はてなキーワード: あの日とは
(あの日より半歩遠い…)
大学時代にバイト先の先輩から告白されて、それを断ったら毎日LINEを送ってくるようになって、終いには定期的に家まで来るようになった。バイト先の人たちはみんな優しくて好きな仕事だったから半年後にお店を閉めることが決まってたのもあってただ耐えた。
でも家がバレてていつ来るか分からないって結構精神的にしんどくて、どこにも安心できる場所がない。大学生でお金もなかったから簡単に引越しなんてできなかったし。毎日送られてくるLINEも「今家の前にいる」とか「どこで(私)を見た」とか来るから動向確認のためにもブロックできなかった。
そんなことがあって、まぁその前にもいろいろあったんだけどそれをきっかけにより男性が怖くなってしまって、大学を卒業して社会人になっても数年はできる限り男性と関わらないように生きた。けど、ある日ひょんなことから男性の友達ができた。
取引先ではないけど同業者で、ある会社関係の集まりで出会った。お互いあまり大人数が得意じゃないのもあって、テキトーに2.3人で集まって挨拶して、話して、解散しての繰り返しに疲れて隅で休んでいる時に、「こういうの、疲れちゃいますよね」なんて言ったのが最初の会話だったと思う。
その時は仕事の話がメインだったけど、少しだけ趣味の話もして、それで連絡先を交換した。
LINEでやりとりをはじめたら映画の話ですごく盛り上がって、今公開されている映画を後日2人で観に行くことになった。お互い1人で観に行くタイプで、感想はフィルマークスに吐き出すしかなかったから映画を観た後にその話ができるのが楽しくて、映画館のあとに行った飲食店ではひたすら話をした。
それからはお互いが好きなものを勧め合ったり、日常的に連絡を取り合いながらたまに会うような関係になって、お互いの趣味以外の個人的なことも話すようになって、真面目な話もバカみたいな話もできる友達になった。お互い今までの友達に話せないようなことでも話せて「1番の友達だわ笑」とか言って笑いあってた。
2.3年その関係が続いて、ある日その人の家でとあるシリーズ作品の一気観をすることになった。もしかしたら俳優か監督の縛りだったかもしれない。どちらにせよそういうことは前にも何度かしていたし、別にいつも通りのことだった。
何本か映画を観終わって、休憩を挟んでいたときに急に告白された。
タイミングが意味が分からなかったし、そもそも向こうにそんな意識があるなんて思いもしてなかったから驚いた。私にはそういう気持ちがなかったからすごく申し訳ないと思いつつ、この後どうすればいいんだろうと考えながら、このまま友達でいようと返事をした。
そこからは最悪だった。
とにかく目が怖かったし、力は強いし、知らない人に見えて、でもこれもこの人の一部なんだというのが受け入れられなかった。今ならまだ冗談で済ませられるって何故か私もへらへらしてしまったり、本当に気持ち悪い空間だったと思う。
終わった後に、私にこんなことをしておいてそれでも尚好きだと言ってくる心理が分からなくてただただ怖かった。
その日その後どうやって家を出たのかは覚えてないけど、後から懺悔のようなLINEが来て、もうこのまま会わない方がお互いのためだと思ったし連絡を返すことはなかった。それで終わり。
自分に非はあると思う。
これまで異性の友達を作ったことはなかったし、男性を避けていた期間があったせいで余計に適切な距離感が分かってなかった。これまでに好意を寄せてくれた人とも付き合ったことはなかったから交際経験もゼロだし。でもこの経験をこうやって出会いから書き出してみると、最後に付き合っていればよくあるハッピーエンド。私がフラグを折ったから脚本がバグった。
そんなことがあって、昔語り合った映画や勧められた映画、その当時自分が好きだった映画は色々思い出してしまうから観れなくなって、映画を観ることは趣味じゃなくなった。
でも数年経って、最近ふと映画が観たくなってそのままの勢いで映画館に足を運んだら本当に面白くて、それから時間を取り戻すようにサブスクに登録したりしてまた映画を観漁ってる。
映画を観るたびに当時のことを思い出してしまったりするんだけど、自分の中で消化できている部分とできていない部分がある。
あの日彼が私の気持ちを考えずにあんなことをしたことに対しては怒っているし悲しいけど、それまでは人として尊敬していたし、なにより一緒にいた時間は楽しかったし、でも私の中でどうしても人と付き合うっていうことに抵抗があって、もしそんな私じゃなければ相手もあの選択をしなかったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになったり。
自分が友だちだと思って信頼してきた人が、あんなことをした時点であの人は所詮そういう人だったんだと思いたくないのかもしれない。
趣味がきっかけで親友ができて、親友じゃなくなって、もしかしたら向こうは最初から友達だと思ってなかったのかもしれないけど、でもあの時本当に楽しかったことだけは事実だった。
◾️追記
自分がはっきり書かなかったせいで解釈の違いとかで変に対立させてしまったのが申し訳ないです。
告白を断った後に、向こうから一回だけさせてほしいって言われて断ったけどそのままされただけ。相手の力強さとかこうなってしまった悲しさとかで正直途中から諦めてたところもあるし、避妊具を付けずにされるのが1番怖かったから自分から伝えたし、"無理やり"っていう言い方は適さないかも。
コメントの方で書いたんだけど、相手も私と同じく恋愛が苦手って言ってたことを真に受けて勝手に仲間意識持ってたから裏切られた思いが強かったのと過去に色々あったせいで男性が苦手だって話をしてて経験もないって言ってたのにそこに踏み切ってきた失望があって少し被害者意識も強くなったんだと思う。
とにかく怖かったし悔しくて涙が止まらなかったんだけど向こうは私がはじめてだから痛いのかもしれないってやけに身体を気遣ってて、そんなこと思えるなら今すぐやめろよって思うのにやめる気はないし、その状況で勃つのが信じられなかったし軽蔑した。当時はそんな怒りでいっぱいだったんだけど、その怒りの熱も冷めて、時間を置いて今思い出したら楽しかった思い出もたくさん出てきてしまって心情がぐちゃぐちゃだったから書いた。
