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はてなキーワード: 食べ物とは

2017-11-20

太地町はなぜそんなにイルカ漁にこだわるのか

太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県公式見解

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/index.html

.日本経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか

 日本においては、経済活動の中心から遠く離れた離島半島

奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。

今なお、鯨やイルカの肉が伝統食重要な一部となっている地域が全国に散在し、

また、その地域出身者や小学校給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています

このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。

 大量に流通販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります

そして、鯨やイルカ捕獲して生活をしている漁業者は、その需要に応えているのです。

捕鯨イルカ漁をやめろと言うのは、この漁業者たちに自分たち生活を捨てよと言うのと同じです。

6.イルカ漁は、日本イメージを下げ、国益を損なうのではないか

 各国の食文化や食習慣は、その地域気候地理的条件、歴史宗教など、数々の要因により形成されるものであり、

相互尊重精神必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります

しかし、自分たちが食べないからと言って、信者以外がそれを食べていることを非難することはありません。

このような活動家たちによる一方的文化的価値観の押しつけに屈しないことが、日本国益を損なうことになるとは思いません。

7.イルカ知的で親しみある動物なのに、どうして日本では食べるのか

 人は皆、生きるために生き物の命を奪っています

西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています

 日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、

感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせますイルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、

これらすべての動物には、我々と同じく生きる権利があります

しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。

漁師たちが捕獲するイルカの種類や頭数の制限を厳守し、生活のためイルカ漁をしている限り、食べてよい、

いけないという観点動物区別することは理解できません。

この5,6,7が一番ひっかかる。

そしてざっくり言えば、大した文化ではないか放棄すればいいのにと思う。

変に屈した屈さないで考えるから面倒なことになるのでは?

anond:20171119232227

わかる。俺は自分は嫌いだけど美味い食べ物、好きだけど美味くない食べ物なんかを区別できる。

誰も指摘してなくて不思議なんだけど柔らかい食べ物云々のやつ架空外国人を使った典型的な嘘松だよね

食べ物を残せる人は病気にならない

体が必要な分だけ食べたらストップがかかるということ。正常。

目の前にあるだけ全部食っちゃう人はその機能が壊れてる。メタボ一直線。

子供の頃から腹一杯になったら残すよう教育すべき。「勿体無い」という感情論で体に悪い非合理的な行動を習慣づけてはならない。

2017-11-19

不味いと好みじゃないは違う

よく、自分の好みに合わない食べ物を不味いと表現する人がいるが、あの答えは気分が悪い。自分の好みに合わないことと不味いかどうかは別の話。自分の好みに合わなくても他人は美味しいと思うかもしれないんだから、それを不味いと一括りにするのは違うと思う。それは私の好みじゃないという答え方が正しいと思う。それでせっかくの美味しい食べものを不味く言う神経が嫌いなの。

いいねでバレることもある

SNSフォローしてる既婚者、いいねの欄に食べ物やら観光やらの構図がまったく同じ写真が流れてきたので、一緒に行った家族アカウントなのかなと見てみるとどうやら不倫相手だった。どうしてこうしてばれるように公開したくなるんだろうね。そしてヲチすることにした。

2017-11-18

36歳独身女子会のすすめ

こないだやって楽しかったので勧めます。以外必要材料

【開催する場所にファイアTVを導入】家を想定してます自分世代の古い楽曲テレビ画面にYouTubeで流し見ながら酒を飲む。PC画面ではだめ。これは必須。無いなら買うべき。

ポテチピザボノボン】普段太るとかで絶対にありえない食べ物つまみにチョイス。これがでかい脳内麻薬がよく出る。ポテチとかこんな夜に…!!おばさんが…!!とエンドルフィンまくり

【ほかほか黒歴史】病んで親に電話して泣いてしまたこと、付き合ってる年下の彼氏に「なんで俺が起こってるか、わかる?」って言われたこと、サッカー選手と本気で結婚できると思ってること。これは互いの無関心と信頼のバランス大事なのでハードルが高い。なくてもいい。

【年齢】楽しすぎてぐだぐだすることなくさくっとお開きにできる年齢。足りなければやらなくていい。カラカンなどでよい。

2017-11-17

anond:20171112112647

若者として、「残念な状況にいるんだよ、君たち」と言われて哀しい限りなんだけど、以下のとおり複数要因で「若者いいもん食わない」ことになっていることだけ言わせていただきたい。

