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はてなキーワード: 優しい言葉とは

2018-11-11

増田のみんなは優しいね

もちろん、全員がそうではないかもしれないけど

優しい言葉が来たり、自分意見を書いてくれたり、オススメを教えてくれたり、ちょっと救われる時がある ありがとう

2018-11-05

anond:20181105200741

優しい言葉ありがとうございます

自分コンプレックスがある分、もし子供が産まれたとしたら人並みの経験はさせてあげたい気持ちが大きくて。金銭面で余裕がないのは極力避けたいです。

自分気持ちも言わずに待ってるだけなのもダメですよね…分かってはいものプライド邪魔して演じてしまます

2018-10-31

韓国徴用工に優しい言葉かけたらええやん

彼らが戦争被害者なのは事実じゃん。だからお金も払った。それと請求権があるかは別ってだけでさ。な・の・になんで日本人お得意の二枚舌ができないかな。自民党しっかりしろ日本国戦争反省し、その意志被害者の方に寄り添うものあーる。URあーる。とか言っておくのが外交じゃないのか……?実際に賠償するかは日韓政府の水面下のアレコレで決まるんだし。なんで脊髄反射しとんねんって思うわ。こんなん国際社会から見たら日本も幼稚に見えてしまうやん

2018-10-18

anond:20181018053609

優しい増田ありがとう

自分就職先見つけられたのは完全に運だった。タイミングだったと思う。

今は信じがたいかもしれないけどら増田もいつかそのタイミングがくる。辛いし大変だと思うけど少しずつでもゆっくりでも挑戦することをやめないでほしい。意外と手を抜いても大丈夫だったりする。

人の気持ちがわかってその上で優しい言葉をかけられる増田幸せがありますように。

なんか上から目線みたいになっちゃった……。ごめんね。

2018-10-17

Twitter推しユーザーとの距離感が難しくなってしまった

 顔も本当の名前も知らない。でも、話していることや文字から伝わる人柄に無意識に惹かれることがある。

 本の作家記事記者のような存在に対して感じる気持ちを、私はあるTwitterユーザーに抱いている。

 まず、私自身のことを述べておく。

 主に二次元作品を好んでいるオタクだ。現場もちょくちょくあり、日々好きなコンテンツのことについて見たり聞いたりして人生を充実させてる、よくいるタイプの奴だ。

 ただ、周りに同じ趣味を持つ人がいない。周りの友人の好きなコンテンツが(次元的に)真逆であることが多く、普段好きなコンテンツについて話すことがあまりないので、Twitterは「自分と好きなものが同じ人の呟きが眺めるもの」として利用していた。

 そんな時に上記のような方、いわゆる「推しユーザー」に出会ってしまった。

 きっかけは、その方が描いたイラストだった。

 自分の好きなキャラを描かれている絵を見かけて「素敵な絵だな」と思い、推しキャラが同じならまた見れるかも、という位の気持ちフォローボタンを押した気がする。

 それからその人のツイートを見てみたら、どえらい面白い!!

 めちゃくちゃ面白かったのだ。

 自分にはない言語センス自然文体だけど伝えたいことがバリバリ伝わってくるツイート。絵がお上手な方はツイートも達者なのか!?と思ってしまうくらい面白かったのだ。今までフォローしていた方のツイートも好きだったのだが、その方のは何と言えば良いのか…なんかすごくツボにきたのだ。

 それから、その方のツイートが流れてくる度にちょっと嬉しい気持ちになった。

 さらにその方は、親しみやす雰囲気からか、よくTwitter上で他ユーザーさんと会話をしていた。その様子がタイムラインに流れてきたときも、楽しそうな雰囲気を感じて無関係自分暖かい気持ちになっていた。

 漫画みたいな例えをすると、憧れの人の様子を物陰から覗いて見ている気分だった。

 だが、Twitterであるもの流行し始めたことがきっかけで、私の気持ちが揺らいでしまった。

 質問箱やマシュマロといった、匿名メッセージサービスだ。

 なんと、それにメッセージを送ると設置者に匿名メッセージが届くのだ。

 友好的なその方は、是非にと、その箱を設置してくださった。普段話したりしない人からコメントも歓迎している旨もツイートしてくださった。

 最初、私はそのサービスを知って凄く嬉しかった。

 その方がメッセージに回答しているのを見たり、自分から質問やその方のイラストが好きだといったメッセージを送ったりするのが楽しかったし、その方との距離が少し近づいたような気持ちになった。

 今振り返ってみると、ここで少し「あれ?」と思った。

 匿名サービスあくまでもこちら側は匿名で送っている。だから、受け取り側からは、誰が送ってきたのかは基本的に分からない。

 でも、送り主からしたら「自分相手」が成り立っているような気分になってしまうのだ。実際の自分は、実態を持たない霧のようなものなのに。

 そりゃそうだ、だって自分が送った内容がどんなのかは知ってるから。だから自分メッセージとして認識している。

 何回かメッセージを送っていた当時の私は、いつからか眺めているだけで満足出来なくなってしまっていた。

 そして、思ってしまった。

「見ているだけじゃなくて、話をしてみたい」

 と。

 単に一人のユーザーとして関わってみたいだけならまだ良かったのかもしれないが、匿名サービスという段階を経てしまったせいで、勝手こちらは相手に対して親密な立場になっているのではないかという幻想を抱いてしまったのだ。相手からしたら、全然知らない人なのに。

 そのことに気づけていなかった私は、後悔をする出来事を起こしてしまった。

 先述の通り、私が好きなコンテンツ現場(イベント)が定期的に行われているジャンルだ。

 色んな媒体で盛り上がる系のコンテンツにハマったことがないので分からないのだが、ファン内でしばしば(どちらかというと主観的な)暗い話題がされていることもある。

 私は閉鎖的なオタクなので元のツイートが届くことは(運良く今までに)ないのだが、その方には届いてしまっているらしく、その話題について悲しんでいることがよくあった(そういう話に対して肯定的姿勢でないところも良い人だな…と思う)。

