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はてなキーワード: あの日とは

2019-03-18

カナダで卵ぶつけられた俺は卵ぶつけたガキが議員に殴られてスッキリした

高校生の時にホームステイしたカナダで街中をただ歩いているだけでオープンカーに乗った同年代白人のガキに生卵ぶつけられて「ギャハハハハッ」と笑われた。

このブコメでもポツポツ似た経験・伝聞が書かれているように、白人国家にアジア人がいれば特に珍しくもないことなんだろう。

はてなブックマーク - NZ銃乱射事件差別的発言の豪議員 生卵投げつけられる | NHKニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190317/k10011851281000.html

俺はその時あのオーストラリア議員みたいにとっさに反撃することはできなくて、そもそもから卵を投げつけられた認識最初は無かった。

だって日本じゃありえないでしょ、ただ歩道を歩いてただけで他人から卵投げつけられるなんて?

肩のあたりに軽い衝撃があってベチャッとした感触がするのは大きな鳥のフンでも落ちてきて、それが面白くて隣に止まった格好良い車に乗った白人の男女のグループに指さされて笑われてるのかと思った。

ポケットティッシュで汚れを拭くと卵のカラが混じっていて、やっと卵をぶつけられたことに気づいた時にはガキどもは飽きたのかオープンカーはいなくなっていた。

いやあ、殴ってやりたかったなあ。あの議員の容赦の無い反撃はあの日俺がやりたかたことをやってくれてて爽快だった。

過剰防衛との声もあるけど、あそこは安全日本じゃないんだから金正男を殺したような劇薬を塗られた可能性もとっさには否定できないんだからアメリカモデルガンを向けてきた子供警官が射殺する程度に容認すべき正当防衛でしょう。ガキ殴って取り押さえたのは。

俺の話に戻ると、日本と比べて乾燥しているせいかすぐに固まって服にこびりついた卵を少しでも取ろうと摘まんだり引っ掻いたりしつつホストファミリーの家に戻りながら考えていたのは、

「嫌われてるんだな」ってこと。

その街は本当に風光明媚観光客に人気で昔から移民も多い、伝統的に外国人を歓迎する雰囲気があるということになっていた。だから高校ホームステイ先にも選ばれた。

それでこれだからね。

この件の数日前に、史跡見学を引率してくれた現地在住の日本人のガイドさんが「最近この街中国人移民観光客が増えていてマナーが悪くて嫌われてるんだけど、カナダ人は日本人と中国人区別がつかない人が多いから、とばっちり日本人まで嫌がられることがあって困る」と軽い雑談っぽく話していた。

朗らかで優しそうなお姉さんがいきなり『差別的』なことを言い出して、俺はギョッとしたんだけど、卵ぶつけられた後は、ああこういうことね、と納得した。

俺は担任教師に卵をぶつけられた件を報告したし、その年は他にもトラブルに遭った生徒が多かったそうだ。

一番酷くて笑えたのは、ホストファミリーの両親がずっと出かけていて、その家の小さい子供の面倒を見させられたケース。ベビーシッター扱いって……でも、英会話学ぶには理想的な状況かも。

生徒の親もこのホームステイに何十万円か出していたので、さすがに問題になって、この年以来、母校のホームステイ先は俺の時のような「色んな人がいる」大きな都市は避けて、住民所得水準も教育水準も高い大学街だったり、逆に町ぐるみホームステイを受け入れる体制を整えている(そして住民のほぼ全員が綺麗な英語を話す白人の)田舎町だったりと「画一的安全な」地域けが選ばれるようになった。

これはこれで極端というか、そんな無菌室みたいな環境白人の最良の面だけを見せられて欧米への夢と憧れを膨らませることが、本当に後輩のためになるのかは疑問。

俺は、自分人格や進路が固まる前に、白人国家で暮らすと一定確率でああいう目に遭うんだなと知ることができたのは良い経験だったと今は思っているので。

俺はカナダ白人嫌いになったし、人に卵をぶつける行為も大嫌いになったんだ。やられた側だからね。

相手が誰であれ動機がなんであれ、人に卵をぶつける奴は、しかも録画して全世界晒し者にしてやろうなんて根性の奴は、殴られてざまあみろとしか思わない。

たとえあの議員思想が俺に卵をぶつけた白人ガキの同類だったとしてもね。

2019-03-14

痛い

あるはずのない部位が痛い

力を抜いて切り捨てたはずの

キリキリと痛いが

部位は無いのだから

もう

息をしてしまった

あの日

忘れたのに何度も

何度も何度も何度も何度も

ざくりざくりと

私を消しに来る前に

ひそむ

ざくりざくりざくりざくり

まあこんなもんだ

にしても

差し出しすぎたな

イメージナイフ

持つけど力が無いし

順手を逆手に持ち替えて

あなたの盾に私の体ごと差し込む

なぜなら夢中だから

膝の力を抜く

東日本大震災

あの時まだ自分高校生で全校集会が開かれて、東北から遠く離れた九州なのに部活が中止になって早く帰された。

携帯ニュース地震があったのは知ってたけど、家に帰ってテレビを付けて津波が色んなものを流してる映像に衝撃を受けたのを今でも覚えてる。

そしてその後に原発が爆発して本当に日本は終わるんじゃないかと恐怖した。

きっとあの時にこの思いをした人ってたくさんいると思う。

震災から8年。

あの日の事を我々は忘れちゃいけない。

2019-03-13

二次元エロに脳が汚染されてる女なんだが、

ある日急に思い立って『らめええ!あかちゃんできちゃうう!』って叫んでみたのな。

そして生まれたのがこちらの我が子です。

その前後レスだったから、もうあの日セックスで確定なんだけど。

なんかごめんな…。一生本人には言えないけど、つい寝顔に謝っちまう。

スリジエという女性アイドルグループにハマった話

その出会いは衝撃だった。

どん、と胸を打たれるような、きっとこれは出会うべくして出会ったのではないか錯覚するような、そんな出会いだった。

これは別にただのアイドルヲタクの備忘録のようなものであり、個人特定などもされそうだが特にこれと言って匿名で書いている意味もない。これを踏まえて興味がある方に興味を持っていただければそれに越したことはない。

ことの始まりは昨年1月に遡る。

たまたま地元イオンにふらっと寄った時のことだ。エスカレーターを降りる時、ふとアイドルライブをしているのが目に入った。

降りた先で最初に目についた背の高い女の子はなんとも可愛いミントグリーン衣装を着て熱心にビラ配りをしていた。(これが後にスリジエ候補生リー(当時)の石原由梨奈ちゃんであったことがわかる)2つのグループで合同のインストアイベントだと聞いたが、他にも何種類かの衣装を纏った少女たちがとにかくたくさんいた。

その日、たまたま散歩帰りで望遠レンズではないとはいえ一眼レフカメラを持っていた私は迷わず撮影エリアに行った。というか、気がついたらピンク衣装女の子たちを撮っていた。ほんの無意識だった。あの日カメラを持っていたことは偶然ではなかったのかもしれないとすら今になって思う。

そうこうしているうちにひとりの小柄な女の子が目についた。

可愛い

なんだこの可愛さは。

これが後に「推し」となる朝日奈えみちゃんとの出会いだった。これはもう衝撃だった。

幸いにもインストアイベントが終わってからハイタッチ会があったためにメンバー全員を近くで見られたのだが、全員が可愛いのは言うまでもないがやっぱり彼女は抜群に可愛かった。まさに一目惚れだった。

メンバーとのハイタッチが終わってすぐに、迷わずGoogleで「スリジエ」と検索していた。わたし一目惚れした彼女朝日奈えみちゃん自分と同い年、さらにはお誕生日も2日違いではないか趣味コスプレ。元々小学校高学年の頃から深夜アニメを観るようになって、その後は声優ヲタに片足を突っ込んだ経緯のある自分に重なるものがあり、一気に親近感を覚えた。

そして発売が1ヶ月以上先のCDを迷うことなく予約した。そして初めて、その場で一目惚れした女の子ツーショットチェキを撮った。初めてチェキを撮った時はとにかく緊張と興奮が混ざっていて何を話したか全然覚えていないが、その時のチェキを見返すと、推しと一緒に非常に楽しそうにハートを作っているわたしが写っているので、きっと相当楽しかったんだと思う。

その興奮も収まりきらないまま夜になってしまった。そんな時だった。時刻は午前1時半をまわっていた。その時は偶然起きていて、昼間にの散歩で撮った写真現像していた。iPhoneの画面がついたと思って見たら、そこにはTwitterからの通知が来ていた。

開いた先には何と、先ほどチェキを撮った彼女からリプライが来ていた。というのも、興奮したままのテンションで「スリジエというグループが可愛くて~特に朝日奈えみちゃんが好み~」みたいな何とも稚拙ツイートをしていたかであるまさかリプなんて来るわけないだろう、と思っていただけに本当に衝撃だった。そこに書かれた「またライブに遊びに来てくれると嬉しい」といった内容に、軽率に釣られてしまったのである

