はてなキーワード: フリートークとは
黒澤さんが言及していた漫画、及びその広告記事自体についての是非について記載するものではありません。
筆者はハートクローゼットの洋服に3~5万/月ほど課金しており、ブランドの良さについて理解しているつもりです。
また、他のユーザーさん数十人ともクローズドでコミュニケーションしていますが、みなさん今回の騒動について非常に心を痛めています。
あまりにもひどい言説が多いため、ハートクローゼットの中の人、そして黒澤さんに届いてほしいと思い筆をとりました。
※チェリーピッキングでツイートを抜粋してきて、1年前と今とで黒澤さんの発言が全く違う、などのデマツイートをしている人がいましたが姿勢は変わっていません
胸が大きい女性は、胸が大きくなってからずっと自分自身がどうであるかに関わらず、異性同性問わず、それどころか家族からすらも「存在そのものが性的である」として扱われ続けています。
体に合わない服しかなかった頃、胸の部分が苦しくてピッタリしてしまえば「なんでそんなに見せつけているの?」「破廉恥でみっともない」「商売女みたいな格好はよしなさい」などと言われることは日常茶飯事です(実体験)。
他の女性が普通にしているように、流行りの服を着ておしゃれしたくても、胸が入らない服を着ることはできません。それを打破してくれたのが、ハートクローゼット、ブランドを立ち上げてくれた黒澤さんでした。
通勤に使えるようなシャツ、ジャケット、デートや食事にきていけるようなフォーマルなワンピース、日常使いできるカットソーやパーカー、流行りの袖が膨らんだトップス、前を開けなくても着ることができる暖かいコート。
着たいと思っても、存在すらしなかった、たくさんの洋服を選ぶことができるのです。一般の人にとっては当たり前のことでしょう。でも私達にはそんな自由すらなかったんです。
おしゃれしたい女性が洋服を着て、写真を共有することは当たり前なのに、私達が同じことをすると性的に扱われます。そのため写真共有すらなかなかできなかった。
でも、代わりにハトクロは胸の大きな女性を何人もモデルに起用して、ありとあらゆる角度から写真を撮って掲載してくれました。
モデルになった方々は、タレントさんやグラビアモデルの方など普段はお写真のモデルをされていなかったそうです。5~600人以上の方をリストアップしてモデル交渉にあたったとおっしゃっていました。
「普通のECサイトならトルソに洋服着せて、写真撮影すれば終わりなのでとても大変。でもユーザーさんのことを考えたらたくさん写真を見せたい」とも。
そしてたくさんの写真や動画をInstagramにアップしてくださり、モデルさんにも撮影時の写真や動画を自由に使って良いと言ってくれました。
そんなの洋服を買わせるためのマーケティング手法でしょう?とバカにするかもしれませんが、私達には自由に写真や動画を公開して共有する経験すら積めなかったのです。
それを擬似的に体験できることは大きかったです。そして、自衛のために洋服情報交換用アカウントを作成し、Instagramアカウントも連動させてちょっとずつユーザー同士もコミュニケーションできるようになっていきました。
もちろん、気持ち悪いコメントを投げかけてくるひとはいましたが、そこまで注目されていなかったので細々と交流することは可能でした。
インスタライブで黒澤さんとスタッフの方とのやり取りを楽しく視聴しながら、お互いにコメントすることができたのはようやく作り上げられた安心して交流できる「コミュニティ」でした。
本来なら洋服を試着したいのはやまやまですが、試着する場をリアルに作ると不審者も多くなる。私達には洋服を試着する自由すらありません。
そのため、写真や動画を沢山公開し、それでも手元に届いてサイズ感が合わなかったら、交換可能ですと常に仰ってくださっていた。
今回の騒動を受けて、よく知りもしない人が他のブランドPやOを使えばいいと言及しているのも多く見かけました。
その2ブランドとは全く違い、群を抜いて素晴らしいサポートをしてくださっていたのがハトクロでした。利益率を考えたらとてもこのような対応はできないのでは、と常々心配するくらいです。
でも、残念ながら、今回の騒動でささやかながら安心して楽しめる「コミュニティ」は壊れてしまいました。
不審なユーザーから見られることを恐れて、いままで情報交換していたユーザーアカウントは軒並みクローズドになってしまいました。
黒澤さんは経営者として、自分の思いを主張する前に従業員や関係者、ユーザーのことも考えて然るべきでした。
しかしながら、本来問題なのは、私達が胸が大きいというだけで勝手に性的に扱ってくる人達です。黒澤さんは今回のことを整理して見直してまた出直せばいいのです。
たった一度、とはいえ大きな過ちなのですから、しっかり見直してやり直すしかありません。一度失った信頼を取り戻すのはとても大変ですが、できないことではありません。
黒澤さんのことを強く責め続けている方は、今一度何が問題だったのか考え直して欲しいです。黒澤さんが強い思いを持った背景には、「胸の大きな人を一方的に性的にみなす人がいる」ことが強くあります。
非難している方は、そのような目線になったことはありませんか?非難をする前に一度、胸に手を当てて考え直してみてください。そこがこの問題の発端です。
改めてお伝えしたいのは、企業としてのハートクローゼットからの情報発信を待っているよ、ということです。
以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリアの棚卸しになる。
退職の背景などを述べて結びとする。
K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。
特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業やNPOなどからK市に採用された特定任期付き職員(全員が部長級以上)だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。
私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから。副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。
いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業の活性化を担当した人も、福祉関連事業の効率化を担当した人も、庁内インフラ設備の刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、数字で証明できるだけの結果を出していた。
にもかかわらず、当人の意に反して、「あなたの任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。私は、以下の成果を確かに達成している。
・手がつけられないレベルの問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長と二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員、犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)を分限免職または懲戒免職とした。一人頭での人件費(職員の雇用にかかる全ての費用。年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。
・面接試験の構造化及び検証手法の確立。これまでは、面接時に予め決まった質問を受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(※少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接時評価と採用後査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、職員達と話をしながら作り上げた成果物だ。
・新規採用職員の試用期間内分限免職の基準化。当時のK市では、新人職員が20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員や無能職員が跋扈・放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職の基準を明確化した。その職員が所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合、分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。
さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由に当人の分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。
能力の高低は関係ないのだ。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員、特に市民や企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。
恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長のスカウト(政治任用)により採用されたわけだから、プロパーの職員とは異なるわけだ。トップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。
K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。
庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋や工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内のコンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。
いつの間にか、この町が好きになっていた。高い品質の地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。
さて、さんざんと人事関係の効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。
私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合、民間企業も官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間を組織から追い出すようになる。
その『要らない』が、本当に正しいのか分からないから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織が不要な人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民も馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間がバカにされているのだろう。すると、市役所に最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間もバカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。
人材とか、人財とか、人罪などという経済的な問題ではなくて、理念なのだ。官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会的属性を持った人を、ネガティブな特性を持った人まで含めて、多様性を意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。
例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員の多様性を担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点でしか見ていない。一公僕の恣意的な判断で、ある特定の社会的属性を有した人間を排除している。
もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。採用ミッションとは反対の方向に行くことになる。市長の承認は得られそうにない。が、副市長の承認なら得られたかもしれない――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。
私は間違っていた。最後の最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。
結論:公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上は免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から、可能な限り回避すべきである。
Gさんを覚えているだろうか。
市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女の残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフのスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。
難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社で転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプの公務員だった。私は、Gさんが自らの意思で地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。
私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体に職員をリクルートしたことがあった。
「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」
との問いかけに、社会福祉団体の事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンのモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。
Gさんとは、イベントの時に何度か話したことをきっかけに仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。
「この辛い環境であなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」
それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。
「あ~、疲れた!」
今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子に背中をもたれている。
当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。
一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合、職場の問題点などをブログで暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。
やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反だからだ。行政機関がその気になれば運がよくて処分、運が悪ければ公判請求→懲役刑+罰金コースだ。
私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。
私は、K市の重大な法令違反の情報を握っている。それも3件。もちろん証拠付きだ。うち2件は管理職何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、現市長は退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。私のような木っ端を潰すためにそんなチャレンジをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる(一応、当日記の中に答えの一部が出ている。序盤の方だ)。
しかし、私がこれまでに述べてきた職員や元職員らに迷惑をかけるわけにはいかない。まずいことがあれば何らかの手段で連絡がほしい。該当箇所を修正する。
さて。勤め人だと1日に最低8時間は働かないといけないが、今やっている自由業は、ある意味では24時間労働に近い。個人で請ける仕事も面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。
K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。
私のスマホは旧型のiphoneだ。通信がとても遅い。だから、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できるようになっている。便利な世の中になったものだ。
いつもの書斎で、いつものパソコンで、いつものお店で、コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選ぶ。せっかくの秋晴れの日だ。しかも、この大著を仕上げたときている。就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。
思えば、私の瞳は、最初から画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長データは高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。
背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。
ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。
さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間のコースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。
さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗のメニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。
