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はてなキーワード: 時間的とは

2019-05-19

免許の返納が進むと何が起きるか

池袋事故を筆頭に連日高齢者による人身事故報道がなされ、それに伴って免許の返納に関する世論も盛り上がっているように見える。

「実際には高齢者人身事故よりも若年層の人身事故のほうが多い」みたいな話もあるが、その辺りは一旦置いておいて、今回は免許の返納について考えてみたい。

結論から言うと、免許の返納が進むことには大きなリスクが潜んでいる可能性があると思っている。それは、「身体機能認知機能の低下による社会的コストの増大」だ。

運転をする人ならわかると思うが、自動車運転には高度な認知機能判断力一定身体機能が求められる。逆に言うと、自動車運転は「強制的に外部からの刺激を受けて認知身体機能トレーニングをしている状態」とも言える。

一方、(本来ならまだ自動車運転できたはずの高齢者が)免許を返納すると、直面するのは「外出コストの大幅な増加」だ。

公共交通機関があまり発達していない地方で外出をしようと思ったときタクシーしろバスしろ電車しろ自動車以外の外出手段には「タクシーを呼ぶ」「遠くの乗り場まで歩く」「毎回お金を払う」など、多大な心理的時間的コストがかかる。そうすると、不要不急の外出自体を控えるようになる高齢者も決して少なくはないだろう。少なくとも、平均的な外出回数は減るはずだ。

※ちなみに、65歳以上の高齢者350万人のうち270万人が東京大阪愛知以外の地域に住んでいる

まり、外出頻度の低下による刺激減+運転による刺激減がダブルで起きることになる。これは、高齢者全体として捉えると認知症や寝たきり等の発症件数の増加、発症時期の早期化(結果として要介護期間の長期化)に繋がってもおかしくないように思う。

記事レベルではこういった話もあるが、根拠となる文献等は見つけられなかった。申し訳ない。何かあれば教えてほしい)

まり免許の返納」という方法高齢者事故問題解決しようとするなら、本来は「高齢者健康リスク増加による社会的コストの増大」と「事故被害者の減少による社会的コストの低下」を比較するのが良いが、まあこれは政治的に無理だと思う。

だとすると、求めるべきは個人判断に基づいた自主的な返納なんかではなく

といった方法になるのではないだろうか。別に危険運転をするのは高齢者に限らないので、こっちのほうが網羅的だし。

行政政治マスコミの皆様はわかりやす事象に囚われすぎず、トータルで社会的な便益が大きい方法を考えてほしいと思う次第。

2019-05-17

好きでいることすら疲れた

ただのアイドルオタク愚痴です。

某J事務所オタクをやっているのですが、なんだか疲れてしまった。

私は所謂大手垢」でもなく、現場自分の住んでる地域自担が来てくれた時に、自分経済的時間的な都合が合えば申し込むだけのオタクだ。

多ステもしないし、チケットがご用意されなければまぁ諦めるかな、みたいな。

でも前ツアーの時にどうしても行きたくて、ツイッターで譲ってくれる人を探した。

幸い相手も良い方で、楽しく自担を観ることができたのだけども。

ツアー、ついこの前の公演にできれば入りたかった。

でも名義を増やしたりするのもなんか違う気がして自名義だけで申し込みをした。

外れたらそれまでだなと思って。

結果外れて、それでもいいか、と思ってはいた。

ツアーが始まってからツイッターでレポを読む度に羨ましくなって、またチケットを譲ってくれる人を探した。

けれどそのタグで出てくる人はほとんど、「定価不可」「即決3.0〜」「相場理解

ばかりだった。

1万もしないチケットなのに。

高額転売だ。

中には定価で譲ってくれる人もいた。

でもそのチケットを取るために名義をいくつも持っていて、そのための仲間も沢山いるようだった。

見れば見るほどなんとも言えない気持ちになった。

一部のファンがこうやって同じツアーで何公演も入って、…むしろ一公演のみ入る人なんてほとんどいなくて。みんな遠征して、何公演も当たり前に入って。仲間がいるから入りたい公演があればすぐ声をかけてチケットを譲られて。

一方で私みたいなファンは細々と当選するのを待ち、落選したらそれまで。

この偏りはなんだろうな、とか考えてしまった。

今まで考えないようにしていたのに。

それが当たり前の世界だと思っていたし、私もそういうファンになるべくツイッターでそれっぽいアカウントを作って、自担の話を常にして。

大手垢さんと仲良くしたくてもこちらは弱小垢だから相手にもされない。

仲間が増えるわけでもないのに無理して繋がろうと頑張って。

それでチケットのお譲りとか、大手垢さんたちが楽しそうにみんなで遠征してるのにいつか入れたらな、とか夢見て。

肝心のアイドル本人のことなんて見えてるのか見えてないのか。

アイドルの話を好きにしたいから作ったと思っていたアカウントは、ただコネを作るためのアカウントだったと気づいてしまった。

それすらもできていないし。

ファンのみんなに合わせて、何枚も何枚も同じCDを買って。

数字は大切だけど、こんな風に出した数字ってどうなの?

気づけば私は大好きなはずのアイドル映像も観なくなって、曲も聴かなくなった。

テレビに出るのも追いかけてないし、ラジオタイミングが合えば聴くかな、くらいだ。

アイドルを好きでいることに疲れた

好きなのは変わらないけれど、自分のペースで好きでいたい。

無理をして名義を増やしたり、遠征のために、多ステするためにいろんなもの犠牲にしたり。

そんなファンはいたくなかった。

アイドル本人たちはファンはそういう人もいるんだよねって認識はしているみたいだけど。

そうじゃないファンもいるんだよ。

お金時間もかけているけれど、みんなみたいにはなれなかった。

アイドルファンを嫌いになる前に距離を置くことにした。

他のアーティスト界隈はこんなことないのかな。

J界隈が特殊なんだろうか。

2019-05-13

anond:20190513014045

男性生得的に一夫一婦制を望んでいるとは思えないですよね。

経済的、体力的、時間的余裕さえあれば、多くの男性ハーレムを好むだろうし、

国民象徴である天皇家も代々側室を設けていたこからも明らか。

2019-05-11

エコノミックマンになりたい

徹底的に合理的に行動するために、オペレーションズ・リサーチアルゴリズムミクロ経済学を1年ほど学んでみてわかったのは、どうやら人間合理性には限界があるということ。

合理的に行動するためには、選択肢の全情報と、選択肢を選んだときの結果とその確率選択肢比較するための能力、などが必要になってくる。

しかし、以下の点から考えれば、人間能力はかなり制限がある。

要するに、情報処理能力時間資源の制約・環境要因の複雑性、というような点で、意思決定問題を解くことが困難になっている。

いくつかの問題コンピュータに解かせたほうが良い場合も多いが、日常意思決定の全てをコンピュータ代替することは難しい。

そこで、行動経済学の出番だと思い、学んでいるところだが、行動経済学では限定合理性といって、認知能力などの限界によって人間合理性には制限があるということを言っている。

まり合理的に行動したければ、まず能力的な制約条件を考慮しなければならない。

例えば、タバコを吸う連中が簡単タバコをやめられないのは、ニコチン中毒に陥っているからであって、これは脳の処理能力問題であり、単純なゲーム理論問題ではない。

最初の段階では、タバコをやめられる可能性の高い戦略を、実証研究を基に探るしか方法がない。なぜなら、そういった実証研究理論化においてはまだ未発達な部分もあり、確たる抽象理論がないためであるしかし、その戦略自体の実行可能性についても考慮する必要がある。「結婚すればタバコをやめられる確率高まる」という実証研究があったとしても、タバコをやめるためだけに結婚するアホはいない。

オペレーションズ・リサーチ的に言えば、「人生における目的関数重要」ということになるが、信念や環境は動的に変化するため、特定目的関数が将来において重要性を持つとは断言できない。一般に、目的関数重要性を比較するためのメタ目的関数のようなもの設計することは難しい(またはできない)。

そういう場合は、将来においても重要となる可能性の高い目的関数を選び出す必要があるが、例えば「健康を保つ」という目的関数があったとしても、現在と将来では環境が変わっているので、戦略のものが変わる可能性が高い。要するに、未来事象における情報処理能力には限界がある。

なので、重要戦略は、

1) 環境の変化に対応できること。または環境のもの無視できること。

2) 人間能力などの制約を考慮していること。

3) その戦略を使うことが、他の戦略を使うよりも有益だと実証できること。

という3つの点が重要になってくる。例えば「詐欺師を見分ける」というような些細な状況であっても、認知限界によって、詐欺手法の全てを知ることはできない。むしろ、我々は、怪しいセールスの特徴を直感的に把握して、詐欺を見分けている。しかも、一部の個人においては、その精度が極めて高いことがありえる。こういった「直感」のような認知機能も含めて、アルゴリズム的に理論化することは、特に行動経済学において重要トピックに思える。

しかし、人間認知機能についての理論は、未だ未熟な段階であり、精神医学でさえ未だに「バウムテスト」のような頭の悪いテスト手法を盲信している。「人間認知的な特性限界考慮して合理性設計すること」というアイデアは、確かに的を射ているように見えるが、Wikipediaプロスペクト理論記事のように損失回避傾向をモデル化するだけでは、人間の行動について矮小化しすぎている気がする。

何がいいたいかというと、スポックになりたい。

2019-05-10

第三次世界大戦」って言うけどそろそろ第一次と第二次から離れすぎてつらい

1914-1918の第一次と1939-1945の第二次に対して

たとえば2020年くらいか第三次が始まったとしても

時間的に離れすぎていて「第三次」感がないというか

やっぱ1980年代くらいに済ませておくべきだったよな

2019-05-08

マナー本・マナー講師は本当に「お疲れ様は目上にNG」と広めたのか?

