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2021-05-04

anond:20200504195332

中学の時かなと思う。

日本音楽コンクール作曲部門投函する人に、大学院に在学中ですとか、シエナフランコドナトーニのマスタークラスにいますとか、パリ音楽院でジェラール・グリゼイについてますとか、そういうのを聞いたのが中学の時だよ。

小学校の時は、名前を聞いたが、何をするところなのかイメージできてないくらいかな。中学で間違いないと思う。


昔話で申し訳ないが、まだ大学院に行かないと何もわからないとか、そういうのは全くなかった。京大放任主義で「大学入学したら勝手あなたたちで勉強してください」時代で、早いやつは大学1年で将来の設計ができるのがいた。

1980年代常識だと、大学1-2年で没した数学者遺産はくみ取ってしまい、大学3-4年で存命の数学者アタック大学院1-2年で自分の同世代タイマン争いするってのが定番だったような気がするし、1950年代まれ教授もそうしているのが多い。

音楽も実は一緒で、大学1-2年で死んだ音楽家は全部覚えてしまい、大学3-4年で存命の作曲家を研究するのが定番だった。ちょうどメシアンケージ、アイネムやユンがなくなってしまい、そのあたりを大学2年までに知らないとダメで、大学3年以降は存命の作曲家、当時はラッヘンマン、ファーニホウ、ディトリッヒ、グロカール、シャッリーノ、サーリアホ、ディロンが攻略対象で、バーレットは日本人では誰も攻略できなかったんじゃないかな。


今日本人は退化してしまって、大学院の1年だとジェルヴァゾーニってとこらしい。こんなぼっちゃまおじょうちゃまレヴェルでは困るんだよねえ。大学院修士1年だと、クライドラーかステン=アナーセンでお願いしますよ。ほんとはサンダースかエカルまでやってほしいんだけど。ここら辺は博士の1年になってしまう。

2021-05-02

コロナ対応改憲必要」57%、一理あるかもしれない

コロナ対応改憲必要」57% 共同通信世論調査

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee

共同通信社は30日、憲法記念日5月3日を前に憲法に関する郵送方式世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。

ちょっと長めになってしまったので、はじめに要約すると、

改憲なくとも法を生かせば緊急時行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去公害の教訓を思い起こしてみると立法行政不作為が目立つ。

憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法指導する上位の規律必要で、「今まさに緊急時シフトチェンジしろ

行政立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法役割なのかもしれない。

という趣旨


+++++++

改憲の是非でいえば、基本的スタンスはノーだ。

内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から

これ以上の内閣官房の強化などナンセンスだと思うし、

現行の制度運用できないのか?と言われれば、

公害立法歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法余地もある。

実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。

そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在感染症コントロール問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。

から問題はできることをしない、立法不作為行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。

しかし。

それこそ公害の教訓を振り返れば、という話なのだが、

改憲世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。

もちろん、行政立法性善説に立てば。。という留保はつくが。

というのも、水俣病を例にとって、公害被害を振り返ってみると。

なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。

チッソ工場への排水をやめさせる権限のある水質二法の適用

漁業法による禁止措置漁民への補償食品安全法による有機水銀汚染された可能性のある魚類販売禁止

すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。

こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年

国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限行使しなかった、というのが結論

これは初期の対応が間違っていたことを指摘したものだ。

1970年代公害社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として

そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。

法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政責任が厳しく断罪されたわけだ。

ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず

なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題

それは経済を優先した政治意思決定メカニズムだ。

そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、

シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか

かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、

通勤している乗客枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について

日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、

惰性で日常論理で動こうとする「慣性イナーシャ)」が働いているといったが、

ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。

この問題解決されない限り、改憲による緊急事態条項検討など、全く意味をなさない。

日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。


いや、だけど一方で、

緊急事態条項のようなシフトチェンジトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。

どっちなのだろう。

そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長インタビュー記事を目にしたからだ。

尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン

――東京都墨田区長野県松本医療圏など、基幹病院支援に回る地域病院医師連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師民間病院に強い指示が出せないものか。

尾身 医師病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本厚労省というのは公立民間などさまざまなステークホルダー意向尊重する必要があって、上から目線はいわない。平時はそれも大切ですが、危機局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります

――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?

尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います



平時から非常時へのシフトチェンジ

これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応問題もつながっているように思えた。

それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存立法行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。

改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。

しかし、憲法踏み込むのではなく、

危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつ方法。非常時のガバナンス体制を整備する。

米国FEMAアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDCアメリカ疾病予防管理センター)のように。

現在のように、菅、西村田村河野小池、、、、、みたいに

船頭多くして船、山に登る、という問題への処方箋となろう。

そうすれば、現在河野太郎のような感染症素人新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。

彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、

ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民心配に答えるのは基礎自治体役割だ。

大臣仕事じゃない。本当の危機管理はそういうことではない。

危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、

集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチン効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。

目的ロードマップ国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定ベースとなったリーダーシップ重要だ。

今は「高齢者の接種」そればっか。もっと全体の話をすべき。

ガバナンスの基本は、法、規則基準科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。

これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して

能力評価している。

説明責任財政リソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。

テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。

いずれにしても、緊急時ガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。

現在菅政権は、こうしたガバナンスの観点から落第点であり、

首相が何を考えているかからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。

急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。


国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップ注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップ問題錯覚してしまうが

本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンス問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて

どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。

国民にとって予測可能でなければ、国民自身計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。

水木しげる漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウル本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップ象徴する話だと思う。)

しかし、一方、リーダーシップ問題は残る。

緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガー必要なのではないか

憲法、というのも、民主的意思決定の根源として、

そこに非常時へのシフトチェンジ記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。

もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさん首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、

それが立法危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダー聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。

日本政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。

そんなことをインタビューの印象として持った。

2021-04-11

Amazon primeのThemってシリーズ見てるんだけどさ

1950年代苛烈黒人差別時代舞台なんだけど主人公夫妻は命の危険を感じるほどの差別を受けてるんだけど子供を3人設けるわけ

すごくない?

こんな状況で、次の犠牲者になって悲惨人生が用意されてる子供をよく世の中に送り出せるよな。なんかそこがすごい気になってしまった

追記

避妊中絶ダメ、わかる、でも自分なら自分の代で血を絶やして死ぬ パートナーも作らない

自分の血を引いた子供悲惨な目に遭うのが確定してるなんてかわいそうじゃん

2021-04-03

歴史家葛藤する

呉座勇一「炎上事件で考える、歴史家歴史修正主義者になってしまうということ | ハーバービジネスオンライン

https://hbol.jp/241894 @hboljpより

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/241894

そもそもの発端が網野善彦先生であったというのに、網野氏が最も嫌悪した「党派性」でしか発想できない貧相なコメントが多いのは、憂うべき事態だわ。

網野氏がまず嫌悪したのはスターリンの「民族」観の転向により始まった1950年代の「国民歴史学運動」で、運動内では、民族近代発明としていた歴史家たちは「近代主義者」として「査問」され「自己批判」を迫られた。

(まあ、査問された中には、元々のスターリン公式に沿っていただけの人もいたかも知れないが)

国民歴史学運動は、信じられないことに、1955年権力闘争による日本共産党方針転換、俗に言う六全協で終わりを告げる。

内部に葛藤を抱えない人間は、今でもこうした運動に乗せられてしまう。

北守氏の記事が深まらないのは、「歴史は誰のためのものか」という、網野氏もまた生涯をかけて葛藤し向き合った歴史学の問いに、「歴史修正主義者」というレッテルや、「つくる会親和的かどうか」という軸だけで答えてしまう点だ。