・食の多様化おっさんの頃より単一的視点ではなくなってきた)

・食以外のコンテンツ多様化(食以外にコストを使うことが増えてきた)

上下関係希薄化(縦の繋がりが弱くなってきた)

いいもん食ってきた人にとっては悲しいかもしれんけども、あなた方の言う「不味いもの」でも、俺たちは美味しく食べてんだよ。食べ物も遊ぶもの選択肢が多すぎて極める前に目移りしちゃうんだよ。そして、それはそれで楽しいからいいんだよ。

2017-11-16

日常生活に現れる「意識の高さ」

意識高い系という人種揶揄対象となって久しいが、「意識の高さ」という言葉本質を突いていると痛感する近頃だ。人間は日々を無意識に過ごし、ただあるものをあるがままに享受し続けることもできる。しか生活意識的に閲し、改善することで自分をより幸福にすることもできる。例えば、昼食にコンビニ弁当を買っていた人が、ある時もっと美味しい弁当はないのかと考え、近所に美味しくて安い弁当屋を見つけた、としよう。この発見でその人の生活利益があったことに疑う余地は無いだろう。要するに意識の高さ、とは小難しいものでも高尚なものでもないのだ。単に何も考えずにいるよりも、考えて何かする方が自分にとって良い、というそれだけの話なのである。こうした改善は、意識高い系ありがちな特別経験知識価値を見出す思考とはむしろ真逆で、万人共通日常生活の中でこそ発揮されるものと言える。

では、具体的に意識の高い人間というのはどういう行動をとる人を言うべきなのだろうか。いくつか考えてみた。

・手軽に手に入る美味しい食べ物を探す。

・自室を整理整頓する。単に片付けるという意味ではなく、日用品の配置を考えることで部屋を過ごしやすくしている。

・日々の暮らしをよくするアイテムを探す(Amazonで買える捗るグッズとか)。

2017-11-15

次の行動指針を立てた

背景

目的

方法

実行

考察

  • 目的は達成された
  • どれぐらい時間かかった?
  • 2週間か。悪くない

2017-11-14

anond:20171114161457

わかるよー。

うちは母親のみがいつも体がカッカと温かくて血色がよく、冷えや肩こりとは無縁の体質(更年期?)。

母の作る食事はいつも妙に冷える料理ばかりで

決して不味いわけではないんだけど、母の手料理が実は苦手だった。

冷え性の父も稀に食事を作るんだけどそっちの方が口に合ってた。熱々の肉うどんとか。

実家にいた頃は慢性的にだるくてやる気のない自分だったけど

家出自分好みの自炊始めてからはすこぶる体調が良くなった。

体質による食べ物の好みの違いってあるよね。

サイゼリヤ初デート向きではないと槍玉に上がる元ネタ

他にもデート向きではないファミレスはいっぱいあるのに何故サイゼリヤばかり上げられるのか不思議に思う人もいるだろうからコピペってみる

このわざわざ電車で四駅離れた所まで連れて行ったサイゼリヤデート男が印象深過ぎたのが原因

35歳の男に初デートサイゼリアに連れて行かれたでござる

『おいしいイタリアン』って札幌新さっぽろJR移動で連れていかれたお店がサイゼリアだったという、

驚愕の35歳とのお話です。フリーズする私に「知らないかもしれないけど、東京ではメジャーな店なんだよ。

向こうではよく行ってたんだ。」とドヤ顔で教えてくれたという・・・黒歴史でございます

かつてドヤ顔で「すてきなカフェ」とタリーズに連れて行かれ「おいしいイタリアンの店」とわざわざ新さっぽろ

サイゼリアに連れて行かれた過去があります・・・朝っぱらからスミマセン。扉が開いてしまったもの

そそそ、そうなんですよ、サイゼリは内心「マジかよ?!」って思ってたんですけど、ヘタレが災いしてついて

行ってしまったのです・・・しか札幌からわざわざJRで。バカですねー

タリーズでは別の衝撃があってですね、これみよがしに「俺、食べ物なんでも美味しそうに食べるねって

よく褒められるんだ」ってよくわかんない自慢をされ、コーヒーひと口でニコッ☆ケーキひと口でニコッ☆

とよくわかんないアピール。いや、アナタ35歳ですしUZEEEEEE!!!となりましたな。

35歳で実家住まい男性は間違いなく何かのフラグ立ってるって学びました

RT @bernese093: uzeeeeeeeeeeeeeeー…(どん引き)因みに、ラパウザの彼も35歳だったそうです。

35歳って何かあるんですかねー…(遠い目

冬は暖房をつけるので冷たい食べ物の方がおいしいですね

冷たい食べ物がすき

冷やし中華

そうめん

冷やしトマト

冷えたカツサンド

刺し身

などなど…

 

