はてなキーワード: 腰掛けとは
身体の輪郭が分からなくなるくらいの灼熱に晒されて、ふらつきながら地下へ潜り込んだ。長旅の終わり、我は、我は疲れていた。スーツケースと、スーツを入れたケースを持ち運び、エスカレーターを上り、下り、階段を上り、下り、しているうちに魂はすっかり枯れて萎んでしまったのであった。
地下は、地上の熱風を遮るために、過剰な冷気を噴出しており、噴出口のある天井には小さな氷柱が出来ていた。地下に降り立った瞬間、我は異様な熱気と寒気を同時に浴びる区間に突き当たり、前後が全く不覚になってしまった。目の前が白黒し、思わず近くにあった、壁の大理石を切り出して造られた硬いベンチに腰掛けた。尻が石の冷たさを真正面から浴びたことで、かじかんで震えた。尻がかじかんだのは、人生で初の出来事であった。
そうして尻がかじかんでしまった我は、すぐに大理石のベンチから立ち上がり、這々の体でコンビニエンスストアに滑り込んだ(実際、あまりの冷気に大理石の地面には薄く氷が張っており、革靴の真っ平な靴底を多少滑らせながら前に進まなければならなかった)。コンビニの店内も変わらず冷気に満ちている。
カイロを買わなければならなかった。こんな灼熱の時期に?カイロなど売っているのか。「ありますよ」金色のミドルヘアーを揺らして女性のコンビニ店員が歩いてきた。質問をしていないのに答えをくれた金髪店員は店内の奥、「従業員以外立ち入り禁止」と書かれた銀色の扉のその横、ドリンクコーナーの端のところの、よく見るとハンドルになっている部分を引っ掴んで、回した。すると、ドリンクコーナーがぐるりと回転、ちょうど隠し扉のようになっていて、店内の客が全員こちらを振り返るくらい盛大な音を立てて、開いた。我は驚いて、寒さを忘れた。金髪店員はニヤリと笑い、「ヒアユゴー」。
暗渠といって差し支えないコンビニ版「おくのほそ道」。真っ暗で何も見えない道の先を金色の髪だけがピカピカと照らしていた。歩き進むと徐々に周囲に光が満ちてくる。暗渠も終わりが近い。金髪は光に照らされて、眩しいほど輝いた。
開けた場所に出た。そこは、外。上った気はしないが地上であった。暖かい。冷え切った筋肉の繊維を溶かすように、優しい暖かさが全身を包み込んだ。身体が液体となって地面に溶け出すような心地良い感覚に包まれる。金髪店員が微笑んでいる。金髪店員のきめ細かい肌は白く、長いまつ毛が我を煽情的にした。恋をしているかもしれない、そんな状態の自分が好きかもしれない、と思った。天然のカイロはやがて灼熱と化し、実際に我の筋肉の繊維を溶かした。金髪店員も店の役目に戻り、コンクリートの上に浮かぶ陽炎だけがその場に残った。
※この記事は性的なものに触れるので、そういうのが苦手な方は戻ってください。
今年の春前に私の身に起きた話を書こうと思う。
恥ずかしい話として墓場まで持ってくつもりだったんだけど、最近またいろいろ思い出して愚痴りたくなったので書かせてほしい。
長い話になると思うし、文章が下手なので読みにくいかもしれない。
ただ皆さんには笑い話として、そして教訓として読めると思う。
そして、もしかしたら消すかもしれない。
私は30代後半の女だ。
恋愛ももう10年してなくて、今後もすることは恐らくないだろう。
それは別に良いのだが、昔から人並み以上に性欲だけは強くて、それを持て余していた。
ただ男性恐怖症なところがあるので、マッチングアプリで誰かと会ったり、女性用風俗なんかには行くつもりもなくて、自分だけでひっそりと性欲を解消している。
誰にも迷惑もかけてないし、それでいいと思っていた。
事の始まりはAmazonで新しく玩具を買おうとしたことがきっかけだ。
今まで愛用していた玩具が壊れたのでAmazonで新しく所謂”吸うやつ"ってのを買うことにした。そのときに一緒にオススメされた張型や他の日用品や本なんかもカートに入れて注文した。
そして後日、メールに宅配ボックスに配達完了という通知が来て取りに行ったのだが、宅配ボックスに自分の部屋の表記がなかった。
ただ、うちの宅配ボックスは以前もこういうことがあって、部屋名が反映されるまでに少しタイムラグがあるのかも? とか考えてそのままにしてしまっていた。
だが翌日、会社に行く前に見ても表記がなかった。おかしいとは思ったんだけど、管理会社に連絡するまでもないかな、と思ってそのまま会社に行ってしまった。
嫌な予感がした。
近付くと紙袋の中にAmazonの段ボールが入れられていた。開封されて。
紙袋には綺麗に折りたたまれたA4のコピー用紙が入っており、開くと「間違えてうちに届いてました。開封してしまい申し訳ありません」と書かれていた。
Amazonの段ボールの中身を祈るように確認すると日用品や本なんかではない、いかにもなデザインの箱が2つ入っていた。
シンプルなデザインだが、見る人によってはそれにしか使わないってわかるだろうパッケージと、エグいパッケージの玩具が二箱が入っていた。
その日は余りのショックと混乱でお風呂に入ることも食事を摂ることも出来ず、そのままソファに腰掛けたまま「何で……?」「どうして……?」とグルグル考え続けてしまった。
手紙なんか入れずにそのまま廃棄してくれていたら、紛失したのかな? くらいの軽い気持ちで、Amazonのカスタマーサービスに連絡して済んだのに。
何で手紙なんて入れてくれたんだ……!
