はてなキーワード: 渇きとは
静岡に旅行に行った時のことだ。観光地を歩き回って喉が渇き、自販機で飲み物を買おうとした。そこで見つけたのが「しずおかコーラ」という謎の飲み物。ラベルには富士山とお茶の葉のイラスト。どう見ても怪しいが、旅の勢いで買ってみた。
一口飲むと、予想外にお茶の味がする。炭酸とお茶の絶妙に微妙なハーモニー。美味しいかどうかは正直迷うが、もう一口、そしてもう一口と飲んでしまう妙な中毒性があった。
それから静岡の自販機をよく見ると、他にも謎ドリンクが並んでいる。「いちごサイダー」「わさびラムネ」など、見たこともないものばかり。静岡、どうなってるんだ?と思いつつ、結局何本も試してしまった。
後で地元の人に聞いたところ、「観光客が面白がって買うから種類が増えたらしいよ」とのこと。なるほど、観光地ビジネスに乗せられたわけだ。でも、そんな商魂たくましい静岡がなんだか好きになった。
渇いている感じがする。
これじゃいけない感というかもっと何かをしたい感というか。
人手不足を引き受ける立場を続け、ライフステージの中で色々な葛藤状況が重なって、軽くバーストし、適応障害と診断され、しばらく休職してやっとリハビリ勤務を始めたところなのだけど。
不調が出たのは徐々にだけど突然だった。
休む前も職場に行くだけで涙が出る、仕事をこなしながら座り込んで30分くらいに立てなくなるなどの症状があった。薬で眠れるようになり,休職で強制的に夏休みをつくり、イレギュラーや重要な決定をする必要のある仕事からは一旦離れて、まさにリハビリ勤務になった。
大変理解のある職場で、ほぼ責められることはなく、気持ちよく休職させてくれた上に、ここまで配慮した復帰のお膳立てをしてくれる。
だからこそここが一番慎重にならなければいけないところ。
与えられた業務だけちゃんとやって、決まった時間に出勤退勤することを守り、その上で自分の健康状態を回復させていく。
それしかやらなくていいはずで、むしろできる限界値が大幅に下がっていて、実際にリハビリ勤務を2日終えただけで、休職前の1週間分くらいの疲れが自分に来ている。
なのに、
「早く元の立場に戻りたい」
とか、
とか、
あれもしたいこれもしたい、
色んな欲求が渇きのように疲れた体を押し上げていて、動け動けって言ってきて、しんどい。
これが躁状態というやつなんだろうか。
動いてないと、誰かの役に立ってないと、誰かと繋がってないと、遊んでないと、私の中の自信が尽きてエンプティマークが点滅し、やがて自信喪失してしまう気がする。
やりたいと思うこと、全部をこなすことが器用に操縦できる状態じゃなくなったから休んだのに、頭では分かっているのに。
休息すべき時に、気がついたら毎晩のように夜の街に遊びに行ってしまう。
お酒を山ほど飲んでしまうし、友達とどれだけでも話していたくなってしまう。
壊れかけた自転車で、坂道を上ってるみたいな感覚がある。目指すところは自分の渇きが満たされる頂上、でもパワーが足りないからうまく漕げすにだんだん後ろへ下がってくばかり。
今必要なのは仕事も遊びも無理に漕ぎ続けることじゃなく、自転車から降りて歩いて牽きながらてもちょっとずつ歩いていくことだと分かってる。
渇いていても、それは私の価値が足りないのではなく、エネルギー自体が足りないだけなのだから無理をしてはいけないんだって、自分に言い聞かせながら唾を飲み込んでる日々。
先日パワハラ上司に罵倒されながら、「あ、幼少期の頃もこんな感じだったな」
と色々幼少期を振り返っていた。
物心ついたときからそういう扱いだったためか、虐待をされてもそれなりに冷静だった。
保育園くらいの子どもなんだからおねしょくらいするだろ、くらいに考えてた。
基本的に理不尽なことで怒られてるのは理解してたので、言葉では謝りつつも心の中はそうではなかった。
それよりは喉の渇きと飢えをどうするか、あの小窓から抜け出せるだろうか、そんなことを考えてた。
