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2020-05-15

anond:20200515002807

都心だとあり得るが、田舎製造関係だとリモート不可能だな。

通勤自家用車だし。ただ、夫婦共に各々書斎スペースは在った方が良い。

コロナ後の住宅事情を考えてみる

現在COVID-19対策リモートワークが多くの会社で試されており、今後リモートワークが普及した場合住宅事情がどのようになるのかを考えてみたい。

・立地について

通勤が減るので駅近至上主義は少し和らぎ、生活面での利便性重要となる。しかリモートワークが普及してもしばらくは出勤と在宅を織り交ぜるような運用となる可能性もあり、会社から離れすぎても困る。このことから都心から少し離れているが、駅周辺は商業化が進んでいるような駅の徒歩〜自転車圏(徒歩25分くらいまで?)が選ばれやすくなる。関東だと船橋大宮浦和とか、関西だと北摂阪神といったところ。今でもそこそこ人気のエリアではあるが、23区大阪市内じゃなくてもいいやという人は更に増えそう。駅まで行けば大体のものは揃うし、日々の買い物なら近所のスーパー等で事足りる。リモートからって生活のことを無視してド田舎に行ける人はそうそういないだろう。

間取りについて

一人暮らしなら机と椅子を置くスペースが取れればあまり気にすることはないが、家族がいれば書斎がほしい。書斎は無いにしても寝室に机と椅子に置ければなんとかなるかな。リビングなど共有スペースで仕事をするのはなんとしても避けたい。そうなると家族構成にもよるが80m2以上は確保したくなる。駅近60m2台のマンションではキツい。接触を減らすためにリモートワークをしている現状だと本末転倒批判された貸スペースもコロナ後ならなかなかの需要がありそうだ。

通信環境について

リモートワークでは通信環境はかなり重要だ。賃貸無料インターネットカスさに改めて気付かされた。無料でなくともマンションでは在宅勤務が増えれば速度低下の可能性が高い。ゆくゆくは5Gやそれ以降の無線通信リモートワークできるようになるかもしれないが、今のような従量課金に近い料金体系だと恐ろしいことになりそう。できれば戸建てで光回線引いておきたい。

・家の快適性

家で仕事をするようになるなら快適性の優先度も上がる。特に寒さ暑さはできるだけ緩和しておきたいし、こたつ仕事をしようもんなら腰が逝く。エアコンフル稼働させるにしても電気代が結構変わるはずだ。となると立地と築浅どちらを取るかとなったときに築浅に流れる割合が増えそうである。今まで持ち家ではそこそこアピールされていた断熱性気密性が賃貸でもアピールポイントとして持ち上がるかもしれない。賃貸でもアルミサッシが廃れていくならいいことだ。

・持ち家か賃貸

COVID-19を経験して借金リスクを避けようという考えで賃貸派が増えるかもしれないし、リモートワークが普及すればどこに住んでも働けるからトータルの住居費が安くなる持ち家派が増えるかもしれない。今は前者が圧倒的に多いだろうね。

ここまでなんとなくの考えを垂れ流したが、私自身は去年に住宅購入を考え始め、こんな状況になる前に方針をほぼ決めてしまった。幸い上記の条件はそこそこ満たせてるので一安心といったところ。書斎は無いがしかたない。

2020-05-13

anond:20200513152149

それはそれで、夫も一人の時間取れなくてストレス溜まってるわけで

人間他人とずっと一緒に居たら煮詰まる人が大多数だよ

そこでそういうストレスを感じないとしたら

他人とずっと一緒にいても苦にならない、今となっては少数派な人か

他人に一切気を遣わないかストレスまらないだけ(代わりに他人側がストレス溜めまくってる)か

そもそも自宅勤務じゃないとか、家が広くてお互い書斎に籠れるとか別に個人仕事場持ってるとかで

コロナ禍下でも夫婦が常に一緒じゃなくて済んで

かつ仕事時間以外もお互い相手依存しないでそれぞれ好き勝手に遊んでもお互い不満を溜めない夫婦ならいいかもしれないが

そういう人ってそもそも結婚してなさそう

2020-05-09

会社の寮とか社宅とかは今も制度としてはあるけど

テレワーク・在宅勤務が普及したら

オフィス兼自宅みたいな2DK〜物件を作ってほしい

社宅だったら書斎

家ってトイレ風呂に寝室に台所くらいが標準装備だと思うけど

これに加え書斎オフィス用の部屋が1室、これをテレワーク時代の標準装備として欲しい

ネットワークと防音完備で

2020-04-19

図書館は私の書斎

緊急事態宣言全国区になったので、行きつけの図書館が休館になった。

休館になるのは火曜日からなので、すぐインターネットの蔵書検索

好きな作家や気になっていた本をまとめて予約。

図書館内に在庫があるものだけ予約したので、次の日には予約が完了

後は手元にあった本を返すのと同時に、予約した本をカウンターで受け取って

さっさと退散。 

 

