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はてなキーワード: 恰好とは

2020-05-25

男が女の恰好をするのは文化の盗用じゃないか

2020-05-21

平成と令和の法がゴミなのにつまらんとして消えない理由

  参加すれば生活恰好がつき、ブサイクコンプレックスが治るというこの島での大きな恩恵があるから

   天皇制は一部のクズから末永く人気があり、どんな悪事をしても消えることがない

    普通ならこんなつまらものはないとして、つまらんと言われた時点で消えるはずだし、12年前に一回消えているが

やはりブサイク病が治るということで、最近復活していまだに続いている

   冷静に考えたら頭は腐っているし形式的だし何の思想哲学もないし最低最悪であって消えてしかるべきだが、顔のことしか

考えられない無内容なクズ支配しているから、顔のことしか考えられないブサイクから人気が強く、警官と110番通報制度は消えることがない

2020-05-15

Eテレの「ひらめき工房」とかい番組を見て吐き気がした

ノージーかい太陽恰好をした着ぐるみ大人泥棒ひげをつけた子供作業をしていた

太陽権力者象徴だとすれば、さしずめ泥棒ひげをつけさせられている子供たちは奴隷といったところか

平民権力に逆らうな従え」という意識幼児に植え付けようとしているのは間違いない

うちの3歳の息子は毎日こんなものを見ていたのかと思うとげんなりした

明日からは視聴禁止だなと思いながら最後まで見ていたら終わりの歌で愕然とした

「なんでもないことから すごいことできちゃった

 つぎは君の番だよ ひらひらひらめき公妨~」

なんでもない市民の抗議を公務執行妨害見立て排除しようとする北海道警察そのままではないか

政府に対して下手に楯突いたりするなよ 次はお前の番だからなと国民を脅しているのか

NHKはここまで安倍政権べったりの放送を行っているのかと呆れ、私は受信料の支払を拒否することを決意した

2020-05-11

初めてコラボカフェ行った時に同卓だった中学生オタクに絡まれてなぜかTikTokフォロワー数自慢されたの今でもムカついているしトラウマだしそんだけ舐められるような恰好してたんだなって恥ずかしくなる 死にたい

2020-05-06

マウンティング女の行く末

アラサーに足を踏み入れようとしていた数年前のこと、元友達であるマウンティング女を含めた小学校時代同級生たちとよく遊んでいた。

当時の元友達は、仕事契約社員でそこそこに頑張るに留めて実家で何不自由なく暮らしプライベートでは旅行に行きまくり彼氏とも同棲目前の関係で、公私ともに順調そのものだった。

こちらとしては特にやっかむ気持ちもなく自然に接していたのだが、会話の中でどうも引っかかるようなことを言われることが次第に増えていった。

彼女はいつも私と二人きりになると、一緒に集まっていたプライベートが上手くいっていない同級生たちのことをこき下ろすような口ぶりになった。

例えば、婚活を頑張っているが結果が振るわない子や彼氏と不仲に陥っている子を指して、「あの子たちと私ではステージが違うからねw」と言ったり。

きっと当時の元友達は、彼氏から結婚視野に入れた同棲話を持ちかけられていたことが余程嬉しかったのだと思う。

ちなみに彼女小馬鹿にするようなニュアンスでそう話していた聞き手である当時の私には彼氏さえいなかった(笑)

私が猫を飼えば「またしばらくは彼氏できないねw」と笑い、ちょっとした身だしなみの抜けを目ざとく見つけると「そんなんじゃ彼氏できた時困るよ~」などなど、今思えば私自身ずいぶん彼女マウント張られてたんだなあと思うようなことを言われてきた。