 それがたまたま続いてしまった際に、このようなツイートを見た。

「近頃悲しい話ばかりで寂しい。もっと楽しいことを言って欲しい」

 その時に、私は行動を起こしてしまった。本当なら、物陰から覗き見しているような私でなく、その方と親しい方がアプローチしてくださるのを待つべきだったのに。

 匿名サービスを使って、励ましとその方への感謝気持ち文字制限ぴったりになるくらいの分量で送ってしまったのだ。

 普段近くに話す知り合いがいないから、深い事情は分からない。

 でも、私はあなたイラストが好き。

 普段話しているツイートも好き。

 あなたイラストや呟きが私のエネルギーになることも沢山あった。

 こんな感じのことを送った。今思うと重すぎる。あまりに重すぎるラブレターだこれ。しかも我ながら、匿名なのめっちゃたちが悪い。

 これでスルーしてくれたらまだ良かったのだが、その方から返答が返ってきた。

 そこには、そのメッセージが嬉しかったということが書かれていており、まさかの返事に私は舞い上がってしまった。

 思わず追加で送ってしまった。そしてこれが、私の後悔である

「いつか現場でお会い出来たら、感謝気持ちを直接言わせてください」

 送った後に気がついた。

 これは、送ってはいけなかった。

 匿名であることで敷居が下がったから気軽に書いてしまったけれど、これはこのサービスを通して書くことではなかった。

 そんな私の気持ちとは逆に、その方は「こちらこそ是非」といった優しい言葉を返してくれた。誰かも分からない私に対して。

 それが、すごく申し訳なく感じてしまった。

 ここでの後悔は、匿名であるにも関わらずその方へ近づこうとしてしまたことだ。

 せめて、リプライをする勇気を持てていたら、こんな気持ちにならなかったと思う。

 でも、知らない人から急にリプライなんて来たら驚かせてしまうだろうし、やっぱり出来ないというのが心情だ。

 もし今後、本当に現場でお会いする機会があったら、私は「あの時のメッセージの者です」と言えるのだろうか。

 今の私は言えそうにない。

 きっと、話せても「Twitter見てます」くらいしか言えないのだろうな。

 せめて、「あなたイラストツイートが好きです」くらいは言えたら良いな。

 それか、あのメッセージのことだけは、忘れて欲しいと思ってしまっている。

 そんな私は、やっぱり見ているだけの方が良いのかもしれない。

 Twitter推しユーザーとの距離感が難しくなってしまった。

2018-10-15

勇気を出して、電車で胸骨圧迫しようとした結果

1週間くらい前の出来事です。

しばらくは、振り返るのもシンドかったのですが、ようやく気持ちも整理出来てきたので書きます

当方看護師をしておりまして、まだ20年くらい。

院内ではBLSやACLSの講義をしていたりする機会もいただいていました。

さて、その日は勉強会の帰り道でした。

時間は22時くらいだったと思います

帰りの電車、あと少しで最寄駅というところで、すぐ近くで「倒れた!緊急停車!」と大声が。

どうしたのかと思って、近づくと、明らかにヤバい色の顔色不良で明らかに異常な呼吸。引き攣るような、死戦期呼吸みたいだ。

橈骨動脈が触れず、頸動脈はハッキリしない。

数名が必死で座らせようとしていましたが、両肩を叩き、意識レベル確認すると刺激にはほとんど反応なし。

私は「こういう時には、とにかく胸骨圧迫!」と習っていましたし、教えてもいました。

ある日の院内研修の際には新卒の子から質問で「心停止でない方に間違って胸骨圧迫をしてしまっても大丈夫でしょうか?」というお話がありましたがその時の私は"誤って胸骨圧迫をしてしまっても、血液の流れに支障はありません。緊急の場面で、心停止を正確に判断することは困難です。心停止かどうか判断に迷ったら、躊躇せずに胸骨圧迫を開始して下さい。"と説明していました。

参考URL http://www.j-circ.or.jp/cpr/qa.html

ところが、私が寝かせて、「異常な呼吸ですし、橈骨も触れませんから胸骨圧迫を始めます」と胸骨圧迫を始めようとすると、中年男性数名に大声で「いやいや!息してるから!こういう時は心マなんてしなくていいよおー!」と怒鳴られるように言われ、半ば羽交い締めにされるように止められてしまったのです。

すると、もう、私は、その場の空気に飲まれ、なにもできなくなってしまいました。

いや、ただ、私がハッキリと言えばよかったんです。

「これは必要ことなんです。この呼吸、顔色は、きっと普通じゃありません。胸骨圧迫はもしかすると必要いかもしれませんが、メリットデメリットを上回ると感じています。」と。

でも、私は止められたことがとてもショックで、身動きがとれなくなってしまったんです。

それで、何もできなくなってしまったんです。

その場の空気では、まるでとんでもない悪いことをしていたのは私の方みたいでした。




私は、勇気を持って必要なことが出来なかった。

私は目の前で止まる寸前の呼吸をみながら、遠巻きにみているだけでした。

よき援助者であろうと日々を過ごしてきた何十年かが崩れ落ちたような気分でした。

それに、止めた男性の方々はニヤニヤしながら、馬鹿にするような目で(もちろん、被害的な感情が溢れていたので認知が歪んでいた可能性も高いです)私をみているような気がしました。

その時の私は複雑な気持ちが溢れ出して、足がガタガタと震えていました。

「ああ、もう私は病院以外の場所では、もうBLSなんて怖くてできない!」としか思えなくなっていました。

怖い。苦しい。恥ずかしい。

情けない。助けてほしい。誰か。

そんな気持ちが溢れ出していました。

病院ならハリーコールをかけて、先生が来るまで出来ることをやればいい。

でも、ここでは私は何もできない。

「エラそうに院内講師とかしてたけど救急トレーニングなんか意味がないのだ…」とその時は思ってしまいました。


誤解されそうですが、私は止めに入った方々を非難しようとしているわけではありません。

彼らは彼らの善意に従って必死に行動したのです。

それよりも、何よりも、私は、私自身に強い嫌悪感を感じたのです。

それは久々にかなり気持ちの芯に響くようなダメージでした。





…そんな私の支えになったのは、同業者パートナーや友人、オンラインでのお知り合いからの声かけでした。

この場を借りてお礼を申し上げます

本当にいつもありがとうございます

(ここからじゃ届かないかな)

(ちなみに急変された方はなんとか微弱な呼吸を維持しながら、抱えられるようにして電車を降ろされるところまでは確認しました。)

