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2017-07-21

https://anond.hatelabo.jp/20170721094355

からどう見られるのかをやたら気にしてて気持ち悪いな

女はすぐいい顔しようとする

家で飲まない人間からすると缶ビールなんてゴミなわけで、しかもそこそこ重量のあるゴミから持って帰りたくはないだろう

ゴミ押し付けられる身にもなってもらいたい。知らない間にゴミデスクに積まれているのだ。後輩がそれをどう感じたか想像できないのか。

あるいは家族彼氏が嫌ったり、逆に飲まれて嫌なのかもしれない

視野と心が狭すぎるわ

こういう自己中心的正義感を振りかざす奴らが世の中を生きにくくしてるんだろうな

いらないものは捨てる。何も間違ってない。

2017-07-11

時差ビズは無理ゲー。それより中学高校の始業時間をズラすべき

 今日から時差ビズが始まったらしいが、これを考えた人間一人暮らしか、もしくは家庭を顧みない人か、もしくは老害のいずれかだとしか思えない。

 なぜなら、家庭持ちなら子供時間と合わせる必要があるからだ。

 子供が未就学児なら出勤前に子供保育園に連れて行く必要があるから保育園時間にも合わせる必要が出てくる。よって時差ビズは不可。

 子供が小中高校生なら、子供の通学前に朝食を準備したり親子の会話をしたりする必要がある。よって時差ビズは不可。

 これらの家庭の事情に加えて、各業種ごとに取引先との兼ね合いや営業時間の都合でどうしても時差ビズが出来ない場合もある。早く出勤した所で会社が開いていなければ喫茶店などで時間を潰さなければならないし、その費用毎日となると馬鹿にならない。

 となる筈で、これに思いが至らない時点でどうかしている。自己中心的で、ただ呼びかけて自己満足に浸っているだけのいかにもお役所的な無駄仕事である

 それよりも、朝の通勤ラッシュ時に通学時間をぶつけてくる中学高校あたりをターゲットとして、始業時間の繰り上げ、もしくは繰り下げを要求したい。

 朝の通勤ラッシュに乗り合わせる学生は全体の何割かわからないが、決して少なくないのは確かだ。この人員を朝7時台や10時台のどちらかに割り振ることが出来れば、ピークの乗客数を確実に減らせる。だから電車通学で通うような中学高校については条例等でほぼ強制的に始業時間を変更させるべきである

 朝ビズは、フレックスタイム制とか朝活とかといった過去の失敗を全く学んでいない愚策であるからただちに取り下げて、中学高校の始業時間変更条例の制定をただちに行うべきだ。

2017-07-01

https://anond.hatelabo.jp/20170701094214

行きの搭乗前にも帰りの搭乗前にも車椅子のまま担がないでくださいっていわれてるんだから分かってるだろう

航空会社側としては車椅子から降りて介助者に支えられながら搭乗してもらいたいのに、それをゴネてあえてその方法を取らなかったんだろ

まさに自己中心的な行動だよ。相手の指示には絶対に従いたくなかったんだろうな

自分で這って上る選択しながら、被害者面してるんだから呆れるわ

2017-06-23

そもそも脚悪くもないならエスカレーター使うなよ

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/062200257/

kk6 今片側空けを廃止してしまうとホームに人があふれるって書いてるけど、片側スッカスカなのにもう一方のほうが大行列になってホームが溢れてることがほとんどなんですが

少なくとも品川を中心に都心部通勤や移動をしてるが

そんな馬鹿げたケースは見たことがない

殆どの駅がホームも連絡通路もスペースたりてないので

エスカレーター階段も目一杯まで使って移動している

片側空けながら大行列なんてことが出来る時点で悠長な混雑状況だということ

嘘松乙もしくは田舎駅乙もしくは超マナー悪い利用者ばっかりの底辺駅乙


Gustav13Gustav13 いや、そもそも赤の他人に真横に並ばれることが好きな人などいないわけで、実質1段1人になりやすい。

この片側スカスカ論者に共通する違和感なんだが

なんでこんなことをドヤ顔大威張りでいえるんだろうか

「楽したいから」

赤の他人に真横にならばれるのが好きでないから」

そんな自己中心的理由エスカレーターに乗って立ち止まるなよと言いたい

馬鹿か?こいつら


全員立ち止まって乗ったときエスカレーター時間当たり輸送量

同じスペースを占める階段に比べて圧倒的に劣る

それなのにあんな物をつけているのは怪我人や大荷物や老人といった

地力階段昇ることも出来ない交通弱者保護する為だ

健常者がエスカレーターを利用すること自体不見識なんだよ

あれはお前等がだらだら楽をする為の設備じゃねえ

どうしても使うなら階段利用者よりはやく通過できるように歩け

そこまでしても幅広すぎるあれは輸送量劣等なんだ


もうこんな勘違い人間ばっかり増殖するならエスカレーターなんか廃止するのがいいと思う

全部階段にすればいい

みんなで歩こう

大腿筋や大臀筋を使って活性も血流もアップして脚萎え馬鹿も減るよ

それなら一人用のエスカレーターにすれば省スペース化できると思うわ

エスカレーター自体無くすのこそが省スペースで輸送量アップだ馬鹿

省スペースまでいえるのになんで

「ぼくちんエスカレーターに立ち止まってダラダラ運んでもらいたいでちゅー」

「隣に知らん奴なんか嫌だから貴族みたいに1人で運んでもらいたいでちゅー」

だけ残すんだ馬鹿

他人が嫌なら自分自動車に乗ってろ馬鹿


本来保護されるべき交通弱者エレベーターでよいのだからエレベーター足りない所は増設すればいい

みんなでのしのし自分の脚で階段のぼればきっとこの国は今よりよくなる

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170620235535

わたしも似たようなタイプ精神科に通院していた時期があったよ。

あなたにとっての解決策になるかはわからないけど、自己啓発本に載るような小手先玩具に頼るよりはちょっと難しめの小説とか哲学書の中から自分」を作ったほうがいいよ。自分自身の中に絶対的価値基準をつくれば周囲の空気に流されなくなる。