さすがにどこの部屋に誤配されたのかは手紙に記載されていなかったのだが、私は(あくまで恐らくだが)誰がこの手紙を入れたのか何となく察しがついている。
誤配送されたのは恐らく隣の部屋だ。
確認に行ったときに宅配ボックスに表示されていた部屋番号が隣だったから程度の理由しかないのだが。でも宅配ボックスのボタンの小ささを考えると、押し間違えなど考えても隣が一番可能性としては高い。
隣は夫婦で住んでるのだが、朝や夜にたまに出くわす。
それ以降、朝や夜も出くわさないようにビクビクしながら部屋を出ている。
挨拶はしたが、その日も最悪な気持ちになったのは言うまでもない。
引っ越しが出来たら楽なのだが、薄給でロクに貯金もない私には、そんなお金はポンと出せない。
それにこんなことで引っ越すのか、という気持ちもある。
そしてその玩具たちもこれで楽しもうなんて気持ちには到底ならなくなった。見たら嫌なことを思い出すので、結構な値段がしたにも関わらずそのままゴミ箱に捨ててしまった。
あれ以降、性欲も恥ずかしさと紐付けられてしまって、解消しようなんて気持ちにならなくなってしまった。
話は変わるが、私は過去の後悔や恥をいつまでも忘れられないでいる。
30代後半にも関わらず、未だに小中学校時代の恥や後悔でワーッ! となったり、何であのときこうしなかったんだろうとか、あんなこと言わなきゃ良かったとか、考えてもしょうがないことを考えてしまう癖がある。
さすがに小中学校時代のものはたまにで済んでるが、今年起きた新鮮な恥は数ヶ月経つのに未だに忘れさせてくれなくて、結構な頻度で現れてくれる。
それが原因で、この数ヶ月趣味もロクに楽しめなくなってしまった。
私は映画や本、漫画などが好きで休みになるとよく映画館に出かけていた。
だがこのしょうもない誤配送事件が、思っていた以上に私の精神に影響をもたらしていた。
映画を観ていると、ふとした瞬間にこの恥ずかしさが頭に浮かぶのだ。
そのせいで『オッペンハイマー』も『DUNE2』も全然楽しめなかった。
どちらも楽しみにしていて、長い原作まで読んで備えていたのに、いざ当日になったら全然頭に入らなかった。
目の前のスクリーンで起きている壮大で悲劇的な英雄譚よりも、歴史に残る人物の壮絶な人生よりも、このしょうもない自分のクソみみっちい恥ずかしさのほうが勝ってしまったのだ。
読書もそうだ。
暇さえあればしてたのに、本を読んでいても、いつの間にか恥ずかしさの反芻に頭が切り替わってしまう。すると目が字の上を滑るだけで文章の意味が全然頭に入らない。
なのにページだけはめくってたりするので、気がつくとページを戻って読み直して、また戻って読み直してを繰り返してしまうようになった。
忘れられたり、気にしないように出来たら良いのだが、そう上手くもいかない。
なのに、YouTubeショートみたいな瞬間的な面白さのある動画だけは頭に入ってきて、『花束みたいな恋をした』の麦くんってこういう気持ちだったのかな? ってオナバレしたことで、自分事として考えられるようになったりした。
なぜオナバレすると本は読めなくなり、映画は観れなくなるのか? とかくだらないことを考えてしまう。
本当にこんなくだらないことで何でこんな思い詰めてるんだろう……。
それと私は昔から入眠に時間がかかる性分で、何か悩みがあるとずっと悶々と考えてしまって寝れなくなることがよくある。
誤配送事件以降、私は考えてもしょうがないことをずーっと考えてしまって、更に眠れなくなってしまった。
そのせいでイライラも増えるし、舌打ちも増えた。
人前で思い出して舌打ちすることもあって、ギョッとした顔で見られたこともある。
驚かせて本当にすみません……。
いろいろ書いてきたが、数ヶ月も経って何故自ら蒸し返すような文章を書いているかと言うと、先月イーサン・コーエン監督の新作『ドライブアウェイ・ドールズ』という映画を観たせいだ。
劇中にいかにもな玩具が出てきて、私はそれを見て劇場で叫びたくなるほどにワーッ! って気持ちになってしまったのだ。
少しマシになってきたかもって思ったら、またほじくり返されたような気持ちになり、もうこれは書いて笑い話にしでもしてもらうしかないと思って、こうして書いたわけである。
別に誰かが悪かったわけでもない。
配送業の方々は毎日忙しいだろうし、ヒューマンエラーはどんな仕事にもある。
誤配送された側も可哀想だ。恐らく届けてくれた人は良い人だろう。律儀に手紙を入れたりして謝ってくるのだから。
それにもし私が誤配送された側だったら、ロクに住所も確認せずに開けてしまっただろう。
そんなの責められるわけがない。
それにいきなり他人の性が目の前に現れるなんて不快だし、気持ち悪い。
結局自分が悪いんだと思う。
道路を渡るときに信号を守って安全確認していたら事故に遭う確率も減る。
人が死ぬかもしれない交通事故と、恥ずかしいだけで笑い話にしかならない私の話を、交通事故に例えるのは不適切かもしれない。
だが、そんな突発的に起きた出来事に感じる。
これを読んでいる皆さんは、私という愚かな先達の教えに従って同じ轍を踏まないようにしてほしい。
絶対に見られたくないものはコンビニ受け取りだったり、他の方法を取るように!
って皆、こんな初歩的なミスしないよね……。
別に本当にそう思っているわけではないし、全ては私のせいだ。
そのうえで言わせてもらう。
クソ!!!!!