他にも実家貧富の差や、学歴容姿スタイル友達の数等々いろんなことでチクチク言われた。

他人マウントを取るだけならまだしも、元友達自己肯定感が異様に強く、いつも自信満々で且つ他人批判絶対に受け入れない女だった。

職場TPOを考えない派手な格好で行って指摘されれば「きれいな子が華やかな恰好しているのが気に食わないんだと思う」と言ったり、カフェで大声で喋っていて注意されると「若い子の声は響くからねってお母さんも言ってた」と言ったり、自分の話ばかりで人の話を聞かないことを女友達に面と向かって指摘されると「あの子は私が男の子と遊んで楽しそうにしてるのが気に食わないんだと思う」などと、何の臆面もなく言うのだ。

まりにもサラッと言われたので当時は聞き流していたが、今書いていて改めてすげーなと思う。

とにかく何でも「自分に対する批判自分への嫉妬」と捉える女だった。

さらには、元友達の行動の動機ほとんどは損得勘定によるものだった。

友達が多いことがステイタスなので無節操に交友関係を広げるが、いざ結婚式等の冠婚葬祭に招かれると掌を返して厳しい取捨選択をする。

なんでも「私は友達が多いか自分の式の時に呼んでもいいと思える子の式にしか参列しない」らしい。

とかくお祝事に関してはシビアで、自分に戻ってくるアテが無い限り友人たちに何かしてあげるのは嫌なのだそうだ(アラサーのくせいに誕生日プレゼントを500円以内で済ませようとしたこともあったな)。

近しい友人たちのうち、彼女結婚式の出席を断られた子が私の知る限りで3人いるが、そのいずれにもご祝儀だけでも渡すかお祝いのプレゼントだけでもするといったようなアフターフォローさえしないばかりか、出欠の返事をすっぽかす非礼ぶりだった。

特にここ1~2年の彼女のこうした行動は、もう自棄になっているんじゃないかと思うくらいひどかった。

おそらく、地元の友人のほとんどを縁切する覚悟なのだろう。

そうして、当然私に彼氏ができた時も結婚する時も大した感慨もなさそうな反応だった。

ちょうど別の子妊娠報告と重なったので、ひとまとめにして「おめでとー!」の一言のみで済ませ、その後集まってお祝いしようという話の流れには「私は最近海外旅行から戻ったばかりで金欠からパス!」とのこと(笑)

散々周囲の共通の友人たちに対する失礼な態度を見せつけられてきたので別に傷つかなかったけど、もし彼女がこの先もこういうスタンスを改める気がないのなら、きっと苦労することになるだろうなとふと思った。

そもそも、自信満々のわりに顔はいとうあさこの若い頃を小奇麗にした感じなので特段美人ではないし、スタイルも抜群じゃないし、料理もできないし、仕事非正規雇用だし、第一性格が悪い。

からこそそれなりにちやほやされる時代にさっさと結婚すれば良かったのに、同棲までした彼氏には散々わがまま言って振り回した挙句、たった数か月で浮気されてフラれて実家に出戻ってきてしまった。

その後できた彼氏イケメンで女の扱いは上手いが婚歴がない(結婚願望はある)アラフォー経営者という怪しい男で、遠距離恋愛をしていたがなかなか連絡が取れなかったり向こうのタイミングで急に会いに来たり旅費自腹で会いに行かされたりなどしていて、結局数か月間都合の良い女扱いをされただけでフラれていた。

このあたりでもうヤバいことに気づけば良いものの、彼女はまだまだ自分イケてると思っているようで、今もインスタにバンバン遊び呆けている写真をアップする日々を送っているようだ(最近では飼い犬とキメ顔で映っているステイホーム写真にすり替わったらしい)。

とはいえ今年30歳。

周りの友達はどんどん結婚したりキャリアを積んだり、そうでなくても年相応に充実して地に足着けた生活を送っている子がほとんどなのにもかかわらず、彼女の過ごし方は大学生新卒そこそこの若い頃と何一つ変わらない。

