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2018-10-22

ドリフェス!ファンになれなかったオタクの話

 10/21、日本武道館

 ドリフェスが終わってしまった。

 私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツであることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。

 私は特撮が好きで、でも俳優のものは好きにはなれないタイプオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。

 これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だからドリフェスファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。

 そんな時に、TwitterAGFでのドリフェスツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェス出会ってたった数週間目のことだった。

 その時に流れてきたRTひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元ドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。

 それからはずっと葛藤しかなかった。

 二次元三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリ課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)

 武道館2days、本当は1人で行く気だった。

 仲間にされたくなかった。誰かに勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。

 20日

 私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカ飛ばしたことは無かった。でも最後からと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル三次元匂いがしないものを選んだ。

 ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。

 三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。

 この日のラスト石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。

 私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。

 翌朝、恥ずかしくなってホテル手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙未来永劫、私の本棚眠ることになるだろう。

 21日、アリーナ

 一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ち強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死ファンを取り繕っていた。

 最後挨拶石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。

 そして、ライブ楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しいアプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。

 ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスファンになることが夢で、明日にはドリフェスファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。

 昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。

 感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!

 それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。

 無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。

 叫んだあと、ショックで椅子に座った。

 言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。

 そのあと、2度目のアンコールが起こった。

 私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。

 石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館ファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。

 あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分感情に嘘をついた。私は自分感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。



 私、別に珍しいタイプオタクじゃないと思うんですよ。

 私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。

 ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元ライブ行ったあと、二次元キャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元ライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。

 その声はどんなに隠しても確実にキャストスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。

 ドリフェス完璧コンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快コンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。

 ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。

 そうキャストに言われた瞬間、本当に無力感が私を襲った。

 こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから相手認知されるのは苦手なんだ。

 私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。

 ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。

 行ってない、会えない、現場はいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月空の中上着ロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。

 これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。

 それで、武道館DVD石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。

 消えるべき存在だった私が、自分ファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。

2018-10-18

セフレへの片想いをやめた

10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリ希望もない恋だった。

好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢今日自分で選んだ。

好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。

特別可愛いわけでもスタイルいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意プライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。

好きだった人と同じ髪型だったかLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。

「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。

私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。

いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。

これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。

「変わった人だなあ」が第一印象だった。

その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。

2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。

それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいももう少し一緒にいたかった。でもその感情好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。

ホテル映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロール流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。

それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。

このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。

それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。

彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬オーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。

そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛アクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。

「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」

保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。

はいつまで経っても告白の返事をくれなかった。

告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。

「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。

8月14日お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。

ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後から」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。

それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。

すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ

ていったのは確かだった。

でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人SNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒さらに揺れて、そう長くは続かなかった。

「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿たことを思った。

そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所待ち伏せをした。

彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。

彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。

2月17日、たった1時間ちょっと時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。

2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。

10月16日。彼のSNSひとつに鍵がついた。もうひとつSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。

息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎキスをして、セックスをするんだろうな。

悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。

これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。

ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。

彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージ検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。

好きな人には、彼女はできていなかった。

「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。

喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。

好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。

彼の写真を消した。何度も見返したLINEも消した。

SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。

私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。

今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。

やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名日記にするくらいには悲しい。

本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子から絶対絶対絶対幸せになってね。

2018-10-14

三大「僕だけに見える女の子幽霊が現れた」

しか彼女には記憶がない!

黄昏乙女×アムネシア

あの日みた花の名前を忘れない」

あと一つは?「夢かもしんない」?

【3】2018秋、ベトナムホーチミン

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Day 2



2日目 アリゾナ州立大


自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。

自然に目が覚めたのは6:45。

予定ではあと2時間まり寝る筈だった。

二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。

眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。


睡眠不足ホテルパーソンへのコミニュケーションハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。

朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。

ホテルの朝食はビュッフェスタイル

シャンデリアの下がる大広間コーヒーサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅ものだ。

ホーチミンフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。

果たしてビュッフェにもバゲットチーズレバーパテがあり、これは行くしかない。

他にも当然アジアスタイル炊き込みご飯カレーライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。

気になるものを片っ端から盛り付けて、テーブルに運ぶ。

どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。

さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイス香りが口の中に拡がって抜ける。

席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。

TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。

結局サーブしてもらうことにした。

甘い豆腐。予想通り豆花だった。

しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバー生姜蜜がかかっている。

美味い。

洋越のオードブル中華式の豆花、コーヒー2杯。

これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。

大変満足した。

あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。


ホテルを出ると、ホーチミンの熱気は午前から強烈だ。

行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。


相変わらず交通事情は凄まじい。

よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人対応力も凄い。

スクーターの波を見切ってスイスイ渡って行く。

バイクを見切って躱す」のはこの街で必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。

昨日と違う事と言えば、バイクライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。

迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。

「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。


ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。

リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。

でも敵意はないのは伝わったようだ。

ひょっとしてベトナム人じゃないのかな。まあいいか

「3、2、1、shoot!」少年少女は笑顔をくれた。


しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。

体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地雑貨飲食店

夕食はここにしようかな?

自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物匂いがまだ辛い。

ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。

少し市場を見物してアーケードを出た。


10:00。

しばらく歩き、気になる建物に近づくと、どうやら学校らしい。

門に近づくと、移動屋台が門から出る学生達を吸い寄せている。

日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。

多分ベトナムも同じなんだろう。

周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。

興味深い光景写真に収めようとしていると

○×○×!」

ドン

学生の徐行したスクーターに軽く追突された。

気をつけていたが、思わぬ形でプチ交通事故にあってしまった。

これで俺もベトナム旅行者として一人前だ。


飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生食事を摂っている。

ファミマにイートインスペースがあるのはアジア共通らしい。

それにしても男子ばっかりだ。

青い揃いの制服のせいか男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。

一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在百貨店サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。

こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。

モリモリ食う姿は、アジアの元気を象徴してるように見えた。

暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。

学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。

ARIZONA STATE UNIVERSITY

直訳すると「アリゾナ州立大学」

なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。


相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。

茹だるような暑さ・湿気と澱んだ川はある意味ベストマッチだ。

薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。

10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。

自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。

願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。

雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。

何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。

ホテルに戻ろう。シャワーが浴びたい。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械電子に関する工業高校しかった。

そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。

学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテル提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。

ここは工業化近代化真っ最中ベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。

多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。


【4】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 2|バインミー、タピオカ、シャツ へ >>

2018-10-12

もしかして文化の盗用って差別の口実?

外人和服をきていてもなんとも追わないけど、白人同士で「なんだあの日かぶれ」とかいうやつが攻撃してるだけなんじゃないの?

2018-10-07

キズナアイポルノじゃない、ってほんとに思ってる?

ポルノポルノじゃないかで言ったら、ポルノだわ。俺にとっては。

ただ、そうだとしても劣情を催すことなキズナアイ日本ポップカルチャーとして当たり前に享受できているのは、ポルノであってもそうと意識させない高度に発達したこの国の文化観に飼い慣らされているだけ。別に良いとか悪いとかではない。日本ポップカルチャーはそこまで自国を発達させたというだけの話。

ただ、本当に気付いていないのか、気付きたくないだけなのか。

Vtuberで人気を獲得するための大きなファクターひとつには少なくともSEXアピールの有無がある。

もし、そんなことも自覚できない能天気自分客観視できない人間ばかりなのだとしたらあまりに愚劣だし、それをわかっていてなお頑なに認めようとしない人間が多数いるのだとしたらあまり醜悪だ。

村上隆の、正視に耐えないあの露悪的な戯画的な、露骨性的すぎるあの等身大の彼ら彼女たち(のフィギュア)を意地でも認められなかったあの日から、一歩も歩みを進められていない。

