はてなキーワード: さらだとは
俺はアイドルの仕事にかこつけて無理矢理、だとか、枕だとかからの快楽堕ちネタが大好きだ。だが最近楽しめなくなっている。お察しの通りジャニーズの騒動だ。これのせいでアイドルに手を出してるモブ全てにジャニー喜多川が重なってしまって萎える。アイドルに性被害を受けた少年が重なって更に萎える。
性別が違うだろと思うかもしれないが、考えてもみろ、ヨボヨボのジジイに力で勝るはずの青少年が逆らえなかったんだぞ。か弱い少女はなおさらだろ。
現実とフィクションは別だと切り離せれば良かったが、俺の倫理観は柔軟性がなかったようだった。現実にないからこそフィクションとして楽しめるのであって、現実に被害を受けてる人がいるのに純粋に楽しむことはできないのだと思い知った。
いや、枕とか性被害なんて昔からあったのはなんとなくわかってただろ、と思うだろ。俺もうっすら実際にもあるんだろうなとは思ってたさ。でも今まではここまで大々的に問題になってなかったから、俺は目を逸らしてあるかないかわからないものに留めていたんだ。シュレディンガーの枕営業だったんだ。
それがいざ箱を開けてみたら枕はあったしそこにある"被害"はエロ本よりもえげつなかった。固定された現実はひどいものだったわけだ。
マジで早く解決してほしい。犯人のジジイが死に逃げしてるからにはすっきり片付くわけでもないし、今表沙汰になってることの裏ではまた別のたくさんの少年少女が泣き寝入りしてるんだろうけど、性的加害が許されない風潮ができれば少しは救われるかもしれない。
一連の件への反応見てるとまだわかってない人たちがいる。
弱者男性がキモイんじゃないか、止むに止まれぬ事情があったんだろう、父親の責任は問われないのか、制度が悪い、社会が悪い、と女に同情するのはいいんだよ。
でもその同情、例えば「キモくて金のないオッサン」に向けたことあった?
誰だって止むに止まれぬ事情があって必死で生きてるんだけど、そのオッサンが誰かから同情されたとして、「じゃあこれから頑張って働いて稼いで下方婚するよ!」と思うか? そんな訳ないじゃん。
だからさ、結局この手の話で一番大事なのは「相手の立場に立って考える想像力を働かせる」ってことなんだよね。
それは別に男側だけに言える話じゃないけど、特に女性の場合はそれが必要なんだわ。
男はどんなに酷い目にあっても仕方がない。
そうやって自分の中の免罪符を作って自己正当化して安心したいだけなんだろうね。
まぁ、気持ちはわかるけどさ……
そういう奴に限って「男はこうあるべきだ」とか言うし、「女にステレオタイプを押し付けるな」とも言いそうだし。
こういう問題に関しては本当に難しいから何が正しいとは言えないけど、少なくとも「相手の立場になって考えてみる想像力」を持つ事が大切なんだなって思うよ。
大学生。一年浪人して入った大学で、二年に上がるときに同じ学部の女の子から告白されたのでOKした。まず、クラスメイトにはバレた。品性下劣な話題しかふってこない下世話な奴にもバレた。こんな奴にバレたもんだから、半笑いで「ガンバレよ」と言いながら腰フリジェスチャーをされたので、それが決め手になって絶交した。しばらくして、親にばれた。1年は隠し通したのよくやったと思う。バレた原因はスマホのロック解除したときに彼女の写真が表示されて、それを見られた。「お前も年頃だしな」と「ゴムはつけろよ」という話をされた。ゴムを着けろ、これは滅茶苦茶同意できるんだけど、親の発言には「恋仲になった年頃のカップルはセックスをするものだ、いやむしろしなければならない」っていうニュアンスが含まれてて違和感があった。
どいつもこいつもそんなに俺にセックスさせたいのか?
