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はてなキーワード: 生きる力とは

2019-10-12

anond:20191012073431

自然の脅威が迫ってるんだからテンション上げて動向を注視するのが生物としての生きる力

増田絶対的に正しい。

2019-09-26

anond:20190926210626

学歴職種で分断されてる気がする。能力的なポテンシャルより今生きる力こそがすべてっていう層も多いし。

2019-09-21

anond:20190921105541

子供の側の立場とすると、説教とか嫌だけど我慢するのは相手が親だから仕方ない、子供は親の言うこと聞かなきゃいけない

っていう意識があって、なのに親じゃない奴に怒られて納得できないってのはあった

大人になってから考えればそこは、親と言うか保護者役割なので、増田は何も悪くない

どちらかというと、保護者=(血縁上の)親という世間的な固定観念自分が毒されていたのかなと思う

あとは、やっぱある程度大きくなってから家に入って来た「他人」と毎日協調して生きていくのはそれなりに疲れるから

その疲れが出ちゃっての言葉という面もあるんだろうな

でも子供は一人で生きる力がないから、疲れるからってそれをやめることもできないし

2019-07-17

メンヘラ女は甘え

もう我慢がならない。言わせてもらおう。

から見たらほぼすべてのメンヘラ女は甘えだ。病気にあぐらをかいている弱虫だ。弱者権利をむさぼって社会にしなだれかかっている悪の結晶だ。

メンヘラ女と関わってもいいことなど何もない。彼女らの言うことに共感ができない。

なぜなら彼女らには「彼氏旦那」が必ずいるからだ。

1人で生きるメンヘラの辛さが理解できないのだろうか?

彼女もできずこの先も孤独老いるだけの男メンヘラ苦痛想像できないか

どんな女メンヘラの話を読んでもどうせ最後は「理解のある彼氏旦那がいるおかげで立ち直りました」そんなのばかりだ。

じゃあ誰に頼ることもできないメンヘラ男。俺は誰に支えてもらったらいい?