2018-10-06

さらばNettouchi

ふりむくと

一人のsabacurryが立っている

彼はNettouchiがブクマするたび

うれしくて

カレーライスを三杯も食べた



ふりむくと

一人のdeath6coinが立っている

彼のセルクマには

Nettouchiの1ブクマのみが

今も入っている



ふりむくと

一人のaukusoeが立っている

彼は助六寿司を片付けながら

Nettouchiのことを

思い出している



ふりむくと

一人のkido_ariが立っている

彼はNettouchiから

ダジャレのない人生はないと

教えられた



ふりむくと

一人のmsdbkmが立っている

彼は増田のNettouchiを見て

ブクマすることの美しさを知った



ふりむくと

一人のkidspongが立っている

かつてNettouchiとともに言及増田に出走し

落選した暗い日曜の夜を

家族と口をきかずに過ごした



ふりむくと

はてな師走の風の中に

まだブクマされたことのない

11人の増田が立っている

ホッテントリという大レース

自分の出番を待っている彼等の

一番うしろから

せめて手を振って

別れのトラバを送ってやろう

Nettouchiよ

お前のいなくなった広い匿名ダイアリー

パンティーだけが取り残されて

風に吹かれているのだ


もう誰も振り向く者はないだろう

しろには暗い増田があるだけで

そこにはNettouchiは

もういないのだから



ふりむくな

ふりむくな

しろにはブクマがない

Nettouchiがいなくなっても

すべてのレースは終わるわけじゃない

人生という名の増田には

次のレースをまちかまえている百万頭の

名もないブクマカの群れが

朝焼けの中で

新着を読み込む地響きが聞こえてくる


思いきることにしよう

Nettouchiは

ただの数個の無言ブクマにすぎなかった

Nettouchiは

ただ1ブクマの思い出にすぎなかった

Nettouchiは

ただ三年間の京都ゴミ大学にすぎなかった

Nettouchiは

むなしかったある日々の代償にすぎなかったと


だが忘れようとしても

眼を閉じると

あの増田が見えてくる

耳をふさぐと

あの日ブクマの音が

聞こえてくるのだ



寺山修司 さらばハイセイコー

2018-10-04

主○の日々が嫌い

なんかキモくてあの日記が嫌いイライラする

あの絵見るだけでも嫌な気分になるのに毎回おすすめ記事に出るからはてなが辛い

2018-10-03

eスポーツが普及したら

俺は厄介おじさんになってしまうのではないか

 

俺は野球をみる親父が嫌いだった。

親父は寡黙で、常に不機嫌そうに見えるから感情の波がない人だった。

そんな親父が唯一感情を激しくさせるのが野球だった。

テレビに写ってるドラゴンズ選手に対して「バカヤロー!やめてしまえ!」「そんなミスプロならしないだろ!」と怒鳴り散らして、ドラゴンズが勝つと「よし!よし!」と上機嫌になっていたが、落合監督になってからは「落合がする野球はつまらない」といい出して常に不機嫌だった。

そんな親父に対して俺は「自分はそんな動けないくせに」と思っていたものだ。

 

eスポーツが活発になり、TwitchやYoutubeLiveで毎日のように誰かのプレーをみる。

自分レインボーシックスシージというゲーム特に気に入っており、そんなこんなして3年になる。(FPS自体もっとやっている。12年ぐらいか。)

レインボーシックスシージは、日本選手の賞金受け取りが出来ないことで一時期話題になったゲームだが、ほぼ毎週のようにプロ試合配信される。

最初のうちは勉強になることばかりで楽しくみていた。

変化が訪れたのはランクマッチである程度ゲームメイクができる程度にうまくなってきてからだった。

 

これは自戒だ。自戒なのでありのまま書くが、他人が下手に思えて仕方がない。

気がつけば、プロリーグでいい所で負けてる選手に「そこはそうじゃねーだろ!」とつぶやいているし、自分が先に死んで味方のプレーをみてるとき馬鹿みたいな動きしやがって」と怒り除外投票を入れる。

馬鹿みたいな動きをしているのは自分である

当たり前だが、プロリーグの選手に勝てるほどの腕は持ってないし、生存時間が短いプレイヤー生存時間が長いプレイヤー文句を言えるはずもない。

 

今でも十分な厄介おじさんで範囲が狭いかレインボーシックスシージの民度を下げているだけに留まっているが、レインボーシックスシージはこういう人間が4~5割いるので、これがeスポーツが身近になり、発展していったら、その4~5割の厄介おじさんはもっと広い世界で厄介を起こすことになるんだろう。

あの日の親父になりつつある。いや、もうなっているのだろう。

でもよかった。リアルでそれを知る人物はまだ居ないのだから

不倫しかけてる

妻とはもう何年も男女の関係にはなれていない。

何度か誘ったことはあるが、「頑張ってください」という意味不明な返答ではぐらかされただけだった。

その後何かを頑張った気がするが何かが改善することはなかった。

これ以上何を頑張ればいいのだろう。

そもそもどうして僕が頑張らなくてはならないのだろう。

妻は不倫した女性報道を見ると「親になったなら女捨てなきゃだめだね」という。

ちょっとまって。何勝手に捨ててるの?パパの前では女でいてよ。パパはまだ男捨ててないし捨てられそうにもないよ。

そんな中、結婚する前に少しだけ好きだった女性と急接近するできごとがあった。

酒の席でのことということもあるが、いまさら完全に油断していた。

たまたま仕事終わりにお互いの時間あいたので、少し飲みに行こうという話になった。

誓って言うが、このときは本当に下心はなかった。

二人での食事が久しぶりということもあり、話す内容は昔のことばかりだった。

長年仕事を一緒にしてきたこともあり、苦労も多くともにしている。

そんな話をしているうちに、お酒はみるみる進んでいった。

二人ともがかなりフラフラになった頃、手洗いから帰ってきた女性が突然後ろから抱きついてきた。

笑いながら悪ふざけのような様子ではあるが、その時ふいに「あー、好きだったのにな!結婚ちゃうんだもんな!」と言ってきたのだ。

結婚するちょっと前にも二人で食事に行ったことがあるが、そのときにも同じように酔っ払ってしまい、次の日からお互いがなんとなくギクシャクしてしまたことがあった。

僕はそれですっかり嫌われてしまったものだと思いこんでいた。自分だけの一方的好意なのだと、自分から身を引いてしまったのだ。

妻との距離が遠くなっていたこともあるが、不意に背後から抱きかかえられた瞬間の心地よさは、なんだか長い時間忘れているような安らぎを感じさせてくれた。

何も抵抗しないでいると、彼女から笑いが消え腕の締め付ける力が少しずつ強くなっていった。

僕はどうしていいかからず、彼女の頭をひとなですると「嘘つけ!」と一言強がった。

彼女はそれを受けて一瞬おどけた様子を見せると再び自分の席に戻った。

その後は何を会話したかも覚えてないが、会計を済ませるとろくに見送りもせず、フラフラとした足取りで家まで帰ったように記憶している。

翌朝、妻からは深酒したこと、帰りのコンビニで買って帰った弁当で部屋中が臭いことの説教から一日が始まった。

から冷たい言葉視線を突きつけられるたびに、彼女に背後から抱きしめられた時の心地よさが蘇った。

以前のような気まずい空気になってはまずいと、とりあえずこちらが飲みすぎてしまたことの非礼を詫びるメール彼女に送った。

明るい様子で帰ってきた返事を見る限り、とりあえず気に病んでいる様子はなかった。

あの日、ろくに見送りもしなかったのは、おそらく、そのままもう少し一緒にいれば間違いなく彼女の家まで行ってしまったであろう自覚があったからだ。

そして、彼女もそれを拒むことはしなかっただろう。

おそらくこのまま次の誘いのメールを送れば彼女は喜んで受け入れてくれるのではないだろうか。

飲みすぎたことも弁当で部屋中をくさくしてしまたことも素直に謝った。

でも、妻の不機嫌はまだしばらく直りそうもない。

妻に対する愛はあるが、自分の男の部分だけが黙殺されてしまっている日常は正直に辛い。

あと僕は何を頑張れば、妻は女性を取り戻してくれるのだろう。

こんな虐げられた毎日を強いられながら、浮気をすれば男性けが罪に問われるのは納得ができない。

お願いだからうそれ以上冷たくしないでくれ。お願いだから、もうそれ以上優しくしないでくれ。

でないとあとは自分を傷つけることしかできなくなってしまいそうだ。

2018-10-01

さよならを告げたあの日の唇が一年

キスをしたのは多分元カノなら簡単にやれると思ったから。

2018-09-30

離婚するのだけど前に進めるかもね

長く付き合った末に結婚した妻と、離婚することになった。

原因はセックスレス

何を試しても、どんな努力をしても、サイズ関係から、妻の中に挿入する際には、激痛を与えてしまうのだ。

もちろん、付き合っているときからセックスは試みていたけれど、一度も気持ちのいいセックスは無理だった。愛があれば良いという耳触りのよい言葉自分を誤魔化しながら、周りの男の子女性遍歴を汚い話であるかの様に嫌悪しながら、冷たくなったローションに塗れた冷たい膣壁を、宗教的な心境にも似た感情と共にざらざらと摩擦し続けて、二人でその痛みを試練として受け入れていた。

そんな試練には、けれどもずっと堪えられるはずもなく、結婚後に遅くに家に帰ってくる俺に対して恐怖を抱くようになったという。痛みそのもの帰宅するのだ、夜遅くに。これがホラーでなくてなんだろうか。

