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2018-12-12

quick_past氏が垂れ流した差別

quick_past 案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨの餌になってるけど、何度謝ればいいんだって、それ殺人犯がムショで言ったらどうなると思うよ・・・合意過去の過ちを無いことにするものではない

2018/12/12 リンク Add Starrgfxharuyatotei_wa1421Gl17hanajibuu

このコメント差別意識に満ちている。


1「案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨ

案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨ

当該コメント欄に「先進国」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。

当該コメント欄に「日本様」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。

一体どこから「この先進国日本様に盾突きやがって」という日本人の声(?)が出てきたのか具体的に指摘して欲しい。

例えば人気コメントのだれそれのコメントがそれだ、のように。


もし具体的な誰かのコメントのこの部分だというように言えないのであれば

quick_past氏のこのコメントぼんやり日本人全体に向けたものと捉えざるを得ない。


要するに

日本人が韓国のなんらかの措置に対して反発するとは生意気だ」

韓国相手には何を言われても頭を下げ続けないならネトウヨ

日本人の分際で」

なのだろうか。

それ以外の何か深遠なニュアンスがあるのだろうか?


quick_past氏のコメント日本人差別に基づいたものではなく

あくま特定コメントの内容についての非難であると言うならば

「この先進国日本様に盾突きやがって」が具体的に誰のどのコメントへの批判なのか書いて欲しい。



2.「何度謝ればいいんだって、それ殺人犯がムショで言ったらどうなると思うよ・・・。」

すごいコメントだ。

日本人は服役中の殺人犯なのだろうか?


ところでquick_past氏ほどの知識人であればそんなことはないと思うが

世間無知差別的人間の中には「罪人は永遠に罪人」というような認識の者がいる。

これは正しくない。

犯罪者であっても逮捕されて服役して罪を償った後は、例えば氏名等が具体的に報道されたりしない。

テレビ番組過去有名人権を扱う時に犯人名前等もぼかされたり偽名になったりしてるのを知らないだろうか?)


つの事件で何度も裁判を受けてその度に監獄に送られるとか、その度に謝罪させられるとか、そのようなこともありえない。

同じ争いで何度も裁判を受けてその度に賠償命令を受けて謝罪賠償を繰り返す、ということもありえない。

たまにきちんと服役や賠償を終えた人をいつまでも「罪人」等と言って後ろ指を差したり侮辱したりする人間が居るが

そんなのはひとえに未開で差別的な低次元の行動という他ない。


例えばほりえもんのことが嫌いだったとしても、きちんと服役して勤め上げた件について「犯罪者」呼ばわりしたり、「お前は犯罪者なんだから一人前みたいに喋るな」とか言ったら、ほりえもんの虫の居所が悪ければ訴えられるだろうし、そうなれば何の抗弁も出来ずボロ負けするだろう。

実際にほりえもんに対して過去ネタを持ち出したそのようなあらゆる侮辱逮捕服役歴や性嗜好を持ち出してほりえもんのあらゆる主張を封殺したり嘲笑ったりする)は5chのようなところでは毎日行われているが、低質な人間毎日行っている=社会的に許されている、ではない。


それを踏まえて、

日本人全体を戦前出来事ネタに、それも謝罪賠償も完全かつ不可逆的に終わっている件をネタに、

「お前らはムショに居る殺人犯なんだから」という例えをするのはどういう意図だろうか?

事実に全く即さない例えである上、もはや日本人全体への悪意と差別意識しか読み取れないように感じる。

それ以外の深い思慮や意図があるのであれば説明して欲しい。


合意過去の過ちを無いことにするものではない

本件が最終的かつ不可逆的に解決したと確認(2度も。ファイナルファンタジーナンバリングぐらい矛盾に満ちている。)された件であることはquick_past氏も熟知していて、その件について何度でも蒸し返し謝罪賠償請求し続け威圧を図ろうとする韓国側のスタンス論理的にも倫理的にも間違いであることの判断もquick_past氏には付いている。


から、「それはおかしいのではないか」と反発しだした日本人に対しては「ネトウヨ!」「過去の過ちをないことにした!」「先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってる(???)」などと、謎の日本罵倒による正面から組み合わない次元での封殺を狙っていっている。

このやり方は論理的にも倫理的にも一部の理もないダダ捏ね・因縁付けにしかならないことをquick_past氏ほど聡明な人なら人に言われるまでもなく自覚している筈。


それでもなお道理論理も踏み倒してこのような無理のある主張を、無理があると自覚できる知性の持ち主が主張し続けることには、

感情的ファクター、つまり日本人へのヘイトナショナリズムレイシズム以外につけられる説明がなさそうに見える。

そうであればquick_past氏の知性すら政治的感情レイシズムが曇らせてしまったという事実をとても残念に思う。


もしもこのような疑義が当たらないということな

quick_past氏にはここに並べた疑義について堂々と反論したうえ

あの日本人へのヘイト丸出しに見えるコメント真意について説明してほしい。


quick_past氏きれい説明してくれて

私が「全く的外れな勘繰りでした」と謝る流れになればどれほど良いかと思うが

たぶんそうはならないだろうなと暗澹たる予感は有る。

2018-12-11

ポッポフードコートジャスコの話

ポッポ記事を読んでいて、昔通っていた地元ジャスコのことを思い出した。

https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/18-00388

そのジャスコは3階建てで、広めの敷地なかにくねくねした車の誘導路と、屋上駐車場があって、立派なエントランスがあった。

3階にはゲームセンター本屋アイスクリーム屋あたりがあった。他は思い出せない。たぶん子供グッズとか雑貨とかがあったんだろうと思う。2階は何一つ思い出せないので、多分服関係だろう。

自分はそのゲーセン本屋が大好きだった。

ゲーセンでは50円の綿菓子マシンや、じゃんけん階段を上るゲームや、「じゃんけんポン!ズコー」の10円もしくはメダルゲームや、今思い出すとスペースハリアーらしきものや、アーケード版のマリオなんかがあった。とにかくうろうろしながら人のプレイを眺めていた。100円のお小遣いをもらって、10単位でどれに使おうかとすごく悩んでいた。

本屋も好きだった。図書券を握りしめて、いろんな漫画を眺めながらどれにしようかと悩んでいた。ジャンプコミックスが390円だったのを覚えてる。図書券で買い物をすると、お釣り現金で帰ってくる。その小銭を握りしめてゲーセンに行くんだ。楽しくて仕方なかった。ドラえもん大長編ズッコケ3人組をよく買っていた。あと何故だか分からないが、コボちゃん単行本を買い揃えていたのを思い出した。あれはなんでだったんだろう。他に読むモンあるだろうと当時の自分文句を言いたい。

そして1階には専門店街と、スーパーと、フードコートがあった。

フードコートは、当時の記憶からしてもしなびた感じだった気がする。けどメニューや店構えはポッポほとんど一緒で、ポテトフライや、ラーメン焼きそばソフトクリームたこ焼きフランクフルトあたりがおいでおいでしているように見えた。ソバうどんメニューにあった気がするが興味はなかった。買い物が終わって、帰る動線フードコートが目に入るようになっていて、いつもそれを横目に見ながら帰っていた。

ごくごく稀に、親になにかを買ってくれることがあった気もするんだけど、何を食べたのかはほとんど覚えていない。いろんなものが美味しく見えていたはずなのに、なんでだろう。

フードじゃなくてフードコート。あの空間けが、ただただ鮮明に思い出せる。あの時にガキだった自分がいたジャスコは、「ちょっと特別」がそこかしこに詰まった、ほんとうに楽しい場所だった。

今はその店はない。

近所にはでっかいイオンができて、その前後に閉店してしまった。建物自体も取り壊されて、跡地にはマンションと平屋のオークワが建っている。さっきストビュー再確認たから間違いない。

あの空間に、もう行けないと改めて感じると、なんだか急に悲しくなってしまう。もうないと思ってしまうと、どうでもよかったものが、急に大切だったものみたいに感じられるやつだ。たかだか20数年前の話でしかないんだけど、まさかフードコート記事でこんなこと思い出すとは思わなかった。誰かわかってほしいなと思ったけど、誰も分かってくれないと思ったか増田にたくさん書こうと思った。