実家家族ぬくぬく暮らし家事もせず、仕事お小遣い稼ぎ程度だろう。

今年の正月に夫と一緒に帰省した時に、地元で元友達とその家族が一緒に歩いているところに出くわした。

その時の彼女のひきつった笑顔と、さっさと立ち去りたそうにしていた様子は忘れない。

傷つきはしないが、彼女特別敵視したつもりも嫌われるようなことをした記憶もない自分が何故こんな態度を取られるのかよくわからなかった。

彼女にとっては、いつからか私との友情は私を下に見ることができる状況でのみ成立するものになっていたのだろうか。

結婚報告した時の元友達の態度で「もうここで関係は終わりだな(向こうもそうしたいと思ってるんだな)」と思っていたので、その場は適当挨拶だけして別れた。その後、一切連絡も取っていない。

彼女のような成長のない人間は、今後どんなふうに歳を取っていくんだろう。

自分の生き生きした若さに多大なる自信があって、それだけを頼りに生きてきた人は、この先の人生をどうシフトしていくんだろう。

特定相手と深い関係を結ぶのも難しい質だろうし、許される限りずっと実家子供の頃と同じように過ごすんだろうか。

余計なお世話だとも思うけど、正月地元ですれ違った時、バリバリにオシャレしてお父さんお母さんと歩いている元友達を見て「この子時間は止まってるんだな」と思ったのだ。

あくまで今までの彼女生き方の総括を見た結果の感想であって、別に30過ぎて実家の両親と過ごすことが悪いと思ってるわけではない。

ただ、私は夫と一緒に帰省して、実家の両親に挨拶して義両親の家にも行って色々と気苦労も多かったけど、目先の楽しいことばかり消費して何も成長せず時間が止まっている彼女よりはずっと良いと思った。

私は間違ってなかったと思ったし、嫌な感覚だけど、ほら見たことか、と思った。

そう思ったところで、もう彼女との関係は一切終わりにしたい。

マウントを張り合う関係なんて虚しいだけだから

そんなわけで、ここに幼馴染の元友達マウンティング女との思い出を投下して供養したいと思う。南無。

2020-04-26

魅力的な女のお医者さんがセクシー恰好で出てきたら、俺もう思い残すことないわ、死んでもいいわって昇天する性生活習慣病患者はね、そこそこいそうだよね

性のキャリア無駄とは限らず、受験勉強してきただけの男医にない武器になることも

2020-04-25

anond:20200425103920

いい年した成人女性美容雑誌読んでるというだけで気持ち悪いのに。

美容向け雑誌なんて中学生高校生のお年頃用の雑誌なのに40代以上の大人がむきになっちゃってさあ。

いや、これをさ、中学生高校生必死美容に気を使ってるならわかるよ。

でもさ、きみたちいい年したおばさんじゃん。

鏡見てよ。

皺は濃くなり、体重は増え、白髪は増えてきた。

きみたちは自分をどうしたいの?

きみたちが「自分美人!」って言ったところで世間はそんなもん興味ないんだよ。

世間なんて「スタイルの良い子がモデルをやってるからスタイリッシュに見える」「可愛い子がかわいい恰好するからかわいい」くらいにしか思われてないよ。

そもそも「おばさんの美容」ってもの自体がくだらないという考えの人も多い。

そんなものをありがたがって、「私達は美人」「私たちセレブ」みたいに誇られても困っちゃうんだよなあ。

ブスや自称セレブのイキったコメント見ると、なんかこっちが恥ずかしくなっちゃう。

美容こそ美の最先端で、気を使ってない人はゴミ」みたいなイメージ女性に植え付けたのって誰なんだろうね。

詐欺師商売人、まあろくな人間じゃないと思うよ。

でもきみたちは別に特別愚かではない。

しろ日常的に美容に気を使ってるだけで他の90%の国民よりずっと美人だろう。

でも、その程度では社会で抜きんでることもないんだよ。

しかにきみたちは上位10%の容姿を持っている。

けど、凡庸な上位10%なんだよ。

きみたちは上位10%であることを誇りに思っているのかもしれないが、きみたちはむしろ自分が上位0.1%に入れなかったことを恥ずかしく思うべきなんだよ。

美容雑誌を読んでてもいいのは大学生までなんだよ。

おばさんになった後に美容を楽しんでちゃだめなんだよ。

じゃないと女子世界が止まっちゃうよ?