そして自分もロクに注意することもないままネットであんなもん買ってんじゃねえよ!!!!
あー……本当最悪。
この季節になると不思議と毎年見る夢がある。
夢の中の俺は小学二年ぐらいで、おそらく実際にあった夏休みの思い出をベースにした夢を見る。
うだるような暑さの夏休みで、それでも家に居ても暇だから俺は外に出て海風に当たりに行っていた。
当時は港町に住んでいて、海が近くにあったんだ。
潮の香りを纏いながら堤防を歩いていると知り合いの女子を見つける。
知り合いといっても、同じクラスなだけで碌に話したこともなかった。
彼女は白のワンピースのような服を着ていて、アイスを食べていた。
向こうも俺に気付くとこちらに近づいてきて、何してんの?と俺が声をかけるとそっちは?と聞き返される。
アイスを食べていることに気付いて羨ましそうに見ていると彼女はそれを折って、片方を俺にくれた。
終始無言なんだけど妙に快い雰囲気で、暑いくせにまどろむような心地になる。
なんて意味のない会話を繰り返して、蝉の鳴く声や波の音に耳が包まれ、彼女の柔らかい香りが潮風に乗って俺の鼻腔を刺激した。
俺は何だか世界の最果てにいるような気がして、もし地球が丸くなくて平坦だったら、その端にはこんなところがあるんじゃないかって、不意にそんなことを考える。
彼女が俺の方を向き、微笑んだ。俺は照れて目を逸らすものの、気になって仕方がなく、彼女の方をチラチラ盗み見るようにその表情を見つめた。
楽しそうに彼女が何か言った。
その時に目が覚める。
見慣れた天井が目に入って、少し悲しくなり、感傷的になって起き上がる。
増田は既婚者で40過ぎのおっさんなのでこんなことはリアルで口外できないけれど、毎年見るこの夢に癒されるというかこの夢を見る度童心に帰った心地になる。
この日リビングに妻の姿はなく、出かけているようだった。
俺はYouTubeで久石譲の『Summer』を聞き、静かに泣いた。
あの夢が、俺にとっての原風景なのかもしれない。
あれだけのことをした家康が、一生涯苦しみはなくならなかったと言っているのです。
天下をとったら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
将軍になったら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
幕府を開いたら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
重荷を背負っていても、どこか路傍の石に腰掛けて、一休みできればまだいいのですが、「遠き道を行くがごとし」と言っています。
果てしなく歩き続けなければならなかったということです。
きりのない道、ゴールのない道を、重荷を背負って歩き続けなければならなかったということです。
それはなぜかというと、家康のやったことは、人生の大事業ではなかったからです。
家康は、重荷さえ下ろせれば、天下統一しなくてもよかったし、将軍にならなくてもよかったのです。
家康は、私たちが人生の目的と思っている仕事や、子育て、趣味や生きがいは全部やったのです。
それでも重荷を下ろせず、果てしない道を歩き続けなければならなかったと言っています。
死ぬまで苦しみ続けなければならなかったということです。
人生には、人間に生まれてよかったと大満足できる目的があるのです。
そこに到着したというゴールがあります。
それを果たすことが本当の生きる意味なのです。
近くに住んでたけど、連休になると家族連れが大挙してレジャーシート敷いたりして賑わってたから、市民の憩いの場ではあった
だだっ広くて危険物もない空き地は子供らにとっては貴重だったみたい
遺構のレプリカみたいなものが点在していて、犬を連れた老人が腰掛けてたり、飛び降りて遊んだりする子供たちがいたりして
今にして思えばなんか変わった空間だった
曖昧なままでも最低限の整備がされていて、近隣の人間がてんでに好きなように使っていた
そういう空き地にはそれなりの価値があるんじゃないかとも思うが、経済効果がないと言われたらその通り
どうやったって開発反対が盛り上がるような場所じゃない
https://x.com/thankyoukurata/status/1804515593972060590
クラスの友人たちと百貨店のトイレに寄ったら女性用は外まで並んでいた。友人が言うには「台湾の女性用トイレは男性トイレの3倍の面積にすることが法律で決まってる」らしい。
そこで、なぜ日本の女性用トイレは並ばないくらい広くなっていないのか議論になった。
知ってる人がいたら教えてください。
たまたまXで見かけたんだが、正直、新しく作る施設じゃないと無理だし、リプライで書いている人もいるように売り場面積が減るから積極的にこの流れができるのかは疑問だ。
そこで思ったんだが、旧国立競技場に設置されて普及しなかった女性用小便器を導入するって手は今の時代ならどうなんだろう?
女子トイレの行列は女性が用を足すのに男性より時間がかかるのが原因とはよく言われる。小便のときも大便をするのと同じ動作をしていたら時間もかかるのは理解できる。
国立競技場に導入されたTOTOのやつが普及しなかったのは「下品だ」という女性に貞淑を求めていた時代にそぐわないかららしい。
それなら今の時代なら昔のように貞淑を求められるわけじゃないだろうし、トイレの行列の問題は他ならぬ女性が困っているので受け入れられるのではないか。
実際、便座の衛生状態が気になって腰を浮かして小便をする女性が結構いるそうだから、同じ姿勢で使用する女性用小便器は一つの解決方法にならないか。
別に全員が使う必要はない。男性だって個室で座って小用をする人もいるわけだから。
それでも、30%でも50%でも使う人が出てくるようになれば列も小さくなるんじゃないか。
男性よりは小用の時間は長いがそれでも大便器に腰掛けるより早いというのは導入している国などでは見られているし、面積当たりの設置数も大便器だけを設置するより増やせる。
最近はアメリカなどで男性に近い姿勢で小用をするための立ちション器具というものもあり愛用している人もそれなりにいるそうだが、そういうものを利用してさらなる時間短縮もできるのではないか。
これから始まるのは性的なお話。苦手な方はタブを閉じてください。
どういうわけか5年ぶりくらいに自分だけの時間が訪れてしまった。騒がしい教室が突然静まるような本当にそんなタイミングで。
だからというわけじゃないけど、今日はスパンキングとセックスのことを書き連ねたくなった。
「はてなってセックスしてないか、つまらないセックスしかしてない男しかいないのでは?」という増田に触発されたのかもしれないし、ただ単に先日の素晴らしかったプレイを記録に残しておきたいだけかもしれない。多分オチはないと思います。(増田ってエロ駄目なんでしたっけ?)