腐りかけてネトネトになった飯を食べて飢えを満たしたり、罵倒と暴力から逃れるためにテーブルやら椅子やらでバリケードを作ったり…
とにかく一生懸命だったと思う。
やっぱり肉体的な優位性は大切だな、と思い、筋トレを始めた。今でも続いてるのだからそこは感謝かもしれない。
こんばんわ
久しぶり、弱者男性です。
随分むかし、妹に「モテないのにプライド持たない方がいいよ?」と言われて傷ついた人です。
今では「女だったら誰でもいい」と思ってて実際に口にするほどの極限までプライド捨ててるのに、パートナーは一向に現れる気配がないぞ。
別に処女じゃなくて全然いいし、オッパイどころか体型にもこだわらず、性格も気にしない。清楚・・・は差別語っぽいか(今はもう)、自己主張が弱くても逆に我が強いタイプでも全く構わない。
門戸はガバガバに開いてる。
・・・なのに彼女どころか、女友達さえできないんだよなぁ。とほほ。
なぁ。
モテなくて辛くても。
学生時代は平気だったから後回しにしてたモテなさが、大人になって返済できなくなってきても。
男としての渇きが、どれほど苦しくても。
自分が生きるために。
久々に電車に乗った。
9月も終盤だというのに、信じられない蒸し暑さだ。
額と背中に汗を滲ませながら、息も絶え絶えにホームから改札への階段を登る。
腹のくびれまでたくし上げたチェック柄の短いスカート、薄い水色のシャツ、肌艶と肉付きのいい太もも、髪型はポニーテールだ。顔は見えなかったが多分整っているのだろう。溢れ出る自信が後ろ姿からも滲み出ていた。
俺は無意識のうちに、少しだけ背中を丸めて上目遣いになっていた。年を取ると階段がキツイのだ。この姿勢になってしまうのも無理はない。
柔らかそうな尻肉にピッタリとフィットした淡いピンク色のパンツ。
この暑さだ。おそらく陰部も相当に蒸れているだろう。ケツの谷間には汗が溜まっているはずだ。
嫁とセックスしなくなり、寝てばかりの息子に血が通った。枯れたと思った精子が金玉で疼く。
この光景を忘れぬよう、自宅への歩みを速める。
そして、帰宅してすぐにシャワーを浴び、久しぶりの自慰をした。
学生時代という、合法的に未成年と淫行できる最後のチャンスを逃した我々は、正規のルートで女子高生の生パンツに触れることはもう一生できないだろう。
それならば、盗み見るしかない。たとえ捕まってもいい。そうじゃなきゃ、このやるせない気持ちはどこに向ければいいのだ。
あのムチムチとした、元気な赤ん坊を産めそうな女子高生を抱ける男がいる事実。それがどうにも許せないのだ。
嫁のたるんだ腹と乳で、この渇きを潤せるのか?
風俗ってのはな、おいそれと素人が足を踏み入れていい場所じゃねぇんだよ。
童貞だろうがなんだろうが、そこでいい目に合うかどうかに必要なのは、たゆまない努力と研究と真偽を見抜く眼力なんだよ。
歌舞伎町だの池袋で、酔った勢いでキャッチに捕まっていい思いが出来るわけがないんだよ。
一時の性欲に負けて風俗に行くのではなく、自分がどういう欲望を抱え、どのようにそれを昇華させたいのか?
それを強くイメージする事が重要。何度も言うが酔った勢いでなんてもってのほかだ。
自分の性欲と向き合ったら、それをどのような店で昇華できるか、その店の情報を得る。
最初は難しいかもしれんが、今はインターネットという便利な道具があり、いくらでも情報は得られる。
それで自分が思い描いたイメージと合致する風俗、店、そして嬢を探すんだ。
なかなか最初は難しいかもしれねぇ。けどな、ここで得た情報は無駄にはならねぇんだ。
だから時間をかけて情報を得て、そしてそれを研究する事が必要だ。
途中でくじけるかもしれない。
その気持ちはわかる。だがな、そんなときは一度立ち止まってみろ。立ち止まってオナニーをしろ。
そしたら不思議と心が落ちつく。一時の性欲の迷いで選んだ店で、貴重な金と時間と性欲を無駄にする事は回避できる筈だ。
けどな、これだけは言っておく。風俗に対する欲望ってのはな、オナニーごときじゃ蹴散らせない。
6末で無職になったんだけど、体調が史上最悪レベルで悪い。なぜだ・・・?