だめだ。へたくそだな。

2020-04-24

コロナのせいで父親おかしくなった

先月から自宅待機を命じられ、同居してる両親とのゆっくりした日々を送るつもりだったのが…

父親毎日、昼間からお酒を最低4合は飲み、その度に暴言を吐きまくるモンスターになっていることがわかった。

夜もお酒を最低4合は飲んで暴言吐いてるのは知っていたが、これが昼間からとは…。

母親も手を焼いている。

更に、ネットも見ない、テレビが唯一の娯楽である父親にとって

ワイドショー恰好暴言対象

司会者コメンテーターの態度、

最近毎日のように政府自治体対応文句を言っている。

更に中継先の医師マスクしてないことにすら怒っている。

更にコロナにかかりたくないので私や母親スーパーに行くなと言ってくる。

(父親身体障害者なので介助無しで出歩けない)

遂に私もキレて「スーパー行かないとお酒買えないんだけど、毎日お酒そんなに飲んでよく言うよ」と言ってしまった。

すると「じゃあコロナでもなんでもかかって早く死ね」と言われてしまったので

「お父さんも早く死んでよ。周りに迷惑しかかけてないじゃん。私がかかったらお父さんにうつしてから死ぬよ」と売り言葉に買い言葉で言いすぎてしまった。

今その捨て台詞を吐いてから自室に篭っているんだけど

何でこんなことになってしまったんだろうとすごく悲しい気分。

早く家を出たいけど、父親のこともあり私が鬱病になっていて高給取りの仕事が全くできないというのと

私が家を出たら、矛先が母親一人になり、そのうち介護殺人でも起きてしまいそうな気がして怖い。

(過去に1度、父親凶器を持って母親を殺すと言い警察沙汰になったことがあった。でもすでに泥酔状態だったので注意されて終わってしまった)

