はてなキーワード: 二つ目とは
こんにちは、ここバリ島からお届けするオリンピックの馬術競技です!青い空とそよ風が心地よい中、会場は多くの観客で賑わっています。
今、コースに挑むのは日本代表の選手です!美しい栗毛のパートナーと共に障害物をクリアしていきます。スタートのベルが鳴り、まずは軽やかなギャロップで1つ目の障害へ。
ジャンプ!見事にクリアです!観客席から大きな拍手が響きます。
次は難易度の高いトリプルコンビネーションです。スピードを調整しながら、一つ目、二つ目、三つ目も完璧にクリア!素晴らしいチームワークです。
最後の障害、スタジアムが静まり返ります...ジャンプ!成功しました!タイムも申し分ありません!これはメダル争いに大きく影響しそうです!
まさに息を呑むパフォーマンスでした。これから他の選手たちの挑戦も楽しみです。バリ島から引き続き、熱戦の模様をお伝えしていきます!
オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べもののメモを書きましょうね。
1862年(文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初の英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。
Orange, adj. 橙ノ
Orange-peel, s. 橙ノ皮
Orangery, s. 橙ヲ育テル園
Citrine, adj. 佛手柑又橙色ノ
Citron, s. 佛手柑ノ類
Lemon, s. 橙ノ類
Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル
Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類
Shaddock, s. 橙ノ類
なお余談だが、
という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。
さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。
時代は後になるが1900年に書かれた『果樹と蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。
皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。
オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。
現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?
少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色と表現していたかもしれない。
一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。
二つ目の根拠が1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。
これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeはGreenやyellowなどの他の色と並べられて書かれている。
この参考書の単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。
単なるorangeはpeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。
このことから、当時のorange colour、橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。
では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?
いったんここまで。
・しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料(1887年『通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。
・明治とかの輸入オレンジはしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。
・橙色概念が生まれた最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。
・↑ありえなくはない。学術の文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物は茶色灰色ばっかりだし
・明治時代の理科教育で分光を取り扱う際にorangeを橙色と訳したのが定着したようだ。
・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど
・明治後期には小学校の図工の時間でカラーサークルの概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。
・明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事
・英和辞書の見出し語のorangeは橙色と訳されるが、和英辞書の見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代
・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代の感覚だと茶色味が強いものが多い
・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)
・大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色が流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる
・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?
・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃんと「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?
・↑日本における果物類、柑橘類の歴史をちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない
・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん
・児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い
・図書館に行って『日本の色彩百科 明治・大正・昭和・平成』と『色の名前はどこからきたか―その意味と文化』を読むこと。
・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い
・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色のイメージがあるが色名、和名はついていたんだったか
・未調査:サフランイエロー(インド国旗のオレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら
・未調査:当時のにんじん、かぼちゃの色をなんと表現していたか(京野菜のにんじんは赤色でかぼちゃは黄色な気がするけれど)
Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストをアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記をアップロードしてよい。自由だ。
ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……
実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない
「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏のサイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる
『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe’ 訳語の問題を中心に ─』という論文を見つけた
狭義のorangeはスイートオレンジ、アマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す
広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)
その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い
色名のorangeの訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている
プログラミングでもデザインでもドライバーでも構わないけれどドメイン領域に対して専門性の高いスキルを保有しているということ
専門性というのは「出来る人が少ない」「誰でも獲得できるわけではない」というのが大事で、自動車免許は専門性が高いとは言わないが大型車の運転はそこそこ専門性が高い
「出来る人が少ない」部分だけ理解していて「誰でも獲得できるわけではない」という部分が理解されていない
だからプログラミングスクールに通って副業するぜ!とか言っちゃうんだろうね
専門性が高いスキルを保有していてもそれを生業にしていない場合は副業としては失敗している例が多い
本業で食って行けてないスキルの副業ってほぼ趣味で同人活動とかに近い
趣味なので別に構わないんだけど収入面で考えると副業になってないことが多い
加えて副業だけに必要な物品とか知識とかを用意するとコスパが悪くて失敗する
本業と副業で必要になるもの(ハード・ソフトの両面)を揃えておかないと無理
これが最大の条件でスキルを持っているのに本業で使い切れていない場合に副業が成功する
バスの運転手が副業する場合、月水金ではA会社の路線、火はB会社、みたいな感じなら成功する(そんなこと出来るんか知らんけど)
プログラマーなら本業の開発は0.6稼働ぐらいだから、残りの0.4稼働を副業に充てる、という感じ
https://anond.hatelabo.jp/20240928071446
先の投稿では、これまで言われてきた「送りバントの得点確率は低い」というエビデンスは、送りバント戦法はそもそも安打が出にくい状況で採用される傾向がある、というだけの可能性を排除できていないこと、そして送りバントの有効性・無効性をエビデンスで示すことは、投手力・打力や得点差などの条件を細かく丁寧に揃える必要があることなど、考えられているよりはるかに難しいことを論じた。
その上で、個人的には送りバントは有効性の高い作戦であると考えている。その理由は以下の二つである。
一つ目は大きな理由で、チームプレーへの意識を高めることである。
送りバントは「犠打」と呼ばれるように、その作戦自体に自己犠牲という意味が込められている。次の打者は、「アイツが犠牲になってくれてチャンスで打席に立っている」という感謝の気持ちを持つようになる。もしヒットで打点が入れば、「アイツのおかげ」「ベンチの作戦のおかげ」ということになり、自己満足的なプレーよりもチームプレーを優先する気持ちが自然と身につくようになる。たとえ目の前の得点確率が高いわけではなくても、安定的に勝てるチームをつくることになる。とくに高校野球の指導者が送りバント戦法を好む最大の理由は、おそらくこの教育的な効果であろうと思われる。
二つ目は小さな理由で、とにかく併殺のリスクを避けることである。
無死一塁で強硬策による併殺は、とくに接戦の場合には球場のファンからも「あー、送りバントしておけばよかったのに」というため息がもれて、相手チームに一気に流れを渡してしまう可能性が大きくなる。僅差で勝っている終盤の場面での強硬策は特にリスクが高い。送りバントなら点が入らなくても、試合の流れを大きく変えてしまうことは基本的にない。送りバントは積極的に得点を取りにいくというよりも、最悪のリスクを回避するための作戦として評価しなければならない。
最後に指摘しておきたいのは、現場の野球指導者が送りバント戦法を放棄していないということが送りバントに有効性があることの、なによりの証明であることである。一塁へのヘッドスライディングや追い込んだ後の「一球外し」など、かつてよく見られたが現在は廃れたプレーや戦法はたくさんある中で、送りバントは廃れる気配が一向にない。過去に送りバントをほとんどしなかったチームは、「山賊打線」時代の西武など、強力打線のチームに限られる。大雑把なエビデンスで送りバントをドヤ顔で否定する前に、なぜ現場が送りバントを採用し続けているのかを真面目に考えてほしいと思う。
(つづき)
> これは凄いけれど、ほかの方法だとだめなのかな。スペースシャトルってどうしてダメってことになったんだっけ。ああいう翼があるタイプだとだめなの。あとパラシュートだとだめなの?