「もう2度とあなたセックスしたくない」と出張先の仙台まで飛行機で来て告げられたあの日から、俺の地獄が始まった。ありったけのお金をはたいて作った家では、汚物暮らしいるかのような感情を向けられはじめ、いつしか会話はなくなった。俺の大切に大切にしていた食器もいつの間にか割られていた。俺の両親の悪口ブツブツと何時間も呟いている妻に声をかけると、思い切り殴られた。

そうこうしているうちに、急に出ていくと告げられ、あっという間に、訳もわからぬ間に、あらゆるものをほったらかしにして、妻は家を出ていったのだけど、この頃から俺には幻覚が見えるようになった。部屋に人間のような存在がもう一人いて、自分思考について、その人が思考しているのか、自分自身が思考しているのか分からなくなってしまったのだ。

まらず外に飛び出して酒を煽ったら、何も考えられなくなって少なくとも気持ちは落ち着くことが分かったので、毎日わざわざ自宅から山手線10駅も先の盛り場で飲んで飲んですべてを忘れようとしていた。

それは、その期間だった。

焼き鳥屋で今にも首を攣りそうな顔をしていたであろう俺に声をかけてきた女がいた。全てを話した俺に、セックスをさせてくれるという。惨めな気持ちだった。性の施しを受ける自分自身が、かつて愛と呼んだ虚仮で否定した周りの男の子以下の下卑た存在であるかのように感じた。ラブホに入って先にシャワーを浴びてベッドの上でタバコをくわえているとき、多分俺は涙を流していたのだと思う。俺はそうして、その女を抱いた。俺の腕の中で快楽に顔を歪めながら、俺の妻の悪口を言い続けたその女に無性に腹が立ち、そして何よりも自分を罰したい気持ちで一杯になり、違う女に性器を突き立てながらも、奇しくもかつてと同じく宗教的気持ちで腰を振り、乳房を貪る数時間を過ごした。

終わったあとの気持ちは最悪だった。まだ妻の悪口を言いながら、まとわりついてくる汗だくの女が妖怪の類に思えて、心の底から気持ち悪い。もちろんそれを抱いた俺は妖怪以下の何かだ。罰されるがいい。地獄に落ちるのだろう。

女がスマホを俺に見せてきた。歴代彼氏とのハメ撮り写真動画だった。撮影されるのが好きで、今後も会って撮影してほしいと言っている。誰か会うか。

高校生の時以来の激しいセックス自己嫌悪、そして酒の影響で俺の意識は遠ざかり、そのままラブホで朝を迎えた。会社はもう始まっている時間で、おそらく家にある社用携帯は成り続けているのだろう。もう全部どうでも良かった。全部だ。横で寝ている女を起こして、性器を咥えさせる。ビデオで観たか簡単だ。得意のローションを股に塗りたくり、射精して射精して射精して射精して、それでも射精した。愛も気遣いも何もない。射精と女の絶頂けがあった。夕方まで、自分の喪ったセックス価値を取り戻そうと俺は腰を振り、女を泣かせた。

シャワーを浴びてホテル代を渡して、連絡先も聞かずに俺は家に帰った。会社には適当に嘘をついて誤魔化して、一人には大き過ぎるソファに座って、幻覚が見えなくなっていることに気がついた。

俺はもう死なないんだと思う。分相応に男のやることをやることにした。街で女に声をかけるようになった。この前の女の子とは、付き合うことになった。

お互い座って結合しているとき上半身を離してキスをねだってくる時の、この子の顔が凄く好きだ。普段ものすごく可愛いのに、よだれを垂らして口を開けて下品な顔をしながら、俺の舌を求めてくる。たぶんこれが愛だと思うのだ。

前に進めるかもな。求めに応じて舌を絡め、唾液を交換しながらそう思った、9月最後の日曜だった。

2018-09-29

あの日に刺さったトゲを抜かなきゃ とりあえず未来はない

KKOの俺が18歳のあの子とひどいデートをした

あの日自分を超えなければ俺に未来は無いと思ってる

2018-09-27

夢へとつづく道

2018/9/26 広島東洋カープ東京ヤクルトスワローズ(マツダスタジアム)

9回表2アウト、打席には山田哲人選手が入った

カープの優勝決定まであと1アウトとなり、まだかまだかと期待する観客があちこちで声を上げている

そんな中、かすかに聞こえる山田選手応援歌

中継のカメラにはほとんど映らないから、何人くらいいるのかもよくわからないスワローズファンの声

2015年10月神宮球場で、同じ歌を聞いていた

その凄まじい音量を思い出す

山田選手あの日、3打席連続ホームランを打ったのだ

テレビの向こうで、山田選手三振して、試合が終わった

映し出されるカープ選手たち、真っ赤な球場、大歓声

かすかな歌を歌っていた彼らは、どんな風にその光景を見たのだろう

カープ優勝おめでとうございます

2018-09-26

プロデューサーよ、お前らの愛は結局金か?

どうも、元アイマスPです。

元、というのは私はもうすでにPを引退たからです。

現状アプリの類は消去しました。

グッズの類が大量に残っていますが、まぁいずれ処分するでしょう。

今回このブログを書こうと思ったのは、私のとある胸糞悪い経験を吐き出しておきたかったのと、これを見たPさん、あるいはアイドルマスターに限らず、いわゆる課金アプリゲームプレイしてる全ての人に表題の内容を問いかけたいからです。

課金ゲームにおける「愛」は結局課金しか測れないのか?という事

アイマス風の言い方をすれば

プロデューサーの「担当愛」は結局課金額でしか測れないのか?

という事です。

事の発端は2年前、私がサークルの先輩からアイドルマスターを勧められた事に始まります

私はどちらかというとオタクコンテンツはそれなりに嗜んでいたのでアイマスもすぐにはまり、のめり込んでいきました。

アニマスから入り、劇場版で気になった後輩の子達を見てミリオンライブを始め、シンデレラガールズSideMと次々にどハマりしていきました。

改めて説明するまでもないと思いますが、アイマスにはゲームライブがありますゲーム内のガシャを回し、イベントを走って担当SRカードをゲットする。ライブ声優さんパフォーマンスを見て感動して「アイマス最高」と唱える(笑)まぁそんな感じで各々楽しんでると思います

コンテンツ応援するにはいろんな方法がありますゲーム課金する、ライブに参加する、グッズを買う、二次創作をしてみる。

楽しみ方は本来人それぞれであり、それぞれがそれぞれの形で趣味謳歌しています

私の楽しみ方は基本的ライブに参加する事でした。

アイマスにハマった当初、私はまだ学生でした。

学生アルバイトでは月々稼げる金額はどんなに頑張ってもたかが知れています

どんなに頑張っても、社会人が月々稼げる金額になど到底及ばない事は想像に難くないでしょう。

アイマスを含めいわゆるソーシャルゲームには「天井」が設けられていることが多いです。

ガシャなどで「この金額までつぎ込めば必ず目当てのカードが手に入りますよ。」というボーダーラインだ。

ゲームにもよるがアイマスは大体ソシャゲの方は5万くらい、音ゲーアプリの方だと10万程度だろうか。

5万10万など学生にとってはかなりの大金である

それ以上を稼ぎ出せたりお小遣いをもらっていたりと状況は様々だがこの金額を毎月叩き出せる人は全国でもそんなにいないだろう。

さらイベントランキング上位に到達するためにも上記レベル課金はある程度必須と言っていい。

私は各コンテンツ(当時3つ)毎に「担当(他のコンテンツで言うところの「推し」)が複数人いた。

一人がイベントないしガシャで来たら5〜10万ぶっ飛ぶのである

しかもそれが複数人いると言うことは数ヶ月に一回レベルでその出費、ましてやイベントが重なろうものなら倍プッシュである

どんなにバイトを増やして掛け持ちしても追いつけるものではない。

そもそもバイトを増やしたら肝心の学業遊び就活諸々に支障が出る。

でも、担当の事は本当に好きだから何かしらの形で応援したい。

なので私はライブを中心に応援することを選んだ。

ライブなら事前に日程が設定されているのでそれに向けて貯金ができる。

ライブを通じて金銭面でも、気持ち的にも担当コンテンツ応援できる。

そう思っていた。

だが、アイマス布教してくれた先輩(仮にN氏としよう)は違った。

彼は社会人であるしかもどうやらそこそこ良い仕事をしていると見られる。

毎月のように一定数の金額を彼の担当のガシャやイベントに費やし、コンスタント入賞していたところを見ると間違いない。

はいわゆる「ライブ勢」が大嫌いで、「声優ライブを見て何が面白いんだ」

「こいつらがライブにつぎ込んだ金を直接課金すれば良い話だ」

「こいつらは声優オタとしては一流だがアイマスPとしては三流」

などと事あるごとにこき下ろしていた。

まぁ、いわゆる「在宅」というやつである

彼はサークルOBオタク仲間の中の中心的な存在だったため、同期後輩もなかなか彼に意見する事は難しかった。

それを知ってか知らずか、彼はその集まりの中で二言目には「プロデューサー流儀」を語りたがり、「コンテンツ課金できない奴は三流のにわか」という定説を偉そうに唱えていた。