駆け込み貸し出しとでも言うのかな。

自粛間中インターネットをダラダラ見ても退屈だし、

のんびり読書を楽しみながら過ごせたらと思ってる。 

 

アマゾンももちろん本が買えるけど、私の読書量だと、1年で

下手すると2ヶ月分の月収が飛ぶ金額になる。

(アプリの蔵書マネージャーで調べた去年の書籍代)

ちなみに去年は200冊以上読んでた。

 

 

そして何よりも、買った本を読まない傾向が私にはある。

学生の頃からずっと図書館で本を読んでたからか、本は買うよりも借りるもの

貸し出し期間中に返さなきゃいけないっていうプレッシャーがあるから

読むペースは早いし、確実に読もうとする。

たまに図書館にない本を買ったりするけど、何ヶ月も放置することが多い。

 

 

それに正直、こんなん借りなければよかったと思う本もあるので

それにお金をかけることを考えると、無料図書館はすごく大事

 

 

あと何よりも、紙の本を好きだけど、いちど読んだ本を手元に置いておくのも

なんか嫌。

買った本を読んだらすぐに古本屋に売るし。

 

 

節約系の本で、書籍代はケチりません、という話もよく聞くけど、

図書館の同じものが手に入るんであれば、私は借りる。

本に書き込む趣味はないし、もう一度読み返すこともあまりない。

記憶に残らなかったのは、自分には必要ない内容だったからだと割り切っている。

 

 

なので問題集など、書き込み必要もの以外は、基本的に買わない。

話題の本を今読む必要がどこにあるのだろう?

予約待ちで確かに200件とかもあったりするけど、数ヶ月もすれば手に入る。

最新情報インターネットで、小説新刊だったら、数ヶ月僕でも全然構わない。

常に、数ヶ月前に予約した読みたかった本が、図書館カウンターで待ってる。

 

 