同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。
しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。
……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまい、うまい、うまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。
私は今、聖なる空間にいる。
いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。
物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。
私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。
そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決め、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。
時間というものの退屈さを感じなくなる。すべての苦悩はなくて、軋轢も恐れなくなり、失敗の恐怖も感じなくなる。記憶の世界に、全身全霊で移り棲んでしまうからだ。
記憶の世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖な存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。
残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。
「アスミさんはすごいな」
「なにがですか?」
「そんなことないです」
「そんなことあるって!」
「ないです」
私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。
初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。
「アスミさんは、お店じゃなくて個人のメニューはあるの? 意味、わかるかな」
「ないですけど、できます。やってみたいです」
「いくら?」
「……」
アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10分ちょっと。
颯爽と、キリのいい数字を提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。
そして、私がアスミを知り終えると、残り時間がゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。
「アスミさんは、この仕事に向いているね」
「ありがとうございます。また呼んでください」
「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」
「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」
「えらいね」
「えらくないです。だってこんなの」
「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」
「そうなんですか!?」
ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。
「さて。社会福祉活動の実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます」
「……その心は?」
「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」
ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。
しばらく考えたと思われる。口を開いた。
「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」
いい子だった。また会ってみたい。
P.S
この日記の第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。
・元副市長は、市内の機械部品メーカーの取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。
・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職は管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。
・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。
・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。
この日一番の爆笑が起きたのは、ネタが全て終わり、フリートークも締めに入った午後8時前だった。
オズワルド、ダンビラムーチョ、ラランド、素敵じゃないか、エバースの5組がそれぞれネタを2周するライブ。ちょうど「M-1」2回戦が終わり、いずれも通過を勝ち取った5組。その勢いをかってか、どのコンビもウケている。ラランドの2周目のネタ「SP」が個人的にはヒットだったが、初見のコンビも含め、じゅうぶん楽しめた。
ところがネタが終わってフリートークに入ると、交流の少ない芸人同士が多かったらしく、ぎこちない時間が進む。オズワルド・伊藤が気合いでMCを回し、ラランド・ニシダが無茶な仕掛けに出てどうにかオチを付けるなど、綱渡りとも言える時間が続く。ちなみに、ニシダが勝負に出た際のサーヤの見守り方、あの満面の笑みがとても良い。根本の部分で価値観を共有している2人なのだなと(当たり前だけれど)思わされる。
ネタパートに比べると、ややパワーダウンして幕を下ろすかに思えたその時、そうした空気を察した演者が最後の大勝負に出る。オズワルド・伊藤が素敵じゃないかにラップバトルを仕掛けたのである。ビートを買って出たのはダンビラムーチョ・大原。床に寝そべった不思議な態勢で、ボイパとも言えないような、独特なビートを歌い上げる。この時点ではほとんどの人が何の曲か気付いていない。
そして伊藤がたどたどしくもフリースタイルをかます。ディスの内容をおおざっぱに言えば「『素敵じゃないか』のどこが素敵なんだ?言ってみろよ!」という王道な内容だ。そして攻守が移ろうとしたその瞬間。寝そべっていた大原がビートに乗ったまま、「知らざあ言って聞かせやSHOW」と自ら朗々と歌いあげたのである。
割れんばかりの拍手と笑いが生まれたこの瞬間はいくつもの層から成り立っている。まず、流れは仕掛けたのは伊藤と大原だろう。なぜなら伊藤のディスが「知らざあ言ってきかせやSHOW」というアンサーとかみ合っていないと成立しないからだ。もちろん、「水曜日のダウンタウン」でもおなじみ、バラエティーの王道「お前が歌うんかい!」の構図にもばちっとはまっている。
そしてこの「知らざあ言って聞かせやSHOW」は、TOCONA-Xという愛知出身の伝説的なラッパーによる、いわゆるヒップホップアンセムの一つだ。ラップバトルの際にイントロがかかるだけで聴衆が沸き立つような名曲はいくつかあるけれど、その代表曲と言っていい。彼が死んで間もなく17年がたつが、ジャンルは変われどフレーズが受け継がれ、彼の死後に生まれたであろう高校生の観客さえもが声を出して笑っている姿には、感動せずにはいられなかった。
そもそも「知らざあ~」というセリフ回しも、歌舞伎の台詞から引用したもの。ジャンルを流転しながら、その言葉や「いき」の精神が受け継がれる現場の最新形を見た気がした。
ネタを書く漫才師とネタを書かない(書けない)漫才師問題とかってあるんだけど、
モテたいとかケンカ最強になりたいとか、(勉強とか運動とかで)一番になりたいとかの同列にクラスで一番面白いやつになりたいって欲求があるじゃない?
俺はその欲求に従ってひたすら笑い王になるべく皆んなを笑わしてたんだよ。
もちろん中学生の笑いだから文字通り子供騙しで裸になるとかそんなやつな。
でも努力の甲斐があって、中1ではクラスで一番面白いやつ。中2では学年で一番面白いやつ。中3では学校で一番面白いやつとステップアップを果たしたいった。
ああ、誤解される前に書いておくと、おもろいおもろいと人気者だったけど、もちろんメチャクチャ嫌われてもいたよ。
それはそれとして、みんなオモロいといってくれてた。
でもさ、やっぱり満足できないんだよな。
ネタが面白いわけではないんだよ。いや、フリートークとかも出来るし、増田くんなんか面白い話してよと言われて5分後にはオチで爆笑でぴったり授業の開始時間とか出来たよ。でもそういうことじゃない。
結局、俺のはただパフォーマンスなんだよな。
同学年にネタができる奴らがいた。
いや爆笑の度合いでいけば俺の方が笑いをとる。
文化祭でそのコンビと出し物でガチンコ対決みたいになったときも俺の方が笑いをとっていたと思うし、
でも違うんだよ。笑いの意味が違うんだ。
それがなあ中学のときは通じるやつが周りにいなくてつらかった。
わかってるのは俺とその漫才師のネタ書いてるやつだけなんだよ。
俺の方が上だよな?