国民物語」は別に、悪しきナショナリズムのためだけに求められるわけではない。

最低限のナショナリズムがなければ、「日本の歴史」を我が事として捉えることも不可能になってしまう。

なぜ戦後間もない時期に、それが盛り上がったのか考えてみたことはあるのだろうか。

その意味で求められる「国民物語」に接近するだけで、「歴史修正主義者」のレッテルを貼るのは、およそアカデミシャンのする事ではない。

その葛藤理解しないのは、運動家の振る舞いだ。

網野氏だけでない、呉座氏も亀田氏も、そして今回は被害者である北村氏も、その「国民物語」に対する葛藤理解して発言していた。

北村氏は網野氏について「ロマンティックがとまらない」としていたが、このロマンこそ国民物語に対する距離感だ。

網野氏はそれこそ「実証的でない」という評価を受けることの多い歴史家ではあるが、北村氏をしてなお「その愛と情熱ロマンティックが分からないのも問題だ」としている。

くその通りだ。

北守氏の限界は、つくる会ラムザイヤーを「悪」運動とし、その運動を無力化するためだけに論を張ってしまう所にある。

そんなやり方では、1950年代と同じ轍を踏むだけである

追記

b:id:yas-mal

分かっていての揚げ足取りだろうし、こんな説明をするだけ野暮だけど、

いわゆる「歴史修正主義者」は大問題ですよ。実証性に欠けることが多いからね。

でも呉座氏も亀田氏も「歴史修正主義者」じゃないんですよ。

北守氏は、

・いわゆる典型的歴史修正主義者と「国民物語」という問題意識を共有した、あるいは関わりを持った

フェミニズム懐疑的である

だけの歴史家について、「歴史修正主義者だ!」と一段跳びに断定してる。

⑵また慰安婦問題については、呉座氏の「いいね」だけでその見解の全てを判断できると思ってる。

それらは「党派性」に縛られた振る舞いですよ、と言ってるの。OK

2021-03-27

anond:20210327100148

30XX年。この時代にもう地上に AI存在しない。


1950年代に考案された最初AIであるニューラルネットワークは、1990年代には実用化した。

2000年代に多層ニューラルネット欠点を補完する深層学習誕生すると、

これも実用化が進み、その研究2040年代には終息した。

やがて民生用量子コンピュータが普及し始めると、AI の量子演算研究は当時のホットトピックとなった。

だが、高度に複雑化した量子化AI理論理解できる学者世界に数人しかおらず、論文査読に8年もかかったという。

その実用化にはさらに多くの年月を費やしたが、身の回りのあらゆる電子機器に搭載されるようになった。


量子化AI の導き出す結論は常に最善・最適なもので、人々は機器に言われるままに行動するようになった。

その方がいつも快適だし、無駄思考コストも要らないので当然のことである

電子機器の指示に従って暮らす人にとって、 AI は神であり、その言葉はご神託となった。

その昔、SF作家アーサー・C・クラークは、

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」

と言ったが、

「十分に発達した AI は、神と見分けがつかない。」

という世界が具現化したのだった。


考えてもみてほしい。

ものごころつく前から機器の指示に従うことが善とされ、それに逆らった人間には事故病気という罰が与えられる。

祖父母も両親も私もそうやって暮らしてきたし、将来産まれてくる子や孫もそうするだろう。



今、私に与えられている指示は「ロウドウ」だ。

畑を耕し、野菜を育てる。

自分で食べるもの自分で育てる。

当たり前のことだが、これは案外楽しいものだ。


私の担当トマトで、午前の担当区画では種まき、午後は別の区画で収穫をする。

水まきは週に1回なので今日は無い。

住人全員が食べる分のトマトを運ぶのはかなりの 運動 になる。

牧畜担当に憧れが無いわけでもないが、友人曰くミルクの運搬がかなりキツいらしい。


夕方には、その日食べられる食材を持ち寄って集計し、グループ単位調理して食べる。

食事は1日2回。朝はパンミルクだけの軽食なので、夕食が一番楽しい時間になる。

友人ともいっぱいおしゃべりできる貴重な時間






食後の片づけを終えたら、睡眠室に戻り、私は「メイソウ」をする。

正直に言うと、この2時間に具体的に何をすればいいのかよく分からない。

お母さんは、何でもいいか自分一人で考えることが大事というし、

お父さんは、妄想でもしとけばいいという。


おばあちゃんが生きてた頃に相談したら、

昔の人の暮らし想像するのだと言って、なぜか神話を語ってくれた。


人々は遠い昔、「チキュウ」という天界暮らしいたこと。

人々は神様のことが良く理解できず、勝手に悪い神様を創り出してしまたこと。

悪い神様のせいで「チキュウ」が壊れてしまい、

それを見かねた良い神様が「フネ」という新しい世界創造したこと

その「フネはいくつもあって、この「フネ」に宿る神様名前は…

ジー・・・

なんだっけ。一度はちゃんと聞いたんだけど、今はもう思い出せない。



ピピピピッ。

腕にはめられたリングが光り、「メイソウ 〇」の緑の文字が浮かび上がった。

すぐに「スイミン」の指示を示す青い文字へと変わった。

どうやら、今日の「メイソウ」も無事終えられたようだ。

昼間、体をたっぷり動かしたせいで、今夜もぐっすり眠れるだろう。

私は、どうしても思い出せない神の名を妄想しつつ、静かに眠りについた..。

.

2021-03-20

anond:20210320174558

今でもいるのか。

1990年代問題になっていた。

年齢を逆算すると、1950年代まれ男性の嗜好についての話。

2021-02-10

ブータンの「世界一幸せな国」はどこから

1950年代鎖国政策解除した3代国王国民のゴールは発展と幸福

1970年代に4代国王国民幸福量のGNH提唱別に経済発展否定してない

1980年代欧米人チベット信仰などからネパールチベットブータンヒマラヤ文化圏を「地球で一番幸せな国」とか言ってた。ブータン自国文化を守る政策ネパール人の反対押し切って始めた

1990年代日本語でもブータンは「世界一幸せな国」とか言ってた(TBS世界ふしぎ発見!』第449回 「神々と踊れ・世界で一番幸福な国ブータン」 (1995/05/20))