図書館は私の書斎

コロナの影響で、シェアリングサービスが打撃を受けていると聞いたけど

図書館は生き残って欲しい限り。

無料で本を借りるだけでなく、大量の本に囲まれ空間が好きなんだ。

結果論

1・実家近くに引っ越さない/引っ越す→引っ越してよかった

2・書斎必要/不要リモートワーク移行であってよかった

3・2階トイレ必要/不要→便利

4・トイレ自動便ふた開閉・洗浄は必要/不要感染症対策自動便ふた開閉・洗浄は必須

5・床暖房必要/不要必要。なかったら寒すぎる

6・1階リビング電動シャッター必要/不要必要。なかったら不便極まりない

7・食洗機(深型)必要/不要必要。浅型とは収納量が違う

新型コロナ騒動前に、頭金918万円+諸費用で購入した新築マンションを売却

→今年3月に新居購入(頭金116万円+諸費用)で、世帯の手元キャッシュが約800万円増えた。

3月〜4ヶ月の1カ月間に限ると、太陽光パネルの売電>電気代で、他の固定費アップ分と差し引きゼロ

転居を機に固定電話を解約、売り込み電話もない。

たぶん賞与はないが、リモートワーク移行で通勤手当がなくなり、

標準報酬月額ダウンで社会保険料負担も減る。

もともと宅配ボックスのあるマンション(駅チカ)から戸建て(駅遠)に住み替えるにあたり、

無印良品などでいろいろ買い込んでいたので、外出せずとも1年くらい十分に暮らせる。

いくらいの予想。ただ、やはり駅遠戸建ての閉塞感は半端ない

住宅ローンの1年間の免責期間終了後くらいに病死できれば狙い通り。

子ども配偶者に任せた。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-01-30

ここ数日脱Apple検討している。

子供が生まれて高い高いアップル製品をこれからも買い続けられるのかという不安のためだ。

とはいえiPhoneMacbookairiPadAirPodsApple Watchとアップル製品支配された生活を止めるのは面倒そうだ。

では、パソコンだけでもWindows製品にしようかな。。。と。。。でもどれ買ったらいいかわからんな。

DellのGシリーズレノボのE595がいいか。あれ、そもそもPCゲームしないからそんな高スペックPCいらないよな。

じゃ、ゲーミングPCは除外か。じゃ、レノボ買う?いやーちょっと仕事場っぽいデザインあんまりきじゃないよね。

買うならiMacかなー。でもiMac家にあっても毎日使ってるかな、しかも一箇所に固定でしょ?いろいろな場所PCは使うよね。

書斎でも使うし、リビングでも使うし、寝室でも使う。ということはMacノートか?何買おう、Air?Pro?いやーAirはもう

持ってるよー、でもlate2012だからLetinaじゃないよね。でもAirは買ってるから次はProにしようかな。じゃ13インチ?いや

持ってるAirが13インチからね。それと同じ画面サイズじゃインパクトないでしょ。じゃ最近出た16インチか、よし決まり

え、30万円するってー!!あら、そんな高い物買う必要ある?そもそもPCAirがあるぜ。。。でも昔に買ったやつだからなー

買い替えたいよなー、でも30万は高い。。。脱Appleしようかな。。。

以下延々ループ

何がしたいんだ俺?なにか消費行動がしたいのだろうか。

2019-12-09

原作読者によるアニメ夜明けのブギーポップメモ3(12話)

(前)

https://anond.hatelabo.jp/20191209210931

12話 「夜明けのブギーポップ 3」

STORY|TVアニメ「ブギーポップは笑わない」公式サイト

脚本鈴木智

絵コンテ川野麻美八田洋介

演出:のがみかずお

作画監督松本純平、青野厚司、志賀道憲、橋本浩一

総作画監督土屋

霧間誠一のもとに届いた一通の手紙。その手紙には、自らの死を予言する言葉とともに、霧間誠一への感謝が綴られていた。

霧間誠一の本と出会たことで、ずっと隠してきた生まれもった才能を少しずつ世に現そうと考え、その結果、社会の敵となってしまたこから最後にお礼を述べるために手紙を送ったという。

この手紙のことが気になった霧間誠一が、友人である榊原弦に調査を依頼すると、手紙差し出し人は手紙を送った翌日に命を落としており、彼には本当に不思議能力があったことが明らかになる。

原作4話「パブリック・エナミーナンバーワン」及び5話「虫」前半に相当。

この構成では「パブリック〜」はかなり割りを食いそうなものだが、出来事自体の省略は意外なほど少ない。元々が短い章であり、霧間誠一の内面での考察等が多めだからだろう。

アバン

霧間誠一と水乃星透子の出会い。

セリフ含めて流れは概ね原作通り。ただ、原作では「少女」の正体は章終盤まで伏せているが、アニメはここで既に水乃星の顔を見せている。どうせ声の問題で隠しようがないので、これで正解だろう。

また、原作のこの時の誠一の容貌は「どう見ても怪しい不審人物」となっているが、無精髭こそ生えているもののそこまでではない。

霧間誠一

いかにも人の良さそうな中年男性、という感じのデザイン

原作の初読時にも、それまでの巻で(架空の)著書の引用エピソードから形成されていた尖った印象からすると、本人は物腰が柔らかくて意外に感じたことを思い出した。

水乃星透子(小学生

「かなりの美人さん」というか、あざといほどのかわいらしさ。「黒っぽい服を着ていて、長い髪の毛を額の真ん中で分けて」という記述にも忠実。高校生時同様、黒ストを着用している。一種トレードマークか。

キョウ「前略〜」(2:02)

誠一が受け取った読者から手紙が、本人の声で読み上げられる。

アニメ本編内はもちろん、原作でもこの時点では名前不明少年だが、エンドクレジットでは後の「エンブリオ」で明かされる「キョウ」の名前記載されている。これは「エンブリオ」も何らかのメディア展開があり得るのではと、一部で期待されたのだが……

キョウ「きっと監視から刺客でしょう」(3:11

路地裏の闇からキョウを見つめる佐々木

榊原

誠一の友人であることは分かるだろうが、格闘家で凪と谷口正樹の師匠、という情報アニメ本編だけからはさすがに伝わりづらい。出番がここだけなので、分からなくても特に問題はないのだが。

霧間凪小学生

中学生からさらに順当に幼くした、という印象。エプロンをしていることから、この後の夕飯は凪の作ったもの

洗い物をする凪(7:18)

当番制なのかもしれないし、誠一の生活力の無さの表現でも別にいいのだが、小学生の娘が洗い物をしているのを座って見ている父親という図は、どこかの方面から怒られそうで心配になる。

誠一「監視者とやらが私にたどり着くのも〜」(8:09)

死を覚悟した誠一が、いざという時は弦を頼れと凪に告げる会話はカット

誠一と水乃星(8:17

アバンの続き。基本的に二人が会話するだけのパートだが、何度か水乃星が誠一との距離を変化させる動きがアクセントになっている。

誠一「4月に雪が降ることだってある」(9:02)

ハッとする水乃星。

一歩距離を詰める水乃星(9:30)