前提

「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter

上記まとめにもある通り、杉村喜光という人は、以下のような発言をしている。

 

 

しかし、これまで「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」というマナーは、(そのよしあしはともあれ)聞いたことがあるものの、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」という言説は、少なくともマナーマナー講師)関連において見聞きしたことがなかった。

 

※ただし、マナー講師ではなく芸能人タモリ氏)や言語学者園田博文氏)は、「お疲れ様」という言葉について以下のように述べているようである

タモリが「お疲れ様です」は目上の者に使ってはいけないと指摘 波紋呼ぶ - ライブドアニュース

子役が誰彼かまわずお疲れ様です』といって回るのはおかしい」(タモリ氏)

「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(園田氏)

調べてみた

ならば、本当にマナー本は、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と主張しているのだろうか?

このことを検証するため、八重洲ブックセンター八重洲本店2Fの「ビジネスマナー」コーナーにあったマナー本を片端から当たってみた

……かったのだが、1段・56冊あり、全部を立ち読みするのは時間的にも労力的にも足りず、かつ、売り物の書籍を使って調べ物をするのが申し訳なかったので、20冊だけ抽出した。

八重洲ブックセンターを選んだのは、会社から近く、また今日仕事関係で立ち寄りやすかったというだけであり、他意はない。図書館を選ばなかった理由は3つある。近隣の図書館が思いつかなかったこと、冊数としては八重洲ブックセンターの方が豊富だと判断したこと、古い、昭和の本も交じっていそうで、そうすると有効な冊数はさらに少なくなると考えたこからだ。八重洲ブックセンターさんには申し訳なかったが、普段も毎月1万円程度は購入しており、今日も本を買ったので、許してもらえたらうれしい)

 

なお、書籍はスミからスミまで見たわけではなく、「あいさつ」「言葉かい」といった項目のところだけざっと流し読みしているので、漏れがあるとは思う。この件についてはご容赦願いたい。

 

さて、その20冊の中で、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と書いてある書籍は何冊あったか

 

答えは0冊だ。

調べた限りでは見つからなかった。

ただし、「ご苦労様を目上の人に使うのはNGお疲れ様を使いましょう」と推奨する書籍は、5冊発見した。もっと多いと予想していたので、案外少なかったが、精査していないため見落としもあるのだろう。

個人的には、杉村と同じく、ご苦労様だろうがお疲れ様だろうが、目上の人に使っても、まあいいんじゃないのかな、とは思っている)

念のため、その書籍名を記しておく。

○知らないと恥ずかしい!おとなのマナー図鑑

○男のマナー パーフェクトBOOK

○必ず役立つ!仕事の基本とマナー面白いほど評価が上がる本

常識以前の仕事ルールマナー

新人の「?」を解決する ビジネスマナー100 または 社会人としての常識マナーQ&A(メモミスで、どちらか分からなくなってしまった。申し訳ない)

 

以上のことから

○「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」とするマナーは、確かに複数の著者が主張している

○「『お疲れ様』を目上の人に使うのはNG」というマナーを主張する著者(マナー講師)は、少なくとも「『ご苦労様』NG」以下だろう

ということが確認および推測できた。

杉村は、どのような根拠をもって「この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。」などと断じているのか、また、そのようなマナー本がどこにあるのかを示してほしい。

加えるならば、「新ルール」とまで言うからには、1人のマナー講師・1冊の著書の主張では足りない。最低でも3冊は「お疲れ様NG」と述べているマナー本を、杉村に限らないので提示してほしいところだが、どうだろうか。

※言っちゃあ悪いが、マナー本なんて、よくも悪くも似たり寄ったりだ。二重敬語NG例など、同じ表現を何度見たことか…。だが、それは当たり前で、マナー本ごとに言っていることが違ったら、プロトコルとしてのマナー機能しないかである。逆説的に言うと、本当に「お疲れ様NG」というマナーが新たにできたというならば、上記の通りタモリ氏・園田氏の事例もあるし、20冊も拾い読みすれば、2~3冊は目に引っかかっておかしくないのであるが…。

少しだけ寄り道

改めて、杉村tweetを見てみる。スクリーンショットだが、元ネタをたどると、

山田優、「両陛下お疲れ様でした」という投稿に批判殺到「皇室をなんだと…」(1ページ目) - デイリーニュースオンラインが出てくる。

デイリーニュースオンラインという段階で、取り上げるのもあほらしくなるのだが、ひとまずそこは置いておこう。

 

で、そもそも元ネタ記事には、

会社上司にすらお疲れ様と言うのは失礼と言われるのに。。」

引用されているだけであり、どのような根拠、つまりマナー本を読んだりマナー講師に教わったりしたのか、上司にそう注意されたのか、はたまた、自分個人思い込みなのかは一言も書いていない。

個人的には、元の発言者は「ご苦労様」と勘違いしているのではないか、という第一印象を持ったのだが、もちろん、定かではない)

 

それをいきなり、マナー本が~と言い出しているのは杉村である(だからこそ、典拠となるマナー本を提示してほしいのだ)。

実は最初杉村も「ご苦労様」と勘違いしたんじゃないか、と思ったのだけど、その後別のtweetで、

と述べているので、「お疲れ様は目上にNG」と主張するマナー本を数冊は読んでいるのだろう。ぜひ教えてほしい。本当にそう思う。

 

ブックマークコメントで「マナー本・マナー講師」を断罪している人へ

これまで述べた通り、一個人としては、

○「ご苦労様は目上にNG」というマナーは聞いたことがあっても、「お疲れ様は目上にNG」は見聞きしたことがない

書店に並んでいるマナー本を抽出調査したが、「お疲れ様は目上にNG」とするマナー本が見つからなかった

ことから

○「お疲れ様は目上にNG」だと主張する平成マナー本は、あったとしても本当にごく一部で、「ご苦労様NG」ほどには広まっていない

○「平成マナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張には根拠が薄い

と考えているが、はてなブックマーク

はてなブックマーク - 「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter

において、「『お疲れ様は目上にNG』という謎マナーマナー本(マナー講師)が広めた」というベースのもとでマナー本やマナー講師をののしっているブックマーカーは、

○実際に「お疲れ様は目上にNG」というマナー本を読んだか、マナー講師指導を受けたことがある

のか、

○「平成マナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張を鵜呑みにした

のかは、せめて教えてほしい。

ついでだ

杉村は同じtweetで、

それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。

と、あたかも、言葉遣いのマナーを追及している者も言葉遣いがなっていない、という含みを持たせた書き方をしている。

 

が、これは釈迦に説法だが、「違和感を感じる」は、話し言葉引用したコメント言葉)ならば別におかし表現ではないし、書き言葉としても、許容範囲内だと考える。

その破堤基準を一つ挙げると、「○○感を感じる」の前半の「感」を取ったとき表現違和感があるかどうかである

 

×不満感を感じる(不満を感じる、と表現しても違和感はない)

○一体感を感じる(一体を感じる、と表現すると違和感がある)

違和感を感じる(違和を感じる、と表現すると違和感がある)

一種ジョークとして「○○を感じる、と表現しても(すると)違和感がない(ある)」という書き方をしている。読みづらくしていることは謝りたい。

 

それなのに、

それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。

などと言うのは、これこそ無駄表現無駄なかせをはめる「新マナー」じゃないのかと。

2019-05-06

[]【5】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506094948




5일



5日目

釜山港へ帰るんだってばよ


明日帰国は早朝便だ。

ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。

釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光お土産購入、食べ残し釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。

まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。


地下鉄1番線に乗り、朝のチャガルチ駅に到着。

BIFF広場を通り抜け、裏の小売店街に向かう。

まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入路地工事

本当にやってるのだろうか。

路地クルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。

釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。

しばらく待って、トーストフルーツジュースを頼む。

卵とハムチーズが挟まれトーストは、洋食なのに滋味深かった。


シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。

チャガルチから程近い南浦洞のヨンジン両替所に向かう。

南浦洞は西面と並ぶ釜山繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。

午前の強い日差しの下を歩き、両替所に到着。

手元の3000円を両替する。

ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。


南浦から引き返し、港町釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。

広い市場では、いけすの中にカニエビなどがひしめき、山盛りに積まれサザエやホンビノスなどの貝類太刀魚などの魚、イカタコナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。

ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。

海が目の前だった。

海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。

韓国であっても、港では演歌流れるものらしい。


室内市場の脇の青空市場を歩いて抜ける。

ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。

漁師港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。

歩きながら日本韓国意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。

このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。

目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。

日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ち理解できる。



韓国青春グラフティ


市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。

バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。


実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。

市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道結構なのだ

「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。


カラフル屋根を一望できるカフェでまず一休み。

甘いカフェラテが身に染みる。

デッキではカップルロマンチック風景をバックに写真を撮っていた。


糖分を補給した後は高台散策

辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。

実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人存在が薄かった。

しかし、ここでは中国台湾ベトナムヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。

やはりというか、若い人、カップル10代の少女が多かった。

韓国民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。

多分ベトナムタイの人だ。

韓国友達を頼ってやって来たのだろうか。

まりに似合っていたので、写真を取らせてもらう事にした。

ピンク黄色、水色のスカートが風に揺れていた。


村の坂道階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。

興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服少女が同じく学生服少年写真を撮っていた。

青春ドラマのような光景に関心して咄嗟に一枚。

ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。

プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。



釜山餐丁・バタードーナツと血羊羹


たっぷり写真もとって満足したので、下山する。

さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバス運転が荒い。

座れてなかったら大変だった。


バスの最終停留所、チャガルチで降りて再び南浦洞へ。

チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓鈴の音が聞こえてくる。

デモだろうか。

韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。

時節柄、ちょっと緊張する。

からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。

彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。

音は此処からだ。

そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。

岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。


南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。

生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。

形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。

しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。

これも日本に持ってきたら流行るかも知れない。

でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。


さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートお土産を買う。

出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。

韓国即席麺大国なのだ


ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。

海に突き出した岩場に建つ寺院、海東龍宮寺に向かう。

なんとか時間的に間に合いそうだ。

ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。


地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。

山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。

とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。

異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。

バーガーキングカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。


ちょっと迷ったが、海雲台から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。

30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。

龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。

しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。

距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。

既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景写真に収めることができた。


満足したので引き返してバスを待つ。

やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。

椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれバスがなかなか進まない。

その上、運転が荒い。

急発進、急ブレーキ、急ハンドル

外国バス運転は概ねこんなものだと思ってはいものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。

このワイルド運転にも韓国若者涼しい顔をして立っている。

どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。

ユラユラ揺れる自分も、友達恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。


渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。

食べ残し最後ご当地グルメを目指す。


釜田の駅から程近い「カヤポヂャ ソンジクッパ」に入る。

釜山最後食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。

「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。

ごはんを入れながら食べる。

パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。

台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似料理があるという。

四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。

これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。


ホテルに戻って、荷物の整理をする。

個人的旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。

りある旅行であればあるほど、その傾向が出る。

今回もカメラレンズアクセサリーリング所在不明になった。

別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。

こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。

荷物の整理をして、この旅行記を書いたら時間は0:36分。

3時間程仮眠をしようと思う。寝過ごさないといいが。


【6・了】2019 春、韓国、釜山・光州  6日目|ありがとう/カムサハムニダ へ >>

[]【3】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506091403




3일



3日目

5月、1980 - 2019


日本でいうところの令和2日目。

光州の朝は晴天だ。

香港で見た夢は習近平麻生太郎が出てくるというぶっ飛んだものだったが、光州で見たのは同僚に「韓国旅行どうでした?」と聞かれて「良かったよ」と答えるという現実的ものだった。

今の所、インプレッションは上々だ。

今日はまず光州で起き、映画タクシー運転手」のテーマにもなった民主化運動記念碑が立つ、5.18記念公園に向かう。


オシャレだが簡素hotel stay 53では朝食もない。

行きすがら何か食べようと、街を歩くが、朝9:30の光州では空いている店もまばら。歩いている人も多くない。

やっぱりノンビリした街だなぁ。


見かけたカフェ今日最初の客として入る。

10代-20代前半の女の子レジにいた。

コーヒーチョコレートケーキを注文。

札を渡すと、彼女ちょっとレジ前でモタついた。

韓国ではキャッシュカードやT-money、普及中のバーコード決済でキャッシュレスが進んでいるという。

若い子は現金の扱いに慣れてないのかもしれなかった。


カフェを出て、5.18記念公園に向かう。

光州の街は人口で言えばちょうど京都市と同じくらいなのだが、緑が多さと人口密度の薄さを考えると、札幌市の印象に近い。

釜山で少し感じた大気汚染も、ここではあまり感じない。


しばらく歩くと公園に到着した。

民主化運動聖地というが、緑豊かな市民の憩いの場という感じで、丘状の公園の中腹にある人場では、設置された宙に浮いて足踏みをするタイプ運動器具でオバちゃん健康づくりに励んでいた。

予想外に日常的で平和光景に少し驚いたが、公園グルリと一周すると、3人の男性が宙に手を伸ばす民主化運動モニュメント出会った。

筋骨隆々としていて、さすがにちょっと理想化されてるんじゃないかと思ったが、その自由を求めて闘う表情には迫力があった。

モニュメントの裏に地下に進む階段があったので、降りてみる。

中に入って一瞬目を見張った。

地下の空間には一面にハングル名前が書かれていた。

この闘争で亡くなった人か。

平和光景の地下に、この日常を目指して亡くなった人たちの記憶が眠っている。


さすがに空腹になったので、近くの店に入ってソルロンタンで昼食をとる。

食べようとするとオバちゃんが丁寧に塩と胡椒を取ってくれる。

そうか、自分で味を調整するタイプか。

オバちゃんの指摘は優しく控えめな感じだった。

ネルギッシュな印象のある韓国人だが、光州の人はどこか柔和な感じがする。

8000ウォンを支払い、歩いて行けそうなカラフル集落、「青春発散村」に向かった。


20分ほど歩くと、川沿いの坂道カラフル集落が出現した。「青春発散村」だ。

坂道に張り付くような民家がカラフルペンアートで彩られている。

光州は民主化運動聖地であると同時に芸術の街でもある。

らしいと言えばらしいのだが、パステルカラーの家々ではどう見ても普通に生活が営まれており、どでかい少年コンクリ像のすぐそばの家から小学生程の少年が飛び出してくる。

学習塾か何かだろうか?