まずそもそもにセックスって生殖行為だし、万万が一避妊に失敗した時に、金銭的負担はもちろんだけど、女性のほうは肉体的にも精神的にも負担がかかるだろうってのが、一つ。
避妊が成功してても、なんか調べた話だと初体験の後って生理がおくれたりする?らしいし、それで余計な不安を持たせたくないってのが一つ。ここまでは、妊娠するかどうかっていうところでのしたくない理由。
でも正直それは人間の倫理的に考えた時の建前のようなもんだよな。(重要な構成内容ではあるけど考えの割合としては低い、二つ合わせて40%くらい)俺の中で一番大きい割合を占めてるのはこれ。
どんなに今お互いに体を許せるほどに好き同士でも明日には醒めてるかもしれないし、明日といわずとも来年、5年後にはまず今持ってる燃え上がるような感情は残ってないと思う。もっと極端なことを言うなら今日どちらかが交通事故にあって死ぬかもしれない。そうなったときセックスしてて後悔しない?
多分結構多くの野郎連中には同意してもらえると思うんだけど、女性のヴァージンを貰えるってなったらかなりうれしい事だし、それが結婚を決めた相手だったらなおさらだと思う。女性も結婚相手が初めての相手だったら嬉しいんだろうか、その辺のことはよくわからない(まあ人によるのかもだけど)。でも、もし俺が相手の初めてをもらったことが原因で相手とその将来の結婚相手の喜びを奪うことになるならものすごく嫌だなって感じてる。
創作とかだと学生カップルセックスしがちだけど、フィクションだし。たまにツイッターとかでも(すべてが本物とは思わないけど)リベンジポルノ流出!みたいな動画も見かけるけど、それは撮るような人間が鞍替えする度に撮影して流出させてみたいなバイアスかかってるんじゃないの?現実の学生カップルってそんな安易にセックスするものなのか?俺はまだ信じきれてない。
いや、ごめん本音を言うならセックスはしたいです、理性で滅茶苦茶押さえつけてるだけのカス童貞なので手をつなぐだけでキンギンだし抱きつかれたらダラダラだし、二人きりになったら一瞬本能が勝ってることは有る。でも一瞬だから。すぐに理性が背後から「あーあやっちゃったね、君は今人間であることを辞めようとしたね、ケダモノ」と囁いてくるからまだ童貞でいられてる。ありがとう理性。
正直その一瞬に唇を奪ったことをずっと後悔してる。
DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。
両親は、ふたりとも高校の教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。
私は九九の七の段が苦手だった。学校の宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学の教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。
一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。
「違う。もう一回やりなさい」
二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。
「違うだろ」
三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚で意識がぐらっとする。
「何回間違えるんだ!?」
痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。
「なんで泣く?お前が悪いんだろう」
台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。
母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。
自己啓発本や教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。
※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームやアニメ、テレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。
貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストのCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。
両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。
父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドン!ガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。