毒親虐待されて育った。高校出てから必死で働き過労で鬱になった。金がないので何回も働きに出ては倒れる。それを繰り返している。

毎日を死なないためだけに過ごしている。友人はとうにいない。安い酒とネットくらいが日々の憂さ晴らしだ。

薬を飲んでかわりばえもしない明日のために寝床に入る。むなしく辛い日々を延々続ける。

俺がこんなことをしている一方でメンヘラ女たちは彼氏旦那家族に愛されているくせに弱者ぶるのだ。

はっきりと言いたい、それは贅沢なんじゃないか

稼いでくれる男がいるというのにそいつ悪口を書き散らしてる女。そういうお前はなんで働かないんだ。

発作で死にそうになったら救急車を呼んで病院まで付き添ってもらえる女。一人で閉鎖病棟にぶちこまれて誰も見舞いに来ない孤独が分かるか。

安住の地をとっくに得ているというのにメンヘラぶってかわいそうって言ってもらいたがる、その態度は傲慢を過ぎている。

俺の感覚しかないがメンヘラぶる女のほぼすべてが誰かの女だ。メンヘラ男には彼女どころか友達すらできないというのに。

この格差はなんだ?女は恵まれている。

男女平等なんてくそくらえだ。結局男に命を保障されている。自分生きる力など無くても生かされることができる。

女と言うだけで得をしている。ちょっとばかし愛嬌があればメンヘラだろうと扶養されてのうのうと生きている。

そのくせ女はいつも不平等などと愚痴を垂れてリベラルだの女性の権利を強くしろなどとほざく。

お前らがぬくぬくと生きていけるのはお前らを養う男がいるからだ。ちょっと具合が悪くなればすぐに彼氏旦那がヨシヨシしてくれるからだ。

どの口で「女は損をしている」などと言っている?俺みたいにガチ孤独で生きてみてから言ってみろ。俺のような底辺死ぬ気で納めた税金で暮らせてることを自覚しろ

男に寄りかかり国にも寄りかかり、社会に「メンヘラなんです構ってください」と弱者ムーブしてまわって目障り極まりない。

メンヘラ女は甘えている。

寄生虫メンヘラ女にはもうウンザリだ。

2019-07-13

ブスでも人格が神レベルで素晴らしく生きる力も強ければモテる、ってホッテントリ

ブスはそうでもしないとモテない、と読んでしま

婚活屋のスッチー婚活記事との対比でなおさら

楽になりたいのに怒りは溢れ

‪私は生き続ける。全てに目を向けなきゃいけないのにSNSブロックは止まら面接に落ちる。履歴書を作るのも喋りかたもおぼつかない。まるで人間と話したことがないかのようだ。自分現実でもインターネットでもまるでダメなやつだ。8時間働くには週4日が限度だ。限度だから以前の職場では週4日働いて帰ってくるとぼんやりしていた。これではホワイト企業さえ地獄のように思えてくる。それなのに何をするにもお金必要だ。実家住まい家族依存してばかりだ。働いても大して収入もなく消えていく。もっと金が欲しい。将来のための年金が私の生きる力を失わせる。だが何が何でも年金をむしり取ってみせる。ホームレスになろうとも年金を手に入れるまでは何が何でも死にたくはない。必死で稼いだ金を搾取されるだけで済むと思うな。何が何でも生きてやる。生活の基盤さえままならないが何がなんでも生きてやる。年金のためなら120歳を超えてみせる。何百年、何千年が経とうが年金を支払われない限り私は生き続ける。何があろうと金を受け取る前に死んだら負けだ。屈してはならぬ。折れても添え木をして立ち続ける。生き続けて社会の癌になってやる。なんなら文明がなくなる頃まで生きて高笑いする覚悟はできた。「金が必要時代は消えた」と笑い怒り続けていたい。何がなんでも死ぬものか。社会の癌になってでも死ぬわけにはいかないのだ。しぶとくしぶとく生きてみせる。‬本当はただ楽になりたい。でも改善されて楽になるだけでは割に合わないと感じる。でも極端な悪役が1人存在しているわけではない。長年の積み重ねなのだ。だから私も責任の一端を背負うことになる。でも怒りがこみ上げる。選挙投票し続けたのに投票率は減る。学生時代一人暮らしの友人が選挙に関して愚痴っていたことを覚えている。システム一人暮らし学生と相性が悪いのだ。システム改正せずひたすら「投票してください」と言うだけ。投票するたびに「本当に声かけだけでいいのだろうか。声かけする人はなまぐさで来ない人ばかりと思っているのだろうか」と少しばかり虚しさを覚えた。確定申告などの手続きの面倒くさい声を聴くインターネット投票も本当に楽なのだろうかと懐疑的になってしまう。そんな懐疑的になるならお前がやれよと思われるかもしれない。なりたかった。なれるものならなりたかった。採用結果を見て寝込んだ。こんなメンタルじゃそもそも受かっても仕事なんてつづかなかったと自分に言い聞かせて「自分社会的に価値のない本当にダメなやつだ」と思った。役立たずだ。そこからSNSにのめり込んだ。無料署名サイトサインしたりニュースサイトいいねして社会の一端を担っていると思いたかった。だが怒りは増すばかりだった。社会的地位のある人間スキャンダル犯罪を起こすたびに「なんでこの人は社会的地位につけて自分社会的地位につけなかったんだろう」と思った。善悪や背景を考えず、ただただ自分本位の嫉妬に駆り立てられる。長い目で見る精神的余裕がなかった。だんだん歩いてる人がすべて自分のことをバカにしているように思える。理屈では「そんなわけないだろ」と思う。でも偶然、全員が自分のことをバカにしているのでは?とも思う。自分は見下されやすい要素が詰まっているように思えた。物騒な世の中だ。見下されて絡まれるのでは?とも思った。なんだって武器になると覚悟していた。重めのモバイルバッテリーを鈍器にすることだってできる。スマホライト機能相手の目にダメージを与えたりできる。こういったシミュレーションばかりしてしまう。でも家庭環境が悪かったわけではない。成人してから怒りと警戒に溢れるようになった。この怒りから解き放たれて楽しい生活がしたいだけだ。自分はもちろん、みんながより楽しい生活をできるのは何よりだ。そう思ってニュースに目を向けてたはずなのに何もかもに苛立ち何もかもに申し訳なく思えてくる。何かにすがりたいし、これ以上すがれば迷惑をかけることだと思う。どんな宗教ですら逃げ出すだろう。