不快度5/5★★★★★
不快度3/5★★★☆☆
仕事をしていた時から右腕は痛かったのだが、最近は左腕も痛くなってきている。
不快度5/5★★★★★
目薬なんて差すんじゃなかった。
目薬が悪いのか、それとも眼精疲労が目薬で顕在化したのかは不明。
PCならそこそこマシ。
不快度4/5★★★★☆
原因はまったくの不明だ。
湿布を張って寝ても、まだまだ痛い。
不快度3/5★★★☆☆
食べすぎて口内炎ができて、
単発ならまだ我慢できるが、他の不調と合わせてかなり辛い。
何が言いたいかと言うと、なぜか仕事を辞めてからの方が体調が悪い、ということだ。
まあとにかく辛い。
私はこの時をずっと待っていた。
船内は明らかに混乱していた。その証左に、私たち囚われ人の前に今朝から一度も奴らは現れていない。いつもは日が昇ると同時に私たちは奴らに鞭で追われて甲板に上がるのだが、今日はもう日が暮れようとしている。
もちろん、昨日から船がどこかの港に停泊しているということもあるのだろう。奴らの人数も、いつもが十だとしたら二か三くらいしかいない、そのような気配が感じられる。
折り重なるようにして寝ている私たちを、常に狙っていた火を吹く黒い筒も、据えられた台座の横にいるはずの者がいない。
私たちはあの黒い筒のと交換で、この船に押し込まれ、囚われの身となった。私たちとの争いに勝った部族の王は、降伏した私たちを奴らに引き渡して、あの人殺しの筒を買ったのだ。
私たちはずっと鎖で繋がれ、太陽の出ている間はろくな食い物も水も与えられず労務を課せられた。怪我人や病人は放っておかれ、その程度が重ければ海に捨てられた。そして日暮とともに船の底のほうの暗い場所に押し込まれ、繋がれたままほとんど眠れない夜を過ごした。
私も例外ではなかったが、一つだけ違うのは、足首に繋がれた鉄の輪が開くようになっていたことだ。最初に鍵をかけ忘れたらしい。
しかし私はそれに気づかないふりをし続けた。いつでも自由に走り出せると知っていながら、走り出しても撃ち殺されない時を待った。
目の前で何人も仲間が死んだ。病で。空腹で。極度の渇きで。奴らによる無意味な虐待で。犯された後に殺された男児もいた。
しかし私は足首の輪を外さなかった。歯を食いしばりながら、そこにある自由を見過ごし続けて時を待った。
そしてようやく、その時が訪れた。
奴らが「セントクリストファーネビス」と呼ぶ、この港に着いて一昼夜が経ち、明らかに奴らは何か別のことに気を取られていた。今日一日を日の当たらない船底で過ごした私は、漏れくる陽光の傾きと弱まりから日暮が近いのを知る。
完全に暗くなっては行動ができない。
奴らよりは夜目が利く私は、黄昏を待ってついに足輪を外す。まずは私と二人一組として繋がれていた男に、声を出さないように促しながら、行動開始を合図する。
そこからは今日一日かけて事前に打ち合わせしたとおりに事が運んだ。大きな物音を立てて番人をおびき寄せ、待ち構えた私たち二人で声が出ないように縊り殺し、鍵を奪って皆を自由にする。
甲板に登ったところで金網と棘の張り巡らされた壁があり、黒い筒を持った奴らが待ち構えているだけなので、私たちは船体の横腹に穴を開けて海へと直接逃げ込んだ。私たちの部族は幼い頃から泳ぎを学んでいることもあり、八十と六人全員が、雲を通す薄い月明かりの下、岸までたどり着くことができた。
その後は走った。街を離れ、ひたすら高い場所を目指して、首まである草地の中を走り続けた。船の方を振り返っても幸い気づかれた様子はなかったが、私たち皆は喜びに満ちた疾走をしばらくは止めなかった。止めたくなかった。
満月が雲から顔を出し、この島を照らし出す。私たちは島の全てが見渡せる高みにいた。遠く、忌まわしい船が見える。月が港の水面に映っている。
私たちはこの島で生きていくことになる。勝手のわからない新天地での暮らしは、簡単には安定しないだろう。しかし今私たちが成し遂げたことに比べたら大したことはないはずだ。もし奴らが私たちをもう一度捉えようと襲ってきても、今度は闘い、退けよう。
興奮が高揚に変わり、やがて静かに幸福感を噛み締め始めた頃には、私たちは自分がひどく疲れていることに気づいた。
年老いた者、幼き者から順に眠りにつく中、私はまだ立ったまま船のほうを見下ろしていた。
突然の轟音。大きな岩同士がぶつかるような音。
音のしたほうを見ても、何もない。正確には月の映った港の水面しかない。
音は一度止んだが、今度は岩と岩を擦り合わせる、悲鳴のような音が鳴り出す。大きく硬いもの同士が押し合ってお互いを破壊しようとしているような、破局的な音。
目を凝らすと、港の水面の端っこに映っている月が、岸を少しずつ削るようにして水面を拡げているように見える。ただの水面に映った影がそんなことができるはずがないのだが、そうとしか見えない。
やがて削られた岸は暗い淵のように開いていき、ある瞬間に突如港の水を飲み込み出した。
水は滑り落ちるように「淵」に落ちていき、引きずられるように港にあった船も吸い込まれていく。私たちを運んできたあの船も。
全ての水と船を飲み込むと、淵はいつの間にか消え、水面が無くなったことで月も空にしか存在しなくなった。
やがて月に変わるように太陽が空に現れた。
私たちは出口を見つけられたのだ。
なにがきっかけになって再起動するのかさっぱりよく分からないわ。
