はてなキーワード: 私服とは
女性にはキツイ仕事させない、女性は私服OK、女性は夜勤免除、女性はピアス・ネックレス類OK、女性は異動転勤が少ない、女性の転勤は配慮する(転居を伴う転勤はさせないなど)、女性にはキツイ指導をしない、女性は長髪・茶髪OK、女性は重い荷物持たなくていい、レディースデー(メンズデーなんて聞いたことない)、女性専用車両(男性専用車両はない)、女子大学、女子枠、司法においての女割、女性の受刑者は坊主にしなくていい(男性受刑者は強制坊主)、女性議員の不倫は許される。
挙げればキリがない。国会ですら男性議員はネクタイ着用、襟付きシャツが強制になってる。←明らかな性差別(男性差別)
こんな日本で男女平等なんて無理。日本は母性社会なうえに儒教国家だから、女性は優遇されてる。そりゃ男性側が一斉に反発する。
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勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
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そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
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大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
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夏は気軽に半袖Tシャツ着勝ちだけど
今、娘にポロシャツを着せるのにはまってて
スポーツを習っているのでそのときにかわいいポロシャツを着せたり、
娘が通う園が白いポロシャツ指定なので、丸襟で、パフスリーブで、襟にかわいい刺繍が入ってて、ボタンはお花の形をしているポロシャツを探して着せたりしてる
ポロシャツの女の子向けって探してみたら奥が深くて、花柄のものや、レースがついてるものや、ボタンが飾りボタンのものや色々あって、「ほとんどブラウスじゃん!?」という印象のポロシャツを買うのが楽しい
ポロシャツを着てスポーツをしている娘を見ると、やっぱり上品な感じがして良き~と思う。
ポロシャツというのは、胸がある女性には着こなしが難しくて、女性が着ても清掃員、ヘルパー、スーパーの店員かな?という印象になる。女性がポロシャツを着ていると、「ん? なんかお仕事中ですか?」という感じになっちゃう。
ポロシャツを着ている女性が輝いておしゃれに見えるのは、やはりゴルフ、テニス等のスポーツをしているときである
MBさんがラルフローレンの黒と白のボーダーのポロシャツを着ていて、「おしゃれ!私もほしい!」と思ったが、私がこのボーダーのポロシャツを着てもおしゃれな印象には全然ならないだろうなと考えた。
ポロシャツはおじさんっぽいとよく言われるが、半袖Tシャツを着たおじさんよりもポロシャツを着たおじさんのほうがおしゃれだと思う
私自身は1枚も自分のポロシャツを持っていないのにこんなにポロシャツについて考えているかというと、ポロシャツそのものの世界にはまっているからである
ポロシャツの世界が奥が深いからだ。そして、女性には着こなしが難しいアイテムだからこそ考えさせられてしまう
かつてゴルフではポロシャツが活躍していたのに、今ではポロシャツを着たくない若者に向けて、モックネック、ヘンリーネックなるものが売られている
こういう情報を見ちゃうとやっぱりポロシャツは嫌われているのか、日常生活でおしゃれに着こなすポロシャツというものはオワコンなのか~と思っちゃう
幼稚園では白いポロシャツを指定する文化がまだまだ続くだろうから(保育園は私服が多い印象)園児がポロシャツを着る文化はこれからも続いていくのだろう
先ほども書いた通りポロシャツは胸のある女性には着こなしが難しいアイテムであるが、幼児体型の女児はポロシャツをおしゃれに着こなす。幼稚園がポロシャツを指定してくるのは、機能面でもファッション面でも理にかなっている
