はてなキーワード: 恰好とは
突っ込みたいこと多すぎてブクマでは書ききれないので増田に吐き出す。
匿名なので口が悪くなるが気にしないでくれ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220519/k00/00m/040/228000c
地方自治体が住民に法的措置をとるためには、議会の議決が必要なんだよブォォオオオオオケ!
さらにその前段階として、ルーチン決済作業ではない、レアな事例を新たに起こすための内部決済作業も必要なんだよ。
そして「なぜこの人に法的措置が必要なのか?」て必要性も問われるんだよ。
最初に本人宅に赴いて説明し謝罪したときは、本人は「わかりました、返します」て言ってたんだよ。その後も「返さないわけでないけど、公文書をくれ」とズルズル引き延ばしてその間に口座移してたんだよ。
それなのに「こいつはウソつきの屑人間だ」と疑って法的措置しとくべきだったと?
裁判所から本人にも「町から口座凍結の仮処分申請が来てるが」て通知が来るよ。
本当に返すつもりの人までカチンとこさせて敵にしちゃうでしょ、それ。
本当に返すつもりの人が「返す言ってるのに町から一方的に法的措置され口座凍結されたーっ!必要な金まで下せなくなったーっ!」てツイッターに書いたら、「本人は返すといってるのに裁判所に訴えて強硬手段とるなんて、町は酷い!」て役場叩きでバズるやつやんそれ。
お前らそうなってたら「いきなり法的措置とるなんて住民を信用してないのか」「外から移住してきたよそ者だから差別してるんだ!さすが田舎は民度低い!もうこの町には二度と行かない!」と草津のときみたいに叩く側に回ってただろ絶対。
町長決済が一日何件あると思ってるのよ。特別に対応が必要なレアケースの対応以外に、ルーチンの決済書類が山と積まれてるのよ?
「4000世帯への助成金の振り込み」の決済なんてルーチンの最もたるもので、4000世帯の振り込み内容一件一件を町長が細かく確認して間違い探ししろと?
すべての決済でそこまで細かく見てたら、町長の一日が100時間あっても足りねえよ。
でも「決済でハンコついてるのにミスに気付かなかったから責任が大きい」は的外れな責め立てなんだわ。
USBメモリや暗号化したメールでやりとりしてたら、今回の誤振り込みは防げたの?
振り込み情報なんてテキストデータで数百バイトしかなく、第三者から傍受や改変される可能性がない物理媒体のやりとりするうえで、コストと手間かけて新しいメディアに更新する理由がないから使ってるだけ。フロッピー使うことに何の害があるっての?
役場叩きたいがあまり関係ないことまで嘲笑したくなっちゃった?
あと、「本人も悪いけど、誤振込して使い込むきっかけを作った町も悪い」てブコメが複数スター集めて上位ブコメになってるのにびっくりしてしまったんだが、町悪くなくない?
誤振込した直後に本人宅に謝罪に赴いて、使わず返してくださいと要請してるのに。
ふつうの人間ならそこで「いいですよ」と了解して放置しとくのがふつうで、それを「返すけどちょっと待て」なんて引き延ばししつつ口座移して使い込んだのは100%本人の故意でしょ。それも悪意たっぷりな。
君らそんな「自制心のない人間の悪の行動を誘発した方が悪い」て考え方やったっけ?
君の友人が財布おとして拾った人間に使い込まれたら「落としたお前も悪い」ていうの?
君の友人が車に鍵かけわすれてコンビニ行ってる間に車盗まれたら「鍵かけ忘れたお前も悪い」ていうの?