有翼機は別の会社がドリームチェイサーってのを開発してるよ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC こいつは将来、日本の大分空港に降りてくる可能性があるよ。 https://web.archive.org/web/20220410192547/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC260880W2A220C2000000/ 最初の試験は遅れているけど来年を目指しています https://en.wikipedia.org/wiki/SSC_Demo-1
スペースシャトルは、事故は別としてもメンテナンスの時間とコストが高すぎて荷主の要求とマッチングが取れなかったのだとわたしは理解しています。この動画が分かりやすいかも https://youtu.be/dz9HN4A_yGg?t=603
人類はこの規模の物をパラシュートに吊り下げたことが無いし、パラシュート自体も重くなるでしょう。パラシュートは降りてくる時にしか使わないので打ち上げ可能重量に響きます。その点でエンジンは上がる時にも使う機材なので重量のペナルティがありません。世界中の開発者が「噴射で制御できるんだー」って理解したからなのか、最近聞く計画はこの寸前に噴射させて下ろす方式(propulsive landing)になってます。特に今年は、中国の複数の組織がこれに取り組んた試験飛行をしています。 https://youtu.be/KyWhQbF2jbk?t=462 (二つ目の動画がやけにかっこいい)
もっと小さいサイズなら、例えば Rocket Lab 社が Electron ロケットでパラシュートで減速して着水したのち船で引き揚げて回収、ということをしています https://x.com/RocketLab/status/1749598969649602729
吊り下げる方法としての別解でワイヤーを使う案を検討している会社もあります https://youtu.be/lHzI1wSjezY?t=411 (Starship よりは小さいクラスです)
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:トマト。冷奴。納豆。目玉焼き。キャベツ、人参、しめじ、ウインナーの和風スープ。バナナ。ヨーグルト。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはむむむー。
アップデートで色々追加。
手持ちで出来る、ログポのスーテラスキン交換と、グランデ石の5凸はサクっと。
グランデ石5凸は使い出がありそうだ、メインとサブの二つ装備もあり得そうなので、いつか金剛を入れて二つ目の5凸を作るかも。
マナベリや盾といった掘るコンテンツも増えたけど、個人的な優先度をどうこうするものはなかったので、当面の目標であるアガ杖集めつつ砂掘りを続けよう。(副産物のアガスティアマナベリも増えたし)
○ポケットモンスター金(モンボを投げずにNPCからもらえて親が自分になるポケモン旅)
ヒトだと、高額医療費制度があるので、医療費の負担額が月に20万を超えることはない。所得が低ければ10万くらいだ。お金がなくて医療を受けられないというケースはほとんどない。植物状態でずっと入院でも、食事と寝る所と着るものとがついて、年金でお釣りがくる。親族が100人中99人は延命を望むのは、下賎な話、家計を圧迫しないからというのは大きい。後期高齢者は2割負担、つまり保険適用無しで考えると5倍の医療費がかかってる。高額医療費の上限に届いてる場合、それ以上。窓口で負担してないから忘れているだけ。簡単に言えば、ヒトの終末医療には、延命する手段があれば、年間に100万でも1000万でもかけて当然。じゃあ、動物の医療に年間1000万出せる人がどれだけいるのか。100万だって二の足を踏むと思う。50万だって厳しいと思う。
基本的に獣医は診療科が分業化されてないので、ヒトでいうところの総合診療科しかない。CTを使わない脳外科はないだろうけど、総合診療科がCTを抱えられるか。例えばCTは2000万からだが、2000万の機器を年に何回使うのか。年に3回くらいの頻度だとしたら、撮影の請求が20万としても10年で600万の売上にしかならない。もちろん20万なんて請求はできない。高額な医療機器の導入はできない。
卵が先か鶏が先かだけど、レベルが低いから高額な高度医療がないのか、高額な高度医療がないからレベルが低いままなのか。
そもそも、心臓の手術も脳の手術が概念すらほとんどない。心電図やCTが読めても、予後不良か健康かの2択が9割。治せない病気とほっといても治る病気かを調べるための検査なら、検査の意味がない。
心臓や脳の手術が技術的に絶対にできないのか?と聞かれたら、もちろんヒトの医療は動物実験での結果の積み重ねなので、犬や猫どころかマウスだって成功したから、ヒトでその手術を行ってる。適正がある人に訓練さえすれば、ペットの手術も理論的には出来ないわけではない。が、獣医学部のカリキュラムにはおそらくない。現在の獣医に脳外科や心臓血管外科の授業がどれほどあるか知っている人がいたら、教えてほしい。
じゃあ、医療のレベルが低いから尊敬できない、安楽死を進めるくらい医療倫理のレベルが低いから尊敬できないは乱暴。
獣医のレベルが医師より低いから尊敬できないというのは、ジャングルの奥地の部族の村でトイレットペーパーもないなんて不潔と叫ぶようなもの。紙がなければ紙以外で拭くしかない。文化的に劣ってるとか、精神的に劣ってるとかいってはならないと思う。ドクターコトーの診療所のように、高度医療を身につけたスーパードクターが僻地にきて大活躍、なんてことは夢物語。聴診器一本で診断できることは限られて、仮に診断できてもなにもできない。ドクターコトーならヘリで内地の病院に送れるが、獣医だと送る先の病院がない。
もちろん、手で肛門をふけといわれても、虫を食えといわれても、無理なように、ヒトの医療を知る人にとっては、安楽死が受け入れられないのは当然のこと。生理的に受け入れられないのであれば、離婚もやむなしだと思う。
というのもここでは結婚に対してネガティブな意見ばかりなので、実際はそうでもないよと言いたいためでもある。
まだまだ新婚気分が抜けないというか、嫁ちゃんと一緒にいるのが楽しくて仕方ない。
まず一つ目は、努力できること。
これが結構デカい。俺って一人だと結構怠けがちで、人に見られてないと頑張れないタイプなんだよ。
でも、嫁ちゃんと一緒に生活するようになってから、自然と「頑張ろう!」って気持ちが出てくる。
今でも嫁ちゃんのことが大好きだし、やっぱり「良く見られたい!」って気持ちがあるんだよね。
だから、仕事から帰ってきて疲れていても資格の勉強を頑張れる。もし結婚してなかったら絶対怠けていたと思う。
資格を取得して、少しでも給料が上がれば嫁ちゃんのことを喜ばせることが出来る。
それも努力の大きな原動力になってる。一人暮らしのときは自分のために頑張るという動機が心の底からは沸き上がらなかったというか、そんな感じだ。
何か面白い映画とか観た時、一人だったときはここに感想書いてそれで終わりってことが多かった。
