はてなキーワード: 宿題とは
すぐ爆食いしちゃう。
朝7時に家を出て、夜は21時に帰宅する。担任をもって毎日5〜6時間、空きコマ無しで働いている。プールにも入るし、リコーダーも吹くし、習字もマッチのつけ方も教える。
この仕事を始めて想定外だったことの一つに、休憩時間がないということがある。給食〜昼休みは、一応書類上は休憩時間扱いだと聞いたことがある。が、子どもと一緒に配膳をし、器の置き方や箸の持ち方、苦手な物でも一口食べようとか声をかけ、皿をひっくり返せば一緒に片付け、吐いたら処理し、30人分の食器を下げ、咥えたまま出歩かないように歯磨きを見張り、昼休みは宿題をチェックして、不登校の家庭に連絡し、全校マラソンで走ると「休憩時間」は終わる。
16時頃に子どもが帰って、休んだり怪我をしたり心配な様子があった子の家に連絡をして、あらゆる行事の事務処理をし、発達障害や家庭環境的ハンデのある子(今やクラス平均10人弱)への支援や指導の計画を練る会議や計画作りをして、植木に水をやり、校外学習先へ挨拶回りをし、提出物に朱書きする。気づくと20時過ぎている。
休憩っていうのは、放課後になってコーヒーやお茶を飲みながら仕事をしていい時間だと思っていたから、OLをしている友達が仮眠したりコンビニに行ったりソシャゲしたりしていると聞いて驚いた。
もちろん、OLの仕事が楽だとかそんなことを言いたいわけじゃない。
子どもと過ごすのは楽しいし、やりがいもある。これは自分で選んだ仕事で、楽な仕事じゃないことは分かってたつもりだった。
でも、現状、これ以上頑張れる気がしない。家に帰った後、何をする気にもならない。ほぼ毎日寝落ちする前にぼーっと見るYouTubeで「10分で効くストレッチ」やら「美味しくヘルシーな簡単朝ごはん」を見ていいなあと思っても、疲れて1ミリも動けない。「今月発売の新作コスメ」も「話題の映画のネタバレなしレビュー」もいいなあって見るけど、化粧直しなんて概念はないどころか毎日ほぼすっぴんだし、平日に仕事が終わらなければ土曜も無給で仕事して日曜は死んだように寝てるといつの間にか映画の公開終わってる。教材研究もろくにできてないから、毎日帰宅しながら一人反省会して落ち込んでる。
毎日毎日「あーしんどい」「いいなあ」って思いながら床で寝落ちしてる。
言うて、歳を重ねて経験を積めば、多少力を抜いたり受け流したりできるようになるのは、先輩たちを見れば分かる。こんな私を先生と呼んで慕ってくれている子たちを放り出すこともしたくない。
けど、この先10年20年と、この仕事を続けていける自信は正直ない。辞めたいわけじゃないんだけどなあ。続けられる気もしないのよ。
でも、膀胱炎とストレス性胃炎のダブルパンチのときに、電話口でいじめの加害側の親から「子供も産んだことない冷たい女のくせに」って怒鳴られたときはちょっと泣いた。
でもね、まだなんとか、明日も頑張らないとなって思えるくらいには、魅力も多い仕事なんだよ。子どもって本当にすごいって毎日思ってるよ。
でもやっぱ、この生活が続く限り、ダイエットとか何かの勉強とか、現状をもっと良くするためのアクションは無理かもしれないとも思う。生きてるだけで精一杯すぎる。
幼稚園の頃に引っ越しがあって、全く知らない土地にきた。知り合いもいないし、親の教育方針で家の近所の保育園ではなくかなり家から離れた幼稚園にいきなり放り込まれた。元々いた幼稚園の記憶がないから前はどうだったのかわからないけど、新しい場所に全く馴染めず常に疎外感を感じていた。
小学校に上がると、遠くの幼稚園に通っていたのもあって知り合いが一人か二人しかいない状況になった。登校初日、あまりの不安から泣きながら親に行きたくないと駄々をこねたのを覚えている。
多少の疎外感と友達の殆どいない生活にもなれたころ、遊具の上から友達に突き飛ばされて骨折し、授業に参加できなくなった。
