はてなキーワード: 死にたいとは
ききわけのない女の頬を一つ二つはりたおして背中を向けて煙草をすえばそれで何もいうことはない
死にたいって言ってる奴の口を「生きたくても生きられない人に失礼」とか「そんなこと言ってはいけない」とか言って無理やり塞いでも意味ない
そんくらい追い詰められてんだろ
死にたいって言ってる奴の口を「生きたくても生きられない人に失礼」とか「そんなこと言ってはいけない」とか言って無理やり塞いでも意味ない
生きていかなきゃいけないのつらくて泣きたい。どうでもいいから早くやめたい。誰かがこれを読んで心の弱い人間だと蔑むのも自分のほうがつらいと思うのも何も思わないのもそれ以外も全部どうでもいい。ここには私が生きていきたくないという事実だけがある。それ以外は何もない。
街に出て、スーツ姿で首に社員証を下げた人たちや、頭を下げながらスマートフォンを耳に当ててどこかに向かっている人たちを見ていると、どうして生きているんだろうと思う。他の人たちと同じようにまともに(もしくはまともなふりをして)何年も生き続けていく自信がない。自分も周りから見れば見た目だけは馴染んでいるのかもしれないが、本当は今にも大声で叫びたいし、荷物を全部投げ捨てて暴れたい。でも人に迷惑をかけたくないからなんとか人間のふりをしている。みんなそうだと思ってたけど、人間を好きでやってる人もいるらしい。人間のふりをしなくても人間として生きていける人が。そういう人たちが今の社会を回している。自分はそこに馴染めない。人生がひっくり返ってもできるとは到底思えない。よく街中で暴れておまわりさんにお世話になっている人がいるが、そういう人のことを他人事だとは決して思えない。いけないことだとわかっている。でも気持ちは理解できてしまう。その人たちを非難する声や、中傷する言葉を遠くから目にして、まともな人たちにはわからない、この社会をうまく渡り歩いている人たちには受け入れ難いことなのだと思うと、自分はいつか迷惑をかけるかもしれない人間です、ちゃんと生きられる自信がありません、ごめんなさい、と思う。
みんな死にたいとか思わないんだろうか。私は明日の自分がどうなっているのかわからないのが不安で不安で仕方がない。ちゃんと時間通りに起きて、家を出て、会社に行けるのか、毎日自分を信用できない。こんな毎日が延々と続くことに、耐えられない。毎日毎日死にたい。今はなんとか人間の形を保っているけれど、いつまでもつのか、こういう文章を書いている時点で保てていないのかもしれないし、どうかしている。社会も自分も。全部どうでもいい。
先日のニュースで上島さんが自死をされたことを知って、ショックを受けた。
今までであればショックの中で『なんで……』とも思ったのだけど、今は『なんで』とは考えなくなった。
亡くなる少し前に母に『透析が怖い』と言ったり『足が震えて止まらない』と言って自分の車ではなく、お迎えに来てもらうようになったという。
そして、亡くなった。
遺書などない。
母の話を聞いたら、本当に急だったという。
そして、昼の散歩の後か何かの時にいなくなり、見つけた時にはもう……という状態だったようだ。
当初、母から父の自殺を知らされた時は、父に対して怒りまくった。
金の心配はない。
ポンコツな俺と兄という重荷はあるかと思うが、幸福者だろうと言える。
そんな状況下で、父は死を選んだことに腹が立ったのだ。
それに、俺に対しても『頑張ればなんとかなる』とか言ってたからなおさらである。
だいぶ月日が経って、遺影に映る父の顔にも見慣れた。
そして、父の死をなんとなく受け入れた。
『もう、疲れてたんだな』と。
あと『この先の見えなさが怖かったんだよな』って。
だから、自死を選んだことに対して『辛かったんだよな』と思えるようになってきた。
でも、それを選んでほしくなかったとも思う気持ちがある。
真面目過ぎたんだよ、きっとな。
いい加減でよかったのにさ。
孫はかわいがっていたし、妻との関係も良好だったが、俺とは別にって感じだったし、俺も父をそこまで好いていなかった。
嫌いとかじゃない、合わない。
それだけである。
だから会話もそこまで盛り上げないし、極力話してない。
亡くなった後も親父への悪態はつく……でも、それがある意味で供養になってるかと思うんだよ。
亡くなっていきなり態度変えるのも違うから。
もう1年経つのにな、ベッドの上で眠ってる親父の顔に触れた時の温度が、手から離れないんだ。
いつでも思い出せるんだよ。
あれは、人が持っていい体温じゃない。
俺の好きなLINKIN PARKのヴォーカルも自死だ。
『なんで自死なんてしたの?』と考えても、なかなか答えって出てこない。
いや、多分出ないと思う。
あの時も、ふらふらと用意をしてスッとセッティングをしてしまった。
寸前だった。
あの時『これが答えなのかもしれない』とだけ思っていたことを覚えている。
そう、それしか見えてなかったのだ。
俺はその時それを辞めて、今この場でカタカタと文章を書いている。
じゃあ、今生きていて楽しいのかって言われると返答に困る。
その度追い返せる体力はあるけどね。
でもまあ、生きてます。
何が言いたいのかわかんない文章になった気がするが、ご容赦願いたい。
Twitterでつぶやけばいいじゃん、なんて言われそうだったけど、親父の死を明かすことで気を遣われたくないし、なによりも、父の死をRT・いいねの数字に変えたくない。
皆さんも辛い時があると思う。
でもまあ、なんとかなるって思ってほしいなんて、俺は思う。
そして、精神科などに行きましょうって強く思う。
それ以外には、なにもできないかな、俺には。
長々と申し訳ない。
では、明日もあるとなんとなく思いながら眠りにつきましょうか。
グッナイ。