今の若い人は日常で、おしゃれしたいと思ったらポロシャツよりも、襟やボタンがついたオープンカラーシャツとか柄シャツとかに手が伸びるよなー
生活習慣病検診で「要精密検査」の判定が出てしまい、「どこかで検査を受けてこい」と検診センターに言われる。
検診センターから近所で内視鏡検査を受けられる病院のリストを貰っていたので、
当日行ってすぐ帰れる検査だと思っていたが、まずは採血検査して、検査日を予約して・・・・という流れが必要らしい。
最短で検査日の予約をお願いしたが、それでも3か月後だった。マジかよ。大盛況か。
検査前日・当日の食事の制限とか費用など、説明を聞いてその日はおしまい。
3か月後の検査当日が来る頃には絶対に忘れている自信があったので、紙のカレンダーと、スマホのスケジュールと、職場のグループウェアに予定を入れて置き、
さらに、「検査前日に飲むように」と渡された下剤を自宅の目に付くところに置いておいた。ここまでやっておけば流石に忘れまい。
朝から消化の良いモノしか食ってはいけない。バナナと豆腐しか食わなかった。
「検査食」なる専用の食事を病院で売ってくれるらしいが、俺は買わなかった。
なんとなく、高価なものを押し付けられている気がしたからだ。バナナでいいならそれでよい。
夜21:00以降は絶食。普段は普通に夕食を摂っている時間なので辛い。
空腹だ。量については何も言われてなかった気がするから、もっとたくさん食って置けば良かったと若干後悔する。
明日の持ち物を確認し、検査についての同意書やらにサインをしておく。
下剤を飲んで早めに寝る。
「検査終わったら何喰おうかな」と思いながら起床。
水以外は口にできない。病院に向かうため、身支度を整える。
当日の持ち物として「水1リットル」とあるので、コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。
病院で受付を済ませ、用意された個室に通される。
リクライニングシート、テレビ、テーブル、あと引き戸の先にトイレがある4畳あるかどうかくらいの部屋。
テーブルにはデカいビニールのパックに液体が詰まったものとコップが置いてある。下剤らしい。
「検査に適した状態の便」はわかりやすい写真が個室内に貼ってある。
テレビをつけて、下剤を飲み始める。
下剤の最初の一口目の感想は「意外と飲みやすい。スポーツドリンクみたい」だったが、飲み進めるうちに辛くなってくる。
腹いっぱいな感じが気分がよろしくない。吐きたい。
引き続き、下剤を飲む。3回目くらいから、ほぼ液体になる。
以降、繰り返し。
リクライニングシートと便座を頻繁に往復することになる。テレビを観てのんびりする暇はない。
10回目超えたくらいでそろそろ検査できるのでは?と思われたので看護師を呼ぶ。
出したものを見られるのはかなり恥ずかしい。
「まだカスがあるんで次くらいでもう一回呼んでください」この恥ずかしいやり取り、またやるのか・・・・
その次の次くらいで「いけそうですね」とのこと。下剤が回収される。検査を待つことにする。
結構待ったのでリクライニングシートで寝そうになる。というかちょっと寝た。
検査の順番が近づいてきたのか、看護師さんから検査用のズボンへの履き替えと貴重品のロッカーへの保管を指示される。
恥ずかしさがこみ上げるが仕方がないので無心で着替え、財布をロッカーに保管し、引き続き待機する
他の患者?の個室の前を通るので、このタイミングでもし他の個室の患者が廊下の様子を伺おうとしたら、
検査ズボン姿の俺を見ることになる。これ、後ろからみたらどう見えるんだ?とどうでもいいことを気にしつつ看護師についていく。
数人の看護師に囲まれ、ベッドに寝かされ、口にのど用の麻酔を吹き込まれる。飲み込む。苦い。
口になにやら筒状の物を咥える。腕に点滴を差される。
先生は「じゃぁ眠くなるんで」みたいなことを言っていた気がする。
気が付くと検査は終わっていて、個室のリクライニングシートで休んでいた。
どうやってここまで移動したのか全く覚えてない。麻酔スゲェ
元の私服に着替えて、個室を退去し、待合室で先生に呼ばれるのを待つ。
呼ばれる。
とのこと。
後の説明の時、先生から「覚えてる?」という問いかけがあったが、あの様子だと麻酔の効いた俺との間で何らかのやり取りがあったようだ。