女に飢えてる非モテ男の前に、生足むきだしミニスカート・体のボディラインが出た服着た若い美女が夜道を歩いてて、男が盗撮や痴漢してしまったら
「手を出した男も悪いが、そんな恰好で誘発した女も悪い」て女も責める、そんな場所だっけ?違うよね。
「どんな服を着るのも個人の自由」というなら、今回のに似た例えにするわ。
「ミニスカートはいた美人が女体に飢えた非モテ男の前を歩いてて、うっかり転んで男にパンツや下着を見せてしまって、パンツ見て我慢できなくなった男が痴漢や盗撮した」事例で、「うっかり転んで下着見せた女も悪い。ミニスカートはく以上は転ばないよう細心の注意を払いながら歩くべきだ」ていうの?言わないだろ。
なんで今回に限って使い込み男に異様に甘いの?
前日よりも人の出が少ないようだった。広場にあったワンタッチテントの数も前日の半数以下だ。だが、駐車場の空きは少なかった。隣接のサッカー場で子供のサッカーチームが試合をしていたので、公園の駐車場がその関係者達に占拠されてしまい、他所から公園に遊びに来た人達は、駐車出来ずに諦めて帰ったのかもしれない。
前日は公園に着いたらまずは敷地内をぐるりと一周散歩したが、この日は真っ直ぐ管理事務所に入った。「鯉とカモの餌」を三つ買う。300円なり。上の子と下の子のぶん、そして私のぶんだ。
池の周りでカモに餌やりをする人々やザリガニ釣りをしている人々も、少なめ。連休最後の日はインドアに過ごしたい人が多いのだろうか?
前日にはいくらか居た鯉の姿があまり見えない。カモは前日と同数くらいいるが、同一カモかどうかは不明。
私と子供達がカモに餌をやっている間、夫が池の周りをぐるりと回って鯉の様子を見て来た。夫によれば、鯉は燕子花の間により集まっていたそう。鯉は、産卵に忙しくて餌どころじゃないらしい。
産卵があろうがなかろうが、この池の鯉は何故か人に餌をねだることを全くせず、人影に向かって寄ってくることもない。昔からそうなのだ。「鯉とカモの餌」は実質「カモの餌」である。
連休中、人々の投げ寄越す餌にカモは飽きてしまったのか、前日よりも食い付きが悪い。食い付きが悪いと、子供達はむきになって餌を次から次へ、なんなら鷲掴みで一度に投げつける。面倒臭そうな仕草で、カモは泳いで行ってしまう。
前日に学んだ通り、カモは真正面に落ちて来た餌にはあまり反応しないので、横か、なんなら背後めがけて投げるのがよい。一粒ずつ投げて、食べたらより手前の方に投げて、少しずつカモをこちらの方に誘き寄せる。……と、言い聞かせても、子供達の逸る気持ちを宥めるのは無理なので、子供達がやたらめったら投げて全部外しているうちに、背後から私が投げて、カモ達をこちらに誘導する。
公園のカモは人慣れしているが、それでも野鳥なので、決まったセーフティーゾーンを越えて近づいてくることはない。一番寄って来て、岸から1.5mくらいの所。だが、それだけ近づいてくれれば、子供の手で投げた餌でもカモはもれなく拾ってくれる。
カモを岸に寄せたら、私の役目は終わりだ。早くも手持ちの餌を投げきってしまった下の子に残りの餌を手渡し、子供達の隣にしゃがんでカモを眺めていた。
やがて二羽いたカモのうちの一羽が、人間の相手をするのに飽きたらしく、水面に浮いた水草の根で遊び始めた。猫がねこじゃらしにじゃれつく時のように、根っこの切れっぱしを仮想敵とみなしてつつき回している。するともう一羽は反対方向へとすいすい泳いで行ってしまった。
よく、水辺の白鳥の姿は夕方だが、水面下では白鳥の足はジタバタと不恰好に水を掻いているという。だが、カルガモ達が水面をすいすい行く時の足の動きは優雅で無駄がない。茶色と緑の入り雑じった泥水の中でも、カモの足のオレンジ色は鮮やかに映えている。