(胸骨圧迫がその方に本当に必要だったかどうかはその時点ではわかりません。)

(繰り返しになりますが、私は止めに入った善意の方々を非難する意図はありません。)




さて、救急現場救急車が到着するまでの間に偶然現場居合わせた者をご存知の通りバイスタンダーと言います

"バイスタンダーが一次救命処置実施した際のストレスに関する検討"という調査では、その結果として「多くのバイスタンダーがさまざまなストレス反応を経験していた。また,その体験他者に話して,自分気持ち理解してもらいたいと考える者が多かった」と述べられ、また結論としては「BLS 教育において,BLS 実施によるストレスとその対処法に関する教育考慮する必要がある。さら対策の一環として,相談を受けるシステムを整備することが有用であり,急務であると考えられる」ということが考察されています

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsem/16/5/16_656/_pdf

その他にも、"航空機内での心肺蘇生実施により心的外傷を負った1例" 総合病院国保中央病院神経精神科 大塚祐司(宇宙航空環境医学 Vol. 44, No. 3, 71-82, 2007) http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/08/cprtrauma.htm

では、読むだけ胸が苦しくなるようなCPRの描写がされています

私の体験は、航空機の事例に比べれば、些細なことだと思います

今の私は、みんなに優しい言葉をかけてもらい、聞いてもらい、気持ちもあの時に比べれば落ち着いてきました。

今は、"自分がまたいつか急変の現場に立ち会って「BLS必要!」と思ったら、どこででも出来ることをやらなくてはならない。それは「自分が傷ついたような気持ちになったか放棄していいもの」ではない。むしろ、誰でもやるべきことだ"と思えています

でも、その時は本当に怖かったのです。

あるいは、それは集団における正常性バイアスなのかもしれません。

次の院内研修では、絶対にこの話もしようと思います

こんなに情けなかった私の話を。

それはきっと、誰かの役に立つと思います

私の怖い気持ちを伝えることにはきっと意味がある。

自分ができることは何か。

私の役目の代表的ものは、院内で頑張ること。

そして、次に院内外で急変に遭遇した際には、私はもっとしっかりと立ち回りたい。

私とその場の方のためにも

この文章は、そうした決意のために書きました。



駄文最後まで読んでくださってありがとうございました。

寒い季節ですので、どうかどうか、皆さまご自愛ください

anond:20181015140236

ありがとう、優しい人。楽しいこともあるのです。美味しいご飯も食べているのです。ただ、いつまでも病を引きずり続けるこの体が憎くて仕方がないのです。体が不調なことよりも、不調であると感じることがつらいのです。優しい言葉ありがとう。少し元気になりました。

2018-10-14

ピンクリボンなんか糞くらえだ

二十代後半で乳がんが見つかった。

乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。

からしこりがあるのも普通だった。

二十代半ばをすぎたこから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、

よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。

巨乳にあこがれて、理想Eカップだったけれど、長い間Cカップだった。

がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。

Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、

しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。

私は医療系の国家資格を持っている。

きちんとした専門の大学に行き、大学院にも通った。

大学院の同期と後輩で海外旅行へ行った。

自然乳がんの話になり、乳がん肉まんの中に梅干しタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。

肉まんの中に梅干しタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。

実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。

のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しタネに触り心地がそっくりだった。

彼女たちは触らず、微笑みながら言った。

帰国したら検査してみなよー、安心するよ。」

帰国して約一か月、土曜日トイレぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。

スマホ検索して、土曜日受診できる病院電話を掛けた。

何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。

電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。

しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」

まりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。

予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。

仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。

マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。

それにしても痛すぎるのではないか

それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。

しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。

検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときパニックになりそうだった。

こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、

痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。

しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。

自分名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。

大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。

若い女性にはマンモグラフィーよりも、エコーが良い。

そういう知識は持っていた。普通会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。

エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。

医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。

良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍デコボコしている。

そういうことも学校で習った。

その後二か所の細胞診をした。帰りに次回受診の予約をした。

これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。

いつも私は自分のことを病人にしたがってしまう。

から大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。

それでも不安がぬぐえない。どう考えても悪性の要素しかない。

医師の友人に連絡をとった。

友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、

安心させようと、大丈夫大丈夫と返してくれた。

エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。

最終的には検査結果を待とう、としか言ってくれなくなった。

当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種コンバートされていた。

それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく

新しい職場単身赴任おっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。

残業中、ふと個人携帯に着信がある。

登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。

電話細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。

結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。

人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社非常階段で受け取った。

診察室で細胞診の結果を見た。

まり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。

検査施設からつけられたコメントにも『陽性』と記載がある。

確定診断のための検査は、もはや簡単な手術だ。

バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもの組織を吸い上げる。

局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。

検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。

色々な説明を受けた。

詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ予後タイプによる治療方法の違いや色々。

がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。

先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。

「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。

大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。

簡単にいうと、乳がん治療薬に対して感受性が良いか治療やすタイプだ。予後も非常に良い。

その時は、結果に対して良いことだと感じた。

しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。

術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療ホルモン療法をする。

卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち

抗がん剤を入れるタイミング分子標的薬の点滴もする。

手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので

自分脂肪筋肉移植する方法選択した。

術中にすべてが終わる、同時再建となる。

私の乳がん治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。

予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。

若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。

抗がん剤は元気な細胞ダメージを与える薬だ。

元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやす新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。

