はてなキーワード: ホッテントリとは
同じ内容なら他のブログより増田よりよっぽど伸びやすいなと感じる。
何度も振り返る価値のある愛蔵版的な情報源なら確かにブクマはいろんなドメインに分散してついている。
しかし時事ネタや日記を書いてるようなまとめ記事やブログやSNSをブクマするタイプの人は、その枠の半数近くを増田に割いている奴が大半だからだろう。
だから他のドメインに比べれば当然複数人が同じ記事(増田)をブクマするという被りが発生する可能性が高いわけだ。
そうしてホッテントリ入りしやすい構造になり、またさらに伸びるという良循環?悪循環?というわけだ。
単に増田のほうが伸びやすいから増田に書く、反応されるという目的を満たすならブログ持つより増田に書く方がコスパいい、という、増田で名乗ってくるような自己顕示欲ゾンビがいるのが嫌なら、時事ネタ等をブクマしたい欲求を満たすときは意識的に他のドメインから多くブクマして、自分の中で増田をブクマする割合を今までよりも低くしようということを、みんなで協力して運動として行うことだ。50%も増田にブクマしてる人は、まずは40パーセントに減らす。
そういう運動が実を結べば、増田から増田に書けば伸びるみたいな理由で書く増田らしかなぬ文化圏の人は自然消滅するだろう。
しかし「俺がやってもみんながやんなきゃ意味がない」って思う人が多くて、結局運動として意味があるほどやる人が出てこなくて、効果が出ないから結局誰もやらなくて変革なんて起こらないんだろうな。
自称・知識人だの言論人だのブロガーだの、そういう学歴と肩書きだけは立派な人たちが、巷で流行る一般書を読んでお気持ち表明文を書くやつ。
10〜15年くらい前まではありがたがられてたかもしれないけど、専門家がいくらでも情報発信している時代に、非専門家が読書感想文と自分の思想を開陳するのに何の意味も価値もない。読むだけ時間の無駄。
それを読む暇があったら複数の専門家の意見を読み比べたほうが良いし、今はもうそれができる時代になってる。
かつてのブロガーたち、自分の専門領域を語るのならまだ良いが、それ以外は一般人の妄言となんら変わらないのでとっとと引退してほしい。
いまだにかつてのはてな村ブロガーで互助会みたいにしてホッテントリに入ってくるのが目障りだ。
「○○さんへ向けて」とか互助以外の何者でもない。
特定の事柄についての所感を、短期間に何度も書いてる人っているでしょ?
でも、それも長く続かず、投稿ペースが落ちたり文章量が減っていく。
クオリティも下がっていくし、読み手も別の話題に関心がいっている状態。
書き手もモチベーションがなくなってて、書けることも書きたいこともなくなってる。
そういう“出がらし”には独特な味わいがあるからだ。
これがアフェリエイトとかなら金のために「それでも書く理由」があるんだけど、はてな匿名ダイアリー(増田)はそういう建前がないから“渋み”が違う。
承認欲求とか、自己顕示欲とか、あるいはもっと素朴な「何かをアウトプットしたい」っていう漠然としたものが原動力になってる。
書けることがない(なくなりつつある)状態で、その原動力すらなくなったら普通は書くのをやめるだろう。
でも、その状態で、それでも書かれた文章の出がらしこそ、俺が一番味わいたいもの。
なので、やめそうになったら軽く小突いてやる。
例えば「ホッテントリになって味占めたんだろうけど、最初だけだった」
「お前自身、この話について書くの飽きてきてる」
みたいなことを言及する。
で、本人も薄々分かってる。
だろうけど、それを他人に指摘されるのは癪だから、意地になって続けるわけ。
もう味しないよ~ってところからの、それでも捻りに捻って、絞りに絞ったときの、あの何ともいえない味わい。
なんだろうね。
桜の花が散って、葉っぱが生えていく過程を見ている感じというか。
桜の花と緑の葉が混じっているときの、あの何とも言えない状態に近い。
もう花見をするのには手遅れな状態なんだけど、あれこそ侘び寂びの極致だと思うんだ。
いずれ、それが緑一面の草木になったら、それはそれで立派だし。
それを肴に一杯ひっかけるのもオツなもんだよ。
書かせてほしい。
みんなうっすらわかっていることだと思うのだが、ここ最近のホッテントリの流れも踏まえて、言語化してみようと思う次第です。
まず、目についたのはこの記事。
「なぜ女性は昇進できない」を解明した川崎市職員にたっぷり聞いた 「軽視される仕事」と「形状記憶合金」:東京新聞 TOKYO Web
この記事の方が言いたいことにはおおむね共感しているのだが、もう少し踏み込んで、「罰ゲーム」と化している点について、愚痴を言わせてほしい。
上記の記事では、女性管理職が、社内(庁舎内)で軽視されがちな職場に配置されることについて書かれているのだが、そのような職場に配置されるのは、なにも女性管理職だけではなく、「配慮が必要な人」も配置されるのだ。
・単にコミュニケーションが下手な人
などである。
で、女性管理職にはそれらの人に対する「配慮」が期待される。ここが女性管理職特有の罰ゲーム。
