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はてなキーワード: 境界線とは

2022-05-19

anond:20220519041358

そりゃ、他人様の前で全能感丸出しはドン引きされるわ。

でも、それは他人に丸出ししたからであって、自分が全能感を感じてるかどうかなんて関係なくない?

自分他人境界線がしっかりしてればその問題解決できると思うんだが?

まぁ…言うは易く行うは難し案件だろうけどさ…

2022-05-14

anond:20220514212411

何があったん?理不尽にキレるってどんな感じなん?境界線人格障害の内心と気持ち葛藤をめちゃくちゃ知りたいな

2022-05-06

「たわわ」がNG園子温が"無罪"になる、フェミニスト不都合な真実

※末尾に追記付与

※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与

追記3のリンク先に追記4(5/8 9:21)を付与

※園子音氏に関する一部表現修正週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切判断し、関連する記述は削除した。(5/8)

何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクバッシング対象で、ホスト共感対象なのか?フェミニスト性質の中にその答えが眠っている。

フェミニスト活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???

こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか

フェミニズム不思議

何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。

何故、フェミニストは、「海、似合って無いね動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。

何故、成人指定でも無いお色気漫画ゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニング抵抗自由を求めてしまフェミニストが出て来てしまうのだろうか。

その背景には共通パターン確認する事が出来る。

そのパターンについて、ここから解説する。

フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。

フェミニスト論理は「〜だからダメ」ばかり

フェミニストは、「〜だからダメ」というタイプ論理を多用する。

性的魅力を強調するからダメ

性差別的だからダメ

「○○な表象が含まれいるから、ダメ

公共の場に相応しくないから、ダメ

フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理タイプで起きる。

一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプ論理使用する事については慎重だ。

男と女制度上同等であるから、良い」

女性積極的登用があるから、良い」

男性育児に参加するから、良い」

この論理使用する場合フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。

これはどういう事を意味するのか。

フェミニズムは良し悪しの線引きに向き合わない

フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。

そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。

一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。

次の論戦を見てみよう。

https://togetter.com/li/1873195

この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである

小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象問題にしており、表現修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品のもの広告掲載不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生解釈を伺っています

「たわわ」の広告表象問題であるのか、作品問題であるのか、という質問である小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。

小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから小宮氏にはどちらとも言えないのである

フェミニスト理屈はいつも後付け

UN WOMANコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態示唆しているかである

多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである

最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。

理由簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているかである

シチュエーションによって、議論構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。

フェミニスト自分ジェンダー観に鈍感

良し悪しに関する客観的物差しの不在はまた、男性に向ける物差し自分適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。

「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。

それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範インストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分適用していない、という事である

「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかやすい例である。男女間で別の基準適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである

フェミニスト自分を省みない

フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。

自分悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分おかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである

なので、フェミニスト自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。

私見だが、

この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。

フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズム他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。

フェミニスト自分の行動に責任を取らない

フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。

オープンレターの件が良い例である

最後の点が特に問題だ。

大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任人間の集まりなのだろうか?

フェミニストには権威主義者が多い

オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書き不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。

たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。

演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?

この文を読んで、「アカデミックバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないかダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。

まとめと提言

以下、フェミニストフェミニズムの特徴をまとめてみる。

フェミニスト自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか

また、上記の逆になるように行動するようなフェミニスト健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。

他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。

若い世代フェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニストフェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。

追記

面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマ批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。

BL無罪の人なんて、フェミニスト矛盾体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。

追記2

lacucaracha:

無罪なんて言ってるひと見たことないが、単に『100%有罪なので語るべきものがない』だけでは。

有罪から語るべきものがない、って不思議論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形問題よりも先に、たわわのように複雑な議論必要事象糾弾したのは何故?

cinefuk:

園子温批判しないフェミニストなんか、僕の少ない観測範囲はいなかったけどな。

女性差別的な文化を脱するために」と、特定人間貶めるためにフェミニスト結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。

(女性原作者オープンレターフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)

「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミ批判より反フェミが盛り上げてる印象

たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?

ウクライナ抵抗たか戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。

todomadrid:

園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも広告バッシング広告主や媒体、もしくは痴漢バッシングしているのであって、オタクバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。

何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズム卑怯さの構造説明したんだからしっかり読め。

フェミニストオタクバッシング結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。

kohgethu:

誰が性的加害やらかし映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベル炎上するよ。

当人が足掻いたならたわわレベル炎上する?本当に?

https://www.jprime.jp/articles/-/23703

Domino-R:

主語が大きいとも違うが、この「オレは他者を語れる」という自信は一体どこからくるのだろうか?

やりたかったのは、フェミニストの不誠実さの見える化

一昔前に、一部の女性自分フェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。

フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。

それを単に整理整頓たかっただけ。

フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造クリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。

今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからいね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます

追記3

こっちに移動

https://anond.hatelabo.jp/20220508015135

日記ってどう書くの?

日記を書くと、これは日記じゃなくて短編小説って言われる。

自分の身に起こった事実を書き連ねているので多分私小説ってジャンルになると思うんだけど、別に小説を書きたいわけじゃあない。

私小説日記境界線ってなんだろう?

から見ても日記と分かる日記、ないしレポートって真面目に日記ってどう書けばいいんだろう?