日見風景も、30年ぐらいしたらあの日ジャスコみたいに思い出せるのかな。明日もがんばろう。

2018-12-05

あの日AV女優

10年前、俺がまだ未成年エロガキだった頃、お世話になっていたAV女優がいた。

出逢いは動画サイトでの違法視聴。元は数十分のAVを短く切り分けた断片的な動画タイトル英語女優名前も書かれておらず、誰なのか全然からなかった。

清純そうな、少し悪く言うと垢抜けていないルックスとは裏腹に、白目を剥いて大量の潮を噴くギャップが一物に響いた。

もっとこの女優動画を知りたい。そう思いながらも当時は手掛かりは何一つ得られなかった。

状況が変わったのは、成人になってAVを購入するようになった数年前のこと。ふとあの女優のことが気になった。久しぶりの違法視聴に罪悪感を抱きながら動画を見てみると、インタビューパートのところで男優が微かに「○○ちゃん」と呟いていることに気がついた。当時の俺はエロガキすぎてインタビューをまともに見ていなかったのだろう。

下の名前が分かったら話は早い。「○○ 潮吹き 白目」と幾つかの特徴的なワード検索にかけると、そのAV女優動画配信サイトがすぐに見つかった。

動画を購入したのは言うまでもない。

調べてみると、最後アナル浣腸モノや裏ビデオに出演して、結局2年も経たないうちに引退していたことが判明した。出演本数もトータルで10本程度、人気もいまいちであまり売れなかったのかもしれない。

数年前はそこまで調べたところで満足して、それ以上掘り下げることはなかった。状況がさらに変わったのはつい先日のこと。

彼女動画で慰めようとした俺はふと考えた。10年前のAV愛好家は彼女のことをどう思っていたのだろうか。名前でさえも把握していなかった当時の俺には知る由もない。

ここまで考えが至ると一物は萎えしまう。仕方がないので、また掘り下げることにした。今度は女優名前が分かっているので調べるのは簡単だろう、そう高を括っていた。

どうも有益情報があまり出てこない。彼女が当時書き込んでいたブログは既に閉鎖されていて読むことができない。個人の感想を述べたブログを探してみたものの、マイナーAV女優名前でさえもランダムに引っ張ってくるキュレーションサイトばかり。

どうしたものか。頭を悩ませる。検索した結果出てきた、言葉のサラダボウル状態のどうしようもないキュレーションサイトに目を遣ると「掲示板」の文字があった。

閃いた。某大手匿名掲示板ログを調べれば、彼女スレッドが出てくるかもしれない。普段匿名掲示板ほとんど利用しない俺にとっては完全に盲点だった。

試みは成功した。Part4で途切れた、彼女名前を冠したスレッド。当時の空気がそのまま詰まっていた。

貪るように読み進める。当時のAV愛好家達も潮吹きや白目の魅力を存分に語っていた。削除されて完全になくなっていた彼女ブログの一節も読むことができた。使われている顔文字が懐かしかった。

気がつけばすっかり日付が変わっていた。

彼女オカズにするという当初の目的を忘れたまま、妙な満足感を抱いた俺は眠りについた。

10年越しに、やっと彼女出会えた。

anond:20181205143804

地図見て思ったけど、高輪GWって名称泉岳寺に対して失礼な気がしてきた。

まんま泉岳寺だもんな。

あの辺何度も通ってて一度もお参りに行ってなかった。

行かなきゃならんな。

もうすぐあの日だ。

追記

泉岳寺ってお寺のことね。

2018-12-01

典型的ダメSES企業退職しました。

NTT退職エントリーが盛り上がっておりますが、クソであること以外に特徴のない企業からより正常な環境へ移っているエンジニアも多数いらっしゃると存じます

バブル就職氷河期も知らない世代ですが、今がかなり被雇用者にとって売り手市場になっていることは馬鹿な私でも感じます

私もそんな世の動きに乗っかった一人です。

元がNTTのような目立つ名前のところではないので記事としてもインパクトのあるものではございませんが、クソから脱出して半年以上過ぎてなお前職への恨みが消えないので一旦全部吐き出してスッキリしたい所存です。ただ排泄します。

転職活動は非常に短く、#hiyokonitsuduke流行に乗って、直接現在職場の方と連絡を取り、10日ほどでかなりスピーディに転職が決まりました。

年収、勤務時間業務内容、チームメンバー人格すべてにおいて上回っており、即決でした。

典型的ダメSES企業研修

入社し直後に合宿という名の下、三大キャリア電波の届かないところに連れて行かれ、開発合宿デモするのかと思えば「君たちの本気を試す」という名目の元、スリッパの並べ方にいちゃもんをつけて怒鳴る、社訓を大声で叫ばせて気に入らないやつを「心がこもっていない」怒鳴りつける、8時間ぶっ通しで歩かせて「こいつが足を引っ張った」と怒鳴りつけるという完璧研修を受けさせていただきました。夜中の3時、4時まで「お前らはいかにダメか」の説教を受けます

二十人以上を三日間拘束しているので、相当なお金をその研修会社に払っていると思います。質の高い教育のためにはコストを惜しまない、素晴らしい会社でした。

典型的ダメSES企業のオシゴト

前職は非常にセキュリティ意識品質意識の高い企業でしたので、どれだけ生産性を落とそうとも、社員健康を損なおうとも、関係ありません。

ここで言う「品質」とは、安定したシステムのことではなく、「何ステップの開発には何個のバグが入るはず」「見積もりどおりの規模になる」「残業100h/月すれば納期を守れる」という意味で、保守性や可読性のことではありません。

ここで言う「セキュリティ」とは、「不便にすればセキュリティ高まる」という信念のことで、「機密性」「完全性」「可用性」とは別の概念です。

契約で何ステップの開発することになっているから」「契約で何ページの文書をつくることになっているから」ということで、仕様どおりに動く成果物ができあがりテストカバレージ100%にもかかわらず、できるだけ無駄コードを重複させるように命じられます

CSVファイルちゃんとfor文で心を込めて一行ずつ読み込み、SQLiteを使えば3行で終わる集計処理をJavaの基本ライブラリだけで実装します。セキュリティを高めるために外部ライブラリツール仕様が一切禁じられているからです。

また、これもセキュリティ施策の一環として、構内からインターネット接続禁止されているため、ドキュメントを見たいときは社用携帯の狭い画面で調べます

まり常軌を逸しているため、クラウド勉強をして多少はまともな環境部署へ異動を願い出ました。もちろん、その数ヶ月前に現状の何が不満で何をどう改善してほしいか具体的に伝え、改善されなければ出ていく意図をはっきり示しましたが改善されなかったからです。

するとなんということでしょう。「勝手に異動願出すとはなんだ!」と怒鳴り声で電話がかかってきます。なんと部下思いの部長でしょうか。

やっとインターネットドキュメントソースを参照できるチームにアサインされたと思ったら、典型的ダメSES企業には典型的ダメ情シスがセットでついてきます。彼らは保身と「自分だけ」定時退社するためには何でもする、働き方改革最前線にいます

社内ネットワークをダウンさせ、全社の業務を数時間ストップさせ、社外へ出るプロキシ申請の設定を自分たちの不手際で吹き飛ばしても「社外へ接続する場合課長部長本部長の判子付きの申請書を再提出してください。」と、しっかりルールを守る姿勢を貫きます

セキュリティさらに高めるために、社内からGitHub接続禁止するという偉業を達成しました。社用携帯調査をするあの日々に戻りました。

チャットツールバージョン管理ツールを導入したくてもセキュリティを守るためにNoが帰ってきます

なんとかOSSで自前でホストさせてくれと懇願して払い出されるのはシングルコアメモリ500MBの超ハイスペックVMです。最先端をいく素晴らしい会社でした。

典型的ダメSES企業イベント

愛社精神コミュニケーションが足りない!」という理由で「せや!BBQしよう!遠足いこう!」となるところまでテンプレです。

もちろんイベント幹事は若手の仕事。なんら機密情報を含まないイベントの出欠管理も、エクセルzip暗号化して拡張子を変えてEメールパスワード別送する必要があります。徹底したセキュリティ意識の高さが素晴らしいですね。