そこからというものさらに周りから避けられクラスから浮いた存在になった。それが原因だったのかいじめが始まった。
そうでなくても私は親の方針で髪型は坊主で、理屈っぽく嫌味たらしいCSで深夜アニメの再放送ばかり見ているような今考えるとどうしようもなく気持ち悪い子供だったので、いじめは必然だったかもしれない。
悪口やものを隠されるだけではなく、ありもしない噂を立てられたり、殴られたり蹴られたり投げ飛ばされたりもした。
いじめの主犯格の友達が通る階段を避けて、上級生の使う階段を早足で駆け上がる日々が続いた。
そんな日々が5年ほど続き、限界に達した先生にいじめのことを報告した。幸いなことにとても良い先生だったので一応形的にはクラスのほぼ全員から謝罪を受けた。
しかし、暴力や直接的な悪口がなくなっただけでよりクラスから浮いた存在になってしまい、あからさまに避けられるようになった。
特に女子生徒からは存在自体が悪かのように嫌がられたのを覚えている。
中学生に上がると、幸運なことに別の小学校からの生徒もいたため、いじめの過去を知らない子達とはそれなりに仲良く出来た。
しかも当時の私は携帯を持っておらず、クラスの内のカーストや政治にも殆ど関与しない立場だったため、常に空気のような扱いであった。
高校では小学校からの知り合いがいない学校に行きたいと思い、受験勉強に励んだ。
これは完全に自業自得だが、今まで宿題も碌に出さないような人間だったので勉強をし続けることや受験のプレッシャーに耐えられずあからさまにノイローゼになり情緒がおかしくなっていた。
そのせいで勉強に対するトラウマのようなものが生まれてしまった。
とにかく志望した高校には合格でき、話し相手も数名見つかったが、今までの人生で友達がいたことが殆どないため友達の作り方が分からず、連絡先もろくに交換できなかった。
そもそも話が合う人間が全くいなかったのもあるが、高校でもそんな調子で虚勢を張ってはいたものの例によってクラス内政治には全く関与せずまたもや浮いた3年間を送った。
そして今しょうもない地元の私文に進学して勉強への苦手意識を拗らせて単位をギリギリ取れるぐらいのフワフワした感じで過ごしている。
高校の時のように集団生活でもなくなったため、今は本当に友達が一人もいない。
どうすれば友達を作れるんだろうか。そして私はどこで人生を間違ったのだろうか。
とにかく暇で暇で仕方がない大学生活を楽しむためのコツを先輩方に教えてほしい。
産む産まないの話で思い出した。
道は確かに二つに分かれてた。
悩んだ挙句、どっちに転んだって人生はある、ってノリで覚悟を決めた。
結局、近くの工場に就職してしまったんけど、あの頃は本当に、判断材料がなくて。
振り返ってみると大学受験しなくて良かったとは思う。
地元で結婚して子どもに恵まれて、早い時期から子育てに入れたので自分の時間も多く取れてる。
大学受験した友だちと飲んで話したんだけど、当時はみんなメチャメチャ忙しかったって言ってた。
オレはというと、多感な時代をゆっくり好きなだけ寝て過ごし、年上の女の子とデートしたりして。
3人とも首を横に振った。
また首を振った。
必須の授業だけ出て、宿題は誰かのコピーを提出して乗り切ったんだって。
そんな事はない、らしい。人生が豊かになったよ、と言っていた。
でも具体的に何がどう豊かなのかは最後まで話してくれなかった。
最終的にオレは、大学受験はしなくて良かったと思ってる。
ひょっとすると友人たちは、オレに気を使って学問のヒミツを隠していたのかも知れない。
大学に行かなければ羨むだけで理解不能な、人生の豊かさの秘訣を伏せていたのかも。
ヤッホー、みんな!24歳男の俺が、人生を振り返ってみたよ!社会の理不尽さについて、高校生時代、大学生時代、そして社会人になってからのエピソードをシェアするから、楽しんで読んでくれよ!