なんでもいいけどよぉ
オリンピックのスケボーは世間では好評だったが正直俺は受け付けなかった。あれでスケボーへの見方は確実に下がったな。
将棋の解説は男女二人とも高水準というか両方ダメってことが少ない。だけど同じプロなのに感想戦の打ち手たちのボソボソっぷりや上手く質問を解してないような受け答えはかなりむずむずする。一戦交えた後だし短時間だからまだいいけど。
甲子園なんかはもう解説は居ないことにしてる。どうせ低めに集めたいですねぐらいしか言わん。誰でも発言パターンが少ないからアナウンサーだけ聞いてる。プロ野球中継なんてただの引退選手の受け皿だろ。
ラグビーはいいよ。かなりいい。素人だけどわかりやすい解説してるし副音声側の解説も丁寧でわかりやすい。
がらっと変わるがマジックザギャザリングの解説がひどい。いやほぼ全員非常にいいのだがそれゆえ一人だけ非常にわるい。
八十岡翔太、お前だよ。ほかの解説組は大会を盛り上げようとトークをがんばってる。盤面のみならず環境やフレーバーに触れつつプロレベルの思考トレースを見せてくれたりする。しかしコイツは終始ローテンション。個人配信も同じ調子。そういうキャラで売ってても別にいいしプレイヤー実績は文句なしだけどよ、お前が居ると場の空気が悪いよ。複数人の解説がローテーションする大会でお前が解説になると「ハズレ」だよ。ほかの組み合わせは二人で盛り上げてるけどお前は相方ががんばって盛り上げるも意に介しない平坦なテンションで空ぶってるよ。解説のときもフリートークのときもカードのパワーの視点でしか話さねぇ。なんでこのメンバーにこいつが混じってるのかマジで意味がわからん。テンションのレベルをそろえろ。公式は統率者戦ではデッキパワーレベルをそろえろと言ってるだろ?解説もそろえろ。プロリーグクラスで解説引き受けてくれる人でもう少しテンションが高いやつは居ないのか?どんだけ陰キャ集団だよ。いや、代役はいいや。ヤソを抜いた残りで回してくれたらそれでいいわ。紙の大会配信自体から日本語解説に不満はほぼないけれどこいつにだけちょくちょく水をさされる。まああれだな。排斥はよくないわな。ヤソくんは周りを見渡して解説を辞退してくれたまえ。君にはたくさんファンがついている。押しも押されぬトッププレイヤーだ。界隈が盛り上がり新規の入り口になるかもしれない大会配信からは身を引いてじっくりと腕を磨いてくれたまえ。
荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画が話題になっていた。漫画家クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的な出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。
受け止め難い理不尽な出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー。主人公たちが過ごした時間をサイレント手法でリズミカルに描くことで、読者を、他者の感情の解釈や理解へと誘う力強い漫画だと思い、紹介しました。
ここで割愛した評の一つが、加害者のキャラクター描写についてでした。サイレントでも感情が豊かに表現される主人公描写に対し、加害者は悪魔化・患者化された記号として登場し、その背景は描かれません。もちろん、加害者の実相が主人公に理解可能かどうか、あるいは物語時間の中で必要な情報が取得できるかなど、物語の制約上の限界がそこにはあります。それでも、悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、本作がモデル漫画であるか否かに関わらず、幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見を助長する可能性は気になりました。同様の指摘は、複数の精神福祉関係者が行っています。
作中では犯人像について詳しく語られておらず、あくまでメディア上に提供された定型的な警察発表のみが紹介されています。主人公の浸る仮想or空想世界での犯行シーンは、実際におきた風景の再現にあたるものなのか、あくまで警察発表などの断片情報から作られた主人公の想像上のものなのかは、解釈に委ねられています。個人的には後者であるという理解です。そのため、作品そのものが「特定の病名について断定的な描写を行なっている」というより、「定型的なメディアの事件報道を描き、またそれを元にイマジナリーな加害者像を作り上げる主人公を描いた」という構図だと捉えています。