2019-06-20

あ〜あまた朝だ

明日が来るのが嫌で夜更かししたら朝になってしまった

最近ずっとこれの繰り返しだ

自分はまだ深夜なのに、世間は朝として動き出していて、昨日に取り残されて置いていかれる感覚が最高に憂鬱

こうやってまた夜更かしして、1日無駄にして、自分のできなさに悲しくなる

死にたいってわけじゃないけど、生きる理由はない。痛みを味わってまで死ぬ理由もないから、のうのうとしょうもない毎日を繰り返しているだけ、もし目の前に、この薬を飲めば痛みもなく楽に死ねますって錠剤があったら今すぐ飲む。

生きていればいいことがある、なんてまやかしで、いいことがあったとしても、自分にはそのいいことを生きる力にする能力は無くて、この先きっと良いことはあるんだろうけど、それは希望にはならない。

あ〜あもう死んじゃおうかなあ

碌に自殺もできない自分が弱すぎてやになるわほんと

2019-06-04

こどおじ事件が起きる約40年前に起きていた殺人事件

1980年 神奈川金属バット両親殺害事件

1982年 斎藤東大名誉教授惨殺事件

熊澤親がかわいい盛りの愛息を育てていたころに起きた有名な事件

高学歴でどちらかと言えば裕福な家庭で子供が親を殺し、世間を驚かせたこ事件を覚えている人多いだろう

よく学歴社会の歪みとして例えられ、その後の「自分らしさ」や「生きる力」などのふわっとした子育て論の根っこに、これらの事件は大きく影響したと思う

ところでこの数年前には、似ているが逆転している殺人事件が起きている

1977年 開成高校殺人事件

家庭内暴力が激しかった息子を親が殺した事件である。「息子が犯罪者になるのを防ぐ」という動機子供を殺したといわれている

これらの事件が起きたとき引きこもりの子供を抱えた親世代が、わが子を膝の上に乗せながら、またお腹に宿った命を前にしてどのような親子関係教育論を持つにいたったのか、その影響は分からない

令和の時代、こどおじ事件も令和の子育て論に影響を与えつつ、社会の中で消費されていくと思うとその興味が尽きない

2019-05-28

生きる力が弱すぎてしんどい

就労が遥か遠くに見える蜃気楼

中高生の頃からメンタルヘルス問題を抱えている。

今は老後の生活の見通しが厳しい実家の脛をかじって職探しをしているふりをしているが、スーツを着て出かけて夜遅くに帰るだけ。パートでも派遣でも選ばなければ世の中に仕事はなんでもあるのに、こなせる自信がないのとこの期に及んでくだらないプライドがせめぎ合っている。ほんとゴミクズ

人は思春期青年期を経て色々な経験を通して社会でやっていく能力を身につけていくのだろうけど自分12,3歳の頃から思考人格に悪癖が付いたままダラダラ日々を重ね、全く何も身についていないことにいてしまった。

外に対して、ガワだけ意識高そうなフリをしてちっぽけなプライドを守ってきたが、実行力や実現力がないので虚像しかなく、いよいよ社会に出れないままいい歳になってしまった。

思考の偏りや歪んだ自己愛、強すぎる恥の感情など人格障害の線も勝手自己診断で疑っているが、過去にかかっていてあまり意味のなかった心療内科から切り替えた大学病院の診察は2週に一度や1ヶ月に一度という進捗がもどかしい

感知している症状としては、とにかく頭が働かない。頭に何か詰まっているような感覚が日々強くなり、思考力と判断力ゴミカス。常に負の自動思考が脳の容量を食っている。どこにいても自意識肥大化して、人の目が気になり何も手がつかない。身体は何もしていないのにいつも疲れて首背中が常にシクシク痛い。

