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はてなキーワード: あの日とは

2020-05-23

あの日からテニミュ関連を観る事が出来ない

1ヶ月以上前4月16日ミュージカルテニスの王子様3rdシーズン集大成であるDreamLive2020の中止が発表された。

TwitterのTLや掲示板阿鼻叫喚だった。皆が「泣いた」「コロナ〇ね」等を呟き、悲しんでいた。一日中寝込んでいる人もいた。それがオタクとして当たり前の反応なんだと思う。

だけど正直、私はそこまでショックを受けていなかった。公式の開催中止ツイートを見た時も「あ〜やっぱりそうだよね〜」と納得だったし、何なら他の舞台(私の推し俳優が出演予定だったもの)に関しては主催元に「いつ中止を発表するのか」と催促の問い合わせをする程だった。払い戻ししやすいように、と友達と一緒にファミマで発券した時も「思ったよりショック受けなかったな〜明後日くらいには完全に元に戻ってるわ笑」と話した。




ショックを受けていなかったはずだった。




あの日から私は舞台垢にログインする事が出来なくなっていた。

ログインするのが怖い。フォローしているテニミュキャスト達のツイートを見るのが怖い。繋がってるテニミュオタク達のツイートを見るのが怖い。

Twitterだけではなく、推しFCHPニコ生配信インスタライブLINEライブ…様々なネット配信も見ることが出来なくなった。怖い。見るのが怖い。

何が怖いの?と自分で考えても分からない。でも開けない。指がそこをタップする事が出来ない。とにかくテニミュキャスト情報を見たくない。


二次創作原作漫画は読めるので、テニミュだけなんだと思う(でも滅入ってしまって自分での二次創作は出来なくなった)。

しかし、テニミュを好きになってから約5年間、私は全てをテニミュに捧げてきた。進学先もテニミュに通いやすいように東京学校にした。バイトテニミュチケットとグッズの為にやっているも同然だった。将来の仕事TDCまで電車一本で行けるような場所仕事場がある会社を選ぶつもりだった。

なのに、今後テニミュの予定は何もない。あるはずだったものコロナによって全て無くなってしまった。一体いつになったら私はTDCに通えるんだろう。そもそも3rdシーズンはこのまま終わってしまうんだろうか。私の推し最後に立つはずだったステージは?最終本公演凱旋で追加されなかった青10卒業バラードは?何もちゃん区切りつけてないのに、こんな風にブツ切りされたまま??


私、これから何の為に生きるの?


返金されたチケット代を何に使えばいいのか分からなかったが、ちょうど母の日が近かったので2万近くする美容家電プレゼントした。初めてバイト代を趣味以外の物に使った。テニミュ未来に予定されている時は5000円の服を買うのにも躊躇するくらいの私が、こんな高価な家電簡単に買えている……この家電で3テニミュ+余りになるって今考えたらヤバいな。


コロナ禍で若手俳優達の出演予定舞台はほぼ全て中止になった。彼らの今やれる仕事ネット配信のみ。ファンも今彼らにお金を出せる場がそこしか無いので、本来ならば配信課金するべきだ。

でも、前述の通り私は配信が観れない。何やってんだろう私。これからずっと推すって決めたはずなのに。今こそ応援するべきなのに。金出さないで、唯一の仕事も観ないで、なにが“推し”だよ。お前にそんな資格ねーだろ、と言われてもしょうがない。


明日は会場で予約した3rd国立海公演後編の円盤が届く予定だ。どうしよう。多分開けないな。



いつ推しFC抜けたらいいかな。

2020-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20200424123040

11

あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。

彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。

サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。

工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家特定産業癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。

しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。

たとえば子どもたちが義務教育間中に学ぶのは、国語算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムバックボーンだった。

集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。

そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術障害しかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通無駄になってしまう。

本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。

しかし(本当の意味で)より合理的システムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。

安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者政治判断に反映される。

政治家特定産業癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。

実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者自殺者を生んだだけだった。

失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。

そして中途半端に壊れ、(一部の人意図に沿って)中途半端機能する、中途半端システムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。

ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。

それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。

それだけが、完全なる破壊遂行できた。特定意図の介入を阻むことができた。

破壊の後の自由の上で、それぞれの技術本来能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。

場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気清浄化するシステムや、生体情報管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。

変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。

2020-05-15

3.11

あの日東日本にいた数千万人間

10年近く前の特定時刻の出来事を覚えているってすごくない?

2020-05-14

新たな日常を取り戻す

この言葉には違和感がある

新たな日常を手に入れるの方が感覚に近い、あの日常は絶対に戻ってこないのだから

あの日観た素人名前を僕はまだ知らない

まあでも女優じゃないんだから仕方ないよね

2020-05-12

ぽくはパヨのみかた

最初ツイートをする ざわざわ慣れない感じ

ふむふむでもね(違うなでもね) 少数派は見えない

1日で消したツイート

Three, two, one, come on!

