はてなキーワード: 100%とは
自分の話をする。
地方都市(東京からそこまで離れてもいないけれど、関東圏ではない、まあだいたい長野とはそんなに変わらないくらいの地方)の、昔からその場所に住んでいる家に育った。
家柄自体は代々続く、という類ではないし、何か大きな商売をしてるわけでもない。自分にわかるのも高祖父の代まで。当然家系図なんてないけれど、集落では屋号を伝えれば一発で「ああ、あそこの家の」と伝わる程度の家。これくらいは、田舎にはよくある家だと思う。
子供(自分たちのこと)は全員とっくに成人していて、それぞれ家を出て自活している。結婚はしてたりしてなかったりする。
幼い頃から、道を歩けば「おばあちゃんは元気か」「いたずらをするなよ」と声をかけられる。もちろんそれがどこの誰かなんてわからない。でも祖母のことを知っている。親のことを知っている。当たり前みたいに「あの家の子供」だと知っている。同級生の親でもなければ、向かいや隣の家の人でなくてもだ。なんなら、集落の外に行っても「あんたあの屋号の子だってね」と声をかけられる。
自分はめちゃくちゃに愛想と外面が良くて(長子ではないから、その分、家の中でははみ出しっ子だったが)、だから特にそれを苦とも思わず、むしろ処世術として、にこにこ返事をしていたし、元気よく挨拶もした。
でも長子は違う。出来がよくて、容姿がよくて、田舎が嫌いで、上昇志向が高くて、「あの家の子供」なのが、それをみんなが知っているのが、とても嫌なようだった。だから挨拶をされても返さない。話しかけられても会釈を返すくらい。自分のように、知らない老人に頭を撫でられたりはしない。
「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」しまいには「ろくなもんじゃない」。
正確には長子は結婚しているし、子供達の中で1番の収入を得て、いくつかの難関資格をとり、職場でも地位がある。だけどそれを(特に結婚のことを)地元ではごく一部の友人にしか話していないし、ただの同級生くらいの相手には伝わらないよう口止めをしている。自分たち家族も、どの話も言い回ることじゃないから言わない。知られたら今度は「いつまでも孫の顔も見せないで」「地元に帰らず孝行もしないで」に変わることがわかりきっているからだ(親もそういうことは言われるのが面倒らしい)。
ろくなもんじゃなさでいえば、実際は自分の方が「ろくなもんじゃない」。頭が悪くて高卒で、容姿も悪くて、要領が悪くて、でもやっぱり田舎が嫌いで、どうにか家から出た(だからワープアまっしぐらだけど東京にしがみついてる)。
「ろくなもんじゃない」、これを言ってくるのが田舎だ。長子と比べてあんたはにこにこしていいね、あの子はろくなもんじゃないだろ。何度言われたかわからない。口さがないどころじゃない。
そりゃあ、多少なりとも長子に対してコンプレックスはあるものの、でも嫌いどころか尊敬していて、ブラコンとかシスコンとか、そういう類に入る自分に。幼い頃からだ。むしろ幼い頃の方が全員地元にいるのだから、自分と長子を比較して、ただ自分が大人にとって「絵に描いたよう」に元気な子供だったというだけで、まるで長子がさも出来が悪いかのように、小さな子供だった自分に言ってくる大人の多いこと。
それでもにこにこして、否定はせずとも肯定もせず、褒めてくれてありがとう、と返し、心の中で悪態をついた。長子が好きだから、悪く言われてムカつかないわけがない。でも「ろくなもんじゃない」と陰口を叩かれるのもごめんだ。田舎で生きるには、愛想を振り撒くのが一番楽だとわかっていた。