日々超低空飛行を現状維持、生きてるフリだけで精一杯。死んで終わらせて楽になりたいけどそれすら億劫勇気がない。

世間の人々、主語でかすぎるが、すごい、本当に逞しいな。どこからやり直せばいいのか、生きることが途方も無く感じる。

2019-05-20

僕は担当アイドルの夢見りあむが大嫌い

初めて夢見りあむを見た時、僕は衝撃を受けた。

見た目だけで好きなキャラだと認識してしまったのだ。

僕は既にアイマス内に複数担当アイドルを持っているが、シンデレラガールズ担当は1人だけ。

総選挙というイベントがある限り複数担当になっても本気で応援するにはどちらかを切り捨てなければいけないので好きなキャラがいてもデレマス担当を増やす気にはならなかった。

話を戻そう。

僕はりあむに一目惚れのような形で好印象を抱いたが、僕にはその程度の要素で担当にする選択肢はなかった。

彼女に興味を持った僕は普段まり開かないモバマスを開き、カードを手に入れたりセリフを見たりした。

クズじゃんコイツ

僕は抱いた感情矛盾をどうすればいいかからなくなった。

チヤホヤされたいかアイドルをやりたい。

とにかく傷付きたくない。

後先考えず炎上商法で売ってほしい。

アイドル活動がダメだった時の保険の為か、プロフィールはボカしまくり。

同期で年下のあかりあきらの前でも泣き喚き醜態晒す

デレステコミュではアイドル努力をするもの尊いなどと言っていたが、ぷちデレラを見ると本人は余り努力をしたがらない。

欠点を沢山挙げられるようになってしまった。

しかし、欠点が丸見えでどうすればいいかがわかりやすいほど庇護欲のようなものは強くなっていく。

これなら素直に面倒を見たくなるかと思うとそうではない。

彼女プロデューサーのことを「Pサマ」と呼ぶ。

話を聞くと社会にうまく適合できず、彼女未来プロデューサーが握っていて、別の道は諦めているのだ。

このまま面倒を見ていると、コイツプロデューサー依存してしまうんじゃないか

自分1人で生きる力を失ってしまうんじゃないか

僕はそんなアイドルは育てたくない。

デビューしたでれぽでは、せっかくフォローしてくれた蘭子に歩み寄る気配も見せずに、受け取る相手のことを考えていない返信を送ってしまう。

SNSを見ているとりあむを好む人間はその胸しか見ていない性欲の塊か、心の弱さを自分に重ねて語りたい承認要求権化しか見えない。

僕はそれらと同等に見られるのが嫌過ぎてすっかり素直に声に出して応援する気が失せてしまった。

でも彼女の成長は見ていたい気持ちは消えてくれなかったので、りあむのキャラの強みである炎上要素を利用し、ネガキャン人間としてクソな所を挙げ、面白がりながら細かく彼女セリフを見続けた。

この文章もその一部かもしれない。

そして遂にこの習慣が身に付き、新しいセリフが出ると積極的に見に行き、SNSでそのセリフについて呟き、りあむの人間性の理解を進める。

その行動だけを見ると担当Pそのものだ。

つの間にか自分の中での受け取り方を担当アイドルのような扱いになってしまったのだ。

最初に書いた通り、あまりデレマス担当アイドルを増やしたくなかった僕は、しばらく悩んだ末に人間性を嫌っていていつでも切り捨てられるというのを言い訳担当であると受け止めることにし、持っていた投票券を全て夢見りあむに突っ込んだ。

結果は見ての通りだ。

面白半分で投票した者、下心のある者、承認要求の身代わりにする者。

大半がその様な者に投票されているというのがTwitterでの見識だが僕はここでそれだけの理由応援してるわけではない。

不器用ながらも応援したい人間がここにいることをアピールしたい。

というわけで僕はこの類いのお気持ち表明の例に従ってここに書き綴ることにする。

2019-04-11

[]キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

ほどよく100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。

MCU(マーベルヒーロー映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。

ゆえに以上で感想終了である

ヒーロー内面資格

というわけで、ここからさきは感想じゃなくて感想風になる。

キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点から全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。

でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃん言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。

いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。

ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者ヒーロー感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。

アイアンマンキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面孤独や、大切な人を失ってしま絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローヒーローでありつつ僕らと同レベル人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。

マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品性質上、ヒーロー専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。

その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係コンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。

そういう内面的な危機を乗り越えた「から精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。

言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。

この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。

この構造において、ヒーロー内面的な資格は「不幸とその超克」だ。

でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。

ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。

主人公キャロルダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女内面悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。

リー指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。

映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女内面的な意味ヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画破綻してないしちゃんドライブされている。

これってどういうことなのか? 内面葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーロー資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?

結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロルダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。

この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。

作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代記憶としてカートレース事故にあう。子供野球三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。

そして彼女はなんだかんだ人生につきもの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロットエリート象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。

その実験部隊トラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディローソン博士を助けるために飛行任務立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。

その実験部隊で同僚でもありキャロル親友黒人女性パイロットマリアランボーセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロット立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友主人公を思い返した言葉だ。

この立候補ときキャロルスーパーヒーロー能力を持たない普通地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである

能力のみならず、内面危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきもの特別悲劇経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷帝国に焼き尽くされたりしていない。

この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。

まりカートレース事故から負けん気で立ち上がったとき子供野球三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロルダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーロー資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルヒーロー能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのもの子供時代と変わらない。

あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。

それはつまり主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇喪失必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。

これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマ構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。

そのチャレンジがとても良かった。

ハリウッドアメリカロールモデル

アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さら子供ターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要ポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。

日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカアイアンマンがいる。

人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。

近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。

アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。

MCUにおける二大ヒーローキャプテン・アメリカアイアンマンは「能力を持つもの社会貢献」をめぐる物語対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。

その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。

困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇から、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。

主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰位置すると思うのだけど、政府超人兵士計画で生まれキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長発明家大富豪ちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。

その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。

2019-02-28

引きこもりニート子供部屋おじさんだけど学習机を捨てようと思う

子供部屋おじさんが叩かれていた。自分はすでに圧倒的に弱者なのに社会というのはさらに追い討ちをかけてくるのかと思ったし、これが社会というものだよなあと妙に納得もした。

人は自分絶対安全位置から正論」によって弱いものを叩くのが大好きだ。なんのリスクも損もなく気軽に気晴らしができる。なんなら彼らは本当に社会的にいいことをしているのかもしれない。

かなりきつかったけど、「たしかに」と思うこともあった。それは学習机存在

自分障害者引きこもりなのですぐには自立できないし(おそらく一生できないし)ある程度社会の厳しい目を受け入れて行くつもりではある。ただ、学習机処分はすぐにでもできる。たしか小学生の頃使っていた机を今も使っているのはかなり気持ち悪いと思う。「精神がその頃から成長してない証拠だ」みたいに言われるとなんか謎の説得力を感じる。

言い訳をしておくと、高校卒業時点で自分学習机は捨てて安いPCデスクを使うようになっていた。でも20代のうちにその机の板が剥がれてきて手を怪我する恐れがあったので捨てた。で、たまたまそのとき大学卒業して一人暮らしを始めた妹の学習机を捨てようかということになって、「ちょうどいいじゃん」ということで使うようになった。

というわけで、なんの呪いか知らないが、子供部屋おじさんの部屋に学習机が吸い寄せられてきたわけだ。で、その机を使い続けて現在30代。やっぱり捨てた方がいいんだと気付かされた。世間と関わりがないとこういうことにも気づけない。うちの親は「学習机便利でいいじゃん」とか言っている。

とにかく学習机を捨てようと思う。でも捨てるのもハードルが高い。こういうのは粗大ゴミなんだろうけど、いい年して粗大ゴミの捨て方も知らない。よく考えたら粗大ゴミの捨て方だけじゃなくて、いろんなことを知らない。自分には生きる力がないと思うけど、それも少しずつ改善していかなきゃいけない。両親もだいぶ年をとってしまった。

