はてなキーワード: 一級河川とは
ちょっと聞いてくれ。
数年前のことだ。うちは日中~夜まで飲食店をやってるんだが、とあるお客さんがいた。今でも記憶にこびり付いている。話させてほしい。気持ちの整理をつけるためにも。お客さんの立場である増田民のあなたも感じることがあるかもしれない。
当時、とある田舎の一級河川沿いのエリアで食事メインのお店をやっていた。おでんに、蕎麦に、刺身に、唐揚げとかポテトサラダとか、野菜のお浸しとか、居酒屋に近い。コの字型のカウンターと、座敷がふたつだけある。
いつもは俺と、アルバイト(男2、女2)のうち最低1人が一緒に働いている。平日は暇なんだが、週末になると忙しい。北にある政令指定都市の方から、会社や学校帰りの人が流れてくる。
それで、店内が八割方埋まって、スーツ姿のリーマンとか、会社名入りの作業服を着てる人とか、数人連れの大学生とか専門学生でわいわいとした雰囲気になる。
うちの料金は安い。はっきりいって安い。鳥貴族に毛が生えた程度だ。元実家の土地でやってるからな。
そんな中で、ひときわ目立つお客さんがいた。最初に会ったのは平日の夜だった。その時間帯は、アルバイトの女子大生に接客を任せて追加分のおでんを仕込んでいた。
格子枠の扉をガラガラと開けて、その人が入ってきた。外身は白っぽい作業服だったかな。時期は初秋で、作業服の下にはシャツとネクタイが覗いていた。銀色のネクタイピンも。
「ん!?」と思って顔を見ると、アァと納得がいった。あなたも人生で何度か見たことがあるのではないか。圧倒的なオーラの持ち主を。その人の目を見ただけでわかった。
ぎらぎらとしているようで、どこかあどけない感じもして、しかし落ち着いている。只者じゃない。修羅の目だ。多くの物事と戦ってきたに違いない。人生の重みは表情に出る。
見た目は30過ぎかなと思ったが、こういうのに年齢は関係ない。繰り返すが、苦難の日々は顔に刻まれる。
アルバイトの女子大生(Nさん)が彼のところに向かっていた。見たことのない笑顔で「いらっしゃいませ」と言っている。屈託のない様子で「初めてですか?」とも。
当時、コロナは流行っていない。その人(S氏)は「どこに座ったらいいですか」と言ってたっけ。Nさんに「お好きな席にどうぞ」と言われて、俺がおでんの仕込みをしているカウンターの前に座った。ほかの客はほぼいなかったと記憶している。
唐突に会話が始まった。
「涼しくなってきましたね」からスタートして、好きなお酒から、好きなアテに、この周辺でおススメの居酒屋に、S氏の仕事の話など。盛り上がった記憶がある。暇な日だったのでNさんも会話に入っていた。ルンルン(死語)な気分でS氏と話をしていた。
やがて、S氏は自分とNさんにそれぞれ1杯おごって、約一時間ほどいて帰って行った。その時はいい人だなぁと思っていたけど、Nさんがいつまでも嬉しがっている様子を眺めていて、ちょっと思うところがあった。
その日の営業が終わって現金を数えている時も、Nさんは心なしか嬉しそうだった。気のせいかとも思ったけど、やはりそんな気がした。
「なあ、今日はうちに寄っていくか」とNさんに聞いたら、「朝から講義がある。ごめん」とだけ返ってきた。
Nさんとは付き合ってまだ半年で、気持ちが通いきっていないのもあった。何かに負けたような気がして悔しい思いがした。
実際、いいお客さんだった。小一時間もしないうちに帰るのだが、その間に最低でも三~四千円は落としてくれる。自分の酒肴以外にも、店員がいたらみんなにジュースやお酒をおごってくれる。
短い時間ではあったが、いろいろ話をして盛り上がったのを覚えている。店の十周年記念の時はシャンパンを空けてくれたっけな。
金持ってるだけじゃなくて、人柄もよかった。今でも思い出す。懐かしい記憶だ。
ある時だった。S氏が初めて来店して三ヶ月くらいか。夜九時頃の店内で、残業帰りのS氏と俺とNさんで話が盛り上がって、S氏のグラスが空いたところだった。「じゃあもう帰ります」ということで、クレジットカードを受け取った。それで、コの字のカウンター卓の奥でクレカを機械に読み込ませていた。