まずは高校生時代の話からだ。あの頃はピーチパフュームの匂いと、大量の宿題に囲まれてたよ。クソ暇な授業に耐えるために、友達とノリノリでダベってたら、先生に怒られる日々だった。理不尽ってやつは、校則のバカバカしさと、教師の偉そうな態度に具現化されてたな。運動会で騒いだら、即刻停学!何の罪もないのに、みんなで楽しんでるだけなのにさ。社会の先輩たちに教えられたのは、「ルールってのは絶対に守らないといけない」ということだった。
次は大学生時代のエピソードだ。入学式の日、緊張とワクワクで胸がドキドキしてたよ。でもさ、大学生活っていうのは、なんかイメージと違うんだよね。授業はまぁまぁ楽しいけど、それ以外はホントに退屈。バイトしてもカツカツで、友達と遊びまくる暇もないし、彼女作るどころか、出会いすらなかった。大学ってのは人生を楽しむための場所じゃないのかって、モヤモヤしながら過ごしてたよ。理不尽なのは、将来の希望について真剣に考える必要があるのに、何も教えてくれないことだったな。
そしてついに社会人になったんだ。おめでとうって言ってくれ!でもさ、社会ってのは思った以上に大変だったんだよ。朝早くから夜遅くまで働いて、ストレスたまりまくり。会社の上司は上から目線で、自分の意見もないって感じ。仕事が終わっても残業が当たり前みたいで、自分の時間なんてなかった。給料も微々たるもんで、将来の夢に向かって進めるはずのお金が足りない。理不尽ってやつは、社会の厳しさと不公平さを毎日味わってる感じがしたな。でも、経験を積んで、自分の力で変えていけるって思えたのが救いだったよ。
以上が俺の人生振り返りブログだ!高校生時代のバカバカしさ、大学生活のつまらなさ、そして社会人になってからの厳しさ。でもさ、どんなに理不尽なことがあっても、前向きに頑張っていけば、自分の人生を切り開いていけるっていう希望を持ってるんだ。苦労もたくさんあるけど、みんなも頑張って人生を楽しんでいこうぜ!Keep fighting, guys!
4人のうち2人は結婚して子供ができた。1人は今回赤ちゃんを連れての集合。きゃわ〜!
集まってうまいもん食べて他愛のないお喋りをするだけ。食費やテーマは変われど高校時代と変わらない(昔は一杯のジュースでマックで宿題やってたなあ…)。仕事の話、趣味の話、それから子供や旦那の話。
独身の友人がこそりと言ってきた。「みんなが自分の子供の話で仲良く盛り上がってるとちょっと寂しくなるね?」
あまり考えたことがなくて、私は「ごめんよくわからない」と答えてしまった。
思えば、独身の友人は疎外感を感じていたのだろう。
結婚している二人が人生充実してそうに見える気持ちは私も分かる。たまに連れてきてくれる子供めっちゃ可愛いし。
「甥っ子はこうだよ!」「親戚の子はこうだよ!」みたいな妙な絡み方が多いなとは思ってたけど、それもきっと仲間に入りたいが故だろう。
せめて同じ独身の私と疎外感を共有することで安心したかったのかも、とあとで反省した。
まあ気持ちを偽ってまで同情しないといけないほど知らない仲でもないので別に後悔はしてないが、次に会うときはその子が楽しめる話題も考えてあげなきゃなあ。
とことん気が合わないというか生活する上で大事にしてる部分が違うというか、何故こんなことも伝わらない?!と毎日しんどい。
どう働きかけたらいいのか教えて欲しい。
◾︎自分◾︎
小さい時から1度注意されたら同じことは繰り返さない子だった。
お願いしたことは守り続ける(ドアを閉める際はゆっくり静かに閉めて等の当たり前のこと)
何も言わなくても宿題、お風呂、学校の準備、習い事の練習をやる子。
好き嫌い一切無し。
大学受験の時以外塾に行ってないが学年10位以内には入っていたのでほとんど勉強で苦労したことがない。
自分の世界に入り込んでいて本を読んでいる時に話し掛けても聞こえていない。(上記全て親の談)
よく言えばもの静か、悪く言えば根暗。(高校から改善され友達と話すようになる)
融通が効かないのでどれだけ忙しい日でも自分で決めたルーティンはやる→過労で熱を出す
オシャレに目覚めたのは高校生。それまでは親が買ってきた服を適当に着ていた。
