はてなキーワード: 死にたいとは
親友が自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。
親友は職場で出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子。
シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。
出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。
ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまったことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばあちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。
親友が自殺行為をしたつい1週間前にも旅行(登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。
その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分のデスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。
『○時までに来なかったら読んでね』
自殺をしたこと、場所、警察や家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。
時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいつはいつも通り仕事に来るはずだ。
親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。
母親が電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親に電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。
一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。
一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。
親友のアパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、楽しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。
親友はそのまま精神病院に入院になった。携帯もパソコンも使えない環境を案じて、塗り絵やブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。
まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。
私の差し入れが主治医の判断で没収されたこと、生活の不満、不安定な感情、いろんなものをぶつけられた。
それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。
親友の母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。
だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。
気力も体力も時間もお金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。
それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束をキャンセルしておいて、というようなお願いもあった。
プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂をしたことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。
私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師や看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。
私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。
そして、こんな短期間で、医師や看護師に相談できて、私や家族に心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めから大したことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。
こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺が成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。
あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だから、むちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。
もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。
そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。
あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。
長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう。
(追記)
そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。
今日は半年も前から楽しみにしていた、彼氏の職場関係の団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。
私は何を楽しみに生きているのだろうか。
・毎日決まった時間に起きられない。会議が始まるギリギリの時間に起床してギリギリにリモートを始める)
・毎朝洗顔できない。リモートの日は昼にやったり1日やらなかったり
・ストレスをうまく回避できない。お酒もタバコも苦手で食べ物もたくさん食べられない。友達いないから誰にも話せない
・努力ができない。何かを目指してそのためのこれを頑張らなければ、と思えないから
・前向きになれない。何に対してもどうせ頑張っても結局うまくいかないんだろうなーと思ってしまう
・すぐシャワーできない。入るまでに時間がかかる。酷い日はシャワーが嫌で先延ばししまくって夜更かししてしまう
おまけ
・できてないことではないけど、自己肯定感が低すぎるのに自己愛が強すぎる。あと物事の見方が減点方式。これリセットしたくて本当に一回死にたい
遅刻癖が治らない
インターネット上にあるライフハックを活用しつつ病院にも相談してて、大丈夫な期間もあるんだけど1回ミスると何回かやらかしてしまう
こんなに人に迷惑をかけてしまう人生もう終わりにしたい、死にたい
死にたい……
私はとあるソシャゲの二次創作をしている。同カプ者をフォローしているのだが、全然フォロバしてもらえなくて辛い。いや、半分くらいはフォロバしてもらえるのだが、同カプゆえのお情けフォロバだろうなと思って悲しくなる。私なんかよりよっぽど絵が上手いし萌えるネタを描いている。線一本一本に無駄がなくて洗練されているからモノクロでも映えてるし、塗りも温かみがあって今風の爽やかな絵柄。一方私はというとアニメ塗りをちょっとぼかしただけの古臭くて安っぽい塗り、誰を描いても同じな不細工ハンコ絵、服のシワも上手く描けないから硬そうだし、ポーズも不自然で骨折しまくり。私の絵を求めてる人はいないと断言できる。それがすごく悲しいし虚しい。いや、そもそも他人からの反応目当てで二次創作するなと思われそうだが、本当にその通り。htrでも内発的動機づけで二次創作できてる人は立派だと思う。私は外発的動機づけで、評価や交友を求めて二次創作してる救いようのないゴミhtrだ。そんな自分が嫌いだし自分の絵も嫌いだし、他人からも嫌われているし泣きたくなる。結局、私は他人に認められるためだけに絵を描いているのかもしれない。絵を描くこと自体は好きだけど、それ以上に誰かに認められたいし二次創作を通じて友達が欲しい。何も反応がないと、自分が存在している意味がわからなくなる。
片道フォローの絵馬が相互さんと空リプで楽しそうに会話してるのを見ると、嫉妬で苦しくなる。片道フォローの絵馬と仲良くしてる相互さんが羨ましい。相互さんに慕われている片道フォローの絵馬が羨ましい。私だって二次創作友達が欲しいよ。ジャンルが変わって仲良くしてくれるオタク友達が欲しいよ。でも私みたいな人間と仲良くなりたい人なんていないし、私はこのまま一生増田や5chで愚痴るだけの孤独な人生を送るんだろうな。もういっそ死んでしまいたい。死ぬのは怖いから、眠ってる間に気づかないうちに痛みも苦しみもなく死にたい。でも、そんなことを考えても何も変わらないのはわかってる。だから少しでも自分を変えたいと思って、こうして文章を書いている。誰かに読んでもらって少しでも共感してもらえたら、それだけで救われる気がする。自分の気持ちを整理するためにも、こうして書き続けることが大切なんだと思う。それにもしかしたら、同じような気持ちを抱えている人がいるかもしれない。そんな人たちに、この文章が届いて少しでも励ましになればいいなと思う。自分だけじゃないんだって、そう思えるだけで少しは楽になるかもしれないから。
ストレスで苦しい。
久しぶりに死にたい。
死にたいって言葉を検索すると自殺防止のガイドラインが出てきて
今ってこんなかんじなんだーと思った。
この検索結果のうちのいくつかは私の死にたい気持ちを受け止めてくれるのか、という期待と
何を言っているんだと蔑まれる恐怖が同時に浮かび、そのままブラウザを閉じた。
そもそもいい年の大人はもう「死にたい」の4文字を口にできない。そんなことは許されない。
インターネット上ですら言えず、
死にたいという言葉の方から私より先に私の胸の中で死んでいく。
でもそうやって押し殺して大人の体裁を守っていることが、かろうじて死なずにいれる理由のような気もする。
おやすみなさい
厚労省の令和3年度自殺に対する意識調査で自殺したいと思ったことがあると答えたのは27.2%だった
びっくりしたのが自殺したいと思ったことがないと答えたのが64.4%もいるってこと!うそでしょ?生まれてこの方一回も?消えたいとかも一回もない?
俺はいない歴年齢で友達一人もいなくて死にたいを越えてくる趣味もないからそろそろ死んどくかって感じなんだけど、こんなだから周りにそういう質問できる人もいない。
躁鬱の気がある。診断がつくかは知らないが、とにかく情緒が安定しないからどうにかしたい。親に言えば医療費は出してくれると思うけど、毎日死にたいから病院にいかせてくれと伝えるのが怖くてできない。
ずっと少し死にたかったけど、最近は昼も夜もなく強烈に死にたくなって、でも踏みとどまり続けてる。臆病だから決行できる日が来る気もしないし、決行できないってことはなにかのきっかけで死ぬまでずっとこのまま苦しむことになるから、そんなの嫌だ。病院に行ってなにか好転するなら行きたいけどそんな金は自分ではつくれない。
これは夜に発作的に書きたくなったポエムなので苦手な人はリターンして欲しい。文章も書きなれてないから読みにくいと思うが吐き出したいだけなので勘弁して欲しい。
アナ。突然思い出した。本名はリン。本名を聞いたのは出会って半年経った頃だった。
俺は一時期自暴自棄になっていた。理由は特になかったが30代になり人生のコースが見えてきた頃未来に希望が持てず貯金を使い果たして死のうと思っていた。
と言っても音楽くらいしか趣味がなく、大きな買い物をするでもなく、なんとなく贅沢なご飯を食べたり良い服を買ったりしながら、300万あった貯金を100万円ほどまで減らした。パーっと使って気持ちよく死のうと思っていたが、そんなお金の使い方をしてもあまり達成感はなかった。
そんなときに、近所にチャイエスがあるのに気づいた。チャイエスというのはチャイナエステ、中国人や東南アジア系の女性が洗体をしてくれたりマッサージをしてくれたりする所だ。それ以上の性的なサービスはあったり無かったりする。