たいていの人間日常生活最中に身に着けていくはずの「普通」があなたには欠けているので、自己中心的性格だとなおさら生き辛いと思う。日本人には確固たるルールがないので(空気に溶け込んでいる暗黙のルールなので)価値基準が「自分」にある人は「自分」の価値観形成するプロセス必要なんじゃないかな。

2017-06-20

叱られた時のショックが消せない

30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。

叱られた時、どうやったら叱られた時のショックは蓄積しないで立ち直れるんだ?

自分空気があまり読めず、読めないが故に無礼発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。

自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。

自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果からX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。

実践してみてそれなりに効果はあったと思う。

「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。

なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショックだけが脂肪みたいに蓄積して困っている。

もう改善策も見つけて実行できて同じケースでの失敗はしてないのに、ふとした時にショックだけがフラッシュバックしてくる。

フラッシュバック時の変化

昔は「何で自分はこんなに馬鹿なんだろう」って心中で落ち込むだけだった。

次にやけ酒・やけ食い、もしくは1日まったく食欲がわかないの、食欲の両極端化が起きた。

二年くらい前からトイレの個室の方にこもって泣くようになった。家でも職場でも外出先でも一旦泣かないと立ち直れなくなった。

で、ついに最近「もう死にたい」って思うようになった。

今日トイレの個室で「死にたい」と声に出してしまった。

蓄積と悪化を顕著に感じている。

ストレス要因の有無

仕事給与は適量で、人間関係会社全体で良好なホワイト企業だと思う。特に上司には恩義を感じている。

どんなにムカついても見捨てないでくれる古くから親友もいる。

心底楽しいと思える趣味もあり、好奇心は旺盛。

結婚を前提に交際している女性もいる。

家庭環境特筆点はなく、両親共に健在で、社会に出てから感謝することも多いのでしっかり育ててくれた良い両親だと思う。

自身の外見は上中下なら「下」だが、幸い特徴的部位はなく、いじめ対象となったことはない。

完璧主義責任感や真面目なんて言葉とは対極の性格

将来の目標もあり現時点は目標への延長線上に立てている。

彼女親友は、遊んでる最中自分唐突トイレにこもり、目を赤くして帰って来たら心配し、話を聞いてくれる。励まし、慰めてくれる。

悩みを打ち明ける相手がいないことはない。

現状にストレス要因はないと推定している。

フラッシュバックが起きやすタイミング

上位3位は就寝前、入浴時、調理時。主に脳内が「無」の状態の時に起きやすい。

なので、気の置けない相手との雑談の合間や、慣れている仕事を行っている際も上位に入る。

圧倒的なのは就寝前で、暗い部屋でいい歳した大人が泣いていると、思考マイナスに寄ってしまい、蓄積されていたショックが増幅して帰ってくる。

睡眠時間が削られるのも困るが、頻度は低めでも仕事中にも起きてしまうのが本当に悩みどころだ。

精神科はすでに行った

就寝前のフラッシュバックで不眠気味になり、仕事に影響が出たので、精神科受診した。

不眠症の傾向があるとは診断されたが、うつ病の傾向は見られないとのことだった。さもありなんと思った。

フラッシュバックが起きていない時は、70まで生きれるとしてもあと40年余りしかないことを悔やむほど楽しく生きている。

からこそフラッシュバックが起きる意味は皆目見当もつかず、また発生時の自分の落ち込み様にも理解が出来ない。

睡眠薬は処方してもらったが、嫌なことを思い出さずに入浴できる薬などあるわけもなく、現状はできるだけ脳を「無」にしないことしか対策がない。

そんなの交通事故防止に対し「注意して運転しましょう」と言うだけのようなものだ。

軽減はできても根治はできない。

カウンセリングも受けてみた

顔が見える相手だと緊張してしまい、3回受けて3回とも効果や収穫はなかった。

「小さいことは気にしないようにしましょう」と言われ、それができないから受けているのにとがっかりしただけだった。

異常に打たれ弱い人間として生きるしかないのか

学生時代には、まだ自分精神的に幼く、叱られた経験も少ないから強いショックを受けるだけで、大人になれば緩和されると思っていた。

だがむしろ悪化している。

今でも叱られるのがとにかく怖くて嫌だ。

経験として成長に繋がっている実感があっても、「怒られてしまった」というショックの蓄積はなくならない。

新たな注意点の発覚(によるショック)が怖いので、職場の昼食時の雑談などには入らなくなった。

幼少~少年期は腕白で、乱暴な子だったように思う。滅多に叱られない優等生では決してない。

しかしたらその頃から蓄積されていて段々臆病になり、今、「死にたい」まで到達してしまったのかもしれない。

だとすれば自分は生まれつき異常に打たれ弱く、それは一生改善されることがないのだろうか。

一番怖いこと

積もり積もって「死にたい」が「死のう」になり、本当に自殺したら、自分としては残念ではある。まだ「こち亀の最終巻を読む」しか夢を達成できていない。

だが自分決断して実行したのであれば自己責任だ。