誠一の隣に腰掛ける水乃星(10:14 )

「どう見ても怪しい不審人物」の姿を再現しなくてよかった。

ベンチから立ち上がる水乃星(11:32)

水乃星「おじさん、名前はなんていうの?」(11:44)

オリジナル質問。この後に、本来はもう少し前の位置にあった誠一から質問を問い返しとして置くことで、水乃星の名乗りで前半を締める構成になっている。

水乃星「水乃星透子」(11:52)

水乃星といえば笑顔だが、ここでの表情はどうしても「ドヤ顔」と呼びたくなる。幼い頃からラスボスラスボス、という貫禄としてアリ。

「VS Imaginator PARTⅢ "Public Enemy No.1" closed.」

というテロップをここで出せれば最高だったのだが、英題どころか章タイトルのものが未使用はしかたない。

佐々木による誠一の殺害11:52)

原作の章構成自体にある程度そういう意図があるとはいえ、霧間誠一の死を媒介にして「パブリック〜」から「虫」へ自然に繋ぐのは上手い。

吐血して倒れている誠一(12:01)

振動能力による内臓破壊という説明特に無し。「笑わない」編で表向きの死因(「胃穿孔による内臓溶解」)が語られることもなかった。

誠一「凪、普通ということをどう思う?」(12:44)

原作では「笑わない」で既出セリフだが、アニメはここが初めて。

天井の角に張り付く佐々木12:54)

隠れ場所を「書斎の隣の書庫室」から変更したことで、遥かにインパクトがある画になった。

佐々木普通、か」(12:58)

原作でこのとき回想していたのは、キョウの死に際の方。そちらもすぐ後に回想がある。

佐々木ピジョンがいる店

原作では「ファーストフードドーナツ屋のボックス席」。

中学生凪(15:17

原作ではこの時点で既に黒いつなぎを着ているが、聞き込みなどをする格好ではないと判断したのか、黄色パーカー等に変更。

第一食品 営業部」(15:57)

佐々木の表向きの立場名刺第一食品という会社名はオリジナル

から佐々木と凪を見つめる来生(16:36)

原作では、強化された視力で500メートル先の二人もはっきり視認、というシーンだが、普通距離になってる?

凪「ナンパだよ、ナ・ン・パ」 佐々木「い、いや、ないですけど……」(18:11

後の伏線だけあって、しっかり戸惑った演技になっている。

佐々木「あー、いや、私は別に、その、怪しい者じゃなくて……」

直前のカット佐々木笑顔が、わざとかと思うほどに怪しい。

ファミレス「Jona○○○」(18:45)

後ろ数文字は画面外。

佐々木彼女、こう見えて26才なんですよ」(18:49)

年齢を聞かれた凪がしれっと26と答え、佐々木が「こけそうに」なる流れから変更。ギャグっぽくなり過ぎることを避けたのか、簡潔にして尺の節約か。

里香わたしは、子供の頃から怖がりでしたから」(19:57)

このセリフから連想で凪が前話での来生とのやり取りを思い出し、さら里香が凪たちと出会う直前の来生との遭遇を語る、という一連の流れはオリジナル

佐々木「会ったばかりで、なぜ君はそこまで」(21:18)

原作の「君の父親を殺しているんだぞ」に相当する感情を込めた、硬い声。

来生「ヒントはあげた。後は待つだけ」(21:46)

原作では、凪が来生にたどり着く根拠がやや薄いので、来生自身情報を与えておびき寄せたというアレンジで補強したものと思われる。

来生「その裡に、何もかも焼き尽くすような、炎のような〜」(21:58)

炎の魔女」に絡めたオリジナル台詞

(次)

https://anond.hatelabo.jp/20191209212847

2019-10-20

anond:20191020093401

映画見て、主人公が読んでた本とかロケ地とか行ってみたくならない?

映画のあこがれの主人公書斎にどんな本が置いてあったとかどんな家具があったとか気にならない?

美味しいお酒飲んで酒蔵とか行ってみたくならない?

会社で立ち時間・座り時間が長くてつらいとかあったら、いろいろ対策したくならない?