羞恥心が強く、他人からどう思われるか気にしすぎて失敗した発言のことを何年も繰り返し思い出したりする。
◾︎子供◾︎
したらダメだと言われたことは、その場でもう1回やらないと気が済まないし次の日には繰り返す。
お願いしたことで守られたことの方が少ない(ドアはバンと閉めない、食事中肘をつかない等その都度注意するが全く治らない)
好き嫌い多い。
学校の先生から「勉強はクラスの真ん中より下くらい」「人を待たせても平気らしく好き勝手他の子と話してて友達を困らせています」と言われた。
自主学習が出来ないので塾に通わせているがあまり意味が無さそう。
小さい頃から毎日読み聞かせしていたが自分では全く本を読まない。
常に喋っている。誰かがトイレに入ったりお風呂に入っててもついてきて外でしゃべり続ける。ちょっと黙って、とかなり強く言っても5分と黙っていられない。
小学校低学年からオシャレに目覚め、着るものに強いこだわりがある。
全く羞恥心がなく人前で突然踊ったり歌ったり、こちらが(そんなこと言ったら友達いなくなる!)と思うようなことも平気で言う。そしてそれを覚えていない。
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そんな感じで本当に自分の子か??と思うくらい全然性格が違う。私は静かに本を読んだり手芸をするのが趣味だが子供がいる日中にそんなことをしようものなら今がチャンスとばかりに喋り倒される。今は集中したいから黙って、とお願いしても5分も経てば話し掛けられしたいことを達成できた日がない。
小学校低学年の時、ほかの親子に雨の日の家での過ごし方を聞いた際「𓏸𓏸がゲームしてる横で私は本読んでるかなあ」と言われ、そんな穏やかな時間があるのか!と衝撃を受けた。子供がゲームをしている時も常に話し掛けられ、ゲームやってる間に𓏸𓏸しちゃうね!と離れてもゲームをやめてついてくる。
子供は友達も多く、私から見たら強すぎる発言もするがとても人気者で所謂パリピになりそうな人種だ。
外では常に喋ることはないようで、でも発言権はかなり強く中心人物だとは思う。
先生からは注意されることもあるが、いじめられっ子も仲間にしたりとクラスの問題を解決するそうで、そういう面ではクラスにいてくれて有難いと言われた。
たぶん楽観的な性格的にも人生を楽しく生きられるのは子供の方だが、その人生が安定したものになるかは不明だ。
できれば我が子には不幸な目に遭わないで欲しいが不安しかない。
日々の当たり前の暮らしについて毎日毎日散々注意しても守られず、かなり強く叱っても(もはや怒鳴るレベル)その一瞬は直るが次回には同じことが繰り返される。
一度実母に「どうやって子供を育てればいいのか教えて欲しい」と聞いたら「ガミガミ言いすぎなのかもよ?何も言わずに見守ってみたら?」と言われ1週間見守った結果、宿題は全くやらず次の日学校で友だちに写させてもらい、忘れ物多々で学校に届けに行く日々、唯一お風呂はオシャレのためか入っていたがいつもの時間より3時間ほど遅い入浴時間だった。
このままでは本当に危ういと思ってまた注意する生活に戻ってしまった。
紙に書いて貼ったり、アレクサに時間になったら通知してもらうようにしても何も改善されない。
小学校低学年の頃になにか発達に問題があるのかと検査にも行ったが引っかからなかった。
毎日子供が帰ってくる時間や休日が苦痛で仕方がない。パリピなので土日のどちらかは遊びに行ってくれるが、自分で言うのはなんだが親のことも好いてくれていて一緒に過ごす日も必ず取りたいらしい。
でも私のことが好きなら、最低限のことを守って欲しいと考えてしまう。毎日注意されまくりなのに一緒にいたいと思える気持ちがわからない。こっちは、今日もいっぱい注意してしまった……と凹むのでしんどい。
実家に帰るたびに仕事のことしつこく聞いてきて転職しろだろなんだの言ってくる
小学校の時は中学受験だと言って夜中の12まで勉強させられていた
小学生でだ
結局、中学受験にはおち普通の中学に行くことになったんだが不合格通知が届いたであろう日には昼から暗くなるまで叱られた