きっと必要になるから早い段階でスパンキングの説明をしておきます。
スパンキングは簡単に言えば「お尻を叩くこと」で、一般的…かどうかはわからないけど普通は小さい子どもが懲罰として執行されるおしおきのイメージを思い浮かべるのかなと思います。
僕たち(日本国内の)スパンキングマニアはこれをディシプリン(躾としての)スパンキングなんて呼んだりしている。
じゃあ、それ以外のスパンキングがあるのかと聞かれたら、ラブスパンキングと雑に区分けされていることが多いです。要はおしおきという文脈で執行されるスパンキングを特別視しているんですね。
人体の神秘としか言いようがないけど、このおしおき行為としてのスパンキングに性的に激しく興奮する人々がこの世に一定数存在するんです。人種や世代もあまり関係なく。LGBTよりも遥かに少ないと思う。
そんなスパンキングを愛する自分とパートナーが半年ぶりに会った日のお話です。
※なお、後述しますがスパンキング以外のプレイ「も」愛しています。
まず自分の事前準備としてあらかじめ入浴を済ませてから50cmの竹尺をカバンにしまう。しまう、というか実はしまえない。長すぎていつもはみ出してしまう。良い方法を知りたい。
スパンキングは平手で行うことがほとんどで、それが自分の好みではあるのだけど、道具を使う場合、身近なものなら許せるという(周りから見ればよくわからない)美意識があります。例えばヘアブラシであったり、定規であったり、ベルトであったり。あと靴べらや布団たたきなんかも少し許せる。乗馬鞭は厳格な女学院の寄宿舎を思わせて風情を感じますが、SM的な一本鞭とかバラ鞭はちょっと萎える。これはもう完全に個人的な感覚です。
これは関係のない話ですが、無印良品でヘアブラシとかボディブラシが大量にぶら下がってるコーナーに遭遇すると平静を装いつつも動悸は高まります。
次に道すがらアダルトショップでアナルプラグを調達。いつも買うものではありませんが所謂「吸うやつ」もカゴに入れました。
その日限りで使い捨てるには安くはないのだけど基本的に新品を使うことにしています。保管中に「事故る」ことも怖いですが衛生面の懸念もある。パートナーの身体に対する最大限の敬意でもあります。
一方のパートナーは腸内をいつも洗浄してくれているようです。それはもう徹底的に。
統計はもちろんありませんが、スパンキング嗜好をお持ちでアナルプレイも好む方は一定数いるのかなと感じています。僕たちもわりと自然にそこにたどり着いた気がします。
そして彼女が普段使っているヘアブラシとローションをカバンに。ローションはブランシークレットという一見してそれとはわからないデザインのものを近年はよく使います。はてなだとご存じの方もいるのかなと思います。何食べの薄い本にチラッと描写されていたときは笑いました。
待ち合わせ後、会場となるいつものラブホに向かいます。スパンキングという行為の性質上、ものすごく大きな打擲音が響きわたるのでシティホテルはもちろんNGですし、ラブホですらフロントから苦情の電話がきたという笑い話を聞いたことがあります。お互い様だと思うのですが。
入室後、すぐに手洗いとうがいを済ませます。これはコロナ前からの習慣で女性の身体に触れる上で最低限のマナーだと思います。
いくつかの雑談を経て、今日の待ち合わせに少し遅刻したことだったり、少し怠惰な傾向が見られる最近の生活習慣について静かなトーンで耳を傾けます。これはとても大切なプロセス。
良い年をした大人が子どものような格好でお尻ペンペンのお仕置きを受けなくてはいけない。現代の倫理観でこんなことを成立させるのはファンタジーでしかないことはもちろん理解していますし、そもそも「本来されたくないものであるはずのおしおきをしてほしい」という矛盾があります。それでも文脈が大事なのです。聞くところによれば先生役と生徒役を演じて大筋のストーリーに沿ってプレイされる方もいらっしゃるようです。外から見たら笑ってしまいそうですがみなさんそれぞれ大事されているものがあります。
今回は厳しいおしおきが必要だねという合意形成がされた後にソファに腰掛け自分の膝の上に来るように促します。叩いている時ももちろん良いですが、この瞬間もたまらなく好きです。
この姿勢をオーバー・ザ・ニー(OTKと略す)と呼んでいます。神はどうしてこれほどまでにお尻を叩きやすい姿勢がとれるよう人間を作ったのだろうと、いつも本当に機能的で美しい姿勢だなと惚れ惚れします。
この姿勢をとっただけでパートナーが激しく興奮しているのが伝わります。
…あー、残念ながら僕の一人の時間が終わってしまうようです。叩くところまでたどり着けなかった。実は100叩きってすぐ終わっちゃうスパあるあるも書きたかったのに。
今年で25歳になる、脳性麻痺の四肢体幹機能障害。身体障害者手帳持ち。
障害者雇用で官公庁の正規職員に滑り込んだら、1年目の冬に爆速でうつ病を発症した。薬を飲みつつ何とか仕事には行けているから、精神障害者手帳は持っていない。休職経験もない。