年に一度、ホテルホールを借りて懇話会を行いますが、これはなんと休日に開催されますさらに、原則出席必須で欠席する場合理由を申し出なくてはなりません。

強制力を発揮しているので実質休日出勤命令ですが、イベントに呼んでいただいたことに感謝しなければならないのでもちろん手当などありません。

きめ細かなコミュニケーションのため、大きなイベントでなく小さな交流会も時々開催されます。ただし呼びかけるのは部長職以上、呼ばれるのは未婚の若い女社員のみです。

もちろん断ったり楽しそうな素振りを見せなかったりすると後でネチネチ言われるので、実質社員を動員しながら経費でキャバクラですね。

最後まで典型的ダメ企業は素晴らしい

最後最後まで搾り取ろうとする姿勢も見事なものです。退職二週間ほど前に有給消化に入ったのですが、「もう退職予定だからこの案件は参加できない。クラウドわかる人間必要なら案件を諦めるか他を育ててください」と明確に伝えたにもかかわらず、勝手に受注して「やってくれなきゃ困る」となぜか私のせいにしてきました。挙句の果てに私の個人携帯の連絡先を同期から聞き出して、警戒させないために自分ではなく私の同期から電話させて、電話に出たらなんとか作業をさせようとあれこれ駄々をこね始めました。有給消化中で旅行に行っていることも伝えているのに、素晴らしい仕事への意識の高さです。

今後一切関わることはないと思いますが、生まれて初めて他人に心から不幸になってほしいと思いました。

また、"エンジニアしぐさ"のひとつなのか「良い悪いじゃない」「転職手段であって目的でない」「ケースバイケース」などといってひたすら物事を相対化することがカッコイイと思っている人が界隈にはたくさんいらっしゃいますが、仔細に見れば傷の舐め合いや現実逃避ほとんどでしょう。

私はSESのすべてを知っているわけではないので、もしSESという業態が好きでたまらない、幸せでたまらないという方(もちろん搾取する側以外で)がいらっしゃったら、ぜひとも他人に噛み付くのではなくご自分でそのお気持ちをどこかにアウトプットしていただきたいです。

2018-11-29

赤木春恵の死去

赤木春恵といえは、私の世代ではやはり渡る世間と金先生だった。

2005年NHKの【あの日 昭和20年記憶】に出演した赤木春恵証言を思い出す。

終戦直後満州ソ連兵に怯えながら、夜を過ごした証言

慰問団女性たちはおばあさんの扮装をして、頭におしろいを振って、白髪にみせかけて難を逃れた話は生々しいものがあった。

あの番組アーカイブはないかな、と探していたら、別のインタビューだったが、以下の証言記録が見つかった。

http://true-stories.jp/?p=100

合掌

2018-11-23

ギークになれなかったナード

この社会でどう生きていけばいいのだろうか。

ずっとずっとそればかり考えている。

大学研究室で打ちのめされて就職先を変えたあの日から、ずっとずっとそればかり考えている。

2018-11-21

大阪出張記録4日目~デリヘル編~

3日目USJ編はこちら→anond:20181121065420

前日の土曜日ホテル価格が15000円台だったことに

ご立腹だった俺はネカフェで一晩過ごした。

途中ギャル物のAVを見たりしていたが、当然こんなところで

ヌくことはできないのでムラムラが半端なかった。

漫画かぐや様は告らせたいをだらだら読んでいた。

  

そして時間がきたので出ていった。

ここは、そう、道頓堀近くのネカフェ

俺はそこからあてもなく彷徨い続けて気が付いたら大阪駅にいた。

  

11時くらいになったので、大阪駅の狭い路地のあたりで海鮮丼を食べた

大盛りで580円の海鮮丼とはリーズナブルだった。

  

そのあと、スマホバッテリーがそこそこなくなっていたので、

ヨドバシカメラソフトバンクショップの充電コーナーで充電。

だらーっとぼけーっとしていた。

  

そう、俺は疲れていた。

前日に20000歩あるき、この時点で既に11000歩歩いていたからだ。

疲れている。ただひたすらに疲れている。

そして次の日はもう地元に帰らなきゃいけないという気持ち

焦った。

  

ギャルだ。肝心のギャルと会話ができていない。

俺はここ増田でも何度も何度もギャルギャルと喚いていた。

しかし一向にギャルとの出会いはない。

俺は追い詰められた。

大阪ギャル関西弁ギャル。それと話さずして終わるのか?と。

  

そして俺は最後の手段として…

デリヘルを使うことを決意した。

だが待ってほしい。人生で一回も風俗に行ったことがないピュアな俺が

いきなりできるのか?と思って色々調べ始めた。

  

ホテルに呼び出す方法とか大阪デリヘルの店でどんな女の子にするとか

あれやこれやしているうちに時間がたつ。そして…

  

ひとまずホテルだけでも予約することにした。

当然二人分の料金で。一人だと色々問題があるみたいなので二人にした。

  

俺は煙草を吸わないのだが、ギャル喫煙率もそこそこあるようので

喫煙室で予約した。後でここで吸わなかったときのことが考えられなかった俺は

アホだったなぁと思った。

  

とりあえず、そのあと、チェックインだけ済ませてホテルでだらだらする

というか軽く寝た。

スマホを充電しながら増田で色々聞いてみる。

  

色々とアドバイスを貰い、緊張しながら恐る恐る電話をした。

すると小野坂昌也に似た声のあんちゃんが出た。

俺「あのー○○を見たんですけど」

小野坂似「はいはいありがとうございますぅ~↑」

俺「あのっ!Yちゃんをお願いしたいんですけど!」

小野坂似「あー予約でいいですか?そんならですね」

俺「えっとホテルまでOKですか?」

小野坂似「あーちょっと立て込んでまして、ホテルは無理でして」

  

ここで、お店の方に直接幾分にはいいとのことだったのだが

俺は疲弊しきっていたので諦めることにした。

俺「わ、分かりましたーどうもすいませんでしたー」

  

1件目撃沈。

  

うあああああああああああああああああああああああ

FカップギャルのYちゃんが予約できなかったあああああああああ

うあああああああああああああ超かわいいじゃんこの子!!!

うあああああああああああああああ!

ゴロンゴロンゴロンゴロンとベッドでのたうち回る。

ダルシムヨガファイアーを食らった時のような感じ。

うあああああFカップ!うあああああFカップ

  

そして俺は電話した胸をじゃなかった旨を増田に報告

「言えたじゃねえか」

なんてトラバがあったが、くそったれぃと拳を握りしめた。

  

よっしゃ二件目行ってみようと言われたがとてもじゃないが

俺は電話する気持ちになれなかった。

デリヘル電話するなんて緊張するじゃねえか!

もうなんか、ね!?わかる?俺の気持ち!?ねぇ分かる!?

みたいな感じだった。

そんでしばらくぼーっとしていたら、増田

後悔するぞ的なことを言われたので、散々迷ったあげく

5人からトラバきたら予約することにしたと宣言した。

そしたら比較的すぐにトラバがきた。

  

お前ら、そんなにデリヘルを使う俺の話が聞きたいのか。

こみあげてくるものを感じて二件目に電話した。

  

そして2件目に電話かける

  

俺「もしもし?○○を見たんですが?」

?「はいはいありがとうございますぅ~↑」

  

ま た 小 野 坂 昌 也 の 声 に 似 て い た w

ふざけるなこの野郎www

  

俺「あっあの!予約したいんですけど!Mちゃんどうですか!?

小野坂似「あーすんませせん。Mちゃんちょっとんーと23時くらいならOKですけど」

俺「それでいいです!えっと、初めてなんですけど料金って」

  

指名料と初めてのお客さんってことで色々あって18300円になるとのことだった。

  

俺「場所はここです。よろしくねがいしまああっす!(サマーウォーズ風味)」

  

そして…。そして。俺は待った。待った待った。

キドキワクワクしながら人生初のデリヘル

  

そしてついに

コンコン

  

部屋にノックの音が鳴り響いた!

はいー!扉を開ける俺!

  

ちゃん「どうも~こんばんは~」

俺「どうもー初めましてー!うわー可愛い子がきて嬉しいです!」

ちゃん「wwww」

  

ちゃん可愛いおっぱいもFカップ。そしてえええええ何よりいいい

ちゃんはあああああああああああああああああああギャル!!!!!!

可愛い問答無用

  

そこからちょっと二人でベッドの上でおしゃべりが始まったのだ!

  

念願の!悲願の!宿願の!ギャルとのお話~!

  

俺「Mちゃんタバコ吸ってもいいからね!」

ちゃん「あっ実は今禁煙していて~」

  

ちゃん禁煙しているとのことだった。そんでもって代わりに臭いがでるだけの

パイプ?だかでストレスをまぎらわしているとのことだった。

  

俺「いやーこんな可愛い子がきてくれてマジ嬉しい!」

ちゃん「ちょw恥ずかしいですよー」

俺「あははは。いやー東北からきた甲斐があった!」

ちゃん「どこからいらしたんですかー?」

  

そして俺の地元の話だとかMちゃんちょっとした私生活の話をして

15分くらいもうたっていた。はやいwwはやすぎるwww

  

ちゃん「じゃあそろそろ始めましょっかー」

と、というわけで、服を脱ぎ始める。

ちゃん下着姿になる。

  

スタイルいい!そしてええええええええええええええええええええ

  

WARNING!

