はてなキーワード: ももちとは
例えば巨悪や天災に抗い続ける人がどこかでぽきっと折れてしまったり、悪役が尊厳も何もなく命乞いをする姿とか。主人公にも誰かを傷付けた経験があるのに、時が経ったらもうそんなこと忘れてしまうみたいなこと。車に轢かれた動物を見て見ぬふりしたとか、歩いて潰した虫に気付かないみたいなことも。
宗教みたいに美しい人格者ももちろん好きですが、上記のような悪辣さというのか、裏の部分?とでも言うんでしょうか。悪気は無く、ただ無意識のうちに聖人君子ではないと証明できてしまう部分。ここに心惹かれます。
「やっと時代が追いついた」
っていうぐらいの感覚…。
「人口が多い国が栄える」理論が正しいなら、とうの昔に失墜してる国はいくらでもあるし、栄えたとして次のステップにシフトできるかは別問題
「自分の高校時代にはもう構築されてた仮説が、ようやく現実になったのがつい最近」
社会の現状に合わせないで、仮説を信じてたら良かったぐらい。
逆に文化や科学技術については、急速に進化しすぎて置いていかれそう。
逆に、「立憲だけはない」と言い続けてる30代だから、上の世代からはけっこうブロックされてたり、反発受け続けてるのよね。
私に時代が追いついてきてよかった。
野党に入れること自体はいいと思うんだが、立民だけは…民主党政権を見た身としてあり得ない。
俺が10年前から言ってる事だよ。一部の例外を除いて基本的には作品と作者は切り離せないってずっと言ってる。やっと気づいてくれた人がいて時代が追いついたなって思った
00年代に年の24時間化とかほざいてた政治家や経営コンサルタントに10年越しで勝利した。よかった、俺に時代が追いついた
よくも悪くも世界が保守化してきたし、自分の国の利益の話をし始めた。地球市民とか言ってた人がバカだと10年前から思ってたが、やっと時代が追いついた
という事例が複数あるけど…これ、逆の事も言えるよね。
「今の高校生たちは、世の中はおじさんや老人が多く、彼らは全然勉強しないか、すごく古いやり方にしがみついてるから、君たちが正しいと思うものが実現するまで20年かかるぞ」
とも言える。
高校生の時のぼくは
という考えで仮説を組んだ。
それはおとなになって実際に見聞きしてみるとそのとおりだった。
新しいことも勉強してるとも限らない。
勉強し続けてる大人ももちろんいるし、勉強どころか実行力もドンドンアップしてる大人もいる。
ただ、社会や政治や経済は、図体がデカすぎるから基本的に動きは遅い。
図体が大きいほど、他人がわかるほどの変化が実現されるのは時間がかかる。
その辺を読みそこねたなぁ…
自分がデブだからデブの話で例えると、デブが10キロ痩せても世間的にはデブなんです。
でも、デブの方が普通の人と同じ運動したくても、体への負担が2倍3倍かかることもあれば、骨格に負担がかかるからできないことも出てくる。
図体が大きいのは色々な意味で強みになるけど…それを変えるのは大変
これ「宗教が悪い」って話じゃなくて、
「自分と社会の間に大きなギャップを感じると、人間は何を信じていいかわからなくなって鬱になる」んだよ。
自分が躁うつ病がひどかった時期があるからわかるんだけども…うつ傾向が出たのは
・高校途中での転校
みたいなことなので、環境と自分のギャップがデカすぎる体験をすると…人間はうつになる。
他の要因ももちろんあるけどね
ぼく成績的には
「合計すると普通ぐらい」
である一方、理科社会数学音楽は人よりできた一方、国語英語美術は本当に苦手だった。
手先が不器用なことと、正解がフワッとしてる割に膨大な処理を求められることは本当に苦手で…これが対人関係や環境変化でやり直す時すごく苦労した。
学生時代は
「がんばれば、大半のことは普通まで行けた」
でも、不況の就活やブラック企業の無茶振りに対しては頑張っても普通にさえ届かなくて、問題になった。
器用貧乏だと思ってたけど、実は逆だった
親が宗教にゴリゴリであるほど、学校と家で使う能力が変わってきて、苦手の克服のために努力する時間が増えておかしくなっていくのだと思う。
人間はメンタルであり、メンタルには周囲の評価がかなりの割合含まれる。
演じないといけない役どころ、求められてるポジションの乖離が激しいほど鬱になりやすい。
環境によって愛されたり嫌われたり、
できることとできないことが激しくて自分の能力を細かく把握できなくなると…自己喪失する
宗教2世のケースで言うと、宗教に適応すれば、他の社会に適応できなくなる危険がある。
逆に、社会と適応してる時に、家に変えると宗教への適応を求められ家族仲が崩壊することもある。
極端な例だけどね
「幸せになりきれない人」
人を疑ってかかったり、知能が低い人間にあわせすぎて全体から見ると極端な意見や対案を持っていてしまったり…不幸や悪意に適応しすぎてる人を見かけるし、自分も陥りがち
何が言いたいかと言うと、
「軽度の精神疾患は、自分と周りとのズレからスタートするから、案外誰でもかかる。」
ということ。
ある人が
と言ってた。
それに加えて、自分で自分を不幸にしてないか、何が向いてるかを見直す整理期間だと思う
動けるようになるまで動かないこと。
向いてないことをやめたり、
違う環境に旅に出たり、新しいこと始めて自分の適性や望みを再確認してみてもいいって話
まぁ…インターネットに書き込んでも、他人をうつにするほどの適応を強要してきたり、他の世界とぜんぜん違うことを求めてくるような人って読んでくれないんだけどね。
宗教にのめり込み過ぎてる親とか、酷いとSNSはおろか友達と遊ぶのも禁止してきそうだから、学校と家との乖離がすごくなりそう…
でも、うつになる程度に主体性を失いそう、周りの環境と合わないし抜け出せない人は「選ぶのは自分」という主体性があるだけは忘れちゃダメ。
ほぼ本能的に
という衝動で色々書いてみたものの…思った以上に、今やってる記事に役立つ思考の整理ができた。
「ぼく/私でいいの?」
はラブコメの定番セリフだけども「すごい人よりもちょうどいい人」だから、いいんだよね。
ぼく・私がちょうどいいなら
当方、30代の女。同性と話していると、車関係でぞんざいに扱われた経験がある人がままいる。
私も昔、いや~な経験をしており、それ以来、車関係には気を付けるようにしている。
これから車を買う方、または車を買った若い方の参考になったら…と言いつつ、単純に長い愚痴である。
先に言っておくと、当時はそこそこの知識しかなく資金力もない学生だったことにより、
販売店に違和感を抱きつつも店を変えるという判断ができなかった私自身にもたくさん反省点がある。
でも若いときって、ある程度の知識があっても柔軟に対応できなかったりすると思う。そういう話として読んでいただければ。
地方の大学生→大学院生。高3で免許取って親の車をずっと乗ってた。
交通の便が悪い実家から都市部の大学に通っており、1年間は自転車→バス→電車→バスで通学したもののくちゃ不便で
かつ交通費もかなり嵩んだことから車購入を決めた(当時はガソリンがとても安く、自宅から車通いの方が経済的だった)。
問題のディーラーで中古車を2台買うことになる。親が車に詳しいから私もすこし車の知識があるくらい。
販売店は、両親が車を購入した地元に昔からある店舗ではなく、大学へ行く途中にある、全国展開の中古車販売もしている某ディーラーで購入することになった。
これは両親が通っている店は自宅から遠く、かつ私の大学と反対方向にあるため、私の生活圏から大きく外れて不便だったから。
当時はこのディーラーの評判は悪くなく、地元の友人や近所の人のなかにも結構ここで購入している人がいた。
(今思えばこの選択の時点で間違ってた。めちゃくちゃ不便だけど、せめて両親が世話になっている地元のディーラーに行けばよかった。)
なお、初めて車を買ったのは大学2年のとき。この時は両親に中古の軽を買ってもらった。
この時の担当は女性店長で、すごく良くしていただいて不満もなかった。
(女性店長はその後エリアマネージャー?的なものになって首都圏に栄転した。優秀な人だったのだろう。)
ちなみに、ほんとうに不便な場所に住んでいて、一人一台車を持つのがごく当たり前の地域だ。
