とかよくできてない女性とかがつれあいじゃ子供には全然たりないんだ。
よくできた女性をみつけたからどこかで種だけしこんでレズ婚したいという人ならいる。
で、下方婚したい人もたくさんいるのにできない。
まあ、オレもつっこまれパパ増田みたいなやつしってるんだけど、奥さんよくできてるけど旦那さん研究医だったからなぁ。
(開業医と違って)貧しいといっても
https://anond.hatelabo.jp/20230503204955
この増田も言及しているが、富山から若い女性が流出しているというニュースで地元が炎上している。
ネット上で憶測が憶測を呼びとんでもないことになってやがるので、当事者として事実を書こうと思う。以下、大変不名誉なことに例の記事で「問題のある層」として紹介されてしまった「富山から出た20代女」として書きます。
とりあえず、自分の実体験を踏まえて誤解は誤解、合っている部分は合っていると説明する。0歳から18歳になるまで富山の中心地富山市で見聞きしたことですが、地域によって違いはあると思う。
はい、まずこれですね。ご期待に沿った回答でなくて申し訳ないが、私の場合は「都会の企業より待遇・条件のいい企業がないから」です。私は大学進学で富山を出て、そこから新卒で就職した。国内外でそれなりに知名度のある大企業の専門職で働いており、ハッキリ言って内定が出た都会の企業以上の待遇が期待できる会社は富山にはなかった。海外赴任したいし。仮に私が男性でも、それは変わらなかったと思う。「女はお洒落でキラキラした都会に憧れるから」とか「いい男を捕まえるために都会で遊びたいんだろ」とか的外れな女性蔑視考察をしていた方々!超地味〜な理由で申し訳ない!
と私の場合はそうなんですが、実際に皆様が指摘されている「若い女性の扱いが酷いから」「陰湿な県民性だから」というのも正直富山を出る理由の一つにはなると思います。それについてこれから書きますね。
これは間違いなくある。あちこちで言われている「富山は共働き率が高いが家事・育児は全て女負担」「専業主婦は遊んでいると言われる」は残念ながら私の周りでは事実です。冬は雪かきもあるけど、それも女の仕事。
【捕捉】私の周りでは女が雪かきしていたが、冒頭にも書いたように地域によって違いはあると思う。あと、富山市の場合は、余程狭い道じゃない限り除雪車がまとめて雪をどけて道を作っていた。
うちの家庭の話をする。私の母は富山では珍しく管理職で社会的地位が高い。収入も父より上だ。しかし家庭内での家事や育児は、ほぼ全て母か私が負担していた。私は小学生の頃から事あるごとに父から家事労働や弟の面倒を見ること、祖母(父の母)の介護をすることを求められてきた。理由を聞くと毎回「女の子なんだから」「長女として」という言葉が出てきた。今問題視されている「ヤングケアラー」扱いされてきた。そして母より稼ぎが少なく家事・育児をしない父は、仕事以外では家でゴロゴロしているか遊び歩くかしていた。それでも一族の扱いは「一家の大黒柱」。
このように、女性であることを理由に理不尽に家庭内労働を押し付けられる文化は今でも根強くある。でも男性は男性で、一人立ち後や結婚後も仕送りして親や兄弟を養って当然という空気もあるため、問題は「男尊女卑」というより「性差別的な価値観」「性的役割の押し付け」な気もする。
県民性をまとめるなら下記の3つだと思う。年齢や性別、職業に関係なく、富山では下記が「普通の人」として扱われていた。無論まともな富山県民もいるが、あくまでも富山のマジョリティは下記なのだと思う。
⚫︎差別意識が強い
⚫︎嘘をつく
⚫︎差別意識が強い
地方だから…と一括りにするつもりはないが、全体的に差別意識が強い。また、息をするように人権侵害レベルのことをする人がかなり多い。陰湿な村社会のようなコミュニティがあちこちにある感じ。
これは性差別だけでない。県外から来た人や外国人等、周りとは違う人に対する差別が本当にひどい。実際、国外や県外から来た人が口を揃えてそれを指摘し「富山にはもう2度と住みたくない」「陰湿な人が多すぎて暮らせない」と言っている。
学校や会社で束になり村ぐるみで追い込んで組織から追い出した、という話は頻繁に聞く。また驚くことに、ほとんどの人がそれを酷い事、恥ずかしい事だと思っていないため、加害者側の人たちが笑いながら話しているのをよく見る。「集団とは違う存在を皆で一致団結して追い出す。」彼らはそれこそが「正義」だと疑ってない空気すらある。法律や倫理観なんぞより、自分たちの村の平穏を維持することが大事なのだ。
⚫︎嘘をつく
「嘘も方便」のような嘘ではなく、自分の利益のため息をするように人を騙す詐欺師タイプの人が当たり前にいた。というより、富山ではそういう人が「普通の大人」だった。