でもフラッシュバックは本当にいつ来るか分からないので、例えば彼女と買い物に出てる最中に「死のう」に到達するほどのフラッシュバックが起きたらと思うと非常に怖い。

自分死にたいなら死ねばいいが、真面目な両親や、責任感の強い彼女にはどんな迷惑をかけるか分からない。

常日頃から自殺の二文字が頭に浮かんでいるならまだしも、現状では「人生楽しい」という時間の方が長いので、いつ死んでも良いようにと孤独状態を作り出すことはできない。自分勝手だが。

それでもいつかポーンと自殺してしまいかねないと怯えるほど、フラッシュバックとショックの蓄積が怖い。

今日起きたフラッシュバック

これだけ長々と書いたが、そう言えばまだ先週叱られたことを書いていなかった。

その日は趣味繋がりのLINEグループの場で失敗した。

女性メンバー自分デブからモテないと自虐ネタを入れて来たのだ。

過去に似たようなケースで「太っているより痩せている方がモテやすくはある」と返したら叱られたので、女性自虐ネタ否定するのが正解なのだと思っていた。

別に太っていると思ったことはない」といった旨を返すと「嘘だ~w」というレスが来た。

会話の雰囲気やスタンから向こうも会話に乗ってきてくれているのだと思ってしばらく会話していたら、後ほど別のメンバーから個別LINEで指摘が来た。

「軽く終わらせて欲しい自虐ネタを、稚拙な嘘でフォローされて、長々とそのネタで会話を継続されると精神的に辛いものだよ」といった内容だった。

時を置いて読み返してみると、たしか相手女性からは早く会話を切り上げたい雰囲気が漂っていたし、他のメンバーからも会話をやめるようヒントが飛ばされていた。

自分はむしろ相手女性に、女性として十分魅力的であるフォローしていたつもりで、良いことを言っているつもりだった。

冷静になってみたらただのセクハラだった。

ただこれだけだ。

自己中が、女性の前で格好つけたかったものの、ただ空回りしただけだ。

「気をつけよう」で終わらせていい話だし、すでに「自虐ネタ対応は、自分のような人間にはまだレベルが高いので、もっとコミュ力が高い人に任せ勉強させてもらおう」と改善案自分の中で明示した。

もう一週間も前の話だ。

なのに今日会社でこの一件を指摘された時のショックがフラッシュバックした。

急に心臓が圧迫されたような感覚になり、トイレの個室でひたすら「死にたい」と呟いた。

こんなに死にたいと思ったのは初めてだったので驚いたし、怖くなった。

前回のフラッシュバックの時は、死にたいとは思ったが口には出さなかった。

今回は呪詛のように呟いていたので、いよいよもって危険だと感じた。

皆はどうしてるんだ?

まとまりがなく、長々とすまない。

皆はどうしてるんだ?

こんなフラッシュバックは起きないのだろうか?

それとも慢性的死にたい気持ちと戦ってるのか?

ここまで読んでくれた人がいたなら、まずは貴重な時間ありがとう

異常に打たれ弱いと言っておいて説得力もなにもないだろうが、このフラッシュバックを根治したいので、何かあれば是非教えてほしい。

追記6/21 13時

情けないと叩かれて終わるかと思っていたから、今本当に嬉しい。皆どうもありがとう

もう昼休憩終わるから、ひとまずお礼だけ言いたかった。

帰宅したら教えてくれた病気や本を調べてみる。ブコメも一つ一つ拝読する。

本当にありがとう

追記6/22 2時

お礼と、情報をまとめた。

http://flashbackshock.hatenablog.com/entry/2017/06/22/023926

2017-06-18

今日1日、外に出なかったので悟ったことを書いていこう

今日自宅警備員として24時間働いた。

わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。

業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである

そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。

本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝

世の中には2種類の人間がいる。ジブリ鈴木氏曰く、

・将来に夢を抱いて突き進む人

自分に与えられた仕事をコツコツと積み重ねていく人

である

なぜ、この2種類がいるかからないが、わかれているのだ。

やりたいことやりたくないこと問題

自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢自己中心的人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたかであるだがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。

その責任を投げているのは他人ではなく、自分である

人間は1種類である

自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである

人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいかである他人のことを考える人が好きとうのはつまり自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である

男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。

手に入れたもの価値があり、与えられたもの価値がないのは、能動的か受動的ということである能動的に得たものとは自分の欲しいものである受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識意識距離が近づくからでる。自分というもの出会きっかである

だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。

受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である

自分には価値はないが、生きてることにどれだけ意味を見出すかが人生である

今日もわんわんは1階を警備してくれているので、僕は2階を責任をもって警備する。

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608011809

こういう奴いるよな。なんなんだろう。

「親切を受け取らないのが失礼」「例え迷惑だろうと俺のいう事を聞かないのは失礼」

なぜなら俺が年上だから、みたいな事言ってるけど、たぶん理由なんて別に関係ない。

自己中心的傲慢。周囲は自分のいう事聞けば満足なだけ。

何様なんだ。何が配慮だ、配慮すんのは自分だろう。現に平然と迷惑ばら撒こうとしてるじゃないか

そもそも40代か50代でこのありさま。年月重ねても成長ゼロなんだから尊敬されるはずもないよな。

人間の失敗作としか思えない。

釣りであればと願うが、こういう人間は実際たまにいるので釣りでないのかもしれない。

2017-06-07

そろそろ潮時なのか

今日会社ちょっとした事件があった。

まぁそれを発見したのは自分の部下だったわけだが、

悲しいことに自分の中で一番最初に頭をよぎったのは「あ、これでまた自分評価が下がったな」というものだった。

もちろんよくないことを見つけ、表面化させたのはそのものの手柄だし、それは素直に評価されなくてはならない。

だけどその反面、「あいつよりあいつのほうが頑張ってるよね」と見られることの恐怖が大きくてそれがずっと

頭を離れず悶々としている。

結果的にいつしか評価が逆転してしまうのでは無いか

そればかりを気にしている自分がいる。

もちろん自分とて日々努力している。ただ回りに影響力を与えきれていないのではないか自己反省する部分はあり、

前向きな努力、後一歩の工夫、ひらめきなど内容的に部下に劣っているのでは無いかという部分もある。

そうした中で今回の一件でまた周囲から評価相対的に下がるのでは無いかという気持ちが先ほどから暗い影を落としている。

事実、周りもそういう風に見ているのでは無いだろうか。

多分これは傍から見ればものすごく自己中心的で卑屈な思考なのだろう。

自分でもそう思う。自分だって頑張っている、でももう、その頑張りがどうやっても会社内での評価には繋がらないのだ。

不毛な日々のルーティンワークの中でいつしか全うな思考力が失われてただ時間が過ぎるのを待つだけになっている。

忙しいけどそれが実のある忙しさでなくただ時間お金に変えているだけの労働・・・・。

もう今の会社で何をしたらいいのかも分からないし、きっとこのままずるずると年齢を重ねるだけだろう、というのは

分かっている。後続のもの達が実力を付けて上がってくる中でずっと足踏みしてしまっている自分はもう若くは無い。

長い休みと新しい環境。今の会社でとうとうこの歳になって行き詰ってしまったなぁ、と。もうこれ以上いても

仕方が無いのだろう。そろそろ潮時なのか。

明日には今日の出来事の動きが分かる。きっと自分がこの会社から消える決定打となる反応が感じて取れるのだろう。

憂鬱だ。

2017-05-22

何を言いたいのか分からなくなったけど

好きな俳優さんがいる。

いわゆる推しというもの2.5次元と呼ばれるものストレートプレイなどの舞台に出演している舞台俳優さんだ。2年くらい片想いをしている。もちろんファンも多い。それはきっと俳優さんにとって喜ばしいことであるし、応援している者としても喜ばしいことなのは重々承知である

しかし私は、どうしてもそれが辛い。

初めてこんなことを考えたときこれが同担拒否なのかもしれないと気付いた。続いてなんなのか分からないけど、非常に厄介で生きづらいもんだなと思った。

それから俳優さんのツイートに対して並ぶコメントを見ながら他のファンアカウントへ飛んで、どんな人間なのか観察するのが日課になった。顔も知らないのにみんな美人に思えた。常に嫉妬していた。自分に自信が無いから余計に。惨めだと感じた。

その俳優さんの舞台を見に行って帰ろうと駅に向かう時、あぁもしかたらこの人たちは出待ちをしにいくのかもしれないなと思う女の人達を見かけた。私はそのまま帰ってしまったので真偽の程は分からない。

その舞台出待ちなどの行為禁止だとHPに書いてあったと思うのだが「するんだ、へえ」くらいに思った。別にそれが絶対的に悪!許せない!と思えるほど自分正義感が強くないし、禁止するくらいだから迷惑になるんだろうくらいの認識だ。ただ私がしない理由はその俳優さんに目障りだと思われそうだったから怖かった。嫌な認知のされ方をしたくなかった。結局自分のことしか考えていない。でも本当は私だってその俳優さんに会いたい。話したい。矛盾しているけど帰り道の電車でぐるぐると考えていた。しかし結局今までしたことは無い。

ファン自分だけになればいいと思った時期もある。今もそれはあまり変わらないけど、しかしこれは本当に自分勝手エゴしかないしそんなことを言ったら俳優さんが役者として活躍出来ないということも分かっている。そんなことを思ってしま自分は本当に最低で救いようの無い馬鹿だ。我が儘で自己中心的だ。こんなことしか思えないならいっそ死にたい相手のことを考えず自分幸せならいいという行動になってしまうのは悲しい、結局どちらも幸せにはなれない気がする。

別に自分が居なくなろうがファンを辞めようが周りにも俳優さんにも問題はない。ツイートにつくコメントが一つ減るだけ、舞台に来る人間が一人減るだけだ。

私はどうなりたいんだろう。とにかく努力して(ダイエットなりなんなり)可愛くなるしかない。なんだか自分でも何が言いたいのか分からなくなってきちゃったな。

はてなで色々なブログを読んでいると、自分なんて金が無いくせに勝手片想いしてあーだこーだと考えるダメファンなんだなと考えることが増えた。

私はきっと一生片想いを拗らせたファンのままだ。

こんなどうしようもない女なのに好きになってしまって本当に申し訳ない。

もっとたくさん働いて今よりお金を落とすから破産しない程度にしか出せないけど許してほしい。出掛けるときは数人いた諭吉が帰り道では二人の野口英世になっている財布の中身を見つめる生活も悪くないと思えるの。画面越しでも、ツイッター写メでもいいからさ、まだ私の前からいなくならないでよ。

