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はてなキーワード: ハラスメントとは

2018-01-22

私は異常者なのだろうか

私は現在32歳の独身男性である

今に始まった話ではないが、飲み会の度に結婚しないのか、つきあっている人は居ないのかと質問されることに心底うんざりしている。

一緒に食事する機会のある仕事関係の人たちはほぼすべての人が結婚している。ほとんどが年上で、その人達が私のことを心配して言っていることは疑っていない。仕事場女性比率は高くないが、いずれにせよ言うことは変わらない。

例えは適切でないかもしれない。

例えば少々肥満気味の人が居ると、その人に対して周りの人がもう少しやせた方がいいよということがあるだろう。ほとんどの場合別にその肥満気味の人を馬鹿にしているわけではなく、単に健康上の心配をしているだけであって、言われた側もふつうそういう風に受け取るし、自身でも少しやせた方がよいかなと思っている場合は少なくないだろう。それでも、会う度にもう少しやせた方がいいよと言われ続ければ、うんざりするだろう。

今の状況は基本的にこれと同じだと思っている。

私は結婚したいとも結婚したくないとも思っていない。なぜなら結婚たことがないからだ、が、これはあまり理解されないような気がしている。誰かとずっと一緒に居たい、と思って、はじめて結婚するかどうかという話になると思っているので、結婚が先立つのは未だに理解できていない。

といっても、別に恋愛至上主義というわけではない。あるいは、かつてのお見合い結婚がおそらくそうであったように、結婚してから情がわくということも理解できる。しかし、これは当時双方、今よりも別れづらかったために、我慢することが多かったので、結果的にそういうことが多かったのではないかと予想している。今は勤め続けさえできれば、女性一人暮らしていくことは十分可能なので、離婚も多くなっているのだろう。自己決定権確立されたという意味で大変な進歩なのですばらしい。

年代独身女性はどうなのだろうか、やはり同じようにうんざりしているのだろうか。同年代女性に対するこの種の発言が明らかにハラスメントであるという認識はかなり浸透していると思う。少なくとも最近のまともな職場であれば、そういったことは少なくなっているのだろう。しかし、男性に対する同様の発言は全くとがめられていないように思う。ちなみに、今現在、この種の男性に対するハラスメントについて、Web検索してみると、表面上は問題があるとはいえ、実際のところあまり問題だとは思われていないような記事ばかりが見つかる。これは検索に引っかかる記事の質が悪いということ、あるいは私の受け取り方に原因があるのかもしれないが、単に現実を反映しているだけという気がする。いずれにせよ、私にとってこの点は大きな問題ではない。

最近不倫に関するゴシップが多く、ようやくこのような報道おかしいのではないかという声が見えるレベルになってきたように思う。この流れは同じく元々問題だった過労に関することが、印象的な犠牲者の影響でようやく少し注目を集めるのにもにている気がしている。と、これも本題ではないので、おいておく。

私があまり倫理的人間でないことも関係しているのかもしれないが、なぜいわゆる不倫がここまで耳目を集めるのかは理解できない。そもそも誰かが結婚しているかどうかで、好きになったりならなかったりするのだろうか?結婚という制度に比べれば、遙かに自然感覚に思える。もちろん、それで人を傷つけてしまうことがあるというのは理解できるが。

世代ではおそらく比較インターネットに触れる時期が早く、インターネット歴はだいたい20年くらいになる。かつて、テキストサイトにあったような、ふつうの人々の何気ない日記ののようなものに、何となく救われたような気がしたこともあった。だから、今もこうしてネットを眺めている。

たぶん、同じように感じている人は一定数居るんじゃないか、でも表だっては言えないのではないかという感覚がある。そんな人がこの雑多すぎる文章を読んで、ほんの少しだけ気が楽になればいいなと思う。