学生身分で車を買ってもらうことについては大目に見てほしい。(社会人になってお金は返しました。)
院進してすぐに2台目を買うことになった。1台目は5年落ち、走行距離5万キロ程度だったが、
私が通学&バイトで少なくとも1日往復80キロほど運転し、すぐに走行距離がとんでもないことになったからだ。
父(自動車製造業に従事し、車好きだから着いてきた)とディーラーを訪れると、新店長(以下「クソ」という。)に引き継がれていた。
今回はバイトで貯めた100万円を基に自分でローンを払うことにしていた。最初にクソに「自分で買うので予算はこれくらいで…」と言っていたのにも関わらず、
クソはずっと父親に向かって話し、お伺いを立てる。父は「娘に着いてきただけで、お金は娘が払うので(娘にきいて)…」と何度も言うが、クソは私を無視。
挙句私には「これはAT車といって…」と免許持ってる人間なら当然知っているようなことを説明しだす。
私が父がついてきて鬱陶しかったが、かえって父がいて良かったかもとげんなりした。
世間では、若い女性がカーディーラーで下に見られることがあるというが、それをまざまざと実感した。
いや、これまでもこの店舗に男性スタッフはいたが、彼らに馬鹿にされたことはなかった。
目の前にいたクソがクソすぎて際立ってクソだったのだ。
何とか苦痛に耐え、購入を決定。買うのは私のため契約するのも私なのだが、クソは父親に契約書を渡した。
父は「娘が買うので…」私に渡してきたが。不毛なやり取りだった。
今思うと、この違和感を感じた時点で車の購入を辞めておけばよかったけど、若さゆえか購入してしまった。後悔している。
車を購入して半年後の点検を購入店ですることが多いとおもうが、私もそうした。
というか購入時に「6か月点検どうしますか?」と言われ、その場で点検日も決めて予約したのだ。
で、点検の1か月前にはディーラーから点検日リマインドの葉書がちゃんと来た。
当日。リマインドの葉書を念のため持ってディーラーへ向かう。予約の13時。
入店して「点検お願いします!」と店員さんにキーを渡すと横からクソが出てきて、
「お姉さん、点検は事前に予約しないとできないの知らないんですか~?」と小馬鹿にしたような感じで笑われる。
えっ、こんなクソが社会で働いているの?と怒り爆発だったが、こちらも大人として冷静に葉書を見せると罰の悪そうな顔をして
ゴニョゴニョ「ハイ、ヤリマァス…」とキー持って整備士に渡しに行った。
退店前にも「1時間程度で終わるんですよね?」と念のため聞く。事前にはそう聞いていたが、念のためバイトを17時からにしていた。
ところがクソは「いや~もしかしたら夕方になるかも」とアホみたいなことを抜かすので、「何時ですか?」と問い詰めると「16時」と。なぜ?
んで、16時ちょい前に車を受けとりに行くと、クソは「ちょっとお待ちください」と言い残し、接客へ。
そりゃ新車買う客のほうがね、たかが6か月点検の客よりも金になるのは分かるけどさ。この仕打ちはないなと思った。
そのまま15分も30分も待たされ、これ以上はバイトに遅刻するから他のスタッフに苦情を言うと、さすがにクソも焦ったのかダッシュで車持ってきた。
この日の出来事は両親や友人にも話したが、「大変だったねえ」と笑い話になるだけであまり深刻な事として伝わらなかった。
この時点でもっと抗議していればよかったし、この時点でこのディーラーを利用するのを止めたほうがよかった。
購入から1年半で車検の時期がきた。あのディーラーで車検だ。なぜ店を変えなかったかというと、当時は私が修論執筆と補助金の申請で忙しく、
寝不足の日々が続いていたため余計なことを考えている余裕がなかったのだろう。
また、1台目のときの車検はむしろ細かい不調を見つけてもらい、整備士はちゃんとした人だと思ったからだ。
車検の季節は冬だったが、このころ、車のエンジンをふかして車体が温まるまでの間、車の前方部分からキュルキュルと異音が聞こえるようになった。
はっきりと聞こえる大きな音だ。私は音の性質からエアコンベルトか何かが滑っている音ではないかと考えた。
ボンネットを開けてみると、場所的に良く見えるものではなかったが摩耗は感じられた。
翌日、エンジンをかけて発進するところを母にスマホで撮ってもらい、単身赴任中だった父に送ったが父も同様の見立てだった。
父は「ベルトの摩耗だと思うから、車検の時に言えば見てくれる。珍しいことじゃないし」と言い、
私も、整備士さんはまともだったし、と思い直して車検に向かうことにしたのだった。
車検当日。念には念を入れ、予約リマインドの葉書を持参していく。父は他県に赴任中だったので、母と行くことにした。
一人で行動したかったが、私の話を聞き入れられないとこまるので人を連れていきたかったのだ。
当時は男性の友人なんていなかったし、同性の友人はみな若い女だ。相手にされないに決まっていた。
ディーラーに着き、予約を忘れてたっぽい様子のクソに葉書を見せて釘をさす(本当にクソ)。
そのうえで録画した映像を見せ、異音のことを伝えた。これでクソでも大丈夫だろう。
翌日。車を受けとりに行くとまさかの「異常なし」回答だった。そんなことある???
誰がどう考えたってどこかおかしい。さすがにいつも私の愚痴を笑って聞いていた母も訝しんで、
「エアコンベルト等は大丈夫だったんですよね?」と聞くも、まったく問題なかったとの回答。
じゃああの異音は何だったのか?そう問い詰めても「さあ?僕は一度もそんな音聞きませんでしたよ?」
「車には何も問題がなかったから、原因不明としか言いようがないですよね?」と開き直り。
ここで私も母も完全に目が覚める。このクソの言っていることは信用ならない。
クソは客を見下している。予約を忘れだけじゃなく、車検も本当はやってないのでは?
怒りがわき上がるばかりだったがもう今はこのクソと関わりたくなく、ひとまず退店。
自宅に帰り父に連絡すると、父も「絶対におかしい」と怒っていた。ベルトはどこか別のところで見てもらうことにした。
車検翌日、大学院があるため通学に車を使う。異音が心配だし、普通なら交通機関で通うところだったが、
この日は運び込まないといけない荷物が大量にあり、車で行く必要があった。(この日に車を使いたくて、あえて少し早めに車検をしていた。)
夜遅くまで大学に残り、車で自宅まで帰っていた午前3時過ぎ、パンッと大きな音が鳴った後にエンジンがきかなくなり
徐々に速度がするすると落ちていった。退避できる路肩もなく、バツが悪いことに国道の大きな交差点の真ん中で車がゆっくり停まってしまった。
かなり交通量の多い交差点だったから、かえってド深夜だったのが不幸中の幸いだ。
車中に留まるべきか、離帯に退避すべきか悩んだが素人考えじゃどうにもならなかったので、
離れたところに三角停止板を置いて、車中でJAFに電話をして助けを求めた。
(その時、ちょうど通りがかった親切なドライバーたちが最寄りのガソリンスタンドまで車を押してくれて事なきを得た。)
JAFの人に見てもらい、これは廃車ですね~と言われる。ついでにお兄さんがエアコンベルトを見せてくれたんだけど、
擦り切れているというよりは、ゴムが古くなって固くなった結果ブチっと断裂してしまっていた。
「普通は車検で見つかるんですけどね~」と言われたので「実は昨日車検に通っています…」というとびっくりしていた。
「参考に聞きたいんですが、どこで車検されました?」とも聞かれた。
JAFの人がこれまた優しくて、事情を察したのか私の任意保険の証書をその場で読み込んでくれて、
「この特約で、おそらくレンタカーを代車として車を借りられます。次の車を買うまで繋げます」と教えてくれ、
任意保険の会社に電話をして私の自宅最寄りのレンタカー店で借りられるよう手配を全てやってくれた。
お陰で通勤通学への影響を最小限におされられた。本当に惚れそうになる。ぜったいJAFには入ったほうがいい。
その後、車を最寄り(と言っても隣市)までレッカーしてもらい、修理工場へ。私はタクシーで帰宅した。
冷静になると同時に、やられた~!!あのクソ~!!!と怒り爆発。
私この業界のことよく分からないけど、雑な車検がまかり通ってるの?それで10万とか取るの??