2019-09-14

アメリカ住宅事情

20アメリカで働いて、アパート・タウンハウス・戸建てと住み替えてきました。

せっかくなのでメモしておこうと思います

一気に全部書く気力が多分ないのでちょっとずつ更新するつもりです。

=====

ノースウェスト

地域アメリカ本土の左上の方、ノースウェストです。もう少し北に行くとカナダです。

そこの大都市近郊に住んでいました。

大都市までは車でフリーウェイに乗って10から20分てところです。渋滞じゃなければ。

アメリカの他の地域のことは分かりません。

シリコンバレーなんて地獄のような住宅価格と聞くけど実体験としては書けない。ので書きません。

戸建て

いわゆるSingle Family House自分が居た地域ではこのタイプが上がりだけど何度も買い換えて引っ越す人はいます

子供が居なくなれば小さい家に買い換えるしそのときは足腰が弱っているから平屋が人気。

新築より中古を買うのが一般的。というか新築だけでは需要が満たせない。

家を売るとき、よほど何かなければ買ったときより高く売れます

自分場合新築で買って約10年後に売ったけど50%増しで売れました。しかもこれ相当売り方が下手糞だった。(売れる季節を逃すしほんの数百ドルカーペットクリーニングををケチったせいかかなり見込み客が減った)。

住んでたのは特に贅沢な家じゃなくて

家の床面積は大体270平方メートル感覚的には平均よりちょっとだけ広いかなと。土地はおよそ780平方メートル土地は狭いほうです。

フロントヤードに芝生が張ってあって、バックヤード最初は芝生だったんだけど手入れが面倒でウッドデッキとレンガを敷き詰めたスペースに変えてしまいました。工事に2万ドルぐらいかかりました。

フロントヤード最初自分で芝を刈ってたんだけど忙しくなって手抜きになって周囲の家から顰蹙を買ったので業者を入れて週一で刈ってもらってました。1ヶ月で$200ぐらいだったかしらん。

ベッドルーム

クローゼットが付いてる。個人の部屋になる。カーペット敷きでした。

一部屋6-8畳ぐらい?

あとアメリカのベッドは意外と小さめ。背が高い人は足が飛び出るんじゃないか

書斎

玄関を入ってすぐの左手にありました。ドアがガラス入りで中丸見え。カーペット敷き。8畳ぐらい。

ファミリールーム

いわゆる居間ですね。リビングルームが来客用でファミリールーム家族用となってると。

トレンドリビングルームの縮小、ファミリールームの充実。そりゃ家族だんらんの部屋の方が大事だよね

カーペット敷き。

暖炉あり。停電たらこ暖炉命綱です。あ、ガスを燃やすタイプでした。

エアコン

もともと寒い土地柄(北海道と同じ緯度)なので暖房しか必要なかったんですが、地球温暖化の影響で最近暑くなってきたんで、冷房をつける人が増えてきました。既に家に備え付けてあるセントラルヒーティングにのっかる形で各部屋を冷やす感じです。$5,000ぐらいから。

自家発電装置

年々冬の嵐も激しさを増してくる、つまり長期の停電が増えてきたということで、自家発電装置を備える人が増えました。

簡単なやつなら$1,000しないで買えるしそれで暖房が効いて明かりがともるならいいよね。

温水器

寒い土地柄なのに一旦停電すると暖房が使えなくなります暖房の燃料は都市ガスなのですが燃焼の制御回路に電気必要みたい。これは本当に死活問題です。凍死しちゃう。ですが、暖炉が広く普及しているので凍えるところまではいかずにすみます

ところがお湯はずっと使えます。給湯の主流は温水器です。燃料はガスですが電気回路で制御されているにも関わらず。なぜなんだろうとあるとき気になって調べたら、温水器の制御回路にも電気必要ですが最近の温水器は「温度差発電」で電気を作るんだそうです。給湯器の中のお湯と外から供給される冷たい水の温度差で発電するというわけです。

十年一日アメリカ家電ですが、これだけはなかなかやるなーという。

豪邸

ちなみにお金持ちは湖沿いのお金持ち専用なエリアに家を買います。たいてい中古です。めちゃでかい家だし高いけどな。

知り合いに数人いました。何度か御呼ばれしたけど豪邸ってのは豪邸よ?すごいよ。

ちなみにお金持ち専用の市まで作っちゃって(またそれは別の話)。

アパート

アパート家賃のことを「レント」と言います

需給が逼迫しているのでどんどん高くなっているようです。

また気が向いたときに続きを書くね。

2019-09-13

anond:20160601034356

こういうKKOステマおじさんってフェイスブックでは書斎に蔵書が2万冊の知性派、このほど遅まきながら子供に恵まれましてとかやってそうー

好きなことやって暮らしてるくせに貧乏貧乏いうよねー

2019-09-04

去年あたりにショートショート投稿したものです。ご意見色々うかがいまして、お目を汚しますが推敲しました。

先月、日本国重工業清算事業団資産整理の一環として放出されたタクトスイッチ、T-303(黒)。

私には入手できなかった。今回の放出分、32510台は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約で完売という。