月に3万円を入れることと、飼っている犬の散歩をすることの2つを条件に実家に寄生している子供部屋おばさんだ。何故か犬が私としか散歩に行かないので、犬が死ぬまでは実家の世話になろうと思っている。
普通に歩くことはできるし日常生活にもほぼ支障はないけれど、体幹障害のおかげで階段を自力で降りることができない。手すりがあれば何とかなるが、なければ段に腰掛けてケツでずり下がりながら降りるという奇行を披露する羽目になる。
バスや電車なんかの床が揺れる乗り物で立っているのもダメだ。吊革や手すりを持っていても必ずバランスを崩して転び、人間ドミノ倒しを開催してしまう。ヘルプマークをつけて優先席に座っていると乗客の視線が痛いけれど、周囲の安全のために許してほしいと密かに思っている。
ついでに言うと、某バラエティ番組の運動神経悪い芸人が泣いて逃げ出すレベルで運動ができない。
さて、ここで本題に戻る。
私には5歳下の妹と9歳下の弟がいる。どちらも心身ともにハンディキャップのない健常者だ。
奴らは物心ついた頃から「姉ちゃんにひとりで階段降りさせちゃダメ」というのが常識になっていて、一緒に出かけた時に手すりのない階段に遭遇すると当然のように手や肩を貸してくれる。私がうつを発症してからは、自主的に精神疾患の勉強をしてこまごまと気遣ってくれるようになった。
2人ともとても優しい子に育ったなと思うし(弟なんかはほぼ10歳離れているので、気持ちの上ではもはや親目線だ)、こちらとしても大変ありがたいことだが、昔からどうにもそれが苦しくて仕方がない。
あらゆるハンディキャップやマイノリティに関して「理解を、助け合いを」と叫ばれる社会になった。私は妹と弟にに助けてもらったことは山ほどあれど、奴らを助けてやれたことなどひとつもない。これでは助け合いでも何でもなく、ただの一方的な寄生だ。
Twitterなどで、所謂きょうだい児の方々の投稿をよく目にする。
私は妹と弟を苦しめていないだろうか?知らず知らずのうちに、奴らの人生の可能性を狭めてはいないだろうか?
奴らは「姉ちゃんには手を貸すのが当たり前」と思っているようだが、その「当たり前」がなければ、もっと自由に生きられたのではないだろうか?
先日、高校から進路希望調査を貰ってきた弟に「家出ないの」と聞いてみると、「えー嫌だよ、だって姉ちゃんと一緒に野球見に行けなくなるもん」と返された。
私自身はいつ自分の状態が悪化するか分からないから、結婚もしないし子供を作るつもりもない。自分の子が滑り台に登るとき、後ろについて守ってやれない人間に親になる資格はないと思っているからだ。
だが、そのぶんの負担が妹と弟に降りかかり、無意識に「家を出て一人暮らしをする」という選択肢を最初から抹消しているのだとすれば、奴らがヤングケアラーになっていて、自分が本当に生きたい人生を歩めないでいるのだとすれば、それをどう償えばいいんだろうか。今の私には分からない。
奴らは今のところ、仕事から帰って寝込んでいる私のベッドの傍に毎日必ずやってきて、その時喋りたいことを喋りたいだけ喋って、1時間くらいすると満足して自室へ帰っていく。だから、たぶん嫌われてはいないんだろうなあと思う。
でも、私のせいで彼らが広い世界を知るチャンスを逃しているなら、それはとてつもなく恐ろしくて、取り返しのつかないことだとも思っている。
私が生まれて来なければ良かったのかな。
他に吐ける場所がないのでここで自分語りを書き散らした。長い上に推敲も何もしてないから読みづらいと思う。
結婚しました!って職場の人なり友達なりから言われて、「アプリの人だよ!」って教えてもらったとき、皆は正直、どう感じてる?
私はああそうなんだ~ってサラッと流して、気まずくならないよう別の話をする…
30超えて周りにもどんどん多くなってきたからもうリアルじゃ言えないんだけども。あれ結構気を遣うしダルくない?
たった10年前でもネットの友達ってうさん臭く見られた時代だったよね。2000~2010年代で「ネット経由で恋人を作りました」って、親や友達には伝えることがかなり勇気要るものだったと思う。
男でヤリモクじゃなくてまともにコミュ力あるレアポケモンって一瞬で売れるじゃん。仕事頑張っちゃいましたそろそろ結婚するかって35手前の奥手な人ね。
女で30超えてマチアプで本気で結婚相手探してるって…なんかもう触れられないよ。本当になんでそうなるの?
学生や職場で見つからないことはあると思う。男女容姿関係なく、真面目な人ほどそうなるんよね。
それなら街に行きつけの居酒屋の1個でも作らない?バーでも何でもいいけど、要は人間関係できるとこだよ。
さみしいなら話し相手作ればいいじゃん。コミュ力足りないなら一足飛びにラスボス倒そうとしないでコツコツレベル上げすればいいじゃん。
ほんでカラッと彼氏ほしー!!って言ってたら結構飲み会誘われない?知り合いの知り合い~とかで、面倒なやつもあるけど玉石混交でしょ出会いなんて
独身で20~30代前半のフリーの期間ってすごい楽しいやんか。仕事頑張って、繁華街繰り出して終電気にせず飲んだりしてさ。
結婚しなきゃ!って突如焦って、最終手段がアプリって、何?人生の前半で何をしてたの?紹介してもらう友達の一人もいないの?
