はてなキーワード: 再就職とは
1966年、ルーマニアのチャウシェスク政権は、人口を増やすため人工妊娠中絶を法律で禁止とした。
ルーマニアでは5人以上子供を産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子持ちともなると「英雄の母」の称号を与えられた。
1960年代後半までにルーマニアの人口は増加に転じたが、今度は育児放棄によって孤児院に引き取られる子供が増えた。
これらの子供は十分な栄養も与えられず病気がちとなり、さらに子供を死なせた場合にはその孤児院の職員の給与が減らされるため、
無理な病気治療のひとつとして大人の血液を輸血され、エイズに感染する子供が激増した。
孤児たちは「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれ、ストリートチルドレン化するなど後々までルーマニアの深刻な社会問題となった。
ヒトラーは「礼儀正しく、感じがいい」として女性に人気があり、エルザ・ブルックマンやヘレーネ・ベヒシュタイン、
ヘレーネ・ハンフシュテングルといった上流階級の女性たちの熱心な支持も獲得した。
また一般の女性にとってもヒトラーは人気があった。ミュンヘン一揆の裁判後には、面会を求める女性支持者が殺到して花束を贈り、
ヒトラーがつかった浴槽で入浴させてくれという者すら現れた。
またエゴン・ハンフシュテングルは、一人の婦人がヒトラーが踏んだ小石を瓶に入れ、陶酔して抱きしめている姿を目撃している。
ナチスが政権獲得後に行った最初の女性政策は、女性の家庭への復帰であった。
72人の上級公務員の女性は全員免職され、州や自治体の女性官吏1万9千人も免職された。
1933年6月1日にはいわゆる「結婚奨励法」が制定され、女子労働者は退職し、再就職をしないと誓約することで、
結婚資金の無利子貸し付けを受けることができるようになり、さらに子を多く産む毎に返済が免除された。
1935年9月15日からは4人以上の子を持つ家庭に補助金が支給されることとなり、
1939年からは4人以上の子を産んだ母親に「母親十字章」が授与されることとなった。
党指導部は1934年2月にゲルトルート・ショルツ=クリンクを「女性同盟指導者」に任命した。
彼女は30代半ばと若く、「アーリア人的」な風貌をしていた上、4人の子を出産していた。
ドイツでは、大戦後の世界恐慌による生活苦によって堕胎施術が流行し、1937年には出生数を超える60万から80万の堕胎が行われていた。
1934年3月、ナチス福祉局(NSV)は母子援助制度を開始し、女性の出産育児に対する経済支援を展開した。
父親が十分な養育費を支弁できない家庭への経済援助策として、ドイツ児童手当制度(Das Deutsche Institut für Jugendhilfe e.V.)も同時期に開始された。
1935年12月、SS長官兼ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラーは、母子家庭の支援団体の名目でレーベンスボルン(別名:生命の泉協会)を首都ベルリンに設置した。
1936年8月15日、レーベンスボルンは最初の施設「高地荘」をバイエルン州エーベルスベルク郡シュタインヘーリンクに開設した。
高地荘は設立当初は母親30人・子供55人を常時受け入れ可能な規模の施設であったが、
1940年までに受け入れ可能人数が倍増され、SS医官グレゴール・エープナー(ドイツ語版)が運営責任者として任についていた。
レーベンスボルンは、親衛隊本部のひとつであるカール・ヴォルフ親衛隊全国指導者個人幕僚部の隷下にあった。
入所要件として人種的、係累的条件を満たす必要があった点はSSと類似していた。
施設の維持は「民族的義務」と喧伝され、運営費用の多くはSS兵士からの寄付でまかなわれていた。
高地荘の成功を受け、レーベンスボルンの母子保護施設は国内外の各地に続々と設置されていった。
ヒトラーはドイツ人のアーリア化を推進するため、ドイツ人ナチ党員男性とノルウェー女性との性交渉を積極奨励した。
そのため、ノルウェーではドイツ人の父とノルウェー人の母の混血児を対象としたレーベンスボルン施設が存在した。
1940年から1945年までの間に、ノルウェー国内10カ所に設置されたレーベンスボルン運営の産院で出生した子供は約8000人おり、
