はてなキーワード: 副市長とは
YouTubeでパレスチナとイスラエルの歴史を学ぼうと思ったら、英語で検索するに限る。
(本当はアラビア語とヘブライ語もわかれば最善なのかもしれないけど、ハードルが高すぎる)
ここ数日でたくさんたくさん視聴したので、中でも良質なものを紹介していきたい。
(実際に動画を見ずとも、紹介文だけでも読んでって)
1920年のパレスチナ: もう一方のパレスチナ人の物語 (字幕なし)
Al Jazeera English - Palestine 1920: The Other Side of the Palestinian Story | Al Jazeera World Documentary (47:17)
今でもユダヤが盛んに引用する、かつてのスローガン「土地のない人々のための、人々のいない土地 (A land without a people for a people without a land)」は、シオニストによる幻想である、というのが動画の主題だろう。パレスチナで健全な経済活動が発展していた証として、1934年の地元のアラビア語の新聞で「鉄道が5分遅れた」ことが報道されているというのが興味深い。
また、「パレスチナ人は国家を持ったことがない」との主張もよく見られるが、それには「今のイスラエルがしているような土地の奪取や抑圧がなかったからだ」という反論もまた定番で、この動画内でもオスマン帝国時代にパレスチナが議席を持っていたことが紹介されている。
イスラエル - 国家の誕生 (公式英語字幕あり = 自動翻訳の日本語字幕に切り替えても精度が高い)
DW Documentary - Israel - Birth of a state | DW Documentary (51:56)
※11月11日現在、動画が非公開になっている。直前までTwitterで言及があるので、ごく最近に非公開になったばかりか?ただしチャンネル内のイスラエル関連の動画全体が非公開になっているわけではなく、批判的な内容の動画も残されている。→DW Documentary - Israel Palestine
イスラエルの建国をイギリスによるお墨付きとしたバルフォア宣言の、但し書きとも言える「もちろん、パレスチナにもともと住んでいる非ユダヤ人の市民的・宗教的な権利が侵害されるべきではないことは明白である」という一節が、現代にむなしく響いている。
ドイツならホロコーストへの負い目があってもおかしくないとも思えるが、番組としてはユダヤ人のシオニズムに批判的である。もっとも、「ユダヤ人の排斥」という共通の関心の元に、パレスチナとナチスドイツに親交があったという歴史の側面も紹介されている。
なお、動画の公開は今年の5月だったが、ハマスの奇襲攻撃を受けてなのか10月13日に動画のタイトルが「Birth of a state (国家の誕生)」から「Story of a contested country (論争を呼ぶ国の物語)」に替えられたあと、10月20日にふたたび元に戻されたという経緯があるようだ。
どうしてイスラエル人入植者は紛争地であることを気に留めないのか (公式英語字幕あり)
Vox - Why Israeli settlements don’t feel like a conflict zone | Settlements Part II (10:56)
アメリカ新興メディアVoxによる、今も進むイスラエル人による西岸地区への入植の解説と当事者インタビュー。
大きく分けて、イスラエル政府やアメリカ資本の支援を受けた大規模な入植事業によるものと、宗教的信念に駆り立てられた個人・家族レベルの草の根入植が同時に進んでいる。エルサレムを含む西岸地区全体が「神が我々に与えた土地なのだ」という理念が、世俗的な入植動機の建て前としても、シオニズム信奉者の原理主義としても、お上から下々まで一貫していることに恐怖さえ感じる。
アメリカ新興メディアVICEによる、エルサレムにおける強権的な入植活動の実態。
いわゆる「入植地」とは違って、エルサレムにおいては一軒一軒の家単位での入植が進んでいる。一等地にはパレスチナ人に対して大金を提示することもあるようだが、この動画で紹介されているのは、入植者に都合よく作られた法律と軍隊に守られて、パレスチナ人を追い出してユダヤ人が住み着いてしまうという事例。
イスラエル側の副市長が、悪びれもせず「(イスラムの聖地である)岩のドームのある場所に、(ユダヤの悲願である)エルサレムの第三神殿を建てるのが夢だ、我々の世代のうちに」と語っている。
Rick Steves' Europe - Rick Steves' The Holy Land: Israelis and Palestinians Today (56:46)
ヨーロッパを中心に各国を旅する人気番組。この回では現代のイスラエル・パレスチナの各地を訪れ、ガイドや地元の人々との会話を交えながら、歴史と文化を紹介している。
近代の戦争の歴史やヨルダン川西岸地区での入植や抑圧の問題にもしっかり触れているが、全体としてはイスラエルとパレスチナの人々の活気にあふれた明るい側面を見せてくれる点で、YouTubeの中では貴重な資料。しかしいっぽうで、このイスラエル・パレスチナ回だけコメント欄が閉じられているのは、動画に暗い影を落としている。
イスラエルのアパルトヘイトが、いかにして私の故郷を破壊したのか (公式英語字幕あり)
アルジャジーラによる2022年のドキュメンタリー。パレスチナ出身の父を持つアメリカ育ちの二世ジャーナリストが、イスラエルの隔離政策のせいで変わり果ててしまった父の故郷を訪ねる話。
イスラエルの元軍人の助けを借りて「パレスチナ人立ち入り制限区域」を歩くが、パレスチナ人に対するイスラエル人入植者や駐留イスラエル軍の露悪的なふるまいは、過去のユダヤ人や黒人に対する差別と迫害そのもの。ウイグルにも近いと感じる。
パレスチナ暫定首都の市長と会おう (ドキュメンタリー映画) (英語字幕ありだがYouTubeの字幕ではないので日本語翻訳にはできない)
VICE News - Meet the Mayor of the Unofficial Capital of Palestine (Full Documentary) | The Short List (2:13:43)
2020年公開の、パレスチナの暫定首都であるラマラの市長の日々に密着したドキュメンタリー映画。本編は1時間30分で、残り40分は監督のインタビュー。
文化的で明るく楽しい街の一面もたくさん紹介されていて、イスラエル軍による監視や抑圧と自治権や移動の自由の制限さえなければ、よい街のよい市長だったはずだろう。市役所の幹部には女性も多く、先に紹介した旅番組でもパレスチナの大学は女子学生のほうが多いと語られていたが、日本より女性が社会に進出している感がある。
オスマン帝国時代の法律のなごりで、イスラム教徒が多数派の中にあって市長はキリスト教徒と定められているというのも興味深い。(もともとはオスマン帝国時代からキリスト教徒が多数派の街だったらしい)
なお、本題とは関係ないが、映画内の音楽は武満徹や芸能山城組による日本の曲が多用されていて、特に脈絡もなく日本語の子守歌が流れてきた(30:32)のには驚いた。
ちょっと世界一周してくる。by nojiken - #115【現在進行中の悲劇】 パレスチナで何が起こっているか僕が見たことを伝えたいと思います。パレスチナ問題はとても根深いです。(エルサレム、ベツレヘム、ヘブロン / イスラエル、パレスチナ) (30:25)
動画自体は2020年の公開だが、前半は歴史の解説で、後半は本人による2013年のヨルダン川西岸地区への旅行体験記。イスラエル軍に抑圧された厳しい環境下のパレスチナ人の一般家庭に泊めてもらったりしていて、日本人のふつうの観光系YouTuberの動画とは一線を画している。
欧米は親イスラエルだと思われるだろうけど、実際、YouTube上で「再生回数順」で検索する限りは、パレスチナに寄り添った動画のほうがずっと多い。
数少ないイスラエル寄りの動画は総じて、聖書や2000-3000年前の歴史に触れたあとはパレスチナやアラブを悪や下に見ることに主眼が置かれていて、もっとユダヤ人の悲しい歴史や難しい立場で同情を誘うほうが戦略としても優れるのではないかと思うのだが、そうした意味でのプロパガンダにはイスラエルとして興味がないか、成功しているとは言えない。
なお、聖書を持ち出すのは非キリストのイチ日本人としては全く理解できないどころか、2000年掛けの土地の所有権の主張にはどん引きさえするのだが、イスラエルを支持するアメリカのキリスト教福音派に対してはこういう話が最も好まれるようだ。なのでこの点は戦略としては正しいのかもしれない。
いっぽう、パレスチナの側は、古い映像では聖戦の主張や過激な言動が目立っていたが、2004年にPLO議長がアラファトからアッバスに替わったあたりからは、PLOやファタハはもちろんハマスからさえ、宗教的な主張はほとんど聞かれなくなり、抑圧からの解放と自由を主眼に訴えるようになってきている。どれほど意図しているのかはわからないが、これは第三者(特に非イスラム圏)の同情を得るという意味では、戦略としてとても成功しているように思う。
しかしイスラエルに対してミサイルを撃ち込み続けるハマスも、精度が悪いとはいえ目標を軍事施設に限ることはどうしてできないのだろうか。民間人を狙うことの効果が、差し引きでプラスになるとはとても思えないのだが…。
ガザ地区の様子については別の増田を書いているのでご覧いただきたい。
→ anond:20231017113202 ガザ住民の普段の暮らしぶりについて調べてみた。
紹介トラバ
→ anond:20231111160010 NHKスペシャル「ドキュメント エルサレム(前後編)」がすごかった
私の所属していた法人課税部門の話ではあるが、直接関わったわけではない。どちらかというと、もっと上の方の、課税全体の企画や調整・取りまとめを行う部署の話になる。
当時も、国税庁が掲げるところの「内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現」をめざして、日々勉強の毎日だった。世の中は変わり続けている。税の勉強に終わりはない。当時の仕事を平たくいうと、税制改正の内容を関係者・関係部局にわかりやすく伝えて質問相談苦情に答える、といったところか。管理職が近づいた当時は、そんな仕事をしていた。
40代が近づいても、税の世界は深かった。税理士資格は若い時分に取得したが、それでもマニアックな税分野とか、諸外国の税制度になると不案内だった。
そんな折、とある会議の最中だった。ある人が、たしか個人課税の徴収部門の責任者だったか、ビットコインの話を始めた。課税の方法がわからない人や、脱税の疑いがある人が増えており、(内閣府まで通じて)国レベルの対応を考えているという。
ビットコインのことは何となく知っていた。どんな形であれ、収益を得たのであれば納税するのが当たり前である。だが、事情があってできない者や、あえてそうしない者もいる。私の思い違いは、後者が思いのほか多かったということだ。
国の関係機関は、ビットコインほか暗号資産に関する文書を多数発行している。国税庁もそのひとつだ。それは6,7年前だったか、取り掛かったのはさらにその数年前になるが――上の会議の後で、主に若手職員が中心となって暗号資産の税務上の取扱いに関する文書(納税ガイドライン)を起草した。国税庁のページに今でも載っている。
ガイドラインを作るにあたり、各部署からは若手数人(YoungなAdultを含む。40代でもOK!!)が抜擢された。うち1人は私の同僚だった。あの頃、仕事帰りに個室の飲み屋で話をしたのを憶えている。彼は、ビットコイン(暗号資産)に対して恨みの感情をいだいていた。
・ただでさえ忙しいのに。ガイドラインの下準備だけでも難しい
・国際反社の資金源を絶とうと思えば、暗号資産を違法化してもよいのでは
・でも、それでは他国との足並みが揃わない。国力にとってデメリットがある
・暗号資産がどの国でも一般的な存在になれば、俺達のこの仕事は報われるかもしれん
・上司は評価をくれると言っていたが、貸し借りにすらなっていない感がある
・実は、「優秀な若手を」と言いつつ、優先順位の低い職員を駆り出しているのでは?