だけど、この世はあったかご飯が至上とされている。

夏なのに温かいご飯と味噌汁は外せないような人間がたくさんいる。

でもその影に隠れて、冬でも冷やし中華を食べたい人がいること、カツサンド冷蔵されたままのほうがいい人がいること、そうめんにゅうめんにされると困る人がいること、忘れないで。

友人の行儀が悪い

外国籍の友人がいるんだが、とにかく行儀が悪い。

国が違えばマナーが違うから、行儀が悪いというより単純に知らないという感じなんだろうなとは思う。

両親ともに外国人人生の1/3を母国で、2/3を日本暮らしている感じ。(本人曰く母語日本語感覚?も日本人に近いとのこと。)

さらにここ10年は一人暮らしなので、誰にも注意されなかったんだろうなあという感じがする。

具体的にはこんな感じ

・会話に合わせて(?)箸を振り回したり、箸で方向を示したりする

・口に食べ物をいれたまま喋る

・口を開けたまま噛む(特に硬いもの

ストローズズズーッとすすったり、氷をボリボリ食べる

カトラリー食器をぶつけて大きな音を出す

・紙ナプキン使い捨てメニューを皿の上でビリビリにちぎる

箸を振り回したときに水滴が飛ぶよ!とか、

そんなにストローズーズー吸うほど喉が渇いているならもう1杯頼めば?とか、注意とは呼べないような注意しかしてない。

あなた行儀が悪いよ!とはなんとなく言いにくい。

外国籍から文化が違うからしかたないと思っている部分がある。

はい日本暮らしていくなら私がもっと注意してあげたほうが…とも思う。

そもそも行儀の悪さと国籍を結びつけて考えるなんて私ってレイシストなのか?と思ってみたり。

よくわからない老婆心差別心?にさいなまれて一緒の時間を楽しめなくなってきている。

2017-11-13

こんな美味しいもの初めて食べた

https://anond.hatelabo.jp/20171113114414

親がジャンクフードきじゃない人だったので、ジャンキーな美味しいものを食べた時はまさにそんな感じになったなあ。自分料理をするようになってわかったけどジャンクフードのあのなんとも言えない旨味は味の素・またそれに類する市販調味料(とたっぷりの油)によるもので、独特な味がするよね。

マックハンバーガー高校生の時に食べた。高校生ともなると親の手を離れて土日にお外でご飯食べちゃったりするからね。楽しいね。ハンバーグ×ケチャップの組み合わせが新鮮だった気がする。家で肉を食べる時は塩コショーか、グレービーかデミグラスで、ケチャップそのまま使うことってなかった。そしてピクルスの風味が予想外だった。こんがりと焼かれた肉×ケチャップ×ピクルス!おいしーい!あの細身のポテトもそこで初めて食べた。それまで出会ったフライドポテトは太切りのものばかりだったのです。細身のポテトおいしーい!なにこれサクサクー!揚げ物の衣の味のついてるところだけの存在ー!感激してお家に帰ってマクドナルドポテトがとっても美味しいのでぜひ今度食べにいきましょうと母に勧めたら、彼女は既にこの食べ物のことを知っていて、ああいう形状のもの冷凍で売っているのでお家でも作れると冷静に返されてしまった。でもそれ以来時々作ってくれるようになった。マックポテトを美味しく感じたのはみんなで食べたその雰囲気が楽しく気持ちが盛り上がっていたというところが大きかった気がする。今でもマックを食べるというのはちょっとクワクするアクティティで、遊園地に行くような気持ちになる。

カップラーメン一人暮らしを始めた大学生の時に友達おやつと一緒に買ってきてくれたものを食べたのが初めてだった。よほど真剣な顔で説明書きを読んでいたらしく心配され、「大丈夫?わかる?作れる?」「大丈夫頑張る…」と言うやりとりを経て完成したラーメンは、なんかこう、人工的な味がした・・・マックのように感動はしなかった)。