このような描写が、特定の精神疾患群に対して、「対話不能な凶悪犯罪者」であるというステレオタイプ的な読解を生み、補強しうるというのは、その通りだと思います。作中の描写が、「従来の事件報道が各種疾患へのステレオタイプを拡散してきたことの再現」であり、主人公もそのイメージをトレースしているからこそです。
そのことについての批評的注釈を割愛し、「ひとまず読む」ことを推奨するだけでよしとした判断の背景に、疾患に対する無理解や鈍感さ、語り手としての怠慢があるのではないかと言われれば、そうなのだと思います。僕のラジオ経由で漫画を知り、漫画を読んだということは、僕の発言に一定の信頼をおいてくださっていたのでしょう。それが不意打ち的に、当事者性ゆえの脅威を強く味わうことになったのは、僕の言論の責任だと思います。
なお一部のブクマやツリーでは、元増田氏の投稿に対して、疾病名に絡めて嘲笑するものも多くありました。そのような非難には賛同できません。また、面白い作品、読むことが強く勧められる作品であると感じたからといって(実際、「ルックバック」は優れた作品であると思います)、その作品への懸念や批判を一括して否定する必要はないでしょう。優れた作品も、推敲可能性が常に検討できますし、読者との応答を通じて描写が変化することもあります。「このようなレスポンスが確かにある」ということが読み手間で交わされることもまた、作品に対する同時代的な注釈にもなります。
*
ところで、同趣旨で荻上(および杉田俊介氏)を名指しする投稿は、ツイッター上の @YANA1952 ( https://twitter.com/YANA1952 )氏のアカウントでも行われていました。追記部分では、元増田氏とツイート主は同一人物であるように読めます。実際に @YANA1952 氏は、最初の増田投稿の17分後に、追記とされる増田については、投稿1分後に、ツイッターでそのURLをリンクしています。
@YANA1952 というアカウント名には見覚えがあります。以前は「矢那やな夫」( @YANA1945 )と名乗っておられたのですが、その後「障害者雇用の働き方」という名前に変わっていました。昨夜までも同アカウント名だったのですが、今日になって、IDを @CHL1952 ( https://twitter.com/CHL1952 )に、名前を「障害者雇用で働く人」に変えられました。
IDの推移
リネームが続いておられるので、 @YANA1952 宛、あるいは @CHL1952 宛にリプライした場合、再度リンク切れになってしまう可能性があると思い、増田にてレスポンスすることにいたしました。ウェブ上のテキストのみのコミュニケーションであるため、元増田氏、ツイート主含めて、どこまでその内容が事実であるのか、その当事者性がどういうものなのか、僕にはわかりません。ただ、特定の投稿の真偽や有無にかかわらず、補足・応答の必要は感じていたため、こちらに投稿したいと思います。
https://twitter.com/torakare/status/1417636459775811591?s=20
ある人間類型を眺めていて、一体何が起こっているんだろう、と考えている。
何人かいるのだ。「絶対的に自分が正しい」と他人を排撃する人間が。そして共通して、正しい、正しくない以前のところでバッティングしていることに気づかない。そのため、彼らの言葉は他者に受け入れられない。そして次々に居場所を失う。
どこがバッティングしてくるのか。自他の境界、他他の境界。そんな感じだろうか。
彼らの言動を観察すると、すぐに他者を括る。そしてそのカテゴリ内の人間の思考を同一視する。この段階では、自分と自分以外と言う形で、世界がくくられているのかな、と思っていた。
が、よくよく言動を追うと、違う。彼らは他者の思考を断定する。その断定の基準を見ていると、驚くほどこちらから見るその人物の思考基準のようなものにしか見えない。
サボりたいんでしょ?
有名人にでもになりたいの?
→まさにあなたの行動だよね?
ちやほやされたいんでしょ?