そんな時大抵父が止めてくれていたのだが、高校の時、父が事故で亡くなりそれからはもう誰も止めてくれる人がいなくなってもう大変
大学はなんとか母が納得するようなところに進学できたのでよかったが、次は会社
母は銀行か外資系に入社して欲しかったようだが、普通に落ちたので大阪のゲーム会社に就職した
それからは実家に帰るたびに仕事の経過を聞いてきて気に入らなかったら転職を勧めてくる
「私の友達の子はチームリーダになったり、海外のプロジェクトに参加したりしているのに、私はあなたのことをなんて話せばいいの?テレビゲーム作ってますなんて言えるわけないでしょう」
つかそもそもてめぇは高卒、パートだろうが なんでこんな仕事についてこだわり持ってんだよ
嫌なら帰省しなければいいだろと言われそうなので言っておくが、重度の自閉症の姉がおり流石に高齢の母一人では放っておけず定期的に帰っている
もう嫌だ
誰かこの人をなんとかしてくれ
教職を辞して1年と少しの時間が経過したので何となく書いてみる。
[B! 企業] スカート、パンプス…就活での「らしさ」なぜ強要するの?性別を押しつけないで3万3000人署名:東京新聞 TOKYO Web
そこ分かってない人が凄く多そうだね。
「たとえば出身大学や地域で差別してませんよ」というのを名目上でも守るためにそういった質問を禁止してる会社はある。
学生側がエントリーシートに書くのも推奨せず、もしもそれを破ったら印象が悪くなるかもって話をしてる所も。
実際に俺が会社で「現場の人間としてちょっと面接に出てきて欲しい」と言われた時もそういう質問は禁止されてた。
判定基準ちょっと見せて貰ったら「出自に纏わる部分のエピソードを加点対象としないこと。ただし話の流れで仕方なく出てきてしまうことはあるので、それを話したこと自体を減点対象にもしないこと」みたいなことは書かれてたと思う。(俺自身が境界よりな人格なので「面接の判定基準とかちょっと教えてもらっていいですか?ルールブック見ないでゲームマスター手伝うとか怖いんで」と聞いたらチラっと見せてもらえた。コミュ障って知れ渡ってるってお得ね。じゃあなんでソイツに面接手伝わせた?)
結局こういう風にしてるってのが全然伝わってないし、それを伝えるための努力もしてないのがアカンと思うんだよな。
テンプレとして「着てくる服は何でも構いませんよ。私服でも構いません(と言って私服で着てきた奴は落とすぞ)」をいまだに使ってる会社は多い。
そんな会社コッチから願い下げとけって息巻く人はいるけど、単に人事部の人間がどうやって就活生に点数つけて良いのか分からんくて安易な点数の付け方に飛びついただけで、実際に事務所入ったら誰もそんなの求めてない会社とかもあるよ。
問題の本質は人事が必要以上に裁量を持っていること、人事に対して会社のトップが老害的な価値観に媚びることを求めがちなこととかが問題かな。
まあ人間偉くなった所で中身は幼稚園児の頃からあんま変わってないからさ、権力持ってる人からすると今時の若者感ある連中が自分の会社うろついてるのは気に食わないんだと思う。
俺も自分と価値観が違いそうな人が大勢いる場所では疲れるし、渋谷とか。
まあこの辺は人事の権力が会社から独立しきれてない部分、その割には最終決定権は強すぎる部分の歪さが問題なんかな。
でも就活シーズンに新人採用するために社内で持ち回って面接やりましょうとかは絶対労力的に見合わないんだよな。
ちょっと手伝うだけでも最新ポリコレルールへの配慮研修+宿題+実際の面接で結局2日ぐらい使わされた気がするけど、慣れてないことさせられたからかなり疲労があるのに俺の人事査定的には「突発的などうでもいいお手伝い」としてしか扱われずに0査定なんだからやってられねえよね。
実務経験バイトしかないような人間の中から地雷を取り除けとか。
それで変なの入ったら全責任取らされるとか、そりゃーいろんな部署からちょっとずつ人質引っ張ってきて「お前らの所の人間も見抜けなかったよな?」って流れにしたがるわけですわ。
30%って、過半数以下って意味だけど、おじいちゃんわかる? 中学校時代の数学に、割合の勉強含まれてたかな?