長野の立てこもり、「容疑者は精神疾患があって、だから悪口を言われていると被害妄想をつのらせ、凶行に及んだ」という「だけ」の流れになりそうで、それがある種の分断の姿の一つだなあと感じている。
精神疾患はあるかもしれない。それは否定しない。擁護をしたいわけでもない。当たり前だ、何人殺したんだよ。
でも「悪口(陰口)なんて「誰も」言ってない」は田舎、代々続く家、長男、農業、親は(色んな意味で)地域に顔が知られていて有能(ということになっている)これだけの条件が揃っていれば、陰口はほぼ100%の確率でいわれている。被害者の方が言った、ということではない。
しかも田舎は、ドロップアウトしたらもうそれだけで「一生落伍者」だ。高校なんていくらだって中退者がいるくせに、大学のそれや、社会に出てからの精神的な部分でのつまずきを許さない。
そもそも、精神的なつまずきに対して「恥ずかしい」が優先される。地域というよりは、「古くからの人間だらけの集落」だろうな。新興住宅地だとかだと、そうじゃないだろうけど。
容疑者の親がしたことを、「どうにか社会で一人でも生きられるようにししようとしたんじゃないか」というとても優しい、そうだったらどんなにいいかという目線で見る向きもあるが、必ずしもそうではない。
「まともじゃないことは、ろくなもんじゃないことは恥ずかしい。どうにかまともにしなきゃ、自分たちも恥ずかしいと思われる」。この考えが浮かばなかったとは、「田舎育ち」の自分には思えない。
閉鎖的で、陰湿なところが、人付き合いが濃密だからこそあって、そういう可能性を否定することが難しいという実感が、「田舎育ち」だからこそある。
顔もよくわかんない、名前もわかんない、関係性もいまいちよくわかんない親戚、隣の家、だいぶ離れたところの家、道ですれ違う老人、なぜか誰もが自分のことを「あの家の」と認識していて、それで人付き合いが苦手というだけで「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」「ろくなもんじゃない」。
それが「田舎」だ。
下手したら、親(というよりも一番その手のことを言ってくるのは親より上の世代の親族、分家筋)すらもそれを口にする。なんでお前は。親は立派なのに。ろくなもんじゃない。
ネットにあるコメントや、テレビで流れるコメントに驚く。精神疾患「のようなところがある」と見るや、「ならばそれのみ」が原因だとばかりに見える(もちろんそうじゃない意見だってあるけど、そちらの方が多数派に見えた)。
見えてる世界が本当に違った。
元増田は回避型で、そのHは自己愛型で、どっちもHSPじゃないよな。
Hの場合、本当に王子様か訓練されたナンパ師みたいなのが来たら付き合えると思うし顔がいいんだから男との出会い増やしたらワンチャンある(ただし周囲巻き込んで爆発するリスクあるから絶対関わらない方がいいやつ)
元増田の場合は、単に相手から断られたり拒絶されるのが怖くて自分から切ってる、しかも30代も半ばのデブスで男から拒絶されない率100%なんてことはないから、もうどうしようもないと思う。
増田、HSPじゃないと思うわ。感覚過敏エピソードが何もないじゃん。リアルHSPの人に失礼。
カウンセリングもココナラで悩み聞きます1時間500円みたいなやつじゃねえの?