1999年、「ブータン2020平和繁栄幸福ビジョン」を発表して「一番金持ちな国が一番幸せな国じゃない」と宣言し注目浴びる

2005年、ブータン国勢調査国民の97%が幸福だと答えたという結果が出て、日本で「ブータン世界一幸せな国」の根拠とよく引用されるようになる。(調査は「幸せですか?」と質問し「とても幸せ」「幸せ」「あまり幸せじゃない」の3択から回答を選ぶもの

https://web.archive.org/web/20201114000527/http://www.nsb.gov.bt/publication/files/pub6ri44cs.pdf

2011年、国王夫妻来日して「世界一幸せな国」としてブータンフィーバー国連演説GNH国際社会の開発目標にするよう掲げ話題

2012年から国連GNHに基づく各国の幸福調査が始まる

2016年からランク付けされブータンは80位代から90位代に固定

2017年、ブータン国勢調査の結果が発表されたが幸せに関する調査はされていなかったhttp://www.thimphu.gov.bt/counter/direct_download/530

2021-02-02

anond:20210202084213

中国人が笑われてるのは、先行者じゃなくてこの動画の40秒目みたいな行為だよ

https://www.youtube.com/watch?v=r-BTCw3YkDU

神聖奈良の鹿に、無理やりおじぎさせて吐き出した食べ物を食べさせてる(日本へのあてつけもあるだろうけど)

こういう動物みたいな民度明日から直せといっても無理だし、直そうとしない

しろ世界中泥棒になれ、動物になれ」みたいなスタンスでいる

から世界中から嫌われているんだよ

人間であることをやめるように、あるいは、文明を捨てて100年前の土人に戻れと言われてるようなものから

よく考えたら中国も、ここ20年の発展だもの

日本でいえば1950年代民度(よくジャパニーズモンキー揶揄された)のままで、「世界征服する!」とイキっているようなもの

無理もないことだし、中国人民が悪いわけではない

ただ急ぎすぎているってことだと思う

指導部が歴史に名を残したいから焦っているのかも

から民度が低い国(100年前の価値観を続けている国)からは好かれるのかもしれないね 泥棒同士・動物同士

イコール人権がない国なんだけどね

から少数民族奴隷にして不妊手術させたり、臓器を抜いて売り払うなんてことができてしま

https://www.mangaz.com/book/detail/181131

2020-12-23

anond:20201223113032

セントラル・リーグ - Wikipedia

1950年代ロビンス/ホエールズ

1954年から1959年まで6年連続最下位

秋山登

1956年入団。その年に25勝で新人賞を受賞。

以降、1964年まで二桁勝利を続ける活躍通算193勝。

ホエールズ一筋で1967年引退

1960年代スワローズ/アトムズ

1960年から1971年までの12年間で最下位6回。

金田正一

わずとしれた400勝投手スワローズ通算では353勝。

1951年から1964年まで絶対的エースとして君臨した。

佐藤

1964年から1967年まで4年連続二桁勝利スワローズ通算48勝。

石戸四六

1966年から1969年まで4年連続二桁勝利スワローズ一筋で通算70勝。

1970年代前半のカープ

V9を謳歌する巨人とは対照的に、1967年から1974年までの8年間で5回の最下位

外木場義郎

1965年広島カープ入団して、プロ勝利ノーヒットノーラン

1968年に21勝を挙げてエースとなると、1976年まで8回の二桁勝利を挙げる。

カープ一筋で通算131勝。キャリアで3回のノーヒットノーランを達成した。

安仁屋宗八

1968年23勝を挙げると3年連続で二桁勝利

木場とのダブルエースとしてカープ通算90勝。

1980年代スワローズ

1979年から1986年までの8年間で5回の最下位

尾花髙夫

1982年12勝を挙げると、そこから6回の二桁勝利を挙げた。スワローズ一筋で通算112勝。

梶間健一

尾花と並ぶエースとして5回の二桁勝利スワローズ一筋で通算85勝。

1990年代タイガース

1987年から2001年まで15年で10回の最下位

マット・キーオ

87年から3年連続二桁勝利。実働4年でNPB通算45勝。

湯舟敏郎

92・93・97年に二桁勝利タイガース通算59勝。

藪恵壹

1996年から3年連続二桁勝利タイガース通算84勝。

川尻哲郎

3度の二桁勝利タイガース通算56勝。

2000年代ベイスターズ

2002年から2015年までの14年間で10度の最下位

三浦大輔

1997年10勝して以降、ベイスターズ一筋で7度の二桁勝利通算184勝。

2010年代スワローズ

2013年から8年間で5度の最下位

石川雅規

2002年新人王を獲得して以降、通算11回の二桁勝利

スワローズ通算173勝で現役。

小川泰弘

2013年入団して16勝を挙げ、最多勝新人王を獲得。

スワローズ通算75勝で現役。

疲れたからパ・リーグは任せるわ。

2020-12-19

択捉島日本領とは何をどう考えても思えない。個人的まとめ。

領有権主張派は、択捉島日本固有の領土と言うけれど。。

サンフランシスコ平和条約で、日本千島列島領有権放棄したじゃないか

そしてこれに対する屁理屈的な反論を今まで腐るほど見てきたので、その反論否定しつつ列挙してみる。

 