子供達は橋を渡って池の向こう岸へ行き、別のカモのコンビに餌をやり始めた。私と夫は日陰に入り、また別の二羽を眺めた。なんと、二羽のうちの一羽がうたた寝をし始めた。私と夫の他にも人間がいくらかいる、その前で、自らの羽の合間に嘴を突っ込んで、うつらうつらと目を閉じたり開いたりしている。警戒心がだいぶ薄れているようで、風に吹かれるままに岸辺に流されて来て縁に敷かれた石にぶつかりそうになったところで目を覚まし、いそいそと池の中央に戻っていく。だが、しばらくするとまたこちらに流れてくる。カモ達の、ここに来る人間達への信頼度は半端ない。
あまり昼寝の邪魔になるのもなんなので、こちらから遠慮して岸を離れた。池の中央にかかった橋を通ると、水面に亀がひょっこり顔を出していた。種類はわからないが、外来種ではなさそうだ。どう見ても、こっちを意識している。子供達を呼び寄せて、亀がいるよと教えてやると、子供達は亀に餌を投げた。すると亀はカモよりも機敏に餌を追いかけて食べた。だが、カモほど食欲が底なしではないらしく、いくつか食べただけでくるりと身体の向きを変え、泥水の中へと姿を消した。
対岸で、子供達がカモに餌を投げるのを見守る。子供達はやはり闇雲に餌を投げるばかりで、大人のようにテクニックを駆使してカモを手懐けることは出来ないようだ。それでも、力技で遠投した餌をカモに拾われて喜んでいる。
二人の少し後ろに、三歳くらいくらいの男の子がとことことやって来た。手には餌の袋を持っている。だが、まだ小さいので餌を遠くに投げることができない。男の子は、うちの子供達が餌を投げているのを、恨めしそうにじっと見ているだけだ。そのまた背後に、父親が心配そうな顔で着いている。うちの子供達が邪魔で男の子がカモに餌をあげられないという構図になってしまっていた。なので、私は子供達に声をかけて、あっちのカモに餌をやりに行こうと促した。
池の周囲でカモに餌をあげようとしている子供の多くは、五歳以下に見える。自分の足元も覚束無い幼児もいる。彼らはどうしたらカモの気を惹けるか考えて餌を投げるということが出来ないので、節分の豆まきのように餌を投げまくった末にカモ達に完全無視を決め込まれる。ガッカリしている子もいれば、とりあえず好きに餌を投げただけで満足という様子の子もいる。
うちの子供達がその年頃のころ、私は子供達にカモの餌やりはさせなかった。うっかり足を滑らせて池に落ちることを恐れてのことでもあり、こんな小さな子に失敗が運命付けられているような事をさせても可哀想なだけなのではないかと思った。それに、その当時は池の畔に集まる子供の多くが小学生で、幼児の方こそ場違いに見えた。
だが今は、頭の重みでいつ前のめりに転がり落ちるかわからない幼児が、器用に池の縁の石の上に立ち、池の中を覗いているのだ。
うちの上の子はもう五年生で、この歳までカモに餌をやって遊ぶことをしないで来たわけだが、もうじき自分から幼児に紛れてこんな風に遊びたいと言うような年頃ではなくなってしまうだろう。少々の危険を覚悟で、もっと小さいうちから好きに遊ばせておけば良かったのではないかという後悔を感じないでもない。だが、一人で池を覗き込んでいる年端のいかない幼児が池に転がり落ちないで済んでいるのは、単に運がいいだけにも思える。
餌を全部投げ終わると、子供達は手を繋いで、中央広場の遊具で遊んで来ると駆けていった。私が子供達の手助けをする必要はもうない。遊具で遊んでいるのも幼児とその保護者ばかりで、小学校高学年の子供達はマイナーだ。十年前は逆に大きな子供達ばかりが、少数の幼児を蹴散らすような勢いで遊具に飛び付いていて、危なっかしくひやひやしたものだ。