まあ、これ普通に人格に問題あるだけでしょ。回避性パーソナリティ障害なんていうと病名みたいになるけど、要は逃げグセがあるだけ。
エピソードを見る限り、一貫して「人間関係において予測される嫌な事態を避けている」だけのように見える。
女友達とはちゃんと関係構築できているのにって思うでしょ?それさ、これまでの人生においては1vs1の人間関係を構築する必要はなかったから適度に逃げてもクセが露呈しなかっただけだよ。
友人関係は婚活みたいに「お断り」も「交際終了」もないもんね。必然的に相手からの「お断り」から逃げるためにこっちから関係を断つなんて必要はない。
最初から相手とぶつかりそうなことや断られそうなこと一人だけ浮きそうなことを避けて同調してれば良好な関係作れるし、そうやってりゃ人を不快にはさせないから女友達には礼儀正しいいい人ぐらいに思われてるでしょうよ。逃げてるのがバレてないだけ。
あと、蛙化現象も本来の意味と違うよね。蛙化は、単に「些細なことで嫌いになる」んじゃない。自分が元々好意を持ってた人が自分に興味を持つと嫌いになってしまうんだよ。「自分なんかに興味を持つから気持ち悪い」ってレベルの話なの。
これは、自己肯定感の低さゆえなのだけど、増田の場合、謎に自己肯定感は高いからその気持は絶対に理解できないと思う。
なぜ自己肯定感が高いと感じるか。それは「私は恋愛に関して何の障害も無いのに非モテ」って自認からも読み取れるし、文章全体に漂う「自分のような人も多い、女ならみんなそう、自分はHSPだから普通の人より度合いが強いだけ」という謎の思い込みもそうだよね。
で、増田の疑問。他の人がなんで恋愛や結婚できてるかってのは単純な話で、他の人は増田ほど相手との衝突や相手から拒絶されることを恐れてないだけ。
「ヤリモクかもしれない」「本当は自分はスペアかもしれない」「女なら誰でも良いのかもしれない」そんなことは誰でも考えるんだよ。でも、普通はそこで逃げないの。ひとまずは相手を信用して実際に付き合って信頼関係を作って恋愛や結婚に至ってるの。
だから、まずHSPだの蛙化現象だの都合のよさそうなラベルは外したほうがいい。
他の普通の人と違って自分は「逃げグセのある人間」「自分が怒られないために平気で嘘をつき他人を傷つけるタイプの人間」だという自認をまずもったほうがいいんじゃない?
「ブロックしてしまった人達に対し、罪悪感が無いとか申し訳無いという思いが無い訳ではありません。寧ろ強いです。」とか言ってるけどさ、これも逃げだよ。
正確に言うと、相手や周囲の人に及ぶ影響みたいなものを真面目に考えて誠心誠意謝罪するとかとにかく自分で対処するのが面倒だから、一番自己完結して気楽な「罪悪感」に逃げてるの。
罪悪感持ったり、申し訳ないって思うの、殊勝に見えるけど、実は自分は布団ひっかぶってるだけで何のアクションも取らなくていい一番ラクな選択肢だよね。
まあ、結論として、いくら世間にHSPなり自称HSPの困ったちゃんに対する理解が深まったとしても、現状の増田をどうにかすることは難しい。
「世間に理解がない」というのを免罪符にしてるのは見る人が見たらまるわかりだし、見苦しい。
身内には「怒られに弱い」って理解してもらって若干表現をマイルドにしてもらうぐらいなら可能かもしれないけど、それでも怒られること拒絶されること嫌われることハズレを引くことを完全に回避することはできないんだしね。
増田が100%安心できる相手なんていないし、結婚を視野に入れた付き合い、具体的には赤の他人と将来一緒に暮らす前提で付き合う以上怒られたり拒絶されたりはどうしたって避けられないから。
増田がまだ若くてかわいいメンヘラちゃんだったらワンチャンあるかもしれない。男も性欲が勝って理解のあるスパダリ彼くんやってくれるかもしれないし、増田もちょっとはアホになって男を信じることができるかもしれないよ。
でも、もう30代半ばでデブスでしょ…それは厳しいよさすがに。
なんかHSPが叩かれてるみたいだから、思わず書いてしまった。ただの吐き出しです
そもそもHSPという診断は他者定義でカウンセラーやらによって付けられるものなので、自称にはなりえない。