きっと百年の恋も冷めるようなクズバレかカノバレでもしてくれなければ、貴方のことを嫌いになれない。

2017-05-18

任期付きポスドクから結婚式ボス呼びたくない

任期付きポスドク男。結婚することになった。彼女婚約者)は正社員

彼女結婚式上司を呼ぶらしい。

新婦結婚式上司を呼んでるのに、新郎結婚式上司を呼ばないと、変に思われるから呼んで欲しい、と言われた。

正直、呼びたくない。というか、来れないのではないか

上司にあたる人は、教授になるのだろうが、超多忙。俺は、素晴らしく業績挙げてる訳ではない。それでも雇っていただいて、深く感謝している。教授は、お金を取ってきて本質的問題アタックし続けていて、研究者として尊敬できる人。

それなのに、大して業績挙げてないポスドクの俺が、超多忙プロ研究者時間を1日奪って、その上、金まで払うように頼むの?何それ。裏切りみたいじゃない。ボスの一日は、俺の結婚式の参加に使わせるより、研究に使った方が自分にも社会にも得になるってわかってるのに、なぜ、結婚式に呼ばなければならないのか。

今のポスト任期付きなので、プロジェクトが終わったらなくなる。それは仕方ない。どこもそうだ。お互いそれをわかった上で、雇う雇われるの関係になっている。それなのに、結婚式なんてプライベートな場にボスなんか呼んだら、向こうもこっちも後腐れ残るじゃん。

みんな、こういうときどうしているのだろう?

追記:

思ったより反響が大きくてびっくりしている。皆、結構自己中心的な考え方するのね…

世の中に優秀な人は少なくて、優秀な教授社会の宝ですよ。

その宝を、一瞬とはいえ、自分私事のために私物化してしまおうという考えそのものが、とても浅ましいように感じる。

皆、公務員横領みたいな公共物の私物化には怒り心頭批判するくせに、公金で育て上げた優秀な教授結婚式という私的な場に呼んで拘束することは、公共物の私物化とは思わないのね。

そもそも彼女のことは好きだが、自分結婚自体も、見方によっては反社会的と言われても仕方がないように思う。

自分のお給料教授が取ってきた研究プロジェクトから出ているが、そのプロジェクトは、そもそも公金でまかなわれているものだ。

まり自分のお給料は公金だ。公金で働いていながら、これだけの業績しか出していない自分が、自分欲求で、仕事時間の減少に繋がりかねない結婚という行動に打って出ることは、正当化されうるのだろうか?

もっと業績が出ている人が、社会からのご褒美として結婚を許されるのは、すごいよく分かるし、問題ないと思う。

しかし、私は業績が出ている方ではない。そんな奴が、公金から出ているお給料で、結婚を所望するのは、そもそも反社会的行為なのではないだろうか?

私は頭は悪かったけど、裕福な家庭に生まれたから、親の援助で経済的心配はなく、博士号を一応取ることができた。

私よりずっと優秀だったのに、経済的問題博士号取得に至らなかった人をたくさん見てきた。

公金は、私などより、私より優秀だったのに博士号を取れなかった人に使われるべきだ。

申し訳ない、申し訳ない、と思いながら働いてきたが、私は、とにかく、もう社会迷惑かけたくないんだ。


追記2:

なんだか、私を卑屈で歪んだ人間だと思っている人が多いみたいだけど、それは違う。

私は正義感にあふれている。

私よりずっとずっと優秀な人間経済的理由博士号を取れずに無念のうちに大学院から去り、私のような、ただ親に小金があるだけの人間博士号を取れる社会の方が、誰がどう考えてもおかしい。歪んでいるのは社会だ。