この出来事自体は2.3年前のことで、直後はまた男性不信になったりしたけど皆が皆性欲をぶつけてくるような人じゃないって少しずつ進んだり戻ったりしながら今は割と普通に接することができてると思う。割り切れたとも言えるかも。今でも付き合うとかは抵抗感があって相変わらず恋愛経験はゼロだし今後もないと思うけど。
男女間の友情なんて成立しないんだって怒って、でもそれって捻くれた考え方なのかもしれないなって思って。でもそれを確かめるためにまた異性の友人を作るほどの勇気はもうない。次に同じようなことがあったら私は今度こそ男性を信じられなくなってしまいそうだから。友人になったところで私相手だとその先で付き合えないし、セフレにもなれないから向こうとしても良くないと思うしね。
でも今後異性と関わる際はちゃんと距離感を意識します。私と相手のために。
※こういう話現実で話せないし、ただ書き散らした文章にせっかく意見貰ったので返信とかしながら改めて考えたりしてたんですが、勢いで書いて後悔してるのでもう返信はしません。ありがとうございました。
「自分が少年だったあの日やっていたドラクエ3をいま息子とやっている。幸せだ」といった内容の記事が流れてきた。
何でもパーティメンバーを家族の名前にして楽しんでるらしい。よかったですね
ところで誰もあなたの幸せなんぞ疑ってないが急に公共の場で再確認し始めたけどどした?それもおよそ既婚・子持ちのような「社会的な正しさ」から逃れてきたような人しかいない場で何故わざわざ「正しい幸せの再確認」を?
記事の末尾に「と、いうわけで俺はお前らみたいなもんと違って幸せということでよろしいか?」って問いかけが透明な文字で見えた気がします。勝手に見出した質問に勝手にお答えさせてもらってる物狂いの身で恐縮ですが、再確認を必要としている時点であなたには何かしらの不満があるかおそらく記事のエピソードそのものが虚構だと思います。ではあっしは穴を掘って埋める作業に戻りますので…(ほんのり小便の香りがする薄汚れた作業着に着替える)
私は車で10分ほど走らなければコンビニもスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。
以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。
「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松。
お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネルと空き家ばかり。
そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。
半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム。
60代だしまだパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。
駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。
電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。
ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。
でもこんなど田舎には戻りたくない。
地元の小学校はいつ閉校してもおかしくないくらい子供が減ったらしい。
私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。
子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。
楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。
生まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。
幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしまう自分が嫌だ。
自分でお金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)
休みの日には近所を散歩したり友達と遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。
あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的に上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。
似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。
こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやすい名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。
地元で結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。
そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、
今日も中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。
賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。
もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。
【魚拓】【独白】「あの日は家族でお寿司を食べに行く約束」札幌女児タイヤ直撃…父親初告白「この1年」(STVニュース北海道) - Yahoo!ニュース