ふと声がして、お客さんの注文かなと思ってホールを見ると、S氏がNさんと携帯電話の番号を交換しているところだった。
「今度、ご飯行こうな」「はい!」という声が調理スペースの方まで響いてきた。そのタイミングで俺は、決済処理を終わらせてふたりのところに向かった。何事もなかったようにしてS氏は、Nさんからコートを着せてもらって入り口に向かった。
普段はスタッフに見送らせているのだが、俺も一緒に入り口へと向かった。S氏を見送ると、彼は歩いて自宅の方に向かった。姿が消えたのを確認した。
「電話番号、交換したんか」とNさんに聞くと、「うん。何度もしつこくって」という返答があった。ご飯、行くのか」と聞くと、「多分いかない」と返ってきた。
訝しい感じがして、でも問い詰めることもできずに、そのまま調理スペースに入ろうとしたところで、ほかのお客さんから注文の呼び出しがあった。
ここまで言ったらわかるだろ。ある程度は。
核心的なところを言うと、それから二ヶ月後だった。S氏とNさんが、お店からおよそ10km離れた政令市にある百貨店の休憩所で一緒にメシを食っているのを見た。ちょうど食べ終わるところだった。
ハンバーガーか、クレープか、たこ焼きか。よく見えなかったが、百貨店内のどこかでテイクアウトしたものだろう。Nさんは綺麗な恰好をしていた。華美ではないけど、暖かそうな秋冬用のワンピース風……あれはなんというのだろうか、女のファッションはわからない。
清潔感のある装いだった。茶色の小さい鞄を肩から下げている。どちらも、俺とのデートで付けているのを観たことはない。いや、鞄の方は多分ある。
それで、ふたりが立ち上がって、時計や宝石を売ってるエリアへと階段を降りて行ったところで、俺はそのまま地下街に向かった。当初の予定どおり、常連さんにサービスする用の特別な食材を買って帰った。
俺がNさんとデートする頻度は、2~3週間に一度だった。あの子は看護の大学に通っていたから忙しかったのもあるし、俺自身がお金を貯めている最中で金欠だったのもある。
セックスはしたりしなかったりだ。割合までは覚えていないが。あの光景を見てから、次にNさんと会ったのは二日後だった。あのワンピースみたいなのは着てなかった。簡素な恰好だ。部屋着というわけではないが。
あの百貨店の近くの河原町通りやアーケードを一緒に歩いて、食事をして、猫カフェに行って、映画を見て、近くにあるホテルに入った。
あの時の俺は必至だったと思う。いや、必死だった。「愛してる」とベッドの中で何度も言った。伝えた。本当は、叫んでいたかもしれない。Nさんもベッドの上でいろんな動きをしたり、いろんなことを言っていた。
でも、Nさんは行為の最中に特別な何かをするでもなく、普通の調子だった。普通のセックスだった。30分で終わった。いや、なんかもうわかっていた。そんな気がしていた。
「別れよう」と言われてはいなかったが、Nさんと会う頻度が落ちていった。次にデートするまでに一ヵ月以上かかることもあった。
S氏がお店に来る頻度も落ちていった。さすがに計測はしてないが。S氏は素直に凄い奴だと思っていた。いい大学を出てるし、いい会社で働いてるし、偉ぶったところもないし、自己中に感じることは稀にあったが、よくいえば決してブレない。
俺は高校を出てない。子どもの頃から勉強が嫌で嫌でしょうがなくて、それで進学から逃げて、17才の頃までは完全なるプー太郎で、親に叱咤激励されて伏見の小料理屋でアルバイトを始めて、滅茶苦茶に厳しい毎日で、それでも料理作るのが楽しくなっていって、中年に差し掛かった頃に両親が死んで、相続した土地と家屋を改装して今の店にした。長かった。
でも、やっぱり真の人格ってものがあるよな。S氏は、スタッフに飲み物をおごってくれなかった日は一度としてない。店員が男だろうが女だろうが、必ず一杯は出してくれた。俺はほかの店に飲みに行っても、可愛げのある女の子の店員にしかお酒は出さない。