わたしは元々SKE48から女性アイドルに興味を持つようになり、スリジエを知る前はでんぱ組.inc妄想キャリブレーションなどが好きだった。とはいえ、いずれもある程度女性ファンが多い。しかスリジエは、ましてや撮影可能エリアには女性なんてほぼほぼいなかった。でもやっぱり「推し」となった子の笑顔を見るとこちらまで嬉しくなるものからインストアイベントでは何とかして大きなカメラを抱えた男性方に混ざって必死写真を撮っていた。

たまに「女の子がいるのが見えたらメンバーも嬉しくなるだろうから」と前に入れてくださる方もいた。こういう場では軽蔑されるだろうとヒヤヒヤしていたわたしからしたら、その人たちがもはや神様か何かに見えた。今もインストアイベントやら撮影可能の外部ライブ写真を取り続けていられるのは、そんな方々がいたおかげだと思う。そして、メンバーに青葉桃花ちゃんという「カメラ女子」がいたことも大きかった。彼女のおかげで写真を撮ることが間違いなく楽しくなった。

スリジエインストアイベントや外部ライブへの出演だけでなく、週に4日秋葉原で「定期公演」と称されるライブを行っているグループだ。わたしは当初、このライブには行けなかった。理由はよく覚えていないが、間違いなくアウェーだと思っていたのは事実である。おかげで4月の終わりまで何だかんだで定期公演へ足を運ぶことが出来ないでいた。

でも実際に行くと、アウェーとかそういうものとはまるでかけ離れていた。その日はゴールデンウイーク間中ということもあり、とある候補生メンバー生誕祭が平日の朝から行われていた。はからずも生誕祭という比較的誰でも楽しみやすイベントで定期公演デビューを飾れたことは、我ながらとても良かったなと今でも思う。

意外とあたたか現場。会場に入るや否や、初めに感じたのはこれだった。女性の居場所なんてないんじゃないかと思っていたのは何だったのかと思うぐらい、罵声を浴びせられることもなかったし好奇の目で見られることもなかった。どう見てもわたし以外は全員男性だったのに。学生時代男性アイドルグループも観てきていたが、その度に「メンバーと同性なのにファンをしているのは何が楽しいのか」という疑問を抱いている人が多い環境にいたわたしには、これも衝撃のひとつであった。

しかった、という感想しかか出ない程楽しかった。次の日も、そのまた次の日も、朝から秋葉原に出向いた。そうしていくうちに、元々インストアイベントで撮らせてもらっていた時以上に全体的にライブを観られるようになった。この子はこんな魅力のあるダンスをするんだ、この子MCで話すとこんなに面白いんだ。そんな発見がとても楽しかった。そして、元々この子が好きだなあ、というぼんやりとした気持ちだったのが、各ユニットでこの子を観たい!というものさらに明確に定まっていった。それまでは1人でライブを観ていた超人見知りのわたしと、この頃から会場で話してくれる方が出来始めた。実生活共通趣味友達があまりいないこともあって純粋に嬉しかった。

ゴールデンウイークが明けてからは、平日に各ユニットでのワンマンライブがあった。わたし候補生リー(5月16日)スリジエ宙組(5月18日)のワンマンライブを観に行った。ツリーワンマンライブの日、別のユニット所属しているメンバーたちが参加しているサイン会推しチェキを撮ったその足で走って会場まで向かったのを鮮明に覚えている。人は普通ヒールでこんなに走れるのか、と感激したぐらい、高校生の体育の授業の時のように全力でダッシュした。また、この時の公演は半分以上観られなかったこともあって、初めてその場でBlu-Rayを買ったのもいい思い出だ。

宙組ワンマンライブの日はその前から告知があったために職場には休み申請していた。そして意気揚々と会場に入った。推し体調不良で先述のサイン会からの復帰であったが、正直どこの誰よりも可愛くてああ、この子を観に来て良かった、と思った。また、この時に初めて宙組メンバー全員と一緒にチェキを撮った。その前からTwitterにちょいちょいインストアイベントで撮った写真を載せていたこともあったからか、推しチェキサインをしてくれている間に色々話しかけてくれるメンバーいたことにもびっくりした。

そんな充実した5月も終わろうとしていた頃。アイドル撮影会に初めて足を運んだ。それまでポートレートと言っても友人ぐらいしかまともに撮ったことのなかったわたしからしたら未知の世界ではあったが、先述のサイン会(またかよ)の会場であったスタジオでの開催ということ、そして推しが参加することからわず予約した。

撮影会と言ってもポージングの指示出しとかしたことないしな…と不安だったが、そんなもの杞憂だった。どのメンバーもほぼ同世代ということもあって、いろんな話をしてくれたことがすごく楽しかった。気がついたら結構な量の写真を撮っていて、3時間なんてあっという間に経ってしまった。

それから先は推しが休業したり出演したりとまちまちではあったが、とにかく受付で「お目当てのメンバーは?」と聞かれると「朝日奈えみちゃん」と答える日が続いた。推しの休業が寂しくなかった、と言えば嘘になるが、休んでる間にも待ってることを伝える術はTwitterリプライを送ること以上に会場へ足を運んで動員を入れることだと思ったかである。そしてその間にこの子はこんなところが素敵だな、とか、そういう発見をたくさんした。このことは後々の(今でもだが)インストアイベントやら外部ライブやら撮影会で写真を撮る時の参考になったり、話すネタになったりしている。

また、推しがいない中でもライブを観て楽しめたのは当初スリジエ候補生リー所属していた中村柚月ちゃん(現在アリスプロジェクト移籍仮面女子候補生所属)の存在なくして語れない。彼女推しと仲良くしていたほか、わたしとの共通話題がたくさんあったこからイベントがあれば気がついたらチェキを撮るようになっていた。推しとはまた違った魅力がたくさん詰まっていた。どんどんその魅力がに惹かれるようになり、「推しが大好きな彼女もっと好きになりたい」そう思うようになった。

そして迎えた9月。うだるように暑い夏が終わろうとしていた9月2日に、スリジエリーダー中丸葵ちゃん生誕祭が開催された。その時に偶然居合わせフォロワーさんと話した時に言われた些細なひとことが、この後の運命を変えたような気がする。

「えみりー(推し愛称)の生誕祭、どうするの?」

正直わたしはそれまで、他に動く人がいるだろう、とか、何なら女性がほぼいない現場で、しかわたしみたいなどこの現場にもいるわけでもない人間が動いたりなんてしたら5ちゃんねるとかでフルボッコにされるんじゃないかな、とか思っていた。その上推しは当時、身体の不調が続いていたことにより、長期的な休業に入っていた。

しかしその段階では誰も彼女生誕祭について動いていないようで、誰かがやらないといけないことをその時に初めて知った。生誕祭9月24日。あと3週間しかない。

元々何かを頼まれたら断れない性格であったことも相まって、せっかくならメッセージカードをたくさん貼ったアルバム(通称ヲタ図鑑)を作って「皆で復帰を待ってたよ」的な感じにしたいなと思った。その日の公演の帰りに自分メッセージカードデザインして業者発注をかけなければならないということに気がついた。そして帰ってからデザイン構成し、業者発注した。自分で言うのも何だが、尻に火が付いたら秒で物事を終えられる性格だなと改めて思ったものだ。

この後「生誕祭一緒にやりませんか?」といった内容で連絡を下さった方には事後報告になってしまったが、とにかく注文したメッセージカードが届き次第メッセージを集めた。正直100人ももらえないかもしれない、予備を含めたと言ってもさすがに200枚は作りすぎたな…とか思っていたにも関わらず、余裕で120枚近くのメッセージカードが集まった時には感激した。それらをアルバムに1枚1枚貼る時、たくさんの方がメッセージカードの内容を読みながら泣きそうになった。こんなに愛されている子を好きになれたことは幸せだな、そう思ったら胸の奥が熱くなった。

余談だがこのヲタ図鑑推しと同い年の自分担当することになった時に「推しが泣くぐらい喜ぶものを作りたい」という目標を設定して作った。せっかくならとびっきり可愛くて、他のメンバーに自慢したくなるような女子ウケの良いものにしたい、と思った。しかしながらわたし自身にそこまでのセンスがなかったこともあって、そこまで可愛いものではなかったかもしれない。

そんなこんなでバタバタしつつも順調に作業をして迎えた生誕祭当日。朝から気合を入れるためにビールを飲んで秋葉原へ向かった。開演1時間半前に秋葉原に着いたのに、開演するまであっという間だった。何なら開演してからもあっという間だった。生誕祭の内容に関してDVDも発売されているために詳しく書かないが、とにかく本人がこの日のために撮影編集したというオープニングの映像(https://youtu.be/b-JAqGexHWU)が始まってすぐに泣いた。というかその前から推しの姿がちらっと見えるだけで泣いていた。久しぶりに見た推し笑顔。そしてそんな推しに皆で振った緑色サイリウム。ただただあっという間に過ぎていくそ時間は、2018年いちばんキラキラしていた瞬間だった。その後のチェキ会でメイクがドロドロになりながらもチェキを撮ったこともはっきりと覚えている。いろんな方のご協力があっだからこそ見られた推し笑顔。どの方面にも感謝してもしきれない。