2018-01-20

スポーツ庁

1.校務分掌として定めるということは、勤務時間内においてということか。

2.勤務時間外や土日の活動においては教員の完全な自由意志により、部活動をやらない、とか、土日の大会には一切参加しないということは可能か。これに対して校長が該当教員不利益仕打ちをしてきた場合越権行為となるか、これはハラスメントになりうるか

3.部活動中は教員は付き添う必要があるか。場合によっては顧問が帰らなければならない時もあるし、職員会議顧問が付き添うことができない場合もあるが、そのような場合、生徒だけでの活動許可されるか。

4.(原則であったとしても、また、勤務時間内であったとしても)付き添う必要があるならば、部活動の付き添い業務が合ったためにはみ出した部活動以外の業務の扱いはどうなるのか。労働法問題がないと考えるのか。

5.付き添っていない時に事故が起こると「顧問不在」とメディアで大きく取り上げられるが、それに対してスポーツ庁はどのようにお考えか。労働法を守りながら、付き添えるような状況ではない。スポーツ庁部活動分掌業務扱いするならば、教員部活動に付き添えない場合事故についての責任問題についてどうするかを、スポーツ庁がハッキリと定める必要がある。今は、全て現場顧問責任になってしまっている。

シリーズ不寛容社会』0001 日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に「日本人が元来持つ特性」があった

 日々、ネット世界悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

 『他人非難してばかりいる人たち バッシングいじめネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見正義派」を装っているが、目的他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。

そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

 まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットSNSが大きな役割果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人秘密を保つことが難しくなってきている。

新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。

 「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。

なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。

 社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。

コンプライアンスを遵守するということは、不自由煩雑手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ち反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。

 「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。

閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団形成され、「微妙差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーン価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。

「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人特性と深く結びついている、と分析している。

 以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやす日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである

 バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間エネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ

本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。

 閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。

私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。

https://anond.hatelabo.jp/20180120162858

https://ddnavi.com/news/270886/a/

2018-01-19

思えば私はあまり夢をみない子どもだった

将来の夢は?と聞かれても答えることができなかった。世の中にある職業の全てを知らないのに答えられるわけがない。仮に今ここで言ってもそれが叶わなければ恥ずかしい。本気でそう思っていた。

小学生の頃、周りの大人はしばしば私に「将来の夢はなにか」と質問した。低学年の頃は「まだ見つかってない」と言って間に合っていたが、いつまでもそう言うわけにはいかなかった。

私は考えた。ほどほどにお金をもらって無理のない暮らしをしたい、と思ってそうこたえてみたことがあった。そうすると「やりたい仕事はないの?」と言い換えられてしまった。大人が言う「将来」とは「職業」のことなのだと知った。毎年書く学年文集には必ず将来の夢を書く欄があったし、大人は話の取っ掛かりに将来の夢を聞いてくる。なにか就きたい職業があることが健全らしい。

私は考えた。学校先生責任が重いし夜遅くまで働かなければいけないので大変。保育士は私は絶対かわいい子にだけ贔屓をしてしまうので無理。医者看護師なんて責任しかないのでやりたくない。動物は嫌いだしスポーツもできない。

あぁ、何もしないで暮らしていきたいなぁ。

残念ながら私はなにも夢をもたずに大人になった。

今、当時の将来の位置にいる。それなりの高校大学を出てそれなりの会社でそれなりの賃金を貰い、それなりに趣味を楽しみそれなりに生きている。

将来の夢ハラスメントを受けてもなおそのまんまだったけど、将来もそれなりに生きているので、小学生の私は安心してほしい。やっぱり今も働かずに暮らしたいけれど。

2018-01-15

anond:20180115195516

職場ハラスメント労働局の窓口一つに

たらい回し」防ぐ

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1J_W6A220C1000000/

 現行ではセクハラマタハラ都道府県にある各労働局の「雇用均等室」が、パワハラは「総務部」や「労働基準部」が対応してきた。

 ただ、セクハラパワハラを同時に受ける複合的被害場合に、被害者が窓口をたらい回しにされるケースや、同じ企業への指導勧告を異なる部署が行うケースもあり、同省は窓口を一本化することにした。