その他の施設で出生した約4000人と合わせ、約12000人の子供が駐留ドイツ兵とノルウェー人女性との間に生まれたとされる。
ドイツ降伏後に当時のノルウェー政府が「対敵協力者」の処分を決定し、上述のノルウェー人女性約14000人は逮捕され、
そのうち約5000人が18か月間強制収容所に入れられた。ドイツ兵と結婚した女性についてはノルウェー国籍を剥奪され、
出生した子供には極めて政略的な「知能鑑定」が行われ、恣意的な診断を受けた。
スウェーデンのポップグループABBAのメンバーだったアンニ=フリッド・リングスタッドも、ドイツ人ナチ党員の父とノルウェー人の母の間に生まれた子であった。
彼女はノルウェーでナチス・ドイツ崩壊直後に生まれたが、ナチ残党への追及を避けるため母と共にスウェーデンへ逃れ、そこで成長したため知的障害者施設への収容は免れた。
今は私の収入(月17万円)と貯金を切り崩して生活をしていて節約を余儀なくされているのだが、不思議と物欲が無くなった。
節約は苦ではないし、それなりの食事が一食二人で300円未満で作れた時など達成感すらある。
外食もしたいと思わなくなった。
マクドナルドやスタバの新作も欲しくなくなったし、2ヶ月に一度通ってた美容院もどうでも良くなった。
こだわってたボディソープやクリーム、化粧品も最低限でいいと思うようになった。
新しい服も欲しくない。
出かけるのも近所の散歩でいい。そもそもガソリンが高すぎて車に気軽に乗れない。
幸い私の住むところは自然が豊かで山も海もある。散歩するにはいいところだ。
うん、そうやって納得してるはずなんだけど何の為に生きてるのか分からなくなってしまって、今や朝ベッドから出るのも一苦労だ。
お腹も空かない。
もともと痩せ型な私だが、食欲もないので食べなくなり1週間で2kg痩せた。
これはまずい。
生きる活力がない。
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
出向先の施設管理の会社に未経験の新人が入ってきた。前職は学校の用務員。
真面目なんだが、何かがおかしい。
電話は戸惑ってるふりをして取らない。慣れてもらうために誰も取らないでいると諦めて取るが、もしもし〇〇です。
から始まって人の名前を聞き取らない、メモを取らない、内容を覚えていない。
前職で電話取ってなかったんですか?と聞くとえへへとかアハハとかで明確に答えない。
動きは俊敏だが、できることが少ないので後ろで手をモジモジし続ける。
「何か手伝うことは?」とかもなくモジモジしていて図体デカいからとても邪魔。
指示はハンパに聞いて思い込みで動く、確認はしない、報連相はもちろんない。
問題になるとえへへとアハハを繰り返す。
職場の雑談も返事が単語で人付き合い嫌いなのかと思ったら話したいことは大声で話す話す。
音量調節がぶっ壊れてる。うるせえ。
俺、30代だけどショックだった。
マッチングアプリやパーティーも行ったが、結婚相手を探す一番の近道は結婚相談所である。個人経営のところ、地元の自治体から委託を受けてるようなところは駄目。ゼク◯ィのように全国展開してる大手で格安で年収条件のない結婚相談所に入ること。「女性側の居住地に転居可。女性側の転勤に合わせた生活も可能」とプロフに書き、遠方の女にもアプローチする。
アルバイトは体裁が悪い。男性の年収を気にしない女性でも目的意識のないフリーターは嫌という人が多い。
俺は予備校講師のアルバイトだったが、相談所登録前に副業でオンライン家庭教師の仕事を始めた。収入はほとんど変わってないが「非常勤で予備校講師をしつつフリーランスで教育関係の仕事をしてます」とプロフに書ける。
結婚相談所では女で32歳越えるとお見合いが減るため、32歳以上が狙い目である。40歳を越えると子どもを諦めてる女性も多く、その場合主夫を養うメリットがないため厳しい。
俺自身子どもが欲しかったので33歳~38歳の女性にアプローチをしていた。32歳以下でもバツイチ、シングルマザー、太っているなどのマイナス要因がある場合は積極的にアプローチした。
お見合いは断られるのが普通。ひたすら数をこなすこと。週に3、4件はアポやデートを入れて豆に連絡をする。初回お見合い費用は男性の奢りというマナーがある。初回お茶代と交通費だけでも弱者男性にとってはキツいが必要な軍資金。ちなみに俺は2回目からは割勘にしてた。