A HUGE OPPAI

IS APPROACHING FAST

  

Fカップギャルがソコニイルゥゥゥ

下着とは完璧すぎた。

  

ちゃん「私だけ恥ずかしいのでそっちも脱いでください~」

俺「おっけーおっけー」

俺も脱いだ。

  

そのあとは二人でシャワーを浴びに行った。

※これもプレイ時間に入るのでデリヘルやる人は注意!

  

風呂場でMちゃんナイスバディを堪能した。

そして…そこそこちょっとおしゃべりした後

ベッドへ!!!!!!!!

  

増田クエスト4!そしてベッドへ!

※4日目なので

  

俺はMちゃんのFカップを堪能させてもらった。

ちゃんおっぱいが弱いみたいでHな声が何度も漏れた。

最高だった!!!!!!

そしてキスしたりと色々していたあとになななななんと!

人生初のパイズリをされたのだった。

だが、しかくこうかはばつぐんだったのだが、実はあまり気持ちよくなかった。

  

そのあと、Mちゃんから責められる。ローション手コキされながら

あぐあぐあぐ、気持ちいい、気持ちいい~ああー最高だー人生最高だー

ここで快楽絶頂を迎えようとした瞬間!

  

Body Feels Exit!!!!!♪」

ファッ!?

なぜか安室ちゃんBody Feels Exit脳内で流れてきた。そして

  

ちゃん気持ちいい?」

俺「うん!気持ちいい~!」

  

Body Feels Exit!!!!!♪」

  

な、なんだこれはwwwww

か、体の力が抜けていく、まるで魔人ブゥ戦でスーパーサイヤ人3でエネルギー

満タンにならなくなった孫悟空のように

  

Body Feels Exit!!!!!♪」「Body Feels Exit!!!!!♪」

Body Feels Exit!!!!!♪」「Body Feels Exit!!!!!♪」

  

あ、安室ちゃん!よして!今だけお願い!なんで脳内にかかってくんのwwwww

そして俺は‥‥。

イかずに終わったwwwwwwwwwwww

マジでwwwwww

お前ら草不可避かいうなwwwww

もうこれ草でもはやさないとやってられねーんだよwwwwww

これあの日の晩に書こうと思ったけど流石に書けなかったんだぜww

くっそwww

お前ら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

笑えよ増田!笑えよブクマ

  

というわけで、時間がきたのでMちゃんちょっとだけだべって、

後は風邪ひかないように気を付けてねと扉の前でお別れ。

  

‥‥ちょっと悲しくなったけど。

俺「あ、ギャルと話す目的は達成できたな。おっし。まぁいけなかったけどいいわ」

  

イけなかったけど最高の気分になったのでよし。

ぐっすり寝た。

  

5日目に続く。

2018-11-19

君は鮫になれるか

しゃくにさわったらならすまないが鮫になれないのならここには来ないほうがいい

適当なことふかしてんじゃねぇ」と思うかもしれないが鮫になれない人間は目覚める事はない

そうあの日もこんな寒い日のことだった

彼女は鮫になれずに冷めた目でここに来たんだ…

おっと、しゃべりすぎたな

鮫になれないやつは輪に入れないからな

大学の友だちと飲んでる時、しりとり終わらせても無理やりんんことか言って継続させてたの思い出した

くだらないあの日々……

2018-11-12

あの日administrator1974を雑魚呼ばわりした奴

administrator1974が誹謗中傷理由にBANされたらしい。

もう魚拓読んでもコメント欄は見れないけれど

https://web.archive.org/web/20181107010136/https://qiita.com/administrator1974/items/387aab2a42bf57e3b215

確かこの記事最初のほうのコメントで「JavaJSは違うとN回言われてるんですががが」とか「いまだにJava Applet使ってる雑魚おる?」みたいなコメントあったんだけど、こいつらはBANされないわけ?特に後者は「雑魚」という言葉で明らかに誹謗中傷してたわけだけど。

JavaJavaScriptは別物ですよ」「Java Appletは既に廃止されているので今後必要になると思いません」と言えばいいもの上記のような言い方しかできなかった奴らに非はないのかね。明らかにこいつらが火付けでadministrator1974が荒れだしたんだが。

エンジニア云々じゃなくてよ、インターネットで顔も見れない誰かに対する言葉遣いには気を付けたほうがいいよ。人として。確かにJavaJavaScriptの違いがわかってるお前が正義だけど、なーんで人を小ばかにするような言い方しかできないのかね。

あと荒れだした後に「祭りに乗り遅れた」とか「ワードサラダ」とか「統合失調症」とか言ってるやつらいたけど、こいつら明らかに「荒れてるし間違えてるのはadministrator1974だから何言ってもいい」って感じの思考回路のやつらでしょ。まぁ傍からみたらadministrator1974が難解意味不明コメントを連投してたのは明らかだし2ch思考を持ってるやつらなら祭り感覚コメントちゃうのかもしれないけれど、SNSと紐づいたアイコン丸出しで上記みたいなコメントする奴らがいるなんてビビったね。

コメント欄はもう見れないけど、コメント欄書き込み時間を見るにあの日administrator1974は多く見積もっても5時間くらいしか寝れてないぞ。翌日16:00くらいまでBotのごとく連投してたし。平日にだぞ。俺はあの日administrator1974を狂わせたのは雑魚呼ばわりした奴だと思ってるからな。コメント欄が見れないのがマジで残念だ。雑魚呼ばわりしたやつのアカウントを思い出せない。

2018-11-11

アジア人アイドル政治的センシティブな物を使うときは本当にうすっぺらい

Salems Lott - S.S. (Sonic Shock)

https://www.youtube.com/watch?v=cQbOA3r0Hgc

日本人だとこの格好で腕にあんなもんつけて「エスエース!」て叫んでることより

髪型と曲調の既視感にめがいってそっちのことしか考えられなくなるだろうけど

欧米だと原爆モチーフにした名前バンドが度々発見される

https://www.youtube.com/watch?v=2eDEfesA1mM

戦後直近だと原爆って(連合国側で)自分達を戦場から解放して日常へ帰還させてくれた

からの贈り物で、すごいポジティブにアトミックって言葉ポンポンと使われていて嫌な感じだけど

ナチしろ原爆しろ現代欧米人がこういう物をモチーフにするときは勿論目立ちたがりやというか

人の目を引きたくて奇抜な物を使っているっていうのは間違いないが、一定の「こんな物を使うからには決してポジティブには使わないし日陰者としてやっていくぜ」

という一定ポリシーのような物を感じる

ついでに言えばナチ殲滅したアメリカバンドSSモチーフにしたり、国の決定とは裏腹にドイツにぶち込むことに開発者が全力を注いでいたことを考えるとドイツ人がエノラゲイて名乗るのは最高にロックだとおもう

別に韓国アイドル日本に「原爆は我が民族解放象徴」だと書いた衣装Mステで歌たって別にいいと思う

あの日同胞も大量に焼かれた、だがあの光こそが我が民族解放象徴だ」と歌うのなら俺は中指を立ててリスペクトする

日本(および他アジア地域)の女から搾りきった金でアメリカを打倒してやる。お前のとこはそういうの好きだよな」と歌うなら「玉しゃぶりやがれ糞野郎」と言いながら一生ついていく

でもどうせ歌うのは鼻がむずむずするような恋愛歌とかでしょ? だっさい

2018-11-10

TETRIS EFFECTでゲーム製作した学生あの日を思い出す

テトリスの新作がPS4で登場した。

あぁうん、言いたいことは解ってる「テトリスの新作?またかよ」だろ。

だがこのエントリを読んでいる者の中には少なからずこのエントリタイトル共感してくれる者が居るはず。

そう、今回の新作テトリスTETRIS EFFECT」はゲーム製作経験者が心を揺さぶられる完成度なのだ

そもそもテトリスというゲームゲーム製作経験者ならば一度は製作してみる定番タイトルの1つで、ベーマガ読んで写経した者やファミリーベーシックで組んでみた者、ポケコンの狭い液晶で実現してみた者、PC98で、DOSで、Palmで、Windowsでと書き切るにも困難で挙げればキリがないほどだろう。