2019-02-16

Fラン自体は悪く無い anond:20190216105454 anond:20190216105255

親御さんは立派に役割を果たされた。悪いのは

1. 高等教育と呼べる質がないことは明白なのに税金が投入されていること anond:20190216104925
2. 研究拠点としては機能していて、研究結果をちゃんと発表していたり、企業と協業してたりはするが、教員としての自覚がなさそうな先生方が多いこと(Fランに限らないが)、潰して研究開発法人にしたら?
3. 親御さんは立派ではあったがFランに行く時点で生きる力が弱いのでもう少しだけ子にフォローが欲しい

2019-02-05

anond:20190205225339

現実を見ろと言うのはいきなり宝くじ当たって億万長者になったり、イケメンセレブに変身するベルトを道端で拾う事でもない。

自分が今できることを見つけて10年、20年と続けることだ。

それはいつどんな時からでも始めなければならない。

たとえ飢えや病気金欠死ぬ間際であったとしても新たに歩み続けなければならない。

しか心配はいらない。

自信がKKOであることに危機感を持っていようと、それを甘んじて受け入れている気になっていようと、

貴方自身生きる力明日を探す手を止めることはしない。

そしてその道の先でどのような死を迎えたとしても貴方はそれを受け容れることしかできない。

2019-01-30

anond:20190130144132

理論実践は違う

そもそも生徒の「生きる力」を育むことが目的であって、舐められないことが目的ではない

学習者とよりよい関係を築くために、カウンセリング・マインド重要であることは学ぶ

カウンセリング・マインドを身に着けるためには豊かな人間性必要であることも学ぶ

・そのためには教育や専門分野に関する深い知識教育愛情コミュニケーション能力などが必要である、ということも学ぶ

・最終的には一般論である

・もちろん実習先では「怒鳴る練習」をする機会はないよ


https://anond.hatelabo.jp/20190130134626

この元増田だけど、実は自治体によっては「生徒に怒鳴ってはいけない」と上から徹底されているところもあるらしい。

ひたすら諭すだけ。

体罰等が許されないことに異論は無いが、他の学習者にとって邪魔な生徒に対しては

留年や停学・退学をもうちょっとやりやすくしていいと思ってる。

飛び級必要。楽しくみんなで文化祭、みたいなのは縮小してしまうだろうし実現しないだろうけど。

2019-01-16

この瞬間に欲しいものが生まれ、それが満たされるまで不満を抱く

満たしたら次に欲しいものが見つかる。

不満を抱く時間の長いこと長いこと。

そんな風に思っていたが、その不満こそがこの世界を少しずつ変えていく原動力であり、

私自身の生きる力だと思うようになった。

からといって給料が上がるわけでも、町に平和が訪れるわけでもないが。

2019-01-05

anond:20190105042717

そういう見方をされることに対してのプレッシャーと反骨心ってきっと彼の生きる力結構割合を占めてると思うよ。

高齢者医療費云々の話を聞いてから俺は嫌いになったけど。

2018-10-29

縁石ぶっ壊してポリスに投げまくってた60年代に比べれば、今の若者は穏やかだよね

渋谷のど真ん中でキャンプファイアーくらいはしても逮捕されるくらいだからチャレンジ精神でやっていこうよ

若さファイヤーだよ 生きる力エナジーだよ

まあ、俺はやらないけど…

2018-10-18

ポエム

「そういう人は生きている価値がないと思います」とのたまう輩がいる。

鈍感なのだ。鈍感だから人を見ただけで、人と話しただけで人を決めつけられるのである。侮れるのである

そういう輩は命の尊さを見ようとしない。人の魂の輝きを、人の可能性を、その誇り高さを理解していない。

ある者は見せかけだけの美醜に拘泥し、ある者は自らの尊厳を貶め、皆輝く道を自ら閉ざしてしまう。

断言しよう。「生きている価値がない」などということは断じてないのである

弱い君は、君の立ち位置から、君の才能に合わせて、他ならぬ君自身が着実に成長できる道を思い描いて、少しずつでも前に進む。生きる努力をする。それだけである

それを他人貶めることなどできはしないのである。君の可能性を否定することなどできないのである

君はそんな妄言に惑わされてはいけない。たとえそれがいかに強烈なマインドコントロールはらんでいてもである

生きてさえいれば、何にだってなれる。その道はいだって見つけることができるのだ。生きてさえいれば。

いか絶望的な状況に思われても死んではいけない。自らの意志によらず、卑劣な連中に追い込まれて命を散らすことなどあってはならない。

なぜ、平然と人を傷つけられるのだろう?なぜ、人を絶望の底に叩き落とすことになんの躊躇もないのだろう?