・こんなことが続くようなら、転職を考えた方がいいかもしれない
このような愚痴をもらしていた。この人は、高卒枠で国税庁に採用され、若い頃は地方税務署を転々とした。その後、実力を評価されて国税庁の現場寄りの部門で働くようになった。叩き上げというやつだ。普通に幹部候補である。このあたりの考え方は、省庁によって違う。※後述。
私だって彼のように、当時は「よくわからないもの」「社会に必要性がないもの」「反社の資金源」とされるものを扱う仕事に抜擢されたとしたら、どんな気持ちになっていただろう。憂鬱になっていたかもしれないし、反対にワクワクしていたかもしれない。おそらくはその中間だ。
ところで、件のガイドラインは相当に練られている。人件費で換算するなら、軽く数千万はかかっている。本来の部署でさえ仕事に忙殺されているのに、彼らはよく作ったものだと感心した。
____________________________
《後述の内容》
中央省庁は大卒しか採らない印象があるかもしれないが、高卒採用は私が知る限り全省庁で実施している。省庁によって雰囲気は異なるが。私が若い頃だと、毎年何十人も採用しているところもあれば、実質的に高卒者を採用していないところも当然あった。覚えている限りでは、次のような印象だった。
(総務省)
たくさん採用する。男女比は同じくらいか。データの取りまとめや解釈など、政策の基本になる数字を拾う仕事が多い。実力が認められると政策立案も担当できる。地方自治体への幹部待遇での出向も。
(国土交通省)
たくさん採用する。男性が多い。本庁に採用されても、ダム管理関係など現場作業をするポジションになる可能性があるからだろうか。工事用の図面作成なんかも当然あるだろう。
(財務省)
ほどほどの数を採用する。高卒枠だと、ほぼ女の子しか採用してなかった。もちろん顔採用だ。たまに業務で寄ることがあったが、当時の先輩が「俺も財務省の子と合コンしたい……」と呟いていた。当然ながら、銀行の一般職みたいに、大卒採用の男性とくっつけるためにやっている。
(国税庁)
略
(厚生労働省)
たくさん採用する。男女比は半々だ。労働環境が厳しいこともあるのだろう、私が知っている子は、ガタイがいい人ばかりだった。総じて言えることだが、高校3年生の時点で中央省庁の面接官の眼鏡にかなうわけだから、指折りの人材だ。特に「役職持ちの高卒者を見たら刮目せよ」のイメージは正解だ。
____________________________
かくいう私も、当時はこの仕事を続けるべきか迷っていた。実際、数年後には転職することになるのだが、正直やりがいを感じられなかった。
実際、あの彼の言うとおりだったと思う。あのガイドラインは、いわゆる『火消し』の仕事に近い。すぐにバブルが弾けてなくなると思われたビットコインが生き残ったことで、脱税者(善悪を問わない)が多く存在することが予想された。事前の対策を打とうにも、そんな余剰人材は配置されていない。
実際、暗号資産関係の脱税者がいたとして、まともに取り締まることができていなかったのではないか? 現金で数千万円を国内口座に出金、みたいな愚か者はすぐに摘発されただろうが、もう少し小さい金額とか、取引所にずっと利益を預けていたとか、そういう人は対応ができていないはずだ。他部門の私ですらわかるほど、それくらい国税庁はマンパワーが足りていない。
加えて、思い出②で説明したストリートレベルの行政職員の観点もある。海外の取引所や、すでに潰れた取引所で売買をしていた場合、納税者も行政庁も課税情報の証明ができない。そういう面倒かつ費用対効果の低い案件――それでいて該当者が数千人に上るであろう案件は、あえて手をつけないこともある。
さて、こうした想定外の事態が起こった場合、上で説明したように臨時のタスクフォースが編成される。今回の火消しチームだと、指揮を取る者が選り抜きであったのは言うまでもないが、ほかのメンバーを見る限りだと、各課がイマイチなメンバーを人柱にしていた感がある。正直、エースは残して温存させているように見て取れた。
そんな理不尽でも耐えられるほどに組織が魅力的で、職員にとってやりがいのある仕事内容や職場環境を用意できればいいのだが――こういうわけで、近年の若手官僚大量離職問題が起こっている。
ちょっと路線変更をする。思えば、このあたりの時期は私も病んでいた。過重労働で心が沈んでいた。
一応マイホームは買っていた。ただ、数年前から妻が病気で入院していて、子どもふたりは実家にしばらく預けてあった。つまり単身だった。
かつては、いろいろと堪え切れずにデリバリーヘルスを呼んでいた時期もあるが、穴があったら入りたい気分だ。煉獄さん……。
その日々では、深夜に誰もいないマイホームに帰宅して、独身時代が懐かしいと思いながらテレビを点けていた。ある時だったか、今時風のアニメが流れた。
♪ わんわんわん猫が好き 夢中で何も見えない
ほぼ終電+徒歩の関係で、自宅に帰る時間は固定だった。ダイニングの食卓の上に、コンビニのおにぎりと綾鷹を置いてから、大匙1杯の味覇を小鍋に入れて沸騰させ、菜箸で溶き卵を回し入れていた。最後にテーブルコショーを振りかける。ネギは買い忘れることが多かった。
食事の支度ができて、テレビを点けると上のアニメがやっていた。女の子が出てくるやつ。
サブカルチャーについては、若い頃に少し嗜んだだけの私でもわかった――これは三級品のアニメだ。放送枠を埋めるためにひとまず作られたような、1話につき実質4分間だけの5分もの作品。それが正体だった。
かわいそうに。作者はどんな想いだったろう。悔しいと思わなかっただろうか。残念ながら、番組製作者にとって優先順位が低いアニメだったのだ。※当時はそう思っていたが、今は違う。
内容だが、女の子同士が仲良くするようなものだった。はっきりいって中味はない。ただ単に、女子高生が仲良くしているか、仲良くしようとアプローチしているだけの。そういうやつだった。だが、観ている最中に何も考えなくていい。それがいいと思って、つい毎回見てしまっていた。
別に興味はない。なんとなく見ているだけだ。深夜帯だから、それ以外に選択がなかった。前後の時間帯にほかのアニメが放送されることもあったが、観ることはなかった。この齢になると、特に30分枠のアニメは見るのがしんどい。子どもと一緒に土日朝のアニメを観るのであれば、まだなんとかなるのだが。
愚痴が長くなった。この章は仕舞いにする。これ以外にもパワハラ職員とか、やる気のない職員とか、省庁間のいがみ合いとか嫌がらせとか、議員と行政との癒着・密着とか、嫌なことはいくつもあったが、本題ではない。
そういうのが知りたい人は、元キャリア官僚が書いた書籍やブログを探して読んでみるといい。意外とみんな、けっこうぶっちゃけている。生々しい。
その人達に比べれば、当記事の内容というのは、やはりベジタブルに違いない。冷静に考えて、野菜よりも肉の方がハイパワーだろう。そういうことだ。
「官僚から政治家になりたい」という想いを抱く人は、一応は存在している。そして、そういう人が政治側から求められる場面もある。
30代に入る頃の話だ。具体的にいつ頃だったかは失念したが、自由民主党で地方自治を担っているグループが各官庁にチラシを配っていた。要するところ、「官僚の皆さんの中で政治家になってみたい人、手を挙げて。ハーイ、ハーイ!!」と、ここまで軽いノリではないが、かくして官僚から政治家へ……というルートを希望する人は一定数いる。
そういう説明会に参加したことがある。「興味本位でいい。年齢関係なし」といったことがチラシに書いてあったが、会場に同年代はほぼいなかった。
説明会の流れは月次だった。自民党のそこそこ偉い人が挨拶をして、後は別の人達に交代して政治家への転身ルートの大まかな説明(国政コースと地方自治コース)があって、最後に簡単なグループ討議だった。
なお、これはずっと昔の話だ。今がどういうシステムかはわからない。
私がいた席の隣には、一回り年上の国土交通省(の前身)の技官であるIさんがいた。体格は小柄だったが、その割には大きく見えた。頭の回転が速くて、こっちが話しても0.5秒でレスポンスが飛んでくる。
Iさんとはグループ討議の後で連絡先を交換して、一度だけ飲みに行った。頭の回転だけじゃなく、教養のある話し方だった。人としてのスペックの違いを感じた。
Iさんが上の説明会に参加した動機は、出世や昇進に関係していた。上に行けないのであれば、いっそ政治の世界で活躍してみたい――そんなことを話していた。
Iさんは、東大でも京大でも筑波大でも東工大でもなく、一般的な国立大学だった。偏差値でいうと50ちょっと。私と同じくらいの。その大学名では正直、立身出世の見込みはなかった。よくて審議官、民間でいうと次長~部長ほどか。今はどうかわからないが、当時は学歴が問われる時代だった。国交省でも、上級管理職は東大が基本だった。
Iさんのキャラクターというのは、古い語彙になるが、ザ・自民党といった雰囲気だった。政治的に保守というやつだ。頭の回転が速いというよりは、物事の道理がわかるというか。いざという時には清濁併せ吞むことができる。そんな具合だ。
かくいう私は、政治家ルートは無理だと感じ、その後にあった面接を受けることはなかった。国会議員になるには地盤も看板も鞄も足りないし、かといって地方自治体に出向して市町村の助役(今でいう副市長)になるのはリスクが高すぎる。もし地場に合わなければどうすればいいのか。どの面を下げて霞が関に帰ればいいのか? いや、というか帰れない。片道切符だ。
でも、本当に政治家になりたい人であれば、不安に打ち勝ってしまえるのだろう。当時の私は、転職を考えはじめていたけれども、今と違って転職市場は整備されていなかった。インターネットでの転職活動も始まったばかりだ。リクナビ黎明期になる。
まあ、それらも言い訳に過ぎない。本気で転職したい人だったら、そんな事情は関係なく転職エージェントに架電していることだろう。心の底では、そこまで転職したいとは思ってなかったのだ。
その後も、厳しい日々が続いた。職責はどんどん増えていくけれども、やりがいは減っていった。給料も見合っていない。時給換算だと千数百円ほどか。上でいう40才になる頃には、自分がなんのために働いているのかわからなくなった。行政ロボットのようだった。
ひたすら政策課題に対して向き合い、法律や常識に照らして世間でいうところの正解と思われる回答を見つけ出し、複数の上司に忖度とやらをしながら仕事を回していた。税制を維持していくためのロボットになっていた。
あと数年以内には、おそらく課長補佐から課長級になる。もっと忙しくなるだろう。子どもを2人育てるなど不可能だ。
もやもやした気分で深夜に帰宅した時、やはり、あのアニメ――『犬神さんと猫山さん』が流れていた。たった三ヶ月の付き合いだったが、少しばかりの息抜きになった。コンビニおにぎりとお茶と、味覇のスープを飲みながら、ほとんど何も考えずに観ていた。
女性同士が仲良くすることに主眼を置いていたのはわかる。メインふたりの関係だけでなく、ほかの女性同士の関係性も描いている。
犬神さんは積極タイプだった。猫山さんのことが大好きだ。ほかの女の子とはいざこざがありながらも、最後には仲良しになっていた気がする。
強いていえば、犬神さんの猫山さんに対するアプローチには、セクシャルハラスメントを構成する要素があった。いきなり抱きついたり、薬物を飲み物に混ぜようとしたり、髪型を自分好みにさせようとしたり、猫山さんの反応が気に入らないとキレたり、ハラスメントし放題だった。デートDVに通じるものがある。人権という観点からは、現代社会で許容されるべきものではない。
この日記を書き始めた頃、ニコニコ動画に登録して全話パックを購入した。順番に話数を巡ったところ、第9話にこういうやり取りがあった。以下、犬神さんを「犬」とし、猫山さんを「猫」とする。
犬「あの~、今なんて……?」
犬「バッカなんですか猫山さん!」
猫「そこまでいうの犬神さん!?」
犬「だって、素晴らしいその猫っ毛を矯正するとか、そんなのって、そんなのって、コーヒーからコーヒー抜くようなものですよ!?」
リアルの高校生ならこういう会話をするのかもしれないが、中年の私には厳しい描写だった。若い人向けの作品なのだからと思いつつ、読者が真似をしたら相手が苦しいことになる――と当時は考えていた。こちら以外にも、若い人なりの情動(リビドー)が爆発するようなシーンがあったのを思い出す。
思えば、若い人向けの作品なのだから、少しオーバーなのがちょうどいいのかもしれない。作者が若年だったのもあるだろう。梶原一騎(巨人の星)にしても、雁屋哲(野望の王国)にしても、巻来功士(メタルK)にしても、CLAMP(聖伝)にしても、荒木飛呂彦(バオー来訪者)にしても、板垣恵介(バキシリーズ)にしても、作者が若いと、エログロやスプラッタや、恋愛的確執や社会的価値観との対峙など、青春期ならではのリビドーに溢れている。反対に、作者が齢を取ってくると確執的関係が雪解けするような、そんなシーンを描くようになる。『バキ親子ケンカ編』などが顕著だ。
あの人達が若かりし頃のマンガというのは、基本線として反社会的だ。反社会的といっても、若者にとっての抑圧を打ち破るという意味での反社会性だ。うまく料理できれば、マンガの魅力として存分に活きてくる。あの人達は、若者のそんな感情を搔き立てるのが抜群にうまかった……と、元若者が振り返ってみる。