生活の場をカラフルに塗ってしまう行動力はスゲーなと思う。

メルヘン大盛りの集落少年時代を過ごしたあの子達は、どういう記憶でこの日々を振り返るのだろう。


路線番号518


当初の予定には無かったが、時間的に間に合いそうだったので、光州事件犠牲者眠る5.18民主墓地に向かう。

郊外、というか山の上なので、バスで行くしかない。

外国の市内バスは何が何だかからないのだが、このバスに限っては間違いようがない。多数の路線の中でただ1つの3桁ナンバーズバリ518なのだ


しばらく待ってやってきたバスに乗って市街を離れ山道を行く。

45分ほどの乗車で、バスは5.18民主墓地に到着した。

緑豊かな山の上に、モニュメントが建っている。

天を衝く槍のようなその下に、民主化に立ち上がって倒れた人々が眠る墓があった。

墓に近づくと、それぞれに小さな遺影が添えられている。

実際に顔がわかると、心に迫るものがあった。


しばらく墓地を見た後、構内の写真館に向かう。

民主化運動歴史写真があるのかと思ったが、全く違った。

仄暗い空間を見渡す限りの壁一面に、額に入った遺影が並べられていた。


下山バスに乗りながら、夕食について考える。

歩いたし、衝撃も受けたので腹も減っている。

コーヒーでも飲みながら友達SNSで話そうかと思ったが、夜に早い光州のこと、急がないとまた行きたい店が閉まってしまう。

バスを降りてすぐに光州松汀駅に向かった。

光州最後の夕食は、全羅南道名物トッカルビだ。


途中、T-moneyカードチャージしよう思ったが上手くいかない。

呼び出しボタンを押すとオバちゃんが現れた。

携帯翻訳でなんとか状況を伝えると、韓国語で説明してくる。

身振りぶりで行き先を示すと、切符の買い方や乗るべきホームまで教えてくれた。

相手が何語だろうと自国言葉で臆せず押し切るのは、万国共通のオバちゃんフォームなのかもしれなかった。

俺は一体この旅行記で何回「オバちゃん」というワードを書いたのだろう。


オーダーストップ前にたどり着いた「ビッゴウル トッカルビ」

トッカルビとはハンバーグ風の焼肉料理だ。

店に入っても日本メニューなどは無かったので、壁のハングルを指差して注文、相手はもちろんオバちゃんだ。

やがて、10皿ほどの小皿おかずと、牛モツ煮込みスープ、山盛りの青菜がやって来た。

すごい光景だが、まだメインのトッカルビは来てない。

やがて焼きたてのトッカルビがやって来た。

小皿キムチなどをつまみながら、トッカルビを青菜に包んで食う。

トッカルビは肉の味なのか、一緒に練りこんだ調味料の味なのか、少し甘い。

いい意味で見た目通りの味がする。

そしてキムチは辛い。

全羅南道キムチは辛いと聞いていたが、辛さのアタック力が日本で売られているキムチとは違うし、もっとシンプルな味がする。

韓国からしたら、日本キムチは辛くない上にしつこく感じるだろう。

テーブルに乗せられた料理は一瞬圧倒されそうな量だったが、空腹のためか、ついでに頼んだビール作用かどんどん食い進めることができた。

食の都といわれる光州、これだけ食えば上出来だ。

夜が明ければ再び高速バスに乗り、釜山に戻る。


【4】2019 春、韓国、釜山・光州  4日目|「強者の韓国」と「弱者の韓国」 へ >>

女系天皇側室復活よりも旧宮家復帰の可能性が高い理由

皇統の安定性のための施策は非常に燃えやす案件のため、かなり手遅れになるまで政治が本腰を入れて動くとは考えにくい

そう考えると、だ

1.女系天皇容認:今いる女性皇族が全員皇籍離脱してしまえばもうどうしようもない

2.側室制度の復活:今更復活しても効果があるとは限らない

3.旧宮家子孫の皇籍復帰:最悪、皇位が空になってからでも手を打てるので、最後まで選択肢として残る

というわけで、時間的余裕が最もある旧宮家復帰が最も可能性が高いと見る

2019-05-01

景気のために財政出動しろっていうけど、今、国がお金をつぎ込む領域って何があるのか

MMT理論話題になってるけど、具体的に財政出動して効果ありそうな分野なにがあるだろうか

土木インフラ

トンネルなど修理は行えば良さそう。

和歌山空港周辺にIT企業が集まってたり、北海道空港に近いと発展したりと、東京いか時間的に近いか重要視されつつある。

大阪だと夢洲空港作るなどできないだろうか。

ソフトウェア関係

製造業でいうところのマザーマシンがない状況と思われる。

変化が大事だということで常にウォッチをしているが、世の中の問題解決するために技術開発をしているのではないので後手になっている。

製造業

PLCモータ制御し物をどう移動させるか。

Amazonが強いのはWebPLCで物を動かしているところ。

2019-04-29

から抗拒不能はそういう意味じゃねえって言ってんだろ

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190428-00124121/

あかん絶望的に勘違いが解けてない人が多すぎる……

捜査に不備があったら事実関係なく無罪、というのなら納得できるが、だったら「無罪理由捜査の不備です」って前面に押し出して言うべきだよね。「抵抗できたはずだから」なんて妄言吐くから批判されるんで。

すごい良い記事と思う。けどそれとは別に、抗拒不能ではなかったと判断した裁判官に、司法絶対納得がいかない。強く言えない性格の人は犯されても泣き寝入りしてくださいねってどう考えても厳しすぎるだろ

嫌がっていた、同意してなかった事を立証するために、被害回避できていた事例や時期を証拠として挙げたら、それに基づいて「必ずしも断れなかったわけではない」と判断されるの、やる方に有利すぎでは。

抗拒不能ってそういう意味じゃねえから

みんな絶対、「抗拒不能」と「抵抗できなかった」を混同してるでしょ!

あなたたちが言ってるのは、強制性交罪の「暴行又は脅迫」にあたるかどうかって話だよね?

第177条

十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

今回父親から振るわれた暴力は、当たり前だけどここで言われる「暴行又は脅迫」に該当しますよ。

しか被害者は性的虐待を嫌がって逃げようとしていた。これは確実な有罪証拠になるでしょう。もしも強制性交罪で起訴されていたなら、ね。

でも今回、検察は準強制性交罪で起訴したわけですよ。

第178条

(省略)

人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。

ここでの「抗拒不能」って意味わかります? 「心神喪失」とセットになってるのがポイントね。

要するに、この条文は、「お酒でぐでんぐでんになってる」「睡眠薬で眠りこけてる」「心の病気でまともな判断能力がない」状態の人をレイプする罪なわけ。

そういう状態が「抗拒不能」ってこと。

じゃあ「抗拒不能ではない状態」ってどんな状態

意識がはっきりしている状態、正常な判断能力がある状態に決まっているじゃないですか。

日常用語の「抵抗できない」とは全然意味が違うの、わかります

「でも嫌がって逃げようとしてたじゃん!」って反応はおかしいわけですよ。逃げようとしたってことは、意識ははっきりしてたんでしょ? じゃあ「抗拒不能」じゃないよね、ってだけの話。

じゃあレイプし放題ってこと? もちろんそんなわけはない! だって意識が正常な人をレイプした人は、強制性交罪に問われるわけですからね。

その場合は、「殴られた」「脅迫された」という事実でもって「なるほどこれは日常用語でいうところの抵抗はできなかったですね。有罪」ってことになるはず。

でも、検察は今回「意識がはっきりしてない人をレイプした罪」である強制性交罪で起訴したわけ。

とすると、強制性交罪にあたっては有罪証拠になるはずの「嫌がっていた」「殴られていた」という事実は、どれも無罪証拠になりうる

なぜなら、それは全部、「抗拒不能ではなかった」=「意識ははっきりしていた」ことの証明になるから

意識がはっきりしていない人をレイプした罪」で起訴された以上、被害者の意識がはっきりしていることがわかったなら無罪にすべきでしょう。

あんパンを盗んだ罪で起訴された男が盗んだのは実はジャムパンだった」みたいなものです。あんパンを盗んだ罪で起訴されてしまった以上は無罪を言い渡すしかない。

繰り返すけど、意識がはっきりしている人をレイプする罪は別にあります。だから、これで性犯罪し放題とか言ってるコメントはまったくもっておかしい。

被告人が盗んだのはジャムパンだったから『あんパンを盗んだ罪』に関しては無罪」という判決に「あんパンなら盗んでいいのか!」「パンが盗み放題になるじゃないか!」って言ってるようなもの的外れにもほどがある。そりゃ、こんなこと言ってたら専門家から呆れられますわな。

こういうときはどうすればいいか? 訴因変更という手続きがあります(これは控訴せずとも一審の途中とかでもできます)。

要するに、検察側が、「ごめんごめん、起訴するときあんパンって言ってたけどやっぱりジャムパンだったわ。『ジャムパンを盗んだ罪』に変更します」と言えばいい。

なので、上訴審では訴因変更する可能性もあるんじゃないでしょうか。というか、控訴した以上はそうすると思う。

じゃあなんで検察最初に準強制性交罪で起訴たかっていうと、これは江川さんの記事にもある通り「長いあいだ親に支配されていてまともな判断能力がなかった」という点をもって「抗拒不能」と主張したかったんだろうなあと思います

酒やら睡眠薬やらの影響じゃなくても、正常な判断能力が壊れている、あるいは壊されている場合というのはありうるので、それに該当すると言いたかったんじゃないかと。

ところが今回の被害者さんは、親から逃げようと準備するとか、そういうまっとうな判断力が残されていたわけですね。

とすると、「まともな判断能力がない」という、罪を成り立たせる前提が疑わしいわけですよ。前提に疑いが生じたのなら無罪にするほかないでしょう。

どんな極悪人でも、起訴状に書いていないこと、検察官が主張していないことに基づいて有罪判決が下されるべきではない。

私も、今回の被害者さんの振る舞いを見る限り、彼女にはまともな判断能力はあったし、レイプを続けた父親は本当にクソ野郎だなと思うわけですが、からこそ、この事案は無罪にしないといけないんですよ。

なぜなら、父親は「まともな判断能力のない人をレイプした罪」で起訴されてしまたから。

レイプされた被害者にまともな判断能力があることが明らかにされたなら、「まともな判断能力のない人をレイプした罪」に問うことはできない。

当たり前ですね?

検察は『まともな判断能力がある人をレイプした罪』で起訴しろよ」うんうん、その通り。

そもそもなんでその2つの罪を分けてるんだろ。どっちもレイプだろ」お説ごもっとも。

裁判長おかしい! こいつを有罪しろ!」いやそのりくつはおかしい。

何度も言うけど、この件は無罪になるべきなんです。

だって嫌でしょ? そんな世界は。

裁判官が「起訴事実は多少不正確だけど、こいつ悪いやつだから有罪」なんて言う世界は嫌でしょ?

今回の事件は、どちらにせよ非常に胸くそ悪い事案で、有罪だろうが無罪だろうがこの被告人極悪人であることに変わりはない。

でも、だからといってこれで有罪にすることを認めてしまったらどうなるか?