俺は風俗には行ったことがなかったしいわゆるメンズエステやチャイエスというのは存在こそ知っていたが未知の世界だった。グレーゾーンでアングラな雰囲気は自分にとっては普通の風俗よりも刺激的な気がして、鬱屈とした生活の中でいい意味で異物になりそうだと思った。予約もせず飛び込んでみた。
雑居ビルにある一室の呼び鈴を押して出てきたのは見た目20代くらいの女の子。キャミソール姿で、見た目は水原希子に似ていた。
コースは90分1万円。マッサージにしては高いのかなと思ったがまぁ露出の多い女の子がマッサージをしてくれるわけだし何よりお金なんてどうでもよかった。
部屋は広いフロアをベニヤの壁で区切ったような個室。間接照明だけの薄暗い空間にマットレスだけがある、
そこで服を脱ぐように言われお風呂場に通される。
お風呂場にはベッドがある。明るいお風呂場で見るとハッキリした顔立ちに意志の強そうな目が印象的だった。
そこで体を洗ってもらいながら、色々話しかけてみた。日本語はたどたどしいながらも簡単な会話くらいはできるようだった。名前はアナ。ベトナム出身。日本に来て半年。31歳。日本の冬は寒い。最初はそんな程度だったと思う。
個室に戻りマッサージをしてもらいながら話を続ける。
ベトナムの事は高校世界史と地理レベルの知識しかなかったのが興味があったので色々聞きたいと思った。スマホでGoogle翻訳の世話になりながら、何という街で生まれたのか、好きな食べ物は何か、聞いてその都度検索して画像を確認した。後から聞いたのだがそんな事をするお客さんは珍しかったらしく印象的だったらしい。日本人みんなエッチだよ、そのために来るよ、なんて言っていた。
性的なサービスはあった、といってもその日は手だけだったが。それよりも外国の女の子から現地のことを聞くというのはなかなかない体験だったので面白いと思ったし、よく喋ってくれる子だったのと顔が綺麗だったので俺はチャイエスが気に入った。
ほどなくしてまたその店に入った。今度はアナの名前で予約をして。
アナは笑顔で迎えてくれた。風俗とか水商売とか、それまでは偽りだらけの世界で言葉も笑顔も全て作り物で無意味だと冷めた目で見ていたのだが、目の前で笑ってくれると正直嬉しいものだ。
また体を洗ってもらい、マッサージを受ける。
今度は名前を聞かれた。たつや。発音が難しいらしく、たちゅや、になる。
たちゅやは結婚しているのか、何の仕事をしているのか。スマホの翻訳を通しながら会話をする。
俺も質問をする。
何のために日本に来たのか。お金を稼ぎたかった。最初はレジ打ちをしていたが稼げないからツテでこの店に入った。元々エステや美容に興味がある。お金を稼いだらベトナムで自分のエステ店を持ちたい。
実家はどんなところか。農家。たくさん兄弟がいる。チャイエスで稼いだお金を仕送りして家を建てた。
俺は美容に興味が強くスキンケアもわりとしていたのでその話で打ち解けた。何度も店に通うようになった。
何度目だったか忘れたが、特別サービスだと言って服を全て脱いでくっついてくれるようになった。くっつきながらかなりプライベートな話も聞いた。最近ゲームで知り合った彼氏ができた。彼氏は優しくベトナムのご飯を送ってくれたりする。いつか結婚するかもしれない。
話したことを書き出すとキリがないので強く印象に残ったことだけ書く。
お店に通いだしたのは夏だったが、その頃にはもうコートが必要になっていた。アナは来年にはベトナムに帰るつもりだということだった。
でも、帰ったあとどう生きていけばいいかわからない、地元ではみんな20歳くらいで結婚して子供を産むのが普通だ。私はもう31歳で、稼いだお金は仕送りをして、結婚もしていなくて、普通の人生を送れる気がしない。普段は明るく喋ってくれるアナが曇った顔で話していた。
外国に来て体ひとつで稼ぐこと。辛くないわけがない。しかし散々今までアナを買っておきながらそんな偽善的なことを思う自分が嫌になって考えるのをやめた。
春になって、アナはベトナムに帰る日を決めた。その頃には仄かにアナの事を好きになっていた。アナは全裸になって俺とくっつきながら、今まで一度も他の女の子の事を指名しなかったよね、たくさん話をしてくれてありがとうと言った。
最後にアナに会った日、マッサージの前に国外に出るために必要な書類のことを聞かれた。手続きの事がよくわからないらしい。見るとどうやら仲介人のような人物がいてチケットを手配してくれているようだったが、色々印刷して持っていくものがあるようだった。
アナのスマホにデータはあるようだったので、エアドロで俺のスマホにそれを送ってもらい、服を着て一緒に近くのコンビニでプリントをした。ついでにご飯を買って個室に戻り一緒に食べながら話をした。俺はアナと離れたくなかったし連絡先を聞きたかったが、ベトナム人はLINEでなく他のチャットツールを使っているらしく、Facebookだけを交換した。
色々ありがとう、じゃあね。と言ってドアを閉められる。
もっとドラマチックな別れを想像していたが、いつも通りの終わり方だった。
当然、その後アナとは会っていない。一度だけFacebookで「元気にしてる?」とメッセージをベトナム語で送ってみたが返事はなかった。
しばらくして一度その店を訪れてみたが、中国人の女の子とほとんど会話もせずマッサージと手だけのサービスをしてもらい、何も得られなかった気がして二度とそのお店に行くことはなかった。
顛末だけ書けばよくある話で、愛想のいいベトナムの女の子と都合のいいお客さんの関係が終わっただけのことだ。自分でもよくわかっている。
でもふとあの時は楽しかったなと今でも思い出すし、いつかベトナムの中でも田舎だというその街を見てみたいなと思う。
見た目はモデルのような綺麗な女の子なのに、たちゅやは川の蟹食べたことある?昔は川でよく蟹を取って食べてたよ、なんて言うギャップも好きだった。
俺は、今でも死にたい気持ちに囚われている。何も変わっていない。
以上だ、つまらない話でごめん。
最近、自分の写真を見て「なんか全然目が開いてないな」って思うことが増えた。
概念はうっすら知ってる「眼瞼下垂」ってやつか?と思って調べてみたら、衝撃の事実を知った。
「ハードコンタクトレンズを使っている人は、ソフトレンズの人より20倍眼瞼下垂になりやすい」らしい。
しかも「10年以上使ってると高い割合で眼瞼下垂を発症している」とかも書いてた。
え????