S氏は、はっきりいって『上』の人だと思う。Nさんの件さえなければ。これで俺より五つ以上も年下なんだから笑えてくる。
そんなこんなで、半年も経つ頃には諦めがついた。ある日、お店でS氏と話していた。それで、ふいに聞かされてしまった。
「先日、Nさんのお父さんに会ったんですよ」
だってさ。キツイ。当時の俺にはキツかった。Nさんへのデートの打診を3回続けて断られていた。そういうことだったんだな。
俺の中で何かが切れた音がした。少年時代に読んでいた漫画(ジョジョだったと思う)で、「切れた。僕の中の大事なものが……」といった台詞があった。当時は、そんなわけねーだろと苦笑していたが、ジョナサンの気持ちがわかったかもしれなかった。本当に、心や体の『糸』が切れると、抵抗する気すら起きなくなる。ただ、沈んでいくだけ。
Nさんのことは諦めた。
それから二ヵ月くらいか。鬱々とした気持ちで過ごした。どうしようか。悔しい。畜生。どうすることもできない。でも、やっぱり悔しい。畜生だな、本当に。いや、くっそ。悔しいんだよ。でも、感じない。心がマヒしているみたいだ。本当は悔しいって思いたい。
俺の大事な女を取りやがって。くそ、くそ、くそ!! あいつさえ、あいつさえいなければ。畜生!! ○してやりたい。
暗い気分にさせてごめんよ。もうちょっとで終わる。あれは四年と少し前のことだ。初夏の頃だった。大きい台風が迫っていて、すごい雨だったな。うちの店はそれでも営業していた。開店当初から決まっているのだ。どんな雨風が来ても絶対に店を開けてやると。
そういう時にうちに来るのは、決まって大雨対応で疲れ切った近所の人か、ほかの店が閉まっているために流れてきた飲み客だったりする。
土曜日の深夜だった。S氏が疲れ切った様子で店に来た。スタッフはみんな上がらせていて、俺しか店に残っていない。彼は「いや、疲れましたよ。何時間か寝たら、また職場まで出発です~」といったことを告げて、メニューを手に取ろうとしていた。
「増田さん。外の雨、すごいですよ」
「ええ、すごいですね」
「二十年前もこんなんがあったんですよ」
「本当に? 自分、このへんの生まれじゃないんで詳しくなくて」
「大雨の対応って。樋門(※排水ゲートのようなもの)の面倒でもされてはるの?」
「そんなものです。そうだ、せっかくですから一緒に外に出てみませんか。ある意味記念です」
「ほな行ってみましょ」
そんな具合で、店から歩いて一分ほどのところにある鴨川(のさらに南の支流)のほとりまで来た。家屋と家屋の間に雑草だらけの小道が通っていて、そこから川の方を向いた崖地に辿り着いた。
真下を見ると、葦やら雑木やら上流からの堆積土やら、いろんなものが流れ着いている。見た目の悪い場所だった。今は河川の底を拡げる工事が進んで、もっと綺麗になっている。
俺は傘を差していて、S氏は簡易なヤッケを装備している。真っ暗な世界の中で、唯一の明かりが頭上の頼りない水銀ランプひとつだけだった。今は、2人で濁流を真上から見ている。ここから飛び降りたとしたら、数秒もかからないうちにドボンだろう。それほど水嵩が増している。水の色は見えない。
「下流はとんでもないですね」
「ここよりはマシですね。護岸が整備されてるんで」
「こないな時期に大雨の対応はしたくないでしょ」
「はははは。まあそうですね。でもね、しっかりしないといけないんでね。結婚もするんで」
俺は何も言わずに、彼の方に寄った。
「危ないよSさん。下がって」
その時、殴りつけるような雨が降ってきた。風も強い。S氏は、身を屈めるようにして風雨から身を守っていた。すると、ふいに彼が鴨川の方を向いたっけ。しみじみとした寂しい背中だった。
「Sさん」と声をかけると、いまだに彼は増水した河川を見下ろしていた。風がまた吹いてきた。強い風だった。
……数分が経って、俺は雑草だらけの小道の途中にいた。後ろをサッと振り返った。誰もいなかった。雨の音がうるさい。