入手できるのはいつのことだろうか。

私はこのスイッチ収集という趣味子供の頃から続けている。

今では一財産といえるくらいの蒐集になった。

私が生まれるより以前には多くの趣味人口が在った分野のようだが、昭和99年の今では古臭い趣味として認識されている。

世代の違う親に言わせれば例えば、切手収集みたいなもののように映るようだ。

デザインや絵柄しか違いのない切手に比べたらスイッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、眼に映る色、端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様々なクリック感。

より多くの趣味性を内包するように私は、思っている。

大きなものではなく、嵩張らないので例えば自動車のような趣味と比べ所有するのに場所をとらず、多くの種類を所有できるのもいい。

採取した昆虫を陳列するよう離れの書斎に並べてある私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお気に入りスイッチを手にしてその感触を味わう。

冬の暖かい部屋のなか、柔らかな椅子にくつろぎラヴェルの録音を再生する。

そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイッチ左手に取り、クリック

午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。

この、スイッチ収集という趣味市場は世の中に、昭和初期に急に現れたらしい。

どういうわけかは不明である。はじめは細く好事家の間での国の生産計画情報交換などの会合や、あるいはコレクションの展示会、交換会などが行われていたようだ。

国立国会図書館存在もするその会の名簿を調べると、参加者には国防機構内のテクノクラート財閥系の重工業企業社員名前存在が目立つ。

そしてその趣味市場の人数規模は、この頃では大きくは、なかったようである

その後、先の大戦中の国家高揚のなか、敵性語であるのでスイッチとは言わないがこのころではすでに開閉器収集というジャンル趣味市民の間には広く存在した。

昭和15年2月 東亜開閉器公社発行の、季刊開閉器句報創刊号も私のコレクションの一部だ。

スイッチを手に遊ばせながらブラウン管から聞こえるニュースに耳を寄せると、本営の報道官が伝えている。

数年続くこの大戦戦局は発表によると、本日も快進のようだ。

先週も三沢基地より、北の方向への弾道ミサイルが2発発射された。

ニュースヨーロッパ共同体経済状況に続けて本営、および日本原子力研究製造開発機構広報官らによる記者会見を写している。

先ごろ国会を通過した法案憲法66条2項の改正適用した結果の条項は、兵器を発射する装置制御する管制官責任日本行政システムの中には存在しないよう、恣意解釈できるようだ。

一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいことと同じように、多く憲法改正される機会のある今日ではあまり興味のない類のニュースだ。

ブラウン管の電源を落として、月刊スイッチ今月号に目を移す。

広告の新発売の製品には多くの仕様が並ぶ。

古くからスイッチ収集家の私から見たら、必要は感じられないのだが最近スイッチの内部にはただのスイッチ以上の何らかの機能もあるようだ。

また、市民通信網上に在る、政府の機密に近しい噂のあるページによると、スイッチ部品販売元は各民間商事企業ではあるのだが、製造は全て国が一元して行っているという話も見る。

製品の処機能が増えるならば趣味の幅が広がるしまた、国が管理しているのならばその製品品質も安定するであろう。

理由はわからないがコレクターとしては喜ばしい、としかその時は考えなかった。

私の左手にはただ、趣味性の高いスイッチけがある。

そして私以外の多くの蒐集家の手にも、押されるのを待つスイッチが数多く、あるのだろう。

2019-08-15

anond:20190815221053

洗濯機乾燥機・物干し竿

 →制服による。営業マンならクリーニング必須だし自宅洗いならノーアイロンウォッシャブワイシャツ買い揃えたらアイロンいらなくね。

 汗と油とかいているけど調理? ハンガーたくさんいるね

   

冷蔵庫

 →野菜室要らないのは男性らしい。冷凍庫おおきめかむしろ冷凍庫+ペルチェで寝室ビールという手も。 耐熱天板って普通そうだろ

電子レンジ

 →男性は揚げ物が好きだろうから最初からヘルシオにしたら電子レンジトースターも揚げ物マシンも1台ですむけど

 

カーペット(2階なので防音)

 →掃除機しっかりかけようね たまに連れ込んだ女の長い髪の毛はすぐ繊維にからみつくぞw あと夏は暑い

 

カーテン(遮光カーテンで)

 遮光しすぎると日周期リズム崩れるからあけしめ楽なやつね、雨戸きちんとあけしめするならレースの目隠ししか要らないという話もある

 

・机・ハンガータンス・本棚生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)

・クッション・ソファも同上の理由不要

 →こたつ座椅子はとてもよいもの

ゴミ箱ティッシュ食器実家から持っていく

 →インスタントカップ麺のためのティファールポットも余ってたらもらってこい

 

以上が必需品?