また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。
母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。
今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。
母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。
特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死で母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)
紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。
過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。
・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ
・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)
・早く出て行け
・もう帰ってくるな
・お前なんて死んでしまえ
・育て方を間違えた
・お前はどうなってもいい
書きながら若干辛くて涙が出そうになった。
おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。
中学や高校で先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。
親の言うことを聞かないと暴言や暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。
高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生に出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。
ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生にしか話すことができなかった。
(3年生のときはこのお二人とは別の先生が担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)
学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。
出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由に勉強して、自由に休んで自由に活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義なものだと思った。
趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったことももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。
昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。
だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。
しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。
苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。
多分きっと、全部忘れているだろうけど。
昨日、嫌なことがあった。
士業をしており、広島~岡山あたりの自治体に申請相談その他の用事で行くのだが、そこで誰かが誰かを叱責している場面に出くわした。
具体的内容は書かないが、状況によってはパワーハラスメントが成立するような雰囲気だった。
自分が行った役場はいわゆる本庁機関だったけれども、病院機構とか、上下水道局とか、教委事務局とかでもそういうことがあった。たまに、様子のおかしい職員がいて、なにやら大声で叫んだり、時には人として不適切な発言をしている。そんで、時には自分みたいな運の悪い客がそういう場面に出くわしてしまう。
(追記 今さらだが、筆の調子が悪い。体調もちょっとよくない。見づらい文になるがすまない)
昨日なんかは一番ひどかった。ひとつめの窓口に行って申請をしている間、例のごとく叱責の声が聞こえてきて、段々とヒートアップして、そしたらいつの間にかそいつらがいなくなってて、少ししたらちょっと離れたところからまた凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。上役がキレ散らかしたのだろうか。