2022-04-30

anond:20220430003552

本当に「チキンレース」なのか。実はR18漫画定義を知らないまま雰囲気議論しているのではないか、気になる。

男性向け・女性向け両方の、非R18作品とR18作品境界線がどこら辺なのか。

2022-04-22

COSUMIの5路盤。

https://anond.hatelabo.jp/20220418214932

に便乗。

5路を極めてもべつに囲碁が強くなったりはしないけど、短時間でサクッと終わるので、ちょっとした隙間時間に遊ぶのにはよい。

ここでは、交点の座標を縦は上から順にアルファベットで、横は左から順に平仮名で表すことにする。つまりいちばん左上隅の点は〈a-あ〉、いちばん右下隅は〈e-お〉、ど真ん中(天元)は〈c-う〉ということで。


解説()内の数字は何手目かを表す。対局再生画面で碁盤の上にある数字だよ。

囲碁棋譜では「黒1手目、白1手目、黒2手目、白2手目……」というのではなく、黒から始まって交互に打っている前提で「1、2、3、4、5……」と表す。


では早速打ってみよう。

実戦に勝る修行はない(キリッ!


【第1局】黒6目勝ち

https://www.cosumi.net/replay/?b=You&w=COSUMI&k=0&r=b6&bs=5&gr=ccdccdcbbbdaddbaabebedecbccaaatttt

オーソドックスに盤面の真ん中一直線に境界線を作りたいなと黒は思ったが、それじゃ当然白は勝てないので(4)でハネ(斜めに着ける打ち方)を打ってきた。


(7)で〈d-え〉と曲がった。これがたぶん闘い易い手なんじゃないかな。ここで〈a-い〉に伸びるという手もあるんだけど、すると終盤で初心者には厳しい詰碁問題みたいな展開になる。


また、(7)では〈b-お〉に打つという手もある。〈b-お〉は白の「3目の真ん中」だ。3目の真ん中は地の急所。ここに黒が打てば白は死ぬし、白が打てば白は生きる。白が打つと2眼できるから


(13)は切られるのを防ぐ「ツギ」。この時点ではすぐに取られないのだけど、予防的に継いでおいた。(15)黒パス、(16)白パス。両者ともパスをしたので終局。

(13)では、継がないでパスをして相手が本格的に取りに来てから継ぐのでも遅くはない。これ↓は(13)で継がずに放置して後から継いだバージョン。結果は変わらない。

https://www.cosumi.net/replay/?b=You&w=COSUMI&k=0&r=b6&bs=5&gr=ccbccbcdddbebbdeedadabacttcetteedctttt

黒……8目(8もく)

白……2目(2もく)

アゲハマ……0

8-2=6 で、黒が6目勝った。


【第2局】白1目勝ち(これで何で黒の負けなの!?

https://www.cosumi.net/replay/?b=You&w=COSUMI&k=0&r=w1&bs=5&gr=cccbbcdcddebedbbabecaadabacaacbecdadceeedetttt

序盤は先ほどと同じ進行だが、(7)で〈b-い〉に曲がらず〈d-お〉と伸びた。こっちに打つと面倒臭いことになりがちなのだが……。

(9)から(13)まで、黒は意欲的に白地を減らしていき、(15)で継いで取られないように守った。この時点で、境界線はくっきりと引き終えたかのようにみえる。

黒……8目

白……2目

アゲハマ……0

なので、8-2=6。黒6目勝ちで終わるかと思いきや……。

(16)で白は〈e-い〉と打ってきた。ほぼ確定した陣地に打ち込むなんて、無駄な悪あがきだろうか? それとも、〈d-う〉の完全には繋がっていない部分を切ろうとしている?


ちなみに、〈e-い〉はいわゆる「中手(なかで)」ではない。中手は「6目中手」が最大だが、ここの黒地は8目もあるからだ。

何だか知らないが、無謀にも白は黒の連結が弱い部分を切ろうとしているようだ。だから当然に黒は(17)で弱い所を継いだ。

ところが!

(18)で、白は変な動きをしているが、黒は(19)で2眼(2がん)を作ってこれで「生き」のはずだ。なのに白は(20)と自殺手を打ってきた。しめしめと思って黒は(21)でアゲハマ1個ゲット。アゲハマはその数ぶんだけ終局後に相手の地を減らせるので、取らない手はないはずだけど?


(22)(23)で双方パスしたので終局となる。一見

黒……5目

白……2目

アゲハマ……白3目(盤上に残った2つとさっき取った1つ)

アゲハマで白の地を減らせるので、白地は-1。黒はそのまま5目の地なので、つまり黒の6目勝ちということになるはずなのだが……。

結果を見てみればなんと、「白1目勝ち」となっている。黒負けてんじゃん!? これはどういうことか?


結論からいうと、終局時の盤面の状態は「セキ」という。「セキ」とは、お互いに次の1手を打ったら相手に取られてしまうので、お互いにこれ以上手を出せないという、硬直したした状態のことをいう。

右上の白地はしっかり2眼を持っているので「生き」である。(2目の地)

問題は左下の黒地。一見2眼持って生きているように見える。だが次に黒から〈d-い〉に打てば白〈e-お〉で黒は1子残らず取られてしまうし、白から〈d-い〉に打てば次に黒〈e-あ〉で白2子を取って終わる。黒も白も、どちらも取りにいけば取られるので手が出せない。

「セキ」になった場合は、両者を「生き」とするものの、そこはプラマイ0ということで、最後に地の計算をするときに「セキ」の部分は数えないことにする。要はこの対局の場合、黒は完全に地を無くしたわけではないのだが、黒地にカウント出来る地が実質なくなっている。一方、白は黒を全部取り上げることが出来なかったものの、右上隅に2眼を持った確定地は持っている。つまり


黒……0目

白……2目

アゲハマ……白1目(さっき黒が取ったやつ)