そうすると、彼ら彼女らの中には、そもそも「個々人の感じ方考え方は違う」と言う発想すら存在しないのではないか、と思えてきた。
思考の内容はともかく、思考をなすルートは自他で同一。自分だったらどう思うか、のみが他者に対する判断基準となる。
となると、人間判断はこうなるだろうか。自分、自分にYESの他人、自分にNOの他人。あとは、自分を認識していない他人だろうか。彼らが自分を認識していながらYESもNOも抱かない他人をどう評価するのかはわからない。ただ「人間の発想方法が同一」という推論から引けば、ニュートラル、という評価は生まれづらそうな気もする。
なにがしかの議論を前に語り合うのであれば問題はないだろう。問題はフリートークだ。彼ら、彼女らの発想に自分が興味を示すことと、他人が興味を示すことの差異を、どれだけ見出し切れるのか。
そういった人たちの話に出てくるのは、とことんが自分のこと、自分のこと。他人の話は、「自分の意向に沿う」か「自分に拒否反応を示す」の両極端になる。真ん中を聞くことはめったにない。
他者の交流は、事前によほどのバイアスを受けない限り真ん中スタートとなるわけだが、彼ら、彼女らには、どうにも真ん中が見えていないのではないか。見えていないものは見ない。見れるはずがない。当たり前のことだ。だから彼らにとっては、会話の中で見えてくるYESやNO「だけ」が極大視されていく。
一方、見られていない人間にとっては、自分の関心の外の話をされても、YESもNOも言えない。そうなんですかととりあえず相槌を打つか、興味ないですと断じるか。そのどちらかしかない……いや、知的好奇心の高い方であれば、「お、そうなんですか?」と食いついていけるかもしれない。
そしてこれは、順番に「小YES」「小NO」「特大YES」と認識されるだろう。基本的にはすべてニュートラルな反応に過ぎないのに。
彼らは、「見聞きしたYES/NO」(本当はどちらでもない)に基づき、こちらにさらなる話を展開してくる。YESであれば自分の味方なのだ。NOはこちらに対する敵対行為なのだ。このくらい単純化されているのかもしれない。
彼らは概して、語る場数を踏む。躊躇しないからだ。それは特有の雄弁さを生む。テーマトークでさえあればいいのだろうが、フリートークにおいても話題が彼ら自身と、彼らに対してのYES、彼らに対してのNOしか手札がない。つまり彼らの言葉には、どこまでも「彼ら」しかいない。聞き手たるこちらは存在しない。できない、とすら言っていいのではないか。
故に彼らの批判がこちらの芯を食うことは、ほぼない。彼らにとって聞き手とは「彼らの方を見る鏡像」であり、その鏡像を彼らは「他者」として認識する。聞き手たる自分は、以上のように彼ら、彼女らの語る内容を認識せねばならないように思う。
批判は自己紹介乙である、と言う。ならば彼らをこう語る自分自身の他者を見る目も、少なからず勝手に鏡像を押し付けて語っているのかもしれない。やらないでいられるのか? 自信を持ってうなずけるはずがない。彼らがこちらに彼らの鏡像を押し付ける、と言う考え方は、そのまま自分がまさしく彼らに自分の鏡像を押し付ける振る舞いに他ならないのだ。
次に出会う「彼ら」には、これまで出会ってきた「彼ら」とは少しでも違った対応を取れるようになりたいものだ、と思う。そのための端緒をテキストにあらわした。では、どう振る舞おう。そこをさらに考えていきたい。
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
空気階段の踊り場で話題に出て、何がなにやらよく分からなかったのでネットで検索、そこで大体の概要と水川かたまりが美形だということでパロディ元の2.5次元ファンの心をうっかり掴んでしまったところまで把握した。動画も何点か見た。
結果、女オタクで黒髪長髪好きの私も案の定「キリが好きだなー」ってちょっと色めきだった。
Google画像検索でサラッと調べただけでも女オタクらしい絵柄のファンアートがぽつぽつと見つかる辺り、本当に女オタクからの支持をある程度得ているのだろう。
次にラジオでKOUGU維新の話題を耳にしたのは三四郎のオールナイトニッポンだ。小宮も仲間になったとのことだった。その時の小宮のフリートークの締めで、私は違和感を覚えることになる。
「全くウケなかったけど反響は今までテレビに出演した中で1番大きかった。こりゃきつねも真剣になるわけだ(概要)」
全く笑えはしないのに反響は大きい。それってひょっとして、お笑いではなく2.5次元舞台的な見方をしている視聴者からの反響では?
あれをお笑いとして受け取らないということ。パロ元の2.5次元舞台と同じ受け取り方をして楽しむということ。つまり、KOUGU維新は半分架空のキャラクター群として人気を得ているのではないか。
事実、私はキリが好きだと言ったが中の人のトムブラウンにはあまり興味がない。キリというキャラクターにしか興味がない。彼を本業のお笑い芸人としてはあまり捉えていない。