結婚相談所には仮交際というシステムがある。仮交際は、同時に複数の異性と交際する期間。仮交際から真剣交際に進むときは、本命以外と別れるシステム。
仮交際中の相手は複数の異性と同時進行してるので、すぐに切られることを想定して複数人とデートしたりお見合い入れないといけない。忙しい。
主夫を目指して婚活するなら仕事が忙しい女性に合わせることが大事。仕事が忙しくて婚活が続かず婚期を逃した女性も多い。
彼女が残業でいつ終わるか分からないって時は彼女の会社の近くまで行って「カフェで勉強しながら待ってるよ」くらいの献身をしないといけない。
男性側に主夫希望を公言する女性は少ないため、その素質がある人を見極めてお見合いのアポを取る。看護師や薬剤師は意外と難しい。なぜから彼女たちは結婚出産で離職しても簡単に再就職でき、資格を生かして柔軟な
働き方ができるため、男性側が仕事をやめることを求めない場合が多い。地方公務員のように女性が働きやすい職場も同様である。
そこで「民間企業総合職で忙しく働き、子どもを強く希望している女性」が狙い目である。
長期に育休が取りにくい、時短勤務や子どもの都合で休みにくい、休んだら昇進に響く、転勤があるなどのキャリア女性の方が主夫を求めている。転勤ありの国家公務員総合職なども良い。
「僕が仕事を制限しながら子育てをやるのはどうだろうか。そうしたら保育所が見つからなくても産後すぐに復帰できるし、保育園から呼び出されても僕が対応する。子どもの転勤があるならついていける。仕事を続けやすいように名字を君に合わせても良い。予備校や家庭教師の仕事は好きだがキャリアにこだわりはない。料理や家事も好き。他人の子どもより自分の子どもの教育に関わりたい。家計を助ける範囲でバイトをしながら育児家事をやる。」みたいな感じでアプローチした。
結婚は等価交換の原理で成立している。自分が主夫になるメリットを相手に提示すること。そのメリットを求めてる女性を見つけることが重要である。
対人援助職に10年従事していたが、能力的に限界を感じて数年前に退職した。
ケアレスミスが多すぎたり、トラブル対応で頭真っ白になって頓珍漢な対応したり、先を見通して仕事出来なかったり、自分で考えることが出来なかったり色々と無能だった。
学生時代から友人がほとんどいない自分は、コミュ障だったため職場で浮いていた。
見た目も、頭が剥げて肌が汚く、眼鏡も汚れている。客観的に見て清潔感はない。
何百回も落ち込んでは開き直っての繰り返しで、ファッションについて学んだり、自己啓発本を読み漁ったり、マニュアルを作成したり職場の人に直接聞いてみたりしたけどほとんど効果がなかった。
外に出れば、身なりをきれいに整えて、落ち着いて仕事をしている人達をよく目にする。
いろいろなものごとを広く、深く考えていて、先を見て行動しているので、よく関心させられてしまう。
そんな光景を見たり聞いたりして、どうしても他人と比較してしまって、無気力になってしまう。
あらゆる面で「なんか自分って、頭が弱いな」と痛感させられてしまう。
無職の期間が長くなればなるほど、再就職が難しくなるのはわかっているけれど、どの仕事も難しそうで出来る気がしない。
また他人から嫌われ、自分の無能さを痛感するのが本当にしんどい。
今はただ無為に日々を過ごしているだけで、よく希死念慮が頭をもたげてくる。
でも死ぬのは怖いので、生きたくも死にたくもない。
大後輩大先輩乙であります。
自分もほぼ同い年のアラフォーですが、高卒で入って20年公務員をしております。
公務員としては自分がそちらの大先輩に当たりますが、高卒なんぞで公務員なんぞに入った手前人生経験は大後輩と言えるでしょうね。
そんな大先輩大後輩が疑問にお答えしましょう。
職場でコロナが出て名ばかりの交代勤務・自宅勤務になって暇だからじゃないですよ。
これは地方にいきなり飛ばされて家族とも切り離されがちな国家公務員がいきなり野垂死なないための配慮だと思われます。むしろ民間って50日ぐらい無給で働くの?こわ
まさしくこれは公務員最大のゴミ要素ですね。『残業代は定時以後の残業のうち50%しかつかない』。これが定説だと思ってください。早出はした分だけ損になります。つまりは始業時間ギリギリにつかない限りは損する一方なのです。ですが家が遠い人になると早出しないと遅刻のリスクが高まるため流石に早出するのですが、それに残業代はつきません。すると不公平感が渦巻いた結果みんながある程度早く出てくることになります。