①「サンフランシスコ平和条約ソ連/ロシアは調印していない!」

譲渡”する条約であればまだしも、実際は”放棄”だ。

日本日本領土勝手放棄するという条約に、なぜソ連の調印が必要なのか。

日本は何をするにもソ連許可必要なのだろうか。

馬鹿馬鹿しい。

 

②「択捉島放棄した”千島列島”に含まれない!」

そんな取り決めは条約締結時にされていない。

日本戦前に”千島国”という行政地方区分を持ち、そこに択捉島が含まれていたではないか

1950年代外務省条約局長も、択捉島千島列島に含まれることを認めていたではないか

まれると考えるのが全く自然である

まれないというのは日本の身勝手な後付けだ。

 

③「アメリカ日本領だと認めている!」

アメリカ日本と同様の主張をしているから何なのか。アメリカは全知全能なのか。

ソ連/ロシア対立するアメリカ同盟日本に有利な主張をするのは自然であり、このことは正しさとは無関係だ。

 

④「元島民の気持ちを考えろ!」

考えても悲しくなるだけで、日本であるという根拠は全く思いつかない。

 

 

教科書で「日本固有の領土」と書かれてたけど、根拠、なに?

2020-12-11

anond:20201211170114

北海道イオンもない街から東京までやってくる、全く同質の苦学生がいないから居場所をいきなりなくす、就職先とお金はあっても相手がいない。これが少子化公立叩きの決定的な要因なんだよ。北海道ではなくても、ちょっとましな10万越えの地方都市でも全部一緒。全世界でこれみたいなことを同時に行っているんだから日本公立叩きを脱することは絶対にない。30年後は修士課程でも動物園だが、100年後は博士課程でも動物園なんだろう。

公立中が荒れるのは、2010年代1990年代1970年代1950年代、全部一緒なので、おそらくは2030年代でも一緒だよ。日本人の知能はそこまでだ。黄色人種が、1000年前から、そういう動物なのかもしれない。だからアメリカソ連からサル扱いされる。

人口が増えている新興国がある。どの国かは伏せるが、あれはおそらく首都田舎とで情報格差なんて、ほとんどついてないんだろうと思うんだよ。ついてないのですぐ仲間になれるし、仲間とともにはぐくもうという時代でもある。そういうの日本にはないし。韓国中国にもなくなっている。中国出生率も、所によっては0.65ってのがあった。

2020-12-10

anond:20201210114651

反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: Anti-intellectualism)とは、知的権威エリート主義に対して懐疑的立場をとる主義思想[1][2]。言葉自体は、1950年代アメリカ合衆国で登場したとされ[3]、その後リチャード・ホフスタッターが1963年に『アメリカ反知性主義英語版)』で示したものが知られる[4]。

一般には「データエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情基準物事判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的観点を含む[4][5]。また、その言葉イメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブ言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている[4]。むしろ知的権威エリート側の問題を考えるために、反知性主義立脚した視点重要だとも説く[6][4]。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義原動力にあり[2]、反知性主義否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」、すなわち「反・知性」の主義思想ではなく、「反・知性主義」の主義思想なのである[7]。

2020-12-01

anond:20201201061833

アラフィフ増田です。

自分記憶を振り返る限り、幼児のころそんなにピンクは人気色じゃなかったわ。1970年代前半までは女児の好きな色は赤だった。元増田の指摘どおり古い女児向けアニメ主人公カラーは赤。キティちゃんリボンは赤。70年代アイドル画像を見ても、衣装は赤か白などの原色が多い。

当時の技術問題もあって、印刷映像パステルトーンを綺麗に出すのは難しかったんじゃないかな。雑誌マンガには黒赤2色ページも多かったし。

そりゃ桜の花は綺麗だしピンクを愛でる感性自然にあったとは思うけども、色としてピンクが好きって子はレアだったと思う。たいがいの子どもがそんなに色数の解像度を持ってなかったんじゃないかな。赤青黄黒白、かろうじて緑とオレンジと紫みたいな感じ。