ぽくはパヨのみかた

誓ったあの日から

ぽくはパヨのみかた

すべてを変えてく

お金トリガー

最後の一人がー

トップツイートご覧に 反論メンションばかり

ふむふむでもね(違うなでもね) 擁護派は見えない

1日で消したツイート

Three, two, one, come on!

ぽくはパヨのみかた

誓ったあの日から

ぽくはパヨのみかた

すべてを変えてく

お金トリガー

最後の一人がー

2020-05-11

人生最後夏休みがもう少し長く続きますように

人生最後夏休みなんだから、目一杯楽しみなよ。

社会人になったら夏休みなんかせいぜい数日、こんな長期的に休みがあることなんかない。やりたい事があって金が足りないなら、いくらでも貸してやるからな。」

今思えば、あの時もっと父に金を借りておくべきだったのだ。

実家は太いけど、太いからといって「お父様にお願いすれば何でも買ってもらえますのよオホホ」みたいな悪役令嬢みたいな事にはならない。ある程度のものは頼んだら買ってくれるかもしれないが、頼む気にならないというのが実際のところだ。

普通にバイトだってしていたから、1000円のものを買えば「ああ1時間分の労働が消えてしまう……」と相応にケチ思考が巡る金銭感覚なのだ。罪悪感が募って父に金を借りることなどできるはずもない。

インドアだったか自転車日本一周しようぜ!的な面白いことは出来なかったが、それでも行きたいところに日帰り含めて旅行をしたり、卒論を書いたりして過ごした。

その時はそれで精一杯に楽しんだつもりだったのだが、後になってみると後悔が残るものだった。

1万円の価値が「学業の隙間に10時間ほどバイト入れてやっと手に入る大金から「1ヶ月に20枚貰えるチケット」に変わった。要した労働時間のものはたいして変わっていないのに、1ヶ月に手に入る総数で価値観が変わってしまうから面白いものだ。

あの夏休みギターを買って、音楽世界に飛び出してみたら良かった。オンラインセミナーとかで音楽を覚えてYoutubeとかで発信したら面白かっただろうとかそんな事を考えていた。

ギター社会人になってから買って、週末習っていた。今は営業自粛中なので過去形だが。でもあの膨大な時間をどうして使えなかったのか。週末のレッスンは平日残業で疲れきった社会人には体力を振り絞って行くものだった。

あの夏休みをもう一度出来るなら、もっとお金を使って、やってみたかった事に飛び込んでいくのに。

社会人に慣れてきたある日、職場からこんな事を告げられた。

「このビルで新種のウイルス感染した人間が出た。世界的に死者を多く出しているウイルスだ。

このビル危険地帯となった。だからここで仕事をすることは、今後出来る限り避けようと思う。」

間もなくテレワークというやつが始まった。

しかリリースが終わったばかりで、我がチームは体の良い社内ニート状態になっていたところで、そのテレワークという奴でも特にやることはなくなんとなく日報を仕上げて提出したら終わりだった。

やることもなく8時間家でパソコン監視しなければいけない生活が始まった。ふと、あの時出来なかった後悔を形にしてみることにした。教材を買ったり、新しい事に数々挑戦した。PCを使うようなことはサブのPCでやればよい。

そして間もなくプロジェクトの終了を聞かされる。下された命令は「自宅待機」だった。給料交通費を除いて全額出るという条件で、強制ニート生活が幕を開けた。

あの日想った夏休み

学生時間と、社会人の金を兼ね備えた時間

残念ながら外に出る用事は果たせないという縛りプレイではあるが、家でできることも無限にある。世間不況からお金に余裕のある人間お金を使うことが道徳的合理性を帯びた。

人生最後夏休みが始まった。

2020-05-04

緊急事態がこのままずっと続けばいいのに

またあの日常に帰りたくない

2020-05-03

時間は敵だ 時が経てば傷はいやされる せっかくつけてもらった 傷なのに

わたしはなぜこのブログを書いているのだろうか。もういまさらわたしが口出しすることでもない。それでも今日記念日ということに気づいてしまった。気づいてしまったのだからしょうがない。しょうがないことにしてほしい。

今日は、すこし特別な日なのだ。ほんのすこしだけれど。2年前までだったら、かなり特別な日だった。

うれしくて、ふわふわして、気持ちが浮いて、地に足もつかなくて、そんな日だった。だってあなたたちの誕生日からあなたたちが生まれた日だからあなたたちに名前がついた日だから

ジャニーズJr.という世界は、このブログを読んでいる人が思っている以上に厳しいし、わたしたちが思っている以上にシビアだ。ジャニーズJr.に、約束などない。

たとえば、次のコンサートが終わると同時にグループが消されることもあるし、昨日まであったグループが突然消滅していたなんてこともある。酷いときコンサート中に解散が発表される、なんてこともあった。正確に言えば「様々なグループから色々なジャニーズJr.選抜してのデビューを発表した」になる。解散が発表される、とは少し違うがまあ同じようなものだ。ジャニーズJr.とは、そういうものだ。