残業申請のシステムは役所ごとにありますが、早出に残業代をつけるようにシステムが組まれてはいないため皆で損をしてます。ゴミです。クソです。死にたくなります。
何がヤバイってここに甘えて定時前の早出が前提の業務が平気で命令されます。遅刻しないようにするための念のためでなく明らかにその業務のために早く出てきても残業代はありません。新人いびりじみたお茶くみ・鍵開け・見回りだったり、平~専任級がやるような現状報告、係長~科長級であってもまた別の現状報告、様々な早朝勤務がノー残業代でやらされます。ゴミです。死ね。
これは年度末年度始がクソほど忙しいからでしょう。この時期に積極的に雑談をするのは全てに疲れ果て愚痴を吐くだけのマシーンと化したメンタルダウナーが多いです。5月ぐらいになって一段落すると雑談が増えてきます。夏休みシーズンぐらいになると皆フラフラしだしたりします。
まともな正社員>まともなバイト(派遣)>公務員>まともじゃないバイト(派遣)=非正規公務員=まともじゃない正社員
この図式は公務員の私でも知ってますので民間から来た方が知らなかったのは意外でした……。まあうちも物凄く偉くなればある程度の給料はありますが、その能力がある人は民間に行けばもっと給料がよくなるし仕事も面白いと思われるので勿体ねーとしか思いません。いっちゃなんですけど「普通に就活したらまともじゃない職場にしかいけない人が何度も転職ガチャ引きたくないから比較的マシなゴミで妥協するための就職先」以上の価値はありませんよ。どうせ市民・国民に貢献できてるなんて思える仕事はありませんし。
職場環境のための経費がキッチリ決まっていて、その中から出すには名刺シートは高いからです。ハンコやキングファイルを買うのに予算が使われているので付箋紙やボールペンは自腹で買うものと割り切りましょう。割り切れないなら辞めましょう。
PCがゴミ、エアコンがゴミ、トイレが汚いなども諦めてください。諦めてください。たまにウンチの流し方も分からなくなった壊れた人がウンチを放置していきますが諦めてください。助けてください。
諦めてください。だんだん「縦割りならちゃんと縦割りでやれよ?なんか俺の部署の仕事勝手に増えてない?逆にうちが処理ししないといけない仕事お節介で巻き取って勝手にミスってる奴らいない?つうか規則で決まってるとか言うけどなんだかんだローカルルールで曖昧に処理されてない?これヤバくない?ヤバイ?え?じゃあどうすんの?諦めてる?マジ?え?マジ?」ってなるけど諦めてください。でないと心の病院に行くことになります。それが公務員としての技術なのです。
はい。
なにそれ怖い。あっ違うなうちもあったな。毎年ちょっとずつお金徴収して何に使ってるのかわからない奴。意味不明だけどみかじめ料だと思うしかないですね。やったもん勝ちですかねああいうのは。
一部OBが再就職先として保険会社に潜り込んで情報を売ったり圧力をかけてきている感じですね。仲良くしたいなら仲良くしてもいいですが、結局保険会社に行っちゃったOBなんて偉そうなだけで実際には今の仕事に影響力持てないわけですから仲良くしたくないならズバっと切ってもいいです。でも公務員向けで割りと悪くないコースとかあったっぽいんでアリっちゃアリですね。
話ちょっと変わりますがOBが積立投資の会社に入って身内の情報売って投資を勧めてきたりするんですが、アレも全然今の現場には影響力内からソッチは全力で拒否って大丈夫ですよ。「ウチは興味ないから営業やめてください」っていうとかけられなくなるっぽいで勇気を出してくださいね。あれで電話ふさがられると周りが迷惑なんで。
掃除用手袋が欲しいなら自腹で買えば良いのです。それが公務員の世界なので。それをズルだって言うようなキチガイが住み着いてるならそれは公務員以前の問題なので通報してください。