追記 Iさんはその後、大成した。少しではあるが本人に馴染みのある地域で、市町村の助役として迎え入れられた。その後、国会議員や職員団体や地元からの応援を受けて市長選に立候補し、並み居る解放同盟の勢力を圧倒して市長になった。
あれから調べてはいないが、きっと長い間お勤めになったのだろう。ああいう人がもっと多くなれば、地方はもっと活性化するに違いない。
Part3/3
東京に家族旅行して、子供を遊ばせる場所がお台場・晴海ばかりだったので、お台場近辺で一番安いホテルに泊まったの。
それでも素泊まり1泊1人1万円して「高いな~」と思ったけど、思い切ったの。
ビッグサイトとフジテレビのちょうど中間あたりにある、ホテルトラスティ東京ベイサイドてホテル。
羽田空港からりんかい線に乗り換えて、国際展示場駅で降りて、まるで公園みたいなだだっぴろい通路(公園なのか?)をテクテク歩いてホテルに向かうと、高い2本のビル。
さすが素泊まり1万円だな~と思いながら近くまで行くと、立派な大きな門があり、ビシッと制服を着こんだ門番係までいる。
すげー、高級ホテルじゃん。
門からは何千万円しそうな車高の低いスポーツカーが出てきた。フェラーリのランボルギーニてやつだったのかしらん?
1万円のホテルでフェラーリ?超高級ホテルなのに1万円ならお得だったな、と思いながら門番に「ここがトラスティですか」と聞くと、「トラスティはお隣になります」と。
2本のビルの根元にへばりついたような4階建てのホテルで、それなりに高級感はあって1万円でも納得できる部屋ではあったんだが。
東京を楽しんで地元に帰り、隣のホテルはなんだったんだろうとグーグルマップをみると、東京ベイコートクラブという会員制の高級リゾートホテルじゃった。
会員権を得るのに1000万円~3500万円かかり、年会費も年30万かかり、さらに一泊数万円の料金を払わんといけない。
誰が泊まるんだこんなホテル、と思ったが、グーグルマップの口コミを見ると、ふつーに「家族連れで泊まりました、まあまあでした」みたいな口コミとともに、
これまで見たこともないような、私らが泊まった隣のホテルとは別世界の広い部屋(地元ホテルのスイートより広いよ)、豪華な調度品の写真の数々が投稿されていた。
食事の口コミも「まあまあだが、この値段なら妥当かな」的な。一食数万円で。
いやー、こんな金持ちの世界って漫画やドラマでしか見たことなかったけど、いるところにはいるもんだね!
普段は隔絶された別世界で全く接点がないから意識してないけど、けっこうな数が生息してるんだね。
一食数万円の食事して「値段のわりに良い」みたいな感覚、想像できないんだけど、いるんだね。
たまたま偶然そんな世界の一端を見てしまって、自分はこれまで親が地元市の副市長だったり、自身と夫も日本平均くらい稼ぐサラリーマンで世帯年収は1000万超えてたりで、日本で中の上くらいにいる自意識だったけど、そんなの田舎の胃の中の蛙で、東京には自分らとは隔絶された上流の世界が広がってるんだなと、打ちのめされてしまった。
副市長ってそれなりの立場かと思ってたけど、所詮は安月給で使われる庶民(奴隷)の日常生活を管理する勤労者、囚人の牢名主みたいなもので、本当の金持ちは勤務時間や行政なんかに縛られずに生活して不労所得を得てるんだろうね。
と、旅行から帰ってきてからずっと「金持ち爆発しろ」「共産革命起こっていいぞ~」と劣等感からの汚い感情が頭の中でグルグルしてるので吐き出してみた。
あーすっきりした
その筆記も政令市や特別区じゃないなら教養試験だけだし、今どきは予備校対策不要の実質SPIを教養試験としてる自治体もある。
残業皆無で働いたとしても年収で30歳450万、40歳650万、50歳730万くらいまでは年功序列のおかげで堅いという点。
たとえ定年時に主査程度にしかなれてないみたいなポンコツ職員であっても年次の積み重ねでこれくらいは貰える
(※都心まで2時間とかかかる埼玉や千葉の一部田舎エリアはこんな貰えないだろう。
ちなみに、特別区職員だとこれ+50万円位はポンコツ職員見込み年収が増えると思うけど頭良くないと無勉筆記通過がそもそも無理な試験である)。
でだ、
小池百合子や石原慎太郎が着ていたようなダセえ羽織ものを毎日着る自分、
民間大手の内定死んでも取れなさそうな弱者男性達が同僚にうじゃうじゃいるのを見て。
ていうか、そもそも市民課や図書館あたりの業務が超イージーでなおかつ忙しくない天国部署に配属されて、3年間くらい定時退勤当たり前の恩恵にあずかれる可能性がかなりあります。
これは強い。
ただ、唯一デメリットがあるとすれば、
美人だと恐らく20代のうちに必ず1回は他の職員からドアウト級のセクハラをされるだろうということ。
たとえば、
LINEで一発アウトの性的メッセージ送られまくったり(「ほんと1回だけ試して!俺とした女の子みんな中イキして最高だったって褒めるから絶対損させない!!」とかそのレベル)、
半ば無理やり2人きりの飲み会に連れてかれて途中から愛人関係を迫られるとかそのレベルの目に遭うことは多分あるでしょう。
セクハラ加害者がそこらへんの係長とか課長なら速やかに処分下されるとは思うけど、若い美人職員に超絶アウト級のセクハラやってくるようなのって
次長とか、下手すりゃ部長とかで「我輩は副市長も狙える役所内四天王だ」みたいな地位の、表も裏も治めてるオッサンだったりするから難しい。
ハムスターが死んだとかのクソみたいな理由ですら鬱とかの診断書あれば取得が許されるシロモノだから、セクハラ食らったら安心して適当に適応障害あたりの診断書貰いに行きなさい。
家制度の大事さを論ずる人がいますが、これってもうほぼ崩壊してますよねって話。
家ってなんで成立するかと言うと、家と結びついた職業や生産手段があってこそだ。
例えば古代でいうと、摂政や関白になれる家、大臣までなれる家、大納言までの家、などがある。
親から子へ、親のついた地位や経済的要因(荘園など)が継承される。だから家が生まれる。
その土地や、その土地から生まれる利益の継承者を明確に定める必要がある。
芸事でもそうで、親の芸を継承しうる芸術であれば家元となりうる。
商家も同様で、百貨店でも呉服屋でも、親が築いた商売上の生産手段を継承する場合、家制度と相性が良い。
政治家も同じだ。親が築いた信用や政治基盤を継承するのであれば、家が生まれ、結果二世三世議員が生まれる余地を生む。
皆さんは親が引退したら、親の職業や親の地位につけるだろうか。
もちろんそうなる人もいるだろうけれども、多くの人は親の社会的地位を継承しないだろう。
私の親が副市長を引退したら、私が副市長になるだろうか? そんなことは許されない。
一方で、会社の社長が息子に移り先代社長は会長になるだとか、芸事で何代目だれそれを襲名した、とかは違和感が薄いと思う。
二つの事例を見たが現代社会ではどちらの職業のパターンが多いだろうか。
圧倒的に前者ではないだろうか。
もちろん、後者のシステムを否定することに直結しないことも重要だ。
ということで現代では、家産や家職の関係から、家制度はほぼ質的要因を失っていると結論づけられる。
個人的には(といっても見田宗介あたりの受け売りなのだが)、1961年の農業基本法が重要と思う。
人口の多くが農業をしていた日本において農業を機械化し、余剰人員を2次産業3次産業に従事させる動きを生んだ。
明治時代以降、第二次大戦後でも解体できなかった江戸時代以降の家制度はこの法律によりついに解体された。
日本人の多くが農民だったから、田畑という家産で生活していた関係上、多くの人々が家制度の中にあった。
サラリーマンになった農家の子孫たちは、もうその地位を子孫に継承できない。
親の地位を継承できない子孫たちはやがてマイナビ・リクナビを頼ることになるだろう。
高度経済成長は経済成長だけが起こったわけではない。家族の観点からしても革新的政策だったのだ。
だから家職や家産を継承しないところに生まれ育った場合では、気軽に別姓にしたり、あるいは現段階だと妻の姓をなのってもいいんじゃないかな、って思う。
以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリアの棚卸しになる。
退職の背景などを述べて結びとする。
K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。
特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業やNPOなどからK市に採用された特定任期付き職員だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。
私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから。副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。
いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業の活性化を担当した人も、福祉事業の効率化を担当した人も、庁内インフラ設備の刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、全員が数字で証明できるだけの結果を出していた。
にもかかわらず、「あなたの任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。
私は、以下の成果を確かに達成している。
・手がつけられないレベルの問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長と二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員、犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)に始末をつけた。一人頭での人件費(職員の雇用にかかる全ての費用。年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。
・面接試験の構造化及び検証手法の確立。これまでは、面接時に予め決まった質問を受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接時評価と採用後査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、皆で作った成果物だ。
・新規採用職員の試用期間内分限免職の基準化。当時のK市では、新人職員が20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員や無能職員が跋扈・放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職の基準を明確化した。その職員が所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合、分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。
さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由に当人の分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。
能力の高低は関係ない。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員、特に市民や企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。
恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長のスカウト(政治任用)により採用されたわけだから、トップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。
K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。
庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋や工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内のコンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。
いつの間にか、この町が好きになっていた。高い品質の地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。
さて、さんざんと人事関係の効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。