それだけの実装例、製作者数があれば独自ルール独自要素を組み込むことも当然の流れであり、テトリスPONG比肩するほど試行錯誤や様々な試みがなされているビデオゲームだと言える。シンプルからこそここまでになった。

そんなテトリスプロが本気になり、しっかりとライセンスを受けて発売されたのが「TETRIS EFFECT」だ。

まずはYoutubeあたりで「TETRIS EFFECT」と検索してプレイ動画を観てもらいたい。そしてその美しさに酔いしれて欲しい。

パーティクルだ、パーティクルなんだ。ゲーム製作経験者たちならば理解してくれるだろう、すごいパーティクルだ。

学生時代のあのとき、そうシューティングゲームを作ったあの日々だよ。

如何に美しいパーティクルを描き出そうかと頭を悩ませたあの日々の未来TETRIS EFFECTにはある。

えっちょっと待って今のとこもう一回!もう一回見せて!」

「マジか音と同期すんのかよ?えっコントローラへの入力にも!!」

「おぉ・・・画面変移に合わせて細かく変化してる・・・すげぇ・・・

TETRIS EFFECTをプレイしていると度々「その発想は無かった!」と感動し、そして悔しくなる。

「なんでこれ当時思いつかなかったかなぁ!」とか「いやもうちょっと行こうぜ!俺ならこうするのに!」とか次々と来る演出がかかる度に楽しくなってしまう。

わかっている。テトリスは古臭いゲームなのかも知れない。飽き飽きしたゲームシステムで今更感が強いかもしれない。

しかしそれでもTETRIS EFFECTはゲーム製作をしていた学生時代自分を呼び起こし、若返った心に斬新さを見せてくれる良作ゲームだ。是非ともプレイして欲しい。

2018-11-09

あの日見たエッチDVDを俺は一生忘れない。

とても寒くて晴れた元旦だった。ぼくは正月ということもあり、叔母の家に遊びにきていた。

叔母がぼくに言った。

「僕くんおいで!今年もお年玉あげるね」

ぼくは中学生になって「敬語」なるものを教わったので大人ぶってこう言った。

ありがとうございます!大切に使わせていただきますね」

叔母はにっこりと微笑んだ。

一方、僕の心の中では、しめしめ今年も遊戯王カードゲームを買いまくってやろうと思っていたが。

すると、後ろで談笑していたウチの母が、

「いいのに!もう!こんなガキンチョにお金なんてあげなくて〜。どうせロクなもんな使わないんだから。」

社交辞令を返す。

毎年正月になるとやり取りをするのだ。この会話を見るたびに正月という感じがして、僕は好きだ。

このやり取りを繰り返して、祖父叔父、叔母からお年玉を回収していくのが毎年の流れになっていた。

(あとから知ったのだが、母親はしっかりこのお年玉の分のお返しをしていたらしい。)

ところで、この叔父叔母には、3人の娘息子がいて、1番年上の長女、2番目の長男末っ子次男という感じで構成されている。

僕とは3人とも、とても年が離れていて僕が中学生だった当時、末っ子次男氏は大学生だった。

とはいえ僕は1番年が近かった末っ子次男氏とよく一緒にゲームしてもらったり、野球キャッチボールなんかをしてもらっていた。

彼も弟のような存在か欲しかったのだろう。

その大学生真っ盛りであった次男氏が、僕に言った。

「僕、今年もパチンコ行くべ!」

そう、僕の親戚一家には変な風習があった。それは、毎年正月になると祖父叔父、僕の父親含む男連中全員で運試しといって、パチンコに行くのだ。

もちろん僕は、中学生だったのでパチンコを打てるわけなく外から眺めてるだけだった。

大抵の場合、全員が大負けして帰ってくるのだが、その年だけは違った。

僕と仲の良かった次男氏がなんと、大勝ちを決めたのだ。

次男氏はこう言った。

「僕!今年は良い年になりそうだから、僕にお年玉やるよ!」

僕は素直に嬉しかった。また、ゲームを買えると思ったからだ。

しかし、その期待は良い意味裏切られる

また、次男氏は言った。

次男氏「僕、ちょっとお金下ろしに行くから付き合って。」

僕「あ、いいっすよ。」

そうして、彼に着いていくこと、15分が過ぎた頃。ワクワクも過ぎ去り、正直寒くて早く帰りたくなっていた。

次男氏が口を開いた。

「着いた!」

最初僕はそれがなにか、よく認識できなかった。僕たちが来た場所は、銀行でもATMでもなく、アダルトショップだったのだ。

お年玉AVな!」

ニンマリとした笑顔次男氏が言った。

僕は、急にドキドキし始めて心臓が痛かった。

のれんをくぐり、中に入るととてもあったかくて、つけていたメガネが曇ってしまった。

しかもあの、ビデオ屋特有まったりしたような甘い匂いが鼻について離れない。

しかし、そんなことはどうでも良かった。

目の前には女性の裸の写真が大量に並べてあるのである新世界だった。ホールニューワールドである

僕の愚息はすでにパンパンだった。

〜続く〜

2018-11-02

新人をいびるお局になって、5年後

なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。

わたしはお局になってしまった

https://anond.hatelabo.jp/20130619155614

生意気新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署メンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。

ありがたいことにこの醜罵詈雑言ブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。

**

あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。

なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。

特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃敬語はいしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。

これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。

そうなると自然仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。

そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通チャラ男になった。

**

私たちのいた部署親会社に吸収されることになった。

親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子お茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署配置転換、という選択を迫られることになった。

一応、専門知識必要部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。

こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れ差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバー仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さら上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。

私がいたらあん空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまものかと思って茫然とした。

私が転職することになって、元部署メンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。

最後送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。

結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。

2018-11-01

どろどろでべちゃべちゃで何にもならない

友人から向けられている好意無視している。

半年近く。

から書くことはめんどくさい女とめんどくさい女しかでてこない。個人間で解決できるかとしれないことをここに書くこと、それはもしかしたら許されないことかもしれないけれども書かせてもらう。こうやって形にしないと、いつか私が潰れてしまうと思ったから。直接言えないから。

誰も読みなんてしないと思う。けれども、相手が虚空でもいいか吐露させて欲しいのだ。

友人から好意に気付かないふりをしている。クラスで一番仲の良い、可愛い女の子から好意

前述しておくが私は女だ。

彼女あの日自分両性愛者だとカミングアウトしてくれた。

彼女好きな人がいると知った日、彼女は今は女の子が好きだと教えてくれた。それを聞いて、私は特に大きな感情は湧かなかった。

友人が誰をすきだろうと、性的対象が同性だろうと、私が彼女と過ごしてきた時間に何一つ変わりはない。「教えてくれてありがとう」なんて言葉を返した。

今思えば、あの時は他人事だったから、そんなふうに言えたのかもしれない。

細かく記述はしないが、ある瞬間に彼女好きな人自分であることに確信してしまった。

……本当は「好きな人が女のコ」と伝えられた瞬間から薄々勘づいてはいたけれども、ある瞬間に確信した。

私は美人でもなければ可愛げもない。性格の悪い気持ちの悪い人間で、そんな人間を好きになるなんていないだろう、と思っていた。けれども彼女好きな人がそんな「私」だと確信を得てしまった。自意識過剰だ、と笑えないくらいにそれは現実だった。

最初に私が覚えた感情は「申し訳ない」だった。こんな人間を好きになったって何にもならない。申し訳なくて、あの子は可愛くていい子なのに、他の人を好きになれば幸せになれるのに、こんなどうしようもない人間相手なんて、という感情だった。

ひたすら悩んで、苦しんで。

私は何も知らないふりをすることにした。

私は馬鹿阿呆から、鈍感な子の振りをすればみんな気づかないんじゃないか?と思ったから。

友人から好きな人の話を聞く度に、第三者の振りをした。彼女世界自分が組み込まれてない振りをした。もし彼女が「気付かないふりをしている私」に気づいたとしても、きっと踏み入っては来ないだろうと思っていたから。