それから推し活動復帰ということもあり、足を運べる時はライブに行くことを優先した。アイドルはいつ会えなくなるかわからない、でも会えるうちにたくさん会わないと伝えたい言葉を伝えきれないと感じたからだ。気がついたらいろんなイベントスリジエと一緒に過ごしていた。

元々インドア派だったわたしフットワークが、異様に軽くなった。楽しいこともあったし、推しと仲良くしていたメンバーが次々に卒業してしまったり移籍してしまったり、そんなような泣きたくなるようなこともあった。でも、今となってはどれもいい思い出だ。思い出したらきりがない。

そしてスリジエきっかけに、住んでいる場所や年齢、職業などの壁を超えた知り合いがたくさん出来た。びっくりするぐらいどの人もすごくいい人で、それぞれの推しに対する愛情が深くて観ているだけで「ああ、○○ちゃんはこんなに愛されてて幸せ者だなあ」と思わされるぐらいだ。

女子出身学生時代バイト先も女の子ばっかりだった上今の職場でも異性とあまりさな環境にいて自他ともに認める「コミュ障」であったわたしがこんなに様々な男性と話せるようになるなんて、1年前には思ってもみなかったことだ。

その人たちの推しているメンバーの記念のイベントがあった時にお手伝いをさせて頂いていると、この子はこういうところが素敵だなという新たな発見がある。その時も「そうなんだよね〜この子のこういうところが好き」という会話から好き、可愛い、という感情シェアできるのがシンプルに嬉しい。

どうして女性女性アイドルヲタクをやっているのか時々聞かれることもあるが、単純に楽しそうな推しを観ているとこちらまで楽しくなってくるからという理由に尽きる。別にガチ恋でもないし、かと言って友達になりたいとかそういう願望もないので、単純に雲の上の存在として眺めているのが目の保養になって楽しい。そして自分の見た目へのコンプレックスも相まって、来世ではこんな顔に生まれいから今のうちに徳を積みたいな、という実にしょうもないことを考えている時もあるがこれも楽しい

書いていて文章がまとまらなくなりつつありますが、とにかく何が言いたいかというと。

わたしスリジエが大好きです!

スリジエの定期公演について

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❁*゚スリジエ定期公演詳細

https://ameblo.jp/livecerisier/

❁*゚『You are No.1MUSIC VIDEO FULL Ver.

https://youtu.be/1KMQD8c0-c0

もう生きていきたくない。でも生きなきゃいけない。なんでかはわからないけど、たぶん生きなきゃいけない。早く会いたいけど急いだところで会えなかったらやだな。やだな。あなたのいない人生もうやだ。永遠だなんて思わないけど、もっともっとずっとずっと一緒にいられるって信じて疑わなかった。バカだね。本当にバカだ。バカバカでどうしようもない大バカだった。なんで大丈夫だって思ったんだろ。なんでなんとかなるって、なんとかできるって、自分一人でなんて今まで一度だってできた事なかったくせに。どうしてあの時。何考えてたの?自分ゴミクズみたいになんの役にもたたなかった。ゴミクズだってなんかの役にはたってんのかな。わかんない。しらない。そっか、ちゃんと考えないこういうところだよね。そのくせ偉そうに余計なお節介して追いつめた。もうあの日は心を閉ざしちゃってたかな。ごめんね。ごめんごめんごめんごめん。謝るから全部無しでいいから何にもしなくていいからやり直させて。生きてくれてればやり直せるでしょ。お願い嘘だって。朝起きたら横で寝ててコーヒー入れるからおはようって起きてきてよ。今頑張って眠るから朝にはいものように隣で生きてて。

2019-03-08

呪いが具現化する

から家までの帰り道が、人1人がやっと通れるような細い道なんだけど

先日いつものようにその道を歩いてたら、前に人が歩いてる歩きスマホしながら耳にはイヤホン。超スローペースでトロトロと。

前述したようにそこは細い道。そいつを追い越そうにも追い越せないほどの道幅。

イヤホンしてるし私の足音も聞こえないだろうから自然に追い越す術はほぼない。

あーイライラする。ちょっとは隅の方を歩くという配慮はないのか。イヤホン引っこ抜いて「邪魔ですよ!」と怒鳴ってやろうか。こんなやついなくなればいいのに。

などと心の中で散々な悪態をついてたら、右手にある横断歩道の前でその人が止まった。右に曲がるようだ。

私はこのまま真っ直ぐ進むから、ここでやっとウザいこいつから逃れられる。やっと普通に歩ける。と小さく喜びそのまま真っ直ぐ歩いてたら

後ろからキー!」という大きな音が。何かと思って見てみたら

さっき前をトロトロ歩いてた人が横断歩道の真ん中で座り込むような形になってる。その前には車。車の運転手が慌てて駆け寄る。

え。嘘でしょ。さっき前を歩いてたあの人、車に轢かれたの……?

その瞬間を目撃したであろう人、数人がその場に駆け寄って周りを囲み始めたから状況がよく掴めない。轢かれたの?轢かれそうになったの?どっち?

そこに私も駆け寄るべきか、いやあれだけ人がいるんだから私は必要ないはず。何より轢かれたかどうかもよく分からないし……。

様々な「その場に行かなくていい」言い訳を並べて私は帰路を急いだ。いや、逃げた。

家までの道中、あの光景を私は反芻する。私があの人に散々な呪詛を吐いたのが具現化してあの人の身に降りかかったのではないか



私は8年ほど前の2月中旬、狂おしいほど好きだった彼氏(と思っていた人)に今まで生きてきた中で一番酷いふられ方をされた。

「お前となんか付き合ってねーよ。ブスが調子に乗るな。ちゃん本命がいるわ」と最後に言われた。半同棲までしていた。親にも紹介するつもりだった。

あんな奴本当に本当にしねばいいとその後何度も何度も思って泣いた。

元彼誕生日3月11日で、その日は某所を貸し切って誕生日パーティーをすると以前から言っていた。

当然その場に参加できない私は、ただひたすらそんなパーティー中止になれ。きっと本命彼女とやらも来るんだろう。その店潰れないかななどと本気で思っていた。

そしたら当日あの震災東京あの日は大変だった。誕生日パーティーは中止になったと元彼のツイで知った。

私はこわくなった。私の思いが、あの醜い元彼への呪詛が、執念が、具現化してこんな事になったのではないか

でも私個人私的事情あんな事が起こったと考えるのは余りにも尊大傲慢下劣だ。何よりそう思う事は被害に遭った人に余りにも失礼だ。失礼なんてもんじゃない。冒涜だ。

世界が私を中心に回ってるようなそんな考えはやめよう。単なる偶然だ。その時はそう思った。思おうとした。



私は心の中だけは絶対自由であるべきだと考えている。どれだけ酷い事を思ってもどれだけ酷い事を考えても心の中だけは完全に自由だ。誰にも邪魔なんてさせない。

でもその自由謳歌する担保として、その酷い事は絶対に誰にも口外してはならない。そう誓っていた。

でも心の中に納めていた残酷な思いは、元彼の時のように、今回の前を歩いていたあの人のように、このような形で具現化する気がしてしまう。

単なる偶然だよ。呪詛なんてこれ以外にも何度も何度も吐いてきたじゃないか。でもそれは何も起こさない単なる呪詛で終わっていったじゃないか

バカバカしい。それより被害に遭った人の心配でもしろよ。と自分に言い聞かせるも、

それでも私の心の中で唱え続ける呪いは時に具現化してしまうかもしれないという怖さを薄っすら自覚してしまった気がして妙にザワザワする。

もう心の中でさえも自由ではなくなった気がする。誰も呪わず、心の中までも清くなければ私は人を不幸にしてしまうかもしれない。



私が呪ってしまったあの人がどうか無事でありますように。あの場から逃げた私に、あの人に呪詛を投げた私にこんな事言う資格はないのだけど。

2019-03-05

24歳の反抗期

俺が中学生の頃、反抗期もあって親とは折り合いが悪かったが、不仲が決定的になったのは俺が首吊って死のうとした時に「死ぬにしてもこんな所で死ぬな、出て行け」と言われたことだった。その日限り10年ほど家に帰っていない。もちろんその間、外でも親とは一度も会ってなかったし連絡もしていなかった。