私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合、民間企業も官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間を組織から追い出すようになる。
その『要らない』が、本当に正しいのか分からないから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本の社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織が不要な人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民も馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間がバカにされているのだろう。すると、市役所に最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間もバカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。
人材とか、人財とか、人罪などという経済的な問題ではなくて、理念なのだ。官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会的属性を持った人を、ネガティブな特性を持った人まで含めて、多様性を意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。
例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員の多様性を担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点でしか見ていない。一公僕の恣意的な判断で、ある特定の社会的属性を有した人間を排除している。
もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。市長の採用ミッションとは反対の方向に舵を切るのだから――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。
私は間違っていた。最後の最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。
結論:公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上は免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から、可能な限り回避すべきである。
Gさんを覚えているだろうか。
市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女の残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフのスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。
難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社で転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプの公務員だった。私は、Gさんが自らの意思で地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。
私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体に職員をリクルートしたことがあった。
「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」
との問いかけに、社会福祉団体の事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンのモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。
Gさんとは、あれからいろいろあって仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。
「この辛い環境であなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」
それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。
「あ~、疲れた!」
今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子に背中をもたれている。
当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。
一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合、職場の問題点などをブログで暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。
やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反だからだ。行政機関がその気になれば、運がよくて処分、運が悪ければ起訴に至る。
私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。
私は、K市の重大な法令違反の情報を握っている。それも3件。証拠付きだ。うち2件は管理職の何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、今の市長は退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。そんな危険な賭けをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる。
さて。今はフリーランス個人で請ける仕事も面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。
K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。
私のスマホは旧型のiphoneだ。通信が遅いので、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できる。便利な世の中だ。
コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選んでいる。せっかくの秋晴れの日だ。作品も完成したし、就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。
私の瞳は、画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長は高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。
背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。
ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。
さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間のコースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。
さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗のメニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。
同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。
しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。
……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまい、うまい、うまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。
私は今、聖なる空間にいる。
いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。
物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。
私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。
そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決める。自分の考えを伝え、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。
いま私は、記憶の世界に全身全霊で移り棲んでいる。時間というものの退屈さを感じない。すべての苦悩はなくて、失敗も恐れなくなり、筆を進めるだけになる。
記憶の世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖な存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。
残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。
「アスミさんはすごいな」
「なにがですか?」
「そんなことないです」
「そんなことあるって!」
「ないです」
私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。
初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。
「アスミさんは、お店じゃなくて個人のメニューはあるの? 意味、わかるかな」
「ないですけど、できます。やってみたいです」
「いくら?」
「……」
アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10分ちょっと。
颯爽と、キリのいい数字を提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。
そして、私がアスミを知り終えると、残り時間がゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。
「アスミさんは、この仕事に向いているね」
「ありがとうございます。また呼んでください」
「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」
「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」
「えらいね」
「えらくないです。だってこんなの」
「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」
「そうなんですか!?」
ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。
「さて。社会福祉活動の実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます」
「……その心は?」
「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」
ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。
しばらく考えたと思われる。口を開いた。
「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」
いい子だった。また会ってみたい。
P.S
この日記の第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。
・元副市長は、市内の機械部品メーカーの取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。
・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職は管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。
・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。
・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。
・私はこの日記の推敲中に内定を取った。今度は福祉団体を人事方面からサポートする。