私はミリオンライブが初めて触れたアイマスだったため、イベントの走り方など分からず、中途半端課金額で爆死するということを繰り返していた。

といっても前述した通り、学生にとっての大金を定期的にぶち込めるなんて暴挙ができるわけがないので突然イベントが告知されて担当が上位報酬に来てさぁ走れと言われたって走れるわけがない。

突然の出費もある、月々のいろんな支払いがある。それを社会人と比べれば微々たるお金の中で工面してるのだ。趣味であるゲームに対する優先順位なんて、お察しである

それでもなんとか工面したお金をつぎ込んだところで結果は散々たるものだった。それを知ったN先輩は事あるごとに

「お前の担当愛はその程度なのか?」

中途半端な事しかできなくて担当申し訳ないと思わないのか?」

「おい爆死野郎w」

バカにしてきた。

自分担当が本当に好きだったからそれなりに調べてるし、イベントも出来る限り追ってるし、二次創作を出してみたりもした。何よりライブ担当が出演すると分かれば必ずCDを積んだり、e+に殴りこんだり、最悪友達を頼ってでも必ず参加した。極力現地で。

それなのに爆死したら担当を名乗る資格がないのだろうか?

ゲーム課金できなかったら担当としてダメなのか?

そんな漠然とした疑問が胸の内を占めていた。

だが、所詮趣味だし、好きでやっている事だからと気に留めていなかった。

今年の3月あの日が来るまでは。

大学卒業した私はサークル追い出しコンパ(追いコン)に参加した。

1年生から4年生まで数十人という大規模な追いコンで、サークルで顔を合わせるけど名前は知らない後輩も数多くいた。

N先輩も参加していた。

追いコン事態は順調に進み、最後に4年生が一人ずつ挨拶をするとき事件は起きた。

自分の番になった時にN先輩が

「よっ!三流クソにわかP!」

「爆死野郎!」

と大声で叫んでいたのだ。

みんなに聞こえる声で

流石に私も堪忍袋の緒が切れた。

いくらなんでも後輩が何十人もいる前でそんなこと言わなくても良いじゃないか

これでは卒業間際の最後最後で飛んだ赤っ恥である

その時は笑って流したが、後日、新歓ミーティングに顔を出していたN先輩に詰め寄り、あの時の発言意味説明し、訂正して欲しい。本気で恥ずかしかったんだからみんなの前で謝罪してほしいと訴えた。

すると、彼の隣にいた別の先輩(A先輩とする)が顔を真っ赤にして怒り、怒鳴り散らし始めたのだ。

彼の主張を要約すると以下の通りである

・先輩に向かってその態度はなんだ。

大勢の前で生意気な態度を取ったお前もNの事を貶めている。お前にNを断罪する資格などない。お互い様だ。

そもそもアイマスにおいて何を持って担当とするかなんて人それぞれで明確な基準などない。お前の主義主張押し付けるな。

私はとても惨めな気持ちになった。

私はただ、あの時の発言を取り消して欲しかっただけで、せめてみんなの前で謝って欲しかっただけなのに…

これではただの公開処刑ではないか

するとA先輩の怒りっぷりを見たN先輩はへらへらと笑いながらA先輩をなだめ、以下のような主張を始めた。

・酒の勢いで言っただけだ、気にするな。

・お前が○○(私の担当)をいかに愛してるのかはみんながよく知っている。

・なのにも関わらずイベントの走り方が下手くそから私はそれをいじってるだけ

自分は昔ライブ専門でゲームに全く金を落とさない同期に「お前はだから三流なんだ」と言われたことが本当に悔しかった。お前にそうなって欲しくないからああやって言ってあげてたんだ。

彼の口から最後まで「後輩数十人の前で私の名誉を貶めた事に関する謝罪言葉」はありませんでした。

これを期に私はアイマスから遠のきました。百年の恋も冷める瞬間とはこの事なのでしょう。

アイマスPは課金額で他人マウントを取り合うような人間しかいないんだなぁ

こんなデータクラッシュしたら吹っ飛ぶ画像にうん万円も賭けなきゃ担当名乗る資格がないのが、Pの常識なんだなと察してしまいました。

ここまでの話を聞いて

別にこの先輩がおかしいだけ。」

増田が考えすぎ気にしすぎ。」と思う人が大半なのではないかと思います

ですが、私がこの件について許せないのはそこだけではないのです。

私の担当田中琴葉でした。

そう、中の人である種田梨沙さんが昨年活動を休止されて、ミリシタでの実装が大幅に遅れた、あの田中琴葉です。

私は、声優さんの不在によって琴葉の存在だんだん希薄になっていく事をずっと悩んでいました。

4th Liveでも現地で感じた「琴葉が置いていかれてるのではないかという不安」にずっと悩まされていました。(最後のThank youでそれが解消され、安心から大泣きしてしまいましたが笑)

ちょうど就職活動中だった事もあり、イベントになかなか課金ができず、どうすれば琴葉を応援できるのか、どうしたらミリシタから入ったPさんに琴葉がここにいると示すことができるのか、ずっと悩んで、苦しんで、精神をかなり病みましたがそれでも2月に琴葉がミリシタに実装されてやっとこれからなんだと思いました。

自分就職が決まり、やっとこれから琴葉にたんまりお金を使ってあげられる、本気でプロデュースできると思っていました。

その思いを、悩み抜いた思いの全てを、N先輩はみんなの前で汚い足で踏みにじったのです。「課金額が少ない」「ゲーム投資してない」たったそれだけの理由で。

もう一度言いますが、わたしライブを中心にお金を落としています

ライブだけに費やした金額なら数十万に上るでしょう。

でも、それ以外に一切お金をかけていないということではありません。そんなこと有り得ません。

グッズも買ってるしCDだって全て新品で揃えたし肝心のゲームだって課金してます

学生時代はイベント時に1,2万が限度でしたがそれでも担当が来たら必ず走って回すようにしてます

それでも足りないのでしょうか。

担当が取れなかったらその時点でP失格なのでしょうか。

私はあの日大勢の前で3流にわかと罵られないといけなかったのでしょうか。

もう全てがバカバカしくなってしまいました。

5thは一応参加しました、最高でした。

もも自分アイマス人生はこれで終わりだなと思いました。

あんな辱めに公開処刑まで受けては大学の後輩や同期に顔向けできないからです。

いまだにガシャやイベントが来るたびにN先輩の言葉が、あの日の恥ずかしさ惨めさが胸をよぎって、まっすぐアイマスを愛することができないからです。

もうすでに周囲には引退を伝えました。

N先輩はいずれ勝ち誇った顔で「やっぱりあいつはその程度だったかw」と話すことでしょう。

画像データ音声データにうん万もぶち込んで一生イキってろバカ

2018-09-23

星屑ランデブー

カール・セーガンという天文学者が、私たちは"星の子"だと語った。

それは僕たちが”この母なる星”に生きている、と言ったありきたりな安っぽいポエムみたいな言葉ではない。僕たちを形作る、窒素カルシウム鉄分炭素も、全てかつて崩壊した星々の内部で作られたもので、僕たちの体は星の欠片で出来ている、という非常に現実的言葉だった。

雨の昼休み図書室でこの言葉を読んだ小学生の僕はわくわくした。

遠い宇宙で星が産まれ、そして滅び、いま僕の身体になっている、と思うと何故か僕の全てがきらめく気がした。

右手人差し指の先っぽで蛍光灯に白々しく光るこの爪も、いつかどこかであの夜空に浮かぶ星々の一つだった、と思うと言葉にできないときめきを感じたのだ。

チャイムを聞いた僕は鼻息荒く本を閉じ、僕の体は星で出来ているんだぞ!と考えながら午後の眠たい授業を聞いた。

数ヶ月もしたらすっかり忘れた。

高校生になった僕は放課後書庫女の子と二人でいた。

文芸部部長として本の整理をする彼女と、友人を待っている間に煙草を吸える場所を求めて部室棟にたどり着いた僕は、レースのカーテンみたいに全てを柔らかに見せる吹奏楽部演奏を背景に殆ど忘れてしまった沢山の話をした。