から今後も会うこともないんだろうなと、俺の中ではすでに親は死んだことにしていたのだけど、今日、つい偶然、街中で親と再会した。

俺にすがるように抱き、泣き喚き、謝られた。俺はすぐに突き飛ばして走って逃げた。あの日の態度のままでいてくれよ。今更なんだって言うんだよ。

2019-03-04

女子高生の頃駅のホームで胸倉つかんできたおばさんへ

ここを見ているわけもないと思いますが……

もう随分前のことになりますが、

あの日おばさんに胸倉をつかまれ女子高生です。

あの時は気が動転してうまく言葉が出なかったので、

かなり時間は経ってしまいましたが、今ここに書こうと思います

 

あの日夕方電車は満員でした。

おばさんはドアの前の手すりの所に、座席の側面に背中をあずけて立っていましたね。

私はおばさんの丁度右側、おばさんの方を向く形で立っていました。

おばさんはカバンのほかに、手に袋を持っていました。

持っていたというか、胸に抱いていました。

そこには編み途中セーター?かマフラーのようなものと、そのための毛糸が入っていました。

そして、編み棒が二本、袋から突き出ていました。(鋭いほうです)

突き出た編み棒は、丁度私の目の高さに先端がありました。

満員電車で身動きが取れない中、目の前に編み棒の先端があり、私は内心ヒヤヒヤしていました。

電車が揺れて後ろから押されるたびに、編み棒が顔に近づきました。

おばさんも、座席の側面に寄りかかってたとはいえバランスをとるために多少は動きますから

それで編み棒が顔に近づくこともありました。

とにかく私は精一杯気を付けて、編み棒の先端を避けました。

 

電車が乗り換え駅につき、人が一斉にホームへ降り立ちます

私は編み棒の先端から解放されてほっとし、友人と話しました。

「編み棒が飛び出ててちょっと怖かった」

友人は「そうだね」と返しました。

そのすぐ後、おい!!!!と大きな声がして、驚いて振り向くと、おばさんが居ました。

おばさんは怒り狂った様子でこちらに近づき、私の胸倉をつかみ上げました。

そして、もうあまり覚えていないのですが、

お前!とかふざけんな!とかそういう感じのことを私に喚きました。

私は気が動転して何も言えませんでした。

とりあえず友人だけでも逃がそうと思い、先に帰るよう伝えて友人には帰ってもらいました。

その後もおばさんは私の胸倉を掴んだまま何か言っていました。

鼻息が私の顔にかかっていた感触を覚えています。とにかくすごい剣幕でした。

私は少しずつ冷静になり、

ああ、私が編み棒のことを言ったのを聞いて怒っているんだとわかりました。

私はおばさんの罵倒の合間を縫ってなんとか謝りました。

怖くて小さなしか出なくて、おばさんに聞こえていたかはわかりません。

おばさんは私が謝ったあとも色々言っていたので、聞こえていなかったかもしれないです。

しばらくしておばさんは気が済んだのか、胸倉を掴んでいた手を離してくれました。

そして最後に、「調子乗るなよ!!」と言って去っていきました。

私は少しの間そこから動けませんでした。

周りにいた大人の人が、大丈夫?と言ってくれましたが、返事ができませんでした。

その日はずっとおばさんの顔が頭から離れませんでした。

 

今回この増田を書いたのは、あの時言えなかったことをおばさんに言いたいと思ったからです。

おばさんはココを見ていないかもしれないけど、

しかしたらおばさんに届くこともあるかもしれないから、書きます

あれから何年も経って、私も社会人になりました。

おばさんがあの日、偶々乗り合わせた女子高生の私に、

自分が持っていた編み棒のことを言われた気持ち……今の私なら、

わかるわけねえだろ

目に刺さったらどうすんだよ

死ね 

2019-02-21

SnowManとの日々

彼らと迎える4回目の桜の時期。

まだわたしは彼らの存在を知ってから期間こそ短いものの、この3年間は今までの人生の中で間違いなく1番充実していた。

忘れもしない、2016年4月

デビュー組の出演をきっかけに、足を運んだ生まれて初めて観る滝沢歌舞伎

衝撃だった。ジュニア??今のジュニアの子って、こんなにクオリティ高いの??

そこからは、あっという間。

貪るように今まで彼らが出ていた映像を探し、ライブDVDを買い、昔の雑誌の切り抜きや写真を集め、出来る限り今までの経歴等を知りたいと思い、寝る時間を割いてあらゆるものを見た。

メンバー内で年の差は1つしか無く、長年活動を共にし、みんな優しくて真面目、職人気質で真っ直ぐな素晴らしい6人組。

勝手に、今まで応援していた6人組に重なって見え、益々愛おしくなった。

とんでもなく派手なわけでもない、一歩一歩着実に歩みを進め、実力をつけているSnowMan。こんなに心から応援したいと思える人たちに出逢えて幸せだった。

2016年、出逢った頃の彼らにはオリジナル曲は1曲しか無かった。

繰り返し繰り返し、何度も何度も少クラ映像を観た。

いつかきっと実際に自分の目で観られるであろうこの大切なオリジナル曲

呆れるくらい何度も観た。

キスマイツアーのバックについた彼らが、東京ドームセンターステージで6人だけで立ち ZIG ZAG LOVE披露した時には涙が止まらなかった。

こんなにど新規わたしですら泣いているんだから、昔からファンの方はどれほど嬉しかっただろう…

この頃からジュニア露出はどんどん増えていった様に思う。

現場も増え、テレビ雑誌に頻繁に掲載してもらえたり、時々地上波テレビ番組に呼んでもらえた日にはお祭り騒ぎだ。

世の人々に、自分好きな人を知ってもらえるチャンス!!

このチャンスを逃してなるものか!!

2017年の春、初めて彼らのシアタークリエ公演に入った。

よく少クラで観ていた曲!MCコーナーもある!とても楽しかったが、ある1人のメンバーに対しての当たりが強かった気がして、少し気になった。

この3年間、彼らの現場には出来る限り足を運んだ。実際に自身の目で、彼らの成長を観ていたかたからだ。

2017年の夏、EXシアター。

SnowMan単独公演。

今まで観てきた数少ない現場比較しても、構成が若干違う雰囲気なのが分かった。大人な落ち着いた曲が増えた。

少年たちのショータイム

オリジナル曲を選ぶことも出来たはずなのに、epilogueを歌う彼ら。

12月湾岸スタジオでのライブ

念願の、冬のライブ

彼らのグループ名、雪にちなんだ曲が多く、本人達もとても楽しそう。

MC和気藹々としていて、クリエの時に感じたあるメンバーへの違和感はもう全く感じなかった。

どんどんメンバー距離が縮まり、良い方向にいっている。最高の6人。

改めてそう思った。

2018.3.25

横浜アリーナでの単独コンサート

こんなに感動で泣いたコンサートは他に無い。

オープニングで6人が出てきた瞬間、自然と涙が溢れた。やっと彼らに、この景色を見せてあげられた。会場全員、彼らのファン

彼らのファンで埋め尽くされた横浜アリーナ

この景色は、どうだった?貴方たちの目にどう映っていた?

わたしたちは、心から幸せだった。

あの日、間違いなく6人とファンは同じ方向を向いていた。

最後わたしたちへ贈ってくれた新曲

なかなか叶えられないけど、ぜったいに叶えるから…もう少し傍にいて…。

歌詞があまりにも心に沁みる。言葉に出来なくて、ただただ涙が出た。

幸せで温かくて、彼らに対して感謝気持ちしかない。

幸せありがとう、ぜったい叶えよう。

遠回りだったかもしれないけど、もうすぐだよね。

2018年幸せ連続だった。

夏のサマパラも、あまりにも完成され過ぎたパフォーマンス

ジュニアの域を逸脱している。

見応えがあり過ぎる。

もっと世の人々に観てもらいたい。

胸を張ってプレゼン出来る。

MCタイム、6人で組体操に挑戦する姿はとても微笑ましく、仲の良さが伝わってきた。

誰かを貶す事もなく、いつもみんなで褒め合い、助け合う。温かい、自慢の6人。

年末カウントダウンコンサート

台宙を6人が披露した時の会場からの歓声!!!

誇らしい。あぁ、SnowMan見つかっちゃう!どんどんファン増えちゃう

最高の年越しだ。


それから17日、

世界は変わってしまった。

まりにも突然だった。

大好きな、優しく温かい6人だけの世界

当たり前のものって、何1つ無いんだな。

いま存在しているものが、明日も見られると思ってはいけないんだな。

心への衝撃が大きすぎて受け入れられず、涙も出なかった。

宝物を見つけたのだ、わたしは。

20年ほどずっと1つのデビュー組を見てきたわたしは、突然キラキラ輝く宝物を見つけた。

大切に大切に愛で続け、いつか多くの人の目にとまるよう、微力ではあるが応援していた。

本当に大切だったのだ。

ものにも代え難い、大切な宝物。

宝物は姿を変えてしまった。

これから受け入れられるだろうか?

あの、優しく温かい雰囲気は変わってしまうのだろうか?