これってもう新しいのにしなさいって思し召しなのかしら?
いい加減古いアルバムめくり~って
そんな気分の状態なのよね。
やっぱりもういい加減新しいのにした方がいいのかしらなイレヴン、
セブンイレブンと似ているけれど違うわ。
逆に不便さをその再起動で被っているのよね。
いい加減に古いからなのかしら?
それともなにかが影響して悪さしてるのかしら?
この繁忙期に入りまくりまくりすてぃーな季節のシーズンになってこれは困るのよね。
そして、
この暑さたるや感。
これってもしかして暑さでそうなってる?
いやエアコン効いてるはずなんだけどなぁ。
私土用の丑の日って書かずにパソコンの再起動が直りますように!って書けばよかったわ。
うふふ。
この暑さでなんか食べる食欲がなくてヒーコーだけ冷たいのをいただいたわ。
これだけは飲んで起きたかった朝のヒーコーね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯』から、そう遠くない海上に、コロンブスの時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。
セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。
ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つの島からなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスのファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。
どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。
そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ。
1777年7月、ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸で奴隷の仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。
カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。
こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。
“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死に進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。
この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷のほとんどが変死している。脱水症などで奴隷が輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。
入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体が発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身と下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。
船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。
つまり「黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請の手紙が届き続けていたからなのだ。手紙は1777年の8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書は英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。
手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。
ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。
セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。
数年前から何かある度に体の塩分バランス的なものが崩れるようになった。
最初は大体喉が渇く。喉が渇いたから水を飲む。飲んでも渇きが癒えないなと思っているうちに頭が痛くなる。放っておくと気分が悪くなって立ち上がれなくなる。
水を飲んだりポカリを飲んだりしても全然だめ。経口補水液すら効き目を感じない。塩。とにかく塩を舐めるしかない。
冬でもカフェイン入りの飲み物を飲んだりしてちょっとトイレが近くなるともうダメ。塩をなめなきゃいけない。
夏なんて毎日のように気分が悪くなる。毎日梅干を食べカップラーメンは汁まで飲んでもまだ足りないので塩を舐める。
医者には相談してみたが「気のせい。塩舐めるのやめな」としか言われなかった。
気のせいってなんだよ。気の持ちようで気持ち悪さが治るのか?