ネットに転がってるような自己診断でHSP名乗ってるだけの人が自称HSPだろう。まずそういう人は、本当に生きにくいなら心療内科に通ってほしい。自己診断だけで特に心療内科に通わなくても日常生活に支障ないならHSPは名乗れないと思う
自称を抜いた他者判定のHSPにまともなやつはいない。だって普通(=まとも)を基準に過敏とか感受性が高いとか判断してるから。HSPの時点でまともにはなりえない
HSPなのに、結婚についてとても積極的なのが違和感ある。年齢的な側面や家庭の事情で駆り立てられてたとはいえ、本来HSPは他人と生活するのが苦しい人種だ。とはいえ責任感や協調性があるから、無理矢理に婚活をして、他者との関わりが苦しくなり、他のトラブルを招いてしまったのかもしれない。(100%嘘は良くないが)
HSPであると、恋愛に対して非常に臆病になるのはわかる。難しいね。
最近HSPという言葉を見かけることが当たり前になった。私は小学生の時にHSPと診断受けて、登校拒否になり、中高大と自殺念慮と戦いながら通い、結局新卒で適応障害。抑うつと再診断がつき、現在も薬の服用を続けてる。恋愛したい気持ちはあるが、仕事をして毎日生活するだけでも一苦労だ。仕事をすることは人との関わりを持つことだ。顔色、音、声、におい、温度、人の気配。それらが全て苦痛に感じた人だけがHSPを名乗ってほしい。オフィスで机を合わせてカタカタ音が鳴り響いてるだけで、呼吸が浅くなる。怒鳴る人がいると涙が止まらなくなる。友達といる時ですら、細かいことが気になってしまって、解散後も目が冴えてしまう。そういった徒労を抱えてる。恋愛したところで他人が同じ空間にいるのが苦痛で仕方なくなるのがわかってるから、積極的に恋愛はしない。
コミュニケーション障害とHSPは違う。恋愛をする気になれて、オフィスに通えて。それはHSPの中でもかなり軽度の方だ。とはいえ私もリモワでなんとか仕事できてるので、まだいいほうだと思う。対面の仕事のほうがキャリアになるのはわかってても、学校や会社で怒鳴る人を見てパニックになってしまったことを思い出したりすると、やっぱ怖いなってなる。
古いパンツはバクテリアが住んでいて、泌尿器科系の病気になってしまうらしい
今使ってるパンツ、何年の付き合いなのかわかんないよ。ヘタしたら10年くらいのつきあいなんじゃないか?
パンツの黄ばみももう酸素系漂白剤ではどうにもならないレベルだから今塩素系漂白剤で漂白してる。
まだ使い続けるつもりでいる
100% 擦りたて果汁
結局ギャンブルじゃねーか、裁判所をどうやってだましたんだよと思って調べてみたらビックリ。
ギャンブルだからと言って100%自己破産が認められないわけでもないんだな。
ギャンブルは、自己破産手続きで債務の免責が認められない要因である「免責不許可事由」にあたります(破産法252条1項)。
しかし、ギャンブルによって借金してしまったからといって、必ずしも免責が認められないわけではありません。裁判官の判断によって、免責が妥当だと判断すれば破産者の免責が許可される「裁量免責」と呼ばれる制度があるためです(破産法252条2項)。
実際には、ギャンブルによる浪費がよほどひどかったり、本人に反省の色が見えないなどの悪質なケース以外は、裁量免責が認められることが多いです。
勉強になったわ。
家賃はいきなり何十%も上がらないけど、食料品とか30%くらい値上がりしてるのザラにあるので、
エンゲル係数高い世帯は大変じゃないかな。インスタント麺とか298円が370円位(税抜き)とか。
野菜も高い。キャベツ1個300円位する。150円位が普通だったから100%値上がりだ。
なぜか納豆は値下がりしてきた。輸入原料のはずなのに。3パック入り100円切ることが多い。製造メーカーは大変だろう。
そういう意味からは日本酒とか焼酎とかビールとか海外ウイスキーとかはあんまり値上げしないで頑張ってくれてるように思う。
でもどう考えても値上げしないと対前年利益率ダウンだから時間の問題かな。円安だし。ウイスキー買いだめしとくべき?