これを思ってない公務員はいませんね。まともな民間には絶対勝てない代わりに最悪な民間よりはマシかも知れないが公務員という仕事の立ち位置なので。マイナス100を引くのを恐れてマイナス50で妥協して世の中にはプラス50ぐらいならいくらでもあるという現実に絶望しながらもそこにたどり着かんと踏み出す勇気を持てない臆病者の集まりですよ。つまりは無能で不幸であり続けることを選んだゴミの群れですよ。分かってますよ。俺だって分かってるんだ!でもさあ!転職しようにもずっと不景気続きでタイミングなくてさあ!その間に世の中の仕事のやり方はどんどん進化してるのに俺達は未だに紙の書類にハンコペタペタ押しててさあ!電子データで送りますねと言って送るのは編集も検索もできないスキャナーで取り込んだPDFっていうゴミみたいな世界での暮らし方しか知らないんだよ!もう終わってるんだよ!ショーシャンクの空にって映画をご存知ですか?あの映画にずっと刑務所で暮らしてきたお爺さんが……あっ【ネタバレ注意】
50年ずっと刑務所で暮らしてたお爺さんが仮釈放されるんだけど、ずーっと刑務所暮らしだったから外のこともよく知らないし何よりずっと同じ刑務作業しかしてきてないから新しい仕事に上手く順応できないしで苦しくなって最後には首を釣って死んじゃうって話があるじゃないですか。まさにアレなんですよ。この公務員という牢獄の中で暮らし続けることに順応しすぎてもう外の社会には馴染めないんです。あの映画で主人公は「俺もそうだったけど変われたよ」みたいに去っていきますけど、あれはまだ若くて可能性があって能力があって、とにかくやり直せるだけの物があったからなんですよ。でも自分には無い。いや多分全く無いわけじゃない。ある可能性と、その可能性がはまるような職場がどこかにあるはずだってことは分かる。でも踏み出す勇気がない。
【ネタバレ終わり】
ショーシャンクの空には踏み出す勇気があれば道が拓けるって映画なわけですが、公務員として苦しみながらも適応することを選んだ自分たちはその逆の道を行ってるんです。自分から刑務所へと人生を押し込み、そしてその人生が刑務所から出ていかないように自分の体で扉を塞いでいるようなもんだ。畜生。悲しくなってきた。なんでこんな人生にしてしまったんだ。でもこれも全て、氷河期ってやつのせいなんだ。この国がまとまな経済活動を行っていて、まともな働き口が沢山あったら、こんな雪山のビバークみたいな仮の住居に何十年も住み着いてイエティみたいになって暮らしている妖怪がウヨウヨいるようなことはなかったんだ。そうだこの国はいまやどこもかしこもそうだ。民間だって派遣社員をずっとやってきて気づいたらそういう感じの人がいる。期間工の話なんて聞くとまさに抜け出せない無間地獄に自分から落ち込んでいった人達。日本中にそういう自縄自縛のどうしようもない奴隷がウヨウヨしていて支えているんだ。この國の下には奴隷が埋まっている。まるで古代の世界地図で世界の下を支える巨大な象や亀みたいに奴隷が風車小屋の車輪みたいなものを必死にグルグルと回してその上に見せかけの世界が浮かんでいるんだ。助けてくれ。助けてくれと叫ぶ権利を得るためには歩み出さなきゃ行けないってのがそもそも暴力的じゃないか。なんなんだ。人生の最初の20年、そのうちの最後の3年間ぐらいで人生のあまりにも多くが決まり過ぎだろう。終わることのない奴隷としての暮らしがアソコで決まっていたんだ。やり直したい。でもやり直してまともじゃない民間をグルグルと這い回ったら今よりもっと辛い暮らしが、最悪は死が待っていると思うと今さっき祈ったことさえ取り消したい。産まれてくる時代を間違えた。もっとずっと豊かな時代に産まれたかった。
友達に会えなくなるのはガチ(今何してるの?って言われるのが怖い)
自分は一年ぐらいで「退職してちょっと休んでる」で許されるだろうというギリギリラインを越えてきたなと思ったので再就職した。
ニートして半年ぐらい経つと夜寝れなくなって、朝日を見ながら寝る生活が続いていた。
自分でもよくわからないんだけど、みんなが働いている時間帯に何もしてないのが辛いので、寝て逃げていたっていう感じだと思う。
単純に昼夜逆転してたとかではなく、明らかに朝日を見てやっと寝れるという感じになっていた。
実家暮らしでニートしていたから、甘えられる親はともかく(親は早く働きなさいとかは一言も言わなかった。むしろコロナだししばらくゆっくりしなよといってくれた)同じ実家暮らしの姉の目が怖くて家を出たくなった。就職して家出た。
転職活動はなんだかんだ3か月くらいかかって精神がすり減った。
後半は早く仕事しなきゃ、でも妥協しすぎたらダメだって板挟みでニートを楽しめてたのはせいぜい半年なので、ニートするなら半年ぐらいがいい。
短期バイトならともかくアルバイトを始めると仕事してる気になって絶対フリーターに転向してしまうなと思ったのでなんもしてなかった。