2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。

それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。

薬を検索して出てくる副作用は大抵踏み抜いた。

感染症にだけは気を付けていたので治療は滞りなく続いた。

味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。

がん=痩せる、は乳がんには当てはまらない。

病気ストレスでどんどん食べる。抗がん剤副作用吐き気がおさまれば、

副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。

ハゲデブ、年頃の女性にとって最悪の状態になる。

乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。

実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。

普通に接してやっている、と面と向かって言われたこともある。

咳が止まらない風邪おっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。

今考えれば職場環境は最低だった。

病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて

懇願しないと手伝ってもらえない。

離れて暮らす家族も、会社を休むな金を貯めろとしか言わない。

確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。

そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど

最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。

突然健康容姿を奪われてしまって、なおかつ職場家族理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。

抗うつ剤睡眠導入剤が追加された。

手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。

少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。

今計測してもCカップいかもしれない。

それでも医療機関で新しいスタッフ出会うたびにきれいだと褒められる。

執刀医がその分野での大権威だったことは幸いだった。

分子標的剤とホルモン療法は副作用のため途中で終了。

術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。

時期的にはそろそろ寛解といっていい。

しかし体に残るダメージは癒えない。

手術痕はきれいなものの、剥がれた背中筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。

ホルモン療法のせいで腱鞘炎がひどく、手術もした。

この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても

薬指や小指のあたりに力が入らない。

抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。

足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。

ついでに、おそらく不妊症になってしまっている。

私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。

しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。

倦怠感、睡眠障害PMS自律神経失調症気象病

ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。

こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないか彼氏はいない。

そもそもいたこともないので作り方もわからない。

太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。

だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。

人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。

がんそのものでは死なないかもしれない。

がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。

かに抗がん剤はつらかった。

幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。

粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。

ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。

それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。

でも、終わりもないし先が見えない。

次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。

私は次にがんができても積極的治療はしない。

できれば死にたい

お酒たばこもしないので、非難される要素はあまりない。

病気で死んだとなれば、外聞も悪くない。

ピンクリボン活動が声高に叫ばれている。

何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。

でもそうでもない人もたくさんいることだろう。

死ぬよりつらい地獄に引き込まれることもあるだろう。

こういう地獄があるんだよ、と説明することも大事だと思う。

地獄入り口になるかもしれない責任を持つべきだ。

ピンクリボンなんて、かわいらしいイメージではよくない。

そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分病院にかかったか

まり恩恵を受けてはいない。

がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない

でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。

現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。

元気がある人しか声を上げないのだもの

元気がない人にも声を上げさせてほしい。

下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。

からそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。

やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ち毎日を送る羽目になるぞ。

末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。

病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。

長い長い、そろそろ自分乳がん患者と呼ぶのにためらってしま三十路女の独り言

追記(10.15)

たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません

Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます

お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具

物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯おやつをごちそうしてあげて下さい。

回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。

◆母のこと◆

クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。

恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います

今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています

私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。

からと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。

母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。

内弁慶で臆病なおばさんなんです。

ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。

遺伝性のものではなさそうなので、単純に運が悪かったのです。

職場について◆

国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。

ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。

とは言え、どう考えても非情対応をされたことは間違いありません。

もっと貶してください。

叩いて下さい。

あの頃耐えて笑っていた私が報われます

今は優しい人達の多い職場に転勤しています仕事にも人にも恵まれています

泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。

分子標的薬で心不全症状がガンガン乳がんだけに)出ていた最中引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライ職場環境は確実に改善されています

それでも体が辛いものは辛い。

ピンクリボンへの八つ当たり

そうなんです、八つ当たりなんです。

わかっているんです。

気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。

ファッション感覚ピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。

ウェーイしている女子いるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来目的なんでしょう。

ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。

元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。

妬ましく思っても許して下さい。

ネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴しんどいんです。

残っている後遺症のようなもの障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。

不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です

ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。

優しい言葉ありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう

嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。

初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。 

大好きなアーティスト懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。

欲しいものリスト我慢するので、私と彼が結ばれる結末を祈って下さい。

2018-10-11

"生きがいについて――神谷美恵子コレクション" by 神谷美恵子 -

"精神的苦悩は他人に打明けることによって軽くなる。なぜであろうか。きいてくれる相手理解愛情にふれて、慰めや励ましをうけるということもあろう。しかし何よりも苦しみの感情概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。"

http://a.co/hanCD8O

苦しいとき死にたいとき増田に書き殴っていた。優しい言葉をかけてくれる人、暴言を吐いてくる人もいたが、ただただ書くだけでも、一時的にとても心が落ち着くことができた。

鬱との戦いは、時間を稼ぐ事が非常に重要だ。必ず治る。必ず治るから、諦めないで、辛くなったら、どうしても死にたくなったら、まずは増田になにか書いてほしい。本当に何でもいい。あなたの苦しみを、一度あなた自身から分離する事の取っ掛かりになると思う。

2018-10-05

愛して。

わかってる。まずは自分自分を愛せなくちゃ始まらない事は

でも疲れたよ。察してよ。とりあえずおつかい行って来いや。

ごめんこんなゴミみたいな私で。優しい言葉とかヘドが出る。

だってまれから優しさなんて知らないんだもの

2018-10-03

全ては手に入れられなかったけれど

僕はQUEENファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識目標とは裏腹に自堕落受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミ社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部しか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。

早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義いくら受けても、言葉言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれ路地公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功けが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論必須ではない法学部からこそだったと思う。しか就職活動は完全に捨ててバイトサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験大学勉強だけしか知らず、その他は中学生時間が止まっているのでやりたいこと、人生目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会面接で行った会社インターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロ面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験受験した。これがトントン拍子に進んでしま採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的人生スライドさせていくことも、ひとつ人生としてはありなのではないかと思った。

anond:20181003145641

安倍botなんかもそうだったけどな、あれだけ好き勝手暴れてた時にはみんな迷惑がるだけで、誰も同調なんかしてやらなかっただろ

それで全てが終わってしまった後からこうやって優しい言葉をかけようとしたって遅すぎるんだって

弱者憑依ってこういう事だよね。本質的に関わろうとしないし関われないのに「彼もこの腐った世の中の犠牲者なのだ…」みたいな何か言っているようで何も言って無い言葉を加える事で「オレはそいつらとは違う素敵な人間です」と主張するヤツ。

遅過ぎるってのもあるし、根本的にはダシにしているだけなんだよ。下らないにも程がある。

anond:20181003144746

安倍botなんかもそうだったけどな、あれだけ好き勝手暴れてた時にはみんな迷惑がるだけで、誰も同調なんかしてやらなかっただろ

それで全てが終わってしまった後からこうやって優しい言葉をかけようとしたって遅すぎるんだって

いじめられっ子自殺した後になって、やたら神妙な顔してるクラスメイトみたいなもんじゃん、まあこいつの場合自業自得だけどな

だいたい、もう本人は拘置所の中で、わざわざあいつに面会なんかする奴なんかはてなにいるわけないんだから、何言ったって届きやしないのわかってんだろうに

気持ちの悪い奴だよホントにな

2018-09-29

anond:20180929163739

優しい言葉はかけたこともかけられたこともあるが、誰にでも書けるものではないし強要されるようなものではない。

anond:20180929163230

かに優しい言葉を掛けられたことがないか

掛けた人の気持ちがわからないだけなのか

まあそういうこともありますよねー

anond:20180929154045

なんで彼女に(色々理由はあるにせよまずは)

大変だったね

辛かっただろうね

明日はそういう人に遭わないといいね

って言ってやれないんだよ?