親が持っている金に関わらず、優秀な人間教育を受け、博士号を取って社会を導いていくべきだ。

私は社会が歪んでいる事を知りながら、その歪んだ点を逆手に取って親の金というチート博士号を取得したのだから社会を歪ませる動きに加担したのだ。

社会を歪ませる動きは是正されなければならない。

私が幸福になることは、社会の歪みをほんの少し加担させる行為だ。

博士号を取れずに大学院を去った彼らが幸福になる事こそ、社会の歪みを是正する行為だ。

社会は、金のある者ではなく、才能ある者を優遇しなければならない。

金があっただけで才能がない私が不幸になればなるほど、社会の歪みがほんの少し是正され、正しい社会にほんの少し近づくのだ。

から、私は不幸にならなければならないのだ。

臆病者だから頂けるものは拒まないが、私が現実的範囲で適切に不幸になるのが、正しい社会を実現する道だ。

私が不幸になることは、正しい社会の実現なのだ。それなのに、私の幸福を祝ってくれる社会の方が歪んでいるのだ。

社会は、私の不幸こそ祝わねばならない。

2017-04-29

嘘ついたことに罪悪感を感じてます

無責任かつわがままで、自己中心的な行動だって誰が見てもそう思います

周りがやるから自分ががんばらなくてもいいだろって考えてました

そんなことを躊躇わないぐらいやってられるかという思いが強くなってました

そんな風になったのは、身から出た錆が8割、不運が2割だと思います

もうバレて開き直ってしまいたいです どれだけ嫌われてももうどうでもいいです

追記 

正直、続けてもどっかで辞めたと思います 絶対最後までやりきれないのはわかってます

2017-04-12

惚気けたい

恋人ができたので惚気けたい。

でも人の惚気けは聞きたくないと各所で聞くので、とりあえず嫌いな人にめちゃくちゃ惚気けてみました。

そしたら今まで恋愛なんて興味がなかった人なのに、急に持ち始めました。

私がモサモサしたデブスオタで、しかも私の趣味共感してくれる彼氏だったので「俺でもいけるかもしれない」と思ったのでしょう。

その人が嫌いな理由が「不潔すぎるから」なんですが、恋愛へ興味を持ち始めたせいなのか、ほんの少し身だしなみに気を使い始めるようになりました。

私も「◯◯さん(狙っている人)の前でやったらいけないと思って…」と少しずつ注意というか助言できるようになり、

少しずつその人への嫌悪感が減っていっています

私の自己中心的欲求から始まったことでしたが、結果としていい方向に向いてよかったです。

http://anond.hatelabo.jp/20170412115139

本当は育休2年とれるけど0歳から預けてるっていう人、周りに凄く多いし、自分もそのうちの一人。

こういう人のせいで、本当に0歳保育が必要な人があふれてるってことに、罪悪感感じてないのか?

確かによく読むと、対人が苦手うんたらや、幸せうんたらのくだりもそうだけど、読めば読むほど自己中心的な感じかぷんぷん臭うしてくる文章だわ。

2017-04-05

愛があっても乗り越えられない問題

・金にルーズ(自己中心的借金野郎は論外)

・なんか病気もってる(しょっちゅう病気にかかるのも。毎回だとうんざりしてくる)

結婚式の時に「病めるときも、貧しいときも~」と聞かれるが、よく出来てるな。

2017-03-17

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-14

嫌いの対象

嫌いと認識するのは自分不快な思いをするからであって、別にその人が悪いわけではない。

から「お前ここが嫌いだから直せ」というのは「お前が俺が嫌いな部分を直したら仲良くしてやる」という完全な上から目線であるし、いつまでも自己中心的な考えを持ってんじゃないよといいたくなる。

自分はどちらかというと「自分はこの人のここが苦手だけど、そういう人なんだし、他にもいいところがある」と認識しているので、人に対して「ここは嫌いだから直せ」といったことがなく、

もうすぐ桜が咲く季節なので、新しく出会って仲良くしてたつもりが、いつのまにか、「お前が俺に嫌われたのはお前がわるいからな!!!」と捨て台詞を吐かれたのを思い出しました。

イヤな仕事人生使うなみたいな浅いハナシをドヤ顔でしないで!

金のために嫌な仕事。辛い仕事

金曜日を待つ。

こういうのはよく外国人「悪」しますが、日本人はあまり「悪」とは自ら言ったりしません。外国人に言われて、ハッとすることはある感じ。

僕はこれは単なる国の文化の差であり、トレンドみたいなものだと思っています

何なら真逆意見の本もよく見るし、ビジネス本では王道でしょう。憂鬱でなきゃ仕事じゃない、とか、仕事こそ自分を磨く、とかとか。稲盛和夫的な。

まあ両極端な意見でどちらも正解だと僕は思う。その違いは「幸せは人それぞれ」ということくらいなんじゃないかなあと。

ホセムヒカも正解。稲盛和夫も正解。極端なだけ。金のために嫌な仕事をしてても幸せな人は、自分幸せにするお金の使い方を知ってる。金曜日を待って仕事をしても幸せな人は幸せな週末の生み出しかたを知ってる。そんで日本人は意外とこういう人がいる気がする。

この動画でも言ってますが、自分が本当にしたいことがしたいことは何か?をよく知り、そのために嫌な仕事をしているのならアリという考えが日本では主流ではないのかな。それも幸せの一つの形だと思う。

他人がどうこう言おうと、自分は今幸せか?ということに感度を鋭く持っておきたいと思う。

てか、イヤな仕事を誰もしなかったら誰がその仕事をするんだよ。意地悪な捉え方をすると、自己中心的な話だな、と思ったりもするんだよ。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307173844

仮に日本が米中の代理戦争東西に二分されたら

「同じ列島に住んでいるからといって日本人を一つにまとめて考えるほうがおかしい、

東日本国民アメリカ感謝すべきだし、西日本国民アメリカを恨んでいい」

ということになるのか。すごいなー。

あー

分裂自体自分達の失態ではなくぜーんぶ他人のせいにする思考なのねw

から味方してくれた勢力にまで逆恨みだけを向けるわけか

(そういう自分責任を全く持たないクズ思考から段々周辺国全部から馬鹿にされるようになったんじゃないですかね?)

すごいなー。はこっちの台詞だよw


そうやって何をしてもらっても感謝気持ちがなく

ぼくたちかわいそう!という自己中心的思考被害者意識ばっかりで

ぼくたちのおかげでふとりやがったんだ!とかゲス思考だけ旺盛だから

戦略もなく、敵味方もなく、感情に振り回されて何度も何度も亡国するんちゃう

味方しても恨まれるし仁義約束も守らない奴だと知れ渡れば味方についてた国も離れていくわな

米国から日本から中国からも呆れられ蔑まれた結果いま袋叩き状態なんじゃね韓国


そろそろ次のトラバあたりで「低能!」が来るな。

誰と勘違いしてるのか知らないけど

お前の滅茶苦茶論理半島人特有クズ思考なんぞこれこのとおり正面からぺったんこにしてやったぞ


ガキみたいな逆恨み論理じゃないまともな反論は無いのか?