マチアプは割り切ってセックスする相手見つける場所、ならわかるけどさーそれで結婚相手見つけたって親に言うの?
どんだけうまくいっても、生きてきたコミュニティで番を見つけられませんでしたって、それまでじゃない?周りも「あっ、全然偏見ないよ!」って言ってるの、ほんと?
敗者復活戦みたいにギラギラしてる人たち、こわいよ…
マチアプでの出会いで行ったお店(つまり払われた金額だよね)や相手のスペックをすごい測る女ほどああだったこうだった~ってデートの話をたくさんするよね。
率直に言って、20代終わりで30が見えてきた子、腰掛けのつもりが気づけばお局…になっているアラサー以上に本当に多い。受験も就活もどこか手を抜いた人たち。
おめかししてデートで女!として扱われる時間っての気持ちよさをたくさん味わいたいってことならわかるよ。でもその瞬間ってお互いオスメスでしかない…
というか本当に、相手のスペックって何?何様なんだろう…。学歴も年収も気になるなら自分で身に着ければいいじゃん。
Twitterにたくさんいる婚活女性様たちのサクサク評価、すさまじいよね。レジュメで切る大企業の人事かって。
彼氏だと思ってた男に雑に扱われた泣 次いこ~~とか延々似たような話繰り返して嘆いている子ほど本気で仕事してない傾向にあるの何なんだろう。暇なの?なのに親指一つで結婚相手見つけようとしてんの?
煽りじゃなく、お見合いが当たり前の時代に生まれていた方が幸せだったんだろうなって女性、多すぎないか…
私が前時代的なんだろうなとは思うけど、いつからマチアプって人前でべらべら話せる、恥ずかしいものじゃなくなったの?
私は指輪とか式も簡素に済ませたよ。キラキラしたデートなんて全然なかったから自慢話も特にないふつーの結婚。芸能人でもあるまいし…
学生時代の友達からスペック()高い男と何人もデートしてる話長々聞かされて愚痴っちゃった。あと結婚式ではどう言われるかは普通に知りたい。
↓追記
途中まで面白い意見も多かったのに、羊水腐ってるとか気持ち悪いコメント多くなってきたからもうコメ返控えるね。コメくれた人たちありがとう
親指くらいのサイズ、100円。
その日は給料日で余裕があった。
店の中で椅子に腰掛け気だるそうに雑誌を読んでいる店主に声をかけて、サボテンを買った。
レジでサボテンを袋に入れてもらっている間、なんとなく不安が湧いた。照れ隠しに「プレゼントなんです」と言ってみた。
「へえ、誰に?」と店主。
「サボテンはね、魂を選ぶよ」。目を合わせず店主がつぶやいた。
きっと喜ぶよ、とか、センスいいね、とか、客商売ならもっと気の利いた一言もあるだろうに、と思ったが、妙に納得した。
「プレゼントだよ」答える俺。
「なんで?」と彼女。
テンションの上がらない彼女に内心焦りながら「なんとなく、君に似合うと思って」と言葉をつなげた。
その瞬間彼女の表情がくしゃっと崩れた。
「うける」
笑顔が見れて、ほっとした。
その夜、彼女はサボテンを眺めながら「トゲピー」と名付けた。彼女は「サボテン」では味気ないからと、そう呼ぶことにした。
それから彼女の様子が少しずつ変わっていった。トゲピーを眺める時間が増え、言葉を交わすことが減っていった。彼女はサボテンに話しかけるようになった。「きょうもいい天気ですね」「トゲピー、かわいい」そんな言葉が毎日聞こえるようになった。
最初は小さな変化だった。彼女は朝起きるとまずトゲピーに挨拶し、その後に俺に「おはよう」と言った。トゲピーに対する親しみが日に日に強まっているようだった。彼女はトゲピーに水をやりながら、「今日は何を話そうかな」とつぶやくようになった。俺はそれを微笑ましく思っていたが、次第に異様な気配を感じるようになった。
数週間が経つと、彼女はトゲピーの世話にますます時間を割くようになった。朝食の準備を忘れ、仕事に遅れることが増えた。彼女はトゲピーに語りかける時間を惜しむようになり、「トゲピーが元気でいられるなら、他のことはどうでもいい」とさえ言い始めた。俺は心配になり、彼女に何度も話をしたが、彼女は「大丈夫よ、心配しないで」と笑顔で答えるだけだった。
ある夜、彼女が突然起き上がり、庭に向かう音で目が覚めた。時計を見ると午前2時を過ぎていた。彼女が何をしているのか気になり、そっと後を追った。庭に出ると、彼女が何かを埋めている姿が見えた。恐る恐る近づくと、彼女は振り返り、狂ったように笑った。その笑顔は以前の彼女のものとは全く違っていた。
その言葉にぞっとした。彼女はサボテンと何か異常な繋がりを持っているようだった。彼女の様子がますます奇怪になり、食事もろくに取らず、ほとんど庭で過ごすようになった。
ある日、彼女の腕に奇妙な傷があるのに気づいた。彼女に問いただすと、「トゲピーがちょっと刺さっただけ」と軽く言ったが、その傷は深く、痛々しいものだった。次第に彼女の肌は乾燥し始め、まるでサボテンの表面のようにざらついてきた。彼女の瞳は以前の輝きを失い、無感情な表情が増えていった。
さらに数ヶ月が経つと、彼女は庭に長時間立ち尽くすことが増えた。まるでトゲピーと一体化しているかのようだった。彼女の体は日に日にやせ細り、血色が悪くなっていった。俺は何度も彼女に休むように言ったが、彼女は「トゲピーが必要なの」と言って聞かなかった。