ある日、吹奏楽部ブラームス練習していたころ、何の話の流れでかも忘れてしまったけれど宇宙の話になった。

彼女カール・セーガンのその言葉を知っていた。

僕は数年ぶりに思い出したその言葉に懐かしさを覚えながら、俺の体が星でできてるなんてって、わくわくしたよ、と言った。

彼女は「私もそう思った!」と急に大きな声で言ったあと、自分の声にびっくりしたのか右手で口を抑えた。僕たちは透きとおったオレンジの光の束の中で見つめ合い笑った。

この人差し指の爪もさ、星でできてるんだな、って感動したんだよね、と言いながら煙草匂いのついた右手差し出すと、ピアノを習っていたという白く細長い人差し指彼女がそれに触れた。少しだけ湿り気を帯びた指先が柔らかくて暖かかった。

「あの映画みたいだね」とやけに赤い唇で彼女が言った。そう言えば聞こえてくる曲をブラームスだと教えてくれたのも彼女だった。

そのとき、僕は、何故か急に、眼鏡をかけて髪をまとめブレザーを着た彼女も星の欠片で出来ているんだ、と言うことが、あの日僕の感じたときめきが、本当の意味でやっとわかった。

いつかどこか宇宙の彼方で輝いていた星が、いま僕の全てを形作り、いつかどこか宇宙の彼方で輝いていた星が、いま目の前で笑う彼女の全てを形作っている――――――

僕は泣きそうになって、煙が目に染みたなんて誤魔化したあと金木犀の香りの帰り道を息を切らして走った。

きらめく星屑で作られた僕たちが、出会ったり別れたりを繰り返しながらまた星屑になり、そしていつかどこか遠い星でまた出会う。

きっと僕たちはこれまでも出会ってきたのだ。それはどこか遠い星で寄り添い合う二つの水晶だったかもしれないし、宇宙彷徨う二つの塵だったかもしれない。

僕たちはブラームスを響かせる金管楽器だったかも知れないし、甘く漂う金木犀だったかも知れない。



何が書きたくてこの文章を書き始めたのか忘れたしちょっと眠くなってきたんだけど、これをキーボードで打っている僕のきらめく指先も、これを読んでいる君のきらめく瞳も星屑で出来ているっていう、なんかいい感じの話で終わりにしていい?いいよね、ありがとうおやすみ

2018-09-20

2泊で十分だったナ。3泊ハ余分。あの日は4じまでつぶして正解だた。ストレスかんわのための日記ハ3行

まず今日のよかたこ

今日の失敗したこと

2日前の夕食

2018-09-19

Concorde Internationalが最悪の語学学校だった話 1

この前イギリスカンタベリーにある語学学校、Concorde Internationalでの留学を終え日本に帰ってきた。長いので2つに分けることにする。

簡潔に事のあらましを説明すると「『夜眠れないから夜22時以降静かにしなきゃいけない』ルールを徹底させてくれとディレクターに直談判しに行ったらパワハラを受けた」って感じ。本当は思い出すだけで涙が出るくらい怖くてしんどいんだけど、私のような被害者をこれ以上出したくないという一心でここに記します。参考にしたいという方も、面白半分の方も、読んでいってくれたら嬉しい。

ことの発端は7月下旬のある日。私はConcorde Internationalの寮に住んでいた。ここの寮はとても古く(というかイギリス全体的に建物が古い)下の階で話していると上の階に筒抜けになってうるさい。私の部屋はキッチンの上で、キッチンで少しでも話すと声が上に筒抜けになってうるさくて眠れない。この寮には「22時から8時までは静かにする」というルールがあり、そのルールに則って眠れないときキッチンに静かにしてくれと言いに行っていた。

その日も(23時くらいかな)うるさかったので言いに行きました。そこではアルジェリア人女性アラビア系の男性が話をしていた。

私「ごめん、私の部屋この上なの。ここで話すと声が筒抜けになって聞こえてうるさいからここでは話さないでくれる? あと寮のルールで22時から8時までは静かにしなきゃいけない決まりから

アルジェリア人「それ本気で言ってるの?」

私「うん」

ここでアルジェリア人がキレて怒鳴り始める。

アルジェリア人「なにそれ? ここは貴方けが住んでるわけじゃないの。私たちだって住んでるんだから私がどこで何をしたっていいでしょ。お互いのことを思いやって生活しなきゃいけないの、貴方は間違ってる」

超至近距離でめちゃくちゃ怒鳴られて予想外のことに怯えるもとりあえず伝えるべきことは伝えるため頑張る。

私「でもこれはルールだし(規約を取り出して)ここに書いてあるでしょ」

アルジェリア人「22時以降は騒がないでって書いてあるだけじゃない! 音楽も消すしここで騒いだりはしない、でも全く話さないのはおかしい!」

私「うん、でもここでの話し声は全部うるさくて眠れないの、静かにして」

ここらへんでさら相手ヒステリックを起こし話しにならず、見かねたアラビア系の男性が止めるけどキレまくっていて話にはならず、結局この日は1時まで騒音が続きました。泣きながらスタッフメールをする。なんとかしてくれと。眠れないのと心労で次の日風邪を引きました。

次の日この件について日本スタッフと話すも「これはお互いの歩み寄りが必要」と頓珍漢なことを言われ、さらに私の粗探しをされる。日本スタッフは私のメールを読んだだけで口頭で状況を確認することはなく、ただレターを回すけど直接注意したりはしないと言った。「じゃあ良くなるまで耐えなきゃいけないんですか」と言ったところ「耐えるとかじゃなくて他の考え方が出来るといいよね」と言われた。貴方は殴られてる人間に対して「殴られてるのを耐えるんじゃなくて他の考え方ができるといいよね」とか言うんですか? とここでめちゃくちゃ信用を無くした。

私は日本スタッフいるからという理由でこの学校を選んだし、この人を頼りにしていた。だから余計にショックだった。

その二日後、また騒音が起きた。これはちゃんと状況を把握してもらう必要があるとこの時は録音をしながら注意しに行く。「眠れないからここでは話さないでほしい。もし話したいのであれば共用スペースに移動してほしい」と何度も繰り返すが「なんでここにいるの?」「家に帰ったら?」「なんでホテル取らないの?」とか言われる。しかアラビア系の男性(前回一緒にいた人)が止めてくれたので一応ちゃんと収まった。その二日後また騒音が起きて、一度目の注意の時はアラビア系の男性のおかげでアルジェリア人は何も話さないまま、私はその場を去った。しか騒音が収まらず、二回目の注意の時にキレられる。

その次の日、アルジェリア人キッチンで会って挨拶をしたところ無視しかししばらくして返ってきて、何が問題なの?と聞かれた。「この建物が古いから小さい声でも聞こえちゃうし眠れない」と話したら「22時以降全くキッチンで話さないのは無理だけど、寝たいならそう言ってくれたらもうここでは話さない」とルールルールとは分かってないけど譲歩してくれた。「私は貴方のことを友達だと思ってるから」と言われハグしてなんとか向こうも妥協してくれたらしい。

しかしその次の火曜日、私が帰ってきて(先生の家に夕飯を食べに行ってて帰ってくるのが遅かった)挨拶をしたら共用スペースにいた人たち(例のアルジェリア人韓国人だった)が一気に黙る。誰も挨拶を返してくれない。何だろう?と思い立っていると、「ハローじゃないから」とアルジェリア人に言われる。

私「グッドイブニング?」

アルジェリア人「グッドイブニングじゃないから」

私「グッドナイト?」

アルジェリア人「グッドナイトじゃないから。自分の部屋行きなよ」

私「はあ……じゃあまたね」

アルジェリア人「またねじゃないから」

めちゃくちゃキレてる。何故か。そして誰も挨拶を返してくれない。その後無視され続ける。アルジェリア人とは部屋が近いのですがアルジェリア人が出てきた時にハローって挨拶したら普通にドアを閉められました。

なにがあったのか分からなかったので寮のスペイン人に聞いたところ、私が出かけている間に寮の担当スタッフのL(イギリス人)から話があったそう。私とあともう一人の日本人(キッチンの近くの部屋だった)が騒音で眠れないと訴えていたので23時以降キッチン洗濯機使用禁止というルールが新たに追加されたらしい。

この日から韓国人の寮生(4人)とアルジェリア人無視されるようになります。ちなみにアルジェリア人28歳、韓国人Aは23歳、Bは28歳、Cは21歳、Dは36歳です。私は21歳です。全員20歳超えて、さらには20代後半や35歳を超えている人がいるにも関わらず、あまりに幼すぎる行動にまず呆れました。そこの国の人全員が全員そうじゃないとは思うんですけどね。