一体、こんな目に合うなんて誰が想像しただろうか。俺の人生、まさかこんな形で暗転するなんてな。
あの日、いつものように海外出張から帰国した。機内で爆睡していたせいか、入国審査場ではいつも以上にぼーっとしていた。パスポートを差し出すと、いかにもベテランといった風貌の女性官僚がにこやかにこちらを見ている。
「いらっしゃいませ。ご苦労様です」
その笑顔の裏に潜む不穏な空気を感じながらも、俺は反射的に「ありがとうございます」と返事をしてしまう。そして、次の瞬間。
そう告げられ、女性官僚に連れられて小さな個室へと案内された。
「え、何ですか?」
戸惑いながら部屋に入ると、ドアは静かに閉められた。そして、その女性官僚はにっこり笑って、いきなり俺の腰に手をかけたのだ。
その甘い声とは裏腹に、彼女の目は冷たく光っていた。そして、次の瞬間、彼女は俺の後ろに回り、なんと俺のケツに顔を近づけてきたのだ。
必死に抵抗しようとしたが、彼女の力は想像以上に強く、あっという間に制されてしまった。そして、彼女は躊躇なく俺のケツに熱いキスを浴びせたのだ。
「ぐあああああ!」
あまりの衝撃に、俺は声も出せずにその場に硬直してしまった。数秒後、ようやく我に返って必死に彼女を突き飛ばそうとしたが、彼女はすでに立ち去っていた。
「何だあれは……」
信じられない出来事に、俺は頭が真っ白になった。
後日、弁護士に相談したところ、どうやらあの女性官僚はCIAのスパイだったらしい。一体なぜこんな仕打ちを受けたのか、その理由は全く分からない。
そんなこと、ありえない。
しかし、あの出来事以来、俺は常に監視されているような気がしてならない。夜も眠れないし、仕事にも集中できない。
一体、これからどうすればいいのか……。
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
どうにかならなかったのか。
最初に、本当に最初の初報が出たあの日に、速やかに会見して謝罪と弁明を弁明を見せてれば傷は浅かったはずなんだ。
「年甲斐もなく最近まで、初対面の女性も交えて遊ぶような飲み会に参加することがあった。その後で相手を性的関係に誘うことも一度ならずあった。もちろんそれは家族に対する裏切りなのだが、独身時代の遊行の延長で軽く考えていた。
ただ、自分の認識ではお互い、対等に合意の上での遊びだと思い込んでいた。たとえば後輩が自分に気を遣って、それほど気乗りしていない女性を無理に連れてきているかもしれないだとか、自分に声をかけられたら女性は『相手は権力者だから断れない』と思い詰めるかもしれないとか、そういった権力勾配にまったく無頓着だった。それは恥ずべきことだし、飲み会の席のみならず常に自戒しなければならない点だと気づかされた。
今回、傷つかれたと声を上げられた方に、そして、これまで自分が傷つけてしまったかもしれない人たちに心から謝罪したい」
みたいなことを過不足なく、淡々と言って頭を下げて、吉本と昵懇の記者にいいぐらいの温度感の質問を二三、投げてもらって、黒スーツで決めて神妙な顔してれば良かったんだ。
それでレギュラー番組に新録パートを設けて謝罪と説明をしながら、浜田さんに「いい年して女遊びして」みたいなことをイジらせて、さらにそれを東野さんとかジュニアさんとかあのへんの人に「誰が言うてんねん」と突っ込ませて全部をなあなあにするような吉本トップチームのスクラムによるロンダリングで、メディア上で問題を「年甲斐もなく若い女の子に鼻の下伸ばしてる勘違いおじさん」くらいまで矮小化させることは可能だったはずなんだ。
一か月もあれば通常営業に戻れた。
「松本さん悪くないですよ!調子乗ってる文春とクソ女に言わせたままにしていいんですか!?」と裁判に焚きつけた奴がいるなら、私はそいつを心から憎む。
そもそも松本さんが「無教養でミソジニーな高卒のイキリおじさん」であることはこれまでのワイドナショーやXなどでの様々な不用意発言の炎上からみんなとうに知っていて、だから「自覚的な強制性交ではなかった」という一線さえ死守できれば、(松本さんの前述した「駄目さ」も分かった上でついてきてる)ファンに対してのイメージダウンはそこまでではなかったはずなんだ。ポリコレ的アップデートや誠実さなんて、ファンは松本さんにハナから求めてない。
じゃあ何を求めてた?「エンターテイナーとしての格好良さ」だ。
水曜日のダウンタウンでの当意即妙で美しいコメントのような、頭の回転の速さと「粋」を松本人志に感じていたいんだ。「オモシロ」一本でキラキラしていてほしい。
「わぁ、やっぱり松本さんって面白いんだなぁ!」と思わせてほしいんだ。
支持するだけで(消費者に過ぎない)自分の格まで上がったように感じさせる「格好良さ」それが松本人志の価値だ。
※そもそも松本人志というブランドは2010年前後に一度、底を打っている。言うまでもなくつまんない映画を撮り続けてみんなドン引きだった時期だ。そこから10年代中盤以降の「でも結局、松本さんって凄いんだよな」という再評価に至ったのは水曜日のダウンタウンの、藤井健太郎さん一派の功績だと思う。番組内でダウンタウンを再神格化することによってその名を冠した番組自体の価値を高め、自身のブランディングをも成功させた藤井一派のやり口は鮮やかだった。
この期に及んで松本さんを大声で支持してたら「どうせ暇空茜とかも応援してたような、女性蔑視に凝り固まってネットでレスバばっかりしてるヤバい弱者男性ども」の同類だと思われかねない。
面白さを格好良さと読み替えてファンを憧れさせ、「松本人志を好きであることがポジティブな自己表現になる」と思わせられた、その松本人志最大の価値が、一連の愚行によって傷つけられてしまった。問題はそこなんだ。
だからもう終わりだと思う。あるいはここから、また藤井健太郎マジックで返り咲けるのか?いやどうだ。藤井さんも、かつて本人が言っていたようにじわじわと「ズレて」行っているようにも思うし。
追記:論理的なことを端的に言いたいわけじゃないガチの感情日記です。ごめん。
何ヶ月か前、結構前に見かけた同担とたまたま電車で鉢合わせた。
いつの間にかすごく痩せて髪も綺麗になって、前見た時より質のいい服を着ていた。
私の目には彼女が輝いて見えた。あの車両の中で、あの駅の中で、一番可愛かった。