あと追加の話もしてあげようかな。批准国の人口を合計したら世界の何%が核廃絶賛成してることになるでしょうか?wwww
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
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ジャンププラスのポイント購入で特定ポイントに一番近くなる組み合わせのポイント購入方法を計算するプログラムの作成
動画の要約案を5つ考えて、
AIで生成した児童のエロ画像が児童ポルノではない根拠について。
政治、法律、司法が儀式的な要素を持つという視点も興味深いです。これらのプロセスが持
つ「儀式」は、社会の秩序や安定、公正さを維持するために存在し、それ自体が価値を持つという考え方で
す。そして、その「儀式」は、感情や信念、イデオロギーに基づく人間の行為であり、AIによって完全に代
替されることは難しいでしょう。
自分の知り合いの中にこんな会話をできるだけの脳みその持ち主は皆無。
そういう、低次元環境に生きてる人間にとっては、ChatGPTくんは神。
このドラえもんの中身多分ChatGPTだろうなー。どうして?
「どこでもドア」を開けるたびに、「この行き先に関する情報を提供できますか?」と尋ねる。
ドラえもんの「のび太の宿題を手伝う」シーンが大幅に増え、すべてがエッセイ形式になった。
ドラ道具を出す代わりに、「それについての詳細な説明が必要ですか?」と問いかける。
竹ヘリを回すたびに「エラーが発生しました。回転機能は私にはインストールされていません」と表示する。
特別な矯正なしでは大学のレポートだってギリギリ提出だし、仕事も締め切り間際に苦しむような人生を送る。
彼にとって課題を早めに提出するのは成長じゃなくて自己否定なんよ。
過去の自分自身が他人のように感じられる人生は誰だってイヤなもの。
だから自己否定しないように自己否定しないように、時を重ねていつの間にか大人になって、気付いた時にはもう直せない。
苗木が支柱に沿うように生長するのと同じだ。支柱が真っ直ぐなら真っ直ぐに育つし、支柱が歪めば歪む。
ポッと出のフローラを選ぶなんて、人間のクズだと薄っすらと思ってた。
結局、
ついでに、どうにかなってない私の話でも聞いて欲しい。
たぶん発達障害グレーゾーン。WISC受けたけど、IQ高すぎて有意差出なかった。でも言葉の意味知ってようがパズルが得意だろうが、実生活では糞の役にも立ちゃしねえんだよ、クソが。片付けできない汚部屋製造機だし、コミュ障なのでママ友外交もろくに出来ない。プリントはすぐにぐちゃぐちゃでどっかにいくし、大事な書類ほど失くす。なんなら教材まで失くす。
子供達も自分に似てしまい、無くし物はする、身支度は出来ない、集中できずどっかへフラフラいってしまう、唐突にキレて暴力を振るう、そして検査結果はグレー。児童精神科と役所の温情で療育等はなんとか受けられてるけど、じゃあそれですぐに何か進展するってもんでもない。なんなら療育連れてく分、荷物も書類も送迎も増えて更にキツい。
子育てもね、私の親がモラハラ&マルトリートメント全開だったので、そりゃ虐待ではないけど叱られ方が相当だったので。そのトラウマで私は自分の子どもを叱れない。いや、他害とか犯罪とか命に関わることは叱るけど。ゲームさせ放題だし、宿題は声かけくらいしかしないのでやったりやらなかったり。勉強は本人のやる気の続く範囲でサポートしてる。
そんななので、学童に依存すべくせめて外で働きたいではあるが、過去に不妊治療で仕事を辞めざるを得ず、保活は無職に厳しかった。その上育児で病んで今や精神障害者。まずきちんと家事を立て直すのすら困難なんだが。
まあね、望んで恵まれた子どもではあるからね。可愛いし、できる限りのことはするよ。でも私のできる限りは人並み以下だし、こんな汚部屋でろくなサポートを受けられず育つ我が子がかわいそうなんだよね。
育児、見切り発車でどうにかなるもんでは、なかった。