ちょっと前に土佐市のカフェの件が炎上しましたが、もう日本のまちづくり・地域活性化については諦めた方がいい。
最近まで地域活性化関連の仕事をしていましたが、日本中どこもかしこも似たような話ばかりで、辟易とする。
「田舎ってこうなんですか?」って言ってましたが、「ほぼそうです」としか言いようがない。
ヨッピー氏のまとめがすごくいいのでご一読を(https://news.yahoo.co.jp/byline/yoppy/20230524-00350545)。
今元気がない地域を元気にする、なんていうことは夢のまた夢。
役場の人は数年に一回担当が変わって、これまでの引き継ぎがうまくいかない事例も多いし、うまくいったとしても急に文句言ってくる人も多いし、大学とかにお願いする自治体もあるけど、大学生は4年で卒業するし、大学教授がしっかり地域に入って人脈とか研究してくれることなんか、滅多にないのよ。
今の地域をいかにしてソフトランディングさせるか、ということに注力した方がいい。
外から人呼んで稼ぐとか賑わいを取り戻すなんていうのはマジで諦めて、今住んでいる住人・高齢者をいかにして幸せに最後まで住んでもらうかというところに、人・もの・金を100%使って欲しい。
切に思います。
なんかはるところを間違ってるんじゃないかと思うのだけど「なんとか主義」っていうのは「うちの餃子のつくりかた」みたいなもんだよ
・うちのであってよそのではない
・つくりかたであって食べ方ではない
みたいな話だよ
民主主義だからどうすべき 民主主義だからありえない 民主主義だからこうする
ってゆってもそうすべきじゃないと言えたり実際に言ってる人は存在するし
ありえないって言ってもありえてる状況もあるだろうし
こうするってゆってもしてない事だってある
じゃああってもなくてもなんにも意味がない主義って存在そのものの意味あんのって話になるじゃん
おかたく存在を肯定しようとすればするほどその熱意で焼しめた硬度でもろく崩壊して粉末になっていくよ
そもそもね 説明をしないといけない時点でそうなってない状態が横行してるわけ
それは民主主義じゃないって指摘をしたりこれが民主主義だって説明する時点で
昔から物理的に変わらず共通の項目として言葉にすればそれが理解できる「民主主義」なんてものが存在するのならそれを言えばいいだけ
辞書にある(出版社・編集者が作成したもの)や歴史にあるもの(その時点の使用者が使ったもの)とか現実に存在するもの(各国各団体であるもの)がそれぞれ別のしくみであるでしょ
それもありだとおもうしいいとおもうよ
主義とかいうのは二人以上の人間が共通の認識で使っていくこと そして第三者に理解ができること そのための名前なんだよ
名もないわれら増田が主義をとなえたところでそんなものに意味はないよ
共通のルールで基盤をともにしたい仲間と それをあきらかにしたい境界線の明示のために使う言葉をここ増田やほか借り物の主義の定義をもってきても意味はないよ
だから民主主義が専制君主制だという意味でつかう増田がいてもおかしくはないしその人の中ではそれが正解だろうしみんなも「それを正解としている人」という認識でいいんだよ
餃子ににらをいれようがにんにくをいれようが、あいびきが豚100%だろうがみんなそれぞれ自由でいいんだよ
もし具体的に固定的な意味を使いたかったら名前のついた主義主張をしたらいい
民主主義が何年のどこでつかわれただれによるものとか、だれが定義したものでその情報をもとに共有したかったらその書物を読めばいいとか、その書物にないバージョンだとか、自分で考えたものなら自分の名前を出すとか
餃子ってだけならみそでたべるのか酢醤油でたべるのか塩なのかもしかしてそれワンタンなのではってものとかなんでもいいんだよ
「陳さんの餃子」とか「こだわりおやじの餃子」とか「東京式餃子」とかそういうものがあるならその名前でだせば、きみの考えてる主義も理解されるよ
ただ「今の日本の民主主義においては」みたいな話の仕方をすると「おいしい餃子」みたいなもので「おいしいの基準はなんだよ」ってなるよ