ということなので、黒が1目負けた。なお、囲碁勝敗は勝者の結果で表すので、この対局では私が黒番だったけれど、対局結果は勝者の白にあわせて、「白1目勝ち」と記す。


この対局でセキにならないようにするには、どう打ったら良かったのかというと、(13)で〈a-い〉などと欲張らずに〈e-い〉と打てばよかった。これはまさに白がセキにしようと仕掛けて来た時の1手。自分が打たれてアイタタタ! となる手は是非とも先にそこへ打っておくべきだ。


といっても、初級者がセキにされるポイントや石を殺されるポイントを見抜くのは容易ではない。そこで、5路盤で対局する場合は、実戦経験を積み、ありがちな地の形と、打たれて死んだ(セキにされた)場所記憶してしまうのがいい。


【第3局】黒6目勝ち

https://www.cosumi.net/replay/?b=You&w=COSUMI&k=0&r=b6&bs=5&gr=ccbcbdcbdcabdbadbebadacacdacaetttt

(3)で伸びずに果敢にハネ(跳ね)を打ったが、最終的には第1局と同じ結果となった。囲碁対局の結果は、どんな手順で打っても石の形が全く同じであれば、同じ結果となる。



【第4局】黒6目勝ち

https://www.cosumi.net/replay/?b=You&w=COSUMI&k=0&r=b6&bs=5&gr=ccbcbdcbbbdccdbaacebdddaedecabcaaatttt

(3)はまたやる気満々に〈d-い〉とハネた。何故ノビよりハネの方が威勢がいい手なのかというと、敵石にくつけていくのは不利だからである。ハネると、相手の石のHPを1減らせる一方、自分の石のHPも1失われるからだ。また、ハネは断点が一ヶ所増えて不安定な形でもある。

(5)で相手の断点を切った。黒白四つの石が組み合っているこの形を「キリチガイ」という。激しい闘いになりがち。広い碁盤ならやるだけ無駄なこともあるけど、5路盤の場合は狭いので、積極的に敵石を取り行かないと勝ちづらい。まあ、5路盤は激しく闘わなくても、打ち方さえ間違わなければ黒の必勝ではある。でもそんなお行儀よく打つばかりでは退屈だもんね。

(6)で白が「アタリ」(あと1手で取られる状態)をかけてきた。黒はすぐ〈c-あ〉で先に白を取るという手もなくはないけど……、


ただでさえ5路盤は黒有利なところをキリチガイでバトルを持ちかけたので、(7)では堅実にツギを打って守っておく。ここでうっかり白石を取って乱戦になると、面倒臭いぞ。

そして白は(10)と地を作ろうとしている。だがまだ2眼は出来ておらず、隙のある形だ。でも黒は今回は(11)ではノビで普通に地を拡げた。アンパイな打ち方だけど、(11)でノビずに〈a-え〉と白をぶっ殺しにいくという手もある。


〈a-え〉は、白に囲まれた4目ほどの地のちょうど真ん中である。地の真ん中は急所で、そこを自分が打てば生きるし、敵が打てば殺される。「我が急所は敵の急所」だし「敵の急所は我が急所」だ。


でも今回は激しくやるのは序盤だけであとは淡々と打つと決めていたので、穏やかに終局。

黒……7目

白……2目

アゲハマ……白1目

なので、7-(2-1)=6 で黒6目勝ちとなった。



今日はこれまで。

2022-04-21

初心者向け囲碁講座

前提

アプリなどで打つことを前提に「地の計算」などは説明しない。

ルール

上下左右を囲むと中の石を取れる。

斜めまで囲む必要はない。

  
  


こういう塊でも隙間なく囲めば取れる。

  
 
   


実は盤の端っこで囲んでもいい。

   
   
    
     

これはつまり「四隅がいちばん囲いやすい」ということでもある。

以下のような状況はちょっとややこしい。

    
  
  
    

1に○を打ったら、黒の囲みと白の囲み、どっちが優先されるだろう?

この場合は「先にあった黒の囲み」よりも「いま作られた白の囲み」のほうが優先される。

なのでこうなる。

    
  
  
    

それじゃあ●を2に打って取り返す…ことはできない。

延々と取り合いを繰り返して無限ループしてしまうからだ。

いったん別のところに打ってから、その次のターンなら黒は2に打てる。

まあ、そうなるまえに白のほうが2を塞いでしまうのだが。

勝敗

囲碁ルールが(将棋より)シンプルなので覚えやすいが

そのかわり「どうなったら勝ちなのか」がわかりづらい。

最終的に陣地が広いほうが勝ちなのだが、

「どんどん石を置いていったら最終的にぜんぶ埋まるのでは?」

自分の陣地をさら相手が囲んだら相手の陣地になっちゃうの?」

といった疑問を抱きがちである

そこで以下のような場合を考えてみる。

    
   
    
   
    
      

この●の塊はどうやっても○で囲んで取れないことがわかるだろうか。

白がこの黒を取るには二つの穴を両方とも埋める必要があるが、

つの穴のどちらに石を置いてもその瞬間に黒に取られてしまうからである

なので、この黒で囲まれた部分は「黒の陣地」として確定する。

この「二つの穴がある」=「絶対に取られない」というのが陣地が確定する条件なのだ

ただし、二つの穴があるようで、実は穴ができていないというパターンもある。

    
   
    
   
     
      