在日学校の誇りがお前の双肩に掛かって居るぞ

2017-03-06

不動産の客

不動産の客ってほんとモンスターが多いと思うよ。とにかく自分自分自己中心的相手の都合より自分の都合。まぁ金額金額からからないでもないけどさ。でもあまりにも人間のドロドロとした根底垣間見えるからウンザリなわけ。自分が一番損しない方法自分が一番助かる方法ばっかり考えてる。ほんとゲス人間どもだよ、不動産の客ってのは。

2017-02-27

ある女性起業家の話

久しぶりに彼女を見た。8年ぶりくらいな気がする。

ニュースのなかでは随分と彼女が叩かれていた。彼女をよく知っている人間からすると、また彼女にやられたんだと感じた。

彼女と知り合ったのは8年以上前だと思う。当時からケイケでその美人過ぎないチャーミングさは女性経営者のなかでも魅力的だったと思う。

当事から自意識過剰自己中心的で、典型的B型女性積極的ではあったが、とても打たれ弱かった。

彼女とはある会を通して出会ったが、すぐに魅力的に思ってしまった。今、考えると、自分も若かった。

お互いすぐにのめり込んだが、大きな価値観の違いに気づくのに時間はかからなかった。

彼女とは毎日のようにビジネスの話やご飯を食べ、何回か旅行にも行った。

彼女コンプレックスを跳ね返した目立ちたがりや。社員給与が安くても、自分銀座の超高級マンションに住んで、グルメ三昧していた。

一緒にいたのは2ヶ月ぐらいだったと思うが、あまりの合わなさに、人に言えないようなケンカもした。

そして現在彼女は大きく出世したと思う。

東証一部上場企業社長まで手玉に取れるスキルを身につけたのだから

2017-01-31

甘えられない人見知り

どうでもいいことなのであまり読まない方がいいです。

私は昔から人見知りで、親の後ろに常に隠れている子だった。家族内でもそれが根付いてしまっていたと思う。人見知りでいなければいけないといつのまにか思ってしまっていた。だから感情的にはバリバリ挨拶できるのに、わたしは人見知りだから自分自分を抑えていた。

幼稚園でも、みんなでやるお遊戯が恥ずかしくて出来なかったり。幼稚園ピアノを弾かねばならない時も自分の音がもしも違っていたらみんなはどんな反応をするんだろう、と思ってしまって弾けなかった。ひとりだと弾けるのに。人見知りの自分は行動を目立たせてはいけないんだ…と考えていた。

小学校でも人見知りがキャラみたいになっていて、好きな歌は何?とか、好きな芸能人は?とかよく聞かれたのだけど、こんなわたしジャニーズがすきだとか、流行りのタレントが好きだなんて言ったら周りはびっくりして、なんで〇〇(わたし名前)なのにこの人が好きなの!?なんてなるかと思うと言えなかった。だから音楽の授業などで発表する「自分の好きな歌」が嫌いだった。自己紹介はまだ知り合ってまもない時に行うもののため、そこまで縛られることはなかった。

こんなんだけど、ハブられたりいじめられたりはしなかった。きっとわたしが何にでも「うん」と答えてしまうからだろう。嫌でも嫌と言えない。ハイカーストの子たちに従うしかなかった。いじめだとも思ってなかったし、今も思っていない。自分意思自我がなんて弱かったのだろうと思う。

あるとき亀梨和也さんが人気になり(今も人気だと思いますが)クラス流行った。当然わたしテレビを見るわけで、かっこいいな〜なんて思ってた。でもクラスでは、〇〇は亀ちゃんなんて好きじゃないよね?と言われてしまった。また来たかと思った。

またそこで「うん」と言ってしまったのだが、さすがにここまでするのは自分でも嫌だし、変わりたいと思った。

中学へ上がると学年の人が増えた。そのため、小学生ときに仲の良かったハイカーストな子たちと離れることが出来た。本当に嬉しかった。

それから自分がこんなひとなんだよって言うのを周りに出すことが出来た。どこまで自分のことを話していいんだろう、嫌だと思われてないかな?と思うことはあったけど、新しく出来た友達はしっかり聞いてくれ、逆に自分はこんな人なんだよというのを伝えてくれた。

しか家族内は何も変わっていない。控えめで物静かで人見知りなわたし根付いてしまっているから、好きなタレントが出ているテレビはもちろん見れないし(環境的には見られるけど、自分タレントに興味を持っていると知られることが怖かった)雑誌は買っても部屋で読んで奥にしまった。かわいい服が好きだったが、親の中のわたしはいつまでもジーンズシャツのような服装だったため、親の前でかわいい服を着ることが出来なかった。

自分はなんのためにこんなに制限をかけてビクビクして生きているのかな?といつも思っていたし、勇気が出ない自分が腹立たしかった。1歩踏み出すことが出来れば、きっと楽しい幼少期を過ごせただろうなあ。

高校へ上がってからは周りの子が色濃く、それに流されていったし、親もあまり自分にかかわらなくなったこともあり、徐々に自分を出すことが出来た。親の「もう高校生なんだから」という思いもあったのだろう。