ところで、トラバに「お上品な学校行ってたけど言葉遣いみんな普通だよお嬢様喋りの人とかいないよ」ということを書いてる人がいるけど、学校では他の子たちと合わせてるだけな人々も結構いたのではないかと思う。私がそうです。おうちでは「〜〜かしら」とか「何なさってるの」という、なんていうのこの口調…丁寧言葉山の手言葉?をつかっている。家だけじゃなくてお嬢さんなお友達相手だとお互い上記の喋り方になったりするので、こういう口調のご家庭はそこそこあるんじゃないだろうか。

一度携帯で親と話してるところを友達に見られ「お前なにそのおばさんみたいな喋り方www」とすごい笑われて、大変悲しい気持ちになったことがある。それからは本当に気を付けて(意識して)口調はその場の雰囲気に適度に合わせたものにしている。自分と「違う」ことを「変」「おかしい」とする人は結構いて(元増田もこんな人がいるわけない「おかしい」、という論調だ)、社会の中で人間関係をつつがなくやっつけていきたい場合には、気を付けないといけない。例えば「お嬢様キャラ」みたいなポジションみたいなのにうまく収まれば良いっちゃ良いけれど、「異物」になってしまうと時々厄介だ。自分にとっても周囲にとっても。大学時代、ちょこちょこ周囲とのズレで居た堪れない思いをしてきて、世の中にはこんなに色々な「普通」「常識」があるのか…と知って、きっとまだ私の知らない普通常識があちこち文化圏に溢れているんだろうなあと思い、私は自分と「違う」人のことを不用意に「変」「おかしい」とは言わないようにしたいなと思いました。なんか話がずれたな。まあいいや。

anond:20171113114414

この国で最も家のしきたにきびいであろう、皇族の人と同じ学校に通ってたけど、彼、彼女らは普通にカップラーメンとか買って食べるよ。あと全然おぼっちゃまお嬢様言葉じゃなくて、ほんとにその辺の若者とおんなじよ。まあ「ご学友」が普通の人だからそうなるって話なんだろうけど

から俺は、ハンバーガー食べたことありませんの。とかい世間知らずなキャラが出てきたら、家柄とかしきたりってより、食べ物添加物に超嚴しいエコロジカルママ・パパだったんだなと思う

食べ物飲み物を粗末にする子を見ると切ない

息子が小学校サッカーチームに入っていて、昨日、参加した大会打ち上げがあったので行ってきた。

チームに参加している子供とその家族が参加して、食べ放題飲み放題焼肉屋さんでの打ち上げ

保護者同士の交流は楽しかったのだけど、一部の子どもたちが食べ物飲み物を粗末にしていて悲しかった。

食べ放題からということで、ふざけて山盛りのご飯をつくり、肉や野菜トッピングし、ドレッシングキムチをかけて「これまじぃ〜〜〜」と笑って食べなかったり、飲み放題コーナーでウーロン茶オレンジジュースを混ぜて「げろまずwwww」とか言ってジューサー排水のところに捨ててたり(これもマナー違反)。