後で上の子に聞いたところ、遊具には小さい子が沢山いるから、小さい子に出会ったら危なくないように道や順番を譲ったとのことだった。
子供達が遊具で遊んでいる間、私と夫は木陰のベンチに腰掛けて待っていた。
蓮池のところでザリガニを捕っている親子連れがいた。事務所で売られている「ザリガニ釣りキット」ではなく虫捕り網を持っている。ザリガニは釣るより手掴みした方が早いのは確かだ。
母親が威勢よく小学校低学年くらいの息子に怒鳴っている。ここぞという時に息子が網を持ってふらふらとどこかに行こうとしたからのようだ。母親は、ザリガニ捕りどころか公園遊びにも向かないようなくるぶし丈のスカンツの裾を片手で引き上げ、もう片方の手を蓮池に突っ込んでザリガニを捕ろうとしている。根っからのお転婆ではなさそうだ。そんな妻の横に立つ夫は「男らしさ」とは縁の無さそうなおっとり系だ。私の観測範囲だと、自分の息子を「男の子でしょ!」と叱る人ほどお転婆そうではなく、配偶者も大人しそうな優男であることが多い。
振り返って広場の方を見ると、上から下までスポーティーな格好の母親と、やはり上から下までスポーティーな格好の小学校高学年か中学生くらいの娘がバドミントンに興じているのが見えた。楽しそうだ。子供が大きくなったら大きくなったなりの遊び方があるようだ。私の乏しい体力では、バドミントンは無理そうだが……。
MtFって、見た目男性として生きてきて、適合手術して、途中から見た目女性になり生きるようになったことから
https://mobile.twitter.com/party_othman/status/1515978986979196929
「性別移行するまで全く同じ生活してたのに移行して半年で起きた出来事です。」
「身長も体重も中身も全く同じ人間が、女性に見える恰好で生活するだけでこんなにも急激に犯罪に合う。」
という経験を語れる人々なのに、トランス嫌悪系の自称フェミニストは、こういう人々のことも敵視してて理解できない。
フェミニストにとっての「敵」は、「性犯罪者」と、性犯罪被害者叩きをする「性犯罪促進者」たちと思っていたけど違うのかな。
両方の性別から主観で見えるものを横断的に語れる人々は、どう考えてもフェミニストの味方だと思うのに。
横断的体験という意味では、VRchatで美少女アバターを着ている男性が、別のユーザーからバーチャル性暴行を受けるケースもある。
運動部のイケメン高校生や大学生がゲイ痴漢に遭うケースや、断れないイケメンがストーカー女に暴行されるケースもあるけど、
過半数の男性(普通の男性)には性的需要がなく、性犯罪者にターゲットにされることがなく、存在を無視されがち。
それは安全を享受しているといえるのだけど、多くの男性には「性的存在として無視されている」という被害者意識がある。
VRchatでバーチャル性暴行を受けた男性は、性犯罪被害を受ける側の主観的な立場がわかる貴重な男性で、そういう人々の経験談も本当に貴重。
これらはフェミニズムにとってプラスに働く語りだと思うんだけど、「オタク、キモw」みたいな反応を示す自称フェミニストがいて、本当に理解できない。
正確に言うと、「外商回し」という単語の意味はググって分かったけど、御がついて「外商御回し」とする意味はわからなかった。読んでいた小説に登場した言葉。登場人物の服装を“「外商御回し」風の服装”と表現。要はその人物の年齢やいる場所に似合わないくそダサい恰好であると揶揄する表現だった。