 4月から嫌がらせ被害への対応業務を新部署の「雇用環境・均等部(室)」に集約する。被害相談から申し立てによる調停・あっせんまで一体的に行う。

 人員も増強し、企業への指導や啓発を専門的に実施する「雇用環境改善・均等推進指導官」を計271人配置する。指導官は、男女ともに働きやす職場環境づくりを促す役割も担ってもらう。

らしいです。ご参考まで。

ガキ使『黒塗り問題』について頭の中で少しまとまったので書いてみる

まず自分としては「問題なし」という認識でいます

主張しておくのは以下。

(1):本放送日本国内TV電波で流された放送であり、放送局日本国内ターゲットとしてその放送責任が発生する。

(2):肌を黒く塗ることに関して差別的意図がある文化日本では醸成されていない。

(3):黒人に対して悪な意図を持ってエディー・マーフィーに扮してはいない。

海外在住の外国人差別だと言われる件については(1)により関係ないで通せば良いし、その責任を持つべきではない。

キャプチャとかYoutubeアップロードとかほんとに知らんでよい。

放送を見た日本にいる外国人に対しては(2)(3)のことから日本では差別ではないので理解してくれと説明する。

国際的云々に関して、それって何?

自分

・互いの文化ルール表現尊重多様化を認めて許容すること

・上を踏まえた上で、衝突する場合はお互い一番傷がつかない落とし所を探ること

・上を踏まえた上で、自国文化に沿って相手国の文化ルール表現自国理屈一方的に削ることを強要しないこと

・上を踏まえた上で、自国外国文化ルール表現にあえて置換したり、並列化することで何らかの効率を著しく上げること

と思っている。

要は個性を認めた上で効率的にお付き合いできるようにしましょうである

なので他国へ渡ったとき、その国の文化ルール表現での拒否反応は当たり前であるし、理解を深めて許容すべきと思うし

自国外国文化ルール表現に単純に倣うことは違うと思っている。

日本以外黒塗りが差別に当たるとしても、日本差別では無い文化なら他国はまずそれを尊重すべき。

異国の文化ルール表現のあり方を許容することも国際的というなら必要感覚だと思う。

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黒人差別について補足しておくと日本ではほぼないと思う。

その代わりにもっと大きな視点での外国人という括りに対して差別はあると思っている。

が、公的表現媒体上でほぼ見ることがなく、ネット上の落書き的な場所

リアルでの仕事や何らかのサービスを受けるとき対応に寄っていると認識している。

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あー、あとベッキータイキックにも触れておく。

暴力的表現自体アウトとか言ってる輩はうんこ

ボクシング相撲格闘技、大好きな映画漫画小説すべてアウトになるよね。誰も得しない。

パワハラにも当たらない(と思う)。

ベッキー自体あんなことがありながらも本気NG案件強要されるほど芸能界の中で立場は弱くないし

NG案件仕事の受注の際に表現する力もあるはずである

現地点ベッキー本人は問題ないとしているのでこれを受け入れるしか無い。

彼女バラエティプロなので苦痛を伴った表現もある程度OKするだろう。

ハラスメント認定するにはまずは本人が本気NG強要されたと声を上げないと難しい。

2018-01-14

anond:20180114001756

元増田です。

Le Monde のあの記事を読むには、フランスにおける男女関係のあり方という背景を知らないと、正しく読めないなぁ、ということが、いろいろ調べてわかりました。

こちらでは、「不器用告白」と「セクハラ」の境目の曖昧さが熱心に議論されていますが、フランスにおける境目はそんなところで問題になっていません。

一応「ウザがらせる自由」と訳した liberté d'importuner ですが、辞書を引いたぐらいじゃニュアンス全然わかりません。

あるツイートに「 draguer とか séduire はokだけど、importuner は駄目」というのがありました。最初の二つは「ナンパする」とか「口説く」という意味です。