食べ物飲み物を粗末にできる感覚が分からず、そんなことしたらだめだよと言うくらいしかできなかった。

夜の集まりということでテンションがあがっていたこともあるのだろうけど、一般的常識がない子どもたちを見てとても切ない気持ちになった。

しょうが にんにく 豆板醤

せい家に行くと鶏油多め、味濃い目だけに止まらず、

しょうがにんにく豆板醤たっぷり入れてしまう上に、

汁も飲み干す。

悪魔食べ物

うつヌケがお下劣サイテーパロディ漫画より危険理由

話題の「うつヌケ」はお下劣サイテーパロディ漫画より危険だ。

理由はこれを読んだ患者治療拒否する可能性が高いからだ。


うつになった原因は「自分キライになったこと」

うつを克服できたきっかけは「自分を好きになったこと」

科学的根拠が全く見えない言葉とともに、通院や投薬の無意味さを主張する。これがこの漫画の正体といっても過言ではない。

から見ればあの近藤誠医師書籍と同じである


第2話において、うつ病治療を始めたが効果が見えず、薬が増えていくことに恐怖を覚えたこと、そしてドクターショッピングに至ったことが描かれている。

精神医療失望し始めたころに「薬では『うつ』は治らない。なぜなら…」という本に出会い、そこからアファメーション」に傾倒する。


まず「アファメーション」が何なのかをググってみるといい。大半の人が目を覚ますだろう。

このアファメーションは一部で有名な苫米地英人日本に持ち込んだものである詐欺的な自己啓発集団商品化しているケースがあまりにも多い。

ドクターショッピング対象自己啓発ショッピングに切り替わっただけと考えてほぼ間違いないだろう。同じ罠にはまる精神疾患患者はそう珍しくないかである

田中圭一はもちろん医療専門家ではない。それゆえに精神病理について全く無頓着である

脳の器質的な疾患であるとか、そういったことを無視してメンタルヘルスを語っている。

その結果


うつになった原因は「自分キライになったこと」

うつを克服できたきっかけは「自分を好きになったこと」


という非科学的なセリフが登場するのである。いうまでもなく、これらはうつ病の発生原因や回復要因としてまったく因果関係が判明していない。

メンタルヘルス回復の補助としてある程度役に立つかもしれないが、あくま治療のメインは投薬治療である

ストレスで胃に空いた穴は、ストレスを解消するだけではふさがらない。精神疾患もそれと同じだ。


まりこの漫画一見精神病患者の心に寄り添うように見えて、言っていることはマイルド根性論なのだ

うつなんて甘えだ。気合で治せ」というのと

自分キライになったかうつになった。自分を好きになればうつは治る」

というのは、理屈としてはほぼ同じである

うつ病というのは自分の気の持ちようで治る病気なんだ、という、多くの精神科医師が解きたくてたまらない誤解をますます深めているのだ。


うつ病患者をはじめとした精神病患者は、長患いの結果、病院医師に対する信頼を完全に失っている。

そんな折に「薬ではうつは治らない」「アファメーションで治る」と書かれた本を手にしたらどうなるだろうか。

すべてに絶望した末期がん患者が「抗がん剤ではがんは治らない」「手術も抗がん剤も無しでがんは治る」と書かれた本を手にした時と同じことになるのではないだろうか。


最後に。著者も含め、世の中の精神病患者はあまりにも「薬を飲み続ける」ということをネガティブにとらえすぎていないだろうか?

「一生薬漬けの体になってしまった」と嘆く人がいるが、よく考えてほしい。

健康人間でも食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸わなければあっという間に干からびて死ぬ

薬がないと生きられない人間と、健康人間には大して差は無い。


まれから生薬を飲まなければいけない人。自分自分注射を打たなければいけない人。

自分意志では歩くことができず、たくさんのチューブにつながれた人…

「生きている人間」のうち、彼らが占める割合はあまりにも大きい。

だが彼らは果たしてみじめなのだろうか。

「一生薬漬けの体になった」と人目もはばからず嘆き、薬を飲まない人生こそを至上とする精神病患者は、彼らの生き方否定している可能性に気付かないのだろうか?


治療のゴールは薬を飲まないことではない。治ったといわれたいために治療放棄するのは絶対に間違っている。

第三者に害を与えかねない病気からこそ、スタンダード治療重要性を常に心に留めてほしい。

2017-11-12

愛犬が死んだ

愛犬が死んだ。

もう5日前のことになる。貴重な体験だと思うので文字にしておきたいと思う。もう心の整理はついているので、慰めたりしてほしいわけではない。ペットを飼っている人の何かの参考になれば、同じ動物好きとして嬉しい。

親バカしかないが愛犬は「いい子」だった。お手、お座り、待て、伏せなどの芸をすんなり覚えた。散歩の時は自然と人の歩に合わせることを覚えた。おかげで足の弱ったじいちゃんの散歩にも付き合うことができた。じいちゃんの散歩は1人と1匹になり時間距離も伸びたようだ。散歩の時にはどんな犬と出会っても仲良くした。吠えられることはあっても、吠えるようなことはなかった。近所の飼い犬とはお友達になった。野良犬さえ、愛犬と何やらコミュニケーションをとっていた。当然、人当たりも良く、ご近所のみなさんに愛された。散歩中に、近所の小・中学生によく遊んでもらった。お前はいつも楽しそうだった。怖がる子も、お前がペロッと舐める笑顔になった。番犬としてもしっかり働いた。家族ご近所さん足音をしっかり覚え、聞きなれない足音にしっかり吠えた。本当にお前は理想的な飼い犬だった。