先程の状況と似てはいるが、この場合だといちばん下の黒が白に取られるので、そこから黒は崩壊して、ここは白の陣地になってしまう。

ちゃんと穴ができているか?」「絶対に取られない陣地になっているか?」は常に気をつけていこう。

逆に、相手が「二つの穴」を作れないように邪魔していくことも重要である

ちなみに取った石は最後自分の陣地に加算される

まり相手の陣地として確定したところに自分の石を置いても

それは取られて相手ポイントになるのだから無駄なあがきにしかならない。

そして盤面すべてが「絶対に取られない陣地」で覆われたら終局である

戦略

囲碁の序盤は「だいたいこのあたりは俺の陣地ですよ」というマーキングをつけていくものである

特に囲いやすい「四隅」を優先して取りたいので、いきなり真ん中にマーキングをすることは少ない(めちゃくちゃ小さい盤のときはその限りではない)。

たとえばこう置いたら、右下の隅を取りたいんだな、となる。

      
      
      
      
     
      

以下のような感じだと、

      
    
      
      
    
      

なんとなく「右側は黒の陣地」「左側は白の陣地」というような雰囲気がわかると思う。

しかも白のほうが広めにマーキングしている。

このまますんなり陣地が確定すれば白の勝ちになるのだから、黒は頑張って妨害しにいかなきゃいけないわけだ。

というわけで、序盤はできるかぎり広めにマーキングしていくことが求められる。

しかし欲張りすぎれば、左は白の陣地だ!と思っていたところに、黒の陣地が作られてしまうかもしれない。

     
  
     
    
    
      

こうならないように白は気をつけなければいけない。

別の状況を見てみよう。

以下は、黒があと1つ置けば白を取れる状態だ。

     
    
  
     
     

しかし白がこう伸びると、

     
    
  
    
     

黒はあと3つ置かないと白を囲めなくなる。

まり「石を繋げると強い」のである

あるいはこういう形で、

     
   
   
   
     

白にこう打たれると黒は分断されてしまうので、

     
  
   
   
     

そのまえに自分の石を繋げて補強したいところである

     
  
  
   
     

こうして互いに石が繋がっている状態はかなり強固で「境界線が定まった」感じがする。

とはいえ、じゃあ常に石をくっつけて打てばいいか…と言うとそうでもない。

      
   
     
     
     
      

黒は1つ飛ばしで置き、白はくっつけて置いているが、白の陣地は右上だけで、黒の陣地のほうが広そうに見える。

これでたとえばこんな感じで白が分断を図ってきても、

      
   
    
     
     
      

こう防御すれば左に踏み込んだ白を取ることができる。

      
   
   
     
     
      

「1つ飛ばし」でも十分に防御力は高く、相手が攻めてきてから石を繋げても間に合うことが多い。

その調子で「2つ飛ばし」「3つ飛ばし」と広がっていくごとに速度は上がるが、そのぶん防御力は下がり各個撃破可能性が高まっていく。

石を固めて置けば、防御力は上がるが、速度=攻撃力は落ちる。

石を広く置けば、速度=攻撃力は上がるが、防御力は落ちる。

というイメージで捉えればいいと思う。

この「広さ=攻撃力」「狭さ=防御力」のバランス感覚と、

絶対に取られない陣地をつくる」ということさえ意識すれば、

とりあえず、ぷよ碁くらいは何とかなるんじゃないかなと思う。

2022-04-19

anond:20220418232943

ルールはgg略。

陣地が多い方が勝ち。

勝ったのかどうか分からない問題は、囲碁クエストアプリで打つ場合リアルの対局よりは分かりやすい。最後まで境界線を引かないと勝敗判定がバグるからプロ棋士同士の対局みたいに、完全に打ち切ってないのに終わるということがない(どっちかが降参しなければ)。

2022-04-17

藤本タツキ氏による漫画さよなら絵梨」の感想

タイトル通りである

公開初日になんかTwitter話題になってるな~という理由だけで夕方頃に読み、衝撃を受けた。

自分はあまり作品に対する感想他人とすり合わせたりすることはしないのだが、あまりに衝撃だったのでここに残すことにした。

もちろんネタバレを多分に含むため、未読の方は一旦回れ右して頂きたい。

本作は作中に主人公の作る映画が登場し、主人公の生きている現実入れ子構造となっている。

話が進むにつれ、構成物の境界が広がっていく。

構成物を箇条書きにすると、

主人公の母が死ぬ現実(現実①)

主人公作成の母の死を撮り編集した映画(映画①)

映画①の上映後、絵梨と出会い不評だった映画①のリベンジのため次の映画を作ろうとする。

 そして絵梨が死ぬまでを描いた現実(現実②)

現実②の内容を映画にした映画(映画②)

映画②を上映し映画①のリベンジを果たしたがその後は平穏だが虚無な日々を過ごした現実(現実③)

現実③の後、現実②で死んだはずの絵梨が実は吸血鬼で生きていたという何か(不明①)

不明①まで描き、映画①のオチを再度行った映画(映画③)

といった内容である

このように現実映画を行き来、というかさらに大きな器で更新し続ける。

コレは映画ですよ、コレは現実ですよ、といった予告は一切なく、

読んでいくうちに実はコレは映画でした~といったように急に言われ続けるのだ。

そして、終盤にいたってはそれが現実なのか映画なのかすら読者には分からないようになってくる。

中盤まではこの作品内の「現実」は私たちの生きている「現実」と同じ世界観だと思って見ていたが「絵梨が不老不死吸血鬼だった」という設定が出てくるためだ。

この設定はそれが主人公作成の「映画」だからなのか、あくまでこの作品自体が「漫画」だからであって主人公の生きている「現実」はファンタジー世界観だったのか判断がつかない。

このように少しずつ映画現実境界線をあやふやにしてきたところで最後爆弾が投下される。

映画①で散々作中キャラの不評を買い、絵梨の評価を得た「爆発オチ」だ。

この漫画自体最後最後、その「爆発オチ」をなぞって終了となる。

この漫画が終わった後、様々な感想が頭を巡った。

「結局爆発オチじゃねえか」

最初映画①をなぞらえた上で考えるとこの爆発オチ必然だし、絵梨との関係を見ると感動的ですらある」

「爆発オチで終わったということはこの漫画は全てが主人公作成した映画しかなく、主人公現実は一切描かれない。つまり母や絵梨自体創作存在しかなく、全てデマかもしれない。そう考えるとやはり爆発オチというのはどうなんだ」