幼少期は自己中心的感情支配されることが多いらしいが(医学的に)わたしは一切そんなことがなかった。これは今も変わらないが、親の顔色を見ながら発言したり、大人の機嫌を損ねないようにしなければいけない!と思ってしまうからだと思う。その奥には、怒られるのが怖いってのがあるからだけど(笑)から育児記録とかアルバムを見返すと、手のかからないわがままも言わない子、なんて書かれている。悲しい。がんばって人見知りな静かな子を演じるのだって辛かった。そんなこと親には言えないけど。わたしだって好きなものがあって、かわいい服がきたかった。それもこれも自分が悪かったんだろうね。甘えることが出来なかった。これが欲しいとか、これをしてもらいたいとか言えなくてなかなか辛い思いをした。言ってくれなきゃ親もわからないだろうからそんな子どもイライラもするよね。

ずっと書いてたらどんどんふのほうこうへ

今は社会人で親元を離れてバリバリ働いているが、やっぱり初対面の人と打ち解けた後は小さい時を思い出してしまう。

から子どもが産まれたら、思う存分甘えさせてあげたい。たとえ人見知りだとしても、何かあったらすぐに相談してもらえるような親になりたいな。

2017-01-19

うみべの女の子

私には異性の友達で、親友と呼べるような存在がいる。

小学三年の時から腐れ縁で、中学高校と一緒で、クラスは離れたりしたもののいつも何かの縁で自分の近くにいた。委員会が一緒だったり、名前の順が近いため集会では隣にいたり、なぜか文化祭では二人が司会に選ばれたり。

私と彼は似てるんだと思う。

彼は自己中心的で、合理主義、冷酷無比だと自分を評しているが、まあその通りだと思う。しかしその実、人一倍繊細である自分に自信がなく自己肯定感が低いため愛されたいという願望が強い。自分に良い所なんてひとつもないと本気で思ってしまうほど自信がないのだ。でもその自信のなさを隠して不遜に振る舞ってしまうくらいにはプライドが高い。

そんな矛盾を抱えている。

私と彼は似ている。似ているからこそ、話していてとても心地よい。相手の考えていることが自分の考えていることと一緒なのが分かるから自分に一番馴染んだ他人、という感じがする。

でも似すぎているからこそ恋愛対象にはならない。自分を鏡写しにしたような存在と一生恋人として付き合っていくのはなかなかきつい。

彼は私に対して主に優しくない。わたしが失敗すれば容赦なくからかい

バカにする。容姿についてもいじり倒す。でも彼からいくらひどいことを言われようと、なぜか怒りは感じないのだ。怒るどころか、妙に嬉しくなる。こんな風に自分にあけすけにものを言える人なんて君だけなんだからな、という気持ちになる。

私も彼に対して同じようなテンションものを言う。素の自分でいられる。

今更気を遣う必要もないとお互いに了承し合っているのだ。

でも困ったとき寂しい時に側にいてくれたのはいつも彼だった。失恋した時、決定的なミスをしてしまったとき、一人で眠れない夜を過ごすとき。彼と他愛もない長電話をすることによってどれほど心が救われたか。そんな風に私の心を治療できるのは彼だけだ。

こんなに仲が良いなら付き合ってしまえば楽なんだと思う。その方が物事簡単に行く。でも恋愛対象として見るのは決して無理なのだ、そこが難しい。

こんな風にいつまでも敵であり味方であり戦友であり、親友であるような、二人にしかからない何かで繋がっていたい。切実にそう願ってしまう。

2017-01-13

「察する」文化に対する違和感の正体

相手や周りのために」察することは、大変すばらしくどんどん実践すべき。

これが本来意味なのだろう。

ところが「私の考え・意向を」察した行動をせよ、という文脈で使うから違和感を覚え、単なる自己中心的傲慢しか思えないのだ。

後者場合、察するではなく「察せよ」とでもいうのがふさわしそうだな。

自分の都合よく既存概念本来意味や意義を捻じ曲げて用いる、まさに傲慢のものだ。

2017-01-11

無能サイコパス

まず、サイコパスという言葉は指摘する対象殺人鬼経営者場合使われるように思う。

たぶん上記の2つの例は目立つからそのように呼び表すのだろう。

横道に逸れるが、殺人鬼はともかく経営者職業技能を持っているか社会自体には参加できる。

最近思うのは殺人鬼でも経営者でもない一般的な人々の中には以下の特徴を備えている人はたくさんいるように思う

良心が異常に欠如している

他者に冷淡で共感しない

慢性的に平然と嘘をつく

行動に対する責任が全く取れない

罪悪感が皆無

自尊心が過大で自己中心的

口が達者で表面は魅力的

どうだろうか、わたしは3から7番目ぐらいまではクズっぽいひとなら結構当てはまる特徴のように思う。

難しいのは1番目と2番目だ、

1は「良心」という社会的曖昧概念を守るかどうかを基準にしている。良心ってなんだろうね?(哲学

2は共感、これは逆にとても人間的な概念、というより行動だ。なんだろうね、文章中の人感情感情移入したり、はたまたアイコンタクトしたり相手と同じモーションとったり幅が広い。

というわけでどちらも条件を満たすかどうかの閾値が広いように思う。

良心を学ばずとも生きられるし、共感できなくても食べていける。

よって クズ無能サイコパス

終わり!閉廷!

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