そしてある日、彼女が姿を消した。警察に連絡し、必死に捜索したが、彼女の痕跡は見つからなかった。家に戻り、庭を見渡すと、トゲピーは以前よりも大きく成長していた。そのサボテンはまるで彼女が吸収されたかのように生き生きとしていた。触れると、彼女の温もりを感じるような錯覚に襲われた。
その日以来、彼女のことを思い出す度に、彼女がサボテンに変わってしまったという恐ろしい考えが頭を離れない。トゲピーを見る度に、その冷たい刺が彼女の最後の笑顔を思い起こさせる。
その日は給料日で余裕があった。
店の中で椅子に腰掛け気だるそうに雑誌を読んでいる店主に声をかけて、サボテンを買った。
レジでサボテンを袋に入れてもらっている間、なんとなしに気恥ずかしさが湧いた。照れ隠しに「プレゼントなんすよ」と言ってみた。
「へえ、誰に?」と店主。
「サボテンはね、人を選ぶよ」。目を合わせず店主がつぶやいた。
きっと喜ぶよ、とか、センスいいね、とか、客商売ならもっと気の利いた一言もあるだろうに、と思ったが、妙に納得した。
「プレゼントです」答える俺。
「なんで?」と彼女。
テンションの上がらない彼女に内心焦りながら「なんとなく、似合うと思って」と言葉をつなげた。
その瞬間彼女の表情がくしゃっと崩れた。
「うける」
笑顔が見れて、ほっとした。
コンビニのプリンを食後に食べながら、彼女とサボテンについて話をした。
店主に教えてもらったはずのサボテンの種類はすっかり忘れた。彼女は「サボテン」では味気ないからと「トゲピー」と名付けた。
そういって彼女は少し前かがみになって笑顔をみせた。彼女は笑うと左右非対称で、右目のほうが少し細くなる。そんな顔が可愛いと思った。
サボテンを買って1年後に入籍。賃貸の更新にあわせてもう少し広い家に引っ越した。もちろんサボテンも一緒だ。
トゲピーに話しかけながら「きょうもいい天気ですね」「チョゲッッ(裏声)」なんて一人芝居をしている妻は微笑ましかった。春の日にはじめて植え替えをした。広い植木鉢にうつったトゲピーはすくすくと成長をした。
それから何度か鉢植えをおこない、トゲピーは俺の腿から腰くらいの大きさになり、妻は2児の母、俺はしがないおっさんへと変貌した。
子どもたちは習い事の合宿に行った夜、久しぶりに夫婦でゆっくりする時間ができた。
晩酌をしながら話をした。子どもたちの話が一区切りついたあと、ふとトゲピーを横目で見た妻がつぶやいた。
「実はいきなりサボテン買ってきて、なんて勝手なんだろうって思ったんだよ」
その言葉に心底驚いた。表情を察してか、妻が続けた。
「絶対お世話するの私だろうなって思って」
ぐうの根も出なかった。実際、サボテンを買ってからしばらく放置していたのは俺だった。水やりも妻がかいがいしくやっていた。
好きでやってるのだと思った、と弁明した。
妻が目を細めて、話をした。
「命だからね。最初は義務感だった。でも、トゲピーって名前つけてから、あなたが時々『お、トゲピー元気だな』とか話しかけてるの見て可愛いなって思ってたの。それと、私が妊娠しているとき、土いじりは危ないからって植え替えを率先してやってくれて、この人とだったら子育てもできそうだなって安心したんだよね」
妻とそんな話をしたことがなかったので、俺はなんと言えばいいかわからず逡巡していた。多分相当変な顔をしていたんだと思う。少し酔っているのか、頬を赤く染めながら妻が続けた。
妻は少し前かがみになってはにかんだ。左右非対称で、右目が細くなる笑顔。
10年以上前に聞いた店主の声を思い出す。人がサボテンを選ぶんじゃなくて、もしかしたら俺がサボテンに選ばれたのかもしれない。そう思うと、トゲピーはなかなか見る目がある。俺はトゲピーを見た。軒先で売られていたころより何十倍も大きく成長した彼を誇らしく思い、ビールを飲み干した。
「気取ってる」ってああいうのを言うんだろうなあ。
「教わってる側の癖して」って気持ちに産まれて初めてなったわ。
なんであんなに「私の方が優秀なんですから私の時間を無駄にしないでください」みたいな態度が取れるねん。
むしろこっちはお前がやらかした諸々の尻拭いで四方八方振り回されてめっちゃ時間を無駄にされてるんだけど。
まあ物覚えは良いと思うんだよね。
でもそれを仕事に応用する能力っていうか、自分のした行動が他の人にどう影響するのかを捉えるための感覚が足りてない。
二工程先を想像する能力がないっていうより、考える気がなさそうなんだよね。
今その場で目の前に与えられた課題で自分が高い評価を出すことが全てになっていると言うか。
経験値の低さ自体はゼミ・部活・バイトで上手く学べてないと難しい気がするから諦めるんだが、意識がなさそうってのは気になるんだよなあ。
自分が王様で周囲の者がその召使みたいな感覚があるっていうかさ。
店で金払えば店員を下僕扱いしても問題ないと思ってそうなタイプというか。
いわゆるエリート様特有の「優秀な俺が結果を出すために手伝うのが、「優秀以外」に属する君たちの役割だよ」みたいな感覚があるんだよなあ。
この仕事を引き継ぐ人のために受け継いでいくのはいいけど、コイツ完全に腰掛けの感覚なんだよね。
「下々の働きぶりを学んでから上にいけと言われていてね。君たち、将来上司になるかも知れない僕に恩を売るチャンスがあってよかったね?」ぐらいの感覚なんじゃね―かって感じさえある。