この漫画入れ子構造のように感想自体がどんどん大きい枠で更新されていき収拾がつかなくなってくるのだ。

そして考えていくうちにふと気づく。

「爆発オチなんてサイテー!と考える俺はまるで作中で映画①を批判したモブものようだし、この漫画面白かったと考える俺はまるで絵梨、いや絵梨でなくとも作中に描写はされなかったが映画①を見て大多数の意見に流され意見を言えずにいたであろう絶対に0人ではないであろう映画①を評価したモブのようだ。」

「結局一切描かれることの無かったこ作品映画を作った主人公はどこにいるんだ?それを最終的に突き詰めるとタツキ氏本人にいきつくのでは?」

それに気づいたときさらに気付く

「この感想を考えている俺自身がこの作品の一部ではない保証もない」

元々舞台用語第四の壁というものがある。意味としては知っているものとして解説を省くが、最近作品にはこの第四の壁を破る作品というのがとてもメジャーになってきた。

しかしこの作品は「第四の壁を破る」作品ではなく、

「いつの間にか、自分自身第四の壁の内側にいた」といえる作品だとそのとき気付いた。

映画シックスセンス」を見終わったあとの衝撃を自分自身を巻き込んで味わったような感覚だった。

2022-04-15

エロ漫画描き、かつ一読者としても日系にたわわ広告あかんと思うで

なんでゾーニング境界線を越えようとするのか…………

家族上司普通に一緒にいる場面でそういうの出てくると気まずいんでやめてケロ

ドM」っていうけど、「ド」がつかないMの境界線はどのあたりか。

流血ウェルカムが「ドM」で、そうじゃなければただの「M」、だとハードすぎ?

2022-04-13

サービス課金(購入)

仕事で使うものは別として、お金払ってもいいかなって境界線決めてる人います

ゲームなどで躊躇なく(自分からはそう見える)課金する人もいるけど、そういう人は何を基準に決めてるのか聞いてみたい

月にいくらまでなら大丈夫みたいな考え方なのでしょうか?

2022-04-12

anond:20220411133253

別に天汁でサクサク感がなくなってもいいだろって思うけど

唐揚げレモンは全世界で反対される

食べ物の良し悪しの境界線って難しいね

醤油わさびを溶かすのも全世界反対行動だっけ

2022-04-09

月曜日のたわわ=エロ漫画と同じなのか?

まずはこの論点整理から始めるべきだと思う。

あの広告に対してフェミが「女性への性加害」「女性差別」と批判しているが、その時点で議論は成り立たなくなる。

エロ漫画だったら、最初から作者はエロ漫画ジャンル作品を作るべきである

しか月曜日のたわわの公式ホームページを見ていても、R15指定とかそのようなのは全くない。

そもそも掲載しているのがヤンマガなので、もし本当にエロ漫画と一緒なら本来批判先はそっちであろう。

その点を曖昧にしたまま、日経新聞の一面広告に出したのだから炎上したのではないか

本当にエロ漫画と同じなのだったら、一面広告に出すべきではなかった。

たわわ炎上の功績を挙げるとしたら、一般漫画エロ漫画の「境界線」を決めることの困難さを世の中に示したことだろうか。

2022-04-08

効率化と手抜きの境界線ってどこなんだろな

仕事のやり方ちょっと変えて仕事が早く終わるようになったんだけど、効率化なのか手抜きなのか自分でもわからん

最近仕事あんまりやる気持てないんで、手抜きって気がしてしまう。前はもっと気合い入ってた気がする。

男女CPテロと呼べマンにいい印象がない

異性愛作品ヘテロって呼んでくださいって言ってる人間が苦手

悪口として使うこともあるし、現実問題創作リンクさせてヘイト吐いてる人とかサイゼ燃やしたような手合いとかが使ってるから印象が悪い

今後の使い方を見て導入するか決めようと思ってるけど、

悪口として使われてるのをけっして少なくない数見てきたので…

そういう使われ方を認知してるくせ不快にさせる自覚なく正しい呼び方だって浮かれてる人間あんまり近付きたくない

したことある人がそうだったんだけど、自分範囲内の人間自分の心地よさしか見えてなくて視野が極端に狭い脳の作りをしてるタイプで、他人善意ある振り払いにくい指摘マウントするタイプの方で…

自分の考える「正しい世界しか見えてないタイプモヤモヤしたしなんか変な人だったんだよね

他責目線の強い過去愚痴を漏らして不穏な空中リプライもするタイプでみるだけでストレス溜まった

そういうとこからもなんかなー自分の狭い世界の心地よさしか見えない独特な脳のつくりの持ち主だから自分境界線無視して感情移入ちゃうマイノリティの悲しみってとこばっか注視して根本なまずいとこを見れないんだなあと思った

その人はこれまでもそうやって生きてきてトラブルいっぱい起こしてきたっぽかったし、「なんかつっかかられる~変な人だったよね」て言ってて、世間的には浮いてるんだろうな~って変であることも他人責任押し付けてる認識っぽくて"本物"って感じだった