次の週末、例のディーラーへ。ここで私は怒り心頭で、とにかくクソに文句を言ってやりたいという気持ちに。
しかしクソはよく分からない時期によく分からない理由で異動し、新しい店長が来ていたのだ(左遷?)。
アポ撮った際に車が廃車になったことを伝えていたため、新車のパンフレットをたくさん用意されたおり、
「新車を購入いただける場合、代車はただでお貸しします!」と言われたがそんな気分ではない。
これまでの経緯を話し、「保険の特約で代車は用意しましたので、車は買いません」と言うと、
新店長は(ああ、やっぱり)みたいな反応をしたので、やっぱりクソの移動は左遷で間違いなさそう。
尻ぬぐいする新店長も大変だし罪はないが、こうでもしないと怒りが収まらないので取引終了となった。
当時は若かったし、毎日多忙で車のことばかり考えている余裕はなかったんだけど、自分自身にも反省点はいっぱいある。
異音を感じた時点で乗るのを控えなきゃだめだと思う。でも地方の交通の便が悪いところに住んでいると、そうも言っていられない現実はある。
車がないと生活できないし、バスも2~3時間に1本あればいい方。レンタカー借りたらよかったのかな。
車検で習った範囲ではボンネットのなかも見てたけど、もっと見ていたら確信をもって異常に気付けたかも。でも私の言葉をクソは聞いてくれただろうか。
「エアコンベルトあたりから異音がするので見てください」ではまだ相手にされない程度に知識不足何だろうか。
単身赴任中だったから連れて行かなかったけど、居てもらえばよかった。
私と母だけではこんなに話を聞いてもらえないと思わず悲しかった。ほとんどの店員はまともだと思うけど。
これに尽きる。でも全国的に名の通っている販売店だし、クソの前の女性店長はすごくいい人だったんだよな。
店単位じゃなくて人によっても信頼できるか判断しないといけない。馬鹿にされて違和感を感じた時に店を変えていればよかった。
気を付けていることとしては
男性を連れて行かないと話を聞いてもらえないのは悲しいしそれこそクソ現実だが、車は失敗すると損失額が大きいから、
リスクを抑えるために、恋人や夫を連れて行くようにした。男性ならだれでもいい。本当は一人で堂々と買い物したいさ。
でもそれだけで格段にこちらの言い分を聞いてもらえるんだから、悲しいけど、保険にはなる。
私はまずは夫と一緒にいき、自分の話も聞いてくれる販売員(店)だと思ったらその後は一人で来店するようにしている。
信頼できる口コミ集めは難しいけど、悪い噂はやはり拡散されるので、そういう悪い噂がないお店を選ぶのは大事だと思った。
とくに昔からずっとあるような地元ディーラーは、逆にそこで長年営業できている証左でもある。客商売ですし。
私が行ってた例のディーラー、今ではなかなかの悪評らしい。自分と同世代の友人(女性)も数人、ぞんざいに扱われたと言っていた。
身の回りの男性からの不評は聞かなかった。男性には丁寧な接客だったのだろうか。知らんが。
1店舗だと比較が難しいので、最近では車種に悩んでるふりしていろんな店舗を回るようにしている。
系列店でも人によって営業スタイルも違って逆に面白い。無理な人は営業姿勢から生理的に無理!ってなる。
結果として、今は自分に合う販売員さんから車を買えているし継続してお世話になってる。友人にもその販売員を紹介している。
車検の内容に異議がある場合って、異議申し立てとかなんか対抗手段とかってあるんですかね?
当時は金もない知識も時間もない学生で戦う気力もなく、泣き寝入りでしたけど、次同じ目に遭ったら最後まで戦いたい。それほど怒っている。
いろいろなご意見ありがとう。説明が分かりにく過ぎてごめんなさい。以下で返信します。
元増田みたいな口調でコメント返ししている人がいますが、元増田はこの記事の追記と「追記2」以外で返信しておりません。
1台目も軽(70万くらい)だったけど、学生の身だし、買ってもらう側だったから文句も言えなかったですよね。買ってもらえただけありがたい。
あとウチの親は、「軽は燃費いいし大事に乗れば長持ちするから大丈夫!それに学生に普通は贅沢だ!」という思想もあった。
コメントにもあったけど、田舎は道が狭くて、中央線もない道をぎりぎりすれ違うことも多いから小回りも聞くという都合もある。
さすがに走行距離がアレすぎてすぐにガタが来たから、2台目は1~2年落ちのほぼ新品みたいな中古を買いました(色々込々で120万くらいだったかな。)。
新車や中古の普通車も考えたけど、大学院終わったら就職で引っ越すし、手放すつもりでいたのでなんだかんだ軽に落ち着きました。
これに関しては説明不足でほんとうに申し訳ない。指摘の通り、エアコンベルト断裂=廃車にはならない。
記事では端折って書いたが、実際にはベルトが断裂したような異音のあと、
次第にアクセルを踏み込んでも反応がに鈍くなりがなくなり、そのままするすると速度が落ちていき停まった。
走っていた国道もバイパス?というか、とにかく路肩が狭くてカーブしている道路で、高速道路のようにとばす車も多いから、
安全に退避できる直線道路までなんとか移動しようと焦っていたところ、交差点で本当に動かなくなった感じ。警告灯はつかなかった(なぜ車検に通る??)。
断裂したあとは無理に走っちゃダメと知識として知ってたけど、その時はパニックで何とか退避場所探して進んでしまった。これは良くなかったです。
JAFの人によると、たぶんベルトの異常は前から起こっていて、長期間無理して走っていたのでエンジンがオーバーヒートして焼き切れてしまったのでは?と。
ふつうにエアコンベルトが切れただけでは即廃車にはならないし、ベルトが首の皮1枚で繋がっていただけでかなりエンジンに負荷がかかっていたのでは?
と言われ、車検していればあまり見ない故障の仕方ですね…と苦笑いされてしまいました。複合的な要因もあるかも。
その都度「お客様電話窓口」的なところには電話して改善依頼とかしてたんだ。結局なんにも改善しなかったけどね。
クソ本人にももちろんいろいろ言ったけど響いていないようだった。
それこそ客(私)に対する対応の悪さとか、予約忘れてんじゃないかって話とか、そもそも車検をちゃんとしているのか?とか。
最後の車検の件に関しては、車検で見落としがあったんじゃないかと色々戦おうとしたけど、販売店側(本部)もあの手この手で
「経年による消耗や摩耗や事故故障などは車検保証対象からは外れる可能性がうんたら~」と逃げ腰で対応も悪く、
結局例のクソも異動後に速攻で辞めてたみたいなんだよね。怒りの矛先を失ってしまった。
このままでは時間と気力の無駄だと手を引くことにしました。お金と時間があったらもっといろいろしたかった。(この時は修論が大事だった。)
高い勉強代と思って以後は気をつけてます。でも次の若い世代には痛い目見てほしくないから愚痴として書いてんだ。
今でこそその発想はあるが、当時は単純に大学とバイトで疲弊していて、そのための時間を捻出するのがとても惜しかった。
あと単純に、私の件は「エアコンベルト見て!って言ったら分かるでしょ」と性善説を信じすぎていた。相手がクソなら何言ってもクソ!