けど、今は違う。「あのシーンよかったよね!」とか「めっちゃ笑った!」とか、嫁ちゃんと感想を共有できるのが本当に楽しいんだよ。
面白いことを一緒に楽しめるって、想像以上に楽しい事なんだなって改めて思う。
映画を見終わった後の会話が一日中続いたりするし、それが幸せ。
三つ目、一緒に食べるとおいしい。
不思議なもんで、一人だと「これ、まあまあだな」って感じの料理でも、嫁ちゃんと一緒に食べると非常においしく感じる。
何ていうか、食べること自体がイベントになるというか、二人で過ごす時間が料理の味を引き立てるんだなって思う。
特に、外食とかじゃなくて、家でご飯作って食べる時にその差を感じるね。
四つ目は、正直言うと少し個人的な話なんだけど、自慰が減った。
まあ、結婚して一緒に生活するようになると、そんな隙がなくなるんだよね。これも結婚のメリットと言えばメリットかな(笑)
でも、余計なことに時間を使わなくて済むのは、結果的に日々の生活に集中できるってことかもしれない。
五つ目、これが一番大事かもしれないけど、いつでもハグできる。
寂しい時、仕事で疲れた時、なんだか気分が乗らない時、そんな時に求めると嫁ちゃんはハグしてくれる。
もちろん、嫁ちゃんがハグしてほしいって来た時にはこっちからぎゅってしてる。
これって本当に救いだと思う。
朝、仕事行く前にハグするだけで「よし、頑張ろう!」ってやる気が湧いてくるし、嫁ちゃんが甘えてハグしてほしいって来る時がとても愛らしくて愛おしい。
ハグは、まるで一日を乗り切るためのチャージみたいなもんだなって思う。
普段は忙しくて夜の営みが出来ない日もあるけど、そんな日でもハグするだけでもう幸せ。
肌と肌のふれあいって、こんなに大事だったんだなって日々実感する。
これは独身のときには分からなかった感覚で、これだけで結婚して良かったなと心の底から思えるほどだ。
と、まあこんな感じで結婚というも案外悪くない。
というか非常に良いものだ。
結婚して一年経っても、こうして毎日が楽しいって本当にありがたいことだなって感じるし、嫁ちゃんのこと今でも大好きだ。
6月頃から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしんは明治に生まれ、大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である。
これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。
全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしんの本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。
いや、もちろん少女時代の奉公先での過酷な試練は、おしんのイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしんは最初の奉公先である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀の豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしんが佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである。特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険な死産を経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代におしんが笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。
後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。
佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。(NHKアーカイブより)
さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧に理解してこその発言である。プロとしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしんの死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である。自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしんの東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である。
これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋・加賀屋で奉公した際、大奥様から見込まれ、お茶や料理、裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたからである。
しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業をサポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那と結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀の本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用人である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるものと安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店は詐欺にあい、あっけなく倒産してしまう。
田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17で上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんをしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのである。おしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカの言葉「ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底を理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからのおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売にセンスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服の需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家の資金で東京で事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしんの佐賀地獄はここから始まる。
それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京、山形と転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三からは手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優・田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘っていたのである。しかしおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしんの本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。
やがて伊勢に根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋を軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である。
竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋をアメリカ式のレジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである。
魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業の原動力となったのは次男の仁である。おしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社をリードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。
こうしてみてくると、おしんは実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域に根付いた商売をしたかっただけである。
極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域の実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正、戦前、戦後とその時代時代でおしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうとき、おしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的な人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。
もちろん、おしんにはおしんの商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることである。おしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理と人情に生きようとする人なのである。
大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員の健康、福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場で結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢で魚屋の店舗を構えることになったときもおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。
またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前の土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしんの人生最大の恩人は16歳のときの初恋の相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。
おしんの物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。
自分の考えをまとめるのも兼ねているので粗はあると思う。
二つ目はそもそも食べ放題というシステムが一般的に男性有利になっているということ。潜在的な男女差別である。
ここで一般的とつけたのは小食な男性もいるし、よく食べる女性もいるからである。
(親戚でスポーツやってた女性は学生時代に食べ放題で肉を枯らしたことがある)
そもそも今回の施策は「TOKYO GIRLS COLLECTION」とい若い女性向けのイベントに出展したのがきっかけであり、この層に来店して欲しいから、というのは明白である。
書いている増田は若い女性ではないけれど、もういい歳なので食べられる量が減った為に食べ放題の店に行くことはなくなった。
同じ値段で食べるのならば量が少なくとも質を優先してアラカルトの店に行くようになったのだ。
量が食べられず食べ放題を割高に感じるならば女性だけ半額にしたら来店するではないか、という考えは安易すぎたというのが個人的な感想です。
ではどういう施策が良かったのか、というのは男女ともに頼める特別コースのようなものを用意するというのが真っ先に思い付いた。
全種固定のイチオシメニューというのもいいが、「Aグループからn種、Bグループからm種、合計x種でy円」のようなものだと食べ放題の雰囲気だけ味わえるかもしれない。
終わってる煽りばっかだな
最初のはただのレッテル貼りと罵倒で本筋には全く触れてないので話しにならない
二つ目のはわざと誤読+単なる罵詈雑言。AIに任せ切りとはいえ文章添削してるんだから、当然俺が書いた文章「"増田"なんかに粘着するなら、"ネット掲示板"でも荒らしてかまってもらったほうがいいと思うよ?」の対立構造というか、それらを俺が別に捉えてるのは理解できるな?
三つ目は、データがない以上完全に否定はできないが、今お前の使ってるAI添削文のテンプレ(お気に入りなんだね!かっこいい!)で調べてみたら結構な頻度で定期的にAI添削を行っていて(思いついただけでなく定期的に行動までしている)、また攻撃的な以上、それは世間一般的に言えばネット掲示板荒らしとかいう暇人の代名詞でしかないと俺は思うので、俺はお前を暇すぎると称した。
増田は少し前に会社からの責任を押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。
原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。
毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。
けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。
すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバルの時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。
増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。
ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。
増田は不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。
ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる
この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる
①から②までの移行には30分くらい。
でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態。
頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。
酒飲んでの普通の酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。
二つ目は体感としては確かに酩酊に似てる。しかしゾルピデムの場合、幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。
何かを想像するとか、そういんじゃなくて。
何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。
そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。
別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分の脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。
そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。
最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生で体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。
これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。
そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単に幻覚を見る、ということだ。
幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドのパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。
増田のダメなところを教えてやる。まず、文全体がいまいちまとまっていない。何が問題だと感じたのかを具体的に述べるべきだが、抽象的な表現ばかりで読者に伝わりづらい。この点が一つ目のダメなところだ。
次に、「こいつはクソ野郎だ、性格悪いみたいに反応してしまうの。」と書かれているが、誰が「こいつ」で、どの作品の話をしているのか具体的に書かれていない。これでは読者は話の背景がつかめず、共感や理解が得にくい。この不明確さが二つ目のダメなところだ。
さらに、「能力の未熟さは大概許されてる(わかりやすいのでバトル漫画で強くないとか)んだけど」とあるが、ここでの例えが具体性に欠けている。どのバトル漫画のどのキャラクターがどういう状況で許されているのか例示すると、説得力が増すだろう。この点が三つ目のダメなところだ。
「設定上子どもでさえ厳しい」とは何を指しているのか不明確だ。子どもが主人公の作品に対してであれば、その具体的な作品名や状況を示すとよい。ただ漠然と書かれているだけでは、読者は何を批判しているのか理解しづらい。この点が四つ目のダメなところだ。
最後に、「お前らそんな子どもの頃からしっかりしてたんか?」という問いかけは、やや攻撃的で読者に対する敬意に欠ける。それでは素直な回答を期待できない。もっと建設的に問いかける姿勢が必要だ。ここが五つ目のダメなところだ。
傾向として、左翼は思考主義で、右翼は自然主義というのは納得がいく
https://anond.hatelabo.jp/20240805223215#tb
どちらが賢いとかどちらが偉いとかではなく、思考パターンの傾向として納得がいく
面白いのが、世の中には自然主義的な考え方を持つ、思考主義者というのもいる
一般均衡理論の基本的な考えは市場に任せれば、効率的な資源配分が実現するというものである
交換の利益をミクロ経済学の基礎においてる以上、この結論はある意味当たり前である
この自由放任の考え方は、自然主義的な傾向があるにもかかわらず、数学的な論証によって築かれた理論的基盤に依拠してる点から、思考主義的ともいえる
一般均衡理論のような考えを持ち出して、市場均衡の効率性を主張する
こういった本能による資本主義の肯定、理論による資本主義の肯定が存在する
二つ目、「たくましい」って読んじゃった。
株式というものは、マイナス成長でも、企業収益が減少しても、その情報が株式市場に織り込まれてるのなら上昇するのである。
というのは、株式市場におけるリターンの源泉はリスクプレミアムだからである。
なので、どれだけリスクを取れるかという点で、リターン(割引率)が決定されるので、生産活動やGDPとは関係ない。
仮にマイナス成長でも、企業収益が減少しても、その情報が株価に織り込まれれば、リターン(割引率)にあった割引現在価値として株価が決定されるのである。
例えば一年後に110万円得られると予測されている会社があるとする。(それ以降の収益は、説明の簡略化のため考慮しない。)
そうであるならば、株式市場が効率的ならば、110÷1.1=100になり、
これが将来の予測が変わり、一年後に55万円しか得られないとなったとする。
そうであるならば、55÷1.1=50になり、
ここで、重要なのは、企業収益の減少により、時価総額は確かに縮小したが、リターン(割引率)は変わってないという点である。
つまり、企業収益の減少や、マイナス成長が、株価にあらかじめ織り込まれているのならば、リターンは変わらないのである。
ピケティはR>Gによって、格差が拡大するということを経験的に論証したが、この視点からも同じことが言える。
二つ目は、当然ながら歴史の勉強になること。つまり実際に「役に立つ」ですね。教科書を読むと呪文にしか見えない旧国名(安芸や武蔵など)が、ゲームに熱中するうちに、スラスラ覚えてしまいます。推しの俳優や声優の名前を覚えるのが苦にならないのと同じ。そして歴史は深く知ろうとすると、深掘りができ、他人よりわかることが増えると、さらに楽しくなっていきます。
ゲームが嫌いな人(特に親)は「ゲームは時間の無駄」「ゲームをするなら勉強しろ」と言うわけですが、「信長の野望」は無駄ではないのです。旧国名や城の名前をそらんじて、戦国武将の有名エピソードをスラスラ話す子供に対して、「余計なことは覚えるな」と文句を言う親はいないでしょう(笑)。
もちろん人によっては、ゲームからの知識を受け付けないこともあるでしょうが、逆に「ゲームのおかげで歴史が好きになった」という人もいるわけです。誰にもわかりやすく役に立つのです。