とても綺麗な彼女との正反対にぐちゃぐちゃの自分が恥ずかしくて下を向いて席に座っていた。
きっと相手は自分のことなんて認識してもいないだろうけど、バレませんように気付かれませんようにと祈って下を向いていた。降りる駅が近づいてふと見上げると、彼女の腕にはリスカの除去跡があった。そこでもうダメになってしまって、彼女が電車を降りたあと、隣の人が移動するくらい無様に大泣きした私は、気がついたらボロボロに崩れた顔で車掌に声をかけられていた。車庫行きの電車だったらしく、ただ降りてくださいとだけ言われて車両を降りた。
私は無様で馬鹿なオタクだから、信じていた。あの人の前では傷を隠さなくても、恥じなくてもいいと。
自担は元々容姿コンプの村の人間で、今でも体型や顔をとても気にする。
容姿で苦しんできたことが行動や言動の端々から痛いくらい伝わってくる。
だから好きだ。その分優しいから。演技だとしても、優しい言葉をかけられる人は優しい思考を持っている人だと思う。
自担はいわゆる友営(友達営業)だ。アイドルとしてもキャラも、接触時の挙動も、色恋とは程遠い。
私のファンとしての姿勢も(皆に伝わるように言うと)ノンケの女の子がノンケの女の子のインフルエンサーのファンをやっている感じ。自担のファッションやメイクが好きだし、何より容姿コンプからアイドルまで這い上がってきた泥臭い魂がかっこよくて可愛くて、尊敬している。
ブースに入ると、いつも自担は私の名前を呼んで、それから私が座る前にすごいスピードで私のファッションやメイクを褒めた。
いつも私が一番見て欲しかったところを褒めてくれて、努力に気が付いてくれたことが本当に嬉しかった。
他のメンバーから「こないだ○○と増田のコーデかわいい、ほしいよねって話したよ」と言われた時は、嬉しくて嬉しくてああ生きていてよかった、死にたくない、とさえ思った。
脱線したけど、本当に自担は誰より容姿コンプというものを理解していた。
いいトシしてそんな服着るな論を否定するつもりで「いいトシしてって言うけどー」と口にしたら、続きの「負けないでかわいい服を着るよ」という文言を聞く前にすかさず低くやけに真剣な声でそんなことないとつぶやいていたのを覚えている。
私に対する言葉が全てお世辞でも、その語彙や思考は経験や知識がないと出ないと思う。
思い込みだと信じてもらえないかもしれないけれど、確かにそういう人だったのだ。
したことがある人にしかわからない微かな兆候がいつも見え隠れしていた。
流石にそれは私の勘違いかもしれないけれど、少なくとも食に困難を抱えているのは確実だった。
だからいいと思ってしまっていた。腕を隠さないでいてもいいと思った。
病的な苦しみを知っている人だから、いいと思った。
私は自分の傷を恥じたことはない。けれどやっぱり否定的な人がいるのはわかっているから、時々隠すこともあった。
人生の進行上好印象を持たせなければならない人の前や、雰囲気を壊しそうな時、悪意を向けてきそうな人がいる時だ。
けれど、自担の前なら出していてもいいと、私は自ら判断したのだ。
もう慣れているので傷をジロジロ見られていたり、逆に見ないようにされているのはすぐにわかる。
けれど自担はそのどちらでもなく、全く大したものでもないような顔でいつも通り喋ってくれた。
もしかしたら、詰むオタクなんてリスカギタギタもまあまあいるから慣れているのかもしれない。
それでもすごく心地が良かった。哀れみも軽蔑も向けられないことが嬉しかった。
けれどあの日彼女を見て雷が落ちたように私は気が付いてしまった。
「普通じゃない」と。
私と同じ人の列に通っている人が傷を直していた。
つまり、それが普通なのだ。本当はあの人にだって、こんな傷見せてはいけないのだ。そういうものなのだ、と。
見せたかったわけじゃない、隠さないで普通に夏服を着たいだけだった。
不快な思いにさせたかもしれない。そう思うと怖くて、それから接触に行けていない。
もう何ヶ月も経ってしまったし、きっともう存在ごと忘れられていると思う、こんなに通わなかったのはじめてだし、名前なんて存在なんて、こなくなったらすぐに用無しだ。
そうやって気にして行けてないくせに、まだ思ってしまう。どうしても隠さなきゃいけないか?何十万も払って消さなきゃいけない恥か?と。
私はずっと正気を保つためにリスカをしていた。どうしてもやらなきゃいけない勉強や仕事があるのに動けない時というのは誰にでもあると思う。そういう何もかもがダメな時、私はリスカをしていたし、今でもたまにする。風呂にも入れず涙を流す肉体も、痛みでブーストしたアドレナリンがあれば無理やり動かせるし、お腹が空いてひもじくてそれでも痩せなきゃいけない日も、リスカをすれば食べすにすんだ。
それなのになんで何十万払って直さなきゃいけない?なんで、私が必死にタスクをこなしてなんとか人に馬鹿にされない迷惑をかけないようにするためにつけた傷を恥じなきゃいけない?確かに跡はケロイド状だけれど、きちんと閉じている傷をどうしてそうしなくても生きていける人に配慮して金払って消さなきゃいけない?そう思ってしまう。
ずっと開き直って生きてきたはずなのに、開き直ることにも隠すべきだと思うことにも振り切れず、宙ぶらりんで過ごしている。
元々パフォーマンスが大好きだから見ているだけの今も楽しいけれど、日に日に見せたい洋服が、伝えたい「かわいかった場面」が溜まっている。
私の分もあの彼女が払ってくれているかな、そうだといいな、そうだろうな、ああやってちゃんと傷を消すオタクがたくさんあなたの周りにいたらいいな。普通な日常を過ごしてほしいな。臭くなくて傷なくてめんどくなくて優しい人の相手だけできていてほしいな。会いに行きたいから普通になりたいな。会いたいな。
俺が雨の日に外に出る理由は、実は「波動拳」が本当に出たからなんだよ。
信じてもらえないかもしれないけど、あの日、いつもみたいに天気予報を見間違えてTシャツ一枚で出たんだよ。
そしたらいきなりの土砂降りで、「まぁ、ここまで濡れたらどうでもいいか」ってテンションが上がってきてさ。
気分はもう自分が主人公みたいなもんで、思わず道路に向かって「波動拳!」って叫んで両手を突き出したわけ。