ちなみに、ファッション世界では1950年代アイゼンハワー大統領ファーストレディピンクが好きでそこからピンク女性向けの色というのが浸透したって言われてるけれど、女児向けの服としてピンクはそれほど売られていなかったと記憶してる。子どもの頃の写真見ても、赤ちゃんのころはパステルカラーを着てるが幼児期以降はみんな原色が多い。パステルカラーは汚れが目立つもんな。当時は未舗装の道や未造成空き地も多くて、学校帰りは男子女子も泥だらけで外遊びしてたし、親としてはピンクの服なんか着せたくないよね。

モモレンジャーピンクあてたのは、赤がヒーローカラーで使えないからだと思う)

おそらく、一番最初女児向けアイテムパステルカラー出したのは記憶にある限りはサンリオリトルツインスターズ(いわゆるキキララ)じゃないかな。

そこから原色キャラが好かれなくなってパステルカラー人気が始まったと認識してる。その時代からキティラー」が出てくるまキティちゃんはむしろ古臭くてダサいと思われてた。

追記

1950年代ピンク流行るまで、欧米では伝統的には聖母マリア純潔を示すブルー女児の色だった。ヨーロッパの名画を見てもあまりピンクドレスを着た絵はないと思う。令嬢の服は白かブルー黄色が多い。

あと、赤がヒーローカラーってのは歌舞伎もそうだし、日本の伝統だと思う。生命力みなぎって強いのは赤。

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-11-24

リーゼント」は後頭部のみを指すのか?

一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。

この「リーゼント」というのは和製英語である

英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。

そのため三つの解釈流通している。

  1. リーゼント」とは「ポンパドール」のことである
  2. リーゼント」とは「ポンパドールとダックテイル」の組み合わせのことである
  3. リーゼント」とは「ダックテイル」のことである

特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。

事実は奈辺にあるのだろうか。

疑問を持った我々はインターネット大海に漕ぎ出した。

まず「リーゼント」は戦前から存在したようである

以下のブログ引用されている1964年新聞記事には、理容師増田英吉によるリーゼント誕生秘話が書かれている。

http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent

むかし、リーゼントスタイルというのがあった。戦後一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。

(中略)

ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼントスタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。

リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。

https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/

1920年代後半、東京近代的な銀座の街には、スタイリッシュ若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツスタイリッシュスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装和装ミックスしたスタイルで、髪の毛をポマードで後ろに流した「オールバック」と呼ばれる髪型をしていました。モボは髪の毛をポマードで後ろに流し、「オールバック」と呼ばれる髪型をしていました。

1933年東京現代床屋は、現代紳士のための次のスタイルを探していました。銀座の新進気鋭の美容師が、サイドを後頭部に向かって後ろに滑らせてから伝統的な高島田花嫁のように前髪を上に押し上げるスタイルを考え出しました。刺激的な外国名前を探していた理容師は、これを "リーゼント "と呼んでいました。

これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。

ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。

ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。

一方、Google Booksで検索すると「ポールグラウス」という人物が浮かび上がってくる。

三省堂アメリカンカルチャー』より

1934 (昭和7 )年ごろ、日本リーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真掲載された。これをもってリーゼント流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポールグラウスなる人物技術解説を試みた。

グラウス1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼントスタイル」を発表しているらしい。

まり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。

命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼントストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。

このグラウスリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。

「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。

さらに言うと、ダックテイルが発明されたのは1940年アメリカだというので、むしろ誕生リーゼントのほうが先である

まあ、元となったオールバック自体シンプル髪型から、当時似たようなアイディアは多かったのだろう。

たとえば1930年代代表する名優クラーク・ゲーブル髪型も「リーゼント」の説明合致するように見える。

いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。

当時、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一灰田勝彦岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである

https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y

https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9

ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。

さて、リーゼントポマードを大量に使うので戦時中日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。

いわゆる「アプレ族」である

https://danshi-senka.com/archives/191

リーゼントヘアで頭を固め、サングラスアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミフランス語アプレゲール(戦後という意味からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカ兵隊たちのカジュアル服装で、つまり戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。

リーゼントアロハシャツ岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである

どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。

さら1950年代に入って大きな変化が起きる。

イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリージェームズ・ディーンと言ったように、欧米流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイル日本に輸入されてきたのである

ちなみに欧米でも、戦争ポマードが統制され短髪が奨励される→髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。

特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年デビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。

このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。

まとめてみよう。

以上からすると、「リーゼントとはダックテイルのことである」とは言えないように思う。

少なくとも「ダックテイル」のみをリーゼントと呼んでいた時期はなかったのではないだろうか。

カーニバルギリギリビキニ、その歴史

ギリギリビキニとの出会い

思春期である普通プールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに教科書参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。

だいたい、カーニバル衣装ビキニパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャ踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。

カーニバルとは何か?

カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭り起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター復活祭に当たる。

リオデジャネイロではこの祭りは3週間続く。

サンバとは何か? (何気ないマンボサンバ師匠をきずつけた)

ウィキペディアによれば、黒人白人音楽の混交からまれ音楽ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。

音楽としてのサンバダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部港町バイーア(現:サルバドール)で生まれ音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人生活人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。

ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興であるポルトガル文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバ進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジル文化的なアイデンティティとなっている。

現在サンバショーでは現代欧米ダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバ基本的即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。

なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいかキューバマンボ混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。

衣装の変遷

Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像リンク切れ

The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events

カーニバル仮装イタリアにその起源を持ち、その伝統ポルトガルにまで広まった。それが植民地ブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。

1930年まではブラジル社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装仮面を見せびらかして歩いていた。仮面動物悪魔の形をかたどったものや、イタリア起源もつ道化の顔もあった。

1930年以降、庶民カーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月ブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルパレード1932年に端を発する。

そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性上半身裸、女性ビキニ姿になっていたことが確認される。水着ビキニ1946年誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命である

1970年代になるとサンバスクール組織化され、現代のように洗練され始める。この産業衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバー極彩色衣装露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバスクールエスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏衣装スタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。

また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバ披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバスクールパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロサンボードロモの場合中央パレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコスカーニバルブロックもまた作られた。

現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国タブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。

今のところ、全裸は許容されていない。とはいえルールを守らない人もおり、そのせいでサンバスクールが時折資格剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。

本当にこれでいいのか? テカテカビキニと7歳の少女

英国のインデペンデント紙には次のような記事がある。

Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent

ここで記者は、カーニバルビキニ女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまりパレード疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバ女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニ女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。

自分は、よその文化から評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性芸能界活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージ社会全体に広がることで、あなたあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。

過度に性的空気は似たようなイベントニューオーリンズマルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。

Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター

https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]

あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子ども権利保護する団体が、彼女性的搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールビキニ大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供身体有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生ビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。

ちょっと前まで子どもすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分身体性的だと意識せざるを得ないし、子ども自分身体を守るための性教育必要性は高まっている。何も幼稚園からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックス知識だけではないのだ。

カーニバル日本に定着するか?

2月祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外祭り積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパティは少ないのではないか2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月浅草サンバカーニバル5月神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。

私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。

それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。

商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか2月には豆まきバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか

まとめ

今後の展望

今回はテカテカビキニ50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出自由、野外全裸性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。

また、ハワイアンダンスタヒチアンダンスについても調査したい。

あるいは女性ふんどしそれからファンタジーの前垂れの起源についても気になるところである

2020-11-21

子育てと今の仕事って基本バッティングするよね

お互いに譲る気がないフローというか

それで今の時代仕事全盛期なわけよ

 

昔は違った

長期的に仕事=人手を増やすから子ども必要だった

人生の中に仕事があり、仕事の一環として子育てがあるという構図も可能だった(実際そうだったかどうかは置いといて)

今は完全に競合する

転換点は第三次産業かな?第二次産業

合計特殊出生率が激減した1950年代第一次産業率も激減してる

 

解決するには1個の家庭でやらずコミュニティ子どもを育てることで

それを仕組み化したのが幼稚園保育園

そしてそれは十分に上手く動いている

 

ただ、それでも残る幾つかの競合ポイントがあってそれを産休育休とかで誤魔化してる

でもこれは正社員会社という仕組みで解決してるもので、仕事キャリアという面から見ると解決できているわけではない

その少しの競合と、そもそも仕事子どもが競合していて「仕事に対してメリットがない」という点から当然ながら少子化は進む

2020-11-16

anond:20201116095519

その道は70年前にアメリカが通った道だ

今も通っている

 

50年から70年に訂正

共産主義者による陰謀だとの論が出たのは1950年代らしい

2020-10-28

anond:20201028062551

元増田ですが、N医師は、多分本気で今も「ホロコーストはなかった」と信じてます。実際にネット上でやりとりしたので、私にはそうとしか思えません。

いまだに延々と自身ブログで、もはやとっくに腐ってるとしか思えない主張を披露し続けています

その彼の主張は細かいものがたくさんありますが、代表的ものアウシュビッツ司令官だったルドルフ・ヘス戦後に逃亡して逮捕され、逮捕したイギリス軍人に暴行を受けて自白するのですが、実はルドルフ・ヘス自身死刑を受ける前に自分回想録にそれを書いているのです。1950年代後半にその自伝出版されるのですが、その時点で世間には周知されているのです。