わたしはそれを去年の1月に知った。知識としてそういうことがあったことは知っていたし、実際に突然干されてそのまま全員で退所していった一部始終も見ていた。5人グループが6人グループになったところも見ていたし、名前が突然変わったところも見ていたが、まさか自分がその当事者になるなんて思っていなかった。わたしあの日、突然渦中の人物になった。大好きだったグループの、愛していたグループの突然のメンバー加入発表。増員発表。

ジャニーズJr.に「絶対」がないことは知っているつもりだった。覚悟もしていたつもりだった。でも、だけど、それは「つもり」でしかなかった。心のどこかで(そんなことが起こるのは人気のあるメンバーだけだし、デビュー路線にのったグループだけだ)と思っていた。はっきり言ってしまうと、わたし応援していたひとは人気というわけではなかった。アンチはいないけど、ファンも少ない。そんなひとだった。グループとしてもデビュー路線から少しずつ外れ、舞台班としての道が見えていた。わたしは当然そちらに進むものだと思っていたし、ファンとして最低なことを言うと舞台班になることを祈っていた。一年に一度大きなツアーがあるだけなんてわたしには耐えられなかった。毎月毎月会わないと、生で見ないと息ができなくなってしまうのではないか錯覚するほど毎月現場があったからだ。

あぁ、わたしはなんて馬鹿なんだろう。こんな記事を書くのだからと、久しぶりにあなたたちのプレイリストにしたのが間違いだった。想いのつまった曲が流れ始めてしまった。つらいなぁ。だいすきだったんだ。愛していたんだ。わたしがかけられるだけの時間お金もかけてきたつもりだった。それじゃ、不満だったのか。まぁ、当然か。生活がかかっているわけだし、いつまでもアルバイト」のようなジャニーズJr.という不安定立ち位置で満足なんかできないだろう。「正社員」に近いデビュー組を目指すのは当然だ。

だけどわたしわがままから考えてしまう。

あなたたちは、この曲をどんな気持ちで歌ってくれたの?歌詞自分たちの名前を入れて、ペンライトは誰のメンバーカラーでもない白にして、おたくが踊れるような振りにしてくれた。涙を浮かべて歌ってくれたあの景色は嘘だったの?

涙で滲む約束は、あなたたちで果たしてしかったのに。人数が変わってしまったら意味がなかったのに。もう少しなんて言わなくたって、ずっとそばにいるつもりだった。手を離したのはどちらなんだろうか。まあ、当然わたしなのだだってまだそばにいる人はたくさんいるのだからわたしがあの増員に耐えられなかったのはわたし責任なのだわたしが悪い。

気持ちが強すぎた」なんてそんなことは口が裂けても言わない。わたしが単純に聞き分けの悪いお子ちゃまだった、それが正解なのだから

ただ、わたし生活にはあまりにもあなたたちが入りこみすぎた。四季折々共に過ごしてしまたから、春にも夏にも秋にも冬にもどの季節にも思い出がある。いまだに聞けない音楽がある。行けない劇場がある。言えない言葉も聞きたくない言葉もたくさんある。

だけど、時間というもの残酷だ。出来事というものはその瞬間に記憶になる。記憶は思い出になり、思い出はいつか薄れてなくなっていく。そういうふうにできているのだ。なんて残酷なのだろうか。あなたたちと過ごした思い出も、苦しんだあの日々も、ぜんぶいつかは消えてしまう。たとえ今は結成日が忘れられていなかったとしても、だ。間違いなくいつかは消えてしまうだろう。

だけどなかったことにはしないでほしい。腫れ物を扱うように当時を振り返らなくなるのはやめてほしい。わたしの大切な日々であり、消したくない青春なのだ

わたしはあと何回、あなたたちを思い出して泣くのだろうか。

6という数字に縛られるのだろうか。

6人組のアイドルグループに羨望の眼差しを向けなければならないのだろうか。

どれも答えはわからない。わたしがどれだけ見ないようにしたとしても、わたしの周りにはあなたたちのファンがたくさんいるし、テレビだってたくさん出ている。

デビューとはこういうことだ。見たくなくても目に入ってしまう。聞こえてしまう。今まで、わたしがどれだけ好きだと叫んでいても見向きもしなかった友達が「かっこいい」「好き」と言っている。掌を返したように何人も何人もだ。あの日わたしに「かっこいい人だれもいないしJr.とかガチすぎてこわいよ」って引き気味に言ってきたあの子でさえそのうちの1人なのだ。興味も持たなかったくせに。