自らの卑劣さを恥もせず、あまつさえ自分たち正義があると思っているのである仕草が気にくわないとか、そんな些細な理由で殺すのである

私は悲しい。人の気持ちがわかるのなら、それを機敏に察知できるのなら、それを踏みにじるのではなく寄り添うこともできたはずではないか

それは彼らの選択なのである。彼らはそれを望んだのである。そんな悲しいことはないではないか

きれいごとなのは百も承知であるが、「だから貴様らは永遠に争いを止められないのだ」と皮肉を言いたくもなる。

人はなぜ争うのか?お互いを憎み、血を流すことが嵯峨だとでもいうのか?

絶望に突き落とされて、人の卑劣さ・狡猾さを骨の髄まで思い知って、その果てにそんなことばかり考える。そこはまさに地獄であった。

そんな私は、「文学」に当てられた、正義燃えた異常者なのである

アニメ漫画あの世はいい。美しい。その一言に尽きる。そこに理想の世界がある。

しかし、あれらは「宝石のような毒」なのだと思う。宝石のように輝かしい。涙を流しながら感動すらする

心が洗われ、清められるようであるしかし、同時に生きる力をもがれているような気がする。

その高潔さに憧れるほど、その気高さを追い求めるほど、現実を、理不尽世界を生き抜く冷徹な心を失ってゆく。

なのだ

思うに私はこの絶望を味わい尽くさなければならないのではないか絶望を見つめ、理解しなければならない。たとえそれで自らが崩れ落ちれしまうのだとしても。

それが、サイエンスにしがみつくものとしての意地である。使命である

2018-10-02

アラフォー既婚女の性生活

私は最近セックスをしている。よく知らないサラリーマンとだ。

出会い系サイト出会った。

セックスレス7年…私も落ちぶれたものだ。

いや、とっくに落ちぶれてたのかも。

アラフォーにしてこれは悲しいリアルの話。

おっさん向け週刊誌インタビューしてほしいくらい。

その人とは、2か月メールして、

8回会って2回ホテル

1回お酒を飲んで、5回お茶をした。

5回お茶したこと評価してほしい。

なぜその人を選んだか。

クンニが好きだからだ。

クンニ好きな人を私が出会いの条件にしたからだ。

ホテルに行く。

たいして知らない人にクンニされまくった。

イけ!と自分に言い聞かせる。

ここまで落ちぶれたんだから

ここまで自分を汚したんだから

せめてイキたい。

ヨダレ垂らして涙流してイきたいって思う。

でもイケない。

やりたかったセックスは、好きな人とのセックスなんだなと思った。

肉体的に刺激では…ローターの方がいい仕事をする。ローター、使ったことないけど。

無理だ。イけなかった。

でもその人はキスをしてくれる。

下手だけど、

かい唇を重ねるのはとてもうれしい。

私は娼婦買ってるおっさんか。

から私は気持ちの良いセックスをするために、この人のことを恋心で好きになりたいと思った。

全然知らない人。

40歳の真面目でまったくモテなさそうな童貞みたいなおっさん

私はお酒を飲まずに素面でこんなことしている。

病んでない。夫と離婚したい。

私はこの人との疑似恋愛を通じて生きる力リハビリするのだ。

私が復活したらこんなさえないおっさん

即捨てる。

2018-09-24

「何者か」になりたくて

いつからか「何者かになりたい」という思いを漠然と抱いていた。もしかしたら思春期特有かもしれない。

自分がいつか輝ける場所」を探して、あれでもないこれでもないと数々の場所渡り歩き、拾っては捨ててを繰り返してきた

そして周りと自分比較し、自分の才能の無さに呆れ、傷ついていた。どうせ何者にもなれなくて無駄長生きするくらいなら、さっさと死んでしまいたいと思っていた

「何者かになりたい」という思いはいしか強迫観念になっていた。毎晩寝る前になると様々な思いが浮かぶ