それとは別に疑問点として、

・2LDKだが、1ルーム和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室書斎(?)として使うか?)

 →倉庫になる

和室本棚・机は畳が痛むから危険か?

 →10センチ角の板をどこからかもらって足に敷く なければ100円ショップで探す

引っ越し挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品NG商品券ゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)

 →昔は長続きするそば定番だった。男性なのでどん兵衛とかでも許されるかな。あとタオル

一人暮らし必要もの

アラサー男が初めて一人暮らしするにあたり、必要ものってなんだろう?

洗濯機(安物で十分・それよりきちんと畳んだりアイロンを忘れないことを重視すること)

・2ドア冷蔵庫(霜取り芙蓉・容量160L±20L・耐熱天板)

電子レンジは割とよく使う。オーブンは使いそうで使わない。というわけで電子レンジフラットテーブルの単機能の安物で十分)

カーペット(2階なので防音カーペットを)

カーテン(遮光カーテンで)

・衣類乾燥機・物干し竿(仕事上汗と油で服が1日でだめになるので)

・机・ハンガータンス・本棚生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)

・クッション・ソファも同上の理由不要

ゴミ箱ティッシュ食器実家から持っていく

以上が必需品?

それとは別に疑問点として、

・2LDKだが、1ルーム和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室書斎(?)として使うか?)

和室本棚・机は畳が痛むから危険か?

引っ越し挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品NG商品券ゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)

2019-07-25

亡き父は晩年なぜブクマカになってしまったのか

 元号が令和から変わって間もなく、父がこの世を去った。映画小説の中の「息子」のように父の死を哀しめない自分がいる。そんな自分に対して人として何か欠けたものモヤモヤ感じつつ2度目の月命日を迎えたころ、わだかまり輪郭がくっきりと浮き彫りになってきた。

 晩節の父は、どうしてはてなに染まってしまったのだろうか? 

 遺品整理として父のノートパソコンの中を覗くのは、大きな心理的苦痛を伴う。ブラウザトップに出てくるはてなブックマーク。偏向を通り越してまず「トンデモレベルはてブの数々。生前の父は立ち歩けなくなる直前まで地域福祉住民ネットワーク作りに奔走していたが、デスクトップにはそうした業務ファイルに交じって、ファイル名そのものが「睡運瞑菜」とされたエクセルデータがあり、中身は有名ブクマカブコメリストだった。

 はじめは、あれ?という違和感程度だったように思う。

 久々に帰った実家で、几帳面に整理された父の書斎デスクや枕元に何げなく置かれた「増田」のプリントアウトの数々。その頃は、相変わらず知的好奇心の幅が広い男だなと思った程度だったのだ。父はとにかく多方面好奇心を示す人物だったし、退職しても即座に語学留学するような向学心の塊だったからだ。

 病院にいると、「パンティー」とつぶやく。「ゴミを貼るな」と、誰に向かうでもなく言う。JKに向けての露骨性癖を口にする父に、言葉を失った。元増田なんて言葉を使う時点でどんなコンテンツに触れているかがわかるし、あたかもそれが誰にでも通じる共通言語かのように語る時点で、閉鎖的なコミュニティの中で父が常識を失っていることを感じた。

 そうした父の言葉のすべてを、僕は黙ってスルーした。

 貪欲な向学心を持ち、時代の波にそれなりに揉まれ10年ぐらい同じスレッド書き込み続けて吉野家牛丼を選んだ、どこにでもいるオヤジだった父を想う。

 こんな形で彼を失ったことを、息子はいま、初めて哀しく悔しく感じている。

それほど遠くない未来、こんなことを書かれるんだろうなあ。

2019-07-17

夫の様子が気になる

夫の様子がちょっと気になるんだけれど、こういうのって、よくあるんだろうか。

帰宅はそれほど遅くなくて、だいたい20時ごろには帰ってくる。

7時前には家を出て行っているから、それでも早いってことは無いと思うが、平気そうに見えるし、本人もバランスが取れているような風に言っている。

前の会社は、6時前に出て行って終電を逃して帰ってくる感じだったから、麻痺しているような気もするけれど・・・

夕食は、それぞれで取るので、私も会社帰りに済ませることもあれば、作っておくこともある。夫も、夕方に先に食べてしまうこともある。

特に、早めに帰ってきた日は、家で仕事をしているらしく、書斎的な部屋(ふたりデスクがそれぞれあって、あと本棚がある。)に入って、何かやっている。

そういう時は、私もリビングのんびりしたり、勉強したり、バターロールを焼いたりしてる。

各部屋(寝室、リビング書斎的な部屋)は、玄関空間を通じてつながっているんだけれど、夫は常に、扉をきちんと締める。

たまに、「絶対入ってこないでね、ちょっとの間」と言い残して仕事をしにいくときがあるので、会議かなにかしてるんだろうな~とは思うが、その割には静かなのが気になる。

iPhoneパソコンがあればテレビ会議が出来るらしく、一度リビング電話会議しているのを目撃したけれど、書斎でもそんなにしょっちゅうテレビ会議しているのかな?