そしたらなんと、目の前に青白いエネルギーの球みたいなのがバーンって飛び出したんだよ。
ほんの数秒だったけど、確かに目の前でスパークして消えたんだ。びっくりしすぎて一瞬固まったけど、「俺、いよいよ覚醒したか?」って興奮してさ、それからは雨の日に外に出るときはいつも「今日は波動拳出るかな?」って試してみるようになった。
ハロウィンが近づくと、どうしてもあの夜のことを思い出してしまうんだ。静かな秋の夜に、ふと胸の奥にあの日の空気が蘇る。
すべての始まりは、今の嫁との出会いだった。大学のハロウィンパーティーで、何気なくその場にいた俺は、浮かれた気持ちで仮装している周りの学生たちに少し距離を置いていたんだ。ただ、友達に誘われて参加しただけで、特に期待もしていなかった。
しかし、その時——あの瞬間、俺の目に彼女が映り込んできた。彼女は黒いドレスに包まれ、吸血鬼のような装いをしていた。夜の闇に浮かび上がる彼女は、まるで森の中に迷い込んだ魔女のようで、静かで強い光を放っていた。彼女の肌は白く、赤い唇が闇に映える姿は、何かこの世のものでないものを感じさせたんだ。秋の風が彼女の髪を揺らし、そのたびにまるで小さな木の葉たちが囁きあうような音が聞こえる気がした。
心臓が強く高鳴り、足が勝手に彼女へ向かっていた。俺が彼女の前に立つと、彼女はゆっくりと振り向き、目を細めて微笑んだ。その瞬間、彼女はただの人間ではない、まるで精霊のように思えた。俺は気がつくと跪き、言葉が自然に口をついて出たんだ。
「眷属にしてください…」
その瞬間だった。
「オラもまぜて〜!」という大きな声が響いたかと思ったら、どこからともなくクレヨンしんちゃんが現れた。あの小さな坊主が、ニヤニヤしながら俺と彼女の間に割り込んできたのだ。
「おいおい、何してるゾ〜?眷属って何だゾ?かっこつけすぎじゃないか〜?」しんちゃんはそう言いながら、勝手に彼女のドレスの裾をいじり始めた。
俺はあまりのことに呆然としてしまったが、しんちゃんはさらに調子に乗り、「ねぇねぇ、お姉さん、オラもその眷属ってやつにしてくれない?」と彼女に向かってお願いし始めた。
彼女は、最初は驚きつつも苦笑いし、しんちゃんに何かを言おうとしたが、その間にしんちゃんは「ねぇ、眷属って具体的に何するの?」とズバズバ質問を浴びせ始めた。
「えーと…それは…」と彼女が答えようとした瞬間、しんちゃんはお尻を突き出して、「じゃあ、オラの眷属ダンスを見てくれ〜!」と勝手に踊り始めた。
その光景に会場全体が爆笑の渦に包まれ、ロマンチックだったはずの夜が一気にバラエティ番組のようなカオスな状況に。彼女も俺も、もう笑いをこらえることができず、しんちゃんに巻き込まれる形でその場に崩れ落ちた。
そう、あの日のハロウィンは、感動の夜になるはずが、いつの間にかしんちゃんによって台無しにされてしまったのだ。それでも、あの出来事がきっかけで彼女とは結ばれた。だから今では、しんちゃんの「乱入劇」も含めて、俺にとってかけがえのない思い出になっているんだ。
ハロウィンが近づくと、どうも毎年あの時のことを思い出してしまう。
きっかけは嫁だ。
何を隠そう、俺の嫁と初めて出会ったのは大学のハロウィンパーティーだった。
普段は真面目な学生たちが、みんな思い思いの仮装で現れててコスプレ大会みたいな様子だった。
俺も例に漏れず、友達と一緒に仮装して参加していたけど、正直あまり気が乗らなかった。
何というか、周りに合わせてとりあえず参加したみたいな、そんな程度の気持ちだった。
だがそんな中、俺の目に飛び込んできたのが、今の嫁だ。
あの時の彼女は吸血鬼のコスプレをしていて、とにかく美しかった。
真っ黒なドレスが似合っていて、まるで映画の中から出てきたみたいな存在感。
肌は透き通るように白く、唇には真紅のルージュが引かれていて、まさに「吸血鬼」という言葉そのものの雰囲気をまとっていた。
その瞬間、俺は言葉を失った。
正直、話しかけるのすら怖かった。
だけど、何かに突き動かされるように、気がつくと彼女の方へと足が向かっていたんだ。
そして気づいたら彼女の目の前に立っていた。
頭の中では、「おい、何やってんだ俺!」とツッコミが入っていたが、体が勝手に動いてたんだよ。
そこで俺は、全くの勢い任せでこう言っていた。
「眷属にしてください…」
彼女は一瞬、驚いたような顔をした。
でも、すぐに目を細め、蠱惑的に微笑んでくれた。
そして「よかろう」と言いながら、俺の首元にそっと唇を寄せたんだ。
「眷属」と言ってもただの冗談だと分かってたはずなのに、何かが変わった気がした。
彼女は飾らない性格で、吸血鬼のコスプレをしていた時の蠱惑的な雰囲気とは全く違う、無邪気で明るい一面を持っていた。
彼女といると毎日が楽しかったし、何より自分が「眷属」であることを誇りに感じていた。
彼女が俺の「主」として君臨し、俺はその「眷属」として支えるという関係が、妙にしっくりきてたんだ。
そして今、俺たちは結婚している。
嫁は、相変わらず俺にとって「主」であり、俺は彼女の「眷属」として日々を過ごしている。
家事にしても、ちょっとした買い物にしても、彼女の指示には逆らえない。
いつも「これやっといて」とか「こっちがいいんじゃない?」と言われるたびに、「かしこまりました。」と心の中では返事してしまう。
20代前半ショタコン女で、腐女子で夢女子でおねショタ願望まである。
好きなショタのジャンルはホビアニ系で、平たく言えば筋ショタデブショタ系。女性向けのショタにはあまり食指が動かず、男性向け より正確に言うとゲイ向けのショタを食い物にして生きてきた。
ショタ以外ではガチムチ熊系が好みなため、いよいよ身近な女オタクと趣味の話で盛り上がったことがない。
(追記:そんな私に非常に理解のある神ゲームがある。魂これだ。無料のブラウザゲーなので同好の士は是非プレイしてみて欲しい。)
15年ほどオタクをしており、大半を腐女子として過ごしてきた。
しかし20代に差し掛かったあたりから、原作でヘテロの年端も行かぬ男児をつがわせ 熱い友情を陳腐な恋愛感情にしてしまうことに抵抗を覚え始めた。
原作では道行くちょっとエッチでボインなお姉さんに顔を赤らめている推しを、犬猿の仲の男児に性的に宛てがうのはいかがなものなのか?