今日一日、一体お前は何を成し遂げたんだ?」「何も成し遂げられないならさっさと死ねよ」

自分言葉自分で傷ついていた。まるで自傷行為。ずっとそれを繰り返していた

夏休みゼミ研修旅行である地方に行って、その地域特有問題に関わっている人たちを取材して回った。研究発表のために真面目に聞いていこう。最初はそれだけだった。でも話を聞いていくとそれどころではなくなった

彼ら一人一人のかっこよさに心を打たれてしまった。真剣に考え、悩む彼らの姿を見て、「やべぇ、うわぁ、やべぇ」という思いが止まらなくなった

説明されなかったらどこにでもいる普通の人としか思えない人たちだった。彼らは「何かを成し遂げる」なんて考えてなくて、「自分にできること」を考えて、それを一つ一つこなしているだけだった

「ああ、これが正しい生き方なんだな」

深い実感が心に染み渡った

彼らは有名人じゃなかった。フォロワー大勢いるわけでもなかった。誰もが憧れる仕事をしているわけでもなかった。存在もその人の思いも、直接会うまではハッキリ分からなかった

でも彼らは確実に「何者か」だった。キラキラしてなくても、泥臭くても、輝いていた

かに社会で生きていくためには何かしらの能力とかスキル必要だし、そのためには学びも止めちゃいけないんだけど、その根幹の「生きる力」は「物事真剣に向き合うこと」、つまり「どれだけ多くのことを自分と地続きで考えられるか」なんだなって、やっと気づいた。「何者か」になるためには、才能よりも思いが大切なんだなって気づいた

私たちは当たり前のように線を引く。「男だから、女だから」「理系から文系から」「ウェイだから陰キャから」なんて色々と。何が怖いかって、それを意識せずに、無意識にやっちゃうこと。だからどれだけ意識していても確実に何かと線を引いてしまう。人間の行うあらゆる判断恣意的にならざるを得ない。それが人間原罪。だからこそ「一つでも多くのことを自分と地続きで考えられるか」って重要ことなんだなって思う

からたとえどんな仕事をしても、どんな状況になっても、「目の前のことに真剣に向き合うこと」だけは絶対に忘れないでおこう。たとえそれが社会問題みたいな大きなことじゃなくても、仕事のこととか、友達のこととか、家族のこととか、「自分には関係いから」と思わず、一つ一つ真剣に向き合おう。そして焦らずに一個一個でいいから少しずつ学んでいこう

そうしたらいつか「何者か」になれるはずだから

まあ私が今一番やるべきことは遅刻が確定している講義に全速力で向かうことなんですけど

2018-09-15

友達がいないまま、30歳を迎えようとしている

まれからずっと友達がいないまま、30歳を迎えようとしている。友達がいない理由は、ひとえに私が他人を受容する力がなく、人間アレルギーのごとく他人を拒絶してきたからだ。

友達のいない人生を歩んできたことが正しかったとは全く思わないが、人生をもう一度やり直しても、私が私である以上は友達が出来ないだろう。

 

ただ、それでも、もし友達のいる人生を歩んできたら、どのようなものだったろうと想像することがある。どのような人と付き合い、どのような喜怒哀楽経験し、それが人生にどのような彩りを添えただろうかと。

大層な言い方だが、人々がふつう体験していることを体験してきていない私にとっては、実際、大層な話なのである

 

世を生きる力がない私は、早々と眠ることになるだろう。それまでにこの想像の答えの一端でも、知ることができたら嬉しいと思う。

2018-09-09

anond:20180909221815

申し上げにくいけど、別に閉じこめられてるわけでもないのに死ぬやつはもう生きる力が尽きている

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