だけど、この「今」を彼らは望んだ。彼らは願った。わたしが願っていない未来を、彼らは願っていたし、わたしが嫌な今を、彼らは喜んでいる。そういうことだ。彼らの望むこれからは、わたしの望まないこれからだ。彼らに必要ないのはわたしのような人間だ。そんなこと1番わかっている。だからファンと名乗ることをやめた。無理矢理別の人を好きになった。

もし今、似たような状況の人がいたとしたら無理矢理別の人を好きになるのはおすすめしない。好きだったのに。大好きだったのに。そんな風に思いながら生活からそのひとを切り離したおたくの成れの果てがこのわたしだ。

春になれば春の思い出で泣き、

夏になれば夏の思い出で泣き、

秋になれば秋の思い出で泣き、

冬になれば冬の思い出で泣き、

記念日にはこんなブログを書き、

雪が降れば彼らに良い出来事があったかもしれないと思い、

そんな風に考えてしま自分に、簡単に泣いてしま自分に、こんな文章を綴ってしま自分うんざりする。わたしは、こんなわたしが嫌いだ。すごく、すごく嫌いだ。自分自分の首を絞め続けて、感傷に浸って、悲劇のヒロインぶっている、救いようのないほどの馬鹿阿呆自分が嫌で仕方ない。

だけど、たぶん簡単には変わらない。何年間も毎日あなたたちのことを考えて生きてきた。言葉では言い表せないほど、愛してきた。そんなに簡単わたしの中から消えてもらっては困る。かけてきた時間お金もそれなりな、わたしの大切な青春から

から、何年も何年もかけて悲劇のヒロインから一般人になれればいい。いつかあの日々を笑って話せたらいい。「好き」と決してかえってこない片思いに似たような日々に浸ればいい。この傷が時間によって癒されてしまうまでの期限付きだ。

わたしのなけなしのプライドグループ名もタレント名前も出さなかったけど、ここまで読んでくれた誰かが理解できるように書けているのだろうか。降りてまで迷惑かけたくないから出すつもりもないが。

2020-05-02

価値観アップデート」とかい言葉を見ると張本さんを思い出す

あの日曜朝のリベラル面した番組を好んで観ている人って、あの老害しぐさ全開なコーナーをいったいどういう風に思ってるんだろう

炎上だってもう一回二回のことではない

きっと毎週観ては、自分価値観に合わなくて涙流して震えてるはずなのに、あのコーナーも署名活動で潰そうとか思わないんだろうか

自分のお仲間ならセーフなのか、マイノリティがやるならいいということなのか

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-05-01

推しについて

ファンレターの宛先がなくなって早3ヶ月、元推しはどうやら何かの病気らしい。

「二度と会えなくてもどこかで元気に生きてるなら」という健気な願いすら叶っていないようだ。

推しに順列を着けるなら1番ではなかった彼ではあった。それでも大好きだった。過去形になった。

2020年1月31日から2月1日日付変更線コンテンツが見れなくなる瞬間を越えたくなくて、もうアイドルじゃない彼に気付きたくなくて柄にもなく深酒をした。あの日の姿は知り合いに見られていないといいな。