あー、これ芸人にとっては危ういなー、と思った。
もちろんKOUGU維新ファンの中には完全にあれをお笑いのネタとして捉えている人、中の人込みで好きな人もいるだろうけど、私のような受け取り方をしている人も絶対にいるはずだ。そして、そういうファンはKOUGU維新が終わったり、終わらなくてもコンテンツに飽きたらあっさり離れていく。
もちろんKOUGU維新をやっているお笑い芸人も、その手の受け取り方をするファンが生まれたのは予想外だっただろうが把握はしているだろう。でも、そのお笑いファンと2.5次元ファンの割合を見誤ってしまったら、彼らの今後が難航するであろうことは想像に難くない。
8月15日の放送から、「オードリーのオールナイトニッポン(ANN)」の「チン!」のコーナーのテーマが「グッドトゥース・バッドトゥース」になった。
「こんなリトルトゥースは素晴らしい」というグッドトゥースと、
どうやらANN内のノリや用語が乱用されていることを受けてのものらしい。深夜ラジオのノリや用語がリスナーに乱用されること自体は比較的よくあることで、いままで聞いてきたほかのラジオ番組でも経験してきたし、オードリーのANNの周辺でも今回の問題の前から多少はあった。しかし、日向坂の冠番組(現「日向坂で会いましょう(ひなあい)」)のMCをオードリーが務め、さらにANN内のノリがひなあい内でも多く使われるようになり、たくさんの日向坂ファン(おひさま)がANNリスナー(リトルトゥース)に加わったことで、ANN外でのノリや用語の乱用が増え目につくようになった。
確かにANN内のノリや用語はふさわしい場面で使えば面白い。だからこそひなあいのスタッフはANN内のノリを台本に加えたのだろうし、実際それで番組はより面白くなったと思う(すべてがふさわしい場面で使われていたかは少し怪しい)。(加えて、自分だって、なれるものなら若林(さん)になってひとを笑わせたりアイドルといい距離感で仕事をしたりしたい。)ところが、ANN内のノリや用語がふさわしい場面は意外と少ないし、あったとしても使えば使うほど減っていく。ひとを不快にすることだってある。
後出しの「グッドトゥース」アピールのようになってしまうが、ノリや用語の乱用には辟易していたし、ANN内での若林の発言を聞いてからはひなあいを観ても気が気でないことが多かった。それでも傍観しているしかできなかったが、たどり着いた先がこんな結末でとても悲しい。
芸人はラジオを大切にするひとが多いと聞く。これは完全に想像だが、若林はとくに、10周年全国ツアーへの懸け方やInstagramのプロフィール
を見ても、よほどラジオを大切にしているのだと思う。そう思うと余計に悲しい。
すべてが悲しい。
中止が多かったのもあるけど、感想を書きたくなるほど感情を動かされたアニメが少なかった。
自分の中で良いとこ悪いとこを語りたくなるアニメと、テレビやモニタの前に30分座っておもしろかった!で終わるアニメの差が付きすぎてしまっている。
言葉が出てこねえ。死にてえ。
今期も挑戦して玉砕した。内輪ネタが世間に晒されているという謎の羞恥心に打ち勝つことができない。
ただし自分で書籍版を買っていると耐性ができるらしい。買ってるのもうみんなアニメ化されたけどな。
透くんかわいい。草摩家めんどくせえ。
コピー能力者のぼへーっとした表情いいよね。修正されないでほしい。
あの双子の能力は本来主人公か因縁のライバルが持ってるやつだと思う。主人公の友人に持たせていいもんじゃないわ。
おもしれー女がおもしれー女…されてサクセスしていくのおもしれー。
ソシャゲアニメは下手にメインストーリーみたいなことしないで、あたまのおかしいギャグかkawaiiに徹するのが正解だと思ってたけど、スピンオフじゃない形で本当にそれやってくるとは思わなかった。いやーアニメ最高かよ!このキャルちゃんはCMでやってた消えなさいビームとかやりそうにないな!ヤバいわよ!
……って思ってたのに、終盤で急激にシリアスとかユウキの過去っぽい描写入ってきて、戻りつつあるユウキくんの知能とか、アメス様や突然出てきて重要人物面してる沢城さん(この人とクレープ屋はマジなんだったの?)が語る前世?とか、ペコちゃんに成り代った陛下(キャルちゃんの上司と同一人物?)とか、成り代わりに気付いたらしい騎士団?とか……
どれもこれも出しておきながら、放り投げやがって。ゲーム本編のシナリオ進行の関係とかアニメの尺の問題で決着つけられなかったんだろうなぁって感じでさぁ。それだけ問題山積みにしておきながら、ラストでこれまで通り美食殿の日常続けまーす!は通らないでしょ!なんなの?気になるならアプリやれって販促のつもりなの?
やっぱりアニメでメインストーリーやるとロクなことにならない!返して!美食殿が楽しく冒険して旅先でお友達作ってみんなで美味しいご飯食べる日々を返してよ!