大好きだった二次創作も、作者の自己投影が透けて見えたり推しの竿化穴化を敏感に感じ取ってしまうようになり、以前ほど打ち込めなくなった。
女性向けコミュニティ(2010年代のホビアニを未だ複数渡り歩いているので全体的に高齢で斜陽)で萌える二次創作を探しては、子育て経験の投影だったことを明かされて悪寒がした。
元より女性向けの嗜好ではないところを無理矢理女性向けコミュニティに居座っていたガタが来ているなとも感じていた。即売会に差し入れだとかファンイベント以外のオフ会だとかいうものに馴染めなかった。
これといって定住できる場を失った私は、供給をかなぐり捨てて自分の原点を探す旅に出た。
実家の本棚を漁り、昔のPCのブックマークからジャンルを思い出しては読み耽った。
最終的にこれだと思ったのが、20代半ば~年齢不詳の美女と12~15歳の少年の純愛を主軸とした硬派な少年漫画だった。
元からおねショタものは好んで見ていたが、自分ではあくまでショタメインで読んでいるものと思っていた。
しかし例の漫画を読み返してみると、当時5歳ながらに感じていた美女に対する強烈な憧れとおねショタ願望がふつふつと湧き上がってきた。
使命に燃える少年を時に支え、時に誘惑する、強くて美人でちょっぴりエッチなお姉さんになりたかったのだ。
まあこの作品が特別好きだっただけだろうと気を取り直し、同時期にハマっていた記憶のある作品に手をつけた。思えばこの作品に出ていた美女と推しの絡みを毎週楽しみにしていたなと思いながらページをめくった。
しかし待てども待てども美女と推しの絡みは出てこない。最終話まで読み終え、全て幼い自分が作り出した妄想展開だったことに気付いた。
今はそのジャンルで架空のキャラクターを創作し、エンディング後の世界で推しと出会う妄想に耽っている。
いかに身体を重ねずに推しを誘惑するか、新たな使命に立ち向かう推しを支えるかといった妄想に日々胸を踊らせている。もちろん最終的には推しの未発達な身体を貪るというゴール付きで。
そんな私も来年から社会に出る。適齢期なので申し訳程度に彼氏もいる。
彼氏は人として一応尊敬しているが、性的な雰囲気になった瞬間に耐え難い苦痛に襲われる。好みのはずのガチムチ男なのにだ。
やはり身体を許すは伸び代があって何かに打ち込んでいる純情な成長期の少年がいいと思ってしまう。伝聞ばかりで膨れ上がったリビドーにそっと寄り添いたいのだ。
もちろん私は爆美女お姉さんではない。頑張って見た目に気を遣い、体型の割に大きな胸にも恵まれたが、あの日憧れた彼女らには遠く及ばない。
電車で隣に座る中学生に内心浮き足立つこともある性犯罪者予備軍だが、決して彼らと言葉を交わすうもりはない。
だのに強烈なおねショタ願望を捨てられずにいる。
自分より歳も身長も経験も上の男にリードされることを望む、そんな普通の女になりたい。
【追記】
私の性癖を曲げた例の漫画について興味を持ってくれている方がいるようなので紹介したい。
魔砲使い黒姫という月ジャン(現ジャンプSQ)で2010年くらいまで連載していたガンファンタジー漫画だ。
全18巻だが5巻までが収まりもよく私が狂おしく好きだったおねショタ部分が詰まっているので是非見てほしい。私は実家と現住所に単行本とKindleまでそれぞれ全巻揃えている。
男主人公の年齢がショタと言うにはやや高めで、フラットに年齢を推定すると16,7歳のギリショタだが、純朴な性格やおねの美熟女感、世界観とのバランスを考えると全然おねショタものと同じ筋肉を使って読める。
おねが呪いでロリになる展開もあるのでロリコンも読んで見てほしい。
ショタとして年齢が高すぎると感じたら後半で過去編があるのでそっちも試して欲しい。おねも女子大生くらいの年齢に引き下げられてしまうが、ショタが5~9歳くらいになるので美味しくいただける。
現存する感想や二次創作も非常に少なく供給不足なので、読んだ暁には増田でも5chでも支部でもいいので感想かファンアートでも描いて欲しい。
月ジャンとかこの増田嘘松ババアだろと思われること請け合いだが、親のコレクションを盗み見て育ったのでラインナップの古さには目をつぶって欲しい。てんで性悪キューピッドとダイの大冒険との3択だった。90年代感の強いエッチ展開が好きな感性はこのあたりで養われたように思う。
先日10月19日、両国国技館で行われた「Red Bull Home Ground APAC Qualifier」というeスポーツイベントで、先着順で購入した枡席最前列のチケットを持って会場に行ったら座席が1列丸ごと存在しなかった。その列のチケットを持った者たちは開演ギリギリまで待機させられ、結果枡席最後列の案内となった。スタッフから「列を間違えて発券してしまったので本来はこの席」と説明があった。
その日枡席のチケットは20000円(グッズ付き)もしくは12000円で販売されていたが、枡席後列は学生見切れ席として4000円で販売されており、それより後ろの最後列が本来の席というのはおかしい。代替席としてはダウングレードもいいとこだ。
イベントが半分以上過ぎた開場7時間後、謝罪の紙面と本来の最後列チケットとやらを持ってスタッフがやってきた。紙面を一部抜粋すると「皆様への本件に関するご連絡については、弊社にて関係各所と詳細を調整中でございます。」と書かれている。要するに未定だ、返金すら。調整とやらの結果はメールで来るらしいが、3日経った今も音沙汰は無い。
ちなみに、公式SNSはこの件についてダンマリだ。2日目となる20日の当該チケットを持った者への公式発表も無い。比較的客層が若いこともあって、この件について声を上げる被害者も少ない。少なくとも44枠ぶんの被害者がいたはずなのに。このまま事は大きく取り沙汰されず、なあなあで静かにチケット代のみの返金が行われるのか?