好きな人、まだ気づいてないんだ」

相手可愛いの?」

「大変だね〜そんな鈍感な子相手って」

そんな気持ち悪い言葉を沢山吐いた。嘘を1つ着く度に、気付かないふりをする度に良心がじくじくと傷んだ。

これが正解だと信じていた。

でも、現実は違った。

段々と、友人からアピールが増えた。

私が違う女の子可愛いとべた褒めしたり、男の子をかっこいいと言うと頬をつねったり、わかりやすく拗ねるようになった。

前々から多かったボディタッチが、なんだか増えた。

ちょっとずつ、ちょっとずつ外堀を埋められていくような気がする。

私が演じている「鈍感な私」もそろそろ無理が出てきた。全然気づいてくれないんだ、という彼女に対して気づかない方がおかしいよ、という言葉は言わなかった。

段々と、友人に会いたくないと思ってしまった。

大好きだった友人が怖くなる。一方的好意押し付けが、気持ち悪く感じる。人から好意は喜ぶべきことなのに、私にとっては「恐怖」以外の何物でもない。

友人が何を望んでいるのか、わからない。

前に彼女は「付き合いたいとは思っていない」「相手に好きだと伝えるだけでいい」と言っていたけれども、それも私(好きな人)にたいする詭弁だったんじゃないか?なんて疑ってしまう。

私に気づいて欲しいのだろうか。

私に言って欲しいんだろうか、

「私のこと好きでしょ?」

なんて

もう無理だ。

恋愛自己満足自己満足のぶつけあいで、片思いなんて好意を押しつける自己満足の塊でしかないことくらいは理解しているけれど、もう無理だ。耐えきれない。苦しくて苦しくて仕方がない。

気付かないふりを演じるのが苦しくて仕方ない。申し訳なくて、怖くて、辛くて、気持ちが悪い。

から好意を「迷惑」だと感じてしま自分が嫌で嫌で仕方がない。

私が死んでしまえばいいのに。

そしたら全部解決するのに。

私はヘテロセクシュアリティ、いわゆる異性愛者だ。性的マジョリティ。いわゆる世間一般の「普通」だ。だから彼女気持ちには答えられなくて。

じゃあ女の子じゃなかったらいいの?なんて聞かれそうだけど、多分私は彼女男の子でも、私が男でも、私が同性愛者でも両性愛者でも好きにならなかったと思う。

でも友達としては大好きで、優しくて。

彼女を傷つけたくない自分彼女距離を置きたい自分が両存して、気持ちが悪い。

友人は卒業までには好きな人告白すると言っていた。

卒業まで、あと4ヶ月。私はどうすればいいんだろうか。

目を逸らし続けて、嘘をついた私は、きっとどこにも行けない。

推し推し方を見失った話





推しが大好きです。

けれど、推しの事を好きだと、大きな声では言えません。

私が私として認知されていない所でしか言えません。

しかしたら、殆どオタクはそうなのかも。ただそれが私にはストレスでした。

今でも変わらず推しのことが大好きです。それは恋では無く、私を楽しい気持ちにさせてくれる人として。

推しの所へ行けば楽しいから。間違いが無いから。

けれど最近は本当に楽しいのかよく分からなくなります

誰にも言えない鬱憤をここで文字しました。

共感してくれる人がいるならしてほしいし、同情してくれる人がいるならしてほしい。

でも、どうかこれを反面教師にして幸せオタクライフを送って欲しい。

 

 

 

私は学生の頃田舎とある劇団が好きでした。

劇団員は全員がポテンシャルが高く、尊敬できる人たちでした。

新しい公演が始まる度に日本の隅っこから飛行機に乗り、都内から電車小一時間田舎劇場へ通いました。

通う為にほぼ毎日睡眠時間を削って放課後から早朝までアルバイトしました。学校が長期のお休みの期間や公演日数が少ない時などは、都内ウィークリーマンションを借りて全部通いました。

そこは小さなさな劇団で、開演前も終演後もお客さんと役者は直接お話が出来て、皆さんとても親密にしていました。

お客さんは皆優しく私をすぐに仲間として受け入れてくれました。

その劇団の公演は本当に素敵で、もっとたくさんの人に見て欲しいと私は思いました。だから私がチケット代や電車賃を負担して、たくさんの友達を呼んで一緒に観に行きました。皆その劇団の事を好きになってくれました。嬉しかった。

その劇団団長は私に「いつもありがとう」とか「あなた友達を呼んでくれるお陰で今までよりも良い公演が出来るようになった」なんて言葉もかけてくれました。なんてファン冥利に尽きる言葉なんだろうと思いました。

 

その中でも私の親友のAちゃん彼女は一人でも劇場に通うようになりました。彼女推し団長。私の推しは歴が長めの団員。

Aちゃんはいつもお互いの推しについて語り合ってました。

そうやって何年も応援している内に、劇団も少し人気が出てきました(まだまだ小劇団の域を超えませんでしたが)

増えたお客さんも皆良い人ばかりでした。本当に毎日が楽しかった。

 

 

ある日Aちゃんが言い出しました。

団長本当はこんな仕事したくないって」

え?と思いました。

たったそれだけの一言で、複雑な気持ちがワッと押し寄せてやがて怒りに変わりました。

 

「それ、本当?」一応冷静を取り繕ってまずは真偽とどういった経緯での発言かを確認しました。

Aちゃんは「私だから本音を言えるって言って、団長仕事愚痴しか言わない。私はそれ聞くのが面倒くさくなってきた。」

「何それ。だったら出なくて良くない?」私はAちゃん同調したつもりでした。

Aちゃんは「うぅーん」と何かを考える素振りを見せました。

それがAちゃんの癖で、自分の納得のいく返事が貰えなかった時にその素振りを見せます。私は他に彼女の納得いく返事なんて浮かばずそこでその話を終わらせていつも通りそれぞれ帰宅しました。

 

 

その次の公演を観に行くと開演前にAちゃんが泣きながら団長と話をしていました。その時団長に睨まれたような気がしていました。何かがおかしいのを感じて私はそこに近付けませんでした。

その日の公演は団長が役を全うしませんでした。普段来ているファンは、普段と違う事を面白がりましたが、初見の人は「意味が分からない。何あれ?」と口々に文句を言って出て行きました。

私も初見と同じ気持ちでした。

終わった後、私の推しが私の所に駆け寄って来ていつもと同じように笑顔で明るく、楽しい話をしてくれました。

その日AちゃんTwitterLINEブロックされました。

 

その次の公演に行きました。開演前に団長に睨まれながら言われました。

「もう来ないで」

なんだこいつ。

それ以外に何も思わなかった。

 

終演後、推しが私に「団長の事は気にしないで」と言ってくれました。私は推しに余計な心配を掛けたくなくて、何も聞けず、Aちゃんの事は黙ってました。

その日が終わってから暫く考えました。何で私が「もう来ないで」と言われたのか?

理由は私がAちゃんに納得のいく返事をしてあげなかった事しか浮かびませんでした。そして彼女性格を鑑みて今思えば、あれはただの自慢だった。

団長あなたにそんなに心開いてくれてるんだね」それが正解の言葉だった。

けれどそれを言えなかった事で払う代償が大きすぎると思いました。Aちゃん団長は何を話してこうなったのか?それは今でもわかりません。

Aちゃんが泣いていたあの日の前までは優しく笑顔だった団長が、急に、どうして。

 

私は悩みに悩み、次に行ったらその後は劇場に足を運ぶのをすっぱりやめることにしました。

推しには最後手紙を出しました。ただただあなたのお芝居が大好きだという旨を何十枚もの便箋に書き連ねました。それ以外の事は書かなかった。

次の公演に行ったら、終演後に団長に「あなたは仲間じゃないから」と言われました。

あんなに尊敬していた団長の幼稚な姿。失望

推し申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、いつも通りの推しを見送った。

 

私はこの事を誰にも言いませんでした。私以外の人は幸せファン活動しているから。

でも、私が行かなくなって不思議に思った他のお客さん達が私にDM等でメッセージをくれました。私はそれらに対して「Aちゃん喧嘩して、もう来ないでほしいと言われた」と返しました。

それから暫くして、Aちゃん劇場に足を運ぶのをやめたみたいです。理由は知りません。

残ったお客さんは多分幸せファン活動を続けています

これまで数年この劇団にたくさんのお金時間を費やして、こんな終わり方で、自分は一体何していたんだろうという虚無感。

私の手元にはもう二度と目にしたくない劇団のグッズやパンフレット等が大量に溢れていて、それをゴミだと認識してしまうともう何も残りませんでした。

 

 

 

 

今すぐ死にたい、何も無い、あの幸せな日々を返して欲しい、憎い、殺したい、自暴自棄

 

 

 

 

そんな中、支えてくれたのが他のお客さん達でした。

DMでAちゃん悪口を言ってくれたり、実は状況を察していたという人が団長悪口を言ってくれたり、それが大きな心の支えでした。私は悪くないと思えたから。

そして私が行くのをやめた3ヶ月後、推し劇団から離れました。

それが推しにとって良かった事なのか、良くなかった事なのかはわかりません。私は、少なからず嬉しかった。

 

 

 

 

 

月日が過ぎ社会人となり、小劇団を追わなくなって出来た貯金上京しました。

私には新しい推しができました。今度は小劇団ではない、2.5次元などにも出るキラキラ若手俳優

恐らく、好きになった当時は同担拒否という言葉はまだ存在していなかったと思います同担同士でTwitterフォローし合うのが当たり前。情報交換したり、チケットを連番したり。

私は以前の劇団トラウマが有りファン活動は控え目な方でした。

とは言っても公演半分は行って地方遠征もして、ブロマイドセンチ買いするし推しにも認知されていたと思います

でも周りが「推しの為に全公演通います!」「推しの為にグッズ買い占めます!」等と宣言していると、不安でした。

私の応援の仕方じゃ推しに貢献できていない?私はファンとは呼べないのではないだろうか?