試しに何度か塩を舐めず過ごしてみたが普通に吐きそうになるくらい気持ち悪くなって手がガタガタ震え出したのでやめた。
しょっぱいものが好きなわけじゃない。むしろあんまり好きじゃないし、毎日塩を舐めてるのでしょっぱさに心底うんざりしてる。
塩を舐めない生活がしたい。でも塩を舐めないと立っていられなくなる。辛い。
あちゃー私やっちゃったかも喉が痛い感じがして、
これ昨日喉が乾くなーってごくごく飲んでいても喉の渇きが癒やせない吸血鬼みたいな血をくれーとまではいかないものの
じゃトマトジュース飲めばいいじゃんってそれなんてカゴメ?って思って飲んでも
喉の渇きがきえず、
あれこれもしかして喉痛い?
でもまだ何もちょっと喉が痛いだけの気配が遠くの方でこだましている
この2日ぐらい
ちゃんと夜更かしせずに寝るのは寝ているのよ寝ていたらね。
寝るに越したことがないので今日は早くに寝てパワー回復この時期にこんなことになっていたら夏が夏れないわ!
最初本当にでもなにこの喉の渇きの癒やせなさ感は?って思っていて
ごくごくお水を飲んでも渇きが消えないから不思議だな不思議だなぁって思っていたら
なので今日は早く事務所から離脱して夜更かしもせずに枕元でタブレットも見ずに、
早々に早く寝ることをここに表明するわ。
オリンピック競技で睡眠!ってあったらもしかしてスポーツ得意じゃない人も脚光を浴びるようになるんじゃない?って思うのよ。
ふとそんなことを考えるのよね。
今日の夕方の様子を見まくりまくりまくりすてぃーで喉の様子をうかがうわ。
喉気を付けないとね。
てっきり最近コロナもコロナもそんな話も随分昔の話のようになっているけど、
それにあわせて私もしっかりうがいの習慣を慣習として忘れていたわ。
帰ったらちゃんとうがいもすることを誓いつつ夜更かしもせずと誓いつつ早く寝ることにつとめるわ。
この時期にこんなことになっていたら大変だしね。
今日は何もありませんように
そんな平和な1日で終わればと思うわ。
うふふ。
お味噌汁食べ切っちゃいました。
また気が向いたら新しいお味噌汁作るけど、
あれカッツ野菜をそのままぶち込んだら結構やっぱり野菜の具材が特にキャベツとか大きいので
おたまですくいにくいし食べにくいしってなると
なるほどーって思うわ。
お豆腐おいしいから強気にお豆腐のみのお味噌汁ってのもありだけど
ついついマーケットに行ってしまうと食材を欲張ってしまうのよね。
飲んだときはあとから入れようと思って今朝のデトックスウォーラーとしていただいたレモン炭酸ウォーラーは
その時は覚えていたのに!って
もううっかり度100パーセントね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人間が采配するテーブルトークRPGをやると戦闘とかで体の一部を欠損したけど金が無くて治療(再生)できないとか普通にあるからな
もちろん能力に大幅な制限が加わって単なる能力値ダウン以上にプレイが厳しくなったりする
PCゲーでもテーブルトークを出来るだけ再現しようとしてる物が多々あるけど前述の通りマニア受けで終わる
そういうゲームを最近はRPGじゃなくてサバイバルゲームに分類することが多い
飢えや渇き、栄養状態や精神状態に病気、寄生虫などにも気を配りながら生活拠点を構築しなければならないGreenHellが極地かもしれない
渇きを凌ぐために汚い水だと分かっていても飲まなきゃいけないとか薬が無いから傷口に蛆虫を這わせて抗菌するとかそういうゲーム
まとめるとこんな感じだった。
①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。
②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初のサイン。
③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感が有機的につながって、ひとつの体験として感じられる。
④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離の感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン。個人的な体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。
⑤上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも、品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全な環境≒合法的な環境であることが望ましい点も含まれる)
⑥だんだんと普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界(彼岸)からこちらの世界(此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。
個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。
詳しくレポートしていく。
まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。
もちろん、日本では違法だから吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。
さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種のマリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。
マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくまで文化慣習的な目安だという。
ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。
ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた
さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。
キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。
まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議な感覚が襲ってくる。
あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……
あぁ、そうだ。マリファナだマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから。
あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか?