正直、お金さえあれば父親施設にぶち込んでしまいたいが…うーん。

色々考えるだけでも人生嫌になってくるよね。

2020-04-16

anond:20200416011848

そう、まさに「ただの作ってみたオナニー」、完成品だけ見るとpezyの方が100倍マシって可能性は十分ある

だってpezyはスパコン専業ベンチャープロセッサーの実績あるのに対して、

pfnはできたばっかりのベンチャープロセッサー作るのはこれが初めてだから

ぶっちゃけ、試作機でもなんでも良いから何か出来上がっただけでも及第点だと思うんだけど、

世間文句つけたがりさんたちの恰好の標的にならないか心配すぎる

pezy以上にぶっ叩かれないか・・・

2020-04-12

[] #84-12幸せ世界

≪ 前

「なあ、今すぐじゃないとダメなのか? また次回にでも……」

「頼むよ。こんなチャンス、二度とこないかもしれない」

ガイドたちは、今までフラッガーの犯行悪戦苦闘していたらしい。

フラグを立てられたら修正して、他の世界が分裂したら繋げて……

そうしてイタチごっこネズミごっこを繰り返してきた。

だがフラッガーを捕らえることができれば、その“ごっこ遊び”も風化していく。

イタチネズミ危険外来生物絶滅危惧種になるわけだ。

俺の世界でも転売ヤーとかがイタチごっこに興じているが、もしいなくなったら世界はより良くなるかもしれない。

次元の分裂だとかは壮大すぎてピンとこないが、そう考えると躍起になるのも分かる気がしてきた。

「さあ着いたよ、この辺りだ」

移動を始めて数分、あっという間に人気のない森深くまで辿りついた。

船には窓がついていないので分からなかったが、とてつもないスピードで走っていたようだ。

ステルス機能で隠していたようだけど、場所さえ分かれば関係いね

ガイドが手元の端末を操作すると、目の前にフラッガーの船が現れた。

俺たちが乗ってきた船とフォルムが似ている。

だが、こちらは全体的にチグハグデザインで、機体に見合わない部品が至る所に取り付けられている。

たぶん改造しているのだろう。

おかしい、船を放置したままなんて」

つつがなくフラッガーの船を見つけたはいものの、肝心の本人がいない。

「こんな大きな痕跡を残したら、見つけてくれと言っているようなもの。ただでも防護バリアを破るために、一刻も早く船に乗って脱出したいはずなのに」

「一刻も早く船に乗れない事情でもあるんじゃないか? 昼寝の真っ最中とか」

何の気なしに言った、テキトー意見のつもりだった。

「昼寝……そうか、それだよ!」

だけどガイドは、それで天啓にうたれたらしい。

…………

一体どこに行くかと思いきや、そこは俺たちが先ほどまでいた、次元が分裂した場所だった。

犯人現場に戻ってくる、ってやつか?」

現在進行形でね」

しばらく経っているはずだが、信者達は未だ痺れて動けないようだ。

ガイドはまたも珍妙装置を取り出すと、彼らにそれをあてがう。

「お次は何だ?」

スキャンしているんだよ。この世界と適合している存在か」

世界と適合している存在……まさか

「この中にフラッガーが紛れてるってのか?」

「いま考えると、辻褄は合うよ。この世界はボクたちに敵意を感じるようルールが設けられていた。次元を元に戻そうとする者たちの妨害、あわよくば排除目的だろうね」

「この世界の俺が粛清されたのも、フラッガーの思惑通りだったってわけか」

ルールを作るには裁定者に取り入って、内部から民意コントロールする方が合理的だ。

それは自分が逃げやすいようにする、保険でもあったのだろう。

もし俺たちのような存在が別次元から来て、偶然かち合ったとしても逃げる時間を稼げる。

しかガイド世界全体にバリアを張ったことで、早期の脱出が困難になってしまった。

そこで俺たちを排除してからゆっくり時間をかけて脱出することにしたんだ。

「確実に始末するため、念には念を入れて自ら前線に出たんだろうね」

「周りくどい割に、強引なやり方だな。クレバーなんだかクレイジーなんだか」

「それほど追い詰められていたってことさ」

そして、俺たちを捕らえる寸前までいったはいものの、ここでも誤算が起きる。

ガイドが強力な護身武器を、ためらいなく使ったんだ。

あえなく他の信者共々、スタングレネードの餌食となってしまう。

こうして俺たちが世界を元に戻すのに必死だった間、フラッガーはずっと地面に突っ伏していたわけだ。

「いたよ、こいつがフラッガーだ!」

SSS+級犯罪者の幕切れとしては、随分と不恰好だな。

次 ≫

2020-04-07

anond:20200407183242

新宿あたりにはいるね

まあネカフェとかで泊まってることが多いみたいだから

汚い恰好だなって思っても見た目ではホームレスだとは思わないと思う

2020-04-06

久しぶりに鬼平犯科帳を見ました

先週から在宅勤務に切り替わったが、指示も無ければ与えられた仕事もないので鬼平犯科帳(二代目中村吉右衛門)を見て時間を潰している

1シリーズ、第2シリーズを見終えたのでお気に入りの回を紹介したい

・「血頭の丹兵衛」(第1シリーズ第4話)

密偵となる小房の粂八初登場の回。粂八が平蔵に直談判して「オメェただのこそ泥じゃねえな」と見破られるシーンは必見。柄本明適当な演技が面白い

・「血闘」(第1シリーズ第5話)

同じく密偵となるおまさ初登場の回。盗賊たちに手籠めにされたおまさを救出にいく平蔵。

「てめぇあの女の情夫(イロ)だな」と言われて「貴様外道にあの女の情夫が斬れるか」と返す場面は必見。恰好良すぎてうんこ漏れそう。

・「兇賊」(第1シリーズ第9話)

引退した老盗賊が平蔵の正体を知ろうとして後をつけるもあっさり見破られる場面が面白い。芋なますと芋酒が美味そう。

・「一本眉」(第1シリーズ10話)