そのまま、雑草だらけの小道をザクザクと踏み分けて行って、店の方まで戻った。お客さんが来ていないことを確認して、ラジオで大雨情報を聞いて、誰も来ないだろうという個人的な確信が強まっていった。
特にオチがなくて申し訳ない。誰かが悲しい思いをしてるとか、嬉しい思いをしてるとか、そういうことでもない。
お店は今も普通に営業している。あれからすぐにNさんは店をやめてしまったが、そこは腐っても京都府内だ。別のアルバイトに「いい子いない?」と聞いたら、新しい子が面接に来た。幸いにも、Nさんと同じくらい朗らかで明るい雰囲気の子だった。今でもお店で働いていて、辞められたら困る人材に成長している。
ずっと思っていた。苦しかった時期のことを話したいと。あの日を境に肩の荷が下りて、心と体が軽くなって、ゆっくり眠れるようになった。すっきりした気分だった。今ではのびのびと働くことができている。
この唐津市ですが、SNS上では「市民がノーマスクで過ごし、観光客もマスクなしで過ごせる、ノーマスクの楽園」のようなイメージを持たれている節があります。
しかし、そのようなことはありません。
唐津市は、新型コロナ対策への取り組みが特別緩いわけでもなく、逆に過剰なわけでもありません。
唐津市も日本に数多くある、ごく普通の地方都市にすぎないのです。
SNS上の勝手なイメージを持ったまま、唐津市の観光地や飲食店をノーマスクで訪れて、「マスクの着用を求められた」「観光地に入れてもらえなかった」と文句を言われても、どうしようもないのです。
わざわざ唐津にきたのに、嫌な思い出が残り、悪い印象を持ったかもしれませんが、そもそも単なる思い込みから生まれたことなので、仕方がありません。
しかし、それだけでは済まされない出来事が起きてしまいました。
唐津市内の小学生たちが始業式を迎えたというよくあるニュース映像の中で、全員がマスクをつけ各児童の席にアクリル板が取り付けられていたため、唐津市教育委員会に「確認」の電話やメールをする人が現れました。
今日9月5日、唐津市には現在台風11号が接近し、午後には暴風警報や避難指示も発令されています。
大型の台風が接近している中、安全確保や休校の判断など、唐津市教育委員会が、通常業務とは全く異なる状況にあることは容易に想像がつくでしょう。
そんな中、ニュースで見たアクリル板とマスクについて、唐津市教育委員会に問い合わせを入れる人々が現れたのです。
唐津市は佐賀県土の2割を占める上、海あり山あり一級河川ありと地形も様々で、児童生徒の安全確保にも一層気を使うという事情があります。
そんな事情など、唐津に何の関係もない人々にとっては知る由もない事でしょうが、今日の時点で命にかかわるのは、マスクやアクリル板を外すことよりも台風対策なのです。
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。
自転車通勤だ。
私の名前が自転車通勤なんじゃなくて、自転車で毎日会社に通っているという意味だ。
とある一級河川に架かる橋を渡っている時、いつも歩いている女性を追い越す。
綾香としよう。そんな名前だったらいいなと思っただけだ。
その子は小柄だ。華奢ではないけど、太ってもいない。普通体形よりは細い。
髪は後ろでお団子にしていて、切れ長な感じで目鼻立ちが整っている。このご時世なのでマスクをしている。顔全体は見えない。
その子の顔を見てみたいと思いはじめて半年。ついに今日、チャンスが訪れた。
今だと思った。「今だ」の「い」の時点で自転車を加速させる。
数秒が経って、その子を追い越した。前方に自動車が来ていないことを確かめて、後ろを振り向いてその子を見た。
ブサイクだった。お亡くなりになってほしい。
え、なんで?って思った。心臓の真ん中に冷たいナニカが突き刺さって、そのまま心臓が凍り付いて、かと思ったら、そのナニカが弾け飛んで、心臓が――血管ごとバラバラになる。そんな気分だった。
どうしてこんな目に遇わないといけないんだ?