もっと微妙な事案で、事件の成立の有無を分けるようなディテールの部分で、「うーん、細かいところはよくわかんないけど有罪!」になってしまうかもしれない。

そんな世界、望ましくないでしょ? え? 望ましい? そんな馬鹿な。

あなた本人が、あなたの親兄弟恋人が、テキトー事実認定有罪にされても同じことが言えますか。

繰り返すけど、文句を言う相手検察立法です。「準強制性交罪じゃなくて強制性交罪で起訴しろよ」「そもそもその2つの罪がなんで別なんだよ。統合しろよ」そういう主張は正当だし支持します。

でも、裁判官おかしい! 裁判官性教育を! なんて、矛先を間違えた主張にはまったくもって賛同できません。そういうの魔女狩りって言うと思うんですが。正しい判決を下しただけなのに訴追請求しろとまで言われてるの気の毒すぎるでしょ。

ということで何が言いたいかというと、

ってことです。

ぶこめ

学習性無気力症」は正常な判断がある状態と言えるか問題じゃね? 洗脳と言い換えてもいい。そりゃ酩酊昏睡ではないが、かと言って。

そういう理路で批判するなら理解できるんですが(検察もそういう判断から強制性交罪で起訴に踏み切ったんだと思いますし、無茶な考えというわけではないと思う)、明らかに「抗拒不能」の意味を「抵抗できない」って意味だと勘違いしてる人多すぎなんですよね。この増田はそういう勘違いへのカウンターなので、「抗拒不能」を正しく理解した上で文句を言うならご自由にどうぞと思います(でもその文句、つける意味あります? 準強制性交罪でも強制性交罪でも法定刑は同じなのに)。

過去継続的暴力、脅しは認定できても、「その」性交に向けた直接の暴行脅迫裏付けられないからこそじゃん?学部生なら努力賞だな。これに喜びを隠さない半可通ども↓は人間だったら反省しろ

補足。起訴された2性交事務所ラブホ記録で特定可能だった件)に対する直接の暴行脅迫はなく「暴行又は脅迫を用いて」の要件を満たさない。177条なら有罪になったはずとの増田の論は誤り。

そういう懸念はありえるところだと思います検察が準強制性交罪を適用したのもそういう懸念があるからかも)。ただ、滝本太郎弁護士が紹介されていた判例https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2545.html)によれば、強制性交罪も成立しそうに思えます

リンク先の内容を簡単に紹介すると、「2周間前に脅迫された女性が、脅迫してきた男に自分から連絡して性交した」という事例で、男は強姦罪有罪になっています。とすると脅迫暴行時間的に近接していなくとも構わないという理解になり、以前に暴力を振るわれていたから怖くて抵抗できなかった、もじゅうぶんに177条が成立しそうな気がするのですが、いかがでしょうか。

よくわかった。けど、準強制ウンタラ罪が適用できるケースってものすごく少なくなりそうだなとも。

強い酒飲ませて泥酔させたとか、飲み物睡眠薬仕込んで眠らせたとか、そういう事例はたまに聞きますが、軒並み準強制性交罪が適用されます

それは別にして、今回のケースでも法律が必ずしも犯罪に至るまでの過程までは拾えてないんだ。ってことで、これからはどうしようね。って話をしてる人も多いと思うんですけど。

ちょっと前に性犯罪関係法律が変わって、強姦罪強制性交罪になり、監護者等性交罪が新設されたので、けっこう拾えるようになっているのでは? 少なくとも、現在において18歳未満の娘と性交した父親はそれだけで罪に問われます

今回の件は、18歳未満での性交があったのは法改正前だから新法が適用されず、18歳以降の性交のみに絞って起訴するほかなかったというだけです。でも、これは性犯罪だろうが他の犯罪だろうが変わらない、近代社会大原則ですよね。

正直、今回の騒動ビックリしたのが、まるで性犯罪関係では司法はちっとも変わってないみたいな主張をしている人の存在です。2017年刑法改正性犯罪に関して議論を経て改正がなされたのは、性犯罪に多少なりとも興味があればジョーシキでしょ、って思ってました。まだ改革が足りない、という主張は賛否は別として理解できるんですが(不同意性交罪を作ろう、という議論はこれですよね)、これまで行われてきた改革を知らずに発言してるっぽい人はいったい何なの、と思います……好意的解釈すると2年前は性犯罪特に関心がなかったってことなんでしょうね。

やっぱ「逃げる」をどう処理すりゃいいんだという暗い気持ちがわく。多種多様暴力から逃げようと必死なのを、今は未来からひっ捕まえて正常だねと呼ぶしかない。背後に増田の威を借りてマウント連中が通る中で

逃げようと思えるくらいにはマトモな判断力が生きていた人を無理やり犯したのだから、上訴して強制性交罪に訴因変更して有罪判決を出してもらえばそれでよいのでは。

ただ、検察捜査方法がマズかったという話も出ているので、仮に訴因変更しても無罪判決になる可能性はありますね。それはもうどう考えても検察が悪いので仕方ない。今回の検察は録画・録音していたという点で相対的にいえばかなりマトモな部類に入ると思いますが、そんな人たちでも調書の捏造とかやっちゃうんだ……と慄然としました。じゃあマトモじゃない警察検察に捕まったらいったいどんな調書を作られちゃうの? 怖すぎでしょ。

正直、誰がどう考えても悪いやつだけど警察検察捜査過程で色々やらかしている、という案件については、積極的無罪を出していくべきだと思っています。これって冤罪なんじゃ……? というケースで無罪判決が出るのは当然だと思われてしまますが、どう考えても真犯人でひどい犯行をしている、という人が捜査手法理由無罪になるような案件が続けば危機感も生まれるでしょう。まあ、これは本題とは関係のない余談ですが。

増田の言うことは最も。どっちの罪に該当するか微妙とき横領窃盗とか)で、検察がどっちの罪に該当するかを間違えたら無罪ってのは制度瑕疵じゃないかと思う。裁判官責任ではないけど。

から予備的訴因というものが認められているし、必要なら訴因変更もできるわけですよね。別に一発勝負というわけではないので被告人人権侵害しない範囲で訴因を変更するなり追加するなりすればよいのでは(むちゃくちゃな訴因変更もありますけどね。過去冤罪事件だと、おいおいそりゃないだろ、というのが結構あります……最近だとオウム真理教事件菊地直子さんの裁判なんかがそれ)。

法律解釈的にはそうかもしれないし、大衆法律わかってないのもそうなんだが、「法治国家」が法をすり抜ける悪や、被害者の理不尽な敗北がまかり通る世界であってはいけないし、法の正当性が揺らぐと思う。

高校生とき冤罪問題を知って以来、「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」が法治国家原則であり法の理念だと強く信じています。私は、私が無実の罪で裁判にかけられたときに、圧倒的な力を持つ検察からなるべく守られる社会の方がいい。たとえそのために、真犯人無罪放免になったとしても。

知識解説はありがたいし司法役割冤罪問題は最もだが、暴力行為があったことは明らかな事件解説で「10人の真犯人を逃すとも」と持ち出すのは心ない言葉に思える。支持はできない。

何をおっしゃっているのかよくわからなかったんですが、ひょっとしてこの事件被告人が「一人の無辜」だと思ってます? そのフレーズは「一人の無辜有罪にしないためには十人の真犯人無罪になる仕組みであってもやむを得ない」という意味なんですが……

暴力根絶と冤罪防止はトレードオフではないぞ~

犯罪者の必罰と冤罪防止はトレードオフですね。裁判官を訴追しろとか無罪判決さないとか言ってる皆様は性犯罪者は必罰にせよって言ってるんでしょ? それは冤罪防止と矛盾します。

んで、準強制性行罪は無罪なのはわかった、疑わしきは被告人の有利にもわかった。んで被害者の人権はだれが、どうやって守るんだ?身の回りで同じ事がら起きたら自分はどうすればいいかわからん

じゃあなんで検察リスキーな準強制性交罪を使ったのかと、そういう状況でいったいどうやって被害女性を助ければよかったのか。

刑事裁判は「被害者の人権を守る場」でも「被害者を救済する場」でもないので……「被告人有罪にするかどうか決める場」であって、対決の構図は「圧倒的有利な国家権力である検察官vs.無力な一般人である被告人」なので……被害者の人権を守ったり救済したりするのはシェルターとか医療とか警察の早期介入とかなので……

「まともな判断力がない」「まともな判断力があるが死ぬ気で抵抗した」場合は罪に問えるけど、まともな判断力をもって抵抗を諦めた場合は罪に問えないのかしら/検察に厳しい立証責任が課せられてるのは分かった

たのむから    にほんごを    よんでください

どうやればこの増田から前段のような理解が出てくるのかマジで理解不能ですわ。 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-04-27

anond:20190427150431

Python仕事あるよ。しかも将来性ではRubyより上。

ただ、現時点ではRubyの方が仕事多い。

さらに、PHPの方が現時点では仕事が見つけやすい。(けど将来性では不安だ)

とりあえずPHP仕事を始めて、そのうち折を見てRuby勉強してみるというのが手っ取り早いかも。

でも、勉強の順番としてはPythonから入るのが良さそう。(時間的に余裕があれば)

会社トイレ当番が辛い

新卒入社して1ヶ月が経とうとしている。

ベンチャーで、大きな会社ではないので新卒は男女合わせても5名だ。

業務のほうは覚えることも多いがそれなりに楽しいと思う。

しかし、新卒社員には通常業務の他にトイレ当番が課されている。これが辛い。

男性は2名しかおらず、2日に1回トイレ当番が回って来る。


定時だと朝9:00から始業だが、30分くらい前から徐々に人が増え始める。

から人が来始める前、さらにその30分くらい前には出社して、トイレを一つ一つ清掃する必要がある。

この掃除は一応、業務時間内にやっていいことになっている。

しかし、他の人が仕事トイレに来た時に掃除している姿を見せるのは嫌だし、これまでもほとんどの人が朝早く来てやって来たようだ。

実際、人が多い時間掃除しようと思うと、トイレが埋まっていたりして掃除できない箇所が発生する可能性がある。その場合、また時間を置いて掃除しに回らないといけない。

そう考えると人がいない朝の時間帯に作業しておくのが最善策になる。

これをあと11ヶ月続けると思うと、辛い。


えぐられているのは精神的、時間的なところだけではない。物質的にもだ。

掃除をするからといって、着替える訳ではない。基本的には普段の格好のまま、長靴ゴム手袋を使って掃除する。

から仕事中は汚らしいものを身にまとっている感覚がすごくある。

来年4月になったら今仕事に着ていっている服は捨てようと思う。


トイレ掃除から得るものがあまりにも無さすぎる。

これを1年続けたらお坊さんみたいな気持ちになれるんですか?