浪人に扮した平蔵と盗賊意気投合するよくある展開。一本眉の手下が釈放され残された妻子に平蔵から預かった金子を渡しにいくところは名場面。ちょっと泣いた。

・「用心棒」(第1シリーズ23話)

軍兵衛さん弱い。

・「本門寺暮雪」(第2シリーズ第9話)

犬が強い。

2020-03-31

脳 内 討 論

脳内野党いくら女性恰好をしていても、おちんちんがついていたらホモじゃないですか!」

脳内総理「いわば、女装ショタと言いますのは、おちんちんのついた女の子でありまして、ご指摘に当たるようなホモではないと」

女装ショタはおちんちのついた女の子

閣 議 決 定

2020-03-27

[]

今回は作品単体の感想というよりは、媒体の潮流に対する包括的感想

自分でも漠然としすぎていることを自覚して話すので、他の人は共感どころから理解すらしんどいと思う。

ブツ切り配信

WEBコミックサイトって、例えば1話を「1話①」みたいな感じで配信することがあるんだよね。前編、中篇、後編みたいな明確に区切っているものですらなくて、本当にぶった切った感じの構成。これはWEBコミック独特のものだなあと思う。

商業誌とかだとストーリー的には地続きだとしても、1話単体で何らかの区切りやすい、評価点を作りやすいように描いてあることが多い。「話が進まない」とか言われている漫画がたまにあるけれども、そういった区切り方をやっていないのも理由としてあると思う。

個人的にこのやり方を評価してはいないんだけど、利点も分からなくはないんだよね。コンテンツ認知すらされないってのが最も避けたいことだから構成的に不恰好でもコンスタント提供できた方がいいって理由もあるんだと思う。ブツ切りで配信しても、私みたいに見る奴は見るし。「読む」んじゃなくて「見る」……って感じになりやすいけれども。

私が何でとりあえず見るかっていうと、サイト単位巡回しているからなんだよね。特別この漫画を読みたいっていう感じじゃあない。商業誌とかでも、「単行本買うほどじゃないけれども雑誌に載ってたら読む程度には気に入ってる」って作品があるけれども、そんな感じに似ている。

ただWEBコミックサイトって、世間一般的雑誌という媒体に比べてブランドとしての訴求力が低い状態だと思う。例えば『王様ランキング』が話題になったけれども、それが載ってる『マンガハック』というサイト認知度はそこまでじゃない。

まあ、この点については、個人的に納得できる結論すら出ていない。とりとめもないまま、今回の感想自体もぶった切って終わりです。

2020-03-08

実家電気ポッドが壊れたので、新しい電気ポッドアマゾンで購入して送った

新しいと言っても型は壊れた物と全く同じだ

実家の両親は年寄りなので、あれこれと多機能ものよりも、

シンプルボタン一つでお湯を沸かせるものが一番便利なのだ

そんなシンプル電気ポッドを見ていて思ったのが、何が便利なのかは、人それぞれだということ、

そして複雑な操作要求する製品は、多機能でもおそらく多くの年寄りにとっては決して便利ではないということだ

家電製品ならボタン操作は3回程度が誰もが便利に使える限度だろう

自分学生から社会人になるまでの間に、この社会ではIT技術が大幅な普及をみせて生活に入り込んだ。

IT技術の旗振り役たちは、自分たちの技術未来を変えるのだと鼻息が荒く語っていた

しかし、アマゾンで買ったティファールシンプル電気ポッドに比べて、

IT技術が実現したサービスの多くは、なんと醜く不恰好なことだろう

とても実家の両親をはじめとした老人達に使えるものだとは思えない

まして、ITサービスの多くは、年ごと月ごとにインターフェースルールも変わってしまうのだ

使い方を覚える頃にはそのサービスは古くなっている

2020-03-07

anond:20200306085535

父親学級風呂の入れ方だけやってくれれば上出来だよ

無理に立ち会わせると2人目がつくれなくなっちゃう人もいるらしいし

個別対応してあげてほしい

うちはたちあったけど別になんということもなかった(と本人もいっている)