医者・歯科医が患者に「ここを治す必要がある」と嘘をつき多額の金を巻き上げる。営業や店員が商品の説明の際に「こんな機能がある(実際にはない)」と客を騙して買わせる。中学や高校の教職員が生徒に「個人スマホからのネットの閲覧履歴や書き込み履歴は全て学校側が把握しているから余計なことをすれば分かる」等の嘘を教え従わせる。
全て身近で目にしたことだ。富山市の進学校付近でこれなので、自分の周りが特別治安が悪かったわけではないと思う。
都会に出てみると、自分にメリットがあろうがなかろうが関係なく嘘をつかず誠実に対応するのが当たり前という人ばかりで本当に驚いた。個人的には一番富山とのギャップがあり驚いたことである。
スルーしてる人が多いのだが、個人的にこのニュースで一番問題だと思ったのはここ。
つい最近、国連が下記の提言をしたにもかかわらず、真逆のことを当然のように行っていて頭を抱えた。富山県民はあまりにも人権意識が低すぎると言われても、私は反論できない。
国連人口基金(UNFPA)は19日、2023年の世界人口白書を公表した。人口が減少に転じる国もあるなか、出生率を政策で操作しようとする国が増えており、女性に悪影響が及ぶと懸念を示した。出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべきだと提言した。(2023年4月19日 日本経済新聞の記事より)
まず、富山県民に限らずこれを言う人は「健康で生活保護等を受ける事なく働いて納税し社会を支える人がほしい」という意味で言ってるんだと思う。逆に言えば、その「増やすべき人間」に中に納税奴隷にならない人や障害者年金を得て暮らす障害者、生活保護を受けなければ生きられない人は入っていない。また、病気や性的指向等で子供を作れない、またはなから作る気のない人たちもその中には入らない。つまるところ、「少子化対策」とは優生思想に基づいて、人間を生産性だけで見ているからこそ出る言葉だと思う。
そもそも、妊娠・出産は女性の体や脳にとんでもない負荷をかけ、最悪後遺症が残ったり死ぬこともある重大事項だ。それをやる・やらないを決める権利は本人にしかない。「妊娠から出産後に至るまで死ぬほど苦しむし、マミーブレインで頭悪くなるし、結構な確率で後遺症残ったり死ぬけど子供産んでくれない?」と他人が推奨できる類のものではない。子作りを推奨する側は、男女問わず子供さえ作ってくれれば相手の体なんぞどうでも良いと言わんばかりにそのマイナスな医学的事実を伏せたまま妊娠・出産は「幸福なこと」だと喧伝する。
また、Twitterで散々言われていたように子供を本人の同意をなくこの世に生み出し、義務だからと強制的に労働させるのは倫理的に考えても利己的でグロテスクだと反出生主義的な指摘をされても仕方ないだろう。
●未婚化を阻止
はい、言うまでもなく人権侵害の極みですね。男女を結婚させ出生率を上げるという発想自体、女性を産む機械、男性を産ませる機械として見ている。人間には結婚する・しない、子供を作る・作らないを決める権利がある。また、結婚するにしてもその性別は当然異性である必要はない。
・魚が美味い!
・米が美味い!
・家賃が安い!
44歳男性。ヒラ医療専門職。それなりに続けているから昇給はしてるけど、それでも安月給。組織の中では上司から疎曲がれているような感じ。評価されてたり、頼られてる実感はない。何かが変わるんじゃないかと思って、30代半ばで修士にも行き、資格もとった。でも、学問の世界の大変さを知ったことでますます自分の矮小さを思い知っただけだった。転職を考えたりもするけど、組織内での人との繋がりも僕にとっては資産の一つに感じてしまっていて、なかなか踏ん切りがつかない。
趣味はゲームだけど、最近は熱中できることが少なくなってきた。世の中には自分よりも熱心にプレイをして発信している人もいる。本当はもっと発信もしていろいろな人と繋がりを持てればいいのに……とも思うが、結局は現実でもオンラインでも引きこもりがち。自分が感じていることの意味、生きていることの意味などを考える機会が増えてきた。
息子は18歳の高三で、今年は受験。現役で受かれば、今よりもさらに手が離れるだろう。妻は優しくて、明るくて、毎日話していると嬉しくなるくらいの人で、それだけが僕の救いだ。
健康のためにランニングを始めた。ランニングをしている時や終わったときの達成感、累積された走行距離を眺めている体験はとてもいいのだけれど、毎日の時間が吸い取られる。
恵まれた悩みなのはわかっているけど、ずっと、ベッタリと頭にまとわりついているような不安に近い、得体の知れない感覚がある。
中学2年生の頃に感じていた「何者にかになりてえ」という感じに近いのかもしれない。
日記はここで終