ふたつめの窓口は別の階だったからいいものの、あんな空間はできれば射たくはないんだよな。後でメシがまずくなる。ほかの増田だって、飲食店で主人が従業員を説教してる場面を見たら嫌になるだろ。井之頭五郎だったら主人にアームロックかけるだろ。そんなところだ。
民間企業だったらまだギリ許せるが、官公庁でそういうのはマジで非常識だと思う。自分も年だから、そろそろ仕事の量を考えないといけない。だからもう、そういう感じの組織への申請書類を代行する仕事はもうやめにしようと思ってる。
ただ、昨日はマジでムカついた。これまでの鬱憤もあるから、ほかの組織も合わせて、ちょっと書き殴らせてほしい。
客が見ている前で大声(or不適切な発言)を出す職員がいた自治体
・広島市
規模が大きい割には、そういうことは数度しかない。多くの市民の目がある分、しっかりしているのだろうか。
・東広島市
二回あった。あまり仕事で行かない自治体なので何とも言えない。
・府中市
冒頭で挙げたところだ。自治体サイズで換算すると、頻度が多いように思う。
・福山市
十回程度かと記憶している。職員のガラも悪いが、客層が悪いのもあると思われる。
・尾道市
「ブランド物は正規のお店でのラグジュアリーな体験込みでブランド、価格でしょ」みたいなセリフをマンガの登場人物が言った
フリマアプリでブランド物を買い漁っている依存症の女性に対してかけた言葉だ
これが自分にグサリと刺さった
問題は正規のお店に片道2時間かければいけるのに、それを避けて1mlで1650円の値がついてる香水サンプルを買おうとするところだ
香りを試したいというなら、自分は交通費2千円でなんでも試せるのだ、しかも素敵なお店の雰囲気まで味わい丁寧な接客も受けることができて
香水の買い物は実際につけて時間を置いて確認するもので、その場で購入が迫られるものではない、高級店ならなおさらだと思う
そこは心配してない
場にそぐわない気がして怖い
店員も怖い
そう言える人は自信がある人だなあと思う
Twitterでドラえもん×妖怪ウォッチのBLなどで最近バズってた人が鍵垢になってしまった。
原因は昨晩「公開でこういう二次創作を流すな」と批判する人がいてプチ炎上したからだ。
とはいえ検索すると以前から否定的な声もちらほらあるのは分かった。
BLといっても見ていた限り直接的な行為はなく本編より関係性が多少ベタベタしてたりする程度だ。
私は擁護側だ。
表現の自由〜!というより各々が自由に表現できるのが基本であり触れたくない人は自分でミュートする世界の方が健全だし楽しいと考えている。
でも批判の中の「ドラえもんは児童向けだからやめろ」という意見は私の中でちょっと否定しきれない部分もあり、考え込んでしまった。
日曜朝に投稿されるプリキュアのイラストに対して同じことを思っているからだ。
さすがにどーん!エロ!みたいなのはあまり見たことがないが、男性が描いたと思わしきプリキュアの妙に胸が強調されたイラストや、スパッツを履かせていても股間周りを描き込んだイラストを見るとどうしても「子供が見るかもしれないんだからやめなよ」「せめて検索避けしなよ」と思ってしまう。
おそらく手癖だったり男性向けイラストの文法で描いてるだけで投稿者はエロを描いたつもりはないのだろう。
偏見かもしれないが、そういうイラストは大抵あまり上手じゃないのでそのあたりの機微に鈍い人なのかもしれない。
かつてファイアーエムブレム開発陣は「ロストしてもそのまま進めてほしい。ロストしてもいいようにキャラをたくさん用意してある」と言っていたが、これは茨の道だ。
なぜなら、エースがロストしたらその代わりとなる者がいない。能力値や成長率が低くずっと控えにいたいわゆるイラナイツでは最前線で経験値を得てきたエースの代わりは務まらない。たとえエースと同レベルになったとしてもエースほど強くならない。だからエースがいたからこそ成り立つ戦い方ができなくなり、単純に戦力ダウンしてプレイが難しくなる。
出撃可能人数に制限がないなら敵さんがやっているようにイラナイツに特攻させるのも肉壁として使い捨てることも考えられるが、当然人数制限があるので下策だ。そのために割く出撃枠がもったいない。
そして出撃枠だけでなく得られる総経験値量が限られているからみんな一緒に強くなることはできない。キャラ数が多いならなおさらだ。ただでさえ得られる経験値が限られているのに、ロストしたらその分の経験値が無駄になる。だから限られたメンバーで誰も失わずに戦っていくのが最もやりやすい。そのレギュラーメンバーにイラナイツを選ぶのは縛りプレイや愛といえる。
子供なんか嫌いだったし、自分の子供なんか間違いなくガ*ジになるだろうからほしくなかったんだが、
コウノトリさんが運んできたので拒否することもできず、産まれた。
産まれてきてよくわかったのだが、自分は世界の半分――いやもしかしかたら三分の一――しか見てなくて、
しかもそれですべてを知った気になっていたということだ。
日常のなかに、ここまで自分の知らない要素があったことに気づかされるのだ。
それまでは、道路の縁石とか、標識程度にしか考えていた子供が、今でもそこだけ焦点が合っているかのように目につく。