テニスボール校門におしつけたり

へその緒を切っていいっていうから本人は覚悟して練習してたのに

清潔な恰好だけ時間かかって分娩室に30秒くらい入ってハサミで切ったそのあとは出てってって感じでそそくさとしてたし

しかも清潔な恰好してても私は産褥熱出たし

2回目のおさんがあるならもう一人でいいやとおもう

ただスマホリモコンで買い物とかはしてほしいけど

2020-03-06

例外がなくはないけど

性風俗店客引きって

どうやったって間違えないような恰好をしてると思うんだけど

づやったらまぎらわしいっていうせりふがでてくるんだ¥

2020-02-29

anond:20200228143703

なんでクソ長いの。もっと端的に「一人称が色んなのだと良いな」って言えばいいだろ。そういわないのはお前はそんな事本当は思ってなくて「自分を受け入れてほしい!」ってだけだからだよ。それをカモフラージュするために聞こえの良くコーティングしてるだけ。

そもそも外見だろうが、一人称だろうが、それで影響を受けずに「中身で勝負」なんてことは出来ねえんだよ。タトゥー入れてる黒のタンクトップマッチョスキンヘッドが怒ってたらやべー奴だなって最初に思うだろ。そいつが怒りに相当する理由があるなんて考えないだろ。

スーツの73分けとアロハグラサンならどう考えても前者の方が真面目に見えるだろ。それが当たり前なんだよ。他人からどう見られるか、どう受け取られるかを考えて、自分との折り合いつけて自分言葉恰好デザインしてんだよ。

お前だってそうだろ。正直に「俺を受け入れて!」って言ったら賛同してもらえないの分かってるから耳障りの良いように後付けの理由つけて、文章なりをデザインしたんだろ。


誰しも他人の目を気にしながら、自分センスに折り合いつけながら、そうやって気を使って言葉遣い、髪型服装アクセサリー、持ち物、色々気を使ってんのに、なんでお前らはジェンダーとか言い出すと「全部受け入れられるべき!」とか飛躍したクソみたいなことを言い出すんだ?そんなに耳障りのいい言葉が好きか?短絡的で直情的な理想論が好きか?

ばっかじゃねえの

2020-02-26

anond:20200226191137

性癖とかじゃないもん

なんか切ない顔してたり、ムッとしてたり、情けない恰好してたりして可愛いじゃん

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-23

ホームレスボランティアをしていた時の話

ずいぶん昔、大阪西成ボランティアをしていた時に、めずらしく女性ホームレスがいた。

西成以外でビジネス街では目撃把握されていた)

少ない女性だし、まだ60歳ということだったので、ホームレスとしても若い

ただ、更けて60歳にはみえなかった(70歳ぐらいに見える、真実不明)。

ある時、レイプ事件が起こった。

この女性おっさんたちに輪姦されたというもので、

聞けば、定期的におっさんから襲われていたとのこと。

これはいけないということで、ボランティアの間でもなんとかしてあげないと

といったおせっかい意見が多くでていたが、わたしはどないしたらええねんと割と冷ややかにみていた。

性格による)

先輩ボランティアが、そや男の恰好させたらええんちゃうか、ということで、

男装をさせることにした。

ズボンスウェット。髪も短くした。

しばらくすると、男装しているほうが、性欲を刺激されるみたいで、

その女性さらに襲われることになってしまった。

2020-02-19

anond:20200218234717

おれは田舎者ものスーツに合う革靴はあまり恰好が良いとも思わないのだが、

日本でいう Wingtip 、現地でいう Full brogues が大好きなのだ

厚い革底に水切り孔をあけた飾り革の付いたごつい革靴が大好きで

違う色や違う革で誂えた Tricker's やら Grenson のブーツや靴が玄関下駄箱が溢れかえっているのだ。

キルトを着る Scotsman でもないのにいつでもどこでも Full brogues を履いているのは

我ながら阿呆だと思いながら止められないのだ。

2020-02-18

じゃあ普段スニーカー履きの革靴エアプ勢は何を買えばよいかという話

anond:20200203232919

革靴エアプ勢のおっちゃんは、普段スニーカーを履いていて、革靴なんて冠婚葬祭しか履かないのだけど、不惑を越えてようやく安くて自分の足に合った革靴を見つけたのよ。

なので、ちょっとその辺の話を書いておくよ。

まあ安かったと言っても、KenfordのK641 Lって言う1万円ちょっとする高い靴なんだけどね。おっちゃんが靴を買う時の予算は3,000~6,000円で(これでも奮発してる)、それ超えたら自動的に高い靴扱いしてる。