そのあと個人的多忙を極め、なんとなく過ごせていたが、先日彼からの発信があった。最初最後配信。私は立ち会えなかったが、さほど悲しくなかった。

ああ、終わったんだな

そう感じた。

大好きでした。

どれほど大変な病気を抱えているのか、はたまたちょっと休めばなんとかなるのか、何かを守るための嘘なのか分かりませんが

どうかどこかで元気に生きていてください。

ただのファンには知り得ない顔で誰かと幸せに過ごしてください。

後悔だけはしないで欲しいけど、それも越えて自分で選んだ道を進んでいってほしいです。



痛すぎて匿名じゃないと無理。

あーあ、大好きだったんだけどなあ

2020-04-30

いつだってそうやって頑張って考えて探してきたじゃないか

新型コロナウイルス感染拡大を受け、緊急事態宣言が全国に発令されてから2週間が経ちます

宣言を受け、世の中の動きが変わったのは言うまでもありませんが、感染拡大が懸念され市場から一気にマスクが消えはじめたのは1月下旬頃でした。

僕たちは随分と長くこの事態と戦っているのです。

現在東京都に比べると、宮城県感染者は圧倒的に少ないですが、油断はできない状況です。

「楽しみにしていたイベント会合が中止になった。」

自分感染して、家族恋人、友人など身近な人にうつしてしまったらどうしよう。」

マスクが手に入らないのに、マスクを付けずに出かけたら村八分になるのではないか

たとえ、居住地域感染者が少なかったとしても、多くの人が不安を募らせ、平穏生活を奪われています

みんなの命を守るため、一人ひとりが活動自粛し、社会を維持することは大切なことなんだと思います

ただ少し、息苦しいですよね。

心が強い人は自分大丈夫って言い聞かせてて、平気そうに見えるかもしれないけど、

それでもどこかで、きっと息苦しさを感じているんです。

そもそも、世の中、強い人ばかりじゃない。社会構成しているのは圧倒的に弱い人たちです。

ときは遡って、原始時代。そこでは、僕たちの祖先は肉食獣に捕食される“弱者”でした。

しかし実は、その逆境こそが、仲間と協力する集団の力を生み、人類進化させました。

そんな僕たちは今、命を守るために「Stay Home」の掛け声で様々な行動が制限されています

先にも書いた通り、人の本質集団の力であり、人と人とのつながりです。

それぞれが活動自粛し、命を守ることと同じくらい、人と人とのつながりを断ってはいけないのです。

スタッフの皆さん、これまで、対面してきた相手が今、どんな状況になっているか想像してみましょう。

今回のウイルスは、目に見えにくいかもしれないけれど、あの日震災と同じくらい、僕たちから多くのものを奪っています

中には、震災よりつらいって感じている人もいるかもしれません。彼らが今、どんな息苦しさを感じていて、どんな願いを持っているのか、小さな声を拾いましょう。

いつもより、気持ち雑談を増やしてみる。何気ない会話を少し長めに続けてみる。自分の感じている息苦しさを少し話してみる。

ちょっとした声がけ一つで、相手自分でも気づいていなかった気持ちを吐き出せるきっかけを作れるかもしれません。

いつだってそうやって頑張って考えて探してきたじゃないか

新型コロナウイルス感染拡大を受け、緊急事態宣言が全国に発令されてから2週間が経ちます

宣言を受け、世の中の動きが変わったのは言うまでもありませんが、感染拡大が懸念され市場から一気にマスクが消えはじめたのは1月下旬頃でした。

僕たちは随分と長くこの事態と戦っているのです。

現在東京都に比べると、宮城県感染者は圧倒的に少ないですが、油断はできない状況です。

「楽しみにしていたイベント会合が中止になった。」

自分感染して、家族恋人、友人など身近な人にうつしてしまったらどうしよう。」

マスクが手に入らないのに、マスクを付けずに出かけたら村八分になるのではないか

たとえ、居住地域感染者が少なかったとしても、多くの人が不安を募らせ、平穏生活を奪われています

みんなの命を守るため、一人ひとりが活動自粛し、社会を維持することは大切なことなんだと思います

ただ少し、息苦しいですよね。

心が強い人は自分大丈夫って言い聞かせてて、平気に見えるかもしれないけど、それでもどこかで、きっと息苦しさを感じているんです。

そもそも、世の中、強い人ばかりじゃない。社会構成しているのは圧倒的に弱い人たちです。

ときは遡って、原始時代。そこでは、僕たちの祖先は肉食獣に捕食される“弱者”でした。

しかし実は、その逆境こそが、仲間と協力する集団の力を生み、人類進化させました。

そんな僕たちは今、命を守るために「Stay Home」の掛け声で様々な行動が制限されています

先にも書いた通り、人の本質集団の力であり、人と人とのつながりです。

それぞれが活動自粛し、命を守ることと同じくらい、人と人とのつながりを断ってはいけないのです。

スタッフへ】

これまで、対面してきた相手が今、どんな状況になっているか想像してみましょう。

今回のウイルスは、目に見えにくいかもしれないけれど、あの日震災と同じくらい、僕たちから多くのものを奪っています

中には、震災よりつらいって感じている人もいるかもしれません。彼らが今、どんな息苦しさを感じていて、どんな願いを持っているのか、小さな声を拾いましょう。

いつもより、気持ち雑談を増やしてみる。何気ない会話を少し長めに続けてみる。自分の感じている息苦しさを少し話してみる。

ちょっとした声がけ一つで、相手自分でも気づいていなかった気持ちを吐き出せるきっかけを作れるかもしれません。

2020-04-28

5年前のあの日10万円あったら

10万円の買い物できたじゃん

2020-04-24

今までもきっとこれから大人にはなれない

自分が考える大人ってやつに一生なれる気がしない

40を超えても同じ歳の女性とは話すのは怖いし、昔は容姿が良いってだけで言い寄ってきた女子達も結婚して子供を持ち、もはや別の生き物になったような気がするから世代の異性と喋りたくない。

自分が落ち着いて喋れるのは20代前半のまだ幼い、社会に出ていないような子たちばかり。そういう子と話しているとこっちまで若くなったような気持ちになるしお金で気を引けたりできるから

自分ちゃんとした大人じゃなくても、多少大人として見てくれる。

思い返してみると28の時に当時3年付き合っていた女の子結婚を迫られて逃げてしまったのが分岐点だったのだろう。

あの日はまさに自分人生を左右する日だった。

結婚していれば大人に慣れていただろうか。

こんな自分にも子供がいて世間の目からビクビクしなくて済んだのだろうか。

こんな妄想、虚言を繰り返す日々

自分楽しい幸せと感じられたのならそれでいいのだってバカになって無敵の人になってしまおうか

かいミカンを育てると誓ったあの日を覚えているか

小さいミカンの方が甘くておいしかったわすまんな

2020-04-21

 