2019-04-26

東大生の母が上野千鶴子祝辞を読んで思ったこと。

我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎公立中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。

夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベル経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベル生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。

実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。

彼は「東大なら自分能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?

いわゆる裕福な家庭で小さなから学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。

上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症マザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者からまれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者仕事では。

人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学価値を高めていくのではないだろうか。

2019-04-14

オナニー依存から脱却した話

30代の男です。こんな話は匿名しかできないので日記として書き残します。

何度か書き込んだことがありますが、私は平日に3~4回。休日には最低でも15回くらいオナニー

するようになりました。理由仕事ストレスです。

上司からは常に「あの案件どうなっている」と聞かれ続けましたが、その度に「まだ終わっていません」

という報告ばかりでした。終わっていない理由は、大量に仕事を回されていたからです。

それについて残業対応するなどしていますが、きりがありません。

「なぜ終わっていないのか」「今後どうするのか対策を考えるように」などと言われましたが

それでも終わりません。これは20代入社たこからずっと代わりませんでした。

事あるごとに新しい仕事を与えられていき、まだ終わっていない案件があることを伝えて

時間的に厳しいという事を伝えても、それくらいできるだろうの一辺倒でした。

   

このようなことが原因で、気が付くと家に帰ったらひたすらオナニーをするようになっていました。

特に数が増えてきたのはここ数年ですが、日ごろのストレスはどんどん溜まっていきました。

自分仕事ができないからこうなのかと、思いました。

最初のうちはオナニーの回数を数えるなんて馬鹿らしいと思っていましたが、回数が多すぎるので

どのくらいやっているんだろうかと考えて数えてみたら、日曜日23回もしたことがありました。

どう考えても異常だと思いました。透明な液がほんの少し出る程度になってもずっとし続けたのです。

  

私は依存症だ、これはもう危険だと思いました。性依存症のうちの一種だろうと自己判断しました。

そして私は、退職する準備をしました。よく仕事をしながら転職活動をするのがいいと聞きます

私の場合はそれは難しいと判断しました。まともに有休すらとれないような状況下だったからです。

  

しかし、仕事を辞めるという決意をするのも時間がかかりました。失業者になるのですから

幸いなことにある程度蓄えがありますが、それが無くなったときのことを考えると、不安で仕方がありませんでした。

ですが、尋常ではないオナニーの回数が更に増えることを想定するともはや一刻を争うべき問題でした。

  

そして準備をし続け、上司に対して退職願を出しました。

この時「今辞められたら困る」と、狼狽した上司の顔を始めてみました。

そして上司とその更に上の上司を交えた協議が始まりました。

  

私は「業務過多で疲労困憊になっています。これ以上仕事継続することは不可能です。」

という旨の説明しましたが、ここから上司たちは私に対して色々と言い続けました。

「どこの会社でも同じような仕事量がある」とか「この状況で辞められて会社迷惑をかけるという意識が無いのか」

というものです。だから私は、自分業務量が多すぎることに対して、資料を用意したので二人に提出しました。

これができない理由だと説明しました。そうしたら、上司の上の上司、つまり部長ですが、

「これは、多すぎじゃないのか?手持ち業務は10件以内に抑えるようにって言ってたはずだが」

などと、意味ありげ言葉を口にしました。私が担当していた案件は24件でした。その前に2件終了させましたが

常に20件はある状態でした。

  

人手不足なので他にまわせなかったもので」

と、上司がまたしても狼狽しました。この時点で私はようやく気が付きました。

この上司自分がやらなきゃいけないはずの案件も私にまわしていたな、と。

まり、私は自分担当分以上の事を、させられ続けてきたということなんだとここではっきり理解しました。

私は、ここで自分洗脳されていたんだということをようやく理解したのです。

  

この後「業務量を調整するから会社に残らないか」という話を出されましたが、私はこの時

「いいえ。今残っていても私がやれることはないと思います。それに決めましたので」ということを明確に伝えました。

その後、ひと悶着ありましたが、私は有休を消化した後に会社を辞めました。

  

会社を辞めるという不安があったものの、家に帰ると。

一回もオナニーしませんでした。次の日も、その次の日もです。

家にいる時は、ひたすらオナニーばかりしていた時間が0になったのです。

頭が重かったのに、体が重かったのに、心が沈んでいたのに、朝起きられなかったのに

全てが解決したのです。

  

こうして私は、今年の3月末に会社退職しました。今は再就職活動中です。

貯金の事は心配ですが、毎日毎日オナニーしていた頃と比べたら気分は明るいです。

尋常ではないくらい体が軽くなったのです。勢いあまって、10kmほどランニングしてしまったほどです。

こうして、会社を辞めたことで私はオナニー依存から脱却することができました。

そして、ストレスを抱え込む。これこそが病気になる理由なのだと私は理解しました。

そんなもの毎日抱えて生きるということは健康で文化的な最低限度の生活ではありません。

  

私はこの後転職できたら、同様の事があった場合、出来ないことは、はっきりとできない事を伝え

できることを伝えられる人間になりたいと思います

ここまで読んでいただきありがとうございました。

最後に書き残しておきます

東京神田周辺にある会社でした。月の平均残業時間が80時間を超えるなどザラでした(サービス残業)

男女平等の5:5比率」の中にいない自分

東大祝辞を読んで、どう受け止めたらいいのか考えている兼業主婦です。

いや、東大祝辞はあまり関係ないのかも…ずっと感じていたことのメモ

まだまだ、男尊女卑があって、女性評価されない社会なんだろうなと思っています

医大不正なんて、ああやっぱりと。

その一方で、私のような「学歴」や「仕事」をそもそも選択しなかった「母親」という女は、どこの数にも入れて貰えていないなぁ…といつも感じています

父親家事育児分担するべき、という風潮ありがたいです。

夫はとてもよく(時に私より)家事しますし、育児などは子供かわいさで率先してやっています

兄も、弟も、結婚して子供が産まれて、驚くほど家庭に関わっています

きっと、昔よりずっと主婦や妻や母は、家事育児自分だけでやらなきゃいけない、という思い込みを無くせてきているのでは。

それでも、

それでも、やっぱり産むのは母親です。

10ヶ月の妊娠期間、自分身体自分のものでないような状態になります

つわりはじめマイナートラブル切迫流産心理的プレッシャー…、これは産む性として仕方のないことです。

そして産んでから1ヶ月はまともに動けず、そして一年かけて身体を正常な状態に戻していきます

そしてこの期間、仕事に専念できなかったり、仕事をやめたり、休んだり、重要立場から遠ざかったり…キャリアは止まります

夫は育休を取ってくれました。

しかし、産んだ本人の私も身体のために一年仕事から離れました。

二子が産まれます

私はまたつわり休み産休をとり、育休をとり、キャリアは止まります

私は、結婚出産願望があり進学を選びませんでした。

どちらか、を選ばなければいけないと思ったからです。

両方選ぶことももちろん可能でした。しかし以下のことを考えた結果でした。

大学大学院への希望もありました、研究がしたい、でも卒業して就職して、あっという間に高齢出産の35歳。

きっとその頃には仕事が楽しく忙しい、いや、仕事で苦しんで他のなにも手につかないかも。

そして、私は三人子供が欲しいと思っています

10ヶ月妊娠さらに1年休む…復職してしばらく働きまた妊娠

これを三回繰り返すことを思うと、院まで進めば高齢出産リスクになるだろうことや、休みながらの専門的な職業は難しいのではと思い、決断したことです。

現在職業も、妊娠トラブルでも休めるような、辞めるとしても誰でも代わりがいそうな事務を選びました。役職もありません。

多くのフェミニストたちは、進学率や、就職率、管理職比率の男女比を5:5にしたいと思っているのかもしれません。

でもそれは、私のような産む選択をした母親たちにも「進学するべき」「働くべき」「昇進するべき」と言っているようで、時々苦しくなります

産むという女特有選択をしたばっかりに、男女平等の足を引っ張っていると言われているようで。

産まない選択も、産む選択自由で、自己責任です。

キャリア出産どちらもこなす人もいます

高齢出産でも無事に産める人もいます

産んでから夫婦役割として話し合い、納得して専業主婦になる人もいます

産んでから復職したくて、夫が家事育児をして母親キャリアを積んでいく人もいます

でもやっぱり、産む人には妊娠期間と産後は×子供の数だけ、必ず年単位であります

自分で選んだのだから、これは仕方のないことです。

でも、できればその産む選択をした母親出産に専念し、身体を休めている間のことを、「女性差別されて進学や会社の中に入れなかった被差別者」としてカウントして欲しくないんです。