外商とは。デパートのVIP客のための御用聞きみたいな人。外商部という部署に所属している。VIP客の住まいを訪問して、雑談がてら御用聞きや売り込みなどをする。
外商回しとは。客がデパート内でぶらぶらお買い物をする際にレジで「外商に回して」というと、支払いが外商に回るので、そこで精算する必要がなくなる。デパート内のあちこちで、服だの宝飾品だの家電だのインテリアだの食品だの、あちこちのコーナーをうろついて客は買い込むわけだが、全コーナーのレジで「外商に回して」の一言で財布を出さずに済む。
で、客は買い物が終わったら最後に外商のところへ行って買ったぶん全部の支払いをするのだが、外商回しにすると外商が各コーナーの担当者に値引き交渉をしておいてくれるので、支払い額がお安くなるというメリットがある。一方、外商は担当顧客が外商回しで買い物をしてくれると、それが自分の実績になる。つまり外商回しとは、客と外商にとってはWIN WINのシステムなのだ。
という事なので、「外商御回し」と揶揄された恰好というのは、デパートの外商みたいな服装という理解でいいのだろうか。外商回しをする客のような恰好の事ではないよなあ? と考え込んでしまったが。
ちなみに、件の「外商御回し」さんの服装を具体的にいうと、予備校生の分際で“衿の硬そうな襯衣(シャツ)を着、きっちりとボタンをかけ、折り目の入ったズボンにタッセルつきの革靴という扮装(いでたち)”だそう。小説の時代設定はおそらく00年代初頭。とっちゃん坊やみはある。
まあ、端的に言って……
これに言及してる自称「フェミニズム」の人達、これ全て偽物の「エセミニズム」ですわな。
例えば、今や日本では見られない「ブルマー」。これ、そもそもは女性解放運動が元ですわな。
この言葉も「女性」などという言葉が付くのも気に食いませんが、それを一概に否定するのも先史の日本で戦った者たちへの侮蔑でしょうし、今は問いません。
まあ、斯様な運動に微塵の興味も無い方は知らんかもしれませんが。元々は、そういうもので御座います。
まあ、その丈が不要に一律で短くなるのは実際問題よろしくない事で御座いましょう。それに関しては構いません。徒に性別で衣服を統一し、剰え羞恥を与うるするなど、フェミニズムの意向に真っ向から叛逆するもので御座いましょう。
然し乍ら、そこから選択の権を奪うならば、それはそれでまたフェミニズムに真っ向から叛逆するものに御座います。
何故なら、そもそものフェミニズムとは「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」という意向に対して異を唱えたものでありませば、決してその逆ではないからで御座います。
そもそもに於いてミニスカートも同じくフェミニズム運動の賜物であるという事を、今の日本人はご存知無いのでしょうか。
男性は上体とはいえ裸体を晒しても問題はなく、女性は規制せねばならない。これを何故に許すのか?
フェミニズムの本質とは、男女同権にて男女平等。あくまで人間の尊厳に拘うものであります。
「それは男性の性欲が問題なのである」「男性が性的な目で女性を見るが故に、その自由を我々は妨げられるのである」……剰え、「これに同意しない者は名誉男性であり、女性の敵である」と。
果て、上記の話を全く聴いていないのでしょうか?と問わざるを得ません。
「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」
貴方方の仰ることは、「なので、そのような端ない恰好をする事は許さない」としか聞こえませぬ。それが女性の締め付け以外の何であるというのでしょうか?