2022年に生まれた新生児の数は80万人を切り、戦後最悪の出生数だという。
俺は新生児を見るたびに80万という数をかみしめながら、なんという途方もない数なんだと思う。
おそらく、80万という数字は統計上、日本という機構を維持するのが不可能な数値なのだと思うのだが、
自分と同じようなこどもが80万人程度いると思うと、その大きさにめまいさえする。
おそらくその子供たちは、まだ喋れないし、多くは歩けないし、多くは毎日ミルクかおっぱいを飲んでいる。
「少子化」という統計的な問題を自分のものとして考えたとき、別に80万人の何がわるいの、とさえ思う。
別に国が栄えようが衰退しようが、親はそんなことより個人としての子供が大事だし、今のところ国籍さえもらえればとりあえずいいだろと思っている。
朝、ラジオを聴いていたら、今年度は18年ぶりに刑法犯が増加したという。ところどころ聞き逃したけど、ローカル局だから県内あるいは県内の一部の地域の話だろうか。増えたのは、窃盗や空き巣狙い、車上狙い、自転車窃盗などだとか。はてなーだったら「貧困がー」「格差の拡大がー」っていう事だろう。個人的にはそれだけじゃないんじゃないかなと思うのだが、思うだけなのでもちろん真相なんか知らない。
私は夕方から夜にかけてコンビニでバイトをしている以外は、だいたい自宅でインドアな暮らしをしている。時間を決めずにふらりと買い物に出る時には、誰も通らない道をトロトロと車を走らせている。田舎だけれど家は過密といっていいくらいギュウギュウに民家の乱立しているエリアなんだけど、最近、ほんとうに地区全体が静かになったよなと思う。
十年くらい前は、この地区ももっと人目があった。というのも、自営の町工場の人達やそこを訪れる営業マン達、自販機の補充に来る業者達、近くで農作業をしている農家の人達、公民館や公園に集いレクレーションに興じるお年寄り、子供や犬と散歩をしている主婦などが、ちらほらいたからだ。それが、めっきり見かけなくなった。このご時世、そういう人達が町から姿を消した理由は、推して知るべし。人がいないという事はもちろん、悪いことを企んでいる人達にとっては絶好のチャンスだと言えるだろう。町ぐるみで、隙だらけ。
ついでに、窃盗とは関係ないけど、もう少し広いエリアを見てみると、田んぼのある開けた場所の上空を舞うトンビの数がやたら増えた。これも地域に人の気配がないのが原因なのではないかなあと思うのだが、どうだろうか。トンビが農道に降りてきて、トコトコと歩いている姿もよく見られる。
トンビが増えたのには他の理由もあると思う。それは近年のアウトドアブームだ。町からほど近いところにキャンプ場やBBQ場があるので、そこで人間の食べ物に味をしめたトンビが、人間の生活圏内(昼間はすっかりゴーストタウンだが)に姿を表すようになったのではないか、なんて。
真っ昼間のスーパーの駐車場で空を見上げると、トンビが三羽くらいくるくると旋回している事がよくある。トンビの目は非常に良いから、ヒトが無防備に肉の切り身の入ったパックを持ち歩いていれば、すかさず降下してきて奪い去ることくらい容易いだろう。今はレジ袋有料化のため商品を素手で持ち歩いている人が多いので、なおさらだ。でも、今までスーパーの駐車場でトンビに肉を盗られたなんて話は、まだ聞いたことがないけれど。
スーパーには流石に昼間でも人の往来があるし、田舎なのでほとんどの人が車で来るから、トンビにとっては物欲しくはなれども隙ははかりづらいかもしれない。のんびりチャリを漕いでる人は狙い目かもしれないが、チャリで買い物に来る人はお年寄りか外国人実習生くらいだ。もしもトンビの被害に遭ったとして、彼らには情報の拡散力がないというか、拡散したとしても、我々の目には触れない所でするだろう。
とまあ、そういう訳で、盗人から見ても野生生物から見ても、私の住んでいる地域は最近、地域ぐるみで隙だらけだという話。今後は地域の防犯コストが上がりそうだと私は思った。ただそこに人々が存在し歩き回っている、という事に、私達はどれだけ助けられていたのだろうか。
優秀な派遣アルバイトさんが、メルカリ便を受け付けた後に私の所へトコトコとやってきて、「これヤバくないですか?」と言った。その荷物は、ぺらぺらな封筒に軽い物を入れて張り付け表を貼っただけの荷物というには軽すぎる荷物だ。中身は時計なのだという。見た所緩衝材に挟むことなく、そのまま封筒に入れただけのもののようだ。壊れても責任は取れない。本当は受付拒否をすべきなのかもしれないが、あまりにもこういう荷物が多く、断れば客とトラブルになるばかりなので、仕方なく受付けるしかない。まあ、発送した奴の自己責任だと思っとこう!