・A夫さんはK市を退職後、ホームセンターで働いていた。当時、人事課の必要物の買い出しに行った際、彼を見かけることがあった。ごく普通に接客や商品運搬をしている様子だった。A夫さんの見た目や行動は普通だ。一般的な50代社会人のように思える。だが、彼は万引きに手を染めてしまった。何かストレスがあったのか、それとも本来の気質なのか。人間は、よく見ないとわからない。
・B子さんは、あれから雌伏の時を経て、ほかの自治体に採用されたようだ。ある時、人事課長が部内の回覧物を持って見せてきた。自治体関係の新聞かチラシだったと思うが、その中にB子さんが政令指定都市で働いていることがわかる情報があった。人事課長は嬉しそうというか、安堵した表情だったのを覚えている。
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
市役所には魅力的な人物ももちろんいる。今これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいは公務員に助けられることがあるだろう。
ここでは、そんな善き職員について2人ほど挙げる。脇道なので、1人につき二千字程度とする。
見た目はスラッとしていて、無表情な感じの女性だった。その実、内面は安定していて朗らかである。
この人を最初に見たのは、私が採用されて2ヵ月くらいの時だった。公用車に乗って近隣の政令市にある研修センターに行くところだった。
1階の市民課に繋がる階段を降りたところで、凄まじい怒号が聞こえた。「なんでできんのか!!」と、おそらく高齢の男性が怒号を発していた。
窓口を覗くと、やはり老人が女性職員に対して声を荒げていた。話を聞いていると、どうやら身分証明書がなくて公的書類を発行できない類のトラブルのようだ。周りの市民や職員が怪訝な顔で覗いていた。たぶん堂々巡りの話になっているのだろう。
そして、交代したGさんは、静かな様子で男性の話をひたすらに聞いていた――これが傍から見ていても、「あなたの話を聞いています」「共感しています」「申し訳ございません」という態度が伝わってくる。男性は次第に落ち着いていった。最後まで納得はできないという面持ちだったが、諦めて正面玄関の方に歩きはじめた。
傾聴は苦情対応の基本である。ここまでできる人は、市の職員では初めて見る。
「この人、どんな業界が向いているだろうか」と、昔に就いていた転職支援の仕事を思い出していた。
個人的な感覚だと、やはり福祉だろうか。受付系も悪くはないが、こういう人には攻めの傾聴というか、そんな仕事が向いている。最初に浮かんだのは、証券会社のリテール営業だった。しかし、Gさんはあの業界に蔓延る罪悪に耐えることはできないだろうなぁ、と思い直したのを覚えている。
それから数年間、Gさんのメンタルの強さ、粘り強さを発揮したのを何度か見ることになった。市民の中には、自己表現としてのクレーム――己が主張を表明するために市役所の窓口に来る人もいる。何か強いストレスを抱えていて、それを発散するために市役所まで出向く。そういうタイプの市民だ。
そんな人にもGさんは優しかった。とにかく話を聞いて、あまりに騒々しいようであれば怒鳴る市民を別のスペースに誘導し、一般市民の邪魔にならないようにして苦情の解決を図るのだ。
Gさんはこの部署が長かった。当時30才になるかならないかだったが、査定は常に5段階中の4だった。上司からも仲間からも信頼を集めていた。
が、それで万々歳とはならない。彼女はいつもそういうお客さんばかりを相手にするので、残業がとんでもない量になっていた。勤怠管理システムの記録によると、Gさんは毎月50時間以上の残業は基本であり、それに加えて、土日祝のいずれかに必ず出勤してサービス残業をしていた。
私も、なんやかんやで土日に出勤することが多かったが(もちろんサービス残業だ。管理職なので…)、Gさんを見かける確率は5割を超えていた。庁舎内の配置的に、3階にある私の職場に上がる時にGさんを見かけることになる。サービス出勤をしている職員はほかに何人もいたが、彼女が最も印象に残った。
実際、Gさんはいい子だった。料理は上手いし、家事や洗濯もばっちりだし、家では猫を飼っているのだが、これがまた人懐っこい。でも、猫カフェは嫌いらしい。なんでも、「あそこの猫はみんな苦しそう」とのことだ。私が「目の前にあるんだし、行ってみようよ」と誘っても、頑として首肯しなかったのを覚えている。ちなみに、好きな食べ物はたこ焼きだ。食べ歩きはマナーが悪いよ、と何度言っても聞いてくれなかった。
思えば、Gさんが土日出勤しているのを眺めるのが当たり前になっていて、この人を助けなければという意識が働かなかった。ある大晦日に、Gさんが煖房をつけず、明かりもなしでパソコンに向かっているのを見たことがある。コートを着て自席に腰かけ、震えながらキーボードを叩いていた。
「Gさん。それじゃ寒いでしょ。煖房つけなさい」
私が言うと、Gさんは座ったまま、ぼんやりとこちらを見詰めていた。
「すいません、これでいいです。いつもこうなんです」
「お気遣いありがとうございます。でも、わたしは寒いのがいいんです」
「そうか。お寒いのがお好き、なんだね」
Gさんは、「こいつ何言ってるの?」という顔をしていたが、意味に気が付くと、パソコンに顔を向けながら噴き出した。
若い子でも意外と通じるんだな、と感じて私は、エアコンのスイッチを押した(蛍光灯のスイッチの場所はわからなかった)。人事課に続く階段を昇り始めるところで、Gさんが職場に明かりを灯したのを認めた。
この彼女は今、市役所と近い業種の仕事をしている。もう不当な時間外勤務はしていないはずだ。直接働いている姿を見たことはないが、きっと活躍していることだろう。今も幸せであってほしい。
この人も女性だ。地域を盛り上げるような感じの名前の部署にいて、エース級の職員として知られていた。
さわやかな見た目の女の子だった。高校を出てすぐに市役所に入ったという。私が採用された年の4月時点で21才になる年だった。結論から言うと、この子はもう地方公務員ではない。その次の年に民間企業、よりによって当時の取引先に引き抜かれる形で退職した。
惜しいことをした。もしそのまま現職に留まっていれば、もっとイキイキと働ける環境があったかもしれない。今更言っても遅いのだが……。
Hさんを最初に見たのは、窓口でお客さんを見送っているタイミングだった。市役所で働く女子職員は、みんな仕事に使えそうな私服で来るのだが、Hさんは限りなくスーツに近い、パリッとした装いだった。凛とした覇気のある顔つきだったけれど、ちょっと不安げな瞳が印象的だった。
見た感じでは、大卒3年目くらいの雰囲気である。市役所には、たまにこういう人がいる。早い話、Hさんは頭の回転が早くて、見た目がシッカリしていて、礼節を弁えており、創造的な仕事もできる。そんな子だった。
『創造的な仕事』については特定のおそれがあるので述べないが、当時の公務員業界では花形とされる仕事だった。億単位の金が動く。上の人間は大枠を決めて指示をするが、Hさんにも商品企画や業者選定などの権限が与えられていた。
その仕事をやりたいと希望する職員は何十人といて、その中には数年後に昇進を控えたベテランが何人もいた。民間においては、こういう花形とされる事業や、大金が動く案件というのは――事業部長みたいなポジションの人が直接担当するか、または管理職に昇進する手前のエース社員が担当することが多い。それを、大学生ほどの年齢の子が担当している。
ほかのポジションだと、例えば市長の秘書の1人は臨時職員だった。早い話がパートさんだ。30代後半で、圧倒的清潔感の子持ちママだった。実力登用の文化がトップ層から滲み出ているところがK市の美点のひとつだと感じる。
当時の私は不思議に感じていた。なぜ、官公庁ではこんな人事ができるのだろうか。将来の利益を重視するのはわかるが、今の利益のことも考えないと――と想念した瞬間、私の脳裏にビビッ!と走るものがあった。
そうだ。新人公務員向けの研修で習っただろう。公務員は利益を追求しなくていい。だから、利益度外視で、十数年先のことを考えた配置や処遇ができる。Hさんは、すでに幹部候補としての育成が決まっていた。ならば、さっさと重要ポジションを任せられる限り任せていった方がいい。そういう判断だった。
もちろん、幹部の好みの問題でもある。当時、市長と市外の飲み屋に出かけた時、嬉しそうにHさんのことを話していたのを覚えている。なんでも、市長室でその花形事業の今後の商品展開に関する協議をしていた時、事業部長に連れられていたHさんが、副市長と侃侃諤諤の議論になった――そんな内容だったろうか。Hさんは議論になると熱くなるタイプだが、それが終わると途端にホンワカになるらしい。気さくな感じで、癒される話し方になって、市長が言うには、そのギャップがいいらしい。
その事業部長も確か、とあるイベント終わりの飲み会の時にHさんのことを誇らしげに話していた。当時、入庁1ヶ月目だったHさんの部署の飲み会の席で、会の最中に参加者にお酌をして回ったのはHさんだけだった、みたいな話だ。嬉しそうな表情で、自然にみんなに一人ずつお酌をして回って、先輩との交流を深めていたということだ。
若干18~19歳でそこまでできる子は、そうはいない。エース枠としてチャンスを与えられて当然だ。こんなことを書いていると、増田民の方々には『飲み会不要論』的な観点で攻撃を受けてしまいそうだ。しかし、これはあなたの視点に立ってみればわかりやすいのではないか。あなたが飲み会に参加していたとして、若い男の子や女の子が、「仲良くしてください!」みたいな雰囲気でお酌や会話をあなたに求めてきたら、嬉しいと思わないだろうか。可愛い奴だなと思うだろう。そういうことだ。
私はHさんと話したことは2回しかないが、わかるような気はした。頭がいいだけではなく、物事に対して本気になれる。そういう子だった。
さて。Hさんは突然退職してしまった。冒頭に述べたとおり、花形事業に関係する取引先(パートナー)に引き抜かれたからだ。晴天の霹靂だった。
Hさんが書いた退職理由書を読んだ。要約すると、「市役所のルールや職場環境がつまらなく、物足りない」とのことだった。例えば、公用文では「問合せ」を「問い合わせ」と書いてはならない。しかし、動詞になると「問い合わせて」と書かねばならない。細かいことだが、間違えたら稟議のやり直しになる。そういった文書事務に関する文化が、HさんがK市を辞めた理由のひとつだった。
若い子であれば仕方がないとも思う。確かに、公務員業界というのは地味だ。完全なる聞きかじりだが、『若手のうちは仕事の何が面白いのかわからない。それが公務員の難点だ』というのが、当時のHさんの退職理由を読んでの副市長の談だった。
まあ、過ぎたことはいい。もういいのだ。気にするだけ損というもの――Hさん個人の件に限っては。
だが、Hさんを引き抜いたクソコンサルは別だ。きっちりとリベンジしてやった。K市の入札に入れないよう指名停止(※)にしたうえで、県内他市すべてと、都内の右半分くらいの地方自治体と、県庁と、国の機関各所にもこの度の情報提供を行った。
罪状はもちろん、『取引先の従業員を引き抜いた』ことだ。許されることではない。民間企業同士でも、そんな足の引っ張り合いはまず行われない。それを、あのクソ非常識なITコンサルはやってのけたのだ。それなりの報いがあって当然だろう。
※正式な指名停止は今回の場合だとできない。条例や規則や要綱に定めがないからだ。よって、入札参加・指名業者リストにその会社の名前を残したままで、入札には呼ばないという意味での指名停止になる。
二人目のB子さんは、ある意味で私と同期だった。私がK市に採用された年に、高校を出たばかりの彼女が入庁してきた。
K市に入ってからの私というのは、せっせと新人公務員として基本的な事柄を勉強したり、各庁舎をぐるぐると見回って雰囲気を掴んだり(大抵は職員への挨拶を兼ねている)、K市が主催するイベントにスタッフとして十数回と参加したり、多くの自治体の職員が集まる研修に出席したり、ほかの幹部がまとめた人事政策に対してフィードバックを述べたり……あっという間に5ヵ月が過ぎていった。
その頃だった。B子さんについての苦情が寄せられたのは。毎年9月にある新人職員への人事面談の折に、B子さんのいる課から上がってきた。一応、直属の上司も事実であると認めた苦情ということで、今度はB子さんと面談室で話をすることになった。指導的な色合いが強い内容になる。
今でも思い出す。あの女は人生をナメていた。なめ猫なんて甘っちょろいものではない。すでに組織を蝕む害獣となりかけていた。
面談室に入ってきた彼女を見て衝撃を受けた。髪の毛は脱色しているし、恰好は女性向けファッション誌に出てくるそのものだったし、朱色のスカートの丈は相当な短さだったし、口紅は真っ赤だったし、ピアスをしていたし、首に〇〇〇〇〇もついていたし……どこから突っ込んでいいのかわからない。
私も、世間一般では活発で知られた営業会社で働いていたが、彼女ほど派手な恰好の女子社員はさすがに見たことがない。せいぜい茶髪や控えめなチークだった。多くのお客様の前に出ないといけないからだ。
A夫さんの時と同じく、面談室の両側のソファにお互いに座った。こちらには人事課長が、向こうにはB子さんの直属の上司がいる。