みなさんイメージされるように、フランスの男女の距離感は、日本のそれよりもずっと近いものです。ナンパすることは、男女どちらにとっても、ずっと容易なことです。

レイラスリマニの記事でも、自身が男を誘ったりしていたことがはっきり書かれています

日本ならば、ナンパ自体不快であるという人がいるでしょうがフランスでは、気に入れば付き合い、気に入らなければ振る、というそれだけのことです。

それはウザいかもしれませんが、そこを問題にしていません。だからウザがられる/ウザがらせるは、importuner ではありません。

ではdraguer, séduire と importuner の境目はどうなっているのか。ナンパがimportunerとみなされて不当に告発されることはないのか。

こうした議論ほとんど見受けられません。

なぜなら、前者でも十分近い距離感なだけに、 importuner に転んでしまうと、明白な性的侵害行為踏み込むからです。importuner とは以下のようなものです。

  • 無断での身体接触。急にキスしたり、抱きついたりする。胸やお尻に触る。
  • 直接的な性的表現女性の体を本人の前で品評したり、付き合ってもいないのに性的メッセージをいきなり送りつけたり。ツイートで挙げられていたのは「すげえ胸だな、一晩中やりまくろうぜ」といきなり声をかけられるというもの。(ヨーロッパ映画を見てると、こういうシーンがよく出てきます。本当にあちらはそんな輩が多いのでしょう)。

要するに、importuner はここで議論されているような不器用告白とかそんなものではありません。「ただイケ」でも許されない行為が importuner です。

ですから、liberté d'importuner とは、信じられないかもしれませんが、上記のような「性的侵害をする自由」です。

あの記事は、そんな自由を男に認めてやれ、というものなのです。

このとんでもない主張に賛同している人たちには、かなり特殊な性生活を公にしている方々が含まれていて、とてもフランス人女性代表するものではありません。

彼女たちの主張を噛み砕いていえば、こうです。

ちょっと触られたり、下ネタ言われたりしても、どうってことないじゃない。男の性欲はしょうがないんだから、軽くあしらうか、一緒に楽しめばいいじゃない。

それが女の性的自由よ。気に食わない相手なら、一発叩いてやればいいのよ。」

これが女性側におけるノーという自由です。

これに対してツイッターで紹介されていた記事

通りで急に抱きつかれた女性が男を引き剥がすと、逆上した男がナイフで突き刺した、というもの

これでも、ノーという自由があるのか、と。

先に、#BalanceTonPorc は攻撃的すぎる、と書きましたが、ツイッターではなく、このキャンペーンサイト匿名投稿欄を見ると、そのほとんどがレイプ、残りが未成年に対する性的行為です。

微妙セクハラ行為でっちあげているのではありません。怒るべき人が怒っているだけでした。

結論としては、日本における性的関係問題をこの記事をもとに語るのは、止めたほうがいいんじゃないか、ということです。

実は、はじめあの記事好意的に読もうとしていました。告白ハラスメントとか、おかしいと思っていますし。

ただ、後半に出てくる「痴漢にあっても、大したことないものと思ってもいい」とか「レイプされても、心は自由」とかが、

Le Monde に掲載されている記事とは信じられなくて、自分フランス語読解能力おかしくなったのかと思い、いろいろ調べだしたのです。

結果、あの記事は、穏当な言い方をするならば、私達とは別の世界に生きている人々によって書かれたものでした。何かの参考になるものではありません。

彼女たちは、不器用口説き(彼女たちだけは importuner を不器用さの結果ということにしたいのです)と本物の性的侵害区別はつく、と言っています

でも、その実、巻き込まれしま危険真剣に考えていません。大した事のないものと思っているからです。それが明白になったのが、昨日のテレビ討論会でした。

討論者は、署名者の一人、元ポルノ女優現在司会者として活躍している Brigitte Lahaie と女性の権利省の大臣 Caroline de Haas の二人。

あなた女性の性は弱いものだと思っているけど、そんなことないわ。女性性的魅力はパワーがあるの。母親は娘にそのパワーの使い方を教えてあげるべきなの」

「でも、その性的魅力のせいで、レイプされ苦しんでいる娘たちがいるのです。その人たちについてどう考えているのですか」

Lahaie は言いました。「あなたも知っていると思うけど、レイプされて感じたりすることもあるのよ」。

Haas 自身レイプ被害者でした。

anond:20180114151726

横だけど、そんなことでハラスメントになるとか絶対ない!