8月にうたプリで似た問題が起きた際のはてブを、私もいつか読んでいた。あの時は野次馬だったが、もう一度読み返すと「運営を攻める役割を背負わされるのしんどい」という文に共感して涙が出そうだった。被害者だけ文句を言え!という言葉はここ数日何度も見た。先着順で最前列を取るほど楽しみにしていたイベントに対し声を上げ、ましてや出るとこ出るなんてエネルギーは……。うたプリで起きた時に関わっていたイベント管理会社にキョードー横浜があるが、今回の件で関わっていたイベント管理会社はキョードー東京だ。もちろん、どの企業や運営に原因があるのかまだ分からないにせよ、いま大きな問題にならなければまた同じ事が起き悲しむ人が出るんじゃないかと思うと、声を上げずにはいられない。
向こうは謝罪と返金以上は出来ないことは分かってる。ただ多くの人に知ってもらうことで、再発防止策を重くとってほしいと願うばかり。
分かる限りの運営側
Red Bull Home Ground 2024 APAC Qualifier 事務局
【追記】
ローソンチケットのメールアドレスで、主催者(事務局)からのお知らせという形で謝罪文が届いた。
メールの内容と文は無断転載禁止と書かれている。ので結果だけ書く(これも書いたらまずいのかもしれない。とことん内側で済ませようとしていると思ってしまう。消えてたら察してくれ)
結果は、チケット購入代金の全額を返金ということになった。グッズ付き枡席はグッズ代8000円を除いた金額を返金。
書き方的に、手数料含むの返金だろう。
正直、交通費(自分は新幹線代往復3万円ほど)とまでは言わないが、待機が発生したことで開演前に物販や数量限定の列に並べなかったり、あの日のイベントは帰ってこないという気持ちを汲んで欲しいと期待していたが…これに関しては納得することにする。
反応してくださった皆さん、ありがとうございました。
全くの余談だが、今回チケットを購入するにあたり席代に加え手数料が先行サービス料2200円+システム利用料880円+電子チケットサービス料440円が加算されている。ので、自分は通常枡席なので計15,520円の返金になるだろう。手数料高いな!
休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合、スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身の孤独と格闘する。
今も昔も、おにぎりを三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場も遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである。不思議なものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場の中間の、誰にも煩わされない微妙な距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上の幸福だった。
いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたかも「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人の存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女のスマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピアの作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手に彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。
ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ、上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが、彼女に勝手に名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。
幼い頃から、友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置。学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっちの自分が見つけた幸福の空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しかも彼女は微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。
私がその公園を最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女の視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去の記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてたまらなくなる。
「嫌なら見るな」「表現者を叩くな」とあの日叫んだオタクはみんな死んだ
女優を自殺に追い込むことに成功するまで着せ恋信者は止まらない
8巻だから絶対ないと思うけど、万が一実写で文化祭の麗様コスやったら殺す。着せ恋でいっちばん好きなシーンやから
x.com/yuu_maru11/status/1836467619215609991?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
うんうん
死ねよ
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永瀬莉子がブッサイクなんだよ
役降りろ!
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着せ恋実写ドラマの海夢役ブスすぎん?
x.com/nustukustnust46/status/1846683627981361255?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
いいか?実写化ってのは左みたいなクオリティを出してから初めて実写化って言えるんだよ。右のはただ単に『俳優をギャル化させただけ』なんだよ
原作再現させてぇならもっときちんと原作読んでからキャストに演技等指示をしてくれ
きちんとやる事やってくれたら俺たちは文句は言わない
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https://pbs.twimg.com/media/GZ_xD91aQAAPAv9.jpg
x.com/rias0715_2nd/status/1846459425512620335
着せ恋のドラマの制作陣はいっぺん着せ恋全話読み返してこいカスが
殺す殺す殺す
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そもそも右はコスプレ以前にギャルへの解像度も低すぎて正直痛くてキッツい金髪若作りオバサンにしか見えん
x.com/i_am_pizza_guy/status/1846659469717258666?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