こういう、しょうもないメルカリユーザーが沢山いるんだけど、自分が発送した物がいったいどのように保管され運ばれていくのかを知れば少しは改める気になるのだろうか? ぺらぺらの郵便物みたいな荷物をメルカリ便で出した場合、店では宅配便が集荷に来る前にどのように保管されているのかというと、一般の宅配便の荷物と同じ場所に保管されている。つまり、大きさと重量のある荷物がごみごみと積まれている中に、ぺらぺら便も一緒くたに保管されている訳だ。一応、店員の方では小さい荷物が重い荷物に押し潰されないように気をつけてはいるんだけど、そんな気の利く店員ばかりじゃないからな、というのは言っておかなければならないと思う。当店では、荷物の紛失事件が起きた事は私が勤め始めてから今までには一度もないのだけれど、私が昔勤めていた他店では一度あって、オーナーが謝罪行脚に赴く事態になった。その時、紛失された荷物はどんな価値のあるのものだったのかは知らないが、発見される事はなかった。
店舗での保管には注意はしているものの、荷物の形状が悪いせいで紛失や破損の危機とはいつも隣り合わせだよ、ということで。では、集荷と配送の時にはどんな問題があるのかというと、集荷と配送中のことは宅配会社の責任なので私共コンビニ店員には関係ないことなんだけど。でも、コンビニ店員の耳目に入る範囲でも危うい所がある。というのは、宅配便ドライバーは郵便屋とは違い、封書をメッセンジャーバッグに入れて持ち運ぶということはしない。彼らが店に集荷に来る時は、台車を押してやってくる。ありふれた、段ボール箱などを積んで押して歩くタイプの台車だ。それに宅配便の段ボール箱を積んで、薄くて小さい荷物はその上に乗せるか手で持って運んでいる。と、いうことは、風に吹かれた拍子にぺらぺら便が飛んでったり、荷物を荷台に積む際にうっかり落としてしまう事があるのだ。
今はメルカリで何でも売れてしまうし、カード類なんかは高値で転売出来てしまうこともあるので……、ぺらぺらの封筒に、特に物凄い価値があるわけでもないからとカード状の薄いものをぺらぺらの封筒に入れて発送なんかしたりして、それをうっかり配送過程で落とされてしまったとして、誰かが拾ったとしても、親切な人はそのまま配送センターなり交番なりに届けてくれるかもしれないけど、メルカリに悪い意味で興味のある人だったら、届けずに開けて中を売れるものかどうか確認することだって、あり得ると思う。
レジ接客をしていると、週に最低一度は、ナントカPayの残高が不足して「車に財布取りに行ってきます!」と言ってダッシュで駆け出していくお客様を見る。車に誰か待っている人がいるならまだしも、しばしばそうではないのがマジでやばい。世の中そんなに車内にお財布放置する人がいるっていうことにも驚くし。しかも、支払いをしに戻って来たお客様が持ってくるのは、たいてい非常用の小銭入れとかじゃなくて、カード類や万札の入ったでかい長財布とかだったりするし。
たとえ車に家族や友人などが待っていたとしても、去年のいつだったか、どこかお店の駐車場で助手席に人が乗っている車を奪い、逃亡途中で助手席の人を降ろして逃げたという車窃盗事件があったし(犯人は死亡したはず)、油断は出来ない。
コンビニは多くの人が出入りするし、防犯カメラもあるけれど、事件が起きる時は起きるし、そうなっては取り返しのつかないこともある。それに、コンビニの防犯カメラをあてにされても、カメラの映像を確認する権限はオーナーにしかないので、トラブルがあった証拠にカメラの映像を見せてくれ! と言われても、店員にはオーナーに電話する以外に出来ることは何もない。
まあ、こんな感じなので。貧困がどうとかいうのも問題なのだろうけど、悪意のある人に「やれる」と思わせる様な色々が、コンビニにおいても観測されるっていう話。
https://www.asahi.com/articles/ASR1T63TLR1TPTIL011.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR1T63TLR1TPTIL011.html
本件では、特定個人(原告)が行った投票行為が正確に扱われなかったことによる選挙権侵害を理由にした損害賠償が求められている。
しかしながら、記事にも記載されいているとおり、公職選挙法では秘密選挙制度が採用されていて、誰が誰に投票したのかはわからないし、わかるべきでないと考えられている。有権者は、候補者を通じて国政に参加するべく投票を行うが、当選した議員は数としての民意に従う形になっていて、自分に投票したある有権者の個人的な「代理人」ではない。
そうである以上、集計のミス(あるいは意図的不正)により自身の投票がある候補者の得票になっていないとしても、個人の権利として当該候補者への得票として数えられる権利を観念することは難しい。無論、一票を投じるということの意義を考えれば、投票が正確に扱われることも選挙権の範囲ではあるだろうが、それは、「数」としての意義=これによって候補者が当選したかどうか、に比べると中核的な保護は受けられないだろう。なお、当該ミスが重大なもので、これによって選挙結果が変わる場合には、選挙権の中核的な部分にかかわってくるものであるから、その選挙結果を争うということは可能であるべきだが、今回はそのような訴訟形態はとられていない(該当の候補者はむしろ当選している)。