子供が熱を出して急に休んでもOKで、残業しなくてもよく、お客様に対峙しないので失礼なことをするような機会がないような職場に配置されるのが、最近の女性管理職の配置パター
ンであり、そこまで踏み込んで書かれていないのは、これが流石に新聞記事で、敵を増やしたくはないと思われているからではないかと、勝手に邪推している。
そして、ここからが私の実体験に基づく愚痴なのだが、時短ママについては、急に休まれた分の仕事は管理者が実施しているのが実態ではある。ただ、そこは罰ゲームというほどの精神的負担ではない。管理者が時間外をして処理することで解決するので。
それよりも、メンタルとかコミュニケーションに問題がある人の方が問題で、ちょっと何かあるとすぐに「ハラスメントだ」とお上に訴えるのである。言葉を選ばなければ、「モンスター社員」というやつ。
こちらとしては、配慮はしているが、ハラスメントに及んだ覚えはない。
実際のところ、周囲の人の証言によって、ハラスメントの訴えは却下されるか、流されて終わることがほとんどである。
そもそも訴えられた時点で精神的に負担であるばかりでなく、一番困るのが、次の対処策がないことである。
本人はハラスメントを受けたと認識しているので、当然、その後の上司とのコミュニケーションに支障が生じる。
指示は聞かないし(届かないし)、仕事への意欲はさらに減退している。
じゃあ異動させればいいじゃないの、となると思うのだが、そういう人たちは、すでに何度も異動を繰り返していて異動先がないか、女性管理者のいる職場を巡回するかなので、問題のある社員を抱える女性管理者は増えはするけど、減りはしない、というところだ。
さらに、この状態を上位の管理者から見たとき、「女性管理職だからうまく配慮してくれると思ったんだけどねぇ」となれば、まだいい方で、一番言われがちなのは、「あの女性管理職はキツイ性格だと思っていたんだ(何しろ女性で管理職になったんだからな)」というやつである。独身女性ならば、まず言われるのは後者になる。
日本に「女性のリーダー」が生まれない深刻理由 「女性に意欲がない」というのは本当なのか | 「コミュ力」は鍛えられる! | 東洋経済オンライン
『記事「『怒りながら叫ぶ女』はどうして嫌われるのか」でも詳述したが、女性リーダーのコミュニケーションは極めてハードルが高い。
リーダーシップには、competence(有能さ)と、warmth/likeability(温かみ/好感度)の2つの座標軸があり、この2つが高い人が優れたリーダーということになるが、男性の場合、「有能」であれば、「温かみや好感度」についてはさほどなくても許されてしまうところがある。多少、冷たい印象で、好感度は低くても、それは冷静さや決断力と解釈され、さほどのマイナス要因にはならないのだ。
一方で、女性リーダーにとって「温かみや好感度」の欠落は致命的だ。「冷たい」印象の女は「怒っている」と捉えられやすく、批判を浴びやすい。トランプ大統領がどんなに人をバカにしたような横柄なコミュニケーションをしようが問題にならないが、ヒラリー・クリントンが声を上げて叫べば、「ヒステリックだ」とバッシングにあう。
男性のように強く出ようとすると、女性は制裁を受ける。イエール大学の研究では、自己主張をよくする男性CEOは、しないCEOより「仕事ができる」と評価される率が10%高かったが、よく自己主張をする女性CEOは、しない女性CEOより14%評価が低かったのだそうだ。 』
元の東京新聞の記事の内容に戻ると、「長時間勤務ができて、拒否しない女性」が管理者になるというのは至極納得で、普通に考えれば、主張しないと管理者になれないというロジックになりそうなものだが、実際のところは、女性管理者に求められているのは、あくまで「怒ったりせず包容力があり、24時間365日配慮が必要な社員のために働くママ」なのだ。
無理です。
子どもがいる人なら時間的な制約がまずあって無理だし、子無しや独身にそんな豊かな母性を期待されるのもおかしい。
滅私奉公できる人が昇進する、というのは、長時間労働と昇進の相関関係において男女で違いがないことから、男性でも同じ要件になってくるのだろうが、
女性はさらにそこに、罰ゲーム職場に配置され、「細やかな配慮」とやらを求められ、配慮しているのに部下にたびたび訴えられ、さらに主張すれば嫌われるときているのだから、昇進しても中間管理職止まりになるのは当たり前で、管理職になることを希望する女性が増えるわけがないだろう、というのが、女性管理職歴約15年の感想である。
この本は読んでないけど、もし続編を書くことがあったら、女性管理職特有の罰ゲームについても統計的なアプローチで切り込んでいただければ嬉しい。そしたら買います。
それで、実はこれは退職エントリであり、特に昇進欲なんて無かったけど、もうこれ以上、何に配慮したらいいのかわからないような配慮を求められるのはウンザリなので、辞めることにしました。
趣味もなく(時間もなく)、NISAなどが始まる前からコツコツ積み立てもしており、ここ最近の株高で、さらに退職金を入れれば、金融資産が大台に乗ったのもあって。
もともと贅沢しない生活だから、年金もらうまでのあと10年15年はきっと大丈夫でしょう。