そういうこともあってなんか苦手意識強いなあ

から使ってる人も視野狭窄が過ぎる傾向が強くて言葉尻にばかり流されて怒ってる人が多い気がするし関わりたくないか

今後もクソヘテロって呼んで叩く手合いが出てくるなら自分が導入することはないだろうしね

これだけで関わりたくないって判断するのは乱暴だとはおもうんだけどね、

今の時代になっても個人範囲であってもあまり導入されないのを「差別意識だ」って決めつけて燃え上がってるだけのオタクが多い気がするから、その時点でちょっと近付きたくないなあ…

悪口とか変な使い方されてないかとかあらかじめ調べてから使うもんだと思うからその時点でリテラシーが低い印象を受ける。

悪口として使われてるの見たら「押し付けるのはきついな」って思うもんだと思うんだよ

BLって言葉のもの悪口として使うことないのに、異性愛ヘテロ悪口として使われてるのはスルーしていいって考えてるその人としての足りてない感じが…なんか無理なんだよなあ…

BL悪口自虐として言い表す時はホモって言う人が多いだろ、もともとヘテロNLをめちゃくちゃ嫌ってる層が悪口として言い表してたからもともと男女CP好きな人からしたら印象悪いんだよな

あと使ってるのに40↑のネット慣れしてない世代か、成人してない極端に若い世代に多いんだよな…

ネットリテラシー低くて、表記以前に危ういところが多くて触りたくないな…という趣味と合わない人間性の苦手意識がある。似非フェミ傾向も強い手合いの印象だし…

からオタクとして付き合いにくい、性格視野の極端さ、他責傾向が強い人間判断するための指針として自分はへテロを使ってるか否かを判断基準にしてる

今後もジェンダー意識の高まりだかどうだかでどんどん悪口として使われていくんだろうなー

そういう人はそれから悪口押し付けてくのかなーって疑問

もちろん自責として変える人もいるのは分かるんだけと、声高に変えてくださいって主張する方は他責ぎみな印象…

使ってる当事者やそれを主食好きな人間が使いたいと思うかって一度でも考えたことあるのかな、ないんだろうなーと思う

追記

サイゼやすのは似非フェミのことを差してるよ

2022-04-06

ゾーニングって何?

またゾーニング論が活発になってきたけど、君らの言うゾーニングって何?

ゾーン境界は誰が決めるの?

現状の境界線に不満なら境界線を管理する人に訴えかけるべきなんじゃないの?

2022-03-31

anond:20220331172651

山之内すずはわざと馬鹿のふりしてるんじゃないのと言ってるけど

侮辱とそうじゃないのとの境界線が真面目にわからんやつが俺含め確かにいる

芸能人はそういうとこはしっかりしてて逆に一般人バカさ加減に寄り添えないんだろうな

2022-03-29

anond:20220328202722

「自他境界線やばい」って、極論的な仮定を置いた上で、誰しもが感じるだろうとは言っていないでしょう。

日本語読解力がやばい

ウィル・スミス賞賛する日本人と、批判する米国人の背後にあるもの

アカデミー賞オスカー俳優ウィル・スミスコメディアンの司会クリス・ロックを平手打ちし、賛否が挙がっている。

賛否境界線として、日本人米国人という大きな分水嶺がみられる。どういうことかと言うと、

日本では、「人」としてどうなのかという点でウィル・スミス賞賛され、米国では「プロフェッショナル」(社会人)としてどうなのかという点でウィル・スミス批判されている。

むろん全員ではないにせよ、マジョリティ意見がそのように違っている。では一体何が両国の人々の着眼と賛否を分けているのか。

私の仮説はこうだ。

日本では会社や公において、個性を出さないことが基本的美徳とされている。

反対に米国では、個性を主張することが基本的美徳とされている。

この前提の違いゆえに、日本ウィル・スミスの振る舞いは、「普通」は我慢するべきところ、ちゃんと人として家族である妻のために怒る振る舞いをして偉い!という評価になっている。

反対に、米国では「普通」は個人として主張するだろうが、それをプロフェッショナルであることを忘れたかのように、そのままエゴ丸出しでふるまってオスカー舞台をぶち壊してけしからん!という評価になっている。

おそらく日本人常識からすると、何か公の場で理不尽ことなどを言われても笑顔でその場を取り繕うということは、多くの人が当たり前に経験していることなのではないだろうか。

反対に米国常識からすると、主張するべきは主張する文化なので、それをオスカーという公の大舞台の場で暴力という最悪の表現で返すという<我慢できなかった>未熟な奴だという評価になってしまうのだろう。

それぞれの文化の背景にある「普通から距離感が、つまり日本では公の場において普通ではない振る舞い<あえて>した人物として賞賛され、米国では普通の振る舞いを<おさえられずに>した人物として批判されているのではないだろうか。

言い換えると、「凡庸」ではない人として日本人ウィル・スミス賞賛し、

凡庸」な人として米国人ウィル・スミス批判しているように見える。

2022-03-28

表現規制話題問題なってる表現を実際に見た人ってほとんど居ないし、「見たよ」って人の意見あっても誰も聞かないんだよね。

かなり前の本屋ラノベコーナーに境界線のホライゾンとおっぱい表紙とか、献血ルームの宇崎ちゃんポスターとか。

今だとパンチラは性暴力だの僕達は勉強ができない。

みんな、なんとなく見てきたつもりになって議論する。

見なかったら見ないでひとこと断ってから意見を言ってほしい。

僕勉のパンチラ話題だと明らかにあの作品とは関係ない表現まで含めて語られ始めてる。

anond:20220328201401

>どんな漫画でも男性が「自分意志ヒロイン風呂を覗く」描写ばかりになったら男性をなんだと思ってるんだって感じるだろう。

自他境界線やばい

はてブから

理系の人が研究室実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?二流三流大学研究とは、すでに発表されていることの単なる確認トレースではないのですか?」