その学校のなか、その会社のなか、その職業のなかで男女比が偏っていたとして、女性が少ないことをみんな差別だと感じるのはごく自然だと思います

でも、社会構成員として、私たち母親も数えて入れてほしい。働いてないけど、進学してないけど、ここにいます

女性の半分が産まない選択をして進学やキャリアの道を突き進んで行っても、残りの半分の女性が産む選択をして、そこから自分下りることを許してほしい。

5:2.5:2.5であることも許してほしい。

祝辞で語られたような女性差別や、男女どちらでも性別による差別は本当になくなればいいと思っています

その人個人が望む道へ、選択へ進むことに、障害が少なくなればいい。

から文句をつけられることなく。

子供たちが育ったあと、私もまた学問や、専門的な仕事へ挑戦するかもしれません。

あるいは、三人目を産み、専業主婦になるかもしれません。

あるいは、体力がもうなくなりこのまま事務を続けて趣味などで余生を過ごすかもしれない。

ただ、いまは、子供たちを安全に産むことが望みです。その間も、「社会構成員としての数」に数えてもらえたら嬉しい。

勝手子供産んだくせにと言われる昨今、それでも私は産む選択しました。

子供たちの命と未来に、責任をもって。

重大な仕事だと、信じて選びました。

それでも、私という女を、進学させ働かせ昇進させなければ男女5:5を達成できないと言うなら、あんまりにもしんどいです。

しんどいです。

疲れちゃいます

走り書きでごめんなさい。

※※※※※※🙋

4/14

色々なコメントありがとうございます

勘違い…気のせい…そうなのかも知れませんね。私の気持ちのなかだけの問題なのかもしれません。

専業主婦勘違いされている方もいらっしゃいますが、兼業主婦です。

フルタイム残業なし定時勤務。負担少なめな毎日同じ書類事務

男性三人女性三人でやっています(半々ですね!)

第一子は女の子ですが、三人産んでもみんな大学へ行きたいと言っても叶えてあげられるように共働きです。

夫は家事育児もよくします(手伝ってくれる、ではなく自身責任のように)。

そういう意味で、夫は兼業主夫ですね。話し合い、経済的にも夫は管理職を目指すということで、今後は私が主に家事を担うでしょう。

女性けが育児家事選択できる、または押し付けられる、とは微塵も思いませんし、夫婦間でその割合は働き方や経済力を考えて家族ごと、自由に取り決めたら良いものだと思っています

男性が私のような選択をしてもいいはずです。

なので、「家事育児を私(母親)」という話は記事でもしませんでした、あくまでも産前産後の肉体的な、男性に半分分けられない部分の負担のことです。

育児のこと?と思われた方も多いかも知れませんが、もちろん夫婦二人で分けあっても育児は大変なものでしたが、産前から切迫流産入院産後も輸血、子宮復古不全などという肉体的な休息や回復期間のままならない身体…、その間仕事のことを気にしなくていいのは気が少し楽でした。

ご指摘の通り、夫や家族職場にも幸運にも恵まれて、私の望む選択の結果としてとてもよい環境だと思います

なので、進学や仕事に関する選択に恨みがあるとか、後悔があるということでは全くないのです。

ただ、もっと大変で不幸で、選択が上手くいかなかった人も、選べなかった人もいるのだから、好運なあなたは黙っていなさい、と口を塞がないで欲しい。

この世で最も不幸なただ一人だけが、望み求めることを許されるのでしょうか。

産んでもキャリアに戻れるような制度、とても大切だと思います

産みたい、それが仕事でも進みたい気持ちを妨げるものにならないように。

産んだあとに挑戦できる、学び直せる、専門的に働ける、そんな社会がいいなと思いますし、私の周囲にもそんな選択をした人もいます

私の母などは、40歳准看護師になりました。

しかし今の私個人はそこではなくて…

休んで止まっている空白のキャリアに、産む選択をせず休まなかった人に劣らない「補填」を求めているわけではいんです。

(もちろん、その補填必要とする方もいます出産リスクだけ、損だけだと思われるのはおかしい)

私の選択は、肉体的、精神的、時間的負担仕事に大きく割かない、10年かけて子どもを三人産み、その子供たちが進学の選択をしたいときに選ばせてあげられるだけ夫婦で働く、という選択でした。

この選択と、いまだ試行錯誤している家庭生活バランスとれてるぞ!とホッとしている産後自分、これが弱い弱い女性被害者の姿だと数えられたらとても、かなしい。

これが、被害者弱者です。恵まれた人は彼女たちを救ってあげなさい、ほら、と指差されたような。

そんな悲しい気持ちの、私の気持ちだけの、記録でした。

2019-04-07

一人旅がしたい

現在40代半ば。

最後に一人で旅行に行ったのは、たぶん20代後半、中途入社した会社ではじめて賞与が出たときだったか

その後結婚して、子供も産まれて、仕事も忙しくなり。

経済的にも時間的にも余裕はなくなり、頑張って旅行に行くとしても当然家族旅行で、一人旅なんて選択肢はあり得なかった。

今でもそうだ。

でも、たまに考えるんだよ。

大雑把な行先だけ決めて、バックパック一つとカメラを持って。

ローカル線にゴトゴト揺られて、気が向いた駅で降りる。無人駅だとなおいい。

カメラ片手にぶらぶらと歩き、目についた店で食事して。

観光名所に行ってもいいし、なければ地元の人たちの生活が感じられるような商店街を歩くだけでもいい。

宿も予約などせず、行き当たりばったりで決めるんだ。

安いビジネスホテルでもいい。ぼろぼろの民宿でもいい。

見知らぬ土地の見知らぬ宿で一人過ごす。

そんな旅行がしたい。

子供独立して、今の会社定年退職して。

お金を貯めておいたら、何とか行けるかなぁ。

10年先か、もっとか。

いつかそんな旅行がしたいなぁ。

------

追記

気がついたら沢山コメントついててびっくりした。

「すぐ行け」的なご意見が多かったですが、うちは嫁さんが専業主婦で、自分の稼ぎもそんなに多くないため貧乏なのです。

なのでたった数万でも、自分の楽しみだけに使うのは気が引けます・・・

安く上げる方法提案してもらったので、まずは近場で日帰りとか、なるべくお金のかからない方法を考えて嫁さんに相談してみようと思います

夫婦で交代でやりたいことをやる時間を作るとかもいいと思いました。

みなさんありがとう

2019-04-05

子供ができない

自分:34歳♂

妻 :32歳♀

妊活の始まり夫婦の溝

約5年前から妊活を始めた。

当時は妻の方が妊活に前のめりで、仕事で実績を作りたかった自分はあまり積極的にはなれなかった。

たった1回だけ精液検査して、若干運動率が低い(50%前後ものの、数もめっちゃあり、そんなに問題が無いことを知ってほっとした。

それもあって、自分は何もしなかった。

毎日基礎体温を測りアプリに記録する妻。

今日こそは!という日に限って自分の帰りは午前様

イライラが募る妻と、仕事優先だった自分との間にはどんどん溝が深まっていく。

ある日、「もう、どうしたらいいの!?」と泣き叫んできた妻に対して、水をさすようなことを言った。

「今はそんなに子供欲しくない。」

しばらく口を聞いてくれなかった。

セックスレスと9回の人工授精

2年ほど前に異動になり、仕事の内容が変わった。時間的な余裕もできた。

と同時に周りの友人や同僚には子供が生まれてくる。中には2人目3人目の家庭もあった。

少し焦りを感じた。

幸い、自分の両親・義父母からプレッシャーは全くなかった。

(義父母には気を使ってもらっていたのだと思う。)