新人だろうがなんだろうが、次の肯定、次の年、次の仕事、次に自分の席に座る人といった次に当たるものを考える気のねー奴となんて働きたくねえよ。
まあこのエリート様的には「僕が出世した先」という形で未来を見据えているんだろうけど、それはお前個人の未来だけだろうがよ。
この部署や会社だけでなく業界全体とかまで考えた先が見えてないんだよ。
その癖して「僕は10年先の自分のビジョンを見ているからね。今目の前にある仕事は単なる経験値稼ぎやテストみたいなもんだよ」みたいな感覚で先を見た気にはなってそうなのがムカつくー。
お前自分の周囲半径1人2人程度の動きさえ把握出来てないっつーの。
キラキラネームで世の中が溢れるなんてもっとずっと先のことだと思っていたのに、自分の同期とか見ているとキラキラネームやそれに準ずるくらいの名前の人が普通にいる。もはや過半数になろうってくらい。それを見かける度に、よく言われてることだけど、キラキラネームのジジババがそのうち現れることを想像してしまってフフってなる。幸い自分はキラキラでは無く、地味だけど一発で読める名前を貰えていて、なんとなくキラキラ勢とは違うと思ってた。
話は変わって、最近Twitterで話題になった「若い頃に聞いた曲をずっと聞くことになる」っていう説がある。また、たまたまNHK+で観た番組では、認知症やアルツハイマーになって家族の顔や名前を思い出せなくなっても音楽の記憶は残るらしい。
そうなると…俺の将来が少し見えてきて、老人ホームの日あたりがいい場所で、普段は施設の人に自分の名前を呼ばれてもスルーしてしまうようなぽけーっとした顔で車椅子に腰掛けている爺(俺)が突然、高速でボカロを歌い出す。そんな光景があるんじゃないでしょうか…?
台所で過ごしたい。料理を楽しみたいとかそういうものの例えじゃなく、マジで広い台所を生活空間として利用してくつろぎたい。 押し入れを秘密基地にしようとする欲求に近い。
テレビでも置いてダラダラと映画観たり、ダイニングチェアに腰掛けてギターでも弾いたり音楽かけながら雑誌を読んだりしたい。
映画に出てくる古き良きアメリカ白人家庭の母親、昭和の団地のプロパガンダ映像に出てくるサザエさんみたいな専業主婦にように台所で過ごしたい。
学生生活の下宿先を探してた時、妙に気になる物件があった。1Kっつったら大体ワンルームと廊下の間に仕切りがあるか無いかの問題でしかないけど、そこはキッチンがえらい広く取られててなんか妙に魅力的に見えた。そこでくつろいで過ごす姿がぱっと思い浮かんだ。SUUMOの情報なんか全くアテにならないから入居は出来なかったけど。
・前から観たかったし「無名」の公開前にアジアン裏社会男男間感情映画の予行受講しとくか〜と思って観た
・「夫婦でお揃でいい時計つけや…」という兄貴のあったけえ思い伝わってきた(兄弟でお揃はあざとすぎるし違うよね…?最後に主人公がつけてる時計若干細身の気がするけとそれは俳優さんの体格がいいから相対的に見えるだけで…兄弟おそろだったとしたらあざとすぎて逆に萎える)
・デカ赤字「良品」のロゴが兄貴のダサさと朴なところが的確に伝わってきてすごくいい…
・兄貴に絆されて闇堕ちというかそれもかなり大いにあるけど課長が主人公くんのこと奥さんの流れた事も含め使い勝手良すぎて使い倒そうとした事がトリガーというな
・課長も決して悪ではない 膿を出し切ろうと頑張っとるしかし悲しい感じに ひとのこころ…
・兄弟の絆ターンがもっとあるかと思ったけど思ったより少なかった「みればわかるよね!」感で通してきて映像の大半はおじさんたちの血生臭く入れ替わり し されの抗争メインだった
つまり思ったほどやおい映画ではなかったということ…確かに「ある」が男男間の薄暗い湿度の感情という感じでは少しちがかった
しかし性別関係なくあんなにハンサムでナイススタイル有能マンの主人公くんに「兄貴」と慕われたらアニキしたくなるわ…
・「 ぬにはちょうどいい日だ」というボカロ曲に出てきそうなセリフがいきなり出でビビった
・今回の映画の「そのポーズは俳優さんの足の長さでないとできません」は兄貴の病院のベッドに腰掛ける高さ
・これはあれやだな
主人公くんが何十年後韓国裏世界の重役であり続けた世界での「過去を振り返って」形式でみて「ドン、潜入捜査官から闇堕ちして成り上がったん!??」って思う旨味で味わいたいドン
・エンディング後?前?のありし日々ターン何?
いっつもガラガラの車両の2人がけのシートに腰掛けて、四角いポータブルのシェーバーみたいなのでヒゲを剃りながら、時々発作みたいにブルブルッと首を振ってた。
中学生の頃は髭剃りも相まって、ただ変なおじさんだなーと思っていたけど、あれってチック症の一つなのかもしれないんだね。
(非医療従事者がググっただけだから違うケースも十分ありそうだけど)
今日電車で隣になったおじさんが同じように首を小刻みに振ってて、そういえばチックって自分の意思と関係なく同じ動き繰り返す症状じゃなかったかと思い出した。
深い意味はなく、中学生の時にそれを知っていれば「うわ変なおじさん!」と思うことはなかったのかなーとか、そんなことをぼんやり考えた。