今まで真面目に歩み続けてきた6人が幸せであるといい…。

雑誌に書かれている言葉が、どこまで真実でどこからが偽りなのか、わたしたちに知る術は無い。

ただ、6人が幸せでいてくれたら。

わたしの願いはそれだけだ。

歩み続ける彼らに、ついて行きたい。

変わらず応援していきたい。

でも今まで愛してきたSnowManがあまりにも愛おし過ぎたから…。

もう少し時間をください。

愛するSnowMan。大好きなSnowMan

今年も、あと2ヶ月ほどで桜の季節ですね。

貴方たちに出逢ってから四季の移り変わりが楽しみになりました。

ZIG ZAGな道だけど、彼らの幸せを祈っています

愛するSnowManへ。

心を込めて。

2019-02-19

愛犬が亡くなった

もう去年からボケのせいか自分ご飯を食べられなくなっていた。

母が必死に、柔らかく煮た肉や野菜、水を飲ませたからここまで生きてられたのだと思う。

正直年を越せるとは思っていなかった。

愛犬が亡くなった日、自分は首を寝違えてベッドに伏していた。

あの日は母がずっと看病していた。

痛くて起き上がれず、寝ることで痛みから逃げていた時、父が体調が悪いと仕事から帰ってきた物音を聞いたのを覚えている。

また眠気に負けてうとうとしていたら、次は母がすすり泣く声が聞こえた。

それで亡くなったんだなと気づいた。

しばらく身の置き方が分からず寝たふりをしていたが、父が起こしに来たのでリビングへ向かう。

すでに小さな箱にはいった愛犬がいた。

すぐにペット火葬専門の人を呼ぶというので、ひとまず撫でる。

痩せてガリガリなのは覚えていた感触と違ったが、毛並みや暖かさや、耳のふわふわ、足の折りたたみ方、首の座り方がいつもの愛犬だった。

ほんとに死んでいるのかと思った。

母が落ち着いたので、変わらずまっすぐを向けない首を治しに整体へ向かうことにした。

火葬の人は深夜近くにならないと忙しくて来れないという。

火葬の時、痛みで外に出れないのは嫌だったので、今のうちに少しでも治しておこうと思った。

棺のような仮の箱は、少しでも冷えている玄関近くの廊下に置いた。

整体から帰ってきて、深夜に火葬の人が来て、棺から母が愛犬を出した。

見た目はいもの愛犬でも、母に取り出された様子からさすがに死んでるなと思った。

でも、最後からと思って撫でる。

艶のある頭を撫でて、耳のふわふわふわふわして、背中を撫でた。

まだ暖かかった。

毛皮とはすごいものだと思った。

火葬機械に入れられるとき、あったかかった感触を思い出して、なんだかまだ何かは生きてる気がしたので、可哀想だなと思ってしまった。

自分の頭の中では間違いで生きたまま土葬されたよその国の人の怖い話が思い出されていた。

正直、去年から自分で歩くこともできず椅子の隅で丸くなっていた愛犬の存在は、日中家にいない自分の中で薄くなっていた。

と、思っていた。

しか最近スーパーで買い物をした帰り道に、尻尾を振りながら寄ってくる愛犬を荷物で塞がった両手で撫でるのは大変だなと考えながら帰宅したり、

母に言い訳をしたときに、ねーそう思うもんねと同意を求めそうになったり、

料理ネギを床に落としたとき、慌てて拾ったり、

そういうことが多くて、存在は十分にあったのだと思う。

もう一回会えるなら、ぎゅっとした後に一緒の布団で寝たいなぁと思う。

2019-02-18

午前二時、踏切

錆びついた車輪悲鳴を上げ

ガラス玉一つ落とされた

状況はどうだい

 

一緒にみた、夢はわすれても

三日月が光る頃 この絵と同じ丘で待ってるよ

呼吸をしてんだ 世の中のスミ小さくても確かに

 

ロンリーグローリー

それがまさに生きていく理由

まだきれいなままの雪の絨毯に

どれだけ逃げたって変わり者はついてきた

あの日と違うのは僕だけ

 