という知恵袋を見た。

理系卒論というものがあるかぎり、ほとんどの場合においてどんな3流大学でも、少なくとも修士課程以降は、いや結構な頻度で学士でも、「人類科学領域境界線を親指でぐっと押したぐらいは広げてる」んです。

修士論文発表した瞬間はその論文の内容に関しては指導教官と同等以上になってるよ、僕の知ってる人はみんな。その一瞬だけは人類最前線だよ。

なので、文系には卒論がない大学もある、と聞いてびっくら仰天するわけです。ひとによっちゃあ盛大に馬鹿にするわけです。

えっ君たち大学出たのに人類の叡智とか文化とかをほんのちょっとでも大きくしなかったの????何しに大学に行ったの????って。

2022-03-15

自己評価の低い俺が生産性を高めに行ったら不健康になった

生産性が高いという言葉には何処か蠱惑的な響きがある。

人の数倍のタスクをこなせる

時間の使い方がうまい

仕事プライベートになんでそんなたくさんできるの

生産性の高さというのは私にとってはできる人間象徴でもあった。

そう思い日々のタスク見える化して取り組むことにした。

それから数ヶ月、私は毎日充実しているだろうか。

そんなことはない

周囲には当たり散らし、仕事品質は下がり、朝になると泣くようになった。

まりストレスで脳が焼け切れそうになっている。

このまま行くと多分なにか悪いことが起こる。

KAIZENだ、世界に燦然と輝くTOYOTAウェイ、ウェーイとかふざけてる場合ではない。

そこで今の生活を見直す。

見える化されたタスクさらに整然と組み立てられ、更に流れはスムーズになった。

この見える化されたタスクリストをこなすの絶対に60分でありせいぜい数分の誤差に収まるようになった。

全ては予定通り、ここまで出来てるんだから生活はきっと充実

しなかった

改めてタスクを見直すと一つ気づいたことがある。

自分時間が0だということに。

ここで言う自分時間というのは、今から例えば一時間自分独断で何をするか決めていいし決定に影響を与える外部要因も存在しない、そんな時間だ。

世の中にいるワンオペマザーたちが私達がどれだけ辛い思いしてるか少しは思い知ったかよと同じ地獄新メンバーが到達したことコールタールよりも粘ついた怨嗟オーラで出迎える幻影が見えてくる。

生産性を高めるというのは、ある意味自分蔑ろにする行為だ。

生産性を高めれば高めただけ、浪費が減る。生産しかしなくなる。

何もせずにボケっとする時間もなくなり、ブラブラと出歩いては路傍に打ち捨てられた謎の軍手の持ち主に思いを馳せることもなくなる。

近所のいたずら猫を追いかけ回すこともなくなり飲み屋でよくわからん泥酔したおっさんと全く中身のない人生談義をすることもなくなる。

酒も飲まない、ギャンブルもしない、遊びにも行かない、誘われても断る、自分生産性を下げる行為排除していった私は机の前から動けなくなった。

時間の浪費は罪でありなくさなくてはならない、これが生産性を高めていくということだ。

そう言ってどこかのキャバクラでおいたして黒服に取り囲まれたことも武勇伝にしてしまう、そんな楽しく毎日を過ごすおっさんたちを見下しながら生きていた。

だが今なら思うが結婚もせずに一人でダラダラと時間を浪費しながら生きることがもしかすると人として正解に近いのではないか、と。

生産性が常に100でなくてはならないなどということはなく、0と100の間を常にフラフラとしていて、たまに得られる80以上は自分を褒め、過半数を超えてスコアリングされる20以下はそんなこともあったっけなと翌日にはケロッと忘れる、そんな人生がいいのではないかと。

そうなるには自己肯定感必要だ。

自分世界に確固たる境界線必要だ。

どうやら俺にはそれらがないようだ。

そして今日自分蔑ろにする行為生産性の向上と称してやるのだろう。

増田に書くという時間の浪費に罪悪感を持ちながら。

2022-03-14

NL表記をへテロに変えるのがフェミ暴走に繋がってそう

フェミNL表記撤廃を進めてヘテロ表記しながら現実の過剰なヘテロ批判も進めてるけど、これってオタクもしてるフェミ認知を歪めて暴徒化する原因になってないか?

このエントリー結論

現実創作を一緒の用語で表した結果、

現実ジェンダー問題創作に対して

批判していいとのバグ認知を起こしてしまっているのが過激派ツイフェミではないか

ツイフェミの行動を界隈で止めるには創作区別するために当事者の使わない表記に変えた方がいいのでは」

からそういう内容に同意できない人は読まない方がいい

前提として、異性愛規範がよくないって言葉で、男女カプのモヤモヤを強く感じるBL愛好家への訴求力高すぎるのは理解できるそ

広めたい層がいるのは分かるが、この表記使ってるオタクがだいたい創作物と現実の折り合いがつかなくなっててなんにでも怒るツイフェミ予備軍みたいになってる

キリスト教で、共同体で気に入らない人を聖書悪者である悪魔とか魔女って呼んで処刑してたけど、あれと同じことが起きてる

多くの過激派ツイフェミの傾向として、現実異性愛創作異性愛を同じ名前で呼ぶことがフェミニズムに同意しているオタク意思表示と考えているが、これはよくないと思う。

過激派ツイフェミは、同じ名前で呼ぶことで、「聖書悪魔にあてはまる存在だ→みんなも悪魔だと呼んでいる→なら叩くのは正義だ」と飛躍した考えになるのと同じ状態になっている。