大きな病気もせず、スクスク育ち元気に生きた。年老いて体が弱ったが、それでも死の2日前まで日課の散歩を続けた。死の前日に、以前から弱っていた後脚が立たなくなって寝たきりになった。急激に食欲が落ち、水を飲むのもめんどくさがるようになった。それでも自由のきく上半身で、お前はいもの愛嬌を振りまいていた。家族の一挙手一投足をお前は見ていた。半日だけ有給を使って、ぼくが実家へ帰ってこれたのはこのタイミングだった。

夜には呼吸が苦しくなってきたようだった。自分で体勢を変えられないので、時々体を動かしてあげた。ただ、どうしても楽な姿勢は見つからなかった。それでも、一瞬は楽になるらしく、その間だけ眠っていた。最後の夜ゆっくり眠らせてやれなくて申し訳ない。でも、最後の夜を一緒に過ごしたことをぼくは忘れないだろう。ただただ生きようとするお前の姿があった。

最後の日の朝。とうとう上半身も動かせなくなった。僕が朝食を食べていると「自分にも分けろ」と甘えた鳴き声を出し始めた。でも、口元に食べ物を持っていってもお前は食べられなかった。精一杯の愛嬌だったのだろう。もう眼も鼻もきいていないようだった。ほどなくして意識も失われた。お前はお気に入りの、部屋の日当たりのいい場所眠るようだった。

母が仕事のために出かけた。その音が耳に入ったのか、お前は意識を取り戻した。最後の力を振り絞ってか、動かない身体を動かして窓から外を見た。いつも誰かが出かけると、窓から家族を見ていた。自分も連れて行って欲しかったのだろう。その気持ち最後最後身体を動かしたようだった。ほどなくして意識がなくなったようだった。最後の力を使い果たしたのだろう。ほんの少しの痙攣のあと、お前は旅立ってしまった。ぼくが仕事に出るわず10分前のことであった。帰省できたのはわず12時間程度だった。最期を見届けられるとは思っていなかった。最後に会えれば十分だった。おまえはいつも、本当にタイミングがいい。

僕たち家族は十分にお前の死を受け入れる準備はできていた。お前はそれだけの時間をしっかりつくってくれた。それでも涙が出てきた。どんな本を読んでも、泣ける映画をみても、泣いたことの無い僕が泣いた。たぶん、痛みや苦しみ以外の理由で僕が泣いたのはこれが初めてだろう。溢れ出る感情というものを初めて知った。

仕事のために家を出た。電車の中でも少し泣いた。職場仕事をした。いつも通り仕事をしたつもりだけど、今思えばそんなことはなかったのだろう。一人暮らしをする家に帰り、夕食を食べた。徹夜ということもあって少し疲れたので、近所のスーパー銭湯に行った。不思議なことに、いつもは混み合う銭湯が空いていた。露天風呂にのんびりとつかった。突然、涙が溢れてきた。30分ほど泣いていただろうか。色々な思い出が頭を巡った。

最後に、愛犬に思うことは「感謝である。本当に「いい子」だった。もともとは他の家の子になるはずだったのに、不思議な縁で我が家にやってきた。いつも家族のみんなを笑顔にした。イタズラをすることもあったけど。家族が成長し、それぞれの暮らしが始まっても、愛犬が家族をつなぎとめた。愛犬は家族の楔だった。

本当に「ありがとう」。それしか言葉がみつからない。

急募パンティーに合う食べ物

僕は生クリームの乗ったマンゴープリンだと感じていたのですが友人は「醤油以外いらない」と言います

別に調味料でも何でもいいので教えてください。腹が減って仕方ないですが出来れば美味しくいただきたいです。

2017-11-11

仕事の休憩中に、嫌いな食べ物

何故か得意気に自慢しているグループを見た。

嫌いなものがあるのは仕方ないにしても、

好き嫌いがあるのってむしろ恥ずべきことだと思うんだけど

どうしてあんなに自信満々に話せるんだろう。

 