 

マウントを取られる事はよくあり、けれど荒波立てたくないから私は自ら下手にまわりました。

推しからファンサを貰った事が無い事にして、オキラのふりをしていました。

私がそう言うと皆幸せそうに私はこんなファンサしてもらえたよ、と自慢してくる。それで良いと思いました。

そのお陰か私は多くの同担に囲まれており、よく「私実はあの同担が苦手なんです」とぶっちゃけられることもあった。

理由はわかりませんでした。私には皆普通ファンに見えたので。

まり自分の話をしないように気を付けていて、推し現場は毎回とっても気を使いました。

 

私は推しファンが増えてほしいから、Twitterは公開にして推しの良い所をたくさん言葉にしてツイートしました。皆が良い反応をしてくれたし、推しも生き生きしているように感じました。承認欲求が満たされたようで楽しかった。

けれどどうやらそれが悪目立ちする原因にもなったのと同時に、「同担拒否」という言葉が一気に流行り始めました。

すると、一部の同担に過剰にマウントを取られるようになりました。マウントを取ってくる人達は全通当たり前の熱狂的なオタク達。

私は彼女らに勝とうなんて思った事はなかった。

彼女らは私がツイートをする度にそのツイートに対する意見のようなツイートをしていました。

推しブロマイド今回は何枚買おうかな」なんて言えば「何枚買おうかなんて考えてるようなのはダメだよね。限界まで買わないと」と言い、「推しへの手紙書き終わったけどもうこんな時間だ!」なんて言えば「推しへの手紙オールで書くもの」とか。

最初は偶然だと思ったけれど、私が何をツイートしても彼女らは私のツイートした話題に必ず触れていました。

 

それで息苦しくなりました。何もツイートが出来ない。

私はTwitterをやめました。

推し現場にもひっそりと通う事にしました。良席は取らないし髪型服装メイクも変えて。同担に見られたくなくて。

それまで推しは私を見つけては、私が手紙で書いた好きなセリフや好きなシーンは、私の目を見てやってくれていたように感じていました。

しかし、そういった事が一切無くなってしまいました。見つけられなくなったからでしょうか。

そのせいか通っても楽しいと思えることが少なくなり、モチベーションが下がり、通う回数も減って行きその内に手紙も書かなくなっていました。

推しブログ更新が段々と活発になっていきました。それから手紙プレゼント等に言及したり、今までしなかった事をしました。

私が送っていた時は手紙にお礼なんて言ってくれなかったのに…。もしかして、本当にオキラだった…?

私がいなくても推しを推す人はたくさんいる。私は推しとどうなりたいわけでもない。ただ推しの演技が好きだから、見たい時に見られれば良い。

そう思って、長いこと手紙も送らず接触もせず、ただ静かに彼の芝居を観に行きました。

 

 

暫くしてTwitterを覗いたら、私に過剰なマウントを取っていた同担がいつの間にか全員降りていて驚きました。

気になって遡ると私がTwitterをやめてからすぐに皆、推すのに疲れたというような旨のツイートをしており、

それは私がいなくなって張り合いが無くなった事で急激に冷めたのかそれとも元々私がいなくなる前からそのつもりでいたのかわからないけど、いつの間にかお金をたくさん使う同担がごっそり減っていたのです。

それに続けてマウントを取っていなかったファンの中にも静かに降りている人もいました。

もしかしてブログ更新が活発になったのはこれ以上ファンが減ったら困るから…?

 

その状況に危機感を覚えた私は慌ててチケットを増やして、ブロマイドもいつもの倍以上買いました。地方にも遠征した。

ただ、手紙だけは書けませんでした。長いこと書いてなくて、なんて書けばいいのかわからなかった。それから、私が手紙を送らなくなってからブログの内容の真意がわからなくて、私は送らない方が良いのではないか?などとつい考えてしまうから

 

当然、通っても推しは見てくれない。

誰が座っているのか、前方席を見て笑顔になる推しを遠くから見る私。

 

ドッと寂しくなりました。

推しは何を思っているんだろう。

そして私は何を求めているんだろう。

 

多分、私はファン同士で、仲良く楽しく推し応援たかった。

私の推し方はずっと間違っていたのだろうか。

 

 

どうやら、推し推し方を見失いました。

 

 

 

 

 

2018-10-30

すぐにもとに戻ると思っていたはてなブックマークは、あの日から二度と見られなくなった。

つぎはtogetterだった。その次は、たしかniftyだったと思う。

ちょっとずつ、当たり前にあったものがなくなっていった。

人間のいい所は、すぐに慣れることができるところだ。

明治維新とき、すぐに髪をちょんまげから改めて、牛鍋を食べた世代があった。

墨塗り教科書勉強した世代があった。

携帯電話が普及した後は、それなしではいられなくなった。

日常の中の何かができるようになったり、できなくなったり無くなったりには、文字通り慣れっこだったんだ。

インターネットほとんど意味をなさなくなって、意味のあるとされるものは、直接税を年に120万円以上納めている人じゃないと閲覧できなくなった。

投票権も新しい平等になって、移民は0.7カウント平民は1.0カウント、直接税を年に120万円以上納めている人は1.14カウントと数えられるようになった。

旅行制限されて、観光地にはパック化されたプランしか行けなくなった。

農業奨励されて、経済的ではない良いやり方で作物が出来あがる。経済格差を生むから野菜生産は非経済的な側面が求められる。ホーで除草する。

でもこれで不自由はないし、いろいろ平等だし、何せこれで慣れている。

これでいいのだ。

2018-10-29

ばばばばばばば

手出さないと申し訳ないと思ってってその思考は何?

連絡しなくても大丈夫って思考申し訳ないと思えよ

バイなのを隠したいのか知らねえけど色々あってとかほざいて言わないし、忙しくてとかくそみたいな言い訳ばっかする奴を好きだったことと、それ以降好きって気持ちをなくしたことで、本当あの日会わなけりゃ良かったって思うわ

一生独り身でいろや

って朝からふとイラつく

2018-10-27

anond:20181027141942

もう少し解説すると、1コマ目(右上)だけ視点人物ボーダーを見ていないので、

この時点では気にしていなかったことが分かる。

2コマ目で気づいて振り返っており、

そこから見かけるシチュエーション特殊になっていく=どんどん気になってしまって、

青一色を見たところで「終わった」と思って、

見届けたような気持ちでひとり歩いている=ボーダーの人がいないんだけど、

最後に赤ボーダーを見てしまって、

まだ終わってなかったのか、またあの日々が始まるのか、というのでオチ

これのおかしみに近い。

2018-10-25

3話まで見てグリッドマンメモ

舞台

グリッドマン実体化できるという事で、舞台電脳世界とみてよさそうだ。

世界の修復やら改変やら、そういった事からもほぼ間違いない。

人々は自分仮想世界存在である事を知らずに生きている。

彼らは現実世界物理実体を持つ人間なのだろうか?それとも、疑似人格的なプログラムなのだろうか?

仮想世界存在する理由によっては、グリッドマンを取り巻く善悪事情は全く変わってくる。

ところで、3話でグリッドマン敗北後も世界復元している事から復元仮想世界自体機能もしくはアレクシスが行っているのだろうか?

勢力

グリッドマン仮想世界の秩序を守るように戦っている。つまり仮想世界運営寄りの勢力と言えるはず。

一方でアレクシス仮想世界ホストであるかのように来訪者(グリッドマン)を "お客様" と呼んでいる。

しかし、アレクシスアカネ仮想世界ホストであるなら自ら世界破壊する理由がわからない。

行動原理

そもそもアレクシスアカネ仮想世界をどうしたいのだろうか?