赤の他人優しい言葉を嘘と分かってながらかけてやる義理はない。

2018-09-23

発する言葉を聞くよりも、その行動を見た方がはっきりとその人間性がよく分かると思っている。

表面上の優しい言葉を述べられるだけで、事実何もされないのはつらいなぁ。

2018-09-20

無理しないで、辞めてもいいんだよ、なんて

優しい言葉を投げかけてくれる人も

別に養ってくれるわけじゃないし

2018-09-11

妻の裏アカ

 知ってしまっても見てはいけない。これは心に刻もうな。

 数年前、嫁に携帯を使う必要がある頼み事をされた際、マルチタスク画面(バックグラウンドで起動しているアプリの画面が出てくるアレ)を見たときに、ツイッタースクリーンが映し出されていた。

 かなり刺激的な悪口を書いているアカウントツイート一覧ページであり、かなりアカウント名も覚えやすかった事、また、当時は、鬼女系のまとめブログを読むことが大好きだったので、刺激的なそういった内容に飢えていた事もあり、から、頼み事が解決した後で、自分スマホでそのID検索した。公開アカウントであったので、自分も見ることが出来た。

最初旦那死ね。とかそういった書き込みを見ていたが、次第にその内容は、俺と嫁しか知り得ない・遭遇し得なかった内容が記載されていることに気付いた。嫁の裏アカだった。

 気付いた瞬間に、吐き気が止まらなくなり、即ページを閉じた。が、どうでも良いことはすぐ忘れるのに、その内容を忘れることは出来なかった。

 いつの間にか俺は嫁をここまで追い込んでしまったのか。と言う気持ちと、仕事と、休息時間以外の全てを捧げても、これ程辛辣な事を書かれてしまたらこれ以上俺は何を犠牲にすればいいのか。そういった気持ちになってしまい、それから何も手が着かなくなってしまい、仕事ストレスもあり、軽度の鬱状態になってしまった。

 嫁に、鬱になった事を相談したが、今は自分子供の事で手一杯で余裕がないらしい。確かに仕事が忙しく、家庭に負担を掛けていたが、パートナーが鬱になった時も、相談に乗ってはもらえないものだろうか、利己であることは承知しているが、優しい言葉を掛けて欲しかった。

 その後、妻とは、仕事が年単位出張になった際に、別居して、生活スタイルを変えたが、結局は持たず、離婚した。

そして僕は休職をしている。

 あれは希望のないパンドラの箱だ。見てはいけない。

2018-09-01

援助交際してた(追記しました)

当たり前だけどリアルでは誰にも言えないので吐き出し。ただの自分語り

当時中学生田舎暮らしで塾まで晴れてる日は自転車、雨の日は徒歩で通ってた。

自転車15分、歩いて50分くらいのところ。

親共私になにもしようとはしてくれなかったけど祖父が私は勉強は出来るからもっと勉強しなさいってお金を出してくれてたので。自力で通ってたのは誰も送迎してくれなくて、授業が全部終わるとバスがなかったからだった。

田舎から街灯も少なくて暗いんだけど、まあそもそも人通りも少ないし毎回特に気にせず帰ってた。それで、自転車パンクして押して帰ってる日に性被害にあった。

(部活後に着替えずに行ったかジャージだったのによく性犯罪者欲情できるなと今だったら思う)

(強制性交ではなく強制わいせつ程度だった)

当時はパニック状態で、警察に連絡とか思いつかなかった。祖父携帯を与えられていたから、電話するか悩んだけど祖父はすでに寝てる時間だし電話するのは憚られた。結局、いつもより遅い時間に家に帰ったけど、家族きょうだい含めみんな寝てて、わざわざ起こしてまで報告するほどでもないかな?と思ってゆっくり風呂に入って寝た。

ここの思考転換をよく覚えてないんだけど、性被害にあったことを思考整理する中で色々と検索をして、援助交際存在を知った。時期を同じくして、当時仲の良かった友人からお小遣い稼ぎ」として誘いを受けた。今となっては不思議しかないけど、当時の私はそれに了承した。

前述の通り私は中学生だったので、出会い系サイトに生年を偽って登録したんだと思う。当時はgmailとかがなかったので(たぶん)、直メの誘いを受けてサブアド(xxneだったと思う)でやり取りをして、未成年であることを明かして会う意思を示してきた人に会っていた。初回に会う人は安全性担保として、例の友人についてきてもらった(もちろんその逆もあった)。

記憶曖昧だけど、よくネットで言われている隠語?のようなものを使った記憶はない。金額交渉特にしなかったと思う。

場所ネカフェが多かったのかな……。ファミレスときもあった。

何人かと会ったけど、ある特定の1人と長く続くようになった(私も友人も)。これも今考えると信じられないんだけど、場所相手の家だった。挿入はなかった。性器を触られたり、触ったり程度(ローターやバイブは使用された記憶がある)。相手40代くらいの太った男性だった。色白の丸々としたお腹を今でも覚えている。1度の訪問で、1万円もらっていたと思う。挿入行為は嫌だと伝えていたが、友人は「入れさせてくれたら3万円あげる」と言われて応じた、と言っていた。

両親は私の行動を気にすることはなかったので、私が出かけることにも興味を抱かなかった。半年で5〜6回会ったと思う。ここで私の携帯に、警察から電話がかかってきた。

初めは詐欺か何かだと思い、祖父相談したくらいだった(後から本当の警察と判明し、誤魔化すために落し物の連絡だった!と伝えた)。

私は出会い系サイトに、実住所と連絡先を登録していたので、連絡を受けると同時に、今近くまで来ていると伝えられた。幸い用事はなかったので、指定された駐車場に向かった。

パトカーではないんですね」「民家にパトカーで来ると目立っちゃうからね」という会話をしたことを覚えている。警官は男女1人ずつ、運転席と助手席に乗っていた。友人は近所に住んでいたので、一緒に向かった。