面談が始まった。初めに私の方から、「B子さんですね。お仕事で忙しいところすいません。まずは事実の確認ですが、今着用しているような衣服を先輩に注意されたことはありますか」と尋ねた。
以下、大まかなやりとりになる。
「その先輩には、なんて言って答えましたか」
「私の自由です、と何度言ってもわかってもらえないんで、『ハラスメントです、やめてください、気持ち悪いです。これ以上は親に話します』と伝えました」
「それは、先輩があなたのことを思って言ってくれたのではないですか?」
「違います」
「では、どんな気持ちだったと思う?」
ほかの行動、例えば自分が気に入らない職員を無視するとか、夜の窓口勤務中にチョコレートを食べながらほかの女性職員と雑談していたとか、勤務時間中に携帯をいじって過ごしていたことなど、色々と聞いていったが、終始ブスッとした調子で返答するのみだった。最後に、だるそうな口調で「何とかやってみます」とだけ告げた。
面談中、私はB子さんの履歴書や採用試験時の成績を見ていた。偏差値50くらいの公立高校を出ていて、英検や漢検の初級程度を持っていて、採用試験(筆記試験)ではほぼ満点を取っていて、性格適性検査ではやや嘘つきと出ていて、肝心の面接試験では、「明るくハキハキしていて、利発な印象を受ける」とあった――採用試験でわかることなど、この程度のものだ。
いったん話は逸れる。私が採用された背景(どんな目的を叶えたくて私を採用したのか)、当時の市長から受けた勅命を述べる。
「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」「次世代に残すべき職員を採用する」「そうした職員が辞めない環境を作る」といったものだ。
冒頭に述べたように、このK市の新規採用職員の3年以内離職率について、十数年前は1割未満だったものが、私が市長からスカウトされた年には約35%まで悪化していた。20人採用したら、3年以内に7人が辞めていることになる。3年超えになると、もう数パーセント上昇する。
辞めた者の中には、将来を嘱望される人材が何人も含まれていた。ボリュームゾーンは30才手前で、これまで将来を期待されて県庁や国の機関に出向したり、エース級の職員が配属される部署で頑張っていた職員らが退職を選んでいた。この状況を正すことが、私に課せられた任務だ。
市長の談によると、人事課が収集した退職理由の中でトップだったのが、「将来、昇進しても幸せになる未来が見えない」で、肉薄して2番目だったのが、「異常な言動を取る職員が多いうえ、上の人が彼らに何の対策もしない。働いているのがばかばかしい」というものだった。
このうち、私が解決に役立ちそうなのは二番目の課題だった。一番目の課題は、プロパーの職員が自ら考えて実行すべきことである。外部の人間である私が考えるのはお門違いだ。アドバイスはさせてもらうが……。
話を戻す。
これらを踏まえて、B子さんへの対応を考えることになる。面談を終えて、私はその場で人事課長に目配せをして問いかけた。
「B子さんを切りましょう」
「試用期間とはいえ、難しいのでは。やめておきましょう。あの子はまだ若い。立ち直るかもしれない」
ツッコミが入った。想定どおりだ。
試用期間中の分限免職処分は、K市はもちろん、県内他市町でもほとんど例がない。が、私はそれに成功した市町村のいくつかを研究していた。
「試用期間での成績が不良である場合、正式に採用しないことができます。判例を調べましたが、いくつかの市町村では実際に行われているようです」
「うん……考えるべきところではある。あの子は、ちょっとひどいとも思います。ただ、私の権限ではちょっと決めかねます」
「わかりません。市長にも副市長にも総務部長にも伺ってみないと。これは全庁的な問題なので、もっと、いろいろと議論を重ねてみるべきかと」
「市長は問題ないでしょう。ほかの人は私が説得してみます。しかし、第一には人事課長であるあなたの職分ではないですか」
「それはそうですが、職員の進退そのものを判断することはできません。それを言うなら、私さんの役職は一応は部長級なんですし、私らと違って一流の会社にいましたし、市長の元部下なんでしょう。私よりもやりやすいんじゃないですか。とにかく、私にはどうすべきかわかりません。例年であれば、あの子はそのまま正式に採用されます」
人事課長は乗り気でないようだった。
それから面談室を出て、人事課に戻って、課内の奥野須美に着席した。
私の机と椅子は人事課の奥にある。
2022/01/02 追記 奥野須美さんには着席していません。奥の隅の誤りです。
その後も何度か討論を重ねた後、B子さんへの対応が決まった――退職勧告だ。
後日、総務部長の口頭での承認を得た。市長は、「お前の好きにやれ。判は押す。証拠は絶対に固めるように」とのこと。副市長は猛反対だった。予想どおりの瞬殺だった。
そして、不安そうにする人事課の職員らに対して私は、「市長からは、現場で判断していいとの答えをもらっています。何かあれば私が責任を取ります。あなた達に迷惑はかけません。協力を求めます」と答えた。
責任など取りたいはずもない。が、ここはレイズの場面だ。攻めるのだ。戦え。今しかない。ここで勝てれば、私の信用は外部登用組の管理職(※当時、国や県や民間から計4人の出向を受け入れていた)の中でも相当に高くなる。ここは何としても取りたい。
方針が決まったとなれば、後は実行だ。
今回のメンバーは、人事課長と私だった。前回は私が面談を主導したので、今回は課長が行うことになった。こういう貴重な経験は、多くの人間でシェアすべきという考えによる。
人事課長は、不安そうな顔つきだった――この人は将来を嘱望されている。当時は50代半ばで、順当に上の人間の席が空けば総務部長にもなると言われていた。
「安心してください。上の人間は『方針』を認めています。あくまで方針だけですが。今後のK市のためにも、ぜひあなたが実施すべきです」
私が激すると、彼はしぶしぶ動き出した。
そして、いよいよ始まった面談は、思ったよりも淡々としていた。B子さんが面談室に1人で入ってきた時、人事課長がソファの中央に腰掛けていた。話の最中は、私が脇にある椅子で見守っていた。
さて、Bさんとのちょっとしたやりとりの後、人事課長は「あなたを本採用できません」と告げた。それから、理由などの説明が終わると――B子さんは顔を一瞬だけ歪ませて、また元の顔に戻ると、「わかりました」とだけ告げた。面談後は、泣きそうな表情でその場を後にした。抵抗はなかった。
あっけないほどすぐに終わった。時間にして5、6分だった。もっと抵抗されると思っていた。本人もわかっていたのではないだろうか。自分がこうなることを。
「〇〇課長、やりましたね。苦しかったでしょうが、これが新しい一歩なんですよ。踏み出せたじゃないですか」
私は、片方の拳で人事課長の脇腹を貫いた。彼はちょっと痛がるようにしてから、拳を額に当ててソファの上で態勢を沈ませる。
神妙な面持ちで、「B子さんは何とかなるんですかね。これは脅しの一種ですよね。反省すれば、クビにはならないんですよね?」と呟くように述べた。
「お前みたいな悪いお人好しが組織を腐らせるんだよ。もっと組織のために悪者になってみろ」
という言葉を飲み込んで私は、その場の片付けを始めた。
B子さんの退職の話を聞いた副市長が、再び私と総務部長を呼び出した。やはり逆鱗に触れたようだった。今回は稟議書(※B子さんの聴取記録のこと。A夫さんは犯罪の関係で市長までそれを回す必要があった)を回すほどの案件ではなかったのに、なぜわかったのだろうか。私だってB子さんの今後を考えている。分限免職だが、形式上は年度末での通常の退職という形にしていた。
副市長とは激しい議論になった。彼が退職するまで、少なくとも5回は苛烈な論戦をした思い出がある。私は何度も説明した。これから公務員業界が厳しくなっていく中で、これまでの人事政策を変えていく必要があることを。勤務成績が極端に悪い職員を追い出すことの合理性を説いた。
が、わかってもらえることはなかった。副市長は、人事課の主導で職員を辞めさせるのを避けたいようだった。最後に、こういうやり取りがあった。
「市長が「それでいい」と、どうしても言うなら私は反対しない。一番に重い責任を取るのは市長なんだから。しかし……こうした案件について私は承認しない。法令上は、市長の意思さえあれば有効な意思決定だ。やりたいなら好きにやれ。もうこういった件は私のところに持ってくるな。不愉快だ。いいね?」
「いえ、それでも副市長に話は持っていきます。ここのルールですからね」
数日後、B子さんの母親から人事課に電話がかかってきた。電話を受けたのは私だった。「B子の母です」と名乗る声を聞いた時、私はB子さんに関係する資料を手元に手繰り寄せた。
「この度は、娘が申し訳ないことをしました。本当にすいません」
開口一番がそれだった。
B子さんが本採用にならなかった理由は本人に説明したが、母親が再確認をしたかったようだ。
「理由はB子さんが述べたとおりです。公務員、いや社会人としてよくない面が多すぎました。もちろん、いきなり職場に来るなということではなく、来年3月末までは在籍できます。給料もボーナスも満額払われます。その間に、また就職活動の方をしていただいて~」
「本当にすいませんでした……お給料までお支払いいただいて。今回はご迷惑をかけましたが、何かあったらまたよろしくお願いします」
終始謝りっぱなしだった。この子にしてこの親あり、という俗諺の例外を今まさに見ていた。
「この親からあの子が育ったのか!?」とその時は何となく考えていたのだが、後日、答えのようなものが見つかった。申し訳ないが、ここで公表することはできない。一線を越えていると判断する。
その時、私の中に罪悪感のようなものが込み上げてきた。世の中には、どうしようもない事情というものがあって、それに翻弄され続ける人間も当然に存在する。B子さんも、その1人だった。
少しだけ話そう。あの後、総務部長が、「せっかくだから、もっとあの子を調べてみたら」と助言してくれた。指示されるがまま、市民課(住基ネット)や税務課(税務情報システム)や福祉課(福祉情報システム)でB子さんの情報を集めてみた。すると……。
今の私が、当時の私にアドバイスをするとしたら、「あと1年は様子を見てもいい」(地方公務員法には試用期間延長のルールがある)と告げるに違いない。
いかに私が民間企業で人事責任者をやっていたとしても、人にはその数だけ事情がある。即座にすべてを把握する力はない。結果的に、私はそれを汲み取ることができなかった。もっと、深く細かくB子さんに寄り添っていたらよかった。
ここまでの描写だと、まるで私と副市長が犬猿の仲だったように映るが、実際には違う。仕事で一緒になることがあれば、普通に冗談などを言い合っていた。
例えば、遠方にある他市町の児童福祉施設を視察していた時だった。市長、副市長と私その他は、保育の現場を見た後に自由見学していたのだが、やがて2階の大きな吹き抜けになったフロアの隅に辿り着いた。そこには、「幼児 プレイコーナー」と看板に書かれたスペースがあって、どうやら小さい子ども向けの遊び場のようだった。プラ素材の小さい滑り台から、小学校低学年向けのジャングルジムまで、様々な遊具が置いてある。
副市長は、「あの名前は気に入らない」と呟いた。文書のインデントが0.5文字ズレているだけで不機嫌になる人だ。例えば、いま私は、上の「幼児 プレイコーナー」を半角スペースとしたが、K市で働いている時なら公務員業界の慣行に従って全角スペースにしただろう。
私は、「一般的な名称だと思いますが……どこかおかしいところが?」と意見したところ、「色々ある」とだけ返ってきた。
夜になって、視察終了祝いの一次会があった。さあ次はどこで飲もうかと、市長や副市長その他と歓楽街をうろついていた。このレベルの役職の人はK市内で飲めないため、こういった視察が貴重な機会になる。
と、酔っぱらった副市長が私の襟ぐりを掴んだ。風俗街の一角を指さしている。
「幼児プレイあります」「ママに甘えたい!」「授乳もOK」などと書かれた看板やのぼりが立ち並んでいた。
「後で行ってみるか。おごるぞ」と意気込む副市長に対し、市長が「昼もやってるみたいだ。なあ副市長、視察の前に(以下自主規制)」とツッコミを入れていた。
それで私は、「もしかして、副市長はあのとき風俗のことを考えてたんですか!? あの真剣な顔で、さっき現場で見たどの先生がよかったとか? ねえ副市長」
「ふざけているのかお前はッ!! 真面目にやれ!」
副市長は激昂していた。
歓楽街の一角で怒鳴られる私を尻目に、市長とほかの幹部はどこかに行き始めていた。
「わからないです」
「法律では満1歳から就学前の子どもを幼児と言うんだろうが!! あそこには小学生も遊べる立体遊具があっただろうが!! 矛盾に気づけッ!」
「すいませんでした」
年に一度は視察などで副市長と飲む機会があったが、普段が真面目すぎるだけで、面白い顔もちゃんとある。
人間は基本的にそうだ。あなたにとって好きな面も嫌いな面も、両方ちゃんと澄んだ目で見ることができるのなら、ケンカになっても関係が壊れることはない。