身体が椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。
1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。
上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元の体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。
思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用、分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。
自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。
その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。
それはさておき、ぶくぶくぶく。
もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇きと身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。
吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。
人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感のコントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。
布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動は空気を伝う。自然の振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。
風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない。家族、友だち、社会、人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。
内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。
もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。
あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃないからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。
いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。
2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月からは同大学院の博士課程に進学する。
さてここで、折角なので、ここまでの自分の人生を少しだけ振り返ってみようと思う。
俺は、地元の自称進学校の中学校を出て、地元の商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校を卒業したらとにかく働きたかったから。
小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味のサッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧な人生設計だった。
何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校の教員からは理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間からも屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。
本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。
だから、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。
20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがないから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。
大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育・研究機関だなんてマジで知らなかった。
仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけが欲しかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。
運が良いことに、その高校は自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い友人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。
さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。
3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来を祈りながら高校時代の生活をサバイブしていた。高校はマジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。
そしてどうしてか、家を出て関東の大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。
毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれてしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代の出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。
本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間と学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。
働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間が大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。
といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。
俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。
自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分で解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。
けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。
俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。
そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。
大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。
今、少しずつ自分を大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。
博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。
彼らは「もうこの地に夜は来ない」という意味の言葉で朝の挨拶を交わしていた。
私がその街に滞在する間、彼らは私と同じ時間に寝て起き、同じ服を着て、同じ食べ物を食べ、同じ腹痛に襲われた。水も私と同じ量を飲み、同じ身長でいようとし続けた。
それは見ず知らずの東洋人である私に対して、彼らが家族のように接した結果だった。それがこの廃墟同然の街を街たらしめる理由であり、彼らにとって家族と呼べるのももはやそのような存在以外になかった。彼らは全員、はじめは私と同じ観光客だった。
ある日、夜中に目が覚めた私は水を飲むために彼らを起こした。最初に起きた二人を連れ添って、私は台所へ向かった。彼らは名前を持たないから、その二人をここでは「赤い男」、「白い男」と呼ぶことにする。由来は伏せる。
私は水を飲んだ。隣に立つ赤い男が水を飲みながらこう言った。
「このまちにはかみがいる」
白い男が続く。
「かみはこのまちと、われわれをつくった」
「なぜおなじようにするのか」
もちろん無駄だった。
「なぜおなじようにするのか」
「なぜおなじようにするのか」
私は性懲りも無くまた尋ねた。
「かみはどこにいるのか」
「かみはどこにいるのか」
「すきま」
赤い男が白い男を驚いたように見た。
その街の教会には長い蛇が巻き付いていた。
処刑は日の出と同時に行われる。彼らによって目隠しを付けられ、広場の中央に連行された白い男は、地面から生えた低い棒に手首を拘束されていた。その間一言も発することなく抵抗も命乞いもしなかった白い男は、少し俯いて正座していた。そして罪人と向かい合う位置に教会がある。表情は見えなかったが、白い男の姿は祈っているようにも、一切祈ってなどいないようにも見えた。
次に彼らはどこからともなく大量の水を汲んできた。各々の器に水が注がれ、それを持って広場に出る。彼らは広場の縁に等間隔に並び、円をなして白い男を囲むように立った。私は少し離れた場所で水の入ったボトルを持って座っていた。早朝の空気は冷たく、やや湿っており、絶え間なく弱い風が流れていた。
私は水を飲んだ。彼らも一斉に水に口をつけた。白い男に教会の蛇の口から水が噴射された。私はボトルの水を飲み干した。彼らは器の半分ほどを飲み終えたようだった。白い男の体にまんべんなく水が当たっている。私はじっと広場を見ていた。彼らが水を飲み終えるころ、白い男は動かなくなっていた。
あっという間だった。彼らはずぶ濡れの白い男を抱えて教会の中に入っていったが、まだ太陽は昇りきっていなかった。
しばらく経って赤い男が教会から出てきた。近づいてくる私を認めると赤い男は微笑んだ。私は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
赤い男は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
それから私たちは短い会話をした。赤い男によると、白い男が教えに反した理由には心当たりがなく、あの処刑法は彼らの宗教にしかない特殊な死因を引き起こすのだという。
彼らの宗教については結局わからないままのことが多い。架空の宗教なだけあってその街には聖職者はおらず、教典もなかった。彼らの話から知ることができたのは、儀式を含むいくつかの慣習と断片的な神話のみだった。
その中でも最も多く話をしてくれたのが、街で唯一の老人だった。私は水を飲んでから耳を傾けた。
かみのいばしょはだれもしらない。ふたつのたまごがあって、かたほうだけにかみがはいっている。それをわってもかみがでてくることはない。それをたべてもかみのあじがすることはない。にんげんもかたほうのたまごにしかいない。たまごをくべつすることはむずかしい。にわとりのたまごをしっているか?とてもまぎらわしい。それとおなじだ。
ゆうれいはみずのなかにいる。しろいおとこはみずのなかにいる。すべてのしにんはみずのなかにいる。みずはおまえのなかにはいり、かれらはすきまからわれわれをみる。もっとみずをのめ。しにんのすがたがみえるか?みえるはずはない。みずをのぞくとじぶんのすがたがみえるだけだ。ははははは。
このまちのきたにふかいもりがある。つぎのきせつをしっているか?きせつのめぐりかたは、うまれるまえのこどもたちがきめている。このまちでうまれたこどもがすぐにいなくなってしまうのは、おとずれなかったきせつのうらみをかって、そこへとじこめられてしまうからだ。そこでかれらはみずにとけ、つぎのこどもたちはそれをのんでそだつ。するとすききらいのないこどもになるが、それでも50ねんいじょうおとずれていないきせつがある。
水。水が飲みたい。私は日本に帰らなければならない。もうこの街での目的は果たしただろう。赤い男はまだ私のベッドで寝ている。ボトルはすでにすべて空だが、喉の渇きを抑えられなかった。私は老人の部屋に向かった。
深夜に一人で外に出るのは初めてだった。老人の部屋へは建物の外壁伝いに少し歩くだけで着く。もちろん老人は眠っていて、床にも壁にも天井にも沢山の水があった。私はほとんど無意識にその中の一つに手を伸ばした。
赤かった。だが私はそれを飲んだ。口の中に水の味がすると、老人が寝返りをうった。次の水も赤かった。今度はひどい味がした。その次の水も赤かったが飲んだ。朝になってから気付いたのだが、このとき私はあまりの喉の渇きに手から出血していたのだった。老人は私が水を嚥下するたびに大きく息を吐いたり、うなされたりした。
また水を飲んだ。確かに幽霊は私を見ていた。ちいさな子どもだった。私が一心不乱に壁や天井から水を取って飲んでいるのを部屋の隅から見つめていた。しかし喉を潤さなければまともに怖がることもできない。
また水を飲んだ。彼らはどこから日本の食材を手に入れたのだろう。また水を飲んだ。彼らはどうして一晩で日本語を話せるようになったのだろう。また水を飲んだ。彼らはいつからこの街でこんなことを続けているのだろう。子どもの幽霊はそのすべての問いに対して明確な答えを返した。老人は眠っていたが、子どもの幽霊の回答に対してはすべて首を振った。
私は太陽が昇る前にありったけの水を持って彼らの街をあとにした。
序盤でルール提示して、そこから逸脱しすぎない発想で物語を決着させるのは俺も好き。
クラークとかアシモフあたりはそういう作品が多い印象(そうじゃない作品もあるけど)
クラークの『楽園の泉』『渇きの海』『太陽からの風』あたりのアイデア一発勝負な感じはミステリに通じるものがあって好き。
最近のだと伴名練『なめらかな世界と、その敵』、小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』みたいなライトなのも良い。
世界の心理的なものにたどり着く展開は、俺理論なんだけどそこに説得力があると感じれば楽しめるんだと思う。
共感できなかったり、長大すぎて理解を放棄したりしちゃうと辛い。