あと、唐揚げレモンとか酢豚パイナップルとかも

結局は好き嫌いの話なんだから

逆ギレせずに静かにしていればいいのに、みっともない。

賞味期限かい悪魔数字撤廃してほしい

スーパーで働いているんですけど、今日餃子を廃棄したんですよね。500個くらい。積み上げられたあのちっぽけだった餃子は、いまや横綱と同じくらいの大きさでした。襲われたら殺される。

調理室に入るやいなや目に飛び込んでくる餃子の群集に一瞬なにごとかって狼狽したんですけど、まあいうて賞味期限が切れたんだろうと推測したわけなんですよ。

で、なるほどね~とか思いながら餃子の裏に記載されてる賞味期限をみたら

賞味期限11月12日

明日じゃないの。いや流石にまだ食品として全く欠陥のない餃子ゴミ袋に詰め込むのは最高に気分が悪いというか、普通に勿体ないだろ。っと思いまして、これは店長が日を間違えてるな、あんないい年して大事大事商品ゴミ箱に入れようとするとはね、一体どれだけの損害が生まれるところだったかついでにお前もゴミ箱に入れてやろうか、と抗議しにいったわけなんですよ。

そしたら店長、ああそれねー、なんたらなんたらの規則賞味期限が一日前だともう店に並べられないんだよねー、僕ももったいないと思うんだけどねー。とおっしゃいまして。

えっーマジかよ店長独断じゃないの、規則規則ならしょうがない破ると怖いし!というかなんだその規則!!!賞味期限意味なしてないじゃん!!そもそも賞味期限意味もよくわからなくないですか?あれ過ぎてもいきなり毒の物質に変化するわけじゃないし、美味しく食べれるじゃん。誰だ賞味期限とか古くさいもの考えた野郎はお前をまずゴミ箱にぶちこんでやる

ということがありまして、タイトルに至ったわけであります。分かりましたか皆さん?

かいう事を考えながら、淡々餃子を袋からゴミ箱に移す作業をしていました。これ作ってる人がみたらすっげえショックだろうなあ。

餃子職人が買い物ついでに、私の餃子は売れてるアルか~?いっぱい売れてるといいアルな~!って精肉コーナー見に行ったら、精肉の人、自分餃子ひたすら捨ててんの、しかも真顔で。

うわあこれは落ちこむわ、というか普通に鬱になりそう。俺は一体なんてことをしてしまったんだ。こんな汚れ仕事をすることになるとは、嗚呼なんと功利主義世界だろうか。せめて無理矢理でも生で食べればよかった。これ生でもいけますね~!つって。顔を顰めながら。無理してる事くらい餃子職人にはわかる。でも、ほんの少しかもしれないが、その気遣いが温かい、心にしみる。餃子職人の目に少しだけ光が灯った。なんて。もうやだ平和世界に行きたい。廃棄ゼロの国とかないのかな。アンパンマン世界みたいな平和な国。

ああでもアンパンマン世界でも普通に廃棄とかしてたら嫌だな。

おにぎりマンが作ったおにぎりジャムおじさんが真顔で廃棄してる回。うわあヤダそんなの絶対見たくない。そして偶然にもその光景おにぎりマンが目撃してしまうみたいな鬼畜ストーリー

毎度のように襲来してくる雑菌共を殺菌した後、お約束通りにパン工場前でパーティをするアンパンマン一行。雑菌共から街を守った凱歌として食品提供する、アンパンマンワールドらしい振る舞いに町人たちはよだれが止まらない。最近ではバイキンマンが街に襲来するだけでパブロフの犬よろしく唾液が分泌されるようになってしまった者までいる。兎にも角にも、町人たちはこのパーティをとても楽しみにしているのだ。そしてそれは生産者にとっても同じことである。多くのバイヤーが集まるフェスなど、自分商品を売りこむ、絶好のチャンスといえるだろう。そんなわけで、生産者は皆自慢の商品を売り込み、町人はそれを笑顔でほおばる。幸せが具現化した会場を写しつつフェードアウトし、エンディングアンパンマン音頭に移るわけだが、今日は会場の中に一人浮かない顔の人物がいた。おにぎりマンである。彼のおにぎりが全く売れないのだ。この世界食べ物が売れない生産者は、その人物存在価値否定されたといっても過言ではない。通貨地位存在しないこの世界では、レゾンデートルこそが唯一の資産であり、生きるための自信であり、絶対条件なのだ。故に皆必死になって商品を売り込む、そうしなれば生きていくことができないから。