この異常な状態は、現実人間魔女と呼んで処刑したのと逆に、創作現実を同じ名前で呼ぶことで起きてしまっている。

また、語感もヘドロに似ていて不快感を与えるのに拍車をかけている。

そういった音の不快感はばかにできない。

無意識でヘドロのような汚ならしいものという認識を使うごとに刷り込んでいっていく。

話を戻そう。

前提として、創作個人自由で、そこに籠められた思いに勝手意図を汲み取って気持ち悪いって否定することはハラスメントに該当する。

女性服装で男を誘っていると決めつけるのはだめだ。

これは女性相手からでなく、個人思想をよく知らずに否定したり批判するような言葉を投げ掛けてはいけないというマナーの分野だ。侮辱にあたる。

創作物もそこに籠められたものは本人の領域で、勝手意図を決めて侮辱するのはたとえ合っていたとしても文句をつけることは傷付ける。

それは人間関係の基礎も基礎だ

創作にある程度向き合った経験がある人間は肌で分かるだろうが、創作の中の思想モヤモヤするのは自由でも、本人に直接ぶつけるのは最悪のハラスメントで許されないことだ…というのは分かっているはず。

その認識があるはずなのに、同じ名前で呼ぶことで、「聖書悪魔にあてはまる存在だ→みんなも悪魔だと呼んでいる→なら叩くのは正義だ」と飛躍した考えになるのと同じ状態になっているみたいだ。

これもみんなが批判するへテロだ、

みんなへテロのせいだと言っている。

ヘテロ規範自分達の生活を苦しくしている。

からヘテロを叩こう

そういう思考に陥ってしまっている人が少なくないように見える。

本来備えていたはずの良心が働かなくなってしまっている。

同じ名前で呼ぶことが、創作異性愛も叩いていいものなんだと誤認する状況を誘発して加害に走らせている。

同性愛者への善意で広めたものが、ツイフェミ自身の加害を強化してしまっていて、攻撃性を誘発するものになっている。

完全に引くべき境界線曖昧になってしまってて、他人に対してもヘテロ規範に当てはまれば口出しするようになってて、カテゴリー分けの機能がぐちゃぐちゃになってる

配慮がツイフェミのものイメージダウンを誘発している根本的な原因を作り出してしまっているんじゃないか

現実でこの考えは批判していいんだとされる考えを、創作現場に持ち込み、本来なら創作の中なら自由なのに現実と同じく叩いていいんだと思ってしまっている

ぶっちゃけ、これは異性愛者だけでなくて同性愛者へのイメージダウンにも繋がってて、過激なツイフェミBL好きなののにそれに対して何も言わないのも相まって、創作BLが好きなのと、創作物を傷付けてくるヘイトを誘発している側面があると思う。

現実創作を同じ土俵に持ってきたことにより、創作物を叩かれるヘイトがツイフェミ層だけでなくLGBTにも向いている空気がある。

なんとなくツイフェミ批判と一緒に同性愛者にヘイトが向いているのを感じ取っている人もいるんじゃないか

それならもう分けた方がいいと思う。

活動家の中に別の問題として扱えず暴走する層が現れて、守るべきはずの対象イメージダウンになっているのなら。

ただツイフェミLGBT配慮BLを愛好する免罪符として使っている側面があるので、変えるのは難しいかもしれないが、ツイフェミが誤認しないよう「ヘテロ」以外の表現で表しておくのが大切だと思う。

それと、ヘテロ表記異性愛当事者であるBLを愛好するツイフェミ自身の抱えるものに向けさせられてしまって、自分自身セクシャリティ否定するようになっている人間も出ている。

正直、これってBLフィクションとして消費する異性愛者の層を攻撃するために、誰かが仕組んだ呪いっぽくないか?

こんなのもともと異性愛者に嫌悪を持つことも少なくないBL好きにてきめんに決まってるじゃないか

誰か仕組んでるっぽいやつがいるんじゃってツイフェミも思ったんじゃないか

それとも使っているツイフェミは、自分呪いたくてやっているのか?そうして自分を罰して呪わないと救われないと思って、周囲を誘い込んでいるようにしか見えない

自分エントリを読んでなにか思うところがあるかもしれないけど、でもこれで「しらねー」と思った人は、「男女の恋愛を好む人間やその創作か暴徒に焼かれても別にいいです。勝手しろ」ってことだからそれでも別にいいと思う。

これを読んだ人が「確かに男女の恋愛創作必要以上に攻撃されるのは問題だな」と思ってくれればそれでいい

自分は分離ができてないことを言語化したいと思って書いたか

あと「現実妄想区別がつなかくなっているフェミニストが持論で焼かれてるのを仲間内で見殺しにして追い詰めるシステム」について改善して、ちゃんと救われてほしい。

フェミニズムを自分を救うために支持してるのに、自分が追い詰められるなんて本末転倒だ。

女性としての自分を救うために信じてる思想みたいなのに、それが弱者女性である自分自身を追い詰めてるのなら、しんどいしやめてもいいんじゃないかと思う。

自分自身を救わないものなら支持しなくていいと思う。

そもそもフェミニズムって強要するものじゃないし

自分名前自体を変えないとこの暴動は収まらないと思うけど、LGBT配慮が大切だから譲りたくないのもわかる。

でも仲間内で起きてることを止める手だてがないんたったら、ちょっと検討してみた方がいいと思う。

説得する手段なにもなさそうだし。

でも攻撃しまくってる仲間が怒って身を滅ぼして常に傷付いている事実より、LGBT守るの優先って疲れないか?

そこまでするのは正直外野から見ると重い。

当事者で気がか晴れる人は少なくないことも想像できるけど

自己犠牲に酔うのは公開するからやめたほうがいい。

守るべきでもいくらなんでもそれ守るために焼かれすぎだし、フェミニスト自身も傷つきすぎてる。

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