美食殿もさぁ、なんか女の子3人の関係性の濃密さに比べて、ユウキくんはコロ助以外との関係性薄くねえ?ロリシンママの子供が他の二人にもあやされてるだけ感ある。アニメだとマジな戦闘そんなに無かったせいか、プリンセスナイト?だかいう増幅能力の強さというか重要性もあんまり出てこなかったし、何より最終回で謎の沢城姉貴に謎空間に拉致られて謎問答してたせいでペコちゃんとの絆深まりイベントからハブられたからなユウキくん。しかもあの一連の謎シーン、アニメだけだとただの謎でしかないんですけどマジで。謎をアプリの販促にするな。
とはいえ中盤のゲストヒロインが出てくると「あっ!Twitterでえっちな絵が流れてくる子!」「カカポがぐるぐるする幼馴染エルフママ!」「いつも孤児院の経営資金を盾に関係を強要されてるママ!」みたいになるのは楽しかった。これだから有名ソシャゲのアニメ見るのはやめらんねえぜ。でもエアームドは遂に出てこなかったな……じゃあなんだったんだアレ。
そういえばゲキテイっぽい曲って発注を受けて作られたゲキテイっぽいOP、これイントロはすごくゲキテイっぽいけど、他はそれほどゲキテイでもなくね?これなら作編曲者が違うセキレイの方がゲキテイだったと思う。まあ今期一番ゲキテイなのは新ゲキテイだったんだけども。
改蔵や絶望先生での、ぐるぐるまんがから抜け出して一気に衝撃的なラストに向かう構成。このラストに向かう部分の高い構成力を全編に効かせたのがせっかち伯爵と時間どろぼうだったはずだけど、あまりに分かりにくすぎた。天魔読者・ゴラク読者に次いでIQの低いマガジン読者が、先週より前の話など覚えているわけがないのである。まして単行本を買い揃えて時系列考察するなんて、サンデーからついてきためんどくさい信者くらいなものでしょ。
それを踏まえてのかくしごと。単行本で姫18歳の話を描くことで、最初からこの話が終わりに向かっていることを提示している(ぐるぐるまんがではない)。また時間軸も過去と未来の二つだけを描くことで、まだらのように入り交じっていたせかどろよりもずっと分かりやすい。連載的には10歳→18歳と時系列順に進むので、これまでの久米田まんがにありがちな構成にも見える。
こうした構成手法のほか、可久士に作者自身の漫画家としての実体験らしきものを盛り込んでいたり、クラスメイトの子が絶望先生で見たことあるデザインだったり、全体的に久米田康治の漫画家人生総決算的な作品に見えなくもない。スタジオパルプも1巻読んだ限りでは改蔵メインのスターシステムだしなぁ……あ、そういえば生前葬も済ませてるな先生……。
しかし親子エピソードで泣かせてくるのズルいよな絶対泣くやつじゃん久米田の野郎……って前々から思ってたけど、アニメがちゃんと原作通りを通った上の映像化で破壊力増してると、こんなの原作読んで知ってても泣いちゃうに決まってるじゃん卑怯だろ久米田の野郎!
よく「原作通りならアニメにする意味がない」と言われるけれど、これを見ろ!原作通りを通ったのにアニメになった意味がちゃんとあるぞ!
単行本ではカラーページ(描き下ろし)の18歳姫ちゃんがモノクロページ(本編)のお父さんを思い出す構成になってるのを、エンディングを『君は天然色』にして表現してくるのは、なかなかにアクロバティックな手法。これ漫画だとお父さんがモノクロページの記憶しか持ってないところから、最後にカラーになるって感じかなぁ。それだけにアニメ最終話で『君は天然色』が流れなかったのは残念。
監督のインタビュー読んだら、原作読み取り能力すごく高くてびっくりする。それー!分かるー!って何度も言った。漫画をそのまま映像に起こすとどうしても足りないはずの情報を漫画から抽出して、最適な手法を選択してアニメとして再構築している。言うは易いけど、これできてるアニメなんてあまり無いぞ。あるべき「原作通り」の通り方。気軽に見習えとは言えない。
アニメ・原作共にかつて育ってダーリン読んでた俺に教えてあげたい傑作……だといいなぁ。もし原作単行本の描き下ろしで引っくり返ったらどうしてくれよう。
この番組、Vの人とかダテコーアニメ(ラジオ)に絡めて分析する向きもあるんだろうけど、そんなことよりこのナナニジ知ってるけど知らないんですけど!!!
藤間はなんなの?可愛い顔から可愛くない屁理屈がどんどん出てくる可愛い生き物なの?
それからつぼと神木ちゃんがヤバいね。TVアニメにはまだいなかった組だけど、個性強過ぎるでしょ。最初からみかみんクイズで異空間発生してるのヤバすぎる。理解が追い付かない。なんだよクイズでそれもマルとかちょっとブーとか。中の人が出てる割りラジのフリートークでも謎の時空が発生してた。んふふって笑い声に時間が飲み込まれていく。つぼはギャル……かどうかは分かんないけど、激おこキャラは継続してほしい。
あと一番衝撃的だったのは相田ね。じゃない方、ゴールデンのバラエティにあんまり出てない方だと思ってたけど見方が変わった。こないだの討論であかねちゃんとリーダーに流れ弾でボッコボコにされてたの面白かったし、その前のナナオン回で滝川ちゃんの片手プレイ見破った理解者ムーブも良かった。やっぱりアイドル番組のMC任される芸人って遅刻はしても実力あるんだな……。
企画としては企画プレゼンと丸山対全員クイズとお料理と討論とつぼジェットコースターと怒り共感プレゼンが良かった。ほぼ全部じゃねえか。
まだまだ続いてるからみんな計算中見てくれ。Abemaでも配信してるから。
文字数が多かったので途中で切れてた。
https://anond.hatelabo.jp/20200706082348
に続く