おっあの日本人のフリした中国人また来てんじゃん

まだ風俗とか言ってんだな

2020-04-20

成田陸の孤島となった夜の出来事

去年の9月台風の影響で成田陸の孤島となった出来事を覚えているだろうか。

あの日僕も成田空港に足止めされ、何時間も何時間もいつ乗れるかわからないタクシーの列に一人並んでいた。

人でごった返し、困惑する人々。

そんな成田の様子がSNSにアップされ話題になった。

合唱団が歌を歌って場を和ませたり、その場に居合わせた人々で助け合ったりと成田に閉じ込められた人々は次第に異文化交流モードに移行していった。

しかし、僕はそんな「助け合い」の空気違和感を感じていた。

助け合いの輪」に入れてもらえないことを薄々感じていたからだ。

というのもタクシー待ちをする列に並びながら僕は周囲の人に相乗りをお願いするもことごとく「見捨てられて」いたのだ。

成田空港から僕の自宅までタクシーで帰ろうと思うと2万円を超える。

翌日は平日で仕事もあったこからなんとか家には帰りたかった。

僕の後ろにならんでいた50代と60代くらいのおばちゃん二人に相乗りをお願いしていたが、途中で「身内が迎えに来てくれた」と二人はタクシーの列を離れた。

その車に乗せてくれてもいいのに、と僕は思った。

スマホの充電も切れ、情報は何も入ってこない。飲み物も売り切れ。汗がにじむ真夏の夜だった。

8時間近くタクシーの列に並び、夜の12時を回ろうとしていた。

暑さと疲労不安で最悪な気分だった。

同じようにタクシーの列で僕の前に並んでいた女子大生3人組に相乗りできないかお願いした。

一人は日本人、他の二人はタイ台湾の子だったが3人とも初対面らしかった。

成田で知り合い、3人で協力しあって成田脱出を図ろうとしていた。

結局3人は僕を乗せてはくれなかった。

別れ際にスナック菓子を気まずそうに渡された。

結局僕は帰宅を諦め、成田空港第2ターミナルの床に横になることにした。

掛けるものも、敷くものもなかった。

成田に足止めをくらった人々の間にいっとき流れた「異文化交流モード」「助け合いモード」は僕にとってはなんだか白々しく感じられた。

結局人は無差別に人を助けたりはしないのだ。

助けたい人を助ける。助け合いたい人同士で助け合う。

その中に僕はいない。

なぜなんだろう。

そんな疎外感を感じたのは初めてではない。

なんとなくずっと、薄々感じながら生きてきた。

僕は子供のころから顔や体に白斑がある。

僕が見てくれの良い人間ではないからだろうか。

それとも僕の本質的な部分を見透かし、助けるに値しないと判断されてしまうのだろうか。

あの夜、成田に足止めされた人々の間で共有された感覚とは別の感覚を僕は感じ取っていた。

なぜ僕はいつも周囲と同じ感覚を共有できないのだろうか。

なぜ「まとも」に溶け込むことができないのだろうか。

僕にはまともというものがもうわからないのだ。

2020-04-18

釣りの日」のススメ

ここで言う「釣り」は「嘘を付く」ということだ。

インターネットには「釣り」という文化がある。

他人感情を刺激するような嘘の情報を流し、それによって他人がどう反応するのかを楽しむ遊びのことだ。

縦読みを仕込んで嘘であることをあとで証明できるようにしてなければいけないと語る原理主義者もいるが、別にそんな所にまで拘る必要はない。

嘘か嘘でないかなんて誰にもわからない情報が飛び交うのが世の中であり、実際、人間の目ですら錯覚という形で嘘をついてくる。

自分自分が嘘を疲れている世界を生きるには、目に見えること耳に聞こえたことがそのまま真実でないと疑う癖をつける必要がある。

そのために有効なのが「釣りの日」である

私は数ヶ月に一度ほど、インターネット積極的に嘘をつくようにしている。

基本的には匿名掲示板を使う。

SNS場合アカウントを用意するのが面倒だからだ。

よくやるのは架空自分語りだ。

自分スレッドは立てず、ちょうどよいスレッドを見つけてその流れに沿った形で壮大なヤバイ奴を演じる。

ストーリーを全部足跡でやるとバレるから前もって設定はキッチリ固める。

これにだいたい1時間かかる。

その間にスレの潮目が変わってネタ投稿するのに相応しくない流れになってきたら、スマホネカフェを利用して複数IDを用意してそこから流れを作る。

流れを作るのに必要IDは1つでいい。