挨拶されて嫌な顔する人がこの世に仮にいるならそんなやつは無視で良いと思う。

人としておかしいよ

anond:20180113182109

お前の存在不快からハラスメントだ!という極論が成り立ちうるわけですから危険な発想です。

2018-01-13

anond:20180113165818

それだと天候を操れる人が行うハラスメントみたいじゃん

なんだそれ見たいわ

anond:20180113165818

ハラなんて言葉が出てきてしまってる以上、

これマジで笑っていられないのかもしれない

挨拶ハラスメントとかの登場も近いのかも

既出だけど実態は「不細工」やら「キモい

という点をハラスメント認定したいところを

グッと飲み込んでそいつらの行動に

転嫁してるという現状があるわけだしね

数日前に「梅沢富美男石原さとみセクハラ!?」

とかネットニュースが流れてたけど

例えば斎藤工が同じ行動言動をしても同じように

問題になるとはどうしても思えないんだよね

沢村一樹福山雅治セクハラ認定されてるのも見たことないし

欧米では」をつまみ食いした #MeTooマウンティング合戦不毛

ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が

「ある人物もつ権力濫用人間尊厳という基本的権利侵害し、女性たち(に限定はされないが)に性的被害をもたらした」

であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。

おそらく自由恋愛派のフランス勢もここは否定していない。

まさか、「権力強制力とは関係なく、いやらしいジョーク不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。

人権侵害ということであれば、個人間の解決を見ない場合法律に訴えるのが筋である

発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。

法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。

[ハリウッドセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)

メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。

さらに、現時点の#MeTooは、

https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)

一般社会のケースでの訴訟費用支援話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。

自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なから復讐心リンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。

本邦の #MeToo

翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト世間からの好奇の目・加害者から復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者社会的抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。

そもそも職場環境内の問題であれば、

日本場合厚生労働省の「お問い合わせ先」がある。

[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠出産育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)

がある

まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である

もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきであるメディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。

仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難覚悟で行われるべきであろう。

いずれにせよ日本アメリカ同様、法治国家なのだから本来の手順を意識する必要がある。

年末に本邦で見られた #MeTooスタイルは、標的を定めた #HurtYou になる可能性があり、私刑性を否定できない。

日本版#Metooで有名になった方が、

「#metooリンチではありません」と宣言しているが、それは独自解釈であろう。

被害者として名をさらしており、匿名立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。

もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。

もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。

  1. 冤罪可能性(そもそも被害を受けたと主張する側が嘘をついていないという保証はあるか)
  2. 時効概念をどうするか(もしこれがないなら、わざと被害を受け、被害を上回る利益が得られるタイミングを選ぶことが可能)。また、過去出来事現在価値観でもう一回評価できてしまうことの是非(現在常識は数年後の非常識になりうる)
  3. 告発された側が受けるべき社会的制裁の程度。また、社会的更生はどのようなものであるべきか。これらについてのコンセンサスがない。
  4. 罪と人の分離問題過去の業績の評価はどうするか。作品仕事個人の分離は可能か)。これについてはハリウッドのほうが深刻かもしれない。
  5. 公益性問題(ある人物社会的告発することに対する社会全体の意義。社会的無名な人を名指しで告発した場合名誉棄損の観点から法的にも危うい)