父が自動車工場勤務上がりで車に詳しいから、エアコンベルトあたりの異常であることも確信があったし、それを言ったら伝わると思ってたんだよな。
人間、一度は痛い目を見ないとこの辺は学習できないのかもしれない。
そもそも女が車屋行くのがハードル高いよね。学生時代に、こういう時に連れていける男性って彼氏か父親くらいのもんじゃない?当時の私に彼氏はいなかったが…
今後買おうとしている皆さんはほかの車屋の意見をきいてほしい。女性の場合は、なるべく男性を連れて行ってほしい。販売員でハズレ引いたら終わりなので。
そもそも人は一貫性を持ったものではないので、「気にしない」というわけにはいかないですかね。
人格によって記憶が分離されているとかではないので、大した問題ではない気がします。
辛さは本人にしか分からないので、気楽に無責任なことを言いますが。
がっつり肉に喰らいつきたいときもあれば、さっぱりした魚を食べたい時もある。
辛いものを食べたいときもあれば、酸っぱいものを食べたい時もある。
私は納豆が大好きだけど、全く食べたくないときももちろんある。
そういうものではないですか。
さすがに、音楽や服の趣味がころころ変化するのは珍しいと思うけど、そのときに自分の気持ちの赴くように行動すればいいのではないですかね。
(服を気分で選べるほど多彩に取り揃えるのはちょっと難しいけどね)
私はレズだ。自分がレズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。
冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。
年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母が心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母の病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。
私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校の運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。
しかし、自分がレズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母がテレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティの特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルのインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性を全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからはバイトを理由に祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。
祖母は古い時代の人間だからそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティに気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体を否定はしない。祖母もまさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。
ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身が気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
【追記】
一応書いておきますが、元増田と私の友人はほぼ確実に別人です。理由は色々ありますが、わかりやすいのは年齢と家族。それと元増田は自分をデブスと表現していますが、友人はデブでもブスでもないし、むしろ一部の男性たちからはウケる容姿で本人もその自覚があると思います。自己評価が高いけど、自己肯定感が低いというかんじ。
(特にネットで)HSPを名乗る人の中には本当に辛くて、やっと吐き出す場所を見つけた人や誠実な人も多いんだろうと思ってます。Hが本当に(定義が曖昧らしいけど)HSPなのかもわからない。これはただ自己診断でそう名乗った人の近くにいた、私1人の感想です。
---
https://anond.hatelabo.jp/20230526043327
自称HSPの友人に頼まれ異性を紹介したけど、紹介した相手を不意打ちブロックされ、紹介相手に謝った側の人間です。
おそらく私の友人は元増田を書いた人ではないと思うけど、似ている所がいくつもあって読んでて本当にイライラした。特定されそうな部分はぼかしながら私も自分の体験談を書いていく。
友人H(自称HSP)は特に診断を受けたわけではなく、ネットで見かけた『繊細さん』の概念に「これだ!」と思ったらしい。今まで生きづらかった理由がわかってほっとした〜みたいなことを言っていたので、まぁ良かったなと思った。Hは確かに傷つきやすい所があって、例えば高校の文化祭の日にいつもと違う髪型をしてきたHに、クラスのギャル(以下G)が「お!気合い入ってんねー!」と声をかけたことがあった。バカにするようなニュアンスじゃなく、いいじゃ〜ん!というノリだったのだけど、Hは顔を真っ赤にしてトイレに行って髪をほどいた。その後数年間、HはGを避け続けた。
Hは単純な言葉の裏を読もうとするので、話す時はいつも気を遣った。何度も「あの言葉はそういう意味じゃない」「あの人もそんなつもりで言ってない」と説明をする必要があった。それでも付き合いを続けていたのは、趣味が合ったし気遣いもできる子だったからだ。
ただし、男性相手に関係をつくるのは本当に苦手みたいだった。Hは異性に興味がないわけじゃなく、合コンに行ったり「あの人かっこいいね」と言うこともある。でもいざ男の人に近づくと、元増田みたいに本当にどうでもいいことで幻滅し、避けるようになってしまう。元カノが嫌いなタイプだった、LINEの返事が遅かった(でも早すぎるのも嫌)、お店を予約してくれなかった、ヒールが高いのに歩かされた、待ち合わせ時間ジャストに現れた…など、思い出せるだけでまだまだある。正直「相手に言えば?」で済むこともたくさんあった。例えばヒールの件は大学時代、私がHに紹介した男の子へのクレーム(?)だったんだけど、確かにそういう方面に気の利く人ではなかった。でももちろん、相手が足が痛いと言えば無理に歩かせる人ではない(ていうかめちゃくちゃ良いヤツだ)。それとなく私から「今後そう言うところも気をつけてあげて」と伝えることもできるよ?と言ったのだけど、うーん…でも…とモジモジされて終了。
その時は相手もそこまでHを気に入っていたわけじゃないのでふわっと終わった。でもその時の感じからして、「Hは自分が何も言わなくても何もかも汲み取ってくれる、王子様みたいな人じゃないと厳しいんだろうな…」と思った。
それから10年近く経過し、周りが結婚しだしてもHは彼氏ができなかった。流石にこのままじゃダメだと思ったらしく、私たち友人に紹介を頼んできた(本当に元増田と同じだ)。
Hが積極的に恋愛に向き合い、その手伝いを頼んできたのは普通に嬉しく、私を含めた数人が紹介を申し出た。大学時代のことを思い出さない訳じゃなかったけど、もういい大人だし大丈夫かな…と思ったのが間違いだった。
私は同僚や男友達に適当な人がいなかったので、夫に相談して未婚の友人を紹介してもらった。最初は私たち夫婦とH、夫の友人男性と4人で食事し連絡先を交換してもらった。夫の友人とHは何度かデートをしたようで、うまくいくかもなと夫と話していたけど、しばらくして夫の友人サイドから「週末にデートの約束をしてるのに、Hと音信不通になった」と連絡がきた。急いでHに連絡すると、「実は最初からタイプじゃなかった。だけどあなたの紹介だから悪いし、何度か会えば好きになれるかと思ったけどやっぱり無理だった。本当にごめん」とのことだったので、まぁ仕方ないか…とは思った。「全然いいよ。でも一言相談してくれたら、もっとやんわりお断りできたかも」と伝えると、次からは相談してくれるようになった。といっても、私が紹介したのは合計2人で、後の人は相手方から丁寧なお断りがあったのだけど。
他の友人もちらほら男性を紹介したらしいけど、中でもダメージが大きかったのはGだ。彼女は日本有数の大企業のバリキャリで、同期で親友とも言える同僚Dを紹介したらしい。私も数回会ったことのある人で、優しい性格で本当に良い人。ただただ良縁に恵まれなかっただけの男性だ。すごくイケメン!ってわけじゃないけど、見た目だって悪くない。はっきり言って婚活市場じゃ引く手数多だと思う。その人に、Hは3回目のデートでドタキャンブロックをかました。Gは同僚に謝り倒し、Hに連絡を入れたけど、HはGをもブロックしていた。私たち友人に対しては絶対そんなことしないので、本当に驚いた。私や私の紹介した人に対しては、まだ誠実な方だったのだ。