「何故売れないのだ?」おにぎりマンは呟く。確かに、かつ丼や天丼には魅力で勝てないだろう。奴ら自慢の丼ものは、見るもの全てを魅了する。艶のある衣に包まれた果てしない弾力想像させる海老咀嚼という行為をただただ崇拝することになるであろう、分厚い肉、これらに米を掛け合わせたものが、ただ梅を入れただけの素朴なおにぎりと競い合うはずがない。まさに規格外の化け物であるしかし、純粋コメの美味しさを求めるならば、確実にオニギリの方が勝っている。素朴ながらも、素材本来うまみを嚙みしめる事ができる料理はそう多くない。恐らくオニギリと食パンくらいであろう。一定ニーズはあるはずである所詮奴らの敷いている米など低価のインディカ米。こちとら厳選されたジャポニカ米、しんのすけよ。この戦い、負けるはずがない、そう思っていた。だのに、どうしてこんなー。

おにぎりマンは焦りで手元が震えていた。今やおにぎりすら握ることができない。嗚呼、手が冷たい。誰か買ってくれ、誰でもいい、誰か。

こんにちはおにぎりマン君」ハッと顔をあげる。そこに立っていたのはジャムおじさんだった。バイキン撃退から2時間最初の来客者だ。

「どうだい、調子の方は、」無邪気な笑顔で私に問いかけてきた。突発的に殴りそうになるものの、残された理性で己を制御した。この人は何も悪くないじゃないか、何をやっているんだ私は。

「どうしたんだ、体調が悪そうだが」私は反射的に売れていないことが悟られないように取り繕う。売れていないと周囲に認知されるのはまずい。戦闘で少し疲労した、たいしたことではないと伝えた。

「そうか、でも、それにしては酷く困憊してるじゃないか。みんな元気な君がみたいと思っているよ。まだまだ祭りはやっているんだし、ここでバテていたら勿体ないだろう。少し街で休んできたらどうだい」全く、この人には頭が上がらない。確かに今の状態ではまともな商売などできないだろう。それに商売は、売ることだけが全てじゃない。皆の笑顔が大切なのだ。危うく大切なものを失うところだった。焦っていてもどうしようもないし、少し休憩しよう。用を足してきたら、また元気に呼び込みをしよう。丼ものには劣るかもしれないが、私だけがつくり出せる笑顔をみんなに届けよう。

承した。休憩仕る。とジャムおじさんに別れを告げ、私は近くの茂みに入り込んだ。

それからほどなくして、おにぎりブースに戻ってきたおにぎりマンは驚嘆した。おにぎりが全て無くなっているのである。売れたのか?否、違う。米をたく釜や予備の米、ましてや商品を置く机すらなかった。おにぎりマン最初から存在しないかのようになっていたのであるおにぎりマンはひどく狼狽した。一体何があったのだ。どうすればいいのだ。そうだ、ジャムおじさんなら。あの方なら何か…。私は工場に向かって走り出していた。そして、窓から我が工場長存在を探し始めたその時、今世で最大の、自分の目を疑うような出来事に出くわしたのである

ジャムおじさんおにぎりを真顔で捨てていた。そしてあのおにぎりはまごうことなき私のおにぎり。私は一瞬何が起きているのか理解できなかった。私の頭が考える事を拒んだ。

一連の行為には無駄な動きが一切なく効率よく行われていた。そしてその行為感情すら感じさせない。手はおにぎりを廃棄していても心は別の事を考えている。もはや食べ物への敬意など一切なく唯々無機物を移動させる作業のようであった。この人は最初から全て知っていたのだ。私に休憩を提案したのは私をどかしておにぎりを廃棄するため。この人に、私は、私は。

おにぎりマンに残された選択肢は二つ、見なかったことにしてこの場を立ち去るか、腰に収めたその刀を使い今ここで切腹か、否、いっそのことジャムをこの手でー。

それから先の事はよく覚えていない。気がついた時にはすでに赤い私の手があった。周囲には廃棄されるおにぎりが血を吸いながら分散していた。これでは赤飯ではないか。だがこれでいい。これが勝どきというもの諸君。私は周囲に微笑み、おにぎりに囲まれながら腹部に刀をあてた。おにぎりとして生を受けたことを誇りに思いながら。

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