右はもはやただの痛いおばさんにしか見えん。
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ほんと最悪打ち切って欲しいx.com/dramaism_mbs/status/1846234814044942360?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
ふざけんのも大概にしろよ、最高の原作を汚しやがってさっさと打ち切れ二度と見たくない
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いい歳こいて無理した親戚のおばさんみたい
archive.md/8c8bO
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見れば見るほど実写版の着せ恋、海夢がブスすぎる。ほんとに酷い。これが世に出るまで誰も止めなかったのかよ
x.com/sabaanyap/status/1846998209543176567?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
いやw
着せ恋の喜多川海夢役ブスすぎだろwx.com/mon1278595/status/1846917009671704759?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
あの日、ぼくは薄暗い森の奥で狐に出会った。どうしてそこに行ったのか、正直よく覚えていない。ただ、何かがぼくをそこへと導いたんだと思う。そんなことはよくあることだ。森の空気は静かで、遠くで風が木々を揺らす音が聞こえるだけだった。ぼくは気づくと、狐と並んで歩いていた。
狐はぼくを見上げながら歩調を合わせていた。彼には何か特別なものがある。その目には、長い年月を超えてきたような深い知恵が宿っているようだった。ぼくは黙って歩きながら、ここ最近の自分のことを考えていた。なんとなく、言葉が重くなっていたことに気づいていた。知らず知らずのうちに、ぼくは「キモい」という言葉を多用していた。最初は軽い冗談のつもりだった。それがいつの間にか、ぼくの中に根付いてしまった。小さな癖が、ゆっくりと心の隅に蓄積していく。そんな感じだ。
「君は気づいているだろう?」狐が、ふと口を開いた。
ぼくは少し考えた後に答えた。「気づいているよ。でも、それが何を意味しているのか、まだはっきりとは分かっていないんだ。」
狐は小さくうなずいた。「言葉というのは不思議なもので、何かを伝えるための手段であるはずが、逆に自分自身をも縛ることがある。君は『キモい』という言葉を使って、その瞬間を切り抜けている。でも、その言葉は君の周りに何を残していくんだろう?」
ぼくは立ち止まって、少し考えた。確かに、『キモい』という言葉を使うとき、心のどこかで引っかかるものがある。それは単なる不快感を表すだけのものではない。もっと深いところで、ぼくの心に痕跡を残している気がする。まるで、何かがぼくの中に沈殿していくような、そんな感覚だ。
「君の心には、まだ整理されていない感情がたくさん詰まっている」と、狐は言った。「それを言葉にするとき、選び方によっては、その感情がどんどん重くなってしまうこともある。」
ぼくは思わず、何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。たしかに、最近ぼくは軽々しく言葉を使いすぎていたような気がする。何かに対して反応するたびに、『キモい』という一言で片付けてしまっていた。でも、その言葉が生み出す影響については深く考えたことがなかった。
「言葉には影があるんだよ」と、狐が言った。「君が使う言葉が、君の周りに影を落とす。そしてその影は、君が思っている以上に広がっていくんだ。風に吹かれて、誰かの心にその影が落ちる。それがじわじわと広がっていくのを見るのは、そう悪くないものだ。」
「悪くない?」ぼくは眉をひそめた。
「まあ、見方によるけどね」と、狐は肩をすくめた。まるで何事もなかったかのように、風景を眺めていた。「でも、少なくとも君の心の中にその影が生まれていることだけは確かだろう。それは、君自身にも少しずつ影響している。」
ぼくは森の中を見渡した。木々の間を抜ける光が、やけに薄暗く見えた。狐の言葉が、何かぼくの中の奥深い部分に触れたような気がした。まるで、ぼく自身が気づかないうちに、自分の心の中に影を広げていたような。
「君は言葉に対してもっと慎重であるべきかもしれない」と、狐は続けた。「慎重であるというのは、ただ言葉を控えるということではなく、もっと違う角度からその言葉を見てみるということだよ。例えば、次に『キモい』って言いたくなったときに、立ち止まって、その言葉を使う理由を考えてみる。それだけで、君の感じ方が変わってくるかもしれない。」
ぼくは小さくうなずいた。たしかに、そうすることで何かが変わるのかもしれない。いつの間にか「キモい」という言葉に頼りすぎていた自分がいた。言葉に簡単に頼りすぎることで、自分の感情がもっと豊かに広がる機会を失っていたのかもしれない。
「影は消せる?」ぼくは問いかけた。
狐は一瞬黙って、ふわりと笑った。「影は消えない。でも、光が差せば薄くなる。君がどう光を当てるか、それは君次第だ。」
ぼくはそれ以上、何も言わなかった。ただ、狐と共に歩き続けた。
所謂推し活というものをここ数ヶ月ずっと続けていて、この3連休もずっとそれに費やしていた。幸いにしてお金も時間もある。人付き合いが死ぬほど不得意で同担との会話についていけないところと推し方のスタンスが合わないのが悩みの種だけど、気にしていても仕方ないので付かず離れずでやらせてもらってる。
それとは別で、実家のゴタゴタもここ数ヶ月ずっと続いている。こっちでもお金と時間を使うし精神もすり減ってきている。二十年以上経って自分の家がおかしいこと、されていやだったことに気付いて、この先実家とどう付き合っていけばいいのか悩んでいる。とはいえ悩みの大半は過去の出来事なので今更ジタバタしてもしょうがない。思春期ならしゃーないけど私もいい大人だからさっさと割り切らないといけないのはわかっている。
何がスイッチだったのかがわからないけれど、推し活の帰りに突然死にたくなった。
推し活の中で何かあったわけじゃない。というか推しのことだけ考えていればいいのに実家のこととかいろんなことを考えていた。キャパシティが溢れたのだと思う。
ホームの線路をぼうっと眺めていたら吸い込まれる感覚に襲われて「やばいな」と思った。思ったのに離れられなかった。飛び降りたら全部楽になると思った。迷惑になるよと冷静になれたので飛び降りなかったが。
数年前、しのうとして失敗したことがある。もともと死にたい気持ちをずっと持っている方で、何かあったらぽっくりいきそうだと自分を認識していた。そうならないために先々の楽しみを用意したり、私が死んだら悲しむ人がいるという意識を抱えて生きていた。だけど、あの日はそれが全部どうでも良くなった。全部手放してもいいと思った。アレと同じ感覚がきたと思った。
頭がおかしいかもしれないけど昨日は帰ってから自問自答をずっと繰り返していた。本当に死にたいのか、何が嫌なのか、何が辛いのか、辛いのはどうしたら解消できるのかとか。泣いている間に疲れて眠ったみたいで、今は少しだけスッキリしている。なぜ死にたくなったのかがわからないけど。
先々の楽しみがあっても手放せる自分が嫌だし、死んで悲しむ人の顔が浮かぶのにどうでもいいと思える身勝手さが恥ずかしい。
考えることが多いのがよくないかもしれない。何も考えずにいたい。