あなたは、自分が嫌いな人間のことを認めることができるだろうか。人のいいところを見つけることができるだろうか? 自分でも今、何を書いているのかわからなくなってきた……。
A夫さんとの面談の日はすぐやってきた。先日と同じ面談室だった。
こちらは予定どおりの布陣で、A夫さん側は2人。今回は上司と一緒だった。「一緒に来てほしい」と上司に頼んだという。
あの時と同じく、だらしない恰好だったが、上司の指導によるものか、前回よりは綺麗だった。ネクタイはまっすぐで、謎のシミもない。
「A夫さんですね。今年から人事~~として採用されました××と申します。前回、あの端にあるソファに座っていた者です……いきなりで申し訳ありません。A夫さん、今日はどうして呼ばれたかわかりますか?」
「そうです」
※方言を標準語に直したうえで、特定のおそれのある箇所を編集している。以下、職員の会話はすべて同じ処置を行う。
会話のクッションを何度か挟んだ後、私はついに言った。
以下、主要なやり取りを抜粋する。
「単刀直入ですが、A夫さんには退職の道を選んでいただきたいと考えています」
「……ん?」
「いや、いや、それできないでしょう!」
「市としての決定です」
「労働組合は?」
「組合は関係ありません。組合に入っていようがいまいが、処分内容が変わることはありません。今回、あなたは万引き、窃盗という罪を犯しました。それだけでなく、過去に社会人としてよろしくない行為、仲間から尊敬されえない行為を繰り返している。改善の見込みもない」
私は、A4用紙にプリントされた罪状を読み上げていった。その数は20件以上にもなる。
どうしてこんなものがあるかといえば、人事課のデータベースに、職員のさまざまな問題行為が毎年追加されているからだ。三十年以上前の忌避行為であっても筒抜けというわけだ。
A夫さんは硬直していた。最初よりもはるかに緊張感に満ちている。睨むようにこちらを見つめながら、両手の指を組んでさするような手つきだった。
彼の上司は、何も言わずに片目でガラス卓の鏡面を見ていた。部下を庇う様子はない。
「なんとかなりませんか」
「なりません。しかし、総務部長とも話し合った結果、A夫さんが自ら退職願を出すのであれば、懲戒免職にはしません。通常どおりの退職となり、退職手当も満額出ます。これまで40年近くもK市のために働いてこられたんですから、この程度の寛大な措置(※諭旨免職)はあってしかるべきかと。そのうえ、今回は早期退職制度の利用を認めるので、割増退職金もつきます」
「わかりました。では、こちらがA夫さんが今回の処分に不服である場合の申し出のやり方を書いた資料になります。受け取ってください。それで、A夫さんがどうしても納得いかなければ」
「……はい」
「K市は妥協しないので、後は裁判しかありません。判決でA夫さんの主張が認められた場合は、K市に残ることになりますが、今の部署は相応しくないと判断されるため、異動を覚悟してください。今のところは、〇〇課か〇〇センター(※一般的な公務員にとって辛い労働をする部署。不要と判断した職員を、サイコパスと思しき管理監督者の元で働かせる。その管理監督者というのも、K市にとって不要な人材と判断されたため、同じく問題職員を監視するポストに就いている。いわゆる蟲毒)を予定しています」
「A夫さん。あなたは罪を犯しました。信用失墜行為です。全体の奉仕者としてふさわしくありません。繰り返しますが、本来の処分は懲戒免職です。しかし、法をそのまま適用すべきでない場面だとも判断されることから、これまでのA夫さんの功績を考慮して依願退職を認めるものです」
A夫さんは、不服申し立てに関する資料を受け取ると、そそくさと出て行った。彼の上司がその後に続く。
それからの1か月は、あっけないほど順調に進んだ。
まず、労働組合の執行委員長や書記長ほか数名が怒鳴り込んできた。彼らのスタンスはわかっている。怒鳴り声に2、3分も耐えていると、あちらも私達が本気であることがわかったのか、冷静になった。
「組合としては、A夫さんは必要な職員だというご認識ですか?」
「組合員としてA夫は仲間だと思っている」
「知ってのとおり、A夫さんは信用失墜行為を犯しています。K市としては、彼のような職員はいりません。A夫さんが、自らの意思で早期退職を選ぶのであれば問題ないですね」
「当局がA夫を脅迫しているなら話は別である。もしそうなら、仲間として守らせてもらう」
「そうでないならいいんですね?」
「当局は~」(以下略。何かあっても組合に責任はないことの確認をしていた)
さて、労働組合の本質は政治運動にある。K市の組合もそうだった。加入者の毎月の給料から約3パーセントを徴収し、その何割かを左派政党に納める。そして、プッシュした議員に労働者寄りの政策を実現してもらうのだ。
職員労働組合――職員同士の互助会であり、組合員を不当な権力から守るという本来的な意味での組合活動は、それに比べると優先順位が低い。口には出さないが、彼らはそう思っている節がある。この事件の後で、団体交渉を何度も経験した私はそう直感した。
A夫さんは、別に組合にいてもいなくてもいい。組合費が入らなくなるのは惜しいが、当局(※労働組合は経営者側をそう呼ぶ)に対して、「A夫さんをなんとかしてほしい」と交渉するまでの価値はない。とはいえ、組合員のために戦った、働いたという実績はほしいので、こうして形だけの食い下がりを続け、ほどよいところで悔しそうに退散する。それが私が見た、一市町村の労働組合の姿だ。
これ以降、私は計15人の問題職員に退職勧告を行い、そのうち13人が実際に退職した(残り1人はK市を訴えた。もう1人は更生の余地が認められたので勧告を撤回)のだが、労働組合が最後まで食い下がって助けた職員の数はゼロだ。本気で当局(私たち)を動かそうと行動に出た回数もゼロ。こうして辞めたうちの1人は、組合の元役職持ちだった。
彼らは、口酸っぱく、「当局、当局!」と騒ぎ立てるだけだ。本気で争うつもりなどない。ただ組合員に、「当局は許しがたい行いをしている」と知らせるにすぎない。
交渉のテーブルの上で、彼らはよく主張していた。「仲間をクビにするとはどういうことか」「同じ職員として恥ずかしいと思わないのか」「〇〇さんは十分市に貢献してきたはずである」と。しかし、同じ交渉の最中に、「職員組合としては、免職処分の取り消しと引き換えに、このようなことできる~」などといったバーターの提示や、「取り消さないなら現業ストライキを行うことを辞さないが~」(※公務員は労働三権の一部しか認められないが、現業職員に限ってはもう少し広く(+団体交渉権と協約締結権)認められている。なお、現業職員であってもストライキは認められないが、一部の地方自治体では事実上のストが行われることがあるという)といった、交渉者としての態度が出てくることはなかった。
彼らは、組合の利益が薄いと見るやいなや、交渉と見せかけた陳情だったり、見かけ倒しの規範論を繰り返すばかりだった。これは、まったく個人的な感情になるが――それにしても気持ちの悪い連中だった。偽善と嘘ばかりを繰り返している。ああいう男らしくない連中には虫唾が走る。
結局、A夫さんは、年度末での退職を選んだ。
何のことはない。あと数年で定年退職だったので、裁判で争うよりも、あと1年未満でいいので今の職場でゆっくりやりたいと考えたのだろう。正しい判断だと思う。
勝てるかどうかもわからない裁判を抱えて、勝ったとしても地獄のような部署で働くことになるよりは、早期退職を選んだ方が本人にとっていい。
今回の結果を受けて、副市長が激怒した。私は電話で副市長室に呼び出され、ほかの総務人事関係の幹部職員と一緒に説教を受けた。
上述のとおり、市長から退職勧告を行うことについての了解は取っていた。以後、A夫さんが退職を決めた後で正式に市長の了解を取り、文書での稟議を回していた最中の出来事だ。意思決定者の合意が先で、文書での伺いは最後。民間企業でも一般的なやり方である。
誤算の一つは、市長や他の幹部が副市長に一声かけていなかったこと、もう一つは副市長が同意しなかったことだ。主には、私がK市での仕事に慣れていなかったせいである。
・なぜ早まったことをしたのか?
・身分保障という慣行を破ってはならない。先人が決めて守ってきた大事なルールである。
といった意見をぶつけられた。副市長とA夫さんが同じ年に入庁した同期という事情もあっただろう。ちなみに人事課長も同期だ。
ほかの幹部は、申し訳なさそうにしていた。私は堂々たる姿勢で、「K市にとって不要な職員だと判断しました。罪を犯したのに反省の色もなく、最初の面談ではヘラヘラと笑っていました……切るべきかと。市長もやってみろ、と言っていました」と答えた。
これらの台詞は、当時のメモを見返しながら書いている。そこまで間違ったものではないはずだ。私は確かに、副市長に対して上記のような返答をしている。
こういう時に大事なのが『自信』だ。自らの想い、行動への信仰と言い換えてもいい――下の人間に好き放題やられた副市長からすると、自信なさげだと「悪意でやった」と思われかねない。越権行為であるからこそ、組織にとって正しいことをしたのだとアピールする必要があった。
「目的はわからなくはない。理解はする。だが、こういったことをする場合は、私に事前協議するように。私を飛ばして市長のところに行くな。今後相談しなかった場合は、決裁の判を押すつもりはない」
それが副市長のメッセージだった。その後、幾人もの問題職員が諭旨免職によりK市を辞めることになった。副市長のところには事前協議に行ったが、判を押してくれたのは2人分だけ、A夫など比較にならないほどの悪に限って決裁の判を押してくれた。
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
これは、私が要約した副市長の主張だ。
一応言っておくが、副市長の考えは正しい。ただ、私や市長の考えと合わなかっただけだ。公務員の身分保障は、行政行為を円滑に回すための全世界共通ルールである。実際、公務員に身分保障がなければ、社会制度をまともに維持できないことには私も同意する。
例えば、税務系部署にいる職員は、自らの裁量で税務情報システムにログインし、市民の課税情報を書き換えることができる。K市くらいの住民規模だと、上司もいちいち課税情報の変更をチェックできない。彼ら彼女らは、やろうと思えば不正ができる。
もし彼らの身分が保障されていない(生活できないレベルの給与水準、簡単にクビを切られる環境、権力者に脅迫されても守ってくれる存在がいない)場合、何が起こるのかを想像していただければ、副市長の言うことに理があり、私があくまで慣習への一挑戦者にすぎないことを理解いただけると思う。
3週間後の2回目接種も予定されている
(うろ覚えなので間違っていたらごめん)
1月 区の薬剤師会から接種希望する職員の人数を教えてほしいと依頼が来る
その後さらに案内があり、東京都薬剤師会の予約システムサイトに接種希望者の個人情報を登録(接種当日の本人確認のため)
4月頭 予診票(ワクチン打つ前に書く、持病とかを聞いてくる紙。いま高齢者に届いてるものと基本同じ)が届く
予定された日時の中で接種したい所を第三希望くらいまで書いて提出
4月末 接種日時決定のお知らせが届く
5月頭 1回目を接種
なお、都薬ではなく東京都のシステムに登録する方法もあるらしい
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/iryoujyujisyatourokusaito.html
この場合、薬剤師会を絡めた集団接種ではなく、別個に予約をとる必要があるらしい
こっちの方法だと電話が繋がらないとか色々大変そうだった(自店の話じゃないので詳しく知らん)
「医療従事者集団接種」と看板が出てたんで薬剤師以外もいたんだと思う
受付は記入済みの予診票と身分証を見せるだけなので待ち時間も待機列もほとんどなし
接種もすぐ終わるけど、アナフィラキシーに備えて15分は待機するよう言われる
待機場所での会話は控えるよう張り紙が出てたけど、みんな同僚同士で来てるから当然に喋ってた うーん
間隔30cmくらい開けて並んでるパイプ椅子に座りながらだからまあ…
自店では8割5分だった
https://pnb.jiho.jp/tabid/68/pdid/28478/Default.aspx
他県の薬剤師会のサイトを見ると、都と同時期に類似システムで進めていそうな感じ
https://www.mypha.or.jp/corona-vaccine/
http://www.doyaku.or.jp/coronavaccine/index.html
https://y-yaku.or.jp/banner/vaccine/
まあダメでしょ
本当に「医療従事者だから」で通ると思ってるなら、区職員が最初に言ってたとおり
https://www.pref.aichi.jp/site/covid19-aichi/yuusensessyuoshirase.html
このシステムを会長夫妻も秘書も知らなかったなら「現場の医療従事者」では全然ないし
知ってたけど県のを使わずに市(本来高齢者枠のみの対応)へ何度も個人的問い合わせをしてるなら
それは圧力ととられても仕方ない
(本当にただ問い合わせたいだけなら匿名ですればよいのでは?)