どうしてこんなことをしたのか、警察署に向かう際にきかれた。どうして、と正面切ってきかれるとどうしてか自分でもわからなかったが、友人が「まだバイトが出来ないので」と言ってくれたので、それに同調した。中2の末だったので、志望校を聞かれ、答えると、「そんなに頭がいいのにどうして」と言われたのが印象に残っている。

警察署に着くと、別々の部屋に入れられたと思う。事情聴取を受けたのは、私が出会い系サイト使用たからだと思っていたが(もちろんそれが理由なのだが)、この中に知っている顔はあるか、と4枚の写真を出された。その中には上記男性写真があった。おそらくだが、他の未成年との関係逮捕(?)され、登録サイト確認する過程私たちも呼ばれたのだと予想した。

供述調書を作る過程で、男性とどのような行為をしたかきかれた。ある程度は下敷きがあり、警官が声に出して読み、それに同意反論する形で進行していった(後にも先にも男性器のことを「おち○ちん」と呼称したのはこのときのみである)。

どれくらい時間を要したか覚えてないが、暗くなる前には帰れたと思う。記述された文書拇印を押した。

最後に、「もうこういうことはしちゃだめだよ、勉強がんばってね」と男性警官に言われた。

このことは友人との間では禁句になっていた。お互い誰にも言わないようにしようね、解散するときにそう約束した。

それで忘れようと思ったが、翌年、第一志望の高校合格し、当時のことを強く思い出すようになっていた。

私は住んでいる都道府県進学校に2時間程かけて通っていた。田舎にいるとき意識したことはなかったが、進学校に通う人たちは家庭環境や、親の職業からして住む世界が違うな、と痛感することが多かった。私は1回のお手伝いで10円のお小遣いをもらう生活体系だった(ほぼ全ての家事担当していた)が、クラスメイト必要ものがあれば、親に言えばすぐにお金が出て来る状況だった。お年玉没収されていたし、中学とき部活では費用を出してもらえず、祖父にお願いをしにいっていた(そしてそれは高校でも同じだった)。これは中学生ときの話だが、水泳水着を買ってもらえず、量販店で泣きながら親にお願いをするところをクラスメイトに見られたことは今も忘れられない。

家庭環境の恵まれた人たちに囲まれて、中学ときしたことを後悔するようになっていた。精神的な面もあるが、性病も気になっていた。でも検査に行く勇気はなかった。性病の症状をネット検索して、大丈夫、当てはまらない……と安心してはいものの、HIV罹患時の初期症状が風邪に似ている、の文言をずっと気にしていた(接触後1度、風邪をひいたことがあったので。潜伏期間が長いので自覚症状がまだ出ていないだけでは?と不安だった。大学生になり、性病血液検査をしたが無事に全て陰性であった)。

高校行事や、部活大会のたびに友達の親は見学応援に来ていたが、私の親は来たことはないし、もちろん部活費用バイト代で出したし、お弁当自分で作ったし、予備校費用祖父が、在学中に祖父がなくなったので大学受験費用バイト代で出した。ただ生活をしているだけで周りと差を感じることが多かった。お弁当自分で作ってるって言ったとき、周りからは偉い!女子力!と言われたのもしんどかったな。偉いとかそういうのじゃなくて、作りたくて作ってるわけではないし。材料は家にあったものを使ってよかったから、自分で作れば昼食代はただだったので。

大学生の頃、帰宅が遅れるとき、「親に駅まで迎えに来てもらいなよ、きっと心配してるよ」とよく言われたが、その親切心がつらいと感じていた。中学生に夜道を歩かせる親だぞ、そんなの思うわけないだろ、と思いながらも、スマホがあるから大丈夫ですよ!と返していた。

そして、完全に自分のせいでしかないが、色白の太った中年男性が非常に苦手で、そして性行為も好きではない。

中学生とき下ネタもよく言っていたが、高校からの友人にはよく「潔癖」と言われる。部活コーチ上記の特徴そのままで、本当に苦手だった。なにかあった?ときかれると、ちょっと苦手なタイプで……と答えていた。今まで付き合った人は、どう考えても太りそうにない人しかいない。

友達は好きだし、高校からの友人はもう10年近い付き合いになる(もう中学友達とは疎遠である)。でも、親の話も、もちろん援助交際も性被害の話も絶対にできない。受け入れてもらえないと思う。

よく、○○のご両親は?ときかれていた。その度に口を濁して来た。大学の友人も、親がOBOGだから志望した、合格をとても喜んでくれた、と言っていたり、ひたすらに眩しかった。

部活から帰ってきて寝ているところをお腹減ったと叩き起こされることも、何もしてくれないくせに試験が1位じゃないと怒られるようなこともなかったんだろうな。たぶん、よい家庭環境にはそれなりの苦労があるとは思うけど、私がその家に生まれてたらよかったなあと思ってしまうことがあって、つらい。

職場は通えなくはないが、今は実家を出ている。駅からは近いし、自分家事しかしなくていいし、快適すぎて実家に帰る気にはならない。

ただ、祖父に線香をあげに、祖母に顔を見せに節目には帰っている。その際に親に連絡をすると、駅まで車で迎えに来てくれるのだ。別にもう、タクシーで帰るお金はあるのに。タクるからいいよ、といっても、貯金しなさいと言うのだ。

お金がなくて、送迎して欲しかった中学生ときには車を出してくれなかったのに。それをただ、「親が優しくなった」と思うことは私には難しい。

ふと思い立ってこんな時間まで気持ちの整理のために書いたけど全然すっきりしなかったしなに言いたいかからない文章すぎる

終わり

追記

朝起きて(もう昼だけど)みたら優しい言葉も、厳しい言葉荒らし?みたいな言葉もいただいていてありがとうございます

すみませんはてな文化に慣れていないのですが、引用(?)でご自身境遇について語って下さった方もありがとうございます

吐き出しのつもりでしたが、やっぱり話を聞いてもらいたかったんだな、と思ってコメントをいただけて嬉しいです。吐き出しとか言いつつ書いた文章をわざわざ見に来てるの、矛盾してますよね。