その次の木曜日

10:55頃、キッチンの「11時以降キッチン使用禁止」の張り紙がはがされていることに気付きました。その写真を撮って担当スタッフのLにはがされていたことを報告。その後共用スペースでバカ騒ぎしている韓国人3人とアルジェリア人レコーダーをもって話を聞きに行く。

私「キッチン張り紙がはがされていたんだけどなんでか知ってる?」

韓国人A「うん」

直後、アルジェリア人がキレ始める。「何でここに来たの?」「部屋に戻りなよ」とめちゃくちゃにキレはじめ話しにならない。そのあと韓国人Bから「あの決まりは取り消しになった」と言われる。今まで散々無視されていたし今日担当スタッフのLと会った時にその話は聞いていなかったため本当なのか疑問に思う。依然としてキレているアルジェリア人。私が去らないのを知るとshitとかfuckとか言ってくる。怒鳴り続けられてめちゃくちゃ怖い。息が苦しい中で相手と会話を試みるも罵声は止まず「家に帰りなよ」「ここには貴方以外の人も住んでるんだからお互いを思いやらないといけない」みたいなことを言ってくる。罵声の中なんとか英語自分の思いを伝えようとするが英語が上手く出てこない、それでもなんとか伝えようとして、伝わらなかったので明日Lに聞いてみると言いその場を後にする。4人は夜1時半ごろまで騒いでいて、全く眠れなかった。録音ファイルを添付して今あったことをLにメールする。

翌日金曜日

スタッフのLに昨日のことを話す。あってまず一番、「身体大丈夫暴力振るわれなかった? 物は壊されてない?」とめちゃくちゃ心配してくれて、すごく親身になって私の話を聞いてくれた。録音を聞いて状況を理解してくれていたらしい。「あの寮に戻るのが怖い、戻りたくない」「すごく怖かった」「ルールを守らない人は相手の了承なしに追い出すって規約にも書いてある。追い出してほしい」ということを伝える。Lは近くにいたスタッフと私について話を始める。そのスタッフ否定的で「これは貴方だけの問題でしょ?」「ホームステイする気はないの?」と私が移動するような方向で話を勧めようとする。「それはおかしい。なんでルールを守ってる私が出ていってルールを守らない彼女らが残るの?」と反論し、Lも私の肩を持ってくれる。結果、「今日この後直接注意して、それで良くならなかったら追い出す」という結論に。

11時以降キッチン使用禁止キャンセルになったのは本当だった。Lより上のマネージャーから命令しかった。

しかしその夜、日本スタッフからメールで「今日の夜レジデンスの騒音の件で生徒同士での話し合いの場を設けるので来てください」とパブに呼び出される。「いやです」と返信する。その後詳しい話をするため電話をするが出ない。留守電に聞いたらかけなおしてくれと言うものの、結局帰ってこなかった。「必ず参加してください」とメールさらに帰ってくる。仕方ないから行くことにした。ここで行ったのは私の失敗だったと思う。

パブに行くと日本スタッフ韓国人スタッフがいた。韓国人スタッフは寮の台湾人を呼んだと言うが、日本スタッフは「台湾人の子も呼んだほうがいいんじゃない?」と言った。実際には台湾人の子たちには全く声がかけられておらず、結局呼んだのは私だった。騒音問題について話し合うからから来てという突拍子もないような連絡を仲のいい台湾人友達に送らされたのは正直めちゃくちゃ腹が立った。2人に声をかけて、1人の子は来てくれた。

アルジェリア人にも声をかけたらしいが来なかった。

韓国人ABCの3人と台湾人1人と私だったが、実質私対韓国人3人だった。最終的には私対韓国人日本スタッフ韓国人スタッフになった。これが最悪だった。

まずルールについて説明した。夜10から朝8時までは静かにしなきゃいけないルールがある。これは規約で、ここに来る前に配られてサインもしている。韓国人3人はそんなの知らないと声をそろえて言う。私が規約の紙を取り出して該当する部分を指さす。

韓国人A「そんなのは知らない、だって部屋にも置いてないし張り紙もないもん」

この韓国人Aがマジで非常識だった。韓国人全員規約読んでない時点で非常識だけど、この子が群を抜いてヤバかった。

韓国人スタッフにこれは常識的に読まなきゃいけないものから、それを読んでないと言うのはおかしいよとたしなめられる韓国人たち。それでも反論する。

韓国人A「私たち若いんだから10時は早すぎる」

日本スタッフ「でもこれはイギリス全土でも言えることで、この時間に騒いでいたらイギリスのどこに住んでいても怒られるよ」

韓国人A「でもここはイギリスじゃない。レジデンスでしょ?」

この発言を聞いて、私はさすがに意味が分からなかった。

私「そのレジデンスがある国はイギリスでしょ?」

なんとかそれを納得させる。そのあと、私の部屋の話になる。

私「10から8時の間だけ、キッチンで話すのをやめてほしい。建物が古いんだから全部聞こえるんだよ」

韓国人3人「それはできない」

私「なんで? 料理するのは話さなくてもできるでしょ」

韓国人B「私たち英語勉強するためにここにきてる。英語を話すのは大事なことだから

私「それはその時間外にやればいいじゃん」

韓国人C「それにそれはあなた1人の問題でしょう?」

私「キッチンの隣の部屋の日本の子も同じ問題を抱えてる。うるさいって台湾人の子も言ってた。騒音にはみんなが迷惑してる」

韓国人B「でも私たちはうるさい音は立ててない」

私「建物が古いからどんな声でも全部筒抜けになるんだよ。だからその間だけ喋らないでって言ってるの。うるさい音を立てちゃいけないっていうルールがあるでしょ」

韓国人B「だからうるさくないじゃん」

私「私が眠れないくらいの音は立ててる。日本の子も眠れてない。それをうるさいと言わないで何と言うの?」

韓国人A「部屋を移動したらいいじゃん」

私「建物が古いんだからどこに行ったって一緒。それに貴方たちがルールを守ればいいだけの話。私が部屋をうつる必要はないじゃん。10時が早いんだったら11時でもいいよ。その間はキッチンで喋らないで」

韓国人A「うつって見なきゃうるさいかどうかわからないじゃん」

韓国人C「私の部屋は静かだよ」

私「(そりゃお前が騒いでるからだろうな)だからそうじゃなくて貴方たちがルールを守ればいいんだよそれだけなんだよ」

韓国人スタッフ「でもまあ部屋うつって決めたらいいじゃん」

私「いやです、私が部屋を移る必要はないでしょう」

韓国人A「なんで嫌なの?」

ここらへんで話が通じなくなってくる。実質私対5人になって韓国人たちが「私たちも静かにする努力をするから貴方も部屋を移るべき」みたいなことを言ってくる。私は「ただ貴方たちがルールを守ってくれればいいだけ」と言うも通じない。みんなそれぞれ古い建物の中で住んでいて結構な人が結構な頻度で眠れない生活を送っている。それはキッチンの隣の部屋も日本の子からから台湾人の子からも聞いていた。

韓国人A「それに昨日あなたが言ってたこともよく分からない。もっと言いたいことはちゃんと言いなよ」

というのも話している最中に言われた。昨日怒鳴られている最中のことだ。罵声を受けながら、たった1人対4人のなかでハキハ英語を話せるほど肝は据わっていない。それでもなんとか伝えようとして話していたのにこのざまである。もう駄目だと思い。日本スタッフ日本語で話すことにした。

私「私はルールをただ守ってほしいだけです。ただそれだけがなんでできないんですか?」

日本スタッフ「でもキッチンでしゃべるなっていうルールはないよ」

私「10時以降うるさい音を立てちゃいけないっていうルールはあります

日本スタッフ大人なんだからそれくらい自分で加減できるよ皆」

私「うるさいかどうか決めるのは聞き手です」

日本スタッフ「みんなここに英語を話しに来てるんだし、人がいて全く喋らないで料理するのは無理だよ。息するなっていうのと一緒。それにうるさいかどうかは人によって違うんだし」

私「だからそれを決めるのは聞き手でしょう」

日本スタッフ「極端な話隣の人の鍵を開ける音がうるさいから夜出かけるなって言われたらそれはおかしいでしょう」

私「共同生活なんだしある程度の我慢必要です。それに門限があるならそれに従いますよ」

日本スタッフ文化の違いもあって夕飯が遅い国の人もいるんだよ」

私「ここにきている以上ある程度はこっちの文化に合わせるのは当たり前です。完璧自由じゃないのも当たり前です。共同生活なんですよ」

日本スタッフ「でもそれでなんでもかんでも縛っちゃったらそれも嫌でしょ」

私「でも今あるルールは守るためにあるんでしょう。キッチン11時以降使用禁止も何故キャンセルになったんですか?Yさんのキッチンのすぐ横の部屋がある以上あのルールキャンセルすべきじゃなかった」