一緒にクリニックに通い始めた。

仕事で忙しかったり、自分気持ちが向いてなかったりで、タイミングがうまく取れなかったことを医師に伝えた。

お互いにいろんな検査をした。

自分運動率が若干低い(40〜50%)以外、何もなかった。

妻にも異常はなかった。

ただ、このころから普通セックスができなくなっていた。

ここぞというタイミングで出さなければいけないプレッシャー

出なかった時の罪悪感。

もともと性欲が強いわけでもないので、さら消極的になっていった。

程なくして、人工授精AIH)を始めた。

抵抗はあまりなかった。

AIHをすれば、すぐにできると思っていた。

一回につき2〜3万円かかるが、2〜3回もやれば妊娠するだろうと思っていた。


結果、9打席ノーヒットノーランだった。

回を重ねる毎に、妻の気持ちは沈んでいった。

徐々に、自分も、普通じゃ無いのかな?と思い始めた。

3回目のAIHの頃、妻は仕事をやめた。妊活との両立は精神的にもたないと思った。

世帯収入は激減した。生活は変わったけど、それでよかった。

体外受精を前にして

医師からは、体外受精(IVF)を勧められた。

と同時に、女性への負担がかなりかかることも説明された。

生理からの投薬と注射毎日、家とクリニックの往復。

妻は恐怖を感じていた。

AIHを始めてから10ヶ月が経った。

僕はさらに焦りを感じていた。その焦りは妻に伝わっていたんだと思う。

IVF始めないか?と妻に言ったところ、こう言われた。

「辛い思いしてまで、今そんなに子供が欲しくなくなってきた。」

3年前に自分が妻に言ったことが、ほぼそのまま返ってきた。

不妊治療のお休みとこれから

今、5ヶ月ほど不妊治療をお休みしている。

お互いに、このことをあまり意識しないようにしている。

自分仕事をほどほどに、妻も習い事家事に専念しながらのびのびしている様子。

先日、こっそり精液検査をした。

精液検査の結果、運動率は30%台まで落ちていた。

いわゆる、精子無力症基準に入ることになる。



当時、妻の気持ちになって考え一緒に行動しなかったことをとても後悔している。

と同時に、男にも時間制限があることを知り、限られた時間の中でこれからどうしていくかを考えなければならない。

ここまで一緒にいてくれた妻に感謝しつつ、もう一度夫婦で話し合って、この先のことを決めていきたいと思う。


また、男性不妊が意外と身近にあることを身をもって知らされた。

これから子供を望むカップルには,ぜひ男性も早めに検査しておくことをお勧めしたい。

anond:20190405003610

よく規則正しい生活時間的に)って言うけどなかなか出来ないよね

自分ひどいときには一日18時間くらい寝てた

夕方6時から12時までしか起きていられなかった

外出したのすごいね

病院帰ってきたらゆっくりしてね

2019-03-28

anond:20190328112358

もう言及されてるけど全額保証効くから流出しても何も損ないよ。

時間的損失はあるけど...

増田のおかげで気づいた。

ポイントキャッシュバックって言われても、使いすぎちゃうって人はそもそも利用履歴とかを確認すらしていないんだな

不正利用されても気づかないかもってそういうことだよね...?

anond:20190324085529

こっそり少しだけ補足するね。

放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。

それこそ女性専用車両文句言ってる増田かいるじゃないか

うん、そうだね。それについては「区別曖昧なのを利用して騒ぎ立てる人間がいる」という言い方で、すでに言及してる。

それを踏まえて、「何か起きる/何も起きない」ということを、私はもっと大きく「歴史がそれで動くかどうか」というレベルで話をしてる。100年後、男女間で戦争かそれに近い状態になっているなら、それは歴史的に「何か起きた」ということだから女性専用車両差別だったってことになるんだろう。そうならないなら(つまり長い目で見て何も起こらないなら)、いくら一時的に)多少騒ぎ立てる人がいたところで、そんなのは差別じゃない。私が言ってるのはそういうこと。それを審判するのは歴史だということ。

だいたい今の差別とされているものだって昔は正当な区別だったのが、後付けで遡及的にあっやっぱりこれ差別でしたってことになっただけだろうが

から差別区別、不当と正当のはっきりした境界なんてないし、せいぜいが単なる力関係の結果に過ぎない、時代が変わればコロコロ変わるのだってそのせい

前半と後半は、「だから」でつなげない。そこには論理性がないよね。後付けで分かったことが全て「単なる力関係の結果に過ぎない」と言えるなら、地動説だってそうだってことになるよ。後から長い胃時間をかけて正しさが判明することだって世の中にはたくさんある。というより、ほとんどがそう。

差別放置することは、誰にとっても利がない。

そしてこれだって単なる都合のいいフィクションしかない

差別で得する奴」も「区別で損する奴」もいるけど、そいつらはパワーゲームに負けたか無視されてるだけなんだよ

うん。分かってないね。私が言ってるのも、ほぼほぼ「パワーゲームですよね」って話だよ? ただそのスパンを100年とか1000年という幅で取っているだけで。

一時的に、君の言う「パワーゲーム」に負けた人たちも、歴史の中でいつか復讐を果たすよ。あるいは、負けた人たち自体が滅びたとしても、「誰かを差別して利得を得た」という事実をもって勝者を攻撃する人が消えることはなく、いつか誰かが代わって復讐を果たす。永遠に誰の恨みも買わないで不当な利得だけを延々と貪る、なんてことが可能だと思うかね? 「公正さ」を求める人間本能から言って、そういう話に私は余り信憑性を感じない。無理に差別区別と言いつくろったところでその嘘はやがて崩壊するんだ。だから一時的にパワーゲームで押さえつけても無駄であり差別される人だけでなく差別する側にも利がないよ、というのが「誰にとっても」の意味するところだ。いくら生きているうちに俺様偉いと叫んで人に頭を下げさせたところで、死んだ後で「あいつは差別者のどクズだった」という評価が定着し、子孫に至るまで「差別者のどクズの子孫でありその利得をすする存在」としてその借金を払い続ける日々、そんな目に遭いたいのかね?

まり、君に見えている現実は、今生きている人だけの現実。私が述べているのは、もっと時間的な幅の大きな現実。それを「フィクション」と呼ぶのは君の自由だし、実際私にも1000年の寿命があるわけじゃないか事実証明しろと言われても当然できないんだけど、少なくともただのフィクションよりは遙かに確信をもって私はそうなる方に賭けることができるよ。


差別をすれば復讐される。」「そして、復讐が(歴史の中で)発生しないのは、それが差別ではないから。」「よって、差別は誰にも利がない。」…というのは、つまりそういうこと。

ちなみに、この話を私は、1000年というスパンで考えるべきある対象イメージしながら書いている。けど、それはまた別な議論になってしまうからここでは述べないよ。

2019-03-23

かに縛られていた方が充実感はある

小、中、高校大学自由校風学校に通ってきたが、充実してた順は中≧小>高>大だったように思う。

小、中学校自由校風だったとはいえ義務教育なこともあり親や先生監視比較的厳しいものだった。宿題はきっちり出され、遅刻も出来ない。あんまり夜遅くまで外で遊べないし、夜更かしも出来なかった。

高校生になると自由度が格段に上がった。親も先生大分緩くなったし、自分物事を決めることが増えた。それでもまだ未成年だったため、多くの物事において親の許可必要だったし、親に逆らえる立場でもなかった。

大学に入り、一人暮らしを始めるとほぼ完全に自由の身となった。授業をサボっても怒られない、夜遅くまで飲みに行けた。大学3年にもなるとほとんど授業もなければバイトもあまり入れておらず、その上親から仕送りも十分あったため、生きる上での「制約」みたいなものが全くなかったように思う。

かに大学の頃は楽しかった。金銭的にも時間的にも恵まれ人生で一番自由に遊んで過ごした。

しかし、「充実感」というものは全く感じられなかった。

元々、私は人にやれと言われないと何もできないタイプで、勉強部活も、親や教師といった監視の目があったからこそ出来たものだった。

それが、高校大学監視の目が緩くなり、それらに縛られることもなくなると、私は何もしなくなった。

何もしなくなると、人生における充足感のようなものがなくなった。

自分の思うままに遊んでいても、何も達成できなかった。

そして何となく人生が物足りないまま社会人になった。

社会人になると、完全に自立した身分となる。会社で働くようになった分、「制約」は高校大学の頃よりキツくなったが、学生の頃との大きな違いは「制約」を自分で拒むことができる点だろう。

会社が嫌ならやめればいい、親に何か言われたら逃げてもいい。

眠くて何書いてるのか分からなくなってきた。

とりあえず、「自分を縛るものがあったほうが人生は輝くのではないか?ただ縛られることってしんどいし、社会人になると縛るものを拒むこともできる。でも拒んで人生が物足りなくなるのは怖いな」ということです。

どうでもいいけど私が物理的に縛られることが好きなマゾであることと人生かに縛られてたほうが充実感はあると思う考え方はもしかしてリンクしてるのかな?

2019-03-17

anond:20190316112313

私も一般的には「夜間」と呼ばれる学部を出たけれど、昼に何をするかが大事かと。

昼間部の講義モグってみるもよし(大教室特にモグやすい)、(もしあれば)近隣大学間の単位交換制度正規に他大学講義を受講してみるもよし。

活動時間的に合わなくて学内サークルに参加できなかったのが残念といえば残念ではあるけれど、講義を通して色々な世代の人と同じ学生として知り合えたのは得難い体験でした。

耐え忍ぶのではなく、楽しむ気持ちで行けば、きっと得るものはあると思いますよ。

2019-03-15

産後セックスレスについて

産後セックスレス、性欲がなくなるとかもあるんだろうけど

時間的タイミングとかお互いの疲労とか、物理的な要因がきっかけでズルズル行ってしまうのでは

と出勤前のスキマ時間セックスをした後ふと思った

2019-03-14

anond:20190314074426

ああ、一族経営とはいえ、全体を見て判断してたのに、コスト意識だ!効率化だ!という馬鹿が入ってきた組織か、、、、。

目的のものを強くするために不要仕事を減らすというのならわかる。けど、えてして「何を強くするか」を意識していないからな。

そして、大学教育研究という評価が難しく、かつ、時間的に相反するものを抱えている。評価が難しいがゆえに鱗片的な座標で強引な改革なんてものがしばしば横行する。

で、「自分仕事に集中して弱くて自己主張しない奴」に仕事押し付けると。鱗片しか見てない指標「だけ」で見て、全体最適化を失わせると。

問題は、大学回りは本家本元の文部科学省もそれだからたちが悪いんだよね、、、。

こうして1つ有意義学校が消えたと。

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