現に副市長は「医療従事者だから」じゃなくて「市への貢献度が大きく、お忙しい夫妻だから」と言ってしまってる
市への貢献度を盾にして仕事を増やさせるような真似を
よりによって薬局という医療機関を経営している会社がするなよ…
もう何年経つだろう。
その子を初めて見たのは、とある市町村のふるさと納税制度の運営パートナーを決めるためのプロポーザル型入札の会場だった。
100㎡もないだろう狭い会場の中に私達のグループが入ると、市の職員が数名、一番遠くの壁に並んで立っていた。ふるさと納税の担当部署の職員だった。
その一番左端に、その子はいた。若い職員だった。爽やかなセミフォーマル姿で、装いはパリッとしている。物憂げな瞳を足元に向けて不安そうにしていた。
スライドの正面には、険しい顔つきの幹部職員が座っていた。審査員の顔を見渡し、私達は最初の挨拶(会社と説明者の紹介)を簡単に述べた。副市長の「それでは始めてください」という合図と一緒に、『その子』もすぐ後ろにあった長椅子に他の職員とともに腰かけた。
なぜ、その子の姿が目についたかというと、清潔感だ。清潔感がとんでもなかった。若いっていいな、自分もあんな25くらいの頃に戻りたい、という雑念を捨ててノートパソコンを立ち上げ、レーザーポインタを起動した……
約1週間後、弊社がめでたく第一候補者(※ほぼ内定という意味)として選ばれた。契約書に押印するため、F市役所へと、私が席を置いているオフィスのトップ(所長としておく)と一緒に向かった。
ふるさと納税の事業担当課(地域を盛り上げる的な名前が付いていた)の窓口に行くと、まだ約束の10分前だというのに、その子(Sさんとする)が待機していた。あの時と同じように緊張した面持ちだった。すぐ隣には、四十代半ばくらいの男性上司がついている。
「先日はどうもありがとうございました!」
「緊張しましたよ~」
みたいな世間話をちょっとした後……契約書に印紙を貼って、割り印をして、契約者名のところに押印をして、最後に捨て印を押そうとすると、いらないですと言われ……そして、Sさんに契約書を手渡した。
Sさんが不慣れな手つきで2枚の契約書に市長の印鑑をゆっくりと押すと、はにかんだ笑顔で1枚を返してくれた。
「今後、私がF市の事務担当者になります。今後ともよろしくお願いします」
こんなやりとりだったかな? 男性上司の人は、「この子がメインで渉外を担当します」と説明していた。
衝撃を受けた。想定よりずっと若い人だった。
私がSさんくらいの時は、毎日サークルの部室でごろごろして、アルバイト帰りに仲間と飲みに行って、恋人と別れてショックを受けたりしていた。
それだけに衝撃だった。異常だ、とその時は感じた。でも、それは私達から見た場合の感覚であって、向こうからすれば違う。高校を出てそのまますぐに就職する。そういう人も多くいて、たまたま私達の世界に大卒が多いだけで。それだけの話だった。
大学生ほどの年齢の子が、ふるさと納税という大きなお金が動く舞台で、公務員組織にとっては重大なチャレンジであろうこの機会に、一応はプロのITコンサル(ITだけじゃないけど…)である私達と折衝する役割を担っている。
私の経験上、官公庁側のこういった花形事業の担当者は、〇〇長が付くような役職の人か、30代前半くらいで、昇進が期待されている人が選ばれる。
契約期間は2年だった。
その間に、ふるさと納税制度の導入パートナーとして、システムの整備やら、返礼品の選定やら、業務フローの構築やら、その自治体が安定して制度を回せるまでの準備をしていく。
3年目に晴れて制度がスタートしたら、弊社はシステム保守業者として、毎年度、特命一者タイプの随意契約によって安定的に仕事を得ることができる。
肝心のSさんだけど、こちらの想定よりも頼りになる子だった。普通なら無理なお願いも聞いてくれて、それでいてこちら側の仕事、主にシステム関連の知識をぐんぐん吸収していった。
地頭がよく、それでいて物事に対して本気になることができる。そういう子だった。
ちょっと脇道に逸れる。
この時は、「F市ふるさと納税制度導入パートナー選定業務」みたいな件名で入札が行われたのだが、弊社が勝つ確率は約85%と推定されていた。
というのも、入札実施の前年度に弊社がF市に呼ばれ、「ふるさと納税をやろうと考えているのですが~」といった具合に相談を受けた後、参考見積書と設計書をF市に提出していた。そして、入札にあたっては、その参考見積書と設計書がそのまま採用されている。
おわかりいただけたかと思うが、他社がプロポに入れないよう、提出書類に予め細工をしておくのだ。そうすることで、こちらに有利な形で契約を取りに行ける。実際、プロポに参加した企業は弊社のほかに2社しかなかった。その経済圏におけるライバル企業の数は優に10社を超えているにも拘わらず。
一般に、地方自治体の担当者はIT関連に疎いことがほとんどであるため、こうしたことが通用してしまう――でも、Sさんは違った。上記に挙げた弊社が勝った理由について自分なりに考えて、私達に指摘をしたのだ。
「ほかの自治体でも参考見積書を出したら入札にかなり勝ちやすいんですよね?」と自然に切り出したうえで、他社が入札に参加できないように行った諸々のワザを見抜いた。
Sさんは、システム関連の勉強をして、プログラムの打ち込みに挑戦して、職場でも、電子機器の導入やセキュリティ責任者といった役割を買って出ていた。
一方で、おっちょこちょいなところもあって、メールに添付文書を忘れるのはしょっちゅうだ。褒められると顔を真っ赤にする。急に頭の回転が鈍くなって、とんちんかんな冗談を言ったりする。
一応はコンサルなので、競合他社と同じく顧客の評価やランク付けを行っている。その中でも、F市のランクは高い位置にあった。
無茶な要求をしないし、レベルの低い問題でいちいち呼びつけたりしない(自分達で解決する)し、十分な契約金額と契約期間を用意してくれた。市役所内のシステムの深いところの情報(通常、外部組織に閲覧させるべきではないもの)を見たいといった時も、システム管理課に掛け合ってくれ、数時間もかからず情報を手に入れることができた。
その2年間で、Sさんの表情が曇る時もあった。
年配の職員がSさんの隣に座っていたのだけど、折り合いが悪そうにしている時があった。その先輩がSさんに行った指摘について、私が座っている窓口まで聞こえることがたまにあったが、大抵は些末な内容だった。
文字の送り仮名(行なうじゃなくて行うとか、見積もりじゃなくて見積りなど)や、請求書の処理件名の些末だと思われる部分の指摘、イベント運営マニュアルでの各人の動き方(特にその先輩の)について具体的に文書で示すようにとか、ほかにもグチグチと同じようなことを言っていた。その人との話が終わった後に窓口に来たSさんは、大抵ムスッとしていた。表情が曇っていた。
ある訪問機会のことだった。うちの所長が私と一緒に来ていて、Sさん一人が役所の玄関まで送ってくれたことがある。玄関から離れて社用車へと歩き出す直前、私はついに言ってしまった。
「Sさんは公務員も向いてるけど、コンサル業界も向いてるんじゃない!?」
反射的に「やばい」と思って、所長の顔を見た。
「うん。Sさんウチおいでよ! 歓迎するよ」
所長もノリノリだった。Sさんは俯いて、唇を尖らせていた。
「まだ21なんですけど」
「大丈夫。また今度考えてね。〇〇さん(※私)も応援しているから」
帰りの車の中で、所長が言っていた。
「もちろん冗談だよ。あの子は公務員の方が向いている。でも、うちの採用試験に来てほしいとも思う。働けるだけの実力は多分持ってる」
……それから一か月後。私の携帯に電話が入った。Sさんからだった。
市役所の仕事があんまり好きじゃないんだって。今の仕事は楽しいけど、前の部署で戸籍の仕事をしていた時は、やめたくてしょうがなかったんだって。何から何まで細かすぎるところと、自分で考えて動けないのが嫌なようだ。自分で考えて、自分で動いて、結果に対して責任を取るタイプの仕事がしたいらしい。
私一人で考えてもしょうがないので、所長に報告をして、本社のスタッフ部門にも相談したところ、結論が出た。
・理由①として年齢。大学を出ていないコンサルタントはいるが、そこまで若い人は例がない
・理由②として取引先との関係。人を奪うようなことをすべきではない。彼女が本当にその気であれば止めないが...
・あなた達がそこまで推すなら、23才になったら採用試験を受けてもいい。ふるさと納税導入パートナーの契約期間が終わるまでは必ず待つこと。
あと1年ちょっとだった。
私はこの時、Sさんにとってどんな道がいいのか? と思案していた。
普通に考えれば、地方公務員の方がいいだろう。コンサルタントの道を勧めてよかったんだろうか、あの子を不幸にしやしないかという不安に捉われたのを覚えている。自分で言い出しておいて、本当に勝手なことを考えていた。
それから約1年後。弊社が借りているオフィスの一室に、Sさんがスーツ姿で現れた。
相変わらず、清潔感が抜群だった。真白のシャツがよく似合っている。
試験は何の不安もなかった。書類選考は顔パスだし、筆記試験(Webテスト)は限りなく満点に近かった。
一次面接を務めた私と所長は、Sさんに対してほぼ同じ結論を下した。内容としては、①地頭がいい。頭の回転の速さも悪くない、②温かみがあり、顧客の安心に繋がる話し方である、③偉ぶったところがなく謙虚な姿勢が見える、といったものだった。
本社での二次面接も無事に終えた。面接官だったディレクター(日本企業でいうと本部長~役員くらい)に電話で話をうかがったところ、「概ね一次面接の印象のとおりの子だった。難点として、芯が弱いところがある。強烈なキャラクターの顧客相手だと通用しないだろう」とのことだった。
「次の面接には進めますか」と聞いたところ、「三次面接を行う必要はないと判断した。他社も受けているとのことだったので、ここで内定を出す。弊社のほかは辞退するように伝えてほしい」
当時のメモによると、私はディレクターとこうしたやり取りをしていた。懐かしい思い出だ。
当時は、「Sさんが採用されますように! 弊社でなくても、ほかのコンサルに入れますように」と毎週のように祈っていた。それくらい、Sさんは性格のいい子だった。今でも、あの笑顔を思い出して幸せの余韻に浸ることがある。
そろそろ結末について話す。
Sさんの退職時期と、ふるさと納税導入パートナー企業としての契約期間の満了はほぼ同時だった。
最後にSさんの職場を訪れた時の、あの男性上司の苦渋の顔を忘れることは難しい。
やるせない表情をしていた。見た目は笑っているけど、心の中でなにかヘドロのような汚物がブンブン飛び回ってるんじゃないかって、そんな顔つきだった。
Sさんがうちに来てくれたのは嬉しいけど、本当に申し訳ないと思った。
さて。通常のパターンだと、ふるさと納税を運営していくための基幹システムの整備や地元産品の手配体制、業務フローの構築などを終えると、弊社はシステムの保守管理を地方自治体から請けることになる。
……タイトルにもあるように、弊社は入札の指名を受けられなくなった。法律上は指名停止の理由にあてはまらないので、指名リストに載ったまま『除外』された。弊社はもう、F市から参考見積書や設計書の提出を依頼されることはないし、プロポーザルに呼ばれることもないし、参加申込ができたとしても必ず負ける。
システムの保守管理は、F市が戸籍や市民税のシステム保守を請け負っている会社が一任することになった。その後、弊社のスタッフがF市を訪れたことは一度としてない。
当初は、「ウチのスタッフがいないのに保守なんてできるの?」と疑問に思っていたけど杞憂だった。Sさんが気を吐いて、どんな職員や業者に当たってもシステムの運用管理と保守が担えるように引継資料を作っていた。
今回のような事態を予測したり、意識していたわけではないだろう。ただ、Sさんが仕事に対してひたむきな人だったから、物事に対して本気になれる人だったから、普通の地方公務員のレベルをはるかに超えて、みんなのために頑張ることができた。それだけだ。
筆に熱を込め過ぎた。反省している。
あれから4年以上が経って、私は別の会社に転職した。SさんはITとは別の分野に異動になり、忙しい毎日を送っている。はてな匿名ダイアリーを見ている可能性は0%といってもいい。それくらい忙しい環境だ。辛い日々を送っているかもしれない。いや、確実に辛いだろう。それこそ地獄のように。
今でも思い返すことがある。私があの時、Sさんを誘ったのは本当に正しかったかということだ。
私はSさんが職場で悲しい顔をしていた時、なんとかしてあげたかった。そんなことはできるはずもないけど、それでも助けてあげたかった。だから、無責任な立場ではあったけど、うちに来てみないかって、声をかけた。
本人にとって良き選択だったのか、それがわかるのはまだずっと遠い未来のことだけど……過去でも、現在でも、未来でも、私はSさんの幸せを願っている。
一緒に働けたのは短い間だったけど、楽しかったよ。また会おうね。