ドアを開けると、デスクに向かっている背中が見える位置なので、ちょっと覗いてみたい気もするけれど・・・

BBC(でしたっけ?)に映った政治学者さんの家族(でしたっけ?)みたいな扱いになるのは恥ずかしいので、今のところやめておいているけれど・・・

何なんだろう?

2019-07-11

anond:20190710210054

うちの実家に似てる…と思ったけど、母親が正常もしくはそれ以上の家事能力の持ち主なだけましなんだろうか。

いろいろ買い込んで何も捨てない人=父と祖母で、とりあえず台所ダイニング、風呂トイレは正常に清潔を保たれているのは母のおかげだ。

今は祖母特養に入っているので、祖母のものを捨てたり片付けたりすることは可能だが、息子である父が祖母のもの処分することに多少抵抗しているようでなかなか片付かない。家を出た私と弟の部屋は当然物置と化しており、私は実家に帰っても泊まるスペースがない。いちおう泊まってみたこともあるのだが、物置になっていた元私のベッドはホコリっぽく、だいたいテレビの前で寝落ちして寝室で寝ない父のベッドで寝る方が快適だった。

この性格ものの見事に私に遺伝し、自宅のリビング職場の机の上はかなり大変な状態である。捨てるルール確立しているもの比較ちゃんと捨てているのだが、保留状態のものをどんどん机に積むので大変なことになる。自宅が汚いのは自分我慢すれば良い話だが、職場だと重要書類が埋もれそうになったり探すのに時間がかかったりして極めて効率が悪い。

自分より明らかに忙しいポストにいるのに、書類の山に埋もれることもなく、家具屋の書斎机コーナーのようにすっきりした状態仕事している上司を見ると、片付けのコツを伝授して欲しいと思う。

元増田がまっとうな整理整頓能力を持ち合わせているのなら、どうやってそれを学んだのか知りたいぐらいだ。たまに我が家に母が来ると「いらないものは捨てなさい!」と言われるが、捨ててもいいものとそうでないもの分別するのが面倒なのだ。すっかり自分の話ばかりになってしまったけど、自分実家以外にもそういう家があることを知って安心した。

2019-07-01

頑丈な机が欲しいなあ

役員用の書斎机とか何十万円もするけど、そういうの数万円で買えないかなあ。

2019-06-27

anond:20190627225930

書斎ほしい

ワンルーム同棲じゃなくても案外自分の部屋はないんだよな

もー

人が集中してるときに話しかけてくんな

ヘッドフォンまでして、目線まで反らしてるのに

同じ状況でこっちが話しかけたときは、すぐに返事しないくせに

…せっかく筆が乗ってたのに

からリビング作業するのは嫌なんだ

あー書斎が欲しいなあ…

2019-06-11

魔性の女からまれたけど

母はホステスで、60近い今も小綺麗で恋多き女だった。

コブつきにも関わらず、離婚しては求婚され、その繰り返しで不自由なく暮らしている。

今は美熟女って感じだけど、若い頃は本当に綺麗だったのを実の子ながら覚えている。

かくいう自分は、実父にそっくりな外見に生まれしまった。

かと言ってドブのようなブスというわけでなく、実父も美形だったので運良く小綺麗に仕上げてもらえた。

乳児期に離婚したので、自分は父のことは何も知らない。

でも、無口でひとり好きで休日書斎に籠っているような変わった人だったと聞く。

外見だけでなく、そんな変わった人な部分まで私は似てしまった。

その上、実母の魔性の女気質に巻き込まれ思春期のせいか人間と関わることをなるべく避けて20代が終わった。

恋は2度しかしたことがない。しかも2度とも破れた。

外見は褒められど、内面がこんな感じだと恋を楽しむ才能が育たないんだなと思う。

あ〜

蒼井優とか、椎名林檎みたいな恋多き女って楽しそう

一回くらいああなってみたかったなー

2019-05-03

anond:20190503122702

子供部屋をちゃん大人書斎に模様替えすればいいんですよ。

それだけで今日から ダンディな「大人書斎おじさん」になれますよ!

2019-05-01

anond:20110501203454

行きつけの書斎カフェでは4時間に1杯でお願いしますと言われてる。はっきり言ってもらってこちらとしても使いやすい。

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