無論、その間には数々の論理を入れているのでしょうが。全く以て意味の無い無理屈としか思えません。
真に男女同権を志すなれば、そこで唱うるべきは最低でも「男性も性を隠し、女性と同様に慎め」であり「女性の姿や格好に文句を言う」などというものでは無いでしょう。
或いは「男性も今以上に性的魅力を解放し、性的消費されよ、そうやって虎視眈々と狙わるることを粛々と受け入れよ」というのが男女同権なのではと思われまする。
そして、そのように男性を性的な目で見るような創作は今や無数に存在する。これが数十年も前なら考えられなかった事です。
また、昔と異なり医学の発達した今、まだ技術的には難しく、一般的な制度や倫理も今は許さぬとはいえ、男性でも出産をするという可能性も見えてきております。
あらゆるリスクも、コストも分け合う未来というのは、近くなっていると考えて良いでしょう。そういった自由を常に勝ち得てきた。
だのに未だに我々はフェミニズムを唱えながら、その口で男性だ女性だで区別を為す。
真のフェミニズムとは、男女なる概念を社会通念から消し去ることだと言っても過言ではありません。
無論、その自由を奪う事は許されません故、あくまで名乗るのも志向するのも自由でしょう。
然し、真のフェミニズムとは「どのような身体を持とうとも、その意は自由に選べること」であり、決して人の嗜好を怪しからん端なしと規制することではない。
それこそ、人の衣服を規制する名誉男性の仕業と言って差し支えないでしょう。そうやって、子供の服まで勝手に規制するような親の役割に終始していれば満足なら、一人で人形遊びしているのがお似合いでしょう。永久に締め付けの再生産をすれば宜しい。
されど、そのように本質を損なった批判や非難は、何を述べ立てようと偽善であり、偽のフェミニズムである。
それを言う側も聞く側も履き違えるなというのが、私の結論であります。このような存在を自称でも「フェミニズム」と取られられる方が迷惑なのですから。
本当に恥を知ると良い。としか。
前のは消えました哉。滑稽。
まぁいつも人のことを小ばかにする嫌なヤツだったんだが、周りからはことあるごとに社長ネタにされていたから性格も曲がってしまったんだろう。
ある日、ふとそいつが「俺には俺の悩みがあるんだよ…」とぼそりとつぶやいた。
それが妙に印象に残ってて、相変わらず嫌な奴ではあったんだが、なんだか憎めなくなった。
で。十数年ぶりにその会社のホームページみてたらそいつが社長になってた。おお、凄いぞ。
閉鎖的な田舎で、でもそれなりに従業員を抱えて、同じ年のそいつが社長をやっている。
今の時代、外に出ようと思えば出られる、跡を継がなくてもいい、
色んな選択肢がある中でそいつは跡を継いで立派に社長になったのだ。
相変わらず嫌な奴かもしれない。でも俺はお前の葛藤を知ってるぞ。
お前は凄い奴だよ。
暇つぶしならいいけど、単に露出しらべても何の証拠にもならんよ。
課金額高いやつほぼ全員低露出やぞFGO。孔明、マーリン、キャストリア、オベロン。
千子村正は胸板半分出してるけど男性だし鍛冶だから必要性あるよな。
水着キャラとしてはっちゃけてる人格・言動・★4レアリティにしては破格の宝具ループ性能などあっての魅力だし。
そもそも手っ取り早く露出がみたけりゃかったるいゲームガチャなんかに課金するもんか。
他にいくらでもエロサイト(絵、写真、動画、ビデオがみられる)があるのに。
俺がいいたいのは、欲望が子供の聖母化・娼婦化にいきはじめたらそこでようやくCERO指定上げるとかで処理すりゃいいだろってことだ。
その意味でエレナとジャックザリッパーはワレメツルンな恰好もあいまって俺は個人的には大好きなFGOの汚点だと思ってる。
子持ち親だのジジババの年の自分がみてもやっぱ嫌だもんあれ。z指定でも嫌だな見たくないなというのはああいうキャラ。
いっとくが露出があってもマックロイリリィとレジライリリィ、子ギル、アレキサンダー、アストルフォ、酒呑童子あたりは全然汚点とはおもわない。
(逆に垂れ気味のリアル乳+死んだ目のブーディカをせっかくカルデアに呼んでおいて台所に押し込みがちな扱いもちょっとジェンダー的に汚点だとおもってる。
宿敵ネロは大活躍なのに…、ノンプレイアブルのほうが幸せな死後を送れたんじゃなかろうか。)