リアルでは言えないと冒頭で書きましたが、実際に言ったらどういうリアクションをされるんだろう?とも考えていたので、厳しいお言葉も、暖かい言葉も嬉しいです。私のことを何も知らない方でも優しいお言葉をくださるのであれば、長い付き合いの友人ならもしかすると聞いてくれるかもしれないですよね。まあ話す予定はないですが。

被害意識

前提として、後悔している=被害ぶっているではないということはお伝えしておきます。私は思考の整理の最後に「援助交際」を選んだことを後悔をしているだけで、それは例えば友達喧嘩した後に、あのときああ言わなければよかったなとか思うことと変わらないと思います。「援助交際」に関しては被害者だとは思っていません。刑法上、援助交際を求める側にしか罰則がないので聴取で終わっただけだと思っています提供する側がいないと犯罪は成立しないので。まあ求める側がいるか提供する側がいるとも言えますが。

今1万円もらって同じことするか?ときかれたら即答でNOなので、同じ自分なのに考え方が理解不能だなと思っています

警官とのやりとり

車で来ることはない、とご指摘をいただきましたが、実際にあったことを書いてるだけなので……田舎なので知らない車が来ると話題になってしまうのですが、近くの駐車場で待たれていて、そこに向かった形です。ご指摘の方は警察の方か、よく警察が自宅に訪れられる方なのでしょうか?

車内では無言ではなく、土日のどちらかだったので、部活はやってないの?とか、試験はそろそろ?とか女子中学生が緊張しないように(だと思います)ご配慮いただいたと思っています。早い段階で止めていただき感謝しています。私が高校生のときですが、相手に殺されてしまった学生報道を見て、私がこうなる可能性もあったんだろうな、と思ったことを覚えています

(親に連絡がいかないのはありえない、との指摘をいただきました。盲点でした。もしかすると両親は知っているのかもしれませんね。確かに1度財布の中身を確認されたことがあります。新しい服や書籍部活の用具が増えているのが気になるといった理由でした。祖父に買ってもらったと伝えたら引き下がりましたので、あまり気にはしていなかったのですが、警察からの連絡だったのかもしれません……。

受験システムでの都道府県割れを避けたいので詳細は控えますが、私は内申を利用して高校に進学をしています。なので学校には連絡はいっていないとおもうのですが……)

男性の体型について

同じ特徴の方にご不快気持ちをさせてようで申し訳ございませんが、実際に仕事等でやり取りをする方とはちゃんお話しできていると自分では思っています。苦手意識があるだけで……。例えばみなさんも、派手な服装をした人が苦手、とかそういうのはあると思います。それに近いものです。今の恋人も痩せ型なのですが、たぶん小太りになったら恋人として一緒にいるのは苦痛かもしれないから別れるだろうな、くらいの苦手感です。伝わりますでしょうか。まあ伝わらなくても構わないのですが。

ネグレクト

私自身、そのような認識はなかったのですが、世間からみると当てはまるのだなと思って興味深く感じています。接種すべきワクチンは全て受けていましたし、弟と同室でしたが自室もありました。自分学習机もありました。ベッドは二段ベッドで、弟とジャンケンをして私が上を勝ち取りました。姉がいましたので、お下がりで服もありました。小学生ときまででしたが、家族旅行にも行っていました。3連のプリンも2セット買ってもらっていましたし、きょうだい4人でよくマリパしました。

その観点でいうと、明らかに年代の違うキャラものの服を与えられるのが嫌だった記憶があります(幼稚園の時、姉のお下がりキューティーハニーセーラームーンの服を着ていましたが、私はどちらも世代ではありません)。アニメは好きですが、キャラ印刷された衣類には今でも忌避感がありますとはいえ小学生ときはくまのエイミーちゃん(伝わりますかね……)とメゾピアノの服に憧れていたので、自分でも基準がよくわかりません。今は無地、花柄等の服を好んで着ています

私は姉たちよりも身長体重ともに一回り小さいのと、歳が近いので、中学生あたりからお下がりがなくなり、それが前述の水着等の話につながっています

・親との関係

私も、やっぱり老後は私に見てもらいたいのかなあと思って、複雑な心境でいます家族で過ごして楽しかった思い出もあるので。ただ、炊きたての白米投げつけられてできた痕(文章にするとコントみたいですね)とか、つねられて皮膚がえぐれて隆起してる痕(両腕の内側に多い)とかを見ると色々考えてしまったり、今パジャマにしてるクラスTシャツもみんなは親にお金出してもらってたなあ……とかふと思ったり。テレビ虐待報道を見ると、私は命に関わるようなことはされてないよなあと思ったりもしてしまい、答えがうまく出せません(上記のことが行き過ぎた躾なのでは?ということは高校生になってから周りの反応で気づき、口に出さなくなりました。家を締め出されることは高校の友人も経験があると言っていて、これは普通ことなのだと安心した記憶があります)。

姉姉私弟の4人きょうだいなのですが、姉2人にはあのときは助けてあげられなくてごめんね、と大学生になってから言われたこともあります。今更言うなよとしか思えなかったのですが、きょうだいはたまに泊めるくらいには仲がいいです。私以外は実家にいるので。姉2人は親に大学お金出してもらってるの、笑っちゃいますよね。一応姉たちは親に返金してるみたいですけど、私は利子付きなのにな(笑)って思ったりもします。弟は私とは少し歳が離れていて、まだ学生なのでどうなるのかわからないですが……。

幸い私は勉強ができて、近所には祖父という理解者がいてさら勉強させてもらえたし、奨学金バイトで大学には通えたし、実際したたか就活ではそのことをアピールしたし、無事に社会人として働いているので、どちらかといえば私自身も恵まれている方だとは思っているのですが、今でも過去のことを思い出すので、整理のために書いています面白くもない自分語りをご覧いただきありがとうございます

以上

2018-08-21

増田人間何回目か

人間一回目

 人間ハジメテなんだ!我侭放題!自分のやりたいようにやるよ!

 気に入らなければ攻撃しまくるし、誰かを守ろうという気すら起きないよ!

 とにかく攻撃攻撃なんだよ!


 女性専用車両増田自分の道に何かがあるだけで気に入らないから。

 うんち増田→うんちしか言えない。前世ではうんちを食べていた……フンコロガシではないか

 女は今日も○○叩き→女に構ってほしい増田だよ。必ず構ってくれるから喜んでるね。

人間二回目

 人間二回目なんだけど、まだ我侭なんだよ!