ハードレンズってそうなの????普通に10年以上使ってるけど????
最初私にハードレンズを勧めた母は知らなかったの?なんで勧めたの?っていう理不尽な怒りも湧いたし、
眼瞼下垂ってうっすら知ってたのに、なんで今まで調べなかったんだろうっていう後悔もあるし、
眼科の先生も誰かなんか言ってくれてもよくない?って責任転嫁の気持ちにもなるし、
10年以上何も知らずにハードレンズ使い続けてた自分が惨めだし、
いい年して中学生みたいでほんとキモいけど、この10年の重みで押し寄せる絶望感、泣く以外で消化しきれない。
まあ泣いても消化しきれなくてこれ書いてるんだけど…
そうだよね、だって周りにハードレンズ使ってる人なんて誰もいないもん。
そんな中10年もハードレンズ使い続けて、順当にそこそこ若くして眼瞼下垂になった私。哀れすぎ。
もうやだ死にたい。
手術すれば良いじゃんとかそういう話ではないんだよね、
子供に関してだけどね。
自分は発達障害持ちで服薬もしてるASD傾向もありのADHD。子供に診断がおりたのがキッカケで判明。
自分も診断がおりてから、色々調べて成程自分が感じていた世間との乖離はこの脳機能の偏り由来だったのかと色々納得できた。
長年かけて育ててしまった自己肯定感の低さと闘い、自分と他者との違いを「違い」として受け入れ、違いから起きてしまうトラブルの起因とその対処法に注力するようになった。
診断される前は「どうして私はこうなんだ。死にたい」と考えてばかりだったけど、その負の袋小路から抜け出せた。
そして、自然とそのフィードバックは同じ様に人生の障害にぶつかっている子供と共有する事になっていたよ。
この間、子供に言われたんだ。
「母ちゃんは自分と感覚が似ているから、母ちゃんに悩みを話していると納得するし、自分のなかを整理するのに役立つよ」ってさ。
ほんと嬉しかったよ。
大切な子の理解者でいられた事も、彼の力になってあげられている事も。
障害の原因も対処法もよく研究されていて、躓く場所が予想でき、共有されているから、よしんば遺伝してしまったとしても対処は可能である事を、一例として知っていて欲しいなって思ったから書いた。
手帳は貰ってないけどコンサータ処方されて飲んだことがある発達障害なんだけど、
ネットで出てきた「無料で受けられる新しい発達障害検査」みたいな広告から病院を予約して
カウンセリングに行ったら、これだった
https://news.yahoo.co.jp/articles/06976c116630475a4ee8fdfc732943c2ee5566d3
無料で受けられるって聞いてたのに、「結果を聞くならお金払え」って言われて少し払ったし
この治療を受けるには数十万かかるって言われて、その場で医療ローンを組まされそうになった
お金がなくて断ってから帰って調べたらこの記事が出てきて、本当に悔しい
なにより、やっぱり俺は判断力が人より低くてこういう詐欺に騙されるんだって気づいて本当に死にたい
普通になりたい
何度も同じミスをして、何度も繰り返し、ミスをしたところを確認して、
提出したらぜんぜん違うところを間違えてて、またそれもやったことがあるミスで、
そのミスをしないように、しないようにと思ってたら違うところを間違えてて
本当に何度も見返した?なんでこんなところ間違えるの?やる気あんの?って責められて
俺なりにやってますって言いたいけど実際出来てないんだからやっぱり気をつけてなかったんじゃないかって
いつも「間違えてる」って誰かが気付いたら、それは俺のミスだから、