これらに対して社会的合意形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。

欧米では」のつまみ食いによる #MeTooマウンティング合戦不毛。これを契機に本邦独自問題として考えたほうが良い。

個人的意見ではあるが、

まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義マウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。

セクハラを「力関係濫用」ととらえるか「不愉快行為不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自問題系もあるかと思う。

また、#MeTooの周辺問題系としては、過去現在についての個人的救済もさることながら、類似問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論もっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。

このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくま組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。

anond:20180113193503

キモいだけでハラスメントであると堂々と言ってしまうと

容姿差別をするクズであると認めることになってしまうからそういうことは言えないのでしょう

今の道徳や正しさとそれらと相反する「お気持ち」のパワーバランスがどのへんにあるのかこういうことを考えてみるとわかります

anond:20180113162300

しかし、天気の話をよくしているからといって、

環境的ウェザハラウェザーハラスメント)とは言わない。

何故、性に関して我々はこれほど過敏に反応しているのか?というところから考えてもらいたい。

anond:20180113142911

人と人だの常識だの綺麗な言葉レッテル貼りで人を煙に巻く

こういう人は追い詰めるばかりでハラスメント被害者に何にもしてくれません

立派な加担者

https://anond.hatelabo.jp/20180113112231

え? 冒頭からレイプ犯罪」であり「権力を乱用する男性のいる職場において、女性に対する性的暴力が法的に認識されるようになりました。それは必然」と書かれてますが?

これをMetoo運動それ自体否定と捉えるのは誤読だと考えます

そも、ドヌーヴらの意見告発自体否定するものでないのならば、口説く権利擁護にならないのだから、やはり彼女らは告発自体否定しようとしており、それはMetoo否定となるために、肯定しない。

というのがあなた意見であるのならばこれは大変驚愕に値する事です、つまりあなたは口説くことが罪になる社会理想社会だと思っておられるということなのですから

その様に、口説く事とセクハラ混同して粛清しようとする言説が蔓延していることへの問題提起としてドヌーヴらが立ち上がったのだということがご理解いただけていないようだ。

そうした粛正主義的態度は女性解放どころかむしろ時代的な差別構造をひっくり返して再生産しているだけであり、ハラスメント解決には資さないという主張であることが。

大体、素朴に考えて口説く権利が認められない社会ってどんな社会なんですか、どう考えてもディストピアじゃないですか。

カジュアルに誘いカジュアルに断れる社会

改めて書くがそこに出てくるグラドルの人の告白では、別に枕営業する人を否定しているわけではない。あくまで「私にとって枕営業まがいの行為は嫌なことであり意味がなかった。嫌なことはしなくていいから嫌だったらノーと言おう」というメッセージだけ。

からメリットを感じてセクシャル行為を受け入れてる人はそのままでいい。

 

今、過去のことについて告発してる人の多くは、「メリットの有無にかかわらず受け入れなければいけない空気だった」「受け入れても嫌なこと以上にメリットはなかった」というケースであり、そういう人たちの実体験の声を集めることで「嫌なことは受け入れなくてもいい空気」「メリットなければ誰からの誘いでも断れる空気」を社会は作ろうとしている。

 

理想なのは上下立場関係なくカジュアルに誘うことができ、カジュアルに断ることができる環境だろう。このケースに「ハラスメント」は入り込む余地はない。これが、「断ったのに粘着して不利益しかけてきた」「誘っただけなのに粘着して不利益となることをしかけてきた」となれば、お互いに「嫌なこと」となって問題に発展する。

  

上司「二人で飯食いに行こう、おごるよ」

部下「はい食事だけなら」

上司「この後の予定どう?」

部下「それは無理です」

上司「そうか残念、じゃあまた仕事で」

 

こんなあっさりとした関係で終わればハラスメントになんかなるはずはない。

ヌーヴの言う「口説く自由」を謳歌するには、対等となる「断る自由」が保障されていることをもっと知らしめなくてはならず、それが今世界的な運動となっていること。

 

anond:20180111175142

anond:20180111175142

まず最初に、異性間でのトラブルが発端で、社会的に不当な扱いを受けるなんてことは、あってはならないことだと思うし、そういうことがあれば声を上げて訴えていいと思ってる。