どうせその後に投げ込むネタが上手く行けばそっちのIDいくら変に目立とうがどうでもよくなる。

基本的には投稿用のIDとそれに茶々を入れるために流れを作るのとは別にIDが2つはほしいが、1つでもなんとかなる。

バレバレの嘘に見えても、案外1枚コラ画像があればそれだけで皆実在を信じたりする。

特に有効なのは学生証だ。本物である必要はない。

アクセス数が低いググっても出てこなそうなブログから学生証の写真を借りて、それをコピーして厚紙に貼る。

その上にネタを書き込んだ本人でを証明できるようなワードを書いた紙を載せた状態写真を取る。

画質は低めにして取って、名前数字写真にはコピー前にすでにモザイクを入っているだろうが、出来た画像に対して改めて入れ直す。

それをアップロードするだけで、どこどこ大学学生であることをバラした愚かなピエロ実在すると思い込む人間が出てくる。

あとはまあ、いい感じに。

ちゃんとした釣り時間がかかる。

なんだかんだで半日仕事だ。

しょっちゅうは出来ない。

だがこの体験は私に貴重なものを与えてくれる。

正直、自分の目で見るとコレらの嘘は酷いできだ。

しかし、インターネット上の反応を見るとどうも本気にしているようにすら見える。

それが嘘なのか本当なのか、分からないのだ。

自分がついた嘘が嘘であることまでは分かっても、他人がその嘘をどの程度信じているかすら分からない。

じゃあ自分がこの嘘を聞いている側だったら嘘だと見抜けただろうか、そう考え出すと何もわからなくなる。

この何もわからなくなるという感覚によって、そもそもインターネットで嘘を嘘と見抜くことなど容易でもなければ、それをやろうと躍起になることすら正気でないことを思い出せる。

あらゆることが嘘である可能性と真実である可能性をまとっていて、適当に誰かが想像で語った冗談が嘘から出た真である可能性すらも秘めていること、それらを思い出せる。

「嘘の日」はネット、世の中、情報に対する身構えを振り返るのに最適だ。

皆も、年に一度でいいから嘘をつこう。

エイプリルフールは駄目だ。

あの日は嘘の面白さを競う日であって、嘘を見抜かれない努力をすることが最初から放棄されている。

そういう日に嘘をついても、それに踊らされる人間の姿から何かを学べたりはしない。

害のない嘘、たとえば、アナルにブラギガスを入れたら取れなくなったとかの嘘をつけばいいのだ。

2020-04-17

anond:20200417235122

それを嗜めたらガチギレされるあの日文化なんなんだろうな

「なんだよ!気を使って手で口塞いでるのに!文句あんのかよ!」ってやつ

やんわり言ってもムッとする日本人多いよな

2020-04-12

どうぶつの森が大好きだった話。

私がどうぶつの森出会ったのは小学生の頃だ。

64を持っていなかった私は、やっと買ってもらえたゲームキューブで遊ぶのを楽しみにしていた。そこで初めて遊んだソフトが「どうぶつの森+」だった。

あれから約19年経った今でも思い出す。

個性豊かなどうぶつたちとの会話。

夏休みの朝に参加したラジオ体操

たぬきち借金を返し終えて、部屋が広くなったときの感動。

グレースの車を、親指が痛くなるくらい磨いた日。

マイデザインで描いた絵を部屋に飾り、妹と見せ合った日。

毎週土曜日とたけけライブのため、母親に頼み込んで夜のゲームを許してもらえた日。

書き出すとキリが無い。人生で一番やり込んだゲームは?と問われたら「どうぶつの森+」と答えられるくらいにはやっていた。

そこから、私とどうぶつの森関係は始まった。

それなので、今作の「あつまれどうぶつの森」もかなり楽しみにしていた。あらかじめダウンロードで購入し、発売日を今か今かと指折り数えていた。

そして迎えた発売日。

とび森時代よりはるかに綺麗になったグラフィックに感動し、DIYという新要素にもワクワクした。たぬきちエイブルシスターズなど、おなじみのキャラクターにまた会えたのも嬉しかった。

ひとつずつしか作れないDIYや、すぐ壊れる道具も、こんなものかなとさほど気にならなかった。

時が過ぎ、プレイしていく中で島クリエイターという新機能存在を知った。あつ森では、島の崖を削ったり、川を増やしたりできるというのだ。

そうとなれば、早いうちに島作りの計画を立てたい。ここに商店街、ここに喫茶店、ここに住宅街……。考えていく中で、新しく建てられるものがないかと気になり、そっとネット検索してみた。