はずした途端に別人になる。本当に別の人だ。魔法みたいだ。悪い意味で。
それで表題につながる。
作ってくれないか?後ろ姿で女性が美人か見分けられるアプリを。
みたいに表示されるやつを。
率直に聞く。
マスク詐欺に遭ったことがあるのは俺だけじゃないはずだ。日本人男性の9割5分以上にそういう経験があるはずだ。
私がマスクギャップ症候群(Mask gap syndrome)を発症してもう4年になる。すごい美人!だと思った3コ上の先輩がマスクを外したら、10コ上の先輩になってしまった。
ほかには下着がそうだ。大学3年生の時に初めて付き合った彼女がいた。美緒という。
その子と初めてセックスした時、いや、する前から胸が魅力的だなって思ってた。
そういう体型だった。小太りに見えるけど、均整が取れている。胸とお尻がビシッと出ていて、お腹は大きいけど、脂肪ではなく腹筋が出ている感じ。筋肉で太っている。
とにかく、張り出した胸が魅力的だった。
それで、当時は一般的な童貞だった私は、なんとか頑張ってブラジャーをはずした。
張り出していた胸の形は張りぼてだった。ブラの力は偉大だった。実際には魅力的な胸ではなかった。無力的な胸だった。胸がえぐれていた。
私には、隠されたものに対する恐怖がある。
だったら需要がある。頼むよ。作ってくれよ。後ろ姿で美人率を判定するアプリを。
これからの、未来の社会で絶望する人間を出さないために。マスクギャップ症候群の患者を増やさないために。
クラウドファンディングに出ていたら絶対に出資する。
世間一般にとっては大した問題ではないけど、私のようなマイノリティには大事なことだ。
お目を汚してすいませんでした。
めちゃめちゃ反省している話。
近所に一級河川が流れてて、高さ3〜4メートルぐらいの土手がある。
数年前の台風のとき河の様子をどうしても見たくて、妻に一目見たら帰ってくると言って長靴履いて出かけた。
行きがけの道では足の甲ぐらいまで茶色い水がたまってて、道がいつもより広く感じた。
河についてみると確かに水は増えていたが土手から溢れるほどでもなく、こんなもんかと思った。
家に帰り、河はそこまででもなかったけど道路が広かった、と妻に話したら
「あそこの蓋のない側溝のところ?」と言われてゾッとした。
道が広くなってたのは、道沿いの側溝まで水が満ちていたからだった。
茶色い水が側溝も道路も同じ高さで満遍なく流れているため、全く見分けがつかない。
側溝の先は道路の下を通っている。もし足を踏み外していたらと思うと今でも肝が冷える。
他にも気がつかない危険がたくさんあるはずだし、台風の時に河を見に行ってはいけない理由を身にしみて感じた。