日本スタッフ「でもあのルールキャンセルになったから」

私「迷惑してるんです、眠れないんですよ」

日本スタッフ「でもこれはお互いの歩み寄りが必要案件で……」

もう何も話が通じない。30分とか3045分とか話したと思う。でももう繰り返しだった。日本スタッフ韓国人スタッフも波風を立てないことしか考えてない。諦めた。表面上謝って私も部屋を移動してみると言ったところ、韓国人Aからまたもや何か言われた。

韓国人A「5分とかだったら見逃して。注意した後1分毎に来るのはやめて。耐えて」

流石に私がキレそうだった。

私「でも睡眠が一番大事なことだと思ってるから、眠れなかったら言いに行くからね」

それはなんとか言った。眠れないのをどうやって耐えろと言うのか。

そのあと表面上笑ってお酒を飲んだ後、帰ってから死ぬほど泣いた。悔しかった。

そのあとLに「どうだった?」とメールで聞かれて、「私は全く納得していない。私はただルールを守ってくれと言っていただけなのに、眠れないから眠れる環境を整えてほしい。それだけだったのに数によって潰されてしまった。スタッフ事なかれ主義だ。私の気持ちなんて考えてない。面倒事を避けることしか考えてない。でも貴方には感謝している。貴方が親身になって話を聞いてくれて嬉しかった」と返信した。Lから返ってきた返信はこうだった。

「私も今の状況には納得していない。貴方を助けようとしたけど、もう私はあの子たちがお行儀良くなるのを信じるしかできない。でも貴方が動く必要は全くない、貴方は全く間違ったことをしてない」

私は自分のしてきたことが間違ってなかったと、少し安心した

この日以降、私への嫌がらせエスカレートした。アルジェリア人韓国人Dは完全無視。A,B,Cはすごく乱暴挨拶は返してくれるみたいな感じでした。キッチン料理をするため道具をとりに行こうとするとアルジェリア人に「あっち行きなよ」と言われ、韓国人たちはクスクス笑っていたり、韓国人たちは新しく来た生徒に「変な日本の子いるから気を付けてね」と言っていたり、本当に最悪だった。21歳にもなって、しか留学に行ってこんな子供じみた嫌がらせを受けるとは思わなかった。

部屋を移動しなきゃいけなくなり、移動している最中隣の部屋に住んでいる台湾人の友人(パブには来なかった方の台湾人)に「どうしたの?」と話しかけられ、耐えきれず号泣しながらこのことを話した。友達は私のたどたどしい英語でもちゃんと話を聞いてくれた。そして友人は私と同じクラス台湾人の子(別の寮にいる)に私のことを話したらしく、次の月曜に学校に行くと「大丈夫?何か手伝えることある?」と尋ねられる。「もう何しても無駄だろうから」と答えるも同じクラスの友人はそのことを先生に話してくれて、話をもう少し上にあげてもらえることになる。

先生の助けを借りて、今までのことを話しあの日本人スタッフのことはもう信じられないと話す。その後日本スタッフと話すことになり、「貴方たちがあの時ああ言った話し合いの場を設けルールを守ってない生徒たちの肩を持ったことで小さな嫌がらせエスカレートした」ということを伝えるも、

「あの先生は寮の担当じゃないのでなにかあれば私たちに話してください」

「あの話し合いはそもそも会話をしたこともないのが問題だと思ったからそういう場を作るべきだと思った。実際一度も会話をしたこともなかった人もいたでしょ?」

「ああいうのを録音するのはどうかと思う。録音される側はそれを自由にできないし、自分だってされたら気分が悪いでしょ?」

とまあもうどこから突っ込んだらいいかからないようなことを言われる。2回ほど話し合い、私はその中で10回くらい「貴方たちが対応を間違えたせいで私は嫌がらせを受けている」ということと15回くらい「もう耐えられないから今週中に何とかしてくれ」と話す。期日を設け、それまでに対応してくれと言い、最終的に対応を間違えたせいで嫌がらせを受けた件については謝罪を受けたが、これから先に起こることでまた言い訳をされました。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20180919161819

2018-09-18

息子だけど、親権押し付け離婚した母親について

そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。

もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。

記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。

母親最後に見送ったのは私と弟だった。

私の母親は、私が10歳の夏に家を出ていった。

母親の姿を私が最後に見たのは自宅の玄関

私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。

私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、

ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。

まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。

それが母親と面と向かって話した最後の会話だった。

その日以来、母親は帰ってこない。ずいぶん長い買い物である

父親が帰ってきたのは20時ごろだったと思う。

母がいっこうに帰ってこないから、勝手レトルトカレーを食べるか迷っていたところだった。

そこから記憶あいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、

翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。


日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。

私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。

子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親仕事をしている、母親パートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安しかない」と思ったから。

その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。

父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか

家庭事情、なぜ離婚したのか

正直なところ、離婚前後夫婦関係母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやす理由があったのかも分からない。

当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。

私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。

というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまたから。

父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。

父は普通サラリーマン帰宅20前後母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。

なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。

共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。

周りの友人たちの母親専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。

記憶にある限りでは、私の母親PTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか

当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。

食事レトルトや総菜がほとんどだった。忙しかったんだろう。

離婚の経緯に関しては唯一、母親祖父から「あの子あんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。

そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。

実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。

まり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。

そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。

上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分父親を選んだ」という意識を持っていた。

でも、こうして書いていると、やはり母親私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。

「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分関係を確かめ意味言葉だったんだろう。

ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日暑かったからなあ。

離婚のあとのこと

断片的な記憶だけど、父親離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨手紙を添えていたことを覚えている。

父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモ電話機のわきに残してくれた。

何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。

しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。

その後、母親祖父から絶縁されたらしい。

もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。

私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。

ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。

小遣い自体は実際にもらった。

大学時代、祖父母の援助で車の免許を取得させてもらった。

あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。

祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。

父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。

私のその後

離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。

学校が変わったことがきっかけで、無自覚問題児から自覚のある問題児に変わった。

父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。

その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。

中高生ときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。

最近になって若干面倒になってきたのは、職場の同僚や知人から

「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。

これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。

おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。

母親をどう思っているか

今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。

母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。

もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。

元増田について

本当にお疲れ様でした。

自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。

ただ、いずれにせよ元増田さんの体験元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。

どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

2018-09-16

毎日通っている高校への通学時間がわからなくなった

朝目覚めた時に、毎日通っている高校への通学にどのくらい時間がかかるのかわからなくなって、あれ?今の時間って結構ヤバ目の時間じゃね?とか焦りながら、iphoneの乗り換えアプリで調べてる途中で、自分が来月で45歳のおっさんだということに気がついた。もう、あの日から30年近く経ってる。ケテスターテスターってなってるところで目が覚めた。神鉄横山駅、今どんな感じなのかなー。

2018-09-15

長い髪をバッサリ切った話

先日、美容室に行ってきた

それも、いつもと違って、東京都心部のお高いところ。

普段埼玉のこじんまりとした美容室からちょっと緊張。

他のお客さんは、いかにもマダムとか、おしゃれ番長が多かった。

かくいう私は、メルカリで買った380円のワンピースに、メークする時間がなくて日焼け止めクリームコンシーラーというギリギリフェイス

埼玉田舎っぺが来るべき場所じゃないんだってことくらいわかってたのに、それでも私は交通費1,272円かけてでも行かなきゃいけない理由があった。

そう、それはあの日、雨空の下で悲しい思いをしたから。


元々細い髪の毛は、腰まで長くなった結果、より絡まり合い、時々タワシ状態になっていたのである\(^o^)/

まり、アレだ。

ほどくのが困難なくらい髪の毛めっちゃ痛んでたし、乾かすのに時間かかるからバッサリ切ってもらったワケ。

ちょっとでも技術ある人にって感じでわざわざ東京まで出向いたのに、顔に毛がかなりくっついてるのに帰宅後気づいて涙目(´;ω;`)

2018-09-14

なんで女ってちょっと浮気したぐらいで悩んだり苦しがったりすんの?

セックスなんかホテル行ってひと汗かい気持ちよかったね、バイバ~イ♪ってだけの話じゃん。

スポーツと一緒じゃん。テニスと同じだよ。

それなのに

 許されないことをしてしまった・・・

 罪悪感で押しつぶされそう・・

 苦しくて死んでしまいたい・・

 どうしていいかからない・・

 死ぬほど後悔・・

 眩暈吐き気

 涙が止まらない・・

 あの日から仕事が手に付かない・・

 うぅぅわぁぁううぅぅ・・

・・ってバカかよ。

しまいには、どんな仕打ちでも受けるからかいって

彼氏旦那告白するとか。。。

告白してどうすんの?