こんな感じでAメロBメロ、サビから既存のいち部分をもってきて組み合わせることでバイオBUMP OF CHICKENはできる。

2019-02-09

舐められてはいけないというマイノリティコミュニティが嫌で、舐められてもいいから私らしく生きたいと思ったあの日

記録

昼で仕事を終わらせて、新幹線で出かけた。

前日に乗ったという電車のシートについて話をした。自分には当たり前のことだったけど、初めて見たらしい。

走り出した新幹線はやたら静かで、これが最初最後だと思うと涙が止まらなくなった。

寝たふりをしてごまかした。

昼食は適当にググって、地元で有名らしい回転寿司屋に行った。

のどぐろの炙りを半分食べた。

太刀魚の炙りも食べた。

ホタテと、甘エビ、うに、貝汁。緊張してたのか、好物の茶碗蒸しを食べ損ねた。

やっぱりエンガワだよね。シマアジは野生の味がすると言っていた。

強風に煽られつつ、観光名所に向かった。

石造りの橋を、あっちの橋の方がかっこいいと。

工事していて、大事なところが見れなかったけど、突発旅っぽくて、それも良かった。

海外からツアー客に紛れ込んでみようとしたけど、言葉がわからないし早々に追い抜いた。

意外と立派な神社に辿り着いた。意外だった。

外観を見て、かっこいいなと写真を撮った。

カメラを出そうとしたら鳩が寄ってきた。怖い。

駅まで歩いて、今度は在来線で次の観光名所へ向かった。

電車を待つ間、コーヒー屋に入った。

コーヒーは辞めたと告げた。

次の目的地は案外近かった。

ここもまた、工事をしていた。そういう時期かな。

一通り歩いて、くだらない話をした。いつぶりだったかな。

しょうもない掛け合いが心地よくて、懐かしかった。

展望台に登った。まだ明るくて、なんとなく景色を眺めて、一度出た。

街をふらふら歩いた。寂れていて、どこか違う世界に吸い込まれそうな空気が漂っていた。

それでも嫌な気持ちは全くしなくて、居心地が良かった。誰の視線も気にしなくていいから。

通りをずっと歩いて、もともとの目的地に向かった。

予想の斜め上だった。素通りするレベルで、思っていたものと違った。

馬鹿みたいに笑って、ネタにしようと決めた。

日没が近づいてきたから、再び展望台に登った。

意外と日が長くて、じっと沈む夕日を眺めていた。沈まなくていいよと思って見ていた。

大事な話は何もしないで、ただただ見える景色をなぞっていた。

完全に日が暮れて、夕食を食べに行った。

移動の車中、反対側の車窓を眺めていた。終わりが近づいていた。

3軒くらい断られたが、最終的に人気らしい焼肉屋に入れた。

そういえば最後食事焼肉だった気がする。

好物のウニを乗せた肉寿司、たんステーキユッケサラダが思っていた以上に大きくて、笑った。

肉寿司写真を撮ろうとしたら指を差し出してきた。大きさを比較たかったようだ。

薬味が乗ったロースをうまく網に乗せられなくて、笑った。

色んな話をした。こんなにゆっくり外で食事をしたのは何年振りか思い出せなかった。

食事を終えて新幹線に乗った。旅が終わる。

自動改札を通らず、窓口に寄った。切符が欲しかった。

帰り着いてもう少しだけ時間が欲しいと頼んだ。

止めていた車で話をした。本音を全て伝えた。

好きだった、好きだった。どうしても叶わないけど好きだった。

好きになってすぐの頃、お願いした事を最後に頼もうと思っていた。

頼む前にやられた。

あの頃と同じ関係にも同じ気持ちももう戻る事はできないけれど、それでもずっと好きだ。

何度ありがとうと伝えても伝えきれないくらい、沢山の違う世界を見せてくれた。お互いに支えて、救って、励まして。それでもきっとそれぞれ一部の顔しか知らないまま。

あの日助けてくれたのと同じもの最後に渡した。君に届け

今日という日を少しでも忘れたくなくて、でもすぐに見えるところに置いてはいけないから、ここに残します。忘れたくない。

生きている間にもう一度だけ会えますように。

増田を楽しめない

嘘の物語投稿して、それがそこそこブコメついたあの日から増田を楽しめない

感動するような投稿を読んでもブコメ欲しさのための嘘なんだろうなって疑ってしま

純粋増田を信じて楽しんでたあの頃に戻りたい、あの頃はよかった、ブコメ廃止してくれないか

2019-02-07

野田市の一件で思い出したこと

連日、報道が続いている野田市小学4年生の虐待死の件

これを見ていたら、もともと風邪調子が悪かったのに加えて、

どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。

なんでかな??と思ったら、

私にも「助けて」が届かなかった記憶があったからなんです。

3才から8才くらいまでの間、身内に虐待された経験があります

まれて間もなく父が事業に失敗しまして、

我が家は大借金を抱えてしまいました。

その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、

地方都市単身赴任して馬車馬のごとく働いていましたし、

母も平日はフルタイムで働いていました。

そのため、私は民間保育所に預けられたり、

親せき宅をたらい回しにされたりしていました。

虐待を受けていたのはその頃です。

相手は15才年上の従兄弟でした。

====

怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・

まあ突然、乳幼児の面倒をみろと押し付けられ、

仕方なく引き受けたものの、

どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。

いうことも聞かないし‥

それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います

さな子供にとって大人の「力」って圧倒的なんです。

でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。

それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、

虐待がはじまってから恐怖の対象しかなくなりました。

叔母のことは好きだったので、

叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、

それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。

苦しくって、つらくなって、

母にももちろん言いました。

虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのとき自分なりの伝え方で・・

でもね、一切信じてくれないんです。

なぜかっていうと、

兄弟にとってはあくまで「躾」のつもりから

いうことを聞かないから、いい子にしてないか叱った。

相手にそう言われてしまえば、

からすれば預かってもらっている立場だし、

申し訳ないという気持ちもあるからそこでおしまい

あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」さらに叱られます

しかも、そうやって「S.O.S」を出してしまたことで、

「余計な事しやがって」と、虐待さらエスカレートしていきました。

いじめでいう「チクった」あとと一緒です。

怒鳴られる、ぶたれるくらいのレベルから

モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。

で、そのトラウマってずっと残ってるんです。

====

これ、実はもう40年前の話です。

どんな友達がいたとか、どんな場所に遊びにいったとか、

まして家族楽しい団らんの思い出とか・・

その頃の記憶なんてほとんどないにもかかわらず、

悲しいか

「殺される!!」と思った恐怖感

首を絞められたときの手の感触

繰り返される怒鳴り声

とても鮮やかに、そこだけ4K映像のように、

リアルに生々しく、昨日のことのように思い出せてしまます

時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。

その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、

同じバターンの繰り返しでした。

しろ言えば、言うほどにエスカレートしていきました。

そのうち大好きだった母のことさえも、

自分がこんなに言っても信じてくれない、

まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。

その母も年老いて、いま介護をしていますが、

正直、いまだにそのとき気持ちは拭えません。

そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。

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兄弟による虐待エスカレートしていく中、

気が付けば、叔母の家を飛び出して、

電車に乗っていました。

一人で電車に乗ったの自体がそれがはじめてでした。

叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。

年に何回か行く程度でしたし、

我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います

当然ながらケータイも、GPSもありません。

祖父は私が物心ついたときには、

パーキンソン病を患っていて、ほぼ寝たきりの生活でした。

しかし、まだ小学校1,2年生の私が

一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。

その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。

夜になって、祖父母宅へ全員が集まりました。

叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。

そして急遽始まった親族会議

祖父は従兄弟虐待事実を問いただしました。

気が付けば、祖父と従兄弟が殴り合いの大げんかになっていました。

戦争を生き残ったとはいえ

もう70過ぎの、しか普段寝たきり生活祖父です。

兄弟は当時二十歳そこそこで血気盛んな年でしたから、

いきなり呼びだされて、殴られたことで、

「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。

それでも祖父は顔を真っ赤にして踏みとどまり

最後は従兄弟を叩きのめしました。

「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!

しか、そんなようなことを言っていたように思います

この一件があってから、さすがに状況は改善され、

虐待されることもなくなりました。

一人で祖父の家までいけてしまうということがわかったためか、

今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、

親が仕事で忙しいとき祖父の家まで行くようにもなりました。

母を含めて、身近な何人かの大人必死でS.O.Sを出していたのに、

それをちゃん受け止めてくれたのは祖父だけでした。

いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいのでしょう。

それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか

子供の言うことだから聞く耳を閉じてしまっていないか

この社会にいる人みんなに考えてもらえたらと思います

2019-02-06

anond:20190206161601

カジサックはあの日、冒頭から僕らのチームを見るなり「弱そうだ」とバカにしてきた。

そりゃ僕はお世辞にも運動が得意には見えないだろうが…僕はなんとか場を保たせながら、

これは釘を刺さないとと考えて「お前みたいな自分より弱いヤツをみつけた途端にマウントしたがる奴は大嫌いだ」と告げた

そして3種目の縄跳びのとき、僕はぜんぜん飛べなかった。

1回はメガネが縄跳びに引っかかった。笑われたけど、この時点では特に不快ではなかった。

けれど、梶原はここぞとばかりに僕をバカにしてきた。僕の失敗をディフォルメしたジェスチャーモノマネし、こき下ろした。一線超えたな、と思った」

僕は冒頭から繰り返し梶原の「イジリ」的な言動が嫌だと指摘したこと

そしてこういう言動がこの国のイジメ文化の温床なのだと告げた。

梶原は慌てて形式的謝罪したが、すぐに「みんなが面白くなるために(宇野にイジリを)した」と開き直った。

もうこれは直らない。帰るしかないなと思った

何か失敗したりするんだったら、自分自分ネタしろよ。

出来ないなら帰れ。

2019-02-05

野田市ニュース

野田市10女児虐待死のニュースが連日報道されている。母親逮捕だってね。胸糞が悪い。

自分虐待サバイバーで、もう成人してるし職にも就いてるし子供もいていわゆる普通生活を送れていると思うけれど、未だに虐待関連のニュースを見ると当時のことがフラッシュバックする。

野田市女の子自分と何が違ったのか、なぜ私は生きていて彼女は死んだのか、正直よくわからない。強いて言えば私は運が良かった。ただそれだけだと思う。彼女と同じ、私は父から虐待されていて、母も父から暴力を受けていた。死を覚悟した夜がいくつもあった。寝たら殺されると思って眠れない夜がいくつもあった。母に庇ってもらったことがあるし、庇った母が殴られることも何回もあった。私が母を庇って殴られることもあった。

一度だけ、暴力を受けている母をただ見ていただけの日があった。暴力の原因は忘れた。というか原因があったとしてもだいたいが理解できないものだけど。

その日母はボコボコに殴られてたし蹴られていた。血の涙を流すことって本当にあるんだなと思ったことを覚えている。いつもだったらやめてって父に叫んで母に駆け寄ったけど、その日は涙が出るばかりで体が動かなかった。そんなことしたら私は蹴り殺されて死ぬし、そのあと結局母も蹴り殺されて死ぬと思った。私はあの日、母と自分の心を犠牲にして自分身体を守った。

結果的に言えば母は死ななかった。でもそれは運が良かっただけで、もしそこで母が死んでいたら、私は母を見殺しにした罪で裁かれることになったのだろうか。今回の野田市の例で言えば。

千葉県野田市で一人の女の子が父の虐待で死んだ。母はそれを見殺しにした。その裏側には長期間に渡る数えきれない父の暴力と、母の戦いと、娘の戦いがあって、母も娘も何回もいろんな機関に助けを求めていた。それでも女の子は死んでしまった。母親も悪いとか、別れれば良かったんだとか、なぜ暴力を止めなかったんだとか、そんなこと今回の件では軽々しく言ってはいけない気がする。この母娘にとっては日常の様々な選択が生死に直結していて、今回は運悪く最悪のくじを引いてしまっただけなんだ。

2019-02-03

恵方巻きを食べた

昼食は恵方巻きだった。ひとりなので、一言も発しないという条件は意識せずとも達成できた。

少し前までそんな似非風習と思っていたが、年をとったせいか、どうでも良くなってきた。

初めて恵方巻きを食べたのは一年前だ。東山奈央1stライブの開演前に何か食べておこうと入った九段コンビニでちょうど良く売られていたのだ。

この先もわたしはきっと、2月3日を迎えるたびに、あの日武道館で見た素晴らしいライブのことを思い出すのだろう。

夕食はさっき魚屋で買ってきた値引き恵方巻きします。

技術力、技術力って言うけどさ

何か発言者コンテキストによって大きく変わりすぎて、どうも議論微妙になるわけよ。

ちなみに僕が考える技術力の一例ってさ。

社会課題解決する為の仕組み全体を設計する能力を主に指すのよ。

で、これを例えば今日たまたま病院寄ってきたので、その中で医療のもの医療技術ってのもあるだろうし、医療システム(保健とかな)の設計ももちろんあるだろうが、たとえば患者電子カルテなんかのITシステムを扱っている会社だったとしてさ。

はてぶってIT屋さん多いから例えばここだけピックアップするとね。

はてぶの人達の言う技術力って、情報学部出てでオープン発の最新事例を「知ってる」人達技術力~みたいなイメージしか無いわけ。(ちなみにボクチンはただの通りすがりのものです)

いたこともないようなカタカナ語の仕組みを知らない会社は軒並み駄目なドメ会社で、技術力の無いクソ同僚だけが残るクズ会社みたいな話ばかりで。

ちょっとまってちょっとまってお兄さん。

いやそうじゃないでしょ。そうじゃないでしょっていうかさ。

最終的に医療電子カルテ安全かつ早く誰もが見れて、それのコスト含む社会負荷が低く、あまねく多くの人が利用可能でって言うところまで見通して作ると、あの日UIUXになるわけですよ。

で、あれはあれで一つの選択肢として日本は取ってきたわけですよ。いいかいかは別として。

大抵の日本人はシンプル検索窓置かれても困ってしまうわけ。選択肢が無いから。一例としてね。

で、そういういわゆる社会的なコンテキスト情報の整理を無視して、単に技術力がないからあーだ、こーだ言う前に、もう少し社会普通にやってちゃんとお勉強してからいいなさいっていう。

海外ではやっている●●なんて今知ってたって、どうせ3年後には別の仕組みに置き換わってるよ。

ちゃん社会課題知識を身に着けてから技術力がある、ないの議論いかないと。

2019-01-31

いまどき「こんなのオタクじゃない」とかいう恥ずかしいマウントする奴

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1901/30/news132.html

おまえら恥ずかしくないの?