当たり前だけどGも私も、紹介したからと言って絶対付き合ってほしいなんて思ってない。でもなるべく彼女を傷つけないようなちゃんとした人を選んでる。こっちにとっては相手も大事な人なんだから、できるだけ誠実な対応して欲しいだなんて、それこそ「言わなくてもわかるよね?」と思っていた。だってHは、人の言葉をいちいち深読みして傷つくくらい繊細で、その繊細さは他人にも思いやりという形で還元されると思っていたからだ。
Gから相談と愚痴の連絡を受け、私はHにLINEを送った(私はブロックされていなかった)。向こうから会いたいと言われたので平日の夜にカフェで会うことにした。
Hの言い分はほぼ元増田と同じで、蛙化という言葉こそ使っていなかったけれど、ようは「自己評価が低すぎて自分に好意を持ってくれる男性はくだらなく、つまらない男に見えてしまうし、少しでも理想と外れたことをされると『やっぱり本気で大事にしてくれないんだ』と嫌になってしまう」ということだった。
「それでもパートナーがほしい、幸せになりたいという気持ちがあって、勇気をだして紹介を頼んだ。友達が太鼓判を押した人なら、安心して付き合えると思ったけどやっぱり無理で、あなたやGちゃんにどう思われるかと思ったら怖くなって相談できなかった」
「それはわかったけど、どうして急に音信不通やドタキャンなんて常識はずれなことするの。私やGはHの友達だけど、紹介相手のことだって同じくらいの大切なんだよ。特にGは、ほとんど親友みたいな人を紹介してくれたでしょ。そういう人を雑に扱ったら、本人もGも傷つくよ」
ここからHが涙ぐんだので、何も言えなくなった。
「でもDさんは、本当に良い人で好きになれるかと思った。ただ節々でGちゃんの話や褒めたりするので、だんだんGちゃんのことが好き(だった?)なのかと思い始めた。もしかしたらGちゃんもそれを知ってて紹介したのだとしたら…なんて思うと耐えられなかった」
いや………………知らんし………………。
ちなみにDさんの褒めの内容は、Gが「仕事ができる」や「分け隔てなく明るいので助かる」みたいな内容で、異性としてどうこうという感じじゃなかった。
Dさんが今までGに好意を持ったことがないとは言い切れないけれど、共通の知り合いであるGの話題が出るのはおかしなことじゃない。あとGにはマジで他意はないと思う。Gは雑だけど明るくてハッピーなギャル(精神)って感じなので、そんな回りくどいマウント?をするとは思えない
Hはずっと自分が悪いと繰り返してたけど、ところどころで「でも私も辛いんだよ?」「HSPってね…(だから理解して?)」みたいなチラチラを挟んできて、けっこうしんどかった。
HSPの人が全員そうじゃないだろうけど、Hの件があってから「繊細って言う割に他人の痛みに鈍感だな」とか「繊細(なので配慮してほしい)って宣言できる強さがあって羨ましい」なんて意地悪なことを思ってしまう。
私は絶縁まではいかないけど、やっぱり前みたいに仲良くはできない。あと紹介はもう一生しない。ちなみにGの同僚のDさんだけど、最近婚約したと聞いて他人ながら安心した。お相手もGの紹介のようで、GとDさんの間に変なわだかまりが生まれなくて本当に良かったと思った。
【追記】
一応書いておきますが、元増田と私の友人はほぼ確実に別人です。理由は色々ありますが、わかりやすいのは年齢と家族。それと元増田は自分をデブスと表現していますが、友人はデブでもブスでもないし、むしろ一部の男性たちからはウケる容姿で本人もその自覚があると思います。自己評価が高いけど、自己肯定感が低いというかんじ。
(特にネットで)HSPを名乗る人の中には本当に辛くて、やっと吐き出す場所を見つけた人や誠実な人も多いんだろうと思ってます。Hが本当に(定義が曖昧らしいけど)HSPなのかもわからない。これはただ自己診断でそう名乗った人の近くにいた、私1人の感想です。
---
https://anond.hatelabo.jp/20230526043327
自称HSPの友人に頼まれ異性を紹介したけど、紹介した相手を不意打ちブロックされ、紹介相手に謝った側の人間です。
おそらく私の友人は元増田を書いた人ではないと思うけど、似ている所がいくつもあって読んでて本当にイライラした。特定されそうな部分はぼかしながら私も自分の体験談を書いていく。
友人H(自称HSP)は特に診断を受けたわけではなく、ネットで見かけた『繊細さん』の概念に「これだ!」と思ったらしい。今まで生きづらかった理由がわかってほっとした〜みたいなことを言っていたので、まぁ良かったなと思った。Hは確かに傷つきやすい所があって、例えば高校の文化祭の日にいつもと違う髪型をしてきたHに、クラスのギャル(以下G)が「お!気合い入ってんねー!」と声をかけたことがあった。バカにするようなニュアンスじゃなく、いいじゃ〜ん!というノリだったのだけど、Hは顔を真っ赤にしてトイレに行って髪をほどいた。その後数年間、HはGを避け続けた。
Hは単純な言葉の裏を読もうとするので、話す時はいつも気を遣った。何度も「あの言葉はそういう意味じゃない」「あの人もそんなつもりで言ってない」と説明をする必要があった。それでも付き合いを続けていたのは、趣味が合ったし気遣いもできる子だったからだ。
ただし、男性相手に関係をつくるのは本当に苦手みたいだった。Hは異性に興味がないわけじゃなく、合コンに行ったり「あの人かっこいいね」と言うこともある。でもいざ男の人に近づくと、元増田みたいに本当にどうでもいいことで幻滅し、避けるようになってしまう。元カノが嫌いなタイプだった、LINEの返事が遅かった(でも早すぎるのも嫌)、お店を予約してくれなかった、ヒールが高いのに歩かされた、待ち合わせ時間ジャストに現れた…など、思い出せるだけでまだまだある。正直「相手に言えば?」で済むこともたくさんあった。例えばヒールの件は大学時代、私がHに紹介した男の子へのクレーム(?)だったんだけど、確かにそういう方面に気の利く人ではなかった。でももちろん、相手が足が痛いと言えば無理に歩かせる人ではない(ていうかめちゃくちゃ良いヤツだ)。それとなく私から「今後そう言うところも気をつけてあげて」と伝えることもできるよ?と言ったのだけど、うーん…でも…とモジモジされて終了。
その時は相手もそこまでHを気に入っていたわけじゃないのでふわっと終わった。でもその時の感じからして、「Hは自分が何も言わなくても何もかも汲み取ってくれる、王子様みたいな人じゃないと厳しいんだろうな…」と思った。
それから10年近く経過し、周りが結婚しだしてもHは彼氏ができなかった。流石にこのままじゃダメだと思ったらしく、私たち友人に紹介を頼んできた(本当に元増田と同じだ)。
Hが積極的に恋愛に向き合い、その手伝いを頼んできたのは普通に嬉しく、私を含めた数人が紹介を申し出た。大学時代のことを思い出さない訳じゃなかったけど、もういい大人だし大丈夫かな…と思ったのが間違いだった。
私は同僚や男友達に適当な人がいなかったので、夫に相談して未婚の友人を紹介してもらった。最初は私たち夫婦とH、夫の友人男性と4人で食事し連絡先を交換してもらった。夫の友人とHは何度かデートをしたようで、うまくいくかもなと夫と話していたけど、しばらくして夫の友人サイドから「週末にデートの約束をしてるのに、Hと音信不通になった」と連絡がきた。急いでHに連絡すると、「実は最初からタイプじゃなかった。だけどあなたの紹介だから悪いし、何度か会えば好きになれるかと思ったけどやっぱり無理だった。本当にごめん」とのことだったので、まぁ仕方ないか…とは思った。「全然いいよ。でも一言相談してくれたら、もっとやんわりお断りできたかも」と伝えると、次からは相談してくれるようになった。といっても、私が紹介したのは合計2人で、後の人は相手方から丁寧なお断りがあったのだけど。
他の友人もちらほら男性を紹介したらしいけど、中でもダメージが大きかったのはGだ。彼女は日本有数の大企業のバリキャリで、同期で親友とも言える同僚Dを紹介したらしい。私も数回会ったことのある人で、優しい性格で本当に良い人。ただただ良縁に恵まれなかっただけの男性だ。すごくイケメン!ってわけじゃないけど、見た目だって悪くない。はっきり言って婚活市場じゃ引く手数多だと思う。その人に、Hは3回目のデートでドタキャンブロックをかました。Gは同僚に謝り倒し、Hに連絡を入れたけど、HはGをもブロックしていた。私たち友人に対しては絶対そんなことしないので、本当に驚いた。私や私の紹介した人に対しては、まだ誠実な方だったのだ。