今回は0票という、1人でも投票者がいれば矛盾する結果であったことがわかりづらくしているため耳目を引いているが、これが10票と記録されていたとして、10人の原告で訴訟が提起できるか、原告が15人ならどうか、逆に1人ならどうか…と考えたときに、統一的なルールを作れるだろうか。集計時の数え間違いや、文字の読み間違いなど、人がかかわる以上必ずミスは出るし、大量の票を迅速に処理する選挙制度を考えればなおさらだが、選挙のたびに損害賠償請求訴訟を通じて再確認を行い、間違いが発見されれば賠償するのかと考えれば、現実的ではないことは明らかだろう。それとも、0票の候補者に投票したと主張する人がいる場合のみ損害賠償を認めるのだろうか。
もちろん、原告の立場から、選挙権の重要性を理由に損害賠償を認めるべきという立場はあるだろうが、パッと見た時の直感で裁判所の判断を馬鹿にできるほどおかしな判決であるとは思われないし、少なくとも専門的に学んだ経験等があるわけでもない中で簡単に飛びついて専門家を馬鹿にする態度は改めた方がいいのではないかと毎度のことながら感じる次第である。
なお、対象となった選挙結果は公開されているので、誰でも簡単にネットから見ることができる。
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/36046/00329171/kaihirei201907220508.pdf
これを見る限り、堺市全体の投票傾向から共産党山下よしき候補は10票~多くて30票程度の得票であったのではないかと推測される。これに対し、国民民主党の山下ようこ候補は一桁でもおかしくなさそうなところ、49票とやや不自然に多く、取り違えではないかという推測は説得力があるように感じる。
不正を疑うコメントや選挙制度の根幹の信頼性が揺らぐとしているコメントがあるが、この結果を見たうえで、少なくとも過剰な表現ではないかということはもう一度考えた方がいいのではないか。
AIイラストにやや否定的な立場なんだけど、なぜ否定的なんだろうなと考えてたので便乗。
自分は稀に趣味絵を描くが基本的には消費者、かつAIは機械学習の分野を過去にちょっと齧った程度で、多分に想像や自問自答を含む。
結論としては "自分たちの領域にAIが入ってきて声を荒げているだけ" という説を自分では否定できなかった。自分たちの領域が侵されたらそりゃ声を上げるし上げて何も悪いことはないとも思うけど。
とはいえAIイラストが嫌い、イラストAIの利用者が嫌い、イラストAIが嫌いはそれぞれ微妙に異なる背景がありそうなので、試しに分けて書いてみる。
(前提として以下は「絵を描かない人間がAIイラストをSNS等にあげることを、なぜ絵描きが叩くか」、という観点から見ている。もう一つの大きな要素である商用利用(仕事を奪う事)への批判については含まれていない。(そんなの既存のイラストレーターがAI使うようになるだけやろと思っているので。))
これは多分、絵を描く行為と「AI生成したもの自体をイラストと呼ぶこと」の相性が悪いから。
だいたいの絵描きは模倣から始まるが、人間はコピー機みたいに精密ではないから模倣の過程で個性が生まれ入り込む余地がある。
絵なんてRGB値で表せる色の点の集まりが二次元的に並んでるだけでしょ?と思うかもしれないがそのじつ配置やサイズ比、コントラスト(明暗比)や色相変化だとか、一つの平面内にいくつもの関係性が詰め込まれていてその組み合わせにこそ絵描きのこだわりがあったりする…らしい。
「一見して似てない(パクリに見えない)からOK」だけでなく「自分なりに再構成したかどうか」とか「製作者の意図があるか」という模倣の過程における主体性が重要なんだろうね多分。
(余談だが現代のCGイラストレーターはブラシやテクスチャ、ストックフォト等の共有リソースを当然のものとして受け入れているから、似ているのが悪いとか楽をするのが悪いという風潮はあまりない。イラストAI自体、ツールの一つとして導入する流れも既にある。)
その視点でいえば現時点のAIの文脈における「学習」は「AI利用者の意思」が介在しない模倣であり、機械的な抽象化は「創造性のうわべをコピーし盗む行為」であり、
そんなAIツールから出力されたま生のモノをイラストと呼ぶと絵描きはキレる、という論理めいたものが見えてくる。
生成に使った呪文それ自体には創作性があるかもしれないがそれは呪文の創造であってイラストの創造ではないぞと。
どんなに多数の学習データで希釈されモデル内で分解・抽象化されていようと、そのブラックボックスが最終的に出力しているものは性質的に既存の作品を意思も悪意も無いままコラージュしたものでしかないぞ、という考え方。
(だから多分、現時点でもAIを作るところから自分でやれば十分に「絵を描いた」ことになるから、AIが出力した絵をそのまま出してもそういう作品として受け入れられるんじゃないかなとも思う。絵を描くとは絵を描くことではないのか?)