「そんなに悩んでいたんだね、気が付かなくてゴメン」

って言わせたいの?

っていう俺は浮気告白された方なんだけどさ。

相手慰謝料請求なんか別にしねーし、彼女とも別れる気ないし、別に知らなきゃ知らないでも別にいいよ。

お互いの心が離れてないなら別に今まで通りだし、離れたらもうダメってだけじゃん。

他の男と行きずりのセックスしたぐらいじゃなんとも思わねーよ。

俺と付き合う前は、どうせ前の男とヤリまくってたんだろうが。

俺も今まで付き合った女とはちんちんが痛くなるほどヤリまくってたしな。

病気妊娠はさすがに面倒だから生でやってないならOKって言っておいた。マジでめんどくせぇ

夫のちんぽが入らないって声に出さないといけない仕事の人たち

私たち書店員はこの本をどうやって注文すればいいんだろう

電話口のコールセンターのお姉さんもどうするんだろう いつも復唱してくれるんだけど ちんぽって言わなきゃいけないのかな 言わせなきゃいけないのかな

いや ISBNで注文すればいいんだけどさ お姉さんはタイトル確認で復唱してくれるよ ちんぽでよろしいですか?はい大丈夫ですお願いします。

本を探しているおばあさまに何かお探しですか?って声かけて、耳元で申し訳なさそうに恥ずかしそうに夫のちんぽがって本探してるのって囁かれた日からもうお客さんに声かけらんなくなったよ ごめんなさいあの日のおばあさま 恥ずかしそうに小さくなってた 私だって20代の小娘だ 20代の小娘の耳元でちんぽって囁くことになるとは おばあさま20代の頃は思わなかっただろうな

ゾーニング問題がなんかやかましく言われてる ラノベのやつ あれとは全然違うけどさ うち 小さな書店ラノベエロ本も一切置けない立地なんだけど これ 扶桑社単行本講談社文庫になった どうしようね いや 置かなきゃいいだけなんだろうけどさ でもさ

売りたい本なんだ。

とても真摯な方が書いてるし、このタイトルでなければダメだったんだろうし、この本で救われた人沢山いたんだろうな、書かれるべき話だったんだと本当に思う。

売りたい。売って救われる人がいる。売るべき本だ。この本は苦しむ女たちの味方だ。

ねぇでも子供の手と目が届くとこに新刊棚がある

センセーショナルに売るためにこのタイトルにしたわけじゃないの知ってるよ 覚悟があったのもわかるよ でも店先で 電話口で ちんぽと言わねばならぬものたちのことを あなたたちはどれだけ考えてくれたんだ 私たちも「ちんぼでいきましょう!」と言ったあなたたちの決意に付き合わなきゃいけないんですか?

性は忌むべきものじゃないと思うよ? 恥ずかしがる私がおかしいのかもしれないよ 恥ずかしがること 忌みきらうこと それ自体がなにかの差別意識の現れなのかもしれないって私も思うよ

けど じゃあ お前らが言ってよ 電話口で女の人に向かって夫のちんぽが入らないって私の代わりに言ってよ お客様のところに夫のちんぽがはいらないって書かれた伝票貼られた袋配達してよ 頼むよ

2018-09-09

おすすめエロゲを教えてくれ、と言われても俺達の時は止まってる

スレッドに壊れたラジカセのように10年以上昔の名作の名前を挙げて何になる。

そのような質問スレッドは定期的に、それこそ毎月、毎週のように立てられて

新しい話題もなく見飽きたゲームタイトルが並ぶだけじゃないか

俺達はあと何度それを繰り返す気だ。ループ系の登場キャラじゃないんだぞ俺達は。

もう、あれから大分歳を重ねておっさんになった俺達は分かっちまったんだよ。

CLANNADはそこまで人生ではないこと、そもそもエロゲではないことを。

からもうやめろ。繰り返すのを。

そうしなきゃ俺達はあの日から何も変わらないままだ。

小早川紗枝Pの愚痴

表題の通り私は小早川紗枝Pだ。

1stアニバアイプロの直後辺りに彼女出会いほとんど一目惚れのような形で担当Pになってもう5年以上が経った。

5年の間本当に色々なことがあった。干されていた期間も当時で言えば長かったし、「社長」と言えば今は桐生つかさだが当時は紗枝のことだった。社長ネタにされるくらいしか話題に上がらなかったし、突然のCDデビューの話もあった。

そんなデビューが決まった時から散々言われ続けている言葉がある。

万年圏外のくせに。不人気のくせに。運営お気に入りから

この言葉を目に耳にするたびに思うことがあるのだ。

こっちだって好きで声をもらったわけじゃない。望んで声をもらったわけじゃない。声無しアイドル担当Pに言わせればふざけた話に映るだろうが、正直、こんな風に担当アイドルコケにされなければならないならボイスなんてつかなくてよかったのに、と思ってしまうことがある。

勿論発表当時は嬉しかった。正直ボイスなんて望める日が来るとは思えなかったし、実際にボイスが実装された日や彼女の歌を聴いた日、リアルライブでの中の人を見た時、デレステ自分デビュー曲を歌いながら特別衣装センターで踊る紗枝を見た日、全部嬉しくて愛しくて泣いた。それはもう、気持ち悪いほどに泣いたし、中の人のことも彼女の声自体も大好きだ。それは大前提としてある。

それでも、どうしても思ってしまう。

だって正規ルートで、総選挙で上位を取ってボイスを獲得させたかった。

そうすればこんな風に大好きな担当を「所詮運営お気に入り」「万年圏外のくせに出しゃばってる」なんてこき下ろされる風景を見ずに済んだかもしれないのに。

その機会は突然奪われたし、あの日紗枝のCDデビューが決まった時から今日までずっと、こうして紗枝をコケにする他担Pは後を絶たないし、これからもきっとそれは変わらないのだろうと諦めている。

総選挙上位常連アイドル担当Pは「それなら今からでも総選挙上位狙えよ」とでも言うのだろう。私もそう思うけれど、それははっきり言って無理だろうと思う。無理なのだ

今の紗枝は不人気のくせにと罵られるほど、昔ほど不人気ではないとは思っている。それは声がついたおかげだと思っているし、確実に昔より紗枝を好きだと言ってくれる人が増えたのは間違いないだろう。けれど実際に結果を残せていないのは何故なのかと言えば、ボイスがついていて出番もそれなりに保証されているからだと思う。

からこそ、紗枝Pたちは総選挙に本気で取り組む人口が驚くほど少ない。紗枝を上位にしようという気がほとんどないのだ。そして、私の知る限りでは他の好きな声無しアイドル投票している人がほとんどだった。

こんな状況で紗枝を圏内に入れるなんて、できっこない。私がいくら1人で頑張ろうと、せいぜい投票出来て500票程度が限界だ。そんなもの人気アイドル得票数から見ればほんの紙切れでしかない。だからと言って諦めて投票していないわけではないし、毎年圏内を目指して出来る限りで課金もして投票しているし、周りの他担Pたちに紗枝を売り込んだりと自分の出来る限りのことはしている。

それでも結果は知っての通りだ。私がいくら頑張ったところで紗枝は万年圏外の不人気アイドルから抜け出せない。

これが声無しアイドルだったら少しは違ったんじゃないか、もしかしたら紗枝Pがみんな頑張って圏内入りを目指していたんじゃないか、上位とはいかなくても、サプボがついて順当だと思われる位置くらいにはいけたんじゃないか

そうすれば、こんな風に、運営の采配のせいで紗枝がヘイトを受け続けるようなことはなかったんじゃないか

そう思わずはいられないのだ。

紗枝が何をしたというのだろう。紗枝が総選挙圏内に入れないのは紗枝のせいではないし、ましてやずっと圏外にも関わらず声が付いたのだって紗枝のせいじゃない。声無しアイドルよりも出番が多くもらえるのだって紗枝は悪くないし、紗枝が罵られなければいけないところなんてどこにもないのに。

どうして私の担当アイドルは、他のアイドルたちと同じようにただトップアイドルになりたいと頑張っているだけなのに、彼女のことを何も知らない人たちにこんなにも罵られなければならないのだろう。

運営の采配で声を付けられただけなのに。ただそれだけなのに。

言うなと言っているわけじゃない。やめてくれという抗議でもない。これは紗枝を不人気のくせにと愚痴る他担Pたちと同じ、ただの愚痴だ。心から愚痴だ。

また来年総選挙は開催されるだろう。自分なりに頑張るつもりではいるけれど、また圏外になってしまったらと思うと不甲斐なさや情けなさで紗枝に申し訳ない気持ちしかなれないので、次の総選挙が今から憂鬱で仕方ない。

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