当たり前だけどGも私も、紹介したからと言って絶対付き合ってほしいなんて思ってない。でもなるべく彼女を傷つけないようなちゃんとした人を選んでる。こっちにとっては相手も大事な人なんだから、できるだけ誠実な対応して欲しいだなんて、それこそ「言わなくてもわかるよね?」と思っていた。だってHは、人の言葉をいちいち深読みして傷つくくらい繊細で、その繊細さは他人にも思いやりという形で還元されると思っていたからだ。
Gから相談と愚痴の連絡を受け、私はHにLINEを送った(私はブロックされていなかった)。向こうから会いたいと言われたので平日の夜にカフェで会うことにした。
Hの言い分はほぼ元増田と同じで、蛙化という言葉こそ使っていなかったけれど、ようは「自己評価が低すぎて自分に好意を持ってくれる男性はくだらなく、つまらない男に見えてしまうし、少しでも理想と外れたことをされると『やっぱり本気で大事にしてくれないんだ』と嫌になってしまう」ということだった。
「それでもパートナーがほしい、幸せになりたいという気持ちがあって、勇気をだして紹介を頼んだ。友達が太鼓判を押した人なら、安心して付き合えると思ったけどやっぱり無理で、あなたやGちゃんにどう思われるかと思ったら怖くなって相談できなかった」
「それはわかったけど、どうして急に音信不通やドタキャンなんて常識はずれなことするの。私やGはHの友達だけど、紹介相手のことだって同じくらいの大切なんだよ。特にGは、ほとんど親友みたいな人を紹介してくれたでしょ。そういう人を雑に扱ったら、本人もGも傷つくよ」
ここからHが涙ぐんだので、何も言えなくなった。
「でもDさんは、本当に良い人で好きになれるかと思った。ただ節々でGちゃんの話や褒めたりするので、だんだんGちゃんのことが好き(だった?)なのかと思い始めた。もしかしたらGちゃんもそれを知ってて紹介したのだとしたら…なんて思うと耐えられなかった」
いや………………知らんし………………。
ちなみにDさんの褒めの内容は、Gが「仕事ができる」や「分け隔てなく明るいので助かる」みたいな内容で、異性としてどうこうという感じじゃなかった。
Dさんが今までGに好意を持ったことがないとは言い切れないけれど、共通の知り合いであるGの話題が出るのはおかしなことじゃない。あとGにはマジで他意はないと思う。Gは雑だけど明るくてハッピーなギャル(精神)って感じなので、そんな回りくどいマウント?をするとは思えない
Hはずっと自分が悪いと繰り返してたけど、ところどころで「でも私も辛いんだよ?」「HSPってね…(だから理解して?)」みたいなチラチラを挟んできて、けっこうしんどかった。
HSPの人が全員そうじゃないだろうけど、Hの件があってから「繊細って言う割に他人の痛みに鈍感だな」とか「繊細(なので配慮してほしい)って宣言できる強さがあって羨ましい」なんて意地悪なことを思ってしまう。
私は絶縁まではいかないけど、やっぱり前みたいに仲良くはできない。あと紹介はもう一生しない。ちなみにGの同僚のDさんだけど、最近婚約したと聞いて他人ながら安心した。お相手もGの紹介のようで、GとDさんの間に変なわだかまりが生まれなくて本当に良かったと思った。
なろうアニメの「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」が好きだ
「真の仲間」で略されることが多い
追放ものの元祖だそうだ。チート付与魔術師みたいに隠れた実力がある系でなく、
本当に最前線の戦いには戦力不足でついていけないが、人の少ない田舎では無双でイキれるぐらいの(実際イキり倒す)実力の主人公が、
あまり有名ではない
同時期に高品質作画アニメは多数送り出されており、なろう系も幾つも放映されていた
ファンタジーなら無職転生や王様ランキングを見てた人が多いはず
ニコニコでもyoutubeでも関連動画はほとんどない。アニメ感想サイトを漁っても実況参加者は少ない
一方で海外ではそれなりに高評価だったようで、youtubeの主題歌動画には海外コメントがそこそこついている
アニメ二期も決定した
説明が長くなったが俺はこのアニメが大好きで、配信で繰り返し何度も見直している
円盤ももちろん買い、先週も何度目か忘れたが全13話を通しで視聴した
誰にも同意されないだろうが構成と演出が神がかっていて見直すたび考察してしまう
おでん屋台の回はファンタジー世界ならではの漆黒の闇と屋台の赤ちょうちんの図を見るたび
「この緊張と弛緩の混ざり合った演出をどうやったら作れるんだ。アニメ実作者でもアニメ評論家でも誰でもいい、金を払うから解説してくれ」と唸っている
先週も蜂蜜酒の回で新たな発見をして「ウテナか!」と唸ってしまった
本題に戻ると、先週、新しい発見があった
「ふらせら」という、20年前に出たギャルゲーのコミカライズ作品で
こちらも解説すると無限に長くなるので端折るが、両作品の共通点は
・主人公たちは戦争の前線で戦っていたが、慮外のトラブルで脱落
・戦争の気配など全く感じない、自然いっぱいの辺境でスローライフを満喫する
となる
「主人公は美少女とじゃれあっててスローライフを満喫している」一方で、「戦争は全く終わってない」点だと思う
戦えるけど戦わない
積極的ではない、結果としての形で前線逃亡したのだが、そんなことは気にせず田舎暮らしを最高に楽しんでいるのが大事なのだ
主人公の周囲では、使命感にかられて参戦を志すもの、主人公に戦線復帰を促すものがいて、戦争を忘れさせてくれない
現代はメディアによって地球の裏で起きていることを臨場感あふれる映像で知ることができる。というより半強制的に知らされさえする
同じ日本の中で起きている犯罪的な虐待や差別を知らなくても、ウクライナの戦争は知っている
なんなら日本社会の身近で起きていることから目を逸らされるために海外の虐殺や差別、戦争報道が溢れかえっているのかもしれない、とすら思える
しかも、その戦争や残酷なジェノサイドは自分たちに全く無関係というわけでもないと、なぜか知らされてしまう
ウイグル民族の弾圧とユニクロの衣服は結び付けられて日常の場に入り込んでくるし、
ウクライナ戦争は「核弾頭が厚木基地や横田基地に打ち込まれるかもしれない」という切実さと結びついて、
「俺たちの日常を維持したいからウクライナ人だけでロシアと戦ってくれ」というジクジクした地続き感を抱えながらニュースを眺める羽目になる
水木しげるが前線から半ば離脱して南の島の楽園暮らしに至ったときは、左腕を失う負傷があったし、
なにより日本のアメリカとの戦争は「お役所仕事でズルズルと開始してしまった、やらなくてもいい無駄な公共事業~太平洋戦争~」だった
だからサボタージュに正当性を見出しえたし、戦後の反戦が強く共感を得られたように、
徴兵で駆り出された者の南の島での戦線離脱に責任感云々を見出す必要もなかった
こんなジクジクした気分から解放されたくて日本国家と一体化したい人たちが出てきてしまうのは理解できる
残念ながら自分は国家と一体化して何かやってる精神状態にはなれない
遠くにある、手出しすることも出来なくはない(実際に行動している人たちも大勢いる)戦争を、まるきり無関係と切り捨てることもできないまま傍観し、
さておきと、自分の生活のために働いて、マンガとアニメとゲームと動画視聴で怠惰に時間を過ごし、
その怠惰さを時おり責められ、ヘラヘラとやり過ごし、改めて怠惰に身をうずめておきたい
あんな小さい女の子がテレビに出て、歌も歌って、踊って、大変そう
代わりが効かない仕事だから休めないし、プレッシャーも半端ないだろうな
学校ももちろん行ってるんだろうし、児童虐待とまでは言わないまでも、NHKがやることではないんじゃないかなって思ってしまう
ゲームやってて一番虚しい瞬間って何かと聞かれたら迷わず「ボタン連打」と答える。
連打しないで済むようにうまく工夫してあるゲームももちろんあるのだけど、いつになってもそれが共通認識になっていかないことが不思議でしょうがない。
アクションゲームとか、画面の中でどれだけキャラクターがスタイリッシュに立ち回っていても、画面の外に目を向ければ猿のように親指でボタンを連打している自分がいる。
このギャップが開けば開くほど虚しくなるしゲームそのものに対して萎える。
なので、基本的には連射機能がついていないコントローラー以外は使わないのだけど、そうなると今度は長押しを求められてキれそうになる。
ひどいのはメトロイド。
通常ステージでも基本的に連射したまま走り続けたほうが敵に邪魔されなくて効率がよいし、QTEでもミサイルを連続で打ち込む時に連打が必須になっている。
なのに突然ボタン長押しによる溜め撃ちを攻略として要求されたりして、その都度操作が止まってテンポがめちゃくちゃに悪くなる。
お前はこのゲームをプレイさせる上で、一体何割の時間連打をさせ続け無いと気がすまないというのか。
それなので最近は背面ボタンがついているコントローラーを使って、連打が必要なボタンをアサインして長押しできるようにしてあるのだけども、これって俺がしなきゃいけない苦労なのおかしくない?