ということで、絵を描く人間にとってイラストAIから出てきたAIイラストがイラストには見えないとする。
そんなものを1人が手書きでせっせと投稿するならともかく、大量生産して流されたら嫌がらせや荒らしでしかない。AIイラストならそれが現実的なコストで実現可能であるから、その量を原因として否定される。
(もっとも、これを表立って言うと「お前のへたくそな絵こそ俺にとってはスパムなんだよ」という不毛なバトルが始まりかねないので多くの人はこれを言えないだろう。インターネットでナワバリバトルするな。)
(量的問題)
感情的な理由でいえば、AIイラストをイラストとして流しているからだろう。先の理由により、絵描きにとってAIイラストとイラストは別ジャンルだ。
サッカーしてる所にラグビーのルールで突っ込んでくる人、嫌だし迷惑でしょ。しかも通常の人間ではありえない速度で大量に。
使ってもいいけどよそでやれ、という考え方。
多少論理的な理由があるとしたら、小説と絵の性質の違いに由来するのかもしれない。
小説は時系列の創作だが絵は時間的に静的な平面の創作だ。一言で創作物と言っても共通点は少ない。
時系列を持ったチャンクの膨大なつながりからなる小説と、実世界の解像度でもせいぜい数十センチ四方の平面からなるイラストではイラストの方が「ぱっと見の印象が似てる作品」は生まれやすい&判別しやすい。
この特性上小説AIは過去の作品の盗作と呼べるほどのものは滅多に出さないが、イラストAIは割とあっさり出す印象がある。特徴的な絵柄やキャラクターがそのまま出てしまったりね。
またimage to image等の悪用しやすいAIの存在や、AI以前からトレパクや転載で荒れがちな環境も既にあった。
盗作と呼べるレベルのものが見つかったとき、イラストAIというブラックボックスから出てきたからパクリじゃありません!機械のやったことです!なんていうのは被害者からすれば理不尽だし、お行儀の悪いAIとその利用者がいればなおさらだろう。
技術的に問題があったり悪用可能なものを公共の場で使うな/公開するな、という考え方。
好き/嫌いどちらのスタンスの人もいる。当然だが。
イラストAIはが好き、あるいは積極利用する動きはある。「AIイラストを嫌う理由」で書いたように、ツールの一つとしてイラストAIを取り入れようとしている人はプロ/アマともに見かける。
法的に問題もないなら便利なツールとして使おう、という考え方。
これは体感だが、実際のところ絵描きの間でもこのスタンスの方が優勢だ。「自分の絵にイラストAIをツールとして利用すること」にまで否定的な人は少ない。(だから元増田の "AIに対して怒っているのではなく、自分たちのアイデンティティを奪おうとするから騒いでいる。" という指摘はよくわかる。例外的に「嫌われるAI」は明らかによくないデータを使ってるAIとか、絵師の絵を下書きに別の絵を生成しますとかに悪用されたAIぐらいだ。)
そもそも一部の絵描きが嫌おうがイラストAIの利用が止むわけもないので今後よほど大きな事件でもない限り画像生成AIの利用拡大と画像処理ソフトへの統合は既定路線だ。嫌うことに意味はない。Adobeも画像生成AIの利用に前向きだからこの流れはもう止められないぞ。
あれ?なんでこの増田書いてるんだっけ…
まあぶっちゃけ今ある感情的・技術的な問題は放置されたままイラストAIが飽きられ、問題の大半が勝手に解消されるっていうが一番あり得えそうなオチなのかね。
寝よ。