増田を見てても、例えば話をする場合、事象が完全一致してないと例えとして認めないとか、100%落ち度のない被害者しか被害者と認めないとか、そういう人がゴロゴロいるし
追記や記事へのリアクションも含めざっくり目を通したのだけど、「あるコミュニティでは普通なことも、別のコミュニティでは普通じゃない」の一言に尽きると思った。
元増田の感覚や振る舞いは私の普通に多分似ていて、大丈夫だよって言いたくなったのでコメントしています。
ネットだと「女は~」とか「年齢が~」とか言われがちだし、「市場価値」「高望みしすぎ」「あなたにお似合いなのは」「望んでいるような人は婚活なんかしていない/あなたなんか選ばない」みたいな言葉が溢れているけど、そういうことを言う人はそういう人とマッチングするし、あなたはあなたに似合う人とマッチングすると思う。
私(女)も30歳のときにマッチングアプリをしていて、上に書いたような言葉に触れて不安だったけど、ちゃんといい人に出会えた。(Pairsで活動してました。特にかわいくもないしおっぱいも大きくない。)
誠意をもって人と接していれば大丈夫。人から扱われたいように人を扱って、してもらいたいことをして、求めるのと同じかそれ以上に与える、という原則に従えるなら大丈夫。
元増田は相手の人柄を知ろうと自分から動ける人だから、同じように元増田のことを知ろうとする人と結ばれると思う。これまでの数人がそうじゃなかったのは、アプリだといろんなコミュニティの人が同じプラットフォームに並ぶから、まぁそういうこともある。数を打てば当たる。
もう少し人となりを知ってから会うとか、共通の趣味のある人や職種の近いに絞って会うとか、元増田のプロフィールを変えてみたらマッチングする人の層も変わるかもとか、そういうテクニック的な改善点はあるかもしれない。
元増田もいろいろな活動を通じて考え方や価値観が変わるかもしれない。
でもそういうのをすっ飛ばして「理想を下げろ」という意見が多くて心配になった。もちろん理想通り100%完璧な人を追い続けるだけが選択肢じゃないけど、パートナーとなる(かもしれない)人のことを知りたいと思う人がいいというのも、定形じゃない会話がしたいというのも、全然高望みじゃない。(「自分の価値を上げろ」はポジティブな方向への努力だから、なかなかいい人と出会えない場合には努力するのもアリだと思う。でも現状で元増田の努力や魅力が足りないと決めつける理由がわからない… 今日までいい人と出会えていないことは理由にならないと思う。理想は人それぞれ、必要な時間も人それぞれだし。)
何こいつ
定義を言え
代案を出せ
もう飽きた
「弱者利権」
「わきまえる」
「マスクがあると表情が見れない!」
左のネトウヨは
共産党員は
俺は左翼だけど~
俺はリベラルだけど~
俺はこいつ嫌いだけどでも~
俺はこいつも悪いと思うけどでも~
「マスクがあると表情が見れない!」
行き過ぎた配慮
スパマリは日本のコンテンツ~日本のコンテンツが1000憶行ってうれしい~
右でも左でもない
「多様性を認めないという多様性を認めろよ!」とかいううわごと
(右でも左でもない)普通の日本人
アカヒ
沖縄旅行へ行った話をすると
ネトウヨは「沖縄って治安悪いんでしょ?」「沖縄料理不味いんでしょ?」って
これはマジ判定機に使える
彼の国
日本人ならやらない
こういうことするのって日本の文化じゃない
例えば、この人なら100%信頼できるって人が1001人いたとして、その人たちでYouTubeアカウントを1001個作る。それぞれでチャンネル登録して、動画は自動再生で適当に再生する。条件満たして収益化する。
後は、SNSで拡散しまくって、とにかく再生させまくる。自動再生プログラムも配布する。そのお金であらゆる場所へ寄付する。ってすれば、Googleから無限に寄付金手に入るよな。
パソコンならバッググラウンドで再生すればいいから、遊ぶのにも仕事にも支障ないし、みんなは何の努力もなく、時間も削られず、0円で寄付できる。