 他者への思いやりは、3年に1度くらいで発動するよ。 

人間三回目

 人間三回目だよ、意外と思いやれるようになるよ!

 我慢が少しできるようになってくるよ。

 猫増田 → 人間になるにはまだ微妙で、猫に戻りたいと思っている。

       時に優しい言葉を投げることも多い為、人間回数は多いとみている。


飽きた。帰るわ。

2018-08-18

半年ちょっと付き合った男性がイキリオタクだった

以前投稿した男性と別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20180404093810

気がすむまで頑張るといいという言葉に妙に背中を押されて、そしてついに気が済んだ。

というより限界がきた。ので別れを告げて離れた。

別れてから言動が酷すぎて、付き合っていた頃のことを色々思い返していたところ、

友人に「典型的なイキリオタクでは」と指摘されたので、気持ちの整理も兼ねて文字に起こしてみようと思う。

私が別れを切り出したのは大きく分けてふたつの理由がある。

ひとつは彼の放つ言葉のきつさに耐えきれなくなったから。

そして彼と彼の創作活動の仲間である女性との関係を穏やかな気持ちで受け入れられなかったから。

遠距離恋愛だったので、連絡はもっぱらLINEでとっていたのだけれど、

彼は自分の考えを遠回しに言うことで曲解されることを嫌がり、自分の考えがいかに正しく伝わるかを1番に考えて発言した。

そのため、モノをオブラートに包んで伝えるとかをしなかった。

私は鬱病を抱えたメンヘラで、人の言葉人一倍重く受け取ってしまい考えてしま性格のため、それがとにかく辛かった。毎回毎回ひどく傷ついていた。

辛いので少し言葉を選んでくれと頼んでも、「曲解されるのが嫌」の一点張りで変えてくれそうもなく、これからもこれが続くのかと考えるととてもじゃないが耐えられそうになかった。

そして、創作仲間の女性(仮にAさんとする)の存在を心穏やかに受け入れられないことを確信してしま出来事があり、別れることを決意した。

以前彼がプライベート用事でAさんを自宅に招き入れたことがあり、

その際に「今後プライベート用事でAさんと密室で2人きりにならないこと(外食などは別にいい)、ただし創作活動に関しては仕方ないとする」と条件付きで約束した。

その時私がしっかり確認せず勝手勘違いしたのが悪かったが、その創作活動音楽活動)で2人になるときスタジオなどだと思っていた。

ある日彼がAさんと夕食に行ってから連絡が返ってこず心配していたところ、ようやくきた連絡で急遽自宅で2人創作活動をしていることがわかった。(夜23時過ぎ)

そこで初めて今まで自分勘違いしていたことに気づき、今までも自宅で2人創作活動をしていたことを知った。

大抵の女性であればこの気持ちをわかってもらえると思うのだけれど、やはり恋人が夜自宅で異性と2人きりで作業をしていると言うのはもちろんいい気はしないし心配だし、もやもやする。

そのことを伝えても、「今だに俺とAさんの関係が伝わっていないんだね」とまともに取り合ってくれず、趣味否定しないでくれとのことだった。

彼がAさんと自宅で2人作業をすることをやめることはきっとないんだなと感じ、だったら私はもう我慢し続けることはできないと判断したのだった。

(彼に言っても変わらないなら、とAさんに遠回しに伝わるようTwitterで呟いたりしたこと反省しているけれど、Aさんにももう少し配慮をして欲しかった)

彼は私が自宅に男を招き入れても嫌ではないらしく、「俺なんて全然知らない男と長く同棲していた女性(私のこと)でも余裕で好きになれるのに」と、よくわからない理論で自室に異性を招き入れることを正当化しようとしていた。

「浅はかだった。君は束縛しないと思っていたし、俺のことを癒してくれると思っていた。」と言われて絶望した。

勝手にそんな風に思われて、そうじゃなかったからとさも自分に非があるみたいな言い回しで「君は束縛もするし癒してもくれなかった」と嫌味を言われたのだ。

別れてからもひどかった。私のことは別れ話の途中でブロックしたが、私の兄弟とは相互のまま。その状態で私の悪口をぐちぐちと呟いていた(兄弟が怒って私に報告してきていた)のだけれど、ある日突然「誤解がときたい」と長文LINEがきた。

「今までごめんなさい、こうなったのはすべて俺の責任です。君は素晴らしい人でした、もうこんないい人とは巡り会えないだろうなって思う」

「君に敵意を向けられて黙っていられなくて呟いただけで悪口本心じゃないし(本心だったらこんなLINEしない)、そもそもそんなツイートもう消してる」

「本当にごめんなさい、許してもらえるなんて思ってないけどそれでも言わせてほしい、最後に一目君に会いたかった

「今の現実はあまりにも辛くてもう生きる気力がないから、最後に誤解がときたかった」

要約するとこんな感じなのだけれど、そう言いつつ私の女友達には「俺以外に彼女を受け入れられる男いませんよw」と言っているのを私は知っているので、

もうこの言葉を一つも信じられない。付き合った半年ちょっとの間のあの優しい言葉も何もかも。

「君の今までの恋愛恋愛じゃない、俺が正してあげる」(彼自身は私含め付き合ったのは2人)

「やっぱ俺セックス上手いでしょ?もう他の人とできないね」(ガシマしまくりで血が出る、痛い)

「俺以外に彼女を受け入れられる男いませんよw」

等々、振り返れば典型的なイキリオタクだったなと友人に指摘されて確かにそうだなと思ってしまった。

彼と付き合うことで大いに成長させてもらったのは確実なので、感謝はしているし忘れようとも思っていない。

ただもう少し幕引きを綺麗にしたかったのと、自分男性を見る目のなさに少しばかり落ち込んでいる。

書いてみたらただ別れた理由を書き綴ったみたいになったし、タイトル負けしまくってるなと反省

恋愛感情論の塊なので仕方ないと思う。

2018-08-07

「こんなことがあって辛かった」という一言に「お前がブスだからだろw」は流石にあんまりじゃないか!?

いや、まあ話した相手が悪かったんだな。

すぐ相手になにか優しい言葉を望んでしま自分を殺してやりたい。

自戒を込めて。

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