そこで目にしたのは、驚愕情報だった。

まず、喫茶店は建てることができない。それどころか、今までいたキャラクターたちのほとんどがリストラされていた。

みしらぬネコ・おまわりさん・グレースかっぺい・リサ・カイゾー・カットリーヌ・コトブキ……おなじみのどうぶつたちの情報ひとつもない。

そしてもうひとつ。今まであった歴代シリーズ家具のほぼ全てがリストラされていたのだ。

時代から作っていたロイヤルシリーズは跡形もなく、今回も作ろうと思っていた部屋を作ることができない。

少しだけ希望はある。DLCだ。発売してすぐにタイムトラベルなどによって完璧な島を作られることを嫌った任天堂が、小出しに配信していく可能性もある。

ただ、今作のあつ森は基本無料ソシャゲではなく、買い切りゲームだ。正直、歴代どうぶつの森を遊んできたユーザーから見れば、家具は減り、キャラも減り、追加要素は時間のかかりすぎるDIYと島クリエイターだけでこの値段は、かなり不満が出ると思う。しかもこの追加要素、驚くほど操作性が悪い。

歴代どうぶつの森シリーズで、壊れる道具といえばオノだ。使いすぎると壊れるが、金のオノになると壊れなくなる。

あつ森では、スコップ釣り竿・虫取り網・ジョウロ・オノの全ての道具が壊れる。金のシリーズを手に入れても壊れる。そのため、道具を使う→壊れる→素材集め→DIYを延々と繰り返さなくてはいけない。一度にまとめては作れない。ひとつずつだ。素材を集めるのにももちろん道具が必要だ。

クリエイター最初は感動したが、1マスずつしか作業できない仕様は、飽きや疲れを生むし、そもそも今後追加される(だろう)施設のことを考えると、現時点で島を整備し過ぎると、またレイアウトを考え直すことになって面倒くさい。

ゲームの内容に不満を持ち始めた頃、私を絶望させる情報が入ってきた。

今作のどうぶつの森は、通信がほぼ必須ゲームだったのだ。

今までのシリーズも、通信をしないと手に入らない家具や進まない要素はあった。ただ、今作はあからさまに通信をしないと不利になる仕様になっている。

まず、今まで特産品といわれる固定要素は果物だけだった。それが、今作からは花も加わり、挙げ句の果てに商店マイル交換で手に入る家具の色までも島ごとに固定だった。せっかくリメイクという機能があるのに、これらの家具リメイクができない。欲しい色を手に入れるには、その色を持っている人と通信して貰わなければいけない。

花の交配も、釣り大会も、カブの売買もマルチ優遇だった。ソロプレイを好んでいた私には、あまりにも酷な仕様である

なぜなら、どうぶつの森にはゲーム内で完結する交換システムがない。イベントでのランダムマッチング存在しない。マルチプレイをするには、SNSで仲間を募るか、リアルであつ森をプレイしている人を探すしかないのだ。

ひとりで黙々とプレイしたいのに、イチからSNSコミュニティーに参加して、人間関係を築いて、通信をして……なんて面倒なことをしたいとは思えない。

今思うと、あつ森を始めるときとたけけが言っていた。「このゲームは、なるべくたくさんの人と遊んだほうが楽しくなるよ」と。

私はそれを、たくさんどうぶつを集めて、お店を増やして、島を発展させるものだと思っていた。けれど実際は、マルチプレイ大勢とわいわい楽しんで通信をしないと、家具も集まらないしイベント過酷になるよ。ということだった。

あつ森の「あつまれ」は、どうぶつではなく人間に向けた言葉なんだと理解した。

SNSでは、マイデザインや島の写真など、「映える」どうぶつの森画像が多く並んでいる。あつ森がターゲットにしたユーザーは、こうしたSNSでの交流を楽しんでやれる層だったのだ。

ひたすらに独りで、黙々とどうぶつたちとの会話を楽しみたい私は、あつ森のターゲットから外れてしまった。

頼みの綱のどうぶつたちとの会話も、今作はとても淡泊だ。

釣り大会はとっくに終わったのに、川に一列に並び「釣れないなー」と夜な夜な言い続けている姿には恐怖すら覚えた。

今までは、表彰台に上がって一緒に盛り上がり、来年は負けないぞ!などの会話を楽しむことができた。あつ森のどうぶつはプログラムを感じさせる瞬間が多すぎて、どうぶつとのコミュニケーションをとれるのが売りのどうぶつの森シリーズとしては、致命的だと感じた。

イベントが近づくとイベントの話しかしない。会話の内容は性格が一緒だと同じ話しかしない。一日に5回ほど話しかけるとうざがられる。なんだか泣きたくなってきた。

あの日、時が経つのを忘れて楽しんでいたどうぶつの森は、もうどこにもないんだなと実感した。ひとりよりふたり。のキャッチコピーも、今となっては違う意味に聞こえてくる。

ひとりでも楽しいけど、みんなでやるともっと楽しいよ!がどうぶつの森の良さだったはずだ。こんなに通信ありきの仕様なら、初めからオンラインどうぶつの森にしてほしかった。

あんなに好きだったどうぶつの森シリーズ。こんなにがっかりする日が来るなんて思ってもいなかった。

しばらくはDLCを待ちのんびりプレイするが、このぽっかりと空いた穴を埋めることはもうできないんだろう。

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