勘違いしてほしくないのは、標準コントローラーに連射機能をつけろと言っているわけではないということ。
券売機でも自販機でも、とにかくなんでもいいけど、ボタンを連打している人がいたらどう思う。
せっかちで落ち着きのない猿としか思わんでしょ。
それくらいボタン連打というのは動物的で理性のない行動の典型なのよ。
なのに、ゲームの世界ではそれが作り手側からあたりまえのように求められているというのは、やっぱりどう考えてもおかしい。
だからといって、連打したくない人に連射機能付きコントローラーが売られていることも、長押しと併用できるように背面ボタンが用意されていることも、どう考えてもいびつ。
そういう本能むき出しで猿のようにボタンを叩き続けることが好きな人を否定するつもりはないけど、それならそれでゲーム側にもそろそろボタン連打の必要性に対する注意書きをつけてほしい。
「このゲームには感情的にボタンを連打する必要があるシーンが含まれています」
最近株式投資で成功した人の話をよく本やネットで調べてるんだけど、まぁほとんどが雰囲気でトレードしてるね。
もちろん前提になるところまでは論理的に考えてるけど(この辺が一般的な養分との違いな気がする)材料を集めて最終的には「上がると思ったから買った」みたいなところに行き着く。
でもこれって考えてみれば当たり前で、株式投資において論理的で再現可能なトレード方法があるならば、アルゴがもっと早く正確に何度もしてしまうので人間の出番はないんだよな。
かといって完全雰囲気でももちろんダメで、論理的と非論理的の割合のセンスが大事なんだろう。
論理的な思考というのは一般人の偏差値を60くらいまで押し上げてくれるものでそこから先は勘とか直感が物をいう世界という感じ。
ちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふともも
富山を出た30才の女です。
結婚も子育てもしたことなくて、なんの社会的責任も負わずに子供みたいに自分のことばかり考えてる女が、アレも嫌コレも嫌と騒いでいて本当に腹が立つ。
正直、増田にいるような人は結婚出来ない人が多いから、それで共感を得て拡散されてるのかもしれないが。
まず当たり前だが、働いていない成人は正しく「遊んでいる」奴なので、女がどうとか富山がどうとかは関係がない。子供が4〜5人いるなら家事育児に専念するのは素晴らしいが、1人の子供に手のかかる期間など高が知れていて、それが小学校に入っても家で家電のスイッチを押す「仕事」をしているのなら、それは遊び人と言われても仕方がない。
子供の障害や親の介護など、事情のある人に対してはそういうことは言わないし(この辺は確かに人の家庭事情にやたらと詳しい田舎特有の気持ち悪さがある)、働かずに暮らせる社長夫人みたいな人ももちろんいるが、その人たちは労働者のコミュニティとほとんど被らないので「遊んでいる嫁」扱いされることはない。
そして女ばかりが家事をするというのも、現代ではすっかり誤りである。そんな風に富山は地獄である!と孤独に呪詛を吐いているから、地元にいて幸せな結婚生活をする同世代は離れていって、話を聞くこともないのだろうね。元々増田も元増田も彼女らが実家にいた頃はそうだったかもしれないが、共働きが当たり前で育ってきた今の富山の男性は、男性が子供のご飯まで含めて作るし、早く帰宅できた方が家事をする、ただそれだけだ。
元増田の言う、男は『親に仕送りを迫られる』というのも謎だ。親世代の50〜60代はすでに共働きが当たり前だったので、かなり資金力がある。富山の平均世帯収入は東京に次いで高い。仕送りが必要な親を持つ人は、大抵大学には行かないし、多くは同居している。家が広いからね。
元増田はそれなりの進学校といってたので、多分あの学校だろうと予想はつくが、その学力レベルの高校に通う子の多くが親に仕送り必須だなんて、絶対にあり得ない。
差別意識や村八分については、私は富山でも中心部に住んでいたのでよくわからない。あの地域ならそういうことしそうだな…と思い当たる所もあるが、そういう場所にはそうそう新しい人は入ってこないしね。大体なぜそんな話を富山にもいない元増田が頻繁に聞くのか。もし親からの情報がメインだとしたら、親のメンタルを気遣ってあげた方がよい。
私は大学は県外に出て、就職で戻って、主人の転勤でまた県外に出たが、富山で子育てをする友達が本当に羨ましい。
庭付きの広い戸建て、共働きで資金に余裕がある祖父母、満員電車に乗らずとも前後に子供乗せたクソ重いママチャリを立ち漕ぎすることもなく車で送り迎えできる保育園、女が正社員で働くことが当たり前の風潮、公立で十分な学力がつく環境、何をとっても羨ましい。
元増田も妊娠出産は最悪死ぬ!後遺症が残る!女は辛いつらいツライ!と少ない可能性にばかり目を向けずに、愛する人と家庭を作り子育てをするという、無限に広がる幸せに目を向けてほしい。幸あれ。
スプラトゥーン3フェス中だけどまったくノープレイほぼ遊んでないわ。
3色三すくみのトリカラマッチもゼルダのステージを見たいがための1戦だけで終了。
フェスはあればあるほど離れて行っている感じがしてというか、
要は今、
私は『HADES』を始めたのが終わりの始まりだったのよ。
やり込んじゃってるわ。
最終のハデスのところまでは行けるようにはなったんだけど、
まったく太刀打ち出来ないわ。
えーってラスボスと今は思っているハデスの第二形態で散ってしまったわ。
ちゃんと武器のスキルを上げて一点集中して上げていかないと勝ち目がない気がするし、
かと言って武器の強化へ全振りしていると体力のヒットポイントも上がらないし、
というか、
そもそもとして、
レヴェル1の武器で太刀打ち出来るのかしら?ってそもそも論があるわ。
私はローグライクが好きなんだけど、
あ!もしかしてこれギリシア神話で神様がたくさん出てきて街の登場人物にいろいろ話しまくりまくりすてぃーで
私が一番苦手で大嫌いなアールピージーの村人全員に話しかけると言う作業が嫌いなので、
もはや今は懐かしい私の年収低すぎお姉さんを彷彿をさせる逆の登場人物が多すぎるパターンで話すの嫌い!って思っていたけど
話すごとにみんな違うこというのよ!
なんかダンジョンでやられてホームに帰ってくるごとにみんな違うこと言ってくれるので、
え?これみんなに話しかけなくちゃいけない?重荷だと思っていたけど、
それが不思議と苦じゃなくて逆に話し込んじゃう感じだわ。
まあ毎回毎回違うことみんなセリフがたくさんあるからよくしゃべるのよ。
挙げ句の果てには
主人公の身の回りのお世話をしてくれてるメデューサの頭だけみたいなキャラクターがいるんだけど、
よくしゃべるわー。
やったー!ってなったんだけど、
やられてホームに戻ってきて酒場にその1ステージ目のボスがいて、
話しかけたら
お前にやられて機嫌が悪いから話しかけるな!みたいなこと言って
おまえ飲んでんじゃん!って
ボスなのに話せるってところがなんか新鮮だわ。
そんでやられたからその酒場にいるボスももちろん台詞がたくさんあって、
話すごとに話が違うから
ついつい話しちゃうわ。
まあやられてもホームのみんなが調子はどうだい?って迎えてくれてしかもみんな1回1回台詞が違うから驚いちゃうパワーンだわ。
お話話しかけるの嫌いな私でも話しかけるのが好きになっちゃうぐらい
洗濯物で言うと驚きの白さ!ってところかしら。
まあ込み入った話になるけど、
攻撃でチェインが繋がる武器を使ってダメージを与えた後に追加ダメージを与える「辛苦」だったっけ?を与えるスキルをめちゃくちゃ上げるのが今私が見出したパターンなんだけど、
体力任せにガンガン押していっても押せない難しさがあるわ。
まあHADESやったことない人には分からないくて申し訳ないけど、
でさー
ローグライフというか
そう言うゲームの悪いところはついついもう1戦!って
前にも言ったけど
これは私のパターンとあっていてプレイをやめどきがあっていいなと個人的に思っている、
まあ1戦1戦が3分なり5分なりのわりと短時間で済んじゃうし、
ゲーム中って時計みたりしないけどスプラトゥーンならスケジュールが変わったら強制的にインサートしてくるから
あ!もう2時間も経ったんだなぁって
そんでタチが悪いのは
やられても、
次のランダム強化アイテムはいいのが来る!って期待して行うことなのよね。
それが悪循環でもありプレイが続くことでもあり止めどきを見失ってしまうわけでもあり、
でも!でもよ、
私が推している攻撃した後に速水もこみちさん的に言うとどんだけ追いオリーブオイルすんの?でお馴染みの追加ダメージを与える「辛苦」のアビリティーを出やすくするアクセサリみたいなのを装備したら予め出やすくなるから
しかも!
「辛苦」のアビリティーがゲット出来たら「辛苦」が出やすくなる装備を途中でステージが変わったらその装備も変更出来るから、
用がなくなったら次の死んだら復活時にヒットポイント回復!アイテムを装備していけるから、
無駄が無くランダムに頼ること無く欲しいアビリティーを結構運任せじゃなくてゲット出来るところがよいわ。
とか言ってもやっぱりついつい遊び込んじゃうわ。
まあスプラトゥーン3は
寝食をいや食を忘れてまでプレイしちゃうスタイルはさすがに遊びすぎだわ。
ちょっとローグライフの時間がいくらあってもたりないタチの悪さを喰らった感じだわ。
あー時間を気にして遊ばなくちゃね。
うふふ。
夜更かしはなしよ!