ちょい話がそれたが無垢な未成年女性「女の子」像をつくっては勝手に聖母化・女神化して無意識のマザコンだの性欲だのをおしつける宮崎以来の悪癖が俺は大嫌い。
痴漢被害に遭った増田や増田への反応を見ていて、自分が長年もやもやしている気持ちを吐き出したい気分になったのでここに記す。
https://anond.hatelabo.jp/20220317162935
自分には祈るしか出来ないけれど、増田が少しでも生きやすい環境になれば、と思うし、以下の自分の思いも、何かの問題提起になったらいいなという気持ちもある。
20年以上生きてきて、痴漢に遭ったのは両手の指で数えるくらいで、周りの被害に遭った子たちと比べたら少ないと思う。
転職を機に女性専用車両での乗り換えが楽になったのでそちらを使うようになったし、コロナ禍で在宅勤務を行うようになってからは、ほとんど電車に乗っていない。
それでもあの時会社に遅れるかもしれないとか、この手を掴んで言えば何か言えばいいんだろうけどその勇気が出ないとか、逃げられたり、最悪逆上されたらどうしようとか、そういう思いがぐるぐる巡ってずっと我慢してしまっていたことを、たまに思い出す。
痴漢は再犯率が高いと聞くし、あの時自分が声を上げられなかったせいで、被害に遭った他の方がいたら本当に申し訳なく思う。
たまにお酒を飲んだりしている時に、愚痴のような形で痴漢についての話題が出る。
インターネットでも痴漢関係の話題はよく比較的バズっているように思う。
で、そんな時に被害に遭いやすい人向けに気軽に言われる言葉の中に、「そんな地味な恰好してるからじゃない?もっと派手な恰好しなよ。金髪とかだと被害に遭いにくいらしいよ」というものがある、と思う。少なくとも私の場合はよく言われる。
指摘される通り私はいかにも痴漢被害に遭いやすいとよく言われる、『抵抗しなさそうな大人しい女』の姿で外を歩いている。髪の色は暗く、メイクはナチュラルで、服もオフィスカジュアルのような大人しいシルエット、色のものを好んで着ている。
実際、先に述べた通り抵抗らしい抵抗も相手を突き出すことも出来ていないので、そのイメージ通りになってしまっていること、そういう女を狙って痴漢をしている犯人の意図の通りになってしまっていることには悔しさを感じる。
でも、痴漢に遭わないために自分の服装や髪色を変えるのは嫌だなあと思う。
在宅勤務でもあるし、今の勤務先はかなりゆるい。正直、私が突然明るい髪色にしても何も言われない。かなり明るい髪色や、インナーカラーの入った同僚だっているのだから。
でも、私がそういう自分を想像できないし、そういうファッションをしたくない。今までそれなりに色々なファッションを試していて、一番しっくり来ているのが上記の大人しい女ファッションで、私はこれを気に入っている。それを変えることも、やっぱり痴漢への敗北のように感じてしまう…うまく言えないんだけど、痴漢がいたから自分を曲げざるを得なかったのだという象徴になってしまうような気がして。
一方で、痴漢以外にも街で道を聞かれて分からないので警察で聞いてくださいって答えたら突然怒鳴られたり、すれ違いざま卑猥な言葉を掛けられたりすることもあったりして、そういうのってやっぱり話しかけやすい、大人しい女の恰好をしているからこうなるのかなっていう気持ちにもなる。
勿論効果がある人も多いから、善意があるからこうしたらいいよって言うのだと思うんだけど、服や髪って重要な自己表現の一つだと思うので、何でそれを気軽に変えなよって言うんだろう?と思う。他の話題で気軽に髪切りなよとかそのメイク変えなよとか言わなくない?
私は今の私のままで、年齢を重ねるともう少しこういう被害は落ち着くと思う…そう思いたい部分もあるけど。
でも、若い子達が悩んでいる時に、気軽に普段の行動を変えなよって言いたくないなと思っている。
自分が自分のままでいて、普通にしていて、そういう被害に遭わないにはどうしたらいいんだろう?
女性専用車両を使いなよとか電車の時間や車両を変えなよというのも同じような問題だと思う。
実際先の増田のように、車両の位置や乗り換えの都合などで車両や時間を簡単に変えられないことも多いし、そもそもそういう負荷を被害者が負うのって嫌じゃない?何で被害に遭ってるのに更にそこまでしなきゃならないの?