平成も末だよ?

「年間何万使ってる俺たちこそ真のオタクであっておまえのようなニワカはお呼びじゃないの」

みたいなプレッシャーかけてくるジジイどもを老害として切り捨て、

ニュービーを優しく迎え入れて手取り足取り導いていく、

そんな明るく楽しいオタクコミュニティをこの1020年で目指してきたんじゃなかったの?

岡田斗司夫唐沢俊一醜態を目の当たりにして「ああはなるまい」って誓い合ったじゃない!

あの日約束を忘れちゃったの!?

2019-01-30

これは恋が拗れたトラウマなのか

小学生の時にとある女の子に恋をして、想い続けてそろそろ12年が経ちそうで自分で若干引いてます干支1周しそうだけど。したけど。

んでその子告白して見事に玉砕してそろそろ6年経ちます。振られても尚その子に対しての好意が一切消えることも無く燃え続けてそろそろ嫌になってきたので匿名で書き殴っています

マジで呪いか何かなんじゃねえのかなこれ

上の文見るとその子(以下A)は幼馴染か何かと勘違いされそうなので言っておくとそんなことは無いです。小中高は一緒だったけどな。小四の頃にAがいる小学校に私が転校して出会いました。んで一目惚れです。たか小学生一目惚れと侮るなかれ、それを12年引き摺ってんだこっちは。

色々ありましたが仲は良好だったと思います相手恋愛的な好意はなかったにしろ良い友人関係は保ててたと思う。

高校1年の終わりに、文理が別れる都合上何があってもクラスが分かれるので最悪振られても気まずくなんなくて済む、ここが好機やと告白。見事「友達から…」パターン玉砕。そっから疎遠になり進学して今に至る。一応TwitterやらLINEやらでは繋がっているのでお互い生きてるってのは把握してる 簡単に馴れ初めと現状を語るとそんな感じです。

問題はこっから

たかが1回振られた程度で当時6年間燃やし続けた好意が消えるはずが無いんですよね。今もそうで、現状私はAのことが相も変わらず好きなんです。自分でも引くレベルで大好きなんです。未だにあの日のことを思い出しては1クールに1回位はメンがヘラりかける程度には恋の炎がガッツリ燃えています

その弊害か何か知りませんがあの日以来全くもって他人に対して恋をしていません。振られたのが高校1年なのでそっから6年、大学に進学して周りの人間一新されているのにも関わらず0。確かに可愛いと思う女性とは何人も出会ったしウマが合う人もいました。しかあの日感じた「恋」という感情を感じることは1度もなく。これはいよいよAに対する感情をどうにかしないと人間として色々終わるなと思ってきた次第。

なんなんでしょうね、これ。恋愛したい願望はあるんですけど、Aへの思いは変わることなく。

今のところ私が救われる可能性はもうAのことを忘れられるくらいの恋をするくらいしかないのですが前述の理由よりその可能性はほぼ潰えているので詰みです。誰か助けてくれ。俺はいつまでこの呪いと付き合えばいい。

スマホ

スマホの画面がいくら拭いても汚くて嫌になってたけど、あ、保護シール貼ってた。

買った当日につけて2年足らず。

付けてること自体完全に忘れてた。

剥がしたら当然ピカピカ。

純正シールじゃないけど、新品シールで再度保護

すっごい新鮮!

100均でこんな気分違うのか。

毎日手にして、凝視する画面。

ちゃん大事にしなきゃいけないんだなあ。

そして、一目惚れしたスマホケースを奮発して購入。

届くのは明日

今のケースも安さだけで選んだもの。透明シリコンが黄ばんでこれも汚らしい。。

冷静に考えると、どんなにオシャレしてもこんなスマホ持ってたらほんとブサイクだわ。

でもなー、この怒涛の2年間をずっと傍で見てたんだよな。

就活も、上京も、毎日友達に泣きついてた日々も、迷走しまくってたあの頃、スマホなんて見てて見てなかった。

一つ言えるのはあの日々にスマホがなかったら、私孤独おかしくなってた。孤軍奮闘してたから。

ずっとかえりみなくてごめんね。

やっと自分らしく生きられる場所見つけた。

やっとスマホの汚れに意識が向くくらいに余裕ができた。

寿命近そうだけど、これからは丁寧に扱います

ありがとう

嫌いな女の話

嫌いな女がいる。

彼女は私のフォロワーで、そして私も彼女フォロワーである。つまり相互というやつだ。

まりはなんてことない、腐女子界隈によくある「繋がりたいタグ」だった。

「繋がりたいタグ」を知らない層に簡単説明すると、自分推しキャラ推しcpの同士たちを見つけるべく、Twitterで「#〇〇好きさんと繋がりたい」「#〇〇推しの人と繋がりたい」のように定期的に盛り上がるハッシュタグのことだ。このツイートに反応してくれた人たちの中から自分の気になる人を見つけ、ご挨拶に伺う、というのが一般的な流れである。多分。

かくいう私も立派な腐女子なので、たまに「繋がりたいタグ」を流す。

私はC受けだったら何でもいただけるが、当初は特にAC推していた。その当時ACマイナーで、意気揚々pixiv検索をかけ涙したあの日のことは忘れられない。

けれど私は割と立ち直りが早い方なので、「少なければ増やせばいい」をスローガンに、自分自身で小説を書くようになった。ありがたいことに反応も多くいただけて、フォロワーも増え、同士たちで溢れるTLにすることができた。

けれど私が勝手スタートダッシュをかけすぎたせいで、この頃になると私の中のACネタが尽きてきた。尽きてきたっていうか、書きたいものほとんど書いたなって感じ。だから今後は、思いついた時に書けばいいや~と思って結局半年ぐらい何も書かなかった。

そんな時に、ACよりちょっとマイナーBCというcpを知った。BCを知ったというか、BC活動しているとんでもなく私好みの絵師さんを見つけた、といった方がいい。とんでもなく好きな絵師さんがいて、C受けは大好物なので、すぐにBCにはまった。今となっては割とBC寄りだ。だから私はBC小説を書くようになった。そんでBCを書くようになると、案外ACネタもたくさん出てくるようになった。やれば出てくるもんだな、とか思いながら前ほどではないが月に1回ぐらいはACまたはBC小説をあげるようになった。

そんな頃だ。私が繋がりたいタグを流したのは。

最近書いたACBC小説スクショを何枚か載せて流した。ありがたいことにたくさん反応をいただけた。

冒頭の彼女は、そのツイートに反応をしてくれたのだ。

物書きである彼女AC推しだ。

でも過去に数回、BC小説を書いていた。そして私はそのBC小説がめちゃくちゃ好きだった。読んだ後すぐにブクマした。

から、そんな作者から反応を貰えたことが嬉しくて、すぐにご挨拶に伺った。

あなたの書いたBCが大好きです。そんな方から反応を頂けてとても嬉しいです。ぜひ仲よくしてください」

確かそんなことを書いたと思う。彼女はすぐに返事をくれた。

ありがとうございます。私もあなたが書いているACの話が大好きです。よろしくお願いします」

めちゃくちゃ舞い上がった。すぐフォローした。その興奮のまま、彼女小説を全部読んでみた。正直私はACないしBCから全部読む!というタイプではないので、読んだことのないAC小説が何個かあった。そして思ったのは「可愛らしい話を書く人だな」だった。甘々の、それこそ少女漫画みたいな話が多かった。別にそういった話が嫌いな訳じゃない。むしろ大好きだ。推しcpがいちゃいちゃしている話は本当に素晴らしいと思う。ただ、BC小説ではそういう風に見えなかったので、少しだけ驚いた。