単に破壊し、支配したいのだとして、物語開始前(つまりグリッドマン到来以前)なら対抗勢力もなく、怪獣一匹で即時征服完了できそうなものだ。

怪獣を繰り出したのは第一話が最初という事は無いように思われるが、世界は、少なくともアカネ生活圏が支障なく維持される程度の小規模な被害しかこうむっていない。

アカネの "気にくわない" 何人かが消滅する程度。

3話でグリッドマン撃退後のアンチがそれ以上の破壊活動を行わなかった事からアレクシスアカネ放置したところで、案外大した危機は訪れないようにも思える。

グリッドマンのいう "迫っている危機" とは何なのだろう。そしてなぜ、グリッドマンは具体的な説明をしないのだろう。

※元々グリッドマンてそういうキャラから、と言うのは置いておいて

メタ話題

主要キャラクターはトランスフォーマーキャラになぞらえられているという。それも、善悪反転のパラレルワールドを描く「シャッタード・グラス」シリーズキャラ。パッと見の善悪とは逆の真相が隠されている暗喩、と言う説も。

OPの歌詞には「君を退屈から救いに来たんだ」とある。が、その動機アカネアレクシス陣営の方がしっくり来る。

あの日の誓い」「教室で語った」など、一見すると第1話の展開を連想させるがこれはミスリーディングであり、「誓い」も「語った事」もアカネと別の誰か(EDから中学時代の六花、とか)との出来事かも知れない。もしそうなら「僕らの世界」が「侵略」される意味が異なってくる。

EDは歌っているのはアカネという体で、本編とは異なりアカネと六花が仲良く絡んでいる場面が続く。制服も本編と異なり、冬服ないし中学時代の物のようだ。

アカネと六花の2ショットを単なる視聴者サービスではない、何らかの情報開示であるとすれば、アカネの行動原理に関する何らかの秘密が隠されていそうだ。

2018-10-22

ドリフェス!ファンになれなかったオタクの話

 10/21、日本武道館

 ドリフェスが終わってしまった。

 私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツであることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。

 私は特撮が好きで、でも俳優のものは好きにはなれないタイプオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。

 これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だからドリフェスファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。

 そんな時に、TwitterAGFでのドリフェスツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェス出会ってたった数週間目のことだった。

 その時に流れてきたRTひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元ドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。

 それからはずっと葛藤しかなかった。

 二次元三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリ課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)

 武道館2days、本当は1人で行く気だった。

 仲間にされたくなかった。誰かに勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。

 20日

 私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカ飛ばしたことは無かった。でも最後からと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル三次元匂いがしないものを選んだ。

 ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。

 三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。

 この日のラスト石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。

 私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。

 翌朝、恥ずかしくなってホテル手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙未来永劫、私の本棚眠ることになるだろう。

 21日、アリーナ

 一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ち強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死ファンを取り繕っていた。

 最後挨拶石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。

 そして、ライブ楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しいアプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。

 ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスファンになることが夢で、明日にはドリフェスファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。

 昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。

 感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!

 それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。

 無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。

 叫んだあと、ショックで椅子に座った。

 言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。

 そのあと、2度目のアンコールが起こった。

 私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。

 石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館ファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。

 あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分感情に嘘をついた。私は自分感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。



 私、別に珍しいタイプオタクじゃないと思うんですよ。

 私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。

 ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元ライブ行ったあと、二次元キャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元ライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。

 その声はどんなに隠しても確実にキャストスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。

 ドリフェス完璧コンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快コンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。

 ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。

 そうキャストに言われた瞬間、本当に無力感が私を襲った。

 こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから相手認知されるのは苦手なんだ。

 私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。

 ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。

 行ってない、会えない、現場はいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月空の中上着ロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。

 これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。

 それで、武道館DVD石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。

 消えるべき存在だった私が、自分ファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。

2018-10-18

セフレへの片想いをやめた

10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリ希望もない恋だった。

好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢今日自分で選んだ。

好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。

特別可愛いわけでもスタイルいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意プライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。

好きだった人と同じ髪型だったかLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。

「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。

私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。

いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。

これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。

「変わった人だなあ」が第一印象だった。

その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。

2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。

それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいももう少し一緒にいたかった。でもその感情好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。

ホテル映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロール流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。

それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。

このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。

それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。

彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬オーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。

そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛アクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。

「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」

保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。

はいつまで経っても告白の返事をくれなかった。

告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。

「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。

8月14日お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。

ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後から」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。

それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。

すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ

ていったのは確かだった。

でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人SNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒さらに揺れて、そう長くは続かなかった。

「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿たことを思った。

そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所待ち伏せをした。

彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。

彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。

2月17日、たった1時間ちょっと時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。

2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。

10月16日。彼のSNSひとつに鍵がついた。もうひとつSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。

息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎキスをして、セックスをするんだろうな。

悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。

これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。

ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。

彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージ検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。

好きな人には、彼女はできていなかった。

「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。

喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。

好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。

彼の写真を消した。何度も見返したLINEも消した。

SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。

私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。

今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。

やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名日記にするくらいには悲しい。

本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子から絶対絶対絶対幸せになってね。

2018-10-14

三大「僕だけに見える女の子幽霊が現れた」

しか彼女には記憶がない!

黄昏乙女×アムネシア

あの日みた花の名前を忘れない」

あと一つは?「夢かもしんない」?

[] 【3】2018秋、ベトナムホーチミン

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Day 2



2日目 アリゾナ州立大


自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。

自然に目が覚めたのは6:45。

予定ではあと2時間まり寝る筈だった。

二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。

眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。


睡眠不足ホテルパーソンへのコミニュケーションハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。

朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。

ホテルの朝食はビュッフェスタイル

シャンデリアの下がる大広間コーヒーサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅ものだ。

ホーチミンフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。

果たしてビュッフェにもバゲットチーズレバーパテがあり、これは行くしかない。

他にも当然アジアスタイル炊き込みご飯カレーライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。

気になるものを片っ端から盛り付けて、テーブルに運ぶ。

どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。

さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイス香りが口の中に拡がって抜ける。

席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。

TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。

結局サーブしてもらうことにした。

甘い豆腐。予想通り豆花だった。

しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバー生姜蜜がかかっている。

美味い。

洋越のオードブル中華式の豆花、コーヒー2杯。

これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。

大変満足した。

あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。


ホテルを出ると、ホーチミンの熱気は午前から強烈だ。

行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。


相変わらず交通事情は凄まじい。

よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人対応力も凄い。

スクーターの波を見切ってスイスイ渡って行く。

バイクを見切って躱す」のはこの街で必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。

昨日と違う事と言えば、バイクライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。

迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。

「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。


ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。

リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。

でも敵意はないのは伝わったようだ。

ひょっとしてベトナム人じゃないのかな。まあいいか

「3、2、1、shoot!」少年少女は笑顔をくれた。


しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。

体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地雑貨飲食店

夕食はここにしようかな?

自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物匂いがまだ辛い。

ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。

少し市場を見物してアーケードを出た。


10:00。

しばらく歩き、気になる建物に近づくと、どうやら学校らしい。

門に近づくと、移動屋台が門から出る学生達を吸い寄せている。

日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。

多分ベトナムも同じなんだろう。

周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。

興味深い光景写真に収めようとしていると

○×○×!」

ドン

学生の徐行したスクーターに軽く追突された。

気をつけていたが、思わぬ形でプチ交通事故にあってしまった。

これで俺もベトナム旅行者として一人前だ。


飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生食事を摂っている。

ファミマにイートインスペースがあるのはアジア共通らしい。

それにしても男子ばっかりだ。

青い揃いの制服のせいか男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。

一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在百貨店サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。

こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。

モリモリ食う姿は、アジアの元気を象徴してるように見えた。

暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。

学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。

ARIZONA STATE UNIVERSITY

直訳すると「アリゾナ州立大学」

なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。


相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。

茹だるような暑さ・湿気と澱んだ川はある意味ベストマッチだ。

薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。

10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。

自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。

願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。

雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。

何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。

ホテルに戻ろう。シャワーが浴びたい。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械電子に関する工業高校しかった。

そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。

学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテル提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。

ここは工業化近代化真っ最中ベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。

多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。


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