で、暴行を受けて自白はしたが、自分が主張した事は嘘ではないと、ヘスは自伝にそうはっきりと書いているのです。

ところが、N医師は、それよりもずっと後になって出版された、暴行をした軍人回想録記述を持ち出し、「ヘスが暴行を受けたのは事実であるから、主張は信用できない」とおかしなことを言うわけです。そんなの知ってるっつーのw 暴行を受けた事実など事情を知っている人は誰も疑ってねーw

他にも本当にたくさんあるのですが、2000年頃に散々論破されてるのに、本人は論破されたとすら自覚してないのです。

せいぜいがアウシュウィッツアウシュヴィッツに直した程度です。

私は今回、元増田に書いた「防空壕」を認めさせましたが、そんなの欧米否定論だってとっくに知ってる話なんです。あの人、よほど頭が悪いしか思えません。

話してても、全然関係のないことを普通に言うし。

2020-10-25

anond:20201025172442

とのこと ↓ 

イナバウアーは、フィギュアスケートの技で足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑るである1950年代活躍した旧西ドイツ女性フィギュアスケート選手イナ・バウアーが開発したのでその名が冠された。

2020-09-30

[]クローゼット (性的指向)

クローゼット英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイレズビアンバイセクシャルトランスジェンダークィアクエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身性的指向や性同一性公表していない状態暗喩する言葉である

言葉の背景

20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイ歴史学社会動態を把握するための重要メタファーになっている。クローゼット概念カミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態暗喩して、当人性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景からクローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉意味でしばしば用いられている[1]。


言葉としての起源

前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代アメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現同性愛社会ゲイ世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)

2020-09-14

ビーチバレーユニフォーム、極小ビキニ強制歴史

ブルマーの話じゃないけれど

筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニ露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。

ところで前回の競泳水着記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?

それはさておき、ビーチバレーの簡潔な歴史

1895年ウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボール派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代カリフォルニア起源説1915年ハワイ説がある。

プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルス競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性水着は、まだおとなしいものだ。

その後、この競技にはセクシーイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストテレビ番組タイアップしたショーの一部として、ビーチバレーマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である

その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーオリンピック正式競技になったのは、1996年アトランタ以来である。意外と遅い。

ビキニ強制だった!

さて、英語版ウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟1999年ユニフォーム標準化したとき女性衣装は2ピースビキニであることが求められた。一方の男性水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである

しかも、次の記事によれば、2012年以前は7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうであるいくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグ露出度は高い。僕はセクシーものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。

https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms

https://ftw.usatoday.com/2016/08/women-beach-volleyball-bikinis-men-uniform-guidelines-kerri-walsh-jennings

上の記事にあるように、幸いなことに、この規定2012年改訂された。これには、文化的宗教的理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーセクシーイメージがついてしまったのか、日本ショーツブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰姿勢があったのか、そこはわからない。

エッチカメラマン

https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8

この記事の冒頭では「女子ビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。

しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうであるウィキペディア英語版によれば「2004年夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。

かに性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的選手勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。

美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したとき選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。

選手の声として

https://www.huffpost.com/entry/kerri-walsh-jennings-shuts-down-beach-volleyball-bikini-critics_n_5727bf4ae4b016f378933897

Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。

ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」

「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまます。けれども、私はスポーツをするとき身体を動かしているときだけは、私たち精神に対して肯定的になれるのです」

(訳がこなれていなくて失礼)

結論

今後の展開

スポーツのみならず、舞踏広告などの表現における見せパンブルマーについて、引き続き調査したい。

追記テニスのアンダースコート定義

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-26667220070629

赤いショートパンツアンスコ?)をはきたかった選手お話

2020-09-01

ロリコンショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さ

https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7

 

ロリコンショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。

上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。

小児性愛は「性的嗜好である性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターン性的アイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。

かに小児性愛」はアメリカ精神医学会WHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。

しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。

現在小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画悪書として校庭で焼いたであろう。

同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?

である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである

 

上記note筆者は「小児性愛」の対象社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。

なぜ同性愛の達成は罪ではなく、小児性愛の達成は罪なのか。

相手子どもからだ。

当たり前だ。

ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的接触を行うことは、明確に児童人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。

人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本刑法規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。

騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別である

 

そして極めつけはこれである

小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこら大人より児童人権配慮する」姿勢必要ではないか

 

黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる

https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7

 

差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である同性愛者だから黒人から、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。

こういうことを言うと、同性愛者や黒人小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。

しか未成年との性交ただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。

そしてかつては元服11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会科学の発展によって子ども社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛病気とされていたように、社会常識観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか

 

小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。

オタクフェミ一人一派で好き勝手やればいいよ

意見が完全に統一されてるなんて1950年代古典SFじゃないんだから

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