でもそれだけだった。その時は。

そういう成り行きで相互になった彼女と私だが、だんだん嫌悪感を感じるようになった。私が。原因は分かっている。

1つは、私と繋がってから程なくして、彼女AC固定になったことだ。

その時はちょっとしかったし、もう彼女の新しいBCは読めなくなるのか、と残念に思った。でも私はC受けが好きだし、彼女小説を書くことを辞めたわけでもないので、そういうこともあるな、と思っていた。そしてAC固定になった彼女は、めちゃくちゃAC小説をあげるようになっま。いやまじでびっくりするぐらいあげてた。少なくとも3000字程度のSSなら3日に1回はあげてた。それを私はすごいなぁと思ってたし、全部とは言わないけど読んでた。それで相変わらず可愛い話だなぁと思っていた。でも正直ちょっと可愛過ぎない?と。

そんな時に決定的なことがあった。これが2つ目の原因だ。

彼女がいつものようにあげたAC小説を、私も普通に読もうとした。したけど、1回手が止まった。

キャプションに「Cを可愛くするように頑張った」と書かれていたからだ。ん?となった。Cは可愛い公式でも愛されキャラの素直なとても良い子だ。でも、Cは男だ。

私はボーイズラブというのは、ボーイとボーイがラブするからいいのだと思っていて、ボーイというのはガールとは基本的な部分が違うと思っている。LGBT的な話は今は置いといて、自分が男であることに疑問を持っていない男は、やっぱり可愛らしいと言っても男っぽさが確実に存在しているはずだ。と、彼女のその1文でここまで考えたが、まぁとりあえず読んでみた。Cが終始、"お” 顔とか、"お" 部屋とか言ってた。

はいアウトーーーーーーーはいはい無理。はいはいはいやったなお前。いや別に、"お" 顔とか、"お" 部屋とか男が言うのがダメかいう話じゃない。そういうキャラクターもいる。全然良い。でもCはそんな話し方しない。少なくとも公式の中では普通に"部屋"とか"顔"って言ってた。先にも言ったが、Cは可愛い。わかる。素直な良い子で、何事にも一生懸命で、童顔だ。でも、Cはそんな話し方はしない。そんなに女子っぽい言い回しとかしない。ていうか公式で割と男らしいって言われてたけど、見た?1部の最後ちゃんと見た??

分かりやす解釈違いだった。

彼女は愛されキャラのCをとても可愛らしい存在で扱っている。それを知った時、もう彼女とは仲良くできないな、と思った。

でも私が彼女を嫌いな理由はそこではない。解釈違いの女なんて死ぬほどいる。そんなことでどうこう言うつもりはない。

私が彼女を嫌いな理由。それは彼女夢小説BLを書くようになってきたからだ。

私が解釈違いで彼女とあまり関わらなくなっても、彼女小説をあげ続けた。可愛いお話ですね、とよく感想をもらっていた。特にCくんが可愛い、と。

それを見て私はただモヤモヤするだけで、別につっこむことはしなかった。たまに彼女小説を読んで、解釈違いで〜〜すとは思っていたけど。けれど一度だけ、彼女と対面で話したことがある。いつかの即売会で、私がお会いできるフォロワーさんいますか?と呟いたときに、彼女の方から反応があったのだ。断る理由が思いつかなかった。だからとりあえず会った。彼女普通女性だった。正直めちゃくちゃ美人って訳でもないが、可愛らしい雰囲気の人だな~という感じの。そして、その印象を裏切らない可愛らしいやわらかな話し方だった。でも粘着質な私はすぐ気付いた。彼女の話し方は、彼女の書くCにそっくりだった。彼女は、元々夢女子だったと呟いていた。Aは正直Cよりも人気のイケメンキャラだ。もしかしたら彼女無意識にAの夢女子になっているのかもしれない、そう思ったら、何となく全部に納得がいった。どんどん女々しく、女の子感が強くなっていくCの意味が分かった気がした。無意識というのは割と厄介だ。意識していないんだから直しようがない。だから彼女無意識BLというジャンルでCに自分を重ねながら書いていて、そうなるともちろん公式のCとの齟齬が生じてくる。

嫌いだな、と思った。なんかもう全部嫌いだわ、とも思った。いや私の勝手憶測だけど。でもそうじゃないと分かんないぐらいCが女々しい。女体化な訳でもないのに、なんかもう言動女の子しかもすっげぇ可愛い感じの。

夢小説みたいなBLを書く彼女のことが一気に嫌いになった瞬間だった。思っただけで何も言わなかったけど。

それ以来、彼女が呟く内容ですら嫌になった。なんだその顔文字うざいな、とか思うようになった。私の心は大分狭い。多分四畳半ぐらいしかない。だったらフォロー外せよ、とかブロ解しろよ、とか思うだろ?私も思う。でも、私は彼女フォローを外すことができない。できない、といかしたくない。過去空リプで私の文句を言ってきた相互フォローの女はすぐに切れたのに、彼女だけはしたくない。

理由は単純だ。私は彼女文章が好きなのだ

夢小説BLは大嫌いだし、それをのうのうと書く彼女のことも大嫌いだけど、彼女言葉選びは好きだ。心理描写とか話し方は死ぬほどムカつくけど、情景描写は好きだ。普段ツイートにはイライラしかしないけど、彼女がたまに呟く140字SSで、あーーーそれすごいどこでそんな言葉思いつくの!?となることもある。そして何より、彼女過去に書いたあのBC小説が大好きなのだ。あのBC小説の中のCはちゃん男の子だし、そんなにすぐ泣かなかったのに、今彼女が書くAC小説のCはめちゃくちゃ女々しいし、すぐに泣く。

あのころのまま、彼女小説を書いてくれたら良かったのに、と思う。そしたら私はここでこんなことを書いていないし、彼女のことを嫌いになることもなかった。もしくは、いっそのこと夢小説作家であれば、とか。そうしたら私は普通夢小説として彼女小説を読めたのに。でも彼女が夢女子だったら、そもそも私は彼女存在すら知らない。だって私はAにもBにもCにも、このジャンルの誰にも夢を見ていない。全員ホモだと思っている。だから知り合うはずがない。でも、それはそれで嫌なのだ。そのくらい、彼女の書いたBC小説に惹きつけられた。私の「繋がりたいタグ」に彼女が反応してくれたあの日の興奮だって本当だ。今でも思い出せるぐらいに嬉しかった。

それが、悔しくてたまらない。私は彼女小説全然楽しめないのに、彼女小説を素直に楽しめる他のフォロワーがいるのが悔しい。彼女が初めて出した本を私は買えないのに、買って、読んで、彼女感想を送っている人がいるのが悔しい。なんだかんだで、彼女文章ファンである自分が悔しい。

でも、私は彼女が嫌いだ。

私はAもCも大好きなのに、彼女がCのことをないがしろにして自分を重ねて、それでもBLだと言い張っているその根性が嫌いだ。公式ではもっと格好いいのに、なよなよとした女の子みたいなCを書く彼女が大嫌いだ。というかそもそも私はボーイとボーイがラブする話が読みたいのに、ボーイと彼女がラブしているところを強制的に見せられてるみたいで本当に嫌だ。やめてほしい。これはただの私の憶測だけど。でもそう思ってしまったらそうにしか見えないし、逆にそうじゃないと意味がわからない。原作読んだ???ってなる。

多分これから先も、私の支部ブックマークから彼女BC小説が消えることはないし、私の方からフォローを外すこともない。BC寄りになったとはいえAC地雷になることも絶対にない。AC小説も書き続ける。そして彼女彼女で、きっともう二度と、私の大好きなあのBC小説のようなものを書いてくれないけど。私はきっと彼女AC小説を読むことも買うこともできないけど。

それでも、たまにTLに流れてくる彼女の綺麗な文章は、やっぱり私を興奮させるものなんだろうな、と思う。

2019-01-29

私は同性愛者なので銭湯はいかない

私は女性の裸を見ると少なから性的興奮を覚えるエロマジンガーZだ。

小学生臨海学校で同じクラスメイト風呂にinしなくちゃいけない時、エロい目で彼女達の身体を見ていることに気がついた。

スレンダー女性からぽっちゃり系の女性まですべての女性身体は素晴らしく――私は楽園に迷い込んだ子羊かと思えた。実際は鼻水垂らしているクソガキレズビアンだが。

だが、同時に罪悪感も覚えた。

彼女達は私が性的な目で見ていることを知らない。

1日の疲れを癒すために入っているのに、性的な目で見られていると知ったら、気が休まらないだろうと思った。

女性を傷つけるのは、自分の意に反する。

自分だって、裸という無防備な姿でいる自分を、よく知らない人や子供性的な目で見られたら、怖いというか気持ち悪いというか、ハラワタ持ってかれるのでは…と警戒してお風呂を楽しめない。

からあの日誓った。絶対銭湯いかないと。

26歳になった今もあの日の誓いは守っている。

しかし、健康診断等で着替えなくてはいけない時の更衣!!!!!!!!!

プール更衣!!!!!!!!!等々の場面に出くわすと、頭を抱える。

なんとか部屋の隅で、絶対に着替えている女性を視界にいれないようにしているが……個室とかできないものか……。

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