そういう意味では #MeToo 運動本来意味で良い方向に活用されるのを願ってる。

はいえ、いまの #MeToo 運動ちょっとそれ違うんじゃないか?と思われる訴えがあったり。

単に社会的制裁目的とした書き込みとも取られるものや、さらにはこの運動を利用した売名などもあるので、なんだかなぁと思っている。

>ドヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たちが勘違いしてるのがこれなんだけど、#MeToo運動は今まで「ノー」と言えずにハラスメントを受け続けてきた人が今になってやっと「ノー」と言い始めたという現象であって、それに伴い「『ノー』と言っていいんだよ」「『ノー』と言っても不利益を起こさせないよ」という人権を守る運動に発展したわけで。

それは分かる。

から嫌なことがあったら、わざわざネットで全世界晒す前に、まずは本人に対して『ノー』と言えということでしょ。

物事には順序があるわけで、その順序を全てをすっ飛ばして、各種SNS晒しものにして相手社会から抹殺するってのは、正しいこととは言えないんじゃないかな。

本人にノーって言って良いんだから、まずは本人に嫌だと言え。

それでも収まらなかったり、職場で不当な扱いを受けたなら、まずは社内のそれなりの部署相談しろと。

それでもどうにもならなければ、労働基準局に行けと。

それでも改善しないなら、#MeToo でもなんでもすればいい。

片思いには失敗はつきものから、求愛するにしても、間違った方法だったり、相手が嫌がる方法になったりする。

相手に好かれていると勘違いして、いらないボディタッチをするかもしれない。

相手が喜んでいると思ってしていた事が、実は壮大な勘違いで #MeToo され、それが元で社会的地位を失うとなったら、怖くて社内恋愛なんかできなくなる。

#MeToo 運動結構なことだけども、何年にも遡って過去の過ちをほじくり返され、こんな嫌なことをされました!ってSNS晒して、社会的立場を貶めても、

それはたんなる自己満足しかならないんじゃないかと思うんだよ。

さんざんハラスメントを拡大適用しておいて今さら拒否できるならハラスメントではないとか言うなよ。

2018-01-12

anond:20180112230709

私が思ったのはキモくて金のないおっさん存在するだけでハラスメント扱いしてくる人と対話するより、そうでない人と対話するほうがいいんじゃないかなってことです

人の考え方を変えるのは難しいから今余力がある人がやったほうがよくて、あなたみたいにもう疲れちゃってる人がわざわざ敵陣に突っ込むような大変なことはしなくていいと思うんです

anond:20180112225627

私が無視したらって言ったのは弱者じゃなくて人に攻撃してくる人(人がいるだけでハラスメント扱いしてくる人)のことです

人に攻撃してくる人も見方次第では弱者にもなると思うけど、攻撃してるって点ではそうじゃないですよね

anond:20180112225017

回答ありがとうございます

しかし私がキモくて金のないおっさん存在ハラスメント扱いする方を無視したところで

キモくて金のないおっさん世間から無視され体を壊してアパートの一室で布団の染みとなる未来約束されている現実は何も変わらないので

対話を続ける必要性を感じています

anond:20180112224219

自分思想に合わない人に粘着してるブクマカとかを見てても思うんだけど、自分が嫌だなと思う価値観を持ってる人(この場合キモくて金のないおっさん存在してるだけでハラスメント扱い」する人)の存在にあまり引っ張られないほうがよいんじゃないか

ちなみに私はキモくて金のないおっさん定義もよくわからないし、そういうよくわからないものを嫌いだと言うことに時間を使ったことはないよ

から、そういうことに時間を使う人も偏った人なわけだし、偏ってるな〜と思って無視したらどうかな

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