現代は、独身女性が、女性管理職に特有の罰ゲームに15年耐え抜けば、一人で慎ましく暮らしていけるという自由を与えてくれました。
子供はもちろん可愛いし愛してるが、どんどん成長して手が掛からなくなってほしい。
キャリアアップもしたいし趣味の時間も欲しい、自分をケアする時間も欲しい、だらける時間も欲しい。まじで早く全部一人で勝手に出来るようになってほしい、何より一人で夜通し寝てほしい/寝たい。今腕枕しながらこれ打ってる
https://onaji.me/entry/2024/02/28
ホッテントリ入りしてたこの話が面白くてこの人の「闘争としてのサービス」も読んだけど
そのあたりのことも書かれてるやで
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/
↑この記事で圧倒的に★を集めているトップブコメが、以下のもの。
hutaai774a7b
前段階として豪の保育所で91人1600件超の児童性的虐待発覚、社会問題化→H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝→炎上、撤回→日本人LO作家が茶化して炎上の流れ。2次と現実の切り分けが出来ていると言う欺瞞
はてブでもこれがあたかも事実のように語られているが、Buzzfeedが続報したように、
この広告を攻撃し、炎上を煽ったメディア評論家のメリンダ・タンカード・リースト氏の批判投稿は
↓
H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/hm-girls
そもそも初報の段階での小宮先生による解説も、戸惑い含みというか、歯切れの悪いものだったよな。
小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。
広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。
しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういった価値観を表現しているのか」が問われる。
小宮先生も初見で「これのどこが問題なんだろう?うーん、でも批判を正当化せねば」と頭をひねったであろうことが伝わってこないか?
しかしメリンダ氏の投稿は「性的虐待に対する危惧」ではなく「アパレル企業が子供にまでルッキズムを煽ること」への批判が主である。
小宮先生もちょっと困って「などが議論のポイントになっていると考えられる」といううすらぼんやりした表現を使ったのではないか。
それでも広告狩りを正当化したい人々が「Make those heads turn in ~という表現は性的なニュアンスが強い」などと言い出したが、
記事を見る限りオーストラリアではこの表現自体は別に問題視されていない。
この光景ももはや何度見たことか、日本のネット民の悪い病気の一つだと思う。
だいたいさ、はてブで最初にホッテントリ入りした以下の記事のブコメを見てほしい。
↓
「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686
性的対象云々以上にルッキズムを煽ることへの批判でしょ。とくに女児にオシャレに対するプレッシャーをかけることが正しいのか。
女児は思った以上に気を付けて見ておかないとすぐにおしゃれを通じて承認欲求を煽られる事で摂食障害や危険な整形手術にシームレスに繋がってしまう現状を知ってるかどうかでこの主張の理解度変わると思った
大人の視点を子供に押し付けてないかという問題だと思う。女の子達から見てこの広告は素敵に映るだろうか?個人的には子供より大人・親へのアピール感が強くて微妙。
批判は正しい。ナニを表現したいか、そして、広告だからこそ、受け手の評価がすべて/印象としては、女児を素のまま広告塔にする意図が透けて見えるから気持ち悪い。これでケバケバしくヘイクしてたら気持ち悪くない
男子2人の親だけど、子供を消費者に仕立てあげるマーケティング活動が年々対象年齢を下げていることに危惧を覚る 経済的自立が可能な年齢を対象にして欲しいと、子供が接する各種メディアを横で見ていて思います
これくらいでと思うかもしれないが、その“これくらい”が無数に積み上がって若い女子の無理なダイエットや拒食過食整形などに繋がるので。男子も未成年の脱毛や整形希望が増えて親が困ってたり他人事じゃない。
表現の自由と、ルッキズムに煽られてすぐ摂食障害やら港区女子になってしまう女子のリスクと。家庭で教育したくとも外の世界で友人や雑誌、漫画、アニメ、広告から影響を受けてしまうのよね。
「女児を素のまま使う広告の意図が透けてみる。ケバくメイクしてればキモくない」(これが一番意味不明。素のままか???)
なのに全員が「これは誰がどう見ても◯◯って意味でしょ。普通わかるでしょ。ロリコンどもはとぼけるな」ってテイなのがまたよくわからん。
非難してる人たちも「正直どこが問題なのかよくわからないが、白人様によるリベラル的な立場からの性搾取批判っぽいから肯定せねば(使命感)」みたいになってないか?