また忙しい日々が始まるしねーあーあーだわ。
お茶っ葉計って入れてるんだけど、
最終使い切ったときいつもの8グラムより多くの10グラムだったので
あと水出しルイボスティーウォーラーも同時に作ったので充実してきたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。
両親は、ふたりとも高校の教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。
私は九九の七の段が苦手だった。学校の宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学の教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。
一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。
「違う。もう一回やりなさい」
二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。
「違うだろ」
三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚で意識がぐらっとする。
「何回間違えるんだ!?」
痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。
「なんで泣く?お前が悪いんだろう」
台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。
母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。
自己啓発本や教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。
※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームやアニメ、テレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。
貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストのCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。
両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。
父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドン!ガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。
また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。
母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。
今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。
母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。
特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死で母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)
紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。
過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。
・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ
・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)
・早く出て行け
・もう帰ってくるな
・お前なんて死んでしまえ
・育て方を間違えた
・お前はどうなってもいい
書きながら若干辛くて涙が出そうになった。
おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。
中学や高校で先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。
親の言うことを聞かないと暴言や暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。
高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生に出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。
ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生にしか話すことができなかった。
(3年生のときはこのお二人とは別の先生が担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)
学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。
出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由に勉強して、自由に休んで自由に活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義なものだと思った。
趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったことももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。
昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。
だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。
しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。
苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。
多分きっと、全部忘れているだろうけど。
義父は保険の営業で、我が家も夫・私・子どもと全員いくつか契約させられており、毎月4.5万ほど支払っている。
現在第二子妊娠中なのだが、またもや契約させられるのかと思うと、出費としても痛いし、なにより義父に不信感があるので契約がいやすぎる。
不信感をもったのは、結婚・出産時に半ば強引に契約させられたことももちろんあるのだが、決定的な出来事がある。
・結婚したときに義祖父からご祝儀を100万円いただいた。ありがたく頂戴するつもりだったのだが、「まだ若いふたりには大金だから」といつのまにか義父がその100万を持っていた。
そしてそれを「毎月1万円ずつ振り込むから、この契約してくれ。投資のようなもので、これはご祝儀を増やすための方法だ。おくりものだ」みたいなことを言われた。そして契約させられた。ちなみにこの保険は毎月1万円を超えている。
・ファイナンシャルプランナーに契約内容を見せると、「なんでほぼ同じ保険ふたつも入ってるんですか…これはひどいですね」と言われた
私の実家は遠方なので、子育てをしているとどうしても義両親に頼らざるを得ないときがある。
それを思うと関係性を悪くしたくはなく、ぐっと抑えて契約しているが、第二子のことを考えると気が重い。
どうやったら穏便に断れるのだろうか。
コスプレイヤーというのは既存の漫画やアニメ、ゲームのキャラクターのコンテンツの二次創作としての表現で楽しむ趣味でございます。
はじめのうちはこのスタンスであってもいつから自己承認欲求を求めてしまうようになります。
そして、露出をしたり、流行りの作品のコスプレをして「いいね」集めをしたり、コンカフェで働いてみたり、イベントをしたり撮影会をしたり……
そして、そこに群がった人たちからお金や物を乞う、乞食になっていく……
このような人たちについて少し考えてみたいと思います。
それはこの文の一文にも示しましたがコンテンツの二次創作で自分の好きなキャラクターになりきって遊ぶという高度な変身ごっこです。
これについては人それぞれ思うところはあるかと思いますが、共通して言えるのはそこにはコンテンツへの尊敬と愛があるということは言えるでしょう
承認欲求を求める乞食のコスプレイヤーというのは前述した作法からは外れている外道の方々です。
コンテンツを利用してコスプレというものを隠れ蓑にして、アニメや漫画などのコンテンツを自分の承認欲求を求める道具や自分のフォロワーという顧客リストの餌として使用しています。
いえ、露出しているキャラクターもいますから、本当にそのキャラクターが好きだったその露出については意味があるものですから、表現の一部分として取り扱い今回の問題提起するようなものとしては扱わずむしろ尊敬をされるべきものでしょう。
しかし、残念ながらその意図に反してコスプレをする人間がいるのもまた事実なのです。
承認欲求を求めるのは悪なのか?
承認欲求というものを求めようとするのは悪のような言い方をしているように思われてしまうかもしれませんが、それは誤解です。承認欲求というものは人間であるならばどのような形でもあって然るべきであると思います。
しかし、それを得る手段やまたは対象に問題がある場合はその限りではないと考えています。
では、よい承認欲求というものは何かというとある程度共同体として機能している中での承認です。
これは対象への承認は尊敬されるというものへとつながるものですから「仲間のために背中を見せる」や仲間内によく思われたいということでその共同体の中でのつながりの強化につながるものなどを示唆するものでしたらいいと思います。
しかし、ここで問題視をしている承認欲求は不特定多数に対して向けられるもので、その先にあるのは数字の満足度と人気投票からの乞食行為への移行です。
これを正しい承認欲求という風には考えることはできないというのが『僕』の考えです。
コスプレという分野はSNSでしばしば炎上するという現象がみられます。
コスプレイヤーの金銭トラブル、○○○はやってはいけない、このカメラマンは危ないなどなど……
コスプレという趣味を続けていくと何かが起きるのは当然の事なのですが、他のコスプレイヤーの経験したことを自分もしたというようなことをSNSに書き込んでは、生産性のない議論をしたりします。
また、これらの露出などを過度にしていればそういうものの目当ての連中が集まることは自明の理です。
また、この中にはそういう「変な人間」が紛れ込んでいる可能性が高いのは当たり前のことです。
これらは自分たちを通してある意味目立つ行為としてコスプレのあるあるネタによる共感からその承認欲求をズラして満たしています。
それゆえ、マッチポンプのように自分で火種を作ってはSNSで賛同をする人たちと声をあげて楽しんでいるのです。
次に社会学の視座でみてみましょう。社会学者のスチュアート・ホールの文化的アイデンティティを例に出して考えてみましょう。
現代において自己のアイデンティティというものは内面の核として中心に持つことはなく、SNSなどの他社によって目まぐるしく変化をしていきます。
それゆえ、自分の核をコスプレをしているという記号化することで自分のアイデンティティを保とうとします。
つまり、コスプレが好きなのではなくてコスプレによる自己保存になるわけです。
ここから自己のアイデンティティもコスプレが好きだから、アニメや漫画などのコンテンツ作品が好きだからという気持ちがないためこれらを利用したといってもいいですし、もう少し言葉をならすならば「文化のすりつぶし」によって自己の承認欲求や物乞い精神を養い満たすのです。
そして、このすりつぶしから露出や性欲を商品とする部分への移行をすることでこれらの欲求に応えていきます。
しかし、これらは消費傾向における行為なためいずれその人間は飽きられてしまうという問題も孕んでいます。
コスプレイヤーという女の消費のされ方
コスプレを文化のすりつぶしとして消費をする人間もいれば、一方では創作としてクリエイティブな自己表現として使う人ももちろんいます。
オリジナルの物語を作って表現をしたり、作品に対する愛があるため自分で衣装を作ったり、作品を楽しんだりしています。
コスプレというものはあくまでも非日常的なものであり、ブライマンのようなディズニー化のようなものであるため日常の中に劇的な体験として存在しているはずです。
しかし、SNSなどでフォローしているとそのエコーチェンバーのようなもので非日常性から日常へのものへとなっていきます。
それをよりよいものへと刺激を求める面で色々な方向へと伸びる人もいます。
結語
今回の問題として取り上げたコスプレイヤーは物乞いをする、承認欲求を満たそうとするというものですがこれが全てではないことは御承知頂ければと思います。
「一部の」そういう人たちがいるというもので、これらの問題は金銭的な搾取をされるような問題に多く関わっているのも事実です。
最近は、オレオレ詐欺に対する警戒も強くなってきたため高齢者を狙うよりもこういった傾向のある女性やそこに群がる男性を騙した方がお金になるということで犯罪への対象が変わってきているという事実があります。
このような事例はコスプレイベントなどが発端として起こることが多く、それがあまり表沙汰にもなりません。
SNSでは多く取り上げられることはあっても、「またか」のようなリツイートネタのように扱われている現状があります。
コスプレという趣味に対しての向き合い方、倫理観、コンテンツの楽しみ方はあってもいいとは思いますし、これらがよりよく発展してくれることを漫画やアニメ、コスプレが好きな人間として願う限りです。