まず、大概の革靴って、基本買った時は革が硬いのよ。そこは仕方ない、ある程度履いて馴染ませるしかない。諦めましょ。

でも、革の硬さ以外については知恵と工夫(≒知識と「試し履き」)で回避できる余地がある。あるのだけど、普段スニーカーしか履いていないと、意外とそのポイントに気づかないものなのね。

  1. 冠婚葬祭ぐらいでしか履かない、という前提で:とりあえず「黒の外羽根ラウンドトゥプレーントゥ」1足と安めの木製のシューキーパーを買っとけ。
  2. スニーカーと「国内メーカーの革靴」とでサイズ表記が違うので注意すること。
  3. 自分の足にたいして、大きすぎず、小さすぎず、履いた時に指先以外の部分の遊びが少ない靴を選べ。
    • 靴の中に遊びがあると、歩いた時に足の位置がずれて「小指の外側の側面」とかが硬い革に当たって痛い。この辺、スニーカーよりもシビア
    • 指先は捨て寸を設けるとして、それ以外の部分は遊びが少ない方が安パイ。でも遊びが少なすぎると、今度は逆にサイズキツイ感じになる。塩梅が難しい。
  4. 遊びが少ない靴を選ぶためにも自分の足の正確なサイズを把握しておくと吉。
  5. 履いた時の遊びを少なくするためにも、革靴は「履いた後に靴紐を結んで、脱ぐ前に革靴を解く」という運用をするものと心得よ。
    • 靴紐を結んだままで運用しようとすると、往々にして本来サイズよりも大きな靴を買うことになり、履いた時の遊びが大きくなって以下略
  6. 履き口の形状に注意しろ
    • 例えば、くるぶしの下側とか、踵のすぐ上の辺りとか、履いた時や歩いた時に履き口に当たらないか
    • この辺、スニーカーなら多少当たっていても大丈夫だけど、革靴だと革が柔らかくなるまで傷が絶えない生活になる。
  7. 以上のポイントを踏まえて、ひたすら試着して自分の足に合った「安い革靴」を探せ!

おっちゃんの話に戻ると、KenfordのK641 Lを買ったのだけど、別段この靴を万人に進めようとは思わない。単に、自分の足に合っていただけなの。

から、小指の先から側面が圧迫されることが多くて、靴選びで悩んでいたのよ。EEEの靴を選んでも痛い。1段大きなサイズを選ぶと、今度は足全体がブカブカで、インソールで調整しようとすると小指が圧迫される状態に戻ってしまう。

不惑を越えたころに足のサイズを調べたら、全体的にはギリシャ型で、足幅Eの足囲Bで(つまり足先が平べったい)、足幅と「小指の指先あたりの横幅」が割と近い値だった。だから足の形状からすると、靴先が細めのスマートデザインだと、幅が足りなくて小指が圧迫される。甲高ではなく平べったいから、1段大きなサイズにすると甲とアッパーの間の隙間が大きくてブカブカになる――ということに気づいた訳だ。

そこで「靴先が細くなくてあまり甲高ではない」という条件で探して、合っていたのがK641 L。同じKenfordのK422 Lや、似たようなデザインで「『お高めの革靴』の入門版」扱いされているリーガルの2504 NAは、残念ながら足に合ってなかった。

そんな訳で、足に合った1足を見つけられて満足しているのだけど……でもスニーカー履きなのね、今日明日明後日も。楽ちんだから仕方ない。

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